2000–2010
インターネットにあふれる画像が美術を変える
写真、複製、共有の新しい文化
2000年代に入ると、写真や映像を見る場所が急速に増えていきました。美術館や映画館、新聞や写真集に加えて、パソコンの検索結果、写真共有サイト、動画投稿サイト、携帯電話の画面が、日常的な画像との接点になります。一枚の写真は撮影者の手元を離れ、縮小され、名前を付けられ、他の画像と並び、遠くにいる誰かの画面へ届くようになりました。画像の外観は似ていても、それを取り巻く社会的な条件が大きく変化していたのです。
2001年、Google画像検索が始まり、世界中のウェブページに掲載された画像を一覧する経験が広がりました。2002年にはクリエイティブ・コモンズが作品の共有や再利用を支える新しいライセンスを公開します。2004年のFlickr、2005年のYouTubeとFacebook Photosは、人々が自分の写真や映像を公開し、タグやコメントを通じて他者とつながる場になりました。2007年には初代iPhoneとGoogleストリートビューが登場し、画像を撮る方法、地図を見る方法、情報を送る方法がさらに結びついていきます。
美術家たちは、この変化を技術革新の紹介として受け止めるだけでなく、自分たちの制作に組み込みました。トーマス・ルフはインターネットから得た低解像度の画像を巨大な写真へ変え、セス・プライスは文章や作品が流通する経路に関心を向けます。コリー・アーケンジェルは古い家庭用ゲームのプログラムを書き換え、青空と雲だけが動き続ける映像を作りました。それぞれの作品では、作家が何を撮影し、何を描くかと同じくらい、すでに存在する画像や技術にどう働きかけるかが重要になっています。
写真共有サイトに膨大な画像が蓄積されると、個人の経験を記録した一枚の写真が、数えきれないほど多くの類似画像の中に現れるようになります。ペネロペ・アンブリコはFlickrに投稿された夕日の写真から太陽を切り出し、壁面いっぱいの作品へ変えました。ジョン・ラフマンはGoogleストリートビューの画像を探索し、車載カメラが偶然捉えた街路の出来事を選び出します。ここでは、作家がカメラを持って現場に立つことと、撮影済みの画像を発見して選ぶことの関係が問い直されていきます。
同じ時期、映像や身体の表現にも新しい変化が現れました。ライアン・トレカーティンは過剰な言葉と演技、速い編集を通じて、ネットワーク時代の自己演出を映像にします。ペトラ・コートライトはウェブカメラで撮影した自分の姿をYouTubeへ公開し、検索語やコメントを作品の構成要素へ取り込みました。画像を制作する人と見る人の間には、サイトの仕組みや企業の管理方針も関わるようになります。動画の削除やサービスの変更は、美術作品をどう保存するかという問題にもつながっていました。
2000年代の終わりには、画像が大量に作られ、複製され、加工されながら広がる状況を考える言葉が生まれます。ヒト・シュタイエルは2009年に低解像度画像の流通を論じ、マリサ・オルソンやジーン・マクヒューらは、インターネットが日常の前提となった後の美術について考察しました。ニューミュージアムでは2009年の《Younger Than Jesus》や2010年の《Free》を通じて、ネットワーク時代の文化と美術の関係が展覧会の主題になっていきます。
本記事では、2000年から2010年のデジタル画像文化を、美術作品とその制作環境の両方からたどります。写真の引用と複製、検索結果の一覧、ゲームの改変、SNSでの自己表現、街路の自動撮影、機械による画像認識など、異なる出来事がどのようにつながったのかを見ていきます。あわせて、デジタル画像が紙や立体として美術館へ戻ってくる過程にも注目し、2010年代のポスト・インターネット・アートを理解するための歴史的な基盤を明らかにします。
CONTENTS
- 画像が検索され、共有される時代の始まり
- すでにある写真を作品へ変える
- Google画像検索と大量の縮小画像
- 著作権と流通を作品の中へ取り込む
- ゲームのプログラムを改変する美術
- Flickrと写真を共有する文化
- YouTubeとSNSが映像の公開方法を変える
- トーマス・ルフと低解像度写真の巨大化
- ライアン・トレカーティンと新しい映像の話し方
- ペネロペ・アンブリコと数百万枚の夕日
- スマートフォンが撮影と通信を結びつける
- Googleストリートビューと撮影者の変化
- 機械が画像を認識するという問題
- ペトラ・コートライトと動画投稿サイト
- コピーと再編集から生まれる作品
- ポスト・インターネットという考え方の成立
- ヒト・シュタイエルと低解像度画像の流通
- 2009〜2010年、画像の変化が美術館の議論になる
- 略年表
- まとめ
- 参考資料・出典
画像が検索され、共有される時代の始まり
2000年代の画像文化を考えるためには、カメラやコンピューターの性能だけでなく、人々が画像に出会う経路の変化を見る必要があります。かつて写真集や新聞、テレビ、アルバムを介して届いていた画像が、検索窓やウェブページ、携帯機器を通じて絶えず更新される情報になりました。
デジタル画像環境とは何か
2000年代の写真と映像は、撮影や編集の道具が変わっただけでなく、公開される場所と見られる順序まで変化しました。一枚の写真が撮影されると、圧縮され、名前を付けられ、サーバーへ送られ、検索に登録され、別の人によって複製されます。そのたびに大きさや説明文、隣に並ぶ画像が変わり、最初の作者が想定していなかった文脈へ移動することもありました。
この状況を本記事では「デジタル画像環境」と呼びます。コンピューターで作った作品をまとめる分類よりも、写真や映像を取り巻く日常的な条件の変化を示すための言葉です。既存画像をダウンロードして拡大する写真家、ゲームを改造する作家、動画共有サイトで自分を撮影する作家が、同じ歴史の中に現れる理由もここにあります。
美術の側から見れば、作品の完成後に起こる出来事が重要になります。作品が画像として再撮影され、検索で見つかり、他者の画面へ表示されることが、制作や鑑賞と深く結びつきました。後のポスト・インターネットをめぐる議論へつながる大きな変化です。(参照:ニューミュージアム|《Free》)
デジタルカメラとコンピューターの普及
1990年代から民生用デジタルカメラや画像編集ソフトが普及し、2000年代には撮影後にパソコンの画面で確認し、色や形を加工する作業が身近になりました。写真はフィルムの現像や焼き付けを経る方法と並んで、データを保存し、編集し、必要な大きさへ出力する方法で制作されるようになります。家庭のパソコン上に、かつて暗室や専門施設で行われた作業の一部が移りました。
画面上の画像は、拡大すると画素が見え、ファイル容量を抑えると輪郭が失われ、ディスプレイとプリントでは色が異なります。こうした現象は制作上の問題であると同時に、作品の表現上の可能性でもありました。ルフのように低解像度を大画面へ引き伸ばす作品は、技術的な制約そのものを視覚化します。
新しい機器の登場だけを年代順に並べても、美術の変化は説明しきれません。撮影された写真がどの形式で記憶され、どんな画面に表示され、誰の手で次の画像へ作り替えられたかをたどることで、この時代の制作の特徴が見えてきます。(参照:メトロポリタン美術館|2005–2006年収蔵作品解説)
1990年代のインターネット・アートからの展開
1990年代にはJODIやオリア・リアリナらが、ブラウザー、リンク、HTML、ウェブページの構造そのものを作品の素材にしていました。インターネットへ接続していること自体が新しい表現上の条件となり、画面の中をクリックして移動する行為が美術の経験になりました。2000年代には、この実験の蓄積の上に、インターネットが日常の情報環境として広がっていきます。
作家はウェブサイト自体を制作しなくても、検索で見つけた画像を紙に印刷したり、ネット上で流通する文化を映像へ取り込んだりするようになりました。物理的な美術作品も、展覧会の写真が掲載され、遠くの鑑賞者へ届くことを前提に受け止められます。画面の内側と展示室の外側をつなぐ複数の経路が生まれました。
この歴史を理解するには、初期のネット・アートの独自性を保ちながら、画像共有サービスの普及後に変わった条件へ目を向けることが大切です。インターネットが美術の発表場所を増やし、やがて美術を見る社会全体の仕組みに入り込んでいった過程を追います。(参照:ジーン・マクヒュー/Rhizome|オルソンの2006年の発言)
すでにある写真を作品へ変える
画像の引用や複製には、デジタル化以前から長い美術史があります。2000年代の独自性を明らかにするため、まず他者の画像を用いる制作の歴史と、トーマス・ルフがネット上の写真から作った作品を見ていきます。
写真を引用する美術の歴史
既存の写真を作品に取り込む方法は、1970〜80年代のアプロプリエーション・アートですでに大きな論点になっていました。シェリー・レヴィーンは先行する作家の作品を再制作し、リチャード・プリンスは広告などから得られた画像を改めて提示しました。元の写真を誰が撮ったのか、複製を選んだ作家は何を生み出したのかという問いが、写真と作者性の関係を揺さぶりました。
その背景には写真の複製可能性に対する長い議論があります。写真が印刷物として大量に流通すると、一枚の原版と、それを見た人々の経験は一致しなくなります。美術作品の複製や広告写真をさらに撮影することは、独自性や所有権を改めて検討する行為になりました。引用の方法そのものが、社会的なイメージの力を露わにしたのです。
2000年代には、既存画像へアクセスするための手段が大きく変わります。書籍、雑誌、テレビから画像を探し出す作業に、検索エンジンや巨大なオンライン画像群が加わりました。表現上の選択肢が増えるとともに、作者が画像の来歴をどこまで把握できるのかという問題も広がります。(参照:MoMA|シェリー・レヴィーンと引用の写真史)
トーマス・ルフ《nudes》とネット上の画像
トーマス・ルフは1999年から《nudes》シリーズを開始し、インターネット上のポルノグラフィの画像をダウンロードして加工しました。色彩を強め、輪郭をぼかし、画像を拡大して写真として出力する方法です。メトロポリタン美術館が所蔵する《Nudes ree07》(2000)では、もともと消費のために流通した映像が、鑑賞者の前に一つの大きな写真として現れます。
画像がぼかされることで、身体を詳しく見ようとする視線と、それを簡単には捉えられない状態が同時に生まれます。題材は西洋美術が長く扱ってきた裸体表現にもつながっています。美術館には数多くの裸体像が展示されてきました。ネットから得た性的な画像を加工して展示することは、誰が身体を見せ、誰がそれを見てきたのかという歴史を現在の画像文化へ重ねる行為でもありました。
作家は撮影の現場に立ち会っていません。別の目的で制作された写真がダウンロードされ、画面上で変形され、美術館の写真コレクションへ収められます。撮影者・被写体・加工する作家・鑑賞者の間にある距離は、ネットワーク時代の写真を理解する重要な手がかりになります。(参照:メトロポリタン美術館|ルフ《Nudes ree07》)
撮影から選択・加工・出力へ
ルフの作品を見ていると、カメラのシャッターを押す瞬間が、写真制作の始点として絶対的な位置を占めなくなっていることに気づきます。すでに存在する画像を探し、その中から選び、何を失わせて何を残すかを決め、具体的な大きさと素材で出力する。こうした一連の判断が作家の仕事になります。選択と加工も写真に固有の制作行為として前景化します。
画像を加工すること自体は暗室時代から行われていました。2000年代に新たな意味を持ったのは、利用する画像がネットワーク上に無数にあり、画像の制作者と再利用者が遠く離れている状況です。画質が低く、由来が分かりにくいファイルも、写真の制作材料になります。
《nudes》と後の《jpegs》を続けて見ると、ルフは被写体を撮る技術以上に、画像を成立させる仕組みへ関心を向けていたことが分かります。作品は一枚の写真であると同時に、画像が元の用途から離れ、新しい鑑賞の条件へ入る過程を見せています。(参照:メトロポリタン美術館|ルフ《Nudes ree07》)
Google画像検索と大量の縮小画像
2001年のGoogle画像検索は、画像を探す行為の風景を変えました。検索語を入力すると、多様な出所の画像が同じ画面へ並びます。この一覧性は後の美術作品がネット上の画像を扱う際の基礎的な経験にもなりました。
2001年、Google画像検索が始まる
Googleは2001年7月に画像検索を開始しました。公式の沿革によれば、前年のグラミー賞でジェニファー・ロペスが着用したヴェルサーチのドレス画像を探す人が多かったことが、開発の契機の一つでした。当時の検索結果は文字リンクが中心で、利用者は目当ての写真を見つけるために複数のウェブページへ移動する必要がありました。
画像検索は、キーワードに対応する画像の小さな一覧を表示することで、写真やイラストを探す方法を変えました。新聞写真、個人の旅行写真、広告、商品画像、美術作品が、検索結果という共通の画面に並びます。画像ごとの制作目的や掲載場所は異なっていても、最初に利用者が出会うのは縮小された一覧です。
この変化は検索サービスの使い勝手の問題にとどまりません。何が見つかるか、何が先に表示されるかによって、画像の存在感と受け取られ方が変わります。作家が他者の画像を収集する条件も、こうした検索の仕組みとともに変化しました。(参照:Google|Google Imagesの25年)
縮小画像が新しい鑑賞の単位になる
検索結果の縮小画像は、本来は元のページへ進むための案内です。画面の中では小さな画像が繰り返し表示され、撮影方法も大きさも異なる画像が、ほぼ同じ形式へそろえられます。細部が見えにくい分、色や構図、形の似かよりが強調されます。大きく印刷された写真を一点ずつ見る体験とは、視線の動きが大きく異なります。
利用者は検索結果の中をスクロールしながら、瞬間的に画像を比較します。ある写真を開く前に、近くに並ぶ別の写真によって印象が変わることもあります。画像が単独で提示されることに慣れた美術館の展示と比べると、検索画面では隣接する画像同士の関係が絶えず作り直されています。
この一覧表示の文化は、2000年代の美術に重要な素材を与えました。作家は無数の画像を集めて並べ直すことで、個々の画像に隠れていた反復や共通点を見せるようになります。アンブリコの夕日の集合写真などは、こうした鑑賞経験の変化を具体的な作品へ変換した例です。(参照:Google|画像検索の歴史)
検索結果が画像の関係を作る
同じ単語を検索しても、画像は制作された時代や地域、目的を超えて一つの画面へ現れます。「夕日」という言葉から絵画、旅行写真、広告、個人の投稿が隣り合うことがあります。検索結果は、雑誌の編集者が組んだページとも、美術館の学芸員が組織した展示とも違う方法で、画像同士の関係を生み出します。
表示の順序は、ウェブページに付けられた文字情報や検索の仕組みなどに左右されます。利用者は自由に探しているつもりでも、何が見えるかという前提にソフトウェアの選別が組み込まれています。2009年には類似画像を探す機能も一般向けに提供され、ある画像から見た目の近い別の画像へ移動できるようになりました。
検索エンジンが提示する画像の並びは、作家の手で制作されたモンタージュとは成立過程が異なります。その違いを意識的に利用することで、検索を出発点とした新しい写真や彫刻が登場していきます。(参照:Google公式ブログ|Similar Images、2009年)
著作権と流通を作品の中へ取り込む
デジタルファイルは複製しやすく、ネット上で遠くへ運ぶこともできます。その技術的な特性が、作者の権利や作品の価値とどう関わるのか。2002年に始まった新しいライセンスの仕組みと、セス・プライスの仕事から見ていきます。
2002年、クリエイティブ・コモンズの登場
2002年12月、クリエイティブ・コモンズは最初の公開ライセンスを発表しました。作者が著作権を保持したまま、表示や改変、商用利用などの条件を設定し、他者による作品の利用を許可できる仕組みです。画像や文章をネット上へ公開したとき、利用者が何を行えるかを明示するための共通の枠組みになりました。
データとして画像をコピーできることと、その画像を法的に利用してよいことは別の問題です。インターネットの普及によってコピーの手間は小さくなりましたが、著作権や肖像の扱いは残ります。クリエイティブ・コモンズは、作者の選択を読者や利用者へ伝える方法を整え、共有と再利用を制度的に支える役割を果たしました。
この仕組みの意味は、写真家や美術家が全員同じ利用条件を選ぶことにあるのではありません。誰に、どの範囲で利用を許すかを作者自身が考え、画像の流通を制作や発表の一部として扱えるようになったことが重要です。(参照:クリエイティブ・コモンズ|2002年のライセンス発表)
セス・プライス《Dispersion》の問題提起
セス・プライスは2002年から文章《Dispersion》を執筆し、情報がどのような経路で人々へ届くかを、美術制作の中心的な問題として考えました。MoMAの解説によると、この文章は無料のPDF、一般に販売される書籍、展示作品など、異なる形式を通じて公開されています。読む人が作品へ出会う場所は、ギャラリー、書店、ウェブサイトのいずれにもなり得ます。
作品の内容と流通の仕組みが重なる点に注目したいところです。インターネットで無料公開された文章と、展示室に置かれた物質的な作品には、それぞれ異なる受け手と経済的な条件があります。プライスは同じ考えを複数の形式で提示し、どれか一つだけを作品の本体と見なすことを難しくしました。
この実践は、デジタル化によって美術が完全に非物質化したという単純な説明を超えています。文章は画面でも読まれ、紙にもなり、後には立体作品の表面へ印刷されます。複製と展示、無料での共有と売買が共存する状況そのものが作品になります。(参照:MoMA|セス・プライス《Essay with Knots》)
《Essay with Knots》と異なる経済圏
《Essay with Knots》(2008)は、《Dispersion》の文章を九枚の樹脂板へ印刷し、縄の結び目を介して成形した立体作品です。印刷に使うデータにはAdobe InDesignで制作された文章が用いられ、工業的な成形技術によって文字の面が凹凸を持つ物体へ変わりました。MoMAはこの作品を収蔵し、文章が複数の経済圏を横断している点を解説しています。
ウェブでは無料で読める内容が、工業素材による大きな作品として美術館へ入ると、読むことと見ることの関係も変わります。近づけば文字を読み取れますが、離れれば縄の起伏と文字の配置が作る表面が目に入ります。情報が物体に変わったときの質感と大きさが、作品経験の一部になります。
《Dispersion》から《Essay with Knots》へ至る過程は、2000年代の美術における重要な変化を具体的に示しています。同じ文章が異なる支持体や配布方法で存在し続けることで、作品の意味は所有や公開の仕組みとも結びついていきます。(参照:MoMA|セス・プライス《Essay with Knots》)
ゲームのプログラムを改変する美術
家庭用ゲーム機やコンピューターは、2000年代の作家にとって身近な文化的な道具でした。コリー・アーケンジェルは、その内部のプログラムを改変することで、よく知られたゲームの風景を思いがけない映像へ変えました。
コリー・アーケンジェルとコンピューター文化
コリー・アーケンジェルはゲーム機、プログラム、インターネットに流通する娯楽的な形式を、制作の素材として扱ってきました。コンピューターを完成した画像を表示する装置として使うだけでなく、内部の仕組みを理解し、改変することに関心を向けています。作家自身はホイットニー美術館のインタビューで、古いゲームを含むコンピューター文化の中に、無数の自発的な表現があると述べています。
この方法は、美術作品と商業製品の境界にも関わります。ゲームはメーカーによって制作され、遊ぶために販売される商品です。作家がプログラムへ介入すると、同じ機器が別の目的で動くようになります。作品を理解するためには、画面に現れている像と、それを生み出す装置の両方を見る必要があります。
アーケンジェルの制作は、コンピューター文化への親しみを出発点にしています。同時に、歴史の浅い技術がすぐ古くなってしまう状況に対し、その装置が持つ表現上の性質を丁寧に扱っています。(参照:ホイットニー美術館|アーケンジェル本人による作品解説)
2002年《Super Mario Clouds》
《Super Mario Clouds》(2002)は、任天堂の家庭用ゲーム《スーパーマリオブラザーズ》のカートリッジを改造し、青空と白い雲だけを表示させる作品です。主人公や敵、地面、効果音を消した画面では、よく知られた背景の雲だけがゆっくり動き続けます。ホイットニー美術館の所蔵記録では、改造されたカートリッジとNES本体が作品の構成要素として記されています。
重要なのは、既存ゲームの映像を録画して編集した作品とは制作方法が違うことです。実際のゲーム機がプログラムを実行し、雲を描き続けます。元のゲームが持っていた目的や競争、操作する楽しさが取り除かれ、電子的な風景を眺める行為だけが残ります。
表示される画像は簡潔で、色面と雲の輪郭が際立っています。絵画の抽象化にも通じる削減の方法が、ゲームの内部を操作することで実現しました。見る人は元のゲームを知っているほど、何が取り除かれたのかを記憶の中で補いながら作品を見ることになります。(参照:ホイットニー美術館|《Super Mario Clouds》)
作り方を公開するという選択
《Super Mario Clouds》は、映像の見た目だけで完結する作品でもありません。アーケンジェルは、ゲーム機やプログラムを改造するための情報を公開し、他の人が技術的な手順を参照できるようにしました。一般的な商品であれば守られる内部の仕組みが、再制作や学習のために開かれていきます。
この態度は、デジタル文化における共有と改変の実践に近いものです。誰かが用意したプログラムをそのまま消費する代わりに、中身を調べ、必要な部分を書き換える。技術的な理解と美術的な判断が同じ制作過程に現れます。既存製品を素材にした作品では、装置の由来と作家による操作を分けて考えることも重要です。
ゲーム機はいつか生産されなくなり、専用の部品も入手しにくくなります。そのため、技術的な手順やプログラムの記録は保存上の意味も持ちます。作品を長く伝えるために何を残すべきかという問題が、制作時点から作品の構造に組み込まれているのです。(参照:ホイットニー美術館|アーケンジェル本人による作品解説)
Flickrと写真を共有する文化
2004年に登場したFlickrは、写真を公開し、探し、言葉を添え、他者と交流する場を提供しました。写真家の作品、旅行の記録、家族写真などが同じネットワークへ集まり、個人の画像が集合的な視覚文化の一部になっていきます。
2004年、Flickrが生まれる
Flickrは2004年に始まった写真共有サービスです。利用者は撮影した画像をアップロードし、アルバムやタグによって整理し、公開した写真に対してコメントを受け取れるようになりました。Flickr自身の沿革でも、写真を中心とするオンライン・コミュニティとして出発したことが強調されています。写真を保存する機能と、人々がつながる仕組みが同じ場所に用意されました。
フィルム写真では、現像した写真をアルバムに収めたり、写真展や雑誌で発表したりするまでに、いくつかの段階がありました。デジタルカメラで撮影した画像は、パソコンから直接アップロードできます。公開後の写真は投稿者の手元を離れ、見知らぬ人の検索やコメントによって新しい関係を持つようになります。
膨大な写真が同じサービス上で蓄積されたことも重要です。個人が撮影した日常の一枚は、似た主題を扱う他者の写真と結びつき、集合的な画像の一部として見られるようになりました。(参照:Flickr|公式沿革)
タグ、コメント、コミュニティが写真を結ぶ
Flickrでは写真に「夕日」「家族」「東京」などのタグを付け、同じ語を持つ画像をまとめて探せます。写真に写っている内容と、投稿者がどの言葉を選ぶかは必ずしも一致しません。撮影地点や感情を表すタグもあり、同じ画像が複数の集合に属することになります。写真の外側に加えられた文字が、見つけられ方を変えました。
コメントやグループの機能によって、写真は他者との対話にも使われます。何を撮ったかという情報に加えて、誰が反応したか、どのような撮影方法が支持されているかが記録されます。写真の発表と交流が近づくにつれて、撮影者の関心がコミュニティの中で共有されるようになりました。
クリエイティブ・コモンズの利用条件を設定できる仕組みも、Flickrで早くから導入されました。2004年には対応が始まり、投稿された画像をどのような条件で使えるかを他者に示せるようになります。写真の公開と再利用が同じサービス上で接続されました。(参照:クリエイティブ・コモンズ|沿革)
大量の写真が一つの画像群になる
Flickr上で一人が夕日を撮影することは、旅行や日常の個人的な記録です。多くの利用者が似た題材を同時に公開すると、同じ構図や色彩を持つ画像が大量に現れます。検索結果は、一枚の写真の美しさとは別の情報を示し始めます。人々が何を撮りたいと感じ、どの場面を共有するかという集団的な傾向が見えてきます。
2006年にペネロペ・アンブリコが《Suns》の制作を始めた背景には、このような集合的な画像の広がりがありました。SFMOMAの解説によれば、当時のFlickrでは「sunset」が非常によく使われるタグでした。アンブリコはその検索結果を素材にし、個人の記録を膨大な写真の反復として見せました。
この時代の写真共有文化を美術史として扱う意義は、サービスの利用者が増えたという数字に尽きません。膨大な日常写真が検索可能になったことで、作家は集合画像そのものを観察し、展示室へ持ち込む新しい方法を得たのです。(参照:SFMOMA|The Life Cycle of an Idea)
YouTubeとSNSが映像の公開方法を変える
2005年、YouTubeとFacebook Photosが登場しました。画像や動画は個人の保存データであるとともに、投稿、検索、コメント、友人関係などの情報と結びつきます。作家たちは、画面に映る内容と公開される環境の両方を意識するようになります。
2005年、YouTubeの登場
YouTubeは2005年に誕生し、4月23日に最初の動画がアップロードされました。YouTubeの公式記録によれば、動物園でゾウについて話す短い動画がその最初の投稿です。同年5月には試験公開が始まり、11月にはより広い一般利用へ進みました。テレビ放送や映画の上映設備を持たない個人も、ウェブ上へ映像を公開し、多くの人に見てもらえるようになります。
YouTubeの画面には、動画本体とともに題名、説明、投稿者、再生回数、コメント、関連する動画へのリンクが配置されます。映像を視聴する行為は、その周囲にある情報を読むことと結びついています。ある映像を見終えた後に別の投稿へ進む順序も、サイトの構造によって誘導されます。
こうした環境は、映像作品の意味を考える際にも重要です。作家が制作した映像が、最初から動画投稿サイトでの閲覧を想定している場合、公開された後の反応や検索の仕組みまで作品経験の一部になります。(参照:YouTube公式ブログ|YouTube創設10周年)
Facebook Photosと人間関係の可視化
Facebookは2004年に始まり、2005年10月に写真機能を導入しました。個人のプロフィールや友人関係に写真を結びつけ、利用者が生活の場面をアルバムとして公開する仕組みが広がります。写真に人物名を付けることは、画像の中にいる人とオンラインの個人ページを結ぶ行為です。写真が社会的な関係を示す情報として機能するようになりました。
旅行写真や家族写真は、従来のアルバムでは見る相手が比較的限定されていました。SNSでは公開範囲を設定しながら、友人同士の関係を通じて画像が広がります。写真を見ることが、写っている人物のプロフィールや別の写真へ移動することと連続し、一枚の画像がネットワークの入口になります。
この変化は、撮影する側の意識にも影響しました。出来事を保存するための写真が、他者へ今の自分を知らせるための写真にもなります。2000年代の自画像やパフォーマンスを考えるとき、人物像が写真や動画の投稿を通して更新される状況は重要な背景です。(参照:Meta|Facebookの沿革)
映像が「作品」であると同時に「投稿」になる
動画共有サイトでは、映像の制作年や長さだけでなく、いつ公開され、どんな説明が付けられ、誰がどの検索語から到達したかが意味を持ちます。再生回数やコメント欄は変化し続けるため、同じ動画を見ても公開直後と数年後では周囲の情報が違います。映像は固定されたデータでありながら、常に変動するページの中で見られます。
映画館や美術館で上映される映像にも、上映時間や展示場所などの条件があります。YouTubeでは、その条件が検索、推薦、コメント、広告などの仕組みに置き換わります。作家は自分の作品を公開するだけでなく、それがどんな人の画面に現れるのかを意識的に扱えるようになりました。
ペトラ・コートライトの《VVEBCAM》は、この状況を直接利用した例です。映像の中にある人物像だけでなく、キーワードやコメントを通じて誰が作品へ来るのかという過程まで含めて制作されています。2005年以降の動画文化は、映像の流通自体を新しい表現の場へ変えました。(参照:MoMA|コートライト《VVEBCAM》)
トーマス・ルフと低解像度写真の巨大化
ネット上で広く流通する画像は、必ずしも高画質ではありません。トーマス・ルフはその性質に注目し、情報量の少ないJPEG画像を巨大な写真へ変換しました。画質の欠落が、美術館で鑑賞するための視覚的な構造になります。
2004年からの《jpegs》シリーズ
トーマス・ルフは2004年から《jpegs》シリーズを制作しました。インターネットなどで入手した低解像度の画像を大きく拡大し、デジタル画像の圧縮や画素構造が目に見える作品に変えています。風景や建築、戦争、災害などの画像が素材になり、その出所と見る人の記憶が作品の受け止め方に関わります。
JPEGは画像を小さなファイルで扱うための圧縮形式です。複雑な映像を限られたデータ量に変換する過程で、細かな情報が失われることがあります。普段は気にならない程度の圧縮でも、画像を極端に大きく引き伸ばすと、色の境界や四角いまとまりが強く現れます。ルフは、通常なら画質の欠点と見なされる部分を、写真の中心的な視覚表現にしました。
シリーズでは、写真が何を写しているかと、画像がどのようにデータ化されているかが同時に見えます。被写体の記録として写真を見る習慣と、画像の技術的な構造へ目を向ける態度が、同じ一枚のプリントの中で重なります。(参照:トーマス・ルフ公式サイト|jpegシリーズ)
《jpeg ny02》の大きさと9・11の記憶
《jpeg ny02》(2004)は、ニューヨークの世界貿易センターへの攻撃を写した画像に基づく巨大な写真です。メトロポリタン美術館の所蔵記録では、作品の画像部分は269×364センチメートルに達します。元になったデータは小さな画像であり、その情報量を増やさないまま拡大することで、見慣れた歴史的イメージが画素の集まりへ変わっていきます。
離れた場所から見ると、煙に包まれた建物と都市の輪郭が分かります。近づくほど、画像を作る色の区画が目立ち、具体的な出来事を認識することが難しくなります。2001年の同時多発テロはテレビやインターネットを通じて繰り返し見られた事件でした。その共有された映像記憶が、低解像度のデータへ還元されていることに、独特の不安定さがあります。
美術館の解説は、小さな画面で見られる画像が歴史画に匹敵する大きさへ移されることで、像が断片化して見えることを指摘しています。出来事の重さと、それを伝えるファイルの脆さが、一枚の写真の中で強く結びついています。(参照:メトロポリタン美術館|2005–2006年収蔵作品解説)
写真の大きさと画質の関係が反転する
一般に高精細な画像ほど、大きく印刷したときに細部を保てます。ルフの《jpegs》では、大きさが増すほど画像の不足が見えるようになります。見る人は距離を変えながら、遠くから認識できる像が、近づくと抽象的な色面へ変わっていく状態を経験します。写真の空間的な大きさが、デジタルデータの性質を明らかにする仕組みです。
これは単にコンピューターの不具合を拡大した効果ではありません。印刷された物体としての写真は、鑑賞者の身体との距離を持っています。パソコンで閲覧するときには画面の大きさへ収まっていた画像が、壁面では人の身長を超える存在になります。データの情報量と物理的な作品の大きさが、意図的に大きく食い違っています。
この関係は、その後の写真やポスト・インターネット・アートにも通じます。ネットワークから得た画像をどんな素材と寸法で展示するかが、画像の内容と同じくらい重要な制作上の判断になるからです。(参照:メトロポリタン美術館|ルフ《jpeg ny02》)
ライアン・トレカーティンと新しい映像の話し方
家庭用ビデオやネットワーク文化が広がる中で、人が自分自身をどう演じるかも変わっていきました。ライアン・トレカーティンは、過剰な言葉、演技、色彩、編集を通じて、新しい社会的な身体のあり方を映像にした作家です。
2004年《A Family Finds Entertainment》
ライアン・トレカーティンの《A Family Finds Entertainment》(2004)は、派手なメイク、過剰な身ぶり、速い編集、絶え間ない会話が入り混じる映像作品です。ホイットニー美術館の所蔵記録には、41分12秒のカラー・ビデオとして登録されています。登場人物がカメラを意識して語り、家庭やパーティーのような空間で関係を変化させていく映像には、映画、テレビ、家庭用カメラのさまざまな語法が重なっています。
映像を見続けていても、人物の役割や出来事の順序をすぐに整理できません。声の調子、名前、性別表現、衣装、周囲の環境が急に切り替わり、話すことそのものが強いパフォーマンスになります。画面の中では、人物が何者であるかより、その場でどのように自分を演じているかが重要になっています。
この作品は2006年のホイットニー・ビエンナーレにも出品されました。ネットワーク文化と近い時代感覚を持つ映像表現が、主要な美術館の展覧会に組み込まれていったことを示す例でもあります。(参照:ホイットニー美術館|《A Family Finds Entertainment》)
言葉と身体が同時に編集される
トレカーティンの映像では、言葉の意味を一つずつ確認していく前に、声量、速度、身ぶり、視線の向きが次々と変化します。登場人物は自分自身を説明しながら、同時にそれとは違う人格を演じているようにも見えます。言葉は状況を伝える手段であるだけでなく、身体が他者へ向けて姿を作るための道具になっています。
家庭用デジタルカメラの質感や、映像が意図的に粗く見える部分も重要です。大がかりな映画撮影の設備が整っていなくても、出演者が場面を作り、自分たちの生活空間を舞台にして、激しい編集を加えることができます。映像の過剰さは、安価な機器によって制作されたという条件と強く結びついています。
ネットワークを通じた自己表現が日常化すると、人物像は一度決まれば終わるものではなくなります。トレカーティンの映像は、その都度新しい名前や顔、言葉を組み立てながら生きる姿を、誇張された演技の中に浮かび上がらせています。(参照:ホイットニー美術館|《A Family Finds Entertainment》)
インターネット世代の映像と美術館
《A Family Finds Entertainment》は、ウェブブラウザーの中で操作する作品として制作されたわけではありません。時間に沿って再生される一本の映像であり、展示空間でも鑑賞されます。それでも、同時代のチャットやSNS、動画文化に近い言語感覚や自己演出が、作品の全体に浸透しています。新しいメディアの影響は、作品が何の機器で表示されるかだけでは測れなくなりました。
2006年のホイットニー・ビエンナーレでこの作品が紹介されたことは、インターネット世代の感覚が現代美術の評価制度へ入っていく過程として見ることができます。伝統的な物語映画と異なる話し方や登場人物の構成が、美術館の中で一つの表現として鑑賞されました。
この作品は、2000年代をデジタル技術の発明史として語る際に見落とされがちな側面を示しています。人々の話す言葉、自分を演じる方法、人間関係の距離感も、画像文化の変化とともに揺れ動いていたのです。(参照:ホイットニー美術館|《A Family Finds Entertainment》)
ペネロペ・アンブリコと数百万枚の夕日
Flickrのようなサービスに膨大な写真が蓄積されると、同じ対象を撮った写真が無数に見つかります。ペネロペ・アンブリコは、その量と反復に注目しました。個人の撮影行為が集合的な風景に変わっていく様子を、写真作品として提示します。
《Suns from Sunsets from Flickr》の始まり
ペネロペ・アンブリコは2006年、Flickrで公開されている夕日の写真に目を向け、《Suns from Sunsets from Flickr》の制作を始めました。さまざまな利用者が投稿した画像から太陽の部分を切り出し、小さな写真として大量に並べる作品です。SFMOMAは、この実践をオンライン写真共有サイトで繰り返される似た写真への応答として紹介しています。
夕日を見てシャッターを押すことは、多くの人にとって個人的な体験です。旅行の記録であったり、その日の天候や気分を残すためだったりします。アンブリコは、それらの写真が公開され、検索結果へ集まったときに現れる大きな反復を見せました。一人ひとりにとっての固有の瞬間が、似た色や形を持つ無数の画像の一部になります。
この作品では作家自身が夕日を撮影する必要がありません。検索して見つけた画像を選び、太陽の部分を切り取り、物質的なプリントへ変換する判断が制作の中心にあります。写真を見る行為と写真を作る行為の境界が、ここでも近づいています。(参照:SFMOMA|The Life Cycle of an Idea)
《5,377,183 Suns》と展示の規模
SFMOMA所蔵の《5,377,183 Suns (from Sunsets) from Flickr (Partial) 4/28/09》(2009)は、題名に2009年4月28日時点の検索結果数を含んでいます。作品は多くの小さなカラー写真から構成され、壁面へ密集して並べられます。遠くからは赤や黄色の光の集積に見え、近づくと一枚ずつ異なる太陽の像が現れます。
作家がプリントした写真の数と、題名にある数百万という数字は同じではありません。膨大な検索結果から一部が選ばれていることが、題名にも明示されています。展示室で見えるのは有限の写真群ですが、その背後には画面上にあるはるかに大きな画像の集合が感じられます。
SFMOMAの保存に関する解説は、この作品が再展示のたびに少しずつ異なる構成を取り得ることを示しています。画像をどのように並べるかという判断は、膨大なデータを物質的な作品へ変える際に避けられない問題です。(参照:SFMOMA|《Suns》作品の再展示と保存)
独自性と集合的な写真行為
アンブリコの作品では、夕日そのものが美しいかどうかという問いに加え、なぜ多くの人が夕日を撮影したくなるのかという問題が浮かび上がります。似た写真が集まることは、撮影者の感覚が同じだったことを直接意味しません。個別の経験や動機を持つ写真が、検索上の分類によって一つの巨大な群れになるのです。
展示室で太陽の写真が反復されると、個々の写真では見過ごされる共有された習慣が見えてきます。多くの人が同じ主題を選び、似た構図で撮影し、それを公開するという行為自体が作品の主題になります。写真家の独自性を一枚の構図に求める考え方は、ここで新たな問いに直面します。
2000年代の画像文化では、個人の写真が大量に集まり、それを検索して再配置する行為が新しい表現を生みました。アンブリコは、この変化を画面内の操作だけで済ませず、実際の写真を壁面へ積み重ねることで鑑賞者の身体に伝えています。(参照:SFMOMA|アンブリコ《5,377,183 Suns》)
スマートフォンが撮影と通信を結びつける
2007年に登場したiPhoneは、写真を見る画面とカメラ、インターネットへの接続を一台にまとめました。すでに存在していたカメラ付き携帯電話と、その後のアプリや通信技術の発展が結びつき、写真はますます日常の通信手段になっていきます。
2007年の初代iPhone
Appleは2007年1月に初代iPhoneを発表し、同年6月に米国で発売しました。公式発表によれば、初代機には200万画素のカメラ、写真管理機能、ウェブブラウザー、メール、Wi-Fi通信などが搭載されています。写真を撮ること、画面で見ること、通信することが、一つの携帯機器の中で近い操作になりました。
携帯電話にカメラが付く技術は、それ以前から実用化されていました。日本でも2000年代初頭からカメラ付き携帯電話による写真の送受信が広がっています。iPhoneは、その流れの上で大きなタッチスクリーンとネット接続を組み合わせ、後のスマートフォン型の画像文化を加速させた機器として位置づけられます。
2007年の時点で、現在のような写真共有アプリや高度なカメラ機能がすべて整っていたわけではありません。その後の通信環境とサービスの拡大によって、撮影から公開までの距離がさらに短くなりました。こうした段階的な変化として捉えることが重要です。(参照:Apple|2007年iPhone発表資料)
携帯電話の写真と日常のコミュニケーション
携帯電話の写真は、美しい作品を完成させるためだけに撮られるものではありません。待ち合わせ場所を伝える、食べた料理を見せる、旅行先の様子を送る。こうした日常の場面では、画像は記録であるとともに、相手へ何かを伝えるための手段です。デジタルカメラと通信機能が近づくことで、その役割がより大きくなっていきました。
フィルム時代の写真でも、私的なアルバムや手紙による共有は存在しました。携帯機器では撮影から送信までの時間が短くなり、受け手の反応も返ってきます。写真は後から思い出を確認するための資料であるだけでなく、同じ時間を離れた場所にいる人と共有するための情報になります。
作家にとって、こうした画像の使われ方は重要な背景でした。写真に特別な構図や高精細な画質を求める価値観とは別に、すぐに見せられることや、誰かの反応が返ってくることが、画像に新しい意味を与え始めていたからです。(参照:Apple|2007年iPhone発表資料)
写真が次々と更新される自己像を作る
カメラ付き携帯電話とSNSが結びつくと、人は日々の出来事を写真や短い映像として他者へ提示できるようになります。ある人物のイメージは、固定された肖像写真一枚で表されるよりも、異なる日時に投稿された多数の画像によって更新されていきます。生活の断片が蓄積されることで、見る人はその人の姿を連続した情報として受け取ります。
この状況では、どの場面を撮影して公開するかという選択が重要になります。写真の中に現れる身体や生活は、撮影者が意識的に示した部分でもあります。友人との関係、趣味、訪れた場所などの情報が画像と一緒に並び、肖像の意味が周囲のデータによって補われます。
2000年代の映像作品で繰り返し現れる、自己演出や複数の人格という問題も、この社会的な条件とつながっています。日常生活の画像がネットワークへ継続して公開されることで、写真を撮られる自分と、写真を通じて自分を見せる自分が近づいていきます。(参照:Meta|Facebookの沿革)
Googleストリートビューと撮影者の変化
2007年、Googleストリートビューは街路の風景を大量に撮影し、地図の中で見られるようにしました。ジョン・ラフマンは、その画像の中から偶然生まれた場面を探し出します。機械による記録と作家の選択が結びつく、写真史の新しい問題が現れました。
2007年、Googleストリートビューが登場する
Googleは2007年5月29日、ストリートビューを公開しました。最初はサンフランシスコ、ニューヨーク、ラスベガス、マイアミ、デンバーの五都市で、道路から撮影された360度の画像を地図上で閲覧できるようにしました。利用者はその場へ行かずに街路の風景を確認でき、地図と写真が一体になった新しい経験を得ました。
ストリートビューの撮影は、特定の写真家が作品にしたい場面だけを選ぶ方法とは異なります。車載カメラが道路を移動し、多くの地点を継続的に記録します。撮影された画像は位置情報と結びつき、目的の場所へ移動するための地図の一部として機能します。個々の画面が写真作品として選ばれるより前に、巨大な画像の集積が作られる仕組みです。
この仕組みからは、写真の撮影主体について新しい問いが生まれます。画面を選ぶのは車を運行するシステムであり、現場の出来事が写るかどうかには偶然も関わります。人の判断と機械の記録の関係が、従来とは違う形で現れました。(参照:Google Maps公式ブログ|Street Viewの登場)
ジョン・ラフマン《Nine Eyes》
ジョン・ラフマンは2008年から《Nine Eyes》を始め、Googleストリートビューに記録された奇妙な出来事や印象的な場面を探し出し、収集・公開してきました。ルイジアナ近代美術館の展覧会資料によれば、このプロジェクトは作家自身の発見に加え、ネット上で人々が見つけた画像の収集も含み、長期間にわたって更新されてきました。
画面に現れるのは、見知らぬ人々の日常や、撮影車が偶然通りかかった瞬間の姿です。作家はその場を撮影するために出向いていません。巨大な記録から何を選ぶかによって、地図の画像は別の意味を持ち始めます。風景を観察する写真家の目が、すでに撮られた画像群を調べる行為へ移ったのです。
タイトルの《Nine Eyes》は、初期のストリートビュー撮影装置に使われたカメラの数に由来します。個人的なまなざしを持たない撮影システムから、ユーモアや不安、社会的な出来事を読み取る作家の選択が、この作品の中心にあります。(参照:ルイジアナ近代美術館|ジョン・ラフマン《Nine Eyes》)
機械の記録、公共空間、プライバシー
ストリートビューには、撮影されることを意識していなかった人々や住宅、車などが写り込む場合があります。公開された写真が誰でも探せるようになったことで、街路を歩く人のプライバシーをどのように扱うかという問題も生じました。Googleはサービス開始後、顔や個人情報の扱いをめぐる説明と対応を進めています。
ラフマンの作品では、公開された画像をさらに選び、別の文脈へ提示することになります。見知らぬ人の一瞬の行動が、撮影システムによって記録され、地図として公開され、作家の選択を経て美術作品になる。この複数の段階を考えると、写真が誰のものであり、誰がその意味を決めるのかという問いが浮かびます。
写真家がカメラを構えた瞬間を中心に組み立てられた写真史は、ここで新しい問題に直面します。大量撮影の仕組みを作る企業、偶然写り込んだ人、画像を探す利用者、作品として選ぶ作家が、同じ写真の成立に関わっているからです。(参照:Google Maps公式ブログ|Street Viewとプライバシー)
機械が画像を認識するという問題
2000年代には、人間が見るための画像と、機械が分析するための画像の関係も重要になりました。ハルーン・ファロッキの映像作品とGoogleの類似画像検索を通じて、画像が識別や制御の手段になる状況を考えます。
ファロッキ《Eye/Machine I–III》
ハルーン・ファロッキは2001年から2003年にかけて《Eye/Machine I–III》を制作しました。MoMAの所蔵記録では、それぞれ2001年、2002年、2003年の作品として登録され、複数画面の映像インスタレーションとして制作されたことが確認できます。工場の生産設備や軍事技術などで使われる画像を取り上げ、機械が物事を認識するために映像を利用する状況へ目を向けました。
私たちは通常、映像を誰かが見るためのものとして考えます。ファロッキが扱ったのは、装置の位置を決めたり、物体を検出したり、作業を管理したりするために作られた画像です。画面が示しているのは目の前の出来事であると同時に、機械が何らかの判断を行うための情報でもあります。
ファロッキは1960年代末から映画制作を行い、労働や生産、映像の歴史を継続して扱ってきました。《Eye/Machine》は、その長い関心がデジタル技術の普及と結びついた作品です。映像が社会の中でどのように使われるかを、画像の構造から考えさせます。(参照:MoMA|ファロッキ《Eye/Machine I–III》)
産業と軍事の画像が持つ役割
産業用のカメラは、製品の形状や位置を検出するために使われます。軍事分野では、遠く離れた対象を監視し、位置を特定する映像が利用されます。こうした画像にとって重要なのは、鑑賞者が美しいと感じる構図とは限りません。一定の条件で対象を識別できることが、映像の目的になります。
ファロッキはこれらの映像を編集・対置することで、現代社会で視覚がどのような機能を担っているかを示しました。映像を作る技術が発達するほど、見るという行為の主体は複雑になります。映像を映す装置と、その情報を処理する仕組みが結びつき、人が直接確認しない場面でも画像が使われるようになります。
この問題は、デジタル画像が大量に作られる社会の基礎を考えるうえで重要です。写真が個人的な記憶や報道の資料として使われる場面のほかに、機械的な管理や判断のために利用される場面が拡大していたのです。(参照:MoMA|ファロッキ《Eye/Machine I》)
2009年、Googleの類似画像検索
Googleは2009年4月に類似画像検索の試験提供を始め、同年10月にGoogle画像検索の正式な機能へ組み込みました。公式ブログでは、検索結果に表示された写真を起点に、見た目の近い画像をさらに探せる仕組みとして紹介されています。例えば同じ言葉で検索される複数の意味を、画像の見た目によって絞り込むことができます。
2001年の画像検索では、利用者が言葉を入力し、それに対応する画像を一覧する方法が重要でした。類似画像検索は、その一覧に含まれる画像から別の画像へ進む経路を増やします。画像は文字情報に加え、視覚的な特徴の比較によって整理されるようになりました。
ファロッキが扱う機械の視覚と、一般利用者が使う画像検索は、目的も規模も異なります。それでも、画像が人間の眼に示される前にソフトウェアによって分析・選別されるという点でつながっています。検索結果に現れる画像の順序を誰が決めるのかという問いは、後の画像認識の時代へ続いていきます。(参照:Google公式ブログ|Similar Images、2009年)
ペトラ・コートライトと動画投稿サイト
ペトラ・コートライトは、安価なウェブカメラと動画共有サイトを使って作品を制作しました。映像の中の自分の姿だけでなく、検索語、コメント欄、サイトの削除規則までが作品の歴史に関わるようになります。
2007年《VVEBCAM》
ペトラ・コートライトの《VVEBCAM》(2007)は、パソコンの前に座る作家自身をウェブカメラで撮影した短い映像です。画面では作家の顔の周りを安価なソフトウェアの装飾効果が動き、本人は大きな表情の変化を見せずに画面を見ています。MoMAの所蔵記録では、音声付きカラー映像、1分43秒の作品として登録されています。
初期のビデオ・アートにも、作家がカメラの前に立ち自分を撮影する表現はありました。コートライトの場合、その映像は当初YouTubeへ公開されました。パソコンの前にいる身体と、同じパソコンから画像を発信する利用者としての自分が、作品の中で重なります。視線の向きや装飾効果の軽さに、2000年代の家庭用機器特有の感覚があります。
この作品が興味深いのは、映像だけを保存した場合に失われる要素が大きいことです。動画共有サイトで誰に見られ、どんな言葉と一緒に表示されたのかという条件も、作品の成立に関わっていました。(参照:MoMA|コートライト《VVEBCAM》)
検索語とコメントを利用する
コートライトは《VVEBCAM》の投稿時に、多くの検索語を付けることで、動画を探している利用者の流入を意図的に引き起こしました。MoMAは、性的あるいは刺激的な内容を期待した利用者に対し、平静な表情でウェブカメラを操作する作家の姿が現れる仕組みを解説しています。画面の中の出来事と、そこへ人を誘導する言葉との間に大きなずれが生まれます。
検索語は本来、投稿の内容を説明し、必要な人へ届きやすくするために使われます。この作品では、画像に合わない語も含めて利用されるため、検索そのものがパフォーマンスの一部になります。誰が何を期待してクリックしたかという条件が、鑑賞者の反応に直接作用します。
コメント欄に残る言葉も、映像の外側で発生する出来事です。作家が完全には制御できない他者の反応が公開ページへ加わり、作品の受け止め方を変化させます。動画サイトの形式を利用する制作は、作品の境界がどこまで広がるのかという問いを生みました。(参照:MoMA|コートライト《VVEBCAM》)
削除された映像をどう保存するか
《VVEBCAM》は公開後、YouTubeから削除されました。Rhizomeは2011年の段階で映像へ再びアクセスできる状態を整え、後年には当時のウェブページや再生環境も含めて再構築する作業を行いました。Rhizomeの保存担当者による解説では、最初の保存では映像ファイルを残せても、YouTube上で起きたやりとりを十分には再現できなかったことが分かります。
動画ファイルだけを別の再生装置で見せると、画像と音は残ります。検索結果から作品へ到達する経路や、当時のコメント欄、再生ページの表示は、その方法では失われます。作品が企業のサービスに依存する場合、サービスの変更や削除が作品の存続へ直接影響するのです。
この事例は、2000年代のネットワーク美術を保存する難しさを具体的に示しています。作品がどんな環境で公開され、観客が何を操作できたのかを記録することが、映像データの保存と同じくらい重要になる場合があります。(参照:Rhizome|《VVEBCAM》の保存と再構築)
コピーと再編集から生まれる作品
一度公開された画像は、別の人の手で切り取られ、修正され、再び公開されることがあります。オリヴァー・ラリックは、このような画像の連続的な変形と、版が増えていく状況そのものを制作の中心に据えました。
オリヴァー・ラリック《Versions》
オリヴァー・ラリックは2000年代後半から《Versions》と題した作品群を展開しました。2009年の作品を紹介するデジタル・アート・ミュージアムの資料では、報道画像を加工し、別の版へ作り替える行為が取り上げられています。2010年の映像作品《Versions》では、歴史的な画像や彫刻の複製、ネット上の視覚文化を横断しながら、作品が変形されていく過程を扱いました。
一枚の写真がニュースとして公開されると、別の利用者が加工し、冗談や批評のために再投稿することがあります。その後には別の加工が加えられ、最初の画像と異なる版が数多く生まれます。ある版が本当の原型だと簡単には言い切れない状況も起こります。ラリックは、その反復と変形を画像の歴史として見せています。
コピーの存在は、写真や彫刻の歴史に以前から深く関わっていました。《Versions》は、デジタル技術の普及後にそうした行為がどのような速度と規模で行われるようになったかを、古い作品と新しい画像を行き来しながら考えさせます。(参照:デジタル・アート・ミュージアム|ラリック《Versions》)
複数の版が同時に存在する
ラリックが扱う画像では、同じ主題が異なる形で繰り返し登場します。2008年に話題となったイランのミサイル発射画像の加工事例も、その一つです。報道された画像と修正版、さらに利用者が作ったさまざまな変形がネット上で流通し、同じ出来事の複数の視覚的な姿が並びました。
一つの出来事について、どの画像を最初に見たかによって印象は変わります。加工版だけを知っている人もいれば、別の修正版を記憶する人もいます。画像の歴史は、原版からコピーが単純に分岐していく形よりも、異なる版が相互に影響しながら流通する形へ近づきます。
2010年の《Versions》は、同じ映像に異なる語りを重ねた複数の版も用意しました。声が変わることで、同じ映像の受け取り方も変化します。見る画像とそれを説明する言葉の関係まで含め、複製の意味が問い直されています。(参照:Rhizome|ラリック《Versions》について)
著作権、作者性、共有の関係
他者の画像を再利用する制作は、画像の来歴や著作権の問題と結びつきます。自由にコピーできる技術が存在しても、画像の利用条件や元の制作者の権利は残ります。ラリックのような作品を見ると、作者の判断がどこで生まれるのかを具体的に考える必要があります。素材を選ぶこと、編集すること、別の文脈へ置くことは、どれも制作上の行為だからです。
複製は、元の画像の意味を変えることもあります。ある画像が報道資料からユーモアの素材へ移り、さらに美術の展示へ入ると、同じ形が別の社会的な役割を持ち始めます。画像が大勢の人に共有されることと、その来歴が見えにくくなることは、同時に起こり得ます。
2000年代の美術は、画像を作る人と画像を使う人の関係をさまざまな形で扱いました。クリエイティブ・コモンズのような制度、プライスの流通の実践、ラリックの複製作品は、それぞれ異なる方向からこの問題へ応答しています。(参照:デジタル・アート・ミュージアム|ラリック《Versions》)
ポスト・インターネットという考え方の成立
2000年代後半になると、インターネットで変化した美術の条件を説明する言葉が登場します。マリサ・オルソン、ガスリー・ロナーガン、ジーン・マクヒューの活動をたどると、この名称が具体的な制作や批評の中で育っていったことが分かります。
マリサ・オルソンの2006年の発言
2006年に行われた『Time Out』誌の座談会で、マリサ・オルソンは、自身の制作をインターネット「上」の美術というより、インターネットを使う生活や活動の結果として生まれる美術だと説明しました。後にジーン・マクヒューがRhizome上でこの発言を取り上げ、ポスト・インターネットを考える重要な手がかりとして紹介しています。
オルソンの活動には、ブログ形式で記録された実践や、日常のメディア文化を扱うパフォーマンスなどが含まれます。ウェブで情報を探したり、ダウンロードしたりする経験が、文章、映像、写真、展示へ変換されることが重要でした。作品がウェブページに存在する場合もあれば、物理的な空間へ移る場合もあります。
ここで「後」という言葉が示していたのは、インターネットが終わった時代ではありません。インターネットを使うことが日常の前提になり、その経験を出発点として作品が作られる状況です。後に広まる美術史的な名称の一つの起点として位置づけられます。(参照:ジーン・マクヒュー/Rhizome|オルソンの2006年の発言)
ガスリー・ロナーガンとSNS上の自己紹介
ガスリー・ロナーガンの《Myspace Intro Playlist》(2006)は、SNSのMySpaceへ投稿された自己紹介動画を収集して並べた作品です。Rhizomeの当時のアーカイブは、利用者が自分のことを知ってもらうために公開した短い映像を、作家がプレイリストとして再構成したことを記録しています。もともと個々のプロフィールに結びついていた映像が、集合的な表現として提示されました。
自己紹介動画では、映像の出演者はカメラへ向かって自分の姿を見せます。話し方や服装、背景の部屋などが、その人物の個性として受け取られることを意識しています。これらを並べると、一人ひとりの独自性に加えて、似た話し方や演出が繰り返されることも見えてきます。
ロナーガンの仕事は、ウェブ上の日常的な振る舞いが、美術作品へ移ると別の意味を帯びることを示します。自己紹介という社会的な行為が、映像の形式を比較し、オンラインで人格を表す方法を考える資料へ変わるのです。(参照:Rhizomeアーカイブ|《Myspace Intro Playlist》)
ジーン・マクヒューによる2009–2010年の記述
ジーン・マクヒューは2009年12月から2010年9月にかけて、ブログ《Post Internet》を執筆しました。Rhizomeに保存された本人の記録によれば、この活動はアートライターとしての助成を受けた批評プロジェクトでした。ブログという日々更新される形式で、作品、展覧会、インターネットの文化を観察しながら議論を積み重ねました。
マクヒューが重要視したのは、オンラインと物理空間の間を画像が移動する状況です。彫刻や絵画であっても、ウェブ上で撮影写真が広く流通し、作品を直接見る前にスクリーンで知る鑑賞者が増えていきます。作品そのものと、作品を代表する画像の関係が変化していることが、批評の対象になりました。
こうした記述は、後にポスト・インターネット・アートと呼ばれる議論の形成に関わりました。2000年代の終わりには、検索、複製、投稿、共有を通じて変化した美術の条件が、作家と批評家によって言語化され始めていたのです。(参照:ジーン・マクヒュー/Rhizome|《Post Internet》)
ヒト・シュタイエルと低解像度画像の流通
2009年、ヒト・シュタイエルは低解像度画像の政治的・社会的な意味を論じました。画質の劣化を画像の欠点として捉えるだけでは見えてこない、アクセス、コピー、流通の問題が浮かび上がります。
2009年「In Defense of the Poor Image」
ヒト・シュタイエルは2009年11月、e-flux journal第10号に「In Defense of the Poor Image」を発表しました。そこで扱われる「プア・イメージ」は、圧縮され、コピーされ、再編集され、さまざまな経路を移動する低解像度画像です。映画の断片、縮小画像、違法に複製されたファイルなども含め、画像がどのように流通しているかが中心的な問題として論じられます。
映画館やアーカイブで厳重に管理される高品質な映像と、ネット上で小さなファイルとして共有される映像には、異なるアクセスの条件があります。高い画質の映像を限られた場所で見る人もいれば、画質が落ちたコピーを通じて初めて作品を知る人もいます。画像の質と、誰がそれへアクセスできるかという関係は簡単に切り離せません。
この文章が重要なのは、デジタル画像を機器やファイル形式だけから説明せず、流通する人々の社会的な関係へ結びつけたことです。画像の価値は、鮮明さや解像度だけで測れない複雑な問題として示されました。(参照:e-flux journal|シュタイエル「In Defense of the Poor Image」)
画質とアクセスの関係を考える
高精細な映像には、撮影や保存に多くの費用がかかる場合があります。映画の原版や保存用のデータを管理する組織は、その公開方法を決定する立場にもあります。ネット上で流通する小さなコピーは、細部が失われることと引き換えに、より多くの人へ届く可能性を持ちます。シュタイエルはこの関係を、画像の階層や政治性として考察しました。
画質の悪い画像が常に望ましいという単純な評価ではありません。何が高品質と見なされ、誰がその画像を所有し、どこで見せることが許されるのかという条件に注目することが大切です。コピーされた映像が自由に移動することで、これまで見られなかった記録が広まる場合もあります。
ルフが低解像度画像を巨大な写真へ変えた実践を振り返ると、別の側面が見えてきます。ルフは画質の欠落を物質的な作品へ変え、シュタイエルは劣化した画像の流通を社会的な関係として考えました。同じ時代の画像を異なる角度から扱う例として重要です。(参照:e-flux journal|シュタイエル「In Defense of the Poor Image」)
画像の「コピー」はどこへ移動するのか
ネット上の画像は、複製された後に別の形式へ変換されることがあります。動画は短く切り取られ、静止画像は縮小され、再投稿のたびに説明文が変わることもあります。ファイルが複数の場所を移動するほど、最初に付いていた情報や制作の背景が見えにくくなる場合もあります。画像の内容と、その来歴をたどる作業は異なるものになります。
シュタイエルの議論では、コピーは元の作品から派生した二次的な存在で終わりません。さまざまな人々の手を経て、別の政治的・社会的な場面で見られることによって、画像は新しい役割を持ち続けます。画像の価値を考える際には、どこで作られたかに加えて、どこへ移動してきたかが重要になります。
この視点は、写真や映像の保存にもつながります。複数の版が存在する作品では、どのファイルを保存し、どんな公開履歴を記録するかを考える必要があります。デジタル画像の歴史は、完成された作品の歴史であると同時に、流通の経路の歴史でもあるのです。(参照:e-flux journal|シュタイエル「In Defense of the Poor Image」)
2009〜2010年、画像の変化が美術館の議論になる
2000年代の終わりには、ネットワーク文化から生まれた作品が主要な美術館で広く紹介され、画像と公共性の関係が展覧会の主題になります。2009年の《Younger Than Jesus》と2010年の《Free》を通じて、この10年間を振り返ります。
2009年《Younger Than Jesus》
ニューミュージアムは2009年4月から6月にかけて、トリエンナーレの第1回として《The Generational: Younger Than Jesus》を開催しました。1976年以降に生まれた世界各地の作家50人を紹介する企画で、コリー・アーケンジェル、ライアン・トレカーティン、ガスリー・ロナーガンらも参加しています。年齢によって区切られた世代の多様な作品を、国際的な視点から提示した展覧会でした。
展覧会全体をインターネット美術だけで構成したわけではありません。彫刻、写真、映像、パフォーマンスなどの異なる制作が並びます。重要なのは、ネットワークやデジタル技術が日常に入り込む時代に育った作家たちが、同時代の美術の担い手として広く紹介されたことです。
美術館が世代という枠組みを使って作品を集めたことは、2000年代の美術を歴史的に整理する試みでもありました。個々の作家の表現を詳しく見ることで、その世代の中にも多様な関心と制作方法が存在していたことが分かります。(参照:ニューミュージアム|《Younger Than Jesus》)
2010年《Free》と公共空間の拡大
2010年10月から2011年1月にかけて、ニューミュージアムで《Free》が開催されました。企画したのはローレン・コーネルで、インターネットが情報の共有や公共空間の意味をどう変えたかを扱いました。公式アーカイブは、コードや接続という技術的な形式よりも、写真、彫刻、映像、インスタレーションなどへ広がる文化的な影響を重視したことを記録しています。
公共空間という言葉からは、広場や道路を思い浮かべます。2000年代には、検索結果、ブログ、SNS、写真共有サービスも、大勢の人が情報を交換する場所になりました。多くの人へ公開される場所でありながら、企業や管理者の規則によって運営されているという性質もあります。利用の自由、情報の入手可能性、管理の権限が新しい問題として浮かびました。
《Free》は、ネットワーク上の作品を集めた展示という枠を超え、インターネットが日常の生活と美術をどう変えたのかを問いました。2000年代に積み重なった変化が、美術館の展覧会という制度を通して整理され始めた出来事です。(参照:ニューミュージアム|《Free》)
《Seven on Seven》と次の時代への接続
2010年にはニューミュージアムとRhizomeが《Seven on Seven》を開始しました。作家と技術者が組になって新しい企画を作ることを促す試みで、ニューミュージアムの年表には初回の開催が記録されています。アートと技術を別々の分野として扱うより、同じ制作過程の中で交流させることが重視されました。
この10年間に現れた変化を振り返ると、画像検索によって既存画像が探しやすくなり、共有サイトによって膨大な写真と映像が公開され、携帯機器によって撮影と通信が近づきました。ルフ、プライス、アーケンジェル、アンブリコ、ラフマン、コートライトらは、それぞれ違う方法でこの環境へ応答しました。画像を撮ることと、画像を探し、加工し、流通させることの距離が縮まった時代でした。
2010年代には、これらの条件を前提とする制作が、彫刻、絵画、デジタル印刷、オンライン・プラットフォームを横断して広がります。次の記事で扱うポスト・インターネット・アートは、その歴史を理解するうえで重要な展開です。(参照:ニューミュージアム|展覧会・企画年表(Seven on Seven))
略年表
画像を取り巻く技術やサービスの変化と、同時代の美術作品・展覧会を年代順に整理しました。作品の制作年、サービスの開始年、展覧会の開催年を区別して記しています。
- 1970〜80年代|シェリー・レヴィーン、リチャード・プリンスらによる既存画像の流用が、写真の作者性と独自性をめぐる議論を広げる。
- 1990年代|JODIやオリア・リアリナらがウェブページやブラウザーを作品の形式として探究する。
- 1999|トーマス・ルフがネット上の画像を用いた《nudes》シリーズを開始する。
- 2000|ルフが《Nudes ree07》を制作する。
- 2001|Google画像検索が7月に開始される。
- 2001|ハルーン・ファロッキが《Eye/Machine I》を制作する。
- 2002|クリエイティブ・コモンズが12月に最初の公開ライセンスを発表する。
- 2002|セス・プライスが《Dispersion》の執筆を始める。
- 2002|コリー・アーケンジェルが《Super Mario Clouds》を制作する。
- 2003|ファロッキの《Eye/Machine III》が完成し、2001年からの三部作がそろう。
- 2004|Flickrが写真共有サービスとして始まる。
- 2004|トーマス・ルフが《jpegs》シリーズを開始し、《jpeg ny02》を制作する。
- 2004|ライアン・トレカーティンが《A Family Finds Entertainment》を制作する。
- 2004|Flickrがクリエイティブ・コモンズのライセンスへ対応する。
- 2005|YouTubeで最初の動画が4月23日にアップロードされる。
- 2005|Facebookが10月に写真機能を開始する。
- 2006|ペネロペ・アンブリコが《Suns from Sunsets from Flickr》を始める。
- 2006|トレカーティンがホイットニー・ビエンナーレに参加する。
- 2006|マリサ・オルソンがインターネット「後」の美術について語る。
- 2006|ガスリー・ロナーガンが《Myspace Intro Playlist》を制作する。
- 2007|Appleが初代iPhoneを発表し、米国で発売する。
- 2007|Googleが5月29日にストリートビューを開始する。
- 2007|ペトラ・コートライトが《VVEBCAM》を制作し、YouTubeへ公開する。
- 2008|ジョン・ラフマンが《Nine Eyes》を開始する。
- 2008|セス・プライスが《Essay with Knots》を制作する。
- 2009|アンブリコが《5,377,183 Suns (from Sunsets) from Flickr (Partial) 4/28/09》を制作する。
- 2009|オリヴァー・ラリックが《Versions》を発表し、複製される画像の関係を扱う。
- 2009|ニューミュージアムで《Younger Than Jesus》が開催される。
- 2009|Googleが類似画像検索を正式機能として導入する。
- 2009|ヒト・シュタイエルが11月に「In Defense of the Poor Image」を発表する。
- 2009|ジーン・マクヒューが12月にブログ《Post Internet》の執筆を開始する。
- 2010|ニューミュージアムとRhizomeが《Seven on Seven》を開始する。
- 2010|ニューミュージアムで《Free》が始まり、2011年1月まで開催される。
まとめ
2000年代の画像文化に起きた変化は、デジタルカメラの普及だけでは説明できません。Google画像検索は世界中の画像を縮小して並べ、FlickrやYouTubeは個人の写真や映像を公開・共有する場を広げました。携帯電話とインターネットが近づき、Googleストリートビューは街路の風景を継続的に撮影する仕組みを作りました。画像を見つけ、使い、送り、別の人の画面へ届ける経路が変わったことが、この10年間の大きな特徴です。
美術家たちは、その新しい条件をそれぞれの表現へ変えました。ルフは低解像度の画像を巨大な写真として提示し、プライスは文章や作品の流通を問い、アーケンジェルはゲームのプログラムを改造しました。アンブリコは大量の投稿写真が作る反復を、ラフマンは機械的に記録された街路の偶然を選び取りました。トレカーティンやコートライトは、デジタル機器や投稿文化の中で変化する身体と自己表現を映像にしています。作品の見た目は大きく違っても、画像が存在する環境に制作が深く結びついていました。
2009年のシュタイエルの論考や、2010年のニューミュージアム《Free》は、こうした変化を社会的・美術史的な問題として捉えるための重要な節目となりました。2010年代には、ネットワークを通過した画像や感覚を、絵画、彫刻、映像、印刷物へ変換する制作がさらに展開します。ポスト・インターネット・アートの成立を理解するには、その前に写真や映像を見る日常的な環境がどのように変化したのかを知ることが欠かせません。
参考資料・出典
本記事は所蔵美術館の作品解説、作家自身の公開資料、デジタル文化関連組織の公式記録、展覧会アーカイブ、同時代の批評を照合し、ART LIBRARYが独自に構成・執筆しました。サービスの登場年と作品の制作年、作品の公開時と後年の保存・収蔵の出来事を分けて記載しています。「デジタル画像環境」は記事の歴史的な主題を示す記述上の言葉として用い、ポスト・インターネット・アートの形成を2010年代の動向と関連づけて考えています。
- ニューミュージアム|《Free》
- メトロポリタン美術館|2005–2006年収蔵作品解説
- ジーン・マクヒュー/Rhizome|オルソンの2006年の発言
- MoMA|シェリー・レヴィーンと引用の写真史
- メトロポリタン美術館|ルフ《Nudes ree07》
- Google|Google Imagesの25年
- Google|画像検索の歴史
- Google公式ブログ|Similar Images、2009年
- クリエイティブ・コモンズ|2002年のライセンス発表
- MoMA|セス・プライス《Essay with Knots》
- ホイットニー美術館|アーケンジェル本人による作品解説
- ホイットニー美術館|《Super Mario Clouds》
- Flickr|公式沿革
- クリエイティブ・コモンズ|沿革
- SFMOMA|The Life Cycle of an Idea
- YouTube公式ブログ|YouTube創設10周年
- Meta|Facebookの沿革
- MoMA|コートライト《VVEBCAM》
- トーマス・ルフ公式サイト|jpegシリーズ
- メトロポリタン美術館|ルフ《jpeg ny02》
- ホイットニー美術館|《A Family Finds Entertainment》
- SFMOMA|《Suns》作品の再展示と保存
- SFMOMA|アンブリコ《5,377,183 Suns》
- Apple|2007年iPhone発表資料
- Google Maps公式ブログ|Street Viewの登場
- ルイジアナ近代美術館|ジョン・ラフマン《Nine Eyes》
- Google Maps公式ブログ|Street Viewとプライバシー
- MoMA|ファロッキ《Eye/Machine I–III》
- MoMA|ファロッキ《Eye/Machine I》
- Rhizome|《VVEBCAM》の保存と再構築
- デジタル・アート・ミュージアム|ラリック《Versions》
- Rhizome|ラリック《Versions》について
- Rhizomeアーカイブ|《Myspace Intro Playlist》
- ジーン・マクヒュー/Rhizome|《Post Internet》
- e-flux journal|シュタイエル「In Defense of the Poor Image」
- ニューミュージアム|《Younger Than Jesus》
- ニューミュージアム|展覧会・企画年表(Seven on Seven)
- MoMA|Creative Appropriation
- IDFA|ジョン・ラフマン《9 Eyes》
- Google公式ブログ|Image Swirl、2009年
資料確認日:2026年10月16日 / ART LIBRARY