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2020–2024

人種差別と植民地主義をめぐる美術館の変化

美術館は誰の視点から歴史を伝えるのか?

2020年5月、米国ミネアポリスでジョージ・フロイドが警察官による拘束中に死亡しました。この事件をきっかけに、警察による暴力や黒人への人種差別に抗議するデモが米国内外へ広がりました。抗議の場で広く使われた「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)」は、「黒人の命も大切だ」という意味の言葉です。黒人の命や権利が軽んじられてきた社会の現実を問い直す訴えとして、2013年に米国で始まった運動に由来します。当時、黒人の少年トレイボン・マーティンを射殺した男性に無罪評決が下されたことが、その発端となりました。2020年にはフロイドの死を受けて、この言葉のもとに抗議が大きく広がり、人種差別を社会の制度や歴史から見直そうとする動きが強まりました。美術館もその問いを向けられ、奴隷制や植民地主義の歴史をどのように展示し、どのような作品を重要な文化として認めてきたのかを改めて考えることになりました。

英国ブリストルでは、奴隷貿易に関わったエドワード・コルストンの銅像が倒され、港へ投げ込まれました。米国リッチモンドでは南北戦争で奴隷制を維持しようとした南部連合のリー将軍像の台座が抗議表現の場となり、翌年には像が撤去されます。公共空間の記念碑は、誰が都市の英雄として称えられてきたのかを示す物体です。記念碑を残すか撤去するかという論争は、彫刻の造形と、建立された政治的・社会的な背景を同時に考える契機となりました。

同じ時期、スミソニアン協会は抗議に使われた看板などを、黒人の権利を求める運動の歴史的資料として記録し始めました。美術館や博物館の収集は、かつての権力者が残した物だけを集める活動から、現在進行形の抗議に参加する人々の声を保存する仕事へと広がっています。どの声が後世へ伝えられ、どの経験が歴史の外へ置かれてきたのかという問題が、収集方針そのものに向けられました。

2020年には、フィリップ・ガストンの回顧展《Philip Guston Now》も延期されます。作家は白人至上主義団体クー・クラックス・クランの頭巾を被った人物を絵画に繰り返し登場させ、加害や共犯性を描いていました。複数の美術館が展示方法を見直すと発表すると、作品を公開する責任と、差別の歴史を適切に解説する責任をめぐって議論が起こります。2022年に始まった再構成版の展覧会は、絵画を取り巻く解説と観客の経験を問い直す試みとなりました。

美術館の収蔵品を売却して、その資金を職員の待遇改善や過小評価されてきた作家の収蔵に充てるべきかという問題も表面化しました。ボルティモア美術館は、ブライス・マーデン、クリフォード・スティル、アンディ・ウォーホルの作品の売却計画を発表しましたが、収蔵品を守る長期的な責任をめぐる反対を受けて停止しました。何を残すのかという判断は、どの作品を美術史の中心に置くのかという判断と結びついています。

さらに、欧米の博物館が植民地支配や軍事侵攻によって取得したアフリカの文化財について、返還が具体的に進みます。1897年に英国軍がナイジェリアのベニン王国から持ち出した宮廷美術と、1892年のフランス軍の侵攻に由来する現在のベナン共和国のアボメー王宮の財宝は、由来も返還先も異なります。2021年から2022年にかけてニューヨーク、ワシントン、ベルリン、ロンドン、パリの所蔵機関が返還を発表・実行し、所有権と歴史の説明をめぐる判断が変化しました。

2022年、国際博物館会議は博物館の定義に多様性、持続可能性、共同体の参加を明記しました。米国では1990年に成立した先住民遺骨保護返還法の規則が2024年に改定運用され、先住民の遺骨や文化的物品の展示・研究における同意が重視されます。本記事では2020年から2024年までの具体的な作品と制度の決定をたどり、欧米の美術館が人種差別と植民地主義の歴史をどのように扱い、誰が作品の意味を語り、所有し、展示する権限を持つのかを考えます。

2020年、美術館に問われた人種差別の歴史

BLMの抗議は、黒人への暴力が美術館の外部で起きている出来事であるという見方を揺さぶりました。美術館も歴史を選び取る制度として、自らの行動を説明することになります。

ジョージ・フロイドの死と抗議の拡大

2020年5月25日、米国ミネアポリスでジョージ・フロイドが警察官による拘束中に死亡しました。各地へ広がった抗議では、警察による暴力や制度的な人種差別とともに、社会が誰を記念し、誰の経験を歴史として残してきたのかが問われました。広場の記念碑、大学の名称、企業の採用方針、文化機関の運営にまで議論は及びます。

美術館では、黒人作家の収蔵点数に加えて、組織全体の意思決定のあり方も問われました。収蔵の方針を決める学芸員や理事会、寄贈者の影響、職員の採用や昇進、研究予算の使い方も検討されました。美術館が長い年月をかけて形成してきたコレクションには、その時代の社会的な価値判断が積み重なっています。

スミソニアン協会は2020年5月、人種的不平等について声明を発表しました。この時期の論争は、美術館が人種差別の歴史を紹介する公共機関であると同時に、その歴史と関わって成立してきた組織でもあることを明らかにしました。(参照:スミソニアン協会|2020年5月の声明)

スミソニアンと美術館長団体の声明

2020年5月31日、スミソニアン協会長ロニー・バンチはジョージ・フロイドの死を受けて声明を発表し、米国社会に根深く残る人種的不平等への対応を訴えました。翌6月1日には全米美術館長協会(AAMD)も声明を出し、美術館界が人種的公正の実現に十分取り組んでこなかったことを認めています。

声明が発表されたのは、新型コロナウイルス感染症による閉館や社会的な混乱が続く時期でした。収蔵と展示を通じて歴史を伝える組織は、現在の暴力や差別にどう向き合うのか、その立場を社会に示すことを求められます。スミソニアンは歴史を調べ、教育へつなぐ公共機関としての責務を表明しました。美術館長たちの言葉は、その後の実務を評価する起点にもなりました。黒人作家の作品取得、展示方針、職員構成、地域の人々との協働にどのような変化があったのか。声明で掲げられた姿勢は、実際の収蔵や運営の記録と合わせて検証されていきます。(参照:全米美術館長協会|BLMに関する声明)

声明から収蔵と職員の制度へ

2020年以降、米国の美術館で働く人々からは、採用や昇進の機会、職場環境、展示に関わる意思決定を見直す要求が相次ぎました。学芸員や教育担当者に加え、警備や施設管理を担う職員の待遇と発言機会も議論に含まれます。収蔵する作家の顔ぶれと、組織内で方針を決める人々の構成は、互いに結びついた問題でした。例えば新たに黒人作家の作品を購入しても、その作品を研究する予算や継続的に展示する人員が確保されなければ、展示室で紹介できる歴史の広がりは限定されます。理事会が予算を承認し、学芸員が調査し、教育担当者が地域の人々へ伝えるまでには、多くの職種と判断が関わります。

同じ時期に議論された記念碑の撤去、収蔵品の売却、植民地支配下で奪われた作品の返還にも、それぞれ異なる法的権限と手続きがありました。組織がどのように意思決定するかを調べることは、目に見える展示の変化を理解するためにも欠かせない作業となりました。(参照:ニューヨーク近代美術館|美術館は何をすべきか)

抗議の看板が博物館の歴史資料になる

抗議の現場に残された物を収集する行為は、誰が後世の歴史に登場するのかという問題に直接関わります。

ラファイエット広場の抗議を記録する

2020年6月、スミソニアン協会の三つの博物館は、ホワイトハウスに近いラファイエット広場周辺で使われた抗議の看板やメッセージを記録・収集する活動を始めました。参加したのは国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館、国立アメリカ歴史博物館、アナコスティア地域博物館です。手書きの文字や絵が残る看板は、抗議に参加した人々がその場で掲げた要求を伝えます。

6月12日のスミソニアンの発表では、活動家と協力しながら資料の背景を記録する方針が示されました。収集候補を記録し、調査してから、正式に博物館の資料として受け入れるかを判断する手続きも説明されています。現場で記録された物品は、調査と受け入れの手続きを経て、正式な収蔵の対象となります。

例えば同じ言葉が書かれた看板でも、掲げられた場所や制作者の経験によって意味が変わります。物体とともに証言を残す方法は、抗議を単なる街頭の風景として記録する以上の情報を後世へ伝えます。(参照:スミソニアン協会|抗議資料の収集に関する声明)

急速な収集と現在進行形の歴史

抗議の現場で作られた紙や布の看板は、風雨や撤去によって短い時間で失われることがあります。2020年のスミソニアンの取り組みは、出来事が進行している最中から物体と証言を収集する「緊急収集」の実践でした。歴史的価値が定着するのを待つ間に消えてしまう表現を、当時の状況とともに残そうとしたのです。

看板には急いで書かれた文字、塗料のにじみ、折れた持ち手など、写真から読み取りにくい痕跡もあります。博物館の担当者は制作された場所、使用された集会、関係する人々の証言を調べ、物体と結びつけて記録します。個人の意見として書かれた言葉と、組織が掲げた要求とを区別する手がかりにもなります。抗議運動には異なる立場や要求が共存します。どの物品を選んで残すかという判断は、将来の研究者や来館者がどのような声に出会えるかを左右します。国立アメリカ歴史博物館の収集活動は、歴史の記録を作る仕事そのものを現在の運動へ開く試みでした。(参照:国立アメリカ歴史博物館|BLM運動の収集記録)

誰の言葉で黒人の運動を伝えるのか

黒人の権利を求める運動の資料を博物館で紹介するとき、看板を制作した人や集会に参加した人の証言は、文字の意味を理解するうえで貴重な手がかりになります。長年地域で活動してきた人々、亡くなった人の家族、異なる世代の参加者の証言を重ねることで、運動の多面的な歴史が伝わります。

スミソニアンは2020年の収集活動で、現場の活動家との協働を掲げました。例えば「Black Lives Matter」と書かれた一枚の看板には、掲げた本人が何を見聞きし、何を変えたいと考えたかという個別の背景があります。収集品の名称、使用場所、寄贈の経緯、関係者の証言を組み合わせることで、匿名の物品として扱われやすい資料に具体的な歴史が生まれます。

過去の博物館では、黒人の人々が資料の対象になっても、当事者自身の説明が記録に十分反映されないことがありました。抗議の物体を誰の言葉で紹介するかという問題は、収集する側と記録される側の関係を改めて考える契機となりました。(参照:国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館|抗議記録の収集)

奴隷貿易に関わったコルストン像の撤去

英国ブリストルのコルストン像は、誰を公共空間で称えるのかという問題を最も具体的に示した事例の一つです。

2020年6月7日、コルストン像が倒される

英国の港湾都市ブリストルには、奴隷貿易に関与した商人エドワード・コルストンの銅像が1895年に建立されました。コルストンは17〜18世紀に奴隷貿易から利益を得た人物で、後年の慈善活動によって市内で顕彰されていました。

像が建てられたのは、コルストンの死から約170年後です。高い台座に立つ姿は、慈善家としての功績を強調し、奴隷貿易との関係を都市の記憶の周辺へ押しやる働きもしてきました。

2020年6月7日、人種差別に抗議する参加者たちは像を引き倒し、港へ投げ込みました。公共の場所で誰を英雄として称えるかという問題が、像の撤去を通じて国内外の議論へ広がります。

行動を支持する声に加え、公共財の破損や意思決定の手続きをめぐる批判も起こりました。物体の保存と都市の歴史をどう扱うかという課題は、後の博物館展示と市民協議へ引き継がれます。(参照:ブリストル博物館|コルストン像の一時展示と市民協議)

抗議の痕跡を残したまま保存する

ブリストル市が港からコルストン像を引き上げると、保存担当者は塗料、落書き、引き倒された際の損傷を含めて状態を記録しました。2020年の抗議を示す痕跡を残し、像が台座上にあった時代と引き倒された時代の両方を伝える方針が選ばれます。博物館の保存修復は、制作当初の見た目に戻すことだけを目的とする仕事から、物体がたどった歴史を守る仕事へ広がりました。

2021年6月から翌年1月、像は社会史博物館M Shedで横倒しに展示されました。見上げる高さから地面に近い視線へ移された像は、都市の英雄を称える記念碑から、その顕彰をめぐる論争の資料へ姿を変えます。公開に合わせて、市民が像の今後について意見を述べる調査も実施されました。調査には約1万4,000件の回答があり、ブリストル市内に住む回答者の約8割が博物館での展示を支持しました。物体の保存状態と、都市が歴史をどのように語るかを市民協議によって結びつけた事例です。(参照:ブリストル博物館|コルストン像の一時展示と市民協議)

2024年の常設展示と異なる市民の声

2024年3月15日、ブリストルのM Shedはコルストン像を組み込んだ常設展示を公開しました。像は横倒しに置かれ、2020年の抗議で残った落書きもそのまま保存されています。来館者は彫像の周囲を歩きながら、抗議の映像や当日の看板、奴隷貿易の歴史を紹介する資料に接します。

展示には、像を倒す行動を支持した人々と、それに反対した人々の証言が併記されました。博物館は2021年の市民協議に約1万4,000件の回答が集まったことを公表し、住民の意見や歴史研究者、地域の活動家からの助言を展示計画へ反映しています。建立時の姿を再現する展示とは異なり、都市の記憶をめぐる対立自体が紹介されます。

現在も残る台座と、博物館へ移されたブロンズの像は、同じ記念碑の異なる歴史を伝えています。公共空間で顕彰することと、博物館で研究資料として保存することが、異なる判断であると分かる展示です。(参照:ブリストル博物館|コルストン像の2024年常設展示)

リッチモンドの南部連合記念碑が変わる

米国南部の南部連合記念碑は、奴隷制を維持した側の指導者たちを何世代にもわたり公共空間で顕彰してきました。

リー将軍の騎馬像と記念碑通り

米国バージニア州リッチモンドは、南北戦争で南部連合の首都となった都市です。1890年、ロバート・E・リー将軍の騎馬像が建立され、その後、記念碑通りには南部連合の軍人をたたえる彫刻が増えていきました。高い台座から街を見下ろす騎馬像は、都市の景観に軍事的な英雄像を組み込みました。

南部連合は奴隷制度を守るために合衆国から分離した州の連合でした。戦後の記念碑建設には、戦死者を悼む意図に加えて、南部連合の正当性を示そうとする政治的な動きが関わりました。建設が集中した時期は、人種隔離や黒人の投票権を制限する制度の拡大とも重なります。騎馬像の壮麗な造形を理解するには、作者や建立費用、設置場所とともに、どの人物を都市の象徴に選んだかを調べることが手がかりになります。2020年の抗議は、この顕彰の歴史を現在の公共空間で問い直す契機になりました。(参照:ニューヨーク近代美術館|記念碑と歴史の表象)

台座の落書きとジョージ・フロイドの肖像

2020年、リッチモンドのリー将軍像の台座は抗議の言葉で覆われました。「Black Lives Matter」などの文字、塗料の色彩、献花が重なり、巨大な石の表面に当時の街の声が刻まれます。夜にはダスティン・クラインらがジョージ・フロイドの肖像を像の台座へ投影し、南部連合の将軍をたたえる記念碑が別の記憶を示す場所へ変わりました。

投影された肖像は光として短時間だけ現れ、台座の文字や塗料は物理的な痕跡として残ります。二つの表現は、既存の物体を街頭の発言の場へ変える点で共通しています。彫像と抗議の痕跡が重なった光景は、写真や映像にも記録され、公共彫刻をどの時代の姿で保存するかという問題を生みました。

保存修復家にとって落書きは物体の表面に生じた変化です。同時に2020年の歴史を伝える一次資料でもあります。どの痕跡を残し、どの記録を別に保存するかという選択に、記念碑のその後の歴史が関わっています。(参照:ニューヨーク近代美術館|リッチモンドのリー将軍像)

2021年の撤去と公共空間の意思決定

リッチモンドのリー将軍騎馬像は、州の所有物を動かす権限などをめぐる法的な争いを経て、2021年9月8日に撤去されました。高い台座の上から南部連合の指導者を顕彰することへの反対が強まる中、記念碑を公共空間に置く意味と、歴史資料として保存する意味が議論されました。

撤去を支持する人々は、住民が日々通行する場所で南部連合の人物を称え続けることが、現在の街の価値観を示す行為になると訴えました。歴史的な彫刻の現地保存を求める意見には、過去を考える機会を失うことへの懸念もありました。いずれも記念碑が置かれた場所と都市の歴史をどのように引き継ぐかに関わる考え方です。像が撤去された後にも、抗議の記録、台座の状態、作品の保管先について判断が続きました。公共彫刻の扱いには、造形の評価とあわせて住民の参加、行政の権限、保存の方法という具体的な条件が重なっています。(参照:ニューヨーク近代美術館|リッチモンドのリー将軍像)

新しい記念碑をつくるアーティストたち

既存の記念碑を撤去する議論と並行して、公共彫刻そのものを新しく作り直す作家の取り組みが進みました。

ケヒンデ・ワイリー《Rumors of War》

ケヒンデ・ワイリーの《Rumors of War》(2019)は、現代的な服装の若い黒人男性が馬にまたがる巨大なブロンズ彫刻です。騎手は頭を高く保ち、手綱を握って馬を制しています。英雄を示す騎馬記念碑の形式が、そのまま受け継がれています。

作品が参照するのは、リッチモンドの記念碑通りにあった南部連合のJ・E・B・スチュアート将軍の騎馬像です。作家は2016年の現地訪問をきっかけに、南部連合を顕彰してきた彫刻史を現代の人物像から捉え直す構想を深めました。

ブロンズの素材、高い台座、馬の動きを変えずに、中心となる人物を今日の黒人青年へ置き換えました。都市の歴史を代表する人物として誰が見上げられてきたのかが、造形そのものから浮かび上がります。

作品は2019年9月にニューヨークのタイムズスクエアで初公開され、12月にリッチモンドのバージニア美術館前へ恒久設置されました。南部連合の記念碑が議論を呼ぶ都市で、新しい騎馬像が公共彫刻の形式を更新しています。(参照:バージニア美術館|ケヒンデ・ワイリー《Rumors of War》)

モニュメント・ラボが調べた顕彰の偏り

記念碑研究団体モニュメント・ラボは2021年、全米の公共記念碑の記録約4万8,000件を調べ、誰が顕彰されているかを分析した報告を公表しました。歴史上の人物を称える記念碑の上位50人には大統領や将軍が多く、女性は3人、黒人と先住民の人物は計5人でした。公共空間の彫刻が、どのような歴史を優先してきたかを数値から読み取る試みです。

彫像を一つずつ鑑賞すると、彫刻家の技術や人物の表現へ目が向きます。全国規模の調査では、誰に建立費用が集まり、誰の銅像が選ばれ、学校や街の中心に置かれてきたかという、個々の作品を超えた構造が浮かびます。上位に軍人や富裕層の人物が多いという傾向は、建立を決める社会的な権限とも関わっています。

調査の対象は収集できた公開記録約4万8,000件であり、米国全域の記念碑を完全に網羅するものとは区別されています。調査範囲を明確にしたうえで、多数の記念碑を一つの都市景観として考える視点を提供しました。(参照:Monument Lab|記念碑の人物表象に関する分析)

ハンク・ウィリス・トーマス《The Embrace》

2023年1月13日、ハンク・ウィリス・トーマスとMASSデザイン・グループによる巨大なブロンズ彫刻《The Embrace》が、ボストン・コモンで公開されました。着想源となったのは、1964年にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアがノーベル平和賞を受賞した後、コレッタ・スコット・キングと抱き合う写真です。

作品は二人の抱擁する腕と手を大きく取り出し、その身振りを彫刻へ変えています。高さ約6メートル、幅約7.6メートルのブロンズが大きく組み合わされ、観客は腕の下や周囲へ歩いて入れます。遠くから英雄の肖像を見上げる記念碑に対し、身体の一部がつくる空間を歩くという鑑賞体験が用意されています。広場の整備では、キング夫妻とともにボストンで公民権運動に関わった人々の歴史にも光が当てられました。個人の顔を正確に写す肖像彫刻から、愛情と連帯を表す身振りへと造形を移したことが、この作品の特徴です。(参照:ボストン市|《The Embrace》の構造と公共美術計画)

フィリップ・ガストン展の延期と再開

人種差別を描いた作品を公開するとき、美術館は作品の意味をどこまで説明し、誰の視点を組み込むべきかという問題に直面しました。

2020年、四つの美術館が巡回展を延期

《Philip Guston Now》は、フィリップ・ガストンの制作を長い時間軸で振り返る国際巡回展として、ボストン美術館、ヒューストン美術館、ワシントンのナショナル・ギャラリー、ロンドンのテート・モダンによって企画されました。2020年9月、四館は人種的公正を求める運動と感染症の流行を踏まえ、展覧会の延期と解説方法の再検討を発表します。

ガストンの作品には、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)の頭巾を被った人物が繰り返し登場します。館長たちは、差別や暴力の歴史を観客が理解できる説明を整えるために時間が必要だと述べました。延期に反対した作家や研究者は、不快な図像を含む作品こそ公の場で検討されるべきだと批判しました。

論争の対象は絵画の公開時期に加え、展示室で説明を添える方法、鑑賞者の経験をどう受け止めるかという学芸活動のあり方でした。延期の発表後、実際の作品を見せながら歴史を説明する展覧会の準備が進められました。(参照:ボストン美術館|《Philip Guston Now》延期に関する館長声明)

ガストンが繰り返し描いたKKKの頭巾

フィリップ・ガストンは1930年代から政治的暴力や人種差別に関心を持ち、1960年代末には抽象絵画から具象的な表現へ大きく転じました。厚い絵の具と漫画を思わせる輪郭で、日常の物と不穏な人物像を描き始めます。

頭巾を被った人物が車を運転し、煙草を吸い、室内で過ごす場面が繰り返し登場します。クー・クラックス・クラン(KKK)の衣装を着た人物がありふれた生活を送る姿には、暴力が日常へ入り込んでいる感覚があります。

1969年の《The Studio》では、白い頭巾を被った人物がイーゼルに向かって絵を描きます。赤みのある輪郭と厚く塗られた絵の具が、加害を象徴する衣装とぶつかり、絵を描く作家自身の共犯性という問題も浮かび上がります。

ガストンはユダヤ系の家庭に生まれ、差別や政治的暴力を主題にし続けました。その制作史をたどることと、黒人の鑑賞者が頭巾のイメージをどう受け止めるかという問題が、2020年の展示論争で交わることになります。(参照:ボストン美術館|《Philip Guston Now》の展示解説)

2022年の展示に加えられた説明と対話

延期された《Philip Guston Now》は、2022年5月1日にボストン美術館で開幕しました。絵画73点と素描27点を通じて、1930年代の政治的な作品から抽象表現、1960年代末以降の具象絵画までを紹介しています。1970年の画廊展で注目を集めた作品も再び並べられ、ガストンがなぜ制作の方向を変えたのかをたどれる構成でした。

新しい壁面解説では、人種差別、反ユダヤ主義、暴力という主題が明確に取り上げられました。観客が難しい図像に向き合うための情報や、異なる背景を持つ人々の応答を取り入れる方法も整えられています。絵画を描いた作家の意図と、その絵画が今日の観客に与える影響を、展示の中で検討する試みです。巡回先での解説にも工夫が加わり、作品を公開しながら議論のための条件を作る方法が模索されました。展覧会は、差別を象徴するイメージを扱う際に、美術館がどのような調査と説明を引き受けるのかを具体的に示しました。(参照:ボストン美術館|《Philip Guston Now》(2022))

収蔵品を売却してよいのかという論争

2020年の財政危機と人種的不平等をめぐる議論は、コレクションを守る責任と現在の社会に応答する責任を衝突させました。

パンデミックとAAMDの一時的な措置

2020年春、新型コロナウイルス感染症の拡大で米国の美術館は相次いで閉館し、入場料や施設利用による収入が減少しました。4月15日、全米美術館長協会(AAMD)は、一定の制限基金の扱いと収蔵品売却益の使用について、期限付きの特例措置を発表しました。作品の「直接的なケア」に売却益を充てる場合には、当面の間、制裁を差し控えるという対応です。

美術館が作品を収蔵するのは、現在の来館者のためだけでなく、将来の研究や展示のためでもあります。収蔵品を整理して売却する「除籍」は以前から行われてきましたが、得た資金の使途には倫理上の制限が設けられてきました。経営難を理由に作品を次々と売れば、寄贈者や来館者との信頼関係にも影響します。AAMDの2020年の措置は、感染症拡大という緊急の状況に対処するための暫定的な判断でした。その運用を背景に、収蔵品の売却益を職員の待遇やコレクションの見直しに使うべきかという議論が表面化します。(参照:全米美術館長協会|2020年の収蔵品売却益に関する暫定措置)

ボルティモア美術館が示した売却計画

2020年10月、ボルティモア美術館は収蔵作品の売却によって基金を設ける計画を発表しました。対象はブライス・マーデン、クリフォード・スティル、アンディ・ウォーホルの作品で、いずれも20世紀美術史の重要な作家です。

館側が掲げた目的には、職員給与の改善、特別展の無料化、収蔵品の直接的なケア、過小評価されてきた作家の作品取得などがありました。既存の作品群に蓄積された資金的な価値を、現在の美術館の運営と将来の収蔵へ振り向ける構想でした。

この提案には、職員や地域社会への責任を重視する立場から支持が集まりました。美術史のどの作家を収蔵し続けるかという選択と、作品を見る機会をどのように広げるかという運営の選択が結びついています。

同時に、名品を売却して現在の目標の財源とする方法には、将来の来館者や寄贈者に対する責任から反対が生まれました。改革の目的と資金調達の方法が、異なる立場から検討された論争でした。(参照:ボルティモア美術館|2020年の収蔵品売却・給与改善計画)

反対意見と2020年10月28日の停止

ボルティモア美術館の作品売却計画には、将来の来館者のために預かったコレクションを守る責任から反対する声が上がりました。高額作品を現在の経営目標のために売却する前例をつくれば、寄贈への信頼や作品研究の機会に影響するという懸念です。給与改善や収蔵の多様化という目標そのものには賛同する立場からも、別の財源を求める意見が出ました。

2020年10月28日、同館はマーデン、スティル、ウォーホルの三作品の売却を停止しました。美術館の声明では、計画への支持者と反対者の双方の意見を聞き、AAMDとも協議した経緯を説明しています。三作品の売却計画は、実施される前に停止されました。

その後、美術館は寄付など別の方法によって多様性と公平性の取り組みを進めました。収蔵品の長期保存と組織の改革という二つの目標を、どの資金と手続きによって実現するか。論争の結果は、具体的な資金調達の方法が美術館の公共的な信用に深く関わることを示しています。(参照:ボルティモア美術館|売却停止後の資金調達方針)

何が美術館のコレクションに選ばれてきたのか

美術館が収蔵してきた作品群は、過去の寄贈者、学芸員、美術市場の選択を反映しています。その偏りをどう検証するかが問われました。

白人男性中心の収蔵とその歴史

欧米の近現代美術館では、長い間、白人男性の作家を中心にコレクションが形成されてきました。ボルティモア美術館は2020年の売却論争に先立ち、女性や黒人、移民の背景を持つ作家の作品を積極的に取得する方針を進めています。収蔵の変化は、将来どのような美術史を常設展示で語れるかという問題に直結します。

2018年6月には、過去の除籍による売却益を使った23作品の取得を発表しました。作家にはエイミー・シェラルド、ジャック・ウィッテン、ワンゲチ・ムトゥ、リンエット・イアドム=ボアキエらが含まれます。絵画に加え、映像や織物、写真など異なる媒体の作品が収蔵され、展示で紹介できる表現の幅も広がりました。この2018年の取得事業は、2020年に中止された三作品の売却計画とは別の出来事です。新たな作家を迎えた後、研究や展示を通じてどのような美術史を提示していくかが、美術館の継続的な課題として残ります。(参照:ボルティモア美術館|2018年の取得作品と作家一覧)

「多様性」の数値と展示の実際

美術館の多様性を評価する際には、収蔵品に占める女性や黒人作家の割合が一つの指標になります。実際にそれらの作品が常設展示で公開され、研究や教育に使われているかという点も重要です。数字の変化と、来館者が出会う美術史の変化には、展示と調査を通じたつながりがあります。

ボルティモア美術館が2018年に取得した作品には、絵画、彫刻、織物、映像、写真、版画など複数の媒体が含まれています。作家の出自や性別に加えて、どのような素材を用い、どの時代の表現を更新してきたかを研究することで、従来の展示で見落とされてきた作品の特徴が現れます。例えば肖像画を扱う作家と、素材や展示空間を探究する作家では、作品が提起する問いが異なります。出身地域や属性を収蔵方針の指標に使いながら、個々の作家の形式と制作史に即して紹介することが、コレクションの見直しを実際の鑑賞体験へ結びつけます。(参照:ボルティモア美術館|2018年の取得作品と作家一覧)

理事会・寄贈者・職員が担う決定

美術館の作品取得には、館長と学芸員の判断だけでなく、理事会、寄贈者、財政担当者など多くの人が関わります。ボルティモア美術館が2018年に新たな作品を取得した際にも、理事会による承認と資金の確保が必要でした。学芸員による研究があっても、購入予算や保管・展示の条件が整って初めてコレクションに加えられます。

2020年の議論は、誰の作品を選ぶかと、誰がその選択に参加できるかを同時に浮かび上がらせました。職員の採用や昇進、収蔵方針を定める会議への参加、地域の人々の意見を取り入れる方法などが問われます。教育担当や保存修復、施設管理に携わる人々の待遇も、公共機関としての活動を支える条件です。収蔵品の多様化が一度の大型購入で終わるか、継続的な研究と展示へつながるかは、館内の人員と予算の配分に関わります。美術館の制度を見直す動きは、展示室の外側にある運営の仕組みにまで広がっていました。(参照:ボルティモア美術館|2020年の収蔵品売却・給与改善計画)

植民地支配によって持ち出された美術品

欧米の美術館が長年保管してきたアフリカの宮廷美術には、軍事侵攻や植民地支配のなかで持ち出された具体的な来歴があります。

ナイジェリアのベニン王国と1897年の略奪

現在のナイジェリア南部にあったベニン王国では、宮廷のために銅合金の飾板、王の頭部像、象牙細工などが制作されました。飾板には儀礼や武人、宮廷の人物が細やかな浮彫で表現され、王国の政治秩序と歴史を伝えます。これらの作品は、現在「ベニン・ブロンズ」と総称されることがあります。

1897年、英国軍は王都ベニン・シティを侵攻し、王宮から大量の美術品を奪いました。作品は欧州へ運ばれ、商人や収集家の手を経て各地の博物館へ入りました。20世紀に美術館へ寄贈された作品でも、それ以前に軍事侵攻によって持ち出された経緯を持つものがあります。ベニン・ブロンズには銅合金の作品のほか、象牙や木などを使った品も含まれます。歴史上のベニン王国は現在のナイジェリアに位置し、隣国のベナン共和国とは異なります。制作された社会と作品が移動した経緯をたどることが、その返還を理解する出発点です。(参照:スミソニアン協会|2022年10月のナイジェリアへの返還)

ダホメ王国のアボメー王宮と1892年

現在のベナン共和国には、かつてダホメ王国が存在し、アボメーの王宮が政治と儀礼の中心でした。王を表した木彫や宮廷の祭具などは、権威の象徴であるとともに、王国の信仰や継承の歴史に深く結びついていました。1892年、フランス軍がダホメ王国へ侵攻し、将軍アルフレッド・ドッズの部隊が宮廷の品々を持ち出しました。

フランスへ運ばれた作品のうち26点が、長く国立コレクションとして所蔵され、パリのケ・ブランリ美術館に保管されていました。これらは2021年にベナン共和国へ返還されます。返還対象には王を表す彫像や宮廷で用いられた品が含まれ、王国の政治と文化を示す資料でもありました。ナイジェリアのベニン王国から1897年に略奪された宮廷作品とは、制作された社会も、侵攻を行った国も、返還先も異なります。似た名前が使われる二つの歴史を分けて記述することで、それぞれの文化財がたどった経緯が明確になります。(参照:ケ・ブランリ美術館|ベナン共和国への26点返還)

来歴調査が明らかにする移動の経路

文化財の来歴調査では、作品が作られた場所から現在の所蔵先に至るまでの移動を、売買記録、寄贈資料、軍事記録などを使ってたどります。例えば1897年にベニン・シティから奪われた宮廷作品には、英国の博物館や収集家を経て、別の国の美術館へ渡ったものがあります。寄贈の記録を軍事侵攻時までさかのぼって調べることで、作品の移動が持つ歴史的な意味が明らかになります。

メトロポリタン美術館が2021年に返還した16世紀のベニン王国の飾板2点は、英国軍侵攻後、大英博物館へ入りました。1950〜51年にはラゴスの国立博物館へ移され、その後、経緯が明らかでないまま国際美術市場に現れます。1991年にニューヨークの収集家から寄贈された時点では、すでに複雑な移動の歴史を持っていました。

このような空白を調べるには、旧所蔵館が持つ記録と、ナイジェリア側の資料や研究者の知識を照合することが有効です。来歴を公開し、取得に関わる事実を共有する仕事が、返還や共同研究の土台となっています。(参照:メトロポリタン美術館|返還作品の詳細な来歴)

2021年、ナイジェリアとベナン共和国への返還

2021年には、欧米の所蔵機関による文化財返還が具体的な作品の引渡しへ進みました。

メトロポリタン美術館のナイジェリア返還

2021年6月9日、メトロポリタン美術館はナイジェリアの国立博物館・記念物委員会との共同調査を経て、3作品の返還を発表しました。16世紀のベニン王国の真鍮飾板2点と、14世紀頃のイフェで作られた真鍮の頭部像1点です。

ベニン王国の飾板には宮廷の武人と若い宮廷官が表されています。1897年の英国軍侵攻で持ち出され、大英博物館を経由して1950〜51年にラゴスの国立博物館へ移されました。さらに不明な経緯で国際市場へ現れ、1991年にニューヨークの収集家からメトロポリタン美術館へ寄贈されています。

イフェの頭部像は別の来歴を持ち、美術館への売却の申し出を調べる過程で、ナイジェリア側の正当な所有権が確認されました。美術館は関係者と協議してその返還を手配しています。異なる移動の経緯をたどる三作品が同時に返還されました。

11月22日には式典が開かれ、両機関は将来の作品貸与と研究協力に関する覚書を交わしました。返還は作品を移す作業に加えて、複雑な来歴を共同で解明する仕事にもつながっています。(参照:メトロポリタン美術館|ナイジェリアへの3作品の返還(2021))

フランスがアボメー王宮の26点を返す

フランスは2020年12月、国立コレクションに所蔵されていたアボメー王宮由来の26作品をベナン共和国へ返還するための特別法を成立させました。フランスの国有文化財には原則として譲渡を制限する制度があり、個別の法律によって所有権移転の根拠を整えたのです。

返還に先立ち、パリのケ・ブランリ美術館は2021年10月26日から11月1日まで、26点を一般に公開しました。かつて王宮で使われた彫像や儀礼の品々を、19世紀末にフランス軍が持ち出した歴史とともに紹介する機会となりました。作品は単なる収蔵品から、どのように取得され、誰のもとへ戻るかが公に問われる対象になります。11月9日に所有権移転に関する署名が行われ、翌10日には作品がベナン共和国へ到着しました。作品の移送に先立って法律を整え、公開展示を行い、正式な移転を実行した一連の手続きに、この返還の特徴があります。(参照:ケ・ブランリ美術館|ベナン共和国への26点返還)

返還の発表・所有権移転・移送を区別する

文化財の返還には、調査を始める段階、返還を発表する段階、所有権を移転する段階、現物を引き渡す段階があります。2021年のメトロポリタン美術館では6月の発表から11月の式典へ進み、フランスからベナン共和国への返還では法律の制定と公開展示を経て、11月に所有権移転と作品の移送が行われました。

作品が移された日だけを記録すると、協議や調査に費やされた時間が見えにくくなります。法的な所有者が変わった後も、展示のために欧米の美術館へ貸し出される例があります。2022年のベルリンやスミソニアンの返還では、ナイジェリアへの所有権移転と、実際に作品がどこに置かれているかを分けて理解する必要がありました。新たな所有者が保存や貸与の条件を決められることは、物体の移動に加えて重要な変化です。返還をめぐる記録は、作品の所在と意思決定の権限がどのように変わったかを具体的に伝えます。(参照:ケ・ブランリ美術館|アボメー王宮作品の返還前展示)

2022年、スミソニアンが返還方針を変える

法的な所有権と倫理的に保持し続けてよいかという問いを分けたことが、スミソニアンの方針転換の特徴です。

共同管理と倫理的返還の新方針

2022年4月29日、スミソニアン協会は「共同管理と倫理的返還」に関する新しい方針を採択しました。歴史的に合法とされた取得であっても、その背景に強制や略奪、関係する人々の意思を十分に反映していない経緯があれば、現在の倫理的な基準から再検討するという考え方です。

方針では、作品の由来する共同体の立場を踏まえて、返還のほか、管理や研究を共同で進める道も示されました。収蔵した美術館が持つ法律上の権限と、作品を継承してきた人々の歴史的・文化的な関係を合わせて考えます。関係者との協議や情報の共有が、判断の基礎として位置づけられました。これまで美術館が所蔵品の取得記録を持つだけで決定してきた展示・保存の条件に、由来する人々の知識と意思を組み込む転換でした。同年、スミソニアンはベニン王国の宮廷作品29点の返還へ進みます。(参照:スミソニアン協会|共同管理と倫理的返還の方針)

ベニン王国の29作品をナイジェリアへ返す

2022年6月13日、スミソニアンの理事会は国立アフリカ美術館にあったベニン王国由来の29作品をナイジェリアへ返還することを承認しました。いずれも1897年の英国軍によるベニン・シティ侵攻で奪われた作品群に由来します。10月11日にはワシントンで式典が開かれ、ナイジェリアの国立博物館・記念物委員会へ所有権が移されました。

29点のうち20点は、かつてヒルシュホーン美術館・彫刻庭園から国立アフリカ美術館へ移された作品でした。収集家ジョゼフ・ヒルシュホーンが画商や競売を通じて得たものです。作品には王の頭部像や飾板、宮廷で用いられた品々が含まれ、取得に至る経緯をたどることで1897年の略奪と後年の美術市場がつながります。

式典にはナイジェリア政府の関係者のほか、ベニン王国の王を代表する人物も出席しました。この所有権移転は、スミソニアンが春に採択した倫理的返還方針を実際の決定へ移した最初の事例となりました。(参照:スミソニアン協会|2022年10月のナイジェリアへの返還)

返還後の作品をナイジェリアから借りて展示する

スミソニアンは2022年にベニン王国由来の29作品の所有権をナイジェリアへ移しました。その後、国立アフリカ美術館では、このうち9点をナイジェリア政府から長期貸与された作品として展示しています。2024年6月に始まった展示では、かつて同館が所蔵していた作品を、新しい所有者の許可のもとで鑑賞できるようになりました。

展示された飾板や彫像は、エドの人々の宮廷文化や技術を伝える作品です。同じワシントンの館内に置かれていても、収蔵品として管理されていた時代と、ナイジェリアから借り受けている現在とでは、作品を扱う法的な関係が変わりました。展示を継続するための貸与契約と、歴史的な来歴の調査が結びついています。

この事例では、作品を元の国へ返還した後も国際的な鑑賞と研究が続いています。所有権の移転が展示の終わりを意味するとは限らず、由来国が貸与を決定する新しい協力関係につながることが分かります。(参照:スミソニアン協会|2024年のナイジェリアからの貸与展示)

ドイツと英国で進んだベニン作品の返還

2022年には欧州の所蔵館でも、大規模な所有権移転と作品移送が実行されました。

ベルリンの512点と先行移転した2点

2022年8月25日、ベルリンのプロイセン文化財財団は、民族学博物館に収蔵されていたベニン王国由来の512作品の所有権をナイジェリアへ移す契約を結びました。対象には1897年の英国軍侵攻で奪われ、後に欧州へ渡った宮廷美術が含まれます。

同年7月には別の2点の所有権が先行して移っていました。財団が返還した作品の合計は514点となり、公表資料に登場する512点と514点の違いは、移転した時期から説明できます。

返還された作品のおよそ3分の1については、10年間の貸与を受けてベルリンで展示することが合意されました。美術館に置かれ続ける作品も、法的にはナイジェリアが所有し、将来の扱いを決める立場となります。

同年12月には玉座の座面など10点の実物返還が発表されました。どの作品をいつ移すかについて、新しい所有者が決めるという財団の方針には、所有権移転後の具体的な運用が表れています。(参照:プロイセン文化財財団|514点の所有権移転と作品移送)

ホーニマン博物館の72点の所有権移転

ロンドンのホーニマン博物館は2022年8月、ベニン王国から1897年に奪われた文化財に由来する72点の所有権をナイジェリアへ返す方針を発表しました。対象には銅合金の飾板や象牙、儀礼に使われた品々が含まれています。収集家フレデリック・ホーニマンは英国軍の侵攻後に作品を購入しており、博物館はその収集の経緯と作品が宮廷から持ち出された事情を調べました。

2022年11月に所有権の移転が行われ、6点は実際にナイジェリアへ戻りました。残る作品はナイジェリアからの貸与という形で博物館にとどまり、研究や展示が続けられています。売買によって所蔵館へ入った作品でも、取得以前の略奪の歴史を考慮した判断が必要になった事例です。72点という数字は所有権が移った総数で、6点という数字は当時実際に移送された作品の数を示しています。所有と所在を分けて説明することで、この返還がどこまで進んだのかが具体的に理解できます。(参照:ホーニマン博物館|72点の所有権返還決定)

返還後の共同展示と研究のあり方

ベニン王国の文化財の返還後、欧州の博物館ではナイジェリアから作品を借り受け、新しい展示を共同で作る動きが進みました。ベルリンは返還作品の一部を長期貸与によって展示し、ホーニマン博物館も所有権移転後の作品をナイジェリアの関係者とともに研究しています。観客が作品に出会う機会を保ちながら、所有権と展示を決める権限を組み替える試みです。

ホーニマン博物館のベニン王国展示には、ロンドンとナイジェリアの人々、若者、作家が参加しました。現代の作家オサル・オバセキによるブロンズ彫刻も新たに制作され、ベニン・シティの文化が過去から現在へ続いていることを紹介しています。歴史的な宮廷作品と現代の創作活動が、同じ展示で語られるようになりました。

作品の返還をきっかけに、貸与条件や調査資料の共有、展示解説を誰が作るかという関係も変化しています。作品が移動した数に加え、返還後の協力がどのように続くかが、その成果を理解する手がかりになります。(参照:ホーニマン博物館|返還後のベニン王国展示)

美術館と由来する共同体が作品を管理する

文化財の返還と並び、作品をめぐる意思決定を関係する人々と分担する「共同管理」の考え方が注目されました。

共同管理という選択

文化財の「共同管理」とは、美術館が由来する共同体と協議しながら、作品の保管、展示、調査、利用の条件を決める考え方です。所有権を移す返還とは異なる方法として選ばれることもあり、作品の性質や関係する人々の意思によって具体的な形が変わります。

例えば宗教的な意味を持つ物品では、誰が触れ、どのような場所で公開するかに文化的な決まりがある場合があります。共同体が持つ知識を博物館の収蔵記録と照合し、撮影や研究の方法を協議することも共同管理の一部です。資料へのアクセスを広げることと、公開に条件を設けることが、作品ごとの事情によって共存します。スミソニアンの2022年方針は、法的な所有権に加えて取得の歴史と現在の倫理的な責任を考慮するものです。返還か共同管理かという選択の前に、関係する人々と対話し、所蔵品がどのような意味を持つのかを調べる姿勢が示されました。(参照:スミソニアン協会|共同管理と倫理的返還に関する方針)

文化財の名称と意味を誰が説明するのか

美術館の収蔵台帳には、過去の収集者が付けた作品名や分類がそのまま残っている場合があります。由来する共同体では別の名前が使われ、その物品が宮廷の権威や宗教的な儀礼と結びついていることもあります。展示ラベルにどの名称を採用するかという判断は、物体の歴史を誰の視点から紹介するかに関わります。

例えばベニン王国の飾板を単に「装飾品」と説明すると、そこに表された宮廷の人物や儀礼、王の権威との関係が十分に伝わりにくくなります。旧収集者の記録、美術史研究、現地に受け継がれる知識を合わせて調べることで、名称や用途の理解が深まります。共同体の参加は、展示の表現を相談する段階から、公開する情報や展示条件を共同で決める段階まで考えられます。

記録と伝承の内容が異なる場合にも、どの資料に基づく説明なのかを示すことができます。収蔵台帳の旧名称を歴史的資料として残しながら、展示では新たな研究成果や関係者の声を反映する方法が模索されています。(参照:スミソニアン協会|共同管理と倫理的返還に関する方針)

返還は文化財の歴史を語り直す機会になる

2021年、メトロポリタン美術館とナイジェリアの国立博物館・記念物委員会は、ベニン王国由来の飾板などの返還に合わせて、将来の研究と作品貸与に関する覚書を交わしました。共同調査を通じて確認された来歴の情報は、返還後も作品の歴史を理解するための資料として役立ちます。

欧米の美術館には過去の競売記録や寄贈資料が残り、ナイジェリア側には宮廷文化や制作の伝統についての知識が受け継がれています。双方の資料を共有し、作品がどのように移動してきたかを調べることで、返還後にも新しい研究を進められます。作品の展示をナイジェリア側が貸与によって認める場合には、その条件を当事者同士で決める関係へ変わります。返還は所有権を移す法的な出来事であると同時に、文化財をめぐる知識や説明の権限を組み替える契機です。引き渡された点数に加え、その後の研究と展示に誰が参加するのかが大きな意味を持ちます。(参照:メトロポリタン美術館|ナイジェリアへの3作品の返還(2021))

2022年、博物館の定義に共同体の参加を明記

国際博物館会議による定義の改定は、各地で進んでいた収蔵・展示をめぐる議論を国際的な基準に反映しました。

ICOMがプラハで新しい定義を採択

2022年8月24日、国際博物館会議(ICOM)はプラハの臨時総会で新しい博物館の定義を採択しました。賛成票は投票の92.41%で、世界各地の専門職が共通に参照する使命を改めて示すものです。

定義では、博物館を社会に奉仕する非営利の恒久的な機関とし、物質的・非物質的な文化遺産の研究、収集、保存、解釈、展示をその活動に位置づけました。収蔵品を守り、社会へ知識を伝える基本的な仕事が示されています。

さらに、一般への開放、利用しやすさ、包摂性、多様性、持続可能性が掲げられました。共同体の参加のもとで倫理的かつ専門的に活動し、教育、楽しみ、思索、知識の共有の機会を提供することも明記されます。

2020年以降の抗議資料の収集や文化財返還の議論は、こうした定義の理念と重なっています。ICOMの改定は、博物館と社会の関係を考えるための国際的な言葉を整える節目となりました。(参照:国際博物館会議|2022年の博物館定義)

収蔵品と社会の関係をどう位置づけたか

博物館が社会に奉仕するという理念は、長い時間をかけて国際的な定義へ組み込まれてきました。2022年の国際博物館会議(ICOM)の改定では、社会の多様性を反映した運営、共同体の参加、持続可能性が、より明確な言葉で示されました。

例えば宮廷作品を所蔵する博物館が、由来する地域の研究者や文化の継承者と協力して名称や展示方法を考えることは、新しい定義の理念に沿う実践です。保存修復や資料調査の専門性と、地域の人々が持つ歴史や文化の知識が、互いを補い合う関係になります。来館者へ何を見せるかに加えて、誰と協力し、どんな知識を公開するかが博物館の仕事として意識されるようになりました。博物館の定義は、専門職の使命を共有するための枠組みです。その実現方法は、個々の文化財の歴史や、館が所在する国の法律、関係する共同体との協議によって形づくられます。(参照:国際博物館会議|新しい博物館定義の採択)

国際的な定義が個々の美術館へ届くまで

2022年に国際博物館会議(ICOM)が採択した定義は、博物館の公共的な使命について、世界各地の専門職が参照する指針となりました。収蔵品の所有権や返還手続きは、それぞれの国の法律、館の規則、当事者間の合意によって定められています。国際的な理念が実際の展示や管理へ反映されるまでには、館ごとの具体的な仕事が続きます。

例えば収蔵品の来歴を調べる専門職を配置し、関係する共同体との協議に時間と予算を充て、展示ラベルを改めるといった対応があります。共同体の参加を理念として掲げるだけでなく、どの段階から意見を聞き、誰が決定に参加するかを定めることが運営の変化につながります。

2020年以降の記念碑論争や、2021〜22年のベニン作品の返還では、各館が具体的な判断を積み重ねてきました。ICOMの定義改定は、そうした現場の議論を国際的な枠組みで捉え直す節目となりました。(参照:国際博物館会議|2022年の博物館定義)

1990年に始まった先住民文化財の返還制度

米国にはBLMが広がる以前から、先住民の遺骨や文化的物品の返還を法律で定めた制度が存在します。

NAGPRAが定めた返還の仕組み

米国の先住民遺骨保護返還法(NAGPRA)は1990年に成立し、連邦機関や連邦資金を受ける博物館に対して、先住民の遺骨と文化的物品の調査・返還に関する手続きを定めました。対象には、遺骨、葬送の品、宗教的に重要な品、共同体が受け継いできた文化的財産などがあります。返還を求めてきた先住民の長い運動を背景とする制度です。

法にもとづく協議には、連邦政府が認定する部族、先住ハワイ人組織、血縁関係のある子孫などが関わります。博物館がどのような品を保管し、どの共同体と文化的なつながりを持つかを調べ、関係者と情報を共有して返還へ進みます。スミソニアン協会はNAGPRAの直接の適用対象から除かれ、別の法制度にもとづいて先住民の遺骨などの返還を進めています。アフリカのベニン王国の作品返還とも対象や法的な根拠が異なります。文化財が移動する背景には、それぞれ固有の歴史と制度があります。(参照:米国国立公園局|NAGPRA施行規則)

先住民の遺骨が博物館に収集された歴史

米国の自然史博物館や大学には、19世紀以降に収集された先住民の遺骨が長く保管されてきました。発掘や移送は人類学研究の名目で行われ、本人の子孫や共同体の同意が得られていない例もあります。標本番号や保管棚に整理された遺骨は、研究対象としての価値を与えられる過程で、人々の先祖にあたる存在としての意味が見えにくくなっていました。

博物館側には骨格や埋葬の状態を記録した資料が残り、先住民の人々には土地や祖先の儀礼に関する知識が受け継がれています。遺骨をどのように扱い、どこへ戻すかという判断には、研究資料と共同体の記憶を合わせて調べる作業が伴います。返還を求める人々にとって、遺骨は研究用の物体であると同時に親族や祖先の身体です。NAGPRAの返還制度は、博物館による分類と保管の歴史を見直す道を開きました。資料を残してきた機関が、その取得と研究の経緯を説明し、関係する人々の意思を反映していく仕事が求められています。(参照:スミソニアン自然史博物館|倫理的返還と遺骨の扱い)

研究機関と先住民との協議

先住民の遺骨や文化的物品を返還する際、研究機関は保管資料を調べ、関係する部族や先住ハワイ人組織と協議します。取得記録や発掘時の文書、所在地、物品の性質を確認し、文化的なつながりについて双方が持つ情報を照合する手続きです。NAGPRAはこうした協議を返還の過程へ位置づけています。

博物館が古い台帳を保管し、先住民側が伝承や儀礼、土地の記憶を受け継いでいる場合、どちらの知識も手がかりになります。文書が途切れている時代についても、口承や文化的な連続性を調べることで関係を説明できる可能性があります。研究機関は返還の対象や協議の経緯を記録し、当事者に情報を届ける役割を担います。研究者が何を知りたいかという関心と、先住民が祖先や聖なる物をどのように扱ってほしいかという意思は、別々の背景を持っています。返還手続きは、その双方が協議の場に参加することで物品の扱いを決めていく制度となりました。(参照:米国国立公園局|先住民遺骨の返還手続き)

2024年、先住民の同意が展示と研究を変える

2024年1月からの規則改定により、対象となる文化的物品を扱う博物館には、より明確な協議と同意の手続きが求められました。

NAGPRA改定規則の施行

2023年12月、米国内務省は先住民遺骨保護返還法(NAGPRA)の施行規則を大幅に改定すると発表しました。新規則は2024年1月12日に施行され、博物館や連邦機関が保管する先住民の遺骨や文化的物品について、目録、通知、協議、返還の手続きを整理しました。1990年に制定された法律を、実際の返還へ結びつけるための運用上の変更です。

改定では、部族や先住ハワイ人組織が持つ伝統的な知識への配慮が重視され、関係する人々が調査に参加する機会が明確になりました。返還に関わる資料の整理と情報共有についても、所蔵機関の仕事が具体化されています。館が長く所蔵してきた文化財でも、その来歴や文化的な関係を新たに調べ直すことになります。30年以上前に成立した法律と2024年の規則改定を時間軸で分けてみると、返還を求める人々の働きかけが長く続いてきたことが分かります。改定は、返還制度を現場で運用する条件を変える節目となりました。(参照:米国内務省|NAGPRA施行規則の改定)

展示と研究に求められる事前の同意

2024年のNAGPRA施行規則は、先住民の遺骨や対象となる文化的物品の展示、研究、アクセスについて、関係する子孫や部族、先住ハワイ人組織から同意を得ることを定めました。同意は「自由意思に基づく、事前の、十分な情報を得たうえでの」ものであることが求められます。

美術館は、保管する物品の文化的な意味や取り扱いについて関係者と協議し、公開の条件を整えます。従来の収蔵や展示の記録に加えて、誰が同意し、どのような範囲で公開できるかを確認する仕事が加わりました。

すでに展示されている品についても、同意の確認に合わせて一時的に展示を取り下げたり、内容を改めたりする対応が生まれました。研究を目的とした取り扱いにも、同様の手続きが関係します。

対象はNAGPRAが規定する遺骨や文化的物品です。法令の対象区分と関係者を特定したうえで、所蔵館と文化を継承する人々が展示のあり方を協議する仕組みが整えられました。(参照:米国国立公園局|2024年改定規則と展示・研究への事前同意)

返還手続きの責任と保存の実務

先住民の遺骨や文化的物品の返還には、所蔵館が保有する古い資料の調査、関係する部族の特定、協議、通知、現物の引渡しという段階があります。2024年のNAGPRA改定規則では、こうした手続きと情報共有の責任がより具体化されました。古い収蔵台帳の記述が不十分な場合には、関連する資料を探し、共同体の知識と照合する作業が続きます。

保存修復家が物体の劣化を防ぐために用いてきた方法と、宗教的・文化的な慣行に基づく取り扱いが異なる場合もあります。研究を続けたい機関と返還を求める人々が、物品の性質と権利を踏まえて具体的な条件を話し合う必要があります。物理的な保存状態を守ることに加えて、資料の扱いを決める人々の意思も尊重されます。博物館の専門職の仕事は、分類と保管の技術を通じて物品を管理することから、複数の知識と権利を調整する実務へ広がっています。その変化は、目録の書き方や展示室の運用にも表れています。(参照:米国国立公園局|文化的物品の返還手続き)

展示ラベルと学芸員の仕事を見直す

収蔵や返還の大きな決定に加え、作品の名称と歴史をどう書くかという日常的な仕事も変わっていきます。

作品名と由来を記す展示ラベル

美術館の展示ラベルには、作者、題名、制作年、素材、取得経緯などが短く記されます。こうした情報には、作品を収集した人物が付けた名称や植民地時代の分類が残っている場合があります。由来する共同体が使ってきた名称を調べて併記したり、以前の名称が生まれた事情を説明したりすることで、展示室の短い文章にも歴史の変化を示せます。

例えばベニン王国の宮廷作品については、英国で取得された時期に加えて、1897年の英国軍侵攻によって王宮から持ち出された経緯を記すことで、その来歴が具体的に伝わります。制作された社会での用途と、その後の移動を簡潔に加えることで、同じ物体の理解が変わります。展示ラベルは文字数の少ない文章であっても、どの情報を優先するかという学芸員の判断を示します。

旧称や古い台帳の記録は、過去の分類を調べる歴史資料として保存できます。展示で使う説明を改めた理由と参照した資料も残すことで、将来の研究者が名称や解釈の変化を追えるようになります。(参照:ブリストル博物館|植民地主義期の収蔵をめぐる取り組み)

学芸員がどの知識を使って説明するか

学芸員は作品の造形、素材、制作年代、収集の経緯を調べる専門性を持っています。植民地支配のもとで収集された品々の調査では、由来する共同体の人々や現地の研究者が伝えてきた知識も重要になります。宮廷の儀礼や制作技術について、古い収蔵台帳に残る情報が十分でない場合もあるためです。

来歴調査では競売記録、寄贈文書、軍事記録とともに、地域で伝えられてきた名称や口承を比較します。資料の内容が食い違うときには、どの記録がいつ、誰によって作られたのかを確認し、異なる説明が生まれた背景を明らかにできます。作品を所有している機関が歴史の解釈を独占する状態から、複数の当事者が資料を持ち寄る研究へ変わっていきます。

共同研究の成果を展示ラベルや図録へ反映することによって、来館者が知る美術史の内容も更新されます。専門性は収蔵庫の内部で完結するものから、異なる経験や知識を結びつける活動へと広がっています。(参照:メトロポリタン美術館|文化財の収集方針と来歴調査)

展示を決める人々と説明責任

文化財の返還や記念碑の展示方法の変更は、関係する人々の暮らしと歴史の受け止め方に影響します。ブリストルのコルストン像をめぐっては、市民協議の回答が2024年のM Shedでの展示構成に反映されました。ナイジェリアへのベニン作品返還では、所蔵館の理事会による承認と関係機関との協議が所有権移転へつながっています。

これらの事例では、最終的な結論に加えて、判断へ至る経緯も公表されました。どの資料を調べ、誰の意見を聞き、どの機関に判断する権限があったかという過程も記録されています。賛否が分かれた場合にも、異なる立場の人々が何を重視していたのかを伝えることで、後世の鑑賞者はその決定を歴史の中へ位置づけられます。

展示について説明する責任は、最初の調査や協議から、判断の公表、記録の保存まで続いていきます。美術館が公共の文化機関として信頼を得るための仕事は、日々の意思決定の記録にも表れています。(参照:ブリストル博物館|コルストン像の2024年常設展示)

欧米の美術館は誰の歴史を伝えてきたのか

2020〜2024年の出来事は、美術館の収蔵・保存・展示が過去の社会的な判断と結びついていることを具体的に示しました。

誰を英雄として描き、誰の物を収蔵したか

ブリストルのコルストン像とリッチモンドのリー将軍像は、公共空間で特定の人物を長く顕彰してきました。ベニン王国やダホメ王国から持ち出された宮廷美術は、欧米の博物館でアフリカの文化財として保存されながら、由来する国や共同体の所有から離れていました。記念碑の建立と文化財の収集には、それぞれ異なる政治と歴史が関わっています。

コルストン像では、誰が都市の英雄として見上げられてきたかが問われました。ベニン王国の作品では、1897年の軍事侵攻から欧米の美術市場や所蔵館へ移るまでの経緯が調べられました。一つは顕彰する人物を選ぶ判断、もう一つは作品を取得し保有する判断にかかわります。世界各地の作品を比較し研究できる美術館には、教育上の役割があります。その活動の歴史を調べることで、作品がなぜ現在の場所にあり、どの視点から説明されてきたのかを具体的に考えられます。(参照:メトロポリタン美術館|文化財の収集方針と来歴調査)

同じ作品でも所有者と展示場所が変わる

コルストン像は、2020年に引き倒された痕跡を残したまま、2024年からブリストルのM Shedに横倒しで展示されています。もともと広場の高い台座に立っていた像は、奴隷貿易と抗議の歴史を伝える資料となりました。同じ彫像でも、置かれる場所と展示の姿勢が変わることで、鑑賞者が読み取る意味も変化します。

ナイジェリアへ返還されたベニン王国の作品にも、別の変化がありました。スミソニアンが所有権を移転した29点のうち9点は、2024年にナイジェリア政府からの貸与としてワシントンで展示されました。鑑賞する場所は同じでも、所有者と、展示を認める権限の所在は変わっています。記念碑の移設と文化財の返還では、手続きや当事者が異なります。実物の配置が変わる場合と、目に見えない所有の記録が変わる場合を合わせて考えることで、美術館が伝える歴史の成り立ちがより明確になります。(参照:スミソニアン協会|2024年のナイジェリアからの貸与展示)

2024年以後も続く収蔵と返還の問題

2020年から2024年にかけて、欧米の美術館と博物館では、記念碑の扱い、作品の展示方法、収蔵品の売却、植民地支配下で取得された文化財の返還など、多くの判断が行われました。抗議の現場の看板を歴史資料として収集するスミソニアンの活動と、コルストン像を横倒しのまま展示するブリストルの試みは、物体の保存が社会の出来事の記録と結びつくことを示しています。

ガストンの回顧展では難しい図像をどのように公開するかが議論され、ナイジェリアへのベニン作品の返還では、所有する権限の移転が具体的に実行されました。先住民の遺骨や文化的物品については、米国のNAGPRA改定規則によって同意と協議の手続きが改められています。それぞれに異なる歴史、当事者、法的な条件があります。

これらの変化は、作品をどこで保管するかに加えて、誰がその意味を説明し、誰と協議して公開するかという美術館の日常の仕事へ及びました。歴史資料を守りながら関係する人々の経験を伝える取り組みは、2024年以降も各地の館で続いていきます。(参照:国際博物館会議|2022年の博物館定義)

略年表|記念碑・返還・美術館制度の動き

ここでは記事で扱った作品と制度の変化を、出来事が起きた年代に沿って整理します。返還については方針決定・所有権移転・実物移送を区別し、作品が作られた年代も必要に応じて示しています。

  • 1890 リッチモンドにロバート・E・リーの騎馬像が建立される。
  • 1892 フランス軍がダホメ王国へ侵攻し、アボメー王宮の品々が持ち出される。
  • 1895 ブリストルにエドワード・コルストン像が建立される。
  • 1897 英国軍がベニン王国の王都を襲い、宮廷美術を略奪する。
  • 1990 米国で先住民遺骨保護返還法(NAGPRA)が成立する。
  • 2018 ボルティモア美術館が収蔵品の再編と過小評価された作家の作品取得を進める。
  • 2019年9月 ケヒンデ・ワイリー《Rumors of War》がタイムズスクエアで公開される。
  • 2019年12月 《Rumors of War》がリッチモンドのバージニア美術館前に恒久設置される。
  • 2020年4月15日 AAMDがパンデミック下の財政運用について期限付きの緩和措置を発表する。
  • 2020年5月25日 ジョージ・フロイドが米国ミネアポリスで警察官の拘束中に死亡する。
  • 2020年5月31日 スミソニアン協会長が人種的不平等に関する声明を発表する。
  • 2020年6月1日 AAMDがBLMと美術館界の責任について声明を発表する。
  • 2020年6月7日 ブリストルでコルストン像が倒され、港へ投げ込まれる。
  • 2020年6月12日 スミソニアンがラファイエット広場の抗議資料の収集方針を発表する。
  • 2020年9月 《Philip Guston Now》の巡回延期が発表される。
  • 2020年10月2日 ボルティモア美術館が3作家の作品売却計画を発表する。
  • 2020年10月28日 ボルティモア美術館が売却計画を停止する。
  • 2020年12月 フランスでアボメー王宮の26作品返還を認める法律が成立する。
  • 2021年6月 コルストン像がM Shedで一時展示され、市民協議が行われる。
  • 2021年6月9日 メトロポリタン美術館がナイジェリアへの3作品返還を発表する。
  • 2021年9月8日 リッチモンドのリー将軍騎馬像が撤去される。
  • 2021年9月 Monument Labが全米記念碑調査を公開する。
  • 2021年11月9日 フランスとベナン共和国の間で26作品の所有権移転が署名される。
  • 2021年11月10日 アボメー王宮の26作品がベナン共和国へ到着する。
  • 2022年4月29日 スミソニアンが共同管理と倫理的返還の方針を採択する。
  • 2022年5月1日 再構成された《Philip Guston Now》がボストン美術館で開幕する。
  • 2022年6月13日 スミソニアン理事会がベニン作品29点の返還を承認する。
  • 2022年8月 ホーニマン博物館がナイジェリアへ72点の所有権を返す方針を発表する。
  • 2022年8月24日 ICOMがプラハで新しい博物館定義を採択する。
  • 2022年8月25日 ベルリンでベニン作品512点の所有権移転契約が締結される。
  • 2022年10月11日 スミソニアンがベニン作品29点の所有権をナイジェリアへ移転する。
  • 2022年11月 ホーニマン博物館で72点の所有権移転が行われ、6点が物理的に返還される。
  • 2023年1月13日 ハンク・ウィリス・トーマス《The Embrace》がボストンで公開される。
  • 2024年1月12日 改定されたNAGPRA施行規則の運用が始まる。
  • 2024年3月15日 M Shedでコルストン像の常設展示が始まる。
  • 2024年6月 スミソニアンがナイジェリアから貸与されたベニン作品9点の展示を始める。

まとめ|美術館は誰の視点から歴史を伝えるのか

2020年、ジョージ・フロイドの死を受けて広がったBlack Lives Matterの抗議は、欧米の美術館に人種差別と奴隷制の歴史への向き合い方を問いかけました。美術館がどのような声明を出したかに加えて、黒人の運動の資料をどう収集するか、どの作家の作品を重要な文化として保存してきたかという具体的な問題が表面化します。スミソニアンは抗議の現場の資料を集め、AAMDは美術館界の対応不足を認めました。

英国ブリストルのコルストン像は、奴隷貿易に関わった人物を称える記念碑から、奴隷貿易と反差別運動の歴史を伝える資料へと変わりました。米国リッチモンドでは南部連合軍のリー将軍像が撤去され、ワイリー《Rumors of War》は騎馬記念碑の伝統を現代の黒人男性の姿で再構成しています。トーマス《The Embrace》は、キング夫妻の抱擁という行為から、新しい公共彫刻の形を生み出しました。

ガストンの回顧展延期と再開は、人種差別を描く作品を美術館がどのような解説とともに公開するかをめぐる問題でした。ボルティモア美術館の売却計画をめぐっては、収蔵品を長期に保護する責任と、過去のコレクションや雇用の不均衡を改めるために資源を配分する責任が議論されました。両事例は、展示や収蔵の判断が社会の歴史と切り離せないことを示しています。

植民地支配によって移動した文化財の返還は、2021〜22年に具体的な所有権移転へ進みました。ナイジェリアのベニン王国から1897年に英国軍が奪った作品と、現在のベナン共和国にあったダホメ王国のアボメー王宮から1892年に持ち出された26作品では、歴史も返還先も異なります。それぞれの取得経緯を調べ、所有する権限をどのように変更したかを記録することが重要です。

スミソニアンは2022年に倫理的返還の方針を採択し、ナイジェリアへベニン作品29点を返還しました。ベルリン、ホーニマン博物館でも所有権が移り、一部作品は新しい所有者からの貸与によって欧米で展示されています。ICOMによる2022年の定義変更と、2024年からのNAGPRA改定規則の運用は、博物館が社会や由来する共同体と協議して保存・展示を行う責任を明確にする動きでした。

2020年から2024年の歴史を貫く問いは、欧米の美術館がどのような権限で作品を取得し、その意味を語り続けてきたかということです。奴隷貿易、植民地支配、人種差別をめぐる問題は、個々の作品の外見だけでは理解できません。作品が置かれた場所、収集の経緯、返還を求めた人々、展示の内容を具体的にたどることによって、美術館が伝えてきた歴史と、これから伝えていく歴史の違いが見えてきます。

参考資料・出典

本稿は、博物館・美術館、作家の公式資料、国際博物館会議、文化財を所管する公的機関の公表資料を参照し、ART LIBRARYが独自に構成・執筆しています。奴隷制や植民地支配に関わる作品の取得・移転を具体的に示し、由来する国や共同体の名称、当事者の主張、所有権移転と作品の移送の違いを確認しています。Black Lives Matterを美術運動として分類することはせず、美術館が収集・展示・返還を見直す社会的な背景として扱います。資料ごとの公開時期や法制度の違いを示し、各館の決定とその評価を区別しました。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月17日 / ART LIBRARY