Art Library
Art History

2013–2020

監視、データ、Machine Vision

Snowden以後の画像と権力

2010年代、美術にとって「画像を見る」という行為の意味が大きく変わりました。写真、映画、広告、インターネット画像は長く、人間の眼差しを前提として批評されてきました。しかし都市の監視カメラ、ナンバープレート読取、顔認識、衛星、軍事センサー、人工知能が拡大すると、画像は人間に見せるためだけのものではなくなります。カメラが撮影し、ソフトウェアが特徴を抽出し、データベースと照合し、その結果が別の機械や制度へ渡される。人間が一度も画面を見ることなく、画像が社会的な作用を起こす状況が広がりました。

2013年には米国の通信監視プログラムをめぐる一連の文書が報道を通じて公開され、ネットワーク上の通信とデータ収集の規模が広く議論されます。同じ年、Hito Steyerlは《How Not to Be Seen》で「見えすぎる世界からどう消えるか」を風刺し、Zach Blasは顔認識システムから人間の顔として検出されにくい集合的な仮面を展開し、James Bridleは軍事ドローンの実物大の輪郭を公共空間へ描きました。監視は単なるカメラの問題ではなく、通信、身体計測、軍事技術、データ分類を含む複合的な視覚制度として意識され始めます。

その一方で、同じデジタル技術は監視される側から権力を検証するためにも使われました。Forensic Architectureはスマートフォン映像、衛星写真、音声、3Dモデル、目撃証言を組み合わせ、人権侵害や国家・企業による暴力を調査します。2018年にはTurner Prizeの最終候補に入り、証拠生産、調査、建築、映像、美術の境界そのものが議論されました。

2010年代後半には問題がさらに変化します。Trevor Paglenは2016年の「Invisible Images」で、人間が見るためではなく機械が読むために作られる画像が巨大な視覚文化を形成しつつあると論じました。2017年《Behold These Glorious Times!》、2019年Kate Crawfordとの《Training Humans》では、人工知能へ世界の見方を教える訓練画像と分類体系が美術館へ持ち込まれます。本記事では、2013年から2020年までを、監視についての美術が「誰が私たちを見ているのか」という問いから、「機械は何を見て、どう分類し、その判断が現実へどう作用するのか」という問いへ広がった時期として追います。

CONTENTS

  1. Machine Visionとは何を指すのか
  2. Computer Visionとの関係
  3. 一つの美術運動ではない
  4. 2013年以前から存在した監視の視覚文化
  5. Trevor Paglen — 見えないインフラを撮影する
  6. 視覚の限界そのものを写真にする
  7. 2013年 — NSA監視プログラムをめぐる文書公開
  8. なぜ2013年が美術にも影響したのか
  9. 画像だけではなくメタデータを見る
  10. Hito Steyerl — 見えすぎる世界でどう消えるか
  11. 解像度ターゲットの上で撮影する
  12. 「見えない」ための不可能な方法
  13. 可視性は常に解放ではない
  14. Zach Blas — 顔認識されない顔を作る
  15. 個人識別に対して集合的な顔を作る
  16. 《Facial Weaponization Communiqué: Fag Face》
  17. 顔認証と肌の色
  18. 2013–16年《Face Cages》
  19. James Bridle — 見えないドローンの大きさを街へ戻す
  20. 《Drone Shadow》
  21. 作品を作者なしで複製できるようにする
  22. ドローンは見る機械でもある
  23. 2014年 Trevor Paglen《Autonomy Cube》
  24. 美術館のWi-Fiを匿名化ネットワークへ接続する
  25. インフラを作品にする
  26. Forensic Architecture — 画像を証拠へ変える
  27. 美術作品だけを目的とする組織ではない
  28. 公開されている画像を調査する
  29. 2014年Rafah爆撃の調査
  30. 煙の形を証拠として読む
  31. 「Image-Data Complex」
  32. 2016年Saydnaya刑務所の再構成
  33. 見ることができない場所を音から再構成する
  34. Forensic Aesthetics
  35. Counter Forensics — 視線を逆向きにする
  36. 2016年 Paglen「Invisible Images」
  37. 画像は表象から操作へ
  38. 人間が見ない画像
  39. Richard Mosse — 軍事用カメラで移民を見る
  40. 2017年《Incoming》
  41. 熱画像は「真実」を直接見せるのか
  42. 兵器技術と美術映像の矛盾
  43. 2017年Paglen《Behold These Glorious Times!》
  44. Training Imageという新しい写真の役割
  45. 画像よりラベルが重要になる
  46. Datasetは中立な自然物ではない
  47. ImageNet
  48. 「何を分類するか」は技術だけの問題ではない
  49. 2018年Forensic ArchitectureとTurner Prize
  50. 《Killing in Umm al-Hiran》
  51. 証拠は「美しく見せる」ためにあるのか
  52. 同じ資料が法廷と美術館を移動する
  53. 2019年MoMA《New Order: Art and Technology in the Twenty-First Century》
  54. 2019年《Training Humans》
  55. 訓練画像にも歴史がある
  56. 日常画像がAIの原料になる
  57. 肖像写真から訓練データへ
  58. 2019年《From ‘Apple’ to ‘Anomaly’》
  59. 「異常」を誰が定義するのか
  60. 「画像が私たちを見る」
  61. AIは人間の目のように見ているわけではない
  62. 2019年NIST顔認識評価
  63. すべての顔認識が同じ精度差を持つわけではない
  64. 偏りはどこから生じるのか
  65. 可視性と権力
  66. 不透明性は抵抗になり得るか
  67. 見る技術を逆方向に使う
  68. 上空から見る視点
  69. 衛星画像は誰の視点か
  70. 画像は自分で真実を語らない
  71. 生成・改変画像が増える時代
  72. 美術と調査は同じなのか
  73. 強い画像を美的に消費する危険
  74. 鑑賞者の位置も変わる
  75. 鑑賞者なしでも機能する画像
  76. 表象から分類へ
  77. データセットを作る人も「選ぶ人」である
  78. 写真史からMachine Visionを見る
  79. Machine VisionをAIだけに限定しない
  80. 「自動化」の背後に人間の労働がある
  81. 技術的精度と社会的正当性は別問題
  82. 安全とプライバシーを単純な二択にしない
  83. 2013–2020年に何が変わったのか
  84. 2020年代への影響
  85. 次の時代へ — AI生成画像とSynthetic Media
  86. 参考資料・出典

Machine Visionとは何を指すのか

Machine Vision(機械視覚)は、カメラやセンサーから得た画像をコンピューターが解析し、物体、顔、文字、動き、位置などを検出・分類する技術を広く指します。製造業の検査、スマートフォンの顔認証、ナンバープレート読取、衛星画像解析、軍事・警備、画像検索など、用途は大きく異なります。

美術史の文脈で重要なのは、画像が人間に見せるためだけのものではなくなったことです。画像がデータとして読み取られ、別の機械的処理を起動し、現実の分類や判断へ接続されるようになりました。

Computer Visionとの関係

Computer Visionはコンピューターが画像や映像から情報を抽出する研究・技術領域を指し、Machine Visionは工業・自動化の文脈で使われることも多い言葉です。ただし現代美術の議論では、両者を厳密な技術分類より広く「機械が見ること」の問題として扱う場合があります。

本記事でもMachine Visionを、一つの技術規格の名称ではなく、人間以外のシステムが画像を検出、照合、分類し、その結果が社会へ作用する新しい視覚環境を考えるための言葉として用います。

一つの美術運動ではない

Hito Steyerl、Trevor Paglen、Zach Blas、James Bridle、Richard Mosse、Forensic Architectureは、同じ宣言や統一された様式を共有した集団ではありません。

Steyerlは映像と批評、Paglenは写真・映像・調査、Blasは生体認証への抵抗、Bridleは技術インフラの可視化、Mosseは軍事用撮像技術の転用、Forensic Architectureは画像を証拠として再構成する調査を展開しました。共通するのは、見る主体が人間だけではなくなった環境へ向き合ったことです。

2013年以前から存在した監視の視覚文化

監視カメラ、衛星写真、軍事偵察、指紋や顔などの生体計測は、2013年に突然登場したものではありません。20世紀の写真史、軍事史、警察技術、テレビ、都市監視の歴史の中で長く発展してきました。

またHarun Farockiは2000年代までに、産業・軍事・シミュレーションのために作られ、人間の鑑賞を目的としない「operative images」を分析していました。2010年代のMachine Visionをめぐる美術は、こうした先行する問題をネットワーク、AI、巨大データセットの時代へ展開したものでもあります。

Trevor Paglen — 見えないインフラを撮影する

Trevor PaglenはMachine Visionへ本格的に取り組む以前から、秘密軍事施設、偵察衛星、監視通信施設など、通常の視界から隠されたインフラを撮影してきました。

《Limit Telephotography》では1300mmから7000mm級の望遠鏡を使い、肉眼では確認できない遠距離の軍事施設を撮影しました。作家の公式資料は、この方法を天体写真に近い技術として説明しています。

視覚の限界そのものを写真にする

Paglenの遠距離写真では、大気の揺らぎによって輪郭や色が崩れます。秘密施設を鮮明に暴露する調査写真とは異なり、「見ようとしても十分には見えない」という状態自体が写真になります。

監視する国家と、それを逆方向から見返そうとする市民の視覚能力には非対称性があります。Paglenはその差を、写真の不鮮明さとして可視化しました。

2013年 — NSA監視プログラムをめぐる文書公開

2013年6月5日以降、元NSA契約職員Edward Snowdenが報道機関へ提供した資料をもとに、米国の通信監視プログラムに関する一連の文書が公開されました。ACLUの公開資料集には、Section 215にもとづく電話メタデータ収集、PRISM、UPSTREAM、XKeyscoreなどに関する文書が整理されています。

米国家安全保障局(NSA)自身もSection 215のBusiness Records FISAプログラムについて、米国内の特定通信事業者が裁判所命令により通話番号、日時、通話時間などのメタデータを提供していたことを説明しています。

なぜ2013年が美術にも影響したのか

公開された資料は、監視が街頭のカメラだけではなく、通信インフラ、クラウド、検索、電話記録などネットワークの内部に存在することを広く認識させました。

美術でも「監視カメラに映る身体」だけでなく、見えないデータ収集、メタデータ、暗号化、ネットワーク経路、企業と国家の技術基盤が作品主題として強く現れるようになります。ただし、2013年以前からこれらを扱っていた作家も多く、Snowden文書を唯一の起点とするのは正確ではありません。

画像だけではなくメタデータを見る

デジタル画像には画面に見えている内容だけでなく、撮影時刻、位置情報、ファイル情報、機器情報などのメタデータが付随することがあります。

ネットワーク監視では、通信内容そのものと同様に、誰が誰と、いつ、どの機器から接続したかという関係情報が重要になります。2010年代の美術は、可視画像の背後にあるデータ構造へ視線を移していきました。

Hito Steyerl — 見えすぎる世界でどう消えるか

2013年、Hito Steyerlは《How Not to Be Seen: A Fucking Didactic Educational .MOV File》を制作しました。MoMAはこの作品を、新しい高度な監視技術が存在する時代に「見えなくなる」方法を風刺的な教育映像として提示する作品と説明しています。

映像は実用的なプライバシー講座ではありません。可視性が権利や表象の問題である一方、監視社会では「見られないこと」もまた重要になるという矛盾を扱います。

解像度ターゲットの上で撮影する

《How Not to Be Seen》の多くは、米国Californiaの砂漠に残る写真測量用の解像度ターゲットで撮影されました。上空から撮影するカメラの解像能力を調整するために使われた巨大な図形です。

Steyerlはそこへ人間の身体やコンピューター画面を重ね、見る技術の尺度そのものを作品空間へ変えます。人間が見えるか見えないかが、カメラや画像解像度の数値によって決定される世界が風刺されます。

「見えない」ための不可能な方法

作品では、カメラから隠れる、画像になる、1ピクセル以下になる、消えるといった不可能・誇張された方法が次々に提示されます。

このユーモアは監視技術を軽視するためではありません。現代社会では、完全に可視性から逃れることそのものが現実的ではないという状況を強調しています。

可視性は常に解放ではない

20世紀後半の多くの社会運動では、見えなくされてきた人々が可視性を獲得することが重要でした。しかし監視やデータ収集が拡大すると、可視化されることは管理されることにもなります。

Steyerlの作品は、「見える=良い」「見えない=抑圧」という単純な関係を崩します。誰が誰を見るのか、画像が何に使われるのかによって可視性の意味は変わります。

Zach Blas — 顔認識されない顔を作る

Zach Blasは2012–14年《Facial Weaponization Suite》を展開し、生体認証による顔認識と、それが人間を分類する方法を批判的に扱いました。

作家の公式資料によれば、ワークショップ参加者の顔データを集約し、特定個人の顔ではない「collective masks」を制作しました。形状は顔認識システムから人間の顔として検出されにくいよう設計されています。

個人識別に対して集合的な顔を作る

顔認識技術は、一人ひとりを区別し、特定のアイデンティティへ結びつけることを目的にします。Blasの仮面は逆方向に進みます。

複数人の生体データを一つに集約することで、「これは誰の顔か」と問えない像を作ります。個人識別のためのデータを、識別不能な集合的表象へ変換します。

《Facial Weaponization Communiqué: Fag Face》

《Facial Weaponization Suite》の一部では、クィア男性の顔データを集約したピンク色の仮面が制作されました。これは顔から性的指向を推定できると主張する科学的・疑似科学的研究への応答でもありました。

作品は「正しいクィアの顔」を提示するのではなく、性的指向を顔の形状から固定的に読み取ろうとする発想そのものを拒否します。

顔認証と肌の色

Blasは別の仮面で、黒さを複数の意味から扱いました。作家は、顔認識技術が暗い肌を検出しにくい問題、政治的抵抗における黒色、情報的な不透明性を重ねています。

ここでも作品は単なるプライバシー道具ではありません。技術的な認識エラーと、人種化された視覚制度がどのように接続するかを問い直します。

2013–16年《Face Cages》

Blasの《Face Cages》では、生体認証が顔から抽出する計測図を3Dプリントしたステンレス製の構造物へ変換し、実際の人間が顔へ装着します。

作家は、コンピューター上では正確な測定モデルに見える図が、物理的な顔へ戻されると痛みを伴う「檻」になると説明しています。抽象化された生体データと生身の身体の不一致が物質化されます。

James Bridle — 見えないドローンの大きさを街へ戻す

James Bridleは2012年から《Drone Shadow》を展開し、軍事用無人機の実物大の輪郭を道路や公共空間へ描きました。

飛行中のドローンは地上から見れば小さな点にしか見えないことがあります。Bridleはその実際の大きさを地面へ1対1で描くことで、遠隔戦争の機械を身体的なスケールへ戻しました。

《Drone Shadow》

2013年にはBrightonの海岸にReaper droneの輪郭が描かれ、同年Washington, D.C.のCorcoran付近にも別の《Drone Shadow》が設置されました。

作家の公式サイトは、機種や設置場所を具体的に記録しています。作品は兵器の画像を見せるのではなく、その輪郭が公共空間を占有することで、人間の身体とのサイズ差を経験させます。

作品を作者なしで複製できるようにする

Bridleは2013年《Drone Shadow Handbook》を公開し、他者が独自にドローン輪郭を描けるよう図面と方法を提供しました。

公式資料によれば、この手引きを使って作家本人が関与しない複数の《Drone Shadow》が制作されました。監視・軍事技術を可視化する方法自体を配布することで、作品は一地点のオブジェから再実行可能な手順へ広がります。

ドローンは見る機械でもある

軍事用ドローンは攻撃手段であるだけでなく、カメラ、赤外線センサー、通信装置を搭載した観測システムでもあります。

そのためドローンをめぐる美術では、兵器の形態と同時に「誰が上空から誰を見るのか」という視覚的非対称性が重要になります。Bridle、Paglen、Mosseらはそれぞれ異なる方法でこの問題へ接近しました。

2014年 Trevor Paglen《Autonomy Cube》

Paglenの《Autonomy Cube》(2014)は、透明なPlexiglasの立方体内部に二つのマザーボードと無線ネットワーク装置を収めたインスタレーションです。SFMOMAは、機能する無線サーバーを含む作品として収蔵しています。

展示空間に置かれたミニマルな透明立方体のように見えますが、作品は通信インフラとして実際に動作します。

美術館のWi-Fiを匿名化ネットワークへ接続する

《Autonomy Cube》は展示場所で来場者へWi-Fiを提供し、その通信を匿名化ネットワークTorへ接続するよう設計されました。

美術館で通信監視についての画像を見るだけではなく、鑑賞者の通信経路そのものを作品が変える。彫刻、ネットワーク装置、プライバシー技術が一つの作品で重なります。

インフラを作品にする

インターネットは画面上のウェブサイトだけでできていません。ルーター、ケーブル、データセンター、暗号化方式、通信プロトコルなど見えにくい物理・技術基盤があります。

2010年代の監視をめぐる美術では、画像を制作するだけでなく、このインフラそのものを展示し、変更し、可視化する方法が増えました。

Forensic Architecture — 画像を証拠へ変える

Forensic ArchitectureはEyal Weizmanによって2010年にGoldsmiths, University of Londonで設立された調査機関です。Goldsmithsは、人権侵害、警察・軍・国家・企業による暴力などを、空間分析、公開情報調査、デジタル・モデリング、証言などを組み合わせて調査すると説明しています。

彼らの成果は美術館だけでなく、裁判所、議会調査、国際機関、NGO、報道など複数の場で提示されます。

美術作品だけを目的とする組織ではない

Forensic Architectureを「政治的な映像作品を作るアート集団」とだけ説明すると不正確です。調査の主要な目的には、事実関係の検証、証拠の提示、人権侵害をめぐる公的議論への介入があります。

一方で、その画像、模型、映像、地図はdocumenta、ICA、Tateなど美術制度でも展示され、美術が証拠生産や調査方法をどこまで含み得るのかという問題を生みました。

公開されている画像を調査する

スマートフォン、SNS、衛星画像、報道映像が普及すると、事件現場に関する大量の断片的映像が一般市民から公開されるようになりました。

Forensic Architectureはこれらを単独の「真実の写真」として扱うのではなく、撮影地点、時刻、影、煙、建築形状、音、メタデータなどを照合し、複数資料を空間的なモデルへ配置します。

2014年Rafah爆撃の調査

2014年8月1日のGaza・Rafahでの攻撃について、Forensic ArchitectureとAmnesty Internationalは現地への立入を認められなかったため、市民や報道者が公開・提供した数千点の画像と映像を中心に調査しました。

Forensic Architectureの公式記録では、カメラ位置、衛星画像、地上写真、煙、影、爆発跡を3Dモデル上で照合し、多数の攻撃地点と時間を再構成しました。

煙の形を証拠として読む

爆撃後に生じる煙は一見すると曖昧な画像ですが、複数の角度から撮影された映像を比較すれば、同じ爆発を特定する手がかりになる場合があります。

Forensic Architectureは煙の形や位置を3D空間へ再構成し、異なる動画を同じ出来事へ同期させました。画像の背景と思われた雲が、時刻と位置を結びつける証拠になります。

「Image-Data Complex」

2018年ICA《Counter Investigations》では、Forensic Architectureの方法を説明する重要概念の一つとして「Image-Data Complex」が挙げられました。

現代の画像は単独で読むのではなく、撮影位置、時刻、通信記録、建築、証言、気象、衛星データなどと結びついて意味を持ちます。画像とデータを切り離さずに読む方法が、調査と現代美術の双方で重要になります。

2016年Saydnaya刑務所の再構成

Forensic ArchitectureはAmnesty Internationalと協働し、SyriaのSaydnaya軍事刑務所について、元収容者の記憶と音響的証言をもとに建築空間をデジタル再構成しました。

ICAの記録ではLawrence Abu Hamdanが音響調査へ参加しています。秘密施設の内部写真がほとんど存在しないため、目撃者が聞いた扉、足音、距離、反響などが空間復元の重要な情報になりました。

見ることができない場所を音から再構成する

Machine Visionを扱う記事で音を取り上げることには意味があります。監視・調査は視覚だけでは成立しません。

Saydnaya調査では、目隠しされた元収容者の聴覚的記憶が建築モデルと組み合わされました。「証拠画像がないから見えない」で終わらず、異なる感覚情報から空間を構成する方法が示されました。

Forensic Aesthetics

Forensic Architectureでは「aesthetics」を美しさという意味だけではなく、感覚可能なものをどのように知覚し、提示し、判断するかという広い意味で扱います。

画像を美術館に展示することと、裁判や公的調査で証拠として提示することでは、必要な説明や信頼性の基準が異なります。同じ視覚資料が複数の「forum」で別の役割を持つことが重要です。

Counter Forensics — 視線を逆向きにする

ICAはForensic Architectureの「counter forensics」を、国家機関が個人を調査する通常の法科学的視線を、市民社会側から国家や制度へ向け直す方法として説明しています。

監視装置を避けるだけでなく、一般市民が利用可能なカメラ、衛星画像、オープンデータ、3D技術を使い、権力側の行為を検証する。ここでは画像技術は監視の道具にも、監視を検証する道具にもなります。

2016年 Paglen「Invisible Images」

2016年12月、Trevor PaglenはThe New Inquiryに「Invisible Images (Your Pictures Are Looking at You)」を発表しました。

Paglenは、デジタル画像文化の大きな変化は単に画像量が増えたことではなく、多くの画像が人間の目を経由せず機械によって解析され、現実の処理を起動するようになった点にあると論じました。

画像は表象から操作へ

従来の写真論では、画像が何を表象し、誰がどう解釈するかが中心的な問いでした。PaglenはMachine Visionでは画像がその先へ進み、ナンバープレートを読み、顔を照合し、商品の欠陥を検出し、移動を追跡すると指摘します。

つまり画像は「世界について何かを意味するもの」だけでなく、「世界で何かを実行するもの」になります。

人間が見ない画像

監視カメラの映像がすべて人間の担当者に見られているとは限りません。画像解析ソフトウェアが自動で特徴を検出し、条件に合うものだけを別の処理へ送ることができます。

Paglenが「Invisible Images」と呼ぶのは、画面が物理的に透明だからではなく、人間の鑑賞を目的としない画像世界が巨大化しているからです。

Richard Mosse — 軍事用カメラで移民を見る

Richard Mosseは2014年から2016年にかけ、Europe、中東、北Africaの移住・避難の状況を軍事用の長距離熱画像カメラで撮影し、2017年《Incoming》として三面映像インスタレーションにまとめました。

SFMOMAは、このカメラが遠距離から体熱を検出する軍事級技術であり、通常の可視光映像とは異なる像を作ると説明しています。

2017年《Incoming》

《Incoming》では人間の身体が肌色や服の色ではなく、温度差として白黒の像へ変換されます。

難民や移民を監視する軍事・国境管理の視覚技術を美術館へ持ち込むことで、作品は観客を安全な外部の観察者として置きません。同じ技術的視線を通して人間を見ることの倫理を問いかけます。

熱画像は「真実」を直接見せるのか

赤外線・熱画像は、通常のカメラでは見えない情報を可視化するため、客観的で科学的な像に見えやすい媒体です。

しかし何を測定し、どの温度範囲を表示し、どの色階調へ変換するかは技術仕様によって決まります。Mosseの作品は、特殊な撮像技術も中立的な視線ではないことを示します。

兵器技術と美術映像の矛盾

《Incoming》のカメラは本来、人間を遠距離から検出・追跡する軍事的用途と結びついた装置です。その同じ機材から、巨大で視覚的に強い美術映像が作られます。

作品の美しさと、技術が持つ暴力的・管理的な歴史は分離できません。Mosseの作品はその矛盾を意図的に残します。

2017年Paglen《Behold These Glorious Times!》

Paglenの《Behold These Glorious Times!》(2017)は、人工知能を訓練するための画像群と、ニューラルネットワークが画像を解析する過程を可視化した映像を組み合わせた作品です。

作家の公式説明によれば、一方には物体、顔、身振り、感情などを認識させる訓練画像があり、もう一方にはニューラルネットワークが画像を部分へ分解し、特徴を抽出する過程を人間向けに可視化した像があります。

Training Imageという新しい写真の役割

訓練画像は、人間が鑑賞するための写真とは目的が異なります。AIモデルに「これは犬」「これは顔」「これは特定の表情」と学習させるため、画像とラベルの組み合わせが使われます。

写真は記憶、報道、広告、美術のためだけではなく、機械へ世界の分類方法を教える教材になります。

画像よりラベルが重要になる

Machine Learningの訓練では、同じ写真でもどのラベルを付けるかによって学習される関係が変わります。

「画像は事実をそのまま示す」という考えはここでさらに揺らぎます。画像をどのカテゴリへ入れるかという人間の判断が、後の機械的分類へ組み込まれるからです。

Datasetは中立な自然物ではない

大規模画像データセットは、世界中の画像を自然に集めただけのものではありません。どの画像を含め、どの分類体系を使い、どのラベルを付けるかという選択から成り立ちます。

そのためデータセットは技術的資源であると同時に、人間の分類文化や偏見を含み得る社会的な構造でもあります。

ImageNet

ImageNetはWordNetの語彙階層に沿って画像を整理した大規模データベースで、コンピューター・ビジョンと深層学習研究の発展に大きく利用されました。

ImageNet公式サイトは1400万点を超える画像と2万を超える語彙カテゴリを索引化したデータベースとして説明しています。大規模データセットがMachine Vision研究を支える代表的な例です。

「何を分類するか」は技術だけの問題ではない

猫と犬を区別する分類と、人間を「良い/悪い」「魅力的/非魅力的」など社会的価値を含む語で分類することは同じではありません。

カテゴリが人間の評価、階級、人種、ジェンダーなどと結びつくほど、その分類体系には文化的・倫理的な判断が入り込みます。2010年代後半の作家や研究者は、AIの精度だけでなく、何を分類対象にするのかを問題にしました。

2018年Forensic ArchitectureとTurner Prize

2018年、Forensic ArchitectureはTurner Prizeの最終候補に選ばれました。Tateは、世界各地の人権侵害に関する証拠を収集・可視化する革新的な方法を開発し、その成果が法廷と美術展の双方で使われていることを評価理由として挙げました。

これは調査機関が「作品らしい物」を制作したから単純に美術賞へ入ったという出来事ではありません。何が現代美術の実践として評価され得るのかという制度的な境界が拡張した例です。

《Killing in Umm al-Hiran》

2018年Turner Prize展示では、Forensic Architectureの調査活動が紹介されました。彼らは映像、音、建築模型、タイムラインなどを用いて出来事を再構成します。

調査結果は一つの決定的写真へ還元されません。複数資料の関係を観客が追えるように提示し、証拠がどのように構成されたかを開示することが重要になります。

証拠は「美しく見せる」ためにあるのか

Forensic Architectureの美術館展示は、証拠を美的対象として消費してしまう危険も伴います。

一方、複雑な事件の画像、地図、動画を理解可能な形へ整理するには、色、配置、時間軸、アニメーションなど視覚設計が必要です。美学と証拠提示を完全に分けることはできません。

同じ資料が法廷と美術館を移動する

Forensic Architectureの調査は裁判所、議会、国際機関、記者会見、地域集会、美術館など複数の場へ提示されます。

同じ映像であっても、法廷では証拠能力が、美術館では視覚文化や権力構造を考える契機が問われます。資料の意味は提示される制度によって変化します。

2019年MoMA《New Order: Art and Technology in the Twenty-First Century》

2019年、MoMAは《New Order: Art and Technology in the Twenty-First Century》を開催し、技術と現代美術をめぐる作品を紹介しました。Trevor Paglenも参加作家に含まれています。

2000年代のNew Media Artが新しい装置や媒体に注目したのに対し、2010年代後半の技術をめぐる美術では、AI、監視、労働、データ、企業インフラといった社会システムが前面へ出ます。

2019年《Training Humans》

2019年9月から2020年2月まで、MilanのFondazione Prada OsservatorioでKate CrawfordとTrevor Paglenによる《Training Humans》が開催されました。

Fondazione Pradaは、この展覧会をAIに人間を「見る」「分類する」方法を学習させる訓練画像を主題とした初の大規模写真展と位置づけています。

訓練画像にも歴史がある

《Training Humans》は最新AIだけを紹介する展覧会ではありません。1960年代から現代まで、人間の顔や身体を分類するために使われてきた訓練画像セットの歴史を追いました。

AIを突然現れた未来技術としてではなく、写真測定、顔分類、心理学、生体認証など、長い人間分類の歴史の延長として見る視点が重要です。

日常画像がAIの原料になる

CrawfordとPaglenは、もともと日常的・記録的な目的で撮影された写真が、後に顔認識や人物追跡の訓練素材として集められる状況を問題にしました。

写真を投稿した人が、自分の画像がAI訓練へ利用されることを想定していなかった場合もあります。画像の「二次利用」は、芸術的引用だけでなく機械学習のインフラへ広がりました。

肖像写真から訓練データへ

肖像写真は人間が人間を見るための代表的な画像形式でした。しかし顔画像データセットでは、一枚の写真は個人の物語より、目、鼻、輪郭、年齢、表情など計測可能な特徴の集合として扱われます。

人物像が「誰であるか」を表す文化的画像から、機械が人物を識別・分類するための数値データへ変換されます。

2019年《From ‘Apple’ to ‘Anomaly’》

2019年9月から2020年2月まで、LondonのBarbican CurveでPaglenの《From ‘Apple’ to ‘Anomaly’》が開催されました。

Barbicanによれば、約3万点の印刷画像が主にImageNetから選ばれ、機械学習のカテゴリ体系が空間全体に展開されました。

「異常」を誰が定義するのか

「apple」のような物体カテゴリに比べ、「anomaly=異常」は関係的・価値判断的な概念です。Paglenは、AIシステムへこのような概念を組み込むことが何を意味するのかを問いかけました。

機械が客観的に異常を発見するように見えても、何を正常とし、何を逸脱とするかという基準は人間社会の分類から作られます。

「画像が私たちを見る」

Paglenは2019年Barbicanで、人間が見る画像よりも、技術システムが人間や物体を解析する画像環境が拡大していると説明しました。

従来、画像は私たちが見る対象でした。Machine Visionではカメラとアルゴリズムが私たちを検出し、特徴を抽出し、カテゴリーへ割り当てます。「見る/見られる」の方向が反転します。

AIは人間の目のように見ているわけではない

ニューラルネットワークが画像を認識する過程を「見る」と表現しますが、人間と同じ知覚体験を持つわけではありません。

画素値や特徴量を処理し、統計的なパターンから分類結果を出すシステムを、人間の視覚へそのまま擬人化することには注意が必要です。Paglenの作品は、この違いを人間に理解可能な画像へ翻訳しようとする試みでもあります。

2019年NIST顔認識評価

2019年12月、米国National Institute of Standards and Technology(NIST)は顔認識アルゴリズムの人口統計的な性能差を評価した報告書NISTIR 8280を公表しました。

NISTは約100の開発者から提出された約200のアルゴリズムを、1800万点を超える画像で評価し、多くのアルゴリズムで年齢、性別、人種・出身地域などに関連する精度差が確認されたと報告しました。

すべての顔認識が同じ精度差を持つわけではない

NISTは、アルゴリズムごとに性能が大きく異なり、すべてのシステムを一括して同じ特徴として説明するべきではないとしています。

この点は美術や批評にとっても重要です。「AIは差別的である」と一文で一般化するだけでは、どのデータ、どの用途、どのアルゴリズムで何が起きているのかが見えません。

偏りはどこから生じるのか

AIシステムの結果は訓練データ、撮影条件、分類方法、モデル設計、利用場面など複数要因に依存します。

2019年NIST報告は原因のすべてを断定するものではありませんが、顔認識精度に人口統計的差異が存在することを実証的に示しました。美術家が扱ってきた「分類の政治」が、技術評価の領域でも具体的に検証されるようになります。

可視性と権力

監視技術をめぐる問題は、カメラの台数だけでは測れません。誰が画像へアクセスでき、誰が分類ルールを設定し、誰がその結果を利用できるかが重要です。

Paglenが遠くの軍事施設を不鮮明にしか撮れない一方、国家や企業は高性能センサーとデータベースを利用できる。視覚能力の非対称性そのものが権力関係になります。

不透明性は抵抗になり得るか

Blasの仮面やSteyerlの「見えなくなる方法」は、すべてを透明にすることが必ずしも民主的ではないと問いかけます。

監視される側には、自分のデータや身体を読まれない権利も必要です。一方、国家や企業の行為については透明性が求められる場合があります。誰が不透明でいる権利を持ち、誰が説明責任を負うかは同じではありません。

見る技術を逆方向に使う

2010年代の重要な美術実践には、監視技術を拒否するだけでなく、その技術を逆方向へ向けるものがあります。

Paglenは秘密施設や衛星を撮り、Bridleはドローンの形を公共空間へ戻し、Forensic Architectureは衛星画像やスマートフォン映像を使って権力側の行為を検証します。技術は一方向に決定された道具ではなく、誰がどの目的で使うかによって役割が変わります。

上空から見る視点

衛星、ドローン、航空写真、Street Viewなど、2010年代の視覚文化では人間の目の高さとは異なる視点が日常化しました。

上空からの視点は広い範囲を一度に把握できる一方、地上の人間を小さな対象や座標として扱います。軍事・国境管理・都市計画・地図サービス・美術の間で、この視点が共有されるようになります。

衛星画像は誰の視点か

衛星画像は「神の目」のような中立的な全体像に見える場合があります。しかし衛星の軌道、センサー解像度、撮影時刻、販売条件、国家規制によって、見えるものは制限されています。

Forensic ArchitectureやPaglenの作品では、衛星画像を絶対的な証拠とせず、地上映像や証言など他の資料と組み合わせて読むことが重要になります。

画像は自分で真実を語らない

スマートフォン映像や衛星写真が存在しても、その画像だけで出来事の全体が自動的に確定するわけではありません。

撮影位置、時刻、編集の有無、前後関係、他の記録との一致を検証する必要があります。大量の画像が存在する時代ほど、何を見るかだけでなく、どう検証するかが重要になります。

生成・改変画像が増える時代

2010年代後半には、AIを使った画像生成や顔交換が急速に進歩し、「deepfake」という言葉も広く知られるようになりました。

本記事の中心は生成AIではありませんが、Forensic Architectureのような画像検証や、Paglenの訓練データ批判が重要になった背景には、画像が簡単に取得・加工されるだけでなく、その真正性を技術的に評価する必要が高まったこともあります。

美術と調査は同じなのか

Forensic ArchitectureのTurner Prize候補入りは、「調査活動を美術と呼べるのか」という問いも生みました。

この問いに一つの答えを出す必要はありません。重要なのは、現代美術制度が物体制作だけでなく、調査方法、証拠の視覚化、公開フォーラムの構築まで含む実践を評価対象へ入れたことです。

強い画像を美的に消費する危険

戦争、難民、監視、人権侵害を扱う作品は、強烈な映像を美術館で「美しい作品」として消費してしまう危険を常に持ちます。

Mosseの熱画像、Forensic Architectureの再構成、Steyerlの映像は、それぞれ異なる方法でこの問題を抱えています。作品の形式的な強さと、現実の暴力を区別しつつ関係づける必要があります。

鑑賞者の位置も変わる

従来の美術では鑑賞者は作品を見る主体として想定されてきました。Machine Visionを扱う作品では、鑑賞者自身がカメラやデータベースによって見られる対象でもあります。

展示室で監視について考えた後、スマートフォンの顔認証を使い、街頭カメラの前を歩き、オンラインへ画像を投稿する。作品の外の日常まで鑑賞経験が続きます。

鑑賞者なしでも機能する画像

Machine Visionの画像は、美術館の観客がいなくても機能します。センサーが撮影し、アルゴリズムが処理し、データベースと照合し、判断結果を別システムへ渡します。

これは美術史にとって大きな転換です。画像と鑑賞者の関係だけを分析していては、現代の視覚文化の重要部分を見落とすようになります。

表象から分類へ

写真は長く、人や物を「どのように表したか」という問題から批評されてきました。Machine Visionでは、その画像が「どのカテゴリーへ入れられたか」も同じくらい重要になります。

一人の人間を顔、年齢、性別、感情、危険度など複数のデータ項目へ分解するシステムでは、表象と分類が重なります。

データセットを作る人も「選ぶ人」である

美術館のキュレーターは作品を選び、分類し、展示します。AIデータセットの設計者もまた、画像を収集し、カテゴリを作り、名前を付けます。

両者を同一視することはできませんが、「何を集め、どう分類するか」が世界像を作るという点では共通します。《Training Humans》はデータセットを文化的な分類装置として美術館で見直す機会を作りました。

写真史からMachine Visionを見る

Machine Visionはコンピューター科学だけの歴史ではありません。警察写真、植民地期の身体計測、医学写真、パスポート写真、心理学実験など、人間を写真によって測定・分類してきた長い歴史と接続します。

2019年《Training Humans》が1960年代以前の分類技術へ遡ったのは、AIのカテゴリが歴史から切断された純粋な数理体系ではないことを示すためでもありました。

Machine VisionをAIだけに限定しない

2010年代後半にはAIが注目を集めましたが、監視視覚はAIだけで成り立っているわけではありません。

赤外線カメラ、衛星、CCTV、GPS、通信ログ、人間による映像分析、3Dモデリングなど、多様な技術と人的作業が組み合わさっています。AIという一語で全てを説明すると、この複雑なインフラが見えなくなります。

「自動化」の背後に人間の労働がある

AIの訓練画像には、画像を収集し、分類し、タグを付ける人間の労働が必要です。完全自動のように見える認識システムも、人間が作ったカテゴリと教師データに依存します。

《Training Humans》は、人間が機械に世界の見方を教えているという関係を前面に出します。

技術的精度と社会的正当性は別問題

ある顔認識アルゴリズムの精度が高いことと、その技術をどの場所・目的で使うべきかは別の問題です。

NISTのような評価機関は技術的性能を測定できますが、警察、国境、商業施設、スマートフォンなどでの利用が妥当かどうかは法律、政策、倫理、社会的合意を含む別の判断を必要とします。美術はしばしば、この測定できない部分を問題にします。

安全とプライバシーを単純な二択にしない

監視技術は防犯、認証、交通、安全管理など実用的な目的で導入されます。一方で、収集範囲、保存期間、誤認、目的外利用への懸念があります。

2010年代の美術が示したのは、「監視はすべて悪い」あるいは「安全のためなら問題ない」という二択ではなく、技術ごとに誰がデータを集め、どの権限で、どのように使うのかを問う必要があることです。

2013–2020年に何が変わったのか

2013年、通信監視をめぐる文書公開によって、監視が街頭カメラだけでなくネットワーク・インフラやメタデータへ及ぶことが広く可視化されました。同年Steyerlは《How Not to Be Seen》で過剰な可視性から逃れる不可能な方法を演じ、Blasは顔認識から逃れる集合的仮面を制作し、Bridleは軍事ドローンの輪郭を公共空間へ実物大で描きました。

2014年にはPaglen《Autonomy Cube》が匿名化通信を実際に提供する彫刻として登場し、Forensic Architectureはスマートフォン映像、衛星画像、煙、影、3Dモデルを統合してRafahの攻撃を調査しました。監視技術を可視化するだけでなく、同じデジタル技術を市民側の検証へ利用する「counter forensics」が発展します。

2016年Paglenは「Invisible Images」で、人間が見る画像より、機械が読む画像の重要性が増していると論じました。2017年《Behold These Glorious Times!》はAIの訓練画像と内部表現を美術館へ持ち込み、Mosse《Incoming》は軍事用熱画像カメラで移民・難民を撮影し、監視の視線そのものを展示しました。

2018年Forensic ArchitectureがTurner Prize候補となり、調査・証拠・人権活動と現代美術の境界が大きく議論されます。2019年にはCrawfordとPaglen《Training Humans》、Paglen《From ‘Apple’ to ‘Anomaly’》がAIの分類体系を主題化し、NISTは顔認識アルゴリズムの人口統計的な性能差を大規模に評価しました。2010年代の終わりには、画像は人間が見る表象であるだけでなく、機械が人間を識別・分類・処理するインフラとして理解されるようになっていました。

2020年代への影響

2020年代には生成AI、顔認識、画像生成モデル、自動運転、無人兵器、合成映像などがさらに広がり、Machine VisionとSynthetic Imageの境界も複雑になります。

しかし基礎にある問いは2010年代から続いています。誰がデータを集めるのか。どの画像で機械を訓練するのか。誰がカテゴリを決めるのか。画像の判断によって誰の行動が制限されるのか。美術はこれらを技術解説とは別の方法で可視化し続けています。

次の時代へ — AI生成画像とSynthetic Media

2010年代後半まで、Machine Visionの中心的な問いは「機械が画像をどう見るか」でした。2020年代には、それに加えて「機械が画像をどう生成するか」が急速に大きな問題になります。

次の記事では、2015–2023|AI ArtとSynthetic Image — GAN、生成モデル、データセット、作者性として、DeepDream、GAN、Mario Klingemann、Anna Ridler、Obvious《Edmond de Belamy》、Refik Anadol、生成モデルの訓練データ、そして2022年以降の画像生成AIまでを追います。

参考資料・出典

本ページは、美術館、研究機関、作家公式資料、大学・調査機関、公的技術評価機関、公開された政府資料等を参照してART LIBRARYが独自に構成・執筆しています。Machine Visionを一つの美術運動名としてではなく、人間以外の技術システムが画像を検出・分類・照合・処理する視覚環境と、それに対する複数の美術実践を整理するための枠組みとして用いています。監視、軍事、人権、顔認識等については、個別技術・調査ごとの事実関係と異なる立場を区別し、作品を特定の政治的結論へ単純化しないよう構成しています。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY