Art Library
Art History

2010–2015

Post-Internet Art

画像、物質、Tumblr、オンライン/オフライン

2010年代初頭、「インターネットを使った美術」と「それ以外の美術」を分けることが急速に難しくなりました。彫刻や写真を制作しても、その作品は撮影され、ギャラリーのウェブサイトへ掲載され、TumblrやSNSへ転載されます。作家は画像検索から素材を集め、オンラインで見つけた画像をプリントや彫刻へ変換し、美術館は展覧会の記録や作品をウェブ上で世界へ公開します。作品が物理的であっても、その制作と受容はネットワークから切り離せなくなりました。

この状況を説明するために広がったのが「Post-Internet」という言葉です。Marisa OlsonやGuthrie Lonerganが2000年代後半にネットワークの影響をオンラインの外まで考え始め、Gene McHughは2009年末からブログ《Post Internet》を継続しました。2010年にはKatja Novitskovaが《Post Internet Survival Guide 2010》を編集し、Artie Vierkantが「The Image Object Post-Internet」を発表します。ここで問題になったのは、ブラウザ上で作品を作ることだけではなく、画像が検索され、コピーされ、加工され、物体となり、再び写真として流通する循環全体でした。

その後、Vierkantは《Image Objects》で物理作品と展示写真の関係を意図的に崩し、Jon RafmanはGoogle Street Viewが自動撮影した世界を探索し、Oliver Laricはコピーや3Dスキャンを新しい制作の出発点へ変えます。DISは美術とファッション、広告、ストック画像の境界へ入り込み、Novitskovaはオンラインで流通する動物や科学画像を展示空間の物体へ変えました。2014年にはAmalia UlmanがInstagramそのものを脚本化されたパフォーマンス空間として使います。

本記事ではPost-Internet Artを一つの様式として扱いません。クローム、透明素材、デジタルプリント、商品ディスプレイといった視覚的共通点だけではなく、作品記録、検索、コピー、作者性、SNS上の人格、商業画像、展示写真、オンラインと物質空間の循環という構造的な変化を追います。そして2014年UCCA《Art Post-Internet》と2015年MoMA《Ocean of Images》までをたどり、この言葉がなぜ急速に広まり、同時に急速に批判されるようになったのかを整理します。

CONTENTS

  1. Post-Internet Artとは何を指すのか
  2. 「post」は終焉ではなく浸透を意味する
  3. 正式な運動ではない
  4. Internet Artとの違い
  5. Marisa Olsonと「Post-Internet」
  6. Guthrie Lonerganと「Internet Aware Art」
  7. 2009–2010年 Gene McHugh《Post Internet》
  8. 理論そのものがブログとして流通する
  9. 2010年New Museum《Free》
  10. 《Free》が示した転換
  11. Katja Novitskova《Post Internet Survival Guide 2010》
  12. なぜ「Survival Guide」なのか
  13. 画面から本へ移す
  14. 2010年 Artie Vierkant「The Image Object Post-Internet」
  15. 画像と物体を分けない
  16. Artie Vierkant《Image Objects》
  17. 展示写真は中立的な記録ではない
  18. どれが「本物」なのか
  19. 実物より作品写真の方が多く見られる
  20. Tumblrと画像ブログの文化
  21. サーフィンを制作行為として考える
  22. Jon Rafman — Googleのカメラが撮った世界を選ぶ
  23. 《The Nine Eyes of Google Street View》
  24. 機械が先に撮影し、人間が後から意味を与える
  25. オンライン画像を物理的な写真へ戻す
  26. Oliver Laric — コピーを劣化ではなく変化として見る
  27. 《Versions》と複数の版
  28. 2012年以降《Lincoln 3D Scans》
  29. コレクションを「見る」から「使う」へ
  30. DIS — 美術、ファッション、商業を分けない
  31. 企業的な見た目を単純に風刺しない
  32. DISimages — ストック写真会社を作品にする
  33. ライセンス契約も作品の一部になる
  34. ストック画像が世界をどう作るか
  35. Katja Novitskova — ネット画像を切り抜き彫刻へ
  36. 《Approximation》と画像の身体化
  37. 画像を「生態系」として見る
  38. 「デジタル=非物質」という理解を疑う
  39. 2013年《Speculations on Anonymous Materials》
  40. 「匿名の素材」とは何だったのか
  41. 《Speculations》をPost-Internet展と単純化しない
  42. 画面の向こうから物質が戻ってくる
  43. 2014年UCCA《Art Post-Internet》
  44. UCCAが示した定義
  45. 欧米中心性という限界
  46. 名称そのものがブランド化する
  47. 「Post-Internetっぽい見た目」の形成
  48. ウェブから戻った作品がホワイトキューブへ入る
  49. 展示空間が撮影スタジオのようになる
  50. 作品写真にも経済がある
  51. Petra Cortright — ブラウザから絵画的な表面へ
  52. 「ファイル」は複数の出力先を持つ
  53. Amalia Ulman《Excellences and Perfections》
  54. SNSのプロフィールをパフォーマンス空間にする
  55. 自己表象はどこまで演出されているのか
  56. ジェンダーとプラットフォーム
  57. 終わったSNS作品をどう保存するか
  58. New Museum First Lookとオンライン展示制度
  59. Post-InternetはInternet Artを終わらせない
  60. 2012年《Image Atlas》— 検索結果は世界共通ではない
  61. インターネットは世界を均一化しない
  62. 2013年Harm van den Dorpel《Dissociations》
  63. 作家自身のアーカイブをシステムが並べ替える
  64. 2013年 — 「画像の過剰」が共通条件になる
  65. 制作と流通を分けられない
  66. 物体→写真→投稿→物体という循環
  67. ミーム的な変形と美術
  68. 作者性は消えるのではなく変化する
  69. 著作権と共有の矛盾
  70. 商業と批評の距離
  71. 市場が名称を加速させる
  72. 「光沢のあるものを置けばPost-Internet」ではない
  73. UlmanはVierkantやNovitskovaとは別の方向にいる
  74. 身体も画像として管理される
  75. 画像の背後にデータがある
  76. ネットワークは共有だけでなく監視でもある
  77. 2015年MoMA《Ocean of Images》
  78. 写真は額装プリントだけではなくなる
  79. DISがMoMAの写真展へ入る
  80. Novitskovaと写真の三次元化
  81. 写真とは撮影なのか、画像の運用なのか
  82. オリジナルが完全に消えたわけではない
  83. 物質と画像は対立しない
  84. オンライン/オフラインの二分が崩れる
  85. 美術館もネットワーク化する
  86. 展覧会は現地だけで受容されない
  87. 誰が撮影し、どの写真が歴史として残るのか
  88. Post-Internetへの批判はなぜ強かったのか
  89. それでもこの名称が有用だった理由
  90. 「デジタル・ネイティブ世代」だけの美術ではない
  91. 2010–2015年に何が変わったのか
  92. Post-Internetという名称のその後
  93. 次の時代へ — 監視、ビッグデータ、機械の視覚
  94. 参考資料・出典

Post-Internet Artとは何を指すのか

Post-Internet Artという言葉は、「インターネットが終わった後の美術」を意味しません。むしろインターネットが社会へ浸透し、特別な新技術として意識されなくなった状況の中で制作される美術を考えるために使われました。

作品がウェブサイトの中に存在する必要もありません。彫刻、写真、映像、印刷物、展示空間であっても、その制作、参照、流通、撮影、再投稿、検索、鑑賞がネットワークを前提としているなら、インターネットは作品の外部条件ではなくなります。

「post」は終焉ではなく浸透を意味する

2014年UCCA《Art Post-Internet》のキュレーターKaren ArcheyとRobin Peckhamは、Post-Internetをインターネットの「後」という年代区分ではなく、ネットワークが中心的条件であることを前提にした思考状態として説明しました。

この意味でPost-InternetはPostmodernismの「post」とも完全には同じではありません。インターネットという媒体を乗り越えたのではなく、逆にネットワークが日常へ深く入り込み、オンラインとオフラインを明確に分けにくくなった状態を指します。

正式な運動ではない

Post-Internet Artは、作家たちが共同宣言を出して結成した運動ではありません。Marisa Olson、Artie Vierkant、Katja Novitskova、Jon Rafman、Petra Cortright、Oliver Laric、DISなどは、それぞれ異なる場所と方法で制作していました。

名称は批評、ブログ、オンライン・コミュニティ、展覧会を通して広がり、後から複数の作家が同じ枠組みで語られるようになりました。そのため、作品を一つの見た目へ還元するより、なぜこの言葉が必要になったのかを見ることが重要です。

Internet Artとの違い

1990年代のInternet Artでは、HTML、ブラウザ、URL、電子メール、サーバーなどネットワークそのものを作品媒体として使うことが中心的な問題でした。JODIやOlia Lialinaの作品は、ウェブ上で動くこと自体が作品の成立条件でした。

Post-Internet Artでは、作品がネット上にあるかどうかは必須条件ではありません。検索で得た画像を彫刻にする、Tumblrで共有された視覚語彙を展示空間へ持ち込む、物質作品がオンライン写真としてどう見えるかまで考えるといった形で、インターネットが制作の前提環境になります。

Marisa Olsonと「Post-Internet」

Marisa Olsonは2000年代後半、自身の制作を説明する際に「Post-Internet」という表現を使いました。Gene McHughが保存した2008年のインタビューでは、Olsonは新しいメディアと従来媒体の区別が弱まりつつあることを指摘し、インターネットの文化的影響はオンラインだけでなくオフラインでも扱えると述べています。

この段階で重要なのは、Post-Internetが特定の視覚スタイルを示す言葉ではなかったことです。「インターネットがある文化の後で制作する」という条件を説明するための言葉でした。

Guthrie Lonerganと「Internet Aware Art」

2008年頃、Guthrie Lonerganは自身の制作を説明するため「Internet Aware Art」という表現を使いました。Rhizomeは同年のまとめで、この言葉をオンラインで生まれた行動や状況を、特に物理空間など別の文脈へ翻訳する傾向として紹介しています。

Post-InternetとInternet Awareは完全な同義語ではありませんが、どちらも「ネット上で作品を作るか」という二分法から離れようとした点で重なります。

2009–2010年 Gene McHugh《Post Internet》

批評家Gene McHughは2009年12月から2010年9月まで《Post Internet》というブログを執筆しました。このプロジェクトはCreative Capital/Andy Warhol Foundation Arts Writers Grant Programの支援を受け、ほぼ毎日の更新を通して新しい制作状況を追いました。

McHughの重要性は、後から完成した理論を過去へ当てはめたのではなく、言葉の意味自体がまだ不安定だった時期に、オンライン上で同時代の制作と議論を記録した点にあります。

理論そのものがブログとして流通する

《Post Internet》は最初から単行本として書かれたわけではありません。ブログ記事が時系列で更新され、リンクを通じて作品や別の文章へ接続しました。

Post-Internetについての批評が、Post-Internet的な流通形式そのもので書かれていたことは象徴的です。理論と作品が同じネットワーク上でほぼ同時に更新され、読者もその途中経過を見ることができました。

2010年New Museum《Free》

2010年10月20日から2011年1月23日まで、New MuseumでLauren Cornell企画《Free》が開催されました。展覧会は、インターネットによって情報環境と公共空間の概念が根本的に変化したことを主題にしました。

重要なのは、《Free》がコードや接続そのものを扱う「ネット美術展」ではなかったことです。写真、彫刻、映像、インスタレーションなど複数の媒体を通して、情報の流通、共有、欠落、開放性を扱いました。

《Free》が示した転換

《Free》の公式解説は、インターネットの形式的特徴よりも、インターネットがより広い文化をどのように変えたかを見ることを明確にしています。

これはPost-Internetの考え方と非常に近い転換です。「ネット作品を美術館へ持ち込む」のではなく、「ネットワークによって変化した社会で美術がどう作られるか」を見る段階へ移っています。

Katja Novitskova《Post Internet Survival Guide 2010》

Katja Novitskovaは2010年、《Post Internet Survival Guide 2010》を編集・デザインしました。後に272ページの書籍として刊行され、Artie Vierkant、Jon Rafman、Gene McHugh、Kari Altmann、Timur Si-Qinなど多数の作家や書き手を収録しました。

Novitskova自身の公式資料によれば、この出版物は2010年にオンラインで制作・共有されていた美術や情報を集め、画像、ニュース、企業ストック写真、スクリーンショット、科学画像など本来異なる流れにある情報を一つの印刷物へまとめたものでした。

なぜ「Survival Guide」なのか

《Post Internet Survival Guide》では、インターネットを単なる画像倉庫としてではなく、物質、社会、視覚情報が高速に混ざり合う環境として扱います。

タイトルの「survival」は冗談的であると同時に、膨大な情報から何を選び、どのように意味づけ、どう人間として方向感覚を保つかという問題を示しています。ネット上の画像を選択し、分類し、印刷する行為自体が制作になります。

画面から本へ移す

オンラインで流れていた断片を書籍へ移すと、情報の状態が変わります。ウェブでは更新・削除・再投稿される画像が、紙のページ上では順序を持ち、物理的な一冊へ固定されます。

Post-Internet Artで重要になるオンラインとオフラインの往復は、すでにこの出版物で明確です。デジタルから物質へ移ったとき、画像は同じままではありません。

2010年 Artie Vierkant「The Image Object Post-Internet」

Artie Vierkantは2010年に「The Image Object Post-Internet」を発表しました。この文章は、Post-Internet Artを考えるうえで最も頻繁に参照される初期テキストの一つです。

Vierkantは、画像の複製・改変・再流通が誰にでも可能になった状況では、美術作品を固定された一つの媒体や一つの正しい像として扱うことが難しくなると考えました。作家だけが画像を生産するのではなく、観客も保存、編集、再投稿することで画像生産へ参加します。

画像と物体を分けない

Vierkantの議論では、物理的な作品と、その作品を撮影した画像を単純な「本物/記録」の関係に置きません。ネットワークで多数の人に届くのは、実物よりも展示写真や作品写真であることが多いからです。

そのため物体は画像になることを前提に作られ、画像は再びプリントや彫刻として物体になります。「Image」と「Object」が循環し、それぞれが一時的な状態になるという考えが、Post-Internetの中心的な問題の一つになりました。

Artie Vierkant《Image Objects》

Vierkantは2011年前後から《Image Objects》シリーズを展開しました。デジタル環境で作った抽象的な画像を物理的な支持体へプリントし、ギャラリーで展示します。

しかし作品はそこで終わりません。展示後に撮影された記録写真をVierkant自身がさらに加工し、壁、影、作品の色や形を変えた別の画像としてオンラインへ公開しました。

展示写真は中立的な記録ではない

通常、展覧会の記録写真は「実物がどう展示されていたか」を正確に伝えるために使われます。《Image Objects》では、その信頼関係が意図的に壊されます。

Rhizomeの2011年のインタビューでVierkantは、オンラインで見る経験と実物を見る経験を根本的に異なるものにするため、記録画像へ歪みや別の画像層を加えると説明しました。展示写真も作品の別の版になります。

どれが「本物」なのか

物理作品、撮影前のデジタル画像、加工された展示写真のどれか一つだけを原作品とすると、《Image Objects》の構造を捉えにくくなります。

作品は複数の状態を移動し、それぞれの場所で違う形を取ります。これはデジタル・ファイルに無限の完全コピーが存在するという単純な話ではなく、コピーのたびに別の編集と文脈が加えられる状態です。

実物より作品写真の方が多く見られる

国際的な現代美術では、作品の実物を見る人数より、ウェブサイト、ギャラリーの案内、ニュース、SNSで展示写真を見る人数の方が多くなる場合があります。

Post-Internet Artはこの条件を隠しません。作品写真を二次的な広報資料ではなく、作品が生きる主要な場所の一つとして扱います。

Tumblrと画像ブログの文化

2010年代初頭にはTumblrをはじめ、文章より画像の連続を中心にしたブログ文化が広がりました。利用者は画像を自分で制作するだけでなく、他者の投稿を再共有し、自分のページへ並べ直します。

ここでは画像の出典が徐々に薄れ、ファッション、広告、美術、CG、商品写真、科学画像、個人写真などが同じ縦長の画面上へ連続します。Post-Internet周辺の作家にとって、この「画像を集めて並べる」行為は重要な視覚経験になりました。

サーフィンを制作行為として考える

ウェブを目的なく移動し、偶然見つけた画像を保存する行為は、2000年代後半から2010年代初頭の制作文化で大きな位置を占めました。

Vierkantは、Post-Internetの作家を、画像をゼロから作る唯一の作者というより、既存文化を選び、解釈し、記録し、再配置する人として捉えています。検索と閲覧がスケッチや写真撮影と同じように制作過程へ入ります。

Jon Rafman — Googleのカメラが撮った世界を選ぶ

Jon Rafmanは2009年に《The Nine Eyes of Google Street View》を始めました。Musée d’art contemporain de Montréalは、このシリーズがRafmanを国際的に知られるきっかけとなった代表作の一つだと位置づけています。

作品の画像を撮影したのはRafmanではありません。Google Street Viewの車載カメラが都市や道路を機械的に撮影し、Rafmanはその巨大な画像空間を探索して特定の場面を選びます。

《The Nine Eyes of Google Street View》

Street Viewには交通事故、動物、喧嘩、抱擁、奇妙な偶然、荒涼とした風景など、撮影システムが意図していなかった場面が記録されています。

Rafmanの役割は決定的瞬間を現場で撮ることではなく、すでに企業によって自動撮影された世界を後から探索することです。写真家の位置が「撮影者」から「発見者・編集者」へ移ります。

機械が先に撮影し、人間が後から意味を与える

従来の街頭写真では、写真家がカメラを向ける瞬間に何を撮るかを選びます。Street Viewでは道路沿いの空間がほぼ連続的に記録され、画像の重要性は後から発見されます。

Post-Internetの画像文化では、人間が見る前に機械が大量の画像を生成するという条件が重要になります。作家は画像を生産するだけでなく、機械的に作られた画像群の中から意味を見いだします。

オンライン画像を物理的な写真へ戻す

RafmanはStreet Viewで見つけた画像をウェブ上で提示するだけでなく、写真作品としてプリントし、美術館やギャラリーで展示しました。MAC Montréalは2012年のStreet View作品を所蔵しています。

企業のデータベース内にある一時的な画面が、作家による選択を経て、美術館に保存される写真へ変わります。画像がオンラインと物理制度の間を移動する典型的な例です。

Oliver Laric — コピーを劣化ではなく変化として見る

Oliver Laricは複製、模倣、変形、引用を継続的に扱ってきました。Fridericianumは、Laricの作品が表象の反復やコピーを通じ、同じ像が異なる時代や媒体で別の意味を生むことを検討していると説明しています。

ネットワーク上では、画像は複製されるたびに別の用途へ移されます。Laricはその状態を「オリジナルの価値が失われる」だけの問題としてではなく、新しい版が生まれ続ける創造的な条件として扱います。

《Versions》と複数の版

Laricの《Versions》は、古代彫刻、アニメーション、映画、インターネット上の画像などが繰り返しコピーされ、少しずつ変化する文化を扱う映像シリーズです。

一つの起源からコピーが劣化していくという直線的な関係ではなく、複数の版が並行して存在し、それぞれが次の制作の材料になります。これはPost-Internet的な画像循環を考えるうえで重要なモデルになりました。

2012年以降《Lincoln 3D Scans》

Laricは2012年、イギリスのThe CollectionとUsher Galleryの所蔵彫刻を3Dスキャンし、そのデータをオンラインで無料公開する《Lincoln 3D Scans》を開始しました。2014年にはNew MuseumとRhizomeのFirst Lookでも紹介されました。

美術館の所蔵品を画像で見るだけでなく、三次元データとしてダウンロードし、変形し、アニメーションや別の物体へ作り直すことができます。

コレクションを「見る」から「使う」へ

New Museumの解説は、《Lincoln 3D Scans》が美術館コレクションを地理的距離の外へ開き、その物体を新しい作品の出発点として利用できるようにした点を強調しています。

デジタル化は保存や閲覧だけではなく、再制作の権利をめぐる問題になります。観客は画像を見るだけの受け手から、3Dデータを加工できる利用者へ変わります。

DIS — 美術、ファッション、商業を分けない

DISは2010年前後に活動を始めた集団で、オンライン出版DIS Magazineを通して美術、ファッション、音楽、商業、ライフスタイルの境界を意図的に混ぜ合わせました。

New Museumの2010年の記録では、DISは「fashion, art and commerce」を扱うデジタル出版として紹介されています。高級広告、ストック写真、企業の広報画像、美術写真の見た目が接近する時代に、それらを同じ画像文化として扱いました。

企業的な見た目を単純に風刺しない

DISの画像は、企業広告やライフスタイル写真を単に馬鹿にしたパロディとは限りません。滑らかな肌、清潔なオフィス、商品写真の照明、健康や自己管理のイメージを過剰に精密化しながら、その魅力も同時に利用します。

批判と参加、距離と欲望を簡単に分けられないことが特徴です。消費文化の外部から告発するのではなく、その視覚言語の内部へ入り込みます。

DISimages — ストック写真会社を作品にする

DISはDISimagesという実際に機能するストック画像ライブラリーも運営しました。公式FAQは、DISimagesをストック写真の慣習や流行を操作し、新しい生活場面やステレオタイプを作るための画像ライブラリーと説明しています。

利用者は画像を購入・ダウンロードし、広告、出版、オンライン媒体、美術作品などに利用できます。作品は「ストック写真のように見える美術」ではなく、実際にストック写真として流通します。

ライセンス契約も作品の一部になる

DISimagesには通常の商用ストックサービスのような利用規約があり、購入した画像をどの用途で使えるかが定められています。

つまり作品の意味は画像内容だけではありません。価格、ダウンロード、使用許諾、クレジット表記、二次利用といった商業画像の制度そのものが作品構造へ入っています。

ストック画像が世界をどう作るか

ストック写真は「会議」「家族」「健康」「成功」といった抽象概念を、分かりやすい人物や場面として視覚化します。広告や企業サイトで繰り返し使われるため、それらは社会が自分自身を想像するための標準画像になります。

DISimagesはその規格を使いながら、奇妙な身体、ジェンダー、働き方、商品関係を挿入します。ネットワーク時代の表象の政治は、ニュース写真だけでなく、無名の商用画像にも存在することを示します。

Katja Novitskova — ネット画像を切り抜き彫刻へ

Novitskovaは2010年代初頭、オンラインで流通する動物や自然の高解像度画像を拡大し、自立する切り抜き型の物体として展示しました。

画面上では数秒でスクロールして通り過ぎる画像が、人間より大きな物体となって展示室に立ちます。画像は「平面を離れて彫刻になった」というより、画面、印刷、展示空間を行き来する存在になります。

《Approximation》と画像の身体化

Novitskovaの《Approximation》シリーズでは、動物や生物の画像が輪郭に沿って切り抜かれ、アルミニウムなどの支持体で立ち上がります。

ネット上では背景から切り離されたPNGや商品写真のような像だったものが、展示室では高さ、厚み、支え、床との関係を持ちます。デジタル画像が物質化するときに生じる奇妙な存在感そのものが重要です。

画像を「生態系」として見る

Novitskovaの《Post Internet Survival Guide》から後の作品まで一貫しているのは、画像を孤立した記号ではなく、技術、経済、生物、欲望と結びついた生態系として見る姿勢です。

動物画像がかわいいから選ばれているだけではありません。なぜ特定の生物画像がネット上で注目され、広告や科学広報、ニュース、SNSの間を移動するのかという、画像の生存条件が作品に含まれます。

「デジタル=非物質」という理解を疑う

Post-Internet Artの大きな特徴の一つは、デジタル文化を非物質的な世界として扱わないことです。サーバー、画面、プリンター、アルミニウム、インク、ケーブル、物流、展示什器など、ネットワークは物理的な物質に支えられています。

画像が軽く自由に移動して見えるほど、その背後には巨大な機械、電力、労働、輸送が存在します。2010年代の作品はデジタル画像を物質作品へ戻すことで、この二重性を強く意識させました。

2013年《Speculations on Anonymous Materials》

2013年9月29日から2014年1月26日まで、KasselのFridericianumでSusanne Pfeffer企画《Speculations on Anonymous Materials》が開催されました。

参加者にはEd Atkins、Simon Denny、Aleksandra Domanović、Josh Kline、Oliver Laric、Katja Novitskova、Jon Rafman、Avery Singer、Timur Si-Qin、Ryan Trecartinらが含まれ、後にPost-Internet周辺で語られる作家と大きく重なっています。

「匿名の素材」とは何だったのか

Fridericianumは、生成画像があふれる世界では、美術が新しい画像を生み出すことだけを中心課題にできなくなり、すでに存在する画像、物体、空間を扱う必要があると説明しました。

ここで「素材」は絵具や木材だけを意味しません。CG、ストック画像、デジタル加工された身体、3Dスキャン、既存商品など、作者性が曖昧な現代の視覚情報全体が制作材料になります。

《Speculations》をPost-Internet展と単純化しない

《Speculations on Anonymous Materials》は「Post-Internet Art」という名称を掲げた展覧会ではありません。新しい物質論や哲学との接続も強く、参加作家を一つのネット文化だけから説明していません。

しかし、デジタル画像と物質、反復、ネットワーク、匿名性、生成画像という論点が重なり、当時の若い作家をめぐる議論がPost-Internetだけでは説明しきれない広がりを持っていたことを示す重要な展覧会でした。

画面の向こうから物質が戻ってくる

2010年代初頭には、3Dプリント、工業素材、透明樹脂、アルミニウム、商品什器、高精細デジタルプリントなどを使う作品が増えます。

これは「インターネットが物質を消した」という1990年代的な想像とは逆方向です。画面文化が広がるほど、展示空間では光沢、重さ、反射、表面、工業的仕上げが強く意識されるようになります。

2014年UCCA《Art Post-Internet》

2014年3月1日から5月11日まで、BeijingのUllens Center for Contemporary ArtでKaren ArcheyとRobin Peckham企画《Art Post-Internet》が開催されました。

展覧会にはCory Arcangel、Petra Cortright、Simon Denny、Harm van den Dorpel、Oliver Laric、Katja Novitskova、Jon Rafman、Seth Price、Hito Steyerl、Artie Vierkantらが参加しました。この時期までにPost-Internetは小規模なオンライン議論から、大規模美術館の展覧会タイトルへ移っています。

UCCAが示した定義

UCCAの公式解説では、Post-Internetはネットワークが文化の中心条件になっていることを自覚して制作された美術と説明されています。

そこで扱われたのはデジタル画像だけではありません。情報流通、監視、データ収集、身体、企業的な視覚言語、商品、オープンソース、作品記録など、インターネットが社会へ与える広い影響が対象でした。

欧米中心性という限界

《Art Post-Internet》の出品作家は主としてヨーロッパとアメリカで活動する作家でした。UCCA自身も関連企画《Net-work》で、その範囲が欧米に限定されている一方、Post-Internet的な状況は世界規模で存在すると明記しています。

「インターネットは世界を均質化した」という説明は慎重であるべきです。通信環境、検閲、言語、プラットフォーム、経済条件は地域によって異なり、同じ「ネット社会」でも経験は同じではありません。

名称そのものがブランド化する

ArcheyとPeckhamは2014年の時点ですでに、Post-Internetという言葉が不透明で、流行語やブランドに近づきすぎているという批判を認めていました。

新しい名称は作品を理解する助けになる一方、市場が若い作家を一つの傾向として売り出すためにも使えます。Post-Internet Artは、その概念が広まる速度そのものによって問題を抱えました。

「Post-Internetっぽい見た目」の形成

2010年代初頭には、光沢のあるデジタルプリント、商品ディスプレイ、透明素材、3Dレンダリング、ストック写真、植物、工業製品、フラットなロゴなどが繰り返し現れました。

そのためPost-Internetは一つの視覚スタイルのように認識されることがあります。しかしこの見た目だけで分類すると、Olsonの批評、Rafmanの画像収集、Laricのコピー論、Vierkantの作品記録、DISの商業画像制度といった異なる問題が失われます。

ウェブから戻った作品がホワイトキューブへ入る

初期Internet Artは美術館の外部にあるネットワーク空間を強く利用しました。Post-Internet Artでは、逆にオンライン文化を扱いながら、物理的なギャラリーへ作品を戻す例が目立ちます。

この回帰は単純な保守化ではありません。展示室で作品が撮影され、その写真が再びネットへ流通することまで含めれば、ホワイトキューブもネットワークの一部になります。

作品がオンラインで写真として広く見られるなら、展示空間は鑑賞者が実物を見る場所であると同時に、作品画像を生産する撮影環境になります。

白い壁、均一な照明、十分な余白は、作品を見やすくするだけでなく、ウェブサイトやSNSで共有しやすい画像を作ります。Post-Internet以後、展覧会の写真写りは作品の流通と切り離しにくくなりました。

作品写真にも経済がある

オンラインで作品写真が大量に共有されても、物理作品そのものは一点または限定数として市場で売買できます。無料で見る画像と、高価な物体が同時に存在します。

むしろネット上で画像が広がることが作品の知名度を高め、物理作品の市場価値へつながる場合もあります。コピーの増加が必ずしも希少性を破壊するわけではありません。

Petra Cortright — ブラウザから絵画的な表面へ

Petra Cortrightは2007年《VVEBCAM》でYouTube、ウェブカメラ、検索語を作品化した後も、オンライン画像文化とデジタル制作を継続しました。

2010年代には画像編集ソフトウェアで作ったデジタル画像を、アルミニウムや布などへ出力する作品も展開します。ブラウザ上の表現と物理的な表面は別々の領域ではなく、同じ制作過程の異なる出力先になります。

「ファイル」は複数の出力先を持つ

デジタル・ファイルは画面に表示することも、紙に印刷することも、布や金属へ出力することもできます。

Post-Internetの作品では、一つの最終媒体を選ぶことより、同じデータが異なる支持体でどう見えるかが重要になります。「写真」「絵画」「彫刻」という媒体分類が制作工程の途中で交差します。

Amalia Ulman《Excellences and Perfections》

2014年、Amalia UlmanはInstagramとFacebookを使い、約5か月にわたる《Excellences and Perfections》を実行しました。New Museumは同年First Lookで作品を紹介し、Rhizomeがオンライン状態を保存しました。

Ulmanは自身のSNSアカウントを使い、若い女性が自己改造と消費を通じて別の人格へ変化していくような物語を、実際の投稿として段階的に演じました。

SNSのプロフィールをパフォーマンス空間にする

《Excellences and Perfections》では、観客は「作品を見るためのサイト」へアクセスしたのではありません。普段使っているInstagramの投稿として、作品と日常が同じ画面に現れました。

フォロワーの中には、それが演技だと知らずに反応した人もいました。コメント、いいね、心配、批判、性的なメッセージまで含め、プラットフォーム上の反応が作品の社会的環境を作りました。

自己表象はどこまで演出されているのか

Ulmanは豊胸手術を受けたように見せるため、病院着、包帯、パッド入りブラジャー、画像加工などを使いました。New Museumは、この作品を極端な自己改造文化とSNS上の自己出版の条件を扱う、脚本化されたパフォーマンスとして記録しています。

SNSでは日常の投稿が「本当の本人」を示しているように受け取られやすい一方、すべての投稿は選択、撮影、加工、投稿時刻、文章によって構成されています。作品はその構造を極端な形で露出させました。

ジェンダーとプラットフォーム

《Excellences and Perfections》は「インターネット一般」の作品ではありません。若い女性の身体がどのように評価され、性的魅力、消費、健康、自己改善と結びつけられるかを扱っています。

New Museumの解説が指摘するように、SNSは誰でも自己出版できる可能性を広げましたが、既存社会の権力関係や美的規範が消えるわけではありません。むしろ「自分自身を売り込む」圧力として個人へ戻ってくる場合があります。

終わったSNS作品をどう保存するか

SNSを舞台にした作品は、プラットフォームのデザイン変更、投稿削除、サービス終了によって簡単に失われます。《Excellences and Perfections》はRhizomeによって2014年に保存されました。

ここでは映像ファイルだけを残すのでは足りません。投稿順、プロフィール画面、コメント、インターフェースなど、その時代のSNS環境まで記録する必要があります。

New Museum First Lookとオンライン展示制度

New Museumは2012年にFirst Lookを開始し、Rhizomeと連携しながらオンライン作品を継続的に委嘱・展示しました。

2010年代に入っても、美術館がウェブ作品を捨てて物質作品だけへ戻ったわけではありません。Post-Internet的な物質化と、ブラウザ内で成立するデジタル作品は並行して展開しています。

Post-InternetはInternet Artを終わらせない

Post-Internetという名称は、ときにInternet Artの「次の世代」のように語られます。しかし2012年以降のFirst Lookが示すように、ブラウザ上の作品、参加型ウェブ、オンライン映像も継続しています。

新しい枠組みが古い媒体を置き換えるのではなく、ネットワークが複数の制作形式へ浸透したことで、オンライン専用作品と物理作品の双方が拡張しました。

2012年《Image Atlas》— 検索結果は世界共通ではない

2012年、Taryn SimonとAaron SwartzはRhizomeのSeven on Sevenから《Image Atlas》を制作し、New Museum First Lookで公開しました。

利用者が同じ検索語を入力すると、複数の国の検索エンジン結果が比較表示されます。New Museumは、この作品が「人気の画像」が文化や地域によってどのように異なるかを可視化すると説明しています。

インターネットは世界を均一化しない

ネットワークは国境を越えて情報へアクセスできるようにしますが、検索結果はどこでも同じではありません。言語、地域、検索サービス、政治、商業条件によって、見える画像は変わります。

《Image Atlas》は「世界中が同じインターネットを見る」という想像を崩します。Post-Internet Artをグローバルな一つの視覚様式として理解することへの重要な反例でもあります。

2013年Harm van den Dorpel《Dissociations》

2013年、New Museum First LookでHarm van den Dorpelの《Dissociations》が公開されました。作品は完成品を順序よく並べるポートフォリオではなく、作品、参考資料、影響源、未完成のアイデアなどを関連づけて表示します。

New Museumは、個別作品より「それらの間の関係」を見るサイトとして説明しています。オンライン・アーカイブが、完成作品を保存する場所ではなく、制作思考そのものを外部化する装置になります。

作家自身のアーカイブをシステムが並べ替える

《Dissociations》では、作家がすべての順序を固定するのではなく、背後のシステムが項目同士の関係を学習し、組み合わせを変えていきます。

検索やおすすめ機能が日常的になる時代に、作家の作品集さえアルゴリズム的な並び替えの対象になります。制作物をどう作るかだけでなく、自分の過去のデータをどう再編集するかも作品になります。

2013年 — 「画像の過剰」が共通条件になる

New MuseumのFirst Lookでは、Dina Kelberman《Smoke & Fire》のように、オンラインで集めたGIFを大量に分類・配置する作品も紹介されました。

画像が不足しているのではなく、多すぎることが問題になります。作家は新しい画像を一枚追加するだけでなく、すでにある数百、数千、数百万の画像をどう選び、並べ、意味づけるかを考えるようになります。

制作と流通を分けられない

Post-Internet Artでは、完成した作品を作った後に宣伝するのではなく、最初からどのように写真になり、どこへ投稿され、誰に共有されるかを制作条件として考える場合があります。

これはSeth Price《Dispersion》が早くから示した問題ともつながります。作品の意味は素材と形式だけでなく、複製、無料配布、商業販売、美術館収蔵など、どの経路で社会へ出るかによって変わります。

物体→写真→投稿→物体という循環

一つの彫刻が展示されると、写真に撮られ、ギャラリーサイトへ掲載され、SNSへ転載され、別の作家がその画像を保存することがあります。その画像が次の作品の素材になることもあります。

この循環では、実物と画像のどちらが先かを単純に決められません。Post-Internet Artが強く意識したのは、現代美術がこの循環の内部で生産されているという事実です。

ミーム的な変形と美術

ネットワークでは、同じ画像に文字が追加され、切り抜かれ、色が変えられ、別の文脈へ置かれます。作者不明のまま何度も加工される画像も珍しくありません。

Laricのコピー論やVierkantの画像操作は、こうした文化環境と重なります。ただし美術作品を単なるインターネット・ミームと同一視するのではなく、誰が変形を行い、どの制度へ持ち込むかという差を考える必要があります。

作者性は消えるのではなく変化する

コピーと再利用が一般化すると、作者が不要になったようにも見えます。しかしPost-Internetの作家たちは、多くの場合、選択、編集、再配置を通して強い作者性を示しています。

Vierkantは既存画像を組み合わせ、RafmanはStreet Viewから場面を選び、Novitskovaはオンライン画像を切り抜き、DISは新しい商業画像を演出します。作者性は「最初に画像を作った人」だけではなく、「どのような関係へ組み替えたか」に移ります。

インターネットでは画像が簡単に保存・再投稿できますが、法的な権利は自動的に消えません。Street View、映画、商品写真、ストック画像、3Dスキャンなどを扱う作品では、著作権や利用許諾が重要になります。

Post-Internet Artは「何でも自由にコピーできる世界」を称賛するだけではありません。コピー可能性と所有権が矛盾したまま共存する状況そのものを扱います。

商業と批評の距離

Post-Internet周辺の作品は広告、ブランド、商品ディスプレイ、企業画像を頻繁に使いました。そのため市場への批判なのか、それとも単に企業的な見た目を楽しんでいるのか分かりにくい場合があります。

DISはその曖昧さを積極的に利用し、Vierkantの物理作品はギャラリーで売買されます。ネット文化を扱うことは、美術市場の外部に出ることを意味しません。

市場が名称を加速させる

2010年代初頭、Post-Internetという言葉は展覧会、批評、ギャラリー、市場で急速に使われるようになりました。若い作家を一つの世代として見せる際に便利だったからです。

しかし急速な分類は、それぞれの制作の差を消し、表面的な共通点だけを「新しいスタイル」として商品化する危険を持ちます。2014年の《Art Post-Internet》がすでに名称の不十分さを認めていたのは、この速度と無関係ではありません。

「光沢のあるものを置けばPost-Internet」ではない

後年、Post-Internetはクローム、アクリル板、観葉植物、商品写真、3Dプリントなどの組み合わせとして揶揄されることもありました。

しかし本来の議論は物質表面だけではありません。作品記録、流通、検索、ネット上の人格、コピー、作者性、オンラインとオフラインの連続性といった、より構造的な問題を含んでいました。

UlmanはVierkantやNovitskovaとは別の方向にいる

Vierkantが画像と物体の関係を扱い、Novitskovaがネット画像を物質空間へ移し、Rafmanが巨大な画像データベースを探索するのに対し、UlmanはSNS上で「人格そのものが画像として流通する」条件を扱いました。

同じPost-Internetという枠に入れられても、作品が問うものは異なります。この差を残すことが、Post-Internetを単なる世代様式にしないために重要です。

身体も画像として管理される

SNSでは身体はプロフィール写真、投稿、フィルター、自己紹介、数値化された反応と結びつきます。Ulmanの作品は、身体がオンライン上で継続的に編集される対象になることを示しました。

この問題はファッションや美容だけに限られません。就職、恋愛、友人関係、社会的評価のために自分を画像として管理することが、ネットワーク社会の日常的な労働になります。

画像の背後にデータがある

一枚の投稿画像には、見えている写真以外に投稿時刻、位置情報、アカウント、タグ、コメント、反応数など多くのデータが付随します。

Post-Internet以後、画像は単独の視覚物ではなく、データベースの一項目として存在します。画像を考えることは、その分類・推薦・監視の仕組みまで考えることへ広がりました。

ネットワークは共有だけでなく監視でもある

2014年《Art Post-Internet》は、大規模な秘密監視やデータ収集も重要な論点として挙げています。ネットワークは自由な画像共有の場であると同時に、利用者の行動を記録・分類する仕組みでもあります。

Post-Internetを単なる新しい画像美学として語ると、この政治的な側面が見えなくなります。

2015年MoMA《Ocean of Images》

2015年11月7日から2016年3月20日まで、MoMAは《Ocean of Images: New Photography 2015》を開催しました。19組の作家・集団が14か国から参加し、DISとKatja Novitskovaも含まれました。

MoMAは展覧会を「画像に基づくPost-Internetの現実」が写真へ与えた影響を検討するものとして明確に位置づけました。Post-Internetという議論が、写真部門の公式展覧会へまで入った重要な節目です。

写真は額装プリントだけではなくなる

《Ocean of Images》では、写真は額装プリントだけでなく、彫刻、冊子、動画、壁画、切り抜き型ディスプレイ、紙の束などとして現れました。

MoMAの展示記録は、写真の「流動性」を展覧会の重要な特徴として説明しています。画像は一つの媒体へ固定されず、画面、紙、物体、動画を横断します。

DISがMoMAの写真展へ入る

《Ocean of Images》にDISが参加したことは象徴的です。広告やファッション、ストック画像と美術を混ぜていた集団が、近代美術館の写真部門による現代写真展へ入ります。

これは商業画像がそのまま美術になったという意味ではなく、現代写真を考える際に、広告、オンライン流通、企業的な画像制作を無視できなくなったことを示します。

Novitskovaと写真の三次元化

Novitskovaの作品も《Ocean of Images》へ含まれました。画像を切り抜き型の物体へ変える彼女の方法は、写真を平面に限定できないという展覧会の問題設定と強く結びつきます。

写真は「世界を記録した紙」だけでなく、ウェブ上から選ばれ、加工され、巨大化され、展示空間を占める物体になります。

写真とは撮影なのか、画像の運用なのか

Post-Internet以後の写真では、「誰がシャッターを切ったか」だけでは作品を説明できない例が増えました。RafmanはGoogleが撮った画像を選び、Novitskovaは既存画像を物体化し、DISは商業的な画像制度を制作します。

写真の中心が撮影技術だけでなく、取得、編集、検索、再利用、配置へ広がります。

オリジナルが完全に消えたわけではない

デジタル文化では「すべてがコピーになった」と言われることがあります。しかし美術館や市場では、依然として特定の物理作品、エディション、証明書、作家承認が重要です。

Post-Internetはオリジナルの終焉を証明したのではなく、無数のコピーが存在してもなおオリジナルや所有の制度が存続するという、より複雑な状況を明らかにしました。

物質と画像は対立しない

Post-Internet Artを「デジタルに対する物質への回帰」と説明するだけでは不十分です。画像と物質は対立するのではなく、相互変換されます。

デジタル画像がアルミニウムへ印刷され、彫刻がJPEGとして流通し、3Dスキャンされた古代彫刻が新しい物体へ出力される。作品は一つの状態に固定されず、媒体間を循環します。

オンライン/オフラインの二分が崩れる

2010年代半ばには、「オンラインで起きること」と「現実世界で起きること」を完全に分ける考え方が現実に合わなくなっていきます。

SNS上の投稿が人間関係や仕事へ影響し、オンライン画像が展示物になり、物理展示が再びSNSへ流通します。Post-Internet Artは、この往復が例外ではなく日常になった状況を可視化しました。

美術館もネットワーク化する

New Museum First Look、Rhizome、UCCA《Art Post-Internet》、MoMA《Ocean of Images》を追うと、美術館も作品を建物の中だけで扱わなくなったことが分かります。

オンライン委嘱、ウェブ保存、公開PDF、SNS、展示記録、デジタル・アーカイブが、展覧会そのものの一部になります。Post-Internetは作家だけの問題ではなく、美術制度の運営方法にも関係します。

展覧会は現地だけで受容されない

UCCAの2014年展は、展覧会情報そのものがオンラインで世界へ流通することを意識して設計されていました。公式解説も、作品、文章、記録が複数の空間で受容されることを前提にしています。

現代の展覧会は会場へ来た観客だけに向けて存在するのではありません。展示写真、PDF、批評、SNS投稿を通して、現地を訪れない人々にも別の形で経験されます。

誰が撮影し、どの写真が歴史として残るのか

展覧会がオンライン画像として後世に知られるなら、どの角度から撮られた写真が公開されるかは美術史の記憶に影響します。

記録写真は透明な証拠ではありません。Vierkantがそれを作品内部へ取り込んだように、撮影、選択、加工、公開そのものが表象行為です。

Post-Internetへの批判はなぜ強かったのか

名称が急速に広がると、「定義が曖昧」「インターネットを使う若者をまとめただけ」「市場向けのラベル」「特定のニューヨーク/ベルリン周辺の美学を普遍化している」といった批判が起こりました。

これらの批判には根拠があります。実際、2014年《Art Post-Internet》も用語の不十分さを認めています。一方で、名称が問題含みだったことと、画像流通や作品記録の条件が本当に変化していたことは別の問題です。

それでもこの名称が有用だった理由

Post-Internetという言葉が残ったのは、それ以前の「New Media Art」「Internet Art」だけでは説明しにくい状況を指す必要があったからです。

ウェブサイトではない彫刻がインターネット文化を扱い、油彩画でさえ画像として世界へ流通する。媒体分類を越えてネットワークの影響を論じるための暫定的な言葉としては有効でした。

「デジタル・ネイティブ世代」だけの美術ではない

Post-Internetは若い世代だけの生得的な感覚として説明されることもありました。しかし2014年《Art Post-Internet》は、世代横断的な現象として位置づけることを明確にしています。

インターネットは若者だけを変えたのではなく、広告、映画、美術館、写真、出版、物流、政治など社会全体の制度を変えました。年齢だけで作品を説明することはできません。

2010–2015年に何が変わったのか

2010年前後、Marisa Olson、Guthrie Lonergan、Gene McHughらの言葉を通じて、「ネット上の美術」ではなく「インターネットによって変化した文化の中の美術」を説明する必要が明確になりました。同年、Katja Novitskova《Post Internet Survival Guide 2010》はオンライン画像や情報を印刷物へ固定し、Artie Vierkant「The Image Object Post-Internet」は画像と物体、作品と記録写真の境界が崩れる状況を理論化しました。

2011年以降、Vierkant《Image Objects》は展示写真を別の作品状態へ変え、Rafman《The Nine Eyes of Google Street View》は機械的に撮影された世界から画像を発見し、Laricはコピーや3Dスキャンを通じて原作と複製の関係を再構成します。DISはストック画像や商業ライセンスの制度そのものへ入り込み、Novitskovaはオンライン画像を展示空間の物体へ変えました。

2013年《Speculations on Anonymous Materials》では、デジタル画像と物質、匿名的な既存素材、3D技術を扱う作家が大規模展へ集まり、2014年UCCA《Art Post-Internet》によって名称そのものが国際的な展覧会の題名になります。同年、Amalia Ulman《Excellences and Perfections》はSNS上の人格、身体、ジェンダー、フォロワーの反応まで作品化しました。

2015年MoMA《Ocean of Images》では、Post-Internetの問題が写真史の内部へ明確に導入されます。画像は額装写真、動画、切り抜き型の物体、冊子、壁画など複数の状態を移動するものとして扱われました。2010年代半ばには、問題はもはや「デジタル美術か物質美術か」ではなく、あらゆる作品が画像としてネットワークを通過する世界で、作品、作者、物質、記録、所有をどう考えるかへ移っていました。

Post-Internetという名称のその後

2015年頃にはPost-Internetという言葉そのものへの疲労も広がり、作家や批評家の多くが名称から距離を取り始めます。しかし、そのことで問題が消えたわけではありません。

作品写真がSNSで流通し、画像検索やアルゴリズムが視覚文化を整理し、オンライン上の人格が現実の社会関係へ影響し、デジタル画像が物質へ出力される状況はむしろさらに強まりました。名称が衰えても、その条件は現代美術の基本環境として残ります。

次の時代へ — 監視、ビッグデータ、機械の視覚

2010年代半ば以降、ネットワークをめぐる美術の焦点は、画像共有やオンライン/オフラインの往復だけではなく、監視、顔認識、ビッグデータ、アルゴリズム、人工知能、企業インフラへ広がっていきます。

次の記事では、2013–2020|監視、データ、Machine Vision — Snowden以後の画像と権力として、Trevor Paglen、Hito Steyerl、Forensic Architecture、James Bridle、Zach Blasらを中心に、人間が見るためだけではない画像と、データ化された社会をめぐる美術を追います。

参考資料・出典

本ページは、美術館、研究機関、作家公式資料、展覧会アーカイブ、デジタル・アート機関等を参照してART LIBRARYが独自に構成・執筆しています。「Post-Internet」を正式な集団や統一された様式として扱わず、2000年代後半から2010年代前半に、インターネットが制作・流通・鑑賞・作品記録・自己表象の前提環境となった状況を説明するために形成された、議論の多い批評的枠組みとして記述しています。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY