1995–2005
映像が美術館の空間を変えていく
映像インスタレーションの広がり
1990年代後半、美術館で映像を見る経験が大きく変わりました。スクリーンに向かって座り、一つの映画を最初から最後まで見る時間とは異なり、映像が映る部屋へ入り、複数の画面を見比べ、作品の途中で別の場所へ移動する鑑賞が広がっていきます。映像を見る人の身体と、映像を取り巻く展示空間が、作品を構成する重要な要素になりました。
この表現は映像インスタレーションと呼ばれます。暗室の壁を占める大型投影、向かい合う二つのスクリーン、モニターを組み合わせた彫刻、音と映像が複数の部屋へ分散する環境など、その形は多様です。画面の中で起こる出来事に加えて、映像がどの位置にあり、誰がどう見ているかが作品の意味を左右します。
映像インスタレーションには、1960〜70年代にまでさかのぼる歴史があります。1960〜70年代にはナム・ジュン・パイクやジョーン・ジョナスがテレビやビデオによる実験を重ね、アンソニー・マッコールは投影光の内部を観客が歩く作品を制作しました。ビル・ヴィオラやゲイリー・ヒルも1980年代から映像と身体、言語、空間の関係を探っています。
1992年のドクメンタIXでは映像作品が絵画や彫刻と並んで紹介され、1995年にはニューヨーク近代美術館が《Video Spaces: Eight Installations》を開催しました。古橋悌二《Lovers》を含む八つの作品は、映像を一つの画面から解放し、時間と空間に広がる表現として示しました。これはそれ以前の実験が国際的な美術制度で認識される重要な節目でした。
同じ時期、ダグラス・ゴードンはヒッチコックの映画を約24時間へ引き延ばし、スティーヴ・マックイーンは無声映画の有名な場面を自らの身体で再演しました。ピピロッティ・リストは色彩に満ちた二面投影を作り、シリン・ネシャットは向かい合うスクリーンに男女の姿を置きました。それぞれの方法で、映画と美術館の関係が問い直されていきます。
1999年前後にはダグ・エイケンやエイヤ=リーサ・アハティラ、アイザック・ジュリアンが物語映像を複数の画面へ展開しました。ダイアナ・セイターやビル・ヴィオラは光と音を展示室へ広げ、ブルース・ナウマンやハルーン・ファロッキは長時間の記録や監視装置を扱いました。映像は映画の引用、歴史の再構成、ジェンダーや政治をめぐる表現にも深く関わります。2004〜05年にはテート・モダンの《Time Zones》が現代の映画・ビデオ作品を集め、2005年にはメトロポリタン美術館がトニー・アウスラーの映像と立体を組み合わせたインスタレーションを紹介しました。
本記事では、1960年代からの前史を確認したうえで、1995〜2005年に起きた変化を主要な作品と展覧会に沿ってたどります。撮影方法や編集だけでなく、上映時間、ループ、スクリーンの配置、観客の移動、機材の保存までを検討します。美術館が映像を見る場所として変わっていく過程は、現代美術そのもののあり方を考える手がかりとなります。
CONTENTS
- 映像を見る場所が変わり始めた
- 1960〜70年代に始まった実験
- 1980年代から1990年代前半への発展
- 1995年MoMA《Video Spaces》という節目
- 映画が展示空間へ入っていく
- ダグラス・ゴードンと映画の時間
- スティーヴ・マックイーンと身体の映画
- タシタ・ディーンとフィルムの物質性
- ピピロッティ・リストと映像の色彩
- シリン・ネシャットと対向するスクリーン
- スタン・ダグラスと反復される歴史
- ダグ・エイケンと移動する観客
- 物語映画が複数のスクリーンへ広がる
- 光と音が展示室そのものを変える
- 監視映像と見えない時間
- 既存の映画を別の作品へ組み替える
- 政治と記録映像の新しい関係
- 映像作品が美術館に残したもの
- 略年表
- まとめ
- 参考資料・出典
映像を見る場所が変わり始めた
1990年代後半、美術館の展示室では映像と観客の関係が変わっていきました。画面が増え、映像が壁や部屋を占めると、作品を見る行為はその場所を歩くことと結びつきます。まず、その変化を映画館での鑑賞と比べながら捉えます。
映像インスタレーションとは何か
映像インスタレーションは、映像とそれを上映する空間を一体として構成する表現です。作家は画面の大きさや位置、音の方向、明るさ、再生時間、観客が通る場所を組み合わせ、展示室全体に作品をつくります。
同じ映像でも、壁いっぱいに投影する場合と小さなモニターに映す場合とでは、鑑賞者が感じ取る距離や身体の大きさが変わります。
例えば二つのスクリーンを向かい合わせれば、観客は片方を見る間、もう片方の映像を背後で感じることになります。複数の画面を隣り合わせれば、その場で二つの出来事を見比べられます。画面の配置は映像の編集や物語の受け取り方にも関わり、展示室に入った人の行動が鑑賞経験を形づくります。
こうした実験は1960〜70年代にすでに始まっていました。1995年にニューヨーク近代美術館(MoMA)が開いた《Video Spaces: Eight Installations》は、テレビ、ビデオ投影、彫刻的な装置を組み合わせる八つの作品を通じて、その発展を示しました。1995〜2005年の変化をたどるうえで、まず映像と展示空間が結びつく仕組みを押さえておきたいところです。(参照:MoMA|バーバラ・ロンドンによる展覧会序文)
映画館と美術館で異なる鑑賞の時間
映画館では上映開始から終了までの時間があらかじめ決まり、観客は同じ方向に並んで一つのスクリーンを見ます。編集されたショットは一定の順序で現れ、音と画面の大きさも観客を一つの物語へ引き込むように設計されています。
美術館の映像インスタレーションでは、入室した瞬間に流れている場面が鑑賞の出発点です。作品はループ再生され、観客は途中から見始めたり、隣の画面へ歩いたり、気になった場面をもう一度待ったりします。同じ展示室を訪れても、見る順序と滞在時間によってそれぞれ異なる経験が生まれます。
作家はこの条件を利用して映像を構成します。二つの画面を同時に動かす作品では、片方の出来事を見ている間に別の場面が進みます。ループの長さをずらした作品では、再訪するたびに新しい組み合わせに出会えます。映像の内部にある編集と、展示室で起こる鑑賞者の選択が重なる点に、この時期の表現の特色があります。(参照:ホイットニー美術館|《Into the Light》展)
鑑賞者の身体が作品に参加する
映像インスタレーションでは、身体をどこに置くかによって見えるものが変わります。向かい合う二面投影の中央に立つと、片方の画面を正面から見るたびに、もう片方は背後に移ります。首を振り向ける間も映像は進み、音は位置によって強さや方向が変わります。
ダグ・エイケンの《electric earth》のように複数の部屋へ映像が分かれる作品では、鑑賞者は一つの場面を離れて次の部屋へ進みます。暗い通路を歩く時間も、直前に見た映像の記憶に重なります。映画の登場人物の移動と、鑑賞者自身の移動が呼応することもあります。
その経験は作家による空間設計によって支えられています。入口の向き、スクリーンの間隔、通路の幅、映像の同期などが、見る人の動きを導きます。鑑賞者の身体は作品の外側にある観察者という位置から、作品の時間を経験する存在へと踏み込んでいきました。(参照:ロサンゼルス現代美術館|エイケン《electric earth》)
1960〜70年代に始まった実験
1990年代の映像作品には、先行世代が築いた複数の系譜が流れ込んでいます。テレビを物体として扱う試み、身体をカメラの前に置く実験、光そのものを空間に出現させる作品です。それらは後の大型投影に直接つながる重要な蓄積でした。
ナム・ジュン・パイクがテレビを環境に変える
1960年代、携帯式ビデオ機器が作家の手へ届き始めました。ナム・ジュン・パイクはテレビ放送の受信機を、そのまま作品の構成材料として扱いました。画像を画面に映すだけでなく、複数のテレビを空間に配置することで、テレビを家庭の家具や情報媒体から彫刻的な要素へ変えていきます。
《TV Garden》(1974)では、生きた植物の間に大小のテレビを散りばめ、《Global Groove》(1973)の映像を再生します。観客は植物の間を歩き、異なる方向から電子的な光と音を受け取ります。テレビの画面は一つの鑑賞対象というより、歩き回る環境を作る多数の要素となりました。作品に込められた文化の混交や世界的な通信への関心と、鑑賞者の周囲に広がる視覚経験は結びついています。2000年のグッゲンハイム美術館の個展でも再展示された《TV Garden》は、1990年代以前から没入的な映像空間が存在していたことを示します。(参照:グッゲンハイム美術館|ナム・ジュン・パイク《TV Garden》)
ジョーン・ジョナスとナウマンが問う身体
ジョーン・ジョナスはパフォーマンスとビデオを往復し、カメラの前で身体がどのように見えるかを探りました。《Vertical Roll》(1972)では、映像信号のずれから生じる横帯が画面を繰り返し流れ、作家の姿を分断します。テレビの不具合を作品のリズムとして利用することで、映像装置が女性の身体像を作る仕組みを意識させます。
ブルース・ナウマンも1960年代から、スタジオ内の動作を反復して撮影する作品を制作していました。歩く、身体を傾けるといった単純な行為は、映像の枠と持続時間を与えられることで観察の対象になります。両者は映像を、既存の映画の物語から離れた身体実験の場として使いました。ジョナスの技術的なずれ、ナウマンの反復する身体は、その後の作家が映像の時間や撮影装置そのものを表現へ取り込む前例になります。ナウマンが2001年に無人のスタジオを長時間撮影したことも、こうした初期の探究と結びつけて理解できます。(参照:MoMA|ジョーン・ジョナス《Vertical Roll》)
ダン・グレアムとアンソニー・マッコールの空間
ダン・グレアムの《Present Continuous Past(s)》(1974)は、鏡とカメラ、時間差のある映像によって現在と過去の自分の姿を重ねる作品です。
鑑賞者は展示室に入ることで装置の内部へ組み込まれ、自分の視点と映像の視点の違いを経験します。映像を見ている人が同時に映像の一部となる構造が特徴です。
アンソニー・マッコールの《Line Describing a Cone》(1973)は、暗い空間へ投影された16ミリフィルムの光が、およそ30分かけて円錐状に広がる作品です。観客が見るのはスクリーンに表れる図形と、空中に現れる光の立体です。人はその光の内部を歩くことができ、映画の投影を空間的な彫刻として経験します。
グレアムは映像の時間差を身体へ返し、マッコールは映写光そのものを歩ける空間にしました。1990年代後半の映像インスタレーションを特徴づける「見る人も空間にいる」という条件は、すでに1970年代に明確な形を得ていました。(参照:ホイットニー美術館|マッコール《Line Describing a Cone》)
1980年代から1990年代前半への発展
映像が独立した美術表現として蓄積されると、作家たちは映像の大きさや装置、音、建築との関係をさらに精密に扱うようになりました。1995年を転換点とするためには、その直前に美術館や国際展で何が起きていたかを確認する必要があります。
ゲイリー・ヒルとビル・ヴィオラの映像空間
ゲイリー・ヒルは、言葉と身体、映像が互いに干渉する作品を展開しました。1990年の《Inasmuch As It Is Always Already Taking Place》では、壁の奥に埋め込まれた大小16個のモニターが身体の断片を映します。画面の大きさは映された身体の部分に応じて変わり、一人の人体が大小の断片となって壁の中に現れます。
ビル・ヴィオラは1980年代から、光、水、人物の動き、音を使って映像を見る時間を拡張しました。1987年にはMoMAがヴィオラのインスタレーション展を開催しており、1990年代以前に美術館が映像を空間的な表現として取り上げていたことが分かります。ヒルの作品は壁の内部に複数の電子的な身体を埋め込み、ヴィオラは投影や音によって鑑賞者を包みます。両者の方法は異なりますが、映像の画面を単独で完結させず、鑑賞する環境へ広げた点で重要な先行例です。(参照:MoMA|ゲイリー・ヒル《Inasmuch…》)
1990年《Passages de l’image》と映画の再検討
1990年9月から1991年1月にかけて、パリのポンピドゥー・センターで《Passages de l’image》が開かれました。写真、映画、ビデオ、コンピューター画像を横断する国際展であり、映像を個別の技術ごとに分類するより、それらが社会の中でどのように意味を作るかを検討しました。
この展覧会にはクリス・マルケル、ダン・グレアム、ゲイリー・ヒル、ビル・ヴィオラらも関わり、映像の展示や上映を通してメディア同士の関係が扱われました。
マルケルの《Zapping Zone》(1990–94)は、ビデオ、写真、コンピューターなどを組み合わせ、テレビ的な視聴習慣を作品の内部から組み替えています。
《Passages de l’image》では、写真、映画、ビデオ、コンピューター画像を行き来する表現が、1990年の時点ですでに広く取り上げられていました。画像が写真から映画へ、映画からビデオへと移るとき、画像の使われ方まで変わることをすでに問題化していた点にあります。(参照:ポンピドゥー・センター|《Passages de l’image》)
1992年ドクメンタIXと美術館の変化
1992年のドクメンタIXでは、映像インスタレーションが絵画や彫刻とともに大規模な国際展へ組み込まれました。1995年のMoMA《Video Spaces》を企画したバーバラ・ロンドンは、展覧会序文でドクメンタIXに言及し、映像を用いた表現が美術の主要な領域へ育ってきたことを示しています。
映像の展示には、上映機器を置くだけでなく、遮光、音響、複数画面の同期、観客の通路などの設計が伴います。隣り合う展示室の音が混じれば、作品の印象も変わります。映像を国際展の中心的な会場へ迎えることは、展示を支える建築や運営の方法にも変更を求める出来事でした。
この動きの背景には、パイクやジョナスからヒル、ヴィオラへ続く数十年の実験があります。ドクメンタIXとMoMAの展覧会を続けて見ると、先行する作品が蓄積した表現方法を、大規模な美術制度が次々と取り上げていく経緯が浮かび上がります。(参照:MoMA|バーバラ・ロンドンによる展覧会序文)
1995年MoMA《Video Spaces》という節目
ニューヨーク近代美術館が1995年に開催した《Video Spaces: Eight Installations》は、当時の映像美術の多様性を端的に示しました。ここでは展示作品の実際の装置と、企画者がどのような意図でそれらを並べたかを詳しく確認します。
バーバラ・ロンドンが示した新しい映像の位置
1995年6月21日から9月12日まで、MoMAで《Video Spaces: Eight Installations》が開催されました。一般公開を6月22日とする当時の資料も残っています。企画者は同館の映画・ビデオ部門のバーバラ・ロンドンでした。彼女は携帯式ビデオ機器の普及から始まった映像美術が、数十年の実験を経て空間的な表現へ成熟したと捉えました。
ロンドンは単一画面から映像が解放され、時間と空間にわたる環境へ埋め込まれた点を強調しています。出品作には投影、モニター、彫刻的な構造物、回転するスクリーンなど、異なる仕組みが見られました。映像の中で何が起きるかと同時に、どの装置を通して見るかが重要な作品群です。展覧会名の「八つ」は八作品を表し、参加作家は共同制作の組を含む九人でした。展示を題材や国籍だけで括らず、各作家が映像の時間と空間をどのように扱うかという共通の問題から読み解いた点が、今回の記事にも有効です。(参照:MoMA|Video Spaces: Eight Installations(展覧会記録))
八作品に現れた多様な展示方法
1995年の《Video Spaces》には、スタン・ダグラス《Evening》(1994)、ゲイリー・ヒル《Inasmuch As It Is Always Already Taking Place》(1990)、ビル・ヴィオラ《Slowly Turning Narrative》(1992)、トニー・アウスラー《System for Dramatic Feedback》(1994)が出品されました。
三つのニュース番組を並べる投影、壁に埋め込まれた小型モニター群、回転するスクリーン、人形状の物体への映像投影など、作品ごとに装置の形が大きく異なります。
クリス・マルケル《Silent Movie》(1994–95)では五台のモニターが縦に積まれ、映画の断片がひとつの電子的な塔になります。マルセル・オーデンバッハはドイツの歴史的記憶を多画面へ展開し、ジュディス・バリーとブラッド・ミスケルの共同制作《HardCell》(1994)では、機械の残骸を思わせる構造物と映像が組み合わされました。
それぞれの装置には、作家の主題と結びついた役割があります。ヒルの小さな画面は身体を細部へ分解し、ヴィオラの回転する構造は像と投影面の関係を刻々と変えます。画面の大きさや素材を見比べると、映像の展示方法そのものが表現上の選択であることが分かります。(参照:MoMA|Video Spaces 1995(参加作品一覧))
古橋悌二《Lovers》と接触できない身体
古橋悌二《Lovers》(1994)は、黒い展示室の壁を等身大の人物像が移動する映像インスタレーションです。MoMAの資料には、コンピューター制御の五系統の映像投影、八系統の音響、スライド投影が記録されています。
東京のキヤノン・アートラボと協力して制作され、人物たちは壁に沿って歩き、ときに走り、別の身体と重なり合います。
暗い部屋に入った観客は、光でできた人物とほぼ同じ高さの場所に立ちます。人影が近づくと、目の前に誰かがいるように感じられます。実際の身体との隔たりは、壁上の光が重なりながら通り過ぎていく瞬間に強く意識されます。親密さへの欲望と触れ合うことの難しさが、映像の内容と装置の仕組みから同時に立ち上がります。
古橋は京都の表現集団ダムタイプの共同創設者で、身体、音、映像を横断する制作を続けました。エイズ危機のさなかに制作された《Lovers》では、接触への思いと死の不安が切実な背景をなします。古橋は1995年のMoMA展閉幕後、エイズ関連疾患で亡くなりました。この作品には、当時の歴史と、身体を光として出現させる表現の両方が刻まれています。(参照:MoMA|古橋悌二《Lovers》)
映画が展示空間へ入っていく
1990年代半ばには、映画を制作してきた作家も、完成したフィルムを美術館の中へ新しい形で配置し始めました。映像を複数の画面へ分けることや、元の映画の順序を変えることが、記憶と歴史を考える手段になります。
シャンタル・アケルマンの映画からインスタレーションへ
シャンタル・アケルマンは1970年代から映画制作を続け、長い固定ショットや、日常の中で持続する時間を探究しました。1989年のベルリンの壁崩壊と東欧社会の変化を背景に撮られた映画《D’Est》(1993)は、移動するカメラと静止した人々の姿を通して、歴史の転換期を生きる身体を記録しています。
1995年、アケルマンはこの映像を《D’Est, au bord de la fiction》として展示空間へ展開しました。ウォーカー・アート・センターやパリのジュ・ド・ポームで紹介され、映画を複数の画面に空間的に配置する試みとなりました。映画として連続していた時間は、鑑賞者が歩きながら異なる場面に出会う経験へ変わります。アケルマンの実践が示したのは、映画から展示へ場を移すことで映像の時間と見え方も変化するということです。同じ歴史的現実を扱いながら、映画館と展示空間では観客が受け取る順序と時間が変わることを示しています。(参照:ジュ・ド・ポーム|アケルマン作品が映画から展示へ移った1995年)
映画の編集が展示室の中へ移される
映画では、ある場面の次に別の場面を置くことで出来事の順序や因果関係を組み立てます。複数画面のインスタレーションでは、別々の場面が同じ時間に目の前へ現れます。画面間の距離や位置関係が、映像のつながりをつくる新しい手段になります。
シャンタル・アケルマンの《D’Est, au bord de la fiction》では、東欧を移動しながら撮影された人々の姿や街路の風景が複数の画面へ配置されます。一本の映画を見ているときには、カメラの移動に沿って景色が順に現れます。展示室では歩く観客が異なる場面を見つけ、以前の画面の記憶と結びつけます。撮影時の移動と鑑賞時の移動が交差する構成です。
同じ映像素材を映画とインスタレーションの双方へ展開する実践からは、映像作品をどこまで展示方法と一体のものとして考えるかという問題も生まれました。スクリーンの数や配置の変化は、物語を受け取る時間の変化でもあります。(参照:ジュ・ド・ポーム|アケルマン作品が映画から展示へ移った1995年)
ループ上映が物語の始まりと終わりを変える
美術館で繰り返し再生される映像作品では、観客が展示室に入った瞬間の場面が、その人にとっての作品の始まりになります。最初の場面が映るまで待つ人もいれば、途中から数分間見て次の部屋へ移る人もいます。再生装置のループと観客の滞在時間が、それぞれ異なる周期を持っています。
ダグラス・ゴードン《24 Hour Psycho》は一つの映画を約24時間へ引き延ばし、ひと続きの物語を短時間では見渡せない長さへ変えました。スタン・ダグラス《Win, Place or Show》は約6分の場面を繰り返すたびに編集の組み合わせを変化させます。前者は長さによって、後者は組み合わせによって、反復を見る経験を変えています。
観客は見逃した場面を想像し、次のループを待ちながら理解を更新します。映像の始まりと終わりが固定された上映時間から離れることで、時間の過ごし方そのものが作品を経験する方法になります。(参照:ディア・アート財団|《Double Vision》展のプレス資料)
ダグラス・ゴードンと映画の時間
ダグラス・ゴードンは既存の映画を引用し、その速度や画面の構成を変えることで、観客が映画に持つ記憶と上映される時間をずらしました。1993年の代表作は、映画を美術館で見ることの条件を広く問い直しました。
《24 Hour Psycho》(1993)が変えた上映時間
ダグラス・ゴードンの《24 Hour Psycho》(1993)は、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『サイコ』(1960)を極端に低速で再生し、全編を約24時間に引き延ばした作品です。急激なカットの連続で有名な場面も、身体の動きがわずかずつ変わる長い時間として現れます。元の映画の筋を知る観客にとっては、すでに記憶している場面がなかなか訪れないことも作品の経験になります。
美術館を訪れた人は、その場で映画全編を見続ける代わりに、偶然出会った一部分を見つめます。ゆっくり動く俳優の表情、身体と物の間隔、画面の光の変化が、劇映画の緊張感とは別のリズムをつくります。速度の操作によって、映画を知る記憶と現在の知覚の間に時間のずれが生まれました。
《24 Hour Psycho》はゴードンの国際的な評価を高めた代表作です。既存の映画に最小限の操作を加え、上映時間そのものを作品の中心に据えた試みは、映像を美術館で経験する条件を鮮やかに示しています。(参照:ハーシュホーン美術館|ダグラス・ゴードン展)
映画を知っている記憶が作品を補う
『サイコ』では、観客は音楽や編集の速度によって事件へ引き込まれます。《24 Hour Psycho》では、シャワー室の有名な場面も極端にゆっくり進み、観客は記憶の中にある編集の速さと目の前の映像の遅さを比べることになります。観客の中には、その場面を思い出して待ちながら、目の前の像のわずかな変化へ意識を向ける人がいるでしょう。
映画の引用は、観客がもともと持っている物語や場面の記憶を、作品の一部として働かせます。ゴードンは観客がすでに持つ映画の知識を、展示の中で作用させました。同じ作品に出会っても、元の映画を熟知している人と初めて見る人では、静止に近い像から連想する出来事が異なります。スクリーン上に映るのは過去の映画ですが、そこで働くのは現在の鑑賞者の記憶です。時間が引き延ばされることで、映画の外側に存在していた個人の経験が作品を見る行為へ入り込みます。(参照:ハーシュホーン美術館|ダグラス・ゴードン展)
1996年ターナー賞と映像表現の評価
ゴードンは1996年にターナー賞を受賞しました。1980年代末から1990年代の英国では、絵画や彫刻と並んで映像やインスタレーションを手掛ける作家が注目を集めました。この受賞は、映画を素材とした実験的な映像が、英国の現代美術を代表する仕事として評価されていたことを示します。
1999年にはスティーヴ・マックイーンもターナー賞を受賞します。二人はいずれも映画と美術の関係を扱いながら、その手法は大きく異なりました。ゴードンがすでに存在する映画の映写時間を操作したのに対し、マックイーンは自らの身体を撮影し、映画の歴史的な場面を再構成しました。英国美術における映像の存在感は、YBAの動向とも並行しています。映像が受賞作として評価された歴史を、その時代の美術制度が多様な媒体を取り込んでいった過程として見ることができます。(参照:ハーシュホーン美術館|ダグラス・ゴードンの受賞歴)
スティーヴ・マックイーンと身体の映画
スティーヴ・マックイーンは美術館で上映されるフィルムを制作し、カメラの位置や画面の大きさ、身体の動きを組み合わせて独自の映像表現を築きました。彼の初期作品は、映画史を引用しながら現代の身体をその中へ置き直しています。
《Deadpan》(1997)とバスター・キートン
《Deadpan》(1997)は、バスター・キートン主演の『キートンの蒸気船』(1928)に登場する有名な場面をマックイーン自身が再演した映像です。家の前面の壁が人に向かって倒れ、開いた窓の部分が身体を避けるという危険な動作を、異なるカメラ位置から繰り返し撮影しています。
作品はMoMAの企画展《Projects 62: Steve McQueen》のために制作されました。16ミリフィルムで撮影し、ビデオへ変換して大型投影しています。原作映画では一瞬の見せ場だった出来事を繰り返すことで、観客はスタントの結果を知りながら、落下する壁と身体との微妙な位置関係を見続けることになります。画面内の出来事は物語の展開から切り離され、撮影する角度や身体の配置を観察する対象になります。繰り返される同じ行為の中で、映画の一場面が映像の構造を調べるための作品へ変化しました。(参照:MoMA|《Projects 62: Steve McQueen》)
映画史に黒人の身体を置き直す
《Deadpan》が再演するのは、1928年の映画『キートンの蒸気船』でバスター・キートンが見せた、倒れてくる家の壁を窓の開口部でかわす場面です。マックイーンはキートンが立っていた位置に自らの身体を置き、壁が迫る瞬間を別の角度から繰り返し撮影しました。映画史のよく知られた身振りが、黒人の作家自身によって演じ直されています。
作品には人種の歴史を説明する字幕や語りは置かれず、観客は二人の俳優の身体と、映画が撮影された時代の隔たりを映像から読み取ります。映画の名場面を思い出している人には、同じ動作が別の人物によって再演されていることがはっきりと伝わります。同時に、壁と身体の位置関係を何度も示す撮影は、映画のトリックそのものを観察させます。
無声映画への応答、危険なスタントの分析、黒人の身体を映画史へ置き直す行為が、一つの短い映像に重なっています。マックイーンは引用した場面を物語から切り出すことで、撮影された身体の意味を現代の観客へ開きました。(参照:MoMA|スティーヴ・マックイーン《Deadpan》)
巨大な無音の投影が作る身体感覚
《Deadpan》は音声のないモノクローム映像として、展示室の壁面へ大きく投影されました。MoMAの当時の資料には、映像が縦約3.4メートル、横約4.6メートルの大きさで映されたことが記録されています。観客の身体と画面の中の人物が、通常のテレビ視聴では得られない比率で向き合います。
壁が倒れる場面にも映画館の劇伴はなく、観客は映像を静けさの中で見ます。無声の映像を前にすると、展示室に響く足音や衣服の擦れる音も意識され、倒れてくる壁の動きが際立ちます。音が作品から消えていることによって、画面の動きや見る側の身体への注意が強まります。マックイーンは1999年にターナー賞を受賞し、その後は長編映画監督としても活動を広げました。《Deadpan》は、美術館での映像と映画制作を横断していく作家の出発点の一つとして重要です。(参照:MoMA|《Projects 62: Steve McQueen》)
タシタ・ディーンとフィルムの物質性
デジタル映像が発展していた時期にも、フィルムという物質を選び続ける作家がいました。タシタ・ディーンは、光や風景を長く見つめる映像と、16ミリフィルムを上映する具体的な装置の関係を探りました。
《Disappearance at Sea》(1996)と海の風景
タシタ・ディーンの《Disappearance at Sea》(1996)は、灯台の回転する光や、日が暮れていく海を長く映し出す16ミリフィルム作品です。画面では大きな事件が起こることなく、明るさが変化し、灯台の光が同じ場所へ戻ってきます。観客は映像の中の出来事を追うというより、時間の推移を感じ取ります。
作品の背景には、1968年に単独世界一周のヨットレースへ参加し、その後消息を絶ったドナルド・クローハーストの物語があります。ディーンは俳優による再現を使わず、海と光の変化を長く撮影することで、失踪した人物の記憶へ近づきました。海と光を撮影し、失踪の記憶が漂う風景を映像として差し出します。
2001年のハーシュホーン美術館の展覧会では、この作品と別のフィルムが暗く再構成された展示室で上映されました。鑑賞者が灯台の光を待つ時間と、フィルムが映写機の中を移動する時間が重なる作品です。(参照:ハーシュホーン美術館|タシタ・ディーンのフィルム・インスタレーション)
出来事を待つ時間と光の変化
回転する灯台の光は繰り返し現れますが、その間に海の色や空の明るさはゆっくり変わります。観客は光の戻る位置を確かめながら、次に何が見えるかを待つことになります。劇的な事件の代わりに、ほとんど同じ風景が少しずつ変わる時間そのものが主題となります。
ディーンの映像は、画面に情報を詰め込むより、見る側が風景を観察し続ける余地を作ります。灯台は船へ方向を知らせる装置です。夜の海に届く光の輪郭は、その外側に広がる暗さも際立たせます。導く光と、その先の見えない空間の関係が作品の緊張を生みます。長い時間を見せる方法は、ゴードンが映画の速度を引き延ばす方法とも比較できます。ゴードンが既存映画の編集された時間を変えたのに対し、ディーンは実際の風景の中にある持続や変化をフィルムに記録しました。(参照:ハーシュホーン美術館|タシタ・ディーンのフィルム・インスタレーション)
16ミリフィルムを映写するという選択
16ミリフィルムでは、一本のフィルムに記録された画像を映写機が送り、そこへ光を通すことで像が現れます。映写機の動作音、フィルムの粒子、わずかな傷や揺れ、投影された光の明るさが鑑賞経験に加わります。
ディーンの作品では、海の風景を撮影することと、フィルムを光で映し出すことが一つの表現を形づくっています。
《Disappearance at Sea》で繰り返し現れる灯台の光は、フィルムを通して展示室へ届けられます。撮影された光と映写機の光が重なり、観客は暗室の中でゆっくりと明るさが変わる時間を過ごします。デジタル機器へ映像を移す際には、画像の内容とともに、光の質や上映時の動作をどう受け継ぐかが検討されます。
1990年代後半の映像美術では、デジタル技術の普及と並んでフィルム固有の性質を生かす制作も続きました。ディーンの仕事は、何を映すかという選択と、どの媒体を通して映すかという選択が、作品の時間をともにつくることを示しています。(参照:ハーシュホーン美術館|タシタ・ディーンのフィルム・インスタレーション)
ピピロッティ・リストと映像の色彩
ピピロッティ・リストはビデオの色彩や音楽、身体の動きを組み合わせ、観客が映像に囲まれる感覚的な空間を作りました。1997年の代表作では、街を歩く女性と花の映像が、隣り合う二つの壁に現れます。
《Ever Is Over All》(1997)の二つの画面
《Ever Is Over All》(1997)は、色彩豊かな二面のビデオ投影と音楽からなる作品です。左の画面では青い服と赤い靴の女性が街を歩き、長い花の茎のようなものを振って駐車中の車の窓を割ります。右の画面には、鮮やかな赤い花が大きく映し出されています。
映像は二つの隣接した壁に投影され、互いに重なり合う構成です。女性の身振りは乱暴な破壊行為を含みながら、その動きはゆっくりとした音楽に包まれています。警察官が彼女の行為を咎めず、笑顔で挨拶をする場面もあり、現実世界の規則が緩んだような感覚が生まれます。
MoMAの収蔵記録は、約4分の二面ビデオ作品としてこの作品を紹介しています。街路の映像と花の映像の同時性が、幻想と日常を結びつける重要な仕組みとなっています。(参照:MoMA|ピピロッティ・リスト《Ever Is Over All》)
色と音が映像空間を作る
《Ever Is Over All》では、赤い花の大きなクローズアップと、花を手に街路を歩く女性の映像が隣り合う壁に映ります。明るい色彩の重なりが展示室を満たし、穏やかな音楽が二つの画面を一つの経験へ結びつけます。観客がどちらかの画面へ目を向けると、もう片方の色や動きも視野の端に残ります。
女性が車の窓を割る動作は、花の映像と見比べることで奇妙な軽やかさを帯びます。植物の柔らかさとガラスの硬さ、街の日常と夢のような出来事が、画面を並べることで一度に感じられます。警察官が笑顔で挨拶する場面も、この作品がつくる現実とは異なる規則を印象づけます。
リストは高彩度の色、電子的なにじみ、音楽の反復といったビデオの性質を積極的に生かしました。作品は身体の周囲に広がる色と音の環境となり、街路で起こる出来事を観客の感覚へ直接働きかけるものにしています。(参照:MoMA|ピピロッティ・リスト《Ever Is Over All》)
女性の身体と映像の自由さ
《Ever Is Over All》では、街を歩く女性は都市の規則に縛られず、軽やかに車の窓を壊していきます。通常なら社会から処罰される行為が、映像の中では晴れやかで夢のような出来事として描かれます。女性の身体を受け身の鑑賞対象として置く視線も、ここでは揺さぶられます。
リストの作品を単なる明るい色彩やユーモアで捉えると、身体の行為と社会の規範が衝突する部分を見落とします。二つの映像を同時に置くことで、画面の中の行為と植物の像が互いの意味を変えます。観客はどちらか一方に注意を向けながらも、隣の画面を意識し続けることになります。リストの映像は、ビデオ・アートを観客が身構えて分析するだけの対象から、色彩、音、欲望、身体によって経験する環境へ広げた重要な例です。(参照:MoMA|ピピロッティ・リスト《Ever Is Over All》)
シリン・ネシャットと対向するスクリーン
シリン・ネシャットは、互いに向かい合う二つのスクリーンを使って、男性と女性の声や行動を別々の場所に配置しました。観客は二つの映像の間に立ち、身体の向きを変えながら、社会的な分離を空間として経験します。
《Turbulent》(1998)の二人の歌手
《Turbulent》(1998)では、向かい合う二面の映像に男性歌手と女性歌手が登場します。男性は観客を前にして歌い、女性は観客のいない空間で声を響かせます。歌う状況の違いは、イラン社会における男女の公的な表現の条件を考える手がかりとなります。
二つの画面は向かい合って設置され、観客は男性と女性の姿を振り返りながら交互に見ます。男性へ顔を向けると女性の姿は背後へ回り、女性を見ると男性は視野の外へ移ります。その身体的な制約によって、声の差異やそれぞれの置かれた条件を直接比較することが難しくなります。
ネシャットはイラン出身の作家で、映像に加え写真や映画を通じて、ジェンダー、宗教、亡命、アイデンティティに関わる問題を探究してきました。ホイットニー美術館は《Turbulent》《Rapture》《Fervor》を、1998〜2000年に制作された重要な連作として位置づけています。(参照:ホイットニー美術館|シリン・ネシャットの作家・作品資料)
《Rapture》(1999)に現れる集団の分離
《Rapture》(1999)でも、二つの対向するスクリーンの片方に男性たち、もう片方に女性たちが映ります。男性たちは海辺の要塞の中で集団的な行動を取り、女性たちは異なる空間を移動します。人物がどの場所に属しているかが、展示室の中では画面の位置の違いとして現れます。
観客は顔を向ける先を選び、男性たちの動きと女性たちの動きを交互に見ることになります。編集で男女を順番に見せる映画とは違い、二つの映像は別の場所で同時に進みます。目の前の画面を見ている間、背後の画面も動き続けていることを意識させます。この形式では、二つの集団の関係を理解する行為が観客の身体の向きと結びつきます。ジェンダーの区分が、映像の内容と設置方法の双方から表現される点が重要です。(参照:ホイットニー美術館|シリン・ネシャットの作家・作品資料)
社会的な境界が展示室の配置になる
《Turbulent》では男性歌手が聴衆の前に立ち、女性歌手が空席の広がる場所で声を響かせます。《Rapture》では要塞に集まる男性たちと、海辺を進む女性たちが別々の画面を占めます。
二作品とも対向するスクリーンを使いますが、前者は歌うことの条件を、後者は集団が置かれた場所と行動を通じて、社会的な分離を表しています。
展示室に立つ観客は、男性と女性それぞれの映像へ身体を向けます。《Turbulent》では背後から届く歌声が、目の前の人物の存在と重なります。《Rapture》では集団の動きを交互に追うことで、互いの行動を隔てる距離が感じられます。映像で描かれる関係が、見る人の位置と音の方向に結びつく構成です。
ネシャットにとって二面投影は、社会的な問題を展示室の身体的な経験へ変える方法でした。画面の間に立って二つの世界を行き来する観客は、声の差異や距離を自分自身の動作によって確かめます。(参照:ホイットニー美術館|シリン・ネシャットの作家・作品資料)
スタン・ダグラスと反復される歴史
スタン・ダグラスはテレビ放送や映画の表現形式を借りながら、歴史がどのように語られ、再現されるかを探りました。複数画面の同時性とコンピューターによる編集を組み合わせ、映像を見る人の理解が一つの順序に固定されることを問い直しています。
《Evening》(1994)とテレビニュースの歴史
スタン・ダグラスの《Evening》(1994)は、三つの架空のテレビニュース番組を三面投影として並べた作品です。
1960年代末のアメリカでテレビニュースの演出が変化し、ニュースを伝える人物の会話や親しみやすさが重視され始めた状況を扱っています。MoMAは1995年の《Video Spaces》にこの作品を出品しました。
映像には別々の放送局が存在するように見え、ニュース原稿を読む仕方や画面の作り方に差が生まれます。ニュースを一つの番組として見る通常の視聴と違い、三つの画面を同時に見ると、それぞれの語り方が比較できます。そこで、伝えられる事件に加え、事件がどう語られるかという形式そのものに注意が向かいます。
ダグラスは過去のテレビの外観を再現するために精密な映像制作を行い、その再現を展示室へ持ち込みました。記録映像を単純に見せる方法とは異なり、過去の情報伝達の仕組みを作り直して観察させる作品です。(参照:MoMA|スタン・ダグラス《Evening》)
《Win, Place or Show》(1998)と変化する編集
《Win, Place or Show》(1998)は、カナダのバンクーバーにある集合住宅を舞台に、同居する二人の港湾労働者の会話を描きます。雨の休日、狭い室内で続く対話は次第に緊張を帯びます。背景には1960年代の都市再開発による居住環境の変化があり、家庭内の出来事と都市の社会史が結びついています。
この作品の特徴は、約6分の場面が二面投影され、編集の組み合わせが繰り返すたびに変化することです。登場人物や部屋は同じであっても、どちらの視点をいつ見るかが変わるため、同じ出来事に異なる重みが生まれます。映像の切り替えそのものが、時間を組み替える仕組みとなります。
映画は撮影された場面を一つの完成した順番へ編集することが一般的です。ダグラスは複数の視点と再生の仕組みを使い、完成した編集が一つだけではない状態を展示室で実現しました。(参照:ディア・アート財団|《Double Vision》展のプレス資料)
1999年《Double Vision》と二人のダグラス
1999年2月から2000年4月にかけて、ニューヨークのディア・センターでは《Double Vision》が開催されました。スタン・ダグラスの《Win, Place or Show》と、ダグラス・ゴードンの《left is right and right is wrong and left is wrong and right is right》(1999)を並べた展覧会です。
ゴードンの作品はオットー・プレミンジャー監督の映画『渦巻』(1949)を素材とする二面投影でした。既存映画を操作するゴードンと、新たに場面を撮影して繰り返し組み替えるスタン・ダグラスが、同じ複数投影という方法を異なる目的で使っていたことが分かります。この展覧会は映像作品の形式上の類似と、作家それぞれの関心の違いを同時に見せました。二面投影がひとつの様式として確立していくなかで、その用途が多様化していたことを示す事例です。(参照:ディア・アート財団|《Double Vision》展)
ダグ・エイケンと移動する観客
ダグ・エイケンは映像を一つの部屋に収める形から、複数の部屋と画面へ分散させる構成へ広げました。1999年の《electric earth》では、画面の中を移動する人物と、映像を追って展示室を歩く観客の経験が重なります。
《electric earth》(1999)の八つの映像
《electric earth》(1999)は、四つの部屋に八つの映像を配置した、約9分50秒のループ作品です。夜の都市に現れた若い男性が、モーテル、商店、道路、電気的な装置の周辺を歩きます。展示室では各画面の位置が分かれており、観客は一つの画面から次の画面へ身体を向け直して映像を追います。
この作品は撮影や音響、編集に映画的な緻密さを持ちます。主人公の行動は物語としてつながりながら、四つの部屋に分散した映像として現れます。ロサンゼルス現代美術館の資料は八面投影と四室構成を明記し、その構造が主人公の断片化した時間感覚に対応すると説明しています。
作品は1999年のヴェネツィア・ビエンナーレで国際的に知られ、エイケンの代表作になりました。都市の機械と身体のリズムを描く内容が、複数の部屋へ散らばる展示形式によって強められています。(参照:ロサンゼルス現代美術館|エイケン《electric earth》)
都市の機械と身体が同期する
主人公は自動販売機、洗車機、街灯、防犯設備など、夜の街にある機械に反応するように身体を動かします。店の監視カメラに写された姿や、都市の電気が発する明滅が現れ、男性の動きは機械的なリズムと結びついていきます。人間の身体が都市の技術環境から影響を受けるような映像です。
撮影された街は現実の空間でありながら、音や編集によって独特のリズムを持つ世界へ変わります。自分の意思で歩いているように見える人物が、信号や電気機器の動きに合わせて踊るとき、都市と人間の主従関係も曖昧になります。展示室を歩く観客も、画面の配置に応じて身体を動かします。作品内部の人物が都市に反応し、作品外部の観客が映像に反応するという二重の身体的な経験が生まれます。(参照:ロサンゼルス現代美術館|エイケン《electric earth》)
映画の編集と展示室の動線
《electric earth》では八つの映像が四つの部屋に分けて置かれます。観客は通路を歩いて次の部屋へ向かい、そのたびに目の前の映像と音が変わります。主人公が夜の都市を歩く場面を追ううちに、展示室の移動そのものにも独特のリズムが生まれます。
都市の機械が動く短いカット、主人公の身振り、編集によってつくられた音の反復は、各画面をまたいで結びつきます。どの部屋に長く留まるかによって、街をさまよう人物への印象も変わります。映画的な物語は一つの連続したスクリーンから離れ、建築の中へ分散しているのです。
映像に現れる都市と、観客が実際に歩く展示空間が対応することで、作品は見る人の身体へ働きかけます。エイケンは複数の画面を用いて、都市の時間を映像の編集と空間の移動の双方から組み立てました。(参照:ロサンゼルス現代美術館|エイケン《electric earth》)
物語映画が複数のスクリーンへ広がる
1990年代後半、映画の俳優や台詞、物語を用いながら、展示室に複数画面を設置する作家が増えました。エイヤ=リーサ・アハティラとアイザック・ジュリアンの作品は、物語と空間的な編集が結びつく方向を示しています。
エイヤ=リーサ・アハティラ《Consolation Service》
フィンランドの作家エイヤ=リーサ・アハティラは、登場人物の心理や家族関係を、複数画面の映像で表現しました。《Consolation Service》(1999)は、離婚を決意した若い夫婦を描く二面投影作品です。会話や日常の場面は物語映画に近い形を持ちながら、ひとつの出来事を二つの隣接した画面に分けて見せます。
画面が二つあることにより、観客は同じ場面を異なる位置から見ることになります。夫婦の関係が変化する物語の内容と、スクリーンの分離が重なり、相手を理解することの難しさを視覚的に感じ取れる構成です。映像が二つの画面に分かれることで、視点が一つに定まらない状況が生まれます。
この作品は2003〜04年にNTTインターコミュニケーション・センターの《未来のシネマ》展でも紹介されました。映像インスタレーションが映画的な物語をどのように拡張したのかを示す重要な例です。(参照:NTT ICC|アハティラ《Consolation Service》)
アイザック・ジュリアン《Vagabondia》(2000)
アイザック・ジュリアンの《Vagabondia》(2000)は、ロンドンのジョン・ソーン美術館を舞台とした二面投影作品です。作品では黒人女性の保存修復担当者が美術館を歩き、歴史の中で見えにくくなった黒人の存在や、植民地時代の記憶を思い描きます。ダンサーの身体表現も物語に組み込まれています。
ジュリアンは映画、ダンス、音楽、建築の空間を結びつけ、美術館に収集された物と、その背景にある歴史を問い直しました。二つの画面に分かれた映像では、人物の動きや美術館の複雑な空間が異なる方向から現れ、観客はそれらの関係を自分でつなぎます。
《Vagabondia》は2001年のターナー賞展にも展示されました。黒人の歴史と美術館の制度を扱う内容と、二面投影の映画的な表現が結びついた作品として、英国現代美術を理解するうえでも重要です。(参照:アイザック・ジュリアン公式|《Vagabondia》)
物語は複数の視点へ開かれる
物語映画では、登場人物の視点を切り替えることによって観客が誰の感情へ近づくかを調整できます。複数画面のインスタレーションでも視点を変えることができますが、観客は別の画面を見るタイミングをある程度選びます。二人の登場人物が同じ時間に行動しているとき、異なる画面に出会う順序は人によって変わります。
アハティラの作品では家族や親密な関係が分割された場面を通して描かれ、ジュリアンの作品では美術館という建築の中に複数の歴史が現れます。両者は物語を維持しながら、その受け取り方を一つの画面だけに委ねない方法を築きました。この展開は、映像インスタレーションが抽象的な光や技術の実験だけに留まらなかったことを示します。登場人物、舞台、歴史的背景を持つ作品も、展示形式を通して新しい経験を作っていきました。(参照:MITリスト・ヴィジュアル・アーツ・センター|アイザック・ジュリアン展)
光と音が展示室そのものを変える
映像の内容と同じくらい、投影された光や音の広がりを重要な材料とする作家もいました。ダイアナ・セイターとビル・ヴィオラは、鑑賞者の周囲に映像を広げながら、映像の装置と身体の関係を異なる方向から探っています。
ダイアナ・セイター《Knots + Surfaces》(2001)
ダイアナ・セイターの《Knots + Surfaces》(2001)は、ニューヨークのディア・センターの広い展示室に合わせて制作された大規模な多面投影作品です。ハチの動きと多次元空間についての数学的な理論に着想を得て、複数の映写像とモニター群を組み合わせています。
展示室では壁や天井に広がる色の光と、電子的な画面が重なります。映像がスクリーンの枠の中に閉じ込められる代わりに、建築の表面へ染み出すように現れます。観客がどの位置に立つかによって、映写光や装置との距離が変化します。ディアの公式資料には、この作品が展示室の開放的な建築と相互作用するよう制作されたことが記されています。映像の中に何が写っているかと、映像がどこに現れるかを同時に考える作品です。(参照:ディア・アート財団|セイター《Knots + Surfaces》)
観客の影と投影装置の存在
映写機から出る光が展示室を横切るとき、その経路へ鑑賞者が入れば、身体の影が投影面に現れます。映画館では客席と映写機の位置が固定されています。ダイアナ・セイターの展示では、観客が投影の周囲を移動し、光、映写機、壁面、身体の関係を間近に経験します。
《Knots + Surfaces》では、壁や天井に広がる色の光とモニター群が、展示室の建築を新しい景色へ変えます。投影された像だけを見ようとしても、視野には装置の存在や隣の面へ届く光が入ります。自分が歩いた位置によって光の重なりが変化するため、鑑賞者は像の外側にある仕組みも意識するようになります。
セイターの作品は、映写光そのものを空間に現れる材料として扱います。観客の影も、画像と身体が同じ場所に存在していることを知らせる現象となり、作品を見る経験に取り込まれます。(参照:ディア・アート財団|セイター《Knots + Surfaces》)
ビル・ヴィオラ《Five Angels for the Millennium》
ビル・ヴィオラの《Five Angels for the Millennium》(2001)は、暗い展示室で五つの大型映像と音響を用いる作品です。人物が水の中へ落下する、浮上する、あるいは突然姿を現すような場面が、異なる長さのループで繰り返されます。水面や泡の動き、急激な音の変化が観客の身体に強く働きます。
ホイットニー美術館の収蔵記録には、五面それぞれの再生時間が約8分から13分にわたることが明記されています。五つの映像は異なる長さのループを持ち、水中の人物の動きや音の変化がそれぞれのタイミングで起こります。観客はどの画面へ注意を向けるかを選びながら、暗闇の中で突然の変化に出会います。
ヴィオラは水や光、生と死に関わる普遍的な主題を、映像の時間と音響を使って感覚的な経験へ変えました。セイターが装置や建築への意識を強めたのに対し、ヴィオラは像の出現そのものに観客を集中させます。(参照:ホイットニー美術館|ヴィオラ《Five Angels for the Millennium》)
監視映像と見えない時間
多面投影は幻想的な空間を作るためだけに用いられたわけではありません。ブルース・ナウマンやハルーン・ファロッキは、カメラが人間や場所を記録する技術に注目し、監視や長時間の観察から映像を見る行為を問い直しました。
ナウマン《Mapping the Studio I》(2001)
ブルース・ナウマンの《Mapping the Studio I (Fat Chance John Cage)》(2001)は、夜間の無人のスタジオを複数のカメラで記録し、七面の大型投影によって展示する作品です。撮影したのは、作家が制作する場に残された道具や材料、動き回る猫やネズミなどです。画面には長く静かな時間が続き、ときおり猫やネズミが動く姿が現れます。
ナウマンは2000年の夏にスタジオ内を撮影しました。ディアの2002年の展示では、投影の配置がスタジオ内のカメラ位置と関係づけられています。観客がいる展示室は、遠く離れた作家の仕事場を映像によって再構成する場所となります。映っているのは制作の瞬間そのものというより、作品が生まれた後に残る場所や物の痕跡です。作家の不在が強く意識され、何が芸術制作を成り立たせるのかを考えさせます。(参照:ディア・アート財団|ナウマン作品の設置と制作記録)
何も起こらない映像を見続ける
《Mapping the Studio I》の画面には、夜のスタジオに置かれた家具や材料、壁、床が長時間映り続けます。わずかな物音がし、猫やネズミが画面を横切ることがあります。観客は日常の小さな変化を探すうちに、映像を見るために使う自分の時間を意識します。
七つの投影は無人の仕事場をさまざまな角度から映しています。置かれた道具や材料から、そこで過ごしてきた作家の行動が想像されます。本人の姿が見えないことによって、制作が行われる場所の時間や、制作の痕跡がいっそう前面に現れます。
1960年代のナウマンは、自分自身がスタジオ内で歩いたり姿勢を保ったりする行為を撮影しました。2001年の作品では作家が画面から去り、場所そのものが観察の対象になります。初期の身体の反復から、仕事場に流れる時間への関心へとつながる変化を読み取れます。(参照:ディア・アート財団|ナウマン《Mapping the Studio I》)
ファロッキと管理するカメラの視線
ハルーン・ファロッキの《I Thought I Was Seeing Convicts》(2000)は、米国の刑務所の監視映像などを取り入れた二面投影作品です。カリフォルニア州のコーコラン刑務所で撮られた画面には、狭い屋外空間にいる受刑者の行動が映ります。カメラの視線は人々を観察するために配置された管理の装置です。
ファロッキは刑務所の監視映像を見せることで、画像が現実を単純に記録するだけの技術ではないことを示します。誰を追い、どの区域を監視するかが制度的な力と結びつき、カメラの配置が行動を統制する仕組みの一部となります。二つの画面によって映像を比較する余地が生まれます。
作家の公式アーカイブは、2000年の作品をベータSPの二面投影、約23分のループとして記録しています。監視用の映像を美術館で再提示することにより、普段は見る機会の少ない管理の仕組みそのものが考察の対象になります。(参照:ハルーン・ファロッキ公式|《I Thought I Was Seeing Convicts》)
既存の映画を別の作品へ組み替える
映像インスタレーションの作家の中には、映画を引用したり、すでに知られた事件を映画として再演したりすることで、映像が記憶を作る方法を探る人々がいました。ピエール・ユイグとクリスチャン・マークレーの作品では、映像の再編集が新たな意味を生みます。
ピエール・ユイグ《The Third Memory》(1999)
ピエール・ユイグの《The Third Memory》(1999)は、1972年にニューヨークで起きた銀行強盗事件と、それを映画化したシドニー・ルメット監督『狼たちの午後』(1975)を扱う作品です。ユイグは事件の当事者ジョン・ウォイトウィッツに再び場面を演じてもらい、映画と現実の記憶が交わる状況を作りました。
ポンピドゥー・センターの所蔵記録では、この作品は二つのプロジェクターやモニター、記事資料などを組み合わせたインスタレーションとして登録されています。観客は事件そのもの、事件を伝えた報道、俳優アル・パチーノが演じた映画の場面を重ね合わせて考えます。
ユイグは再演のためにセットや俳優を用意し、当事者の記憶を映像として再構成しました。過去の出来事を完全に取り戻す試みというより、歴史が映像作品によって作り替えられ、人々の記憶へ戻っていく過程を可視化しています。(参照:ポンピドゥー・センター|ユイグ《The Third Memory》)
映画と現実のどちらが記憶を形づくるか
実際の事件は1972年に起き、その数年後には俳優が演じる映画となって広く知られました。事件の当事者が後年その出来事を語るとき、自分自身の経験と映画の印象を完全に切り離すことは難しくなります。《The Third Memory》は、その重なりを作品の中心に据えています。
二面投影を使うことには、二つの映像を同時に比較できる意味があります。映画の再現と当事者が語る記憶の差異を、時間差のある連続編集に限定せず、同じ場所で向き合わせることができます。さらに報道資料が加わることで、第三の語りも浮かび上がります。美術館が映画を扱う場合、映画作品を上映するだけでなく、映画によって社会的な記憶がどのように形成されるかを分析する場にもなります。ユイグの作品は、映像インスタレーションの批評的な役割を具体的に示しています。(参照:ポンピドゥー・センター|ユイグ《The Third Memory》)
クリスチャン・マークレー《Video Quartet》(2002)
クリスチャン・マークレーの《Video Quartet》(2002)は、映画から抜き出した演奏、歌唱、物音の場面を四つの画面に配置した映像インスタレーションです。ピアノを弾く人物、声を出す人物、扉を叩く人物など、もともと別の映画に登場した人々が同時に映り、ひとつの音楽のように聞こえます。
SFMOMAはこの作品を新たな四面投影として制作支援し、2002年の《Sampling/Christian Marclay》展で公開しました。
映画の断片は独立した物語から引き離され、音の強弱やリズムによって再構成されます。四つの映像はデジタル制御で同期し、別々の登場人物が一緒に演奏しているかのような関係を作ります。
マークレーの仕事では、映画の引用が過去の作品の意味を語り直すだけでなく、新しい音楽的な構成を生みます。既存映像を素材として組み替える方法が、1990年代から2000年代の映像インスタレーションの重要な一領域だったことを示しています。(参照:SFMOMA|マークレー《Video Quartet》)
政治と記録映像の新しい関係
映画やビデオは社会の中で起きた出来事を伝える重要な媒体でもあります。1990年代後半から2000年代前半の作家は、報道や記録の映像が何を見せ、何を見えにくくするかを考えました。ヒト・シュタイエルの初期作品も、この流れに位置づけられます。
ヒト・シュタイエル《The Empty Center》(1998)
ヒト・シュタイエルの《The Empty Center》(原題《Die leere Mitte》、1998)は、ベルリンのポツダム広場周辺を扱った62分のドキュメンタリーです。ベルリンの壁の崩壊後、都市の中心部で進む再開発を追いながら、その土地に刻まれた国境、排除、移民、植民地主義の歴史を掘り起こします。
空き地として現れた場所は、新しい国家や資本の象徴となる建設計画によって姿を変えていきます。作品は建築の変化を撮影することで、誰が都市の中心に入ることを許され、誰がそこから締め出されるのかを考えさせます。開発工事の風景と過去の政治的な記憶が映像の中で結びつきます。
《The Empty Center》は62分のドキュメンタリー映画として制作され、映画と現代美術を横断するシュタイエルの初期の関心を示しています。映画と美術のあいだを往来するシュタイエルの制作は、1990年代末の映像表現が扱った政治的な記憶の問題を示しています。(参照:Arsenal|シュタイエル《The Empty Center》(1998))
《November》(2004)と闘争のイメージ
シュタイエルの《November》(2004)は、作家の友人アンドレア・ヴォルフの人生と、クルド人の解放運動をめぐる映像を組み合わせた作品です。若い頃に二人が撮影した自主映画、テレビ放送の記録、ブルース・リー映画の断片などが重なり、闘争を描くイメージがどのように作られるかを問います。
ヴォルフは政治運動に関わり、1998年にトルコで拘束された後に死亡したとされています。シュタイエルは友人の記憶をたどりながら、本人を伝える画像が、別の場所や集団において象徴へ変わる過程を考察します。個人的な記憶と集団的な政治表象は作品内で緊密に交差しています。MoMAの収蔵記録によると、《November》は25分の映像作品です。記録、映画の引用、作家自身の語りを重ねる方法は、後年のシュタイエルがデジタル画像の流通を論じる仕事へつながる初期の重要な段階となりました。(参照:MoMA|シュタイエル《November》(2004))
初期のドキュメンタリーから画像流通の問いへ
シュタイエルの《The Empty Center》(1998)は、ベルリンの都市再開発を撮影し、街の中心部に重なる政治的な歴史を追いました。《November》(2004)は、友人アンドレア・ヴォルフの記憶をたどりながら、個人の映像が政治運動の象徴として流通する過程を扱っています。両作品には、カメラが現実をどのように記録し、その映像が別の意味を持って伝わっていくかという関心が通っています。
二作品は主としてドキュメンタリー映画の方法で制作されました。同時代のファロッキやユイグが記録映像を展示空間へ組み込んだ仕事と並べると、映像作品が歴史を扱う方法の広がりが見えてきます。美術館で映像を見る経験の変化は、スクリーンの数や大きさに加え、報道、映画、記録資料と美術作品の境界を考える動きにもつながっていました。
シュタイエルはその後、デジタル画像の複製や流通へ関心を広げ、2009年に論考《In Defense of the Poor Image》を発表しました。1990年代末からの実践は、2010年代の画像文化をめぐる議論へと続いていきます。(参照:MoMA|ヒト・シュタイエルの映像表現)
映像作品が美術館に残したもの
2000年代に入ると、映像インスタレーションは大規模な美術館の主要な展示形式として定着し、過去の投影作品を振り返る展覧会と、新しい映像作品をまとめて紹介する展覧会が開かれ、作品を将来へ引き継ぐための保存研究も進みました。映像を見る場所が変わったことは、美術館の仕事そのものを変えていきました。
2001年《Into the Light》と映像の歴史化
2001年10月から2002年1月にかけて、ホイットニー美術館は《Into the Light: The Projected Image in American Art, 1964–1977》を開催しました。
企画したクリッシー・アイルズは、1960〜70年代の投影作品を改めて紹介し、映画、彫刻、パフォーマンスと映写光の関係を歴史的に捉え直しました。アンソニー・マッコール《Line Describing a Cone》などの先行例は、映像が空間へ広がる表現の長い蓄積を示しました。
続く2004年10月から2005年1月には、テート・モダンが《Time Zones: Recent Film and Video》を開催しました。現代の映画・ビデオ作品に焦点を合わせた展覧会で、世界の異なる場所で制作された映像を通し、時間をどのように経験し表すかを考察しました。一本の物語を追う鑑賞から、異なる持続時間や映像の配置を比較する鑑賞へ、美術館の役割が広がっていたことを示しています。
2001年のホイットニー展が映像インスタレーションの前史を再検討したのに対し、2004〜05年のテート展は同時代の映像を美術館の主要なテーマとして紹介しました。過去の実験の再評価と、新しい作品の継続的な紹介が、2000年代前半の映像美術を支える二つの動きとなりました。(参照:ホイットニー美術館|《Into the Light》展/テート資料室|《Time Zones》2004–05年展覧会記録)
再展示に必要な機材と記録をどう残すか
映像インスタレーションの保存では、映像テープやフィルム、デジタルファイルとともに、投影像の大きさや画面間の距離、音量、鑑賞者の動線などを記録します。投影像の大きさ、画面同士の距離、音量、暗室の条件、観客の入口、複数画面の同期などが作品の経験を決めます。別の展示室で再現するためには、これらの条件を記録しておく必要があります。
フィルムやブラウン管モニター、レーザーディスク、DVD、プロジェクターにはそれぞれ固有の明るさ、色、画面比率、音や機械的な動作があります。機材が廃番になると、代替機器による画質や音の変化を検証しながら、再展示の方法を考えることになります。新しい装置へ移すことによって映像の見え方が変わる問題も生まれます。
SFMOMAでは1996年に映像作品の保存や貸出を扱う専門的なチームが組織され、2003年にはMoMA、テートらと《Matters in Media Art》の研究協力が始まりました。展示そのものをどのように継承するかが、美術館の保存活動の重要な対象になったのです。(参照:SFMOMA|映像作品の保存と《Matters in Media Art》)
作品を未来へ引き継ぐ方法と2005年以降
グッゲンハイム美術館は1999年に可変メディアの保存研究を開始し、上映機器やソフトウェアが更新された後も作品を継承する方法を検討しました。フィルムやモニターを古いまま残すこと、映像を新しい機器へ移すこと、作品の仕組みを別の技術で再現することには、それぞれ異なる条件があります。装置と鑑賞経験のどこを作品の中心と考えるかが、美術館の重要な判断になりました。
2005年、メトロポリタン美術館では《Tony Oursler at the Met: “Studio” and “Climaxed”》が開催されました。《Studio》はギュスターヴ・クールベ《画家のアトリエ》(1855)の構成を手がかりに三次元の仕事場をつくり、スクリーンに現れる訪問者の映像と物体を組み合わせた作品です。
《Climaxed》では、映像とアニメーションでつくられた顔を持つ火球が空中に浮かび、爆発の瞬間が引き延ばされるような姿を見せます。2005年には、こうした映像と彫刻、絵画史をつなぐ作品が主要美術館で紹介されるようになっていました。
1995年のMoMA《Video Spaces》から約10年の間に、映像インスタレーションは大型投影、多面スクリーン、映写光、物語の再編集、立体的な装置へと広がりました。作品を新しい展示室で再現する保存研究も進み、鑑賞経験そのものを未来へ引き継ぐことが美術館の仕事に加わります。その蓄積の上に、2005年以後のデジタル映像やオンライン動画の時代が続いていきました。(参照:メトロポリタン美術館|アウスラー《Studio》《Climaxed》(2005)/グッゲンハイム美術館|可変メディア保存研究)
略年表
映像技術の実験、主要作品の制作年、美術館の展覧会や保存研究の動きを年代順に整理しました。作品の制作年と公開年が異なる場合があります。
- 1965頃|携帯式ビデオ機器の登場により、作家による映像制作の可能性が広がる。
- 1972|ジョーン・ジョナスが《Vertical Roll》を制作する。
- 1973|アンソニー・マッコールが《Line Describing a Cone》を制作する。
- 1974|ナム・ジュン・パイクが《TV Garden》を制作する。
- 1974|ダン・グレアムが《Present Continuous Past(s)》を制作する。
- 1987|MoMAでビル・ヴィオラのインスタレーション展が開催される。
- 1990|ポンピドゥー・センターで《Passages de l’image》が開幕する。
- 1990|ゲイリー・ヒルが《Inasmuch As It Is Always Already Taking Place》を制作する。
- 1992|ドクメンタIXで映像インスタレーションが大きな位置を占める。
- 1992|ビル・ヴィオラが《Slowly Turning Narrative》を制作する。
- 1993|ダグラス・ゴードンが《24 Hour Psycho》を制作する。
- 1994|古橋悌二が《Lovers》、スタン・ダグラスが《Evening》を制作する。
- 1995|MoMAで《Video Spaces: Eight Installations》が開催される。
- 1995|アケルマンが《D’Est, au bord de la fiction》を展示する。
- 1996|ダグラス・ゴードンがターナー賞を受賞する。
- 1996|タシタ・ディーンが《Disappearance at Sea》を制作する。
- 1997|スティーヴ・マックイーンが《Deadpan》を制作し、MoMAで発表する。
- 1997|ピピロッティ・リストが《Ever Is Over All》を制作する。
- 1998|シリン・ネシャットが《Turbulent》を制作する。
- 1998|スタン・ダグラスが《Win, Place or Show》を制作する。
- 1998|ヒト・シュタイエルが《The Empty Center》を制作する。
- 1999|ダグ・エイケン《electric earth》、ネシャット《Rapture》が制作される。
- 1999|アハティラが《Consolation Service》を制作する。
- 1999|マックイーンがターナー賞を受賞し、ディアで《Double Vision》展が開かれる。
- 1999|グッゲンハイム美術館が可変メディアの保存研究を始める。
- 2000|アイザック・ジュリアンが《Vagabondia》を制作する。
- 2000|ファロッキが《I Thought I Was Seeing Convicts》を制作する。
- 2001|ヴィオラ《Five Angels》、セイター《Knots + Surfaces》、ナウマン《Mapping the Studio I》が制作される。
- 2001|ホイットニー美術館で《Into the Light》が開催される。
- 2002|SFMOMAでマークレー《Video Quartet》が公開される。
- 2003|映像作品の保存を協働で研究する《Matters in Media Art》が始まる。
- 2004|シュタイエルが《November》を制作する。
- 2004年10月〜2005年1月|テート・モダンで《Time Zones: Recent Film and Video》が開催される。
- 2005年5〜9月|メトロポリタン美術館がトニー・アウスラー《Studio》《Climaxed》を紹介する。
- 2005以後|デジタル撮影・再生とオンライン流通の普及で映像文化がさらに変わっていく。
まとめ
映像インスタレーションの歴史には、1960〜70年代から続くテレビ、フィルム、ビデオをめぐる実験が息づいています。パイクがテレビを植物の間に配置し、ジョナスが身体とビデオ信号の関係を探り、マッコールが光の内部を歩く経験を作って以来、映像と空間の関係は繰り返し問い直されてきました。1995年のMoMA《Video Spaces》は、そうした実践が成熟した段階を示しました。古橋悌二の《Lovers》をはじめとする作品は、観客が映像の中へ入り、その場で時間と距離を経験する方法を実現していました。
1990年代後半には、既存映画の時間を伸ばすゴードン、自らの身体で映画史を再演するマックイーン、フィルムの光と時間を見つめるディーン、複数画面に色彩やジェンダーの問題を展開するリストやネシャットが、それぞれ異なる方法で映像の可能性を広げました。ダグラスやエイケンは映像の編集と展示空間を組み合わせ、アハティラやジュリアンは物語映画を複数の視点から経験させました。各作家は時間、身体、色彩、社会的な境界など異なる課題を、それぞれの上映形式へ結びつけました。
2000年前後には、セイターやヴィオラが光と音の環境を作り、ナウマンやファロッキが監視や観察を通じて映像の仕組みを考え、ユイグやマークレーは映画の再演と引用を新しい構成へ変えました。シュタイエルの初期ドキュメンタリーは、政治的な出来事と映像による記憶の形成を問いかけます。技術の発展と並んで、美術館では映像をどのように保存し、別の機器や展示室で再現するかという課題も重要になりました。
1995〜2005年に起きた変化の中心には、作品の時間と鑑賞者の時間が異なる形で重なり、映像を見る場所そのものが表現へ組み込まれていったことがあります。2005年以降、映像はデジタル撮影やオンライン流通へさらに広がります。2004〜05年のテート・モダン《Time Zones》や2005年のメトロポリタン美術館のアウスラー展は、こうした展示形式が2000年代の主要美術館に広がったことを示しています。美術館の中で歩き、振り返り、待ちながら映像を見る経験は、今日の現代美術にも深く受け継がれています。
参考資料・出典
本記事は美術館の展覧会記録、作品所蔵情報、作家公式アーカイブ、映像保存研究などをもとに構成しました。年代、上映媒体、展示方法に関する事実は各機関の公表資料を参照し、作品解釈はそれらを踏まえて独自に記述しています。
- MoMA|Video Spaces: Eight Installations(展覧会記録)
- MoMA|Video Spaces 1995(参加作品一覧)
- MoMA|バーバラ・ロンドンによる展覧会序文
- MoMA|古橋悌二《Lovers》
- MoMA|ゲイリー・ヒル《Inasmuch…》
- MoMA|トニー・アウスラー《System for Dramatic Feedback》
- MoMA|クリス・マルケル《Silent Movie》
- MoMA|ビル・ヴィオラ《Slowly Turning Narrative》
- MoMA|スタン・ダグラス《Evening》
- グッゲンハイム美術館|ナム・ジュン・パイク《TV Garden》
- MoMA|ジョーン・ジョナス《Vertical Roll》
- ホイットニー美術館|マッコール《Line Describing a Cone》
- ポンピドゥー・センター|《Passages de l’image》
- ホイットニー美術館|《Into the Light》展
- ハーシュホーン美術館|ダグラス・ゴードン展
- MoMA|《Projects 62: Steve McQueen》
- MoMA|スティーヴ・マックイーン《Deadpan》
- ハーシュホーン美術館|タシタ・ディーンのフィルム・インスタレーション
- MoMA|ピピロッティ・リスト《Ever Is Over All》
- ホイットニー美術館|シリン・ネシャットの作家・作品資料
- ディア・アート財団|《Double Vision》展
- ディア・アート財団|《Double Vision》展のプレス資料
- ロサンゼルス現代美術館|エイケン《electric earth》
- NTT ICC|アハティラ《Consolation Service》
- アイザック・ジュリアン公式|《Vagabondia》
- Film and Video Umbrella|《Vagabondia》制作・展示資料
- ジュ・ド・ポーム|アケルマン作品が映画から展示へ移った1995年
- ディア・アート財団|セイター《Knots + Surfaces》
- ホイットニー美術館|ヴィオラ《Five Angels for the Millennium》
- ディア・アート財団|ナウマン《Mapping the Studio I》
- ディア・アート財団|ナウマン作品の設置と制作記録
- ハルーン・ファロッキ公式|《I Thought I Was Seeing Convicts》
- ポンピドゥー・センター|ユイグ《The Third Memory》
- SFMOMA|マークレー《Video Quartet》
- SFMOMA|2002年《Sampling/Christian Marclay》展
- Arsenal|シュタイエル《The Empty Center》(1998)
- MoMA|シュタイエル《November》(2004)
- SFMOMA|映像作品の保存と《Matters in Media Art》
- グッゲンハイム美術館|可変メディア保存研究の沿革
- 可変メディア・ネットワーク|保存・移行の考え方
- テート資料室|《Time Zones: Recent Film and Video》(2004–2005)
- メトロポリタン美術館|《Tony Oursler at the Met》(2005)
- MITリスト・ヴィジュアル・アーツ・センター|アイザック・ジュリアン展
- MoMA|ヒト・シュタイエル作家資料
資料確認日:2026年10月17日 / ART LIBRARY