Art Library
Art History

紀元前20000–10000

後期旧石器時代の洞窟壁画

ラスコーとアルタミラの動物画

The Dordogne, France: Lascaux’s Prehistoric Cave Paintings – Rick Steves’ Europe Travel Guide (Rick Steves’ Europe)
紀元前18,000年頃から 10,000年頃、ストーンヘンジやピラミッドよりもはるか昔、マンモスやサーベルタイガーがまだ地球を闊歩していた時代に、先史時代の人々は、現在のフランスのドルドーニュ地方の洞窟の奥深くに絵を描きました。これらの洞窟壁画は、マドレーヌ文化という印象的な文化に支えられた芸術家によって制作された、巨大で洗練されたプロジェクトです。

紀元前2万〜1万年頃のヨーロッパは、長い氷期の後半にありました。現在より寒い時期が続く一方、気候は変化を繰り返し、草原や森の広がりも変わっていました。野生馬やトナカイ、バイソン、オーロックス(原牛)などが生息する土地で、人々は狩猟と採集を続け、石や動物の骨、角から道具を作りながら暮らしていました。

フランス南西部のラスコーやスペイン北部のアルタミラには、当時の人々が岩壁に描いた動物の姿が残っています。ラスコーでは大きな原牛と馬の群れが壁を埋め、アルタミラでは天井のふくらみを利用してバイソンが描かれました。暗い場所で絵を描くには、顔料や道具を用意し、明かりを持ち込む必要がありました。

動物の絵のほかにも、人物や不思議な形の記号が残されています。なぜ人々が洞窟にこれほど多くの絵を描いたのかについては、狩猟、儀礼、象徴的な意味など、研究者の間でさまざまな解釈が提案されてきました。近年は顔料や岩の表面を調べる技術が進み、制作時期について新しい成果が出る一方、絵の目的や意味は今も議論の対象となっています。

最終氷期のヨーロッパと洞窟に描く文化

壁画に現れる動物と実際に狩られた動物

ラスコー洞窟には、馬、シカ、オーロックス(原牛)、バイソンなどが描かれています。原牛は現在の家畜のウシの祖先にあたる大型の野生牛で、背にこぶを持つバイソンとは別の動物です。フランス国立科学研究センター(CNRS)の資料に掲載された集計では、種類の判別できる動物605点のうち馬が364点、シカが90点を占めます。

洞窟からはトナカイの骨も出土していますが、壁画に登場するトナカイはごく少数です。食料として利用した動物と、絵の主題になった動物の割合は一致していません。この違いは、壁画を狩猟の記録や狩りの成功を願う絵と考える説を検討する際にも問題になります。(参照:CNRS|ジャン・クロット資料群・ラスコー洞窟の図像構成と動物の集計/フランス文化省|ラスコーの動物・人物・記号)

ソリュートレ文化とマドレーヌ文化の造形

フランス南西部やスペイン北部では、石器や動物の骨を使った道具が発達しました。ソリュートレ文化には石の両面を薄く削って整えた精巧な槍先があり、後のマドレーヌ文化には骨や角で作った投槍器、針、動物を彫り込んだ装身具などが見られます。動物を表す技術は洞窟の壁だけでなく、日常の道具にも使われていました。

ラスコーの壁画がどちらの文化に近いかは、研究者によって意見が分かれてきました。絵の描き方から推定した時代と、洞窟で見つかった道具や骨が示す年代が一致しないためです。壁画がいつ描かれたかを考えるには、絵の特徴と出土品の調査結果を分けて検討する必要があります。(参照:フランス文化省|ラスコーの年代研究/フランス文化省|ラスコーの壁画技法)

ラスコー洞窟|岩壁に広がる動物群

La grotte de Lascaux (Grands Sites archéologiques)
超高解像度3Dモデルを使用したラスコー洞窟のガイドツアー

雄牛の広間と洞窟の大きな画面

フランス南西部のラスコー洞窟は、1940年にモンティニャック近郊で発見されました。内部は約235メートルにわたり、入口側の「雄牛の広間」から「軸状横穴」「身廊」、さらに奥の「井戸」と呼ばれる場所へと続きます。場所によって天井の高さや壁の曲がり方が異なり、人々はそうした岩の表面に動物を描きました。

「雄牛の広間」では、長い角と大きな胴体を持つ原牛が際立っています。複数の原牛が湾曲した壁に大きく描かれ、その間には馬やシカが見られます。名称は「雄牛の広間」ですが、ここに描かれた大型の牛の中心は、バイソンではなくオーロックス(原牛)です。(参照:フランス文化省|ラスコー洞窟の構造/フランス文化省|ラスコーの動物・人物・記号)

動物像が重なった順序を読み取る

「雄牛の広間」には、黒い馬の列、通称「ユニコーン」と呼ばれる角のある不思議な動物、色を塗り分けた馬、大型の原牛、赤い雌牛と子牛、小さなシカが描かれています。これらは初めから一つの絵として描かれたのではなく、複数の順序を経て重ねられました。

考古学者ノルベール・オージュラは、線が交差する場所を調べ、馬の一群が先に描かれ、その上に原牛やシカなどが加えられた順序を整理しました。壁画に使われた色材の分析からも制作を何段階かに分けられることが分かっています。各段階の間に何年の隔たりがあったかまでは、まだ明らかになっていません。(参照:フランス文化省|ラスコーの描画順序/フランス文化省|ラスコーの解釈と研究史)

軸状横穴の馬と色彩表現

「雄牛の広間」の先にある軸状横穴には、丸くふくらんだ腹と小さな頭を持つ馬が描かれています。その特徴的な形から、現在では「中国の馬」という通称で知られます。黒い輪郭の内側に黄褐色の色を置き、細い脚と大きな胴体を描き分けています。この呼び名は現代のもので、先史時代の人々による名称ではありません。

向かい合う二つの壁にはそれぞれ馬の一群があり、後から描かれた雌の原牛の線と交わっています。オージュラの調査では、ここでも馬が原牛に先行していました。同じ洞窟内で似た描画順序が見られる点が、制作過程を考える材料になっています。(参照:フランス文化省|ラスコーの描画順序/フランス文化省|ラスコーの壁画技法)

トナカイの骨が明らかにしたラスコーの年代

ラスコーの絵がいつ描かれたかについては、長く議論が続いています。以前は「約1万7000年前」と説明されることが多くありましたが、この数字は放射性炭素測定で得た値を暦の年数に直す前のものです。測定法が改良され、出土品を改めて調べることで、年代の見直しが進みました。

考古学者のデュカスとラングレ(2019年)は、洞窟内で見つかったトナカイの骨を再調査しました。複数の骨から得た結果はおおむね2万1500〜2万1000年前で、紀元前約1万9500〜1万9000年に当たります。この時期、人々がラスコーの洞窟を利用していたことが分かります。(参照:Ducasse・Langlais(2019)|ラスコー出土骨の年代研究)

ここで測られたのは動物の骨で、壁画の顔料ではありません。骨の年代だけで大きな原牛や馬が描かれた時期を決めることはできず、壁画の形から考えられてきた年代との関係も検討が続いています。(参照:Ducasse・Langlais(2019)|ラスコーのトナカイ骨のAMS測定(PALEO)/フランス文化省|ラスコーの未較正年代と較正年代/フランス文化省|ラスコーの年代研究)

ラスコーの奥に描かれた人物と記号

身廊の黒い雌牛と「泳ぐシカ」

「身廊」と呼ばれる場所には、幅の広い黒い色面で身体を表した雌牛が描かれています。別の壁の「泳ぐシカ」は、角のある頭が横に連続し、首から下の部分が描かれていません。水から顔を出したシカのように見えることから、この通称が付けられました。

オージュラらの調査では、「泳ぐシカ」のある壁に先に馬が描かれていたことも分かっています。異なる動物の線が重なった部分を調べると、同じ場所に順を追って図像が加えられた様子を知ることができます。(参照:フランス文化省|ラスコーの描画順序/フランス文化省|ラスコーの動物・人物・記号)

「井戸」の場面に現れる人とバイソン

ラスコーの奥にある「井戸」の壁には、腹から内臓が垂れ下がったように見えるバイソン、手足を伸ばして倒れたような人物、鳥の付いた棒状の物、少し離れたサイが描かれています。人物は細い線で描かれ、鳥を思わせる頭部を持っています。丸みを帯びた動物とは描き方が大きく異なります。

傷ついたバイソンと人間の姿を狩猟中の事故と考える説がある一方、神話や儀礼に関係する場面だという解釈もあります。矢や傷に見える形が描かれていても、出来事を記録した絵なのか、象徴的な場面なのかは確定していません。(参照:フランス文化省|ラスコーの動物・人物・記号/フランス文化省|ラスコーの解釈と研究史)

点・格子・枝分かれした記号

ラスコーの壁には、動物のほかにも赤や黒の点、並んだ短い線、枝のように分かれた形、格子状の模様が残っています。身廊には赤、黄、黒を組み合わせた四角い図形もあり、動物画の近くに置かれた記号もあります。

こうした記号は何らかの情報を記録したもの、集団で共有された象徴、儀礼の印などと解釈されてきました。意味を読み解くための文字資料はなく、個々の記号が何を表しているかは分かっていません。動物と記号の組み合わせは、今も研究の対象です。(参照:フランス文化省|ラスコーの動物・人物・記号/フランス文化省|ラスコーの解釈と研究史)

壁画を制作した材料と技術

赤・黄・黒の顔料と塗り方

ラスコーの赤や黄色には鉄を含む鉱物が、黒にはマンガンを含む鉱物などが使われました。人々は顔料になる石を細かく砕き、粉を水と混ぜたり、岩に直接こすり付けたりして色を付けました。輪郭を引くだけでなく、色を広く塗る、吹き付ける、線を刻むといった方法も組み合わせています。

例えば「中国の馬」では黒い輪郭の内側を黄褐色で塗り、「身廊」の黒い雌牛では広い黒色の面で身体を表しています。同じ動物画でも、色の付け方や線の使い方には違いがありました。(参照:フランス文化省|ラスコーの顔料/フランス文化省|ラスコーの壁画技法)

岩肌のふくらみと刻線を生かす

洞窟の石灰岩には、丸く張り出した部分や割れ目、細い溝があります。アルタミラでは岩のふくらみをバイソンの身体に取り入れた例が知られ、ラスコーでも壁や天井の曲面に合わせて動物が描かれました。

岩肌に輪郭を彫り込んだ場所もあれば、石の明るい色を塗らずに残した場所もあります。石の形や色は絵の見え方に影響していますが、どの起伏を意識して利用したのかは図像ごとに確かめる必要があります。(参照:フランス文化省|石灰岩の表面と絵画/フランス文化省|ラスコーの壁画技法)

暗い洞窟の制作を支えた照明

太陽の光が届かない場所で描くには明かりが必要でした。ラスコーの「井戸」からは、柄の付いた赤い砂岩製のランプが見つかっています。くぼみに動物の脂を入れ、植物などを芯にして火を灯したと考えられています。

壁の高い位置に描くには、絵の大きさに合わせて身体を動かし、場合によっては足場を確保する必要もありました。暗い洞窟に描かれた動物画の背後には、顔料の準備や照明など、具体的な制作作業がありました。(参照:フランス文化省|ラスコーの照明/フランス文化省|ラスコーの壁画技法)

アルタミラ洞窟|天井に描かれた多色のバイソン

アルタミラの洞窟と北方の旧石器時代の洞窟美術…(ユネスコ/NHK)
旧石器時代の装飾洞窟17基は、1985年に登録されたアルタミラ洞窟の延長として登録されました。本資産は、今後「アルタミラ洞窟と北スペインの旧石器時代洞窟壁画」として世界遺産リストに掲載されます。本資産は、紀元前3万5000年から紀元前1万1000年にかけて、ウラル山脈からイベリア半島に至るヨーロッパ全域で発展した旧石器時代洞窟壁画の頂点を成すものです。

岩のふくらみを動物の胴体に変える

スペイン北部のアルタミラ洞窟は、天井に描かれた多色のバイソンで知られています。大きな図像には1メートルを超えるものもあり、岩のふくらみを動物の胴体に利用しています。角、目、脚などの輪郭には黒い線や彫り込んだ線が使われ、身体には赤や黄褐色の色が置かれています。

脚を折り曲げたバイソンや首をひねったバイソンは、天井の凹凸に合わせて異なる向きに描かれています。馬やシカ、手形、記号も残り、一つの天井に複数の動物と図形が重なっています。(参照:スペイン文化省|アルタミラの壁画/スペイン文化省|アルタミラの多色壁画)

炭で描いたバイソンを直接測る

壁画の年代を調べる方法の一つに、黒い顔料に含まれる木炭を測る方法があります。木炭が絵を描く際に使われたものであれば、その炭素の年代から制作時期を推定できます。ヴァラダら(1992年)は、アルタミラのバイソン像に使われた木炭を直接分析し、制作時期を調べました。(参照:Valladasほか(1992)|アルタミラのバイソン像の直接測定)

論文には「1万4000±400年」という測定値が記されています。これは暦の年数に直す前の数字で、おおむね1万7000年前を中心とする時期に相当すると考えられます。測定されたバイソン像の年代と、洞窟で人々が暮らした時期や別の赤色図像の年代も、それぞれ区別して考えられています。(参照:Valladasほか(1992)|アルタミラの多色バイソンの直接年代測定(Nature))

赤色の記号と最新の年代研究

アルタミラには、多色のバイソンより古い可能性のある赤い記号や動物画も残っています。パイクら(2012年)は、赤い記号を覆う石灰質の薄い層を調べ、約3万5600年前という年代を報告しました。これは絵の顔料ではなく、描かれた後に岩壁の表面にできた層を測った結果です。層の年代が正しければ、記号はそれ以前に描かれたことになります。(参照:Pikeほか(2012)|スペインの洞窟美術の年代)

その後、シャオら(2025年)は赤い馬などを覆う石灰質の層を調べ、約2万2600年前や約3万2000年前とする結果を発表しました。しかし、ポンス=ブランシュら(2026年)は同じ石灰質の試料に異なる測定法を適用して比較し、二つの方法で年代が食い違う例を確認しました。岩の成分が長い時間の中で移動すると、一方の方法で実際より古い年代が出る可能性があります。(参照:Shaoほか(2025)|アルタミラの年代測定)(参照:Pons-Branchuほか(2026)|測定法の比較)

2026年の研究では、赤い図像を覆う層について、約2万2800年前までの年代を比較的確かに示せると考えられています。いずれの測定も、絵の制作年を直接示すものではありません。アルタミラでは制作時期の異なる図像が重なっており、最も古い絵がいつ描かれたのかについては、測定結果の検証が続いています。(参照:Pons-Branchuほか(2026)|アルタミラのU-Th・炭素14比較(Quaternary Science Reviews))

フォン=ド=ゴーム洞窟|描き分けられたバイソン

La grotte de Font de Gaume aux Eyzies en cours de numérisation (France 3 Nouvelle-Aquitaine)
フォン・ド・ゴームは、旧石器時代の壁画がそのまま残る数少ない洞窟の一つで、現在も一般公開されています。国立記念物センターの主導でデジタル化作業が行われ、壁画の解読と遺跡のより良い保存が図られています。遠隔での見学も可能です。

彩色と線刻を組み合わせた動物像

フランス南西部のフォン=ド=ゴーム洞窟には、バイソン、馬、シカなどの動物が描かれています。赤褐色で塗った胴体に黒い輪郭や角の線を重ねた図像もあれば、岩を彫って形を示した図像もあります。黒い線で毛並みを表し、岩肌の白い部分を残して身体の色の違いを見せた例もあります。

一つの動物像に、彩色と彫り込みを組み合わせた表現が見られるのが特徴です。バイソンの背や腹の周辺では、岩の割れ目や起伏も像の見え方に関わっています。(参照:フランス文化省|バイソン像の表現/フランス文化省|彩色と線刻の複合技法)

黒色顔料の成分が変えた研究方法

フォン=ド=ゴームの黒い線には、長くマンガンを含む鉱物顔料が使われたと考えられてきました。ところが、イナ・ライヒェらの分析によって、一部の図像には木炭を含む黒い顔料が使われていることが分かりました。研究者たちは光の反射を調べる画像分析などを使い、二種類の黒い顔料を見分けました。

木炭を含む線なら、顔料そのものを採取して年代を測ることができます。ライヒェら(2026年)は、通路の分かれ目付近にあるバイソン像と、奥の通路の人または動物の顔を思わせる「仮面状図像」を調べました。これまで画風から推定していた年代を、実際の描線から確かめる試みです。(参照:Reicheほか(2026)|黒色顔料の画像分析と直接測定(PNAS)/ピエール=シモン・ラプラス研究所|2026年の年代測定)

2026年の直接測定が示した制作時期

ライヒェら(2026年)は、フォン=ド=ゴームの通路が分かれる「カルフール」という場所のバイソン像から、黒い顔料を採取しました。分析の結果、このバイソンは約1万3500〜1万3200年前、紀元前ではおおむね1万1500〜1万1200年頃に描かれたと推定されました。これは特定のバイソン像に関する結果で、洞窟の壁画全体が同じ時期に描かれたという意味ではありません。(参照:Reicheほか(2026)|フォン=ド=ゴームの直接年代測定)

もう一つ調べられた仮面状図像では、上唇と下唇の黒い線は約1万6000〜1万4200年前の範囲に収まりました。一方、左目の一部からは約9000〜8600年前という、ほかよりずっと新しい年代が出ています。後の時代に線が描き足された可能性も考えられますが、別の炭素が付着した影響なども検討する必要があり、現状では原因は決まっていません。

同じ洞窟の黒い線でも、顔料の材料や測定結果は一様ではありません。2026年の研究は、描線の成分を調べることが、洞窟壁画の年代を詳しく知る方法につながることを示しました。(参照:Reicheほか(2026)|黒色顔料の画像分析と直接測定(PNAS))

ニオー洞窟|奥深い「黒の間」の動物画

Grotte de Niaux : Vous avez rendez-vous avec une part de votre Histoire !(Sites Touristiques Ariège)
ニオー洞窟は他に類を見ない、まさに唯一無二の存在です。1時間45分のガイド付きツアーでは、黒いサロンに集められた、先祖代々の本物の壁画を、他では見られない形で鑑賞できます。ここには複製などなく、動物の素晴らしい絵画と謎めいたシンボルが融合し、あなたを遠い時代へと誘い、神聖な冒険へと導きます。

黒い輪郭で描いたバイソンと馬

フランス南部、ピレネー山脈のニオー洞窟では、入口から奥へ進んだ「黒の間(サロン・ノワール)」にバイソンや馬、野生のヤギ類などが描かれています。ラスコーやアルタミラの広い色面とは対照的に、黒い輪郭で角や背、腹の線を表した動物が目立ちます。

通路の別の場所には赤い点や記号もあります。動物像が集まる「黒の間」と、その手前に記号が残る場所とでは、描かれているものが異なります。洞窟の奥へ進んで描かれた理由については、ほかの洞窟と同様にさまざまな解釈があります。(参照:フランス国立科学研究センター|ジャン・クロット資料群・ニオー洞窟(Azema、2022/2025更新)/アリエージュ県|ニオー洞窟・黒の間)

アイベックスの角と床に残る線刻

ニオーの「黒の間」には、長く曲がった角を持つアイベックス(野生のヤギ類)も描かれています。ジャン・クロットの研究資料に掲載された第IVパネルの像は、長さ約52センチ。角の節、ひげ、蹄、胴体の毛並みにあたる細い線などが描き分けられています。

洞窟内では、壁画のほかに柔らかい地面へ刻まれた動物の線刻も見つかっています。CNRSの資料には14点の図像が記録されており、当時の人々が岩壁だけでなく床にも動物の姿を残したことが分かります。(参照:フランス国立科学研究センター|ジャン・クロット資料群・ニオー洞窟(Azema、2022/2025更新))

バイソンの炭から得られた直接年代

ニオーのバイソン像には木炭を使った黒い線が残っています。ヴァラダら(1992年)はその一部を直接調べ、従来の画風による年代推定とは別に、炭素から制作時期を確かめる道を開きました。当時の論文に示された「1万2890年」という数値は暦への換算前の値で、現在のカレンダーで数える「1万2890年前」とは異なります。(参照:Valladasほか(1992)|ニオーのバイソン像の直接測定)

その後の調査結果をまとめたCNRSの資料では、別のバイソン像などの黒線を含む3件の測定から、約1万6800年前、約1万5600年前、約1万5400年前という年代が示されています。紀元前に直すと、おおむね1万4800〜1万3500年頃の範囲です。測られたのは個々の動物像の線であり、「黒の間」のすべての絵が同時に描かれたわけではありません。(参照:フランス国立科学研究センター|ジャン・クロット資料群・ニオー洞窟(Azema、2022/2025更新))

なぜ動物を描いたのか|解釈の歴史

狩猟の成功を願う絵という考え方

洞窟壁画をめぐる古い解釈の一つが、狩りの成功や動物の繁殖を願って描いたという説です。先史学者アンリ・ブルイユは1952年の著書などで、動物の身体に重なる印や矢に似た線に注目し、絵を呪術や儀礼と結びつけました。狩猟の対象となる動物の姿を描くことで、その動物に働きかけようとしたという考え方です。

この解釈では説明しきれない点もあります。ラスコーで最も多く描かれたのは馬で、骨として残るトナカイとの割合は一致しません。矢や傷に見える形がすべての動物に描かれているわけでもありません。考古学者ユッコとローゼンフェルド(1967年)らは、現代の狩猟社会の習慣をそのまま旧石器時代の人々に当てはめることにも疑問を示しました。(参照:フランス文化省|ラスコーの解釈と研究史)

動物と記号の配置に秩序を探した研究

別の研究者たちは、動物が描かれた場所や組み合わせに注目しました。マックス・ラファエルやアネット・ラミング=アンペレールらの研究を踏まえ、アンドレ・ルロワ=グーランは1965年の著書で、洞窟の中央や奥にどの動物や記号が置かれているかを多くの遺跡で比較しました。

ルロワ=グーランは、馬とバイソン・原牛などの組み合わせに象徴的な秩序を見いだし、性に関わる意味との対応も提案しました。洞窟ごとに動物の種類や配置が異なるため、その解釈をすべての壁画に当てはめられるわけではありません。動物と記号の位置を記録することと、その配置の意味を説明することは、別の研究課題です。(参照:フランス文化省|ラスコーの解釈と研究史)

シャーマンの儀礼と変性意識をめぐる説

ジャン・クロットとデイヴィッド・ルイス=ウィリアムズは1996年の著書で、洞窟壁画をシャーマンの儀礼と結びつける考え方を示しました。シャーマンとは、特別な儀礼の中で精霊や目に見えない世界と関わる役割を担うとされる人物です。二人は点や格子、人と動物が混ざったような像を、通常とは異なる意識状態で見える形や、儀礼の経験と関係づけました。

この説には異論があります。考古学者ソフィー・ド・ボーヌ(1997年)は、似た視覚経験が存在することと、同じ儀礼が行われていたことを区別する必要を指摘しました。グラント・マッコール(2007年)も、各地の狩猟採集社会で儀礼やシャーマンの役割が異なることを論じています。洞窟に奇妙な図像があるというだけで、特定の宗教的行為の証拠にはできません。(参照:de Beaune(1997)|シャーマニズム説への批評/McCall(2007)|シャーマニズム説への批判的検討)

動物の季節変化に着目したラスコー研究

ラスコーの壁画では、動物が描かれた順番に着目した解釈もあります。ノルベール・オージュラは馬、原牛、シカが重ねられた順序を調べ、それぞれの動物の姿や行動が目立つ季節を考慮して、春から秋へと移る一年の循環が表されているのではないかと提案しました。

ライヒェら(2024年)は「雄牛の広間」から採取された絵具のごく小さな試料を顕微鏡で分析し、色材の違いから、図像が複数の段階で描かれたという見方を補強しました。顔料の分析によって順序を詳しく調べられるようになっても、その順序が季節を意味したのかどうかは別の問題です。季節循環説は、具体的な描画順序から導かれた仮説の一つとして研究されています。(参照:Reicheほか(2024)|ラスコー「雄牛の広間」の顔料分析)

洞窟壁画の発見と保存

アルタミラの発見が変えた先史美術の理解

アルタミラでは1879年、マルセリーノ・サンス・デ・サウトゥオラの娘マリアが洞窟の天井に描かれた動物画に気づいた出来事が知られています。サウトゥオラは翌1880年、古い時代の人々が描いた壁画だと報告しましたが、当時の学界では制作年代や真作性を疑う意見が強くありました。

その後、フランス各地でも先史時代の壁画や線刻が相次いで発見されます。1901年にはフォン=ド=ゴーム洞窟の絵が確認され、こうした発見によって、旧石器時代の人々が動物の姿を複雑な線や色で描いていたことが次第に認められました。(参照:アルタミラ国立博物館|マリア・サンス・デ・サウトゥオラ/フランス文化省|洞窟壁画の真作性をめぐる論争/フランス文化省|フォン=ド=ゴームの近年の研究)

ラスコーとアルタミラを守る複製展示

ラスコーは発見後に一般公開されましたが、大勢の入洞による温度や湿度の変化などが壁画の保存に影響し、1963年に公開を中止しました。1983年には主要な画面を再現した「ラスコーII」が開かれ、その後も洞窟の構造を再現した展示施設が整備されました。

アルタミラでも原洞窟への立ち入りは厳しく制限され、天井の起伏や色彩を再現した「ネオケイブ」が公開されています。現在、研究者は現物の保護を優先しながら、複製展示や記録を通じて壁画の姿を伝えています。(参照:フランス文化省|ラスコーの保存と公開停止/フランス文化省|ラスコーの複製展示/アルタミラ国立博物館|ネオケイブ)

略年表|紀元前20000–10000年の主な変化

  • 紀元前2万1000〜1万8000年頃|アルタミラの一部の赤い図像を覆う岩の薄い層の推定年代。壁画はその層ができる前に描かれた。2026年の研究では測定法による年代の違いも報告された
  • 紀元前2万年頃|西ヨーロッパでソリュートレ文化の石器製作が行われ、動物の姿を表す技術も見られる
  • 紀元前1万9500〜1万9000年頃|ラスコーから出土したトナカイの骨が示す洞窟の利用時期。壁画そのものを測った年代ではない
  • 紀元前1万5000年頃|アルタミラの一部の多色バイソン像に使われた木炭を1992年に直接測定。暦の年代への換算には幅がある
  • 紀元前1万4800〜1万3500年頃|ニオーの一部の動物像に使われた木炭の直接測定による推定時期
  • 紀元前1万4000〜1万2300年頃|フォン=ド=ゴームの仮面状図像の口元を描いた黒線が示すおおよその年代
  • 紀元前1万1500〜1万1200年頃|フォン=ド=ゴームの特定のバイソン像に使われた黒色顔料の直接測定による推定時期
  • 紀元前1万年頃|氷期の終わりが近づき、気温上昇とともに植生や動物の分布、人々の暮らしが変わっていく

まとめ|洞窟壁画から分かること、まだ分からないこと

ラスコーやアルタミラに残る壁画からは、旧石器時代の人々が動物の姿を細かく観察し、石灰岩の起伏に合わせて線や色を使い分けていたことが分かります。顔料を砕き、岩を刻み、暗い洞窟の奥で灯火を使って描いたことも、残された道具や絵の表面の調査によって確かめられています。近年は、描線に含まれる木炭や絵を覆う岩の薄い層を調べることで、一部の図像の制作時期が以前より詳しく分かるようになりました。描画の順序についても、線の重なりや顔料の違いから研究が進んでいます。

一方、これらの動物や記号をなぜ描いたのか、どのような人々が集まり、そこで何をしていたのかは、まだ十分に解明されていません。狩猟の成功を願ったという説、図像の配置に象徴的な意味を見いだす説、儀礼や季節の循環と結びつける説など、研究者によって解釈は異なります。新しい測定技術は壁画がいつ、どのように作られたかを明らかにしつつありますが、その目的まで直接教えてくれるわけではありません。洞窟に残された絵と発掘資料をもとに、現在も調査と議論が続いています。

参考資料・出典

洞窟壁画の年代は、顔料そのものを調べたのか、洞窟に残された骨を調べたのか、絵の上にできた石灰質の層を調べたのかによって意味が異なります。年代の数字を読む際には、各論文に記載された測定対象も確認する必要があります。