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2013–2020

機械が人間を見る時代へ

監視、顔認識、データをめぐる現代美術

2013年6月、米国の通信監視制度に関する機密資料が報道を通じて公開され、政府機関が膨大な通信記録を収集する仕組みが世界的な議論を呼びました。都市の監視カメラや軍事用ドローン、衛星、インターネット上のデータベースが結びつく時代に、人間の行動はどこまで記録され、誰によって調べられているのか。現代美術の作家たちも、この問いを写真、映像、彫刻、公共空間での介入へと展開していきます。

同じ2013年、ヒト・シュタイエルは《How Not to Be Seen》を制作し、精密なカメラと情報網に囲まれた世界で、どのように「見えない」存在になれるかを風刺しました。ザック・ブラスは顔認識システムによる個人識別に抵抗する集合的な仮面を作り、ジェームズ・ブライドルは軍事用ドローンの輪郭を街の地面に実物大で描きました。これらの作品は、監視という抽象的な制度を、人の身体や展示空間に触れるものへ変えています。

トレヴァー・パグレンは、国家が隠してきた軍事施設を超望遠で撮影した写真から、匿名化ネットワークに接続できる彫刻、人工知能の訓練画像を使う映像作品へと活動を広げます。パグレンの実践では、目に見える像と、その背後で働く通信・認識の技術が同時に問題になります。人間が画像を見て解釈する以前に、機械が画像を読み、分類し、別の判断につなげる社会が現れていました。

画像を扱う技術には別の使い方もあります。ロンドンを拠点とする調査機関フォレンジック・アーキテクチャーは、スマートフォン映像、衛星画像、音声、目撃証言、建築模型を突き合わせ、国家や組織の行為を検証しました。2015年に公表されたガザ地区ラファの爆撃調査や、2016年に公開されたシリアのサイドナヤ刑務所の空間再構成は、画像を証拠として読み解く新しい方法を示しました。2018年にはターナー賞の最終候補にも選ばれます。

美術館の展示室にも、監視技術の見え方を変える試みが現れました。ローラ・ポイトラスは2016年の《Astro Noise》で資料、映像、赤外線カメラを組み合わせ、鑑賞者が情報を見ながら、自らも撮影される立場を経験する環境を作りました。リチャード・モスは2017年の《Incoming》で軍事用の長距離熱画像カメラを転用し、国境を越える人々の身体を温度差として映し出しました。使われる技術の来歴と、それを美術館で見ることの倫理が作品の一部になります。

2010年代後半には、顔認識や人工知能の訓練に使われる画像へと関心が移ります。パグレンの《Behold These Glorious Times!》(2017)は、機械へ世界の分類を教える画像を映像に組み込み、2019年にはケイト・クロフォードとともに《Training Humans》を企画しました。同じ年の《From “Apple” to “Anomaly”》では約3万枚の訓練画像が会場を埋め、人間を分類するためのカテゴリーの妥当性が問われました。

本記事では2013年から2020年を中心に、写真史と監視技術の関係、スノーデン文書公開をめぐる社会の変化、主要作家の制作、調査機関の方法、機械による画像認識とデータセットの問題を追います。「機械が人間を見る」という表現を手がかりに、人間の視覚とコンピューターによる処理の違いを確認しながら、画像が権力、証拠、社会的な判断にどのように結びついたかを考えます。

監視する視覚の歴史

機械による画像認識は2013年に突然始まった現象ではありません。写真が人間を記録し、分類してきた歴史と、機械が画像を処理するために生み出されてきた映像の歴史から出発します。

写真が人間を記録し、分類してきた歴史

監視カメラ、衛星写真、軍事偵察、指紋や顔などの生体計測は、2013年に突然登場したものではありません。20世紀の写真史、軍事史、警察技術、テレビ、都市監視の歴史の中で長く発展してきました。

またHarun Farockiは2000年代までに、産業・軍事・シミュレーションのために作られ、人間の鑑賞を目的としない「operative images」を分析していました。2010年代の機械の視覚をめぐる美術は、こうした先行する問題をネットワーク、AI、巨大データセットの時代へ展開したものでもあります。

機械の視覚はコンピューター科学だけの歴史ではありません。警察写真、植民地期の身体計測、医学写真、パスポート写真、心理学実験など、人間を写真によって測定・分類してきた長い歴史と接続します。

2019年《Training Humans》が1960年代以前の分類技術へ遡ったのは、AIのカテゴリが歴史から切断された純粋な数理体系ではないことを示すためでもありました。

19世紀以降の警察写真や身分証明のための肖像写真には、個人の姿を一定の方法で記録し、後で照合できるようにする目的がありました。撮影方向、照明、背景を揃える規則も、その目的と結びついています。現代の顔認識は計算機によって複雑化していますが、人間の特徴を抽出して制度の中に登録するという発想には長い歴史があります。

監視技術の美術史を考えるとき、画像の美しさや構図とともに、画像が何の目的で作られたのかを確かめたいところです。同じ人間の顔でも、家族写真、広告、身分証、顔認識用データでは、収集と利用の条件が異なります。その違いを視覚的なものとして扱うことが、この時代の作品につながりました。(参照:プラダ財団|Training Humans(2019–20))

ハルーン・ファロッキと「作動する画像」

コンピューター・ビジョンはコンピューターが画像や映像から情報を抽出する研究・技術領域を指し、機械の視覚は工業・自動化の文脈で使われることも多い言葉です。現代美術の議論では、両者を厳密な技術分類より広く「機械が見ること」の問題として扱う場合があります。

本記事でも機械の視覚を、一つの技術規格の名称ではなく、人間以外のシステムが画像を検出、照合、分類し、その結果が社会へ作用する新しい視覚環境を考えるための言葉として用います。

2010年代後半にはAIが注目を集めましたが、監視視覚はAIだけで成り立っているわけではありません。

赤外線カメラ、衛星、CCTV、GPS、通信ログ、人間による映像分析、3Dモデリングなど、多様な技術と人的作業が組み合わさっています。AIという一語で全てを説明すると、この複雑なインフラが見えなくなります。

ドイツの映像作家ハルーン・ファロッキは、2001年からの《Eye/Machine》などで、工場の監視映像、軍事シミュレーション、機械による検査といった画像を考察しました。彼が論じた「作動する画像」は、人が眺めて楽しむための表現よりも、機械や制度が何らかの作業を実行する際に役立つ映像です。

この着眼点は2010年代の顔認識や画像分類を理解する出発点になります。画面を読む人間が主役となる映画・写真の議論を広げ、画像が機械の手順に組み込まれる過程を見せたことに、ファロッキの先駆的な意義があります。(参照:MoMA|Harun Farockiの作品と活動)

パグレンが撮影した秘密の軍事施設

Trevor Paglenは機械の視覚へ本格的に取り組む以前から、秘密軍事施設、偵察衛星、監視通信施設など、通常の視界から隠されたインフラを撮影してきました。

《Limit Telephotography》では1300mmから7000mm級の望遠鏡を使い、肉眼では確認できない遠距離の軍事施設を撮影しました。作家の公式資料は、この方法を天体写真に近い技術として説明しています。

Paglenの遠距離写真では、大気の揺らぎによって輪郭や色が崩れます。秘密施設を鮮明に暴露する調査写真とは異なり、「見ようとしても十分には見えない」という状態自体が写真になります。

監視する国家と、それを逆方向から見返そうとする市民の視覚能力には非対称性があります。Paglenはその差を、写真の不鮮明さとして可視化しました。

パグレンの《Limit Telephotography》では、遠く離れた山地や基地を天体観測に近い望遠機材で撮影します。撮影地点と目標物の間にある空気の層によって像はぼやけ、写真には風景の色面と、不鮮明な建築の形が残ります。秘密の施設を撮影したという事実と、そこに写った像を鮮明に読み取れない経験が重なります。

隠されたものを見るという行為は、カメラの性能だけで解決できる課題ではありません。撮影可能な場所、地形、国家機密、情報を得る権限といった条件が視覚に限界を設けます。パグレンはその距離を、抽象絵画にも見える写真の中に記録しました。(参照:トレヴァー・パグレン公式|Limit Telephotography)

2013年スノーデン文書公開と監視の認識

2013年6月に始まった報道は、通信監視の技術を人々が理解するための転換点になりました。監視の規模だけでなく、映像の背後にある情報と、それを管理する制度への関心が高まります。

通信監視について何が公開されたのか

2013年6月5日以降、元NSA契約職員Edward スノーデンが報道機関へ提供した資料をもとに、米国の通信監視プログラムに関する一連の文書が公開されました。ACLUの公開資料集には、Section 215にもとづく電話メタデータ収集、PRISM、UPSTREAM、XKeyscoreなどに関する文書が整理されています。

米国家安全保障局(NSA)自身もSection 215のBusiness Records FISAプログラムについて、米国内の特定通信事業者が裁判所命令により通話番号、日時、通話時間などのメタデータを提供していたことを説明しています。

報道の起点には元NSA契約職員エドワード・スノーデンが提供した資料がありました。電話の通話記録、インターネット通信の取得、情報機関による分析の方法などが、複数の文書とともに明らかになりました。制度ごとに法的根拠や取得対象は異なるため、ひとまとめの監視技術として扱う際には資料の違いにも目を向ける必要があります。

この出来事は、遠くから撮影するカメラを想像するだけでは理解できない監視の姿を示しました。通信経路や記録が集められ、保存され、照合される仕組みは普段の生活から見えにくく、社会における画像とデータの扱いを考え直す契機となりました。(参照:アメリカ自由人権協会|2013年以降のNSA関連公開文書)

監視技術が現代美術の題材になる

公開された資料は、監視が街頭のカメラだけではなく、通信インフラ、クラウド、検索、電話記録などネットワークの内部に存在することを広く認識させました。

美術でも「監視カメラに映る身体」だけでなく、見えないデータ収集、メタデータ、暗号化、ネットワーク経路、企業と国家の技術基盤が作品主題として強く現れるようになります。2013年以前からこれらを扱っていた作家も多く、スノーデン文書を唯一の起点とするのは正確ではありません。

監視技術は防犯、認証、交通、安全管理など実用的な目的で導入されます。収集範囲、保存期間、誤認、目的外利用への懸念があります。

2010年代の美術が示したのは、「監視はすべて悪い」あるいは「安全のためなら問題ない」という二択ではなく、技術ごとに誰がデータを集め、どの権限で、どのように使うのかを問う必要があることです。

この問題に応答した作家の多くは、文書公開以前から軍事技術やプライバシーに関心を持っていました。2013年には既存の活動が新しい報道と結びつき、監視の規模と生活への影響が広く語られるようになります。年代の重なりを、そのまま作品の直接的な制作動機とみなさず、作家の継続的な関心をたどることが重要です。

美術館やギャラリーで提示された作品は、制度の全容を報道資料のように説明するだけのものではありません。通信が遮断される不安、匿名のままでいたい感覚、遠くから見られる身体の位置など、情報制度を人の経験へ引き寄せる形で問題を示しています。(参照:米国家安全保障局|FISA関連情報)

画像の背後にあるメタデータ

デジタル画像には画面に見えている内容だけでなく、撮影時刻、位置情報、ファイル情報、機器情報などのメタデータが付随することがあります。

ネットワーク監視では、通信内容そのものと同様に、誰が誰と、いつ、どの機器から接続したかという関係情報が重要になります。2010年代の美術は、可視画像の背後にあるデータ構造へ視線を移していきました。

通信履歴と画像ファイルに付随する情報は性質が異なりますが、どちらも内容そのもの以外の関係を記録することがあります。撮影場所や日時、端末、画像の共有経路が分かれば、一枚の画像を別の記録と結びつけられます。写真に写っているものと、写真がどこを通ってきたかの両方が意味を持つ時代です。

こうした情報は調査に役立つ反面、当人が予期していなかった追跡にも利用され得ます。画像が大量に共有される文化と、通信インフラに蓄積するデータの存在がつながったことが、2010年代に特徴的な状況でした。(参照:アメリカ自由人権協会|2013年以降のNSA関連公開文書)

シュタイエルと「見えないこと」

ヒト・シュタイエルの《How Not to Be Seen》(2013)は、可視性が増す社会を笑いと不安が混じる映像として提示しました。解像度、画像への変身、消失という奇妙なレッスンをたどります。

《How Not to Be Seen》の五つのレッスン

2013年、Hito Steyerlは《How Not to Be Seen: A Fucking Didactic Educational .MOV File》を制作しました。MoMAはこの作品を、新しい高度な監視技術が存在する時代に「見えなくなる」方法を風刺的な教育映像として提示する作品と説明しています。

映像は実用的なプライバシー講座ではありません。可視性が権利や表象の問題である一方、監視社会では「見られないこと」もまた重要になるという矛盾を扱います。

作品では、カメラから隠れる、画像になる、1ピクセル以下になる、消えるといった不可能・誇張された方法が次々に提示されます。

このユーモアは監視技術を軽視するためではありません。現代社会では、完全に可視性から逃れることそのものが現実的ではないという状況を強調しています。

作品は教育ビデオのような形式で始まり、「カメラから見えなくなる」「ありふれた場所で見えなくなる」「画像になることで見えなくなる」といった課題を提示します。実写映像、CG、合成された人物の姿が切り替わり、真面目な講義の語り口と不可能な方法とのずれがユーモアを生みます。

映像を見るうちに、見えることが誰にとって利益となるのかという問題が浮かびます。人権や承認のために可視化を求めてきた歴史と、データ収集から離れるために不可視性を望む経験が同じ社会で共存することを、作品は映像の構成そのものから示しています。(参照:MoMA|シュタイエル《How Not to Be Seen》(2013))

砂漠の解像度ターゲットを舞台にする

《How Not to Be Seen》の多くは、米国Californiaの砂漠に残る写真測量用の解像度ターゲットで撮影されました。上空から撮影するカメラの解像能力を調整するために使われた巨大な図形です。

Steyerlはそこへ人間の身体やコンピューター画面を重ね、見る技術の尺度そのものを作品空間へ変えます。人間が見えるか見えないかが、カメラや画像解像度の数値によって決定される世界が風刺されます。

撮影に使用された砂漠の図形は、航空写真の撮影性能を測るための標識として作られたものでした。白黒の形が広大な地面に描かれ、人間の体よりはるかに大きな尺度が現れます。シュタイエルはそこに人物を立たせ、画像をどの程度細かく測れるかという技術的な問題を、身体の可視性の問題へ変えます。

デジタル画像ではピクセル数や縮小表示の条件によって、記録されたものが画面上で見えなくなることがあります。作品ではこの現象が、不可能な隠れ方のレッスンとして誇張されます。画面を通して人間を把握する方法が、決して自然な視覚だけからできているわけではないことが伝わります。(参照:MoMA|《How Not to Be Seen》作品解説)

見られることが持つ複数の意味

20世紀後半の多くの社会運動では、見えなくされてきた人々が可視性を獲得することが重要でした。監視やデータ収集が拡大すると、可視化されることは管理されることにもなります。

Steyerlの作品は、「見える=良い」「見えない=抑圧」という単純な関係を崩します。誰が誰を見るのか、画像が何に使われるのかによって可視性の意味は変わります。

Blasの仮面やSteyerlの「見えなくなる方法」は、すべてを透明にすることが必ずしも民主的ではないと問いかけます。

監視される側には、自分のデータや身体を読まれない権利も必要です。一方、国家や企業の行為については透明性が求められる場合があります。誰が不透明でいる権利を持ち、誰が説明責任を負うかは同じではありません。

社会的な場面で自分の存在を示すことは、権利や承認につながる重要な行為です。同時に、記録されることが監視や評価の制度へ結びつく場合もあります。シュタイエルの問いは、可視性の利益と危険が誰にどう配分されるのかという問題へ向けられています。

作者自身が登場する映像は、観客を単なる外部の観察者として安定させません。鑑賞者も普段はスマートフォンや監視カメラに撮影され、その画像が別の制度で使われる立場にあります。ユーモアに支えられた作品が、鑑賞後の日常にも持続する理由です。(参照:MoMA|《How Not to Be Seen》作品解説)

ザック・ブラスと顔認識への抵抗

ザック・ブラスは、顔を数値へ変換する技術に対して、複数の人の顔を重ね合わせた仮面や、計測図を立体化した構造物を制作しました。個人の身体を測る技術と、集団として振る舞う身体を対照させます。

《Facial Weaponization Suite》と集団の顔

Zach Blasは2012–14年《Facial Weaponization Suite》を展開し、生体認証による顔認識と、それが人間を分類する方法を批判的に扱いました。

作家の公式資料によれば、ワークショップ参加者の顔データを集約し、特定個人の顔ではない「collective masks」を制作しました。形状は顔認識システムから人間の顔として検出されにくいよう設計されています。

顔認識技術は、一人ひとりを区別し、特定のアイデンティティへ結びつけることを目的にします。Blasの仮面は逆方向に進みます。

複数人の生体データを一つに集約することで、「これは誰の顔か」と問えない像を作ります。個人識別のためのデータを、識別不能な集合的表象へ変換します。

2012年から14年にかけての《Facial Weaponization Suite》では、参加者の顔を測定し、集めたデータから一人ひとりの輪郭へ還元できない仮面を作りました。その曲面は滑らかで奇妙な塊のように見え、口や鼻など通常の顔の手がかりが読み取りにくくなっています。制作過程のワークショップと、完成した仮面を身につける集団の行動が結びついています。

仮面をかぶる行為には、個人として識別される状態を変え、他者と連帯する意味があります。ブラスはこの身振りを生体認証の技術と接続し、顔の計測から生まれた情報を、再び個人へ当てはめられない形に組み直しました。(参照:ザック・ブラス公式|Facial Weaponization Suite(2012–14))

クィアの身体と分類の政治

《Facial Weaponization Suite》の一部では、クィア男性の顔データを集約したピンク色の仮面が制作されました。これは顔から性的指向を推定できると主張する科学的・疑似科学的研究への応答でもありました。

作品は「正しいクィアの顔」を提示するのではなく、性的指向を顔の形状から固定的に読み取ろうとする発想そのものを拒否します。

Blasは別の仮面で、黒さを複数の意味から扱いました。作家は、顔認識技術が暗い肌を検出しにくい問題、政治的抵抗における黒色、情報的な不透明性を重ねています。

ここでも作品は単なるプライバシー道具ではありません。技術的な認識エラーと、人種化された視覚制度がどのように接続するかを問い直します。

ピンク色の《Fag Face Mask》には、顔の形状と性的指向を結びつけようとする研究への批判が含まれています。作家は複数の参加者のデータを重ね、固定的な「典型の顔」を設定する発想へ応答しました。仮面は数値の結果を示す図としても、公共空間で着用される物体としても機能します。

別の仮面では、暗い肌の検出と技術的な偏り、抵抗の象徴としての黒色、読み取られにくさの意味が重ねられています。顔を扱う技術が、社会にすでに存在する人種やジェンダーの分類とどのように交わるかを考える機会となります。(参照:ザック・ブラス公式|Facial Weaponization Suite(2012–14))

《Face Cages》に現れる計測と身体のずれ

《Face Cages》(2014–16)では、顔を解析するための数値的な線や格子を三次元の金属構造物として制作し、実際の身体へ装着しました。コンピューター画面では正確な特徴の記述として扱われる線が、顔に触れる硬い枠となります。作家はクィアの表現者たちの顔を参照し、その装置を身につける持続的なパフォーマンスを映像に残しました。

金属の枠と柔らかい身体が接するとき、計測の制度が想定する抽象的な顔と、痛みや重さを感じる身体との差がはっきりします。個人を定義するための図が、人を拘束する檻のように感じられることが、この作品の造形的な強さにつながっています。

《Facial Weaponization Suite》が集団の匿名性を探ったのに対し、《Face Cages》は分類の線が一人の身体に戻ってくる経験を扱います。(参照:ザック・ブラス公式|Face Cages(2014–16))

ジェームズ・ブライドルと軍事用ドローン

ジェームズ・ブライドルの《Drone Shadow》は、上空にあるため普段は大きさを意識しにくい軍事用ドローンを、地面に引かれた輪郭へ変換しました。公共空間を通る人の身体が尺度になります。

《Drone Shadow》が街路に現れる

James Bridleは2012年から《Drone Shadow》を展開し、軍事用無人機の実物大の輪郭を道路や公共空間へ描きました。

飛行中のドローンは地上から見れば小さな点にしか見えないことがあります。Bridleはその実際の大きさを地面へ1対1で描くことで、遠隔戦争の機械を身体的なスケールへ戻しました。

2013年にはBrightonの海岸にReaper droneの輪郭が描かれ、同年Washington, D.C.のCorcoran付近にも別の《Drone Shadow》が設置されました。

作家の公式サイトは、機種や設置場所を具体的に記録しています。作品は兵器の画像を見せるのではなく、その輪郭が公共空間を占有することで、人間の身体とのサイズ差を経験させます。

初期作の《Drone Shadow 001》は2012年2月にロンドンで実施されました。道路に白い線で引かれた機体の輪郭には、高度から地上を見る装置の実際の広がりが表れています。通行人は線の内部を歩いたり、その外側から眺めたりすることで、兵器の大きさを自身の歩幅と比較できます。

このような作品では、映像を展示室へ持ち込む代わりに、遠くの技術の形を街へ持ち帰ることが行われます。地面の線は天候や通行によって消え、写真として広く記録・共有されます。作品が現れる場所と、後に画像として広がる経路の両方が重要です。(参照:ジェームズ・ブライドル公式|Drone Shadow 001(2012))

作品の複製を可能にする手引き

Bridleは2013年《Drone Shadow Handbook》を公開し、他者が独自にドローン輪郭を描けるよう図面と方法を提供しました。

公式資料によれば、この手引きを使って作家本人が関与しない複数の《Drone Shadow》が制作されました。監視・軍事技術を可視化する方法自体を配布することで、作品は一地点のオブジェから再実行可能な手順へ広がります。

2013年に公開された《Drone Shadow Handbook》には、ドローンの輪郭を描くための方法が整理されています。作家の説明によれば、この資料を用いて本人が関与しない場所でも作品が再制作されました。特定の会場で完成した作品が、その後に別の土地で実行される行為へと広がったことになります。

実物大で描くためには正確な形と寸法が必要です。兵器を身近に感じさせるための制作方法が文書として共有されることにより、作品は特定の所有物だけに収まらない公共的な介入となりました。(参照:ジェームズ・ブライドル公式|Drone Shadow Handbook)

空から見る機械と地上の身体

軍事用ドローンは攻撃手段であるだけでなく、カメラ、赤外線センサー、通信装置を搭載した観測システムでもあります。

そのためドローンをめぐる美術では、兵器の形態と同時に「誰が上空から誰を見るのか」という視覚的非対称性が重要になります。Bridle、Paglen、Mosseらはそれぞれ異なる方法でこの問題へ接近しました。

衛星、ドローン、航空写真、Street Viewなど、2010年代の視覚文化では人間の目の高さとは異なる視点が日常化しました。

上空からの視点は広い範囲を一度に把握できる一方、地上の人間を小さな対象や座標として扱います。軍事・国境管理・都市計画・地図サービス・美術の間で、この視点が共有されるようになります。

軍事用ドローンは撮影、通信、追跡、状況によっては攻撃を行うための機械です。地上にいる人からその全体像が見えなくても、機体の側には人や建物を捉えるためのセンサーがあります。見る側と見られる側の位置が遠く隔たる構造は、遠隔操作の技術に特徴的です。

ブライドルの輪郭は画像から実物大の線へ変換され、地上の身体が兵器を見返す状況を作ります。その行為によって機体の性能や軍事制度が変化するわけではありませんが、数値や画面上の記号でしか知らなかった対象を、身体の尺度で捉える手がかりが生まれます。(参照:ジェームズ・ブライドル公式|Drone Shadow 003)

パグレン《Autonomy Cube》と通信のインフラ

監視という問題を鑑賞者の通信行動へ結びつけた作品として、パグレンの《Autonomy Cube》(2014)が挙げられます。立方体の造形と、内部で動く通信装置の機能を併せ持ちます。

透明な立方体の内部にあるもの

Paglenの《Autonomy Cube》(2014)は、透明なPlexiglasの立方体内部に二つのマザーボードと無線ネットワーク装置を収めたインスタレーションです。SFMOMAは、機能する無線サーバーを含む作品として収蔵しています。

展示空間に置かれたミニマルな透明立方体のように見えますが、作品は通信インフラとして実際に動作します。

《Autonomy Cube》は透明な樹脂の立方体に、実際に機能するマザーボードや無線通信装置を収めた作品です。SFMOMAの所蔵資料では2014年制作、2016年収蔵と記録されています。ミニマルな彫刻にも見える透明な形の内部に、日常の通信経路を変え得る機器が存在します。

外側の透明さは装置の構造を眺める手がかりになります。実際の通信処理は目で追うことができず、彫刻の内部には見える素材と見えない機能の両方があります。作品の主題が監視やプライバシーであることと、造形上の透明性が重なります。(参照:SFMOMA|トレヴァー・パグレン《Autonomy Cube》)

Torネットワークに接続する展示空間

《Autonomy Cube》は展示場所で来場者へWi-Fiを提供し、その通信を匿名化ネットワークTorへ接続するよう設計されました。

美術館で通信監視についての画像を見るだけではなく、鑑賞者の通信経路そのものを作品が変える。彫刻、ネットワーク装置、プライバシー技術が一つの作品で重なります。

展示される場所によって、《Autonomy Cube》は来場者が利用する無線ネットワークをTorへ接続するよう構成されます。Torは通信の中継を重ねて経路を分かりにくくする技術で、プライバシー保護や検閲への対処などの目的で利用されてきました。個々の設定や利用方法によって保護できる範囲は異なります。

鑑賞者は立方体を眺めることに加え、接続するという行為で作品へ関わります。作品が提供する通信機能によって、彫刻の経験が展示室からネットワーク上の活動へ続いていきます。(参照:SFMOMA|トレヴァー・パグレン《Autonomy Cube》)

情報インフラを作品として展示する

インターネットは画面上のウェブサイトだけでできていません。ルーター、ケーブル、データセンター、暗号化方式、通信プロトコルなど見えにくい物理・技術基盤があります。

2010年代の監視をめぐる美術では、画像を制作するだけでなく、このインフラそのものを展示し、変更し、可視化する方法が増えました。

監視技術をめぐる問題は、カメラの台数だけでは測れません。誰が画像へアクセスでき、誰が分類ルールを設定し、誰がその結果を利用できるかが重要です。

Paglenが遠くの軍事施設を不鮮明にしか撮れない一方、国家や企業は高性能センサーとデータベースを利用できる。視覚能力の非対称性そのものが権力関係になります。

ウェブサイトを開く操作の背後には、ルーター、サーバー、通信契約、経路の選択など多くの仕組みがあります。通常は目立たないその部分が、透明な立方体の中に収められることで鑑賞の対象になります。物質的な彫刻と、通信を実行する機能が一つの展示空間で重なります。

パグレンが秘密施設を撮影した作品は見えない場所へカメラを向ける方法でした。《Autonomy Cube》は別の方向から、画像や文章がどこを通って届くのかという条件へ触れています。見ることの政治が、接続することの政治へ広がった例です。(参照:SFMOMA|トレヴァー・パグレン《Autonomy Cube》)

フォレンジック・アーキテクチャーの登場

2010年に設立されたフォレンジック・アーキテクチャーは、画像や空間情報を使って暴力や人権侵害を検証してきました。美術館でも紹介される活動ですが、その成果は調査や公的な証拠提示にも使われます。

建築、映像、証言を扱う調査機関

フォレンジック・アーキテクチャーはEyal Weizmanによって2010年にGoldsmiths, University of Londonで設立された調査機関です。Goldsmithsは、人権侵害、警察・軍・国家・企業による暴力などを、空間分析、公開情報調査、デジタル・モデリング、証言などを組み合わせて調査すると説明しています。

彼らの成果は美術館だけでなく、裁判所、議会調査、国際機関、NGO、報道など複数の場で提示されます。

フォレンジック・アーキテクチャーを「政治的な映像作品を作るアート集団」とだけ説明すると不正確です。調査の主要な目的には、事実関係の検証、証拠の提示、人権侵害をめぐる公的議論への介入があります。

その画像、模型、映像、地図はdocumenta、ICA、Tateなど美術制度でも展示され、美術が証拠生産や調査方法をどこまで含み得るのかという問題を生みました。

建築家・研究者エヤル・ヴァイツマンによってロンドン大学ゴールドスミスに設立されたフォレンジック・アーキテクチャーには、建築、映像制作、調査報道、空間分析など異なる分野の専門家が関わっています。調査に必要な方法を事件ごとに組み合わせ、時間や位置を再構成して資料間の関係を明らかにします。

美術館でその成果を見た観客は、証拠をどのように構築したのかという工程にも触れます。調査の目的と、展示によって生じる鑑賞体験を区別することで、この活動が美術制度へもたらした新しい問いが見えてきます。(参照:ロンドン大学ゴールドスミス|フォレンジック・アーキテクチャー)

公開された画像をどう検証するのか

スマートフォン、SNS、衛星画像、報道映像が普及すると、事件現場に関する大量の断片的映像が一般市民から公開されるようになりました。

フォレンジック・アーキテクチャーはこれらを単独の「真実の写真」として扱うのではなく、撮影地点、時刻、影、煙、建築形状、音、メタデータなどを照合し、複数資料を空間的なモデルへ配置します。

スマートフォン映像や衛星写真が存在しても、その画像だけで出来事の全体が自動的に確定するわけではありません。

撮影位置、時刻、編集の有無、前後関係、他の記録との一致を検証する必要があります。大量の画像が存在する時代ほど、何を見るかだけでなく、どう検証するかが重要になります。

スマートフォンで撮られた映像は、SNSや報道を通じて素早く広がります。事件の周辺で撮影された動画が複数残っていても、撮影された位置や時刻が分からなければ、同じ出来事を指しているか判断しにくいことがあります。調査では建物の形、影の方向、看板、道路、地形などを手がかりに、映像の撮影位置を特定していきます。

この作業では一枚の衝撃的な画像よりも、異なる資料がどのように一致し、どこで食い違うのかが重要になります。データを集める工程と、結論を説明可能な形で示す工程を分けて考える姿勢が、美術館の展示でも大きな意味を持ちます。(参照:ロンドン大学ゴールドスミス|フォレンジック・アーキテクチャー)

「反転した法科学」という考え方

ICAはフォレンジック・アーキテクチャーの「counter forensics」を、国家機関が個人を調査する通常の法科学的視線を、市民社会側から国家や制度へ向け直す方法として説明しています。

監視装置を避けるだけでなく、一般市民が利用可能なカメラ、衛星画像、オープンデータ、3D技術を使い、権力側の行為を検証する。ここでは画像技術は監視の道具にも、監視を検証する道具にもなります。

フォレンジック・アーキテクチャーでは「aesthetics」を美しさという意味だけではなく、感覚可能なものをどのように知覚し、提示し、判断するかという広い意味で扱います。

画像を美術館に展示することと、裁判や公的調査で証拠として提示することでは、必要な説明や信頼性の基準が異なります。同じ視覚資料が複数の「forum」で別の役割を持つことが重要です。

国家機関が市民を調べるために使ってきた撮影技術や分析方法を、市民社会の側が国家や企業の行為を検証するために使う。この視線の向きの変更が「カウンター・フォレンジクス」という考え方の中心です。衛星画像、映像、3Dモデルは、それ自体で公正さを保証する技術ではありません。どの立場から、何を検証するかによって役割が変わります。

調査結果を公開する際には、結論を支える画像を選び、時系列と空間を分かりやすく示す必要があります。視覚表現の技術が、証拠の説明に役立つことを示した点でも、この活動は美術史に新しい問題をもたらしました。(参照:ロンドン現代美術協会|フォレンジック・アーキテクチャーの調査と方法)

2014年ラファ爆撃と画像の再構成

2014年のガザ地区ラファをめぐる調査は、公開された画像を三次元空間と時間軸へ組み込む方法を具体的に示しました。2015年に公表された調査の工程を、映像の読み方からたどります。

2014年の出来事と2015年の調査発表

2014年8月1日のGaza・Rafahでの攻撃について、フォレンジック・アーキテクチャーとAmnesty Internationalは現地への立入を認められなかったため、市民や報道者が公開・提供した数千点の画像と映像を中心に調査しました。

フォレンジック・アーキテクチャーの公式記録では、カメラ位置、衛星画像、地上写真、煙、影、爆発跡を3Dモデル上で照合し、多数の攻撃地点と時間を再構成しました。

2014年8月1日のラファでの攻撃をめぐり、フォレンジック・アーキテクチャーはアムネスティ・インターナショナルから委託を受けて調査を行いました。調査チームは現地へ自由に入ることができず、住民や報道関係者が撮影した膨大な画像を利用しました。公式サイトは成果の公開日を2015年7月31日と記録しています。

調査によって提示されたのは、一つの事件を象徴する写真だけではありません。異なる地点と時間に撮られた映像が、街路や建物を再現したデジタル模型の中で相互に関連づけられました。出来事がどこで、いつ進行したのかを読み取る方法そのものが公開されています。(参照:フォレンジック・アーキテクチャー|The Bombing of Rafah(2015))

煙、影、爆発跡を読む

爆撃後に生じる煙は一見すると曖昧な画像ですが、複数の角度から撮影された映像を比較すれば、同じ爆発を特定する手がかりになる場合があります。

フォレンジック・アーキテクチャーは煙の形や位置を3D空間へ再構成し、異なる動画を同じ出来事へ同期させました。画像の背景と思われた雲が、時刻と位置を結びつける証拠になります。

煙は刻々と形を変えるため、一見すると位置を決めにくい対象です。調査では複数のカメラが捉えた煙の形状を照合し、同じ爆発を別の角度から見たものかどうかを確認しました。影の方向、衛星画像の建物の位置、地上の衝突痕なども組み合わせることで、断片的な映像を時刻と地点へ接続しています。

動く煙が証拠として扱われるのは、その形が自然に答えを語るためではありません。比較するための空間模型と複数の資料があり、変化の過程を一つずつ検証できるためです。調査の工程を可視化することが、観客や第三者の理解へつながります。(参照:フォレンジック・アーキテクチャー|The Bombing of Rafah(2015))

画像・位置情報・時間の重なり

2018年ICA《Counter Investigations》では、フォレンジック・アーキテクチャーの方法を説明する重要概念の一つとして「Image-Data Complex」が挙げられました。

現代の画像は単独で読むのではなく、撮影位置、時刻、通信記録、建築、証言、気象、衛星データなどと結びついて意味を持ちます。画像とデータを切り離さずに読む方法が、調査と現代美術の双方で重要になります。

衛星画像は「神の目」のような中立的な全体像に見える場合があります。衛星の軌道、センサー解像度、撮影時刻、販売条件、国家規制によって、見えるものは制限されています。

フォレンジック・アーキテクチャーやPaglenの作品では、衛星画像を絶対的な証拠とせず、地上映像や証言など他の資料と組み合わせて読むことが重要になります。

フォレンジック・アーキテクチャーの調査には、画像をそれ単独で見る経験から、時間や場所に結びついた情報の束として扱う方法が見られます。衛星写真の撮影時刻、道路の配置、動画の撮影方向などの手がかりを突き合わせ、資料の間に検証可能な関係を作ります。

調査用の地図や3Dモデルは、出来事のすべてを一つの視点から見渡せるようにするための道具です。その視点も調査者によって構成されており、資料に残っていない部分は確実に示すことができません。何が確認され、何がなお分からないかを区別できることが、こうした表現の強みになります。(参照:フォレンジック・アーキテクチャー|The Bombing of Rafah(2015))

《Factory of the Sun》とデジタルの身体

シュタイエルは2015年、映像と展示空間を結びつけた《Factory of the Sun》を発表しました。CGで作られた世界に、監視、労働、遊戯、抵抗の身振りが重ねられています。

2015年ヴェネツィアで発表された映像

《Factory of the Sun》(2015)はヴェネツィア・ビエンナーレのドイツ館で発表されました。展示室には青い格子が広がり、鑑賞者は椅子に座りながら映像を見ることになります。画面の中には、ゲームのような空間、ニュース番組のような場面、踊る身体、ドローンの映像が次々と現れます。

映像の中では人間の運動がデータとして集められ、架空の労働と結びついています。鑑賞者は画面の世界へ入り込むと同時に、そこに描かれる労働の仕組みを外側から考える位置にも置かれます。作品が持つユーモアと視覚的な華やかさは、その不安をいっそう際立たせます。

2016年のホイットニー美術館《Dreamlands》は、この作品を没入型映像の歴史の中で紹介しました。(参照:ホイットニー美術館|《Factory of the Sun》展示解説)

モーションキャプチャーと労働

モーションキャプチャーは、人間の動きを計測してデジタルの身体や映像へ変換する技術です。《Factory of the Sun》では踊る動作がデータとして扱われ、画面の人物が楽しげに動いているように見える場面にも、労働と管理の問題が潜んでいます。身体を使う活動が計測され、別の目的へ移されるという構造が作品の中心にあります。

青い格子の展示空間は、CG制作のためのスタジオを思わせます。見る人が座る位置も格子の内部に置かれ、現実の展示室と架空の映像世界が同じ座標を共有しているように感じられます。技術によって身体が記録される状況を、映像と空間の組み合わせで表した作品です。

映像の中での踊りは管理される対象となりながら、同時に抵抗の表現としても現れます。(参照:ホイットニー美術館|《Factory of the Sun》展示解説)

娯楽、監視、映像の快楽が交差する

戦争、難民、監視、人権侵害を扱う作品は、強烈な映像を美術館で「美しい作品」として消費してしまう危険を常に持ちます。

Mosseの熱画像、フォレンジック・アーキテクチャーの再構成、Steyerlの映像は、それぞれ異なる方法でこの問題を抱えています。作品の形式的な強さと、現実の暴力を区別しつつ関係づける必要があります。

映像にはゲーム、ネット動画、ニュース、映画のような形式が混在し、場面はめまぐるしく切り替わります。監視と労働をめぐる批判が、娯楽映像のリズムや魅力を伴って届けられることも、この作品の重要な特徴です。観客は面白さに引き寄せられながら、データ化された身体の不自由さを考えることになります。

シュタイエルの《How Not to Be Seen》が画像から消える方法を扱ったのに対し、《Factory of the Sun》では身体を動かす行為そのものがシステムへ取り込まれます。二つを並べると、可視性の問題が、労働と娯楽を含む広い社会の仕組みへ展開していく様子が分かります。(参照:ホイットニー美術館|《Factory of the Sun》展示解説)

ローラ・ポイトラスと監視の記録

スノーデン文書公開に深く関わった映画監督・ジャーナリストのローラ・ポイトラスは、2016年の美術館展で記録と鑑賞の関係を変えました。《Astro Noise》では映像、文書、建築的な仕掛けが一つの展示空間に配置されます。

《Citizenfour》から美術館展示へ

ローラ・ポイトラスはスノーデンと接触し、2013年の報道に関わったジャーナリストの一人です。ドキュメンタリー映画《Citizenfour》(2014)は、資料公開をめぐる人物と状況を映像に記録した作品として知られています。2016年、ニューヨークのホイットニー美術館では個展《Astro Noise》が開催されました。

《Astro Noise》は2016年2月5日から5月1日まで開催され、記録映像、文書、音響、展示室の構造を組み合わせています。ニュースで知られた事柄をそのまま掲示する方法に加え、鑑賞者が空間を移動しながら複数の立場を経験できる構成が採用されました。

報道と映画制作、美術館でのインスタレーションは、資料を共有しながら、見る人へ異なる時間と距離を与えています。(参照:ホイットニー美術館|ローラ・ポイトラス《Astro Noise》(2016))

《Astro Noise》の展示空間と観客

展示に含まれる《Bed Down Location》(2016)は、鑑賞者が横になるような姿勢で映像を見る環境を含み、赤外線カメラや閉回路映像も使用しました。通常は遠くから人間を監視するための技術が、美術館を訪れた観客の身体を捉える装置として現れます。

ここで鑑賞者は監視を説明する資料を見るだけでなく、自身がどのように記録されるかを意識する立場になります。映像が投影される場所、観客の姿勢、照明、赤外線カメラが一体となり、記録と観察の関係を空間的に経験させます。

展示は戦争、ドローン攻撃、監視、収容といった異なる事柄を扱い、情報の受け手が自身の位置を問い直す構造になっています。(参照:ホイットニー美術館|《Astro Noise》出品作品一覧)

報道の資料を展示することの意味

美術館の展示室には、実際の出来事を記録した映像や文書と、作家が構成した視聴環境が併存していました。資料を作品と並べて提示することによって、観客がそれをどのような順序で見て、どの距離から判断するかという問題が表れます。ポイトラスの活動は報道と美術の双方に属し、それぞれの場で証拠の使われ方が異なります。

ホイットニー美術館は展示に関連してプライバシーや暗号化を扱う企画も実施しました。美術館は作品を見る場所であるとともに、監視技術への理解を深めるための公開の場にもなります。展示と関連行事が結びついた点は、この時代の美術館の役割を示しています。

同時代に活動したフォレンジック・アーキテクチャーとも、資料を鑑賞の場へ持ち込む方法を比較できます。(参照:ホイットニー美術館|Preserving Privacy(2016))

サイドナヤ刑務所と音の証拠

2016年に公開されたサイドナヤ刑務所の調査は、撮影画像が乏しい場所について、音の記憶と空間の模型を結びつける方法を示しました。機械の視覚を扱う歴史に、聴覚と証言が加わります。

見えない収容施設を再構成する

フォレンジック・アーキテクチャーはAmnesty Internationalと協働し、SyriaのSaydnaya軍事刑務所について、元収容者の記憶と音響的証言をもとに建築空間をデジタル再構成しました。

ICAの記録ではLawrence Abu Hamdanが音響調査へ参加しています。秘密施設の内部写真がほとんど存在しないため、目撃者が聞いた扉、足音、距離、反響などが空間復元の重要な情報になりました。

フォレンジック・アーキテクチャーはアムネスティ・インターナショナルと協働し、シリアのサイドナヤ刑務所の内部空間を再構成しました。収容されていた人々の証言を集め、部屋の大きさ、廊下の配置、扉の位置などを段階的に検討しました。公式資料では、建築と音響のモデル化を用いた調査として位置づけられています。

撮影可能な映像が少ない場所では、証言を立体的な形に変えるための慎重な作業が必要になります。調査の画面は単独で完成した写真より、証言に応じて修正される模型に近く、何が判明し、何が推定にとどまるかを確認しながら構成されます。(参照:フォレンジック・アーキテクチャー|Torture in Saydnaya Prison)

聴覚的な記憶を空間へ結びつける

機械の視覚を扱う記事で音を取り上げることには意味があります。監視・調査は視覚だけでは成立しません。

Saydnaya調査では、目隠しされた元収容者の聴覚的記憶が建築モデルと組み合わされました。「証拠画像がないから見えない」で終わらず、異なる感覚情報から空間を構成する方法が示されました。

調査には音響を扱う作家・研究者ローレンス・アブ・ハムダンも関わりました。建物の中で耳にした扉の音、足音、声や反響などを手がかりに、壁や部屋の位置を検討する方法が採用されました。視覚的な記憶が乏しいことを、調査を断念する理由とせず、異なる感覚情報を組み合わせています。

音を聞いた人の記憶には、距離や時間の感覚が含まれています。こうした情報を模型や音の再現と照合すれば、目に見える画像がなくても空間の構造を探ることができます。この方法は、視覚だけを特権的な証拠として扱ってきた制度を問い直す契機にもなります。(参照:ローレンス・アブ・ハムダン|Saydnaya)

証拠の信頼性と再構成の責任

フォレンジック・アーキテクチャーでは「aesthetics」を美しさという意味だけではなく、感覚可能なものをどのように知覚し、提示し、判断するかという広い意味で扱います。

画像を美術館に展示することと、裁判や公的調査で証拠として提示することでは、必要な説明や信頼性の基準が異なります。同じ視覚資料が複数の「forum」で別の役割を持つことが重要です。

フォレンジック・アーキテクチャーの調査は裁判所、議会、国際機関、記者会見、地域集会、美術館など複数の場へ提示されます。

同じ映像であっても、法廷では証拠能力が、美術館では視覚文化や権力構造を考える契機が問われます。資料の意味は提示される制度によって変化します。

建築模型や映像を作ることは、調査者による選択を伴います。どの証言をどの場所へ配置し、どの不確実性を残すかという判断が、最終的な画像の見え方を左右します。フォレンジック・アーキテクチャーの方法では、模型を証言や資料と結びつけ、その根拠を説明する姿勢が重要です。

美術館で見る人にとって、精密に作られた建築模型は強い視覚的説得力を持ちます。実際にどの部分が確認された事実で、どの部分が検証を要する推定なのかを読むことも鑑賞の一部になります。表現の力と、証拠に求められる慎重さが同じ場に存在します。(参照:ロンドン現代美術協会|フォレンジック・アーキテクチャーの調査と方法)

人間が見ない画像の登場

2016年、パグレンは論考「Invisible Images」で、画像が機械によって解析され、社会の中で作動する状況を論じました。写真の意味を人間の鑑賞だけから考える視点が広がります。

2016年「Invisible Images」という提起

2016年12月、Trevor PaglenはThe New Inquiryに「Invisible Images (Your Pictures Are Looking at You)」を発表しました。

Paglenは、デジタル画像文化の大きな変化は単に画像量が増えたことではなく、多くの画像が人間の目を経由せず機械によって解析され、現実の処理を起動するようになった点にあると論じました。

2016年12月8日に発表されたこの文章で、パグレンは、人間が見なくても機械が扱える画像が現代社会に増えていることを指摘しました。街のカメラが撮影した車のナンバーがソフトウェアで読み取られ、蓄積された情報へ照合されるような仕組みでは、画像の役割は記録を表示することにとどまりません。

文章の大きな問いは、画像が誰に向けて作られ、どのような社会的な処理を引き起こすのかという点です。画像を目で見る経験が重要であり続ける時代に、その外側に広がる視覚技術の活動を理解する必要があると論じています。(参照:トレヴァー・パグレン|Invisible Images(2016))

画像が何かを作動させる

従来の写真論では、画像が何を表象し、誰がどう解釈するかが中心的な問いでした。Paglenは機械の視覚では画像がその先へ進み、ナンバープレートを読み、顔を照合し、商品の欠陥を検出し、移動を追跡すると指摘します。

つまり画像は「世界について何かを意味するもの」だけでなく、「世界で何かを実行するもの」になります。

写真は長く、人や物を「どのように表したか」という問題から批評されてきました。機械の視覚では、その画像が「どのカテゴリーへ入れられたか」も同じくらい重要になります。

一人の人間を顔、年齢、性別、感情、危険度など複数のデータ項目へ分解するシステムでは、表象と分類が重なります。

人間が写真を見て意味を読み取る場合、記憶や感情、経験が解釈へ影響します。機械が画像を扱う場合には、あらかじめ設定された認識対象や判断手順に応じて、画素の特徴から情報が取り出されます。結果が記録され、検索に使われ、別のシステムへ送られることもあります。

パグレンは、画像を「何かを表すもの」として見るだけでなく、「何かを実行するもの」として考える必要を示しました。芸術作品を含む写真史の長い議論を踏まえつつ、画像によって操作される社会の仕組みを問題にしています。(参照:トレヴァー・パグレン|Invisible Images(2016))

機械の処理と人間の知覚の違い

監視カメラの映像がすべて人間の担当者に見られているとは限りません。画像解析ソフトウェアが自動で特徴を検出し、条件に合うものだけを別の処理へ送ることができます。

Paglenが「Invisible Images」と呼ぶのは、画面が物理的に透明だからではなく、人間の鑑賞を目的としない画像世界が巨大化しているからです。

ニューラルネットワークが画像を認識する過程を「見る」と表現しますが、人間と同じ知覚体験を持つわけではありません。

画素値や特徴量を処理し、統計的なパターンから分類結果を出すシステムを、人間の視覚へそのまま擬人化することには注意が必要です。Paglenの作品は、この違いを人間に理解可能な画像へ翻訳しようとする試みでもあります。

顔や物体を認識するプログラムは、光の感覚や身体を伴った人間の知覚と同じ経験をしているわけではありません。画像の数値情報を処理し、学習した分類との関係を計算しているという説明が、技術の仕組みを理解する基本になります。

この違いを踏まえると、「機械が見る」という言い方は比喩としての力を持ちます。人が眺めなくても結果が社会へ作用するという状況を捉えやすくするための言葉であり、その実態は個々の装置や処理方法に応じて調べる必要があります。

ここから画像の美学は、人間の鑑賞者と作品の関係に加えて、システムが画像をどのように利用するかへと範囲を広げます。(参照:トレヴァー・パグレン|Invisible Images(2016))

リチャード・モス《Incoming》と国境の視覚

リチャード・モスの《Incoming》(2017)は、国境を越える人々を軍事用の熱画像装置で撮影した大規模な映像作品です。人間を検出するための技術が、映像の質感と観客の位置を変えていきます。

軍事用熱画像カメラで移民を撮影する

Richard Mosseは2014年から2016年にかけ、Europe、中東、北Africaの移住・避難の状況を軍事用の長距離熱画像カメラで撮影し、2017年《Incoming》として三面映像インスタレーションにまとめました。

SFMOMAは、このカメラが遠距離から体熱を検出する軍事級技術であり、通常の可視光映像とは異なる像を作ると説明しています。

《Incoming》では人間の身体が肌色や服の色ではなく、温度差として白黒の像へ変換されます。

難民や移民を監視する軍事・国境管理の視覚技術を美術館へ持ち込むことで、作品は観客を安全な外部の観察者として置きません。同じ技術的視線を通して人間を見ることの倫理を問いかけます。

モスは2014年から16年にかけてヨーロッパ、中東、北アフリカなどで移民・難民の移動を撮影し、2017年の《Incoming》へまとめました。長距離から体温の違いを捉える軍事用のカメラが使われ、映像には白と黒の間で浮かび上がる身体や風景が現れます。作品は三つの画面を用いるインスタレーションとして発表されました。

人の肌や服の色が通常の可視光による撮影のようには写らず、温度の差が画像の明暗へ変換されます。観客は具体的な顔や風景を見ているはずなのに、撮影方式によってどこか距離のある像と向き合うことになります。装置の性質が映像の表情を決定しています。(参照:SFMOMA|リチャード・モス《Incoming》)

熱の差から作られる人体の映像

赤外線・熱画像は、通常のカメラでは見えない情報を可視化するため、客観的で科学的な像に見えやすい媒体です。

何を測定し、どの温度範囲を表示し、どの色階調へ変換するかは技術仕様によって決まります。Mosseの作品は、特殊な撮像技術も中立的な視線ではないことを示します。

《Incoming》のカメラは本来、人間を遠距離から検出・追跡する軍事的用途と結びついた装置です。その同じ機材から、巨大で視覚的に強い美術映像が作られます。

作品の美しさと、技術が持つ暴力的・管理的な歴史は分離できません。Mosseの作品はその矛盾を意図的に残します。

熱画像装置は物体から放射される赤外線などを測定し、温度の差を画面上で見える形式へ変換します。通常の写真が記録する光とは情報の種類が異なり、身体の輪郭や背景も別の明暗関係で表れます。遠くの人間を検出できる技術的な特徴は、国境管理や軍事分野と結びついてきました。

美術館で見ると、熱によって作られた映像は独特の造形的な魅力を持ちます。その美しさを感じる経験と、遠距離から人間を識別するための装置の歴史とが重なり、鑑賞者は映像を見る自分の立場についても考えることになります。(参照:SFMOMA|リチャード・モス《Incoming》)

映像の迫力と撮影の倫理

戦争、難民、監視、人権侵害を扱う作品は、強烈な映像を美術館で「美しい作品」として消費してしまう危険を常に持ちます。

Mosseの熱画像、フォレンジック・アーキテクチャーの再構成、Steyerlの映像は、それぞれ異なる方法でこの問題を抱えています。作品の形式的な強さと、現実の暴力を区別しつつ関係づける必要があります。

従来の美術では鑑賞者は作品を見る主体として想定されてきました。機械の視覚を扱う作品では、鑑賞者自身がカメラやデータベースによって見られる対象でもあります。

展示室で監視について考えた後、スマートフォンの顔認証を使い、街頭カメラの前を歩き、オンラインへ画像を投稿する。作品の外の日常まで鑑賞経験が続きます。

大きな画面の中で、寒さや危険を経験する人々が強いコントラストの像として映し出されます。映像の迫力は遠くの出来事へ関心を向ける契機になりますが、被写体の事情が映像の効果の中で単純化される危険も生じます。技術的な新しさだけを作品の価値として語ることは、この問題を見落としやすくします。

《Incoming》を考えるには、誰がどの装置を使って撮影し、どの立場の人がそれを美術館で見るのかまで含める必要があります。モスの作品は、国境を越える人々の姿と、彼らを監視する技術的な視点を同じ映像に重ねています。(参照:SFMOMA|リチャード・モス《Incoming》)

人工知能が画像から学習する

2017年のパグレン《Behold These Glorious Times!》では、人工知能を訓練するために集められた画像が新しい映像作品の素材になりました。画像とラベルが機械の認識能力を形成する過程に注目します。

《Behold These Glorious Times!》の映像構成

Paglenの《Behold These Glorious Times!》(2017)は、人工知能を訓練するための画像群と、ニューラルネットワークが画像を解析する過程を可視化した映像を組み合わせた作品です。

作家の公式説明によれば、一方には物体、顔、身振り、感情などを認識させる訓練画像があり、もう一方にはニューラルネットワークが画像を部分へ分解し、特徴を抽出する過程を人間向けに可視化した像があります。

《Behold These Glorious Times!》(2017)は、AIの訓練用に収集された画像と、ニューラルネットワークが画像の特徴を処理する様子を人間向けに可視化した映像を組み合わせています。写真のように認識できる顔や物体が現れた後、形や明暗が細かな抽象的なパターンへ変わっていきます。

作家の公式解説では、物体、顔、身振り、感情などを認識させるための画像が登場すると説明されています。音楽にはホーリー・ハーンドンが参加し、画像の連続と音がともに機械学習の文化へつながっています。見慣れた対象と抽象的な画像処理の距離を感じさせる作品です。(参照:トレヴァー・パグレン公式|Behold These Glorious Times!(2017))

訓練画像とラベルの役割

訓練画像は、人間が鑑賞するための写真とは目的が異なります。AIモデルに「これは犬」「これは顔」「これは特定の表情」と学習させるため、画像とラベルの組み合わせが使われます。

写真は記憶、報道、広告、美術のためだけではなく、機械へ世界の分類方法を教える教材になります。

Machine Learningの訓練では、同じ写真でもどのラベルを付けるかによって学習される関係が変わります。

「画像は事実をそのまま示す」という考えはここでさらに揺らぎます。画像をどのカテゴリへ入れるかという人間の判断が、後の機械的分類へ組み込まれるからです。

人工知能の画像認識では、学習のために多くの画像と、それに対応する分類情報を使う場合があります。何を「猫」「建物」「人間の顔」として扱うかは、集めたデータと分類方法によって変わります。同じ写真でも異なるラベルを与えると、学習される関係は同じになりません。

パグレンの映像は、画像を作る行為と、画像に名前を付ける行為の距離を意識させます。写真家が何を写したかという問題に加え、データを作る人が何を分類するのかという判断が、視覚文化を形づくる工程として現れます。(参照:トレヴァー・パグレン公式|Behold These Glorious Times!(2017))

大規模データセットに含まれる人間の判断

大規模画像データセットは、世界中の画像を自然に集めただけのものではありません。どの画像を含め、どの分類体系を使い、どのラベルを付けるかという選択から成り立ちます。

そのためデータセットは技術的資源であると同時に、人間の分類文化や偏見を含み得る社会的な構造でもあります。

ImageNetはWordNetの語彙階層に沿って画像を整理した大規模データベースで、コンピューター・ビジョンと深層学習研究の発展に大きく利用されました。

ImageNet公式サイトは1400万点を超える画像と2万を超える語彙カテゴリを索引化したデータベースとして説明しています。大規模データセットが機械の視覚研究を支える代表的な例です。

猫と犬を区別する分類と、人間を「良い/悪い」「魅力的/非魅力的」など社会的価値を含む語で分類することは同じではありません。

カテゴリが人間の評価、階級、人種、ジェンダーなどと結びつくほど、その分類体系には文化的・倫理的な判断が入り込みます。2010年代後半の作家や研究者は、AIの精度だけでなく、何を分類対象にするのかを問題にしました。

ImageNetは大量の画像と語彙カテゴリーからなるデータベースとして、コンピューターの物体認識研究に利用されました。画像を多数集めれば機械が世界を客観的に学ぶように見える場合がありますが、集める対象や分類名を設定するのは人間の側の作業です。

特定のカテゴリーに属するとされた画像は、その分類に応じて技術的な学習に使われます。人間や社会的な価値を含む語をカテゴリーとして用いる場合には、分類の妥当性そのものが問題になります。パグレンとケイト・クロフォードが後に取り組む《Training Humans》は、この歴史的な判断を可視化する方向へ進みました。(参照:ImageNet公式|大規模画像データベース)

顔認識とアルゴリズムの偏り

2018年以降、顔の分類・認識技術について性能の差を実証する研究が広く議論されました。ザック・ブラスが作品を通じて示してきた問題を、技術評価と社会的な分類の両面から考えます。

《Gender Shades》が明らかにしたこと

ジョイ・ブオラムウィニとティムニット・ゲブルは2018年に、商用の顔画像を用いたジェンダー分類システムの精度差を検証した研究《Gender Shades》を発表しました。研究は肌の色とジェンダーの組み合わせによって誤分類の発生が異なることを指摘し、AIの評価方法に重要な問いを投げかけました。

この研究が評価したのは、本人が誰かを一対一で照合する顔認証と完全に同じ課題ではありません。個別の技術の違いを踏まえた上で、分類の性能が集団ごとに異なる可能性を具体的に検証した点が重要です。

ブラスの仮面を振り返ると、顔をどのようなカテゴリーで読み取ろうとするのかという問題が、研究者による性能評価とも交差していたことが分かります。(参照:MITメディアラボ|Gender Shades(2018))

2019年NISTの顔認識評価

2019年12月、米国National Institute of Standards and Technology(NIST)は顔認識アルゴリズムの人口統計的な性能差を評価した報告書NISTIR 8280を公表しました。

NISTは約100の開発者から提出された約200のアルゴリズムを、1800万点を超える画像で評価し、多くのアルゴリズムで年齢、性別、人種・出身地域などに関連する精度差が確認されたと報告しました。

NISTは、アルゴリズムごとに性能が大きく異なり、すべてのシステムを一括して同じ特徴として説明するべきではないとしています。

この点は美術や批評にとっても重要です。「AIは差別的である」と一文で一般化するだけでは、どのデータ、どの用途、どのアルゴリズムで何が起きているのかが見えません。

米国国立標準技術研究所(NIST)は2019年12月、顔認識の人口統計別の性能差を調べた報告を公表しました。評価対象は99開発者から提出された189のアルゴリズムで、個々の技術について誤照合や照合漏れの起こり方を調べています。

報告では多くのアルゴリズムに年齢、性別、人種・出身地域などに関連した性能差が見られたとされます。アルゴリズムや利用目的によって結果が異なることも同時に示されました。顔認識を論じる際には、どの種類の照合についての結果なのかを特定する必要があります。(参照:NIST|顔認識技術の人口統計別の性能差(2019))

分類体系を誰が決めるのか

AIシステムの結果は訓練データ、撮影条件、分類方法、モデル設計、利用場面など複数要因に依存します。

2019年NIST報告は原因のすべてを断定するものではありませんが、顔認識精度に人口統計的差異が存在することを実証的に示しました。美術家が扱ってきた「分類の政治」が、技術評価の領域でも具体的に検証されるようになります。

ある顔認識アルゴリズムの精度が高いことと、その技術をどの場所・目的で使うべきかは別の問題です。

NISTのような評価機関は技術的性能を測定できますが、警察、国境、商業施設、スマートフォンなどでの利用が妥当かどうかは法律、政策、倫理、社会的合意を含む別の判断を必要とします。美術はしばしば、この測定できない部分を問題にします。

美術館のキュレーターは作品を選び、分類し、展示します。AIデータセットの設計者もまた、画像を収集し、カテゴリを作り、名前を付けます。

両者を同一視することはできませんが、「何を集め、どう分類するか」が世界像を作るという点では共通します。《Training Humans》はデータセットを文化的な分類装置として美術館で見直す機会を作りました。

機械が人間の顔を分類するには、どんな特徴を取り出し、何を正解とするのかという選択が必要です。データをどのように集めるか、照明や撮影条件に偏りがあるか、各集団にどのようなデータが含まれるかによって、結果は変わり得ます。性能の差は複数の要因と関係するため、個別の評価が重要になります。

美術家がこの問題を扱う意義は、精度の評価と併せて、なぜそのような分類を社会で利用するのかを問える点にあります。何を測定するかという技術的な選択と、測定結果を人に適用する制度の判断は、互いに影響しながら社会を形づくります。(参照:NIST|Face Recognition Vendor Test Part 3(2019))

2018年ターナー賞と調査の美術

2018年、フォレンジック・アーキテクチャーが英国のターナー賞最終候補に選ばれました。作品を制作する行為と、調査結果を公開する行為の重なりが、美術館という制度の中で注目を集めます。

調査機関がターナー賞候補になる

2018年、フォレンジック・アーキテクチャーはTurner Prizeの最終候補に選ばれました。Tateは、世界各地の人権侵害に関する証拠を収集・可視化する革新的な方法を開発し、その成果が法廷と美術展の双方で使われていることを評価理由として挙げました。

これは調査機関が「作品らしい物」を制作したから単純に美術賞へ入ったという出来事ではありません。何が現代美術の実践として評価され得るのかという制度的な境界が拡張した例です。

フォレンジック・アーキテクチャーは2018年ターナー賞の最終候補となり、調査を通じて事実を明らかにする活動が現代美術の制度からも評価されました。衛星写真、監視映像、建築模型、データの視覚化を利用する方法は、調査報道や人権活動と、美術展示の双方に接続しています。

作品を美術館へ置くことと、社会的な調査の結果を示すことが同じ展示室で起こるとき、鑑賞者に求められる態度も複数になります。形式を評価する目と、資料がどのように検証されたのかを確かめる目が同時に働きます。(参照:英国博物館協会|2018年ターナー賞候補の発表)

《Killing in Umm al-Hiran》と調査の公開

2018年Turner Prize展示では、フォレンジック・アーキテクチャーの調査活動が紹介されました。彼らは映像、音、建築模型、タイムラインなどを用いて出来事を再構成します。

調査結果は一つの決定的写真へ還元されません。複数資料の関係を観客が追えるように提示し、証拠がどのように構成されたかを開示することが重要になります。

イスラエルのウンム・アル=ヒランでの出来事をめぐる調査では、複数の映像と音声を照合し、出来事の時間的な順序を検討しました。異なる記録を一つの画面の中に並べることで、撮影者ごとに見え方が異なる事態の全体像へ近づく方法が示されます。

調査資料を公開する際には、強い印象を与える画像だけを示す方法も考えられます。フォレンジック・アーキテクチャーは資料同士の位置関係と検証過程を示し、鑑賞者がどの情報に基づいて理解を進められるかを重視しました。

美術館の展示は証拠の代用品ではありません。資料と方法をたどれる構成が、作品としての見え方にも影響しています。(参照:ロンドン現代美術協会|Counter Investigationsの調査一覧)

法廷・報道・美術館を横断する画像

フォレンジック・アーキテクチャーの美術館展示は、証拠を美的対象として消費してしまう危険も伴います。

一方、複雑な事件の画像、地図、動画を理解可能な形へ整理するには、色、配置、時間軸、アニメーションなど視覚設計が必要です。美学と証拠提示を完全に分けることはできません。

フォレンジック・アーキテクチャーのTurner Prize候補入りは、「調査活動を美術と呼べるのか」という問いも生みました。

この問いに一つの答えを出す必要はありません。重要なのは、現代美術制度が物体制作だけでなく、調査方法、証拠の視覚化、公開フォーラムの構築まで含む実践を評価対象へ入れたことです。

同じ映像や模型は、提出される場によって別の目的を担います。裁判では証拠の信頼性や事実関係、報道では読者への説明、美術館では社会的な可視性や表現方法が重要になります。調査はこれらの場を往復し、資料の見せ方を変えながら広がっていきました。

その過程は、画像を作品として所有・展示する美術館の考え方にも問いを投げかけます。調査の精度、当事者の証言、時間をかけた検証といった活動が、現代美術の制作を語る際の対象となったことは、2010年代の重要な変化でした。(参照:ロンドン現代美術協会|フォレンジック・アーキテクチャーの調査と方法)

2019年、機械の視覚が美術館へ

2019年には、画像の分類と人工知能の訓練を直接取り上げる大規模な展示が複数開催されました。人間を撮った写真が、機械のための教材となる歴史と、その分類体系の問題が美術館で示されます。

《Training Humans》が訓練画像の歴史を示す

2019年9月から2020年2月まで、MilanのFondazione Prada OsservatorioでKate CrawfordとTrevor Paglenによる《Training Humans》が開催されました。

Fondazione Pradaは、この展覧会をAIに人間を「見る」「分類する」方法を学習させる訓練画像を主題とした初の大規模写真展と位置づけています。

《Training Humans》は最新AIだけを紹介する展覧会ではありません。1960年代から現代まで、人間の顔や身体を分類するために使われてきた訓練画像セットの歴史を追いました。

AIを突然現れた未来技術としてではなく、写真測定、顔分類、心理学、生体認証など、長い人間分類の歴史の延長として見る視点が重要です。

CrawfordとPaglenは、もともと日常的・記録的な目的で撮影された写真が、後に顔認識や人物追跡の訓練素材として集められる状況を問題にしました。

写真を投稿した人が、自分の画像がAI訓練へ利用されることを想定していなかった場合もあります。画像の「二次利用」は、芸術的引用だけでなく機械学習のインフラへ広がりました。

ケイト・クロフォードとトレヴァー・パグレンが企画した《Training Humans》は、ミラノのプラダ財団で2019年9月12日から2020年2月24日まで開催されました。人工知能に人間を認識させるための画像を主題に、1960年代以降の技術研究の資料が紹介されました。写真を見ることが、機械へ人間の特徴を教えるという行為へ結びつく歴史が示されています。

研究用のデータに含まれる肖像写真は、撮影された時点では別の目的で存在した可能性があります。それらが後に集められ、ラベルを付けられ、訓練へ利用されると、写真の社会的な役割も変わります。展覧会は画像の材料としての性質と、それを分類した人間の判断を同時に示しました。(参照:プラダ財団|Training Humans(2019–20))

《ImageNet Roulette》が示す奇妙な分類

クロフォードとパグレンに関連する《ImageNet Roulette》(2019)は、ImageNetに存在した人物カテゴリーによって画像がどのように分類されるかを示すプロジェクトでした。結果には侮辱的で差別的な語も含まれ、分類体系に組み込まれた判断の問題が広く議論されました。

この作品は顔認識技術の全体的な性能を測定する試験ではありません。特定のデータセットに存在したカテゴリーを実際の画像に当てはめることで、訓練のために用意された言葉の問題を目に見える形にしたものです。オンラインでの公開はその後終了し、展示での発表が残されています。

データセットを調べることは、画像の内容だけを読むことに加え、その画像へどのような名前を与えたかを問う作業でもあります。(参照:トレヴァー・パグレン公式|ImageNet Roulette)

《From “Apple” to “Anomaly”》と約3万枚の画像

2019年9月から2020年2月まで、LondonのBarbican CurveでPaglenの《From ‘Apple’ to ‘Anomaly’》が開催されました。

Barbicanによれば、約3万点の印刷画像が主にImageNetから選ばれ、機械学習のカテゴリ体系が空間全体に展開されました。

「apple」のような物体カテゴリに比べ、「anomaly=異常」は関係的・価値判断的な概念です。Paglenは、AIシステムへこのような概念を組み込むことが何を意味するのかを問いかけました。

機械が客観的に異常を発見するように見えても、何を正常とし、何を逸脱とするかという基準は人間社会の分類から作られます。

Paglenは2019年Barbicanで、人間が見る画像よりも、技術システムが人間や物体を解析する画像環境が拡大していると説明しました。

従来、画像は私たちが見る対象でした。機械の視覚ではカメラとアルゴリズムが私たちを検出し、特徴を抽出し、カテゴリーへ割り当てます。「見る/見られる」の方向が反転します。

ロンドンのバービカン・センターで2019年9月26日から2020年2月16日まで開催された《From “Apple” to “Anomaly”》では、ImageNetから主に選ばれた約3万枚の写真が展示室へ広がりました。画像はアルファベット順のカテゴリーとともに提示され、ある対象をどのような名前で分類するかが視覚的に体験できます。

「リンゴ」のような具体的な物体の名と、「異常」のように価値判断を含む語では、分類が持つ社会的な意味が異なります。大量の画像を眺める身体的な経験を通して、機械に学習させるカテゴリーが人間の世界観と結びついていることが見えてきます。(参照:バービカン|From “Apple” to “Anomaly”(2019))

機械が見る時代に美術は何を問うのか

監視や人工知能をめぐる美術の方法は一つではありません。隠されたものを撮影し、資料を検証し、身体を装置へ接続し、分類の仕組みを展示する活動を、2013〜2020年の変化として整理します。

見られる人間と見るシステム

機械の視覚の画像は、美術館の観客がいなくても機能します。センサーが撮影し、アルゴリズムが処理し、データベースと照合し、判断結果を別システムへ渡します。

これは美術史にとって大きな転換です。画像と鑑賞者の関係だけを分析していては、現代の視覚文化の重要部分を見落とすようになります。

写真は長く、人や物を「どのように表したか」という問題から批評されてきました。機械の視覚では、その画像が「どのカテゴリーへ入れられたか」も同じくらい重要になります。

一人の人間を顔、年齢、性別、感情、危険度など複数のデータ項目へ分解するシステムでは、表象と分類が重なります。

スマートフォンで撮影された写真がSNSで共有されると、友人がそれを見ることと並行して、機械が顔や物体を認識するための処理が行われることがあります。画像を人間の鑑賞のためのものとして扱う方法に加え、その画像がどのシステムで何のために利用されているかを調べる視点が必要になります。

2010年代の作家は、この見えにくい処理を映像や写真、彫刻として経験できる形にしました。技術を人間の感覚へ翻訳する工程を通して、何が測定され、何が判断されるのかという問題を作品の中で考えられるようにしています。(参照:トレヴァー・パグレン|Invisible Images(2016))

監視と調査に共通する画像の技術

2010年代の重要な美術実践には、監視技術を拒否するだけでなく、その技術を逆方向へ向けるものがあります。

Paglenは秘密施設や衛星を撮り、Bridleはドローンの形を公共空間へ戻し、フォレンジック・アーキテクチャーは衛星画像やスマートフォン映像を使って権力側の行為を検証します。技術は一方向に決定された道具ではなく、誰がどの目的で使うかによって役割が変わります。

スマートフォン映像や衛星写真が存在しても、その画像だけで出来事の全体が自動的に確定するわけではありません。

撮影位置、時刻、編集の有無、前後関係、他の記録との一致を検証する必要があります。大量の画像が存在する時代ほど、何を見るかだけでなく、どう検証するかが重要になります。

監視システムが人間や移動を追跡するために使うカメラと、フォレンジック・アーキテクチャーが出来事の検証に使う画像は、同じ種類の記録技術を含む場合があります。どの主体がどの情報へアクセスし、何を明らかにしたいのかによって、画像の社会的な役割は変化します。

パグレンの秘密施設の写真、ブライドルの地面に描く輪郭、ブラスの仮面、ポイトラスの展示、調査機関の3Dモデルには、技術に向ける立場の違いが表れています。共通するのは、見る側と見られる側の力関係を、具体的な作品の方法として考えていることです。(参照:ロンドン大学ゴールドスミス|フォレンジック・アーキテクチャー)

2020年代の生成画像へ引き継がれる問題

2020年代には生成AI、顔認識、画像生成モデル、自動運転、無人兵器、合成映像などがさらに広がり、機械の視覚とSynthetic Imageの境界も複雑になります。

基礎にある問いは2010年代から続いています。誰がデータを集めるのか。どの画像で機械を訓練するのか。誰がカテゴリを決めるのか。画像の判断によって誰の行動が制限されるのか。美術はこれらを技術解説とは別の方法で可視化し続けています。

2010年代後半まで、機械の視覚の中心的な問いは「機械が画像をどう見るか」でした。2020年代には、それに加えて「機械が画像をどう生成するか」が急速に大きな問題になります。

次の記事では、 2015–2023|AI ArtとSynthetic Image — GAN、生成モデル、データセット、作者性 として、DeepDream、GAN、Mario Klingemann、Anna Ridler、Obvious《Edmond de Belamy》、Refik Anadol、生成モデルの訓練データ、そして2022年以降の画像生成AIまでを追います。

2010年代後半には、AIを使った画像生成や顔交換が急速に進歩し、「deepfake」という言葉も広く知られるようになりました。

本記事の中心は生成AIではありませんが、フォレンジック・アーキテクチャーのような画像検証や、Paglenの訓練データ批判が重要になった背景には、画像が簡単に取得・加工されるだけでなく、その真正性を技術的に評価する必要が高まったこともあります。

2020年代には人工知能による画像生成が広く使われるようになり、機械が画像を分類することに加えて、画像を作る過程にも関心が向かいます。訓練データがどこから集められ、どの分類が使われ、生成された画像が誰の判断へ影響するのかという問題は、2010年代の美術で積み重ねられた問いとつながっています。

監視技術を扱った作品と、人工知能を扱う次の時代の作品の間には、データを集める主体、画像の信頼性、身体や作者の役割をめぐる継続した問題があります。機械が画像を読む環境が定着したことは、写真や映像の歴史を考え直すための重要な出来事となりました。(参照:プラダ財団|Training Humans(2019–20))

略年表

写真と監視の歴史から2013年の文書公開、2019年の訓練画像をめぐる展覧会までを整理します。制作年と展覧会・報告書の発表年を区別して記載しています。

  • 19世紀後半|写真が警察記録や身分証明にも用いられ、人物を識別・分類する技術の歴史が始まる。
  • 1960年代以降|画像を用いて人間を分類する研究が進み、後のAI訓練データへ連なる歴史が形成される。
  • 2001|ハルーン・ファロッキ《Eye/Machine I》が、産業と軍事で作動する映像の役割を扱う。
  • 2000年代|トレヴァー・パグレンが軍事施設や監視インフラを長距離から撮影する活動を展開する。
  • 2010|フォレンジック・アーキテクチャーがロンドン大学ゴールドスミスを拠点に設立される。
  • 2012|ジェームズ・ブライドルが《Drone Shadow 001》をロンドンで実施する。
  • 2012|ザック・ブラスが《Facial Weaponization Suite》を開始する。
  • 2013年6月|スノーデンが提供した文書に基づく通信監視報道が始まる。
  • 2013|ヒト・シュタイエルが《How Not to Be Seen》を制作する。
  • 2013|ブライドルが《Drone Shadow Handbook》を公開する。
  • 2013|ブラスが顔のデータを集めた仮面のワークショップなどを続ける。
  • 2014|トレヴァー・パグレンが《Autonomy Cube》を制作する。
  • 2014|ブラスが《Face Cages》の制作を開始する。
  • 2014年8月|ガザ地区ラファでの爆撃が後の公開画像を用いた調査の対象となる。
  • 2014|ローラ・ポイトラスのドキュメンタリー映画《Citizenfour》が公開される。
  • 2015|ヒト・シュタイエルが《Factory of the Sun》をヴェネツィア・ビエンナーレで発表する。
  • 2015年7月|フォレンジック・アーキテクチャーが《The Bombing of Rafah》の成果を公表する。
  • 2016年2月|ホイットニー美術館でローラ・ポイトラス《Astro Noise》が開幕する。
  • 2016|フォレンジック・アーキテクチャーがサイドナヤ刑務所の調査を公開する。
  • 2016年12月|パグレンが論考「Invisible Images」を発表する。
  • 2016|ブラスが《Face Cages》の一連の活動を展開する。
  • 2017|リチャード・モスが熱画像映像のインスタレーション《Incoming》を発表する。
  • 2017|パグレンが《Behold These Glorious Times!》を制作する。
  • 2017|ホイットニー美術館《Dreamlands》で《Factory of the Sun》が紹介される。
  • 2018|ジョイ・ブオラムウィニとティムニット・ゲブルが《Gender Shades》を発表する。
  • 2018|フォレンジック・アーキテクチャーがターナー賞の最終候補に選ばれる。
  • 2019年3月|MoMAで《New Order: Art and Technology in the Twenty-First Century》が開幕する。
  • 2019年9月|プラダ財団でクロフォードとパグレンの《Training Humans》が開幕する。
  • 2019年9月|バービカンでパグレン《From “Apple” to “Anomaly”》が開幕する。
  • 2019|《ImageNet Roulette》がImageNetの人物分類の問題を広く紹介する。
  • 2019年12月|NISTが189アルゴリズムの顔認識性能を分析した報告を公表する。
  • 2020年2月|《Training Humans》と《From “Apple” to “Anomaly”》が閉幕する。
  • 2020年代|機械が画像を認識する問題に、生成モデルが画像を制作する問題が重なっていく。

まとめ

2013年の監視関連文書の公開は、通信とデータ収集の仕組みを社会が知る重要な節目になりました。シュタイエルは見えなくなるための方法を映像の中で問い、ブラスは顔を数値的に識別する制度に抵抗する仮面を作り、ブライドルは軍事用ドローンの輪郭を地上に描きました。パグレンの《Autonomy Cube》は通信技術として機能する彫刻を制作し、ポイトラスの《Astro Noise》は資料を読む行為と、自らも撮影される鑑賞者の経験を組み合わせました。それぞれの作家は、監視を異なる造形と方法で扱っています。

フォレンジック・アーキテクチャーは、スマートフォン映像や衛星画像、音声、建築モデルを用い、権力による行為を検証する活動を展開しました。2015年のラファ爆撃調査と2016年のサイドナヤ刑務所の調査では、単独の決定的画像に頼ることなく、複数の資料と証言の関係を構成して事実に迫る方法が示されました。2018年ターナー賞の最終候補入りは、その活動が現代美術の制度の中でも大きな意味を持った出来事でした。

2016年のパグレンの論考「Invisible Images」以降、機械が画像を読み、人間や物体を分類する仕組みへの関心が深まりました。2017年《Behold These Glorious Times!》は機械学習の訓練用画像を映像へ取り込み、2019年の《Training Humans》と《From “Apple” to “Anomaly”》は、写真と分類の歴史を展示空間へ広げました。《Gender Shades》やNISTの報告が示した技術評価の結果も、社会的な分類と測定の関係を具体的に考えるための資料となります。

この時代の作品から見えてくるのは、画像が記憶や表現のためのものとして存在し続けると同時に、システムの中で情報として処理され、別の社会的な行為へ接続されるようになったことです。撮影する人、撮影される人、データを集める人、分類する仕組みを作る人の関係は、技術によって変わっていきます。美術はその関係を身体、空間、写真、映像、調査の形に置き換え、私たち自身が画像とどう関わっているかを考えるための場を生み出しました。

参考資料・出典

美術館・作家・研究機関・報道資料アーカイブの一次資料を中心に、作品の制作年、展示時期、研究成果の公表年を区別して記述しました。監視や人権侵害を扱う調査の記述では、調査機関の公式報告に明記された内容を基礎にし、個別事件の事実関係と作品の解釈を区別しています。人工知能をめぐる技術的な内容については、訓練データ、人物分類、個人認証の目的と評価方法の違いに留意しています。

資料確認日:2026年10月16日 / ART LIBRARY