マックス・ベックマン(Max Beckmann、1884–1950)は、ドイツで活動し、のちにオランダとアメリカへ渡った画家・版画家です。彼の絵には、酒場に集まる人々、窮屈な室内、サーカスの出演者、海を旅する人物などが登場します。顔や手足は太い黒線で縁取られ、人物と家具が入り組む画面には、説明のつかない緊張が漂います。その独特の表現を理解する手がかりは、二度の世界大戦を生きた画家の経験と、古い絵画の伝統を現代に生かそうとした姿勢の両方にあります。(参照:ニューヨーク近代美術館|マックス・ベックマン)
ベックマンは第一次世界大戦中に衛生兵として従軍し、戦後のフランクフルトで独自の画風を築きました。1920年代には成功を収めますが、1933年にナチス政権によって教職を追われ、1937年にオランダへ移ります。亡命先でも制作を続け、中世の祭壇画を思わせる三連画に、神話や自身の経験を重ねていきました。生涯の出来事をたどるとともに、作品をどこから見始めればよいのか、具体的な絵を通して紹介します。(参照:シュテーデル美術館|フランクフルト時代、メトロポリタン美術館|ベックマンと亡命)
CONTENTS
画家としての出発――古典絵画と近代フランス絵画
ベックマンは1884年、ライプツィヒに生まれました。1900年、16歳でヴァイマルの美術学校に入り、素描や人物表現の基礎を学びます。パリ、ジュネーヴ、フィレンツェなどを訪れ、フランスの近代絵画だけでなく、過去のヨーロッパ絵画にも関心を広げました。1907年にはベルリンへ移り、ベルリン分離派に参加します。この時期から肖像や大きな人物群像を描き、若くして画家としての評価を得ました。(参照:シュテーデル美術館|マックス・ベックマン、ニューヨーク近代美術館|マックス・ベックマン)
1905年の《自画像》は、初期の模索を知るうえで格好の作品です。顔や衣服には短い筆触が重なり、背景には大きく区切られた色の面が見られます。所蔵するシュテーデル美術館は、筆触にゴッホ、背景の組み立てにセザンヌへの関心を指摘しています。画面下には、のちに結婚するミンナ・トゥーベへの献辞も残されています。後年の強い黒い輪郭を持つ絵と見比べると、ベックマンが最初から一つの様式で描いていたわけではないことが分かります。(参照:シュテーデル美術館|《自画像》(1905年))
ベックマンにとって、古典絵画の研究は若い頃だけの経験ではありませんでした。歴史画の大きな構図、人物を組み合わせる方法、宗教画に見られる三つ折りの形式は、晩年まで制作の中に残ります。変化の大きい20世紀の美術に身を置きながら、人間の姿や物語を描くことを重視し続けた点が、彼の画業を特徴づけています。(参照:ニューヨーク近代美術館|マックス・ベックマン)
第一次世界大戦――《夜》へ至る転換
1914年に第一次世界大戦が始まると、ベックマンは志願して衛生兵となりました。戦地の医療活動で負傷者や死者に接したのち、1915年に心身の不調から軍務を離れ、フランクフルトへ移ります。シュテーデル美術館は、この都市で過ごした時期を、彼が独自の表現を確立した重要な期間と位置づけています。戦争を経験した画家の変化は、戦後の絵の中でとりわけ明瞭になります。(参照:ニューヨーク近代美術館|マックス・ベックマン、シュテーデル美術館|フランクフルト時代)
代表作《夜》(1918–1919年)には、室内で家族が複数の男たちに襲われる場面が描かれています。腕や脚は不自然な方向に曲がり、家具、縄、人物の身体が狭い空間で重なり合っています。鑑賞するときは、誰が何をしているのかを確かめた後、画面の奥へ視線を逃がせる場所がどれほど少ないかにも注目するとよいでしょう。人々の苦痛に加えて、逃げ場のない部屋そのものが暴力の印象を強めています。制作期間は画面の署名に「1918年8月―1919年3月」と記されており、戦争の終結とドイツ革命が重なる時期でした。(参照:ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館|《夜》)
この絵は、戦場で実際に起きた一場面を描いた作品として説明されているわけではありません。家庭内に侵入した暴力を通して、戦争後の社会に広がる恐怖や不安を思い起こさせます。同じ頃に制作された版画集《地獄》も、革命後のベルリンを舞台に、暴力、混乱、飢え、歓楽を連作として扱いました。版画は絵を連続して見ることができ、都市のさまざまな場所で似たような不安が起こっていることを伝えます。絵画《夜》の図像も、この版画集の一場面に取り入れられています。(参照:メトロポリタン美術館|版画集《地獄》、メトロポリタン美術館|《地獄》展)
ヴァイマル共和国の都市と人々――1920年代の制作
第一次世界大戦後のドイツでは、帝政が終わり、ヴァイマル共和国の時代が始まりました。社会には政治的対立や経済不安が続くと同時に、都市の娯楽や新しい生活文化が広がります。ベックマンは酒場、劇場、サーカス、家族の集まりなどを繰り返し題材にしました。彼の画面では、人々は近くに集まっていても、視線が合わなかったり、家具によって隔てられたりします。生活の何気ない場面に、見知らぬ者同士が同じ場所にいるようなぎこちなさが生まれています。(参照:ニューヨーク近代美術館|マックス・ベックマン、ニューヨーク近代美術館|《家族の肖像》)
絵画だけでなく、版画もベックマンにとって重要な仕事でした。エッチング、ドライポイント、リトグラフなどを用い、黒い線と白い紙の対比を生かしています。《地獄》のように複数の作品をまとめた版画集では、一枚の絵に収まらない出来事を順番に描くことができました。戦後の混乱した社会を扱ううえで、こうした連作の形式には大きな意味がありました。(参照:ニューヨーク近代美術館|ベックマンの版画、メトロポリタン美術館|版画集《地獄》)
この時代は、作家としての地位が高まった時期でもあります。1925年にはフランクフルト市立美術工芸学校でマスタークラスを任され、1929年には市から大賞を受けました。地元の美術館や収集家との関係も深まり、フランクフルトは生活と制作の拠点になりました。政治的な混乱を描いていた画家が、同時に美術界の中心で活動していたことは、1933年以降の急激な転落を理解するうえで重要です。(参照:シュテーデル美術館|フランクフルト時代、フランクフルト市歴史資料|マックス・ベックマン)
自画像と肖像画――人は自分をどう見せるのか
ベックマンは生涯にわたって数多くの自画像を描きました。1919年の《シャンパン・グラスを持つ自画像》では夜の酒場に座るしゃれた紳士、1923年の《煙草を持つ自画像》では厳しい表情をした成功者のような姿を見せています。自画像を見るときは顔だけでなく、服装、手に持つもの、背後の人物や空間にも目を向けると、それぞれの作品の違いが分かってきます。シュテーデル美術館は、自画像でベックマンが繰り返し異なる役割を演じていたことを説明しています。(参照:シュテーデル美術館|《シャンパン・グラスを持つ自画像》、ニューヨーク近代美術館|《煙草を持つ自画像》)
《煙草を持つ自画像》では、暗いスーツと白いシャツ、煙草を持つ手つきによって、自信に満ちた人物の印象が生まれています。ニューヨーク近代美術館が注目するのは、画面左下に小さく見える赤い水玉模様の布です。道化師の衣装を思わせるこの部分が、威厳のある姿に別の意味を加えています。彼は自分を立派に見せる服装を選びながら、そこに芝居めいた要素も忍ばせていたのです。(参照:ニューヨーク近代美術館|《煙草を持つ自画像》)
妻マティルデ、愛称クアッピの肖像も、こうした関心を知る手がかりになります。《ピンクのセーターを着たクアッピ》(1932–1934年)では、鮮やかな衣服や帽子、煙草、堂々とした座り方が印象的です。所蔵館によると、作品の制作中にベックマンはクアッピの笑顔を控えめに描き直しました。その頃ドイツではナチスが政権を握り、夫妻の生活にも不安が迫っていました。服装や表情のわずかな違いが、個人の姿と当時の社会を結びつけています。(参照:ティッセン=ボルネミッサ美術館|《ピンクのセーターを着たクアッピ》)
表現主義と新即物主義――美術史のなかでの位置
ベックマンはドイツ表現主義や新即物主義に関連する画家として紹介されることが多くあります。表現主義は、20世紀初頭のドイツで発展した、強い色や変形された形によって感情や精神的な問題を表す動きです。新即物主義は、第一次世界大戦後の社会を冷静かつ鋭く見つめようとした1920年代の美術に付けられた名称で、オットー・ディクスやゲオルク・グロスらがよく知られています。ベックマンの都市を扱う絵や厳しい人物表現は、こうした同時代の作家と並べて考えることができます。(参照:ニューヨーク近代美術館|マックス・ベックマン、ニューヨーク近代美術館|《煙草を持つ自画像》)
ベックマン自身は、表現主義の主要グループである「青騎士」が進めた抽象化には批判的でした。人物や具体的な物を描き続け、古典絵画から学んだ群像の構成も大切にしています。作品には日常の衣服や家具とともに、神話の人物、意味をすぐには決められない道具、舞台のような場面が現れます。そのため、社会を観察する視線に加え、絵の中に物語を組み立てる関心も強く見られます。特定の美術運動に分類することは時代を理解する手がかりになりますが、作品ごとの違いを見比べることも大切です。(参照:ニューヨーク近代美術館|ベックマンの版画、ニューヨーク近代美術館|マックス・ベックマン)
ナチス政権の成立と三連画《出発》
1933年にナチスが政権を握ると、ベックマンはフランクフルトでの教職を解かれ、ベルリンへ移りました。1937年にはナチスの「退廃芸術」政策によって公立美術館にあった彼の絵画28点、紙作品500点以上が撤去されたと、メトロポリタン美術館は記録しています。芸術家として評価され、大学で教え、美術館に作品を収蔵されていた人が、政治権力によって公の活動の場を奪われました。この経験は、作品を制作当時の社会とともに見る必要がある理由の一つです。(参照:メトロポリタン美術館|ベックマンと亡命、フランクフルト市歴史資料|マックス・ベックマン)
三連画《出発》は1932年に制作が始まり、1935年に完成しました。三連画とは、三つの画面を組み合わせた作品の形式で、キリスト教の祭壇画にも多く用いられてきました。《出発》の両側には縛られ、傷つけられた人々が描かれ、中央には海上を進む船と、その上に立つ人々がいます。左右の息苦しい場面から中央の明るい海へ目を移すと、見る者は同じ作品の中で閉塞と解放という異なる印象を経験します。(参照:ニューヨーク近代美術館|《出発》)
この作品はナチス時代の不安を象徴する絵として広く知られています。制作開始は政権成立前の1932年にさかのぼり、ベックマン自身は特定の時代だけに限定される内容ではないと述べました。作品を理解するには、当時の政治状況を踏まえながら、画面の細部と三つの場面の関係を見ることが役立ちます。登場人物が誰なのか、一つの答えを決めなくても、暴力にさらされる人間と海へ出る人間が並ぶことの意味を考えられます。(参照:ニューヨーク近代美術館|《出発》)
アムステルダムでの亡命――神話と三連画
1937年、ミュンヘンで「退廃芸術」展が開かれた頃、ベックマンは妻クアッピとともにアムステルダムへ移りました。オランダでの滞在は約10年に及びます。1940年にはオランダもドイツ軍の占領下となり、夫妻は再びナチスの支配する地域で生活することになりました。ベックマンは国外への移住を望みながら制作を続け、この時期に250点を超える絵画を描いたとメトロポリタン美術館は伝えています。(参照:メトロポリタン美術館|ベックマンと亡命、ニューヨーク近代美術館|マックス・ベックマン)
1938年の《角笛を持つ自画像》では、暗い衣服の画家が角笛を顔の近くに持っています。楽器を手にしているのに演奏する姿ではなく、視線もまっすぐこちらを向いていません。ノイエ・ギャラリーは、亡命した画家の孤独と、それでも保たれた人間の尊厳を表す作品として紹介しています。自画像に描かれた道具が何を意味するのかを考えるとき、制作された直後の生活環境を知ることが、画面の静けさを捉える助けになります。(参照:ノイエ・ギャラリー|《角笛を持つ自画像》)
亡命期の作品では、船、王、楽器、鳥、神話の登場人物などが頻繁に描かれるようになります。三連画という形式を使えば、互いに異なる場面を同時に並べることができます。例えば、のちに完成する《始まり》では、子どもの頃の学校の記憶と夢のような光景が隣り合っています。ベックマンの作品では、古典的な形式が戦争や亡命を生きた個人の経験を表現するために使われました。(参照:メトロポリタン美術館|《始まり》、メトロポリタン美術館|ベックマンと亡命)
アメリカ移住と晩年――《始まり》《アルゴナウタイ》
1947年、ベックマン夫妻はアメリカへの渡航を実現し、セントルイスへ移ります。画家はワシントン大学で教え、1949年にはニューヨークに移ってブルックリン美術館の美術学校でも教育に携わりました。新しい環境で制作を続けた期間は長くありませんでしたが、《始まり》(1946–1949年)や《アルゴナウタイ》(1949–1950年)など、重要な三連画が完成しています。後年の作品を見ると、画面に現れる人物や小道具はますます多彩になっています。(参照:ニューヨーク近代美術館|マックス・ベックマン、メトロポリタン美術館|「Max Beckmann in New York」、ワシントン・ナショナル・ギャラリー|《アルゴナウタイ》)
《始まり》は幼年期の記憶を扱った作品です。学校での出来事と空想の場面が三つの画面に描かれ、中央では現実の記憶と夢のイメージが入り混じります。戦争と亡命を経験した晩年の画家が、自分の過去を振り返って描いたという事情を知ると、奇妙な登場人物や出来事にも親しみを感じられます。メトロポリタン美術館は、ユーモアを交えて子ども時代を回想した自伝的な作品と説明しています。(参照:メトロポリタン美術館|《始まり》)
最後の三連画《アルゴナウタイ》は、ギリシア神話に登場する航海者たちの名前を題名にしています。制作当初は《芸術家たち》という題で、絵画、詩、音楽を三つの画面で示そうとしていました。左側には絵筆とパレットを持つ男、中央には神話に登場する人物たち、右側には音楽に関わる女性たちが描かれています。神話の旅と芸術家の人生が重なり、晩年の画業を振り返る作品としても見ることができます。ベックマンは1950年12月、ニューヨークで死去しました。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|《アルゴナウタイ》、メトロポリタン美術館|ベックマンと亡命)
ベックマンの絵画をどう見るか――造形と美術史的な意義
ベックマンの作品を見る際に、まず目を向けたいのは人物の配置です。《夜》の室内には、手足、家具、縄が幾重にも交差しています。《出発》では三つの画面に異なる広がりがあり、中央の海が左右の閉ざされた部屋と際立った対照をなしています。こうした違いは、題材の意味が分からなくても画面を見比べれば確かめられます。どこに目が向かうか、人物同士は近いか遠いか、息苦しさを感じるのはどこかという観察から、作品の理解を深めることができます。(参照:ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館|《夜》、ニューヨーク近代美術館|《出発》)
太い黒線と鮮やかな色にも注目したいところです。ベックマンは輪郭によって顔や身体、衣服と背景をはっきり区切ります。色彩も赤、青、緑、ピンクなど幅広く、暗い題材だからといって画面が暗色一色になるわけではありません。《ピンクのセーターを着たクアッピ》では、黒い輪郭と鮮やかな服の色が人物の存在感を強めています。所蔵館は、色を重ねる前に太い黒線で構図を定める制作方法にも触れています。(参照:ティッセン=ボルネミッサ美術館|《ピンクのセーターを着たクアッピ》)
さらに大切なのは、身近な生活と遠い時代の物語が同じ作品に現れることです。ベックマンは自分の顔や家族、都市の人々を描きながら、祭壇画に由来する三連画やギリシア神話も用いました。20世紀前半の美術では抽象絵画が発展しましたが、彼は人間を描くことで現代の社会や個人の経験を伝える方法を探り続けました。現在も美術館が作品や素描を研究・展示しているのは、その表現が戦争、亡命、個人の記憶、絵画の歴史を考える多くの手がかりを含んでいるためです。(参照:ニューヨーク近代美術館|マックス・ベックマン、シュテーデル美術館|素描展「Beckmann」)
主要作品
初期の《自画像》から《夜》、版画集《地獄》、1920年代の肖像、三連画《出発》《始まり》《アルゴナウタイ》まで、12作品を年代順に紹介します。画面に何が描かれているかを確認し、その表現が生まれた社会的・歴史的な背景にも触れながら解説します。
自画像
Self-Portrait / Selbstbildnis / 1905 / 油彩、キャンバス / 43.9 × 55.1 cm
Städel Museum, Frankfurt am Main
短い筆触と背景の幾何学的な色面に、ゴッホとセザンヌへの関心が見られる初期作品。画面下にミンナ・トゥーベへの献辞が残ります。
夜
Die Nacht / The Night / 1918–1919 / 油彩、キャンバス / 134 × 155 cm
Kunstsammlung Nordrhein-Westfalen, Düsseldorf
家庭内の暴力を描いた戦後の代表作。人物の手足、家具、縄が入り組み、画面の奥行きが圧迫されたような印象を生みます。
地獄
Die Hölle / Hell / 1918–1919 / 転写リトグラフ11点による版画集 / 作品ごとに異なる(所蔵の画集は閉じた状態で89.8 × 67.4 cm)
The Metropolitan Museum of Art, New York
第一次世界大戦後のベルリンの混乱を描くリトグラフの連作。革命期の都市と市民の苦しみを11点にわたって扱います。
シャンパン・グラスを持つ自画像
Self-Portrait with Champagne Glass / 1919 / 油彩、キャンバス / 65 × 55.5 cm
Städel Museum, Frankfurt am Main
タキシード姿の自画像。酒場の華やかさに、背景で笑う不気味な人物と窮屈な構図が重なります。
家族の肖像
Family Picture / 1920 / 油彩、キャンバス / 65.1 × 100.9 cm
The Museum of Modern Art, New York
同じ部屋に集まりながら互いの視線が合わない人物たち。戦後の都市に生きる人間の距離を感じさせる作品です。
煙草を持つ自画像
Self-Portrait with a Cigarette / 1923 / 油彩、キャンバス / 60.2 × 40.3 cm
The Museum of Modern Art, New York
実業家を思わせる姿に、道化師の衣装を示唆する赤い水玉模様が加わります。小さな細部が人物像の印象を変えます。
ピンクのセーターを着たクアッピ
Quappi in Pink Jumper / 1932–1934 / 油彩、キャンバス / 105 × 73 cm
Museo Nacional Thyssen-Bornemisza, Madrid
鮮やかな衣服と強い黒線が印象的な妻の肖像。1932年の着手後、政情が悪化するなかで表情が描き直されました。
出発
Departure / 1932–1935 / 油彩、キャンバス、三連画 / 左右各215.3 × 99.7 cm、中央215.3 × 115.2 cm
The Museum of Modern Art, New York
左右の暴力的な場面と、中央の穏やかな海上の船を並べた三連画。ナチス政権成立前に着手され、1935年に完成しました。
水浴の情景(緑のマント)
Bathing Scene (The Green Cloak) / 1934 / 油彩、キャンバス / 141 × 72.5 cm
National Gallery of Art, Washington
縦長の画面に海辺の人物を配した作品。明るい緑と青、黒い輪郭による色面の分け方が特徴です。
角笛を持つ自画像
Self-Portrait with Horn / 1938 / 油彩、キャンバス / 公式作品記録参照
Neue Galerie New York / Private Collection(公式展覧会表記)
アムステルダムへの亡命後に描いた自画像。角笛を顔の近くに持つ画家の姿には、孤立と内省が表れています。
始まり
The Beginning / 1946–1949 / 油彩、キャンバス、三連画 / 全体175.3 × 318.8 cm、左165.1 × 85.1 cm、中央175.3 × 149.9 cm、右165.1 × 85.1 cm
The Metropolitan Museum of Art, New York
子ども時代の記憶と夢を三つの画面に描いた晩年作。1946年に着手し、アメリカ移住後の1949年に完成しました。
アルゴナウタイ
The Argonauts / 1949–1950 / 油彩、キャンバス、三連画 / 全体205.74 × 292.1 cm
National Gallery of Art, Washington
絵画・詩・音楽という構想とギリシア神話の航海者たちを結びつけた、ベックマン最後の三連画。
《自画像》(1905年)
20歳を過ぎたばかりのベックマンが、こちらを見つめる姿を描いた作品です。顔や上着には短い筆触が積み重なり、背景は比較的大きな色の面に分けられています。画面に目を近づけて見ると、人物と周囲の空間が同じ描き方で処理されていないことに気づきます。(参照:シュテーデル美術館|《自画像》(1905年))
当時のベックマンはパリやイタリアを訪ね、ヨーロッパの古典絵画と近代絵画を学んでいました。シュテーデル美術館は、この絵にゴッホの自画像とセザンヌの画面構成への関心を見ています。画面下の献辞は、のちに結婚するミンナ・トゥーベへ向けたものです。自分自身を描くというテーマは、その後も画家の大切な仕事となり、衣装や表情、背景を変えた自画像へと発展していきます。(参照:シュテーデル美術館|《自画像》(1905年)、シュテーデル美術館|マックス・ベックマン)
《夜》(1918–1919年)
狭い室内で、男たちが家族を襲っています。ひねられた腕、首を絞める手、縛られた身体が画面の各所にあり、何が起こっているのか理解するまでに時間がかかるほど人物と家具が入り組んでいます。画面の奥には落ち着いて眺められる空白がほとんどなく、鑑賞者の目は次々に別の暴力の場面へ引き寄せられます。(参照:ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館|《夜》)
制作時期は第一次世界大戦の末期からドイツ革命の時期と重なります。ベックマン自身も戦争で衛生兵を経験し、心身の不調によって軍務を離れていました。戦闘の現場を再現した絵ではなく、戦争が終わっても人々の暮らしから暴力が消えないという不安を、家庭の中の出来事として見ることができます。この絵の来歴について、所蔵館は1930年代初頭の所有関係に未解明の部分が残ることも公表しています。作品の背景を知るには、制作された時代に加え、その後どのように所蔵者が変わったのかにも目を向ける必要があります。(参照:ニューヨーク近代美術館|マックス・ベックマン、ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館|《夜》)
版画集《地獄》(1918–1919年)
《地獄》は11点のリトグラフで構成された版画集です。ページごとに異なる場面が現れ、暴力に巻き込まれる市民や、混乱の中で暮らす都市の人々が描かれています。画面を区切る強い黒線と白い部分の対比が、人物の表情や動きを際立たせます。絵画《夜》と共通する場面も収録され、同じ題材が絵画と版画でどのように変わるのか比較できます。(参照:メトロポリタン美術館|版画集《地獄》)
作品を考えるうえで重要なのが1919年3月のベルリンです。帝政崩壊後のドイツでは革命と反革命の衝突が続き、ベックマンは激しい暴力が起きていた都市を訪れました。メトロポリタン美術館は、その経験が版画集制作の契機になったと説明しています。連作を続けて見ると、暴力は一つの事件に限らず、街全体の生活に及んでいるように感じられます。(参照:メトロポリタン美術館|《地獄》展、シュテーデル美術館|版画《夜》(《地獄》より))
《シャンパン・グラスを持つ自画像》(1919年)
タキシード姿のベックマンが酒場の椅子に座り、シャンパンの入ったグラスを掲げています。しゃれた服装と落ち着いた態度からは、都会で生活する紳士のような印象を受けます。ところが背景には、顔をゆがめて笑う不気味な人物がいます。画面は意外なほど狭く、主人公の身体も窮屈に押し込まれています。(参照:シュテーデル美術館|《シャンパン・グラスを持つ自画像》)
第一次世界大戦が終わって間もない1919年に制作された作品です。同じ頃にベックマンは、家庭内の暴力を描いた《夜》にも取り組んでいました。シュテーデル美術館は、背景の笑う人物を含む酒場の様子を、戦間期の社会を映すものとして解説しています。作者は自分を苦しむ人物として正面から描く代わりに、華やかな場に身を置く人物として示しました。その演出と背景の不穏な表情を合わせて見ると、楽しいはずの夜の場面に緊張が生まれていることが分かります。(参照:シュテーデル美術館|《シャンパン・グラスを持つ自画像》)
《家族の肖像》(1920年)
一つの部屋に複数の人物が集まっている、家族を題材とした絵です。人物はそれぞれ違う方向を向き、椅子や家具によって身体が分けられています。普通の記念写真を思い浮かべながら見ると、親しい人々が同じ場所にいるのに、視線や身振りがそろっていないことに気づきます。(参照:ニューヨーク近代美術館|《家族の肖像》)
第一次世界大戦後のドイツでは、社会秩序が変わり、都市の暮らしも大きく揺れていました。ベックマンが《夜》で家庭を暴力の場として描いた翌年、この作品では身近な共同生活の場を静かに観察しています。暴力的な出来事が描かれているわけではありません。室内の人々の距離や家具の配置を確かめることで、安心できるはずの家庭にも複雑な人間関係があることを感じさせる絵です。(参照:ニューヨーク近代美術館|《家族の肖像》、ニューヨーク近代美術館|マックス・ベックマン)
《煙草を持つ自画像》(1923年)
ベックマンは暗いスーツを着て正面を向き、片手に煙草を持っています。険しい表情と整った服装から、仕事で成功した人物や権威ある人物のようにも見えます。ニューヨーク近代美術館は、この姿を成功した実業家になぞらえるとともに、画面の左下に見える赤い水玉模様の布に注目しています。(参照:ニューヨーク近代美術館|《煙草を持つ自画像》)
赤い布は道化師の衣装を思わせ、自信に満ちた姿に、どこか芝居じみた印象を加えています。1920年代のベックマンはサーカスや都市の娯楽を繰り返し描き、自分自身の姿にも衣装や小道具を使いました。この自画像では、正面から顔を見たときの印象と、細部に気づいた後の印象が少し変わります。作品を鑑賞する際には、こうした小さな発見が人物像の理解を大きく変えることがあります。(参照:ニューヨーク近代美術館|《煙草を持つ自画像》、ニューヨーク近代美術館|マックス・ベックマン)
《ピンクのセーターを着たクアッピ》(1932–1934年)
ベックマンの二番目の妻クアッピが、鮮やかなピンクのセーターと帽子を身につけ、青い椅子に脚を組んで座っています。煙草を持ち、正面を見つめる姿には、20世紀前半の都市生活を送る女性の自信が表れています。ピンクと青の対比、太い黒い輪郭、平らに見える背景にも注目すると、衣服の色彩が人物の印象を強く左右していることが分かります。(参照:ティッセン=ボルネミッサ美術館|《ピンクのセーターを着たクアッピ》)
この肖像は1932年に描き始められ、1934年に完成しました。その間にドイツではナチス政権が成立し、ベックマンは教職を失います。ティッセン=ボルネミッサ美術館によると、彼は仕上げの際にクアッピの笑顔を控えめに変更し、署名の年も書き直しました。同館はその変化を、政権成立による夫妻の不安と結びつけています。服装の華やかさと表情の微妙な変化に目を向けることで、一人の人物の肖像に時代の影が入り込んでいることが分かります。(参照:ティッセン=ボルネミッサ美術館|《ピンクのセーターを着たクアッピ》、フランクフルト市歴史資料|マックス・ベックマン)
《出発》(1932–1935年)
三つの画面を横に並べた、ベックマンの代表的な三連画です。左右には暴力を受ける人物や目を覆う人物が密集し、中央には穏やかな海を進む船が描かれています。中央の船には王と王妃を思わせる人物、子ども、戦士、船員などが立っています。青い空と海の広がりは、暗く込み合った左右の画面と対照的です。まず左右と中央を見比べると、作品の大きな特徴をつかむことができます。(参照:ニューヨーク近代美術館|《出発》)
制作は1932年に始まり、ナチスが政権を握った1933年をまたいで1935年に完成しました。画家はこの間にフランクフルトでの教職を追われています。その歴史を踏まえると、左右の拘束と中央の航海を、迫害と自由への希望に重ねて見ることができます。ニューヨーク近代美術館は、この解釈が広く行われてきたことを示すとともに、作者自身が「どの時代にも当てはまる」作品だと語ったことを紹介しています。画面には宗教画や神話を思わせる人物も登場し、特定の政治事件を一対一で描き出す方法とは異なる豊かさがあります。(参照:ニューヨーク近代美術館|《出発》)
《水浴の情景(緑のマント)》(1934年)
明るい海辺に三人の人物が描かれています。手前の女性は緑の衣服を身につけて背中を向け、その隣に男性が立ち、もう一人の人物は身体の一部だけが見えています。空や海は青く、衣服は鮮やかな緑です。休暇を思わせる題材でも、人物の身体は太い黒線で明確に区切られ、縦長の画面の中に密集しています。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|《水浴の情景》)
制作年は1934年。ベックマンがナチス政権によって教職を失い、ベルリンへ移った後の作品です。この時期の彼の絵は暴力や神話だけで説明できず、色彩豊かな海辺の場面も描かれました。人物の視線や立ち位置、身体の重なりを見ると、明るい場所でも互いの関係はすぐには分かりません。鑑賞者は色の美しさを楽しみながら、人々の間にどのような関係があるのかを想像できます。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|《水浴の情景》、フランクフルト市歴史資料|マックス・ベックマン)
《角笛を持つ自画像》(1938年)
暗い服を着たベックマンが角笛を持ち、横に視線を向けています。角笛は音を遠くまで伝える道具ですが、絵には演奏している人も、聴いている相手も描かれていません。顔、手、楽器が明るく浮かび上がり、周囲の暗さがその姿を強調しています。作品の静けさは、角笛という音の出る道具と不思議な組み合わせになっています。(参照:ノイエ・ギャラリー|《角笛を持つ自画像》)
1938年は、ベックマンがドイツを離れてアムステルダムに移った翌年です。ナチスの政策によって仕事と生活の拠点を失った彼は、亡命者として新しい土地で暮らしていました。ノイエ・ギャラリーは、孤立した画家の姿に、自分の尊厳を保とうとする意志を見ています。絵の角笛が何を指すのかを一つに決めなくても、誰かに呼びかける道具を手にした人物の表情から、亡命という経験を考えることができます。(参照:ノイエ・ギャラリー|《角笛を持つ自画像》、メトロポリタン美術館|ベックマンと亡命)
《始まり》(1946–1949年)
晩年の三連画《始まり》は、子ども時代の思い出と夢を題材にしています。学校の教室を思わせる場面や、現実には起こりそうにない出来事が三つの画面に並びます。中央では記憶と空想が混じり合い、一つの出来事を順番に説明する絵とは違った見え方をします。奇妙な登場人物を見ながら、夢の中で昔の記憶が組み合わさる感覚を思い出す人もいるかもしれません。(参照:メトロポリタン美術館|《始まり》)
制作は1946年にアムステルダムで始まり、アメリカに渡った後の1949年に完成しました。メトロポリタン美術館は、ベックマンが幼い頃を愛情とユーモアをもって振り返った自伝的な作品と説明しています。戦争や亡命によって生活の場所を何度も変えた画家が、晩年になって自分の「始まり」を主題にしたことも興味深い点です。作品の大きさは全体で175.3×318.8センチメートルあり、個人の記憶が大規模な三連画として表現されています。(参照:メトロポリタン美術館|《始まり》)
《アルゴナウタイ》(1949–1950年)
ベックマンが最後に完成させた三連画です。左にはキャンバスに向かう画家と剣を持つ女性、中央には複数の神話的人物、右には楽器や楽譜に囲まれた女性たちが描かれています。ギリシア神話のアルゴナウタイは、イアソンとともに海を渡り、黄金の羊毛を探す冒険者たちのことです。ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、中央の人物をオルフェウス、イアソン、海神グラウコスと説明しています。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|《アルゴナウタイ》)
この作品は当初《芸術家たち》という題で構想され、左に絵画、中央に詩、右に音楽を表す予定でした。ベックマンは夢をきっかけに題名を《アルゴナウタイ》へ変更したと所蔵館は伝えています。神話上の航海者と、亡命して海を渡った画家自身の人生が重なって見えます。観者は三つの場面を順番に見てもよいですし、そこに絵画・詩・音楽という別のまとまりを見つけることもできます。長く人物と物語を描き続けたベックマンの晩年を知るうえで、重要な作品です。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|《アルゴナウタイ》)
略年譜
- 1884
- 2月12日、ドイツのライプツィヒに生まれる。
- 1900
- ヴァイマルの美術学校に入学。
- 1905
- 《自画像》を制作。
- 1907
- ベルリンへ移り、ベルリン分離派に参加。
- 1914–1915
- 第一次世界大戦で衛生兵として従軍。1915年に軍務を離れる。
- 1915
- フランクフルトへ移る。
- 1918–1919
- 《夜》、版画集《地獄》を制作。
- 1919
- 《シャンパン・グラスを持つ自画像》を制作。
- 1923
- 《煙草を持つ自画像》を制作。
- 1925
- 美術工芸学校のマスタークラスを任され、クアッピと結婚。
- 1929
- フランクフルト市から大賞を受ける。
- 1932–1935
- 三連画《出発》を制作。
- 1933
- ナチス政権成立後、教職を解かれベルリンへ移る。
- 1937
- 「退廃芸術」政策による作品撤去が進むなか、妻とアムステルダムへ移る。
- 1938
- 《角笛を持つ自画像》を制作。
- 1940
- ドイツ軍がオランダを占領。
- 1946–1949
- 三連画《始まり》を制作。
- 1947
- アメリカへ移り、セントルイスで教える。
- 1949
- ニューヨークに移り、教職に就く。
- 1949–1950
- 三連画《アルゴナウタイ》を制作。
- 1950
- 12月27日、ニューヨークで死去。
参考資料・出典
本記事は各美術館の作品解説、展覧会資料、自治体の歴史資料に基づいて構成しています。本文と主要作品の解説では、参照した内容を段落の末尾にリンクで示しました。造形上の特徴に関する記述には、作品画面から確認できる観察と、所蔵館が提示する解釈の両方を含みます。
- シュテーデル美術館|マックス・ベックマン
- シュテーデル美術館|フランクフルト時代
- シュテーデル美術館|《自画像》(1905年)
- シュテーデル美術館|《シャンパン・グラスを持つ自画像》
- シュテーデル美術館|版画《夜》(《地獄》より)
- ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館|《夜》
- メトロポリタン美術館|版画集《地獄》
- メトロポリタン美術館|《地獄》展
- ニューヨーク近代美術館|マックス・ベックマン
- ニューヨーク近代美術館|ベックマンの版画
- ニューヨーク近代美術館|《家族の肖像》
- ニューヨーク近代美術館|《煙草を持つ自画像》
- ニューヨーク近代美術館|《出発》
- ティッセン=ボルネミッサ美術館|《ピンクのセーターを着たクアッピ》
- ワシントン・ナショナル・ギャラリー|《水浴の情景》
- ノイエ・ギャラリー|《角笛を持つ自画像》
- メトロポリタン美術館|ベックマンと亡命
- メトロポリタン美術館|《始まり》
- ワシントン・ナショナル・ギャラリー|《アルゴナウタイ》
- メトロポリタン美術館|「Max Beckmann in New York」
- シュテーデル美術館|素描展「Beckmann」
- フランクフルト市歴史資料|マックス・ベックマン
資料確認日:2026年10月9日 / ART LIBRARY