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Art History

1989–1995

Identity Politicsと1993 Whitney Biennial

人種、ジェンダー、セクシュアリティ、表象

1980年代末から1990年代前半のアメリカ美術では、人種、ジェンダー、セクシュアリティ、AIDS、階級、植民地主義、歴史的記憶といった問題が、作品の周辺ではなく中心へ入ってきました。後に「Identity Politics」と呼ばれることの多いこの動向は、一つの様式や統一された運動ではありません。写真、絵画、彫刻、インスタレーション、映像、ポスター、広告、言葉、参加型作品など、作家ごとに方法は大きく異なりました。

共通していたのは、「誰が表象されているか」だけでなく、「誰が表象する権利を持っているのか」「誰が美術館に入り、誰が歴史から外れてきたのか」「見る側は本当に中立なのか」という問いが強くなったことです。1970年代のFeminist ArtやInstitutional Critiqueが制度と表象の仕組みを問い、Pictures Generationが既存イメージの権力を分析した後、その問題がより具体的な身体、社会的位置、歴史へ結びついていきます。

1993年Whitney Biennialは、その変化が大規模なアメリカ美術館の中心で可視化された象徴的な展覧会でした。Glenn Ligon、Lorna Simpson、Fred Wilson、Renée Green、Daniel Joseph Martinez、Pat Ward Williams、Byron Kim、Alison Saar、Pepón Osorio、Gary Simmonsらが、人種やジェンダー、表象、制度、言葉を異なる方法で扱いました。しかし展覧会は広く称賛されたわけではなく、強い反発も受けました。現在Whitney自身が1993年展を「identityの政治に深く関わったBiennial」と振り返っているように、この論争そのものが1990年代美術の重要な歴史になっています。

CONTENTS

  1. Identity Politicsとは何を指すのか
  2. 一つの様式ではない
  3. 個人的な属性を語るだけではない
  4. 1970–80年代からの連続
  5. AIDS危機という背景
  6. 1987年 ACT UP
  7. 1988年 Gran Fury
  8. 広告の言葉をactivismへ転用する
  9. 1989年《Kissing Doesn’t Kill》
  10. 美術館ではなく街へ出る
  11. 1989年 Culture Wars
  12. Mapplethorpe《The Perfect Moment》
  13. Corcoranによる展示中止
  14. 作品ではなく展示する権利が争点になる
  15. 1990年 Cincinnatiでの裁判
  16. 公的資金と表現の自由
  17. Lorna Simpson — 写真と文字
  18. 1989年《Guarded Conditions》
  19. 顔を見せないportrait
  20. 写真だけでは意味が決まらない
  21. 分類される身体
  22. Glenn Ligon — 言葉を描く
  23. 1988年《Untitled (I Am a Man)》
  24. 1968年Memphis sanitation strikeの引用
  25. 引用文を絵画へ変える
  26. 読めなくなる文字
  27. 「誰の言葉なのか」という問題
  28. 1991–93年《Notes on the Margin of the Black Book》
  29. Mapplethorpeを賛否二択にしない
  30. 黒人男性像とセクシュアリティ
  31. 複数の声を作品へ入れる
  32. Felix Gonzalez-Torres — 公的な問題と私的な喪失
  33. 1990年《Untitled (Death by Gun)》
  34. 鑑賞者が紙を持ち帰る
  35. 1991年《Untitled (Perfect Lovers)》
  36. 二つの時計と時間
  37. 1991年《Untitled (Placebo)》
  38. 減っていく作品
  39. AIDSを説明図にしない
  40. Byron Kim — 皮膚の色をmonochromeにする
  41. 1991年–《Synecdoche》
  42. 抽象絵画であり集団肖像でもある
  43. 皮膚の色だけで人間を説明できるのか
  44. Modernist abstractionを別の問題へ接続する
  45. Pat Ward Williams — 写真を見る暴力
  46. 1986年《Accused/Blowtorch/Padlock》
  47. lynching photographをどう見せるか
  48. 鑑賞者の位置を問う
  49. 1993年 Whitney Biennial
  50. 4人のcurator
  51. 1980年代の華やかさから1990年代の現実へ
  52. 身体が争点になる
  53. Daniel Joseph Martinez — 入場tagを作品にする
  54. 《Museum Tags: Second Movement》
  55. 観客が作品を身につける
  56. 「white」を中立な位置にしない
  57. Biennialそのものを作品の材料にする
  58. Renée Green《Import/Export Funk Office》
  59. hip-hop文化の流通を調査する
  60. アメリカとヨーロッパの視線のずれ
  61. Alison Saar — 身体、歴史、素材
  62. Gary Simmons — stereotypeと消去
  63. Pepón Osorio — 家庭空間とLatino community
  64. なぜ「political Biennial」と呼ばれたのか
  65. 強い反発も展覧会史の一部である
  66. 「political correctness」という批判
  67. 政治と美的価値を対立させる議論
  68. 作品を「message」に還元しない
  69. 1994年《Black Male》
  70. Thelma Goldenと黒人男性表象
  71. 一つの「黒人男性像」を作らない
  72. 展示だけでなく文脈を作る
  73. 1995年 Whitney Biennial
  74. 「政治」から「美と形式」へという反動
  75. Identity Politicsが終わったわけではない
  76. representationの二つの意味
  77. 誰が語るのか
  78. 誰が見るのか
  79. 誰が美術館に表象されるのか
  80. 絵画にとって何が変わったのか
  81. 写真にとって何が変わったのか
  82. installationにとって何が変わったのか
  83. 言葉にとって何が変わったのか
  84. Identity Politicsという名称の限界
  85. 1989–1995年に何が変わったのか
  86. 1990年代以後への影響
  87. 次の時代へ — AIDS CrisisとActivist Art
  88. 参考資料・出典

Identity Politicsとは何を指すのか

1990年代美術を語る際、「Identity Politics」という言葉は非常に頻繁に使われます。ここでは、人種、ジェンダー、セクシュアリティ、階級、民族的背景などが、作品の制作や受容、美術制度とどのように関係するかを扱う一連の実践を指す広い言葉として用います。

ただし、これは作家たちが一つの主義を共有していたという意味ではありません。Lorna Simpsonの写真とFelix Gonzalez-Torresのキャンディ作品は見た目も方法も異なります。Glenn LigonとFred Wilsonも同じ問題を同じ方法で扱ってはいません。「Identity Politics」は後から複数の実践を説明するために使われた便利な枠組みであり、各作品をその言葉だけで説明し切ることはできません。

一つの様式ではない

Neo-Geoなら蛍光色の幾何学や工業的な表面、Neo-Expressionismなら大画面と強い筆触という視覚的な共通性をある程度見つけられます。しかしIdentity Politicsには、そのような統一された外観がありません。

写真、文字、古い資料、身体、日用品、museum collection、広告、映像、参加型作品などが使われます。共通しているのは見た目ではなく、表象と社会的位置をめぐる問いです。

個人的な属性を語るだけではない

Identity Politicsという言葉から、「自分の人種や性別について作品を作ること」と理解される場合があります。しかし重要なのは、個人のidentityを告白することだけではありません。

Simpsonは黒人女性の顔を隠し、Ligonは他者の言葉を引用し、Wilsonはmuseumの収蔵品を並べ替えます。彼らが問うのは「私は誰か」だけでなく、「社会は私をどう見るのか」「imageは誰をどのように分類するのか」「institutionは誰を代表するのか」という構造です。

1970–80年代からの連続

この変化は1990年に突然始まりません。Feminist Artは1970年代に「個人的な経験は政治的な構造と関係する」と考え、Pictures Generationは1980年代に広告や映画がidentityを作る仕組みを分析しました。Institutional Critiqueは美術館が何を選び、何を排除するかを問題にしました。

1980年代末には、これらの問題がAIDS危機、race、sexuality、censorshipと直接結びつきます。抽象的な制度論だけではなく、生存、visibility、representationが切迫した問題になります。

AIDS危機という背景

1980年代のAIDS危機は、New Yorkのart communityへ甚大な影響を与えました。多くのartist、writer、designer、performerが感染し、友人やpartnerを失いました。同時に、政府やmediaの対応、同性愛への偏見、医療と薬価、誰の死がpublic issueとして扱われるのかが激しく問われます。

AIDSは単に作品の新しい「題材」になったのではありません。作品を誰へ届けるのか、どれだけ速く情報を伝えるのかという制作方法そのものを変えました。

1987年 ACT UP

ACT UP(AIDS Coalition to Unleash Power)は1987年New Yorkで結成され、AIDSをめぐる医療、行政、製薬会社、mediaの対応に対して直接行動を行いました。demonstration、die-in、poster、flyerなど、街頭で短時間に理解できる視覚表現が重要になります。

ここでは美術はmuseumで鑑賞されるobjectだけではなく、情報を伝え、人を集め、行動を促すcommunication toolになります。

1988年 Gran Fury

Gran FuryはACT UP内部から生まれたcollectiveで、Metropolitan Museumは1988–95年に活動したgroupとして紹介しています。New Museumで1987年に行われた《Let the Record Show…》を契機に、ACT UPのmembersが広告的な視覚戦略を継続的に使うためにまとまりました。

個人artistの名前を前面に出すより、collective名義でposter、sticker、bus advertisementなどを制作しました。作者の個性より、messageが社会へどれだけ届くかが優先されます。

広告の言葉をactivismへ転用する

Gran Furyのmembersにはgraphic designやadvertisingの経験を持つ人がいました。彼らは企業広告と同じように、大きな文字、強い写真、短いphraseを使います。

Pictures Generationが広告の言語を批判的に引用した後、Gran Furyはその即効性を政治的なcommunicationへ直接転用しました。広告の技術は商品を売るためだけのものではなくなります。

1989年《Kissing Doesn’t Kill》

1989年《Kissing Doesn’t Kill: Greed and Indifference Do》では、異性・同性の複数のcoupleがkissする写真と短い文章を組み合わせました。MetはUnited Colors of Benettonの広告形式を意識した作品で、New YorkとLondonのbusなど公共空間へ展開されたと説明しています。

AIDSについて医学的な長文を読む場所ではなく、広告を見るのと同じ一瞬の視線の中へmessageを入れます。public artとactivism、graphic designの境界が重なります。

美術館ではなく街へ出る

AIDS activismでは、すでにartに関心を持つ人だけへ伝えても十分ではありません。地下鉄、bus、wall、新聞など日常的なmediaが重要になります。

この点はHaringの地下鉄drawingやBarbara Krugerの広告的な作品とも接続しますが、Gran Furyの場合、目的はAIDSをめぐる政策と偏見へ直接介入することでした。

1989年 Culture Wars

同じ1989年、アメリカでは芸術への公的助成と性的表現、宗教、人種をめぐる対立が激しくなりました。後に「Culture Wars」と呼ばれる議論では、National Endowment for the Arts(NEA)の助成を受けた作品を税金で支えるべきかが政治問題になります。

その中心的な出来事の一つがRobert Mapplethorpeの回顧展《The Perfect Moment》をめぐる論争でした。

Mapplethorpe《The Perfect Moment》

《Robert Mapplethorpe: The Perfect Moment》はInstitute of Contemporary Art, University of Pennsylvaniaが企画した回顧展で、portrait、花、裸体、同性間の性表現、BDSMを含む作品を紹介しました。Mapplethorpeは1989年3月にAIDS関連の合併症で亡くなっており、展覧会はその直後に全国巡回していました。

作品のformalな美しさとexplicitなsexual imageryが同じ展覧会に存在することが、当時のpolitical debateを激化させました。

Corcoranによる展示中止

1989年6月13日、Washington, D.C.のCorcoran Gallery of Artは、予定されていた《The Perfect Moment》の開催を中止しました。George Washington Universityが保管するCorcoran archiveによれば、開幕まで3週間を切った時点で、政治的圧力を受けたinstitutionが展覧会を取りやめた出来事でした。

その決定は大きな反発を呼び、6月30日にはMapplethorpeのself-portraitがCorcoranの建物外壁へprojectionされました。作品そのものだけでなく、「museumは圧力を受けた時に何を展示できるのか」が問われます。

作品ではなく展示する権利が争点になる

Mapplethorpe論争で重要なのは、個々の写真を好きか嫌いかという美的判断だけではありません。public funding、museum autonomy、sexual minorityのrepresentation、censorshipが同時に問題になりました。

Institutional Critiqueがmuseumの権力を作品として扱っていた時期に、現実のmuseum自身が「何を見せられるか」をめぐる政治的圧力の中心になったのです。

1990年 Cincinnatiでの裁判

1990年4月、Contemporary Arts Center Cincinnatiは《The Perfect Moment》を開催し、institutionとdirector Dennis Barrieがobscenity chargesで起訴されました。New Museumの資料は、美術館とdirectorが展覧会内容を理由に刑事訴追された前例のない事件だったことを記録しています。最終的には無罪評決となりました。

この裁判によって「artとpornographyの境界」は抽象的な批評問題ではなく、museum staffがcriminal liabilityを負い得る現実の問題になりました。

公的資金と表現の自由

Culture Warsでは、公的助成を受けるartistやinstitutionがどこまでcontroversialな表現を提示できるのかが争われました。supportを受けることと、内容へ政治的な条件が付くことの境界が問題になります。

これは前の記事で扱ったInstitutional Critiqueと直結します。作品の意味だけでなく、誰が展示をfinancingし、その資金が何を可能にし何を抑制するかが美術史の一部になります。

Lorna Simpson — 写真と文字

Lorna Simpsonは1980年代後半、黒人女性を撮影した写真と短い文章を組み合わせる作品によって注目されました。National Gallery of Artは、彼女の写真がidentity、representation、鑑賞者の視線を問い、写真が客観的な記録だという前提を揺らしたと説明しています。

被写体の顔を隠し、背中や身体の一部を反復して見せるため、traditional portraitのように「この人は誰か」を知ることができません。

1989年《Guarded Conditions》

《Guarded Conditions》(1989)は、黒人女性の背中を写した複数の写真と文章を組み合わせた作品です。National Gallery of Artは、この作品をsurveillanceとcontrol、race、gender、powerをめぐる重要作として位置づけています。

一見すると同じ人物を反復したformalな写真作品ですが、文章が加わることで身体の見え方が変わります。見ること自体に社会的な条件があることが浮かび上がります。

顔を見せないportrait

肖像写真では通常、顔がidentityを示す最も重要な部分と考えられます。Simpsonはその顔をviewerへ与えません。人物を理解したつもりになるための情報を意図的に減らします。

その結果、viewerは「黒人女性」というcategoryだけでこの人物を読もうとしていないか、自分自身の見方を意識させられます。

写真だけでは意味が決まらない

Simpsonは写真へcaptionを付けて意味を明確にするのではなく、むしろ別の可能性を加えます。文章がphotographの説明と一致するとは限らず、viewerは両者の関係を考えなければなりません。

写真は「見れば分かる証拠」ではなく、言葉と社会的なstereotypeによって解釈されるimageになります。

分類される身体

Simpsonは数える、分類する、反復する形式をしばしば使います。Whitneyは、彼女がindexやtypologyを思わせる構造を使いながら、そのorderを崩してきたと説明しています。

人間をdataのように分類する視覚形式を使いつつ、一人の人間はそのcategoryだけでは説明できないことを示します。

Glenn Ligon — 言葉を描く

Glenn Ligonは1980年代末から、歴史的なspeech、文学、essayなどの文章をstencilとoil stickでcanvasへ繰り返す作品を制作しました。文字は意味を読む対象であると同時に、絵具の物質になります。

引用されるのはJames Baldwin、Zora Neale Hurston、Ralph Ellisonなど、race、American identity、visibilityをめぐる重要なwritersの言葉です。artist自身が文章を書く場合とは異なり、過去の声を現在のpaintingへ移します。

1988年《Untitled (I Am a Man)》

《Untitled (I Am a Man)》(1988)は、白地に黒い文字で「I AM A MAN」と描かれた作品です。Whitneyによれば、1968年Memphisで黒人sanitation workersがstrikeの際に掲げた有名なplacardを、Ligonがほぼ同じ構成でpaintingとして再制作しました。

20年後、美術館のcanvasへ移された同じ文章は、歴史資料であると同時にartist自身の声のようにも見えます。引用とself-expressionの境界が曖昧になります。

1968年Memphis sanitation strikeの引用

「I AM A MAN」という言葉は非常に単純ですが、1968年には黒人労働者のhuman dignityを主張するpolitical signでした。そのhistoryを知らないviewerにも文章は直接読めますが、知ることで作品の重みが変わります。

Ligonはhistorical imageを再現するだけでなく、その言葉が現在でもどのように作動するかをpaintingの時間へ移しました。

引用文を絵画へ変える

文字作品はConceptual Artでも使われましたが、Ligonは文字を「ideaの透明な容器」にはしません。oil stickを使うため、表面は厚く、擦れ、文字の端が崩れます。

文章を読む行為と絵具を見る行為が同時に起こります。政治的なtextでありながら、paintingのmaterial problemでもあります。

読めなくなる文字

Ligonの後のtext paintingsでは、同じ文章が何度もstencilで繰り返されるうちにoil stickが文字の隙間を埋め、下方へ進むほど読みにくくなる作品があります。

messageを明快に伝えるposterとは逆です。言葉が増えるほど意味が失われ、黒い表面へ近づきます。visibilityを求める言葉が不可視へ変わる矛盾そのものがpaintingになります。

「誰の言葉なのか」という問題

引用された文章にはoriginal authorがいます。しかしLigonが選び、繰り返し、canvasへ移すことで別の声になります。

Identity Politicsを「artist自身の経験を直接告白する美術」と考えると、この複雑さが見えません。他者の言葉を引用することで、自分とhistoryの関係を作る方法もありました。

1991–93年《Notes on the Margin of the Black Book》

《Notes on the Margin of the Black Book》では、LigonはRobert Mapplethorpeが1986年に出版した《Black Book》の黒人男性裸体写真を出発点にしました。Whitneyによれば、Ligonは写真そのものに対して魅力と違和感の両方を感じ、批評記事、学術的な文章、一般の人へのinterviewなど多数の反応を集めました。

作品ではMapplethorpeの写真ページと、それをめぐる異なる言葉が並べられます。一つのimageに一つの正しい意味を与えません。

Mapplethorpeを賛否二択にしない

Mapplethorpeの《Black Book》は黒人男性身体を美しく、古典彫刻のように見せる一方、それを匿名化し性的なobjectとして扱っているという批判も受けました。Ligon自身もWhitneyのinterviewで、この両義性について語っています。

作品は「Mapplethorpeは良い/悪い」という判定をviewerへ与えません。imageの力が複数の立場から異なって見えること自体を展示します。

黒人男性像とセクシュアリティ

黒人男性の身体は、American visual cultureで長くstereotype化されてきました。強さ、暴力、sexualityなど限られたimageへ回収されるhistoryがあります。

LigonはMapplethorpeの写真を単に禁止すべきimageとも、解放的なimageともせず、見る人のrace、gender、sexualityによって意味が変わる場として扱いました。

複数の声を作品へ入れる

WhitneyでThelma Goldenは、この作品がyes / no、right / wrongの単純な二項対立からimageを解放し、その複雑さを考える空間を作ったと振り返っています。

ここに1990年代美術の重要な特徴があります。artistが一つの正しいmessageをviewerへ渡すのではなく、対立する複数の声を同じ作品へ置き、意味の衝突そのものを見せます。

Felix Gonzalez-Torres — 公的な問題と私的な喪失

Felix Gonzalez-TorresはGroup Materialの活動にも参加しながら、紙のstack、キャンディの山、二つの時計、電球、billboardなど、非常に簡潔な形式の作品を制作しました。AIDSや同性間のlove、lossを扱いながら、作品に説明的な政治messageを直接書き込まない場合も多くあります。

個人的な経験と公共的な問題を切り離さず、それでいて一つの読み方へ固定しないことが彼の作品の重要な特徴です。

1990年《Untitled (Death by Gun)》

《Untitled (Death by Gun)》(1990)は、紙を積み上げたstack作品です。MoMAによれば、1989年5月1日から7日までの一週間にアメリカで銃撃によって死亡した460人の名前、年齢、場所、死の状況、そして多くの場合写真が掲載されています。情報は『Time』誌から引用されました。

作品は銃規制についてartistの結論を書きません。dataを大量に並べることで、一件ずつの死がnewsから消えていく状況を物理的なstackへ変えました。

鑑賞者が紙を持ち帰る

この作品ではviewerがstackから一枚を持ち帰ることができます。紙は減りますが、artistの指示に従って補充することが可能です。

作品を所有するmuseumと、作品の一部を持ち帰るvisitorの関係が変わります。informationがgalleryから街へ再び流通していきます。

1991年《Untitled (Perfect Lovers)》

《Untitled (Perfect Lovers)》は、同じ型の二つのwall clockを並べ、最初に同じ時刻へ合わせる作品です。MoMAによれば、二つの時計は動き続けるうちにわずかにずれ、batteryが切れれば一方が止まります。

極めて日常的な物だけで、二人の人間が同じ時間を共有しながら、永遠には同期できないことを表します。

二つの時計と時間

Gonzalez-TorresはpartnerがAIDSと診断された後、この作品を制作しました。MoMAは、時間の不可避な流れにartistが向き合った作品として紹介しています。

AIDSという言葉や病のimageは作品にありません。それでも個人的なlossと社会的なAIDS crisisを知ると、時計の単純な構造が別の意味を持ちます。

1991年《Untitled (Placebo)》

《Untitled (Placebo)》(1991)は銀色のwrapperに包まれたキャンディを大量に床へ敷き詰める作品です。MoMAとFelix Gonzalez-Torres Foundationによれば、理想重量は1,000–1,200 poundsとされ、viewerがキャンディを取ることで量が変化します。

彫刻は固定した形を持たず、人が触れるたびに減っていきます。museumは必要に応じて再び補充できます。

減っていく作品

通常、美術館は作品を減らさないよう保存します。しかしGonzalez-Torresの作品では減少そのものが構造に含まれます。

消えることと補充されること、lossとrenewalが同じ作品の中で繰り返されます。objectの保存を中心にしてきたmuseum practiceにも別の条件を要求します。

AIDSを説明図にしない

Gonzalez-Torresの作品はAIDS crisisと深く関係しますが、「AIDSとはこういう問題です」と説明する図解ではありません。love、time、body、loss、participationという普遍的に見える形式へ、具体的なhistorical experienceが重なっています。

そのためidentityを一つのlabelへ固定するのではなく、viewerが自分のexperienceから作品へ入れる余地があります。

Byron Kim — 皮膚の色をmonochromeにする

Byron Kimは1991年から《Synecdoche》を制作し始めました。National Gallery of Artによれば、友人、家族、artist、知人、見知らぬ人など一人ひとりのskin toneをoil paintとwaxで調合し、10 × 8 inchの小さなpanelへ一色として塗ります。

見た目はModernist monochrome paintingのgridですが、一枚ずつが実在する人物のportraitです。

1991年–《Synecdoche》

《Synecdoche》は継続的な作品で、後に数百枚のpanelへ拡大しました。1993年Whitney Biennialに出品されたことで広く知られるようになります。

題名のsynecdocheは「部分で全体を表す」修辞法を意味します。皮膚の一部分の色が、一人の人間全体を代表できるのかという問題が題名に含まれています。

抽象絵画であり集団肖像でもある

人物の顔も身体もありません。各panelには一色しかないため、一見すればpure abstractionに見えます。

しかし各色に具体的な人が対応していると知ると、grid全体がgroup portraitへ変わります。抽象とrepresentationの境界が一つの作品の中で反転します。

皮膚の色だけで人間を説明できるのか

National Gallery of Artは、この作品がskin colorとidentityの関係を問い、色だけではindividualについてほとんど何も分からないことを示すと説明しています。

raceを無視するのではなく、raceを皮膚色だけへ還元することの不十分さを、非常に単純なpainting systemから見せます。

Modernist abstractionを別の問題へ接続する

《Synecdoche》はAd ReinhardtやBrice Mardenのmonochromeを思わせます。しかし「色そのもの」を見るはずのModernist formatに、skinという社会的に強く意味づけられた色を入れます。

抽象絵画を捨てるのではなく、その形式をraceとportraitの問題へ接続しました。1990年代のidentityをめぐる美術がfigurative artだけではなかったことを示します。

Pat Ward Williams — 写真を見る暴力

Pat Ward Williamsの《Accused/Blowtorch/Padlock》(1986)は、縛られた黒人男性を写した写真と文字、tar paperなどを組み合わせた大型作品です。Whitneyは1993年にこの作品を収蔵し、同年BiennialへWilliamsを出品しました。

historical violenceの写真をそのまま美術館へ掛けるのではなく、viewerがなぜそのimageを見るのか、何を知ろうとしているのかを問う構造を作りました。

1986年《Accused/Blowtorch/Padlock》

Whitneyの作品記録では、collaged tar paper、oil pastel、found wood、雑誌、三枚のgelatin silver print、透明film上のtextなどが使われています。写真だけではなく、粗い物質と書き込みがimageの周囲を囲みます。

新聞やarchiveの中にある暴力的な写真を「歴史資料」として安全に眺めることを難しくします。

lynching photographをどう見せるか

黒人に対するlynching photographには、暴力の証拠として記録する意味と、暴力をspectacleとして再び消費してしまう危険が同時にあります。

Williamsの作品は、imageを見せる/隠すという単純な選択ではなく、viewerの視線そのものを問題にしました。誰の苦痛を誰が見るのかという倫理が作品の形式になります。

鑑賞者の位置を問う

1990年代の多くの作品では、viewerは中立的な観察者ではありません。Simpsonの写真では「分類しようとする視線」が、Ligonでは引用文をどう読むかが、Williamsでは暴力写真を見る行為が問われます。

作品の意味はartist側だけで完結せず、viewerが持ち込むknowledge、prejudice、desireによって変化します。

1993年 Whitney Biennial

1993年Whitney Biennialは3月4日から6月20日まで開催されました。Whitneyの公式記録ではThelma Golden、John G. Hanhardt、Lisa Phillips、Elisabeth Sussmanの4人がcuratorを務めています。

展覧会にはpaintingやsculptureだけでなく、photography、video、installation、film、performance的な作品が広く含まれ、人種、gender、sexuality、AIDS、violence、media、institutionを扱う作品が大きな割合を占めました。

4人のcurator

一人のcuratorが単一の視点から作った展覧会ではなく、複数の専門領域を持つ4人による構成でした。そのため展示には映像、映画、写真、物体、textなど非常に異なる作品が並びます。

「1993 Biennialはidentity artだけの展覧会だった」と単純化するのは正確ではありません。しかしWhitney自身が後年、この回が「politics of identity」に強く関与した重要なBiennialだったと位置づけています。

1980年代の華やかさから1990年代の現実へ

Whitneyが保存する当時のpress reviewでは、1993年展が1980年代の華やかなart marketから距離を取り、1990年代のより厳しい社会状況へ向き合ったと評されています。

AIDS、race conflict、economic inequality、gender、sexualityをめぐる争いが美術館の中へ入ったため、展覧会を見ること自体がcomfortableなexperienceである必要はないという姿勢が強く現れました。

身体が争点になる

Whitneyは2015年のcollection展示で1993年Biennialを振り返り、この時期の多くの作品が身体を「contest、ideology、desire、disgust」の場として扱ったと整理しています。

身体はartistのprivate expressionだけではありません。法律、medicine、race classification、sexual stereotype、beauty standardなど、社会が意味を付ける場所として扱われます。

Daniel Joseph Martinez — 入場tagを作品にする

Daniel Joseph Martinezは1993年Biennialで、通常ならmuseum admissionの証明としてvisitorが服に付けるmetal tagそのものを作品にしました。Whitneyのinstallation photographには黄色いtagsが展示されています。

作品はgallery wallの中だけにはありません。museumへ入ったvisitorの身体に付けられ、建物の中を移動します。

《Museum Tags: Second Movement》

作品の正式題名は《Museum Tags: Second Movement (Overture) or Overture con Claque—Overture with Hired Audience Members》(1993)です。LACMAにもmetalとenamel paintによる同作品が収蔵されています。

tagには一つまたは複数の単語が記され、複数のvisitorが並ぶことで「I CAN’T IMAGINE EVER WANTING TO BE WHITE」という文章が形成されました。

観客が作品を身につける

通常のmuseum tagは意味を読まれません。「入場料を払った人」という制度的な役割だけを示します。Martinezはそこへraceをめぐる文章を入れました。

viewerは作品を見るだけでなく、自分がどの単語を身体に付けているかを意識します。他のvisitorとすれ違うたび文章の組み合わせも変わります。

「white」を中立な位置にしない

American societyでraceが語られるとき、minority側だけが「raceを持つ人」と見なされ、whiteは無色でneutralなstandardのように扱われることがあります。Martinezのtagは「white」というcategoryそのものを可視化しました。

この作品は強い反発も受けましたが、その反応を含めて、visitorがraceについてどの位置から読むのかを露出させる作品でした。

Biennialそのものを作品の材料にする

この作品は別のgalleryへ同じ形で置くだけでは、1993年当時と同じ意味にはなりません。Whitneyという「American Art」を代表するmuseumの入場systemを利用したsite-specificな要素が強いからです。

誰をAmerican artistとして選ぶのかというBiennialの制度と、「white」をめぐるmessageが直接接続します。

Renée Green《Import/Export Funk Office》

Renée Greenの《Import/Export Funk Office》(1992–93)も1993年Biennialに展示されました。Whitneyのinstallation記録には、資料、音、imageなどを組み合わせた研究室・archiveのような空間が残っています。

Greenはhip-hop cultureがアメリカからヨーロッパへどのように受容され、翻訳されるかを調査し、文化が国境を越える際に生まれる誤解やprojectionを扱いました。

hip-hop文化の流通を調査する

hip-hopを「African American cultureのauthenticな表現」と固定するのではなく、雑誌、record、fashion、批評を通して別の地域へ輸出される過程を見ます。

文化は移動すると意味が変わります。誰がそれを説明し、誰が「本物らしさ」を判断するかが問題になります。

アメリカとヨーロッパの視線のずれ

Greenは文化的なexchangeを、一方向のexportとして扱いません。ヨーロッパ側のdesireやstereotypeも、アメリカ側が自分自身を理解する方法へ戻ってきます。

identityは内部から自然に出てくるものではなく、他者の視線との往復で作られるという考えが、research-based installationへ展開されました。

Alison Saar — 身体、歴史、素材

1993年BiennialではAlison Saarの《Skin Deep》(1993)などのsculptureも展示されました。Saarは木、金属、found materialなどを用い、African American history、女性身体、folk tradition、spiritualityを重ねます。

ここでもidentityは単なる肖像ではありません。material自体がhistorical associationを持ち、身体像が個人的・文化的な複数のhistoryを背負います。

Gary Simmons — stereotypeと消去

Gary Simmonsの《Lineup》(1992–93)も1993年展に含まれました。Simmonsはschool blackboard、chalk、消去痕、racist caricatureなどを利用し、imageが消えてもmemoryやstereotypeが残ることを扱ってきました。

「悪いimageを消せば問題も消える」という単純な関係ではありません。stereotypeは消された痕跡として文化に残ります。

Pepón Osorio — 家庭空間とLatino community

Pepón Osorioも1993年Biennialに参加し、家庭用品、装飾、videoなどを組み合わせたenvironmentを通してPuerto Rican / Latino communityの日常と社会問題を扱いました。彼の作品では、museumのminimalなwhite wallとは反対に、物が密集したdomestic interiorが重要になります。

生活空間を美術館へ持ち込むことで、「美術館にふさわしい美しさ」という価値観と、誰の日常が展示されてきたのかを問い直しました。

なぜ「political Biennial」と呼ばれたのか

1993年展は現在も「political Biennial」として記憶されています。Whitney自身も、Ligonの作品解説で、この展覧会がpolitical artへの集中によって称賛と非難の双方を受けたと振り返っています。

ただし「政治的」という言葉には注意が必要です。作品が政党や政策への賛否を示したというより、race、gender、sexuality、history、museum representationがすでに社会的なpower relationと結びついていることを前面化した展覧会でした。

強い反発も展覧会史の一部である

1993年Biennialは多くの否定的なreviewを受けました。Whitneyの現在のarchiveも、当時の厳しい批評をあえて掲載しています。

その反発を「批評家が理解できなかった」とだけ処理する必要はありません。政治的内容とaesthetic experienceの関係、美術館は社会問題をどこまで扱うべきか、作品の質をどのように判断するかという論争が実際に存在しました。

「political correctness」という批判

1990年代初頭には「political correctness」という言葉が広く使われ、raceやgenderを重視する文化政策や大学、美術館に対する批判語にもなりました。1993年Biennialもその議論の中心に置かれます。

一方で、従来の美術史が男性、white artists、heterosexualityをneutralなstandardとしてきたのではないかという反論もありました。何を「政治的」と呼び、何を「普通の美術」と呼ぶのか自体が争点になります。

政治と美的価値を対立させる議論

批評の一部では、1993年展はsocial messageを優先しすぎて「quality」や「beauty」を犠牲にしたと論じられました。その翌々年の1995年Biennialが「beauty and form」へ戻ったとWhitney自身が後年比較していることからも、この対立が当時強く意識されていたことが分かります。

しかし政治的な主題があることと、作品形式を考えていないことは同じではありません。Simpsonの写真構成、Ligonの文字とpaint、Kimのmonochrome、Gonzalez-Torresのparticipatory sculptureはいずれも、形式そのものを通して問題を作っています。

作品を「message」に還元しない

社会問題を扱う作品を見ると、「この作品は何を訴えているのか」と一文で要約したくなります。しかし1990年代の重要な作品ほど、単純なmessageへ還元しにくいものが多くあります。

LigonはMapplethorpeへの複数の意見を並べ、Gonzalez-TorresはAIDSという言葉を明示せず、Simpsonは被写体のidentityを隠します。見る人が考える余地を残すことも作品の形式です。

1994年《Black Male》

1993年Biennialの翌年、WhitneyではThelma Golden企画《Black Male: Representations of Masculinity in Contemporary American Art》が1994年11月10日から1995年3月5日まで開催されました。

Whitneyは後年、この展覧会をpost-Civil Rights eraにおけるAfrican American menのrepresentationを、aestheticとpoliticalの両面から検討した画期的な企画として振り返っています。

Thelma Goldenと黒人男性表象

Goldenは「black male」というcategoryを肯定的な一つのimageへ置き換えるのではなく、映画、写真、art、popular cultureの中で黒人男性がどのように見られ、作られてきたかを複数の作品から検討しました。

「正しいblack male image」を提示するのではなく、そのcategory自体が歴史的な表象によって構成されていることを見せようとしました。

一つの「黒人男性像」を作らない

Whitneyによる20周年の振り返りでは、Goldenが複雑なblack masculinityを扱うためにはmultiple voicesとperspectivesが必要だったと説明しています。

raceとgenderを扱う展覧会が、一つのidentityを単一のvoiceで代表してしまえば、再びstereotypeを作りかねません。1990年代には「representationを増やすこと」と「一つのgroupを一枚岩としてrepresentしないこと」を同時に考える必要がありました。

展示だけでなく文脈を作る

《Black Male》では作品展示に加え、cultural historian Maurice Bergerによるtimelineを置いたcontext roomやpublic programsが組み込まれました。Whitneyの振り返りによれば、作品だけでは扱いきれない歴史と議論を複数の形式で提示するためでした。

exhibition catalogue、教育program、discussionも展覧会の意味を構成します。美術館が「作品を掛ける場所」から議論を組織する場へ変わっていく例です。

1995年 Whitney Biennial

1995年Whitney BiennialはKlaus Kertessがcurateし、3月23日から6月4日まで開催されました。Whitneyの現在の資料は、この回が1993年とは対照的に、metaphorやbeauty、formを強調した展覧会として受け取られたことを示しています。

二つのBiennialを並べると、1990年代前半の美術界で「politics」と「beauty」が対立概念として語られていたことがよく分かります。

「政治」から「美と形式」へという反動

Whitneyは後年のprogramで、1993年がidentity politicsへ強く関与したのに対し、1995年はbeautyとformへの回帰を示したと比較しています。

ただしこれは1993年に形式がなく、1995年に政治がなかったという意味ではありません。展覧会をどう語るかという批評上のframingが大きく変わったことを示します。

Identity Politicsが終わったわけではない

1995年に美術界がidentityへの関心を捨てたわけではありません。その後もrace、gender、sexuality、migration、postcolonial historyはcontemporary artの中心的な問題であり続けます。

むしろ1993年の激しい論争を経て、それらを「特別なpolitical art」のcategoryへ分離できなくなっていきます。identityとformを別々に考えること自体が難しくなりました。

representationの二つの意味

英語のrepresentationには「像として表すこと」と「社会的・政治的に代表すること」という二つの意味があります。1990年代のidentityをめぐる美術では、この二つが強く重なりました。

黒人女性の写真をどう撮るかという問題は、黒人女性が美術館でどの程度representされているかという制度問題と無関係ではありません。imageのrepresentationとinstitutional representationが同時に問われます。

誰が語るのか

あるcommunityについて誰が作品を作れるのかという問題も強くなります。外部のartistが他者をrepresentする場合、その視線にはpower relationがあります。一方、同じidentityを持てば自動的に正しいrepresentationになるわけでもありません。

LigonがMapplethorpeの《Black Book》を扱った作品のように、複数の立場を並べ、語る位置そのものを可視化する方法が重要になります。

誰が見るのか

美術史ではartistとartworkが中心になりがちですが、1990年代の作品ではviewerのidentityも重要になります。同じimageを誰が見るかによって、意味や不快感、共感は変わります。

Martinezのtagはその違いをviewerの身体へ直接戻しました。白人visitorと非白人visitorが同じ「WHITE」というtagを付けても、社会的な意味は同じではありません。

誰が美術館に表象されるのか

1993 Whitney Biennialをめぐる議論は、個別作品だけでなく「American Artを代表するmuseumが誰を選ぶのか」という問題でした。

選ばれるartistのraceやgenderを数えることは1970年代Feminist Artから続いていますが、1990年代にはselectionだけでなく、curatorial framing、wall text、visitor、staff、collection historyまでrepresentationの問題として見られるようになります。

絵画にとって何が変わったのか

Identity Politicsはpaintingを否定したわけではありません。Ligonは文字をoil stickで描き、Byron Kimはmonochrome paintingをskin toneのportraitへ変換しました。Nancy SperoやSue Williamsもpainting / drawingのsurfaceを政治的・身体的な問題へ接続しています。

重要なのは、formal languageとsocial subjectを二者択一にしなくなったことです。色、文字、筆触、supportそのものがidentityとhistoryを担うことができます。

写真にとって何が変わったのか

Pictures Generationでは写真の「真実らしさ」が問い直されました。SimpsonやWilliamsの世代では、さらに「誰を撮るか」「誰が見るか」「写真がhistorical stereotypeを再生産しないか」が中心になります。

写真はidentityを記録するだけではなく、identityを分類し、固定し、時には暴力的に作る装置として分析されました。

installationにとって何が変わったのか

Green、Wilson、Osorioらは、一つのobjectより、viewerが入るenvironment全体を使いました。historical document、furniture、video、household object、soundが同じ空間へ置かれます。

identityは一枚のportraitでは表現できないため、複数の資料やvoicesを同時に配置できるinstallationが重要な形式になりました。

言葉にとって何が変わったのか

Ligonの引用、Martinezのtag、Gran Furyのposterなど、この時期にはlanguageが非常に強く使われます。しかしConceptual Artのneutralなstatementとは違い、言葉が誰の口から発せられ、誰へ向けられるかが重要です。

同じsentenceでもspeakerとreaderのpositionによって意味が変わります。language自体がidentityとpowerを持つようになります。

Identity Politicsという名称の限界

「Identity Politics」という言葉はこの時期を整理するには便利ですが、作家をrace、gender、sexualityの代表者へ固定する危険もあります。黒人artistはraceについて、gay artistはsexualityについて制作する人だと決めてしまえば、それ自体が新しい分類になります。

Simpsonはphotographyの問題を、Ligonはpaintingと言語を、Gonzalez-TorresはMinimalism、participation、timeを、Kimはabstractionとcolorを扱っています。社会的identityとmediumの問題は同時に存在します。

1989–1995年に何が変わったのか

1989年、Gran Furyは広告の視覚言語を使ってAIDS crisisを公共空間へ持ち込み、Mapplethorpe《The Perfect Moment》のCorcoranでの中止は、museum、public funding、sexuality、censorshipをnational debateへ押し上げました。同じ頃Lorna Simpsonは顔を見せない写真と文字からraceとgenderの分類を問い、Glenn LigonはCivil Rights Movementの言葉や黒人文学をpaintingへ移しました。

1990–91年にはFelix Gonzalez-Torresがpaper stack、clock、candyという最小限の形式へdeath、love、AIDS、participationを重ね、Byron Kimはmonochrome paintingを皮膚の色によるportraitへ変えました。社会問題をillustrationするのではなく、Minimalism、abstraction、photography、languageといった既存の美術形式そのものを書き換える作品が増えます。

1993年Whitney Biennialはその動きを大規模museumの中心へ集め、Daniel Joseph Martinezはmuseum admission tagをvisitorの身体へ付け、Ligon、Simpson、Wilson、Green、Kim、Williamsらがrepresentationとinstitutionを異なる角度から扱いました。展覧会への激しい賛否を経て、1994年《Black Male》は一つのidentityを複数のvoicesから扱う方法をさらに発展させます。1995年Biennialがbeautyとformを強調する方向へ振れたことも含め、1990年代前半は「politicsかaestheticsか」という対立そのものが問い直された時期でした。

1990年代以後への影響

1990年代後半以降、identityを扱うことは特定のmovementの特徴ではなくなっていきます。migration、diaspora、postcolonial history、queer identity、gender transition、disabilityなど、より多様な社会的位置がcontemporary artへ入ります。

同時に、「誰のidentityを誰がrepresentできるのか」「museumがdiversityを展示することで問題が解決したことになるのか」という新しい問いも生まれます。1993年Biennialで表面化した問題は、答えが出て終わったのではなく、美術制度の基本問題として残りました。

次の時代へ — AIDS CrisisとActivist Art

本記事ではAIDS crisisを1990年代Identity Politicsの重要な背景として扱いましたが、その歴史だけで独立した一本の記事が必要です。ACT UP、Gran Fury、David Wojnarowicz、Felix Gonzalez-Torres、Robert Gober、General Idea、Nan Goldinらは、死、医療、sexuality、censorship、mourning、public informationをそれぞれ異なる方法で作品化しました。

次の記事では、1987–1996|AIDS CrisisとActivist Art — ACT UP、Gran Fury、喪失、公共空間として、《Let the Record Show…》《Kissing Doesn’t Kill》、Wojnarowicz、Gonzalez-Torres、General Idea《IMAGEVIRUS》などを追い、AIDSが美術の主題だけでなく、作品の流通、観客、公共性、作者性をどのように変えたのかを詳しく扱います。

参考資料・出典

本ページは、美術館、作家財団、大学・研究機関、展覧会archiveを参照してART LIBRARYが独自に構成・執筆しています。「Identity Politics」を一つの統一された運動として扱わず、race、gender、sexuality、AIDS、class、institutional representationをめぐる複数の実践を整理するための歴史的な枠組みとして用いています。また1993年Whitney Biennialについては、後世の評価だけでなく、当時実際に強い批判と論争を受けたことも展覧会史の一部として扱っています。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY