Art Library

Richard Hamilton

リチャード・ハミルトン

イギリス / 1922–2011 / ポップ・アート/Independent Group

アート・イン・フォーカス | リチャード・ハミルトンの絵画「The State」 | テート美術館 (Tate)

キュレーション:リチャード・ハミルトン – アーティストの眼(1978年) | ナショナル・ギャラリー (The National Gallery)

リチャード・ハミルトン(1922–2011)は、1950年代のロンドンで広告、雑誌、映画、家電、自動車、テレビといった大量消費社会のイメージを美術の内部へ持ち込み、イギリスのポップ・アート形成に中心的な役割を果たした作家です。しかし、その仕事を「大衆文化を美術にした人」とだけ説明すると、長い制作の重要な部分が抜け落ちます。

ハミルトンは、絵画、コラージュ、写真、シルクスクリーン、版画、展示デザイン、タイポグラフィ、プロダクトデザイン、インスタレーション、テレビ映像、コンピューター画像までを横断しながら、現代社会のイメージがどのように作られ、加工され、流通し、私たちの現実認識を形成するのかを追究しました。1956年の《Just what is it that makes today’s homes so different, so appealing?》から、1960年代の広告・スター・報道写真、北アイルランド紛争やマーガレット・サッチャーを扱った1980年代の政治作品、晩年のデジタル画像まで、約60年間にわたり「メディアを通して世界を見ること」そのものを作品にし続けた作家です。

生涯と制作の変遷

ロンドンに生まれ、製図と美術の両方を学ぶ

ハミルトンは1922年2月24日、ロンドンに生まれました。10代でRoyal Academy Schoolsに学びましたが、第二次世界大戦中は工業分野の製図工として働きます。高松宮殿下記念世界文化賞の公式年譜によれば、1938–40年にRoyal Academy Schoolsで学び、1941–45年には製図工として勤務し、戦後の1948–51年にはSlade School of Fine Artで学びました。

この経歴は後の制作と深く関係します。ハミルトンは伝統的な絵画技法だけでなく、工業製品の図面、機械、設計、複製技術、印刷工程を自然に扱いました。後年、広告写真、車体デザイン、家電、建築透視図、コンピューター画像を作品へ導入したときも、それらを「美術とは別の低い文化」として遠ざけるのではなく、現代の視覚環境を構成する同等の情報として扱います。

1950年代前半:展示そのものを実験する

1950年代前半、ハミルトンはロンドンのInstitute of Contemporary Arts(ICA)を中心に活動したIndependent Groupへ参加しました。TateはIndependent Groupを、芸術家、建築家、批評家らが映画、SF、広告、ポップ音楽、工業製品など大衆・商業文化を積極的に検討した集団として説明しています。

ハミルトンは絵画制作だけでなく、展示空間の設計にも取り組みました。1955年にはニューカッスルのHatton Galleryで《Man, Machine and Motion》を企画し、航空、交通、機械、身体運動などの写真を金属フレームの中へ配置しました。Hatton Galleryは、この展覧会と1957年の《an Exhibit》を、同館で生まれた特に実験的な展覧会として位置づけています。

1956年、《This Is Tomorrow》

1956年、Whitechapel Galleryで《This Is Tomorrow》が開催されました。建築家、画家、彫刻家、批評家ら38人が12グループに分かれ、それぞれ空間全体を共同制作する展覧会でした。ハミルトンはJohn McHale、建築家John VoelckerとGroup 2を構成しました。

この展覧会に関連して制作されたのが、小さなコラージュ《Just what is it that makes today’s homes so different, so appealing?》です。筋肉質の男性、半裸の女性、テレビ、掃除機、録音機、映画看板、食品、照明器具などが現代的な室内へ詰め込まれています。今日では初期ポップ・アートの象徴的作品とされていますが、元来は独立した大作ではなく、大衆雑誌から切り取った視覚情報を圧縮した小さなコラージュでした。

1957年、「Pop Art」を特徴づける

1957年、ハミルトンは建築家Alison & Peter Smithsonへの手紙の中で、Pop Artを「Popular, Transient, Expendable, Low Cost, Mass Produced, Young, Witty, Sexy, Gimmicky, Glamorous, Big Business」と列挙しました。Government Art Collectionもこの定義を紹介しています。

これは「ポップ・アート」という言葉を一人で発明したという意味ではありません。Independent GroupではLawrence Allowayを含む複数の人物が「popular」「pop」という語を議論していました。重要なのは、ハミルトンが大衆文化を単なる主題としてではなく、大量生産、一時性、若者文化、広告産業を含む新しい社会環境として分析していたことです。

1957–1961年:広告の視覚言語を絵画へ

《Hommage à Chrysler Corp.》《Hers is a lush situation》《$he》では、アメリカ車、女性の身体、家電、広告写真から抽出した断片を組み合わせます。完成した商品を一枚の絵に描くのではなく、車のバンパー、ヘッドライト、唇、胸、冷蔵庫、トースターなどが互いに接続されます。

ここでは消費社会を単純に批判しているとも、礼賛しているとも言い切れません。ハミルトン自身は後年、自分の態度を単純な賛否ではなく、現実をいったん肯定的に受け入れながら分析するものとして語っています。広告が作る欲望のイメージを、広告以上に精密に観察することが作品の方法でした。

1960年代:写真、映画、スター、複製

1960年代には、雑誌写真や映画のスチルを絵画・版画へ変換する制作が増えます。《Interior II》は1948年の映画『Shockproof』の一場面を出発点とし、女優Patricia Knightの姿を現代的な室内へ組み込みました。National Portrait Galleryは、この作品でHamiltonが映画の時代的な室内を、Eamesの椅子やYves Kleinの作品を含む現代的な空間へ更新したと説明しています。

《My Marilyn》では、マリリン・モンローが自ら選別のために×印などを書き込んだ宣伝写真を使いました。MoMAによれば、ハミルトンはモンロー自身の書き込みを尊重し、自分の手描きのマークを加える代わりに、拡大、マスキング、スクリーン印刷、重ね刷りによって画像を加工しました。スターの顔を描くのではなく、スターがメディアによって生産・選別される過程を作品化しています。

1967年以降:報道写真と政治

1967年、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーと、ハミルトンの画商Robert Fraserが薬物事件をめぐって逮捕・裁判の対象になりました。二人が手錠でつながれ、警察車両の中で顔を隠す新聞写真をハミルトンは繰り返し使用し、《Swingeing London 67》シリーズを制作します。

Afterallの研究は《Swingeing London 67 (f)》を、単なる有名人の肖像ではなく、1960年代の個人解放をめぐる文化と、国家・司法・大衆紙との衝突を扱う「歴史画」として捉えています。ハミルトンにとって報道写真は事件を記録する透明な窓ではなく、事件そのものを社会的に形づくる装置でした。

主要作品

1956年の初期ポップ・コラージュから、広告と自動車、映画的室内、スターの宣伝写真、報道写真、北アイルランド紛争、テレビ政治、晩年のデジタル政治画像まで、ハミルトンが「メディアによって作られる現実」を約50年間にわたり変化させながら扱った流れを追える8作品を選びました。作品は現在も著作権保護下にあるため、ART LIBRARYでは画像なしで掲載します。

今日の家庭をこれほどまでに変え、魅力的にしているものはいったい何なのか?

Just what is it that makes today's homes so different, so appealing? / 1956 / 紙のコラージュ / 約26 × 25 cm

Kunsthalle Tübingen, Tübingen

Whitechapel Galleryの《This Is Tomorrow》に関連して制作された小型コラージュ。ボディビルダー、女性、テレビ、掃除機、録音機、食品、映画、室内装飾など雑誌由来のイメージを一つの現代的室内へ圧縮しています。作品は後に初期ポップ・アートを象徴するイメージとなりましたが、元来はHamilton、John McHale、John VoelckerによるGroup 2の共同展示と結びついた視覚研究の一部でした。

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クライスラー社へのオマージュ

Hommage à Chrysler Corp. / 1957 / 油彩、金属箔、コラージュ・木製パネル / 122 × 81 cm

Tate, London

アメリカの自動車広告から、バンパー、ヘッドライト、クローム、女性の身体など魅力を生む断片を抽出して再構成した初期ポップ作品。完成した車や人物を描くのではなく、広告が商品と身体を欲望の対象へ変換する視覚言語を分析しています。Art UKのTate記録では油彩、金属箔、コラージュ・木、122×81cmとされています。

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インテリア II

Interior II / 1964 / 油彩、セルロース塗料、コラージュ・板 / 約142.5 × 183 × 10 cm

Tate, London

映画『Shockproof』(1948)のスチルに写る女優Patricia Knightを出発点とし、古い映画室内を1960年代の現代的空間へ組み替えた作品。National Portrait Galleryによれば、Yves KleinのモノクロームやEamesの椅子などを取り込み、写真、絵画、デザイン、映画の空間を一枚に重ねています。

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マイ・マリリン

My Marilyn / 1965(1966年刊行) / スクリーンプリント / 図像 51.5 × 63.3 cm/シート 68 × 84.2 cm

The Museum of Modern Art, New York

マリリン・モンローの死後にイギリスの雑誌へ掲載された宣伝写真を使用。MoMAによれば、モンロー本人が選別のため写真へ付けた×印などをHamiltonは残し、自分の筆跡を足す代わりに拡大、マスキング、スクリーン印刷、重ね刷りで加工しました。スターの顔そのものより、イメージの選別・複製・流通過程を作品化しています。

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スウィンジング・ロンドン 67 (f)

Swingeing London 67 (f) / 1968–1969 / アクリル、スクリーンプリント、コラージュ、アルミニウム・カンヴァス / 約67 × 85 cm

Tate, London

1967年の薬物事件後、ミック・ジャガーとHamiltonの画商Robert Fraserが手錠でつながれ、警察車両の中で報道陣から顔を隠す新聞写真をもとにしたシリーズの一作。Afterallはこの作品を、1960年代の解放的文化と国家・司法・大衆紙との衝突を扱う現代の歴史画として論じています。Tate版では手錠にアルミニウムのコラージュが用いられています。

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市民

The citizen / 1981–1983 / 油彩・カンヴァス、2パネル / 各パネル 約200 × 100 cm

Tate, London

北アイルランドのMaze Prisonで政治犯としての地位を求め抗議していた共和派囚人をテレビ映像から描いた二連画。右パネルには毛布をまとったHugh Rooneyが正面を向き、左にはdirty protestで壁へ塗られた排泄物の痕跡が抽象画のように広がります。British Councilは《The subject》《The state》とともに北アイルランド紛争を扱う三点の大型二連画として紹介しています。

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トリートメント・ルーム

Treatment Room / 1983–1984 / ミクストメディア、テレビ映像、ベッド、室内構造 / 約548 × 548 × 304 cm

Arts Council Collection, UK

白く無機質な医療空間に硬いベッドを置き、その上方のテレビモニターでマーガレット・サッチャーの政治放送を流すインスタレーション。DACSは約548×548×304cmのミクストメディア作品として記録しています。1993年のBritish Pavilionにも展示され、身体への制度的な処置と、テレビを通した政治的イメージを同じ『治療』空間へ重ねました。

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ショック・アンド・オー

Shock and Awe / 2007–2008 / インクジェットプリント・カンヴァス / 約200 × 100 cm

Private collection

トニー・ブレア元首相を二丁拳銃のカウボーイ姿へ合成した晩年の政治作品。高松宮殿下記念世界文化賞は、アメリカ主導のイラク侵攻へイギリスが参加した決定に対する批判として紹介しています。1950年代の広告から晩年の政治報道まで、メディアが人物像を作る仕組みを画像加工によって再構成するHamiltonの方法が継続していることを示します。

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Independent Groupと「ポップ」の形成

アメリカのポップ・アートより前に何を見ていたのか

1950年代初頭のイギリスでは、アメリカから入ってくる雑誌、映画、SF、広告、家電、自動車デザインが、戦後の新しい生活像として強い存在感を持っていました。Independent Groupは、それらを「高級美術ではないから無視する」のではなく、現代人の感覚を形成する視覚文化として分析しました。

Tateによれば、グループの関心は従来のモダニズムのエリート性を問い、大衆文化をより広い文化的現実として扱うことでした。ハミルトンの作品がアメリカのウォーホルやリキテンスタインに先行して広告・消費文化を扱った理由も、このロンドンの議論の環境にあります。

ただし、イギリスとアメリカのポップは同じではない

ハミルトンにとって1950年代のアメリカ消費文化は、日常そのものというより、雑誌や映画を通じてイギリスへ流入する「未来の生活」のような側面がありました。大量の商品やスターが目の前にあふれているアメリカ社会とは距離があります。

そのため初期作品には、商品をそのまま大きく提示するより、雑誌、広告、製品写真を分析し、断片を組み替える研究的な性格が強くあります。ポップ・アートを一つの共通様式として見るより、異なる社会条件から生まれた複数のポップとして見る必要があります。

コラージュ――消費社会を一枚の画面へ圧縮する

コラージュは一つの技法ではなく、制作原理になる

《Just what is it…》は文字通り切り抜きを貼ったコラージュですが、ハミルトンはその後もコラージュ的思考を使い続けました。油彩画であっても、写真、スクリーン印刷、金属箔、印刷物、立体パーツを同じ表面へ重ねます。

つまり「一枚の絵を統一された画風で描く」のではなく、異なる視覚言語をあえて並存させます。写真のような部分、手描きの線、広告の図式、抽象的な筆触が一枚の中で切り替わります。

広告は現代の遠近法でもある

《Hommage à Chrysler Corp.》では、車と女性の身体が完全な輪郭を持たず、魅力を伝える断片だけが浮かびます。広告では商品を工学的に正確に説明するより、クロームの光沢、曲線、速度、性的魅力など「欲しくなる特徴」を選びます。

ハミルトンはその選択方法そのものを絵画へ取り込みました。広告の内容だけでなく、現代人が商品を見るための視覚構造を分析しています。

写真を「そのまま」使わない

写真は客観的な資料ではない

ハミルトンの作品には新聞写真、映画スチル、宣伝写真、テレビ画面が大量に登場します。しかし、彼は写真をそのまま転写して終わりません。拡大、切り取り、色分解、ぼかし、スクリーン印刷、塗り重ね、再撮影を繰り返します。

《Swingeing London 67》では同じ新聞写真から複数の絵画・版画を作り、《The citizen》ではテレビ・ドキュメンタリーで見た映像を巨大な絵画へ変換しました。写真やテレビ映像が「現実」なのではなく、それがどのような工程で社会的イメージへ変わるかを追います。

メディアを変えると意味も変わる

新聞の小さな白黒写真を1メートル近い絵画へ拡大すると、ニュースとしての即時性は失われます。その代わり、顔を隠す手、手錠、窓、ぼけ、粒子など、元写真では読み飛ばしていた要素が前面へ出ます。

同じイメージを絵画、スクリーンプリント、エッチングへ変えることで、ハミルトンは「何が情報として残るのか」を比較しました。この反復は、ジョーンズやウォーホルとも共有する戦後美術の重要な問題です。

リチャード・ハミルトンの作品をどう見るか

まず、画像の出所を探す

広告、新聞、映画、テレビ、商品カタログなど、元画像が確認できる作品では、その出所を知ると構造が見えやすくなります。ハミルトンは元画像を隠すより、どのように変更したかを作品の重要な部分としました。

異なる技法がどこで切り替わるかを見る

《Interior II》や《Swingeing London 67 (f)》では、写真由来の精密な部分と、粗い筆触、平坦な色、コラージュが隣接します。「全部を写真のように描く」「全部を抽象的に描く」のではありません。

どの部分を写真に任せ、どこを手で描き、どこを金属や紙にするかを見ると、作品がイメージの分析装置として作られていることが分かります。

「賛成か反対か」を急いで決めない

車、家電、広告、スターを扱った初期作品は、消費社会の礼賛にも批判にも見えます。ハミルトン自身は単純な二者択一を避け、現代文化に魅了されながら、その仕組みを冷静に観察しました。

広告画像が美しいから使ったのか、商業主義を批判するために使ったのか、という問いだけでは作品を狭めます。「魅力的だからこそ分析する」という両義性が重要です。

後期作品では「事件」より「事件の見え方」を見る

《The citizen》《Treatment Room》《Shock and Awe》では政治的主題が明確ですが、ハミルトンの長年の問題は一貫しています。テレビ、新聞、選挙放送、記者会見などが政治的人物や事件をどのようなイメージとして社会へ届けるか、という問題です。

マルセル・デュシャンとの関係

ポップだけでなく、デュシャンがもう一つの軸だった

ハミルトンはマルセル・デュシャンを非常に重要な先行者として研究しました。大量消費文化を扱うポップ的側面と、作品・複製・作者・言語の定義を問い直すデュシャン的側面が、彼の制作では並行しています。

《大ガラス》を「再制作」する

1965年から66年にかけて、ハミルトンはデュシャン本人の承認を得て《The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even(The Large Glass)》の等身大再構成を行いました。Hatton Galleryの記録によれば、1966年5月にニューカッスルで展示された後、Tate Galleryのデュシャン展へ移されました。

Tateの研究は、この仕事を単純なコピーではなく、図面、写真、資料を解読しながら別の時代に作品を再び物質化する「reconstruction」として詳しく検討しています。ハミルトンにとって、作品は唯一無二のオリジナルだけで成立するのか、という問題を実作を通して考える機会になりました。

1966年のデュシャン回顧展

ハミルトンは1966年のTate Galleryにおける大規模なデュシャン展の組織にも中心的に関わりました。高松宮殿下記念世界文化賞の公式年譜も、この年にデュシャン展を組織したことを記録しています。

後の版画、複製、引用、同じ作品の再制作に対するハミルトンの関心は、このデュシャン研究と切り離せません。

ポップから政治へ――メディアが事件を作る

政治作品は晩年に突然始まったわけではない

1964年には、核武装政策を支持した労働党政治家Hugh Gaitskellを映画雑誌の怪物イメージと組み合わせた《Portrait of Hugh Gaitskell as a Famous Monster of Filmland》を制作しています。1967年以降の《Swingeing London》では、新聞がジャガーとFraserの服装や外見を過剰に報じる様子を利用しました。

Serpentine Galleryは2010年の《Modern Moral Matters》で、ハミルトンの政治作品を、国際政治、暴動、テロ、戦争がテレビやインターネットによってどのように表象されるかを検討したものとしてまとめています。

《The citizen》

1980年代初頭、ハミルトンは北アイルランドのMaze Prisonにおける共和派囚人の抗議をテレビ・ドキュメンタリーで見て、《The citizen》を制作しました。British Councilによれば、これは後の《The subject》《The state》とともに北アイルランド紛争を扱う三点の大型二連画の一つです。

《The citizen》では、囚人の一人Hugh Rooneyが長髪と髭、毛布をまとった姿でほぼ等身大に描かれます。画面左側は囚人たちが排泄物を壁へ塗った「dirty protest」の痕跡を抽象絵画のような表面へ変換しています。宗教画を思わせる正面性と、不衛生な監獄の現実が一枚の二連画に併存します。

《Treatment Room》

1983–84年の《Treatment Room》では、白い医療空間のベッド上方にテレビモニターが設置され、マーガレット・サッチャーの選挙放送が流れます。DACSによれば、インスタレーションは約5.48メートル四方、高さ3.04メートルの部屋として構成されています。

British Councilは1993年ヴェネツィア・ビエンナーレの展示について、硬い白いベッドとテレビ画面を持つこの作品が、制度による身体の「治療」と、メディアを通じた政治的メッセージを同じ空間に置くものとして紹介しています。

《Shock and Awe》

晩年の《Shock and Awe》では、トニー・ブレア元首相を二丁拳銃のカウボーイ姿として表しました。高松宮殿下記念世界文化賞の公式資料は、イラク戦争へのイギリスの参加に対する明確な批判としてこの作品を紹介しています。

ここでも素材はテレビや報道の中の政治家イメージです。1950年代の広告と2000年代の政治報道は内容こそ違いますが、「メディアによって作られた魅力的/説得的な人物像を分解し、別の形で再提示する」という方法は共通しています。

コンピューターとデジタル画像

新技術を絵画の敵として扱わなかった

DACSによれば、ハミルトンは1980年代からコンピューターを制作へ取り入れ、2011年の死まで継続しました。高松宮殿下記念世界文化賞の公式記録には、1984年にスウェーデン企業からコンピューターのデザインを依頼され、1987年にはBBCのデジタルペインティング企画にも参加したことが記されています。

ハミルトンにとって新しいテクノロジーは、伝統絵画を破壊する脅威ではありませんでした。写真、シルクスクリーン、印刷、テレビを取り込んできた延長上で、コンピューターも画像を変換する新しい道具として扱いました。

1956年の室内を1992年に更新する

1992年には、1956年の《Just what is it…》をコンピューター上で再構成した《Just what is it that makes today’s homes so different?》を制作しました。Tate所蔵版では、半世紀近く前の消費社会の室内を、コンピューター、電子機器、現代の身体イメージなどへ更新しています。

同じ構図を別の時代の技術と商品で作り直すことで、1956年の「未来的な現在」がどれほど古く見えるか、そして現代もまた同じように商品とメディアによって構成されていることを示します。

デジタルでも「絵画」をやめない

MoMAはハミルトンについて、1980年代以降コンピューター生成画像を積極的に扱った一方、写真・絵画・版画の複数技法を組み合わせる姿勢を継続したと説明しています。デジタルか手描きかを二者択一にせず、必要な技術を重ね合わせました。

美術・デザイン・展示を分けない

《The White Album》

1968年、ハミルトンはThe Beatlesのアルバム『The Beatles』のジャケットをデザインしました。Hatton Galleryによれば、白一色の表面にグループ名をエンボス加工した極端に簡潔なデザインで、一般には《White Album》と呼ばれるようになりました。

カラフルで情報量の多いサイケデリックなジャケットが流行していた時期に、ほとんど何もない白い表面を使う選択は、商品デザインであると同時に、複製される芸術作品についての実験でもありました。

展示空間も媒体である

《Man, Machine and Motion》《an Exhibit》《Treatment Room》のように、ハミルトンはキャリア全体を通して展示空間そのものを作品の一部として扱いました。絵を作って壁へ掛けるだけでなく、観客がどの順序で画像を見るか、身体がどこを通るかまで設計します。

この点でも、彼の仕事は「ポップ絵画」に限定できません。グラフィックデザイン、建築的展示、工業設計、映像、コンピューターを同じ視覚文化として考えています。

ポップ・アートの「父」だけではない

「father of Pop Art」は便利だが狭い

British Councilを含む多くの機関はハミルトンを「British Pop Artの父」と呼んでいます。1950年代半ばの活動がアメリカの主要ポップ作家より早かったこと、Independent Groupの議論を作品化したことから、この呼称には歴史的根拠があります。

しかしハミルトン自身の制作を見ると、ポップは一つの時期・方法にすぎません。デュシャン研究、版画技術、政治、北アイルランド、デジタル画像、ジェイムズ・ジョイス、展示設計など、関心ははるかに広く続きました。

一貫していたのは「現代のイメージ環境」を見ること

1950年代には広告、映画、雑誌、家電、車。1960年代にはスターと報道写真。1980年代にはテレビ政治。1990年代以降にはコンピューター画像と戦争報道。対象は変わっても、社会が現実をどのような画像に変換するかという関心は一貫しています。

1993年ヴェネツィア・ビエンナーレ

1993年、71歳のハミルトンはBritish Pavilionでイギリス代表として個展を行いました。British Councilによれば、《The citizen》《The subject》《The state》と《Treatment Room》などが展示され、スペインのAntoni Tàpiesとともに最高賞Golden Lionを受賞しました。

初期ポップの歴史的人物としてではなく、政治・メディア・絵画を継続して更新してきた現役作家として国際的に再評価された時期でした。

画像利用について

ハミルトンは2011年に死去しており、作品は現在も著作権保護下にあります。DACSはRichard Hamiltonを著作権ライセンスの管理対象作家として明示し、MoMAも2026年現在、作品にArtists Rights Society(ARS)/DACSの著作権表示を付しています。ART LIBRARYでは主要作品画像を無断転載せず、現段階では作品情報と所蔵館・権利管理機関へのリンクで構成します。

略年譜

1922
2月24日、ロンドンに生まれる。
1938–1940
Royal Academy Schoolsで絵画を学ぶ。
1941–1945
第二次世界大戦中、工業製図の仕事に従事。
1946
Royal Academy Schoolsへ戻るが、その後退学。
1948–1951
Slade School of Fine Artで学ぶ。
1952–1953頃
ICAのIndependent Groupに参加。大衆文化、広告、科学技術、メディアについて議論する。
1955
Hatton Galleryで《Man, Machine and Motion》を企画・展示。
1956
Whitechapel Gallery《This Is Tomorrow》にGroup 2として参加。《Just what is it that makes today’s homes so different, so appealing?》を制作。
1957
Pop ArtをPopular、Transient、Expendable、Low Cost、Mass Produced、Young、Witty、Sexy、Gimmicky、Glamorous、Big Businessと特徴づける。《Hommage à Chrysler Corp.》制作。
1957
Victor Pasmoreと《an Exhibit》をHatton Gallery、ICAで展開。
1958–1961
《$he》など広告・家電・女性身体を組み合わせた作品群を制作。
1964
《Interior II》《Portrait of Hugh Gaitskell as a Famous Monster of Filmland》などを制作。
1965
デュシャン《The Large Glass》の再構成を開始。《My Marilyn》を制作。
1966
再構成した《The Large Glass》をHatton Galleryで展示後、Tate Galleryのデュシャン展へ。デュシャン回顧展の組織に中心的に関わる。
1967–1969
ミック・ジャガーとRobert Fraserの逮捕報道をもとに《Swingeing London 67》シリーズを制作。
1968
The Beatles《The White Album》のジャケットと付属印刷物をデザイン。Polaroid Portraitsも開始。
1970
Tate Galleryで大規模個展。
1970年代
版画、写真、James Joyce『Ulysses』関連作品など、複数媒体で制作を拡張。
1981–1983
北アイルランドのMaze Prisonの映像をもとに《The citizen》を制作。
1983–1984
マーガレット・サッチャーのテレビ演説を組み込んだ《Treatment Room》を制作。
1980年代
コンピューターによる画像制作を本格的に導入。
1988–1990
北アイルランド三部作第二作《The subject》を制作。
1992
Tate Galleryで大規模回顧展。1956年の室内コラージュをデジタル技術で再制作。
1993
ヴェネツィア・ビエンナーレBritish Pavilionでイギリス代表。《The state》を含む展示を行い、Antoni TàpiesとGolden Lionを共同受賞。
2000
Companion of Honour(CH)を受章。
2007–2008
イラク戦争をめぐりトニー・ブレアを扱った《Shock and Awe》を制作。
2008
高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門を受賞。
2010
Serpentine Galleryで政治作品を中心とする《Modern Moral Matters》開催。
2011
9月13日、イングランドで死去。89歳。
2014
Tate Modernで没後の大規模回顧展が開催され、その後Museo Reina Sofíaへ巡回。

参考資料・出典

本ページはDACS、The Museum of Modern Art、Tate、Whitechapel Gallery、Hatton Gallery、British Council、The Metropolitan Museum of Art、Serpentine Galleries、高松宮殿下記念世界文化賞などの美術館・公的機関・権利管理機関資料を参照してART LIBRARYが独自に執筆しました。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY