1972–1985
花柄や布、装飾で近代美術の価値観に挑む
パターン&デコレーション運動の誕生
花柄を大きなキャンバスいっぱいに描き、刺繍やレースを絵画に貼り合わせる。世界各地の建築や絨毯に見られる複雑な模様を取り入れ、部屋全体を鮮やかに飾る。1970年代のアメリカでは、こうした作品をつくる芸術家たちが現れました。身近な装飾を現代美術の中心に置こうとしたこの動きは、「パターン&デコレーション」と呼ばれます。
模様や装飾は、私たちの生活の中に数多く存在します。衣服に描かれた花、食器の絵柄、敷物に繰り返される形、建物の壁を彩るタイル。美しいと感じて日常的に親しんでいるものばかりです。ところが当時の美術界では、こうした装飾が絵画や彫刻に比べて軽く扱われることがありました。美術館に展示される「芸術」と、暮らしを飾る「工芸」の間には、長く続いてきた評価の差があったのです。
1970年代には、その価値観に疑問を投げかける芸術家たちが集まります。ミリアム・シャピロは、布やレース、ハンカチを用いて絵画を制作しました。ジョイス・コズロフは、イスラム圏の建築装飾や各地の織物から模様を学び、色彩豊かな作品へ発展させます。ロバート・ザカニッチは、華やかな花柄を巨大な画面に描きました。身近な図柄を美術作品の主要な表現として扱うことで、彼らは何が「優れた美術」なのかを問い直そうとしたのです。
こうした試みの背景には、1960年代までの抽象絵画やミニマリズムの動向があります。単純な形や規則的な構造を追究する作品が注目される中で、模様の複雑さや色彩の豊かさ、布や陶器の技法を新たに評価しようとする動きが生まれました。1975年にはニューヨークで複数の作家や批評家が集まり、装飾をめぐる考えを話し合います。その後、展覧会や画廊での発表を通して、パターン&デコレーションは一つの美術運動として知られるようになりました。
運動の形成には、当時のフェミニズムも重要な影響を与えています。刺繍やキルトなどは、長く女性の手仕事と結びつけられてきました。美術史の中で十分に評価されてこなかった技法や、その技術を受け継いだ人々に目を向けることが、作品づくりと結びついていきます。同時に、男性の芸術家も参加し、花柄や衣服、建築装飾などをそれぞれ異なる関心から制作へ取り入れました。
作品が参照した装飾文化の範囲も広いものでした。イスラム建築の幾何学模様、ペルシャ絨毯、米国のキルト、日本の工芸などが、その源泉となりました。画家たちは、世界各地で受け継がれてきた技法や表面の美しさに学び、抽象絵画、彫刻、陶芸、室内空間へと表現を広げていきます。その過程は、西洋の近代美術が何を中心に据え、何を周辺に置いてきたのかを考える機会にもなりました。
本記事では1972年から1985年を中心に、パターン&デコレーション運動がどのように生まれ、広まったのかを18の章に分けてたどります。代表的な作品の具体的な姿から、1975年の作家たちの集まり、展覧会や批評による発展、フェミニズムと装飾文化の関係まで紹介します。美術史になじみのない読者にも、花柄や布という親しみやすい表現が、当時の芸術の価値観へどのように挑んだのかを理解できるように整理しました。
CONTENTS
- パターン&デコレーションとは、どのような運動だったのか
- なぜ近代美術では装飾が軽視されてきたのか
- 1972年頃、運動に先立つ実験が始まる
- 1975年、作家たちが集まり運動の輪郭が生まれる
- 1976~1977年、展覧会が運動を広める
- ミリアム・シャピロが布と絵画を結びつける
- ジョイス・コズロフが世界の模様を絵画へ取り込む
- ヴァレリー・ジョードンの絵画と装飾の構造
- ロバート・ザカニッチと巨大な花柄
- ロバート・クシュナーが衣服と絵画をつなぐ
- キム・マコンネルの布と色彩
- 陶芸、キルト、工芸へ広がる表現
- 世界各地の装飾文化から何を学んだのか
- フェミニズムと運動の関係
- 絵画の外へ広がる装飾
- 美術館と画廊は運動をどう受け止めたのか
- 1980年代、運動はどのように展開したのか
- 装飾の再評価は、美術史に何を残したのか
- 略年表
- まとめ — 装飾は美術の価値観をどう変えたのか
- 参考資料・出典
パターン&デコレーションとは、どのような運動だったのか
花柄や布が美術の中心に現れる
1970年代半ばのアメリカで、巨大な画面いっぱいに花柄を描き、布を縫い合わせ、室内装飾を思わせる模様で展示空間を満たす芸術家たちが注目されました。彼らの仕事は「パターン&デコレーション」(P&D)という名で知られるようになります。パターンは繰り返される模様、デコレーションは装飾を意味します。壁紙、絨毯、キルト、刺繍、陶器などの表現を、現代美術の新しい手がかりとして捉え直した動きです。
例えば絨毯には、中央を飾る大きな模様と外側を囲む縁取りがあります。そこには模様の単位や間隔を選び、全体のつながりを考える高度な構成の知識があります。P&Dの芸術家たちは、日常の中で目にしてきたこうした仕組みを、絵画と同じ真剣さで研究しました。
作品の形は多様でした。絵画として壁に掛けるもの、布を使って支持体から自由に垂れるもの、身体にまとって上演するもの、部屋全体を彩るものもあります。ロサンゼルス現代美術館の研究展は、1972年から1985年の作品を対象に、約50人の芸術家を紹介しました。華やかな表面の背後には、何が優れた美術として認められるのかという、根本的な問いが共有されていました。(参照:ロサンゼルス現代美術館|《With Pleasure》展)
「装飾」という言葉が持っていた評価
花や幾何学模様は、衣服や食器、住宅の壁にも使われます。身近で親しみやすいという性質は、20世紀の一部の美術批評では、美術作品の価値を低く見る理由にもされてきました。装飾は表面を美しくする付加物であり、絵画や彫刻の本質に比べて従属的だという考え方です。とりわけ家庭の手仕事や女性に関連づけられた技法は、美術館の中心から遠ざけられることがありました。
この序列は、作品そのものの見た目に加えて、それを誰が作ったのかという社会的な判断とも関係していました。名を知られた画家の制作は個人の芸術として記録されやすく、生活のために物を作ってきた人々の仕事は無名のまま残ることがあります。素材の評価を変えることは作り手の歴史を見直すことにもつながります。
P&Dの作家たちは、その評価の仕組みを作品の材料から見直しました。模様が繰り返されると、目は一か所で止まらず、画面を行き来します。布の縫い目や刺繍の凹凸は、平らな絵画にも制作した手の動きを残します。装飾を積極的に扱うことは、鑑賞者の経験を広げると同時に、素材と技法の序列を問い直す試みになりました。(参照:ロサンゼルス現代美術館|装飾と近代美術の序列)
1972年から1985年という期間の意味
この運動には、一人の創設者が宣言を出した明確な開始日がありません。1970年代前半には独立して制作を進めていた芸術家たちが交流を深め、1975年頃から共通した運動として語られるようになりました。美術館が1972年を調査の起点にするのは、その後の動きにつながる作品がすでに現れていたためです。1970年代後半にはグループ展や画廊での発表が相次ぎました。
1972年から1985年という区切りは、2019年のロサンゼルス現代美術館の研究展の題名にも用いられています。その研究は中心メンバーだけでなく、同じ時代に手仕事や装飾へ関心を寄せた作家へ視野を広げました。後世の展示によって設定された年代を使いながら、当時の作家自身の歩みは丁寧に区別して扱う必要があります。
1985年頃までをひとまとまりにすると、初期の実験から運動の成立、商業的な成功、各作家が独自の方向へ進む過程まで追うことができます。1980年代以降も装飾を用いた制作は続き、作家全員が同時に活動を終えたわけではありません。ここでは運動が特に活発だった時代をたどり、成立から展開までの歴史を明らかにします。(参照:バード大学ヘッセル美術館|《With Pleasure》展)
なぜ近代美術では装飾が軽視されてきたのか
抽象絵画に求められた純粋さ
第二次世界大戦後、ニューヨークを中心とする美術界では、抽象絵画の形式を追究する議論が力を持ちました。絵画の平面性や色彩、支持体の形を重視し、彫刻でも素材や幾何学的な構造の明確さを求める動きが広がります。こうした流れの中で、家庭用品の模様や細密な装飾は、美術にとって重要な問題と見なされにくい位置へ置かれました。
「純粋さ」という語は、具体的には絵画を何によって評価するかという問題でした。題材の物語を減らし、平面の色や形を追う方法は近代美術に多くの成果をもたらしています。P&Dの作家もその歴史を学んだうえで、複雑な装飾と色彩が同じくらい厳密な構成を持てることを作品で示しました。
P&Dは抽象絵画と無縁のところから生まれた活動ではありません。多くの参加者は、同じ美術学校や画廊の文化を経験し、抽象的な形の扱い方をよく理解していました。規則正しい反復を画面全体に広げる方法には、幾何学的抽象と共通する要素もあります。彼らが変えようとしたのは、どの形式を高度と認め、どの形式を軽いものと決めるのかという評価の基準でした。(参照:ロサンゼルス現代美術館|《With Pleasure》展)
ミニマリズムの簡潔さと模様の豊かさ
1960年代のミニマリズムでは、同じ形を並べたり、工業材料によって単純な立体を制作したりする方法が広まりました。繰り返しという操作だけを見ると、P&Dとの共通点もあります。違いが鮮明になるのは、その反復が生み出す印象です。規格化された同一の単位を通じて形の関係を示す作品に対し、P&Dでは模様の細部や手仕事の痕跡、文化的な連想が画面を満たします。
例えば同じ円形を繰り返す場合でも、単色で規格的に並べるのか、色や大きさを変えながら帯状に連ねるのかで、見る人が感じる時間や視線の動きは異なります。P&Dの作家たちは反復そのものを否定せず、反復の内部に差異と豊かさを持ち込む方法を探りました。
1970年代の作家たちは、少ない要素だけで作品を成立させる方法を学んだ後、豊かな色、複雑な線、素材の重なりへ関心を広げていきました。装飾が増えるほど芸術として弱くなるという発想を転換し、密度や視覚的な楽しさそのものを作品の力と考えたのです。単純さへの反応から出発しながら、抽象絵画の内部に新しい可能性を探る仕事でもありました。(参照:ロサンゼルス現代美術館|学芸員アンナ・カッツの解説)
批評家エイミー・ゴールディンが見た問題
イスラム美術を研究していた批評家エイミー・ゴールディンは、P&Dの形成に重要な役割を果たしました。彼女は世界各地の工芸や建築装飾をよく知っており、現代美術における装飾の軽視を、地域的な価値観が普遍的な基準のように扱われる問題として捉えました。幾何学的なタイル模様や彩色された建築、織物の複雑さを理解するには、西洋近代絵画だけを基準にした説明では足りません。
ゴールディンの議論は、模様を美しく描く技術の紹介を越え、どの文化の視覚表現を学ぶ価値があると認めるかという選択へ踏み込みました。装飾が世界中の建築や工芸で高度に発展してきた歴史を知るほど、西洋の絵画だけを手本に評価基準を作ることの限界が見えてきます。
ゴールディンは作家たちと対話し、装飾を芸術として論じるための言葉を与えました。美術史の中で周縁に置かれた文化や技法を参照することは、単なる異国趣味に終わる危険も抱えます。その問題を含めて、装飾の扱いを研究する姿勢が必要です。彼女の活動は、P&Dが美しい模様の流行以上の運動へ進む知的な背景となりました。(参照:Artsy|パターン&デコレーション運動の歴史)
1972年頃、運動に先立つ実験が始まる
コズロフの版画《アコマ》が示す関心
ジョイス・コズロフの《アコマ》(1972年)は、ニューヨーク近代美術館が所蔵するリトグラフです。題名はアメリカ南西部のアコマに由来し、彼女が当時すでに地域の建築や造形、装飾に関心を向けていたことを考える手がかりになります。版画という複製可能な媒体を使いながら、装飾的な形の構成を検討していた時期の作品です。
《アコマ》はリトグラフとして制作され、当時すでに美術館の収蔵対象となりました。この時点で模様の研究と美術制度は接点を持っていたことになります。前衛的な運動が成立する前の個々の作品を確認することは、後の運動名から過去を一色に塗り直さないためにも大切です。
その後のコズロフはタイル、モザイク、絨毯などを調べ、緻密な模様を描く仕事へ進みました。1972年の作品を完成したP&D様式として一括するより、特定の美術文化を観察し、平面に移す方法を模索した段階として見るほうが歴史に即しています。運動を生んだのは、同じ見た目の作品を最初から作っていた集団ではなく、複数の場所で蓄積された実験でした。(参照:ニューヨーク近代美術館|コズロフ《アコマ》)
シャピロの《ドールハウス》と家庭空間
1972年、ミリアム・シャピロはシェリー・ブロディの協力を得て《ドールハウス》を制作しました。小さな部屋を集めた家の模型には、台所や子ども部屋、寝室に加えて、芸術家のアトリエも設けられています。作品はカリフォルニアのフェミニスト美術教育から生まれた《ウーマンハウス》展の一部として展示されました。家の中に異なる役割を持つ女性の生活を重ねた点が重要です。
模型の部屋には、家族の役割を示す場所と、芸術家が働く場所が共存しています。日用品の並びや室内の縮尺を丁寧に見ると、家を作るという行為が単なる背景の準備から、社会の習慣を考える表現へ変わることが分かります。後の大きな布作品へつながる問題がすでに含まれています。
この作品では、家庭を飾ること、道具を並べること、部屋を整えることが、女性の社会的な役割を考えるための造形になっています。後のP&Dで布や小物、伝統的な手仕事が前面に出る背景には、こうした実践がありました。家庭に関わる素材を自分の言葉で再構成する経験が、シャピロの装飾への関心を育てていきます。(参照:スミソニアン・アメリカ美術館|シャピロ《ドールハウス》)
幾何学的抽象から模様へ向かう作家たち
ヴァレリー・ジョードンの《Okalona II》(1973年)は、水彩と鉛筆による作品で、曲線や直線の帯が複雑に組み合わされています。遠目には幾何学的な抽象ですが、近づくと編み目や交差する帯を思わせる構造が現れます。模様の単位が全体に行き渡り、中心と周縁の差が小さくなる画面です。彼女は装飾を絵画に取り込む方法を、規則や構造の検討から発展させました。
近づいて見れば交差する線の間に細かな空間が生まれ、少し離れると網のような大きな面に見えます。ジョードンの作品では見る距離が変わるたびに構造の読み方が変わるのです。装飾を平面的な飾りとして扱うのではなく、視覚の働きを考えるための仕組みとして使っています。
この作品は花を描くP&Dの作品とは異なる印象を与えます。装飾を再評価する運動には、色彩豊かな花柄とともに、単色に近い線の編成を探究する作家もいたのです。こうした幅を理解すると、P&Dの名前を装飾的な図柄の一覧として読むことから、絵画の秩序を組み替えた実験として捉えることへ進めます。(参照:ホイットニー美術館|ヴァレリー・ジョードン《Okalona II》)
1975年、作家たちが集まり運動の輪郭が生まれる
ロバート・ザカニッチの自宅での会合
1975年、ニューヨークでロバート・ザカニッチが自宅に作家や批評家を招き、装飾的な表現をめぐる集まりを開きました。シャピロ、コズロフ、ゴールディンらが参加した会合は、P&D運動の形成を語る際に繰り返し取り上げられます。各自が制作していた模様や布の仕事について、互いの関心を言葉にし、共通の活動として意識し始めた節目でした。
1975年の会合は、今では運動の誕生を象徴する出来事として語られます。その場に集まった作家たちの代表作がすべて同じ年に現れたわけではなく、制作歴にも違いがありました。展覧会以前に積み上げられた経験が対話によってつながる過程として捉えると、その歴史が立体的になります。
この集まりが重要なのは、誰かが一つの技法を考案した場面だったからではありません。参加者は異なる経験と美術観を持ち寄り、当時の美術界で軽視されてきた装飾という領域に共通した可能性を認めたのです。以後、展覧会や批評によって作家間の関係が強まり、運動というまとまりが外部からも認識されていきました。(参照:Artsy|パターン&デコレーション運動の歴史)
絵画と工芸の境界をめぐる共通の問題
大きな花柄を描くザカニッチと、布を貼り合わせるシャピロでは、使う素材も画面の作り方も異なります。ジョードンの入り組んだ線や、コズロフの異文化の装飾を参照する模様にも別の関心がありました。互いの作品の違いを尊重しながら、なぜ美術館では絵画と工芸が分けられ、工芸の側が低く扱われるのかという問いを共有しました。
装飾的な図柄を選ぶという共通点の中にも、壁紙の反復を研究する人、織物の技法そのものを使う人、異なる地域の建築装飾に学ぶ人がいます。技法を同じものへ統一しなかったために、展覧会では豊かな違いが並ぶことになりました。その多様性が運動の名前を広める力にもなりました。
P&Dという運動名は、こうした共通の問題を公に示す役割を果たしました。花柄のような具体的な図柄だけではなく、布を縫う技法や建築の表面を彩る方法も一緒に論じることができるためです。作家が同じ様式へ揃う必要がなかったことは、運動が各地に広がる際の強みとなりました。(参照:ロサンゼルス現代美術館|《With Pleasure》展)
ニューヨーク以外にも広がっていた装飾への関心
運動の形成はニューヨークの会合だけで説明できません。西海岸のキム・マコンネルやロバート・クシュナーも、色彩や布、反復模様を使った制作を進めていました。ロサンゼルス現代美術館の回顧展では、活動の中心とされた作家に加え、その周辺で装飾へ向かった多くの人々を同じ時代の関係として紹介しています。
ロサンゼルス現代美術館の研究展には、絵画やコラージュのほか、陶芸、上演の記録、空間全体を使った作品も含まれます。運動が東西の地域をまたいで広がったことに加え、媒体の異なる作家をつないだ点が重要です。ニューヨークの絵画だけを見ていると、その全体像を見落とします。
西海岸では、布や衣服、室内環境を大胆に使う仕事が生まれました。ニューヨークを中心とする批評や画廊が作品を広く紹介する経路となり、各地域の実験は運動として結びついていきます。美術史の記事では「1975年に一室で突然生まれた」という物語より、その前からあった実践が交流の中で可視化された過程を重視したいところです。(参照:ロサンゼルス現代美術館|《With Pleasure》展)
1976~1977年、展覧会が運動を広める
《Ten Approaches to the Decorative》展
1976年、ニューヨークのアレッサンドラ・ギャラリーで《Ten Approaches to the Decorative》展が開催されました。ジェーン・カウフマンが企画したこの展覧会は、装飾へ向かう複数の作家の仕事をひとまとまりとして紹介する重要な機会になりました。題名が示すように、装飾への取り組み方には複数の道筋があり、共通した関心がそのまま同じ作風を意味するわけではありませんでした。
初期の展覧会記録は、運動名が美術の世界へ定着していく様子を示す資料です。何人が同時に出品したか、どの画廊が場を提供したか、企画者が何を問題にしたかという情報が、後から成立史を読み直す手がかりになります。作品画像と展覧会史を一緒に扱う必要があるのです。
作品を並べて展示すると、花柄や格子、布などの違いを比較しながら、批評上の問題も見えてきます。新しい運動が知られるためには、作家たちが交流することに加え、展覧会を企画し、鑑賞者と批評家の目に触れる場が必要です。この展覧会は、P&Dの活動が個々のアトリエから公共の議論へ進む節目となりました。(参照:Artsy|パターン&デコレーション運動の歴史)
1977年、P.S.1の《Pattern Painting》展
1977年11月から12月にかけて、ニューヨークのP.S.1で《Pattern Painting》展が開かれました。現在のニューヨーク近代美術館の作家記録でも、この展覧会への参加が確認できます。「パターン絵画」という表現は、模様の反復を絵画の重要な構造として扱う方向を示していました。1976年の展示に続き、作品を集団として見る機会が増えていきます。
P.S.1の記録には、展覧会の準備に関わる書簡や出品資料、学芸員の文章などが残されています。発表された作品の姿に加えて、展示の実務が記録されていることも重要です。1977年の活動を現在の運動名から想像するだけでなく、実際に展覧会がどのように企画されたのかを検討できます。
P.S.1は、旧校舎を利用して現代美術を紹介する場所として知られるようになりました。工芸や装飾を中心にした仕事が、実験的な美術の場所で扱われることには象徴的な意味があります。日用品に近い素材や模様を用いる作品が、現代美術の先端的な実践として展示されたのです。(参照:ニューヨーク近代美術館アーカイブ|1977年《Pattern Painting》展)
画廊と批評が「運動」を形作る
P&Dの作家たちを支えた重要な存在として、ニューヨークの画廊主ホリー・ソロモンが挙げられます。絵画の市場では簡潔な抽象や既に評価された様式が有利な場面もあり、模様を前面に出した新作が継続的に紹介されるには理解ある画廊が必要でした。展覧会の記録や批評が積み重なることで、作家同士の関係はより広く知られるようになります。
当時の美術雑誌では、装飾を大胆に使う新しい絵画の評価をめぐって議論が交わされました。画商が作品を継続的に扱うことと、批評家がその仕事を論じることは相互に関係します。複数の人が関わることで、一見するとばらばらだった実験が美術史上の動向として認識されるようになりました。
「運動」という呼び名には、作品の間に関係を作り出す働きもあります。個別に制作された絵画や布作品が同じ展覧会に集められると、共通点と違いの両方が目に入ります。P&Dは、作家、画商、批評家、企画者の活動が重なりながら形を得た動向でした。(参照:Artsy|パターン&デコレーション運動の歴史)
ミリアム・シャピロが布と絵画を結びつける
「フェマージュ」に込められた手仕事の歴史
ミリアム・シャピロは、布、レース、エプロン、ハンカチなどを絵画へ組み合わせる制作を進め、「フェマージュ」と名づけました。女性を意味する語とコラージュを重ねた呼び名には、長く家庭の仕事として扱われてきた技法を現代美術の中心へ置く意図がありました。素材には既に使われた物や身近にある布も含まれ、生活の記憶が画面へ持ち込まれます。
布には模様だけでなく、使われてきた時間や触感が残っています。シャピロは、布を貼ることによって画面の中に色彩の違いを作るとともに、布を扱ってきた人々の技能を思い起こさせました。描く行為と縫う行為を同じ画面で考えるための方法として、フェマージュは重要です。
形や色を描くことに加え、布を選び、切り、貼り、組み合わせるという作業が作品の成り立ちになります。花やハート、扇などの図柄も、装飾として楽しむと同時に、軽いものと見なされてきた女性の表現を堂々と掲げるために使われました。シャピロの仕事は、フェミニスト・アートとP&Dが交差する代表的な例です。(参照:スミソニアン・アメリカ美術館|ミリアム・シャピロ)
《バルセロナ・ファン》の大きな扇
《バルセロナ・ファン》(1979年)は、横幅が約3.66メートルある大きな絵画です。扇を開いた形を基礎に、放射状の構成へ鮮やかな布やレース、アクリル絵の具を重ねています。扇は多くの文化で使われてきた道具で、優雅さや身だしなみと結びつけられてきました。シャピロはその手のひらに収まるような日用品の形を、鑑賞者を包み込む大画面へ拡大しました。
大きな扇を前にすると、鑑賞者はこれが実用品として持てる大きさではないとすぐに気づきます。その感覚が、女性の身の回りの小物に結びつけられてきた社会的な意味を考える入口になります。造形的には扇の骨組みに沿った直線と花柄の曲線が重なり、形に強い動きを与えています。
作品には24本の放射状の区画があり、さらに同心円状に分けられた領域へ模様が重ねられています。規則的な形の中で、布の質感と花柄が複雑なリズムを生み出します。かつて装飾的で取るに足りないものと見られた扇を大きくすることで、何を絵画の主題にふさわしいと考えるかを鑑賞者へ問いかけています。(参照:メトロポリタン美術館|ミリアム・シャピロ《バルセロナ・ファン》)
《ワンダーランド》に見える家庭と装飾
《ワンダーランド》(1983年)は、布とプラスチックのビーズ、アクリル絵の具を用いた大画面です。中心には家の中の女性を示す刺繍的な像があり、周囲にはキルトの断片やエプロン、茶碗など家庭生活と結びつく形が集められています。家庭にある布を選んで作品へ貼ることは、使われてきた物の意味を残したまま、新たな視覚的な秩序を作る行為でもあります。
この作品の図柄は、部屋の景色や人物を一枚の物語として描写する方法とは異なっています。生活用品の断片が層のように積み重なり、繰り返し現れることで、家事の経験が画面の全体へ広がります。見る人は一つの象徴だけを読み解くより、複数の手仕事が蓄積してきた時間を想像することになります。
シャピロはこれらの題材を、生活を彩る小物としてだけ扱ったわけではありません。刺繍や縫い物に費やされた時間、名前の残らない人々が継承してきた技術を、巨大な絵画の価値として提示しました。作品が見せる豊かさは、家庭内の仕事の歴史を美術の中へ書き込む方法でもあります。(参照:スミソニアン・アメリカ美術館|シャピロ《ワンダーランド》)
ジョイス・コズロフが世界の模様を絵画へ取り込む
旅行と観察から始まった装飾の研究
ジョイス・コズロフは1970年代、メキシコ、スペイン、モロッコ、トルコなどで建築やタイル、織物を観察し、そこに見られる模様を制作へ取り込みました。反復する小さな形の組み合わせや、色の連続によって構成された画面は、鑑賞者が見る場所によって印象を変えます。作品の手がかりとなった装飾文化には、それぞれ固有の歴史と用途がありました。
装飾を描くには、模様がどこで繰り返され、どこで変化するかを観察しなければなりません。コズロフは実際の建築や布から得た構成を、絵画という別の媒体に合わせて調整しました。旅で見たものの記録と、アトリエでの造形的な判断が結びつくところに、彼女の独自の仕事があります。
旅先で見た形式を絵画へ移す際には、どの部分を抽出し、どのように組み合わせるかという判断が生まれます。コズロフの作品は、装飾を別の領域の技法として切り離すのではなく、現代絵画を考えるための豊かな知識として扱いました。西洋近代美術の外にある形式に学ぼうとする姿勢も、この運動の重要な特徴です。(参照:ロサンゼルス現代美術館|ジョイス・コズロフの制作)
《Pictures and Borders III》と縁取りの役割
1977年の版画《Pictures and Borders III》は、ニューヨーク近代美術館が所蔵しています。題名にある「縁取り」は、作品の周囲で主題を飾るものと考えられがちです。コズロフは縁取りと内部の図柄をともに構成の中心へ据え、模様が画面をどう区切り、どうつなぐかを探りました。繰り返す形は視線を移動させ、画面の端にも鑑賞の重みを与えます。
「縁取り」は美術作品では額縁に近い位置に置かれることがあります。コズロフの題名は、その周辺と中心との関係を見直す手がかりです。模様が端を区切るのか、内部を広げるのかという問いは、抽象絵画の構成にとっても重要です。版画で試された図柄の関係は、その後の壁や床へ広がる制作にも通じています。
美術館の作品記録では、この作品はリトグラフとされています。印刷された模様を近くで見ると、同じ形でも間隔や配置によって複数の表情が生まれることが分かります。日用品を飾るはずの縁取りが、抽象的な造形の仕組みとして働くところに、P&Dの転換がよく表れています。(参照:ニューヨーク近代美術館|《Pictures and Borders III》)
《An Interior Decorated》で部屋全体を作品にする
コズロフは1979年、《An Interior Decorated》で絵画の枠を越えて室内全体を装飾する方向へ進みました。壁や床を含む空間へ模様を広げると、装飾は一枚の絵画の内部に収まるものではなくなります。鑑賞者は作品を正面から眺める姿勢を離れ、室内を歩きながら自分の周囲を見渡すことになります。
室内全体が装飾されると、絵画で当然とされてきた上下や正面の関係が変わります。壁に向き合うときと、床を見下ろすときでは模様の見え方が異なります。鑑賞者が自分の身体を動かすことによって作品の経験が組み立てられる点は、同時代の空間芸術ともつながっています。
美術館の解説によれば、彼女はパターン絵画だけでは美術と工芸の序列を十分に崩せないという批判にも向き合い、公共の場での制作を発展させていきました。装飾を現実の建築や人々の生活へ持ち込むことによって、作品を体験する場所も変化しました。この展開はP&Dの活動が絵画の表面だけを扱っていたわけではないことを示します。(参照:ロサンゼルス現代美術館|ジョイス・コズロフの制作)
ヴァレリー・ジョードンの絵画と装飾の構造
《Okalona II》に見る交差する帯
ヴァレリー・ジョードンの《Okalona II》(1973年)では、曲がりながら交差する帯が密集して、編み込まれたような模様を作っています。明確な中心がなく、部分的な形が連続して一枚の画面へ広がります。正方形に近い形式の中で、繰り返しが密度の変化や視線の動きを生み出します。水彩と鉛筆という比較的簡潔な材料でも、装飾の構造そのものを複雑に扱えることが分かります。
編み目のような構造は、互いの線がどちらを上に通り、どちらを下に潜るかという関係を想像させます。画面が平らでも立体的な交差を感じるのは、その図柄が身体で知っている編む行為を思い出させるためです。抽象的な構成と日常的な技法が、見る経験の中で結びつきます。
図柄の連続は古くから建築、織物、写本の装飾で用いられてきました。ジョードンはそうした視覚文化を抽象絵画の問題として考え直しました。作品に具体的な花や人物が描かれていなくても、模様を通じて異なる文化や制作技法の記憶が読み取れるところに、この作家の特色があります。(参照:ホイットニー美術館|ヴァレリー・ジョードン《Okalona II》)
織物や建築の模様と幾何学的抽象
ジョードンの画面に見られる格子や交差する帯には、幾何学的抽象と織物の構造の接点があります。糸は縦と横へ交差し、建築の装飾も線を組み合わせて一つの面を構成します。幾何学的な配置は特定の文化に限定されたものではなく、さまざまな手仕事や建築の中で異なる意味を持って使われてきました。
格子は近代絵画の抽象性を象徴する形としても使われてきました。織物において同じ格子は、実際の糸を交差させて布を作るための構造でもあります。この二つの意味を一つの画面に重ねることは、絵画の形式を研究することと手仕事の知識を認めることを同時に進める行為でした。
ナショナル・ギャラリーが開催した織物と近代抽象をめぐる展覧会でも、ジョードンは重要な作家として取り上げられています。絵画と布の間には、線や格子という造形的な共通点があるのです。その共通点を見つけることによって、絵画だけが抽象的な知性を担うという価値観を見直すことができます。(参照:ナショナル・ギャラリー|《Woven Histories》展)
作家の文章が批評の基準を問い直す
1978年、ジョードンはコズロフとともに「Art Hysterical Notions of Progress and Culture」を発表しました。著名な芸術家や美術史家の発言を集め、装飾や工芸が軽視される背景にある性別や地域に関する偏見を検証した論考です。題名は、美術史の「進歩」を当然とする語り方そのものを問題にしています。
1978年の論考が大切なのは、作家が自分たちの作品を理解してもらうために、過去の批評の言葉を資料として読み直した点です。作品について語る際に何を高尚と呼び、何を些細と呼ぶかという言葉の選択は、鑑賞者の判断へ影響します。批評そのものを研究の対象にした意義があります。
作品をつくることに加えて、美術史の言葉を調べ、評価の根拠を公の場で議論することがP&Dの活動には含まれていました。抽象絵画の構造を変えようとする姿勢と、抽象絵画を語る言葉を変えようとする姿勢が結びついた点で、ジョードンの制作と批評は相互に理解できます。(参照:Artsy|パターン&デコレーション運動の歴史)
ロバート・ザカニッチと巨大な花柄
1975年の会合を開いた画家
ロバート・ザカニッチは、1960年代から抽象絵画を制作してきた作家です。ホイットニー美術館の記録には1967年や1969年の展覧会への参加が残り、P&Dが成立する前から美術界で活動していたことが分かります。やがて花柄や装飾を取り込む表現へ進み、1975年には同じ方向を模索する人々を自宅へ招きました。
1967年から続くホイットニー美術館への出品歴を見れば、ザカニッチがP&D以前にも発表の経験を重ねていたことが分かります。新しい運動に参加する作家は、突然過去の制作を捨てるわけではありません。抽象絵画で培った大画面の扱いや色彩の感覚が、花柄を選ぶことによって別の方向へ進んだのです。
美術運動は、初めから無名の若者たちだけで形成されるものとは限りません。すでに抽象絵画に取り組んできた作家が、自分の仕事の問題を別の方向へ展開することもあります。ザカニッチが装飾へ向かったのは、絵画の構成や色彩に関する経験を捨てたからではなく、模様の持つ力を大きな画面で試そうとしたためでした。(参照:ホイットニー美術館|ロバート・ザカニッチ)
《Angel Feet》に見る華やかな大画面
《Angel Feet》(1978年)は、三つの部分からなる大きなアクリル絵画です。ホイットニー美術館の所蔵記録によると、全体の横幅は約4.38メートルあります。鑑賞者の身体を大きく上回る画面を使うことで、装飾的な色彩や形は、日用品の表面を飾る小さな図柄から、鑑賞空間を支配する視覚的な出来事へ変化します。
三つの画面に分かれていることは、絵を一枚の四角い窓として見る習慣を変えます。部分から部分へ視線を移動させる経験は、反復する装飾的な形とも呼応します。鑑賞者が画面全体を一度に見渡す距離から、細部へ近づいて模様を追う距離へ移ることも、この作品の楽しさの一つです。
花柄や反復する形を絵画の中心へ置いたザカニッチの仕事は、装飾が大規模な作品の主題として成立することを示しました。従来の抽象絵画が追究してきた画面の大きさと、家庭用品を連想させる模様が出会います。鑑賞者が見慣れた図柄だからこそ、その拡大によって印象が大きく変わるのです。(参照:ホイットニー美術館|ザカニッチ《Angel Feet》)
《Baskets》と身近な物の装飾
ザカニッチの《Baskets》(1979年)は、鉛筆を使った紙の作品です。大きな絵画とともに、身近な器物や装飾を思わせる形を素描として検討していたことが分かります。籠という日用品は、編む技術によって形を持ち、その構造と模様が一体となっています。何を描くかという題材の選び方にも、日常生活の物と美術を近づける姿勢が表れています。
籠は、繰り返して組み合わせた材料から形を作る物です。その構造には、抽象絵画で用いられる線の反復や交差と似た発想があります。素描として籠を考えることで、器物の形とその表面の模様を同時に検討できます。暮らしの道具を造形研究の手がかりにする姿勢が見えてきます。
花や籠は、美術史ではしばしば静物画の題材として登場しました。P&Dにおいては、図柄の反復、織りの構造、表面を彩る仕組みそのものも関心の対象になります。美術館で素描と巨大絵画を合わせて考えることで、ザカニッチが装飾の形をさまざまな大きさで試していたことを理解できます。(参照:ホイットニー美術館|ザカニッチ《Baskets》)
ロバート・クシュナーが衣服と絵画をつなぐ
身体にまとう作品と装飾の関係
ロバート・クシュナーは、絵画制作に加えて衣服や布を使った上演的な仕事でも知られています。1970年代のP&Dには、装飾を壁の上だけで扱うのではなく、身体と結びつける実験もありました。布をまとえば模様は動き、着る人の姿勢によって折れ曲がり、日常生活や祝祭の衣装を連想させます。
衣装は見る人と着る人の関係を変えます。布に描かれた模様は身体の動きに応じて折れ、形を変えるため、固定された絵画の図柄とは違う時間を持ちます。クシュナーが装飾へ向かった背景には、絵画の平面を越えて身体の周囲に色と形を広げる関心もありました。
鑑賞するための絵画と、使われる衣服との境界は、クシュナーの制作にとって重要な問題でした。美術館の作品は触れられないものとして扱われることが多いのに対し、衣服は身につけて動くことを前提としています。この違いを造形の中へ取り込むことで、装飾が果たす働きを改めて考えることができます。(参照:Artsy|パターン&デコレーション運動の歴史)
《French Tart》の布と人物像
《French Tart》(1978年)は、縫い合わせた綿布にアクリル絵の具を用いた大きな作品です。ホイットニー美術館の記録によると、高さ約2.44メートル、幅約3.25メートルあります。模様のある地の上に左右で呼応する人物像が置かれ、図柄と人物が同じ画面の中に現れます。絵画の支持体そのものが縫い合わせた布である点も重要です。
縫い合わせた綿布は、あらかじめ整えられたキャンバスとは異なる表面を持っています。布のつなぎ目や柄の関係は、人物の姿と並んで作品の構成を支えます。二人の人物が画面の中で呼応する姿を見ながら、鑑賞者は絵画と装飾と衣服との関係を行き来することになります。
この作品では、装飾の中に人物が描かれ、布の使われ方が衣装や室内の布地を連想させます。写実的な空間を奥行きとして描く方法とは異なり、模様と身体が近い平面で共存します。どこまでが人物で、どこからが装飾なのかを見ながら、鑑賞者は画面の全体を楽しむことができます。(参照:ホイットニー美術館|クシュナー《French Tart》)
1984年、ホイットニー美術館での展覧会
クシュナーの制作は、1984年にホイットニー美術館で《Robert Kushner: Paintings on Paper》展として紹介されました。会期は10月3日から12月9日で、企画はリチャード・マーシャルが担当しています。P&Dと関わる作家が個展形式で取り上げられたことは、運動が美術界の主要な展示施設にも認められていた状況を示します。
1984年の個展は、P&Dの初期に注目された華やかな布作品だけでなく、一人の画家の継続した研究を検討する場でした。紙を使った作品は素材の重なりや線の動きを異なる方法で見せます。作家を運動の代表例として扱うだけでなく、個別の制作の変化を追う必要があることを示しています。
個展は、同じ運動に参加したほかの作家と比較する場から、一人の制作の変化を詳しく見る場へ視点を移します。模様を取り入れた時期だけで作家の活動が完結しているわけではなく、紙や布、絵画という媒体の選択を通して、それぞれの表現が続いていきました。(参照:ホイットニー美術館|1984年クシュナー展)
キム・マコンネルの布と色彩
《On TV》で絵画を壁から解放する
《On TV》(1978年)は、見つけた布を縫い合わせ、その上にアクリル絵の具を用いた作品です。ホイットニー美術館に残る画像では、模様の異なる布が複数の部分に分かれ、綱を使って掛けられています。額縁に収められた長方形の絵画とは異なり、布の揺れや垂れ方が画面の姿に関係しています。
《On TV》では、複数の布の領域が連なりながら、一枚の絵画の枠組みを緩めています。布を吊るしたときの重力も完成した姿へ影響します。平面作品として分類されながら、実際には柔らかい素材が空間に存在する状態までを鑑賞する必要があります。こうした曖昧さがP&Dの表現を広げました。
作品の材料である布は、かつて生活の中で使われていた物です。既製品の色や模様を一部に残しながら、作家がさらに絵の具を重ね、縫い合わせて再構成します。美術品のために特別に整えられた支持体を離れることで、室内の装飾、布仕事、絵画が一つの表現へ結びついていきます。(参照:ホイットニー美術館|マコンネル《On TV》)
《Formidable》のベッドシーツに描く絵画
1981年の《Formidable》は、切って縫い合わせたベッドシーツにアクリル絵の具を用いた作品です。複数の縦長の領域へ鮮やかな形が配され、色面と模様が連なります。家庭で使うシーツは本来、身体を包むための布です。マコンネルはそれを壁に掛ける大きな絵画の支持体へ変えました。
ベッドシーツは、画材として売られている布とは使用の目的が異なります。それを切って縫い直すと、布は生活用品から芸術作品の一部へ変化します。マコンネルの画面では、既製の模様と新たに描かれた形が混在し、鑑賞者はどこまでがもとの素材で、どこからが作家の操作なのかを考えることになります。
布を切る位置やつなぐ順番は、完成した模様の印象を大きく左右します。絵を描く行為と布を縫う行為が分離しないため、作品の中には二つの技法の時間が重なります。既製品の表面と、そこへ加えられた手の操作が共存することに、P&Dならではの造形的な可能性が現れています。(参照:ホイットニー美術館|マコンネル《Formidable》)
西海岸の装飾と自由な組み合わせ
マコンネルはカリフォルニア大学サンディエゴ校で学び、ニューヨークを中心とするP&Dと並行して、西海岸で独自の制作を続けました。彼の作品では、鮮やかな配色、布地の使い方、規則から少し外れるような形の並びが重要です。抽象絵画の構成を意識しながら、図柄の楽しさや偶然の出会いを積極的に取り入れています。
西海岸で活動した作家がニューヨークの展覧会へ参加したことは、作品の移動と情報交換の重要性を示しています。写真や批評によって遠方の活動が伝わり、やがて同じ美術運動として語られました。複数の都市に広がったことは、単一の画廊や作家集団にとどまらない活動の厚みにつながっています。
こうした仕事を通して、P&Dがニューヨークの限られた集団の表現へ収まらなかったことが分かります。地域による生活文化や美術教育の違いが、模様や素材の扱いにも現れます。ひとつの運動として紹介された作家たちの間にも、作品の形式や色彩の感覚には大きな幅がありました。(参照:ホイットニー美術館|キム・マコンネル)
陶芸、キルト、工芸へ広がる表現
ベティ・ウッドマンが陶器を彫刻として扱う
ベティ・ウッドマンは陶芸から出発した作家です。1970年代に器の実用性から距離を取り、鮮やかな色や大胆な形を持つ作品へ進みました。陶器には日用品としての長い歴史があり、食器や花器は使われることを前提に作られてきました。ウッドマンはその形や釉薬、文化的な引用を自由に組み合わせ、器を彫刻的な存在へ発展させました。
器の形を残したまま、持ったり使ったりすることが難しい造形へ変えていくと、陶器をどう鑑賞するかという問題が生まれます。ウッドマンの作品は、その境界を軽やかに行き来しました。釉薬の色や形の引用にも歴史があり、工芸の技術を用いながら美術史の視野を広げる点で重要です。
スミソニアンの作家資料によれば、彼女はコズロフやシンシア・カールソンらとも交流し、P&Dに関わる芸術家たちの仕事と接点を持ちました。陶芸の内部で培われた技法を現代美術の表現として示したことには、平面の模様を立体へ拡張する意味があります。陶器は作品の材料であり、その歴史そのものが作品の内容にもなりました。(参照:スミソニアン・アメリカ美術館|ベティ・ウッドマン)
ジェーン・カウフマンのキルトと装飾
ジェーン・カウフマンは、P&Dの展覧会を企画するとともに、布や刺繍を用いた作品を制作しました。《Embroidered, Beaded Crazy Quilt》(1983〜85年)には、布をつなぎ、刺繍やビーズで飾る方法が取り入れられています。クレイジー・キルトとは形の異なる布片を組み合わせ、継ぎ目を刺繍などで強調する形式で、複雑な表面が特徴です。
一枚のキルトは、布片をつなげる工程を経て成立します。選ばれた生地の柄だけでなく、異なる布同士の関係や刺繍で強調される継ぎ目にも作り手の判断が現れます。カウフマンの作品を鑑賞する際には、表面の華やかさとともに、素材を組み合わせる緻密な作業へも目を向けたいところです。
長い時間をかけて縫い、飾りを加えることは、平らな面に図柄を描く作業とは別の労働を伴います。その手間や材料の豊かさを作品の価値として示すことは、工芸の技術を美術の内部で再評価する方法でした。展覧会の企画者としての活動と、自らの制作が結びついている点でも重要な作家です。(参照:Artsy|パターン&デコレーション運動の歴史)
工芸の技法を扱うことが変えた価値観
工芸は人々が暮らす環境の中で継承される技術を多く含みます。織物は糸の交差を、陶芸は土と焼成を、刺繍は針を繰り返し動かすことを通して形になります。絵画と工芸を厳しく区別すると、それぞれが蓄積してきた知識や技能のつながりが見えにくくなります。P&Dの作家は、その境界に意識的に働きかけました。
工芸と絵画の関係を考えるときには、使う材料だけでなく、制作に必要な身体の反復にも注目できます。針を通す、糸を張る、粘土を成形するという行為には、それぞれの技術が蓄積されています。P&Dはその技能を美術にふさわしい知識として捉え直す契機にもなりました。
ホイットニー美術館の《Making Knowing》展は、20世紀後半以降の美術家による縫製や陶芸などの使用を広く検討しました。P&Dもそうした長い変化の中で位置づけることができます。絵画の作家が布を使うことと、陶芸家が彫刻的な作品を生み出すことが、同じ美術史の問題として語られるようになったのです。(参照:ホイットニー美術館|《Making Knowing》展)
世界各地の装飾文化から何を学んだのか
イスラム建築の幾何学模様と反復
P&Dの作家たちは、イスラム圏の建築装飾から多くの手がかりを得ました。壁面に広がる幾何学的な図柄、曲線の組み合わせ、連続する模様は、視線を一か所へ集める肖像画とは異なる鑑賞体験を生み出します。反復する単位が面全体へ続く構造は、抽象絵画にとっても豊かな研究対象でした。
例えば同じ幾何学的な星形でも、タイルを組み合わせて作る場合と紙に描く場合では、素材の抵抗や技法が異なります。P&Dではその違いを理解しながら、視覚的な構成を絵画へと移していきました。表面の図柄だけを見るのに加えて、どのように作られてきたかを知ることで、作品の参照関係が明らかになります。
こうした形式には、地域や時代ごとに異なる宗教的、建築的、社会的な文脈があります。P&Dの画家がそれらを参照したとき、模様は別の場所へ移され、新しい作品の中で使われました。模様の美しさを認めることと、その出自を理解することの両方が、歴史を読むうえで必要です。(参照:ロサンゼルス現代美術館|《With Pleasure》展)
ペルシャ絨毯、米国のキルト、家庭の刺繍
ペルシャ絨毯には、中央の構成と細かな縁取り、反復する植物模様などが見られます。米国のキルトでは、布片を幾何学的に組み合わせたり、身近な衣類を再利用したりする実践が発展しました。家庭で受け継がれてきた刺繍にも、図案と手仕事を一体化する長い歴史があります。P&Dはこれらの異なる技法を同じ美術の場で参照しました。
日常生活にある布や器物は、使われる環境と深く結びついています。食卓に置かれる器、床に敷かれる絨毯、身体を覆う衣服は、それぞれ大きさも触れ方も違います。作家がその模様を巨大な画面へ変える際には、使うための尺度から見るための尺度へと変換が生じます。
素材と図柄には、それぞれ作られた人の暮らしや使用目的が関係しています。絨毯の反復模様を絵画へ移すときも、キルトの布を作品へ縫い込むときも、もとの文化との距離が生じます。作品の魅力を説明するには、模様の視覚的な構造と、それを生んだ生活の背景を合わせて見ることが有効です。(参照:ロサンゼルス現代美術館|《With Pleasure》展)
文化を引用する際に生まれる課題
P&Dは、世界の装飾文化に広く目を向けた点で重要な運動でした。さまざまな地域の表現を現代美術の価値ある手がかりとして扱い、西洋の絵画史だけが中心だという見方を揺さぶりました。複数の文化から得た模様や技法を組み合わせる制作は、視覚的に豊かな結果を生みました。
世界の装飾文化への関心には、当時の米国社会で広がった文化的多様性を重視する意識も重なっています。学ぶ対象を広げようとする姿勢は重要な変化でした。同時に、借用した模様をどのような文脈で説明するかは、作品ごとに丁寧に検討する必要があります。歴史研究はその両面へ目を向けます。
現代の研究では、その引用の仕方も検討されています。何を参照したのか、どの文化の名前が作品の説明に残るのか、模様の作り手の存在がどう扱われたのかという問題です。1970年代の作家が目指した開かれた美術観を理解しながら、現在の視点で見える課題も研究対象にすることが、歴史的な評価を深めます。(参照:バード大学ヘッセル美術館|《With Pleasure》展)
フェミニズムと運動の関係
女性の手仕事を美術史へ取り戻す
1970年代のフェミニスト・アートでは、芸術家として評価される女性の少なさが問題となりました。教育や展示の機会が限られてきた歴史を調べる活動と、家庭で行われてきた労働の価値を見直す活動が進みます。刺繍や縫製、布を使うP&Dの作家たちには、こうした問いに共感する人が多くいました。
女性たちが長く担ってきた縫い物や家事は、特定の場所でしか行われない仕事として軽く見られることがありました。その制作物が美術館の壁に掛かると、鑑賞者は別の価値基準で見るよう促されます。材料を変えずに展示する場所を変えることにも、社会的な意味が生まれます。
シャピロのフェマージュは、身近な布を絵画に重ねることで、誰の仕事が芸術として認められてきたのかを直接的に示します。同じ運動に参加した作家でも、社会的な問題の示し方は異なります。P&Dは女性芸術家による活動から重要な刺激を受け、装飾の価値を通して美術史の評価基準へ働きかけました。(参照:ナショナル・ギャラリー|女性と美術)
男性作家も参加した幅広い集まり
P&Dには、シャピロやコズロフ、ジョードンなどの女性作家に加えて、ザカニッチ、クシュナー、マコンネルら男性作家も参加しました。芸術史家アン・スウォーツは、フェミニズムが運動を可能にする条件をつくったことを指摘しながら、その全体をフェミニスト運動だけに還元する見方には慎重です。参加者の経験や制作目的は多様でした。
参加者の男女比や思想だけで運動の特徴を説明すると、造形的な違いが見えにくくなります。クシュナーの人物と衣服、ザカニッチの巨大な花柄、ジョードンの幾何学的な構成には、それぞれ固有の魅力があります。運動の共通点を理解した後、もう一度個別の作品へ戻ることが重要です。
男性作家の中には、衣服、花柄、室内装飾の美しさや視覚的な自由さに強く惹かれた人もいます。女性作家の中にも、社会的な批評だけでなく、模様の構成そのものを深く研究した人がいました。運動の歴史を理解するには、共通の評価への疑問と、作品ごとの異なる動機を両方見ていく必要があります。(参照:Artsy|パターン&デコレーション運動の歴史)
1978年の論考が示した批評上の挑戦
ジョードンとコズロフの1978年の論考は、近代美術を語る言葉そのものを調べました。美術史家や芸術家が過去に装飾、女性的な表現、西洋以外の文化についてどう発言してきたのかを引用し、言葉の中に含まれる価値判断を検討したのです。絵画の画面へ模様を入れる行為と、美術批評の文章を読み直す行為が、同じ問題へ向かっていました。
美術史の文章は、後から読み返したときに価値観の変化を知るための資料になります。ジョードンとコズロフは、装飾を軽視する発言を集めることで、それがどれほど繰り返されてきたかを示しました。自分たちの作品を理解するための枠組みを作家自身が問い直した点が、同時代の美術批評でも注目されました。
近代美術の進歩を一本道で語ると、後に現れた形式が優れ、以前からある工芸や装飾が遅れたものとして扱われることがあります。P&Dの芸術家たちは、そうした歴史の語り方に疑問を持ちました。新しい作品を制作することによって、過去に低く評価されてきた形式を現在の美術へ戻そうとしたのです。(参照:Artsy|パターン&デコレーション運動の歴史)
絵画の外へ広がる装飾
床や壁を彩る作品と建築空間
P&Dの作品の中には、壁に掛ける絵画の枠を越えて、室内全体を構成するものがありました。コズロフの《An Interior Decorated》のように、壁や床へ装飾を広げると、鑑賞者は作品の前に立つだけでなく、その中を移動して模様を体験します。そこでは建築の空間と芸術作品が緊密に結びつきます。
空間を使う装飾は、画面を一望して終わる鑑賞とは異なる経験を作ります。鑑賞者は床の模様をたどり、壁へ視線を移し、また別の場所へ歩いていきます。複数の表面が視野の中で連続することで、装飾の反復は身体の移動と結びつきます。
建築装飾は、かつて純粋芸術より低く扱われることがありました。部屋の表面を彩ることを芸術家自身の主要な制作とする試みは、その序列を現実の空間で問い直します。展示室を歩く時間や見る角度に応じて模様が連続して見える経験は、小さな絵画とは異なる鑑賞方法を生みました。(参照:ロサンゼルス現代美術館|ジョイス・コズロフの制作)
公共空間へ向かったコズロフの制作
コズロフは1979年以降、公共空間での制作を重視するようになりました。駅や建物の内部に装飾を施す仕事は、美術館へ作品を見に来る人のほかにも、普段の生活の中で偶然それを見る人々を生み出します。1984年にはハーバード・スクエアの地下鉄駅のための壁画構想がP.S.1で展示されました。
公共空間の装飾は、作品を見るために美術館へ入場するという行為を必要としません。通勤中や移動の途中に出会う人も鑑賞者になり得ます。芸術家が場所を選ぶことは、作品の形を決めるとともに、誰に届くかを考える仕事でもありました。
絵画に取り込まれた模様が、再び実際の建築へ戻るような展開です。作品を見せるための特別な場所と、人々が日常的に通る場所の関係も変わります。P&Dの理念は、模様を肯定するという議論から、都市の中で芸術がどこに置かれるのかを考える問題へ広がりました。(参照:DC Moore Gallery|ジョイス・コズロフの経歴)
衣服と布が変える鑑賞者の距離
布を使った作品は、見る人に身体的な感覚を呼び起こします。織りの厚みや柔らかさ、重さ、縫い目などは、絵の具だけで作られた平面とは違う質感を持っています。クシュナーの《French Tart》のように、布に描くことと模様を構成することを結びつけた作品では、日常の衣服を思わせる素材が大画面の絵画へ変わります。
布の作品には、触れられなくても触感を想像させる力があります。柔らかさ、縫い目、布の重みを目で追うと、鑑賞は身体的な感覚へ近づきます。普段の生活で衣服を着たり布を扱ったりしてきた経験が、美術館の中で作品を見るための知識になるのです。
衣服と作品の間には、使うことと鑑賞することの違いがあります。その境界を行き来することで、P&Dの作家は芸術を生活から遠い特別な物として隔てる考え方を見直しました。絵画を鑑賞する行為に、装飾された布の触感や衣服の記憶が重なり、作品との距離が変化していきます。(参照:ホイットニー美術館|クシュナー《French Tart》)
美術館と画廊は運動をどう受け止めたのか
1979年ホイットニー・ビエンナーレ
1979年のホイットニー・ビエンナーレには、コズロフやマコンネルの作品が出品されました。美術館が公開する展示記録には、コズロフの《Mad Russian Blanket》《Longing》(ともに1977年)と、マコンネルの《Baton Rouge》《Factory Brocade》(ともに1978年)が展示室に並ぶ様子が写されています。P&Dの作品が米国現代美術の主要な展覧会で扱われていた具体的な記録です。
ビエンナーレの展示写真には、現在は別々に所蔵される作品が当時どのように並んでいたかという情報が残ります。隣にどの作品が置かれたかは、鑑賞者の印象を左右します。写真は、運動が公的な展覧会でどのように紹介されたのかを知るための貴重な証拠となります。
会場で複数の作家の作品を見比べると、布や模様の共通点と、個々の画面の違いがはっきりします。大きな展覧会に参加することは、運動を知らなかった観客や批評家に作品を紹介する機会でもありました。P&Dは1970年代後半には、画廊だけの動きから美術館で評価される活動へ広がっていました。(参照:ホイットニー美術館|1979年ビエンナーレ)
1979年《The Decorative Impulse》展
1979年6月13日から7月21日まで、フィラデルフィアの現代美術館で《The Decorative Impulse》展が開かれました。大学美術館の展示記録と当時の刊行物に、この展覧会が残されています。題名に用いられた「装飾的な衝動」という表現は、装飾へ向かう活動を一つの造形的な関心として紹介しようとするものです。
フィラデルフィアの展覧会は、ニューヨーク以外の都市でも装飾をめぐる議論が進んでいたことを示します。美術館の記録に残る会期や出版物からは、批評的な関心が持続していたことを確認できます。特定の作品の紹介と並行して、装飾という主題そのものが美術の問題として研究されました。
特定の集団だけが行う作品を見せる段階から、装飾をめぐるより広い展望を示す段階へ進んでいたことが分かります。装飾の価値を問い直す議論は、美術館の展示と批評の対象になり、その後の研究資料にもなりました。展覧会という制度が運動の輪郭を作り、さらにその意味を広げていった例です。(参照:フィラデルフィア現代美術館|1979年《The Decorative Impulse》)
画廊の支援と作品の売買
装飾的な絵画が美術館に展示されるようになるまでには、画廊での発表や収集家の支援も重要でした。ホリー・ソロモンの画廊は、P&Dの作品を継続的に紹介した拠点の一つです。作品が売買され、美術館へ収蔵されることによって、当時の活動は後年の研究者が確認できる資料として残りました。
作品が購入されると、その保存や展示、研究のための資料作りが継続します。P&Dの作品には布やビーズ、陶器など保存条件が異なる素材も含まれます。美術館は絵画としての形式だけでなく、素材ごとの特性に対応しながら作品を扱うことになります。収蔵の歴史はその後の評価にも関わります。
美術運動が近代美術の価値観に挑戦することと、美術市場の中で評価されることは同時に起こり得ます。むしろ、装飾を軽視してきた制度の内部へ作品が入り込むことによって、評価の変化を具体的に示すことができました。展覧会と売買の歴史も、P&Dの成立を理解するための大切な資料です。(参照:Artsy|パターン&デコレーション運動の歴史)
1980年代、運動はどのように展開したのか
1981年のマコンネルと布の絵画
1981年の《Formidable》を見ると、マコンネルが1970年代に始めた布と模様の実験を発展させていたことが分かります。切って縫い合わせたベッドシーツの上で、描かれた図柄は大胆な色と形の関係を作ります。布を支持体にすることで、素材自体の柔らかさと、絵画としての色彩構成が一つの作品に重なっています。
1970年代の大型布作品と1980年代の《Formidable》を続けて見ると、マコンネルが模様の反復という関心を維持しつつ、部分のつなぎ方を変化させていることが分かります。画面の単位をどのように組み替えるかという問題が、布と絵画の双方の操作を通して発展しています。
1980年代のP&Dを考えるときには、画家たちが初期の図柄を繰り返したという説明では足りません。素材の使い方、空間への広がり、個展での発表など、それぞれの作家が異なる方向へ進んでいきました。ひとつの運動名を共有していても、作品の成熟は別々の歩みを持っています。(参照:ホイットニー美術館|マコンネル《Formidable》)
1983年のシャピロ《ワンダーランド》
1983年の《ワンダーランド》には、シャピロが取り組んできた布と家庭の図柄が大きな画面へ統合されています。女性の姿、家の形、キルトやエプロンを連想させる素材が集まり、装飾と物語が一体となっています。1972年の《ドールハウス》から見ると、家庭を芸術として扱う方法が、立体の模型から大きな絵画へと変化したことも読み取れます。
1983年の作品では、大きな色の領域の中に身近な物の姿が繰り返し現れます。作家の過去の制作とのつながりを調べると、ひとつの象徴を繰り返すことにも長期的な意味があると分かります。布の断片は単なる色彩材料に加え、女性の生活を記憶する媒体として働き続けました。
その間にシャピロは、生活の中の布や手仕事を美術史の主題として取り戻す活動を続けました。作品の鮮やかさは、布の色の組み合わせから生まれるものであり、素材の由来を考えるための入口でもあります。P&Dが発展した1980年代には、こうした制作が個々の作家の表現として深まっていました。(参照:スミソニアン・アメリカ美術館|シャピロ《ワンダーランド》)
1984~1985年、美術界の関心が移る
1980年代半ばには、アメリカの美術界で新表現主義や、写真と既存のイメージを扱う作品など、別の動向が注目されていました。P&Dの作家たちは制作を続け、多くは装飾を扱う姿勢を独自の方向へ発展させます。運動が特に広く認知された時期は、1970年代半ばから1980年代半ばまでと整理されることが多くなりました。
1970年代後半の熱気が薄れた後も、同じ作家が別の素材や展示方法へ挑戦することがあります。美術運動の盛衰を語る際には、集団名が目立つ時期と、作家自身が制作を続ける時間を分けて考えることが重要です。そうすることで、後年の仕事を単なる余波として扱わずに済みます。
1985年は、P&Dの活動が一斉に終わった年ではありません。ここまでを区切りにすることで、運動の形成、人気の高まり、作家の個別の展開をひとつの歴史として見渡せます。運動という名前で集まった作家たちが、その後も自分の制作を続けていったことに、この時期の多様性が表れています。(参照:ロサンゼルス現代美術館|《With Pleasure》展)
装飾の再評価は、美術史に何を残したのか
周辺の作家まで広げて見直す
ロサンゼルス現代美術館は2019年の大規模回顧展で、シャピロ、コズロフ、ジョードン、クシュナー、マコンネルらに加え、メリオン・エステス、ディー・シャピロ、タカコ・ヤマグチなど、従来の運動史で十分に扱われなかった作家も紹介しました。さらにエマ・エイモスやベティ・ウッドマンなど、一般にP&Dの中心メンバーとして語られない作家も含めています。
回顧展で改めて名前が挙がった作家の中には、当時の美術館収蔵や批評で中心に置かれなかった人々もいます。長い時間を経て展示対象を広げることは、運動の歴史そのものを書き直す作業です。誰の作品を代表例として選ぶかが、美術史の印象を大きく左右することも見えてきます。
こうした展示方法は、運動の境界を柔軟に考える試みです。同じ集団に所属したかどうかだけで作品を区切ると、装飾や手仕事が広く美術に与えた影響を見落としやすくなります。美術館の再評価は、参加者名簿を整えることに加え、当時の作品をどのような関係の中で理解するかを検討する作業でした。(参照:ロサンゼルス現代美術館|《With Pleasure》展)
エマ・エイモスらの仕事との接点
エマ・エイモスは絵画や版画に加え、織物の技法に深く関わった作家です。彼女は1960年代に繊維デザイナーのもとで働いた経験を持ち、後の作品にも織物の知識を生かしました。黒人女性としての経験を作品へ取り入れ、人種やジェンダーの問題にも継続して向き合っています。P&Dと関連して語られる際には、彼女自身の制作目的を尊重する必要があります。
エイモスが扱う布には、黒人女性の経験や織物の技術と結びつく独自の意味があります。P&Dとの接点を認める際には、同じ布を使っているという共通点だけで説明しないことが大切です。何を作品で語ろうとしていたのかまで考えることで、運動の周辺を広げる研究が個々の作家の理解にもつながります。
装飾と布を使う作家がすべて同じ運動に参加したわけではありません。美術館がエイモスのような作家をP&Dの研究展で紹介することには、個々の芸術家の固有性を保ちながら、同じ時代の多様な表現が交差する場所を探す意味があります。(参照:ニューヨーク近代美術館|エマ・エイモス)
2019年の回顧展と現在からの評価
2019年、ロサンゼルス現代美術館では《With Pleasure: Pattern and Decoration in American Art 1972–1985》展が開催されました。2021年にはバード大学のヘッセル美術館へ巡回し、多数の作家の絵画、彫刻、布作品、陶芸、インスタレーションなどが再び紹介されました。美術館による大規模な研究展は、1970年代の批評や収蔵記録を再検討する機会にもなりました。
後年の展覧会で同時代の作品が集まると、当時の鑑賞者には見えなかった関係も発見できます。作品が所蔵され、資料が整理され、研究が続けられることによって、運動は新たな意味を持ちます。P&Dが提起した装飾と美術の価値をめぐる問いは、その研究の積み重ねの中で現在へ受け継がれています。
この歴史を振り返ると、P&Dが提示した問いは現在にもつながっています。装飾をどう評価するか、工芸と美術の境界をどこに引くか、世界各地の視覚文化をどのように参照するか。鮮やかな花柄や布の表面には、そうした大きな問題が重ねられていました。P&Dは、芸術の価値を誰がどのような基準で決めるのかを考え直す運動として重要な位置を占めています。(参照:バード大学ヘッセル美術館|《With Pleasure》展)
略年表
運動の形成につながる出来事と代表作の制作、美術館での発表を年代順に整理しました。1972〜1985年を中心に、成立前の背景と後年の再評価も補っています。
- 1971年 ミリアム・シャピロがジュディ・シカゴとカリフォルニア芸術大学でフェミニスト・アート・プログラムを指導する。
- 1972年 シャピロがシェリー・ブロディの協力を得て《ドールハウス》を制作し、《ウーマンハウス》展で発表する。
- 1972年 ジョイス・コズロフが版画《アコマ》《タオス・プエブロ》を制作する。
- 1973年 ヴァレリー・ジョードンが《Okalona II》を制作する。
- 1974年 シャピロがニューヨークへ戻り、装飾をめぐる作家同士の交流が進む。
- 1975年 ザカニッチの自宅に作家や批評家が集まり、装飾的な表現について議論する。
- 1975年 ホイットニー・ビエンナーレで装飾的な抽象に関心を持つ作家の動きが認識される。
- 1976年 ニューヨークのアレッサンドラ・ギャラリーで《Ten Approaches to the Decorative》展が開かれる。
- 1977年 ニューヨークのP.S.1で《Pattern Painting》展が開催される。
- 1977年 コズロフが版画《Pictures and Borders III》を制作する。
- 1978年 ヴァレリー・ジョードンとコズロフが「Art Hysterical Notions of Progress and Culture」を発表する。
- 1978年 ロバート・ザカニッチが《Angel Feet》を制作する。
- 1978年 ロバート・クシュナーが布に描いた《French Tart》を制作する。
- 1978年 キム・マコンネルが縫い合わせた布の作品《On TV》を制作する。
- 1979年 コズロフが《An Interior Decorated》を制作する。
- 1979年 ホイットニー・ビエンナーレにコズロフやマコンネルの作品が出品される。
- 1979年 フィラデルフィアの現代美術館で《The Decorative Impulse》展が開催される。
- 1979年 シャピロが《バルセロナ・ファン》を制作する。
- 1981年 マコンネルが《Formidable》を制作する。
- 1983年 シャピロが《ワンダーランド》を制作する。
- 1984年 ホイットニー美術館で《Robert Kushner: Paintings on Paper》展が開催される。
- 1984年 P.S.1でコズロフのハーバード・スクエア駅の壁画に関する展示が行われる。
- 1985年頃 1970年代半ばから続いた運動の最盛期が一区切りとなり、各作家が独自の制作を継続する。
- 2019年 ロサンゼルス現代美術館が《With Pleasure》展を開催する。
- 2021年 同展がバード大学のヘッセル美術館へ巡回する。
まとめ — 装飾は美術の価値観をどう変えたのか
パターン&デコレーション運動は、1970年代半ばのアメリカで作家や批評家の交流から形を得ました。布や花柄、陶器、建築の装飾など、日常生活にある表現を芸術の中心へ置こうとした活動です。美術史の中で軽く扱われてきた技法や模様が、巨大な絵画、布の立体、室内空間、公共の作品として新しい姿を持つようになりました。
シャピロは女性の手仕事の歴史を絵画へ結びつけ、コズロフは各地の装飾文化から学び、ジョードンは幾何学的な構造の可能性を探りました。ザカニッチやクシュナー、マコンネルもそれぞれ異なる方法で色や布、模様を扱っています。共通した問題意識を持ちながら作風に幅があったことが、この運動の大きな特徴です。
1972年から1985年の歩みは、近代美術の価値観を揺さぶる作品が、画廊や展覧会を通して社会に広まっていく歴史でもありました。装飾をめぐる批評、工芸や手仕事への評価、世界各地の視覚文化との関係は、現在の美術を考える際にも重要です。見慣れた花柄や布の中に、芸術が何を価値あるものとしてきたのかという大きな問いを見いだすことができます。
参考資料・出典
本記事は美術館の所蔵記録、展覧会資料、研究機関の解説、作家の経歴、同時代の活動に関する資料を参照し、ART LIBRARYが独自に構成・執筆しました。作品の制作年代と後年の展示・再評価の時期を分けて記載し、各小節末尾に主要な参照先を示しています。
- ロサンゼルス現代美術館|《With Pleasure》展
- Artsy|パターン&デコレーション運動の歴史
- ロサンゼルス現代美術館|装飾と近代美術の序列
- ロサンゼルス現代美術館|学芸員アンナ・カッツの解説
- ロサンゼルス現代美術館|ジョイス・コズロフの制作
- メトロポリタン美術館|ミリアム・シャピロ《バルセロナ・ファン》
- スミソニアン・アメリカ美術館|ミリアム・シャピロ
- スミソニアン・アメリカ美術館|シャピロ《ドールハウス》
- スミソニアン・アメリカ美術館|シャピロ《ワンダーランド》
- ナショナル・ギャラリー|女性と美術
- ナショナル・ギャラリー|《Woven Histories》展
- ニューヨーク近代美術館|ジョイス・コズロフ
- ニューヨーク近代美術館|コズロフ《アコマ》
- ニューヨーク近代美術館|《Pictures and Borders III》
- DC Moore Gallery|ジョイス・コズロフの経歴
- ホイットニー美術館|ヴァレリー・ジョードン《Okalona II》
- ホイットニー美術館|ヴァレリー・ジョードン
- ホイットニー美術館|ザカニッチ《Angel Feet》
- ホイットニー美術館|ザカニッチ《Baskets》
- ホイットニー美術館|ロバート・ザカニッチ
- ホイットニー美術館|クシュナー《French Tart》
- ホイットニー美術館|ロバート・クシュナー
- ホイットニー美術館|1984年クシュナー展
- ホイットニー美術館|マコンネル《On TV》
- ホイットニー美術館|マコンネル《Formidable》
- ホイットニー美術館|キム・マコンネル
- ホイットニー美術館|1979年ビエンナーレ
- ホイットニー美術館|《Making Knowing》展
- スミソニアン・アメリカ美術館|ベティ・ウッドマン
- ニューヨーク近代美術館|エマ・エイモス
- ニューヨーク近代美術館アーカイブ|1977年《Pattern Painting》展
- フィラデルフィア現代美術館|1979年《The Decorative Impulse》
- バード大学ヘッセル美術館|《With Pleasure》展
- DC Moore Gallery|パターン&デコレーションとコズロフ
- ジョイス・コズロフ公式サイト|1976~1978年の一次資料
資料確認日:2026年10月15日 / ART LIBRARY