Art Library
Art History

1977–1984

Pictures Generation

写真、引用、メディア・イメージ

1970年代後半、アメリカの若い作家たちは、世界を「直接見る」ことよりも、すでに映画、テレビ、広告、雑誌、新聞、写真、美術館を通して見ていることを強く意識するようになります。彼らが扱ったのは、新しい風景や新しい人物像だけではありません。どこかで見たことのある映画の一場面、商品広告、ニュース写真、名作写真、雑誌の女性像、既存の美術作品など、すでに社会の中を流通しているイメージそのものでした。

1977年、ニューヨークのArtists Spaceで批評家Douglas Crimpが企画した《Pictures》展が、この動きを可視化する重要な契機になります。出品したのはTroy Brauntuch、Jack Goldstein、Sherrie Levine、Robert Longo、Philip Smithの5人でした。現在「Pictures Generation」の代表として知られるCindy Sherman、Richard Prince、Barbara Kruger、Louise Lawlerらは、この展覧会には参加していません。後に同じ問題意識を持つより広い作家群が一つの世代として整理され、2009年のMetropolitan Museum of Artによる《The Pictures Generation, 1974–1984》で、その歴史像が大規模に再構成されました。

この世代にとって重要だったのは、写真を「現実を正確に写す透明な窓」と考えないことでした。写真も映画も広告も、何を見せ、何を隠し、どのような人物像や欲望を作るかという仕組みを持っています。そこで作家たちは、既存のイメージを引用し、切り取り、再撮影し、演出し、別の文脈へ置き直しました。新しいイメージをゼロから作ることより、すでに存在するイメージをどう選び、どうずらすかが制作になります。この「引用/流用(appropriation)」の方法は、1980年代以降の美術における作者性とオリジナリティの考え方を大きく変えることになります。

CONTENTS

  1. Pictures Generationは正式なグループではない
  2. テレビ、映画、広告に囲まれて育った世代
  3. Conceptual Artの後から出てきた「イメージ」
  4. John BaldessariとCalArts
  5. BuffaloのHallwalls
  6. 1977年《Pictures》展
  7. 最初の5人
  8. なぜ「Pictures」だったのか
  9. 具象絵画への単純な回帰ではない
  10. Jack Goldstein — 既成の映像と音
  11. MGMのライオンを切り離す
  12. 効果音をレコードにする
  13. 1976年《The Pull》
  14. 経験より先にイメージを知っている
  15. 1979年 Crimp「Pictures」
  16. 1977年の展覧会からより広い現象へ
  17. 写真だけの運動ではない
  18. Cindy Sherman — 存在しない映画のスチル
  19. 1977–80年《Untitled Film Stills》
  20. 自画像ではない
  21. 特定の映画ではなく「映画らしさ」を作る
  22. 女性像はどのように作られるのか
  23. 撮る人と撮られる人が同じでも作者性は単純ではない
  24. Sarah Charlesworth — 新聞から文章を消す
  25. 1977–79年《Modern History》
  26. 《April 21, 1978》
  27. 同じ出来事でも新聞によって見え方が変わる
  28. 「書く」のではなく「消す」
  29. 1979年《Movie-Television-News-History》
  30. Richard Prince — 広告をもう一度撮影する
  31. Time-Lifeで広告だけが残る
  32. 1977年 再撮影という方法
  33. 《Untitled (four single men…)》
  34. 切り取り、ぼかし、拡大、並べ替え
  35. 広告は現実を写しているのか
  36. Sherrie Levine — すでに有名な写真を撮り直す
  37. 1979年《President》
  38. 1981年《After Walker Evans》
  39. コピーした写真に作者はいるのか
  40. 近代写真の「巨匠」を引用する
  41. フェミニズムからの読解
  42. オリジナルとは何か
  43. Louise Lawler — 作品ではなく作品の置かれ方を撮る
  44. 美術作品も流通するイメージである
  45. 美術館、企業、個人宅で意味が変わる
  46. Barbara Kruger — 写真と言葉をぶつける
  47. 1981年《Untitled (Your gaze hits the side of my face)》
  48. 広告デザインの経験を美術へ反転する
  49. I / You / Weという代名詞
  50. 「見る人」も作品の外にはいない
  51. Robert Longo — 写真から巨大な身体像へ
  52. 《Men in the Cities》へ
  53. 写真を撮り、その像をdrawingへ変える
  54. 1980年代初頭、絵画へ戻る作家たち
  55. Pictures Generationを写真史だけにしない
  56. appropriationとは単なる盗用なのか
  57. 作者性を壊すのではなく再配置する
  58. 著作権と美術上の引用は同じ問題ではない
  59. Feminist Artとの接続
  60. 消費社会と欲望
  61. 鑑賞者はイメージにどう作られるのか
  62. 写真にとって何が変わったのか
  63. 絵画にとって何が変わったのか
  64. Postmodernismとの関係
  65. 「Pictures Generation」という歴史名は後から強くなった
  66. 2009年Metによる再構成
  67. この世代区分の限界
  68. 1977–1984年に何が変わったのか
  69. Pictures Generation以後
  70. 次の時代へ — Neo-Expressionismと絵画の再浮上
  71. 参考資料・出典

Pictures Generationは正式なグループではない

「Pictures Generation」という名称から、一つの宣言文を共有した正式な作家集団を想像すると実態から離れます。1977年の《Pictures》展には5人しか参加しておらず、Cindy Sherman、Richard Prince、Barbara Kruger、Louise Lawler、Sarah Charlesworthらは出品していませんでした。現在使われる「Pictures Generation」は、同じ時代に既存イメージ、写真、映画、広告、マスメディア、作者性をめぐる問題を扱った作家たちを、後から一つの歴史的なまとまりとして捉える名称です。

Metropolitan Museum of Artは2009年の大規模展で1974–84年を対象とし、30人の作家を紹介しました。この広い定義には写真だけでなく、絵画、彫刻、映像、音楽、パフォーマンスまで含まれます。したがって本記事でも、1977年の《Pictures》展そのものと、後に拡張された「Pictures Generation」という枠組みを区別して扱います。

テレビ、映画、広告に囲まれて育った世代

Metはこの作家群について、戦後アメリカの急速に拡大した消費文化、広告、映画、雑誌、テレビ、ポピュラー音楽に囲まれて育った世代だったと説明しています。彼らにとって写真や映像は、現実を後から記録するものではありません。現実について考える前から、人はすでに大量のイメージを見ています。

「都会の女性」「成功した男性」「美しい身体」「高級な生活」「アメリカらしさ」といった概念も、実際の経験だけから作られるわけではありません。広告や映画の反復によって、何が魅力的で、何が普通で、何を欲しがるべきかという感覚が形成されます。Pictures Generationは、このイメージ環境そのものを制作の材料にしました。

Conceptual Artの後から出てきた「イメージ」

この世代は1960年代のPop Artを単純に復活させたわけではありません。Metが強調するように、彼らの多くはMinimalismやConceptual Artの自己批評的な考え方の中で教育を受けていました。作品とは何か、作者とは何か、媒体とは何かという問いを学んだうえで、再び分かりやすいイメージへ戻ります。

そのため、映画スターや広告を使っていてもWarholとは問題設定が少し違います。Warholが大量生産されたイメージを反復して絵画へ持ち込んだ1960年代から約15年後、Pictures世代は「そもそも私たちはイメージを通さずに現実を見ることができるのか」という問題をさらに強く意識します。イメージは主題であるだけでなく、知覚を作る仕組みになります。

John BaldessariとCalArts

この系譜を理解するうえでJohn Baldessariの教育は重要です。BaldessariはCalifornia Institute of the Arts(CalArts)で教え、Jack Goldstein、James Welling、Matt Mullican、David Salleら後のPictures世代に大きな影響を与えました。MetはBaldessariを、映画スチルや雑誌写真など一般的なイメージを切り取り、再撮影し、組み合わせながら、イメージがどのように意味を作るかを問う先行者として位置づけています。

彼の授業では、上手な絵を描く技術だけでなく、なぜそのイメージを使うのか、文脈を変えると意味がどう変わるのかという問題が重視されました。Conceptual Artの思考法が、写真や映画の既存イメージへ接続される重要な場所でした。

BuffaloのHallwalls

もう一つの重要な場所がNew York州BuffaloのHallwallsです。1970年代半ば、Robert Longo、Charles Clough、Cindy Sherman、Michael Zwackら若い作家たちが、倉庫を使った自主的な展示・上映空間を作りました。Hallwallsの1975年の記録には、LongoとCloughがproject directorsとして記載され、Shermanらが活動に参加していたことが確認できます。

ここではgalleryに選ばれる前の若い作家たちが、自分たちで作品を見せ、映像やperformanceを上映し、他のartistを招きました。A.I.R. GalleryやWoman’s Buildingと同様、1970年代にはalternative spaceが新しい美術を生む重要な基盤になっていました。

1977年《Pictures》展

1977年9月24日から10月29日まで、New YorkのArtists Spaceで《Pictures》が開催されました。企画者はDouglas Crimp。Artists Spaceの記録によれば、Troy Brauntuch、Jack Goldstein、Sherrie Levine、Robert Longo、Philip Smithの5人が参加しました。

この展覧会が重要なのは、現在有名な作家を一度に紹介したからだけではありません。当時、MinimalismやConceptual Artの後に何が起きているのかまだ名前が定まっていない時点で、「イメージを使うこと」自体を新しい問題として抽出したからです。

最初の5人

5人の作品は同じ見た目ではありませんでした。Goldsteinは写真、短編映画、色付きレコードを使い、Levineは蛍光色とグラフ用紙による連作、Longoは着色されたアルミニウムのレリーフと映像、Brauntuchは複製を使った版画、Smithは複数の場面を組み合わせた大きなdrawingを展示しました。

つまり「写真を使う若手作家展」ではありません。異なる媒体を使いながら、すでに何らかの意味を帯びたイメージを取り上げ、その機能をずらすという共通点が見出されました。

なぜ「Pictures」だったのか

Crimpが選んだ「Pictures」という語は、paintingやphotographyのような媒体名ではありません。絵画でも写真でも映画でも、広告でも雑誌でも、何かを表す像であればpictureです。

この曖昧な言葉を使うことで、媒体の違いよりも「イメージがどのように表象するか」を問題にできます。1960年代の美術が絵画、彫刻、物体といった媒体の境界を崩した後、1970年代末には、その空白へ社会を満たしているイメージそのものが入ってきます。

具象絵画への単純な回帰ではない

Artists Spaceの当時の紹介文では、この展覧会における表象の復帰は、現実に似せる従来のrealismとは異なるものとして説明されました。重要なのは、何か「本物の対象」を正確に描くことではありません。

むしろ作家たちは、すでに一度表象されたものをもう一度扱います。映画の映像、印刷された写真、広告、新聞、既存作品。現実 → 作品という一段階ではなく、現実 → メディア・イメージ → 新しい作品という複数の層が入ります。

Jack Goldstein — 既成の映像と音

Jack GoldsteinはPictures Generationの形成で特に重要な作家です。CalArtsでBaldessariに学び、1970年代半ばから映画、写真、レコードなど複数の媒体を使いました。Metは彼を、Conceptual Art以後の若い作家たちをNew Yorkで結びつける中心人物の一人として位置づけています。

Goldsteinが扱ったのは、本人が撮影した個人的な経験よりも、映画や効果音のライブラリーからすでに存在する素材でした。作者は世界を観察して記録する人ではなく、既存の記録を選び直す人になります。

MGMのライオンを切り離す

1975年、GoldsteinはMGM映画の冒頭で知られる吠えるライオンの映像をもとに短編映画を作りました。Metの2009年展は、よく知られた映画会社の映像を背景から切り離し、赤い画面の中で繰り返す作品として紹介しています。

通常なら「これから映画が始まる」という合図であるlogoが、映画本編から切り離され、それだけを延々見る対象になります。脇役だった既成イメージが、選択と反復によって作品の中心へ移ります。

効果音をレコードにする

Goldsteinは1976年、犬の吠え声、竜巻、海、木が倒れる音など、既成の効果音を使った7インチレコードの連作を制作しました。Metによれば、これらは100組のeditionとして作られ、一部は1977年《Pictures》展にも出品されています。

音そのものにも「どこかで聞いたことがある」という記憶があります。実際の竜巻を聞いた経験がなくても、映画やテレビで使われる効果音によって「竜巻の音」を知っています。Pictures世代の問題は視覚だけではなく、媒介された経験全般へ広がっていました。

1976年《The Pull》

Met所蔵《The Pull》(1976)は、deep-sea diver、falling figure、spacemanという既存の印刷イメージを取り出し、それぞれ単色の背景へ小さく置いた三点組です。MetはこれをGoldsteinのcareerで唯一のphotographic workとし、1977年《Pictures》展に出品されたことを記録しています。

海底、落下、宇宙という極端な状況ですが、多くの鑑賞者はそれを実際に経験したことがありません。それでもimageを理解できるのは、映画や写真を通して似た場面をすでに学習しているからです。

経験より先にイメージを知っている

ここにPictures Generationの核心の一つがあります。ある出来事を経験し、その後に写真で思い出すのではなく、写真や映画によって「どのような出来事なのか」を先に知っている場合があります。

恋愛、恐怖、都会生活、戦争、宇宙、成功、女性らしさ、男性らしさ。多くの概念が、直接経験だけでなく既存イメージの蓄積によって形成されます。作家たちはその「二次的な現実」を扱い始めました。

1979年 Crimp「Pictures」

Crimpは1977年の展覧会catalogueに文章を書き、1979年春には雑誌『October』第8号で、より広い内容へ改稿した「Pictures」を発表しました。JSTORの記録では75–88頁に掲載されています。

1979年版は展覧会の5人だけを説明する文章ではなく、当時現れつつあったより広い表象の問題へ議論を拡張しました。この文章が後にPictures Generationを語る重要な理論的基盤になります。

1977年の展覧会からより広い現象へ

現在Pictures Generationの代表とされるShermanやPrinceは1977年展にいませんでした。にもかかわらず後世の歴史では中心人物になります。これはmovementが最初のexhibition listと同じではないことを示します。

作品が増え、批評が書かれ、美術館が回顧し、別の作家との関係が見えてくることでcategoryは変わります。美術史上の「世代」は、その時点のartist自身の自己認識だけでできるものではありません。

写真だけの運動ではない

この時代に写真が非常に重要だったことは確かですが、Pictures Generationを写真運動とだけ理解すると狭すぎます。Goldsteinは映画と音、LongoやSalleはdrawingやpainting、Dara Birnbaumはvideo、Barbara Krugerは写真と文字を使いました。

共通していたのは媒体ではなく、すでに社会を流通するイメージや記号が、私たちの現実認識へどう入り込んでいるかという問題です。写真はその問題を扱うもっとも強力な手段の一つでした。

Cindy Sherman — 存在しない映画のスチル

Cindy Shermanは1977年にNew Yorkへ移り、《Untitled Film Stills》を始めます。MoMAによれば、1977–80年に制作された69点のblack-and-white photographsからなる連作で、1995年に全点がMoMAへ収蔵されました。

作品にはSherman本人が写っていますが、普通の自画像とは異なります。彼女はwig、衣服、make-up、場所、小道具を変え、1950–60年代のHollywood映画、film noir、B movie、European art filmに登場しそうな「女性役」を演じました。

1977–80年《Untitled Film Stills》

各写真は、映画の宣伝用スチル写真のような小さなサイズと質感を持っています。都会へ出てきた若い女性、孤独なhousewife、starlet、librarianのように見える人物が、部屋、通り、駅、海辺などに立っています。

しかし元になった映画は存在しません。鑑賞者は「この映画を見たことがある気がする」と感じても、特定の作品名を思い出すことはできません。その曖昧な既視感が作品の中心です。

自画像ではない

MoMAは《Untitled Film Stills》について、Shermanが自分自身を撮影した作品ではあるがself-portraitとは考えられていないと明記しています。目的が「Cindy Shermanという個人の内面や人格を表すこと」ではないからです。

一人の身体を使って、社会の中ですでに作られている複数の女性像を演じ分けます。写真に写っているのはartistでありながら、artist本人ではない。このずれによってidentityが固定されたものではなく、衣服、姿勢、camera angle、場所によって作られるものとして見えてきます。

特定の映画ではなく「映画らしさ」を作る

Shermanの重要な点は、特定の女優や映画sceneを正確に再現していないことです。MoMAは、作品が1950–60年代のHollywood、film noir、B movie、European art-house filmの形式を模倣していると説明しています。

つまり一枚のsourceを引用するのではなく、大量の映画から蓄積された「映画らしい女性像」を再構成します。ここでは個別作品の引用より、視覚文化の型そのものが引用されています。

女性像はどのように作られるのか

同じShermanが、髪型、服、視線、立ち方を変えるだけで別の人物に見えます。すると「女性らしさ」は身体に自然に備わったものではなく、視覚的な記号の組み合わせとして作られているのではないかという疑問が生まれます。

この点で《Untitled Film Stills》は前の記事で扱ったFeminist Artと接続します。ただしChicagoのように女性固有の経験を直接表現するのではなく、女性像そのものが映画や写真によってどのように構成されているかを分析する方向へ進みます。

撮る人と撮られる人が同じでも作者性は単純ではない

写真の中にはSherman自身がshutterを切っていない作品もありますが、MoMAはそれでもShermanをauthorとしています。重要なのはcamera buttonを誰が押したかではなく、character、衣服、構図、光、場所を誰が設計したかだからです。

作者性は「手で作った人」から「imageの条件を組織した人」へ移ります。これはConceptual Artから継続する問題ですが、Shermanではその組織されたimageが非常に魅力的で物語性を持つ点が新しいところです。

Sarah Charlesworth — 新聞から文章を消す

Sarah Charlesworthは写真家でありながら、自分で世界を撮影することより、すでに新聞に掲載された写真がどのように社会へ流通するかを調べました。MoMAは彼女の《Modern History》を、新聞におけるイメージの流通と、それを取り巻く文脈が理解をどう形づくるかを検討した作品と説明しています。

ここでは写真は「出来事の証拠」ではなく、編集、配置、見出し、選択によって意味を作る制度の一部になります。

1977–79年《Modern History》

《Modern History》は1977–79年に制作された連作です。Charlesworthは特定の事件を報じる世界各地の新聞を集め、masthead、該当する写真、そのcaptionなどを残し、それ以外の文章を除去しました。

新聞のページは一見すると情報が欠落した奇妙な平面になります。しかし文章が消えたことで、同じ出来事の写真がどの大きさで、どの位置に、何枚掲載されているかが強く見えてきます。

《April 21, 1978》

Met所蔵《April 21, 1978》は《Modern History》の一作で、多数の新聞紙面を並べています。作品では同一の日付、同じ出来事を扱う複数の新聞の違いが比較可能になります。

どの写真を一面に置くか。どれだけ大きく載せるか。別の新聞では小さく扱われるのか。出来事そのものが同じでも、メディアの編集によって社会的な重要度が視覚的に作られます。

同じ出来事でも新聞によって見え方が変わる

ニュース写真には「その瞬間に本当に起きたことを写している」という強い信頼があります。しかしCharlesworthは写真そのものを加工するより、写真が置かれている枠組みを操作します。

すると、写真の真偽だけでなく「なぜこの写真が選ばれたのか」「なぜこの位置なのか」「なぜ別の写真ではないのか」という問題が現れます。情報は内容だけでなくlayoutによっても構成されます。

「書く」のではなく「消す」

Charlesworthは1979年の《Modern History》catalogueで自分の方法に「unwriting」という語を使いました。MoMAはこれを、文章を追加して新しい説明を与えるのではなく、既存の文章を消すことで新聞の構造を見せる操作として紹介しています。

Conceptual Artの文字作品がlanguageを作品として前面化したのに対し、Charlesworthはlanguageを取り除くことで、imageと出版制度の関係を前面化します。

1979年《Movie-Television-News-History》

MoMA所蔵《Movie-Television-News-History, June 21, 1979》は27点のcolor photographsからなる作品です。Charlesworthは新聞を比較し、同じ出来事がどのようなimageとして反復されるかを可視化しました。

「歴史」は出来事そのものだけでなく、その出来事について後から残るimagesによって作られます。この問題は現在のonline newsやSNSでもさらに強くなっています。

Richard Prince — 広告をもう一度撮影する

Richard Princeは1970年代半ば、Time-Lifeで雑誌記事の切り抜きを行う仕事をしていました。Metによれば、staff writersのため記事部分を切り取った後、ページには広告が残りました。Princeはluxury goodsや理想化されたmodelの広告に注目し、1977年頃からそれらを再撮影し始めます。

広告をそのままcollageするのではなく、一度cameraで撮り直す。このわずかな操作によって、広告のimageが商品を売る目的から切り離され、別の視線で見直されます。

Time-Lifeで広告だけが残る

Princeが出会った広告は、artistが美術資料として探し集めたものではありません。日々大量に処理され、捨てられていたcommercial imagesでした。

記事より広告の方を「残り物」として見るこの職業的環境が重要です。雑誌は情報と広告を一つのpaper surfaceに並べますが、Princeはその構造から広告だけを抜き出し、imageとして独立させました。

1977年 再撮影という方法

MetはPrinceが1977年には広告写真をrephotographし始めたとしています。元のimageをcameraの前に置き、それを再びfilmへ写すため、作品には「元の写真」と「Princeの写真」という少なくとも二段階の撮影があります。

一見するとほぼ同じimageですが、cropping、focus、scale、組み合わせによって意味が変わります。コピーであることを隠すのではなく、コピーする行為そのものが制作になります。

《Untitled (four single men…)》

Met所蔵《Untitled (four single men with interchangeable backgrounds looking to the right)》(1977)は、広告から取られた男性像を組み合わせた作品です。Metは、Princeがadvertising imageに対して魅惑と嫌悪の両方を感じていたことを紹介しています。

広告の男性は「自然な人物写真」に見えても、実際には服、背景、姿勢、光によって商品と理想像を売るために作られています。Princeはその人工性を再撮影によって強調します。

切り取り、ぼかし、拡大、並べ替え

Princeの方法は単純な複写だけではありません。Metはcropping、blurring、enlarging、groupingなど複数の操作を挙げています。広告からbrand nameや文章を除けば、imageは商品説明から離れ、奇妙に無目的な欲望のsceneとして見えてきます。

作者の「筆触」に相当するものが、撮影技術よりも選択と編集へ移っています。

広告は現実を写しているのか

広告写真はphotographなので、実在する人や車や場所を撮っています。しかしその目的は現実を中立的に記録することではなく、ある生活を魅力的に見せ、商品への欲望を作ることです。

Princeはこの「写真だから本物らしいが、全体としては非常に人工的」という広告の性質を利用しました。写真がtruthとfictionを同時に持つ媒体であることが露出します。

Sherrie Levine — すでに有名な写真を撮り直す

Sherrie Levineは1977年《Pictures》展の参加者でしたが、現在最も有名なのは1981年の《After Walker Evans》です。その間にも雑誌の切り抜きや既存imageを使った作品を制作し、作者性と所有をめぐる問題を徐々に先鋭化させました。

Levineの方法では「引用した」と分かる程度に変形するのではなく、他者の写真の複製をそのままもう一度撮影するところまで進みます。

1979年《President》

Met所蔵《Untitled (President: 4)》(1979)は、雑誌広告の女性像をLincolnの横顔のsilhouetteに重ねたcollageです。建国史、硬貨に使われるpresidential profile、commercial image、女性modelが一つのimageへ重なります。

ここではAmerican historyの公式imageと消費文化の女性像が、同じ印刷物として操作可能になります。歴史的権威も広告も、複製されたimageとして同じ平面上に置かれます。

1981年《After Walker Evans》

1981年、Levineは1930年代にWalker Evansが撮影したAlabamaのsharecropper familiesの写真を、bookなどに掲載されたreproductionから再撮影し、自分の作品として展示しました。Metは《After Walker Evans》をpostmodernismのlandmarkと位置づけています。

作品のappearanceはEvansの写真とほぼ同じです。それでもcaptionには「Sherrie Levine」と記されます。そこから、写真の作者とは誰なのかという問いが逃げられなくなります。

コピーした写真に作者はいるのか

LevineはEvansの構図を新しく考えたわけでも、被写体の前に立ったわけでもありません。しかし「Evansの写真をもう一度撮り、それをLevineの作品として展示する」というconceptual decisionは彼女のものです。

ここでは作品の作者性が二層になります。imageの最初の作者と、そのimageを再文脈化する作者。Duchampのreadymadeが物体の作者性を揺らした問題が、写真と美術史そのものへ移ります。

近代写真の「巨匠」を引用する

Princeがcommercial advertisementを再撮影したのに対し、Levineはart historyで権威を持つWalker Evansを選びました。引用対象がすでにmuseum canonに入った写真であるため、作品はModernist photographyのoriginalityとmasteryへ直接触れます。

「偉大な写真家が決定的な瞬間を捉えた」というheroic authorshipの物語に、reproductionから作られた二次的な写真を差し込みます。

フェミニズムからの読解

Metは《After Walker Evans》について、patriarchal authorityへのfeminist appropriationとして称賛される一方、artのcommodificationへの批判やModernismの終焉をめぐる作品としても読まれてきたと説明しています。

Levine自身の作品を一つのfeminist messageだけに固定する必要はありませんが、男性の「master photographer」の名作を女性artistが自分の名で再提示したことが、1970年代Feminist Art以後の作者性批判と結びついて受け取られたことは重要です。

オリジナルとは何か

写真はもともとnegativeから複数printを作れる媒体です。さらにmuseum catalogueやbookに掲載されれば、imageは大量に複製されます。では「original photograph」はnegativeなのか、最初のprintなのか、artistが認めたeditionなのか。

Levineはこの写真固有の複製可能性を、Modernistなunique authorshipの問題へぶつけました。作品の価値を「世界に一つの物体」で説明することがさらに難しくなります。

Louise Lawler — 作品ではなく作品の置かれ方を撮る

Louise Lawlerは、他のartistの作品がmuseum、gallery、auction、企業、個人宅などでどのように展示されているかを写真にしました。MoMAは彼女の制作を、artのproduction、circulation、presentationを問うものとして説明しています。

Lawlerは名作そのものを撮るだけではありません。壁の色、家具、照明、隣の作品、label、所有環境までframeに入れます。すると「作品そのもの」だと思っていたものが、制度や生活空間によって意味を変えることが分かります。

美術作品も流通するイメージである

広告や映画だけでなく、美術作品もcatalogue、poster、auction photo、installation viewとして大量に撮影されます。私たちはPicassoやPollockを、実物を見る前にreproductionで知っていることが珍しくありません。

Lawlerは美術館をmass-mediaの外部にある純粋な場所とは考えません。museumも作品へframeを与え、価値と意味を作る制度です。

美術館、企業、個人宅で意味が変わる

同じpaintingでもwhite cubeに掛かる場合と、corporate boardroomやprivate homeに置かれる場合では見え方が変わります。Lawlerはその差を「背景」として消さず、写真の中心問題へします。

作品は自律したobjectであるというModernistな考えに対し、所有、展示、撮影、流通まで含めて作品の社会的な意味を考えます。Institutional CritiqueとPictures Generationが接続する場所です。

Barbara Kruger — 写真と言葉をぶつける

Barbara Krugerは雑誌のart directorやgraphic designerとして働いた経験を持ち、1980年代初頭から既存写真と短い文章を組み合わせる作品を本格化させます。National Gallery of Artには1981年のoriginal paste-up《Untitled (Your gaze hits the side of my face)》が記録されています。

広告と同じように、一瞬で目に入るphotographとbold typographyを使います。しかし商品を売る代わりに、「誰が誰を見ているのか」「その言葉は誰に向けられているのか」を不安定にします。

1981年《Untitled (Your gaze hits the side of my face)》

この作品では、横顔を見せる女性像と「Your gaze hits the side of my face」という文章が組み合わされます。National Gallery of Artは、後の1983年版がviewerとrepresentationにおける「gaze」の理論的議論と強く関係したことを紹介しています。

見るという行為はneutralではありません。誰が見る側に置かれ、誰が見られる側に置かれるのか。写真を眺めているviewer自身が作品の問題へ引き込まれます。

広告デザインの経験を美術へ反転する

Krugerの作品は広告の視覚言語に似ています。大きな文字、短いphrase、強いcontrast、すでに存在するphotograph。しかし広告がmessageを一方向に明確化しようとするのに対し、Krugerの文章はviewerのpositionを不安定にします。

commercial designの技術を拒否するのではなく、その即効性を批判的な用途へ転換します。Pop Artとは別の世代がadvertising languageを美術へ持ち込んだ例です。

I / You / Weという代名詞

KrugerはI、You、We、Yourなどの代名詞を多用します。これらは短い言葉ですが、誰を指すかが固定されません。作品を見る人は「You」が自分なのか、写真の人物なのか、社会全体なのかを判断しなければなりません。

languageがviewerを直接呼びかけることで、作品と鑑賞者の距離が縮まります。Conceptual Artの文字作品とは異なる、mass-media的な言葉の強さがあります。

「見る人」も作品の外にはいない

Shermanではviewerが既視感を持つこと、Princeでは広告に惹かれること、Krugerでは「You」と呼ばれることが作品の一部になります。Pictures Generationはimageだけを分析するのではなく、そのimageを見て意味を作るviewerまで問題にします。

私たちは広告に騙される単純な被害者ではありません。楽しみ、欲望し、反発し、記憶しながらimage cultureへ参加しています。その複雑なrelationが作品の対象です。

Robert Longo — 写真から巨大な身体像へ

Robert Longoは1977年《Pictures》展の参加者で、photographyだけでなくdrawing、relief、video、performanceを横断しました。1980年代に入ると《Men in the Cities》によって広く知られるようになります。

スーツ姿の男女が身体を大きく捻り、倒れそうなposeを取るblack-and-white drawingは、一見すると直接人物を見て描いたようですが、制作の途中に写真が入ります。

《Men in the Cities》へ

Longoは友人たちに身体を動かしてもらい、それをphotographとして記録し、そのimageをもとにlarge-scale charcoal drawingへ変換しました。身体 → 写真 → drawingという複数段階を通ります。

結果としてdrawingは写真より巨大でdramaticになりますが、gestureはartistの即興的な筆触ではなく、cameraによって一度固定されたposeの再制作です。

写真を撮り、その像をdrawingへ変える

ここでは「写真か絵画か」という媒体の区別より、imageが媒体間を移動することが重要です。film stillがphotographになり、photographがdrawingになり、広告写真が別の写真になります。

Pictures Generationは、imageが一つのsupportに固有であるという考えを弱めました。同じimageが印刷、写真、映像、drawingの間を移動できます。

1980年代初頭、絵画へ戻る作家たち

Metは2009年展の終盤で、1980年代初頭にGoldstein、Brauntuch、Longo、David Salleら一部のPictures artistsがlarge-scale paintingやdrawingへ向かったことを重要な変化として扱っています。

これはConceptual Artを捨てて「昔の絵画へ戻った」ということではありません。既存image、写真、引用、複数のsourceを使う方法を保持したままpaintingへ戻ります。1980年代の絵画は、1960年代以前の絵画と同じ条件には戻れません。

Pictures Generationを写真史だけにしない

Cindy Sherman、Richard Prince、Sherrie Levineの影響が非常に大きいため、Pictures Generationはしばしばphotography historyとして語られます。しかしMetの2009年展は160点を超える作品を複数媒体から集め、30人のartistを紹介しました。

この広がりを見ると、中心にあるのは写真というmediumではなく、「picture」という社会的に流通するimageです。写真はそのimage circulationを最も直接的に扱える媒体だったため中心になりました。

appropriationとは単なる盗用なのか

appropriationは日本語では「流用」「引用」「転用」などと訳されますが、どれも完全には同じ意味ではありません。Pictures artistsは、すでに存在するimageを自分の作品へ取り込み、その作者、所有、意味、流通をずらしました。

重要なのは「人のimageを使えば自動的に批評的になる」わけではないことです。何を選び、どのように変え、どの文脈へ置き、どの権力関係を作るかによって意味は異なります。PrinceとLevineとKrugerは、同じappropriationという言葉でまとめられても、行っていることはかなり違います。

作者性を壊すのではなく再配置する

Levineの作品を見て「作者はいなくなった」と結論づけるのは早すぎます。Evansの写真を選び、どの複製を撮影し、どのsizeでprintし、どこで展示するかを決めたLevineのdecisionは強く残ります。

作者性が消えるのではなく、「独自のimageを最初から作る人」から「既存imageのrelationを作り直す人」へ移ります。編集者、curator、designerに近い作者像が美術へ入ります。

appropriation artは著作権の問題とも関係しますが、美術史上の評価と法的判断は同じではありません。ある作品が批評的に重要であることと、特定のimage使用が法律上認められるかは別の問題です。

Pictures Generation以後、この緊張はさらに大きくなります。とくにRichard Princeの後年の作品は複数のcopyright disputesを引き起こしました。本記事では法的勝敗を作品評価へ置き換えず、「複製可能なimageを誰が所有できるのか」という問題が美術と法律の双方で先鋭化した点を確認しておきます。

Feminist Artとの接続

Sherman、Levine、Kruger、Lawler、Charlesworthら女性artistsの仕事は、1970年代Feminist Artの後に現れました。しかし前世代と同じ方法ではありません。女性の身体経験を直接表現することより、女性像やartistの権威そのものがmediaや美術史によってどう作られているかを分析する方向が強くなります。

この変化は1970年代後半のfeminist theoryにおけるrepresentationへの関心とも重なります。「女性とは何か」をpositive imageで提示するより、「女性というimageがどう作られているか」を問う方法です。

消費社会と欲望

広告を使う作品をすべて「消費社会批判」と一言でまとめるのも不十分です。Prince自身が広告に対してfascinationとrepulsionの両方を感じていたように、私たちはcommercial imageを批判しながら同時に魅力を感じます。

Pictures Generationはこのambivalenceを重要視しました。imageは外から人を操作するだけでなく、viewerの欲望によっても力を持ちます。批判する人自身もmedia cultureの外側にはいません。

鑑賞者はイメージにどう作られるのか

映画を大量に見ていれば「heroineらしい姿」を学び、広告を見ていれば「成功した生活」のimageを学び、art history bookを見れば「masterpieceらしさ」を学びます。見ることは受動的な行為ではなく、identityや価値判断を形成します。

そのためPictures Generationは、作品が何を表しているかだけでなく、「そのimageを見る私はどのようなviewerとして位置づけられているのか」を問います。この問題はKrugerの直接的な呼びかけで特に明確になります。

写真にとって何が変わったのか

Land ArtやPerformance Artの記事では、写真は現場や一時的な出来事を伝えるdocumentとして重要になりました。Pictures Generationでは、写真はさらに一段階進み、documentationそのものの信頼性と仕組みが主題になります。

「写真だから現実を写している」という前提が崩れ、staging、cropping、selection、rephotography、publication contextまで写真の意味を作る要素として意識されます。写真は証拠であるだけでなく、現実を構成するmediaとして扱われるようになります。

絵画にとって何が変わったのか

Pictures Generationは写真中心の動きに見えますが、1980年代のpaintingにも大きな影響を与えます。すでにあるimageをsourceにすること、photographを介して描くこと、複数のstyleを同じ画面へ置くことが一般化していきます。

絵画は再び「自分の内面を直接brushstrokeで表す」だけの媒体には戻りません。写真、film、advertising、art historyというimage archiveをどう編集するかがpaintingにも入ります。David Salleや後のGerhard Richter、Sigmar Polke、Christopher Woolを考える際にも、この問題は重要になります。

Postmodernismとの関係

Pictures Generationは1980年代のPostmodernismを説明する代表的な事例になりました。originality、master author、一つの純粋なmedium、linear progressといったModernismの価値に対し、引用、複製、既存image、複数の文脈を使うからです。

ただし「Modernismが終わり、1977年からPostmodernismになった」という明確な切断があったわけではありません。Conceptual ArtやPop Artにもすでに作者性と複製の問題はありました。Pictures Generationはそれらを、1970年代末のmass-media environmentの中で新しい強度へ進めたと考える方が適切です。

「Pictures Generation」という歴史名は後から強くなった

1977年の展覧会名は《Pictures》であり、「Pictures Generation」という固定した世代名がそこで公式に宣言されたわけではありません。1979年のCrimp論文も、より広い現象を「Pictures」として論じています。

現在の広い意味でのPictures Generationは、批評、展覧会史、museum collectionを通して後から強く定着した枠組みです。この名称を使うときは、1977年の5人と、後世に広げられた作家群を同一視しないことが重要です。

2009年Metによる再構成

2009年、Metropolitan Museum of Artは《The Pictures Generation, 1974–1984》を開催しました。Metによれば、Pictures Generationだけを対象とする最初のmajor museum exhibitionで、30 artists、160点の作品を紹介しました。

展覧会は1977年Artists Spaceの《Pictures》を中心的な出来事としつつ、CalArts、Hallwalls、New Yorkのartist networkまでさかのぼり、Sherman、Prince、Kruger、Lawler、Charlesworth、Dara Birnbaumらを含むより大きな歴史を構築しました。現在私たちが「Pictures Generation」と聞いて思い浮かべる範囲は、この2009年展から大きな影響を受けています。

この世代区分の限界

一方、どのartistをPictures Generationへ含めるかは固定されていません。2009年Met展が30人を選んだこと自体、一つのcuratorial interpretationです。2020年のMet《Pictures, Revisited》はそのhistoryを再検討し、appropriationの系譜をさらに前後のartistへ広げました。

つまりPictures Generationも完成したcanonではありません。誰が中心に入り、誰が外れるのか、photographyを中心にするのか、videoやpaintingまで広げるのかによってhistoryは変わります。movement名を答えとして使うのではなく、作品同士のrelationを見るための枠組みとして使う必要があります。

1977–1984年に何が変わったのか

1977年《Pictures》展は、Conceptual Art以後に再び現れたrecognizable imageを、単純な具象への回帰ではなく「すでに表象されたものを扱う美術」として可視化しました。Goldsteinは映画映像と効果音をcontextから切り離し、Shermanは存在しない映画の女性役を演じ、Charlesworthは新聞から文章を消してimage circulationを露出させました。Princeは広告を再撮影し、Levineは美術史上の写真を再び撮ることでoriginalityとauthorshipを直接問題にします。

1980年代初頭にはLawlerが作品の展示・所有環境を撮影し、Krugerが既存写真と短い言葉によってviewer自身を問いに巻き込み、Longoらはphotographic imageをdrawingやpaintingへ変換しました。ここで写真は単なる記録媒体ではなくなり、社会が現実を理解するためのimage systemそのものとして扱われます。

最も大きな変化は、「新しいimageを作ること」だけがartistの創造性ではなくなったことです。すでにあるimageを選び、切り取り、再撮影し、演じ直し、別の文脈へ置く行為が作品になります。作者性は消えたのではなく、productionからselection、editing、framingへ再配置されました。この転換は、1980年代以降の写真、絵画、広告批評、digital image cultureに長く影響を与えます。

Pictures Generation以後

1980年代後半以降、appropriationはcontemporary artの一般的な方法になります。美術史上の名作、television、film、logo、news image、internet imageを使うこと自体は珍しくなくなります。その結果、問題は「引用しているか」から「なぜこのimageを、今、この方法で使うのか」へ移ります。

さらにdigital technologyによってcopy、scan、edit、repostが日常化すると、1970年代末にPictures artistsが問い始めたoriginal / copyの境界はさらに曖昧になります。現在の画像生成やSNSまで考えると、「私たちは自分で世界を見ているのか、それとも既存imageを通して見ているのか」という問いはむしろ強くなっています。

次の時代へ — Neo-Expressionismと絵画の再浮上

Pictures Generationが写真や既存imageを使って作者性を問い直していた同じ時期、ヨーロッパとアメリカでは巨大なcanvas、荒々しいbrushstroke、神話、歴史、人物像を再び前面に出すpaintingが急速に注目されました。Georg Baselitz、Anselm Kiefer、A.R. Penck、Jörg Immendorff、Julian Schnabel、David Salle、Jean-Michel Basquiatらは、それぞれ異なる背景から「絵画は終わった」という1970年代の空気に対して別の答えを出します。

次の記事では、1977–1985|Neo-Expressionism — 絵画、人物、歴史、巨大画面として、ドイツ、イタリア、アメリカを一つに混同せず、なぜ1980年代初頭にpaintingが国際的な市場と美術館で再び強い存在感を持ったのかを追います。

参考資料・出典

本ページは、美術館、作家・展示施設のarchive、同時代の批評誌、作品資料を参照してART LIBRARYが独自に構成・執筆しています。1977年の《Pictures》展と、後に広く定義された「Pictures Generation」を区別し、appropriationを単純な「盗用」や一つの政治的意味へ還元しないよう構成しています。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY