ロバート・スミッソン(Robert Smithson、1938–1973)は、1960年代後半からわずか十年ほどの活動で、彫刻が「どこに存在するのか」という前提を根本から変えたアメリカの作家です。《Spiral Jetty》によってLand Artの代表者として知られますが、彼の仕事を「広大な土地に巨大な形を作った人」とだけ理解すると、核心の半分以上を失います。スミッソンはニュージャージーの採石場、工業地帯、郊外、地図、鉱物、鏡、写真、文章、映画、美術館の展示室を同じ問題の中へ置きました。1968年に始めたNon-Siteでは、特定の場所から石や土を持ち帰り、地図・写真とともに美術館へ置きます。しかし、それは現地を再現する模型ではありません。むしろ「ここにある石」と「石があった遠い場所」の隔たりを意識させ、作品が一つの物体へ完結しない構造を作りました。1969年以降にはアスファルトや糊を斜面へ流し、既存の小屋へ土を積み、彫刻を固定された完成形から、重力・崩壊・風化が進行する時間的な出来事へ変えていきます。
スミッソンのもう一つの重要な作品は文章です。1966年「Entropy and the New Monuments」、1967年「A Tour of the Monuments of Passaic, New Jersey」、1968年「A Sedimentation of the Mind: Earth Projects」などで、Minimal Art、郊外、地質学、地図、SF、廃墟、熱力学のentropyを横断しながら自らの制作概念を組み立てました。1970年《Spiral Jetty》では、Great Salt Lakeに約6,000トンを超える玄武岩と土を移動して1,500フィートの螺旋を作る一方、同名の35分映画と後のエッセイを制作し、現地のアースワークだけを「本体」としない複数媒体の作品系を形成しました。1973年、最後のアースワーク《Amarillo Ramp》の建設現場を小型機から撮影中、35歳で事故死します。しかし、作品はそこで停止していません。《Spiral Jetty》は湖水位と塩の結晶によって姿を変え、《Broken Circle/Spiral Hill》は2025年にオランダ・ドレンテ州の文化財に指定され、《Amarillo Ramp》は浸食と植生によって変形しています。2026年現在、スミッソンが「entropy」と呼んだ変化を受け入れる作品を、文化財としてどこまで保存すべきかという逆説が現実の問題になっています。本記事では、初期の鏡の彫刻からSite / Non-Site、郊外、地質学、流動作品、巨大アースワーク、映画・文章、産業跡地の再生構想までをたどり、スミッソンがLand Artだけでなく現代美術に何を持ち込んだのかを考えます。
CONTENTS
- 生涯と制作の変遷
- ニュージャージー――中心ではなく周縁を見る
- 石、恐竜、地質学――幼少期からの時間感覚
- 初期絵画――Land Art以前のスミッソン
- 1961年ローマ――西洋文明の「起源」と廃墟
- ナンシー・ホルト――制作と生活の長い対話
- Minimal Artとの接近と距離
- 結晶構造――幾何学と地質学をつなぐ
- 《Enantiomorphic Chambers》――鏡が視点を分裂させる
- Entropy――崩壊を失敗と見なさない
- Dallas–Fort Worth空港計画――地図から土地へ
- 《Monuments of Passaic》――郊外の工事現場を「記念碑」にする
- 「逆向きの廃墟」――完成する前から老朽化している風景
- 美しい自然ではなく「傷んだ風景」へ
- Site / Non-Site――作品はどこにあるのか
- 《A Nonsite (Franklin, New Jersey)》
- 「物質的な地図」――石は場所の代理ではない
- 美術館の白い部屋も「場所」である
- 写真――記録ではなく作品を分裂させる媒体
- 鏡――風景を切り取り、同時に穴を開ける
- 《Yucatán Mirror Displacements》――消える彫刻
- 《Hotel Palenque》――建設と崩壊が同時に進む
- Flow Works――重力を彫刻家にする
- 《Asphalt Rundown》――アスファルトが地質になる
- 《Glue Pour》――形を決めない彫刻
- 《Partially Buried Woodshed》――壊れるまで土を積む
- Kent State銃撃事件と作品の意味の変化
- ロバート・スミッソンの作品をどう見るか
- 主要作品
- 《Spiral Jetty》――なぜGreat Salt Lakeだったのか
- なぜ螺旋なのか
- 6,000トンを超える岩石を動かす
- 水没と再出現――作品の「正しい姿」はあるのか
- 塩と色――環境が表面を作る
- 《Spiral Jetty》映画――アースワークの記録ではない
- 文章としての《Spiral Jetty》
- アースワーク・映画・文章のどれが本体なのか
- 《Broken Circle/Spiral Hill》――産業風景と氷河の石
- Land Reclamation――産業による傷を隠さない
- スミッソンは「環境保護作家」だったのか
- 《Amarillo Ramp》――死後に完成した最後のアースワーク
- 1973年7月20日――35歳での死
- ナンシー・ホルトと作品の継承
- Entropyを保存するという矛盾
- 2024年《Spiral Jetty》歴史的文化財登録
- 2025年《Broken Circle/Spiral Hill》州指定モニュメントへ
- 2026年の現在地
- なぜ現在の作家がSmithsonへ戻るのか
- ロバート・スミッソンは何を変えたのか
- 略年譜
- 参考資料・出典
生涯と制作の変遷
Robert Irving Smithsonは1938年1月2日、New Jersey州Passaicに生まれ、Rutherford、のちCliftonで育ちました。幼い頃から石、鉱物、恐竜、自然史に強く惹かれ、後年まで地質学と深い地質学的時間への関心を持ち続けます。1954年、高校在学中にArt Students League of New Yorkの奨学金を得て学び、1957年にはNew York Cityへ移住しました。初期には宗教、文学、SF、神話を参照する絵画やコラージュを制作し、1957年にAlan Brilliantのアパートで最初の個展、1959年にはArtists’ Galleryで個展を開催しています。
1961年にはRomeで個展を開き、西洋文明の宗教美術、遺跡、崩壊した建築に接しました。帰国後、初期の表現主義的・幻想的絵画から距離を取り、1964年頃から工業素材、鏡、結晶的幾何学を用いる彫刻へ転換します。1963年にはNancy Holtと結婚。Carl Andre、Donald Judd、Dan Graham、Eva Hesse、Joan Jonas、Richard Serraら同時代の作家たちと交流し、New Jerseyの採石場や郊外へ一緒に出かけるようになります。
1965–66年にはDallas–Fort Worth Airport計画のアーティスト・コンサルタントとして建築家と協働し、地図、結晶構造、巨大インフラ、土地そのものへの関心が結びつきました。1967年《The Monuments of Passaic》、1968年Non-Sites、1969年Mirror DisplacementsとFlow Worksへ進み、1970年《Spiral Jetty》でアースワーク、映画、文章を統合します。1971年にはNetherlandsで《Broken Circle/Spiral Hill》、その後はmining companyや産業跡地との協働による土地再生構想へ関心を強めました。1973年7月20日、Texasの《Amarillo Ramp》建設地を小型飛行機から調査中に墜落事故で死去。35歳でした。
ニュージャージー――中心ではなく周縁を見る
SmithsonにとってNew Jerseyは単なる出生地ではありません。New York 美術界から見れば「中心」のManhattanに対する「外側」であり、高速道路、採石場、工業地帯、郊外、湿地、放棄されたインフラが混在する場所でした。Foundationのoral 歴史で彼は、自分が「中心」より周縁、辺境、焼けた空き地、砂地へ惹かれたと述べています。
Land Artを「雄大な自然へ出ていく運動」と理解すると、このNew Jersey experienceが消えます。Smithsonが選んだのは手つかずの原生自然より、すでに採掘、道路建設、宅地造成によって改変された土地でした。人間の介入以前の手つかずの自然へ戻ろうとしたのではなく、人間と地質が絡み合った二次的な風景を見ています。
石、恐竜、地質学――幼少期からの時間感覚
Foundationのbiographyと1972年oral 歴史では、Smithsonが幼少期から石を集め、大きな石 collectionを持っていたことが確認されます。この関心は後に単なる素材選択ではなく、時間の考え方へ変わります。
美術史では数十年、文明史では数千年が長い時間ですが、地質学ではmillions of yearsが基本単位です。Smithsonは近代美術の「新しさ」を、この巨大な時間軸の中で相対化しました。建築も彫刻も最終的には侵食され、崩れ、sedimentになる。Entropyの考えが説得力を持った背景には、このgeological imaginationがあります。
初期絵画――Land Art以前のスミッソン
1950年代末から60年代初めのSmithsonは、現在よく知られる幾何学彫刻やアースワークとは大きく異なる絵画・素描を制作しました。恐竜、宗教的人物、myth、SF、文学的像が混ざり、darkで幻想的な世界が現れます。
近年の研究は、この時期を「本当のSmithsonになる前」と切り捨てません。2025年《Casting a Glance: Dancing with Smithson》も、1960年代初期の素描をEuropean Modernismの崩壊やqueerな感性との関係で読み直しました。後の廃墟、深い地質学的時間、フィクション、断片への関心は初期から形を変えて存在しています。
1961年ローマ――西洋文明の「起源」と廃墟
1961年、SmithsonはGalleria George LesterでRome個展を開催しました。1972年のoral 歴史で、宗教がWestern civilizationとartへどう影響したか、そのoriginやarchetypal formを理解したかったと振り返っています。
Romeは「完成された古典美」の都市であると同時に、古代建築が崩れ、別時代の建物へ組み込まれた都市でもあります。Smithsonはやがてヨーロッパの高級文化から距離を取り、自分自身のAmerican 風景へ戻りますが、civilizationを廃墟として見る感覚は後のPassaicや産業跡地scapeに反転して現れます。
ナンシー・ホルト――制作と生活の長い対話
Smithsonは1960年にNew YorkでNancy Holtと出会い、1963年に結婚しました。Holtは後に《Sun Tunnels》などでLand Art/Conceptual Artの主要作家となります。長い間Smithsonの「妻・記録者」として説明され過ぎましたが、現在は二人を独立した作家として扱いながら、相互の対話を検討する研究が進んでいます。
HoltはSmithsonの現地調査を撮影し、《Spiral Jetty》制作や《Broken Circle/Spiral Hill》の記録にも深く関与しました。Smithsonの死後には文章を編集し、作品の保存・研究を支えます。一方、Holt自身の写真、映画、locator、アースワークもSmithsonへ影響を与えています。二人の関係を一方向の支えとしてではなく、場所・知覚・mediaをめぐる並行する制作として見る必要があります。
Minimal Artとの接近と距離
1964–66年頃、Smithsonはpainted steel、aluminum、鏡、Plexiglasなどを使い、Donald JuddやRobert Morrisと同時代の幾何学彫刻を制作しました。外見上はMinimal Artに近いものの、彼は自己完結的な「Specific Object」へ満足しませんでした。
Minimal sculptureが鑑賞者の身体と展示空間の関係を強調したのに対し、Smithsonはさらに「展示室の外はどうなっているのか」「作品を支えるmaterialはどこから来たのか」「場所と展示物の関係は切断されていないか」と問い始めます。Non-SiteはMinimalismから完全に離れるというより、その関係的思考を地理的規模まで拡張したものと考えられます。
結晶構造――幾何学と地質学をつなぐ
Smithsonにとって幾何学はpure abstractionではありませんでした。結晶格子、鉱物 growth、鏡像対称など自然構造と結びついています。人工的な鋼鉄彫刻の幾何学と、地中で形成される結晶を同じ形の問題として考えました。
1965–66年頃の空港計画でも、結晶line 地図pingが巨大な領域地図へ拡張したと本人は述べています。展示室内の物体の内部にあった幾何学が地図へ、地図が実際の土地へ広がる転換です。
《Enantiomorphic Chambers》――鏡が視点を分裂させる
《Enantiomorphic Chambers》(1965)はpainted steelと鏡からなる二つの対称的構造です。「enantiomorph」は左右の手のように、互いが鏡 像でありながら完全には重ならない関係を指します。
通常の鏡なら鑑賞者の顔を返しますが、この作品では鏡の角度と配置によって一つの消失点が分裂し、「正しい中心視点」を持ちにくくなります。Smithson自身は、一つの視点から全体を見ることができないと説明しました。
この作品は後のSite / Non-Siteの予告でもあります。二つの別々のものが互いを参照し、一方だけでは関係全体を完結できない。鏡像対称から地理的な弁証法へ、考え方が拡張します。
Entropy――崩壊を失敗と見なさない
Smithsonを理解する中心語の一つがentropyです。熱力学ではエネルギーが利用可能な形から拡散し、系が不可逆的に変化することを扱う概念ですが、Smithsonはこれを文化、建築、風景、彫刻へ比喩的に拡張しました。
1966年「Entropy and the New Monuments」では、近代的モニュメントを永遠性の象徴としてではなく、時間が均質化し、エネルギーが消耗していく世界と結びつけました。重要なのは「すべてが乱雑になる」という単純な意味ではなく、元の状態へ完全には戻せない変化です。
採石場は掘削前の地形へ戻らず、アスファルトは斜面を流れた軌跡を残し、woodshedは荷重で梁が割れます。Smithsonはartistが変化を止める側ではなく、その不可逆的 過程へ参加できると考えました。
Dallas–Fort Worth空港計画――地図から土地へ
1965–66年、SmithsonはTippetts-Abbett-McCarthy-Strattonのアーティスト・コンサルタントとしてDallas–Fort Worth 空港計画に参加しました。最終的に提案は実現しませんでしたが、本人はこの時期を「アースワークの兆し」が現れた重要な段階と振り返っています。
空港は巨大な巨大な領域インフラであり、道路、滑走路、地図、上空視点を扱います。展示室 規模のobjectから、上空からしか把握できない地表の配置へthinkingが広がりました。後の《Spiral Jetty》も歩いて体験するだけでなく、航空写真によって象徴的な像となります。
《Monuments of Passaic》――郊外の工事現場を「記念碑」にする
1967年9月30日、SmithsonはNew YorkのPort Authorityからバスで故郷周辺のPassaicへ向かい、Kodak Instamaticで橋、配管、揚水装置、砂場などを撮影しました。12月にはArtforumへ「A Tour of the Monuments of Passaic, New Jersey」を発表します。
通常「モニュメント」は英雄や歴史的事件を記憶するための永久的構造です。Smithsonは工事現場の仮設設備、排水配管、郊外の土砂をモニュメントと呼び、価値体系を反転しました。Foundationによれば作品はarticle、photowork、写真の seriesという三つの形で存在します。
重要なのはNew Jerseyを「醜い場所」と嘲笑しただけではないことです。歴史的中心地ではないありふれた郊外に、未来の考古学を見出します。観光名所ではなく、誰も保存しようとしないインフラが時代の特徴を最も強く残す可能性があります。
「逆向きの廃墟」――完成する前から老朽化している風景
Passaic essayでSmithsonは、新築現場やコンクリート structureが未来へ完成していく建築というより、最初から廃墟の方向へ進んでいるように見ます。一般の廃墟は完成した建物が時間で崩れたものですが、郊外ではconstructionとdecayが同時進行する。
この感覚は後の《Hotel Palenque》にも続きます。近代化を「古いものが消え、新しいものが完成する」直線的な進歩として見ず、新築・改築・放置・崩壊が同時に存在する状態として捉えます。
美しい自然ではなく「傷んだ風景」へ
18–19世紀の風景 traditionでは山、滝、森などが崇高やピクチャレスクの対象となりました。Smithsonが惹かれたのは採石場、mine、泥地、工業地帯の周縁、汚染された土地です。
しかし彼はenvironmental damageを「醜いから隠すべき」と考えません。人間が土地へ行った操作をvisibleな歴史として読みます。後のland 土地再生案でも、産業の傷跡をgreen lawnで覆って無かったことにするより、その過程をartへ変える方向を考えました。
Site / Non-Site――作品はどこにあるのか
1968年、SmithsonはNon-Sitesと呼ぶ一連の作品を始めます。特定のsiteへ行き、石、砂、コンクリート 断片sなどを採取し、幾何学的 binsへ入れて展示室へ置き、地図、photographs、textを組み合わせました。
Siteは実際の地理的場所、Non-Siteはmuseum/展示室内のconstructed workです。しかしNon-SiteはSiteの縮小模型ではありません。Smithsonは「three-dimensional logical picture」「物質的な地図」と考えました。現地と似ていない抽象構造が、地図のように別の場所を指します。
この関係には中心がありません。展示室へ来ただけではsiteを経験できず、siteへ行っても展示室内の物体はありません。作品は両者のdistanceとmovement、さらに地図、写真、languageを含むネットワークとして成立します。
《A Nonsite (Franklin, New Jersey)》
《A Nonsite (Franklin, New Jersey)》(1968)は旧採石場のFranklinから採取した石灰岩を五つのpainted 木製容器へ入れ、wall 地図と写真の/文字情報を組み合わせた作品です。現在Museum of Contemporary Art Chicago collectionです。
Franklinはcalciteやwillemiteなど蛍光鉱物で知られ、特定光源下で赤や緑に発光します。しかし展示室展示ではその現象を必ずしも見せません。つまり「石の本質を展示する自然史標本」とも違います。Siteについて知れば知るほど、展示室の石がsiteそのものではないことが明確になります。
「物質的な地図」――石は場所の代理ではない
通常地図は場所を縮小して表します。Non-Siteでは逆に、実物の素材を持ち込むため「本物」に見えますが、石だけでは元の場所の規模、天候、地形、採掘歴史を伝えられません。
物質があるのに場所は不在で、地図があるのに現地とは似ていない。このズレそのものがworkです。Smithsonは表象が対象へ完全一致しないことを隠さず、その不一致を構造化しました。
美術館の白い部屋も「場所」である
Site / Non-Siteはmuseum批判でもあります。ホワイトキューブは作品をcontextから切り離し、中立に見せる装置ですが、Smithsonは「中立性」自体がabstractなconditionだと考えました。
採石場からstoneを展示室へ運ぶと、stoneはgeological materialであると同時にart objectになります。siteが展示室によって中立izedされ、逆に展示室も生の石によって外の世界へ接続されます。museumの内部と外部を完全に分けられなくします。
写真――記録ではなく作品を分裂させる媒体
Land Artでは遠隔地をphotographで記録する必要があるため、写真はsecondary 記録と考えられがちです。しかしSmithsonでは写真そのものが作品構造を作ります。
《Monuments of Passaic》はphotographsなしには存在せず、Mirror Displacementsは鏡を撤去した後、写真像が主要なsurviving formになります。《Spiral Jetty》も現地アースワークだけでなくstill 写真と映画を通して世界的に知られました。
遠隔地へ行けない鑑賞者に「本物の代用品」を提供するだけでなく、カメラがsiteを切り取りし、flattenし、別のtimeへ固定することで、siteとの距離をさらに複雑にします。
鏡――風景を切り取り、同時に穴を開ける
Smithsonは1960年代半ばから鏡を多用しました。鏡は周囲をcopyする表面ですが、reflectionは鑑賞者の位置と角度によって変わり、固定像を持ちません。
風景に鏡を置けば、soilの中へskyが現れ、plantの中に別方向の風景が挿入されます。物体としてはsmall squareでも、視覚的には周囲のspaceを折り畳む装置になります。《Enantiomorphic Chambers》のsplit viewpointが屋外の場所へ拡張したものとも言えます。
《Yucatán Mirror Displacements》――消える彫刻
1969年、SmithsonはNancy Holt、gallerist Virginia DwanとMexicoのYucatán Peninsulaを旅し、各地に12-inch-square 鏡を複数配置してphotographし、撤去しました。九つの写真作品が《Yucatán Mirror Displacements (1–9)》として残ります。
Foundationが説明するように、一時的な彫刻は写真表象によってtimeに固定されました。しかしphotographは「失われた原作」の不完全な証拠ではありません。鏡 placement、風景、カメラ 位置、後のpublicationが一つのwork 系です。
人間人物がほとんど写らず、鏡にはskyとlandが反射します。風景は人が鑑賞する背景ではなく、自らを別角度で反射する表面 ネットワークのようになります。
《Hotel Palenque》――建設と崩壊が同時に進む
1969年のMexico旅行でSmithsonはPalenqueのhotelを撮影し、1972年University of Utahでスライド講義を行いました。hotelは一部が建設中、一部が壊され、一部が使用中という不思議な状態にあり、Smithsonは考古学的遺跡のように語ります。
通常、近代的ホテルは快適さと更新を象徴します。しかし彼が注目したのはperfectly renovated部分ではなく、柱だけ残る場所、剥がれた壁、未完成のコンクリートです。《Monuments of Passaic》と同様、進歩とdecayが同じ時間に存在します。
Flow Works――重力を彫刻家にする
1969–70年、Smithsonはasphalt、コンクリート、glue、土などを斜面へ流す/積む一連の彫刻的出来事を制作しました。形を事前に完全設計せず、粘度、重力、斜面、温度によって最終形が決まります。
従来の彫刻家はmaterialをcontrolして安定した形を作ります。Smithsonはartistのcontrolを一部手放し、物理法則と現地条件を共同制作者にします。彫刻は「形を決めること」から「過程を開始すること」へ変わります。
《Asphalt Rundown》――アスファルトが地質になる
1969年10月、Rome郊外Cava di Selceのabandoned 採石場でtruckから熱いアスファルトを斜面へ流した《Asphalt Rundown》は、最初に実現したFlow Workです。black viscous materialが切り立った土 表面を下り、固まります。
asphaltはroadというmodern インフラの素材ですが、ここでは道路を作らず、lava flowのように地形へ従います。工業素材が地質的出来事を模倣するのではなく、人間のindustryも地質過程の一部に見えてきます。
《Glue Pour》――形を決めない彫刻
同年12月、Lucy LippardがVancouverで企画した《955,000》のため《Glue Pour》を実施しました。orange-colored glueを丘の上から流し、地形に沿って拡散させます。
Foundation資料によれば、当初素描では一~三tonsのglueを複数樽から流す案が示され、実施ではbottle gumが使われました。完成形をstudioで決めるのではなく、proposal、材料選択、地形、重力によって出来事が決まります。
《Partially Buried Woodshed》――壊れるまで土を積む
1970年Kent State Universityで制作した《Partially Buried Woodshed》では、キャンパスにあった放棄された木造小屋へ20 トラック20台分の土を積み、中央梁がcrackするまで続けました。作品寸法は約5.5×3×13.7mです。
目的はbuildingを完全にburyすることではなく、構造がloadへ耐えられなくなる限界点を作ることでした。梁が割れた瞬間が「完成」ですが、その後も植物、雨、火災、解体によって変化し続けます。現在残るのはコンクリート foundationと土 moundです。
Kent State銃撃事件と作品の意味の変化
作品完成から数か月後の1970年5月4日、Kent State キャンパスでVietnam War反対運動中のstudentsへOhio National Guardが発砲し、4人が死亡しました。その後、誰かがWoodshedへ「MAY 4 KENT 70」と記しました。
Smithsonが最初からmemorialとして作ったわけではありません。しかし歴史的事件がsiteへ重なり、作品の意味が変化しました。1975年には一部がburnedし、さらにcollapseします。
この例は場所固有の作品が作家の意図だけで固定されないことを示します。場所の歴史が作品へ後から入り込み、その変化を完全にはcontrolできません。
ロバート・スミッソンの作品をどう見るか
第一に、巨大アースワークだけを見ず、地図、photograph、映画、essayを同等に見てください。Smithsonでは一つのobjectがwork全体を代表しない場合があります。第二に、美しい原生自然より採石場、industrial 廃墟、郊外を見てください。彼が「自然」と呼んだものは人間活動から隔離されていません。
第三に、entropyを単に「崩壊が好き」と理解しないことです。重要なのは元の状態へ戻せない不可逆的 変化です。第四に、記録を原作の代用品と見なさないこと。photoと映画がsiteの意味を別の場所へ運び、workを増殖させます。
第五に、「自然保護」を現在の価値観からそのまま投影しないでください。Smithsonはindustrial damageを批判しつつ、傷跡を消して自然らしい 風景へ戻す考えにも懐疑的でした。第六に、作品の現在の状態を「劣化」とだけ呼ばず、その変化と保存判断の両方を見てください。
主要作品
1965年の鏡と結晶構造から、郊外を「モニュメント」として読む写真、Site / Non-Site、一時的な鏡の配置、重力に形を委ねるFlow Works、崩壊する小屋、巨大earthwork、映画、そして死後に完成した《Amarillo Ramp》まで、Robert Smithsonが彫刻を「物体」から場所・時間・媒体の関係へ拡張した過程を示す12点を選びました。
エナンチオモルフィック・チェンバーズ
Enantiomorphic Chambers / 1965 / 塗装鋼、鏡 / 各 61 × 76 × 79 cm
Holt/Smithson Foundation/現行作品記録参照
左右の手のように鏡像関係を持つ二つの構造。鏡によって消失点が分裂し、一つの視点から作品全体を把握できない構造を作ります。後のSite / Non-Siteの二項関係を予告する重要作です。
パセーイクのモニュメント
The Monuments of Passaic / 1967 / 写真6点、切断したフォトスタット地図 / 全体 42 × 288 cm
Museum of Contemporary Art, Norway(Holt/Smithson Foundation記録)
故郷周辺の橋、排水管、工事現場、砂場を「モニュメント」として撮影。作品は写真シリーズ、Artforum掲載の文章、フォトワークという複数形態で存在します。
ノンサイト(ニュージャージー州フランクリン)
A Nonsite (Franklin, New Jersey) / 1968 / 塗装木製容器、石灰岩、銀塩写真、タイプ原稿、黒鉛、転写文字 / 容器設置時 41.9 × 208.9 × 261.6 cm
Museum of Contemporary Art Chicago
Franklinの旧採石場から採取した石を幾何学的容器へ入れ、地図・写真・文字情報と組み合わせた代表的Non-Site。美術館内の物体と遠隔地のSiteの隔たり自体を作品化します。
ユカタン・ミラー・ディスプレイスメンツ
Yucatán Mirror Displacements (1–9) / 1969 / 12インチ角の鏡による一時的設置、カラー写真9点 / 写真各 61 × 61 cm(額装)
Solomon R. Guggenheim Museum, New York
Yucatán各地に鏡を一時的に配置し、風景を反射させた後に撤去。現地の彫刻は消え、写真・文章・旅程が作品の存続形態になります。
アスファルト・ランダウン
Asphalt Rundown / 1969 / アスファルト、土による彫刻的出来事 / 場所・流動過程により可変
Cava di Selce, Romeで実施/Holt/Smithson Foundation記録
ローマ郊外の放棄された採石場で、トラックから熱いアスファルトを斜面へ流した最初のFlow Work。作家が最終形を決めず、重力・粘度・地形へ造形を委ねます。
グルー・プア
Glue Pour / 1969 / 糊、土による彫刻的出来事 / 場所・流動過程により可変
Vancouver, British Columbiaで実施/Holt/Smithson Foundation記録
Lucy Lippard企画《955,000》のため、橙色の糊を斜面へ流した一時的作品。完成形より、素材が重力に従って広がる不可逆的な過程を彫刻として扱います。
ホテル・パレンケ
Hotel Palenque / 1969–1972 / カラー・スライド31点の投影、作家による音声講義 / 上映時間 42分57秒
Solomon R. Guggenheim Museum, New York
Mexico旅行で宿泊したホテルの建設・改修・崩壊を撮影し、1972年の講義音声と組み合わせた作品。古代遺跡ではなく、建設と廃墟化が同時進行する近代建築へ注目します。
部分的に埋められた木造小屋
Partially Buried Woodshed / 1970 / 既存の木造小屋、トラック20台分の土 / 約 5.5 × 3 × 13.7 m
Kent State University, Ohio(現地遺構)
放棄された小屋へ土を積み、中央梁が割れるまで荷重を加えた作品。完成後も植物、火災、崩壊が進み、現在は基礎と土の盛り上がりが残ります。
スパイラル・ジェティ
Spiral Jetty / 1970 / 泥、塩の結晶、玄武岩、土、水 / 長さ 457.2 m、幅 4.6 m
Dia Art Foundation, Great Salt Lake, Utah
Great Salt Lakeへ6,000トンを超える玄武岩と土を移動して作った反時計回りの螺旋。水位、塩、気候によって外観が変化し続け、1999年からDia Art Foundationが管理しています。
スパイラル・ジェティ(映画)
Spiral Jetty [film] / 1970 / 16mm映画、カラー、音声 / 35分
Holt/Smithson Foundation/Electronic Arts Intermix配給
earthwork完成後に編集された独立した映画作品。建設記録だけでなく、地図、地質、上空映像、語りを断片的に組み、《Spiral Jetty》を別媒体へ展開します。
ブロークン・サークル/スパイラル・ヒル
Broken Circle/Spiral Hill / 1971 / 水、土、表土、砂、巨石 / Broken Circle 直径42.6 m/Spiral Hill 基部直径22.9 m
Emmen, the Netherlands(私有地)
稼働中の砂採掘場に制作したSmithson唯一の米国外現存earthwork。氷河が運んだ巨石、採掘地形、新しい土木造形を重ねます。2025年にDrenthe州の州指定モニュメントとなりました。
アマリロ・ランプ
Amarillo Ramp / 1973 / 岩、土 / 直径42.7 m、最大高4.6 m
Lake Tecovas, Amarillo, Texas(私有地)
Smithson最後のearthwork。建設中の1973年7月20日に作家が航空事故で死去し、Nancy Holt、Richard Serra、Tony Shafraziらが設計に従って完成しました。現在は侵食と植生によって変化しています。
《Spiral Jetty》――なぜGreat Salt Lakeだったのか
《Spiral Jetty》(1970)はUtah州Great Salt Lake北東岸Rozel Pointに制作されました。長さ1,500ft(457.2m)、幅15ft(4.6m)。black basalt 石、土、mud、salt 結晶sからなる反時計回りのspiralです。Foundationによれば6,650tonsの石 and 土が移動されました。
Smithsonが選んだ場所は「untouched 自然」ではありません。近くにはabandoned oil rigsやtranscontinental railroad completionと関係するGolden Spike モニュメントがあり、industryと地質学の歴史が混ざる場所でした。Gary ShapiroのFoundation論考も、Smithsonがこれらindustrial remainsをentropic residuesとして見ていたことを指摘します。
Great Salt Lakeはoutflowを持たないterminal lakeで、evaporationによってsalt concentrationが高まります。水 levelは大きく変動し、salinityによってmicroorganismsやcolorも変化します。安定したsculptureを置くには不向きな環境であること自体が、Smithsonのinterestに合っていました。
なぜ螺旋なのか
Spiralはshell、galaxy、whirlpool、結晶 growthなど自然界の多くの規模に現れるformであり、Smithsonの素描にも繰り返し登場します。しかし「自然の普遍的symbol」を一つの意味へ固定する必要はありません。
《Spiral Jetty》を歩くと、中心へ向かって進みながら同時にlakeとshoreのviewがrotateします。straight lineならdestinationへ最短で進めますが、spiralでは同じ方向へ進んでいるようで位置が変わり続ける。地図上では明快なiconですが、ground levelでは全体形を一度に見ることができません。
この「地図では見えるが現地では見えない」関係はSite / Non-Siteから続いています。Spiral Jettyの最も有名な航空写真を見てから現地へ行くと、既に頭の中にtotal formを持ちながら、実際には部分だけを歩くことになります。
6,000トンを超える岩石を動かす
《Spiral Jetty》はromanticな「artistが自然の中に石を並べた作品」ではありません。dump trucks、tractor、front loaderなど重機を使い、shorelineのbasaltとsoilを大規模に移動しました。Diaは6,000tons超、Foundationは6,650tonsと記録しています。
Land Artにはしばしば自然回帰の像がありますが、実際の制作は道路、機械、燃料、労働、地主との交渉によって成立します。Smithsonはこのindustrial 規模を隠しませんでした。人間は自然の外から慎重に眺める存在ではなく、地表を動かすgeological agentの一つとして作品へ入ります。
水没と再出現――作品の「正しい姿」はあるのか
《Spiral Jetty》は1970年のlow-水 periodに作られ、1972年にはlake 水の上昇で水没しました。その後長期間水面下にあり、2002年以降は継続的にvisibleとなっています。Diaの現在の案内では、かつて作品を覆っていたGreat Salt Lake shorelineは現在Spiral Jettyからほぼ1mile離れています。
ここで保存上の難問が生じます。1970年完成時のblack basaltが露出した状態へ戻すべきなのか、水没した状態も作品なのか、salt-covered white 表面は変質なのか。Smithson自身が変化とentropyを重視したため、「当初の外観を固定する」通常のconservation modelをそのまま適用できません。
塩と色――環境が表面を作る
水位が下がると石 表面へsalt 結晶sが付着し、black basaltがwhiteに覆われます。lake 水はsalinityやmicrobial conditionsによってpink-redに見えることもあります。作品のcolor paletteはartistがpaintで決めたものではなく、lake chemistryによって変化します。
この意味で《Spiral Jetty》は1970年に「完成した表面」を保存するsculptureではありません。地質学、hydrology、biology、気候、人間の水 useがappearanceへ介入し続けます。風景がbackgroundではなくactive materialです。
《Spiral Jetty》映画――アースワークの記録ではない
Smithsonはアースワーク完成後New Yorkへ戻り、Nancy Holt、Bob Fiore、Barbara Jarvisらと35-minute 16mm 映画《Spiral Jetty》を編集しました。Foundationは映画を1970年作品として独立して扱っています。
映画にはconstruction footage、aerial views、地図、natural 歴史、voiceover、studio 像ryなどが断片的に組み合わされます。アースワークを「こういう形でした」と客観記録するdocumentaryではありません。siteへ行く前後のthought、geological imagination、カメラ movementを別の作品へ変換しています。
2026年2月からMoMAではNancy Holtとの共同的映像 contextの中で《Spiral Jetty》《Swamp》《Sun Tunnels》が展示され、《Spiral Jetty》と《Swamp》はFoundationとMoMAの協働による新しい修復スキャンで紹介されています。Land Artの保存がlandだけでなく映画 restorationも含むことを示す重要な現在形です。
文章としての《Spiral Jetty》
Smithsonは1972年にessay「The Spiral Jetty」を発表しました。そこではlake、地図、地質学、映画 editing、city、salt、歴史が連想的に接続されます。site descriptionを正確に説明する報告ではなく、文章自体がspiralするように話題を移動します。
彼にとって文章は作品解説ではありません。visual workと同じようにconceptを作るmediumでした。Artforum、Arts Magazine、Harper’s Bazaar、Studio Internationalなどへ積極的に書き、自分だけでなくMinimal Art、museum、建築家ure、environmentに対する批評的枠組みを作っています。
アースワーク・映画・文章のどれが本体なのか
《Spiral Jetty》はGreat Salt Lakeのアースワーク、映画、essay、photographs、素描、地図として存在します。Foundationはこれらを互いにcoordinateする要素として扱っています。現地アースワークだけをtrue 原作、他を記録とする序列はSmithsonの制作に合いません。
多くの人は現地へ行かずphotographで《Spiral Jetty》を知ります。その像はworkを広める一方、actual 歩行体験、塩の匂い、wind、道路状況を省きます。しかし「写真は偽物だから現地だけが本物」とするのでもない。distanceと変換自体がSite / Non-Site以来のthemeだからです。
《Broken Circle/Spiral Hill》――産業風景と氷河の石
1971年、NetherlandsのSonsbeek Buiten de Perken展のため、Emmen郊外の稼働中の砂採掘場に《Broken Circle/Spiral Hill》を制作しました。Smithsonの現存アースワークで米国外にある唯一の作品です。
《Broken Circle》は採石場 lakeへ半円状のjettyと水路を作り、中心にはancient glacial movementが運んだ巨大巨石を残します。《Spiral Hill》は隣接する土 moundをspiral pathで登るstructureです。人工的excavation、ice-age 地質学、new アースワークが一つのsiteへ重なります。
Foundationは、この作品がindustryの不可逆的 impactを示しながら自然とconstructionの関係を再考させると説明しています。採石場を「自然へ復元」するのでなく、採掘によって変わったlandをそのまま作品conditionとして受け入れています。
Land Reclamation――産業による傷を隠さない
1971年以降、Smithsonは採掘地、strip mines、polluted landをartistとindustryが共同で再構成するland 土地再生案を積極的に考えました。Foundation biographyは、《Broken Circle/Spiral Hill》以後この関心が強まったとしています。
彼の提案は「工場や鉱山を止めて自然へ戻す」だけではありません。採掘後の土地を装飾的な緑化で隠すのではなく、産業過程をvisibleにしたままアースワークへ変えることを考えます。
現在の生態系修復の観点から見れば問題もあります。damaged eco系を回復する科学的projectとSmithsonの美的な土地再生は同じではありません。それでも、extractive industryが作った風景を美術界が無視せず、企業とartistの責任として考えようとした点は先駆的でした。
スミッソンは「環境保護作家」だったのか
Smithsonは今日しばしば環境芸術の先駆者に位置づけられます。しかし自然保護主義者という語をそのまま当てると誤解が生じます。彼は「自然を人間以前の状態へ戻す」理想に懐疑的で、industryと自然を完全に分離しませんでした。
一方で、mining、pollution、urban expansionによるdamageを見ないふりもしません。重要なのは傷跡をconcealするのではなく、風景 歴史として認識することです。Smithsonのenvironmental relevanceは「自然を守ろう」という直接messageより、人間活動を地質学的な力として可視化した点にあります。
《Amarillo Ramp》――死後に完成した最後のアースワーク
《Amarillo Ramp》(1973)はTexas州Amarillo近郊Lake Tecovasのedgeに計画された石 and 土のcurving rampです。直径 140ft(42.7m)、maximum height 15ft(4.6m)。地元注文主 Stanley Marsh 3がcommissionしました。
1973年7月20日、Smithsonはconstruction in 進歩をaircraftからsurvey/photographしている最中に墜落事故で死亡しました。pilot Gale Ray Rogers、photographer Richard I. Curtinも死亡。作品はNancy Holt、Richard Serra、Tony Shafraziがlocal 作業員とともに設計仕様に従って約一か月後完成させました。
現在は貯水池がdryになり、メスキートの植生と侵食によってformが変化しています。Foundationは「廃墟として保存する努力」が続いていると説明し、私有地のため個人訪問は現在できません。
1973年7月20日――35歳での死
Smithsonの死はLand Art史を早く途切れさせました。35歳という短い活動期間にもかかわらず、絵画、素描、sculptures、Nonsites、photographs、映画、アースワーク、建築家ural proposals、文章を大量に残しました。
死後の評価では《Spiral Jetty》だけが象徴化されやすく、他のcomplex 制作が影に隠れる危険があります。現在のHolt/Smithson Foundationは初期素描、映画、文章、ヨーロッパでの計画、土地再生案まで公開し、アースワーク hero一人へ還元しない研究を進めています。
ナンシー・ホルトと作品の継承
Smithsonの死後、Nancy Holtは作品・アーカイブ・文章の保存に大きな役割を果たしました。1979年には《The Writings of Robert Smithson》を編集し、1999年にはEstateとともに《Spiral Jetty》をDia Art Foundationへ寄贈しました。
同時にHoltは自分自身の制作を続け、《Sun Tunnels》をはじめ重要なアースワークを制作します。現在のHolt/Smithson Foundationは二人の遺産を並列して扱い、Holtを「Smithsonの未亡人」だけに閉じ込めないことを明確にしています。
Entropyを保存するという矛盾
Smithsonのアースワークは変化を受け入れるよう設計されました。ではmuseumやfoundationは、崩れるまま放置するべきでしょうか。逆に1970年のshapeへ完全復元すれば、entropyを止めてartist conceptに反する可能性があります。
Diaは《Spiral Jetty》を大規模に「新品へ戻す」のではなく、2012年以降年次航空撮影で変化をdocumentし、Great Salt Lake Institute、Utah Museum of Fine Arts、Holt/Smithson Foundation等と管理・保全を行っています。来訪者には石を動かさず、environmentへtraceを残さないよう求めています。
《Amarillo Ramp》では侵食と植生を含む廃墟 condition、《Broken Circle/Spiral Hill》ではprivate-land managementと文化財指定が問題になります。保存とは形を止めることではなく、変化の許容範囲とaccessを継続的に判断する過程になっています。
2024年《Spiral Jetty》歴史的文化財登録
2024年、《Spiral Jetty》はUnited States National Register of Historic Placesへ登録されました。National Park ServiceはArtとLandscape Architectureの両分野でnational significanceを持つ1970年の風景として位置づけています。
これは興味深い逆転です。Smithsonはtraditional モニュメントやstable heritageに疑問を持ち、changing lakeへ作品を置きました。そのworkが半世紀後、「歴史的に重要な場所」として公的登録制度へ入ります。
しかし文化財指定が必ずしも固定化を意味するわけではありません。むしろGreat Salt Lakeの生態系危機、来訪者による負荷、産業開発からsite contextを守る制度的toolとしても機能します。Entropyと文化財保存の関係が新しい段階へ入っています。
2025年《Broken Circle/Spiral Hill》州指定モニュメントへ
2025年、NetherlandsのProvince of Drentheは《Broken Circle/Spiral Hill》を州指定モニュメントに指定しました。作品は私有地のactive/former 採石場 contextにあり、Holt/Smithson FoundationはLand Art Contemporaryと将来の持続的管理を進めています。
2026年には限定的なバス excursionsも組まれ、一般公開と現地保護のbalanceが試みられています。作品の価値が「1971年当時の形」だけでなく、採石場、glacial 巨石、植生、維持管理の歴史を含む風景全体へ拡張しています。
2026年の現在地
資料確認日2026年10月4日現在、Smithsonの再評価は複数方向で進んでいます。Josef Albers Museum Quadrat Bottropでは2025年9月から2026年4月まで《Robert Smithson in Europe》が開催され、Italy、Germany、Britain、Netherlandsでの作品をまとめ、《Asphalt Rundown》《Broken Circle/Spiral Hill》だけでなく鏡やsoil worksをEurope contextから再検討しました。
Marian Goodman Gallery Los Angelesでは2025年11月から2026年1月まで《Casting a Glance: Dancing with Smithson》が開催され、Leonor Antunes、Tacita Dean、Pierre Huyghe、Julie Mehretu、Ana Mendieta、Giuseppe Penone、Adrián Villar Rojasら18作家とSmithsonを並べ、地質学的時間、industrial capitalism、site、土-beingsという論点が現代作家へどう継続するかを示しました。
2026年2月18日から2027年2月20日までMoMAでは、Holt/Smithson関連の映像 displayとして《Spiral Jetty》(1970)、共同作《Swamp》(1971)、Nancy Holt《Sun Tunnels》(1978)がGallery 411で展示されています。《Spiral Jetty》《Swamp》は新しい修復スキャンで紹介され、Smithsonの遺産が風景だけでなくmoving 像 preservationの問題でもあることが示されています。
一方、Great Salt Lakeでは《Spiral Jetty》が2002年以来visibleで、Diaの現行案内ではlake edgeが作品からほぼ1mile離れています。1970年に作品を包んでいた水そのものが大きく後退し、気候、水管理、塩採取などを含むlake conditionがwork experienceを変えています。Smithsonの「風景 is always changing」という考えが、現在はhistorical theoryではなくsiteの直接的現実になっています。
なぜ現在の作家がSmithsonへ戻るのか
Smithsonが現在重要なのはLand Artのorigin 人物だからだけではありません。現代美術では気候 変化、resource extraction、廃墟 of インフラ、地図ping、衛星画像、アーカイブ、遠隔地、デジタル媒介が中心問題になっています。Smithsonはこれらの前提となる「場所は単一の場所ではなく、像、地図、materials、institutionsによって分裂して経験される」という問題を早くから扱いました。
また、風景を手つかずの自然として理想化しなかった点も現在的です。mine、採石場、高速道路、郊外、oil インフラのように、人間活動によって既に変形されたlandをartistic subjectとしました。人新世という語が一般化する以前に、人間を地質学的な力の一部として考えています。
一方、彼の大規模土movingを現在の生態学的 standardsから無批判に称賛することもできません。重機でlandを変えるLand Art自体が環境負荷を持ちます。Smithsonを読む価値は、彼を「環境芸術の正しい答え」にすることではなく、artとextraction、damage、restorationの矛盾を早い段階で露出させた点にあります。
ロバート・スミッソンは何を変えたのか
第一に、彫刻を一つの物体から「場所と別の場所の関係」へ拡張しました。Non-Siteでは展示室内の物体だけでも屋外の場所だけでも作品は完結せず、地図、photo、travel、distanceが作品になります。
第二に、美術館の外へ出ることを単純なinstitution rejectionにしませんでした。アースワークを作りながら展示室へ石、地図、photosを戻し、内部/外部が互いを必要とするdialecticを作りました。
第三に、風景の価値基準を変えました。雄大な山やpristine 自然ではなく、採石場、郊外、industrial wasteland、polluted lakeへ注意を向け、human alterationも風景 歴史として見ました。
第四に、entropyを彫刻へ導入しました。workの変化・崩壊を維持管理の失敗と見なさず、重力、侵食、風化、植生、水 levelを作品過程へ含めました。
第五に、写真と映画をLand Artのsecondary recordから引き上げました。遠隔地workをカメラで伝えるだけでなく、カメラによる切断と再構成そのものを作品へします。
第六に、artist 文章を制作の中心へ置きました。批評文、旅行記、フィクション、地質学を横断する文章が作品conceptを作り、visual artと言語の序列を崩しました。
第七に、地質学的時間を近代美術へ持ち込みました。美術史的年代より桁違いに長いtime 規模から、モニュメント、進歩、新しさを相対化します。
第八に、industrial damageと土地再生を芸術上の問題にしました。傷を隠して自然らしく戻すのではなく、damageの歴史をvisibleにしたまま新しいlandformへ変える可能性を考えました。
そして最も重要なのは、Smithsonが「作品とはどこにあるのか」という問いを解決しなかったことです。《Spiral Jetty》はGreat Salt Lakeにある。しかし同時に、映画館、写真集、essay、地図、museum アーカイブにもある。《A Nonsite》のstoneはChicagoのmuseumにあるが、指し示すFranklin 採石場はNew Jerseyにある。Mirror Displacementは撤去されて現地には何もないが、photographは残る。Smithsonはこの不一致を欠点とせず、作品の中心にしました。現代の私たちも遠隔地の風景を画面、satellite 地図、SNS、news 像を通して知ります。場所は物理的な一点でありながら、同時に無数のmediaによって作られています。SmithsonがLand Artを通して変えたのは「美術館の外へ作品を置くこと」だけではなく、現実の場所と、その場所について私たちが作る像・地図・languageの間に埋められない距離があることを、美術そのものにしたことなのです。
略年譜
- 1938
- 1月2日、New Jersey州Passaicに生まれる。Rutherford、Cliftonで育つ。
- 1954
- 高校在学中、Art Students League of New Yorkの奨学金を得て学ぶ。
- 1956
- United States Army Reservesに所属。
- 1957
- New York Cityへ移住。Alan Brilliantのアパートで最初の個展。
- 1959
- Artists’ Galleryで個展。宗教、文学、SF、prehistoric 像ryを含む絵画・コラージュを発表。
- 1961
- Galleria George Lester, Romeで個展。European 宗教的 art、廃墟、civilizationのoriginへの関心を深める。
- 1963
- Nancy Holtと結婚。
- 1964–65
- 工業素材、鏡、結晶的幾何学によるquasi-Minimal sculpturesへ転換。
- 1965
- 《Enantiomorphic Chambers》。鏡像対称とsplit viewpointを探究。
- 1965–66
- Dallas–Fort Worth Airport計画でアーティスト・コンサルタント。地図pingとterritoryへの関心がアースワークへ展開。
- 1966
- 「Entropy and the New Monuments」発表。近代的モニュメントと不可逆的時間を論じる。
- 1967
- 《The Monuments of Passaic》制作。Artforumに「A Tour of the Monuments of Passaic, New Jersey」を発表。
- 1968
- Non-Sitesを本格展開。《A Nonsite (Franklin, New Jersey)》。「A Provisional Theory of Nonsites」「A Sedimentation of the Mind: Earth Projects」。
- 1969
- Yucatánで《Mirror Displacements》。Rome《Asphalt Rundown》、Vancouver《Glue Pour》などFlow Works。Mexicoで《Hotel Palenque》資料を撮影。
- 1970
- Kent State University《Partially Buried Woodshed》。4月Great Salt Lakeで《Spiral Jetty》を建設。同年35mmではなく16mm 映画《Spiral Jetty》を制作。
- 1971
- Netherlands、Emmenの砂 採石場に《Broken Circle/Spiral Hill》。Nancy HoltとMaine沖のtidal islandを購入し、site projectを検討。
- 1972
- University of Utahで《Hotel Palenque》スライド講義。essay「The Spiral Jetty」を発表。land 土地再生案を進める。
- 1973
- 《Amarillo Ramp》着工。7月20日、siteを上空から撮影・調査中の小型飛行機事故でGale Ray Rogers、Richard I. Curtinとともに死去。35歳。Nancy Holt、Richard Serra、Tony Shafraziらが作品を完成。
- 1979
- Nancy Holt編《The Writings of Robert Smithson》刊行。
- 1999
- Nancy HoltとEstate of Robert Smithsonが《Spiral Jetty》をDia Art Foundationへ寄贈。
- 2002
- Great Salt Lake水位低下により《Spiral Jetty》が長期的に再びvisibleとなる。
- 2012
- Diaが《Spiral Jetty》のannual aerial 記録を開始し、Great Salt Lake Institute、Utah Museum of Fine Arts等との管理・保全を進める。
- 2024
- 《Spiral Jetty》がUnited States National Register of Historic Placesへ登録。
- 2025
- 《Broken Circle/Spiral Hill》がProvince of Drentheの州指定モニュメントに指定。9月Josef Albers Museum《Robert Smithson in Europe》開幕。11月Marian Goodman Los Angeles《Casting a Glance: Dancing with Smithson》。
- 2026
- 1月《Casting a Glance》終了。2月18日MoMAで修復スキャンを含む《Spiral Jetty》《Swamp》《Sun Tunnels》展示開始。4月《Robert Smithson in Europe》終了。10月4日現在《Spiral Jetty》《Broken Circle/Spiral Hill》《Amarillo Ramp》の保存・アクセス研究が継続。
参考資料・出典
本ページはHolt/Smithson Foundation、Dia Art Foundation、United States National Park Service、The Museum of Modern Art、Museum of Contemporary Art Chicago等の財団・美術館・公的機関資料を中心に参照し、ART LIBRARYが独自に構成・執筆しました。Smithsonを単に「Land Artの巨大アースワーク作家」とせず、1960年代前半の鏡/結晶line sculpture、Site / Non-Site、写真・映画・文章、Flow Works、産業跡地scape、土地再生まで一つの制作史として扱っています。Entropyは熱力学の厳密な科学概念と同一視せず、Smithsonが文化・彫刻・風景の不可逆的変化へ拡張した概念として記述しました。また現在の環境芸術の価値観を遡及的に当てはめず、彼がindustrial damageを認識しながら「自然へ完全復元する」発想にも懐疑的だった点を区別しています。《Spiral Jetty》については2024年National Register登録、Diaの現行管理・保全とGreat Salt Lake shorelineの後退、《Broken Circle/Spiral Hill》については2025年Drenthe州指定モニュメント、2026年の限定公開、《Amarillo Ramp》については私有地で一般visit不可という資料確認日2026年10月4日時点の状況を反映しています。
- Holt/Smithson Foundation — Robert Smithson Biography
- Holt/Smithson Foundation — Enantiomorphic Chambers
- Holt/Smithson Foundation — The Monuments of Passaic
- Robert Smithson — A Tour of the Monuments of Passaic, New Jersey
- Holt/Smithson Foundation — A Nonsite (Franklin, New Jersey)
- Robert Smithson — A Provisional Theory of Nonsites
- Holt/Smithson Foundation — Yucatán Mirror Displacements
- Holt/Smithson Foundation — Asphalt Rundown
- Holt/Smithson Foundation — Glue Pour
- Holt/Smithson Foundation — Partially Buried Woodshed
- Holt/Smithson Foundation — Spiral Jetty
- Holt/Smithson Foundation — Spiral Jetty [film]
- Dia Art Foundation — Robert Smithson, Spiral Jetty
- Dia Art Foundation — Spiral Jetty added to the National Register
- National Park Service — Spiral Jetty National Register listing
- Holt/Smithson Foundation — Broken Circle/Spiral Hill
- Holt/Smithson Foundation — Amarillo Ramp
- Holt/Smithson Foundation / Archives of American Art — Oral History Interview, 1972
- Holt/Smithson Foundation — Robert Smithson in Europe, 2025–26
- Holt/Smithson Foundation — Casting a Glance: Dancing with Smithson, 2025–26
- Holt/Smithson Foundation — Robert Smithson Exhibitions / MoMA films 2026
資料確認日:2026年10月4日 / ART LIBRARY