2010–2015
画像が物体となり、作品がネットへ広がる
ポスト・インターネット・アートの展開
2010年代初頭、インターネットの普及によって、美術作品の作られ方と見られ方が変化していました。美術館やギャラリーに展示された作品は写真に撮られ、ブログや画像共有サイトを通じて、実物を見たことのない人々にも広まります。作家たちもネット上の画像を制作の素材として利用し、見つけた写真を大きく印刷して立体作品にしたり、展示作品の記録写真を加工して別の画像として発表したりしました。こうして、展示室にある物体がネット上の画像になり、その画像が再び作品へと姿を変える動きが生まれます。作品そのものと、その写真がどのように作られ、広まるかという過程の両方が、制作や鑑賞に深く関わるようになったのです。
こうした状況をめぐって広まったのが「ポスト・インターネット・アート」という言葉です。マリサ・オルソンの発言やジーン・マクヒューのブログ、アルティ・フィアカントの論考は、ネットワークが日常の制作環境となっていることに目を向けました。カーチャ・ノヴィツコヴァが2010年に収集したオンラインの情報は、翌年に刊行された書籍へまとめられています。
フィアカントの《Image Objects》では、展示された物体の写真が加工され、実物とは異なる姿の画像として公開されます。ノヴィツコヴァは検索で見つけた動物の写真を、切り抜かれたアルミニウム板として立ち上げました。ジョン・ラフマンはGoogleストリートビューの画像を探索して偶然の場面を選び、オリヴァー・ラリックは美術館の所蔵彫刻を三次元データとして公開しました。
画像の流通を扱う作品は、ファッションや広告、身体の表現へも広がります。DISは商業写真の販売や利用許諾を活動の一部に取り込み、アマリア・ウルマンはInstagramの投稿を通して脚本化された人物像を演じました。エド・アトキンスは精密なCGの身体を映像にし、ケン・オキイシは映像を再生する画面の上に直接絵の具を塗っています。
2013年にカッセルで開催された《Speculations on Anonymous Materials》、2014年の北京UCCA《Art Post-Internet》、2015年のニューヨーク近代美術館《Ocean of Images》は、画像の収集、複製、物質化をめぐる関心が美術館の展覧会へ広がった過程を示しています。そこではポスト・インターネットという用語の可能性とともに、異なる作家をひとつの流行へまとめることへの批判も生まれました。
本記事では、2000年代末の言葉の成立から2015年の主要な展覧会までをたどります。作品の外観、素材、制作方法を詳しく見ながら、画像を探すこと、物体として展示すること、ネットワークへ公開することが、現代美術の表現をどのように変えたかを考えます。
CONTENTS
- ポスト・インターネット・アートとは何か
- ポスト・インターネットという言葉が生まれる
- 2010年に現れた新しい美術の考え方
- アルティ・フィアカントと画像・物体の循環
- Tumblrと作品画像が流通する文化
- ジョン・ラフマンとGoogleストリートビュー
- オリヴァー・ラリックと複製の新しい可能性
- カーチャ・ノヴィツコヴァと画像の立体化
- DISと商業画像の世界
- ペトラ・コートライトとデジタル画像の表面
- デジタル映像が人間の身体を変える
- オンライン展示と作品アーカイブの変化
- 2013年《Speculations on Anonymous Materials》
- インターネット企業と現代美術
- 2014年UCCA《Art Post-Internet》
- アマリア・ウルマンとSNS上の人格
- ポスト・インターネットと美術館の変化
- 2010〜2015年に何が変わったのか
- 略年表
- まとめ
- 参考資料・出典
ポスト・インターネット・アートとは何か
2010年代の初め、現代美術を説明する言葉に「ポスト・インターネット」が加わりました。美術館に置かれた物体と、ネットワーク上に流れる画像が互いに影響する状況を、まず制作と鑑賞の双方から考えます。
インターネットが日常の制作環境になる
2010年代初頭、彫刻を制作して展示室に置くことと、その姿をウェブ上で公開することは、ひと続きの仕事になりつつありました。作家は作品の記録写真を掲載し、鑑賞者は画面越しに遠方の展覧会を知ります。写真が転載された先で、作品は元の展示場所や解説を離れ、別の画像と並ぶこともありました。
こうした環境で広まった「ポスト・インターネット・アート」は、インターネットが生活と文化の基本的な条件となった時代の美術を考える言葉です。ウェブ上で動く作品から、検索画像を印刷した彫刻、広告に似た写真、SNS上のパフォーマンスまで、対象は多様です。制作時に参照する情報、素材の調達、作品の撮影や流通もネットワークと関係します。
2014年の北京UCCA《Art Post-Internet》で、企画者のカレン・アーキーとロビン・ペッカムは、作品が生まれ、制作され、流通し、受け取られるまでのネットワークを意識した表現としてこの概念を説明しました。画面に見える作品の外形に加え、その作品がどのような経路を通って観客へ届くかが、批評の対象になったのです。(参照:UCCA現代美術センター|Art Post-Internet(2014))
インターネット・アートとの連続と変化
1990年代のインターネット・アートでは、ブラウザの表示、リンクの構造、ウェブページの操作や通信そのものが作品を成り立たせていました。JODIやオリア・リアリナは、見る人が画面を操作しながら作品を経験する方法を切り開いた作家です。作品が存在する場所としてのウェブが、表現の条件でした。
2010年代になると、ネットで収集した写真から立体を作ったり、展示物がウェブ上でどのように撮影・共有されるかを作品へ取り込んだりする例が目立ちます。制作の場が展示室であっても、検索や投稿を通じて形成された視覚経験が造形に入り込みました。従来のネット・アートも活動を続け、両者は同時代に共存します。
ニューミュージアムとRhizomeが2012年に始めた《First Look》では、ウェブ上で公開・操作する作品の委嘱が続けられました。展示室の彫刻が画像としてネットへ移動する流れと、ネットそのものを展示空間にする実践が重なり、作品の形式をひとつの媒体で分類することが難しくなっていきました。(参照:ニューミュージアム|First Look(2012–))
名称が示す共通の問題と作家の多様性
「ポスト・インターネット」という名称のもとで語られた作家たちは、共通の宣言を発表した集団ではありません。マリサ・オルソンはネットを使う経験と制作の関係について語り、アルティ・フィアカントは展示された物体と写真の関係を扱いました。ジョン・ラフマンは既存の撮影画像を選び、DISは広告や商品写真の慣習を制作に取り込みます。
似た素材を用いていても、作家が探究する問題は異なります。カーチャ・ノヴィツコヴァが印刷した動物画像を展示空間へ立たせるとき、中心にあるのは検索で得られた自然の像が物体へ変わる経験です。アマリア・ウルマンのSNSパフォーマンスでは、投稿を見た人々の反応と、女性の身体に向けられる期待が作品を動かします。
2014年のUCCAの企画者たちも、視覚的な流行だけで作品をまとめることの危うさを指摘しています。名称が共通していても、何を素材に選び、どの場所で誰に見せ、どんな制度に関わるのかという違いを追うことで、当時の制作の幅が見えてきます。(参照:UCCA現代美術センター|Art Post-Internet(2014))
ポスト・インターネットという言葉が生まれる
概念の成立を理解するには、展覧会で流行語になった後の使われ方から、2000年代後半にネット上で活動していた作家や批評家の発言へさかのぼる必要があります。
マリサ・オルソンと制作の場所
マリサ・オルソンが2000年代後半に用いた「ポスト・インターネット」という表現は、当時の自身の制作感覚を説明するための言葉でした。検索して画像を集め、保存し、画面を行き来する経験が、作品の着想や制作の進め方に影響する。オルソンが語ったのは、ウェブを日常的に使ううちに身についた、ものの見方の変化でした。2008年に公開されたインタビューでは、その経験を画面の外にある作品へ持ち込むことにも触れています。
オルソン自身の《Monitor Tracings》(2007)は、モニターに表示されたヘッドホンや携帯電話などの画像を、紙の上へ鉛筆で写し取った作品です。2008年の展示記録には、紙と黒鉛を用いた作品として紹介されています。画面で見た画像を、手で線を引く行為へ移すと、表示される像は時間のかかる物理的な痕跡へ変わります。作家はこの制作を、自身が「ポスト・インターネット」と呼んだ実践の一例に挙げていました。
その後、批評家や展覧会が用語を広めるにつれ、意味はさまざまに変化しました。初期の議論をオルソン本人の言葉まで遡ることは、後年の光沢のある彫刻やデジタルプリントという外観だけに、この時代の制作を閉じ込めないためにも有効です。(参照:2008年マリサ・オルソン本人インタビュー|We Make Money Not Art)
ガスリー・ロナーガンと「Internet Aware Art」
2008年頃、米国の作家ガスリー・ロナーガンは「Internet Aware Art(インターネットを意識した美術)」という表現を用いました。Rhizomeの当時の記録は、オンラインで生まれる行動や視覚文化を物理的な場所などへ移す実践と結びつけて、この呼び方を紹介しています。ネットで見つけた些細な画像や、プロフィールを作る習慣、検索結果の並びは、日常の一部として消費されます。ロナーガンが着目したのは、そうした身近な文化を、別の文脈に置いて眺め直す制作でした。画面の中ではありふれた動作が、展示室や印刷物へ移ると、独特の奇妙さを帯びます。
オルソンの言葉とロナーガンの呼称は、それぞれ異なる活動の中で生まれました。呼び方がまだ定まらなかった2000年代末の議論は、新しい視覚文化をどのように美術として記述するか、作家や書き手が模索していた様子を伝えています。(参照:Rhizome|Internet Aware Artをめぐる2008年の議論)
ジーン・マクヒューのブログ《Post Internet》
批評家ジーン・マクヒューは、2009年12月から2010年9月にかけてブログ《Post Internet》を更新しました。新しい作品や展覧会を取り上げながら、ネットワークが美術の制作と鑑賞に及ぼす変化を記録したプロジェクトです。活動には芸術批評執筆者を支援する助成制度が関わっていました。
記事は時系列で投稿され、本文に設けられたリンクから作家のウェブサイトや別の議論へ移動できました。当時の読者は、展覧会の資料がまとまる前に批評を読み、紹介された作品へ直接アクセスすることができました。批評を書く場所自体が、ブログという流通の仕組みに組み込まれていたのです。
現在も残るアーカイブを読むと、ポスト・インターネットという語が定着する前の試行錯誤がたどれます。後から整えられた運動史とは異なり、個々の作品との出会いや考えの変化が、日々の投稿として保存されています。(参照:ジーン・マクヒュー/Rhizome|Post Internet)
2010年に現れた新しい美術の考え方
2010年にはネットワークの文化的な影響を考える展覧会と出版物が現れ、作家たちの試みが互いに参照されるようになりました。ここでは美術館、ブログ、書籍という異なる場の役割をたどります。
ニューミュージアム《Free》
2010年10月20日、ニューヨークのニューミュージアムでローレン・コーネル企画の《Free》が開幕しました。翌年1月まで開催されたこの展覧会は、ネットワークが情報の共有や公共空間のあり方を変えた状況を、写真、彫刻、映像、インスタレーションによって取り上げました。
企画の重要な手がかりとなったのが、セス・プライスが2002年に執筆を始めた論考「Dispersion」です。プライスは、作品がどのように複製され、人々の手に渡り、議論されるのかを考察しました。美術の公共性を展示場所だけで捉えるのではなく、音楽や出版物のように広く流通する媒体にも目を向け、作品の制作と流通を一続きの活動として扱っています。
2008年制作の《Essay with Knots》では、「Dispersion」の文章を9枚の大型樹脂パネルにスクリーン印刷し、結び目のあるロープの上から樹脂を真空成形しました。印刷された文字はロープの凹凸を持つ面に重なり、読むための文章が壁に展示される立体作品へ変わります。この作品は2010年の《Free》にも出品されました。無料公開されたPDF、書店で販売される本、ギャラリーや美術館で扱われる立体という異なる経路で、同じ文章が人々に届くように設計されていたのです。
《Free》では、こうした作品とともに、ネットワークの文化的な影響を扱うさまざまな表現が紹介されました。ニューミュージアムは展覧会の解説や論考を公開するウェブサイトも企画し、展示室の外へ議論を広げています。ポスト・インターネットという呼称が普及する前から、作品の姿とその流通経路を併せて考える試みが美術館でも進んでいました。(参照:ニューミュージアム|Free(2010–11)/MoMA|セス・プライス《Essay with Knots》(2008))
《Post Internet Survival Guide 2010》の編集
カーチャ・ノヴィツコヴァが編集・デザインした『Post Internet Survival Guide 2010』は、2010年にネット上で収集した画像や文章をまとめ、2011年に出版社から刊行された272ページの書籍です。参加者にはアルティ・フィアカント、ジョン・ラフマン、ジーン・マクヒューらが含まれます。書籍の題名にある2010年は、主に収集活動が行われた年を表しています。
資料には作品やニュース、企業のストック写真、科学画像、スクリーンショットなどが混在します。出版社の解説によれば、2010年に運営されたTumblrのブログを通じて多数の情報源が参照され、その断片を紙のページへ編集しました。画像の出所が異なることも、編集を通じて新しいつながりを生む要素となっています。
「サバイバル・ガイド」という形式は、情報が過剰に流通する環境で、どうやって方向感覚を得るのかという感覚を伝えます。ネット上に散らばっていた資料を一冊へ固定する行為によって、流れ続ける画像に、順序と組み合わせが与えられました。(参照:Revolver Publishing|Post Internet Survival Guide 2010)
Tumblrから紙の本へ
ネット上で収集した画像を本にすると、スクロールする順序はページをめくる順序へ変わります。Tumblrの画面では利用者ごとの再投稿が画像の並びを次々に変え、別の出典の写真が予想外の関係を結びます。ノヴィツコヴァの『Post Internet Survival Guide 2010』では、編集者がその中から素材を選び取り、紙面の大きさや余白、隣り合う図版を決めました。
画面の中では同じ幅で流れていた画像が、本では切り抜きや拡大、見開きによって異なる重みを持ちます。科学の図版、商品広告、ニュース写真、作家の表現が、ページをまたいで隣接するようになります。検索結果が提示する順序を受け入れる行為から、資料同士の関係を自ら組み立てる行為へと変わったのです。
この出版物が興味深いのは、インターネット文化を紙に記録したことに加え、印刷物が画像の新たな流通経路になった点です。本を手に取った人は画面上のリンクを直接辿れません。代わりに、厚さのある一冊を通して、2010年前後の視覚文化の断片を続けて眺めることになります。(参照:Revolver Publishing|Post Internet Survival Guide 2010)
アルティ・フィアカントと画像・物体の循環
ポスト・インターネット・アートの造形的な問題を知るうえで、フィアカントの文章と作品は中心的な資料です。物理的な作品とその画像が、別々の状態として制作されていきます。
2010年「The Image Object Post-Internet」
2010年、アルティ・フィアカントは論考「The Image Object Post-Internet」を発表しました。写真、デジタル画像、彫刻が制作と公開の過程で行き来する状況を論じ、ポスト・インターネットをめぐる初期の重要な文章となりました。作品がネット上でどのように再生産されるかを、制作の外側にある広報上の問題として済ませていません。
ギャラリーに置かれた作品の多くは、遠方の鑑賞者には記録写真として届きます。その写真は保存され、転載され、拡大や縮小を経て別の画面に表示されます。作家は実物を作る際に、画像となって流通する姿も意識できますし、写真を加工して新たな作品へ展開することもできます。
フィアカントの文章は、作者が一度完成させた物体だけを作品の基準とする見方を揺さぶりました。物体を作ること、撮影すること、画像を編集することが連続した制作行為になるという考えは、翌年から展開される《Image Objects》で具体的な姿を得ていきます。(参照:アルティ・フィアカント|The Image Object Post-Internet)
《Image Objects》の制作と展示
アルティ・フィアカントは2011年頃から《Image Objects》を制作しました。コンピューターで構成した色面や輪郭を板状の支持体へUV印刷し、外形に沿って機械で精密に切り抜きます。白い展示室の壁に設置された作品は、写真や印刷物のような滑らかな表面を持ちながら、支持体の厚みや壁からの距離によって彫刻にも近づきます。鑑賞者は正面だけでなく、斜めから物体の縁と周囲の影を確かめることができます。
制作は展示室への設置で終わりません。フィアカントは作品を撮影し、できあがった記録写真を次の素材にしました。画像編集ソフトで色や輪郭を変えると、現地で展示されている形とネット上で公開される形が食い違います。物体から画像への変換が、その都度新しい造形の可能性を生むように設計されています。
2011年のRhizomeのインタビューでは、オンラインで作品を見る人と実物を見る人に異なる経験を与えたいという意図を語っています。《Image Objects》は、物体を作り、展示し、写真に撮り、写真を作り直すという工程全体を、ひとつのシリーズに組み込みました。(参照:アルティ・フィアカント公式|Image Objects(2011–))
加工された展示写真と原作品
《Image Objects》のウェブ上の記録画像には、展示室の壁や床のような見慣れた背景が残っています。ところが作品の縁や色、影には実物からの変更が加えられています。フィアカントは、画像編集ソフトの修復ブラシやコピースタンプといった、通常は写真の不要物を消すための道具を使って、存在しない形を作り出しました。画像は展示の証拠のような外見を保ったまま、もう一つの作品になります。
多くの人は展覧会の会場へ行く前に、ギャラリーのサイトやSNSで展示写真を見ます。作品を紹介するために撮られた写真が、実物についての最初の情報になることも珍しくありません。フィアカントはこの習慣に着目し、写真を見て知ったつもりになった物体が、実際には違う姿をしている状況をつくりました。
作家は2011年のインタビューで、記録写真を先に見た展示では実物が既視感のあるものに感じられる経験にも触れています。写真と実物の一致を意図的に崩す行為は、画像によって作品を知るという現代の鑑賞習慣を、制作の内部から変える実験でした。(参照:Rhizome|Artist Profile: Artie Vierkant(2011))
Tumblrと作品画像が流通する文化
画像ブログでは作品や広告、商品、科学写真、個人の写真が区別なく並ぶことがあります。画像を探し、集め、共有する行為がどのように制作と結びついたかを考えます。
Tumblrと画像が連続する画面
2010年代初頭、Tumblrなどの画像ブログでは、文章を読み進めるより、写真やGIF画像を次々と眺める体験が日常になりました。既存の画像を再投稿する機能を使えば、撮影者自身でなくても、自分のページに好みの画像を並べられます。映画、広告、商品、美術、科学資料などが同じ縦長の画面に連続して現れました。画像を投稿する人は、撮影したり作ったりするだけでなく、探すこと、選ぶこと、別の画像と並べることを行います。その過程では、もともとの撮影意図が薄れ、色や形の似たもの同士が新しい関係を作る場合があります。作家が写真を収集してスケッチブックに貼る行為に、共有と再編集の速さが加わったような環境でした。
ノヴィツコヴァの出版物は、こうしたネット上の収集文化を紙面へ移し替えた例です。後にギャラリーで発表される作品にも、画像をどこで見つけたのか、どの組み合わせへ置くのかという判断が表れていきます。(参照:Revolver Publishing|Post Internet Survival Guide 2010)
検索と収集を制作として考える
ディナ・ケルバーマンの《Smoke & Fire》(2013)は、検索と収集が具体的な映像表現になる様子をよく伝えています。ニューミュージアムのオンライン企画《First Look》で紹介されたこの作品には、漫画やアニメーションから切り取った煙と炎のGIF画像が、画面上に格子状に並びます。公開当初の画像数は約700点に達していました。
集められた煙は、実際の火災を記録したものではなく、さまざまな作品で描かれた煙です。同じような形や色が反復する中に、原作ごとの絵柄や動きの違いも浮かび上がります。画面の中で小さな炎が繰り返し揺れる様子は、ひとつの映像を見続ける経験とも異なります。
ニューミュージアムは、検索エンジンによる分類に沿ったり、それに逆らったりしながらネット上を漂う感覚を作品の特徴に挙げています。無数の画像の中で何を探し、どれを並べるかという行為が、作者の選択として前面に現れた例です。(参照:ニューミュージアム|Dina Kelberman《Smoke & Fire》)
実物より先に作品写真と出会う
遠くの都市で開催された展覧会を知るとき、最初に見るのはギャラリーが公開した記録写真であることが多くなりました。白い壁、照明、作品との距離は、その写真の中で一つの構図に整理されます。会場の空気や物体の大きさは、画像の解像度や画面のサイズに合わせて置き換えられます。
写真が再投稿されると、作品名や会場についての情報が省かれることもあります。ある彫刻がひとつの角度からだけ繰り返し見られれば、その画像が多くの人にとって作品の代表的な姿となります。作品の写真をどのように撮影し、選び、公開するかは、美術の流通に直接関わる仕事になりました。
フィアカントは《Image Objects》で、そうした記録写真を意識的に加工しました。展示会場で作品を見る体験とネット上で写真を見る体験を異なるものにする試みは、作品写真が持つ大きな影響力への作家自身の応答でもありました。(参照:Rhizome|Artist Profile: Artie Vierkant(2011))
ジョン・ラフマンとGoogleストリートビュー
Googleの撮影システムが作った巨大な画像群を、ラフマンは別の視点から見直しました。撮影者と選択者が分かれる状況に、写真の新しい可能性が現れます。
《The Nine Eyes of Google Street View》
ジョン・ラフマンは2009年、Googleストリートビューの画像を探索する《The Nine Eyes of Google Street View》を始めました。ストリートビューは地図サービスのために街路を撮影します。ラフマンは大量の道路画像の中から、抱擁、動物の姿、交通事故、奇妙な仕草、閑散とした風景など、偶然生じた場面を選び出しました。
その場面が撮影される瞬間に、作家が現地でカメラを構えていたわけではありません。画像を記録したのは企業が運用する撮影車で、ラフマンは後から画面を移動しながら作品となる場面を見つけています。意図せず写った人物や出来事が、地理情報の資料から鑑賞の対象へ変わります。
モントリオール現代美術館は、このシリーズをラフマンの代表的な実践として紹介しています。世界の街路を網羅しようとする企業の撮影システムから、誰も選ぶつもりのなかった一場面を見いだす方法は、写真家がどの時点で作品の構図を決めるかという問題を変えました。(参照:モントリオール現代美術館|Jon Rafmanの作品と活動)
自動撮影された写真を選ぶ
ラフマンの《The Nine Eyes of Google Street View》には、森の中でガスマスクを着けてうずくまる人物や、高級ブランド店の前を這う乳児、商業施設の駐車場を歩くトラなど、街路の撮影では予想しにくい場面が登場します。2012年の『ロサンゼルス・タイムズ』は、こうした画像を作家が見つけて選び取る過程を紹介しました。ありふれた地図の画面から、奇妙で、ときには不穏な写真が現れます。
ストリートビューでは複数のカメラが周囲を記録し、画像を接合して道路沿いの風景を表示します。撮影車の高い視点や、ぼかされた顔、画像がつながる箇所の不自然さも画面に残ります。ラフマンはそれらを消して伝統的な街頭写真に近づけるのではなく、画像がどのような装置によって作られたかを含めて選択しました。
街を歩いて撮影する写真家なら、その場で被写体との距離やシャッターを切る瞬間を選びます。ラフマンは公開後の画像を巡回し、偶然がひとつの構図に収まった場所を探しました。彼が選んだ写真には、撮影した企業の目的と、その目的からこぼれ落ちた出来事が同居しています。(参照:ロサンゼルス・タイムズ|ラフマンのストリートビュー作品(2012))
画面から写真展示へ
ラフマンはストリートビューから選んだ画像をネット上で紹介するとともに、写真として印刷し、美術館やギャラリーでも発表しました。2014年の北京UCCA《Art Post-Internet》では、ルーマニアの道路を捉えた《Nine Eyes of Google Street View (DC55, Ilfov, Romania)》などが展示されました。展覧会記録には、写真用紙へのプリントをアルミ複合板や透明な板、額縁と組み合わせた、幅162.5センチメートルの作品として記載されています。
地図サービスの画面では道順を調べたり、視点を移動させたりできます。展示室のプリントでは、作家が選んだ一場面が固定されます。観客は大きな写真の前に立ち、背景の細部や人物の配置を時間をかけて見ることになります。操作するための画像が、ひとつの構図を鑑賞する対象へ移されました。
撮影装置と元の画像データはGoogleが管理し、画像の選択、プリント、展示には作家と美術機関が関わります。作品の成立に複数の主体が関係していることは、ストリートビューを扱うこのシリーズの特徴です。(参照:UCCA/Google Arts & Culture|ラフマンの出品作品)
オリヴァー・ラリックと複製の新しい可能性
ラリックは古典彫刻、映画、アニメーション、3Dデータの間に繰り返し現れる形を追います。原作を保存することと、そこから新しい版を作ることの関係が作品になります。
《Versions》と複数の版
オリヴァー・ラリックの映像シリーズ《Versions》は、像がコピーされるたびに姿や意味を変える歴史を扱っています。古典彫刻、映画、アニメーション、ネットで流通する画像が並べられ、ある形が別の時代や媒体に受け継がれる過程が示されます。彫像の模刻とデジタル画像の複製が、同じ長い歴史の中に置かれるのです。
古代彫刻には、現存する像が後世の模刻であり、失われた原作の姿を伝えている例があります。ラリックは美術館の作品を参照しながら、複製された形からさらに新たな像を生み出します。同じ題材でも素材や大きさが変われば、見る人の身体との関係が変化します。
2013年の《Speculations on Anonymous Materials》に際して、フリデリチアヌムはラリックの仕事を、繰り返される表象と複製の問題として紹介しました。コピーを原作より劣ったものと見なす序列から離れ、複数の版が互いに次の制作を促す関係を探っています。(参照:フリデリチアヌム|Oliver Laric)
《Lincoln 3D Scans》の公開
2012年、オリヴァー・ラリックは英国リンカンのザ・コレクションとアッシャー・ギャラリーの収蔵品を三次元データに変換し、無料で公開する《Lincoln 3D Scans》を始めました。美術館から新作の提案を求められた作家は、単独の彫刻を制作することに加えて、既存の収蔵品を別の場所で使えるようにする方法を考えました。
博物館は所蔵する彫刻や歴史資料の表面を測定し、その形状をデータとして記録しました。2014年4月には、実際にスキャンを担当した職員が、約6か月の作業と成果を博物館の公式ブログで報告しています。公開された形状データは、鑑賞者がパソコンで回転させたり、別の画像や映像に組み込んだり、三次元プリンターで出力したりできるものでした。
美術館に置かれた彫刻を保存する仕事と、その形を新たな制作の出発点として広める仕事が重なります。元の収蔵品はリンカンに残り、そのデータは遠くにいる作家や利用者の手元で別の姿を取り始めました。(参照:リンカン博物館|3Dスキャン担当者の制作記録(2014))
美術館コレクションを再利用する
《Lincoln 3D Scans》から、具体的に新しい彫刻も制作されました。ラリックの《Hunter and his dog relief》(2014)は、彫刻家ジョン・ギブソンの《The Hunter and His Dog》をスキャンしたデータをもとに、手作業による鋳造を経て作られた作品です。データを公開した後、作家自身がその形を別の物体へと移し替えました。
この新作は、元になったギブソンの作品と同じ美術館のコレクションへ加えられることになりました。元の彫刻、三次元データ、ダウンロード用のウェブサイト、データから生まれた新作が、ひとつの収蔵・公開の仕組みの中に置かれます。ラリックにとって複製は、元の作品へ何度でも戻り、そこから別の版を作るための手段でもありました。
リンカン博物館の公式資料によれば、データは無料でダウンロードでき、利用に著作権上の制限を設けない方針で公開されました。保存のために測定された形が、別の誰かの手で加工され、展示される可能性まで含めて共有されたのです。(参照:リンカン博物館|ラリック展の作品解説(2014)/リンカン博物館|Lincoln 3D Scans展)
カーチャ・ノヴィツコヴァと画像の立体化
動物や自然の写真はネット上で非常に多く共有されています。ノヴィツコヴァは、それらを広告看板のような物体にすることで、見る人が画像に引き寄せられる仕組みを意識させました。
《Approximation》と切り抜かれた動物の像
カーチャ・ノヴィツコヴァの《Approximation》シリーズでは、ネット上で見つけた動物の写真が、輪郭に沿って切り抜かれた自立式の物体として展示されます。2013年のカメレオンをかたどった作品《Approximation V Chamäleon》では、動物の姿がデジタル印刷されたアルミニウム板によって、大きな立体的存在感を帯びています。
フリデリチアヌムの資料には、Google画像検索や情報配信サービスから収集した画像を利用したことが記されています。画面では指でスクロールして通り過ぎる動物の像が、展示室では高さ、厚み、床との距離を持ちます。立体でありながら写真特有の表面の平たさも残り、まるで画像だけが立ち上がっているように見えます。
カメレオンの作品は、雪景色の木々の間に置かれた姿でも記録されています。自然の中で生きる動物の像が、人工的な印刷面として現れることで、私たちが普段目にする「自然」が、撮影、検索、選択の過程を経た画像でもあることが際立ちます。(参照:フリデリチアヌム|Katja Novitskova《Approximation》)
自然科学の画像とインターネットの生態系
ノヴィツコヴァが《Approximation》の素材に選んだ動物写真は、もともと鑑賞用の美術写真とは限りません。検索結果に現れる動物の画像は、自然科学の紹介、報道、広告、娯楽、個人の投稿など、異なる場所から集まっています。動物の体の模様や目、鮮やかな色彩が画面で人の注意を引き、その画像は何度も保存・共有されます。作家が注目したのは、画像が集める視線そのものです。
ノヴィツコヴァは自身の作品解説で、動物の写真を背景から切り抜き、巨大な平面の彫刻へ拡大する方法を、商業的な看板制作の技術に近いものとして説明しています。ネット上の画像はアルミニウムの印刷面となって展示室へ移され、さらに展覧会の記録写真として再びオンラインへ公開されます。そこで同じ動物の像は、検索で見つかった画像とは別の場面を持って流通します。
この工程を辿ると、作品は動物のかわいらしさや奇妙さだけで成立しているわけではないことが分かります。どの画像が目を引き、どのように人々に共有されるのか。生物の姿を利用した作品は、画像が注目を集める経済と、ギャラリーで人が立ち止まる行為を結びつけています。(参照:カーチャ・ノヴィツコヴァ公式|Approximations)
デジタルの画像を支える物質
ネット上の動物画像は、画面では軽いファイルとして扱われます。ノヴィツコヴァがそれをアルミニウム板に印刷すると、作品には厚みや重さが生まれ、床に置くための支えが必要になります。印刷インク、金属板、照明の反射といった性質が、画像を展示室で見る体験に加わります。フリデリチアヌムが紹介したノヴィツコヴァの制作には、半導体部品に用いられるシリコンの薄板や樹脂を組み合わせた作品もあります。デジタル技術を支える材料を、実際の物体として見せる方法です。ネットワークを利用するには、機器の製造、電力、輸送といった現実の仕組みが必要です。
動物の印刷像と電子機器に由来する素材を並べることで、作家は自然とデジタル技術を同じ展示空間へ招き入れました。画像が自由に行き来する世界を、その移動を可能にする物質まで含めて捉える視点です。(参照:フリデリチアヌム|Katja Novitskova《Approximation》)
DISと商業画像の世界
広告やファッション誌に見える画像は、いかなる社会を理想の姿として示しているのでしょうか。DISは商業的な画像の作り方や流通の仕組みに入り込み、美術と企業イメージの関係を問い直しました。
DIS Magazineの出発点
DISは2010年前後にオンライン出版《DIS Magazine》を開始し、ファッション、美術、音楽、広告、消費文化を横断する画像や文章を発表しました。掲載される写真には、商品広告や企業の広報に似た、滑らかで清潔な画面が多く現れます。そこに不自然な人物の組み合わせや奇妙な振る舞いが入り込み、見慣れた商業画像の印象が揺れます。
ニューミュージアムは2010年、DISをファッション、美術、商業を横断するデジタル出版として紹介しました。DISが使うのは、消費文化の外側から距離を取るための図解よりも、その内部で実際に用いられる撮影技術や表現です。モデルのポーズ、健康的な身体、オフィスの清潔さなどが、わずかな違和感とともに提示されます。
《DIS Magazine》では、編集して公開するウェブ媒体そのものが活動の場となりました。商業的に見える写真が、鑑賞する作品にも、情報を届ける媒体にもなるという状態に、現代美術の制作と流通が重なっています。(参照:ニューミュージアム|DIS Magazine Presents(2010))
《DISimages》は実際に利用される画像庫
DISの《DISimages》は、実際に写真を探し、選び、購入できるストック画像のサービスとして構成されました。公式FAQには、商品をカートへ追加し、利用目的やファイルの大きさに応じたプランを選び、決済後にデータをダウンロードする手順が記されています。画像は美術館で見るために掲示されるだけでなく、雑誌や広告、商業出版のような別の場所で使われることを想定して制作されました。
掲載された画像は、通常のストック写真のように生活場面を分かりやすく表す形式を借りています。企業の会議、健康的な体、快適な暮らしといった見慣れた場面に、奇妙な人物の配置や不自然な身振りが混じることで、画像が暗黙のうちに示す理想像へ視線が向かいます。DISはその表現を「別の生活場面や新しいステレオタイプ」を生み出す仕事として説明しています。
サービスの形を実際に機能させた点が、この企画の特徴です。美術作品としての画像が、別の利用者によって購入され、異なる文脈で再登場する余地を持つ。写真の内容と、写真を売るための制度が一体となった作品でした。(参照:DISimages|公式FAQ)
ストック写真、使用許諾、表象の政治
ストック写真は「会議」「家族」「健康」「成功」といった抽象的な概念を、人物のポーズや明るい室内、整った衣服によって具体化します。大量の企業サイトや広告へ同じような画像が繰り返し使われると、ある種の生活像が標準的なものとして見えてきます。DISはその視覚的な決まり事を引き受け、広告にありそうで、どこか落ち着かない写真を制作しました。
《DISimages》の利用規約には、広告、編集物、美術展などの用途が区分され、クレジット表記や再販売の制限が示されています。利用者は単にファイルを受け取るのではなく、画像を使うための権利を契約することになります。画面で簡単に保存できそうな写真にも、商業的な所有と流通の仕組みが組み込まれています。
写真が購入者の広告や出版物へ移された後、鑑賞者はその画像がDISの企画から生まれたことを知らずに目にするかもしれません。商用画像の形式を借りることによって、作品の発表場所をギャラリーの外へ広げたのです。(参照:DISimages/Rhizome|画像利用規約)
ペトラ・コートライトとデジタル画像の表面
ウェブカメラや画像編集ソフトが日常の道具となる中、コートライトは低解像度の映像や画面上の加工を自らの制作へ取り込みました。その表現は、やがて物質的な支持体を持つ画像へも広がります。
ウェブカメラ《VVEBCAM》から始まる展開
ペトラ・コートライトの《VVEBCAM》(2007)は、家庭用ウェブカメラで撮影された1分43秒の映像作品です。作家はカメラに向かって座り、顔の周囲に動く装飾画像を重ねます。派手な映像効果は、特別な撮影設備によるものというより、パソコン上で使える簡便な加工機能から生まれています。
作品はYouTubeで公開され、検索語やコメント欄も鑑賞の環境に含まれました。MoMAの作品解説によれば、コートライトは刺激的な語を検索した利用者が動画へたどり着くようにし、その期待と画面上の自身の姿とのずれを利用しました。映像の内容に加え、どのように見つけられ、反応されるかも制作の一部でした。
2010年代になると、コートライトは画像編集ソフトで作った画面を物理的な支持体へ出力する制作も展開します。ウェブカメラの映像からデジタル画像の印刷へ、ソフトウェア上の操作を造形として生かす姿勢が続いていきました。(参照:MoMA|Petra Cortright《VVEBCAM》)
ソフトウェアを使った絵画的な制作
コートライトはデジタル絵画を制作するとき、インターネットから取り込んだ画像を画像編集ソフトの中で重ね、消し、色を混ぜ、別の画像片を加えていきます。取り込んだ風景や植物の写真も、加工を重ねるにつれて最初の姿が分からなくなります。キャンバスに絵の具を重ねる制作と同じように、途中で起こった偶然や操作の選択が画面の形を決めます。
画面上の制作では、一つの層を動かしたり、部分的に消したり、以前の状態へ戻したりできます。コートライトはこうした操作を、画像の修正作業としてだけでなく、色面と輪郭を作るための方法として用いました。完成像ができるまでは、作品はディスプレイの光によって見える可変的な画像です。
2013年の《Programmes Piratès》も、このような工程を経て生まれた作品です。クリスタル・ブリッジズ美術館は、重ねた画像が元の素材を覆い、新たな風景画へ変わっていく制作工程を紹介しています。(参照:クリスタル・ブリッジズ美術館|コートライトのデジタル絵画)
同じ画像を異なる支持体へ出力する
《Programmes Piratès》(2013)は、青い筆の跡を思わせる形が、緑の葉のような模様を含む画面に浮かぶ、幅約163センチメートルのデジタル絵画です。はっきりした輪郭を持たない色彩の重なりには、地面、水平線、空のような風景の名残も感じられます。クリスタル・ブリッジズ美術館は、この作品をアルミニウム板上のデジタル絵画として所蔵しています。
ファイルの中で重なっていた画像は、印刷によって一枚の物理的な表面へ固定されました。色を発するディスプレイで見る場合と、照明を受けるアルミニウム板を見る場合では、光の届き方も違います。展示室では、作品の大きさや表面を自分の身体との距離で確かめることができます。
ウェブカメラ映像《VVEBCAM》からこの作品へ至る過程には、パソコン上の身近な操作を制作の中心に置く姿勢が続いています。コートライトの場合、画像を作る動作はソフトウェアの中で進み、物理的な支持体への出力によって鑑賞の環境が変わります。(参照:クリスタル・ブリッジズ美術館|《Programmes Piratès》(2013))
デジタル映像が人間の身体を変える
高精細CG、監視技術、家庭用の画面操作は、人間の身体が映像の中に現れる方法を変えていきました。エド・アトキンス、ヒト・シュタイエル、ケン・オキイシは、それぞれ異なる媒体からこの状況に取り組みました。
エド・アトキンス《Us Dead Talk Love》
エド・アトキンスの《Us Dead Talk Love》(2012)は、二つの画面で展開する37分24秒の映像作品です。精巧に作られたCGの人物が、死体として言葉を交わします。顔の皮膚やまつげのような細部まで作り込まれた姿は生々しく、呼吸や体温を感じさせることさえあります。観客が目の前にしているのは、実際にそこにいる俳優の肉体とは異なる、計算によって形づくられた映像です。
2013年のMoMA PS1の個展では、二画面の映像に周囲を包む音響が組み合わされました。死者同士の対話は、愛や親密さ、身体の表象に話題を移しながら続きます。目元の繊細な造形と人間の声、編集による唐突な切り替わりが重なり、人物が生きているように感じる瞬間と、その作り物らしさが露わになる瞬間が交互に現れます。
アトキンスはデジタル映像の高度な再現力を使い、その像が持つ不気味さも作品の内部へ取り込みました。展示室で音に囲まれながら巨大な顔を見る経験は、CGを技術の実演として眺める経験とも、映画の登場人物に感情移入する経験とも異なります。肉体の細部を精密に再現するほど、像と身体の距離が意識される作品です。(参照:MoMA PS1|エド・アトキンス個展(2013))
ヒト・シュタイエル《How Not to Be Seen》
ヒト・シュタイエルの《How Not to Be Seen: A Fucking Didactic Educational .MOV File》(2013)は、見られずに済む方法を教える教育映像の形式を使った作品です。出演者が消えたり、画像の一部になったりする場面が、実写の風景とコンピューター映像を交えて示されます。平静な説明の声と、不条理な画面の組み合わせがユーモアを生んでいます。
舞台の一つは、米国カリフォルニア州の砂漠にある解像度測定用の地上図形です。航空機などから撮影するカメラの能力を測るために使われた巨大な模様の上を、人間が歩きます。画像の精密さを測定する装置と、自分の姿を見つけられたくない人間が、同じ映像に置かれました。
インターネットで自分の姿を公開できる社会では、画像を収集し、追跡する技術も発達しています。シュタイエルは、監視する視線と姿を見せることの複雑な関係を、奇妙なレッスンの連続として見せました。(参照:MoMA|Hito Steyerl《How Not to Be Seen》)
ケン・オキイシ《gesture/data》と画面への絵の具
ケン・オキイシの《gesture/data》シリーズでは、古いテレビ映像を再生する平面モニターに、油絵の具などが直接塗られています。映像が変化しても、手前に置かれた筆の痕跡は同じ場所に残ります。2013年に制作された作品は、2014年のホイットニー・ビエンナーレで展示されました。ホイットニー美術館の収蔵記録にも、2013年制作の《gesture/data》が掲載されています。
オキイシが素材にしたのは、1990年代などに家庭で録画されたビデオテープです。劣化したVHS映像や、別の番組を重ね録りした際に生まれる色のずれが、モニターの内側で動き続けます。作家は映像を流しながら表面に絵の具を置き、その色と画面に現れる色の関係を確かめました。古い磁気テープ、現在のディスプレイ、手で塗られた絵の具が同時に存在します。
着想の一つには、ジョアン・ミッチェルの大画面の絵画をスマートフォンで撮影し、その大きさが手元の小さな画面へ移る経験がありました。MoMAが所蔵する2014年制作の別の《gesture/data》は二つの液晶モニターを用い、油絵の具と映像用の塗料を重ねています。同じシリーズに属する2013年と2014年の作品を区別して見ると、絵画の筆触とデジタル画面の操作を結びつける試みの継続が分かります。(参照:ホイットニー美術館|《gesture/data》(2013)/MoMA|《gesture/data》(2014))
オンライン展示と作品アーカイブの変化
ネット上の作品を美術館はどのように紹介し、残すことができるのでしょうか。ニューミュージアムとRhizomeの活動は、ウェブそのものが展示会場となる可能性を広げました。
ニューミュージアム《First Look》
ニューミュージアムとRhizomeは2012年、ウェブを使う作品を紹介する《First Look》を開始しました。参加型のページ、画像を集めたウェブ作品、独自のプログラムを用いた企画などがオンラインで公開されます。美術館に足を運ぶことに加え、利用者が自分の端末から作品へアクセスする鑑賞の方法が作られました。
ウェブ作品は、公開された当時のブラウザ、通信環境、サービスの仕様によって体験が変わります。ページ上にある画像だけを保存しても、閲覧者が入力したり、クリックして表示が変わったりする仕組みは十分に残らない場合があります。こうした作品を継続的に公開するため、保存と記録の技術も必要になりました。
《First Look》にはラリック、ケルバーマン、ウルマンらの活動も関わっています。物理的な作品がオンラインへ紹介される流れと同時に、ウェブ自体を作品の場所とする方法が続いていたことを示す重要な企画です。(参照:ニューミュージアム|First Look(2012–))
《Image Atlas》と検索結果の地域差
タリン・サイモンとアーロン・スワーツは、2012年に《Image Atlas》を制作しました。検索語を入力すると、世界各地の検索サービスでその言葉に対応する画像がどのように並ぶかを比較できる作品です。Rhizomeの《Seven on Seven》をきっかけに生まれ、ニューミュージアムの《First Look》で公開されました。
同じ言葉から始めても、国ごとの検索結果には違いがあります。作品の公開時、ニューミュージアムは約60か国を比較できると紹介しており、国名順や国内総生産に沿った並べ替えも用意されていました。利用者は結果の列を眺め、ある国で上位に現れる画像が別の国では見つからないことに気づきます。
検索結果は、単なる世界の縮図ではなく、言語、利用されるサービス、地域の文化と結びついた画面です。《Image Atlas》は、ネットワークを通じて情報が世界へ広がる時代にも、見ることのできる画像の並びが場所によって異なる状況を作品にしました。(参照:ニューミュージアム|Taryn Simon/Aaron Swartz《Image Atlas》)
《Dissociations》と制作過程のアーカイブ
ハルム・ファン・デン・ドルペルの《Dissociations》(2013)は、完成した作品、参照した画像、過去の着想、制作途中の断片を関連づけて表示するウェブサイトです。ニューミュージアムの《First Look》で公開され、作家のポートフォリオとは異なる形で、制作の過程そのものを見せました。
画面を支える仕組みは、掲載された項目の関係を学習し、組み合わせを変えていきます。作家がある順序に固定して見せる展示とは異なり、利用するたびに新しい結びつきを発見できるよう設計されています。完成作のほかに、採用しなかった試みや影響源も同じ場へ置かれています。
ニューミュージアムは、この発想と美術史家アビ・ヴァールブルクの《ムネモシュネ・アトラス》との関係にも触れました。離れた画像を並べて関係を探る方法が、デジタルのアーカイブへ引き継がれています。作品集そのものを、作家の思考の変化を映し出す場にした実践です。(参照:ニューミュージアム|Harm van den Dorpel《Dissociations》)
2013年《Speculations on Anonymous Materials》
2013年、カッセルのフリデリチアヌムで企画された展覧会には、デジタル画像や工業素材を扱う作家が多数参加しました。そこで議論されたのは、既存の画像と物体の関係を新しく考える方法でした。
スザンネ・プフェファーによる展覧会
2013年9月29日、ドイツ・カッセルのフリデリチアヌムで《Speculations on Anonymous Materials》が開幕しました。企画したのは同館の芸術監督スザンネ・プフェファーです。エド・アトキンス、サイモン・デニー、ジョシュ・クライン、オリヴァー・ラリック、カーチャ・ノヴィツコヴァ、ケン・オキイシらが参加しました。CG、印刷画像、工業素材、既製品などを扱う作品が、歴史ある美術館の広い展示室に集められました。
展覧会の構成は、インターネットを利用する作家の外観を集めるものにとどまりませんでした。写真や3Dスキャンから立体が生まれ、コンピューター上で作られた人物が映像の中で身体を持ち、商品を思わせる物体が彫刻として現れます。展示のデザインには、ハッシュタグを付けた言葉や鮮やかな青が用いられ、情報の流通する画面を連想させる視覚要素が、会場の案内にも取り入れられました。
フリデリチアヌムの公式展覧会アーカイブには、2014年2月23日までの開催と記録されています。後に「ポスト・インターネット」としてまとめられる作家が数多く参加していても、展覧会の題名はその名称を掲げていません。同時代の物質論や複製の問題を含む、独自の企画として見ることができます。(参照:フリデリチアヌム|Speculations on Anonymous Materials)
既存画像と「匿名の素材」
《Speculations on Anonymous Materials》で扱われた「匿名の素材」には、すでに制作され、広く流通している画像や商品、データの形が含まれます。写真やCG、工業的な部品は、それを最初に誰が作ったのかを強く意識せずに見ることもできます。作家はそのような既存のものを選び、新たな組み合わせへ置きました。例えばラリックは歴史的な彫刻の複製を参照し、ノヴィツコヴァは検索で見つけた動物画像をアルミニウム板へ印刷しました。人が作った像の蓄積を素材として扱うと、作品の制作には、最初から形を作ることに加えて、選び、変え、並べる行為が含まれます。
会場の作品には、既製品を提示してきた20世紀美術とのつながりも見られます。デジタル文化によって画像を入手する手順や量が変わる中で、素材がどこから来たか、どのような方法で新たな物体になるかを、各作家が異なる形式で追っていました。(参照:フリデリチアヌム|Speculations on Anonymous Materials)
デジタル技術と新しい物質性
《Speculations on Anonymous Materials》では、実物と画像の質感が何度も接近しました。エド・アトキンスのCG映像には皮膚の細部まで再現された人物が現れ、ノヴィツコヴァの動物画像は印刷されたアルミニウム板として床に立ちます。ケン・オキイシは映像モニターへ絵の具を塗り、ジョシュ・クラインは身体を三次元的に記録して人工的な素材の彫刻へ変えました。これらは同じ技術を使用する作品ではありません。
画面では金属の光沢や皮膚の質感も画像として計算できます。展示室へ入ると、本物の金属板の厚み、シリコンの表面、モニターに付着した絵の具などが、鑑賞者の立つ位置や光によって別の表情を見せます。作品が作り出す質感が仮想のものか実際の物質かを見分けようとする経験も、展示の中に生まれました。
展覧会は、ネットワーク時代の制作を一つの技法へ統一するより、画像と素材をめぐる複数の実験を隣り合わせにしました。2010年代初頭の彫刻や映像が、情報技術から得た表面や身体像を、どのように現実の展示空間へ持ち込んだかを示す機会でした。(参照:フリデリチアヌム|Speculations on Anonymous Materials)
インターネット企業と現代美術
ネットワーク社会を支えるのは、プラットフォームを運営する企業や、それを利用する人々の仕事です。サイモン・デニーとジョシュ・クラインは、商品展示や職場環境の視覚言語から、この経済的な側面を扱いました。
サイモン・デニーと情報産業の展示
サイモン・デニーは、技術企業が自分たちを説明するために使う物体や画像を、展覧会の素材にしてきました。新製品を紹介する展示台、企業のロゴ、事業計画を説明する図表、広報映像などを集め、ギャラリーの中に再構成します。展示室を歩くと、現代美術展でありながら企業の見本市や製品発表会に来たような感覚が生まれます。
2015年にニューヨークのMoMA PS1で開催された個展《The Innovator’s Dilemma》では、情報産業とその企業文化を扱った複数の制作を紹介しました。技術産業の「革新」という言葉は、事業を説明する文章だけで広まるものではありません。ロゴやプレゼンテーション、グラフ、製品の見せ方を通して、その未来像が人々の目に届きます。デニーはそうした演出の道具を、作品として細かく観察しました。
この方法は、特定の企業の広告を模倣するだけでは終わりません。企業の説明する技術が、実際にはどのような組織や価値観に支えられているのか。展覧会の什器や図表を作品へ作り変えることで、私たちが普段は宣伝として通り過ぎている形式そのものに、注意を向けさせます。(参照:MoMA PS1|Simon Denny: The Innovator’s Dilemma)
《The Personal Effects of Kim Dotcom》と著作権
2012年、ファイル共有サービス「Megaupload」をめぐる捜査で、ニュージーランドに住む実業家キム・ドットコムの資産が押収されました。サイモン・デニーは、公開された押収品の目録から《The Personal Effects of Kim Dotcom》(2013)を制作し、ウィーンの近代美術館mumokで発表しました。110項目のリストには、現金、サーバー、高級車、モニター、美術品などが含まれていました。ネット上のファイルをめぐる争いが、具体的な財産の一覧として可視化されたのです。
デニーはリストにある物品を、実物そのものを集める代わりに、模造品、代用品、画像、企業資料などで再構成しました。等身大のフィギュアや大量の現金を模した立体、贅沢な寝台、サーバーを思わせる物体などが展示室に並び、捜査資料に書かれた抽象的な品目が、奇妙な陳列空間を作り出します。美術館の公式記録は、これを押収品の一覧を彫刻的に可視化したインスタレーションと説明しています。
作品の背景には、著作権をめぐる訴追やファイル共有の仕組みに関する論争があります。デニーが展示したのは、その論争の判決や正解ではなく、国家が押収し、項目ごとに記録した物の姿でした。画像とデータの所有をめぐる問題が、高級車やコンピューターという物体の形で観客の前に戻ってきます。(参照:mumok|サイモン・デニー《The Personal Effects of Kim Dotcom》(2013))
ジョシュ・クラインと働く身体
ジョシュ・クラインは、働く人間の身体を商品や情報のように扱う社会を、人工的な素材の彫刻で描き出しました。2013年のフリデリチアヌムでは、《Creative Hands》や《Tastemaker’s Choice》などが紹介されています。作品には、デザイナーやキュレーターといった創造的な職業に関わる人々の身体を三次元スキャンし、その一部をシリコンなどで再現した立体が登場します。
手は物を作り、触れ、指示するための器官です。クラインの作品では、そこから切り離された手が商品や展示品のように提示されます。シリコンの質感、陳列の仕方、飲料や化粧品を思わせる意匠が、人間の身体を働く能力として消費する状況へ観客の視線を向けます。広告的に整った外観には、身体を測定して複製する技術の冷たさも重なっています。
情報産業や文化産業では、新しいアイデアを作る能力も、個人が日々売り込み続けるものになります。クラインはその働き方を説明文として掲げるより、実際に働く手の形を、売られる品物のように見せました。デジタル技術が映像の外観を変える時代に、働く身体そのものが制作素材になっています。(参照:フリデリチアヌム|Josh Klineの作品解説)
2014年UCCA《Art Post-Internet》
北京のUCCAで2014年に開催された《Art Post-Internet》は、議論の途中にあった名称を国際的な展覧会へと広めました。その企画方針と同時代の批判を確認します。
北京で開かれた《Art Post-Internet》
2014年3月1日、北京のUCCA現代美術センターで《Art Post-Internet》が開幕しました。企画したのはカレン・アーキーとロビン・ペッカムで、展覧会は同年5月11日まで開催されました。出品者にはコリー・アーケンジェル、ペトラ・コートライト、サイモン・デニー、ジョシュ・クライン、ノヴィツコヴァ、ラフマン、ヒト・シュタイエル、フィアカントらが含まれています。
企画文は、ネットワークが文化の中心的条件となった社会で制作される作品を、画像の流通、広告、身体、監視、データ収集、情報の開放といった複数の観点から紹介しています。会場に置かれた立体や映像と、それらがオンラインでどのように記録され、紹介されるかも関係づけられていました。
企画者たちは作品や展覧会の記録が国際的に受け取られることまで意識していました。用語の意味がまだ議論されていた時期に、ポスト・インターネットを国際展の題名として提示したことは、その呼称が広く知られる大きな契機となりました。(参照:UCCA現代美術センター|Art Post-Internet(2014))
インターネット文化の地域差と中国での議論
北京で開催された《Art Post-Internet》には、主に欧米で活動する作家が参加しました。UCCAは関連する討論《Net-work》で、展覧会の対象が欧米に偏っている点に触れ、中国のネット文化と美術の関係について話し合う機会を設けました。2014年5月9日の企画には曹斐やグアン・シャオらも関わっています。同じ検索語を使っても、地域によって表示される画像や利用できるサービスは変わります。言語、通信政策、検閲、商業プラットフォームの違いは、作品を見つけ、公開し、共有する方法にも影響します。ネットワークによる接続が広がることと、すべての場所で同じ視覚文化が成立することは、別の問題として検討されました。
世界的な現象を説明する言葉が、どの地域の作家や作品を中心に作られたのか。北京の展覧会とその関連討論は、ポスト・インターネットという名称が普及するときに生じた地理的な偏りを考えるための重要な事例です。(参照:UCCA現代美術センター|Net-work(2014))
名称の普及とブランド化への批判
「ポスト・インターネット」という呼称が国際的に広まった2014年、その使われ方を批判する文章も発表されました。批評家ブライアン・ドロイトクールは『Art in America』の「The Perils of Post-Internet Art」で、作品がギャラリーの記録写真として魅力的に見えることを重視しすぎていると批判しました。照明の整った白い展示室と、オンラインで鮮やかに映る画像が、美術市場の中でどのように結びつくかを問題にしたのです。
当時「ポスト・インターネット風」と呼ばれた作品には、光沢のある印刷面、透明な素材、商品ディスプレイを思わせる台座などが繰り返し見られました。写真として流通しやすい外観が注目を集めると、何を制作し、どのような制度へ働きかけているかという作品固有の関心が見えにくくなります。ドロイトクールの批判は、この名称が作品の説明と市場の宣伝を同時に担う状況へ向けられていました。
こうした批判は、同じ名称に含まれた作品の違いを確かめる手がかりにもなります。例えばラリックの公開3Dデータと、DISのストック画像サービスでは、制作物の利用方法も、観客の参加の仕方も異なります。共通の見た目を探すより、各作品が実際にどのような行為を可能にしたかを追う必要があります。(参照:オレゴン大学|ブライアン・ドロイトクールの批評(2014))
アマリア・ウルマンとSNS上の人格
2014年、ウルマンはInstagramとFacebookに自身の演じる人物像を投稿し続けました。日常の投稿と芸術作品が同じ画面に現れたとき、観客と作者の関係がどう変わったのかを考えます。
2014年《Excellences and Perfections》
2014年4月19日、アマリア・ウルマンは自身のInstagramに、白地に黒い文字で「Part I」と書いた画像を投稿しました。これが《Excellences and Perfections》の始まりでした。9月14日に終わるまでの約5か月間、彼女はInstagramとFacebookに写真や文章を投稿し続け、若い女性が自己改造や消費によって生活を変えていく物語を演じました。作品の会場は、普段から友人や見知らぬ人が行き来するSNSのアカウントでした。
投稿には花、ブランドの衣服、整えられた室内、食事、身体を写した写真などが並びます。ホテルの部屋や鏡の前で撮られた画像は、個人が日常を記録する投稿によく似ています。作品全体には脚本が用意されていましたが、フォロワーはその経緯を知らないまま、普段のSNSの投稿と同じ画面で見ていました。
ニューミュージアムの記録によると、開始の投稿には28件の「いいね」が付きました。後に作品として紹介された画像も、その時点では作家個人の生活の断片として受け取られていたのです。時間をかけて投稿を重ねることが、人格を演出する方法であると同時に、作品そのものの進行になりました。(参照:ニューミュージアム|Amalia Ulman《Excellences and Perfections》)
フォロワーの反応と演出される自己
《Excellences and Perfections》の途中で、ウルマンは豊胸手術を受けたように見せる投稿を行いました。病院着、包帯、胸元を変えて見せる下着、画像加工などを組み合わせ、手術の経過を記録したような写真を作っています。同じアカウントには、高級な衣服やホテルの室内、健康食品、身体を鍛える生活の断片も登場しました。これらはSNS上で見慣れた自己演出の形式です。
ニューミュージアムによれば、投稿に接した人々からは心配、共感、批判、性的な反応などが寄せられました。作家の身近な友人でさえ、画面の中の人格と普段のウルマンとの関係に戸惑ったと記録されています。作品に参加した人々は、美術展の観客として入場する必要がなく、ふだん通り投稿を読んで反応していました。
脚本があると知ってから過去の投稿を見返すと、偶然の日記のように見えた画像が、人物の変化を演出するために選ばれていたことに気づきます。投稿の時間帯、ハッシュタグ、身近さを演出する文章まで含めて、作品はSNSの習慣そのものを扱いました。フォロワーの実際の反応は、あらかじめ書かれた物語へ、その場で起きた出来事を重ねています。(参照:ニューミュージアム|Amalia Ulman《Excellences and Perfections》)
ジェンダー、身体、SNS作品の保存
自分自身の姿を使い、演じられた女性像を写真として提示する方法には、長い美術史があります。シンディ・シャーマンは《Untitled Film Stills》(1977〜80年)で、映画の登場人物のような姿を自ら演じ、70枚の白黒写真に収めました。衣服、化粧、身体の向き、撮影場所を変えることで、女性の典型的な役柄が次々に現れます。こうした先行作品と比較すると、ウルマンが2014年に選んだSNSという場の特性が明確になります。
《Excellences and Perfections》では、役柄が一枚の写真に収まるのと同時に、アカウントに投稿が積み重なることで人物の生活が進行しました。花や食事、服装、身体改造を思わせる写真が、実際のフォロワーの反応を受けながら公開されます。見る人は、完成したシリーズを一度に眺めるより前に、日々の投稿をひとりの人物の生活として受け取っていました。女性の身体や成功に向けられる期待が、その反応の中にも表れました。
作品終了後の2014年10月、RhizomeはSNSの保存技術を用い、Instagramで行われたパフォーマンスを記録して公開しました。写真だけを抜き出すと、投稿の順序や説明文、当時の画面、鑑賞者の反応が見えにくくなります。SNS上の出来事を歴史的な作品として残すには、画像とともに、それが読まれた時間や環境も保存の対象になります。(参照:MoMA|シンディ・シャーマン《Untitled Film Stills》/Rhizome|ウルマン作品の保存(2014))
ポスト・インターネットと美術館の変化
2014年から2015年にかけて、画像の再利用や流通をめぐる議論が、映像や写真の歴史を検討する美術館の展覧会へ入りました。作品がどのように収蔵され、分類されるかにも変化が現れます。
2014年MoMA《Cut to Swipe》
2014年10月、ニューヨーク近代美術館で《Cut to Swipe》が開幕しました。展覧会は、テレビ映像を切り貼りして再編集する歴史から、スマートフォンの画面を指で操作する時代まで、映像の引用と加工をめぐる制作を紹介しました。ダラ・バーンバウム、ケン・オキイシ、ヒト・シュタイエル、ジェームズ・リチャーズらの作品が取り上げられています。
「切る」という編集の操作と、画面を「スワイプ」する動作が展覧会名に並びます。かつてテレビやビデオの映像を再編集した作家と、現在のデジタル画面を扱う作家を同じ場へ置くことで、複製や流通の技術が変化してきた歴史が示されました。
オキイシの《gesture/data》では、映像を再生するモニターの表面に絵の具が塗られています。作品を通して、編集する画像と物理的な画面が触れ合う場所も、映像の歴史を考えるための題材になりました。(参照:ニューヨーク近代美術館|Cut to Swipe(2014–15))
2015年MoMA《Ocean of Images》
2015年11月7日から2016年3月20日まで、ニューヨーク近代美術館は《Ocean of Images: New Photography 2015》を開催しました。14か国から19組の作家・集団が参加し、その中にはDISやカーチャ・ノヴィツコヴァ、木村友紀、志賀理江子らも含まれていました。写真の新しい動向を扱う同館の展覧会シリーズで、インターネット時代の画像文化が大きく取り上げられました。
会場には、従来の写真プリントに加えて、冊子、映像、立体的な構造、切り抜かれた画像などが現れます。MoMAの公式解説は、デジタルで生まれた画像やカメラ、スキャナーで得られた画像が、さまざまな媒体へ移る状況をテーマに挙げています。
展覧会の題名にある「画像の海」は、インターネットで大量の画像が流通する環境を連想させます。作家はその中から画像を選び、新しい並びや物体を作ります。画像が一枚の紙に固定される場合と、多様な媒体を移動する場合の両方が、同時代の写真として提示されたのです。(参照:MoMA|Ocean of Images: New Photography 2015)
写真と作品の媒体を問い直す
2015年の《Ocean of Images》には、DISやカーチャ・ノヴィツコヴァの作品が参加しました。DISは広告やストック画像の仕組みを美術へ持ち込み、ノヴィツコヴァはネット上の動物写真をアルミニウムの切り抜き型の物体へ変えました。同じ写真の展覧会に出品されながら、二者の制作には大きな違いがあります。どちらも写真の撮影から額装された一枚のプリントへ進む、という一般的な工程には収まりません。
こうした変化には、写真史の中ですでに長く続いてきた引用や複製の歴史も関係しています。既存の広告写真を使うことや、撮影した画像を別の媒体へ移すこと自体は2010年代に突然生まれた発想ではありません。インターネットに接続された大量の画像へ日常的にアクセスできるようになり、検索、保存、加工、再投稿が制作の標準的な工程に入り込んだ点に、この時期ならではの条件があります。
MoMAがこの展覧会を写真部門で企画したことには、美術史的な意味があります。カメラを扱う作家に加え、流通する画像を選び直す作家や、既存画像を立体化する作家が、写真の新しい状況として紹介されました。会場に置かれた紙、映像、物体を見比べることで、同じ画像が媒体ごとにどのような姿を取るかを確かめられる展示でした。(参照:MoMA|Ocean of Images: New Photography 2015)
2010〜2015年に何が変わったのか
約5年間の展開を通して、ポスト・インターネットは批評の言葉から国際展の名称となり、美術館の写真史にも入りました。最後に、作家が変えたことと、社会の技術環境が変えたことを整理します。
画像、物体、展示写真が循環する
2010年代前半のポスト・インターネットをめぐる作品では、画像がどこから来て、どこへ届くかが制作の内部に入り込みました。フィアカントは物体を展示した後、その記録写真を加工し直します。ラフマンは企業が撮影した街路画像を選び、ノヴィツコヴァはネット上で見つけた動物写真を板に印刷して立たせました。作品の最初と最後が、単一の画面や一つの展示室だけで決まるわけではありません。
こうした仕事は、画像を集める人、制作する人、撮影する人、公開する人の役割が重なり合う環境から生まれました。ギャラリーで展示を見た人と、ネット上の加工写真を見た人が違う像に出会うこともあります。美術館の立体作品のデータを受け取り、別の作家が新しい造形を制作することも可能です。
フィアカントの論考「The Image Object Post-Internet」が論じたのは、こうした画像と物体の関係の変化でした。制作、撮影、流通、再利用を一連の時間として見ることで、2010年前後の作品が共有していた条件を捉えやすくなります。(参照:アルティ・フィアカント|The Image Object Post-Internet)
この名称をめぐる批判と有効性
2015年6月、批評家モーガン・クエインタンスは『Art Monthly』に「Right Shift」を発表し、ポスト・インターネット・アートを、共通する外観や価値観を持った一つの潮流として批判しました。論考は、ネットワークが日常へ浸透したという広い社会的条件と、ニューヨーク、ロンドン、ベルリンなどを中心とする特定の美術文化を区別しています。限られた集団の趣味や社会的背景が、時代全体を代表する美学として語られることに疑問を向けたのです。
クエインタンスはさらに、企業の視覚言語を作品が取り込むことと、それを批判することの間に距離があると指摘しました。社会的な立場や資金、アクセスの条件が十分に検討されないまま、広告やSNSの形式が新しい表現として消費されることを問題視しています。前年にドロイトクールが記録写真と美術市場の関係を批判したのに続き、名称の内側にある社会的な偏りが論争の対象となりました。
こうした批評は、ポスト・インターネットという言葉をどこまで有効に使えるかを考える史料です。オルソンの初期の発言、ラリックの公開データ、ウルマンのSNSパフォーマンスを並べると、作家ごとの制作意図と社会的な条件を確かめる必要性がはっきりします。(参照:Art Monthly|モーガン・クエインタンス「Right Shift」(2015))
2015年以降に残された問題
2015年のニューミュージアム・トリエンナーレ《Surround Audience》は、ネットワークが人間の自己像や社会関係、美術の形式へ及ぼす影響を主題に掲げました。ローレン・コーネルとライアン・トレカーティンの企画により、25か国以上から51組の作家が参加しています。ポスト・インターネットの議論で扱われてきた画像と生活の関係は、美術館が現代の状況を検討するための大きな主題にもなりました。
翌2016年には、商業画像の制作やオンライン出版に取り組んできたDISが、第9回ベルリン・ビエンナーレ《The Present in Drag》のキュレーションを担当しました。広告や企業の発表方法を作品へ取り込んでいた集団が、国際展全体の構成を担う立場へ移ったのです。この展覧会では、デジタル文化と消費、自己演出の関係が、美術の展示方法だけでなく広報の形式にも及びました。
こうした展開を経て、作品写真の流通、オンライン上の人格、画像の保存と再利用は、特定の名称を超えて現代美術の制作条件として扱われ続けます。同じ頃、画像の収集や分類、通信の監視を主題とする実践も広がっていきました。2010〜2015年のポスト・インターネットをめぐる議論は、その後の美術が画像をどう扱うかという問題へ接続しています。(参照:ニューミュージアム|Surround Audience(2015)/ベルリン・ビエンナーレ|The Present in Drag(2016))
略年表
ポスト・インターネットという呼称が広まる前史から、2015年の主要展覧会までを年代に沿って整理しました。作品の制作年、公開年、書籍の刊行年、展覧会の開催年を区別しています。
- 1995|インターネット上の作品やウェブサイトそのものを扱う美術が広がり、後の議論につながる。
- 2001|画像検索など、ネット上の既存画像へアクセスする新しい環境が広がっていく。
- 2002|セス・プライスが作品の流通や複製を論じる「Dispersion」を発表する。
- 2004|Flickrが始まり、写真を共有して検索する文化が広がる。
- 2005|YouTubeが始まり、動画の公開・視聴・共有の仕組みが変化する。
- 2006|マリサ・オルソンが、ネットでの経験と制作の関係を語り始める。
- 2007|Googleストリートビューが登場し、企業が撮影した街路画像を閲覧できるようになる。
- 2007|ペトラ・コートライトがウェブカメラ映像《VVEBCAM》を制作する。
- 2008|セス・プライスが論考「Dispersion」を大型の樹脂パネルへ印刷した《Essay with Knots》を制作する。
- 2008|「Internet Aware Art」など、ネットワークの影響を扱う呼称が議論される。
- 2009|ジョン・ラフマンが《The Nine Eyes of Google Street View》を展開する。
- 2009|ジーン・マクヒューがブログ《Post Internet》を開始する。
- 2010|マクヒューの《Post Internet》が継続され、批評の語として議論が広がる。
- 2010|アルティ・フィアカントが「The Image Object Post-Internet」を発表する。
- 2010|カーチャ・ノヴィツコヴァがウェブ上の情報を収集・編集する活動を進める。
- 2010|ニューミュージアムでローレン・コーネル企画《Free》が開幕する。
- 2011|《Post Internet Survival Guide 2010》が出版社から刊行される。
- 2011|フィアカントが《Image Objects》を展開し、展示写真を加工して公開する。
- 2012|オリヴァー・ラリックが《Lincoln 3D Scans》を開始する。
- 2012|タリン・サイモンとアーロン・スワーツの《Image Atlas》が公開される。
- 2012|ノヴィツコヴァの《Approximation》シリーズが始まる。
- 2012|エド・アトキンスが二面映像作品《Us Dead Talk Love》を制作する。
- 2013|ニューミュージアムが《Dissociations》《Smoke & Fire》などをオンラインで紹介する。
- 2013|ヒト・シュタイエルが《How Not to Be Seen》を制作する。
- 2013|サイモン・デニーが《The Personal Effects of Kimdotcom》を制作する。
- 2013|カッセルのフリデリチアヌムで《Speculations on Anonymous Materials》が開幕する。
- 2014|ケン・オキイシが映像を流すモニターへ絵の具を塗った《gesture/data》を制作する。
- 2014|北京UCCAで《Art Post-Internet》が開催される。
- 2014|アマリア・ウルマンがSNSパフォーマンス《Excellences and Perfections》を実行する。
- 2014|MoMAで《Cut to Swipe》が開幕し、映像の引用・加工の歴史を示す。
- 2014|ニューミュージアムの《First Look》で《Lincoln 3D Scans》が紹介される。
- 2015|ニューミュージアムで《Surround Audience》が開催される。
- 2015|MoMA PS1でサイモン・デニー《The Innovator’s Dilemma》が開催される。
- 2015|MoMAで《Ocean of Images: New Photography 2015》が開幕する。
- 2016|《Ocean of Images》が閉幕し、デジタル時代の写真をめぐる議論を引き継ぐ。
- 2016|DISが第9回ベルリン・ビエンナーレ《The Present in Drag》の企画を担当する。
まとめ
ポスト・インターネットという言葉は、2000年代末から2010年代初頭にかけて、ネットワークが日常の制作環境となった状況を説明するために広まりました。オルソンらの発言とマクヒューのブログは、まだ名前の定まらない同時代の試みを記録しています。フィアカントは物体と展示写真を別々に制作し、作品の姿が複製と再編集によって変わることを具体的に示しました。
ラフマンは企業が撮影した画像を選び、ラリックは歴史的な彫刻の三次元データを公開しました。ノヴィツコヴァは検索画像から物体を作り、DISは商業画像の販売と流通の制度へ働きかけます。ウルマンの長期的なSNSパフォーマンスは、個人の生活そのものが写真の投稿によって演出される環境を作品にしました。
2013年の《Speculations on Anonymous Materials》、2014年の《Art Post-Internet》、2015年の《Ocean of Images》を経て、こうした試みは国際展や写真史の議論へ組み込まれます。作品の見た目が似ているという理由だけで作家をまとめる危険も、早くから議論されました。この時代の特色は、画像と物体の間を移動する手順を、各作家が異なる造形と方法へ変えていった点にあります。
参考資料・出典
本記事は、当時の作家の文章とインタビュー、美術館の収蔵記録、展覧会公式資料、デジタル・アートの保存機関による記録を参照して構成しました。作品の制作と公開、展覧会の開催、関連書籍の刊行を区別し、ポスト・インターネットという言葉が作家によって異なる意味で使われていた歴史的な状況を踏まえています。
- Gene McHugh/Rhizome|Post Internet(2009–10)
- Rhizome|Marisa OlsonとPost-Internetの初期議論
- Rhizome|Internet Aware Artをめぐる2008年の議論
- ニューミュージアム|Free(2010–11)
- Revolver Publishing|Post Internet Survival Guide 2010
- カーチャ・ノヴィツコヴァ|Post Internet Survival Guide 2010
- アルティ・フィアカント|The Image Object Post-Internet
- Rhizome|Artist Profile: Artie Vierkant(2011)
- モントリオール現代美術館|Jon Rafmanの作品と活動
- モントリオール現代美術館|Jon Rafman所蔵作品
- ニューミュージアム|Oliver Laric: Lincoln 3D Scans
- フリデリチアヌム|Oliver Laric
- ニューミュージアム|DIS Magazine Presents(2010)
- DISimages/Rhizome|ストック画像ライブラリー
- DISimages/Rhizome|画像の利用契約
- フリデリチアヌム|Katja Novitskova《Approximation》
- フリデリチアヌム|Speculations on Anonymous Materials
- フリデリチアヌム|Speculations展公式解説冊子
- MoMA|Petra Cortright《VVEBCAM》
- Rhizome ArtBase|Petra Cortright《VVEBCAM》
- MoMA|Ed Atkins《Us Dead Talk Love》
- MoMA PS1|Ed Atkins展(2013)
- MoMA|Hito Steyerl《How Not to Be Seen》
- MoMA|Hito Steyerlの映像作品解説
- ニューミュージアム|First Look(2012–)
- ニューミュージアム|Taryn Simon/Aaron Swartz《Image Atlas》
- ニューミュージアム|Harm van den Dorpel《Dissociations》
- ニューミュージアム|Dina Kelberman《Smoke & Fire》
- フリデリチアヌム|Josh Klineの作品解説
- MoMA PS1|Simon Denny: The Innovator’s Dilemma
- UCCA現代美術センター|Art Post-Internet(2014)
- UCCA現代美術センター|Net-work(2014)
- ニューミュージアム|Amalia Ulman《Excellences and Perfections》
- MoMA|Cut to Swipe(2014–15)
- MoMA|Manipulating Cultural Material: Cut to Swipe
- MoMA|Ocean of Images: New Photography 2015
- MoMA|Installing Ocean of Images(展覧会記録)
- MoMA|Dara Birnbaum《PM Magazine》(1982)
- MoMA|James Richards《Not Blacking Out, Just Turning the Lights Off》
- MoMA|Ken Okiishi《gesture/data》
- ホイットニー美術館|Cory Arcangel《Super Mario Clouds》
- MoMA|Seth Price《Essay with Knots》
- SFMOMA|Penelope Umbrico《Suns from Flickr》
- 2008年マリサ・オルソン本人インタビュー|We Make Money Not Art
- DISimages|ストック画像サービスの公式FAQ
- クリスタル・ブリッジズ美術館|《Programmes Piratès》(2013)
- パームスプリングス美術館|ペトラ・コートライトのデジタル絵画
- ニューヨーク近代美術館|《gesture/data》(2014)
- リンカン博物館|《Lincoln 3D Scans》制作記録(2014)
- リンカン博物館|オリヴァー・ラリックの彫刻委嘱
- カーチャ・ノヴィツコヴァ公式|Approximations
- mumok|サイモン・デニー《The Personal Effects of Kim Dotcom》
- mumok|サイモン・デニー収蔵作品
- オレゴン大学|ブライアン・ドロイトクールの批評(2014)
- Art Monthly|モーガン・クエインタンス「Right Shift」(2015)
- Rhizome|アマリア・ウルマン《Excellences & Perfections》の保存
- And/Or Gallery|マリサ・オルソン《Monitor Tracings》(2007)
- アルティ・フィアカント公式|Image Objects(2011–)
- ロサンゼルス・タイムズ|ラフマンのストリートビュー作品(2012)
- UCCA/Google Arts & Culture|ラフマンの出品作品
- リンカン博物館|ラリック展の作品解説(2014)
- リンカン博物館|Lincoln 3D Scans展
- ホイットニー美術館|《gesture/data》(2013)
- MoMA|シンディ・シャーマン《Untitled Film Stills》
- ニューミュージアム|Surround Audience(2015)
- ベルリン・ビエンナーレ|The Present in Drag(2016)
資料確認日:2026年10月17日 / ART LIBRARY