1990–2002
食事や会話、共同制作が現代美術になる
関係性の美学と参加型美術
1992年、ニューヨークの商業ギャラリーに入った来場者は、思いがけない光景に出会いました。展示室の奥ではリクリット・ティラヴァニがタイカレーを作り、訪れた人々へ無料で振る舞っていました。料理の匂いが漂い、食事をした人々の間に会話が生まれます。作家が用意したのは、一枚の絵画や一体の彫刻よりも、同じ場所で時間を過ごすための環境でした。
こうした実践が1990年代の現代美術で大きな関心を集めました。完成した作品を鑑賞する行為とともに、作品を通して人と出会い、食事をし、語り、何かを作る経験が注目されます。会話や滞在という日常の出来事が、美術の展示空間で別の意味を持ち始めました。
この変化は、突然生まれたものではありません。1960年代のハプニングやフルクサス、ブラジルのリジア・クラークやエリオ・オイチシカの実践、1971年のソーホーのレストラン《FOOD》など、観客の行為や共同の時間を重視する歴史がすでに存在していました。1990年代の作家たちは、国際展と商業ギャラリーが拡大する環境の中で、これらに通じる問題を別の形から探りました。
この動向を「関係性の美学」として整理したのが、フランスの批評家・キュレーター、ニコラ・ブリオーです。1996年にボルドーで企画した《Traffic》展を経て、1998年に『Esthétique relationnelle』を刊行しました。ブリオーは、作品と人々の関係を出発点に、食事、出会い、交換、共同制作などを読み解く視点を提示しました。
活動する作家たちの方法は多岐にわたります。ティラヴァニは食事の場を開き、リアム・ギリックは会議室を思わせる構造物から社会の仕組みを考えました。ピエール・ユイグとフィリップ・パレーノは映画や架空のキャラクターを通して、記憶、共同制作、著作権の問題へ踏み込みます。ドミニク・ゴンザレス=フェルステルは、場所と鑑賞者の記憶を結ぶ空間を作りました。
美術の形が広がるほど、新しい問いも生まれます。誰が参加するのか。人が集まれば、それだけで良い作品と言えるのか。作品を支える調理や清掃の仕事はどう扱われるのか。こうした問題は、2004年にクレア・ビショップが発表した批評によって、さらに鮮明に議論されるようになりました。
本記事では、1990年から2002年を中心に、作品の具体的な場面とブリオーの理論がどのように結びついたのかを追います。食事や会話から始まる作品が、共同制作や美術館の運営、作品の保存方法にまで影響していった過程を、重要な作家と展覧会を通して見ていきます。
CONTENTS
- 1992年、ギャラリーが食事の場所になる
- 参加型美術の長い前史
- 1990年代に「関係」が注目された背景
- ティラヴァニの作品が変えた鑑賞の時間
- 作家と展覧会が生んだ国際的なつながり
- 1996年《Traffic》と関係性の美学の形成
- 1998年、ブリオーが提示した美学
- リアム・ギリックと未完成の社会モデル
- ピエール・ユイグと記憶をめぐる関係
- フィリップ・パレーノと共同制作の方法
- アンリーというキャラクターを共有する
- 空間と物語に参加する鑑賞者
- 言語、移民、仕事から考える関係性
- 美術館の展示・収蔵・運営を変える
- 2002年、パレ・ド・トーキョー開館
- 参加の自由と社会的な不平等
- 関係性の美学をめぐる批判と論争
- 1990年代の実践が残したもの
- 略年表|参加型美術から関係性の美学へ
- まとめ|関係性の美学が現代美術へ残したもの
- 参考資料・出典
1992年、ギャラリーが食事の場所になる
1992年《Untitled (Free)》が開いた展示室
1992年、ニューヨークの303ギャラリーでリクリット・ティラヴァニは、来場者にタイカレーと米を無料で振る舞いました。鍋から立ち上る香りに引かれて奥へ進むと、そこには料理を受け取り、食べ、話し込む人々がいます。絵画を眺めるための静かな展示室に、日常の食卓に似た時間が生まれました。
この個展は《Untitled (Free)》と題され、ギャラリーの裏手にあった事務室が調理場へと変えられました。作品の中心には、調理設備や家具と、それらを取り囲んで起きる来場者同士の交流がありました。誰が訪れ、誰と居合わせるかによって毎日の出来事が変わる点に、作品の特徴があります。
このような制作が1990年代に「関係性の美学」をめぐる議論の代表例として知られるようになります。目の前に美しい物体を提示するだけでなく、作家が人々の行動を受け止める場所を用意するという発想が、その後の展覧会のあり方にも影響しました。(参照:ニューヨーク近代美術館|ティラヴァニ《untitled (free/still)》)
事務室を表に出し、作品の裏側を見せる
ティラヴァニは事務室の荷物を展示室へ移し、ギャラリーの日常業務を支える机や書類なども来場者の目に触れる場所へ出しました。通常、作品が展示される空間と作品の取引や運営を担う空間は分けられています。この個展では、両者の配置が意図的に入れ替えられました。
来場者は、食事をしながらギャラリーという場所の機能にも向き合います。空間を誰が管理し、どこで作品が売買され、どの領域を鑑賞に適した場所とみなしてきたのか。調理場の設置は、制度に関する問いを日常的な経験の中へ持ち込む行為でもありました。
同時代の制度批評とのつながりも、この場所の使い方に見いだせます。ギャラリーの機能を調査や告発の対象にする方法とは異なる仕方で、展示空間を実際に使い直すことによって、運営と鑑賞の境界が変化しました。(参照:ニューヨーク近代美術館|ティラヴァニ《untitled (free/still)》)
カレーの味にも含まれていた文化の問題
作家本人がMoMAの音声解説で語っているように、この作品ではニューヨークのタイ料理店で一般的に提供される作り方と、本人がより伝統的と考えた方法による二種類のカレーを用意しました。味を比べる経験は、料理が国境を越えて定着するときに何が変わるのかを考えるきっかけになります。
食事をともにするという親密な出来事は、移民文化や「本物らしさ」に対する期待とも結びつきます。タイ料理を食べたことのある来場者も、初めて口にする人も、同じ料理から異なる記憶や判断を引き出します。交流の場は、文化的背景の違いが現れる場でもあったのです。
その意味で作品は、単に観客が仲よく食事をする状況を示すものではありません。匂い、味覚、身体、文化的経験が一緒に働き、作家と鑑賞者の距離を変える構造を備えていました。(参照:ニューヨーク近代美術館|ティラヴァニ本人の作品解説)
参加型美術の長い前史
ハプニングとフルクサスが開いた参加の回路
1950年代末から1960年代にかけて、アラン・カプローのハプニングは、観客の行為や偶然によって出来事が変化する作品を展開しました。フルクサスの作家たちは簡潔な指示書や日常動作を使い、作品を演奏するように実行できる形にしました。芸術と生活の距離を縮める試みは、1990年代よりずっと早く始まっています。
オノ・ヨーコの《Bag Piece》や、鑑賞者に行為を促す作品も、作家がすべての結果を決定しない美術の先例です。見る人が作品に接近し、触れ、動き、行為に加わることで、制作と鑑賞の間には往復する関係が生まれます。
MoMAは参加型美術を、公衆が制作過程に加わり、作品の共同制作者となる実践として説明しています。1990年代の関係性の美学は、こうした長い歴史を引き継ぎながら、社会的な交流そのものを作品の中心として再び捉えました。(参照:ニューヨーク近代美術館|参加型美術)
リジア・クラークとエリオ・オイチシカの身体的な参加
ブラジルのリジア・クラークは1960年代から、観客が操作できる構造物や身体感覚に働きかける実践を展開しました。エリオ・オイチシカの《パランゴレ》では、布を身につけて動く参加者の身体が作品を変化させます。鑑賞者は、あらかじめ完成した形の前に立ち続ける必要がありませんでした。
1967年のオイチシカ《Tropicália》では、砂や植物、建造物によって作られた空間を人が歩き回ります。その経験にはブラジルの都市生活、政治、国民文化のイメージも重なっていました。参加といっても、社会的背景から切り離された遊びではありません。
こうした先行例から、参加をめぐる美術史がヨーロッパや北米だけで形成されたわけではないことが分かります。1990年代の理論を検討する際にも、地域ごとに異なる参加の意味と歴史を見ておく必要があります。(参照:ニューヨーク近代美術館|トロピカリアと参加型美術)
1971年、ソーホーのレストラン《FOOD》
1971年、ゴードン・マッタ=クラーク、キャロル・グッデン、トリシャ・ブラウン、ティナ・ジルアードらは、ニューヨークのソーホーに《FOOD》というレストランを開きました。作家たちが働き、食事をし、料理をめぐる実験も行う場所で、地域の芸術家コミュニティを支える生活上の拠点となりました。
ティラヴァニの料理作品との類似は明らかです。どちらも食卓を通して人を集めます。ソーホーの《FOOD》では生活のための仕事と創作が重なり、1992年の《Untitled (Free)》では商業ギャラリーを一時的に使い直す行為が前面に出ています。
二つの事例を比較すると、似た行為が置かれた環境によって異なる意味を持つことが見えてきます。美術史では、新しい様式の誕生だけを追うのと同じくらい、既存の方法が別の時代に再び重要になる理由を考えることが大切です。(参照:ニューヨーク近代美術館|マッタ=クラーク《FOOD》)
1990年代に「関係」が注目された背景
冷戦終結後に広がった国際展のネットワーク
1989年前後の冷戦終結を挟み、世界各地で現代美術の国際展が拡大しました。作家は複数の都市へ移動し、キュレーターと共同で会場ごとに異なる作品を制作する機会が増えます。一定期間だけ成立する出来事や、移動先で組み立てられる展示が、国際的な現代美術の一つの形式になりました。
展覧会を準備する過程では、作家、運営者、技術者、観客などの間に多くのやり取りが生じます。その関係や時間を作品の外側にある準備作業として扱うのか、作品の一部として見せるのか。この問いが1990年代に新たな重要性を持ちました。
関係性の美学の作家たちは、同じ国籍や共通の画風で結ばれた集団ではありません。国境を越えて巡る展覧会と、その中で形成された作家同士の関係が、互いの制作を知る条件を作っていきました。(参照:ニューヨーク近代美術館|《The Winter of Love》展)
サービスや情報が日常の関係を変える
1990年代には消費、通信、サービス産業が都市生活の中で存在感を増し、人々は商品を買うだけでなく、予約、案内、接客、待機、情報交換などを通じて多様な時間を共有するようになりました。食事や会話を作品にする実践は、こうした日常的な関係の仕組みとも響き合います。
美術の場では、作家が人々の経験を一方的に設計できるのかという問題も現れました。誰が訪れるか、どのような会話が始まるか、参加者が何を受け取るかは、作家の完全な管理の外側にあります。作品は、想定外の出来事を受け止めるための条件を作ります。
この変化を語るとき、インターネットの登場と単純に結びつける必要はありません。食卓、路上、ギャラリー、オフィスのような身体のある場所で、人が互いにどう関係するかという関心が、実際の作品の核をなしていました。(参照:ニューヨーク近代美術館|関係性の美学)
完成した物体から、状況全体へ視線が広がる
絵画や彫刻にも、鑑賞者と作品の間に豊かな関係が生まれます。1990年代の一部の作家は、その関係が発生する環境を制作の前面に出しました。テーブル、椅子、間仕切り、音、料理、指示書といったものが、出来事を生むための要素として組み合わされます。
どこまでを作品と呼ぶのかという境界も広がります。食事を終えた後の会話、イベントが開催される時間、場所を維持するスタッフの仕事、会期後に残る写真や記録が、作品の理解に関わってきます。作品の意味は一つの物体の表面だけでは捉えにくくなりました。
MoMAは関係性の美学を、社会的交流が生まれる場所や状況を作り、交流自体を作品に含める実践として紹介しています。この簡潔な定義を出発点に、実際の作家ごとに何を重視したのかを詳しく見ていく必要があります。(参照:ニューヨーク近代美術館|関係性の美学)
ティラヴァニの作品が変えた鑑賞の時間
食べる、座る、居合わせるという鑑賞経験
ティラヴァニの作品では、来場者が料理を口にし、椅子に座り、同じ時間を過ごすことが重要になります。作品を短時間で見終えることも、長く滞在することも可能です。展覧会の価値を作品の前に立った時間だけで測る従来の鑑賞習慣が、別のリズムへと開かれます。
会話を始めた人も、静かに食べた人も、その場を作る参加者になります。来場者同士が必ず交流することまでは保証されません。作品は交流を強制する仕掛けというより、交流が起こり得る条件を設定した場所として理解できます。
ティラヴァニがMoMAに語ったように、鑑賞者は作品を外から眺める距離から、作品の内部にいる経験へ移ります。作家、作品、観客という区別が、その場での行為を通して揺らぐことが大きな意味を持ちました。(参照:ニューヨーク近代美術館|ティラヴァニ本人の作品解説)
1995年の再構成と、作品の時間の重なり
《Untitled (Free)》は1995年、ピッツバーグのカーネギー・インターナショナルで再び展開され、題名に「still」が加えられました。その後も2007年にはニューヨークで再構成され、2011年にはMoMAの収蔵作品となっています。ひとつの作品が、年月を経て異なる姿を取る事例です。
再構成に際しては、空間の構造や調理に必要な設備が引き継がれる一方、そこに集まる人々や会話は毎回変わります。1992年の出来事を完全に再現することはできませんが、新しい場面で作品が働く可能性があります。
こうした形式は、何を保存すれば同じ作品として成立するのかという問いを美術館に突きつけます。建築の寸法、道具、行為の指示、参加の条件などが、物体の保管と同じくらい重要になります。(参照:ニューヨーク近代美術館|ティラヴァニ《untitled (free/still)》)
もてなしの行為と制度の距離
無料で料理を出す行為には、来場者を歓迎し、一時的に同じ場所を共有するという意味があります。そこには食事を介した親密さと、料理を用意する側と受け取る側という役割の違いが共存しています。どこまで自由に参加できるのかは、場の運営方法によって左右されます。
ギャラリーの中では、普段なら作品を買う人、作品を見に来る人、運営する人の立場が分けられています。料理が提供されると、その区別が一時的にやわらぐ可能性があります。同じ食卓についた人々が、作品を共有する別の関係を築くことができます。
このもてなしの行為が生む良さと、社会的な違いが残り続けることは、ともに作品を考える材料です。後に関係性の美学へ向けられた批判を読むうえでも、交流の場の具体的な条件を確認する視点が重要になります。(参照:ニューヨーク近代美術館|ジョン・ケージ以降の状況をつくる美術)
作家と展覧会が生んだ国際的なつながり
1994年《The Winter of Love》と世代の輪郭
1994年10月から翌年1月にかけて、ニューヨークのP.S.1では《The Winter of Love》が開催されました。フランスの展覧会《L’Hiver de l’Amour》と結びつく企画で、ヨーロッパとアメリカの若い作家が同じ場に紹介されました。MoMAが公開する記録には、ドミニク・ゴンザレス=フェルステルら多数の参加作家が残っています。
こうした展覧会は、一人の作家の代表作を集める方式とは異なり、活動中の作家たちが何を共有しているのかを示す場になりました。映像、家具、文章、空間構成など、作品の外見はばらばらでも、日常的な環境への働きかけに注目する見方が生まれます。
この時代の作家たちを結びつけたのは、特定の宣言書よりも展覧会や共同制作の経験でした。後に「関係性の美学」という名称で語られる作家たちの間に、作品を見せ合い、企画を共有するつながりが形成されていました。(参照:ニューヨーク近代美術館|《The Winter of Love》展)
雑誌、ギャラリー、キュレーターが果たした役割
1990年代の現代美術では、展覧会だけでなく批評誌やアーティスト・ランの場、商業ギャラリーも、作家たちの活動をつなぎました。新しい表現の評価は一度の展覧会だけで決まるものではなく、複数の都市で作品が紹介され、文章で議論されることで形を取っていきます。
ニコラ・ブリオーは批評家として文章を書き、キュレーターとして展覧会を企画しました。作家たちの間にある交流を観察する立場であるとともに、その関係を生み出す企画者でもありました。彼の理論は実際の展覧会文化と密接に結びついています。
ここでは作家と批評家の関係そのものが歴史の一部になります。理論が作品に一方的に命令を与えたという構図より、制作と展示、批評が互いに影響しながら「関係性」という言葉の意味を作っていく過程が見えてきます。(参照:MAY|ブリオー「Traffic: Space-times of the Exchange」)
1990年代の美術を一つの名称で語る難しさ
ティラヴァニの料理、ギリックの建築的な構造物、ユイグの映像、パレーノの共同制作には、共通の画風がありません。作品の材質も、観客に求める行動も異なります。1990年代の作家を一つの新しい潮流として説明するとき、この違いを残すことが不可欠です。
1996年の《Traffic》をめぐって、当時から統一性の弱さを指摘する批評も存在しました。作家たちの間に交流があることと、個別の作品を一つの美学で説明できることは同じではありません。批評の用語は、理解を助けると同時に作品の多様さを狭める可能性も持ちます。
この記事では関係性の美学を、作家を分類する固定的な名称として使うより、当時どのような問題が共通して議論されたのかを読む手がかりとして位置づけます。そのうえで作家ごとの具体的な方法を追います。(参照:frieze|カール・フリードマンによる《Traffic》展評)
1996年《Traffic》と関係性の美学の形成
ボルドーの《Traffic》が示した共通の地平
1996年、ボルドーのCAPC現代美術館でニコラ・ブリオーが企画した《Traffic》が開催されました。会場では、映像、オブジェ、建築的な構成、会期中に変化する展示など、多様な作品が出会いました。展覧会は、1990年代の若い作家の活動を関係性という視点から読む重要な場になりました。
ブリオーはカタログの文章で、参加作家28人が形式や主題を共有しているわけではないことを明記しています。それでも、交換や対話、他者との接点を扱うという実践上の共通性があると考えました。作品の外見から潮流を定義する方法とは異なる着眼点でした。
展覧会の題名《Traffic》は、人や物が行き交う様子を連想させます。会場の中で生まれる人々の関係まで含めて展示を考えるという発想は、後にブリオーがまとめる理論の中核になりました。(参照:MAY|ブリオー「Traffic: Space-times of the Exchange」)
作家が交流することと、作品の質はどう結びつくか
《Traffic》の同時代評では、展示を準備した作家たちが一緒に食事をし、話し、制作する活気に注目が集まりました。交流の経験は企画の中心にありましたが、そのことが個々の作品の評価につながるのかという疑問も示されました。
批評家カール・フリードマンは『frieze』誌で、この展覧会の魅力が参加作家同士の集まりに偏り、展示作品そのものを十分に説得的な形で結びつけていないと批判しました。関係性という概念が発表された当初から、価値を判断する基準が問題となっていたことが分かります。
この反応は、後のクレア・ビショップによる批判を先取りする部分もあります。人々が交流したという事実を、芸術的な成果とどのように結びつけるか。実際の展覧会経験と批評の言葉の間には、早くから緊張関係がありました。(参照:frieze|カール・フリードマンによる《Traffic》展評)
展覧会そのものを出来事として組み立てる
従来の展覧会は、完成した作品を会場へ運び、公開する形式が中心でした。《Traffic》では作品を設置する過程、作家同士の対話、展示中の時間の使われ方も関心の対象になります。展覧会を一つの固定した完成形として捉える見方が揺らぎました。
この方法では、カタログや展示写真は出来事の一部を記録する資料になります。作品がいつ、誰との関係で成立したのかを知るには、会場に置かれた物体以外の情報も必要です。展覧会を経験しなかった人に、何を伝えられるのかという問題も生まれます。
1990年代以降の国際展で、キュレーターが作品を選ぶ役割に加えて交流や制作の条件を組織するようになったことも、こうした変化と関係します。展覧会という形式そのものが批評の対象となっていきました。(参照:MAY|ブリオー「Traffic: Space-times of the Exchange」)
1998年、ブリオーが提示した美学
1998年『関係性の美学』の刊行
1998年、フランスの出版社レ・プレス・デュ・レエルから、ブリオーの『Esthétique relationnelle』が刊行されました。参加、出会い、共同制作、契約、ギャラリーの使い方、交換の時間などを通じて、1990年代の制作を理解するための議論がまとめられています。
著者は、作品を個人の私的な世界へ閉じた対象として考えるより、人々の関係やその社会的な背景を出発点として考える姿勢を示しました。食事を提供する作品から、作家間の協働まで幅広い事例を読み直し、異なる制作を結びつける言葉を与えました。
2002年の英語版刊行によって、議論はさらに広く知られるようになります。この名称が定着したことで、当時の作家たちの作品が比較しやすくなると同時に、一つの理論へ作品を押し込める危険も明確になりました。(参照:Les presses du réel|『Relational Aesthetics』英語版)
社会の中に小さな別の関係を作る
ブリオーの議論で特徴的なのが、作品を「社会的な間隙」として考える発想です。既存の社会の内側に、普段とは異なる交換や出会いが生じる小さな空間を作るという意味で用いられました。食卓や談話室が、美術の場で別の使われ方を持つことを説明できます。
作家が社会全体の制度を直ちに変革するとは限りません。限定された場所と時間の中で、人々が一時的に異なる関係を経験することに、価値を見いだします。ブリオーは、こうした方法を近代の大きなユートピア構想とは異なるものとして捉えました。
その考え方は、参加のある作品の具体的な形式を読み解く手がかりになります。同時に、小さな交流が現実の社会の不平等や対立にどのように関わるのかという問いも生みました。(参照:Les presses du réel|『関係性の美学』目次)
「参加型美術」と重なる部分、異なる部分
参加型美術という言葉は、観客が作品に関与し、制作の一部を担う幅広い実践を指します。ハプニング、パフォーマンス、身体的な作品から、今日の地域協働まで多くの例を含みます。関係性の美学は、その長い歴史の中で1990年代に形成された特定の批評的な視点です。
例えば、仕掛けに触れることで機械が動く作品も、参加型美術として考えられます。関係性の美学では、その操作によって誰と誰が出会い、どのような社会的な状況が生まれるのかが重視されます。観客に活動を促す仕組みだけで作品をまとめきることはできません。
参加、交流、協働という言葉は似ていても、作品が置かれた歴史や目的によって意味が異なります。用語の違いを確認することは、作品の独自性を把握するためにも役立ちます。(参照:ニューヨーク近代美術館|参加型美術)
リアム・ギリックと未完成の社会モデル
色つきの棚やスクリーンが示す使い道の曖昧さ
リアム・ギリックは、アルミニウムと色つきの透明板を使った棚、スクリーン、平台のような構造物を制作してきました。オフィスや会議室の設備を思わせる作品には、実際に何かが行われる可能性と、用途がはっきりしない不思議さが共存しています。
《The What If? Scenario Discussion Platform》(1996年)は、その特徴を示す作品の一つです。会議や話し合いのための設備に似ていますが、具体的な議題や参加者はあらかじめ決まっていません。鑑賞者は、ここで何が起こり得るのかを想像します。
ギリックの関心は、単純な親睦の場から、組織や労働、意思決定の構造へ広がっています。作品は目に見える物体を通じて、まだ実現していない社会的な状況を考えさせます。(参照:シカゴ現代美術館|リアム・ギリック回顧展)
1993年からの文章作品と、計画される未来
ギリックは立体作品と並行して、物語と理論が交差する文章を発表してきました。《McNamara》(1993年)、《Erasmus Is Late》(1995年)、《Discussion Island/Big Conference Center》(1997年)などでは、歴史的な人物や架空の状況を通して、組織がどのように未来を計画するのかを扱っています。
作家の文章と展示物は、それぞれ単独で完結する説明と実物の関係には収まりません。架空の会議や計画の場を考える文章が、構造物の使われ方を想像させます。作品の中に、完成した結論を持たない議論が残されます。
MoMAのギリック展の解説は、文章と物体が並行した思考過程の中で制作されることを詳しく説明しています。この展覧会の開催は2003年であり、1990年代の実践を振り返る後年の資料として読むのが正確です。(参照:ニューヨーク近代美術館|《Projects 79: Liam Gillick, Literally》2003年)
社会的な関係を実際に起こさない作品もある
ティラヴァニの料理作品では、食事をともにする人々の具体的な行動が作品を成立させます。ギリックの構造物では、会議や共同作業の可能性が示されながら、実際には何も始まらない場合があります。関係性は、現実に起きた出来事だけに限られません。
棚や間仕切りのような形は、企業のオフィス、教育施設、公共空間で人々がどのように組織されるかを思い起こさせます。色彩や透明素材の美しさと、経済や制度への関心が同じ作品の中で重なります。装飾的な形の背後にある社会的な想像力が問われます。
シカゴ現代美術館が紹介するように、ギリックの構造物は交流を促すことも、複雑にすることもあります。人々の関係を組み立てる仕組み自体を、造形から考える作家なのです。(参照:シカゴ現代美術館|リアム・ギリック回顧展)
ピエール・ユイグと記憶をめぐる関係
映像、現実の事件、映画が重なる作品
ピエール・ユイグは、映像や展示を用いて、現実の出来事がどのように物語へ変わるのかを探ってきました。作家と鑑賞者がその場で交流することより、人間とメディア、記録と記憶が結ぶ複数の関係が作品の中心になります。1990年代の関係性をめぐる実践の幅広さを示す重要な作家です。
《The Third Memory》(1999年)は、1972年にニューヨークのブルックリンで起きた銀行強盗事件を扱っています。事件をもとに映画《狼たちの午後》が制作され、事件の当事者ジョン・ウォイトウィッツの記憶は、報道や映画によって社会に広まりました。
ユイグは当事者本人に再び事件を演じてもらうことで、何が実際に起き、何が映画から取り込まれ、何が記憶として語り直されたのかを浮かび上がらせました。作品は人々の間で物語が作られる仕組みを扱っています。(参照:ポンピドゥー・センター|ユイグ《The Third Memory》)
《The Third Memory》に現れる三つの物語
《The Third Memory》では、当時の新聞記事やテレビ資料と、本人による再演映像が組み合わされています。現実の事件、報道による記録、映画によるフィクションが、それぞれ異なる形で同じ出来事を語っています。鑑賞者はどれか一つだけを「本当の物語」として受け取ることが難しくなります。
センター・ポンピドゥーは、この作品に複数の映像投影、モニター、新聞資料が使われていることを記録しています。情報を順序よく説明する展示ではなく、別々の媒体が同じ事件を語り直す構造が作られています。
ここでの関係は、会場での会話よりも、過去の出来事と現代のイメージの間にあります。個人の記憶も、映画を見た経験や人々の反応から完全に切り離して考えることはできません。(参照:ポンピドゥー・センター|ユイグ《The Third Memory》)
制作そのものが多人数の協働になる
《The Third Memory》の制作には、撮影スタッフ、出演者、編集作業、資料調査、美術機関による共同制作が必要でした。ポンピドゥー・センターの作品記録には、同館とシカゴ大学のルネサンス・ソサエティなどによる共同制作、アンナ・サンダース・フィルムズの制作協力が記されています。
映像作品を見るとき、完成した映像だけに注目すると、この複数の組織による協働が見えにくくなります。ユイグの作品では、映画制作の制度、作品の展示環境、登場人物と作家の関係が作品の成立に直接関わります。
こうした実践は、作家が一人で物体を作り、後から美術館で見せるというモデルを広げました。関係性の美学という批評的な枠組みが、人々の交流からメディアと制作制度の関係へ拡張される例です。(参照:ポンピドゥー・センター|ユイグ《The Third Memory》)
フィリップ・パレーノと共同制作の方法
フィリップ・パレーノが扱う展示の時間
フィリップ・パレーノは1990年代から、映像、音、物体、上演を組み合わせ、展覧会を時間の中で変化する出来事として考えてきました。来場者が作品の前に立つだけで意味がすべて現れる形式から、何が始まり、何を待ち、何を見逃すのかという経験へ関心を広げました。
その制作では、映画やアニメーションが重要な役割を果たします。映像を上映する時間、空間の明暗、同時に起こる別の出来事が、作品を受け取る条件になります。完成した作品を並べる展示よりも、出来事が順に現れる構成に可能性を見いだしました。
パレーノの作品を通じて、関係性は鑑賞者同士の会話に加え、観客と時間、展示空間と媒体の結びつきとしても理解できるようになります。彼の制作を料理や対話の作品と同じ形式に分類することは、表現の独自性を見失わせます。(参照:メトロポリタン美術館|フィリップ・パレーノ作品資料)
ユイグとの協働が生んだ新しい制作単位
パレーノとピエール・ユイグは、1990年代末からキャラクターや映像を介した共同制作を展開しました。その中で個々の作家の作品を一つずつ発表する方法に加え、共通の素材や権利を複数の作家が使うプロジェクトが生まれます。
1999年に始まる《No Ghost Just a Shell》では、架空の人物を中心に複数の作家が別々の作品を制作しました。一人が制作のすべてを決める代わりに、参加作家が共通する条件をそれぞれの方法で解釈します。そこには協働と差異が同時に存在しています。
作品のまとまりは、一枚の絵画や一つの映像の内部だけにあるとは限りません。共有された企画のもとに生まれる複数の作品を含めて、全体が一つの長期的な実践として捉えられます。(参照:サンフランシスコ近代美術館|《No Ghost Just a Shell》2002年発表資料)
展覧会の内容を作り替える共同制作
複数の作家が同じ企画へ参加するとき、それぞれの表現には違いが残ります。映像、絵画、ポスター、出版物、彫刻が一つの企画の中で生まれることもあります。企画者は作品を集めるだけでなく、ほかの人に制作の機会を開く役割を担います。
パレーノとユイグの《No Ghost Just a Shell》は、この方法を示す重要な事例です。SFMOMAは、2002年の展覧会でアンリーというキャラクターを中心に、複数の参加作家が異なる媒体の作品を制作したことを記録しています。
共同制作という言葉は、全員が同じ作品を共同で仕上げる場合だけを意味しません。共通の条件を受け取り、それぞれの作品へ展開し、その成果が再び一つの展覧会を形成する方法も含みます。(参照:サンフランシスコ近代美術館|《No Ghost Just a Shell》展)
アンリーというキャラクターを共有する
1999年、アンリーの権利を購入する
1999年、ユイグとパレーノは日本企業が販売していた架空のキャラクター「アンリー」の原画データと権利を購入しました。作品の世界でまだ具体的な役割を与えられていないキャラクターを取り上げ、別々の作家が彼女に物語を与える企画が始まります。
広告、漫画、ゲームなどで使われるキャラクターは、通常、企業や制作者が利用するための商品として流通します。二人はその制度を作品制作の入口にしました。人物の姿を描く以前に、誰がそのイメージを使えるかという契約上の条件が問題になります。
SFMOMAの2002年の発表資料には、権利と元の画像を日本の会社から購入した経緯が明記されています。作品を共有するには、創作の自由だけでなく知的財産権という社会的な仕組みに向き合う必要がありました。(参照:サンフランシスコ近代美術館|《No Ghost Just a Shell》2002年発表資料)
複数の作家がアンリーに物語を与える
アンリーは一つの映画の主人公として完成していた人物ではありませんでした。参加作家たちは、彼女の声や心理、行動、背景となる世界をそれぞれ作り出しました。短いアニメーションから絵画、立体、ポスターまで、同じキャラクターが多様な表現へ現れます。
2002年12月に始まったSFMOMAの《No Ghost Just a Shell》展では、ギリック、ゴンザレス=フェルステル、ティラヴァニらの作品も紹介されました。同じ人物像を使うことで、個々の作家が何を与え、何を変えたかが比べられます。
この企画の中心にあるのは、共通の形を守ることだけではありません。複数の制作者が同じ素材を扱うことで、単独の作者による一つの作品には収まりきらない物語の集合が生まれました。(参照:サンフランシスコ近代美術館|《No Ghost Just a Shell》展)
自由に使わせ、最後に利用を終わらせる契約
アンリーの企画では、作家たちはキャラクターを広く使えるようにした後、その利用を終えることまで作品の一部として考えました。SFMOMAの2002年の発表資料には、展覧会後は新たな制作のためにアンリーを使用できなくなるという方針が記されています。
企画では、キャラクターを商業的な流通や芸術制作の対象から解放するという考えが示されました。利用の許可と停止、自由と所有をめぐる問題が、イメージの内容と同じくらい重要になります。ジョー・スキャンランが制作した棺も、企画の終結を示す要素となりました。
参加する作家が増えればそれだけ自由になるという単純な物語ではありません。誰が使用を認め、誰が終了を決めるのかという権力が残っています。著作権は、この作品で共同制作の可能性と限界を同時に示す素材となりました。(参照:サンフランシスコ近代美術館|《No Ghost Just a Shell》2002年発表資料)
空間と物語に参加する鑑賞者
ドミニク・ゴンザレス=フェルステルの空間作品
ドミニク・ゴンザレス=フェルステルは、部屋、家具、光、色彩、映像などによって、観客が物語の途中へ入り込むような空間を作ってきました。人々に会話や共同作業を求めることより、場所に立ったときに何を感じ、どのような記憶や想像が生まれるかを重視します。
MoMAの作品記録には《Residence: color》(1995年)や《Riyo》(1999年)が残されています。彼女は《The Winter of Love》や《Cities on the Move》にも参加し、1990年代の展覧会ネットワークの中で活動を広げました。
作品の空間には、映画の一場面のような印象を与える要素があります。鑑賞者は完成した物語を説明される代わりに、目の前の配置や気配を手がかりに、自分自身で関係を組み立てていきます。(参照:ニューヨーク近代美術館|ドミニク・ゴンザレス=フェルステル)
指示のない参加はどのように成立するか
観客参加という言葉から、食事を受け取る、物を動かす、指示に従うといった行動を想像しやすいかもしれません。ゴンザレス=フェルステルの作品では、空間を歩き、立ち止まり、別の場所へ移ること自体が経験を変えていきます。明確な指示がなくても作品との関係は生まれます。
同じ部屋に入っても、鑑賞者が思い出す映画や場所は異なります。作品はその違いを残し、ひとつの正解へと集めません。場が作品の意味を一方的に教えるより、観客の記憶と空間が互いに作用するように構成されています。
こうした例は、関係性を人と人の直接的な交流に限って考えた場合に見落とされやすいものです。鑑賞者と空間、経験と記憶のあいだに生まれる関係も、1990年代の作品を理解する重要な要素でした。(参照:ニューヨーク近代美術館|ドミニク・ゴンザレス=フェルステル)
《Cities on the Move》と移動する展示環境
ゴンザレス=フェルステルは1998年から1999年のニューヨークで開催された《Cities on the Move 3》にも参加しています。この展覧会は、急速に変化するアジアの都市、建築、移動する人々の経験を、多様な形式から扱う国際的な企画でした。
こうした展覧会では、完成した作品を毎回同じ場所に置くことより、開催都市の状況や観客との関係が重要になります。作家が移動し、展示空間が変わることで、同じ方法でも異なる経験が生まれます。
関係性の美学と現代美術のグローバル化は、活動した作家や展覧会の面でつながりがあります。作品を取り巻く国際的な移動の条件は、参加や交流が起こる場の具体的な姿にも影響しました。(参照:ニューヨーク近代美術館|ドミニク・ゴンザレス=フェルステル)
言語、移民、仕事から考える関係性
1994年《Turkish Jokes》——誰が笑えるのか
デンマークの作家イェンス・ハーニングは1994年、オスロで《Turkish Jokes》を制作しました。トルコ語で語られるジョークを録音し、トルコ系住民の多い地域の街路に設置したスピーカーから流した作品です。道路を行き交う人々は、突然、街の中で流れるトルコ語の声を耳にしました。
ジョークを理解して笑える人と、何を語っているのか分からない人が同じ公共空間に居合わせます。普段は少数派として扱われやすい人々が、この作品では内容を理解できる立場に立ちます。言語を共有することと、社会の中での位置が結びついた作品です。
この作品は、参加が常に全員に同じ経験を与えることを意味しないと示しています。理解できる人とできない人の差が、都市で暮らす人々の関係を見えるようにします。(参照:デンマーク百科事典Lex|イェンス・ハーニング《Turkish Jokes》)
言葉の違いから公共空間を捉え直す
《Turkish Jokes》では、通行人が機械を操作したり、特別な指示に従ったりする必要はありません。街路に音声が流れるという小さな変化が、人々に異なる反応を引き起こします。普段は背景に退きがちな言語の違いが、突然、場所を共有する経験の中心になります。
同じ都市で暮らしていても、全員が同じ言葉を理解するわけではありません。作品はその事実を抽象的な統計で示す代わりに、音声を聞く身体的な経験を通じて感じさせます。笑うことができる人は、ほかの人と同じ音を聞きながら別の意味を受け取ります。
デンマークの百科事典Lexも、作品がトルコ系移民と都市のほかの住民との関係を変える点に注目しています。交流を生む作品の社会的な条件を、非常に簡潔な方法で示す例です。(参照:デンマーク百科事典Lex|イェンス・ハーニング《Turkish Jokes》)
1997年《Volksboutique》——店を開くことが作品になる
クリスティーネ・ヒルは1996年にベルリンで《Volksboutique》を始め、1997年のドクメンタ10ではカッセルの歩行者用地下通路にその店を展開しました。実際に商品を扱い、接客し、販売する仕組みが、美術展の中へ持ち込まれました。日常の商売の姿を借りて、労働と作品の関係を問う試みです。
店には営業時間や客とのやり取りがあり、仕事を行う人には負担と責任が生まれます。単発のイベントよりも長く続く運営が必要になるため、作品はサービス業としての側面を持ちます。鑑賞者は訪問者であると同時に、店の客になる可能性があります。
ドクメンタの公式記録は《Volksboutique》の会場を具体的に紹介しています。ヒル本人も後年の取材で、芸術制作の労働にどのように報酬が支払われるのかという問題を重視していたと述べています。(参照:ドクメンタ|第10回ドクメンタと《Volksboutique》)
美術館の展示・収蔵・運営を変える
美術館が料理やイベントを受け入れる
食事や共同作業が作品になると、美術館は展示室に作品を置く以外の仕事を担います。調理や食事の提供では衛生と安全への対応が必要になり、イベントでは参加者の案内や運営が求められます。作品の一部を実際に動かすための技術や人員が、展示経験を支えます。
MoMAがティラヴァニの作品を再活性化した際には、料理を館内のスタッフが用意する方法が採られました。作家の最初の行為をそのまま復元するのではなく、美術館という新しい場所に合わせて作品が成立する条件を整えたことになります。
作品を展示する制度が、同時に作品を実行する制度にもなる。こうした状況によって、保存や展覧会企画の方法が広がり、美術館内部の仕事がどのように作品へ関わるかという問題も明らかになりました。(参照:ニューヨーク近代美術館|ティラヴァニ本人の作品解説)
再演できる作品を収蔵するという問題
油彩画や彫刻の収蔵では、物体の状態を保つことが大きな課題になります。料理、上演、共同制作を含む作品では、手順や空間の条件、参加の方法を記録し、必要に応じて再び実行できるようにすることが重要です。保存する対象の範囲が広がります。
ティラヴァニの《untitled (free/still)》は、過去の活動の痕跡として提示する方法と、料理を作って提供する方法の両方が想定されています。その二つは鑑賞者に異なる経験を生み、作品が持つ複数の時間を見せます。
作品の一部が食べられたり、取り替えられたりしても、同じ作品として継続できる仕組みがあります。美術館は原物の保存と、行為を再び成立させるための条件の保存を組み合わせて考えることになります。(参照:ニューヨーク近代美術館|ティラヴァニ《untitled (free/still)》)
目に見えない準備と労働も作品を支える
交流のある作品は、自由で開放的な雰囲気を生むことがあります。その背後では、会場の準備、食材の調達、清掃、作品の維持、案内、機材の点検などが行われています。これらの仕事がなければ、観客が気軽に参加できる時間も成立しません。
クリスティーネ・ヒルの実践が示したように、接客や販売は芸術的な経験であると同時に労働でもあります。誰が働き、誰が報酬を受け取り、誰が客として振る舞うのかを具体的に考えることで、参加型作品の別の側面が見えてきます。
この点は、関係性の美学をめぐる後年の批判と直接つながります。作品が交流を生み出したという事実に加えて、その交流を支える条件を含めて評価する視点が必要になったのです。(参照:We Make Money Not Art|クリスティーネ・ヒルへのインタビュー)
2002年、パレ・ド・トーキョー開館
2002年、パリに開かれた新しい現代美術の拠点
2002年1月、パリのパレ・ド・トーキョー西翼に新しい現代美術の拠点が開館しました。1999年にニコラ・ブリオーとジェローム・サンスが初代ディレクターに選ばれ、歴史ある建物を使って、新しい制作と展示を行う場所が準備されました。
施設は「現代的な創造のための場所」を掲げ、展覧会に加えて多様な企画を受け入れる方向を示しました。関係性の美学を論じてきた批評家が、美術施設の運営を実際に担うことになった点も象徴的です。作品についての理論が、施設のあり方に接続する重要な節目でした。
パレ・ド・トーキョーの公式史料は、2002年1月の開館と、開館に先立つ1999年の運営方針決定を記録しています。1990年代の展覧会で試みられた交流や制作の場を、長く運営する制度として考える段階に入っていました。(参照:パレ・ド・トーキョー|施設の歴史と2002年開館)
ラカトンとヴァッサルによる建築的な選択
建築の改修を担当したアンヌ・ラカトンとジャン=フィリップ・ヴァッサルは、建物を全面的に仕上げ直す方法より、既存の構造を生かす方向を選びました。パレ・ド・トーキョーの記録によれば、改修前の解体作業によって現れたコンクリートの構造や大きな空間が、施設の特徴となりました。
この建築的な選択によって、展示物だけが整然と並ぶ白い展示室とは異なる環境が生まれます。会場ごとに使い方を変え、制作やイベントのために場所を組み替える余地が重視されました。空間そのものがさまざまな行動を受け止める器になります。
関係性の美学と建築が接近した歴史は、家具や平台のような作品だけからは捉えきれません。人々がどこを歩き、どこで集まり、誰と出会うかという条件を、施設の規模で考える段階へ広がりました。(参照:パレ・ド・トーキョー|施設の歴史と2002年開館)
作品を展示する場所から、制作が続く場所へ
パレ・ド・トーキョーは、開館当初から新しい制作や多分野の企画を重視しました。作品を保存して公開するという美術館の役割に加え、作家や観客が活動する場所を提供する方向が打ち出されました。会期中の出来事や時間の使い方まで含めて、施設の価値が考えられます。
この運営方針は、1990年代に広がった作品と制度の関係を示す一つの例です。展示は完成した物体の集合であるとともに、作家、スタッフ、観客の協働から成り立つ時間的な出来事として捉えられます。
2002年という年代の区切りには意味があります。フランスで始まった関係性の美学の議論が、英語版の刊行を通じて広がり、関連する考えを持つ運営者が大規模な美術施設を作る立場に立った時期だからです。(参照:パレ・ド・トーキョー|美術施設としての理念)
参加の自由と社会的な不平等
誰が自由に参加できるのかという問い
参加できる作品は、人々に開かれたものとして紹介されることがあります。来場者が自由に会話し、食事をし、空間を歩く経験には大きな魅力があります。同時に、会場を訪れる時間、交通費、言語、身体条件、美術に関する知識などによって、参加しやすさには違いがあります。
作品の場に同時に居合わせたからといって、すべての人が同じ立場になるわけではありません。初対面の人に話しかけることが自然な人もいれば、負担に感じる人もいます。参加の機会を用意する側には、その違いをどう受け止めるかという判断が求められます。
作品の社会性を評価するには、開放的に見える雰囲気に加えて、具体的に誰がそこに参加したかを知る必要があります。参加という形式が持つ可能性と限界は、作品が行われた場所に即して考えることができます。(参照:ニューヨーク近代美術館|参加型美術)
共同体は短い交流だけで生まれるのか
食卓を囲んで会話が生まれると、参加者の間に一時的な親しさが生まれるかもしれません。こうした経験には、日常生活とは異なる人間関係を試す価値があります。会場の外で続く関係になるかどうかは、参加した人々や生活環境によって変わります。
短い交流から直ちに共同体が成立すると判断すると、人々の間に残る違いが見えにくくなります。職業、階級、ジェンダー、言語、移住経験などは、同じ場所へ集まっただけで消えるものではありません。作品が作る親密さと、その外側にある社会的な条件を同時に見る必要があります。
1990年代の関係性をめぐる作品には、人々が共にいる時間を大切にしたものが多くあります。その価値を考える際には、交流が誰によって経験され、どのような関係として記憶されたのかを丁寧に検討することが求められます。(参照:Les presses du réel|『関係性の美学』目次)
商業ギャラリーと市場の中で行われる交流
無料の料理を振る舞う作品や、一時的なイベントは、売買される物体とは異なる形で成立します。それでも作品が行われる場所は商業ギャラリーや美術館であり、制作を支える資金や人員も必要です。行為を作品にすることは、美術市場との関係を複雑にします。
再演の条件、使用する物品、記録写真、作品の指示、契約などを通じて、出来事を中心とした作品も収蔵や取引の対象となり得ます。MoMAがティラヴァニの作品を収蔵していることは、関係を生む作品が美術制度の中で継続する一つの実例です。
ここでの問題は、作品が売れるかどうかだけに限りません。市場や美術館の制度が、どのような人々の交流を可能にし、どのような条件を課しているのか。作品の社会的な意味を考えるうえで欠かせない視点になります。(参照:ニューヨーク近代美術館|ティラヴァニ《untitled (free/still)》)
関係性の美学をめぐる批判と論争
2004年、クレア・ビショップが投げかけた問い
2004年、批評家クレア・ビショップは学術誌『October』に「Antagonism and Relational Aesthetics」を発表しました。1990年代の実践を論じた関係性の美学に対し、作品が生み出した人間関係の内容や政治的な意味を、さらに厳密に検討する必要があると主張しました。
ビショップはティラヴァニとギリックを取り上げ、関係が生じたという事実がそのまま民主的な価値を示すのかと問いかけました。人々の交流が心地よいものであった場合でも、そこに誰が参加し、誰が参加できなかったのかという問題は残ります。
2004年は本記事の対象年代の外側にあります。ここでは1990〜2002年の制作が、その後どのような批評を生み、現代美術の議論に何を残したのかを理解するための重要な反応として扱います。(参照:ニューヨーク市立大学大学院|ビショップ「Antagonism and Relational Aesthetics」)
対立や摩擦を含む関係をどう評価するか
ビショップは、民主主義には異なる立場の間の対立や不一致も存在すると考え、交流の心地よさだけを作品の価値の基準にすることへ疑問を示しました。彼女は社会にある緊張や不平等が、作品の中でどのように表れるかを重視します。
この議論の中で、サンティアゴ・シエラやトーマス・ヒルシュホルンの作品が取り上げられました。作家が参加者へ仕事を依頼する行為や、公共的な空間に政治的な資料を集める実践は、しばしば不快さや摩擦を伴います。作品の社会性は、和やかな交流だけを意味しないという見方です。
こうした批判を受けて、関係性の美学は参加者の数や交流の有無だけで評価できるのかという問いへ向き合うことになります。関係の形式と質を同時に考える議論が、2000年代の参加型美術をめぐる批評につながりました。(参照:MIT Press『October』|ビショップ論文(2004年))
シエラの作品をめぐる倫理的な問題も残る
シエラの作品では、経済的に弱い立場の人々へ報酬を支払い、労働や身体を作品の一部として扱う方法が用いられます。そうした作品は、労働市場の不平等を露出させると同時に、作品の制作がその不平等を利用しているのではないかという問いも生みます。
鑑賞者が不快な思いをしたという事実だけで、作品の倫理的な問題が解決することはありません。参加者が受け取る報酬、負担するリスク、作家や美術館が得る利益といった具体的な条件まで見る必要があります。
ビショップの批評が示したのは、調和的な交流か、対立的な状況かという二つの型から作品を選ぶことではありません。どのような関係が作品の中で作られ、その関係が現実の社会とどう結びつくのかを問い続ける重要性でした。(参照:ニューヨーク市立大学大学院|ビショップ「Antagonism and Relational Aesthetics」)
1990年代の実践が残したもの
作品が物体の外へ広がった1990年代
1992年のティラヴァニ《Untitled (Free)》は、ギャラリーを食事の場所へ変え、来場者と空間の関係に新しい経験を作りました。ギリックは会議や計画の可能性を構造物から考え、ユイグは映像と記憶を重ね、パレーノは展覧会の時間と共同制作を組み替えました。
これらの作家は、作品の完成形を一つの物体として示す方法をそれぞれ異なる形で広げました。食事、道具、家具、契約、映像、会期中の出来事を通して、作品が成立する条件そのものが問われました。
1990年代の多様な実践を説明するため、ブリオーは「関係性の美学」という言葉を提示しました。その名称は新しい理解の手がかりとなり、同時に作品ごとの差異をどう捉えるかという批評上の課題も生みました。(参照:Les presses du réel|『Relational Aesthetics』英語版)
参加することの可能性と限界
作品の中へ入ること、食事を分かち合うこと、物語や作品の制作に関わることは、鑑賞者に新しい経験をもたらしました。美術館で静かに作品を見る習慣から離れ、人が実際に時間を使う行為へ関心が向けられたことは大きな変化です。
その経験には、参加できる人とできない人、招く側と招かれる側、働く人と楽しむ人といった違いも含まれています。ハーニングの《Turkish Jokes》やヒルの《Volksboutique》は、交流や労働の社会的な条件を具体的な場所の中で考えるための手がかりになります。
後年のビショップによる批判も踏まえると、関係性の美学の意義は、参加という形式を広めたこととともに、その関係をどのように評価するかという問題を残した点にあります。(参照:ニューヨーク市立大学大学院|ビショップ「Antagonism and Relational Aesthetics」)
2000年代の参加型美術とネットワークへ
2002年にはブリオーの英語版『Relational Aesthetics』が刊行され、パレ・ド・トーキョーが開館し、《No Ghost Just a Shell》がサンフランシスコ近代美術館で展示されました。1990年代の実践が理論、展覧会、美術施設という複数の場所で共有される節目となりました。
その後、社会参加型の制作、地域との協働、長期間に及ぶ調査と制作、インターネット上の共同作業など、人々の関係を扱う美術はさらに広がります。これらすべてがブリオーの理論から生まれたわけではなく、さまざまな先行する歴史や地域固有の活動を持っています。
1990〜2002年の美術史を振り返ると、作品を見せることと、作品のある場所で何かが起こることの関係が、大きな問いになった時代だったと分かります。その問いは、参加者の役割、作品の保存、作家の作者性、美術館の運営を考える現在の議論にも引き継がれています。(参照:パレ・ド・トーキョー|施設の歴史と2002年開館)
略年表|参加型美術から関係性の美学へ
関係性の美学は1990年代に理論化されました。観客参加や共同制作の長い歴史と、2002年以降の受容を見渡すため、前史と後年の批評も含めて主な出来事を整理します。
- 1959年|アラン・カプローの《18 Happenings in 6 Parts》など、観客参加を含むハプニングが展開される。
- 1960年代|フルクサスで行為の指示や偶然性を生かした実践が広がる。
- 1964年|オノ・ヨーコ《Bag Piece》など、鑑賞者が関わる表現が展開される。
- 1965年|エリオ・オイチシカの《パランゴレ》が身体と参加の関係を示す。
- 1967年|オイチシカ《Tropicália》が観客の身体的な移動を展示空間に取り入れる。
- 1971年|ニューヨークのソーホーでマッタ=クラークらがレストラン《FOOD》を開く。
- 1991年|ティラヴァニが日用品や食事の形式を含む制作を展開する。
- 1992年|ニューヨークの303ギャラリーでティラヴァニ《Untitled (Free)》が行われる。
- 1993年|ギリック《McNamara》など、組織と社会の構造を考察する文章を発表する。
- 1994年|P.S.1で《The Winter of Love》開催。ハーニング《Turkish Jokes》も制作される。
- 1995年|ティラヴァニ《Untitled (Free)》がカーネギー・インターナショナルで再構成される。
- 1995年|ゴンザレス=フェルステル《Residence: color》が制作される。
- 1996年|ボルドーのCAPCでブリオー企画《Traffic》展が開催される。
- 1996年|ギリック《The What If? Scenario Discussion Platform》、ヒル《Volksboutique》などが発表される。
- 1997年|ドクメンタ10でヒルが《Volksboutique》を展開する。
- 1997年|ギリックが《Discussion Island/Big Conference Center》を発表する。
- 1998年|ブリオー『Esthétique relationnelle』刊行。ピストレットがチッタデラルテを設立。
- 1999年|ユイグ《The Third Memory》制作。ユイグとパレーノがアンリーの企画を始める。
- 1999年|ゴンザレス=フェルステル《Riyo》制作。
- 2000年|美術・建築・デザインの接点を扱う展覧会が各地で開かれる。
- 2002年1月|パリのパレ・ド・トーキョーが開館する。
- 2002年|ブリオー『Relational Aesthetics』英語版が刊行される。
- 2002年12月|SFMOMAで《No Ghost Just a Shell》展が開幕する。
- 2003年|MoMAでギリック《Projects 79: Literally》開催。対象期間後の展開。
- 2004年|ビショップ「Antagonism and Relational Aesthetics」が『October』誌に掲載される。
まとめ|関係性の美学が現代美術へ残したもの
1990年代の関係性の美学を考える出発点には、ギャラリーを食事の場へ変えたティラヴァニの《Untitled (Free)》があります。食べる、座る、話すといった行為が、作品の周囲で自然に起きる出来事から作品の中心的な要素へ移りました。これは1960年代のハプニングや1971年のレストラン《FOOD》などの先行例と結びつきながら、商業ギャラリーと国際展が拡大する1990年代の環境の中で新しい意味を持つようになった実践です。
ブリオーは1996年《Traffic》展と1998年の著書を通じて、作家たちの制作を人間関係や交換の視点から読み解きました。ギリックの建築的な構造、ユイグの映像と記憶、パレーノの共同制作、アンリーの知的財産権をめぐる企画など、実際の作品には大きな違いがあります。関係性の美学という名称は、これらの表現に共通の問題を見いだすための批評の言葉として広まりました。
同時期、ハーニング《Turkish Jokes》は言語の違いから公共空間を捉え直し、ヒル《Volksboutique》は販売と労働を作品にしました。2002年のパレ・ド・トーキョー開館は、交流や制作の場を美術施設の運営へ接続する一つの節目となります。作品の意味を考えるためには、物体の形とともに、参加する人々の行動、空間、契約、労働を具体的に確認する必要が生まれました。
交流のある作品の意義は、その後の批評によってさらに問い直されます。ビショップは、人々が集まることの価値に加えて、そこにどのような権力差や摩擦があるかを問いました。関係性の美学は、参加の可能性を見せると同時に、作品が作り出す関係をどう評価するのかという難しい問題を残しました。その問いは、現在の参加型美術や社会参加型の制作を考えるうえでも引き続き重要です。
参考資料・出典
本記事は、美術館・展覧会主催機関の記録、作品収蔵資料、出版社の書誌、作家本人の証言、同時代の批評および研究論文を参照してART LIBRARYが独自に構成・執筆しました。作品の制作年代と再展示の年代、1990年代の実践と2004年以降の批評を区別しています。関係性の美学に含まれる個々の作家の違いと、参加型美術の先行する歴史を重視しています。
- ニューヨーク近代美術館|関係性の美学
- ニューヨーク近代美術館|参加型美術
- ニューヨーク近代美術館|参加と鑑賞者の関与
- ニューヨーク近代美術館|ティラヴァニ《untitled (free/still)》
- ニューヨーク近代美術館|ティラヴァニ本人の作品解説
- ニューヨーク近代美術館|ジョン・ケージ以降の状況をつくる美術
- ニューヨーク近代美術館|マッタ=クラーク《FOOD》
- ニューヨーク近代美術館|トロピカリアと参加型美術
- フィラデルフィア美術館|ピストレットとチッタデラルテ
- ピストレット財団|チッタデラルテの成立
- ニューヨーク近代美術館|《The Winter of Love》展
- MAY|ブリオー「Traffic: Space-times of the Exchange」
- frieze|カール・フリードマンによる《Traffic》展評
- Les presses du réel|『Esthétique relationnelle』原著と再刊
- Les presses du réel|『Relational Aesthetics』英語版
- Les presses du réel|『関係性の美学』目次
- シカゴ現代美術館|リアム・ギリック回顧展
- ニューヨーク近代美術館|《Projects 79: Liam Gillick, Literally》2003年
- ポンピドゥー・センター|ユイグ《The Third Memory》
- サンフランシスコ近代美術館|《No Ghost Just a Shell》展
- サンフランシスコ近代美術館|《No Ghost Just a Shell》2002年発表資料
- サンフランシスコ近代美術館|アンリーと知的財産権の公開討論
- メトロポリタン美術館|フィリップ・パレーノ作品資料
- ニューヨーク近代美術館|ドミニク・ゴンザレス=フェルステル
- デンマーク百科事典Lex|イェンス・ハーニング《Turkish Jokes》
- カタルーニャ・オープン大学|《Turkish Jokes》の作品解説
- ドクメンタ|第10回ドクメンタと《Volksboutique》
- Sculpture誌|クリスティーネ・ヒル《Volksboutique》取材
- We Make Money Not Art|クリスティーネ・ヒルへのインタビュー
- パレ・ド・トーキョー|施設の歴史と2002年開館
- パレ・ド・トーキョー|美術施設としての理念
- ニューヨーク市立大学大学院|ビショップ「Antagonism and Relational Aesthetics」
- MIT Press『October』|ビショップ論文(2004年)
- ストックホルム近代美術館|《What If: Art on the Verge of Architecture and Design》
- ニューヨーク近代美術館|フェリックス・ゴンザレス=トレス
資料確認日:2026年10月15日 / ART LIBRARY