Art Library

Sigmar Polke

ジグマー・ポルケ

ドイツ / 1941–2010 / 資本主義リアリズム/戦後ドイツ美術

Sigmar Polke | TateShots (Tate)
Sigmar Polke | Introduction video | De Pont Museum (De Pont Museum)
De Pont Museum(デ・ポント現代美術館)は、オランダ南部北ブラバント州のティルブルク(Tilburg)にある国際的な現代美術館です。
Sigmar Polke on the Banality of Social Reality (Sotheby’s)
シグマー・ポルケ。回顧展。フリーダー・ブルダ美術館
VTV Classics (r3): Sigmar Polke. A Retrospective. Museum Frieder Burda (2007)(VernissageTV)
フリーダー・ブルダ美術館(Museum Frieder Burda)は、ドイツ南西部の温泉都市バーデン=バーデンにある現代アート・コンテンポラリーアートの個人美術館
Sigmar Polke in De Pont (2021) (De Pont Museum)
De Pont Museum(デ・ポント現代美術館)は、オランダ南部のティルブルフ(Tilburg)にある国際的な現代アート美術館です。デ・ポント美術館は、2021年夏、かつての羊毛紡績工場内の1400平方メートルを超える展示スペースで、「Das kann doch kein Motiv sein」と題した展覧会を開催し、200点以上の作品を展示します。本展は、40年間にわたるポルケの作品の世界を映し出し、オブジェ、写真、コピー、版画、コラージュ、アーティストブックなどで構成されています。ドイツのヒルシャイトにある「クンストラウム・アム・リメス」の創設者であるアクセル・チエシエルスキ博士(1944-2019)は、長年にわたりすべての版画作品を収集した唯一の人物です。今回、オランダで初めて公開される彼のコレクションは、アトリエがまるで実験室のようだったこの芸術家の創作の舞台裏を垣間見せてくれる。

ジグマー・ポルケ(1941–2010)は、戦後ドイツの消費社会、新聞や広告の印刷イメージ、政治的記憶、写真、絵画、美術史、化学反応などを一つの画面に重ねながら、「どのイメージを信じればよいのか」という問題を繰り返し揺さぶったドイツの作家です。1960年代にはゲルハルト・リヒター、コンラート・リューグらと「資本主義リアリズム」に関わり、商業印刷の網点を手描きで拡大した作品を制作しました。しかし、その後は一つのスタイルを維持せず、写真、フィルム、ドローイング、安価な柄布、透明樹脂、顔料、煤、隕石粉末などへ制作を拡張します。ポルケの作品では、写真と絵画、機械と手仕事、偶然と制御、抽象と具象、冗談と歴史的記憶が、どちらか一方に整理されないまま同時に存在します。

Cornel Wachter Source ↗

生涯と制作の変遷

東から西へ移動した幼少期

ポルケは1941年、当時ドイツ領だったシレジアのオエルス(現在のポーランド、オレシニツァ)に生まれました。第二次世界大戦末期の1945年に家族はテューリンゲンへ移り、東ドイツで生活します。1953年、12歳のとき一家は西ドイツへ移住し、デュッセルドルフに定住しました。

この経歴は、後の作品を単純に説明する「原因」ではありませんが、ナチス時代、戦後の東西分断、西ドイツの急速な消費社会化という複数の政治・社会体制を幼少期から経験したことは重要です。MoMAの1999年展資料は、戦争と戦後復興の記憶がまだ濃い1950〜60年代の西ドイツで、ポルケが新しい消費文化の幸福なイメージを皮肉に扱ったことを指摘しています。

ガラス絵の修業からデュッセルドルフ美術アカデミーへ

1959年から1961年まで、ポルケはデュッセルドルフ=カイザースヴェルトでガラス絵の職人修業を経験しました。その後、1961年から1967年までデュッセルドルフ美術アカデミーで学びます。MoMAの年譜によれば、主にカール・オットー・ゲッツとゲルハルト・ヘーメに学び、同時期にはゲルハルト・リヒターとコンラート・リューグも在籍していました。

当時の西ドイツ美術では、戦前の近代美術との断絶をどう考えるか、抽象表現をどう受け止めるか、アメリカから流入するポップ・アートや大量消費文化にどう応答するかが問題になっていました。ポルケはそのどれか一つに所属するのではなく、複数の視覚言語を意図的に混ぜる方向へ進みます。

1963年:「資本主義リアリズム」

1963年、ポルケはリヒター、リューグ、マンフレート・クットナーらとデュッセルドルフの店舗を使った展覧会を行いました。同じ年、ポルケ、リヒター、リューグは「Kapitalistischer Realismus(資本主義リアリズム)」という言葉と結びつく活動を展開します。

名前は東側の「社会主義リアリズム」を反転させたようにも聞こえますが、西側の資本主義を礼賛する運動ではありませんでした。冷蔵庫、食品、住宅、余暇、広告写真など、西ドイツの新しい豊かさを象徴するイメージを取り込みながら、その人工性、安っぽさ、欲望の作られ方を皮肉に示します。MoMAはポルケの1960年代作品を、アメリカのポップ・アートと同時代でありながら、消費文化に対してより不安定で懐疑的な関係を持つものとして説明しています。

新聞・広告の写真を絵画へ移す

1960年代半ば、ポルケは新聞や雑誌の写真を拡大し、印刷を構成する網点を手で描く作品を発展させました。《Girlfriends》の女性像のように、一見すると機械印刷を巨大化した画面ですが、点は完全には均等ではなく、歪み、ずれ、濃淡があります。

MoMAによれば、ポルケは写真をスライド投影機などでカンヴァスへ拡大し、印刷物の小さなドットを露出させ、それをステンシル、スプレー、手作業などで再構成しました。機械的なイメージを手作業で模倣することで、「客観的な写真」と「主観的な絵画」という区別が曖昧になります。

1960年代末:作品の権威そのものをからかう

ポルケは美術家を特別な天才として扱う考えにも距離を置きました。1968年の《…Higher Beings Ordain》では、「高次の存在が命令した」という架空の権威に制作の決定を委ねたような写真と文章を組み合わせています。作家のインスピレーションや神秘的創造性を真面目に語る制度を、冗談によってずらしています。

この時期のドローイングにも、科学、占星術、薬物、超能力、官僚的分類などを茶化す作品が多数あります。MoMAの回顧展「Alibis」が強調したように、ポルケは社会、政治、科学、美術史のどの権威にも最終的な信頼を置かず、作品の意味を意図的に確定しにくくしました。

1970年代:写真、フィルム、旅行、共同生活

1970年代、ポルケは絵画だけでなく写真やフィルムを大量に制作します。1974年にはパキスタンとアフガニスタン、1980–81年には東南アジア、パプアニューギニア、オーストラリアを旅行しました。写真では撮影後の現像工程にも積極的に介入し、露光や薬品処理の偶然を利用しました。

1970年代前半にはウィリヒのGaspelshofで共同生活的な環境に身を置き、従来の「画家のアトリエ」から離れた活動も行います。《Spiderman》のような巨大作品でも、紙を切り貼りし、漫画的な像、抽象的な絵具、異なる素材を一つの画面へ重ねています。

1980年代:絵画へ戻りながら、絵画を不安定にする

1980年代になると大規模な絵画制作が再び中心になりますが、従来の油彩カンヴァスへ戻ったわけではありません。市販の柄布を支持体にし、透明樹脂、乾燥顔料、ラッカー、化学物質などを使い、支持体の模様が絵具の下から透ける作品を作りました。

1984年の《Watchtower》では、花柄と網目模様の安価な市販布の上に監視塔のような形を描いています。MoMAは、この塔が東西ドイツ国境の監視塔、ナチス強制収容所の監視塔、狩猟用の櫓など複数の意味を同時に想起させると説明しています。イメージを一つの歴史的意味へ固定しないことが、作品の構造そのものになっています。

主要作品

1960年代の資本主義リアリズムと網点表現から、写真・コラージュ、柄布、政治的記憶、1980年代以降の材料実験まで、ポルケが一つの様式へ固定されなかったことを追える8作品を選びました。作品は現在も著作権保護下にあるため、ART LIBRARYでは画像なしで掲載します。

ガールフレンズ I

Girlfriends I (Freundinnen I) / 1967 / オフセット・リトグラフ / 図像 46.6 × 59 cm/シート 47 × 60.7 cm

The Museum of Modern Art, New York

広告や映画宣伝写真に由来すると考えられる二人の女性像を使った初期版画。MoMAによれば、ポルケの絵画では印刷写真を拡大して網点を手作業で再現しましたが、この版画では商業印刷と同じオフセット技術をそのまま用いています。機械的複製と手描きの網点という二つの方法を比較できる重要作です。

所蔵館の作品情報 ↗

週末住宅

Weekend House (Wochenendhaus) / 1967(1968年刊行) / スクリーンプリント / 図像 52 × 83.9 cm/シート 59 × 83.9 cm

The Museum of Modern Art, New York

『Graphics of Capitalist Realism』ポートフォリオの一作。新聞広告に掲載された郊外の週末住宅をもとにしています。MoMAは、この住宅を西ドイツに出現した新しい余暇階級の象徴として説明しています。複製された広告イメージの上へ表現主義的な色のストロークを加え、機械的複製と作家の手仕事を意図的に衝突させています。

所蔵館の作品情報 ↗

……高次の存在が命じる

.....Higher Beings Ordain (.....Höhere Wesen befehlen) / 1968 / フォトリトグラフ、14点組 / 各シート 約29 × 21 cm

The Museum of Modern Art, New York

クリストフ・コールヘーファーとの共同制作による14点のポートフォリオ。『高次の存在』から制作を命じられたという架空の設定を使い、芸術家の霊感、神秘性、作家の権威をユーモラスに風刺します。写真とタイプ文字を組み合わせ、作品の意味を作者自身からも意図的にずらしています。

所蔵館の作品情報 ↗

スパイダーマン

Spiderman / 1971–1974 / 彩色した紙の切り貼り・カンヴァス / 282.6 × 213.4 cm

The Museum of Modern Art, New York

巨大なカンヴァス上へ彩色した紙を切り貼りした作品。漫画的な人物像と抽象的な形、複数の紙片が同一画面で重なります。絵画・コラージュ・印刷イメージを一つの技法へ統一せず、異なる視覚言語を同時に存在させる1970年代の展開を示します。

所蔵館の作品情報 ↗

毛沢東

Mao / 1972 / 合成樹脂絵具・柄布、フェルト、木製ロッド / 362.6 × 311.2 cm

The Museum of Modern Art, New York

毛沢東の肖像、タブロイド紙の見出し、中国風の図像、群衆などを、複数の市販柄布の上へ重ねた大型作品。MoMAは、政治、消費、ファッションから借りたイメージが競合する構造を指摘しています。支持体の柄そのものが作品の一部となり、背景と前景の関係が不安定です。

所蔵館の作品情報 ↗

パガニーニ

Paganini / 1982 / 合成樹脂絵具・布 / 200 × 450 cm

Private collection

約4.5メートル幅の大型作品。複数の図像、描画、柄布を重ねながら、単一の物語へまとめません。1980年代のポルケが、印刷イメージと抽象的処理、透明性、支持体の模様をさらに複雑に組み合わせる段階へ進んだことを示す作品です。

所蔵館の作品情報 ↗

監視塔

Watchtower (Hochsitz) / 1984 / アクリル絵具、乾燥顔料・柄布 / 300 × 224.8 cm

The Museum of Modern Art, New York

花柄と網目模様の市販布の上へ、監視塔のような形をステンシルで描いた作品。MoMAは、ベルリンの壁沿いの監視塔、ナチス強制収容所の塔、狩猟用の櫓など複数の連想を示しています。日常的な柄布と不穏な歴史的イメージが一つの意味へ解決されず重なります。

所蔵館の作品情報 ↗

無題、ナンバー5

Untitled, Number 5 / 1988 / 油彩・布、木製スタンド、フレーム / 全体 213.4 × 115.6 × 8.9 cm

The Museum of Modern Art, New York

1980年代後半の作品。通常の白いカンヴァスではなく布を用い、絵画と物体の境界を揺らす木製スタンドとフレームを含みます。同時期のポルケは隕石粒子、銀箔、石器、樹脂など非伝統的材料も積極的に導入しており、絵画をイメージだけでなく物質の実験場として扱いました。

所蔵館の作品情報 ↗

「資本主義リアリズム」とは何だったのか

アメリカン・ポップと似ているが、同じではない

新聞広告、商品、余暇、ファッションなどを使った1960年代のポルケ作品は、ウォーホルやリキテンスタインのポップ・アートと外見上近く見えます。しかし歴史的背景は異なります。アメリカでは高度な大量消費社会がすでに成立していましたが、西ドイツでは戦後の欠乏から急速に消費社会へ移行している最中でした。

MoMAは、ポルケの食品や商品イメージには、戦後の不足の記憶と新しい豊かさへの欲望が同時にあると説明しています。商品を単純に祝福するのでも拒絶するのでもなく、魅力的でありながらどこか滑稽で信用できないものとして扱いました。

「リアリズム」という言葉自体が冗談になる

社会主義リアリズムは社会主義国家の理想的現実を表象する公式芸術と結びついていました。「資本主義リアリズム」という名称は、その言葉を西側へ反転させることで、広告やマスメディアが作る「豊かな現実」もまた、一つのイデオロギー的な表象ではないかと問いかけます。

ただし、資本主義リアリズムには統一されたマニフェストや固定された様式があったわけではありません。MoMAの資料でも、ポルケ、リヒター、リューグらの1960年代の活動を示す歴史的な呼称として扱われています。ポルケ自身は早い段階から別の方法へ移り続けました。

網点――印刷物を手で描く

写真を描くのではなく、写真が印刷物になる仕組みを描く

新聞や雑誌の写真を拡大すると、小さな点の集まりでできていることが分かります。通常の閲覧距離では点は見えず、私たちは一人の女性や商品として認識します。ポルケはその点を巨大化し、イメージが情報へ変換される仕組み自体を見えるようにしました。

《Girlfriends I》についてMoMAは、ポルケが広告などの印刷写真を投影し、拡大によって露出した網点を利用していたことを説明しています。絵画版では機械印刷のような点を手作業で模倣し、版画版では逆にオフセット印刷そのものを使いました。

点は均一ではない

リキテンスタインのベンデイ・ドットが比較的整然とした印刷記号として見えるのに対し、ポルケの点はしばしば崩れます。点の大きさが変わり、列が歪み、像が読みにくくなります。機械的な複製を再現しようとしながら、その精度を意図的に壊しています。

そのためポルケの網点は「機械対手仕事」のどちらか一方ではありません。写真→印刷→投影→手描き→再印刷という複数の変換を繰り返し、そのたびに情報が劣化したり変形したりします。

ポルケの作品をどう見るか

まず、何層あるかを見る

ポルケの作品では、一枚の画面に一つのイメージだけがあることはむしろ少数です。柄布、写真由来の像、漫画、文字、ステンシル、抽象的な染みが重なります。どれが背景でどれが前景なのかが曖昧になることもあります。

《Watchtower》では、市販布の模様、監視塔、抽象的な線が互いに競合します。MoMAは、この視覚的な重なりが、異なる歴史・記憶・意識の層が一つに解決されない状態を作っていると説明しています。

支持体を見る

絵具だけを見るのではなく、その下に何があるかを見ることが重要です。ポルケは白い画布を当然の出発点とせず、安価な家具用布や花柄の市販布を使いました。柄がすでに存在するため、画家が最初の一筆を置く前から画面には情報があります。

その模様を隠さず、むしろ透明な材料を使って見せ続けることで、「画家がゼロから画面を作る」という考えを崩します。既製の布、既製の写真、既製の歴史的イメージの上へ、さらに別の像を重ねるのがポルケの方法です。

具象か抽象かを決めようとしない

ポルケの画面には顔や塔、動物、漫画のキャラクターが見える一方、その上には意味を持たない染みや化学反応が広がります。具象的イメージを見つけても、別の層がそれを邪魔します。

そのため「これは何を描いた絵か」を一つに決めるより、像が現れたり消えたりする状態を見る方が作品に近づけます。ポルケは意味を伝えるために複数の要素を統合するのではなく、むしろ統合できない状態を維持しました。

偶然がどこで使われているかを見る

写真現像、流動的な樹脂、化学物質、顔料の反応など、ポルケは完全には制御できない現象を制作へ取り込みました。しかし「偶然に任せただけ」ではありません。どの素材を組み合わせ、どの反応を残し、どこで作品を止めるかは画家の判断です。

偶然性そのものより、「制御できない現象をどこまで画面へ許すか」という選択を見る必要があります。

写真・フィルム・柄布――絵画の外側へ

写真も客観的ではない

写真はしばしば現実を直接記録する媒体と考えられます。しかしポルケは、撮影後の暗室作業で画像を歪め、反転し、露光を変え、薬品による変化を利用しました。MoMAの大規模回顧展は、絵画だけでなく写真、フィルム、パフォーマンス、Xerox、ドローイング、インスタレーションを同等に扱っています。

ポルケにとって写真は絵画より「客観的」な媒体ではありません。どちらも操作され、複製され、変換されるイメージでした。その意味で、1960年代の網点絵画と1970年代の実験写真は別々の活動ではなく、イメージがどのように作られるかという同じ問題につながっています。

《Spiderman》:コラージュとしての巨大画面

1971–74年の《Spiderman》では、切って彩色した紙を巨大なカンヴァスへ貼り合わせています。漫画的な人物像、抽象的な色、断片化された紙が混在し、単一の絵画技法へまとめられていません。

この作品は、後のポルケに典型的になる「異なる媒体とイメージを一つの支持体で衝突させる」方法を早い時期から示しています。絵画、コラージュ、印刷イメージの境界が曖昧です。

1980年代以降:材料そのものを働かせる

透明性を使う

1980年代以降、ポルケは透明・半透明の樹脂を積極的に使います。通常の油彩では、絵具を重ねるほど下の層は隠れていきます。透明樹脂では、下の柄布や以前の層を見せたまま別の像を追加できます。

その結果、画面は「上から順に完成していく」構造ではなくなります。過去の層が現在の層を通して見え続け、複数の時間が同時に存在します。

絵具以外の物質を絵画へ入れる

MoMAの2014年回顧展資料には、煤をガラスへ付着させた作品、隕石の粒子を樹脂へ混ぜた作品、新石器時代の石器や銀箔を組み込んだ作品などが記録されています。ポルケは「絵画材料」を油絵具やアクリルに限定しませんでした。

ここでは画家がイメージを描くことより、物質そのものが変化し、反応し、光を反射し、透過することが重要になります。材料は像を作るための受動的な道具ではなく、作品を生成する主体の一部になります。

1986年ヴェネツィア・ビエンナーレ

1986年、ポルケはヴェネツィア・ビエンナーレのドイツ館を担当し、絵画部門の金獅子賞にあたるGrand Prizeを受賞しました。MoMAの年譜にも、この受賞が記録されています。

この時期には材料実験と巨大な絵画を組み合わせる制作が国際的に高く評価されます。ただし、成功後も同じ技法を固定せず、1990年代以降も写真、デジタルプリント、ガラス、樹脂などを横断し続けました。

ドイツの歴史と曖昧なイメージ

歴史を説明するのではなく、記憶を重ねる

《Watchtower》の塔は、東西ドイツ国境の監視塔にも、ナチス強制収容所の監視塔にも、狩猟用の櫓にも見えます。MoMAも複数の読みを提示しながら、一つに断定していません。

この曖昧さは、歴史をぼかしているというより、同じ形が異なる時代の記憶を呼び起こすことを利用しています。第二次世界大戦、ナチス、東西分断、冷戦、消費社会といったドイツの複数の歴史が、一枚の画面上で完全には整理されないまま共存します。

柄布の「日常」と歴史的暴力

《Watchtower》で支持体となるのは、高価な絵画用キャンバスではなく、花柄などの安価な市販布です。穏やかな家庭生活を思わせる装飾柄と、不穏な監視塔が同じ画面にあります。

MoMAは、柄布が戦後の日常や消費文化を想起させる一方、塔が抑圧や監視の歴史を呼び起こすと説明しています。歴史的な暴力が日常生活から切り離された別世界にあるのではなく、同じ視覚空間へ重なって現れます。

一つのスタイルを持たないこと

「ポルケらしい絵」を固定できない

ポルケには網点絵画という非常に認識しやすい表現があります。しかし制作全体を見ると、それだけを繰り返した作家ではありません。漫画的な絵、写真、抽象画、柄布、透明樹脂、煤、フィルム、ドローイング、巨大インスタレーションへ絶えず方法を変えました。

MoMAの回顧展「Alibis」は、ポルケが意識的に「一つの署名的スタイルや媒体」を避けたと説明しています。この拒否そのものが、彼の一貫した制作態度でした。

リヒターとの違い

ポルケとゲルハルト・リヒターは同じデュッセルドルフで学び、資本主義リアリズムの活動を共有し、写真やマスメディアのイメージを絵画へ取り込んだため比較されることが多い作家です。しかしその後の方向は大きく異なります。

リヒターが写真と絵画、具象と抽象の関係を異なるシリーズとして長期的に検討したのに対し、ポルケは一枚の作品の中に複数の技法、支持体、歴史的イメージ、偶然性を混在させる傾向を強めました。ポルケでは分類そのものを不安定にすることが重要になります。

ポストモダンという評価

1980年代以降、過去の様式や大量文化のイメージを引用し、複数の意味を重ね、一つの真実や純粋な様式を疑う方法は「ポストモダン」と関連づけて語られるようになります。MoMAも《Watchtower》について、異なる時代のイメージと様式を一枚に衝突させる方法を、ポルケが先駆的に展開したポストモダン的アプローチとして説明しています。

ただしポルケ自身の制作は、後から付けられた一つのカテゴリーより広いものです。彼にとって重要だったのは、どの様式を選ぶかよりも、様式や情報の権威を疑い続けることでした。

画像利用について

ポルケは2010年に死去しており、作品は現在も著作権保護下にあります。MoMAは2026年現在、ポルケ作品についてEstate of Sigmar Polke / Artists Rights Society(ARS)/ VG Bild-Kunstの著作権表示を掲載しています。ART LIBRARYでは主要作品画像を無断転載せず、現段階では作品情報と公式所蔵館へのリンクで構成します。画像を追加する場合は、権利者または所蔵機関からウェブ掲載条件が明示されたものに限ります。

略年譜

1941
2月13日、シレジアのオエルス(現在のポーランド、オレシニツァ)に生まれる。
1945
家族とテューリンゲンへ移り、東ドイツで生活する。
1953
一家で西ドイツへ移住し、デュッセルドルフに定住。
1959–1961
デュッセルドルフ=カイザースヴェルトでガラス絵職人の修業を行う。
1961–1967
デュッセルドルフ美術アカデミーでカール・オットー・ゲッツ、ゲルハルト・ヘーメらに学ぶ。リヒター、リューグも同時期に在籍。
1963
リヒター、リューグ、クットナーとデュッセルドルフの店舗で展覧会。資本主義リアリズムに関わる活動を開始。
1960年代半ば
新聞・広告写真の網点を手描きで拡大するRasterbilderを展開。
1967
《Girlfriends I》など初期版画を制作。「資本主義リアリズム」の版画ポートフォリオにも参加。
1968
クリストフ・コールヘーファーと《…Higher Beings Ordain》を制作。芸術家の権威や創造神話を風刺する。
1970–1971
ハンブルク美術大学で客員教授。
1971–1974
《Spiderman》など大型の紙・コラージュ作品を制作。
1974
パキスタン、アフガニスタンを旅行。
1977–1991
ハンブルク美術大学教授。
1978
ケルンへ移住。
1980–1981
東南アジア、パプアニューギニア、オーストラリアを旅行。
1982
《Paganini》など、複数の図像と柄布を重ねる大型作品を制作。
1984
《Watchtower》シリーズを制作。クルト・シュヴィッタース賞受賞。
1986
ヴェネツィア・ビエンナーレのドイツ館を担当し、絵画部門Grand Prize(金獅子賞)を受賞。
1988
隕石粉末、銀箔、新石器時代の石器、樹脂など非伝統的な素材を用いた大型作品を制作。
1990
煤をガラスへ付着させるRußbilderなどを制作。
1990年代–2000年代
写真、デジタルイメージ、絵画、ガラス、樹脂などを横断する制作を継続。
2010
6月10日、ケルンで死去。69歳。

参考資料・出典

本ページはThe Museum of Modern Artを中心とする美術館・展覧会資料を参照してART LIBRARYが独自に執筆しました。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY