“He is like a scavenger for all of us.” | 5 Artists on Richard Prince | Louisiana Channel
リチャード・プリンス(Richard Prince、1949–)は、1970年代後半以降の現代美術において、「すでに存在するイメージを使って新しい作品を作る」とは何を意味するのかをもっとも徹底的に問い続けてきた美術家の一人です。広告写真を再撮影した《Cowboys》、雑誌の短いジョークをカンヴァスへ移した《Joke Paintings》、バイカー雑誌の投稿写真を使う《Girlfriends》、自動車のボンネットを壁へ掛ける《Hoods》、1950年代の看護師恋愛小説の表紙を絵画へ変えた《Nurse Paintings》、他者の写真をコラージュした《Canal Zone》、Instagram投稿を巨大な画面へ変換した《New Portraits》まで、素材は一貫して「誰かがすでに作り、すでに社会の中を流通しているもの」です。
プリンスの作品を理解するとき、最初に避けたいのは「他人の画像をそのまま盗んで有名になった作家」という一文だけで終わらせることです。著作権をめぐる批判と訴訟は彼の作品史から切り離せませんが、制作の核心は法的問題だけではありません。彼が1970年代末に発見したのは、広告写真を雑誌から切り離し、商品名やコピーを消して再撮影すると、画像そのものが奇妙な力を持ち始めるということでした。家具、時計、ペン、宝飾品、ファッション・モデル、カウボーイ。広告の中では商品を売るための道具だった写真が、美術館の壁へ移ると「このイメージは誰のものなのか」「なぜ私たちはこれを魅力的だと思うのか」という別の問いを発生させます。
ここで重要なのは、プリンスが広告を単純に批判しているわけではないことです。GuggenheimやWalker Art Centerが強調するように、彼の作品には大衆文化への批判と魅了が同時に存在します。Marlboroのカウボーイは企業が作った男性性の神話である一方、その神話そのものが強烈に美しい。バイカー文化の女性像は性差別的な視線を含みながら、同時にアウトロー的な自由のイメージを持つ。ジョークは人種差別や性差別、恐怖、欲望を含みながら、それでも人々に笑われ、共有されてきました。プリンスはこれらを「正しい/間違っている」と整理するより、アメリカ文化が欲望するものの不快さと魅力を同時に露出させます。
そのため、プリンスの制作は「コピー」より「流通」の問題として見ると分かりやすくなります。同じ画像でも、雑誌広告、切り抜き、再撮影、ギャラリーの壁、美術館、画集、Instagramという場所を移動すると意味が変わります。彼は画像をゼロから作るより、既存イメージの出所、文脈、大きさ、支持体、隣接関係を変えます。つまり新しいイメージを発明する代わりに、イメージが社会の中でどのように価値を獲得し、誰のものとみなされ、どんな欲望を作るかを操作します。
そして、プリンスの仕事は写真だけではありません。1980年代後半からはジョークを絵画へ移し、自動車文化から《Hoods》を作り、2000年代にはパルプ小説を《Nurse Paintings》へ変え、Willem de Kooningの図版へ別の身体を重ね、2010年代にはSNSを作品化し、2020年代には再び手描きの絵画、コラージュ、彫刻へ比重を広げています。2025年の《Folk Songs》では、2018–23年の絵画、素描、コラージュと2007–25年の彫刻を組み合わせ、デジタル流通だけではない「手で作る」側面を前面へ出しました。アプロプリエーションを一つの技法に固定せず、収集、再撮影、絵画、彫刻、出版、展示、SNSを横断する活動として考える必要があります。
CONTENTS
- 生涯と制作の変遷
- パナマ運河地帯からマサチューセッツへ
- TIME/LIFEの切り抜き部門――広告を「見る」仕事
- 再撮影――作者ではなく画像の流通を問題にする
- ピクチャーズ・ジェネレーションの中で
- 《Gangs》《Entertainers》――一枚の写真から類型へ
- 《Cowboys》――アメリカ男性性の神話
- 《Spiritual America》――アプロプリエーションの倫理的限界
- 《Joke Paintings》――写真から文字へ
- リチャード・プリンスの作品をどう見るか
- 主要作品
- 《Girlfriends》――バイカー文化の欲望と模倣
- 《Hoods》――「すでに塗られたもの」を描く
- Upstate――流通画像から自分の周囲へ
- 収集――本、雑誌、手紙、原画も作品の一部になる
- 《Nurse Paintings》――パルプ小説を巨大な絵画へ
- 《Canal Zone》――コラージュと著作権訴訟
- Cariou v. Prince――フェアユースをめぐる転換点
- 《de Kooning》――敬意と破壊を同時に行う
- 《New Portraits》――Instagramを画面へ移す
- 《New Portraits》後の訴訟――「アプロプリエーションなら自由」ではない
- SNS時代――スクリーンショットもまた雑誌の切り抜きになる
- 本と出版――作品を作ることと収集すること
- 2020年代――初期写真の再検討と《Folk Songs》
- 批判なのか共犯なのか――立場を明示しない方法
- 作者性――「オリジナル」はどこにあるのか
- リチャード・プリンスは何を変えたのか
- 略年譜
- 参考資料・出典
生涯と制作の変遷
1949年、パナマ運河地帯に生まれる
リチャード・プリンスは1949年8月6日、当時アメリカが管理していたPanama Canal Zoneに生まれました。Guggenheimの教育資料とGagosianの公式略歴はいずれも1949年生まれとし、1954年に家族がMassachusetts州Braintreeへ移ったことを記録しています。プリンス自身は後に、父母が政府関係の仕事をしていたと語っています。
彼はPanamaでの記憶がほとんどないと述べており、作品を出生地から直接説明することはできません。一方、2007–08年の大回顧展《Spiritual America》や2008年の《Canal Zone》など、後年になって「アメリカとは何か」「自分がどこから来たのか」を含む題名へ出生地を何度も戻しています。彼の作品に頻出する郊外、テレビ、広告、車、カウボーイ、パルプ小説といった「アメリカらしさ」は、国家的アイデンティティを肯定するためではなく、それがどのようなイメージで作られているかを調べる材料になります。
1954年、ボストン郊外へ
家族は1954年にBraintreeへ移りました。Princeは後に、同じような家が並ぶ新興住宅地、テレビ番組、雑誌、映画に囲まれて育ったことを書いています。これは戦後アメリカの郊外化と大量消費社会が急速に進んだ時期です。
のちに広告写真や大量印刷物を使う作家となったことを、この幼少期から直線的に説明する必要はありません。しかし、美術館やアカデミーの「高級文化」より先に、テレビ、雑誌、映画、商品のイメージが視覚文化の中心にあった世代であることは重要です。
1973年、ニューヨークへ
1973年にNew Yorkへ移り、downtownの音楽・美術環境へ入ります。Guggenheimによれば、この時期にTIME/LIFEの切り抜き部門で働き始めました。記事用のページから文章を切り離し、広告ページを扱う仕事のなかで、雑誌が大量の画像を一定の規則で反復していることに気づきます。
時計、ペン、家具、宝石、ファッション・モデル。広告ごとに商品は違っても、女性の姿勢、男性性の演出、室内の構図、光の当て方には似たパターンがあります。Princeにとって広告は「何を売っているか」だけでなく、欲望そのものをどのような視覚形式で作っているかを見るアーカイブになりました。
1977年、再撮影を始める
1977年頃から、雑誌広告をcameraで再撮影する方法を本格化させます。文章やbrand nameをcropし、写真部分だけをもう一度写真にする。この操作は技術的には非常に単純ですが、写真史の前提を大きく変えました。
写真家は通常、現実世界の出来事を見つけ、cameraを向け、「決定的瞬間」を捉える存在だと考えられます。Princeはすでに印刷された写真へcameraを向けました。2024年の《Early Photography, 1977–87》で紹介された本人の説明では、既存画像をcameraの前に置けば「何が写るかは分かっている」ため、写真家の決定的瞬間を取り除けるとしています。撮影の独創性より、選択と文脈変更が作品になります。
1977年、リビングルームの再撮影
Walker Art Centerは、1977年にNew York Timesから取ったliving-room photographsを4点のシリーズとして再撮影したことを、Princeの転換点として紹介しています。インテリア広告は本来、家具や理想的な生活を売るためのものです。しかし商品説明を消して写真だけにすると、空の部屋が奇妙な舞台のように見えてきます。
「誰がこの部屋を所有しているのか」「誰のための理想なのか」といった問いが生まれる一方、元広告の具体的な文脈は失われます。Princeは意味を説明するのではなく、文脈を引き算することでimage自体の欲望を前面へ出しました。
1979年、《Untitled (Pens)》
《Untitled (Pens)》では広告に掲載された筆記具を再撮影し、4枚を一組にしました。2024年Gagosianの《Early Photography, 1977–87》では、各50.8×61センチのchromogenic printとして展示されています。
高級penの広告は、単なる筆記具ではなく、所有者のclass、taste、professional identityまで暗示します。brand copyを消してpen imageだけを残すと、それが商品写真なのか抽象的なobject studyなのか分からなくなります。Princeは広告のmessageを消したのではなく、imageがもともと持っていた社会的な含意だけを裸にしました。
1980年代初頭、《Cowboys》
1980年代初頭からMarlboro cigarette advertisementsのcowboy imagesを再撮影し、《Cowboys》として発表します。Guggenheimは、advertisementのtextとcigarette packageを取り除き、画像をcropping、enlarging、framingしてfine artとして提示したことを説明しています。
Marlboro Manは、西部劇、frontier mythology、self-reliance、rugged masculinityを結びつけた強力な企業imageでした。Princeはそのimageを自分で演出したわけではありません。しかしbrandを消したことで、広告よりも「アメリカの理想的男性像」そのものが前景化します。Metropolitan Museum所蔵の1989年《Untitled (cowboy)》は、元広告の複製をさらに複製した写真であり、「本物のcowboy」より「cowboyというimage」の方が強い文化的現実を持つことを示します。
1982–83年、《Entertainers》
MoMA所蔵《Entertainers》では、女優志望、model、singerなどのpublicity photographs 12点を一枚のphotographic sheetへ集め、色やgraphic elementsを加え、焦点やcontrastを変えました。MoMAは、一人一人が「個性的な人物」として売り込むための写真だったにもかかわらず、並べると互いによく似て見え、個別性が平らになると説明しています。
Princeはこのような複数画像をまとめた構成を「gang」と呼びました。single imageを「誰が写っているか」という人物中心の読みから離し、反復されるposeやtypeの方を見せます。広告社会がindividualityを売りながら、実際には同じimage formulaを大量に繰り返しているという逆説が現れます。
1983年、《Spiritual America》
1983年、Princeは既存の非常に論争的な写真を再撮影した《Spiritual America》を発表しました。被写体が撮影当時10歳だったBrooke Shieldsであるため、作品は制作時から現在まで強い倫理的批判と展示上の制限を伴ってきました。2007–08年のGuggenheim回顧展もこの作品名を展覧会タイトルに用いましたが、作品の扱いそのものが「アプロプリエーションは何をしても許されるのか」という問題を浮上させます。
ここで重要なのは、Princeの方法を自動的に批評的・正当化的とみなさないことです。既存画像を別文脈へ移す行為は、元画像の権力関係や倫理的問題を消しません。むしろ場合によっては、それを再流通させることになります。Princeの仕事を歴史化するには、作品が何を批判しているかだけでなく、再提示そのものがどんな問題を再生産するかも含めて考える必要があります。
1985–87年、広告・ファッション・サブカルチャーを横断する
1980年代半ば、Princeはfashion、celebrity publicity、motorcycle cultureなど複数のimage sourceを並行して使用します。Gagosianの2023–24年《Early Photography, 1977–87》は、この時期のcowboy、girlfriend、advertisement、Entertainersをまとめて再検討しました。
重要なのは、high/low cultureという区分ではなく、imageが欲望を作る形式が共通していることです。高級時計の広告も、biker magazineのamateur snapshotも、「こんな人になりたい」「こんなものを所有したい」というfantasyを作ります。Princeはそのfantasyの違いより、同じ社会に共存することへ関心を持ちました。
1986年以降、《Jokes》
1986年頃から、雑誌やstand-up comedy、burlesque traditionなどから拾ったone-line jokeを作品へ移し始めます。1987年のWhitney所蔵《Untitled (Joke: Never had a penny…)》では、白いカンヴァス上に短い文章だけが置かれます。
ここでPrinceは写真を使っていません。しかし方法は再撮影と同じです。すでに社会を流通している言葉を選び、元の話者や印刷物から切り離し、美術館の壁へ移す。誰が最初にこのjokeを作ったか分からないこと自体も、advertising imageの匿名性と似ています。
1987–89年、《Hoods》へ
1987年にLos Angelesへ長期滞在した際、American muscle car cultureへ関心を向けます。自動車雑誌の広告からhoodを注文し、最初はbody shopへ塗装を依頼しました。後にはfiberglass reproductionへ自らBondoを塗り、削り、塗装するようになります。
Guggenheim所蔵《Cereal 1》は2002年の作品ですが、《Hoods》の考えをよく示します。車の部品というreadymadeに近いobjectと、絵画的なsurfaceが一つになっています。Prince自身は「すでに塗られているものを描きたかった」と述べています。既存imageを再撮影するのと同様、「すでに作られた表面」をもう一度作り直します。
1989年、《The Leopard Joke》
《The Leopard Joke》では、ジョークの文字を巨大な二枚組のカンヴァスへscreen printします。Whitneyの記録では全体295.3×244.2センチ。小さな雑誌の隅にある言葉が、Abstract Expressionist paintingに匹敵するscaleへ拡大します。
ここで「笑えるかどうか」だけが作品ではありません。jokeが絵画のformat、scale、market valueを獲得することで、日常の低俗なlanguageと美術館のauthorityが衝突します。文字を読む時間と、絵として見る時間も重なります。
1990年代、《Girlfriends》
Walker Art Centerによれば、《Girlfriends》は1990年に始まり、Easyridersなどのbiker magazinesの後方ページに掲載されたamateur photographsを再撮影しました。女性がboyfriendのmotorcycleの上や横でposeを取る写真で、commercial centerfoldを模倣しながら技術的には粗いものが多くあります。
Princeはそれらを「失敗したcenterfold」のようなimagesとして美術館へ移します。ここでも彼の立場は明快ではありません。sexist stereotypeを批判しているようにも、outlaw fantasyを愛好しているようにも見える。意図を一方向へ固定しないことが作品の魅力であると同時に、倫理的な批判を受ける理由でもあります。
1992年、Whitney Museum個展
1992年、Whitney Museum of American Artで大規模個展が開催されます。この時点でPrinceは、再撮影を用いるPictures Generationの一員から、写真、絵画、文字、objectを横断するアメリカ現代美術の重要作家として確立しました。
1985年、1987年のWhitney Biennial参加を経て、作品は「写真の新しい方法」だけでなく、Pop Art以後のAmerican vernacular、masculinity、humor、consumptionを扱うものとして広く読まれるようになります。
1996年、Upstate New Yorkへ
1996年、長年暮らしたManhattanを離れ、upstate New Yorkへ拠点を移しました。Walkerは、この環境変化によって《Untitled (upstate)》のような、自分の周囲を直接撮影する作品が生まれたと説明しています。
庭のbasketball hoop、above-ground swimming pool、rusting vehicle、garage、roadside landscapeなど、これまで広告や雑誌からborrowしていたAmerican vernacularを、今度は自分自身がcameraで撮影します。これはappropriationを放棄したのではなく、「雑誌の中で見ていたAmerica」が現実の周囲にも存在することを確認するような転換でした。
2000年代初頭、《Nurse Paintings》
2002年頃から1950年代のmedical romance paperbackのcoverを集め、《Nurse Paintings》を制作します。cover imageをscan/inkjetでcanvasへ移し、周囲をacrylicで塗りつぶしながらtitleとnurse figureを残します。
Whitney所蔵《Man Crazy Nurse #3》(2003)では、白いuniformとmaskをつけたnurseが赤い背景の前に立ちます。Whitneyは、stereotypeをdeconstructしているのか、pulp fantasyを楽しんでいるのかが決定できないと説明しています。この両義性こそPrinceらしい部分です。
2007–08年、Guggenheim回顧展《Spiritual America》
2007年、Solomon R. Guggenheim Museumで大規模回顧展《Richard Prince: Spiritual America》が開催され、2008年にWalker Art Center、Serpentine Galleryへ巡回しました。初期rephotography、Cowboys、Jokes、Girlfriends、Hoods、Upstate、Nursesなど、約30年の制作が一つの「American image」の歴史として整理されました。
GuggenheimはPrinceをPictures Generationの代表的なappropriation artistとして位置づけつつ、単にmedia critiqueをするだけでなく、American sensibilityを「embrace and critique」する作家としています。愛着と批判が同時にあるという点は、その後の作品を見る上でも中心的です。
2007–08年、《Canal Zone》
《Canal Zone》では、写真家Patrick CariouがJamaicaで撮影し写真集《Yes Rasta》に収録した写真を使用し、顔へguitarやmaskのような形を重ね、paint、inkjet、collageによって大画面へ変換しました。2008年Gagosianで展示されます。
このシリーズは美術史だけでなく著作権法史でも重要になりました。CariouはPrince、Gagosian Gallery、Larry Gagosianを提訴し、2013年にSecond Circuit Court of Appealsが30作品中25作品をfair useと判断、残る5作品を差し戻しました。アプロプリエーション・アートとfair useの関係をめぐる最重要判例の一つとなります。
2008–11年、《de Kooning》
PrinceはWillem de Kooningの《Women》seriesのcatalogue reproductionへdrawingを加えることから始め、男性・女性双方の身体断片、porn magazineのimagesなどをcollageし、大型canvasへinkjet転写して上からpaintしました。
2011年Gagosian Parisの《de Kooning》展では、paintingとphotography、modernist high artとmass culture、maleとfemaleを混ぜるhybridとして紹介されています。Prince本人はde Kooningへの敬意を表明していますが、手法は同時にcanonical imageを侵食し、別の身体へ変えるものでもあります。homageとdesecrationを分けない姿勢が表れます。
2014年、《New Portraits》
2014年、Gagosian New Yorkで《New Portraits》を発表します。Instagram画面のscreenshotを基に、user name、caption、likes、commentsとともに巨大なinkjet-on-canvasへ出力し、Prince自身のcommentを加える作品群でした。2014年展では37点が展示されたことが後の裁判記録でも確認されています。
1977年に雑誌広告を再撮影した方法を、social mediaへ移したとも言えます。Instagramでは広告会社ではなく一般userも自分自身のimageを作り、filter、caption、followersによってidentityを流通させます。Princeにとってscreenは新しいtear sheetになりました。
2015–24年、《New Portraits》をめぐる訴訟
一方、《New Portraits》をめぐって複数のphotographersからcopyright infringement訴訟が起きます。Donald Grahamの《Rastafarian Smoking a Joint》を含む作品と、Eric McNattのKim Gordon photographを使った作品が特に重要です。
2023年5月、Southern District of New YorkはPrince側のsummary judgment申立てを退け、fair useを裁判前に確定することを認めませんでした。2024年1月にはMcNatt事件で、当事者間の合意を反映したfinal judgmentとしてplaintiff側にjudgmentが入り、該当作品等の利用差止めと、作品販売価格の5倍相当額などのdamagesが定められました。Graham事件でも2024年に同様のfinal judgmentが入りました。これは2013年Cariou判決を「Princeなら既存写真を自由に使える」という一般原則として理解できないことを示します。
2017年、《Third Place》と《Family Tweets》
Desert X 2017では、CaliforniaのDesert Hot Springsにあるabandoned houseを使い、家族に関するBirdtalk blogやTwitter投稿を印刷して内外へ設置しました。Gagosianによれば、作家が現場を離れた三日後には多くの作品が来場者によって持ち去られました。
この出来事は2021年のbook《Family Tweets》にまとめられます。作品の所有、展示、持ち去り、再収集という問題が、appropriationと逆方向に動きます。Princeが他者の画像を取り込むだけでなく、自分の作品もまた流通の中で失われ、別の所有へ移ることが作品史になります。
2022年、《Hoods》再検討
Gagosian New Yorkは2022年、《Hoods》だけに焦点を当てた初の展覧会を開催し、1988–2013年の30点以上を展示しました。初期はbody shopへ塗装を依頼していたのに対し、後期にはPrince自身がBondo、sanding、paintingを行う変化も整理されました。
ここではappropriation artist=手を動かさない作家という先入観が崩れます。既成のcar hoodを使うことと、surfaceを手で作り込むことは矛盾しません。Princeにとって「すでにあるもの」と「自分が加えるもの」の境界は、写真だけでなくpainting/sculptureにも存在します。
2023–24年、初期写真の再評価
2023年London、2024年New Yorkの《Early Photography, 1977–87》では、Cowboys、Girlfriends、advertisement photographs、《Entertainers》、TIME/LIFE時代のsource materialと文章をまとめて展示しました。現在では誰でもscreen captureとrepostを行うため、「既存imageを再撮影する」行為のradicalityは見えにくくなっています。
しかし1977年には、写真家が他人のcommercial photographへcameraを向け、その複製を自分の作品として署名する行為は、写真におけるauthorshipとoriginalityの前提を強く揺さぶりました。2020年代のSNS文化から振り返ることで、Princeの初期作品が現代的なimage circulationを早くから扱っていたことが再確認されています。
2025年、《Bob Dylan》《Folk Songs》
2025年2–3月、Gagosian Beverly Hillsで《Bob Dylan》が開催され、Jerry Schatzberg撮影による《Blonde on Blonde》coverのDylan像を基にした2014年の三連作が展示されました。既知のcelebrity imageを拡大、ぼかし、再提示する方法は初期rephotographyと連続しています。
同年11–12月のNew York展《Folk Songs》では、2018–23年のpainting、drawing、collageと2007–25年のsculptureを組み合わせました。Gagosianは「never-before-seen recent work」として紹介し、digital effectsよりhandmadeなsurfaceを前面へ出しています。70代半ばを過ぎても、Princeはappropriationをscreen captureだけに限定せず、drawing、painting、collage、objectへ広げています。
パナマ運河地帯からマサチューセッツへ
Princeの出生地はPanama Canal Zoneですが、幼少期の大部分はMassachusettsで過ごしました。そのため「Panamanian artist」と分類するより、American artistとして扱われています。Gagosian、Guggenheim、WhitneyはいずれもAmerican/born Canal Zoneとして紹介しています。
興味深いのは、彼が後年この地理的な出生を《Canal Zone》という題名へ戻したことです。ただし2008年seriesのimages自体はPanamaのdocumentary photographsではなく、Jamaicaで撮影されたCariouの写真などから作られています。題名とsourceの地理が一致しないこと自体が、Princeの「本物らしいが本物ではない」image worldを示しています。
TIME/LIFEの切り抜き部門――広告を「見る」仕事
TIME/LIFEでの仕事は、Princeの制作を理解するうえで決定的です。Guggenheimの資料によれば、彼は記事用に切り抜かれた後の広告ページを扱う環境で、watches、fountain pens、interior decor、logos、fashion modelsなどの定型化されたimageへ注目しました。
通常の読者はmagazineをstoryの順に読みます。しかしtear-sheet departmentではimageがarticleから分離され、分類・処理されます。Princeはこの「内容から切り離して見る」視線を作品へ持ち込みました。
広告の文字をcropしてimageだけを残す行為は、commercial messageを完全に消すわけではありません。むしろ商品名がなくても「高級」「自由」「sexy」「successful」と感じるなら、advertising imageがどれほど強く文化的codeを作っているかが分かります。
再撮影――作者ではなく画像の流通を問題にする
Princeの「rephotography」は、完成したphotographをcameraでもう一度撮影する方法です。技術的にはcopyに近いのですが、元imageのcaption、layout、product contextを切り落とし、scale、color、focusを変え、美術作品としてframingすることで、そのimageが置かれる制度を変えます。
これはphotomontageのように複数imageを大胆に組み替える方法とは異なります。初期作品の変化は非常に少ないため、「これで本当にnew workと言えるのか」という疑問がそのまま作品内容になります。
Princeの重要性は、その疑問を回避しなかった点にあります。作者がどれだけ手を加えたかではなく、「選び、切り離し、もう一度見せる」ことをartistic actとして前景化しました。この態度が後のappropriation artとcopyright controversyの両方を生みます。
ピクチャーズ・ジェネレーションの中で
PrinceはCindy Sherman、Sherrie Levine、Louise Lawler、Barbara Kruger、Robert LongoらとともにPictures Generationの文脈で語られます。彼らは同じstyleを持つgroupではありません。共通するのは、television、advertising、film、magazineによって「すでにimagesで満たされた世界」を前提に制作したことです。
Levineが既存作品のreproductionを再撮影し、Krugerがadvertising-like text/imageを使い、Shermanが存在しないfilm imageを演じたのに対し、Princeはcommercial photographそのものを再撮影しました。Pictures Generationの内部でも、originalityへの距離の取り方はそれぞれ異なります。
Princeの場合、とくに「desire」が重要です。広告を批判するだけなら、商品を告発するtextを加えることもできます。しかし彼は多くの場合、元imageの魅力を残したまま使います。viewerが惹かれてしまうこと自体を問題にします。
《Gangs》《Entertainers》――一枚の写真から類型へ
1980年代、Princeは関連imageをgrid状にまとめ、「gang」と呼びました。複数のmodel、celebrity、entertainer、objectを並べると、個別性より共通するposeやformatが目立ちます。
MoMA《Entertainers》では、aspiring actresses、models、singersのpublicity photographsが一枚へまとめられています。本来は「私は他の人と違う」と売り込むためのportraitなのに、並べるほど同じformulaが見えてしまいます。
この方法はWarholのserialityとも関係しますが、Princeはmass-productionを自分で作るのではなく、すでに社会が量産している類似imageを集めます。artist studioよりmedia industryの方が先に「series」を作っているという認識があります。
《Cowboys》――アメリカ男性性の神話
Marlboro Manは、real cowboyのdocumentary imageではなく、cigarette companyが作ったfictional archetypeです。広大なlandscape、馬、denim、hat、孤独な男性という組み合わせが、「自由」「independence」「virility」を商品へ結びつけます。
Princeはbrand textを削除することで、cigarette advertisementをart photographへ変えます。Metは1989年作品を、mythのcopyである広告をさらにcopyしたものとして説明し、American societyがactual experienceよりimageへ惹きつけられる状況を指摘しています。
しかし作品がadvertisingを完全に批判しているとは言い切れません。大判printになったcowboyは元広告以上に美しく、heroicに見えます。批判とfetishizationが同時に起きることがPrinceの特徴です。
《Spiritual America》――アプロプリエーションの倫理的限界
《Spiritual America》はPrinceのcareerで最も論争的な作品の一つです。既存写真をrephotographする方法が、originalityだけでなく倫理、consent、sexualization、institutional displayの問題へ直接触れました。
この作品を「appropriationだから批評」と自動的に正当化することはできません。元imageの問題を再提示する行為には、それを批判的に再文脈化する可能性と、再び流通させる危険性の両方があります。後世のmuseum displayでもこの問題は繰り返し議論されました。
Princeの作品史を研究する上では、こうした不快な領域を作品の「挑発性」だけで賞賛するのではなく、誰のimageが誰によって利用され、誰が利益やattentionを得るのかというpower relationを見る必要があります。
《Joke Paintings》――写真から文字へ
Joke Paintingsでは、appropriationの対象がimageからlanguageへ移ります。短いjokeはoral cultureやmagazine、stand-up comedyを通して何度も繰り返され、originatorが分からないことも多いものです。
Princeはそのanonymityに惹かれました。広告写真と同じように、誰かが作ったはずなのに「公共のもの」のように流通している。これをcanvasへ移すと、jokeは笑いを取る機能だけでなく、American vernacularのarchiveになります。
内容にはracism、sexism、family dysfunction、fear、psychosisなど不快なものも含まれます。Princeがそれを批判しているのか再演しているのかは明示されません。Gagosianの現在の紹介も、彼がmainstream humorの内部にあるracism、sexism、psychosisを掘り下げてきたと説明しています。
リチャード・プリンスの作品をどう見るか
まず「元画像は何か」を確認します。advertisement、magazine snapshot、joke、novel cover、Instagram postなど、sourceの種類によって作品の意味が変わります。ただしsource huntingだけで終わらないことが重要です。元画像を見つけることは作品理解の入口であって結論ではありません。
次に、Princeが何を変え、何を変えなかったかを見ます。crop、scale、color、caption removal、framing、painting、collage、comment addition。変更が少ない作品ほど、「この程度の変更で作者は変わるのか」という問いが強くなります。
三つ目に、元imageが置かれていた場所と現在の場所を比較します。cigarette adがmuseumへ、biker magazineがgalleryへ、Instagram screenがcanvasへ移ると、同じimageのsocial valueとeconomic valueが大きく変化します。Princeの作品では文脈の移動そのものがmaterialです。
四つ目に、artistの立場を急いで決めない方がよいでしょう。cowboyをmockしているのか憧れているのか、nurse stereotypeを批判しているのか楽しんでいるのか、作品はしばしば両方を許します。このambiguityは知的な複雑さである一方、責任回避として批判されることもあります。その両方を考える必要があります。
最後に、copyrightとethicsを「作品外の話」として切り離さないことです。Princeの方法はauthors、photographers、models、platforms、galleries、collectorsの権利関係を現実に動かしました。訴訟は作品理解の周辺ではなく、appropriationが社会制度の中で何を引き起こすかを示す一部です。
主要作品
1970年代の広告再撮影から《Entertainers》《Cowboys》《Joke Paintings》、バイカー文化、車のボンネット、Nurse Paintings、de Kooning、InstagramのNew Portraits、2020年代の《Folk Songs》まで、リチャード・プリンスが「すでにあるもの」を写真・絵画・彫刻・SNSへ横断的に変換してきた流れが見える12点を選びました。
無題(ペン)
Untitled (Pens) / 1979 / クロモジェニック・プリント、4点組 / 各 50.8 × 61 cm
Gagosian《Early Photography, 1977–87》展示作品
初期再撮影を代表する作品。高級筆記具の広告写真を再撮影し、商品名やコピーから切り離して4枚を一組にしました。広告では所有者の地位や洗練を示すための写真だったものが、美術作品として提示されると、商品の機能より「欲望を作るイメージの型」が前面に出ます。2024年Gagosian《Early Photography, 1977–87》で各20×24インチの4点組として再展示されました。
エンターテイナーズ
Entertainers / 1982–1983 / クロモジェニック・プリント / 156.2 × 118.1 cm
The Museum of Modern Art, New York
女優志望、モデル、歌手などのpublicity photographs 12点を一枚の写真へまとめ、色やgraphic elementsを加えた作品。MoMAは、それぞれが個性的な人物を売り込むための写真だったにもかかわらず、並べることで似た形式が目立ち、個別性が平らになると説明しています。Princeが関連画像をgrid状にまとめる「gang」形式を代表する作品です。
無題(ジョーク:一文無しだったので…)
Untitled (Joke: Never had a penny...) / 1987 / アクリル・カンヴァス(裏面にアクリル、黒鉛) / 61.3 × 45.7 cm
Whitney Museum of American Art, New York
白いカンヴァスの中央に短いジョークだけを置いた初期Joke Painting。既存のone-linerを作者不明のvernacularとして拾い上げ、美術作品へ移しています。写真の再撮影と同じく、Prince自身が内容を一から書くのではなく、すでに社会を流通しているものを選択し、文脈と支持体を変えることで新しい価値を発生させています。
無題(カウボーイ)
Untitled (cowboy) / 1989 / クロモジェニック・プリント / 127 × 177.8 cm
The Metropolitan Museum of Art, New York
Marlboro広告のカウボーイ写真を再撮影した《Cowboys》の代表作。広告文やcigarette packageを取り除き、大判写真として提示しました。Metは、cowboyというmythの複製である広告をさらに複製した作品として、American societyが実体験よりimageへ惹かれる構造を指摘しています。Princeのappropriation practiceを象徴する一枚です。
レオパード・ジョーク
The Leopard Joke / 1989 / アクリル、シルクスクリーン・カンヴァス、2点組 / 全体 295.3 × 244.2 × 4.4 cm
Whitney Museum of American Art, New York
雑誌やstand-up comedyを通じて流通する短いジョークを、巨大な二枚組の絵画へ拡大した代表作。日常の低俗な言葉と、Abstract Expressionismを思わせるlarge-scale paintingの権威が衝突します。読むことと見ることを同時に要求し、言葉もまた広告写真と同じように「作者が曖昧な既存素材」としてappropriationできることを示しました。
無題(ガールフレンド)
Untitled (Girlfriend) / 2008 / エクタカラー写真 / 126 × 201.9 cm
Gagosian展示作品
《Girlfriends》の後期作品。biker culture由来の女性像を再撮影し、大判のカラー写真へ変えています。Walker Art Centerは同seriesがEasyridersなどのamateur snapshotsをsourceにし、commercial centerfoldを模倣しながら不完全なimageであることを指摘しています。outlaw fantasy、sexism、desire、classの境界が曖昧なPrinceらしいseriesです。
シリアル 1
Cereal 1 / 2002 / グラスファイバー、ポリエステル樹脂、アクリル、木 / 154.3 × 131.1 × 10.8 cm
Solomon R. Guggenheim Museum, New York
自動車のhoodを絵画と彫刻の中間へ変換した《Hoods》の代表作。Guggenheimによれば、Princeは1987年頃からmuscle-car hoodを入手し、body shopに塗装を依頼し、後には自らsurfaceを加工しました。「すでに塗られているものを描きたい」という発想により、readymade、car customization、abstract paintingが同じobjectへ重なります。
男狂いの看護師 #3
Man Crazy Nurse #3 / 2003 / インクジェット、アクリル・カンヴァス / 175.6 × 124.8 × 4 cm
Whitney Museum of American Art, New York
1950年代medical romance paperbackのcoverを基にするNurse Paintingsの代表作。原表紙をcanvasへ転写し、背景やdetailsをpaintで消しながらtitleとmasked nurse figureを残しました。Whitneyは、このnurseがbenevolentにもsinisterにもsexualizedにも見え、Princeがstereotypeを批判しているのかpulp fantasyを楽しんでいるのか決定できない点を強調しています。
《Girlfriends》――バイカー文化の欲望と模倣
《Girlfriends》は1990年頃から始まり、biker magazinesの投稿欄や後方ページに掲載されたamateur snapshotsをsourceとします。そこでは女性がmotorcycleの上や横でposeを取り、commercial centerfoldのglamourをimitateしています。
Walker Art Centerは、これらがcenterfoldを真似しながら技術的には粗く、その「失敗」が重要だと説明しています。commercial photographyのperfect lightingやstudio controlがないため、desireのimageを作ろうとする努力そのものが見えてしまいます。
Princeはそれをlarge photographへ変え、美術市場へ移します。anonymous amateur imageが高価なartworkになることで、originalityだけでなくclass、taste、cultural hierarchyの問題も生じます。high artはlow cultureを批判しているのか、それとも価値を吸い上げているのか。作品は明確な答えを出しません。
《Hoods》――「すでに塗られたもの」を描く
HoodsはPrinceの制作がphotographic appropriationだけではないことを示す重要なseriesです。1960–70年代muscle carsのhoodやそのfiberglass reproductionを入手し、body shopへ塗装させ、後には自らBondoを塗り、削り、colorを加えました。
Guggenheim所蔵《Cereal 1》はfiberglass、polyester resin、acrylic、woodによるrelief-like objectです。壁へ掛ければabstract paintingのように見えますが、bulge、scoop、curveはcar bodyのdesignから来ています。
Princeは「paint something that was already painted」と説明しました。このphraseは制作全体をよく表します。advertisementもjokeもnovel coverもInstagram postも、すでに誰かが作った完成物です。Princeはblank canvasから始めるより、完成したものへsecond layerを加えます。
2022年のGagosian《Hoods》では1988–2013年の30点以上がまとめられ、初期のslick commercial finishから、後期のhand-worked surfaceまで変化が確認されました。readymadeとpaintingの境界がseries内でも動いています。
Upstate――流通画像から自分の周囲へ
1996年にupstate New Yorkへ移った後、Princeは自分の周囲を撮影する《Untitled (upstate)》を始めました。basketball hoop、pool、rusted vehicle、garageといった郊外・地方のvernacularが被写体になります。
これは一見、appropriationからtraditional photographyへの回帰に見えます。しかしPrinceが長年magazineから抽出してきた「American image」が現実のlandscapeにも存在するという発見として理解できます。
広告のcowboyはmythic America、Upstate photographsはordinary Americaを示します。両者の間にあるのは、imageがどのように「Americanらしさ」を作るかという同じ関心です。
収集――本、雑誌、手紙、原画も作品の一部になる
Princeはavid collectorでもあり、rare books、first editions、manuscripts、letters、pulp novels、Beat、hippie、punk文化のephemeraを大量に集めてきました。2011年Bibliothèque nationale de Franceの《American Prayer》は、このcollection自体を大規模に紹介した展覧会でした。
2015年Gagosian《Original》では、vintage adult novelsと、そのcoverに使われたoriginal painting/drawingをpairにした作品を展示しました。printed coverとoriginal illustrationを並べることで、「original」と「reproduction」の関係をcollectorの側から逆転させます。
Princeにとってcollectingは制作の準備ではなく、制作そのものに近づきます。何を保存し、何と何を並べるかによって意味が変わるからです。artist/collectorという役割もまた混ざります。
《Nurse Paintings》――パルプ小説を巨大な絵画へ
Nurse Paintingsは1950年代medical romance paperbackのcoverをsourceとします。nurseはcare、professionalism、sexual fantasyを同時に担うpop-culture stereotypeでした。
Princeはcoverをcanvasへ移し、周囲のdetailsをpaintで消しながらtitleとnurse figureを残します。《Man Crazy Nurse #3》ではsurgical maskをつけたnurseがviewerへ向き合います。Whitneyは、benevolent、sinister、sexyといった複数の読みが同時に可能だと説明しています。
重要なのは、novel coverをそのまま拡大するのではなく、paintによって情報を削ることです。illustrationとtypographyの一部だけが残り、pulp fictionのcommercial imageがexpressionistic paintingへ近づきます。photographyとpainting、high artとlowbrow imageryが同じsurfaceで混ざります。
《Canal Zone》――コラージュと著作権訴訟
Canal Zone作品では、Patrick CariouがJamaicaでRastafarian communitiesを撮影した写真集《Yes Rasta》のimagesがsourceの一つとなりました。Princeはfiguresへguitar、mask、nude body fragments、painted elementsなどを加え、large-scale canvasへ変換しました。
2008年Gagosian展では《Canal Zone》《Back to the Garden》《Cheese & Crackers》などが発表されました。source photographsが明確に識別できる作品も多く、Cariouはcopyright infringementとして提訴します。
この訴訟によって、art criticやmuseumだけが判断していた「どれほど変えればnew workなのか」が、courtによってfair useという法的枠組みで判断されることになりました。Princeのart practiceがcopyright lawそのものへ影響を与えるほど大きな社会的事例になった点が重要です。
Cariou v. Prince――フェアユースをめぐる転換点
2011年のdistrict court判決ではCariou側が勝訴しましたが、2013年Second Circuitは一部を覆しました。U.S. Copyright OfficeのFair Use Indexによれば、appeals courtは30作品中25作品をfair useと判断し、残る5作品は追加審理のためdistrict courtへ差し戻しました。
Second Circuitが重要視したのは、new workがoriginal workについてcommentしなければfair useにならない、というdistrict courtの狭い基準を否定したことです。composition、presentation、scale、color palette、media、expressive characterが大きく異なる25作品はtransformativeだと判断されました。
ただし、この判決は「appropriation artistならコピーしてよい」と認めたものではありません。5作品についてはcourt自身がfair useを即断できず、case-by-caseの判断を残しました。またfair useは目的・性質、originalの性格、使用量、市場への影響など複数factorを総合する法律上の判断です。
後のNew Portraits litigationが示すように、Cariou判決があるからといってPrinceのすべてのappropriationが自動的にfair useになるわけではありません。この区別は作品史を記述するときにも重要です。
《de Kooning》――敬意と破壊を同時に行う
Princeはde Kooningの《Women》seriesへの強い敬意を公言しています。しかしtributeを「似たstyleで描く」ことによって行いません。catalogue reproductionsへdrawingし、pornographyや別のbody fragmentsを貼り、male/female anatomyを混ぜました。
Gagosianは、最終的なpaintingsをmaleとfemale、paintingとphotography/print、modernist refinementとmass-culture vulgarityのhybridとして説明しています。
これはPrinceのappropriationが必ずしも冷たい引用ではないことを示します。好きなartistのimageを使うこともあります。しかしloveやhomageはoriginalを保存することを意味せず、むしろ切り、描き足し、汚し、別のbodyへ変えることで関係を作ります。
《New Portraits》――Instagramを画面へ移す
New PortraitsでPrinceはInstagramのinterfaceそのものを作品へ持ち込みました。user imageだけでなくaccount name、caption、commentsなどを含むscreenshotをlarge canvasへ印刷し、Prince自身のcommentを書き加えます。
雑誌時代と違うのは、source imageのcreatorとsubjectが必ずしもanonymousではないことです。social mediaではuser name、followers、commentsがimageに付着し、個人のidentityが流通します。そのためappropriationは従来以上に「具体的な他者の投稿を誰が利用できるのか」という問題へ接近しました。
2014年Gagosian展の《Untitled (Portrait)》は167×123.8センチ。smartphone上の小さなscreenがhuman scaleを超えるcanvasへ変換されます。private/public、online/gallery、casual post/expensive art objectの価値差が極端に拡大されます。
《New Portraits》後の訴訟――「アプロプリエーションなら自由」ではない
Donald GrahamとEric McNattによるlawsuitsは、New Portraitsのlegal statusを問いました。2023年、Southern District of New YorkはPrince側のsummary judgment motionsをdenyし、作品がfair useであると法廷審理前に確定することを拒みました。
McNatt事件では2024年1月のfinal judgmentでplaintiff側にjudgmentが入り、Kim Gordon photograph、それを使用したPrince作品、関連bookなどのreproduction/display/sale等がinjunctionの対象となり、damagesは作品販売価格の5倍相当額にcostsを加える形で定められました。Graham事件でも同年、Rastafarian photographを使った作品について同様のfinal judgmentが入りました。
これらは当事者間の合意を反映したfinal judgmentsであり、full trial後にcourtが一般的なfair-use ruleを新たに確定したものではありません。それでも、2013年Cariou判決を万能な免許として扱えないことを明確に示しました。
art history上も重要なのは、「transformation」という語がvisual changeだけで決まらないことです。screen shotへcommentを加え、scaleを変えても、original photographerのrightsやmarketとの関係を含めた具体的事実が問われます。
SNS時代――スクリーンショットもまた雑誌の切り抜きになる
1970年代のmagazineはeditor、advertiser、printerが選んだ限られたimageを大量に配布するmediaでした。2010年代のsocial mediaでは、一般user自身がdaily imagesを作り、platformがそれを配布します。
Princeの方法がInstagramへ移ったとき、appropriationの対象も「corporate mass media」から「individual users」へ変化しました。これは技法のcontinuityと同時に、ethical relationの大きな変化です。
New Portraitsがcontroversialなのは、1977年以来同じgestureを反復したからこそ、media environmentの変化が露出したためとも言えます。magazine adのanonymous modelを再撮影することと、named photographer/userのpostをcommercial artへ変換することは同じではありません。
本と出版――作品を作ることと収集すること
Princeはartist books、rare books、pulp paperbacks、letters、memorabiliaを長く収集・出版してきました。bookはimageとtext、originalとreproductionが最初から混ざるmediumです。
cover illustrationにはoriginal paintingがあり、それがphotographed/printedされ、storeでmass-produced objectとして売られます。Princeが《Original》seriesでcoverとoriginal artworkを並べると、「originalはどちらか」という問いが具体的なobjectとして現れます。
またbook collectingはAmerican countercultureのarchiveでもあります。Beat、hippie、punk、celebrity、pulp、pornographyなど、museum canonの外側にあるprinted matterを保存することが、PrinceのAmerican image研究と重なります。
2020年代――初期写真の再検討と《Folk Songs》
2020年代のPrinceは、初期appropriationをmuseum-likeに振り返るだけではなく、Hoods、drawing、painting、sculptureを継続しています。2022年のHoods展、2023–24年のEarly Photography展は、career内部の異なるseriesを再編集する機会になりました。
2025年《Folk Songs》では、2018–23年のnew paintings、drawings、collagesと2007–25年のsculpturesがまとめられました。Gagosianは「No digital drips」と表現し、handmade qualityを強調しています。
これはdigital appropriationからの完全なretreatではありません。Princeのcollageは依然としてprinted imagesやexisting cultural materialを含みます。重要なのは、approachを「copy/paste」という一手法へ還元せず、collecting、printing、painting、drawing、sculptureという複数の操作へ戻している点です。
批判なのか共犯なのか――立場を明示しない方法
Prince作品をめぐるもっとも大きなinterpretive problemは、artist自身のpositionが分かりにくいことです。Marlboro masculinityをmockしているのか、憧れているのか。biker cultureのsexismを批判しているのか、そのfantasyを再生産しているのか。offensive jokeを暴いているのか、もう一度流通させているのか。
WhitneyのNurse解説は、stereotypeをdeconstructしているのかpulp fantasyをrevelしているのか不明だと明言しています。このambivalenceはPrinceに固有の強さです。viewerがsafeなmoral positionへ退避できず、自分自身がimageへ惹かれる理由を考えさせられます。
一方、この曖昧さが批判を免除するわけでもありません。「批判かもしれない」という理由だけで、source creatorやsubjectへのpower imbalanceが消えることはありません。Princeを評価するときは、ambiguityそのものを美徳として称賛するだけでなく、その方法が現実にどんな利益・損害・権利関係を生むかも見る必要があります。
作者性――「オリジナル」はどこにあるのか
Princeの作品は「作者とは何をした人なのか」という問いを繰り返します。cowboy photographではadvertising photographerが撮影し、agencyがlayoutし、Philip Morrisが使用し、Princeが再撮影し、museumが収蔵します。一つのimageに複数のagentsが関わります。
traditional art historyは作品を一人のartistへ結びつけます。しかしmass mediaではimage productionは共同的で、anonymousなことも多い。Princeはそのsystemからimageを取り出し、自分のnameを付けることで、逆説的に「authorship」の制度を可視化しました。
同時に、Prince自身のnameが強いbrandになった現在、匿名imageをappropriationする行為は1977年とは違うpower relationを持ちます。無名のsourceがPrince作品になることでmarket valueが大きく変わるからです。careerの成功そのものが、初期作品で問うた問題を別の形で本人へ返しています。
リチャード・プリンスは何を変えたのか
第一に、写真家が「撮る対象」を現実世界から探さなくてもよいことを決定的に示しました。すでに印刷された写真へcameraを向けることで、撮影よりselection、cropping、context changeをartistic actへ押し上げました。
第二に、appropriationをformal quotationではなく、mass mediaのdesireそのものへ向けました。cowboy、fashion model、girlfriend、nurse、car、celebrity、jokeはAmerican cultureが繰り返し生産するarchetypeです。Princeはそれを一つずつ「発明」するのではなく、すでに社会が発明したimageとして扱います。
第三に、original/copyという二分を複雑にしました。advertisement自体がstaged fictionであり、そのphotographをPrinceがcopyし、その作品がbookやwebでさらにcopyされる。どこにoriginalがあるのかという問いが一枚の作品ではなく、流通のchain全体へ広がります。
第四に、photographyの問題をpainting、sculpture、text、book、collection、social mediaへ広げました。Joke Paintingsでは言葉、Hoodsではcar body、Nursesではpulp cover、New PortraitsではInstagram interfaceがappropriationの対象になります。つまり彼の主題はphotographyそのものより「既存文化をどう再利用するか」です。
第五に、copyrightとcontemporary artの関係を現実の制度問題へ押し出しました。Cariou v. PrinceはU.S. fair-use jurisprudenceで重要な判例となり、New Portraits litigationはその限界を再び示しました。作品の意味が美術館の中だけで完結せず、law、market、technology、platform policyへ波及しました。
そして最も重要なのは、Princeがappropriationを「批判のための引用」という一方向へ固定しなかったことです。彼自身がcowboys、cars、books、pulp covers、celebrity imagesをcollectし、愛着を持っています。批判と欲望、距離とfetish、high artとlow cultureが一つの作品に同居します。その不安定さが評価と批判の両方を生み、約50年間にわたり議論が終わらない理由になっています。
略年譜
- 1949
- 8月6日、Panama Canal Zoneに生まれる。
- 1954
- 家族とMassachusetts州Braintreeへ移住。Boston郊外の新興住宅地で育つ。
- 1973
- New Yorkへ移住。downtownの音楽・美術環境へ入り、TIME/LIFEのtear-sheet departmentで働く。
- 1975頃
- painting、collage、photographとtextの組み合わせを試す。
- 1977
- advertising/lifestyle pressの既存写真を再撮影する「rephotography」を本格化。living-room advertisementsなどを使用。
- 1979
- 《Untitled (Pens)》などcommodity advertisementsの再撮影を展開。
- 1980年代初頭
- Marlboro advertisementsから《Cowboys》を開始。brand textを除き、American masculinityのarchetypeを再提示。
- 1982–1983
- 《Entertainers》。複数のpublicity photographsを一枚へまとめる「gang」形式を展開。
- 1983
- 《Spiritual America》発表。appropriationの倫理とdisplayをめぐり長期的論争を生む。
- 1985
- Whitney Biennial参加。
- 1986
- 《Jokes》を開始。既存のone-linerをdrawing/paintingへ移す。
- 1987
- Whitney Biennial参加。Los Angeles滞在中にAmerican car cultureへ関心を深め、《Hoods》へ展開。
- 1988–1989
- Joke Paintingsを大型化。《The Leopard Joke》などを制作。
- 1989
- 《Untitled (cowboy)》制作。現在Metropolitan Museum所蔵。
- 1990
- 《Girlfriends》開始。biker magazineのamateur snapshotsを再撮影。
- 1992
- Whitney Museum of American Artで大規模個展。
- 1993
- San Francisco Museum of Modern Art、Museum Boijmans Van Beuningenなどで個展。
- 1996
- Manhattanからupstate New Yorkへ移る。周辺の日常景観を直接撮影する《Untitled (upstate)》へ展開。
- 2000–2007
- upstateの家屋を利用したSecond Houseなど、建築・環境を含むprojectを展開。
- 2002頃
- 1950年代medical romance paperbacksをsourceとする《Nurse Paintings》を開始。《Cereal 1》などHoodsも継続。
- 2003
- 《Man Crazy Nurse #3》制作。
- 2007–2008
- Solomon R. Guggenheim Museumで大回顧展《Richard Prince: Spiritual America》。Walker Art Center、Serpentine Galleryへ巡回。
- 2007–2008
- 《Canal Zone》制作。Patrick Cariouの《Yes Rasta》収録写真を含むsourcesをcollage/paintへ使用。
- 2009–2011
- 《de Kooning》series。Willem de Kooningのreproductionsとmass-media body imagesを合成。
- 2011
- Bibliothèque nationale de Franceで《American Prayer》。Princeのbooks、ephemera、collectionを大規模展示。
- 2012
- Museo Picasso Málagaで《Prince/Picasso》。
- 2013
- Second CircuitがCariou v. Princeで30作品中25作品をfair useと判断し、5作品を差戻し。
- 2014
- Gagosian New Yorkで《New Portraits》。Instagram postsを巨大なinkjet canvasへ変換。同年《Canal Zone》も再展示。
- 2015
- Gagosian New York《Original》。vintage novel coversとoriginal cover artworksをpairで展示。
- 2017
- Desert Xで《Third Place》。abandoned houseへFamily Tweets関連作品を設置。
- 2019
- Guggenheim《Artistic License》でguest curatorとして《Four Paintings Looking Right》を構成。
- 2021
- Gagosian Shopで《Family Tweets》。Desert X projectと関連publicationを再提示。
- 2022
- Gagosian New Yorkで《Hoods》。1988–2013年の30点以上をまとめた初のHoods専展。
- 2023
- Londonで《Early Photography, 1977–87》《The Entertainers》。初期rephotographyを再検討。
- 2023年5月
- New PortraitsをめぐるGraham/McNatt litigationで、S.D.N.Y.がPrince側のsummary judgment motionsをdeny。
- 2024
- New Yorkで《Early Photography, 1977–87》。TIME/LIFE時代のsource materialも展示。McNatt事件とGraham事件で当事者合意を反映したfinal judgmentsが入る。
- 2025
- Gagosian Beverly Hillsで《Bob Dylan》、New Yorkで《Folk Songs》。近年のpainting、drawing、collage、sculptureを発表。
- 2026
- Gagosian公式略歴ではNew Yorkを拠点に活動継続。MoMA、Whitney等で作品の収蔵・展示が続く。
参考資料・出典
本ページはSolomon R. Guggenheim Museum、Walker Art Center、The Museum of Modern Art、Whitney Museum of American Art、The Metropolitan Museum of Art、U.S. Copyright Office、U.S. Court of Appeals for the Second Circuit、U.S. District Court for the Southern District of New York、Gagosianなどの美術館・公的法資料・作家取扱ギャラリー資料を参照してART LIBRARYが独自に執筆しました。著作権訴訟については美術批評上の評価と法的判断を区別し、Cariou判決、Graham/McNatt事件のcourt recordsを優先して記述しています。原文の全文翻訳ではありません。
- Solomon R. Guggenheim Museum — Richard Prince: Cowboys
- Solomon R. Guggenheim Museum — Cereal 1, 2002
- Solomon R. Guggenheim Museum — Richard Prince / Artistic License
- Walker Art Center — Richard Prince
- Walker Art Center — Richard Prince: Spiritual America
- The Museum of Modern Art — Richard Prince
- The Museum of Modern Art — Entertainers, 1982–83
- The Museum of Modern Art — Untitled (almost original), 2006
- Whitney Museum of American Art — Richard Prince
- Whitney Museum — Untitled (Joke: Never had a penny…), 1987
- Whitney Museum — The Leopard Joke, 1989
- Whitney Museum — Man Crazy Nurse #3, 2003
- The Metropolitan Museum of Art — Untitled (cowboy), 1989
- U.S. Copyright Office — Cariou v. Prince, Fair Use Index
- U.S. Court of Appeals for the Second Circuit — Cariou v. Prince, 2013
- S.D.N.Y. — Graham v. Prince, Opinion and Order, 2023
- S.D.N.Y. — McNatt v. Prince, Final Judgment, 2024
- S.D.N.Y. — Graham v. Prince, Final Judgment, 2024
- Gagosian — Richard Prince
- Gagosian — Richard Prince: Early Photography, 1977–87, 2024
- Gagosian — Richard Prince: Hoods, 2022
- Gagosian — Richard Prince: Canal Zone, 2008
- Gagosian — Richard Prince: de Kooning, 2011
- Gagosian — Richard Prince: New Portraits, 2014
- Gagosian — Richard Prince: Folk Songs, 2025
資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY