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William Klein

ウィリアム・クライン

アメリカ / 1926–2022 / ストリート写真/ファッション写真/フォトブック/実験映画

ウィリアム・クライン:写真で見る (Tate)

William Klein(1926–2022)は、20世紀後半の写真表現を大きく変えた写真家であると同時に、画家、グラフィック・デザイナー、映画作家、写真集の編集者として複数の領域を横断した作家です。1954年に故郷New Yorkへ戻って撮影した写真では、広角レンズ、強い粒子、ぶれ、極端な明暗、人物へ接近する距離、画面を断ち切る文字や看板を積極的に使い、当時「良い写真」とされていた整った構図や滑らかな階調から意識的に外れました。写真集《Life is Good & Good for You in New York》(1956)は、一枚ずつの写真だけでなく、見開き、文字、拡大、裁ち落とし、連続するページ全体を作品として扱い、その後の写真集文化へ大きな影響を与えました。

しかしKleinを「荒々しいストリート写真の先駆者」とだけ呼ぶと、制作の広さを見失います。ParisではFernand Légerのもとで絵画を学び、幾何学的な抽象画から写真へ移行し、Vogueではモデルを街へ連れ出してファッション写真の演出を更新しました。さらに《Broadway by Light》以後は映画へ進み、《Qui êtes-vous, Polly Maggoo?》《Mister Freedom》《Muhammad Ali, the Greatest》などを制作します。1980年代以降には写真へ再び大きく戻り、コンタクトシート上の選択枠を絵具で拡大した「Contacts peints」を展開しました。Kleinの仕事を一つにつなぐのは特定の主題ではなく、写真・印刷・映画・絵画の境界を固定せず、画像を撮ることと編集することを同じ制作行為として扱った姿勢です。

生涯と制作の変遷

1926年、New Yorkに生まれる

William Kleinは1926年4月19日、New Yorkに生まれました。公式William Kleinサイト、International Center of Photography、Centre Pompidouはいずれも1926年生まれとしています。一方、MoMAやThe Metの一部所蔵データには1928年表記が残っていますが、本ページでは作家公式サイトと複数の主要機関が一致する1926年を採用します。家族はハンガリー系で、Manhattanで育ち、若い頃から美術館へ通ってヨーロッパ前衛美術に強い関心を持ちました。

14歳で高校を卒業し、City College of New Yorkで社会学を学びました。第二次世界大戦末期に米軍へ入り、戦後は占領軍の一員としてドイツに滞在します。その後Parisへ移り、Sorbonneで学びながら制作へ向かいました。New Yorkに生まれながら、作家としての出発点は戦後Parisだったことが、その後のKleinの視点を特徴づけます。彼はNew Yorkを完全な「故郷」として内部から撮るだけでなく、長い不在を経て戻った都市として距離を持って見ることになります。

1940年代後半、Parisで絵画を学ぶ

ParisではAndré Lhoteのアトリエを経て、Fernand Légerのもとで学びました。Légerは絵画を画廊の内部だけに閉じ込めず、建築、壁画、都市空間へ展開することに関心を持っていました。Kleinも早い段階から、絵画を単独のカンヴァスとしてではなく、建築や印刷へ接続できる視覚構造として考えるようになります。

この時期にJeanne Florinと出会い、結婚します。二人はParisを生活の拠点とし、Jeanneはその後長くKleinの仕事を支えました。1951年頃からBelgiumやItalyで絵画を発表し、Milanでは建築家Angelo Mangiarottiと幾何学的な壁面構成を試みています。後の写真に現れる強い黒白、文字と人物の衝突、画面全体を平面として扱う感覚は、写真学校で学んだものではなく、まず絵画とデザインの経験から形成されました。

1950年代初頭、光を使った抽象写真

Kleinは絵画を撮影する過程から、光、動き、露光を利用した抽象写真へ進みます。暗室で光源や幾何学的な形を動かし、写真を外界の記録ではなく、直接的な造形の媒体として扱いました。これらの抽象写真はイタリアの建築・デザイン誌《Domus》の表紙などに使われ、Alexander Libermanの目に留まります。

ここで重要なのは、Kleinが街頭写真から写真家になったのではないことです。彼は被写体を正確に記録する写真より先に、写真面を黒、白、線、光の配置として扱う経験を持っていました。1954年以降のNew York写真で人物の輪郭がぶれ、道路標識や看板が巨大な形として入るのは、偶然の結果であると同時に、抽象画家として画面を組み立てていた経験ともつながります。

New York――美術館と都市の中で育つ

KleinがNew Yorkを撮った写真には、故郷への親密さと外部者の視線が同時にあります。少年時代にはManhattanで暮らし、地下鉄、看板、人混み、映画館、新聞の大見出しを日常として経験しました。しかし戦後Parisへ移り、ヨーロッパからアメリカを見る時間を持ったことで、1954年に戻った都市は懐かしい場所であると同時に、巨大な消費社会として新しく見えました。

そのため彼のNew Yorkは、都市の名所を整理して紹介する案内ではありません。子どもの遊び、道路、群衆、店の窓、広告、葬列、宗教看板、拳銃、夜の光、突然こちらを見る顔が混在します。都市を代表する一枚を作るのではなく、互いに矛盾する断片を大量に集めること自体が方法になりました。

Paris――Fernand Légerと抽象絵画

Légerのもとでの経験は、Kleinの作品を「写真の技術革新」だけで説明しないために重要です。彼は写真家になる前に、平面上で形を拡大し、色面を衝突させ、作品を建築や都市と結びつける考え方に触れていました。1950年代初頭の抽象写真でも、被写体より画面そのものの運動が中心になります。

後の写真集では、写真がページの余白へ整然と置かれるとは限りません。大きく裁ち落とされ、見開きを横断し、文字と衝突し、隣の写真と強制的に関係づけられます。この編集感覚は、撮影だけでなく画面構成、印刷、建築的なスケールを考えてきたKleinの出自から理解できます。

絵画から抽象写真へ

The Met所蔵の《Down from My Hotel Window, New York》(1954)は、初期の抽象写真と街頭写真の中間に位置する作品です。ホテルの窓から見た街灯や車の光が暗闇の中で線と点へ変わり、都市の風景でありながら抽象構成にも見えます。The Metもこの写真を、初期のフォトグラムと後の街頭写真をつなぐ転換点として位置づけています。

Kleinにとって、写真は「何が写っているか」だけで成立しません。ピント、粒子、露光、印刷濃度、拡大率、裁ち落としによって、同じ場面でも像の意味は変わります。したがって、後年の荒い粒子や極端なコントラストを単なる反抗的な様式として見るより、写真の物質的条件そのものを操作した結果として見る方が適切です。

1954年、New Yorkへ戻る

1954年、VogueのアートディレクターAlexander Libermanの誘いを受け、KleinはNew Yorkへ戻ります。Libermanは、Kleinの抽象写真と造形感覚に注目し、雑誌での仕事を依頼しました。Kleinはファッション写真と並行して、自分自身のNew Yorkを撮影します。The Metによれば、数か月にわたって街を歩き、後に写真集へまとめられる大量の写真を制作しました。

この撮影でKleinは「透明な観察者」になろうとしませんでした。人に話しかけ、近づき、反応を引き出します。撮影者の存在によって場面が変化することを欠点ではなく条件として受け入れました。人物がカメラを見る、身振りを大きくする、ふざける、怒った表情を作る。その相互作用そのものが写真になります。

街頭写真――近づく、揺れる、切れる

ICPはKleinが1950~60年代に、粒子、ぶれ、歪み、広角レンズ、独特のフレーミングによって「良い写真」の既成概念へ挑戦したと説明しています。これらは現在ではストリート写真の語彙として一般化していますが、当時の雑誌写真や美術写真では、技術的な失敗と判断される可能性のある要素でした。

Kleinの画面では、中心人物だけが重要なのではありません。端で切れる顔、看板の文字、手前を横切る腕、遠近法で異様に大きくなる身体、黒く潰れた影が同時に働きます。広角レンズを近距離で使うことで、空間は自然な奥行きではなく、手前へ押し出される圧力を持ちます。鑑賞者は遠くから都市を眺めるのではなく、人混みの中へ押し込まれます。

《Gun 1, New York》――演出と偶然の間

《Gun 1, New York》はKleinの方法を象徴する一枚です。The Metの解説によれば、KleinはUpper Broadwayで二人の少年にポーズを求め、そのうち一人がカメラへ拳銃を向け、激しい表情を作りました。したがってこれは、写真家が偶然見つけた「純粋な現実」ではありません。撮影者の要求に対して少年が演技し、その反応を極端な近距離で写したものです。

ここではドキュメンタリーと演出を分ける境界が曖昧になります。少年は犯罪者ではなく、カメラの前で犯罪映画や大衆メディアの身振りを演じています。写真が暴力を記録しているのではなく、暴力のイメージを人がどのように学び、カメラの前で再演するかまで写しています。Kleinが被写体に介入する方法は、客観的な記録という写真観から大きく離れていました。

《Life is Good & Good for You in New York》――写真集を設計する

撮影したNew Yorkの写真は、1956年に《Life is Good & Good for You in New York: Trance Witness Revels》として刊行されました。公式サイトによれば、Chris Markerの支援を受けてParis、London、Romeで出版され、1957年にPrix Nadarを受賞します。アメリカでは当時出版先を得られず、Klein自身が写真の選択、文章、組版、表紙を含めて構成しました。

この本の重要性は、強い写真が集まっていることだけではありません。ページをめくる速度、写真の大小、黒い余白、見開きにまたがる配置、文字の大きさが読者の視線を操作します。一枚のプリントを壁で鑑賞する場合とは異なり、写真同士の衝突によって都市の速度を体験させます。Kleinにとって写真集は既存作品を保存する容器ではなく、新しい作品を作る場でした。

Rome、Moscow、Tokyo――都市を一冊の構造へ変える

New Yorkの成功後、Kleinは同じ方法を別の都市へ単純に適用するのではなく、それぞれの都市で異なるリズムを探しました。公式サイトでは《Rome》が1959年、《Moscow》と《Tokyo》が1964年に刊行されたとされています。Romeでは映画制作のために滞在した時間が街の撮影へ変わり、MoscowとTokyoでは冷戦期の大都市を外部者として歩きました。

《Vitrine Goum, Moscou》ではショーウィンドウの反射とマネキンが重なり、《Ciné-Poster, Tokyo》では破れた映画ポスターの巨大な目が画面を占拠します。都市を代表する建築よりも、商業空間や印刷物、通行人、表面の反射に注目する点が特徴です。都市は固定した景観ではなく、文字、広告、身体、速度が絶えず書き換える視覚環境として現れます。

Vogue――ファッションを街へ出す

Kleinは1954年から10年以上Vogueと仕事をしました。ファッションの専門教育を受けていたわけではありませんが、Libermanは彼の実験性を評価しました。ICPによれば、Kleinはモデルを一方的に指示するのではなく、撮影そのものを共同の出来事として扱い、スタジオから街へモデルを連れ出しました。

《Evelyne, fumée + voile, Paris》(1958)では、顔、煙、ヴェール、手元が接近した画面に重なります。衣服だけを明確に見せる商品写真ではなく、モデルの表情と撮影状況が前面に出ます。《Evelyn, Isabella, Nina and Mirrors, New York》(1962)では鏡による反射が複数の人物像を作り、ファッション写真でありながら、見ることそのものを複雑にします。

Kleinは商業写真と個人制作を厳密に分離しませんでした。Vogueで使った大判印刷、強い構成、演出、モデルとのやり取りは街頭写真へも戻り、逆にNew Yorkで試した広角、動き、偶然性はファッションへ入り込みます。この往復が、写真ジャンルの境界を不安定にしました。

文字、看板、広告――都市のグラフィック

Kleinの写真には文字が頻繁に現れます。《Pray-Sin, Garment Center, New York》では宗教的な命令文が画面を分割し、人物や街路と同等の強さを持ちます。映画《Broadway by Light》では、ネオン広告そのものが主役となり、文字が点滅し、重なり、都市の夜を構成します。

これはKleinが写真家であると同時にグラフィック・デザインと印刷に強い関心を持っていたことと関係します。看板の言葉を「情報」として読むだけでなく、太さ、位置、黒白の形として扱います。写真集でも文字と写真を別々の要素にせず、同じ平面を作る素材として配置しました。

William Kleinの写真をどう見るか

まず、写真の中心だけでなく周辺を見ることが重要です。Kleinでは画面端で切れる人物や看板が、中心人物と同じくらい構図を動かします。何が「主役」なのかを固定せず、視線が画面内を移動する速度を見ると、写真の複雑さが分かります。

次に、ピントやぶれを失敗として除外しないことです。どの部分が鮮明で、どの部分が流れ、黒く潰れ、白く飛んでいるかを見ると、Kleinが写真を情報の均等な記録ではなく、視覚的な圧力として扱っていることが分かります。

三つ目に、一枚だけでなく本の中で見る必要があります。New York、Rome、Moscow、Tokyoの写真は、前後のページと組み合わされることで別の意味を持ちます。Klein自身が選択、組版、表紙まで関わったため、写真集は作品理解の中心です。

そして最後に、街頭写真、ファッション、映画、絵画を別々の経歴として切り分けすぎないことです。近づくこと、反射を使うこと、画面を切ること、文字を入れること、複数の像を編集することは、異なる媒体をまたいで繰り返されています。Kleinの制作は「写真家が後に映画を始めた」という直線ではなく、複数の方法が行き来する構造として見る方が理解しやすくなります。

主要作品

1954年のNew Yorkを代表する《Gun 1》《Stickball》《Pray-Sin》から、抽象写真と街頭写真をつなぐ夜景、Rome・Moscow・Tokyoの都市写真、Vogueのファッション写真、最初期の映画《Broadway by Light》、1960年代以降のParis、1980年代の写真への回帰まで、William Kleinの複数の制作領域が見える12点を選びました。

銃1、ニューヨーク

Gun 1, New York / 1954 / ゼラチン・シルバー・プリント(1986年プリント) / 45.4 × 33.3 cm

The Metropolitan Museum of Art, New York

Upper Broadwayで二人の少年にポーズを求めて撮影した代表作。The Metによれば、一人の少年がカメラへ拳銃を向け、犯罪映画や大衆メディアで学んだような激しい表情を演じました。偶然の街頭記録ではなく、写真家の介入と被写体の演技が同時に成立するKleinの方法を象徴します。

所蔵館の作品情報 ↗

スティックボール、西108丁目、ニューヨーク

Stickball, West 108th Street, New York / 1954 / ゼラチン・シルバー・プリント / 27.0 × 34.4 cm

The Metropolitan Museum of Art, New York

New Yorkへ戻った1954年、路上で遊ぶ子どもたちを撮影した一枚。The Metは、Kleinが数か月街を歩き、後の《Life is Good & Good for You in New York》へつながる大量の写真を制作した時期の作品として紹介しています。都市を整然と記録するのではなく、人とカメラの距離を縮めた視覚がよく現れています。

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ホテルの窓から見下ろして、ニューヨーク

Down from My Hotel Window, New York / 1954 / ゼラチン・シルバー・プリント / 27.7 × 35.3 cm

The Metropolitan Museum of Art, New York

夜の街灯や自動車の光をホテルの窓から撮影。The Metは、初期の抽象的な光の実験と、後に知られる街頭写真をつなぐ転換点として位置づけています。都市風景でありながら、光点と線の配置によって抽象画のようにも見える作品です。

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祈れ―罪、ガーメント・センター、ニューヨーク

Pray-Sin, Garment Center, New York / 1954 / ゼラチン・シルバー・プリント(1977年プリント) / 31.9 × 47.1 cm

The Museum of Modern Art, New York

街頭の宗教的メッセージを大きく取り込み、文字、建物、人の流れを一つの平面へ押し込んだ作品。Kleinにとって都市の文字は単なる情報ではなく、人物と同じ強さを持つ視覚的な形でした。後の写真集や映画に続くグラフィック感覚が明確に現れています。

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ヴェスパに乗る聖家族、ローマ

La Sainte Famille à Vespa, Rome / 1956 / ゼラチン・シルバー・プリント(1986年プリント) / 50.6 × 40.5 cm

Centre Pompidou, Paris

Romeで家族とスクーターを至近距離から撮影した作品。Federico Felliniとの仕事をきっかけに滞在したRomeでの撮影は、後の都市写真集《Rome》へつながりました。宗教画を思わせる題名と日常的な交通手段を重ね、都市生活の演劇性をユーモラスに捉えています。

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エヴリーヌ、煙+ヴェール、パリ

Evelyne, fumée + voile, Paris / 1958 / ゼラチン・シルバー・プリント(1986年プリント) / 44.6 × 32.8 cm

Centre Pompidou, Paris

Vogueに発表された代表的なファッション写真。ヴェール、煙、顔、手を近距離で重ね、衣服の説明よりも撮影の瞬間そのものを前面に出します。Kleinがモデルを静的に配置するのではなく、状況や動きを含む演出によってファッション写真を更新したことを示します。

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ブロードウェイ・バイ・ライト

Broadway by Light / 1958 / 35mmカラー映画、音声あり / 10分35秒

Centre Pompidou, Paris

Broadwayのネオン、広告、文字、光の点滅を主題にした最初期の映画作品。Centre Pompidou所蔵。写真で追究していた都市の文字と光を、時間のある映像へ移しました。人物の物語ではなく、色と文字の運動だけで都市を構成する点で、Kleinの写真、デザイン、映画を直接つなぐ作品です。

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グム百貨店のショーウィンドウ、モスクワ

Vitrine Goum, Moscou / 1960 / ゼラチン・シルバー・プリント(1986年プリント) / 39.9 × 49.7 cm

Centre Pompidou, Paris

MoscowのGUM百貨店の窓を撮影し、マネキン、反射、街の像を重ねた作品。都市を象徴する建築そのものより、商業空間の表面に複数の像が混在する状態へ注目しています。後の《Moscow》写真集へ続く、都市を断片と反射から捉える方法が表れています。

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シネ・ポスター、東京

Ciné-Poster, Tokyo / 1961 / ゼラチン・シルバー・プリント(1986年プリント) / 50.8 × 40.5 cm

Centre Pompidou, Paris

破れた映画ポスターの顔、とくに巨大な目を画面いっぱいに捉えたTokyo作品。都市を人間の肖像として撮るのではなく、印刷物、広告、裂けた紙面から都市の視覚環境を作ります。Kleinのグラフィックへの関心と街頭写真が最も直接的に重なる一枚です。

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エヴリン、イザベラ、ニナと鏡、ニューヨーク

Evelyn, Isabella, Nina and Mirrors, New York / 1962 / ゼラチン・シルバー・プリント / 49.8 × 39.7 cm

The Museum of Modern Art, New York

三人のモデルと鏡像を組み合わせたファッション写真。鏡が人物を増殖させ、現実の身体と反射像の境界を複雑にします。衣服を明快に提示するだけでなく、見ること、見られること、写真の平面上で像が重なること自体を主題化した作品です。

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11月11日、パリ

11 Novembre, Paris / 1968 / ゼラチン・シルバー・プリント(1986年プリント) / 29.7 × 42.9 cm(イメージ)

Centre Pompidou, Paris

群衆と人物を街頭で捉えたParis作品。1960年代後半に映画制作へ比重を移していた時期にも、Kleinが都市の身体と群衆への関心を持ち続けていたことを示します。画面の複数人物が互いに重なり、単独の肖像ではなく都市空間全体が一つの出来事として写ります。

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マラソンのゴール、パリ

Arrivée de marathon, Paris / 1983 / ゼラチン・シルバー・プリント(1986年プリント) / 31.1 × 45.9 cm(イメージ)

Centre Pompidou, Paris

マラソンのゴール地点を撮影した作品。1980年代に写真へ再び大きく戻った時期の一例で、身体の運動、群衆、決定的な瞬間よりも前後を含む混乱を捉えています。この時期以降、Kleinは過去のコンタクトシートへも戻り、「Contacts peints」を展開します。

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映画――写真の外へ出る

Kleinは1958年に《Broadway by Light》を制作し、本格的に映画へ進みました。Centre Pompidou所蔵のこの作品は、Broadwayのネオン、広告、文字、色の点滅を約10分半にわたって組み合わせた短編です。都市の看板を静止画として切り取るのではなく、明滅と時間の連続として見せます。写真集でページをめくる速度を設計していたKleinが、映画では画像そのものへ時間を与えたと見ることができます。

その後、テレビ・ドキュメンタリー・劇映画へ制作を広げます。公式William Kleinサイトによれば、1960年代以降に20本を超えるドキュメンタリー、長編、フィクションを制作し、さらに多数の広告映像にも関わりました。写真家が余技として映画を撮ったのではなく、1960年代後半から70年代にかけては映画が制作の中心的な位置を占めています。

《Qui êtes-vous, Polly Maggoo?》――ファッションを内側から風刺する

1966年の《Qui êtes-vous, Polly Maggoo?》は、Kleinのファッション界での経験を劇映画へ変換した代表作です。モデル、デザイナー、雑誌、テレビ、評論家が作り出すファッションの制度を、誇張された演出によって風刺します。Centre Pompidouの資料では、Dorothy McGowanが演じるモデルPolly Maggooを中心に、アルミニウムの衣装を用いる奇抜なショーなどが描かれています。

Kleinはファッション写真そのものを否定したわけではありません。Vogueで十年以上働き、その視覚的な可能性を最大限利用した人物です。だからこそ、この映画の批評は外部からの単純な攻撃ではなく、魅力と虚構、創造性と商品化が同時に存在するシステムを内側から誇張して見せるものになりました。1967年にはPrix Jean Vigoを受賞しています。

政治とドキュメンタリー

映画では政治的・社会的な題材も大きくなります。《Mister Freedom》(1968)はアメリカの政治的・文化的支配を極端なヒーロー像によって風刺し、《Grands soirs et petits matins》では1968年前後のParisの政治状況へ接近しました。街頭写真で人混みの中へ自分自身を入れていた方法が、映画ではデモ、政治集会、演説、身体の動きへ拡張されます。

《Muhammad Ali, the Greatest》は、1964~65年のCassius Clayから、1974年にKinshasaでGeorge Foremanと戦うMuhammad Aliまでを追う長編ドキュメンタリーです。Centre Pompidouの資料によれば、Aliの改名、Black Muslimとしての立場、ベトナム戦争への徴兵拒否、それによる資格停止、そして世界王座への復帰までを扱います。KleinにとってAliは単なるスポーツ選手ではなく、メディアの前で自分自身の像と言葉を作り続ける人物でした。

Contacts peints――選ぶ行為を作品にする

1980年代にKleinは写真へ再び大きく戻り、コンタクトシートを使った「Contacts peints」を展開しました。コンタクトシートは、一本のフィルムに写された複数のコマを小さく一覧化し、写真家がどの一枚を選ぶかを確認するための作業用資料です。通常は最終作品の外側に置かれるものですが、Kleinはその選択の痕跡を作品の中心へ持ち込みました。

ICPの《Contacts》資料とCentre Pompidouの回顧展資料によれば、Kleinはコンタクトシートを大きく拡大し、選んだコマの周囲を赤や色彩の強い絵具で囲みました。写真家が暗室で行う選択の印が巨大化され、絵画的な線になります。写真、グラフィック、絵画が一枚の中へ戻ってくるため、これは青年期の抽象画と街頭写真を数十年後に接続する方法でもありました。

さらに、この作品は「決定的瞬間」だけを神聖化しません。選ばれなかった前後のコマも残ることで、一枚の有名写真がどのような連続の中から選ばれたのかが見えます。完成作の権威を解体し、試行錯誤や失敗を含む撮影の過程そのものを見せる点にKleinらしさがあります。

写真集という作品形式

Kleinの写真史上の重要性を考えるとき、プリントと同じくらい写真集が重要です。《New York》《Rome》《Moscow》《Tokyo》では、撮影、写真選択、文章、組版、表紙が分離していません。ICPは《New York》について、Klein自身がデザイン、文章、組版まで行ったことを強調しています。

写真集では、同じ写真でもサイズや裁ち落としによって意味が変わります。顔の一部がページ端で切れ、黒い部分が見開きいっぱいに広がり、次の写真との距離が短くなることで、都市の圧力が生まれます。美術館の壁へ均等な額装で並べたときには失われる要素です。

この考え方は後の写真集文化に大きな影響を与えました。写真家が撮影だけを担当し、デザイナーが本を整えるという分業ではなく、写真家自身が本全体を一つの視覚作品として設計するモデルを示しました。Kleinは一枚の写真の作者であると同時に、画像が流通する形の作者でもありました。

Robert Frankとの違い

William KleinとRobert Frankは、1950年代の写真を変えた作家として頻繁に並べられます。二人とも戦後アメリカの表面を、従来の雑誌報道とは異なる個人的な視点から撮り、粒子、傾き、暗部、偶然の遮蔽物を受け入れました。また、写真集を個々の写真以上に重要な形式として扱っています。

一方、両者の距離感は大きく異なります。The Metは、Kleinの《New York》を長い海外生活から戻った「故郷への帰還」の視点、Frankの《The Americans》をアメリカへ来た外部者の視点として比較しています。Kleinは人物へ接近し、声をかけ、演技を引き出し、画面そのものを騒がしくします。Frankはしばしば一歩引いた位置から、視線や社会的な距離のずれを静かに残します。

したがって、「二人とも荒い写真を撮った」という技法上の類似だけでまとめると重要な違いを失います。Kleinの写真は撮影行為そのものが街の出来事へ入り込み、Frankの写真は移動しながら見つけた断片をシークエンスで沈黙させる傾向があります。同時代に異なる方法で写真の客観性を崩した点が、両者を並べて見る面白さです。

1980年代以降――過去作品を作り直す

1980年代以降のKleinは、若い頃の写真を単に回顧するのではなく、拡大、再編集、着彩によって作り直しました。公式サイトによれば、1980年代に写真制作へ本格的に戻り、《Close Up》(1989)、《In & Out of Fashion》(1994)、《Contacts》(2008)などを刊行します。過去のネガやコンタクトシートを再び素材として使うことで、アーカイブが新作のための場所になります。

2005~06年のCentre Pompidou回顧展では、写真、映画、絵画、ポスター、書籍、Contacts peintsを同じ空間に置き、Klein自身も展示構成へ積極的に関わりました。Centre Pompidouによれば、この展覧会のために過去映像を再編集した大型映像や、新しい大判のContacts peintsも制作しています。回顧展でありながら、過去を固定するのではなく、展示の時点で再び作り変えました。

2012年にはTate ModernでDaido Moriyamaとの二人展《William Klein + Daido Moriyama》が開催され、Kleinの荒い粒子、都市への接近、写真集文化が後続世代へ与えた影響が改めて見直されました。2022年にはICPで《William Klein: YES; Photographs, Paintings, Films, 1948–2013》が開催され、写真家だけではなく、絵画、映画、デザイン、出版を横断する約300点によって全体像が提示されました。

William Kleinは写真を何を変えたのか

第一に、写真の「失敗」とされていた要素を表現へ変えました。ぶれ、粗い粒子、極端なコントラスト、傾いた構図、画面端の切断は、情報を損なう欠点ではなく、都市を身体的に経験する速度を伝える方法になります。現在のストリート写真で一般化した語彙の多くを、1950年代に大胆に可視化しました。

第二に、写真家と被写体の関係を変えました。気づかれないように撮影することだけを理想とせず、声をかけ、近づき、反応させ、場合によっては演技を要求しました。《Gun 1, New York》のように、撮影者がそこにいることで生まれた出来事を隠しません。写真が客観的な窓ではなく、人間同士の接触から生まれることを明確にしました。

第三に、写真集を独立した作品へ押し上げました。写真の順番、拡大、見開き、文字、表紙までを一体化し、印刷物の中で写真の意味を作り変えました。《New York》以降の都市写真集は、写真家が本を設計するという考え方の重要な先例になりました。

第四に、商業写真と個人制作の壁を低くしました。Vogueのファッション写真で行った実験と、街頭写真の実験は相互に流入しています。商業誌のための写真でも、モデル、鏡、街路、広角レンズ、偶然性を使い、個人制作と同じ問題を追究しました。

第五に、写真という専門領域へ留まりませんでした。絵画から写真へ、写真から映画へ、映画から再び写真と絵画を組み合わせたContacts peintsへ移動しています。ICPの2022年回顧展が示したように、Kleinを理解するには、どれか一つの肩書きへ固定するより、媒体を移るたびに同じ視覚的エネルギーが別の形へ変換される過程を見る必要があります。

そして最も重要なのは、都市を「整理すべき混乱」として扱わなかったことです。Kleinの写真では、広告、宗教、暴力、遊び、ファッション、群衆、文字、光が同じ場所へ押し寄せます。それらを一つの意味へ整理せず、互いにぶつかる状態を画面へ残しました。20世紀の大都市が持つ過剰な情報量を、そのまま写真の形式へ変換したことが、Kleinの仕事を現在まで新鮮に見せています。

略年譜

1926
4月19日、New Yorkに生まれる。ハンガリー系の家庭でManhattanに育つ。
1940年代前半
City College of New Yorkで社会学を学ぶ。第二次世界大戦末期に米軍へ入る。
1946–1948頃
戦後ドイツに駐留したのちParisへ移る。Sorbonneで学び、André Lhote、Fernand Légerのアトリエで絵画を学ぶ。
1948
Parisを生活拠点とする。Jeanne Florinと結婚し、以後長く共同生活を続ける。
1951
Belgium、Italyで絵画を発表。MilanでAngelo Mangiarottiと幾何学的壁画の仕事を行う。
1952–1953頃
抽象写真、光を使った実験を進め、《Domus》などの印刷物へ作品が掲載される。
1954
Alexander Libermanの誘いでNew Yorkへ戻り、Vogueとの仕事を開始。同時に都市を撮影し、《Gun 1》《Stickball》《Pray-Sin》等を制作。
1956
《Life is Good & Good for You in New York: Trance Witness Revels》刊行。Chris Markerが出版を支援。同年Romeへ滞在し撮影。
1957
《New York》でPrix Nadarを受賞。
1958
最初期の映画《Broadway by Light》を制作。ファッション写真《Evelyne, fumée + voile, Paris》制作。
1959
都市写真集《Rome》刊行。
1960–1961
Moscow、Tokyoで撮影。《Vitrine Goum, Moscou》《Ciné-Poster, Tokyo》等を制作。
1964
写真集《Moscow》《Tokyo》刊行。Cassius Clayを撮影し、後の《Muhammad Ali, the Greatest》へつながる映画制作を開始。
1966
劇映画《Qui êtes-vous, Polly Maggoo?》公開。翌年Prix Jean Vigoを受賞。
1968
《Mister Freedom》制作。Parisの政治状況を記録する映画制作にも取り組む。
1974
1964~65年と1974年の映像を組み合わせ《Muhammad Ali, the Greatest》を完成。
1977
消費社会と社会実験を風刺する劇映画《Le Couple témoin》制作。
1980年代
写真制作へ本格的に戻り、コンタクトシートを拡大して絵具で囲む「Contacts peints」を展開。
1983
写真家が自身のコンタクトシートを語る映像シリーズ《Contacts》の企画を開始。
1989
写真集《Close Up》刊行。
1990
Hasselblad Awardを受賞。
1994–1995
ICPで《William Klein: In and Out of Fashion》。ファッション写真、映画、Contacts peintsを横断して展示。
2002
写真集《Paris + Klein》を刊行。
2005–2006
Centre Pompidouで大規模回顧展。写真、映画、絵画、グラフィック、書籍、Contacts peintsを総合的に展示。
2007
International Center of PhotographyのInfinity Award Lifetime Achievementを受賞。
2012
Tate Modernで《William Klein + Daido Moriyama》開催。
2022
ICPで《William Klein: YES; Photographs, Paintings, Films, 1948–2013》。約300点規模で全活動を回顧。
2022
9月10日、Parisで死去。96歳。

参考資料・出典

本ページはWilliam Klein公式サイト、International Center of Photography、Centre Pompidou、The Metropolitan Museum of Art、The Museum of Modern Art、National Gallery of Art等の公式資料・所蔵情報を参照し、ART LIBRARYが独自に執筆しました。Kleinを街頭写真だけに限定せず、抽象絵画、写真集、ファッション、映画、1980年代以降のContacts peintsまでを連続する制作として構成しています。原文の全文翻訳ではありません。生年は公式William Kleinサイト、ICP、Centre Pompidouが一致して採用している1926年を使用しています。

資料確認日:2026年10月4日 / ART LIBRARY