Art Library

Sam Gilliam

サム・ギリアム

アメリカ / 1933–2022 / Washington Color School/Color Field/抽象絵画/Postminimalism

Abstract Art is Political | Artist Sam Gilliam | Louisiana Channel
Sam Gilliam’s ‘From a Model to a Rainbow’
Sam Gilliam: Selections (The Ringling)
フレッド・モーテンとデヴィッド・マックス・ホロウィッツによるサム・ギリアムに関する対談 | Pace Live
Fred Moten & David Max Horowitz in Conversation on Sam Gilliam | Pace Live (Pace Gallery)

サム・ギリアム(Sam Gilliam、1933–2022)は、色彩を塗るためのカンヴァスそのものを壁から解放し、絵画を空間の中で折れ、たわみ、垂れ下がり、吊られ、再配置されるものへ変えたアメリカの画家です。1960年代末に始まるDrape paintingsでは、木枠に張るはずのカンヴァスを外し、染み込ませた巨大な布を壁や天井から吊るしました。絵画はもはや矩形の平面ではなく、展示空間の建築と重力によって毎回異なる形を取ります。しかしギリアムの重要性は「カンヴァスを吊った最初期の画家」という一つの発明だけではありません。1970年代半ばには自らDrapeを中断し、絵を切断して再構成する作品、厚い絵具を積層する作品、縫製、金属、木、公共建築への設置へ移り、晩年には再び巨大なDrape、斜面を持つカンヴァス、円形のtondoを制作しました。生涯を通じて一つの様式に留まらず、「絵画を何にまで変えられるか」を更新し続けた作家です。

ギリアムはWashington Color Schoolの文脈で語られますが、その位置は複雑です。Morris LouisやKenneth Nolandらが未下地のカンヴァスへ薄い絵具を染み込ませ、色と支持体を一体化した方法を受け継ぎながら、ギリアムは濡れたカンヴァスを折り、束ね、乾燥させ、さらに支持体そのものを空間へ放ちました。同時に1960年代のアメリカでは公民権運動が進み、黒人作家に社会的・政治的主題を明示するよう求める声もありました。ギリアムは抽象を選び続けたため批判も受けましたが、《April 4》や《Yet Do I Marvel》のように歴史や黒人文化への応答を題名と形式の内部へ組み込んでいます。2022年の死後はSam Gilliam Foundationが設立され、カタログ・レゾネの編纂、2024年の大規模モノグラフ、2025年IMMA《Sewing Fields》、2026年Pace《STITCHED》、Phillips@THEARCやHirshhornでの再展示を通じて、Drape以後の五十年を含む全キャリアが改めて研究されています。本記事では、その長い実験を「色」「支持体」「空間」「即興」「黒人抽象」「再評価」という複数の軸から追います。

CONTENTS

  1. 生涯と制作の変遷
  2. TupeloからLouisvilleへ――幼少期と美術教育
  3. 1956–58年、日本での軍務――Yves Kleinと外部空間
  4. Louisvilleでの修士研究と初期具象
  5. 1962年Washington, D.C.へ
  6. Washington Color Schoolとの出会い
  7. Beveled-edge――矩形をまだ保ちながら崩す
  8. 濡れたカンヴァスを折る
  9. Drape paintings――絵画を壁から外す
  10. 絵画、彫刻、建築の境界
  11. Jazzと即興
  12. 抽象と政治――「黒人美術」は何を描くべきか
  13. 《April 4》――抽象の中の歴史
  14. 1972年Venice Biennale
  15. Sam Gilliamの作品をどう見るか
  16. 主要作品
  17. 《Relative》――初期Drapeの柔らかな構造
  18. 《Double Merge》――再設置される絵画
  19. 《Swing》――絵画にリズムを与える
  20. 《Light Depth》――75フィートの色面
  21. 《Seahorses》――美術館の外壁へ
  22. 1975年、なぜDrapeを止めたのか
  23. 切る、縫う、再構成する
  24. White and Black Paintings――色彩画家が黒へ向かう
  25. 《Rail》――厚い表面と支持体
  26. 《The Arc Maker I & II》――絵画を構築物へ
  27. キルトとの比較――類似と単純化の危険
  28. 版画と紙――複製媒体を巨大化する
  29. 公共作品――駅、空港、連邦建築へ
  30. 1993年Ireland――絵具を使えない制作から縫製へ
  31. STITCHED/Sewing Fields――制約から生まれた作品
  32. 1990年代以降の再拡張
  33. 《Yet Do I Marvel》――Countee CullenとNMAAHC
  34. 2010年代の再評価――Rashid Johnson以後
  35. 2018年《The Music of Color》
  36. Diaと《Double Merge》の共同取得
  37. 晩年――Drape、斜面、tondoへ戻る
  38. 2022年《Full Circle》――死の直前まで制作する
  39. 2022年の死とFoundation設立
  40. 2025年――モノグラフと《Sewing Fields》
  41. 2026年――《STITCHED》と死後評価
  42. 保存と再設置――Drapeはどこまで同じ作品か
  43. 黒人抽象の再評価
  44. 市場・制度・再発見の問題
  45. Sam Gilliamは何を変えたのか
  46. よくある単純化と読み直し
  47. 略年譜
  48. 参考資料・出典

生涯と制作の変遷

Sam Gilliamは1933年11月30日、Mississippi州Tupeloに8人きょうだいの7番目として生まれました。幼少期に家族はKentucky州Louisvilleへ移り、そこで成長します。University of Louisvilleで美術を学び、1955年に学士号を取得。同年には大学で最初の個展を開き、その後大学院へ進みました。1956~58年には米軍勤務で日本へ派遣され、Yokohamaで部隊事務を担当します。帰国後に研究を再開し、1961年に美術の修士課程を修了しました。

初期作品はドイツ表現主義やNathan Oliveiraなどの影響を受けた人物を伴う暗い色調の絵でした。転機は1962年、ジャーナリストDorothy Butlerとの結婚とWashington, D.C.への移住です。McKinley Technical High Schoolで美術を教えながら地域の画家たちと交流し、Morris Louis、Kenneth Noland、Thomas DowningらのColor Field paintingを知ります。1960年代半ばから未下地カンヴァスへ薄いアクリルを染み込ませるようになり、1966~67年頃には濡れたカンヴァスを折り、束ね、圧力と偶然によって色を移す方法を確立しました。

1968年頃、さらに木枠を取り去り、カンヴァスを壁や天井から吊るすDrape paintingsへ進みます。《Relative》《Double Merge》《Swing》《Light Depth》などは、色面絵画を平面から三次元空間へ押し出しました。1972年にはアメリカ代表として第36回Venice Biennaleに参加し、黒人アーティストとして初めて同国代表を務めます。1975年《Seahorses》ではPhiladelphia Museum of Artの外壁に巨大なDrapeを設置し、絵画を建築と都市空間へ拡張しました。

しかしギリアムは成功した形式を繰り返しませんでした。1970年代後半にはDrape制作をほぼ停止し、塗ったカンヴァスを切り、重ね、縫い合わせるコラージュ、黒を中心とする作品、硬い支持体、金属や木を伴う構成へ移ります。1980~90年代は厚いアクリル層、切断カンヴァス、キルトを思わせる構成、版画、公共彫刻を展開。2000年代の回顧展を経て、2010年代後半には国際的評価が大きく高まり、2017年Venice Biennaleへ再登場、2018年Kunstmuseum Basel、2019年Dia:Beacon、2022年Hirshhornへと重要な個展が続きました。晩年の2018~22年にも新しいDrape、巨大な斜面支持体、木彫、和紙水彩、tondoを旺盛に制作し、2022年6月25日Washington, D.C.の自宅で88歳で死去しました。

TupeloからLouisvilleへ――幼少期と美術教育

GilliamはMississippi州Tupeloで生まれましたが、幼い頃に家族とLouisvilleへ移ったため、教育と初期制作の中心はKentuckyでした。Sam Gilliam Foundationの年譜では、母Esteryが紙や段ボールを与え、身の回りの物を描くことを励ましたこと、本人が幼少期の玩具や遊具の記憶を後年の作品名や形へ繰り返し忍ばせたことが紹介されています。Ferris wheel、carousel、kite、abacusといった語が作品に現れるのは、単なる抽象的な題名ではありません。

LouisvilleではCentral High Schoolを経てUniversity of Louisvilleへ進みました。当時の同大学は人種統合が進んだ時期にあり、若い黒人学生が高等教育で美術を学ぶこと自体が社会的変動と無関係ではありません。とはいえ、Gilliamの学生時代の作品は後年の明るいColor Fieldとは大きく異なり、人物や暗い色を伴う表現主義的な絵でした。彼の抽象は生まれつきの様式ではなく、複数の段階を経て選択されたものです。

1956–58年、日本での軍務――Yves Kleinと外部空間

1956年から1958年までGilliamは米軍勤務で日本に駐留しました。Sam Gilliam Foundationの年譜によれば、Yokohamaの基地で部隊事務を担当しながら、日本の版画技法、歌舞伎、TokyoでのYves Klein展、YokohamaでのPicasso展などに接しました。本人は後年、Kleinの展示が、美術を通常の室内展示から外部へ広げることを考えるきっかけの一つになったと振り返っています。

この経験を後のDrape paintingの直接的原因と断定する必要はありません。1960年代のWashington Color Schoolとの出会い、染み込み技法、スタジオでの偶然の実験など複数の要因がありました。しかし、支持体から解放された色や、作品を室内の壁だけに限定しない発想を考えると、日本滞在が彼の視覚経験を広げた重要な時期であったことは確かです。

Louisvilleでの修士研究と初期具象

軍務後、GilliamはLouisvilleへ戻って大学院研究を続け、1961年に修士課程を修了しました。初期の作品では人物、輪郭、暗い赤や黒が強く、Emil Noldeなどドイツ表現主義を思わせる画面が多くあります。Washington, D.C.移住後の明るく広がる色彩とは対照的です。

この初期具象を「未熟な段階」として切り捨てると、後年の抽象が何を捨てたのかが分かりません。Gilliamは人物像を消すことで政治や生活から離れたのではなく、色、素材、リズム、空間そのものが経験を担えると考える方向へ進みました。抽象は対象を描かないという消極的選択ではなく、別の表現手段を作る積極的な選択でした。

1962年Washington, D.C.へ

1962年、Dorothy ButlerがWashington Postの記者職を得たことを契機に、夫妻はWashington, D.C.へ移りました。GilliamはMcKinley Technical High Schoolで教え、1967年まで勤務します。首都は公民権運動の中心であると同時に、独自の抽象絵画が育つ都市でもありました。

Washingtonの美術界ではMorris Louis、Kenneth Noland、Gene Davis、Thomas Downing、Howard Mehringらが、New York Abstract Expressionismとは異なる薄い染み込み、明快な色、幾何学を発展させていました。Gilliamはその環境へ後から加わりながら、単に模倣するのではなく、色面を支持体と空間の問題へ押し広げます。

またWalter Hoppsらキュレーター、Jefferson Place Gallery、Washington Gallery of Modern Artなど地域の制度との出会いも重要でした。助成によって高校教員を辞め、より大きなスタジオで専業制作へ移れたことは、巨大Drapeの成立条件そのものです。美術史上の「大胆な発明」は、個人の才能だけでなく、スタジオ、時間、助成、展示機会によって可能になりました。

Washington Color Schoolとの出会い

Washington Color Schoolの画家たちは、油彩の厚い筆触より、アクリルを薄くして未下地のカンヴァスへ染み込ませる方法を重視しました。色は表面に載る層ではなく繊維へ浸透し、カンヴァスと一体化します。Morris LouisやKenneth Nolandの作品では、色の流れや幾何学が構成を決めました。

Gilliamはこの技法を受け継ぎながら、濡れたカンヴァスそのものを折ることで新しい問題を持ち込みました。塗料が重力だけで流れるのではなく、折り目同士が接触して色を移し、乾いて開いたときに予測できない境界が現れます。計画と偶然、色と物質、二次元と三次元が同じ工程へ入ります。

そのためGilliamを「Washington Color School第二世代」とだけ呼ぶと、革新の方向を見失います。彼はColor Fieldの方法を完成させたのではなく、そこに含まれていたカンヴァスの物質性を徹底し、ついには木枠そのものを不要にしました。

Beveled-edge――矩形をまだ保ちながら崩す

Drape以前の1960年代半ば、Gilliamは厚みのある斜面状の木枠を使うBeveled-edge paintingsを制作しました。《Red Petals》(1967)では、色が正面だけでなく傾斜した側面へ回り込み、壁から画面が物体として突出します。まだカンヴァスは木枠に張られていますが、正面だけを見る伝統的な絵画からすでに離れています。

この段階はDrapeへの助走として重要です。額縁や木枠は絵画を壁と平行に固定し、鑑賞者に正面視を要求します。Beveled-edgeではその固定を弱め、絵画の厚みと側面を見せます。次に木枠を完全に外したとき、絵画は壁と平行である必要さえなくなりました。

晩年の2018~22年にGilliamが再び巨大なBeveled-edge作品を集中的に制作したことを考えると、この形式は過渡期の実験で終わっていません。Drapeと斜面支持体は、生涯を通じて「絵画の端はどこか」という同じ問いの二つの回答でした。

濡れたカンヴァスを折る

1966~67年頃、Gilliamは未下地のカンヴァスへ薄いアクリルを流した後、まだ濡れている布を折り、丸め、束ねる方法を本格化します。折られた面同士が触れるため、色は片側から反対側へ転写され、圧力の強弱で濃淡が生じます。乾いた後に開くまで全体像を完全には確認できません。

この工程は染色やtie-dyeに似ていますが、装飾パターンを作るためだけではありません。画家が一筆ずつ位置を決める従来の制作から離れ、重力、吸収、折り目、時間を共同制作者にします。それでも偶然へ丸投げするのではなく、色の選択、液量、折り方、開くタイミングを判断する必要があります。

Jazzの即興との比較が有効なのはこの点です。自由に見える演奏にも訓練と構造があり、決められた条件の中で予測不能な展開が起こる。Gilliamの折り畳みも、完全な制御と完全な偶然の中間にあります。

Drape paintings――絵画を壁から外す

1968年頃、Gilliamは木枠を外したカンヴァスをそのまま壁や天井へ吊り始めます。Drape paintingsでは、染み込んだ色彩の広い布がロープや紐で束ねられ、床へ垂れ、天井から弧を描きます。カンヴァスは絵具を支える透明な背景ではなく、自重、柔らかさ、折れを持つ素材として前景化しました。

従来の絵画は、制作後に額装・設置されても形そのものは変わりません。しかしDrapeは展示ごとに結び方、高さ、間隔が変わり、同じ作品が別の形になります。設置は作品の後処理ではなく制作の続きです。美術館の天井高、柱、壁の角が作品の構成要素となり、絵画と建築の境界が曖昧になります。

この形式はしばしば「カンヴァスを解放した」と表現されますが、自由になったのは支持体だけではありません。鑑賞者も正面の一点から見る必要がなくなり、横、下、裏を歩けるようになります。絵画を見る身体の位置まで変えたことがDrapeの核心です。

絵画、彫刻、建築の境界

Drape paintingは絵具とカンヴァスを使う点では絵画ですが、床や天井の空間を占める点では彫刻であり、部屋の構造へ応答する点では建築的です。Gilliam自身は分類を一つに決めるより、その境界が動くことを利用しました。

Postminimalismとの比較も可能です。Robert MorrisやEva Hesseらは柔らかい素材、重力、反復、状況依存の設置によってMinimalismの固定された幾何学を崩しました。Gilliamも同時期に類似する問題へ到達しましたが、色彩絵画の内部から進んだ点が異なります。彼のDrapeでは、布の重力と同時にColor Fieldの強烈な色が主役であり続けます。

この二重性によってGilliamは、絵画史と彫刻史のどちらにも完全には収まりません。後年評価が遅れた一因として、ジャンルを横断する作品が既存の分類で扱いにくかったことも考えられます。

Jazzと即興

GilliamはWashingtonのJazz clubへ頻繁に通い、John Coltrane、Miles Davisらを聴きました。National Gallery of Artは、特にColtraneの「sheets of sound」から、音符や小節の区切りを越えて一度に音の層を流すような感覚に共鳴していたと紹介しています。

作品名《Swing》も直接Jazzのリズムを連想させます。ただし、色の配置を音楽へ一対一対応させる必要はありません。重要なのは、反復と逸脱、即興、予測不能な流れ、全体を一度に制御しない態度です。濡れた布を折り、吊るし、その場で形を決める制作は、あらかじめ完全に書かれた楽譜を再現するより即興演奏に近い。

GilliamにとってJazzは黒人文化の重要な背景であると同時に、形式上のモデルでもありました。抽象作品が黒人の経験から切り離されているという批判に対し、Jazzとの関係は「人物や出来事を描かなくても文化的経験が形式に入りうる」ことを示す一例です。

抽象と政治――「黒人美術」は何を描くべきか

1960年代後半、Black Arts Movementや公民権運動の文脈では、黒人作家が人種差別、抵抗、共同体を直接表象すべきだという議論が強まりました。Gilliamは黒人でありながら非具象のColor Fieldを制作したため、「政治性が弱い」「白人中心の抽象美術へ同化している」と見られることもありました。

しかしGilliamは、抽象と政治を対立させる考えを拒みました。Studio Museum in Harlemは、彼が「印を作り、それを空間へ吊るす表現行為そのものが政治的であり、自作は形式的であるのと同じだけ政治的だ」という立場を示したことを紹介しています。政治性は、スローガンや人物像だけに存在するのではなく、誰がどの形式を使う自由を持つかという問題にもあります。

この議論は現在も重要です。黒人作家が「黒人らしい主題」を提示することを期待されること自体が、表現の範囲を人種によって限定する可能性があるからです。一方で、抽象を選べば政治から自由になるわけでもありません。Gilliamの活動場所、展示制度、評価の遅れ、作品題名には社会状況が入り込みます。抽象とアイデンティティの関係を二者択一にしないことが必要です。

《April 4》――抽象の中の歴史

1969年《April 4》は、Gilliamが社会的出来事を題名で明確に示した重要作です。4月4日はMartin Luther King Jr.が1968年に暗殺された日であり、GilliamはWashingtonのスタジオから、その後14th Street周辺で起きた火災や略奪の影響を目撃しました。Smithsonian American Art Museumは、この作品の暗い染みを暴力とその余波へ結びつける可能性と、同時に明るい色彩がKingの仕事を記念する可能性の両方を示しています。

しかし画面にはKingの肖像もデモの群衆もありません。題名を知らずに見れば純粋な抽象画として成立します。社会史を説明する図像と、色そのものの経験が分離せず同時に存在することが重要です。Gilliamの抽象を「政治的か非政治的か」で分類できない理由がここにあります。

作品の意味は題名によって一方向に固定されるのでもありません。暗い染みを火災と読むこともできれば、絵具の物質的な広がりとして見ることもできる。その両方を許すことが、Gilliamが抽象へ託した政治性の一つでした。

1972年Venice Biennale

1972年、Gilliamは第36回Venice Biennaleのアメリカ代表に選ばれ、黒人アーティストとして初めてアメリカを代表しました。National Gallery of ArtやFoundationは、この出来事を彼の国際的な評価における大きな転換点として位置づけています。

ただし「黒人初」の肩書きだけで作品を読むと、逆にGilliam自身が抽象表現の自由を求めた点を狭めます。彼がVeniceで示したのは、人種的代表としての象徴だけではなく、絵画が支持体、空間、展示方法を変えられるという形式上の提案でした。

さらに2017年、約45年後の第57回Venice Biennaleへ《Yves Klein Blue》で再登場します。若い頃日本で見たKleinへの記憶を題名に持つ大規模DrapeがGiardiniの入口へ置かれ、初期の実験と晩年の再評価が一つの場所で重なりました。

Sam Gilliamの作品をどう見るか

第一に、色だけでなく支持体を見てください。どこで折れ、どこで張られ、どこに重力がかかり、壁や天井とどう接続しているかを確認すると、絵画が物体であることが見えてきます。第二に、一枚の写真を作品の完成形だと考えないことです。Drapeは設置によって形が変わり、同じ作品でも空間との関係が異なります。

第三に、偶然と制御の両方を見ます。染み、折り、滴りは偶然に見えますが、色の選択、布の大きさ、折り方、設置位置は作家が決めています。第四に、Drape以外も見てください。切断・縫製、Black paintings、Arc、版画、公共作品、晩年のtondoを追うと、彼が一つの発明を繰り返す作家ではなく、常に前の成功を壊して次へ進む作家だったことが分かります。

第五に、抽象を「社会から離れた純粋形式」と決めつけないことです。題名、展示場所、黒人美術をめぐる議論、Jazz、詩、公共建築との関係を知ると、色と物質の実験が社会史と並行していることが見えてきます。

主要作品

1967年《Red Petals》から、Drapeを決定づけた《Relative》《Double Merge》《Swing》《Light Depth》、歴史的記憶を抽象へ組み込んだ《April 4》、屋外へ展開した《Seahorses》、中期の切断・構築《Rail》《The Arc Maker I & II》、黒人文学と接続する《Yet Do I Marvel》、そして最晩年の巨大Beveled-edgeとtondoまで、Sam Gilliamが絵画の支持体・空間・素材をどのように更新したかを示す12点を選びました。

レッド・ペタルズ

Red Petals / 1967 / アクリル、カンヴァス、斜面状木枠 / 223.5 × 236.5 cm

The Phillips Collection, Washington, D.C.

Drape以前の重要なBeveled-edge painting。斜面状の木枠によって色が正面から側面へ回り込み、絵画の厚みと物体性を強調します。支持体をまだ保ちながら、矩形平面を崩し始めた転換期を示します。

所蔵館の作品情報 ↗

レラティヴ

Relative / 1968 / アクリル、カンヴァス / National Gallery of Art個別作品記録参照

National Gallery of Art, Washington, D.C.

柔らかな染色カンヴァスを四つの頂点で束ねて吊るした初期Drape。色面の構図が布のたわみと重力によって変化し、支持体そのものが画面構成を作るGilliamの革新を明確に示します。

所蔵館の作品情報 ↗

ダブル・マージ

Double Merge / 1968 / アクリル、カンヴァス、2点組 / 左 304.8 × 2021.8 cm/右 304.8 × 2164.1 cm

Dia Art Foundation / Museum of Fine Arts, Houston(共同所蔵)

2点の《Carousel II》を組み合わせた巨大Drape。2019年Dia:BeaconでGilliam本人が建築に応答して再設置し、2021年にDiaとMFA Houstonが共同取得しました。作品が設置ごとに新しい形を取りうることを示す代表例です。

所蔵館の作品情報 ↗

4月4日

April 4 / 1969 / アクリル、カンヴァス / 279.4 × 456.6 cm

Smithsonian American Art Museum, Washington, D.C.

題名はMartin Luther King Jr.が暗殺された1968年4月4日を指します。人物や事件を描写せず、暗い染みと発光する色彩の抽象によって、歴史的記憶と形式的自由を同時に扱った重要作です。

所蔵館の作品情報 ↗

スウィング

Swing / 1969 / アクリル、アルミニウム、カンヴァス / 303.8 × 720.1 cm

Smithsonian American Art Museum, Washington, D.C.

折り、くしゃくしゃにして乾燥させたカンヴァスを大きくたわませるDrape。題名は布の揺れとJazzのスウィングを重ね、即興、重力、色彩のリズムを一つの空間へまとめています。

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ライト・デプス

Light Depth / 1969 / アクリル、カンヴァス / 304.8 × 2286 cm

公式作品記録参照

幅約22.86mに達する巨大作品。Color Fieldの色彩経験を建築スケールへ拡張し、鑑賞者が移動しなければ全体を把握できない構造を作りました。後の環境的Drapeや公共作品へ続く重要作です。

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シーホーシズ

Seahorses / 1975 / アクリル、カンヴァス、屋外Drapeインスタレーション / 寸法可変

Philadelphia Museum of Art commission/1975年一時設置

Philadelphia Museum of Artの東側外壁へ六つの巨大なDrapeを設置した屋外作品。美術館建築の青銅リングからNeptuneの海馬を連想し、絵画を都市、風、光、建築の中へ拡張しました。

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レール

Rail / 1977 / アクリル、カンヴァス上のカンヴァス / 230.5 × 459.1 cm

公式作品記録参照

Drapeを大幅に減らした後の重要作。別のカンヴァス片を重ね、厚い表面と暗い色調を用いることで、染み込みの軽さから切断・積層・物質性へ移った中期の転換を示します。

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アーク・メーカー I & II

The Arc Maker I & II / 1981 / アクリル、カンヴァス、コラージュ / 152.4 × 541 × 3.8 cm

公式作品記録参照

切断・重層された色面と弧状構成を用いる二部作。Drapeの柔らかな布とは異なる方法で、絵画を壁面上の構築物へ変え、1980年代のレリーフ的・建築的展開を代表します。

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それでも私は驚く(カウンティー・カレン)

Yet Do I Marvel (Countee Cullen) / 2016 / アクリル、birch wood、5パネル / 全体 243.8 × 655.3 × 11.4 cm/各パネル 243.8 × 121.9 × 11.4 cm

National Museum of African American History and Culture, Smithsonian Institution, Washington, D.C.

Harlem Renaissanceの詩人Countee Cullenの詩題を参照した5パネルの恒久作品。抽象的な色面と黒人文学・歴史を結び、Gilliamの政治性が具象描写だけでは測れないことを示します。

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2020年10月18日

10/18/2020 / 2020 / アクリル、カンヴァス / 243.8 × 609.6 × 9.5 cm

公式作品記録参照

晩年の巨大Beveled-edge paintingの一例。約6.1mの横長画面に厚い色彩を展開し、1960年代の斜面支持体を数十年の素材実験を経た後に再訪しています。FoundationページのURL表記と作品年が異なるため、本記事では作品記録本文の2020年を採用しています。

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無題(トンド)

Untitled (tondo) / 2022 / アクリル、銅粉、sawdust、木製パネル、特注アルミニウム・フレーム / 172.7 × 172.7 × 7.6 cm

公式ギャラリー/Estate作品記録参照

最晩年に集中的に制作された円形支持体の一作。銅粉やsawdustを混ぜた厚い表面を用い、矩形を外したDrapeとは別の方法で支持体の形を再検討しています。2022年《Full Circle》期の到達点を示します。

所蔵館の作品情報 ↗

《Relative》――初期Drapeの柔らかな構造

1968年《Relative》は、National Gallery of Artが所蔵する初期Drapeの代表作です。柔らかなカンヴァスは四つの頂点で束ねられ、左側の桃色、黄色から右側の紫、青緑、空色へ色が移り、橙色の強い線が途中を横切ります。矩形の画面を壁へ固定する代わりに、色面そのものが布のたわみによって曲がり、重なります。

ここでは色と形を分けられません。平らに伸ばせば同じ染みは別の配置に見えますが、束ねられることで隣り合う色が変わり、影が増え、奥行きが生まれます。支持体の操作が構図を作るため、カンヴァスは絵を載せる中立な面ではありません。

題名《Relative》も示唆的です。各色、各折り目、壁との距離は互いの関係によって意味を持ちます。固定された一つの形より、関係の変化を重視するGilliamの考えが、初期段階から明確に現れています。

《Double Merge》――再設置される絵画

《Double Merge》(1968)は、二つの《Carousel II》を組み合わせた巨大なDrapeです。Dia Art Foundationの記録では、左パネルが約3.05×20.22m、右パネルが約3.05×21.64mに及びます。2019年Dia:BeaconでGilliam自身が工業建築の大空間に応答して二点を一つのインスタレーションとして設置し、2021年にDiaとMuseum of Fine Arts, Houstonが共同取得しました。

重要なのは、1968年に制作された物質が2019年の建築条件によって新しい形を得たことです。「1968年に完成した絵」をそのまま保存するのではなく、作家が半世紀後に再構成する。作品の制作年と設置年が分離し、完成という概念が揺らぎます。

共同取得もDrape特有の問題を示します。巨大で状況依存の作品は、通常の絵画のように一館で恒久的に額装展示することが難しい。複数機関が協力し、長期展示の場所を変えながら保存する方式そのものが、作品の可動性に対応しています。

《Swing》――絵画にリズムを与える

Smithsonian American Art Museum所蔵《Swing》(1969)は、約3.04×7.2mのカンヴァスをアルミニウムと組み合わせ、壁面に大きくたわませた作品です。絵具を含ませたカンヴァスを折り、くしゃくしゃにして乾燥させた後に開くことで、色の層と予測不能なパターンが現れました。

題名の「Swing」は布が揺れるような形とJazzのリズムを同時に連想させます。作品自体が機械的に動くわけではありませんが、たわみが視線を左右へ導き、色の間隔が拍子のようなリズムを作ります。

また、壁に固定された絵画でありながら、端が垂れ下がることで「正しい向き」が弱くなります。支持点を変えれば構図も変わるため、絵画は一つの完成された正面像というより、演奏可能な譜面に近い存在になります。

《Light Depth》――75フィートの色面

1969年《Light Depth》はSam Gilliam Foundationの記録で幅900インチ、約22.86mに達する巨大作品です。色面絵画が美術館の壁の中で鑑賞されるサイズを超え、建築と競合するほどの長さを持っています。

この巨大さは単なるスケール競争ではありません。近くで見ると染みと折りの細部しか見えず、遠くへ下がると全体の流れが現れるため、鑑賞者は位置を変えなければ作品を把握できません。大画面は身体の移動を強制し、見る行為を時間化します。

GilliamはColor Fieldの「色に包まれる」経験を、色面の視覚的没入だけでなく、実際の建築スケールへ拡張しました。後の《Seahorses》や公共作品へ続く、絵画を環境へ変える発想が極端な形で現れています。

《Seahorses》――美術館の外壁へ

1975年《Seahorses》はPhiladelphia Museum of Artの東側外壁に設置された大規模なDrape環境です。美術館外壁に並ぶ青銅リングを見たGilliamが、それを海神Neptuneの神殿で海馬をつなぐ輪に見立てたことから題名が生まれました。六つの巨大な布が建築外部へ吊られ、風、光、天候の中で絵画が都市景観へ進出しました。

これはDrapeの論理を室内から屋外へ押し出した重要作です。美術館の白い壁ではなく、石造建築の正面、空、街路、通行人が作品の背景になります。風で布が動けば構図も変わり、絵画の固定性はさらに弱くなります。

一方で屋外展示は保存上の負荷も大きい。紫外線、雨、風、汚れによって繊維と色が劣化します。《Seahorses》が一時的な設置であったことは、Drapeが永久保存される絵画というより、ある時間と場所で成立するイベントに近い側面を示しています。

1975年、なぜDrapeを止めたのか

Drapeが国際的な成功をもたらしたにもかかわらず、Gilliamは1975年頃からその制作を大幅に減らしました。Smithsonianの資料は、人気の頂点にあった時期に突然Drapeを中断し、幾何学的なコラージュへ移ったことを記録しています。成功した形式を繰り返せば市場的には安全でしたが、彼は同じ発明の自己模倣を避けました。

この転換には、Jazz的な「次へ進む」感覚を重ねることができます。即興は同じフレーズを永久に繰り返すことではありません。既に成立した構造を壊し、別の条件で再び始める。Gilliamのキャリアでは、Drapeを止めたこと自体がDrapeを発明したことと同じくらい重要です。

後年Drapeへ戻ることはありますが、それは1969年の再演ではありません。金属、厚い絵具、縫製、木工、公共美術を経験した後のDrapeは、初期とは異なる物質感と設置意識を持っています。

切る、縫う、再構成する

1970年代半ば以降、Gilliamは一度描いたカンヴァスを切断し、別の部分と重ね、縫い、コラージュするようになります。《Coffee Thyme》のような作品では、色を塗ることと同じくらい、完成した面を壊して再配置することが重要です。

通常、完成した絵へハサミを入れることは破壊に見えます。しかしGilliamにとってカンヴァスは最終的な像ではなく、次の作品を作るための素材でもありました。絵画を布として扱うDrapeの発想が、切断と縫製へ自然に続いたと見ることができます。

この方法は1993年Ireland滞在で大きく展開し、現地で絵具を使えない制約から、あらかじめ塗った布を切って縫う《Sewing Fields》へつながります。支持体を「描かれるもの」ではなく加工可能な物質として扱う態度は、生涯一貫しています。

White and Black Paintings――色彩画家が黒へ向かう

1975~77年頃、Gilliamは白と黒を中心とする作品群を制作しました。鮮烈な多色のDrapeで知られる作家が、色彩を大幅に抑えたことは大きな転換です。2022年David Kordansky Galleryの《White and Black Paintings, 1975–1977》は、この時期を独立した重要章として再検討しました。

黒は色彩の否定ではありません。厚い表面、切断された布、光を吸収する部分と反射する部分の差によって、むしろ素材の物理性が強く現れます。色彩家という評価が強すぎると、Gilliamが明度、質感、重量へ関心を移した時期を見落とします。

同時に、黒人作家が「black painting」を作ったことをすぐ人種的象徴へ結びつけるのも単純化です。社会的文脈を無視できない一方、作品は絵具の黒、表面、構成という形式的問題にも深く関わっています。Gilliamは常に複数の読みを同時に許しました。

《Rail》――厚い表面と支持体

1977年《Rail》はHirshhorn Museumで2022年《Full Circle》にも展示された重要作です。約2.3×4.59mのカンヴァスにアクリルと別のカンヴァス片を重ね、Drapeの柔らかな布とは異なる密度の高い表面を作っています。

染み込ませる薄い色から、重ねる、貼る、盛るという操作へ移ることで、絵具は光学的な色だけでなく重量を持つ物質になります。画面の内部に別のカンヴァスが貼られるため、支持体と絵具の区別も崩れます。

《Rail》を晩年のtondoと並べた《Full Circle》は、1970年代後半の厚い物質性と2020年代の円形作品を比較し、Gilliamの後期が突然生まれたのではなく、長い素材実験の延長にあることを示しました。

《The Arc Maker I & II》――絵画を構築物へ

1981年《The Arc Maker I & II》は、アクリルで描いたカンヴァスにコラージュを加えた幅約5.4mの二部作です。弧を描く形態、切断された色面、複数の方向性がぶつかり、Drapeとは違う形で絵画が構築物のように見えます。

1980年代にはGilliamがD字型の金属部材、木、ナイロン、アルミニウムなどを作品へ組み込み、絵画をレリーフや壁面構造へ接近させました。柔らかい布を空間へ吊るす初期と、硬い部材を画面へ組み込む中期は正反対に見えますが、どちらも支持体を固定された矩形として受け入れない点でつながっています。

Studio Museum in Harlemが1982年に《Red and Black to “D”》を開催したことも重要です。Gilliamは1970年代末に評価が低下した後も制作を止めず、黒人美術機関との関係の中で中期作品を発表し続けました。

キルトとの比較――類似と単純化の危険

Gilliamの切断・再構成作品は、African American quiltとの類似をしばしば指摘されます。Smithsonianの解説でも、幼少期に見た「crazy quilts」を思わせる不規則な色面配置が言及されています。布を切り、異なる断片を再び縫い合わせる工程には確かに共通性があります。

しかし黒人作家の幾何学的布作品をすべて「アフリカ系アメリカ人のキルト伝統」で説明することには注意が必要です。GilliamはEuropean modernism、Constructivism、Color Field、Jazz、工業材料、版画など多くの参照を同時に持っていました。文化的ルーツを認めることと、作品を民族的工芸へ固定することは違います。

むしろGilliamの強さは、Modernist paintingと日常的な布文化を上下関係なく接続した点にあります。絵画史の「高級芸術」と縫製・布という生活文化の境界を崩すこと自体が、支持体の再考につながりました。

版画と紙――複製媒体を巨大化する

1970年代以降、GilliamはBrandywine Workshop、Jones Road Print Shop、Fabric Workshopなどと協働し、版画や紙作品を積極的に制作しました。通常の版画サイズを超える巨大な紙や布、手漉き紙、エンボス、コラージュを使い、版画を壁面作品やDrapeに近づけます。

1977年のFabric Workshopでは《Philly》《Philadelphia Soft》など大型プリントを制作し、天井から吊って展示しました。複製技術である版画を、同一イメージの反復ではなく、一点的で空間的な作品へ変える発想です。

Gilliamにとって媒体のカテゴリーは固定されません。絵画が彫刻になり、版画が布になり、紙がレリーフになる。新しい媒体へ移るたびに「その媒体らしさ」を守るのではなく、境界を壊すことから制作が始まります。

公共作品――駅、空港、連邦建築へ

Gilliamは公共美術にも早くから取り組み、連邦建築、駅、空港などへ大型作品を設置しました。1979年の《Triple Variants》はAtlantaの連邦裁判所建築に、未張りカンヴァス、アルミニウム梁、石を組み合わせた構成として設置されました。1991年にはNew YorkのJamaica Center駅に《Jamaica Center Station Riders, Blue》を制作し、色鮮やかなアルミニウム形態を建築壁面へ展開します。

公共空間では、美術館のように鑑賞だけを目的に訪れる人ばかりではありません。通勤、移動、行政手続きの途中で作品に出会うため、絵画の「正面に立ってじっくり見る」という制度が崩れます。これはDrapeで始めた鑑賞者の位置の解放を、社会空間へ拡張したものとも考えられます。

一方、巨大公共作品は設置費、保守、建築との調整を必要とし、個人スタジオの即興だけでは成立しません。Gilliamの制作は自由な即興として語られがちですが、公共作品ではエンジニア、行政、建築家との協働を組織する能力も重要でした。

1993年Ireland――絵具を使えない制作から縫製へ

1993年、GilliamはIreland北部のBallinglen Arts Foundationでレジデンスを行いました。ところが普段使っていた石油系材料を含む絵具が航空輸送の規制で送れず、現地でいつもの方法を続けられない状況になります。そこでWashingtonのスタジオであらかじめ染め、塗った巨大なカンヴァスを折り畳んで送り、現地では絵具を使わずに切断と縫製だけで新作を組み立てました。

Paceが2026年《STITCHED》で詳しく紹介したように、Gilliamは地元の縫製技術者と協働し、色の付いた布を切り、縫い合わせ、壁掛けや袋状、風船状の立体へ変えました。「絵画のレジデンスなのに絵を描けない」という制約が、制作を止めるのではなく別の方法を生みました。

この逸話はGilliamのキャリアを象徴します。材料不足や技術的制限を失敗として扱わず、既にあるものを別の手順で使い直す。Drapeの発明も、切断カンヴァスも、晩年の木彫も、同じ柔軟な発想の延長にあります。

STITCHED/Sewing Fields――制約から生まれた作品

Irelandで制作された縫製作品は長くまとまって展示される機会が少なく、2025年Irish Museum of Modern Artの《Sam Gilliam: Sewing Fields》で初めて大規模に再検討されました。翌2026年、Pace New Yorkの《STITCHED》ではIMMA展を発展させ、壁掛け作品だけでなく、これまでほぼ公開されていなかった袋状・立体的な吊り作品も含めてアメリカで初公開しました。

これらの作品は、Drapeの柔らかさと1970年代後半の切断・コラージュを結びつけます。Drapeでは一枚の布が重力で形を変えましたが、stitched worksでは複数の布片が縫い目によって新しい身体を獲得します。縫い目は構図線であると同時に、布を物理的に支える構造です。

2025~26年の展示が示したのは、Gilliamのキャリアに「失われた1990年代」があったことです。再評価はDrapeを繰り返し展示するだけでは不十分で、長く見えなかった中期・後期の実験を掘り起こす必要があります。

1990年代以降の再拡張

1990年代以降のGilliamは、公共彫刻、金属、木、布、紙、厚いアクリルを並行して扱いました。《Dihedral》(1996)のような空港作品では、色を塗った金属とカンヴァスを建築空間へ組み込みます。1997年《Of Fireflies and Ferris Wheels》では、長大な布による作品を海外で展開しました。

この時期を「Drape後の停滞」とみなす古い評価は、近年大きく修正されています。初期Drapeのような一目で分かる発明がない代わりに、素材と支持体の組み合わせがより複雑になり、公共空間への対応も増えています。

Gilliamは過去の形式へ戻ることも恐れませんでした。同じDrapeを再び使うときも、色の密度、設置方法、建築条件を変え、以前の作品を引用するように制作します。過去の自作を素材として再解釈する姿勢が、晩年の豊かな回帰を可能にしました。

《Yet Do I Marvel》――Countee CullenとNMAAHC

2016年、Smithsonian National Museum of African American History and Cultureの開館に合わせ、Gilliamは《Yet Do I Marvel (Countee Cullen)》を制作しました。題名はHarlem Renaissanceの詩人Countee Cullenの詩《Yet Do I Marvel》を参照し、黒人の創造性、苦難、驚異をめぐる文学的伝統と抽象絵画を接続します。

この作品は、Gilliamが「黒人の歴史を描かなかった抽象画家」ではないことを明確にします。彼は具象的な歴史画を選ばなくても、題名、場所、詩、色、スケールによって黒人文化の記憶へ応答しました。しかも設置先はアメリカ黒人史を扱う国立博物館であり、作品の社会的文脈は極めて明確です。

《April 4》と比較すると、約半世紀の距離を越えて同じ問題が見えます。抽象は歴史を消すことではなく、出来事を直接描写せずに記憶を保持する方法にもなりうる。Gilliamの政治性を理解するには、この間接性が重要です。

2010年代の再評価――Rashid Johnson以後

Gilliamは1970年代前半に国際的成功を得た一方、1980~2000年代には美術界の中心的な注目から外れる時期がありました。2012年頃から若い世代の作家やギャラリストが再び作品を積極的に取り上げ、2013年にはDavid Kordansky GalleryでRashid Johnsonが初期Hard Edge paintingsをキュレーションします。

この再評価は、単なる市場の「再発見」ではありません。黒人抽象作家の歴史、Washingtonの地域史、PostminimalismとColor Fieldの交差、柔らかな支持体の歴史など、複数の美術史を見直す動きと重なりました。Jack Whitten、Alma Thomas、Ed Clark、Howardena Pindellらへの関心の高まりとも並行しています。

ただし「忘れられていた天才がRashid Johnsonに発見された」という物語も正確ではありません。Gilliamは制作・展示・教育・公共作品を継続し、2005年にはCorcoran Galleryで全キャリア回顧展も開かれていました。変わったのは作家の活動ではなく、国際的な制度と市場がどれだけ中心へ置くようになったかです。

2018年《The Music of Color》

2018年Kunstmuseum Baselで《The Music of Color: Sam Gilliam, 1967–1973》が開催されました。同館はこれをGilliamにとってヨーロッパ初の美術館個展と位置づけ、Beveled-edgeからDrapeまで最も急進的な1967~73年に焦点を絞りました。

この展覧会は、彼をアメリカ国内のWashington Color Schoolの地域的作家から、戦後国際抽象の重要人物へ位置づけ直す転機となりました。作品はColor Fieldの延長であると同時に、支持体、空間、重力を扱う1960年代後半の国際的な彫刻・インスタレーションの問題とも並行していることが明確になります。

2017年Venice Biennaleへの再登場、2018年Basel、2019年Diaという流れによって、Gilliamの評価は晩年に急速に国際化しました。この再評価の速度そのものが、それ以前の美術史が何を見落としていたかを示します。

Diaと《Double Merge》の共同取得

2019年、Dia:BeaconでGilliam自身が《Carousel II》二点を組み合わせ《Double Merge》として設置しました。DiaはPostminimalism、Land Art、Conceptual Artの長期展示で知られる機関であり、GilliamのDrapeをその文脈へ組み込んだ意味は大きいものがあります。

2021年にはDia Art FoundationとMuseum of Fine Arts, Houstonが《Double Merge》を共同取得しました。Drapeの可変的設置を長期的に保存・公開するため、二館が所有と展示責任を共有する珍しい形です。

さらに2023年、Sam Gilliam FoundationとAnnie Gawlakの支援によってDiaにSam Gilliam Awardが設立されました。毎年、既に重要な貢献をしながら、受賞が今後の活動を大きく変える可能性のある作家へ賞金と公開プログラムの機会を与えます。Gilliam自身が長く若手作家を支援した姿勢を、死後の制度へ変換したものです。

晩年――Drape、斜面、tondoへ戻る

2018年から2022年の最晩年、Gilliamは過去の主要形式を驚くほど活発に再訪しました。新しいDrape、巨大なBeveled-edge paintings、丸いtondo、和紙の水彩、積層したbirch plywoodの彫刻などが同時に制作されます。2023~24年の《The Last Five Years》は、この期間を「回顧」ではなく新しい発見の時期として示しました。

ここで重要なのは、過去の代表作の復刻ではないことです。斜面カンヴァスには厚い絵具、金属粉、sawdustなどが加わり、Drapeも初期より重い表面を持つ場合があります。tondoでは矩形そのものを捨て、円の内部で絵具が回転するような構成を作りました。

高齢と身体的制約があっても、作品は小型化するどころか巨大化しました。Foundationは、Gilliamが晩年にも身体的持久力を必要とする大型制作を続けたと記録しています。創作の最終段階を静かな整理ではなく、新しい形式の実験にした点が特筆されます。

2022年《Full Circle》――死の直前まで制作する

2022年5月25日、Hirshhorn Museum and Sculpture Gardenで《Sam Gilliam: Full Circle》が開幕しました。展覧会は新しい円形のtondoと、1977年の《Rail》を同じ空間で対話させ、約45年離れた作品を並べました。Gilliamは開幕から約1か月後の6月25日に死去しており、生前最後の主要美術館個展となりました。

tondoには厚いアクリル、金属的な粒子、sawdustなどが用いられ、円形の木製支持体の周囲には斜面のフレームが付けられています。1960年代の染み込みの軽さとは異なる、ほとんど地質のような表面です。それでも色は素材の厚みから光を放ち、初期からの「色を構造にする」問題は続いています。

題名《Full Circle》は美術館側の展覧会名ですが、結果的にキャリアを象徴するものになりました。矩形を外したDrape、斜面支持体、切断カンヴァスを経て、最後に円形支持体へ到達する。形式は一周しても、同じ場所には戻りません。

2022年の死とFoundation設立

Gilliamは2022年6月25日、Washington, D.C.の自宅で88歳で死去しました。翌2023年にSam Gilliam Foundationが設立され、長年のパートナーで後に妻となったAnnie GawlakがPresidentを務めています。Foundationは作品・資料の保存、展覧会支援、研究、出版、若手作家への支援を目的としています。

特に重要なのがカタログ・レゾネの編纂です。Gilliamは同名《Untitled》が多く、Drapeは設置ごとに姿を変え、紙、版画、公共作品、金属、木など媒体も非常に広いため、全作品の整理は簡単ではありません。Foundationは作品、来歴、展覧会歴、保存研究、批評を含む包括的なレゾネを進行中としています。

死後評価が市場だけに偏らないよう、FoundationはDiaとのSam Gilliam Award、Speed Art MuseumとのVisiting Artist Program、Johns Hopkins Universityとのlecture seriesなども展開しています。作家個人の名声を保存するだけでなく、Gilliamが生前行った教育と支援を制度化する方向です。

2025年――モノグラフと《Sewing Fields》

2025年1月、Phaidonから初の包括的モノグラフ『Sam Gilliam』が刊行されました。Foundation、Pace、David Kordansky Galleryとの協働で制作され、約200点の図版、未公開アーカイブ、複数の新規論考を収録。Foundationによれば、Gilliam本人が死去前に承認した最後期の主要出版計画の一つです。

同年6月にはIrish Museum of Modern Artで《Sewing Fields》が開幕し、1993年Ballinglen滞在から生まれた縫製作品を初めて大規模に公開しました。初期Drape中心だった国際的イメージに対し、1990年代の素材実験を美術史へ戻す展覧会となりました。

またDavid Kordansky Galleryでは《Constructions in Color, 1978–1981》が開催され、切断・積層・硬質構造へ向かった中期を再検討しました。2025年の死後評価は、代表作だけを強化するより、これまで周縁化されていた複数時期を同時に掘り起こす方向へ進んでいます。

2026年――《STITCHED》と死後評価

2026年3月12日から4月25日までPace New Yorkで《Sam Gilliam: STITCHED》が開催され、1993年Irelandで制作された縫製作品がアメリカで初めて本格的に紹介されました。IMMAで公開された壁掛け作品に加え、袋状・立体的な吊り作品の一部は世界初公開となり、「Drapeの人」という評価をさらに広げました。

WashingtonではPhillips@THEARCが2026年6月から、1972年《Broad Cape》に着想を得た参加型・体験型プログラム《Art–Play–Practice》を開始しました。Hirshhornでも2025年末から2027年まで《Big Things for Big Rooms》にGilliam作品が組み込まれ、大規模インスタレーション史の先駆者としてRobert Irwinらと並べられています。

さらにFoundationは2026年にも複数展覧会、研究、教育企画を支援し、カタログ・レゾネを継続しています。死後数年の段階で評価が固定されるのではなく、1990年代、版画、縫製、公共作品など新しい研究対象が次々と浮上している状態です。

保存と再設置――Drapeはどこまで同じ作品か

Drape paintingsの保存には通常の絵画とは異なる問題があります。カンヴァスを平らに固定できず、折り目、結び目、吊り方によって形が変わるため、「元の構図」を一つに決めにくいからです。色材や繊維を保存するだけでは作品全体を保存したことになりません。

《Double Merge》のようにGilliam本人が数十年後に再設置した例は、作品の可変性を裏づけます。しかし作家の死後、どこまで新しい設置を許容できるのか。過去写真を再現するのか、作品の指示書を使うのか、キュレーターが建築に応答して再構成できるのかという判断が必要です。

この問題は作者性にもつながります。Drapeを毎回同じ形へ固定すると、本来の柔軟性を失う。一方、自由に変えすぎれば別作品になる可能性もある。Gilliamの保存は「変化を止めること」ではなく、「許される変化の範囲を継承すること」という現代美術保存の重要な事例です。

黒人抽象の再評価

2010年代以降、Gilliamの再評価は「Black abstraction」という研究の拡大と深く関係しています。長くアメリカ美術史では、黒人作家は公民権、人種差別、具象的アイデンティティを扱う作品から語られやすく、抽象は白人Modernismの中心史へ配置されがちでした。

しかしNorman Lewis、Alma Thomas、Ed Clark、Jack Whitten、Howardena Pindell、Gilliamらを見ると、抽象そのものが黒人作家の重要な実践領域だったことが分かります。抽象を選ぶ自由、色や物質だけを追究する自由も、社会的に中立ではありません。誰が「普遍的」な形式を扱う作家として認められ、誰がアイデンティティの説明を求められるかという制度差があるからです。

Gilliam自身も政治と形式を分離しませんでした。《April 4》《Three Panels for Mr. Robeson》《Yet Do I Marvel》など題名が歴史へ接続する作品があり、同時にDrapeの形式的革新自体を政治的自由の実践と考えました。現在の研究は、この二つをどちらか一方へ還元しない方向へ進んでいます。

市場・制度・再発見の問題

晩年のGilliamは市場価格も急速に上昇し、主要ギャラリー、国際展、美術館取得が相次ぎました。この変化は長く過小評価されていた作家への是正である一方、「再発見」の物語が市場価値を加速する仕組みも無視できません。

特に2013年以降、若い著名作家による支持、Frieze Masters、Basel、Venice、Diaなど権威ある制度が連続して作品を提示しました。評価の妥当性と、制度が価値を生み出すメカニズムは同時に存在します。市場が上がったから重要になったのでも、重要だから自動的に市場が上がったのでもありません。

死後のFoundation主導研究が重要なのは、価格とオークション記録だけでは見えない中期作品、教育、公共美術、アーカイブを長期的に整理できるからです。Gilliamの位置づけが今後どこまで変わるかは、Drape以外の研究がどれほど進むかにかかっています。

Sam Gilliamは何を変えたのか

第一に、カンヴァスを木枠から外し、絵画の形が展示空間によって変化する状態を作りました。絵画は矩形の平面ではなく、重力を受ける布、壁や天井と関係する空間的な物体になりました。

第二に、Color Field paintingの染み込み技法を支持体の物質性へ押し広げました。色を美しく配置するだけでなく、濡れた布を折り、束ね、切り、縫い、再構成することで、絵具とカンヴァスの関係そのものを変えました。

第三に、絵画と彫刻、建築、インスタレーションの境界を、絵画側から解体しました。Postminimalismと並行しながら、強烈な色彩を失わずに重力と状況依存性を導入した点が独自です。

第四に、成功した様式へ留まらない制作モデルを示しました。Drapeが評価された直後に切断カンヴァスへ移り、黒、厚い絵具、金属、紙、公共作品、縫製、木、tondoへ進みました。革新を一度の発明ではなく、自己更新の連続として実践しました。

第五に、黒人作家と抽象をめぐる美術史的な前提を揺さぶりました。人種的経験を具象的な主題として説明しなくても、抽象の選択、Jazz的即興、題名、展示場所、制度との関係によって政治と文化は作品へ入りうることを示しました。

そして最も重要なのは、絵画を「完成した像」から「その場で再び起こる出来事」へ変えたことです。Drapeは保管庫では畳まれた布ですが、展示されると建築と重力の中で新しい形になります。同じ作品が毎回少し違う経験になるという考えは、絵画を固定した物体として扱ってきた近代美術の前提を根本から変えました。Gilliamの革新は、カンヴァスを吊るしたという視覚的発明だけでなく、作品がいつ「完成するのか」という問いを開いたことにあります。

よくある単純化と読み直し

第一の単純化は、「Drape paintingを発明した作家」だけで終えることです。Drapeは決定的に重要ですが、切断・コラージュ、Black paintings、Arc、版画、縫製、公共作品、晩年のtondoまで見なければ、55年以上に及ぶ制作の大半を失います。

第二は、「Washington Color Schoolの一員」という分類です。GilliamはColor Schoolの染み込み技法から出発しましたが、支持体を三次元化した時点でその範囲を大きく越えました。むしろColor Fieldを内部から解体した作家として見る方が正確です。

第三は、「政治を避けた黒人抽象画家」という理解です。Gilliamは具象的プロテスト・アートを中心にはしませんでしたが、《April 4》や《Yet Do I Marvel》、Paul Robesonへの献辞など社会史への応答は明確に存在します。また抽象を選択できる自由そのものを政治的に考えていました。

第四は、「Jazzの即興=自由な偶然」とだけ説明することです。Gilliamの制作には折り、染み、設置の偶然がある一方、色彩、素材、規模、支持点への厳密な判断があります。即興は無計画ではなく、訓練された判断の連続です。

第五は、「2010年代に突然発見された」という神話です。Gilliamは1972年Venice Biennale、1971年MoMA、1982年Studio Museum、2005年Corcoran回顧展など長い制度的履歴を持ちます。2010年代に起きたのは発見ではなく、国際美術史の中心へ再配置される規模が大きくなったことです。

略年譜

1933
11月30日、Mississippi州Tupeloに生まれる。8人きょうだいの7番目。
1940年代
家族とKentucky州Louisvilleへ移り、学校教育の中で絵画への関心を深める。
1951
LouisvilleのCentral High School卒業。
1955
University of Louisvilleで美術の学士号取得。同大学で最初の個展を開催し、大学院へ進む。
1956–1958
米軍勤務でYokohamaに駐留。日本の版画、歌舞伎、TokyoのYves Klein展、YokohamaのPicasso展などに接する。
1961
University of Louisvilleで美術の修士課程を修了。
1962
Dorothy Butlerと結婚しWashington, D.C.へ移住。McKinley Technical High Schoolで美術を教え始める。
1963
Washingtonで初期個展。水彩と大型絵画を発表。
1964–1965
Washington Color Schoolの画家たちと交流し、未下地カンヴァスへの染み込みとBeveled-edgeを試す。
1966–1967
濡れたカンヴァスを折り、束ね、染料を転写させる方法を本格化。《Red Petals》などを制作。
1967
National Endowment for the Artsの助成などを得て高校教員を辞め、制作へ専念。
1968
支持体を外したDrape paintingsへ。《Relative》《Double Merge》などを制作。
1969
《April 4》《Swing》《Light Depth》《Green April》などを制作。抽象、歴史、巨大スケールを同時に展開。
1970
ParisのGalerie Darthea Speyerでヨーロッパ初の本格的発表。以後長く同ギャラリーと関係を持つ。
1971
MoMAのProjectsシリーズで個展。Guggenheim Fellowship受賞。
1972
第36回Venice Biennaleでアメリカを代表し、黒人アーティストとして初の米国代表となる。
1973
版画制作を本格化。Oberlin Collegeなどでartist-in-residence。
1975
Philadelphia Museum of Art外壁に大規模Drape《Seahorses》を設置。Drape制作を大幅に減らし、切断・再構成へ移行。
1977
《Rail》、Niagara Gorge沿いの屋外プロジェクト《Custom Road Slide》などを制作。Fabric Workshopで大型プリントも展開。
1978
University of Massachusetts Amherstで《Indoor & Outdoor Paintings 1967–1978》。中期の環境作品と構築的絵画を提示。
1979
AtlantaのRichard B. Russell Federal Buildingに公共作品《Triple Variants》。版画《Coffee Thyme》シリーズも制作。
1981
《The Arc Maker I & II》など、切断・コラージュ・構築を強めた大型作品を制作。
1982–1983
Studio Museum in Harlemで《Red and Black to “D”: Paintings by Sam Gilliam》。
1980年代
厚いアクリル、金属、切断カンヴァス、キルトを思わせる再構成、公共作品を並行して展開。
1991
New YorkのJamaica Center駅に《Jamaica Center Station Riders, Blue》。
1993
IrelandのBallinglen Arts Foundationでレジデンス。絵具を現地へ送れない制約から、あらかじめ染めたカンヴァスを切り縫いする作品群を制作。
1996–1997
空港・公共空間の作品や《Of Fireflies and Ferris Wheels》など、建築スケールの制作を継続。
2005–2007
Corcoran Gallery of Artで初の全キャリア回顧展《Sam Gilliam: A Retrospective》。Speed Art Museum、Telfair Museums、Contemporary Arts Museum Houstonへ巡回。
2013
David Kordansky GalleryでRashid Johnson企画《Hard Edge Paintings 1963–1966》。国際的再評価が加速する。
2015
U.S. State Department Medal of Arts Lifetime Achievement Award。
2016
National Museum of African American History and Culture開館に合わせ《Yet Do I Marvel (Countee Cullen)》完成。
2017
第57回Venice Biennaleに《Yves Klein Blue》を出品。1972年以来45年ぶりにVeniceへ戻る。
2018
Kunstmuseum Baselでヨーロッパ初の美術館個展《The Music of Color: Sam Gilliam, 1967–1973》。Annie Gawlakと結婚。
2019
Pace Galleryに参加。Dia:Beaconで《Double Merge》を作家自身が再設置し長期展示。
2020
Paceで《Existed Existing》。巨大Beveled-edge paintings、木彫、水彩など晩年の新展開を発表。
2021
Dia Art FoundationとMuseum of Fine Arts, Houstonが《Double Merge》を共同取得。
2022
Hirshhorn Museumで《Sam Gilliam: Full Circle》開幕。新作tondoと《Rail》を展示。6月25日Washington, D.C.の自宅で死去、88歳。
2023
Sam Gilliam Foundation設立。Dia Art FoundationとのSam Gilliam Award創設。
2024
『Sam Gilliam: The Last Five Years』関連展が続き、Phaidonの包括的モノグラフ制作が進む。
2025
Phaidonから包括的モノグラフ『Sam Gilliam』刊行。Irish Museum of Modern Artで《Sewing Fields》、David Kordansky Galleryで《Constructions in Color, 1978–1981》。
2026
Pace New Yorkで《STITCHED》。Phillips@THEARCが《Broad Cape》に着想した《Art–Play–Practice》を開始。Hirshhorn《Big Things for Big Rooms》でもGilliamを大規模インスタレーション史の先駆者として展示。Foundationはカタログ・レゾネ編纂を継続。

参考資料・出典

本ページはSam Gilliam Foundation、National Gallery of Art、Smithsonian American Art Museum、National Museum of African American History and Culture、Dia Art Foundation、Hirshhorn Museum and Sculpture Garden、Philadelphia Museum of Art、Kunstmuseum Basel、The Studio Museum in Harlem、The Phillips Collection、Pace Gallery、David Kordansky Gallery等の公式・研究機関資料を中心に参照し、ART LIBRARYが独自に構成・執筆しました。Drape paintingsについては「カンヴァスを外した最初の作家」といった単純な世界初表現を避け、各館が確認する「画期的」「先駆的」という位置づけを用いています。黒人抽象と政治性については、Gilliamが明示的な社会主題を拒んだ作家だと単純化せず、《April 4》《Three Panels for Mr. Robeson》《Yet Do I Marvel》などの歴史的参照と、本人が抽象・形式そのものを政治的行為として捉えていた発言の双方を踏まえました。2025年のPhaidonモノグラフ、IMMA《Sewing Fields》、2026年Pace《STITCHED》、Phillips@THEARC、Hirshhornでの展示、Sam Gilliam Foundationによるカタログ・レゾネ編纂まで反映しています。

資料確認日:2026年10月4日 / ART LIBRARY