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Art History

1977–1984

映画や広告のイメージを引用し、芸術の常識を問い直す

ニューヨークのピクチャーズ世代

映画の一場面に見える写真なのに、その映画は実際には存在しない。有名な写真家の作品をもう一度撮影し、自分の名前で発表する。雑誌の広告を切り取って、商品名を消したまま展示する。1970年代後半のニューヨークでは、そんな一見不思議な作品が次々に現れました。新しく何かを描くことに加えて、すでに世の中にある写真や映像を使い直すことが、芸術の重要な方法になっていったのです。

私たちは毎日、映画、テレビ、広告、新聞、雑誌などでたくさんのイメージを見ています。行ったことのない場所でも、映像で見れば知っているように感じます。映画の登場人物や広告のモデルを通して、「都会的な女性」「成功した男性」「理想的な暮らし」といった姿を思い浮かべることもあります。こうしたイメージが私たちの考え方や記憶を形づくっているのではないか。若い芸術家たちは、その仕組みに強い関心を持ち始めました。

1977年、ニューヨークのアーティスツ・スペースで《Pictures(ピクチャーズ)》という展覧会が開かれました。企画したのは批評家ダグラス・クリンプです。参加したのはトロイ・ブラウンタッチ、ジャック・ゴールドスタイン、シェリー・レヴィーン、ロバート・ロンゴ、フィリップ・スミスの5人。作品は版画、映画、写真、立体、素描などさまざまでした。共通していたのは、すでに見覚えのあるイメージを取り上げ、その意味や働きを変えていく姿勢でした。

同じ頃、シンディ・シャーマンは自分自身を映画の登場人物のように撮影する《無題のフィルム・スチル》を始めました。リチャード・プリンスは雑誌の広告写真を再撮影し、サラ・チャールズワースは新聞の文章を取り除いて、ニュース写真の掲載方法を浮かび上がらせます。シェリー・レヴィーンは、近代写真の名作を複製から撮り直しました。制作方法は異なっても、写真がどのように意味を生み、人々に受け取られているのかという問いが重なっていました。

当時の現代美術では、作品のアイデアや成立条件を重視する概念芸術が広がっていました。そこから学んだ若い作家たちは、映画や広告のように人々が親しんでいるイメージを制作へ取り込みます。写真だけでなく、映像、絵画、彫刻、文字、音まで使われました。見る人が知っていると思うものを、別の場所へ移したり繰り返したりすることで、その見え方を揺さぶったのです。

この動向は後に「ピクチャーズ・ジェネレーション(ピクチャーズ世代)」と呼ばれるようになりました。正式な会員を持つ団体の名前ではなく、1970年代後半から1980年代にかけて、イメージの引用や演出に共通した関心を持った作家たちを指す美術史上の呼び名です。女性像の表現、美術館の権威、消費社会、写真の複製、作品の作者は誰かという問題まで、議論が広がりました。

本記事では1977年から1984年を中心に、ピクチャーズ世代が生まれた背景から具体的な作品、批評や展覧会の役割までを18章に分けてたどります。1977年の《Pictures》展に参加した作家と、後にこの世代に含まれるようになった作家の違いも整理します。映画や広告から見慣れたイメージを借りることが、なぜ美術史の大きな転換として評価されたのかを考えていきます。

大量のイメージに囲まれた1970年代のアメリカ

映画や広告は生活の中で何を教えていたのか

戦後アメリカではテレビが各家庭へ普及し、雑誌には商品の写真があふれ、映画の宣伝用写真も日常的に目にするようになりました。芸術家が育った環境には、広告で見た自動車や洋服、テレビドラマの登場人物、ニュースの映像が存在していました。人々は自分で経験した出来事に加えて、繰り返し見てきた映像によって、暮らしや人物のイメージを形づくっていきます。

例えば「都会で働く女性」と聞いて思い浮かべる服装や姿勢は、実際の知人の印象と映画に登場する役柄とが混ざっているかもしれません。ピクチャーズ世代の作家たちは、こうした既視感に目を向けました。作品の材料として写真を利用することと、写真によって私たちの感じ方が変わることを、同時に考えたのです。画面がどこから来たのかを知ることは、社会で当たり前とされる価値観を調べる方法にもなりました。

大衆文化の画像は日々入れ替わります。そのなかで、同じ姿や構図が繰り返されることに気づくと、一枚の広告が固有の出来事を写す以上の力を持っていると分かります。既成の像を選ぶ制作は、その反復を見える形にしました。(参照:メトロポリタン美術館|《ピクチャーズ・ジェネレーション》展)

ポップ・アートから引き継いだもの

1960年代のアンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインは、広告、漫画、スターの肖像など、商業的なイメージを美術作品に取り入れました。ウォーホルが同じ肖像を何度も反復した作品からは、イメージが大量生産され消費される社会のあり方を読み取れます。若い世代は、こうした前例を知ったうえで、既存の写真を選び直す方法をさらに進めました。

ピクチャーズ世代にとって重要になったのは、広告の見た目を絵画に借りることに加えて、広告や映画が見る人の欲望や思い込みをどうつくるかという問題でした。特定のスターの肖像を反復する方法と、映画にありそうな女性役を自分で演じて写真にする方法には違いがあります。その違いを通じて、1960年代から1970年代へ続く大衆文化と美術の関係を理解できます。

例えばウォーホルの作品では、反復されたスターの顔が、印刷され続ける商品画像のようにも見えます。後の作家たちは反復の対象をさらに広げ、印刷物が写す世界と印刷物そのものの役割を調べました。表現の方法は連続しながら変化しています。(参照:メトロポリタン美術館|ピクチャーズ世代の美術史)

概念芸術の後に、見覚えのある像が戻る

1970年代の新しい作家たちの多くは、ミニマリズムや概念芸術から強い影響を受けていました。何を作品と呼ぶのか、作品の作者は誰なのか、アイデアが制作のどこに位置するのかという問いを、先行する美術から学んでいます。そこへ映画や広告の写真を持ち込む行為は、一見すると具体的な人物や物を描く美術への回帰のように映ったかもしれません。

実際には、芸術家たちは既存のイメージを選ぶ理由や展示の方法を慎重に考えていました。見る人は写真に写っているものを知っていても、その写真がどこから来たのかを問い直す必要があります。物の形より作品の成立条件に注意を向ける概念芸術の考え方が、分かりやすい画像と結びつきました。この連続性を押さえると、写真や絵画が再び中心的な役割を持つようになった理由が見えてきます。

一つの画像を別の場所へ移すだけでも、見る側が作品の成立を考え始める場合があります。アイデアの重要性を意識させる先行する美術は、イメージを使う作家たちにも強い手がかりを与えました。具体的な写真に目を向けると、この関係を実感できます。(参照:メトロポリタン美術館|展覧会図録(2009年))

1970年代半ば、新しい作家たちを育てた場所

ジョン・バルデッサリの授業とカルアーツ

カリフォルニア芸術大学(カルアーツ)で教えていたジョン・バルデッサリは、写真、映画、文字を組み合わせる作品を制作していました。映画の一場面や雑誌の写真を別の文脈へ置く方法は、作家がどこまで手を動かせば作品をつくったことになるのかという問題に結びついています。彼の教育を受けたジャック・ゴールドスタインやデイヴィッド・サーレらは、のちのピクチャーズ世代を考えるうえで重要な存在になります。

授業で問われたのは、写真を上手に撮る技術や写実的に描く技術だけではありません。なぜその画像を選んだのか、別の画像と並べると何が起きるのか、写真に文章を加えると意味がどのように変わるのか。こうした問いは美術の制作方法を大きく広げました。1970年代末の作品に共通する、選択と編集の重要性は、この教育環境との関係から理解できます。

映画の場面を切り出す写真と、映画の場面のように新しく演出した写真とでは制作過程が異なります。どちらも既成の画像について鑑賞者が持つ知識を利用します。学生がその違いを議論できる環境が、のちの制作へつながっていきました。(参照:メトロポリタン美術館|展覧会図録(2009年))

バッファローのホールウォールズ

ニューヨーク州バッファローでは、1974年末に若い作家たちがホールウォールズという展示の場をつくりました。倉庫として使われていた建物の一部を利用し、チャールズ・クラフ、ロバート・ロンゴ、ナンシー・ドワイヤー、シンディ・シャーマンらが関わりました。施設の歴史資料からは、制作を始めた若者たちが自分たちで展覧会や交流の機会を用意したことが分かります。

ホールウォールズでは絵画や彫刻だけを見せていたわけではありません。映像、音楽、パフォーマンスを含むさまざまな表現が紹介され、他都市の芸術家も招かれました。活動の中心には、有名な画廊に所属する前に仲間の作品を見たり、試した方法を議論したりできる環境がありました。後にニューヨークで知られる作家たちの交流を考える際、この自主的な活動拠点は欠かせません。

1975年のホールウォールズの記録には、展覧会の企画や出版に参加する若者たちの名前が残されています。完成した作品だけでなく、展示や上映を実行する実務も、芸術家同士が影響を与え合う場をつくるうえで重要でした。(参照:ホールウォールズ|設立史)

1976年、バッファローとニューヨークがつながる

1976年11月、アーティスツ・スペースでは《Hallwalls at Artists Space》が開催されました。出品者はダイアン・ベルトロ、チャールズ・クラフ、ナンシー・ドワイヤー、ロバート・ロンゴ、シンディ・シャーマン、マイケル・ズワックの6人でした。ホールウォールズの記録によれば、当時アーティスツ・スペースを率いていたヘレン・ワイナーが作家の選考に関わっています。

この展覧会は1977年の《Pictures》展より前に開かれています。つまりピクチャーズ世代の成立を考えるときには、1977年の一つの展覧会へ突然作家が集まったという物語よりも、複数の都市の若者が作品を見せ合った経緯が重要です。後に有名になるシャーマンが1977年の《Pictures》展へ出品していなかったことも、こうした実際の人脈と展覧会の参加者とを分けて考えると理解できます。

この展覧会に関して、ホールウォールズは古い年譜に1977年と誤記があったことも明記しています。現在の公式記録は1976年開催として整理されており、展覧会史を説明するときに一次資料の確認が必要であることが分かります。(参照:ホールウォールズ|1976年のアーティスツ・スペース展)

1977年、ニューヨークで《Pictures》展が開かれる

ダグラス・クリンプが選んだ5人

1977年9月24日から10月29日まで、ニューヨークのアーティスツ・スペースで《Pictures》展が開催されました。批評家ダグラス・クリンプが企画し、トロイ・ブラウンタッチ、ジャック・ゴールドスタイン、シェリー・レヴィーン、ロバート・ロンゴ、フィリップ・スミスの5人が参加しました。会場の公式アーカイブには、開催日と出品者に加え、作品の種類や当時の告知文、展示風景の写真が残されています。

この展覧会が重要なのは、すでに有名だった作家を一堂に集めたからという理由に尽きません。近い時期に別々の作品を制作していた若者たちの間に、共有される問題があると提案した点に意味があります。クリンプは、既知の意味を帯びたイメージを扱う作品が現れていることを見いだしました。作家の個人的な趣味を紹介することから一歩進み、新しい美術の方向を示す展覧会になりました。

展覧会の会場写真では、大きな絵画が並ぶ展示室を想像したときとは異なる作品の配置を確認できます。主題が不明瞭な小さな図像や特殊な素材を前にした当時の観客が、どのような作品として受け止めたかも考えたくなります。(参照:アーティスツ・スペース|1977年《Pictures》展)

5人が展示した作品はどのような姿だったのか

アーティスツ・スペースの資料によれば、ブラウンタッチは複製を利用した版画、ゴールドスタインは短い映画や色のついたレコードと写真、レヴィーンはグラフ用紙に蛍光色で描いた反復する横顔、ロンゴは彩色したアルミニウムのレリーフ、スミスは複数の場面を描いた大きなパステル画を紹介しました。会場で見られた作品の素材も形も、写真だけに限定されていませんでした。

同じ展覧会に置かれた作品を比べると、映画や出版物で見覚えのある画像を別の形へ移す方法や、人物の姿を特定できない場面として示す方法が浮かび上がります。「ピクチャーズ」という言葉が持つ広がりは、この多様な作品にふさわしいものでした。美術史の中で後に語られる「写真を使った世代」という印象と、当日の実際の展示内容の違いを確認することが重要です。

蛍光色で描かれたレヴィーンの横顔と、ロンゴのアルミニウムのレリーフを並べると、後に有名になった写真作品とはまた違う出発点が見えてきます。実際の展示を理解するには、後世の代表作から過去を逆算しないことが大切です。(参照:アーティスツ・スペース|1977年《Pictures》展)

「ピクチャーズ」という名前が示したもの

英語の「ピクチャー」は、絵画、写真、映像など、何かを表す像を幅広く指す言葉です。クリンプがこの名称を使ったことによって、油絵なのか写真なのかという媒体の分類から、イメージがどのように人々へ働きかけるのかという問題へ目を向けられるようになりました。当時の紹介文でも、現実に似せるという従来の意味での写実とは違う、新しい表象の働きが強調されています。

たとえば画像に登場する人物が誰か分からなくても、その姿から映画の登場人物らしさを感じることがあります。何を見ているかを判断する前に、すでに知っている別の画像の記憶が働いているためです。このような鑑賞の仕組みを、5人は異なる方法で取り上げました。展覧会名を理解することは、後のピクチャーズ世代を写真という一つの技法に閉じ込めずに考える出発点になります。

写真や絵画の媒体名を表題に選ばなかったことは、作家たちが共通の技法を持たないこととも対応しています。鑑賞者が既知の画像を見たように感じる、その経験が作品間を結ぶ要素として浮かび上がりました。(参照:アーティスツ・スペース|1977年《Pictures》展)

一つの展覧会から「世代」へ

1979年、クリンプの論考が問いを広げる

クリンプは1977年の展覧会に合わせて文章を書き、1979年には美術批評誌『オクトーバー』に改めて「Pictures」と題する論考を発表しました。実際の展覧会の参加者だけを説明するよりも、像が別の像を参照し続ける現代の表現を考える議論へ広げたことが重要です。作品の新しさを技術や作風だけで判断する枠組みから、イメージの意味がつくられる過程を読む枠組みへ進みました。

その考え方を背景にすると、シャーマンの演出写真もプリンスの広告の再撮影も、異なる外見を持ちながら共通の問題を扱っていると理解できます。鑑賞者は写っている人物や品物を眺めるだけでなく、なぜ既視感があるのか、その画像にどんな社会的な役割があったのかを考えます。美術批評が同時代の作品同士を結びつけ、ひとつの歴史の見取り図をつくった事例です。

クリンプによる批評の役割は、作品が似ているかどうかを説明することにとどまりません。当時まだ定まっていなかった問題を、読むことのできる言葉へまとめた点にあります。その言葉が後の展覧会史にも大きな影響を与えました。(参照:『オクトーバー』第8号|ダグラス・クリンプ「Pictures」(1979年))

1977年の参加者と後の代表作家の違い

今日よく知られるシンディ・シャーマン、リチャード・プリンス、バーバラ・クルーガー、ルイーズ・ローラー、サラ・チャールズワースは、1977年の《Pictures》展には参加していません。最初の出品者5人の顔ぶれと、後年の美術館が「ピクチャーズ世代」として紹介する作家の範囲には違いがあります。名前が似ているからといって、展覧会の出品者と世代の構成員を同じ一覧として記述すると歴史を誤ります。

彼らを結びつけるのは、厳密な会員資格や一つの宣言文ではありません。映画や広告、美術史上の写真を参照すること、複製や演出の方法を制作へ取り入れること、イメージが社会で果たす役割に関心を持つことなどが、後から一つの枠組みとして整理されました。写真の制作時期と展覧会の参加歴を個別に確かめる姿勢は、作品を正確に理解するうえで大切です。

シャーマンがアーティスツ・スペースへ姿を見せたのは、1976年のホールウォールズ展です。展覧会が一つ違うだけで、参加歴と作品の年代について説明が変わります。小さな年代の差が、新しい世代の成立過程を知る鍵になります。(参照:アーティスツ・スペース|1977年《Pictures》展)

2009年、メトロポリタン美術館による歴史の整理

2009年、メトロポリタン美術館は《The Pictures Generation, 1974–1984》を開催しました。4月21日から8月2日までの会期で、30人の作家による160点の作品を、写真、映画、絵画、立体など複数の媒体にわたって紹介しました。1977年の小規模な展覧会から約30年が経ち、当時の制作と作家間のつながりが大きな歴史としてまとめ直されたことになります。

この回顧展の範囲には、最初の5人に加えてシャーマン、プリンス、クルーガー、ローラー、バーンバウム、ローリー・シモンズ、デイヴィッド・サーレらも含まれます。選ばれた作家は、2009年の学芸員による研究上の判断にもとづいています。後から成立した世代名が何を含み、どの作家を重視するかは、美術史の書き方と深く関係しています。今回の記事でもその違いを保ったまま考えます。

回顧展は歴史を保存するだけでなく、どの作家を並べると時代が理解しやすくなるかという提案でもあります。2009年展の作品の幅広さを見ると、写真を中心に思い浮かべていた世代像が大きく広がります。(参照:メトロポリタン美術館|《ピクチャーズ・ジェネレーション》展)

ジャック・ゴールドスタインと、すでに見たことのある世界

1975年《MGM》のライオンを映画から取り出す

ジャック・ゴールドスタインは、映画や録音された音を作品の材料にしました。1975年の短編映画《MGM》では、映画会社の冒頭に現れる吠えるライオンという、観客がよく知る映像を取り上げます。通常は本編が始まることを知らせる短い記号であり、誰もその部分だけを長く眺めることはありません。映画の物語から切り離されると、ライオンの映像そのものが独立した鑑賞の対象へ変わります。

見る人は動物の実際の姿を知るよりも、すでに繰り返し見た映画の合図を認識します。画像には商業的な使い道と鑑賞者の記憶が含まれています。それを別の場所に移すと、なぜその映像を見慣れていると感じるのかが意識されます。ゴールドスタインの作品は、映画の断片をそのまま長編の物語へつなぐ方法と異なり、普段は注意を向けない記号の存在感を引き出しました。

映画会社のロゴは、通常は内容を伝える前のわずかな時間だけ現れます。独立して上映されることで、私たちが物語を見る準備をさせられる仕組みも、鑑賞の対象になります。短い映像の選択が作品の中心となる例です。(参照:メトロポリタン美術館|代表作品と解説)

1976年《The Pull》の三つの画像

《The Pull》(1976年)は、海中の潜水者、落下する人物、宇宙飛行士という三つのイメージを使った写真作品です。メトロポリタン美術館の所蔵資料によると、カラー写真を組み合わせた作品で、1977年の《Pictures》展にも出品されました。海底や宇宙など、普段の生活から遠い状況が並んでいるのに、鑑賞者はそれぞれ何を表しているのか理解できます。

この理解は、現地へ行って観察した経験に由来するとは限りません。映画、雑誌、ニュースから知った映像が、私たちの頭の中に蓄積しているためです。画面の中には人が写っていますが、固有の人物の生活を紹介する肖像写真とは異なります。誰でもどこかで知っているような状況を集め、その既視感がどこから来るのかを考えさせる点に、この作品の特徴があります。

三つの場面はいずれも身体が通常と異なる条件に置かれている点で似ています。鑑賞者がその危険や緊張を知っていると思う理由には、新聞や娯楽映画などを通して蓄積してきた映像の経験が含まれます。(参照:メトロポリタン美術館|ゴールドスタイン《The Pull》)

色のついたレコードが伝える効果音

ゴールドスタインは1976年、犬の吠え声、竜巻、木が倒れる音などの既成の効果音を使ったレコードの連作を制作しました。色のついた7インチ盤で発表されたこれらの音は、自然界で一度起きた出来事を鑑賞者に直接伝えるものとしてだけ存在しているわけではありません。映画やラジオの中で繰り返し使われ、ある状況を即座に思い浮かべさせるための音でもあります。

竜巻を実際に聞いた経験がなくても、音を聞けば「竜巻のようだ」と判断する人がいるでしょう。映像と同じく、音にも既成の記号としての働きがあります。1977年の展覧会でこのレコードが紹介された事実は、ピクチャーズ世代の関心が写真の枠を越えていたことをよく示しています。何が記録で、何が演出された感覚なのかを、耳を使って考えることもできるのです。

当時の展示でレコードが使われたことを考えると、観客は音を聞くための機器と向き合う必要がありました。見慣れた音を作品として再生する状況は、映画館で音響効果を物語の一部として聞く経験と異なっています。(参照:メトロポリタン美術館|ゴールドスタインの映画と効果音レコード)

シンディ・シャーマンがつくった、存在しない映画

《無題のフィルム・スチル》という69点の連作

シンディ・シャーマンは1977年から1980年にかけて、白黒写真による《Untitled Film Stills》を制作しました。ニューヨーク近代美術館はこの連作を69点として所蔵し、1995年に全作品を取得しています。写真にはシャーマン自身が写っていますが、彼女はさまざまな髪型、衣服、化粧、姿勢を使って映画に登場しそうな人物へ姿を変えています。実在する映画の場面を撮った記録ではありません。

作品は小さな白黒写真で、1950〜60年代のアメリカ映画やヨーロッパ映画の宣伝用スチルを思わせます。観客が登場人物の前後の物語を想像したくなるような一瞬が選ばれています。特定の映画の場面を正確に再現した作品ではないため、鑑賞者の記憶には「知っている気がする」という曖昧さが残ります。その曖昧さが、映画から学んできた人物像の型を示しています。

連作の全体像を理解すると、個別の写真が似た構図を繰り返している理由も見えてきます。見る人は毎回違う映画の物語を想像しますが、その物語が実際には存在しないことから、自分の中にある記憶の型を意識するようになります。(参照:ニューヨーク近代美術館|《無題のフィルム・スチル》全作品展)

《フィルム・スチル #21》の都会の女性

1978年の《Untitled Film Still #21》には、ビルが立ち並ぶ都市を背景にした女性の姿があります。シャーマンはきちんとした服装で街へ出てきた若い女性のように見え、表情や視線からは、到着したばかりなのか、何かを警戒しているのか、さまざまな物語が想像できます。画面は映画の場面写真のようですが、決まった筋書きは用意されていません。

この写真を見て都会で働く女性の物語を思い浮かべるとき、鑑賞者は自分が見てきた映画の経験を使っています。髪型と服装、カメラの角度、街の建築といった要素が重なり、役柄が成立します。ニューヨーク近代美術館は、この連作を自画像とは区別して説明しています。写っている身体が同じ人物でも、表現しているのは作家自身の内面より、社会で繰り返されてきた女性の像なのです。

街の高い建築を背景にすると、人物の位置は一枚の宣伝用写真のように整えられて見えます。シャーマンが身につける衣服や帽子の選択も、都市へ出てきた女性というイメージを成立させる要素として働いています。(参照:ニューヨーク近代美術館|シャーマン《無題のフィルム・スチル #21》)

映画の主人公を演じることの意味

シャーマンの作品では、演じる人と撮影を構想する人が同じです。そのことが、女性が映像の中でどのように表されてきたのかという問題を際立たせます。映画の宣伝写真では、俳優の表情やポーズが物語の見せ場に合わせて選ばれます。シャーマンはそうした方法を引き受けながら、一枚の写真で架空の人物を成立させました。

画面を見れば、役柄をつくる服装や姿勢に気づきます。気づいた後でも、登場人物の物語を想像したくなる不思議さが残ります。この連作の魅力は、単に固定観念を批判する説明文のような写真をつくった点にあるわけではありません。写真そのものが持つ物語の力を利用し、鑑賞者自身が映画的な見方に参加していることを気づかせます。写真を演出する行為が、社会的なイメージを観察する方法になったのです。

撮影者が自分を被写体にしたことで、演技と撮影を別々の仕事と捉える習慣も揺らぎます。シャーマンは人物を演じながら、カメラがその人物をどう見せるかを設計します。この二重の立場が連作の造形的な緊張を支えています。(参照:ニューヨーク近代美術館|シャーマン初期連作の解説)

サラ・チャールズワースは新聞の何を消したのか

1977〜79年《Modern History》の方法

サラ・チャールズワースは1977年から1979年にかけて《Modern History》という連作を制作しました。新聞に載った事件の写真を各紙で比較し、紙面から文章を取り除いて、題字や該当する写真、写真の説明文などを残す方法を使いました。通常の新聞では、出来事の説明を読むことに意識が向かいます。文章が消えると、写真の数、大きさ、並べ方、紙面の上部と下部の位置の違いが目立つようになります。

例えば同じ事件を扱った新聞でも、一面の中央へ大きく写真を置く媒体と、隅に小さく載せる媒体があります。編集の方針は、読者に何が重大な出来事として伝わるかを左右します。チャールズワースは別の写真を創作するより、掲載された情報を編集し直すことによって、ニュースが人々へ届く仕組みを浮かび上がらせました。新聞という身近な印刷物が、美術作品として新たに読む対象になります。

紙面が空白になると、写真を中心に紙面を眺める時間が長くなります。画像の上下左右に何を配置するかという新聞社の選択が、読者の注意の動きを決めていたことに気づきます。文章を消す行為が、編集の輪郭を示したのです。(参照:ニューヨーク近代美術館|サラ・チャールズワースの《Modern History》)

《April 21, 1978》を並べて見る

メトロポリタン美術館が所蔵する《April 21, 1978》(1978年)は、同じ日付の新聞紙面を用いた連作です。写真を同じ大きさの画面に置くだけで、各紙が伝える情報の優先順位が比較できます。写真に添えられた文字と、そこに残された白い空白の関係が、普段は読み飛ばしてしまう編集の形を明らかにします。

作品を一枚ずつ見ると紙面のデザインが先に目に入ります。並んだ紙面を行き来すると、事件の写真を大きく見せるか、別の情報と組み合わせるかという判断が見えてきます。ニュースは出来事がそのまま視覚化されたものとして受け取られがちです。実際には、誰がどの画像を選んだのかという過程が存在します。チャールズワースは写真の真実らしさを考えるとき、編集という行為を欠かせない要素として示しました。

同じ日付に発行された新聞でも、地域や媒体の性格が違えば写真の扱い方も異なります。作品を連作として見ると、情報を公平に扱っているように見える紙面にも、優先順位の違いがあると分かります。(参照:メトロポリタン美術館|《April 21, 1978》)

1979年の27紙が報じた一つの事件

《Movie-Television-News-History, June 21, 1979》は27点の写真からなる作品です。取り上げられたのは、ニカラグアを取材中の米国人記者ビル・スチュワートが殺害された事件の報道でした。現場の映像はテレビで伝えられ、新聞にはその映像をもとにした静止画が掲載されました。チャールズワースは同じ日付の複数の新聞を比較し、紙面に残る写真と見出しの関係を示しました。

現実の出来事がテレビの映像になり、それを切り出した写真が新聞に載り、さらに美術作品で並べられるという複数の段階があります。どの段階でも誰かが見せる範囲を選んでいます。ニューヨーク近代美術館が収蔵する作品は、1979年に制作された連作を2010年にプリントしたものです。出来事の年、作品の構想と制作の年、所蔵されるプリントの制作年を分けて理解する必要があります。

テレビの動画から切り出された静止画が新聞を通じて配布され、さらに美術館に展示される。この経路を追うと、写真は一度撮影されて終わるものではなく、異なる媒体を移動するあいだに見え方を変えていく存在だと理解できます。(参照:ニューヨーク近代美術館|《Movie-Television-News-History》)

リチャード・プリンスと広告写真の再撮影

雑誌の切り抜き仕事から始まった発見

リチャード・プリンスは1970年代半ば、タイム・ライフ社で雑誌の記事を切り抜く仕事をしていました。記事が抜き取られた後の紙面には、商品を魅力的に見せる広告写真が残ります。輝く自動車、理想化された男性や女性、豪華な生活のイメージ。プリンスは、それらが何かを記録した写真であると同時に、商品への憧れを生み出すために組み立てられた画像であることに興味を持ちました。

雑誌の広告は一般に、商品の説明やブランド名と一緒に見られます。その写真だけを抜き出すと、何を買うための画像だったのかが不明瞭になります。商品を知らせる役割を離れても、画面には欲望を引き起こす構図や人物の姿勢が残ります。芸術家が独自に撮影した風景の代わりに、大量に流通している商業写真へ目を向けたことは、写真の材料と作者の役割を考え直す出発点になりました。

プリンスの制作を考える際、雑誌を読むという日常の行為と、広告だけを選んで残すという作業の違いが重要です。普通の読者が目を向ける順序を変えることから、作品としての視線が生まれました。(参照:メトロポリタン美術館|プリンスの広告写真再撮影)

1977年、広告をもう一度カメラで撮る

プリンスは1977年頃から、広告写真を再撮影する方法を始めました。すでに印刷された写真を新たなカメラの被写体にするため、画像には広告の写真家による最初の撮影と、プリンスによる二度目の撮影が重なります。単に印刷物を額に入れるよりも、もう一度写真へ移す操作が、作品が成立する重要な過程になります。

彼は元の画像から文字を取り除いたり、切り取る場所を変えたり、ぼかしや拡大を使ったりしました。広告の役割が薄れると、よく知っているはずの画像が奇妙な場面として見えてきます。見せ方を変えるだけで、人物の印象や背景の意味は動きます。ここで芸術家が行ったのは、全く新しい被写体を探すことより、既存の写真がどのように読まれるかを組み替える仕事でした。

同じ広告写真を撮り直す操作は、元の写真家が行った構図の選択を再び問いに変えます。コピーされた画像がどのような枠に収まっているかを意識することで、写真の背後にある見せ方の設計が目立つようになります。(参照:メトロポリタン美術館|代表作品と解説)

《4人の独身男性…》が示す広告の人工性

1977年の《Untitled (four single men with interchangeable backgrounds looking to the right)》は、広告から取り出された男性像を扱った作品です。男性たちは一定の方向を向き、背景や見せ方によって人物の印象が構成されています。メトロポリタン美術館が所蔵するこの作品を見ると、広告に登場する人物像が、衣服、姿勢、背景などの組み合わせで作られていることが分かります。

広告写真は、実際に存在する人を撮影している場合でも、目的に合わせて人物の魅力を演出します。プリンスは広告の仕組みを取り除いて一人の生身の男性を紹介したわけではありません。人工的につくられた男性像を改めて見せることで、その仕組みへ注意を向けました。鑑賞者が画面に魅力を感じる瞬間にも、広告で学んだ価値観が働いているのではないかという問いが残ります。

作品の中の人物像が複数並ぶと、広告で求められている男性の姿に共通する型も見えてきます。個々の人物が誰なのかより、なぜ似たポーズが選ばれるのかという問題へ目を向けることができます。(参照:メトロポリタン美術館|《4人の独身男性…》)

シェリー・レヴィーンは名作写真を撮り直した

1977年の出品作と1979年の《President》

シェリー・レヴィーンは1977年の《Pictures》展に出品し、その後も新聞や雑誌、美術史に存在する図像を用いた制作を進めました。1979年の《Untitled (President: 4)》では、雑誌広告の女性の写真が、リンカーン大統領の横顔を示す形の内部に組み合わされています。硬貨などを通して見慣れた国家的な人物像と、商品を宣伝する女性の像が同じ画面で出会います。

有名な人物を表す輪郭は、本人を直接見たことがない人にも識別できる記号になっています。広告の写真にも、見る人へ何らかの役割を伝える記号が含まれています。レヴィーンはそれらを重ねることで、歴史的な権威も商業的なイメージも、複製されて流通する像として操作できることを示しました。後の代表作へ続く問題が、この時期からすでに現れています。

米国の歴史を表す政治家の横顔と、消費生活を宣伝するモデルが同じ構図に入ることで、どちらの像も社会で繰り返し使用される記号として見えてきます。レヴィーンの初期作品は、権威と広告の関係を読み解く手がかりです。(参照:メトロポリタン美術館|レヴィーン《Untitled (President: 4)》)

1981年《After Walker Evans》の大胆な操作

1981年、レヴィーンはウォーカー・エヴァンズが1930年代に撮影した著名な写真を、出版された複製から再撮影する《After Walker Evans》を発表しました。農村の人々を写した写真などが含まれ、見た目はエヴァンズの写真に近いままです。そこにレヴィーンの作家名が付されることで、見る人は一つの画像が誰の作品なのかを問い直すことになります。

写真家が現地でカメラを構えた時間と、写真集などに掲載された画像を別の作家が撮り直した時間は異なります。レヴィーンの作品は、この二つの行為の違いを作品の中心に据えています。メトロポリタン美術館は、同連作をポストモダン美術の重要作として紹介しています。元の写真が持つ歴史と、その写真を選び直した現在の行為が重なることで、複製に含まれる意味が変わりました。

元のエヴァンズの写真には、1930年代の農村生活という具体的な歴史があります。レヴィーンの再撮影はその歴史を消してしまうためだけに存在するものとして単純化できません。写真が後世にどのように受け渡されるかという問題も見えてきます。(参照:メトロポリタン美術館|レヴィーン《After Walker Evans: 2》)

同じ画像が並ぶと、作者は誰になるのか

エヴァンズの写真とレヴィーンの再撮影は、画面に写っている人物や構図がほぼ同じです。そのため、写真を見ただけでは二人の制作を区別しにくい場合があります。作者の名前と作品の来歴が、意味を考えるための重要な情報になります。写真が複数のプリントや出版物として流通する媒体であることも、この問いを複雑にしています。

レヴィーンが選んだのは、当時すでに写真史の中で高く評価されていた作家の画像でした。誰を偉大な写真家として称えるのか、同じ画像を使う行為がどのような意味を持つのか。こうした問題は、女性芸術家による男性中心の美術史への批評としても読まれてきました。作品の価値は見た目の独創性だけから説明できるものなのかという問いが、目の前の写真を通じて生まれます。

作品名に含まれる「After」は、誰かの作品をもとにしたことを示す美術史上の慣習とも重なります。題名が元の作者との関係を明示するため、鑑賞者は複製されていることを前提に写真を見るようになります。(参照:メトロポリタン美術館|レヴィーン《After Walker Evans: 2》)

ルイーズ・ローラーは美術品の置かれ方を写した

美術館や収集家の家が写真の主題になる

ルイーズ・ローラーは、他の芸術家の作品がどのように展示され、保管され、所有されるかを写真にしました。近代美術の名作を正面から撮って、その造形だけを紹介する図版とは違います。彼女の画面には、作品の周囲にある家具、壁、照明、別の作品、室内の調度品まで入り込みます。美術品は置かれる場所によって異なる関係を持つことが、画面の中で分かるようになります。

例えば美術館で作品を見るとき、鑑賞者は周囲の壁や展示台を背景として意識から外してしまいがちです。個人宅に飾られると、作品は生活用品や家具と同じ空間に存在します。ローラーは、その環境を作品から切り離さずに写しました。美術館や市場が作品の価値を伝える仕組みも、撮影できる具体的な現実として示されます。見る人は名作だけでなく、それを見せる条件へ関心を向けるようになります。

収集家の部屋に飾られる作品は、照明や家具との組み合わせの中で毎日の生活に入り込みます。その位置関係は、通常の美術館の図録写真では伝わりにくいものです。ローラーはこの生活環境を画像の主題へ取り込みました。(参照:ニューヨーク近代美術館|ローラーと作品の展示・流通)

1984年《Pollock and Tureen》の組み合わせ

1984年、ローラーはアメリカの収集家バートン・トレメイン夫妻の自宅で《Pollock and Tureen》を撮影しました。ジャクソン・ポロックの絵画のそばに、室内の陶器の器が置かれています。絵画の力強い筆触と器の装飾模様が同じ写真の中で関係づけられ、ふだん美術館でポロックを見るときとは異なる印象を生みます。

写真に写る配置は、作品を所有する人の生活と好みを反映しています。美術品が市場を通して人の手に渡り、実際の部屋の中で飾られることも、その作品の社会的な歴史の一部です。ローラーは有名な絵画に別の意味を無理に書き加える代わりに、隣にある器との関係を撮影しました。作品の置かれ方を少し変えて見るだけで、美術館で当然だと思っていた展示の形式が再検討されます。

ポロックの絵画の筆触を見ようとしていた視線が、隣の器の細かい模様へ移ると、名作を鑑賞する行為も室内の配置によって方向づけられることに気づきます。見ることを組織する仕組みが、写真の中に現れています。(参照:メトロポリタン美術館|ローラー《Pollock and Tureen》)

芸術作品も流通するイメージである

美術館の所蔵品は、図録、ポスター、展覧会案内、オークションの写真などを通じて何度も再生産されます。多くの人は実物を見るより前に、教科書や画面に掲載された作品の画像を知っています。ローラーの写真は、芸術作品もこうしたイメージの流通から独立して存在しているわけではないと考える手がかりになります。

どの作品が誰の家にあるのか、どのような展示室で見せられるのかという情報は、作品の社会的な価値に影響します。ローラーの仕事は美術館の制度を検討する美術とも接点を持ちながら、ピクチャーズ世代の関心である画像の流通を美術の世界へ向けました。商品広告を扱うプリンスの方法と並べると、消費される画像の仕組みが美術館の内部にも存在することが理解できます。

作品がどのような経路で所有者のもとへ届いたかは、画面にすべて写るわけではありません。それでもローラーが撮影した室内は、美術品が社会の中で流通し、ある場所へ収まっているという事実を強く意識させます。(参照:メトロポリタン美術館|ローラー《Pollock and Tureen》)

バーバラ・クルーガーが写真へ言葉を重ねた

雑誌デザインで培った視覚表現

バーバラ・クルーガーは雑誌や出版物のデザインに携わった経験を持ち、1980年代初頭から既存の写真と短い言葉を組み合わせる作品を発表しました。広告やポスターのような強い文字と、出典を特定しにくい写真が一つの画面で結びつきます。すぐに読める短い文章は見る人へ直接働きかけ、写真を眺めることが言葉に呼びかけられる体験へ変わります。

商業広告は、商品の良さを素早く伝えるために写真と文章を組み合わせます。クルーガーは似た視覚的な方法を使いながら、見る側と見られる側の関係、社会の中で誰が話す権利を持つのかという問題へ向けました。強い文字と写真が結びつくと、どちらかだけでは生まれない緊張が生じます。デザインの技術そのものを、社会で流通するイメージの仕組みを考えるために活用したのです。

広告を読む人は普通、文字の送り手を商品の提供者だと考えます。クルーガーの作品では、誰が発言しているのかが簡単には決まりません。広告の視覚言語を利用することで、見る人が無意識に引き受けていた立場を揺さぶります。(参照:ナショナル・ギャラリー|バーバラ・クルーガーの1980年代の作品)

1981年《You Are Not Yourself》の割れた像

1981年の《Untitled (You Are Not Yourself)》では、壊れた鏡のように分割された女性の像と、鑑賞者へ直接語りかける文章が組み合わされています。写真に写っている身体が一つにまとまらず、文字の「あなた」という言葉も誰を指すのか決まっていません。画面を見ている人は、写真の人物に向けられた言葉なのか、自分自身が呼ばれているのかを考えることになります。

他人の写真を見る経験は、普通なら鑑賞者が外側から対象を眺める形になります。クルーガーの作品では、言葉がその位置を変えます。「あなた」という呼びかけによって、見る人自身が画像の問題へ引き込まれます。男性と女性の役割、身体の見え方、広告による同一化など、多くの問題が短い文章から広がります。画面の読み方を一つに定めず、見る人がどのような立場で画像に向き合うのかを問いかけます。

割れた鏡のような画面は、人物を一つの統一された姿として示す肖像写真と異なっています。見た目の分断と言葉の意味が重なり、他者がつくった「自分らしい姿」のイメージについて考えることができます。(参照:メトロポリタン美術館|《You Are Not Yourself》)

《Your gaze hits the side of my face》と視線

《Untitled (Your gaze hits the side of my face)》では、横顔の像に「あなたの視線が私の顔の側面を打つ」という意味の文章が重ねられます。ナショナル・ギャラリーの資料には1981年の貼り込み原稿と1983年版が記録されています。作品は、見るという行為が誰と誰の関係の中で起こるのかを、写真と文字を使って考えさせます。

視線は一方的に対象を眺める行為として経験されることがあります。この作品では、見られている側からの言葉が画面に現れ、鑑賞者の位置が揺らぎます。映画や広告で女性の身体がどのように扱われてきたのかという議論ともつながります。制作と版の年を区別しておくと、クルーガーの写真と言葉の表現が、1980年代初頭に段階的に展開した経緯も理解しやすくなります。

「あなたの視線」という言葉は、画像の中の人物から鑑賞者へ向けられた声としても読めます。見る人が作品の外側に安全な位置を保てるとは限らないという感覚が、短い文章によって生まれます。(参照:ナショナル・ギャラリー|バーバラ・クルーガーの1980年代の作品)

ロバート・ロンゴが写真から描いた身体

1977年《The American Soldier》の像

ロバート・ロンゴは1977年の《Pictures》展に参加した作家です。同年の《The American Soldier》では、映画に由来する印象的な人物像をもとに、エナメルで彩色したアルミニウムのレリーフを制作しました。映画の一場面にある緊迫した瞬間を取り出すことで、動いている物語を静止した形へ変えています。立体作品でありながら、もとになった画像の存在が重要な役割を持ちます。

映画の中なら一瞬で過ぎ去る人物の動きが、レリーフでは何度も見られる姿として残ります。見る人は人物が何をしているのかを想像しますが、その場面の全体を知ることはできません。元の物語から外された像は、別の状況へ変換されます。ロンゴの仕事は、写真や映画のイメージを絵画や彫刻へ移す方法が、ピクチャーズ世代の初期から重要であったことを示しています。

一つの人物像をレリーフへ変換すると、平らな写真が実際の壁に奥行きを持った物として現れます。この転換によって、元の映画が持つ動きの記憶と、目の前の立体作品の静止した状態が同時に感じられます。(参照:メトロポリタン美術館|ロンゴ《The American Soldier》)

《Men in the Cities》の不自然なポーズ

ロンゴの《Men in the Cities》は1978年から1983年にかけて制作された連作です。スーツやドレスを着た男女が身体を大きく反らし、倒れそうになり、何かを避けるように腕を動かしています。白い背景から切り離された人物像は、映画のクライマックスを止めたようにも見えます。ホイットニー美術館には1981年の代表的な素描が所蔵されています。

身体の動きには強い緊張がありますが、何が起きたのかを知らせる背景がありません。見る人は事故やダンス、暴力的な出来事など、異なる物語を想像できます。人物が画面から浮かび上がるように見えるのは、写真的な陰影を活かした素描の表現によるものです。生身の身体に起きた一瞬を、撮影と拡大によって繰り返し鑑賞できる像へ変えたことに、この連作の特徴があります。

どの人物にも名前や出来事を詳しく示す説明がないため、連作の男女は個人の肖像であると同時に、映画で見覚えのある身体の型として受け取られます。物語を知っているような印象と、物語を確定できない感覚が残ります。(参照:ホイットニー美術館|ロンゴ《Men in the Cities》)

友人を撮影し、巨大な素描へ変換する

ホイットニー美術館の解説によると、ロンゴは友人や近隣の人々に動いてもらい、その姿をカメラで撮影して《Men in the Cities》の制作に利用しました。予想外の動きを引き出すため、テニスボールを投げることもあったとされています。写真に残された姿勢をもとに、投影装置も使いながら、大画面の素描として描き直しました。

この制作には実際の身体、写真、素描という異なる段階があります。最終的な画面は手で描かれていても、身体の姿勢を決める過程にカメラが関わっています。写真を絵画の下絵に使う行為は以前から存在しました。ロンゴの場合、像を演出し、一瞬を切り出し、映画のような身体を再構成する過程が作品の意味につながっています。写真と素描の間をイメージが移動することも、世代の重要な特徴です。

写真を投影して拡大する過程では、カメラが捉えた瞬間を何度もなぞることができます。身体の一瞬の動きが、長い制作時間をかけて大きな紙面へ描き直される点も、作品の成り立ちとして興味深いところです。(参照:ホイットニー美術館|ロンゴ《Men in the Cities》)

映像を切り直すダラ・バーンバウム

テレビドラマの映像を編集する

ダラ・バーンバウムは1970年代後半、テレビから取り出した映像を再編集する作品を制作しました。映画館で上映される作品と違い、家庭のテレビ番組は毎日の生活の中で繰り返し視聴されます。テレビドラマでは登場人物の性格や役割を、短い場面の連なりによって伝えます。バーンバウムは、完成した番組の映像を自分の編集によって繰り返したり、順序を変えたりして、その仕組みを鑑賞者へ見せました。

この方法では、新しく俳優を呼んで撮影する必要がありません。放送された映像が材料になります。音声や映像の繰り返し方を変えると、普段は物語の流れに紛れている身振りが目立ちます。テレビで当然のように繰り返されてきた人物像が、どのように組み立てられているかを考えるために、映像の編集が有効な手段となりました。写真の再撮影と同時代に、動く画像を引用する方法も進んでいたのです。

テレビ番組に含まれる多くの場面から同じ動作だけを選んでつなげると、物語の前後関係は弱まり、反復される身振りが強く残ります。見る人が番組に慣れているほど、編集の違いを感じやすくなる作品です。(参照:ニューヨーク近代美術館|バーンバウムの作品一覧)

《Technology/Transformation: Wonder Woman》

1978〜79年の《Technology/Transformation: Wonder Woman》は、テレビ番組『ワンダーウーマン』の映像を用いた作品です。主人公が変身する場面を繰り返したり、番組の映像を別のリズムでつないだりすることで、女性の姿がどのように作られているのかを浮かび上がらせます。ニューヨーク近代美術館の記録では、音声を伴う約5分50秒のカラー映像として所蔵されています。

物語を追っているときには、変身場面はスーパーヒーローが活躍するための準備として流れていきます。繰り返し見せられると、女性の姿を別の役割へ切り替える仕掛けそのものが目立ちます。番組が描く女性の強さと、当時社会で期待された女性像との関係を考えさせる作品です。バーンバウムの方法は、映像の一部分を選んで反復するだけでも意味が大きく動くことを示しています。

主人公の姿が入れ替わる瞬間を繰り返すことで、女性の役割を切り替える映像の仕組みが分かりやすくなります。バーンバウムの編集は、映像の内容を説明する批評文とは異なる方法で、番組の形式自体を観察させました。(参照:ニューヨーク近代美術館|バーンバウム《Technology/Transformation》)

テレビの視聴者に映像を返す

ニューヨーク近代美術館は、《Technology/Transformation: Wonder Woman》がニューヨークのソーホー地区にある美容室の店先でも展示されたことを紹介しています。テレビ番組を見慣れた人が、日常の買い物や通行の途中で、編集し直された映像に出会う場面が生まれました。美術館へ行く予定のない人にも作品を見せる方法が試されていたのです。

誰が映像をつくり、誰が一方的に見るのかという関係を考えると、この展示方法は意味を持ちます。番組をただ視聴する経験と、番組の仕組みが露出した映像に立ち止まる経験では、見る側の意識が変わる可能性があります。写真の引用と同様、バーンバウムの映像も既成の情報を社会へ送り返す試みでした。作品を映す場所そのものが、批評の方法に関わることを示しています。

店先という展示場所では、作品に立ち止まるかどうかも通行人の判断に委ねられます。映像を社会へ戻す方法は、美術館の展示室と日常の情報環境との距離について考えるきっかけになります。(参照:ニューヨーク近代美術館|バーンバウム《Technology/Transformation》)

小さな人形や模型から作られた写真

ローリー・シモンズの人形の家

ローリー・シモンズは、家や台所を模した小さな模型や人形を撮影しました。1978年の《Purple Woman/Kitchen/Second View》では、色彩のある小さな室内と人物が写真の題材になります。現実の住宅を訪問して撮影した記録のように見えても、画面に写る空間は作られた模型です。メトロポリタン美術館は、この連作が1970年代の従来の写真表現から大きく異なる方向を示したと説明しています。

人形の家は子どもの遊び道具として親しまれます。その小さな家具の配置には、誰が台所に立ち、誰がどこに座るかという家庭生活の型が反映されています。シモンズは縮小された空間を撮影することで、私たちが理想の家庭として学んできたイメージを見える形にしました。写真の中の家が作り物だと分かっても、そこで営まれる暮らしを思い浮かべることができます。

模型の台所に写る人形は、実際の労働や生活の動きを持っていません。その静止した姿が、家庭の役割を無言で示す記号のように見えてきます。小さな模型の持つ人工性が、写真の中でも消えずに残されています。(参照:メトロポリタン美術館|シモンズ《Purple Woman/Kitchen/Second View》)

家庭の記憶と作り物の世界

模型をカメラで撮影すると、実物の大きさが分かりにくくなることがあります。小さな台所の写真が、照明や構図によって実在の部屋のように見える場合もあります。シモンズの作品はこの性質を利用し、見慣れた家庭のイメージを奇妙な舞台へ変えます。人形が動かないことや表情を持たないことが、家庭の理想像に含まれる不自由さを感じさせる場合もあるでしょう。

ここで作品の中心になるのは、模型の工作技術だけではありません。作られた世界を写真にすると、実際の世界を記録した写真と見た目が近づくという点です。家庭の風景そのものが、映画や広告で反復されるイメージから影響を受けていることも見えてきます。シャーマンが自分の身体を演じた方法と比べると、シモンズは小さな人形と舞台によって似た問いへ向かっていたことが分かります。

撮影に使われた模型を知らずに写真だけを見れば、実物の住宅だと思うことがあるかもしれません。画像を読む際に撮影された物の大きさや素材を知ることが、どれほど意味を変えるかを示す例です。(参照:メトロポリタン美術館|シモンズ《Purple Woman/Kitchen/Second View》)

ジェームズ・ケイスビアの舞台セット

ジェームズ・ケイスビアは、建築の模型を自分でつくり、それを撮影する方法を進めました。1982年の《Subdivision with Spotlight》は、強い光に照らされた住宅地のような場面を写しています。実際の郊外を撮った風景写真のようにも見えますが、画面に写る場所は撮影のために組み立てられた小さな空間です。作品には、現実の場所を記録しているように感じさせる写真の性質が使われています。

少し離れて写真を見ると、建物の影や夜の光が物語の舞台を思い起こさせます。近づいて考えると、その場所には住人がいないことや、奇妙に整った構成が意識されるかもしれません。ニュー・トポグラフィックスの写真家が実際の郊外を撮影したのと比べると、ケイスビアは似た風景を模型でつくることで、写真の真実らしさを調べました。同じ住宅地の像でも、制作の条件によって意味が変わります。

《Subdivision with Spotlight》の強い照明は、映画のセットを思わせる効果を生みます。現実の風景を写す写真と、撮影のために風景をつくる写真とを比較すると、写真が「本当にあった場所」を示すという前提を考え直せます。(参照:メトロポリタン美術館|ケイスビア《Subdivision with Spotlight》)

絵画や写真の中で、引用を使う作家たち

デイヴィッド・サーレの重ねられたイメージ

デイヴィッド・サーレは1980年代初頭から、広告や映画、雑誌などに由来する複数のイメージを一つの画面へ組み合わせる絵画を発表しました。人物像、物の輪郭、印刷物を思わせる場面が重なり、一つの連続した物語にはまとまりません。鑑賞者はそれぞれの画像を見たことがあるように感じても、全体を一つの場面として説明することが難しくなります。

サーレの仕事は、ピクチャーズ世代の画像の引用を絵画へ広げた例として語られてきました。彼自身はその世代への分類を受け入れていないことも、後年のメトロポリタン美術館の資料に記録されています。作家が自分の制作をどう位置づけるかと、美術史が共通性を見いだすことは、必ずしも一致しません。この違いを踏まえると、運動名に作品を従わせることなく、実際の表現に目を向けられます。

サーレの絵画では、異なる出典を持つイメージが同じ画面に共存します。鑑賞者は個々の図像を認識しようとしますが、すべてを一つの物語にまとめることは難しく、その不安定な関係自体が作品の特徴となっています。(参照:メトロポリタン美術館|デイヴィッド・サーレの作品と世代区分)

ジェームズ・ウェリングと写真の見え方

ジェームズ・ウェリングは、写真の素材と画面の印象に関心を持ちながら制作を展開しました。メトロポリタン美術館には1980年の《April 1980》など、初期の白黒写真が所蔵されています。同館の2009年展では、ウェリングもピクチャーズ世代に含めて紹介されました。人や商品が写っている広告だけを使う作家とは異なり、写真という媒体そのものの見え方を追究した例として考えられます。

写真はカメラの前にあったものを示すだけでなく、光の当たり方や印画紙の性質、画面の大きさによって異なる経験をつくります。既存のイメージを引用することがこの世代の大きな特徴であっても、すべての作家の方法を同じ言葉にまとめられるわけではありません。ウェリングの存在は、写真の表面とイメージの意味をめぐる実験が、当時の同じ環境の中で広がっていたことを示します。

同じ世代に含まれる写真家でも、人物像の意味を扱う人と、写真の表面や構成を扱う人では関心が異なります。ウェリングの作品を加えると、世代名が一つの様式を指すものではないことが具体的に分かります。(参照:メトロポリタン美術館|ウェリング《April 1980》)

アラン・マッカラムと絵画の形

アラン・マッカラムは、絵画が展示室で一つの価値ある物として扱われる仕組みに目を向けました。作品の中には、額に収められた絵画の姿を思わせながら、具体的な図像を持たないものが含まれます。そこでは何が描かれているかと同時に、額や展示の形によって「絵画らしいもの」が成立することが問題になります。

メトロポリタン美術館の2009年展にもマッカラムは含まれていました。ピクチャーズ世代の歴史には、映画の場面や広告の写真をそのまま引用する方法に加え、美術作品の外形そのものを反復する方法も存在します。絵画を絵画として識別する条件を観察すると、美術館でどのようなものを作品だと認めるのかという制度の問題にもつながります。

額のような形が繰り返されると、何が描かれているかより、それが「絵画」として扱われるための条件が意識されます。美術館でいつも見ている展示の形そのものを観察する視点へとつながります。(参照:メトロポリタン美術館|《ピクチャーズ・ジェネレーション》展)

引用という制作方法は、何を変えたのか

イメージを借りる「アプロプリエーション」

既存の写真や映像を作品へ取り込む方法は、「アプロプリエーション」と呼ばれます。日本語では引用、流用、転用などと説明されます。ピクチャーズ世代の作品では、広告を撮り直す、映画の場面を演じ直す、有名な写真を複製するなど、異なる操作が行われました。共通するのは、すでに他の文脈で意味を持っていた画像を、新しい作品の中に置くという点です。

この方法が重要だったのは、既存の写真を使ったという事実だけに理由があるわけではありません。どの画像を選ぶか、元の説明をどれだけ残すか、どこで展示するかという判断によって、新しい意味が生まれます。プリンスの広告の写真と、レヴィーンの写真史上の名作とでは、元の画像が持つ権威も社会的な役割も異なります。同じ「引用」という言葉を使う場合も、それぞれの作品が何を問いかけているのかを確認する必要があります。

引用された画像を元の資料と並べて確認できれば、作家が何を変えたのかをより具体的に理解できます。作品の成立過程を知ることは、見慣れた写真をただ鑑賞する経験とは異なる、注意深い見方を生み出します。(参照:メトロポリタン美術館|《Pictures, Revisited》)

「自分で撮った写真」という作者の考え

写真家が作品をつくると聞くと、現地でカメラを構え、撮影し、印画紙へプリントする過程を思い浮かべるでしょう。ピクチャーズ世代では、すでに印刷された写真を再び撮る人や、出演者のように自分を演じる人、他者の写真を再配置する人が現れました。作品を成立させる行為には、撮影前の演出や資料を選ぶ作業、展示を決める判断なども含まれるようになります。

この変化を理解すると、作品の作者とは誰かという問いが単純でないことが分かります。画像が最初につくられたときの撮影者と、それを選んで別の作品をつくった作家は異なる場合があります。作品の価値を写真の見た目だけで判断しようとすると、こうした制作の過程が見えにくくなります。芸術家の創造性が、何を描いたかだけでなく、何を選び、どう提示したかにも関わることが明確になりました。

作品の図像を考案した人、カメラで撮った人、後に選び直した人が異なる場合もあります。作者の仕事を一つの動作に限定せず、作品を社会へ提示するまでのさまざまな判断として理解することができます。(参照:メトロポリタン美術館|レヴィーン《After Walker Evans: 2》)

芸術的評価と著作権の問題

他者がつくった写真や映像を作品へ取り入れると、画像の権利を誰が持つのかという法的な問題も生じます。批評としての意味があることと、その利用方法が法律上認められることは、別々の観点から検討されます。引用の方法が進むにつれ、美術界では作者の独創性、作品の所有、複製の価値などを改めて議論するようになりました。

1977年から1984年までの作品を読むときには、現在の法的な判断を過去の作家にそのまま当てはめるより、当時どのような制作方法が現れたのかを理解することが先になります。誰かの写真を用いる理由が、消費社会の批判、美術史の再検討、女性像の分析などによって異なることも押さえたい点です。美術史上の重要性と著作権をめぐる問題を整理することで、引用という方法の複雑さを適切に理解できます。

複製を使う作品には、元の画像がどこから来たかを確認する作業が伴います。美術館が作品を紹介するときにも、撮影者、出典、版の制作年などを整理することが、歴史を正確に伝える条件になります。(参照:メトロポリタン美術館|《Pictures, Revisited》)

女性像、消費社会、美術館への問い

シャーマンとクルーガーが示した女性の像

シンディ・シャーマンの写真には、映画で繰り返し見られてきた女性役が登場します。バーバラ・クルーガーは、女性の写真へ短い言葉を重ねて、誰が見る側にいるのかを問いかけました。二人の作品は見た目も制作方法も異なりますが、社会で流通する女性の姿がどのように形づくられてきたかに関心を持っています。1970年代のフェミニスト・アートと接点のある問題です。

前の時代の芸術家たちは、女性が作品を発表する機会や家庭生活を表現する方法を問い直しました。ピクチャーズ世代では、映画や広告に登場する女性像そのものを見つめる表現が強く現れます。社会で知られた役柄を演じることと、写真の中での視線の関係を変えることは、どちらも日常のイメージへ働きかける方法です。作品を一つの政治的な主張へ整理するより、具体的な表現の違いを追うと議論の深さが分かります。

シャーマンの役柄には映画の物語を想像させる魅力があり、クルーガーの言葉には見る人の立場を変える力があります。二人を同じ立場としてまとめるより、画像をどのように扱ったのかという方法の違いに目を向けると理解が深まります。(参照:ニューヨーク近代美術館|シャーマン《無題のフィルム・スチル #21》)

広告への憧れと違和感が同居する

リチャード・プリンスの再撮影では、広告に写る人物や商品が魅力的に見える感覚が残ります。写真を商品説明から切り離した後でも、人々が憧れるように組み立てられた画面の力は消えません。プリンスが関心を向けたのは、広告を批判するときにも私たちがその魅力の影響を受けているという複雑な状況でした。

広告は見る人に買いたいという気持ちを持たせるために、人物や場所、光を選びます。写真が現実を写していても、画像全体は目的に合わせて構成されています。このことを再撮影によって示す方法は、広告の嘘を一つ見つけるという作業と異なります。鑑賞者が自分自身の経験を持ち込んで、なぜその写真に心が動くのかを考えるようにするのです。画像が社会で果たす役割を、見る側の感情まで含めて扱った点が重要です。

私たちは広告の人物像が演出されていると知っていても、そこに表された生活へ憧れを持つ場合があります。その複雑な感情が残ることも、商業写真の強さです。プリンスは、その見慣れた魅力を新しい鑑賞の対象にしました。(参照:メトロポリタン美術館|プリンスの広告写真再撮影)

美術館で見る名作も、見せ方によって変わる

ルイーズ・ローラーは、美術作品の置かれた空間を撮影し、名作の価値を伝える展示の仕組みへ注意を向けました。レヴィーンは名作写真を複製し、誰が作品の作者とされるのかを問い直しました。二人は美術作品そのものを扱いながら、作品を選び、保管し、展示してきた制度も検討しています。

美術館は過去の名作を多くの人へ伝えるために重要な役割を担っています。同時に、どの作品を集め、どの順序で展示するかという判断を行っています。ローラーの写真に収められた部屋や、レヴィーンが再撮影した古典的な写真は、鑑賞者が当たり前と思っていた条件を考えさせます。ピクチャーズ世代は、広告やテレビから美術館まで、イメージを支えるさまざまな場を制作の対象へ取り込みました。

作品をいつ、どこで見たかという経験は、作品への印象に影響します。ローラーやレヴィーンが示した問題は、名作の価値を決める仕組みを考えるときにも、画像の出典を調べるときにも重要になります。(参照:メトロポリタン美術館|ローラー《Pollock and Tureen》)

1984年までに何が変わり、その後に何が残ったのか

写真から絵画、映像へ広がる制作

1977年の《Pictures》展から1984年頃までのあいだに、既存のイメージを取り込む方法は写真、映像、絵画、立体作品へ広がりました。ゴールドスタインは映画や音を扱い、ロンゴは写真を介して巨大な素描を制作し、バーンバウムはテレビ映像を再編集しました。シャーマンは映画の人物像を演じ、チャールズワースは新聞の編集を可視化しました。どれも同じ見た目を目指した作品ではありません。

異なる媒体を使いながら共有されたのは、イメージが私たちの生活に先立って意味を持っているという感覚です。目の前の風景を新しく写すことも引き続き写真の重要な仕事でした。同時期には、既存の写真がつくられ、選ばれ、流通する過程を研究する美術も発展しています。1970年代の美術が扱ってきた作品の条件への問いが、一般の人々に身近な画像と強く結びつくようになりました。

1984年という区切りは、一つの集団が解散した年を示すものではありません。1977年の展覧会以降に生まれた仕事が、大きな市場や美術館の文脈でも注目される段階に入った歴史的な目安として考えられます。(参照:メトロポリタン美術館|《ピクチャーズ・ジェネレーション》展)

新しい絵画とポストモダン美術の議論

1980年代には、写真や引用によって得られたイメージを絵画へ重ねる作家たちも注目されました。デイヴィッド・サーレは絵画の中で複数の図像を組み合わせ、ロンゴも絵画や素描を横断して制作を進めました。こうした作品は、近代美術で重視されてきた独創性や作者の個性を、別の角度から考えるきっかけになります。

後年、この世代はポストモダン美術を説明する代表的な事例の一つとして紹介されました。美術の歴史がある時点で突然切り替わったと考えるより、先行するポップ・アートや概念芸術から引き継いだ問題が、映画や広告を扱う実践を通して展開したと理解する方が自然です。新たな様式が一つ成立したというより、作品に使える材料と方法、そして作者を考える枠組みが大きく広がりました。

写真が絵画の材料になることは、絵画の技術が失われたことを意味しません。作家は自分の手で描く行為と、すでに流通している画像を選ぶ行為の両方を制作に取り込み、画面の新しい構成を試みました。(参照:メトロポリタン美術館|ピクチャーズ世代の美術史)

「世代」という名前をどう理解すればよいのか

1977年の《Pictures》展は、5人の作家が参加した具体的な展覧会でした。2009年のメトロポリタン美術館の回顧展は、30人の作家を含め、1974年から1984年までの歴史として再構成しています。こうした後年の研究によって、ピクチャーズ世代という名称は広く使われるようになりました。作家本人の自己認識と、美術館がまとめた歴史の範囲には違いがあることも、重要な事実です。

この世代が美術史に残した大きな変化は、写真や映画を日常で見る経験そのものを芸術の問いへ変えたことです。広告を見て感じる憧れ、映画に登場する人物像、美術館で知った名作のイメージは、どれも自然に与えられたもののように見えます。作家たちは、その画像を選び直し、複製し、演じ、別の場所へ置くことで、見慣れたものがどのように意味を持つのかを考えさせました。今日の画像に満ちた生活を振り返るうえでも、重要な手がかりとなります。

後世に整理された名称を便利な手がかりとして使いながら、作家の個々の作品を確かめることが大切です。最初の展覧会で何が展示されたのか、後年に誰が同じ世代へ含められたのかを分けて考えると、歴史の輪郭がより鮮明になります。(参照:メトロポリタン美術館|《Pictures, Revisited》)

略年表

以下は、1970年代半ばの作家間の交流から1984年の展開まで、主な出来事と作品の制作年を年代順に整理したものです。年のみが確認できる出来事は、月日の特定を避けています。

  • 1974年末 バッファローでホールウォールズが形成され、若い芸術家の自主的な活動拠点となる。
  • 1975年 ジャック・ゴールドスタインが映画《MGM》を制作する。
  • 1975年 ホールウォールズで展覧会・上映・交流の活動が広がる。
  • 1976年 ゴールドスタインが《The Pull》と効果音レコードの連作を制作する。
  • 1976年11月 ニューヨークのアーティスツ・スペースで《Hallwalls at Artists Space》が開催される。
  • 1977年 シンディ・シャーマンが《Untitled Film Stills》の制作を始める。
  • 1977年頃 リチャード・プリンスが広告写真の再撮影を始める。
  • 1977年 サラ・チャールズワースが《Modern History》の制作を始める。
  • 1977年9月24日 ダグラス・クリンプ企画の《Pictures》展がアーティスツ・スペースで開幕する。
  • 1977年10月29日 《Pictures》展が閉幕する。
  • 1977年 ロバート・ロンゴが《The American Soldier》を制作する。
  • 1978年 シンディ・シャーマンが《Untitled Film Still #21》を制作する。
  • 1978年 ローリー・シモンズが《Purple Woman/Kitchen/Second View》を制作する。
  • 1978年 サラ・チャールズワースが《April 21, 1978》を制作する。
  • 1978–1979年 ダラ・バーンバウムが《Technology/Transformation: Wonder Woman》を制作する。
  • 1979年 ダグラス・クリンプの論考「Pictures」が雑誌『October』に掲載される。
  • 1979年6月21日 チャールズワースが同日付の新聞27紙を比較する《Movie-Television-News-History》を制作する。
  • 1979年 シェリー・レヴィーンが《Untitled (President: 4)》を制作する。
  • 1980年 シャーマンの《Untitled Film Stills》の制作が終了する。
  • 1981年 レヴィーンが《After Walker Evans》を発表する。
  • 1981年 クルーガーが《You Are Not Yourself》を制作する。
  • 1981年 ロンゴが《Men in the Cities》の一作《Untitled》を制作する。
  • 1982年 ジェームズ・ケイスビアが《Subdivision with Spotlight》を制作する。
  • 1983年 《Men in the Cities》の制作期間が一区切りとなる。
  • 1984年 ルイーズ・ローラーが《Pollock and Tureen》を撮影する。

まとめ — イメージを見直す芸術が残したもの

1977年の《Pictures》展に参加した5人は、映画、版画、レリーフ、素描、レコードなどを使い、よく知っているようで意味を決めきれないイメージを示しました。同じ時代にシャーマンは存在しない映画の場面を演じ、チャールズワースは新聞の紙面を再編集し、プリンスやレヴィーンは既存の写真を撮り直しました。素材と方法は異なっていても、画像をつくることと、画像によって社会がどのように見えているのかを考えることが結びついています。

この流れは写真の表現を大きく広げ、テレビ映像や素描、絵画、美術館の展示空間まで対象としました。クルーガーは写真と言葉を使って鑑賞者へ語りかけ、バーンバウムはテレビ番組の映像を編集して既成の女性像を問い直し、ローラーは名作が置かれた部屋そのものを撮影しました。何を作品として示し、誰がその意味を決めるのかという問題が、作品の外見と発表の仕組みの両方から考えられるようになります。

ピクチャーズ世代の歴史は、1977年の出品者と後年の幅広い作家群を区別することで、より正確に理解できます。2009年のメトロポリタン美術館の回顧展も、一つの時代を後から研究し直した重要な節目です。今日、私たちは写真や動画を画面で日々見ています。その画像が誰に選ばれ、どのように編集され、なぜ自分にとって自然なものに見えるのか。1970年代後半の作家たちが始めた問いは、現在の視覚文化を読むときにも役立ちます。

参考資料・出典

本記事は、展覧会の開催記録、美術館の所蔵作品解説、作家の制作に関する研究資料を参照し、ART LIBRARYが構成しました。1977年の《Pictures》展の参加者と、後年に形成された「ピクチャーズ世代」の範囲を区別しています。各小節末尾には、その内容を確認するための資料を示しています。

資料確認日:2026年10月15日 / ART LIBRARY