Death and salvation in renaissance Florence: Masaccio, The Holy Trinity (Smarthistory)
Paying tribute, Masaccio at the Brancacci Chapel (The Tribute Money and The Expulsion) (Smarthistory)
美術史家、ヴィダ・ハル博士
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15世紀初頭のフィレンツェでは、羊毛業や商業で栄えた市民が教会の礼拝堂や祭壇画を注文し、画家たちは金地と鮮やかな顔料を使って聖書の物語を描いていました。街ではブルネレスキの建築やドナテッロの彫刻が新しい人体と空間の表し方を探り、絵画にも変化が生まれ始めていました。
そのフィレンツェで活動したのが、トスカーナ地方に生まれたマザッチョです。1420年代のわずかな活動期間に、マゾリーノと共同制作した祭壇画、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の《三位一体》、ブランカッチ礼拝堂の大壁画などを残しました。人物の重い身体や自然な身振り、建築の奥行きを宗教画の中に描き込んだことが、初期ルネサンスの重要な変化として評価されています。
最初期の《サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画》から、二人の画家の違いが見える《聖アンナ・メッテルツァ》、礼拝堂の壁画、各地に分かれたピサの祭壇画へ。短い画業の中で絵画の人物と空間がどのように変わったのか、作品をたどりながら見ていきましょう。
CONTENTS
フィレンツェで画家への道を歩む
15世紀初頭のフィレンツェでは、同業組合が教会の祭壇画や礼拝堂の装飾を注文し、画家の工房が絵の具の調製から板の下地づくり、壁画制作まで担っていました。ロレンツォ・モナコやジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの作品に見られる金地と細やかな衣の表現が好まれる一方、ブルネレスキの建築やドナテッロの彫刻は、人体と空間を新しい方法で表そうとしていました。
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノでの生い立ち
マザッチョは1401年、フィレンツェ南東のサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノに生まれました。本名はトンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ・ディ・モーネ・カッサイ。早くに父を亡くし、母の再婚を経て成長しました。弟のジョヴァンニも画家となり、のちに「ロ・スケッジャ」と呼ばれます。
1418年にはフィレンツェで画家として活動していたことが史料に見え、1422年には薬種商・医師の組合へ登録されました。当時の画家は顔料の扱いに関わるため、この組合に所属するのが一般的でした。修業先の工房は確定しておらず、現存する作品と同時代の記録を通して初期の活動がたどられています。(参照:イタリア百科事典 | マザッチョの生涯と初期作品、ロンドン・ナショナル・ギャラリー | マザッチョの生涯と画業)
金地絵画が主流だったフィレンツェ
同時代のジェンティーレ・ダ・ファブリアーノによる《東方三博士の礼拝》(1423年)では、金箔の装飾、絹や毛皮の質感、華やかな行列が宗教画を豊かに彩りました。祭壇画は礼拝のための像であると同時に、注文主の信仰や財力を表す大切な品でもありました。
マザッチョは金地や聖人の光輪など、教会が求める伝統的な表現を引き継ぎながら、人物の身体を陰影によって立体的に描きました。金色の背景と量感のある人物が共存する初期作品を見れば、その変化が短い期間のうちに進んだことが分かります。(参照:カポディモンテ美術館 | 《磔刑》とピサ祭壇画、ロンドン・ナショナル・ギャラリー | マザッチョの生涯と画業)
《サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画》の新しい空間
Masaccio – Madona y Niño del Tríptico de San Giovenale (TODO EL ARTE POSIBLE )
1422年4月23日の日付を持つ《サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画》は、マザッチョの最初期の仕事を伝える重要な作品です。フィレンツェ郊外カッシャのサン・ジョヴェナーレ教会のために作られ、現在はレッジェッロのマザッチョ美術館が紹介しています。
三枚の板をつなぐ玉座と床
中央の聖母は背の高い玉座に腰かけ、幼子キリストを膝に抱きます。玉座の下の緑色の床には斜めの線が描かれ、その延長は聖母の首のあたりへ集まります。左右の聖人像と中央の聖母子はそれぞれ金地の板に収められていますが、玉座と床が奥行きのある一つの場所を作っています。
左には聖バルトロマイと聖ブラシウス、右には聖アントニウスと聖ジョヴェナーレが立ちます。聖人たちの目線や立つ位置、玉座の段差が空間に秩序を与え、伝統的な三連祭壇画の中に新しい遠近法の試みが現れています。(参照:マザッチョ美術館 | 《サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画》)
ブドウを口に運ぶ幼子の身体
キリストは片手に持ったブドウを口に運び、指を吸うような身振りを見せます。ブドウは聖餐の葡萄酒を通じてキリストの受難を想起させるもので、母の膝に立つ幼子の自然な仕草に宗教的な意味が重ねられています。足元の二人の天使は、身体を短縮して奥行きのある姿勢でひざまずいています。
幼子の腹や腿、聖母の衣には明暗による厚みがあり、玉座の上に重さのある身体が乗っているように見えます。初期の段階から、マザッチョの人物像にはこの具体的な身体感覚が備わっていました。(参照:マザッチョ美術館 | 《サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画》、ロンドン・ナショナル・ギャラリー | マザッチョの生涯と画業)
彫刻家たちと共有した人体表現
ドナテッロの彫刻に近い身体の重さ
1420年代のフィレンツェでは、ドナテッロが人物を実在する身体のように立たせる彫刻を発展させていました。マザッチョの聖母や使徒にも、肩から腕へ続く骨格、衣の下で曲がる膝、床に重心を置く足の表現が見られます。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、マザッチョがドナテッロの作品から強い刺激を受けたと説明しています。ピサの《聖母子》では、ドナテッロの浮彫《聖母子》と共通する座り方や楽器を奏でる天使の配置も指摘されています。交流と具体的な造形の類似を合わせて見ることで、彫刻と絵画が近接して発展した様子を理解できます。(参照:ロンドン・ナショナル・ギャラリー | マザッチョの生涯と画業、ロンドン・ナショナル・ギャラリー | 《聖母子》)
ブルネレスキの遠近法と画面の奥行き
ブルネレスキはフィレンツェで建築を研究し、一定の視点から建物がどのように見えるかを探究しました。絵画に応用された線遠近法では、床や柱の平行線を画面の奥の一点へ向かわせ、建物の大きさや距離を整えます。
マザッチョの絵画では、遠近法が人物の位置や大きさを決める役割を担っています。《サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画》では玉座の段差にその試みが現れ、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の《三位一体》では、礼拝堂そのものが壁の奥へ続くように描かれました。後者の設計にブルネレスキが直接関わったかは研究上の論点です。(参照:マザッチョ美術館 | 《サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画》、貴石加工所 | 《三位一体》の年代・図像と修復研究)
マゾリーノとの共同制作と《聖アンナ》
1424〜1425年頃、マザッチョは年長の画家マゾリーノと《聖アンナ・メッテルツァ》を共同制作しました。作品はフィレンツェのサンタンブロージョ教会のために注文された板絵で、現在はウフィツィ美術館が所蔵しています。
聖アンナへの信仰と注文主
大きな椅子には聖アンナが座り、その前に娘マリアと孫のキリストが重なって描かれています。「メッテルツァ」はアンナが三代目の人物として後方に加わる図像を指す呼び方です。注文主は織物業に関わるブオナミーチ家のノフリ・デル・ブルット・ブオナミーチでした。
フィレンツェで聖アンナへの信仰が強かった背景には、1343年7月26日の祝日にアテネ公の支配が終わったという都市の記憶もあります。教会の祭壇に飾られたこの聖母子像には、家族の信仰とフィレンツェ市民の歴史が重なっていました。(参照:ウフィツィ美術館 | 《聖アンナ・メッテルツァ》)
一枚の絵で見比べられる二人の画風
ウフィツィ美術館の解説によると、マゾリーノが聖アンナを、マザッチョが聖母子を主に担当したと考えられています。後方のアンナは輪郭と衣が穏やかに整い、前に座る聖母は膝と胴体の厚みが明暗によって強く表されています。幼子の腕と胸には重量感があり、母子の距離も近く感じられます。
この制作分担はロベルト・ロンギが1940年に論じ、従来マザッチョ単独作とされていた作品への見方を変えました。マゾリーノの優雅な表現と、マザッチョの立体的な人物像が同一画面に収まるため、初期ルネサンスの異なる方法を直接比較できる作品です。(参照:ウフィツィ美術館 | 《聖アンナ・メッテルツァ》、イタリア百科事典 | マザッチョの生涯と初期作品)
マゾリーノとの関係が示す制作環境
マゾリーノはマザッチョより十数歳以上年長で、金地の聖母像や優美な衣の曲線を得意としていました。ウフィツィ美術館に残る《謙譲の聖母》を見ると、なめらかな輪郭と装飾的な衣の扱いが分かります。
二人はサンタンブロージョの祭壇画に続き、ブランカッチ礼拝堂でも仕事を分担しました。共同制作では依頼を受けた画家と実際に各部分を担当した画家が一致するとは限らず、絵の具の層や素描、人物の作り方を比較する研究が重ねられています。(参照:ウフィツィ美術館 | マゾリーノ《謙譲の聖母》、ロンドン・ナショナル・ギャラリー | 《聖ヒエロニムスと洗礼者聖ヨハネ》)
《三位一体》と壁面の中に現れる礼拝堂
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂に残る《三位一体》は、遠近法を用いたマザッチョの代表的な壁画です。制作年代には複数の見解があり、国立修復機関の貴石加工所は1424〜1425年頃とする研究を紹介しています。
描かれた円筒ヴォールトと一点透視
大きなアーチの奥には、格子状の天井を持つ架空の礼拝堂が続きます。天井の横線と奥へ向かう線は一定の消失点に従い、実際の壁面が深く掘り込まれたように見えます。中央には磔刑のキリスト、背後には十字架を支える父なる神が立ち、二人の間に聖霊を表す鳩が描かれています。
十字架の左右には聖母と福音書記者ヨハネ、画面の外縁には跪く男女の寄進者が置かれています。寄進者は聖書の人物と同じ空間へ視覚的に近づき、礼拝者が実際に立つ床の高さとも関係づけられます。壁画の奥行きは、見る人のいる聖堂の空間と連続して感じられるよう設計されています。(参照:貴石加工所 | 《三位一体》の年代・図像と修復研究)
寄進者の下に描かれた骸骨と碑文
《三位一体》の下部には、墓を思わせる凹部と横たわる骸骨があります。そばのイタリア語の碑文は、今は死んだ者もかつては見る人と同じく生き、見る人もやがてその状態になるという意味です。骸骨はアダムの遺骨と解釈され、原罪とキリストの犠牲を結ぶ図像として読まれてきました。
下部の死の記憶、中央のキリストの受難、上方の父なる神を縦に見る構成は、礼拝者に死と救済を一続きの関係として示します。遠近法が作る建築空間は、この宗教的な主題を目の前に現す働きを担っています。(参照:貴石加工所 | 《三位一体》の年代・図像と修復研究)
制作年と設計をめぐる研究
壁画の制作年を直接示す契約書は伝わっていません。貴石加工所は1999〜2000年の保存修復調査に基づき、制作を1424〜1425年頃とみるクリスティーナ・ダンティの2004年の研究を紹介しています。ブランカッチ礼拝堂との前後関係についても、技法や画風から検討が続いています。
遠近法の正確さからブルネレスキの助言を想定する説があり、視点の位置については聖堂内の旧入口からの眺めを考える研究もあります。現存する壁画の設計、礼拝者が通った経路、後世の移設と修復を区別して検討することで、作品の当初の見え方が探られています。(参照:貴石加工所 | 《三位一体》の年代・図像と修復研究)
ブランカッチ礼拝堂の大壁画
サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂のブランカッチ礼拝堂では、1420年代にマゾリーノとマザッチョが聖ペテロの生涯を中心とする壁画を制作しました。商人フェリーチェ・ブランカッチの注文で始まった仕事は、マザッチョの画業でも特に大きな事業となりました。
礼拝堂の主題とブランカッチ家の注文
壁面には《貢の銭》や《病人を癒やす聖ペテロ》など、使徒ペテロの行為が続けて描かれています。ペテロは初代教皇として重視される人物で、その生涯を追う壁画は、カルメル会の聖堂における信仰の場を形づくりました。
壁画群は二人の画家が分担し、その後制作が中断され、15世紀後半にフィリッピーノ・リッピが完成させました。現存する礼拝堂を読むには、マゾリーノ、マザッチョ、フィリッピーノという異なる世代の仕事を区別する必要があります。(参照:フィレンツェ市立博物館 | ブランカッチ礼拝堂の歴史、フィレンツェ市立博物館 | ブランカッチ礼拝堂の壁画群)
礼拝堂全体を結ぶ光と人物の大きさ
マザッチョの場面では、使徒たちが地面へ影を落とし、身体の向きや衣の明暗によって画面内の位置を示しています。《貢の銭》では中央のキリストを取り囲む集団が実在する人々のように重なり、《聖ペテロの影による治癒》では街路に立つ人物が近い距離から見られます。
異なる場面に共通するのは、光の方向と人物の重さを意識した描き方です。二人の画家の様式には違いがありますが、礼拝堂の壁を歩いて見渡すと、宗教物語が建築空間の周囲に広がることを実感できます。(参照:フィレンツェ市立博物館 | ブランカッチ礼拝堂の壁画群、ロンドン・ナショナル・ギャラリー | マザッチョの生涯と画業)
マゾリーノの《誘惑》との対照
マゾリーノの《アダムとエヴァの誘惑》では、二人が優雅な輪郭を保ちながら静かに立ち、蛇を巻いた木のそばで視線を交わしています。隣り合うマザッチョの《楽園追放》では、アダムが顔を覆い、エヴァが口を開いて悲嘆を表します。
同じ二人を扱いながら、前者は禁断の果実をめぐる誘惑の場面、後者は罪の結果として楽園を離れる場面です。人物の身振りと肉体の違いが、聖書物語の前後関係を視覚的に強調しています。(参照:カポディモンテ美術館 | 《磔刑》とピサ祭壇画、フィレンツェ市立博物館 | ブランカッチ礼拝堂の壁画群)
《貢の銭》で一つの空間に三つの場面を描く
キリストを囲む使徒と徴税人
《貢の銭》はマタイ福音書17章の物語に基づく壁画です。中央にはキリストと使徒たちが半円状に集まり、背を向けた徴税人が金銭の支払いを求めています。キリストは左の湖を指さし、ペテロもその方向へ腕を伸ばしています。
人物の円形の集まりと背後の山並みは、見る人の視線を中央へ向けます。キリストを囲む使徒たちの衣には同じ方向から光が当たり、立つ位置に応じて影が生じます。聖書の出来事を、目の前の場所で起こっている対話として感じさせる表現です。(参照:フィレンツェ市立博物館 | ブランカッチ礼拝堂の壁画群)
湖畔と家の前に繰り返されるペテロ
画面左では、ペテロが湖で魚をつかみ、その口から貨幣を取り出します。右端では、ペテロが家の入口で徴税人に貨幣を渡しています。中央の指示、左の漁、右の支払いという三つの時点が、同じ風景の中で進行します。
同一人物を一枚の絵に何度も描く連続物語の方法には中世以来の先例があります。マザッチョは山、湖、舗装された家の前を連続した空間に組み込み、物語の順序と人物の移動を理解しやすくしています。右端の建築の線には遠近法が使われています。(参照:フィレンツェ市立博物館 | ブランカッチ礼拝堂の壁画群、ロンドン・ナショナル・ギャラリー | マザッチョの生涯と画業)
聖ペテロの物語とフィレンツェの社会
聖書に登場する納税の場面は、15世紀の商業都市フィレンツェの人々にも身近な主題でした。徴税人と使徒の身振りは、支払うべき金銭をめぐる現実的なやり取りを思わせます。
ロジャー・J・クラム(2022年)は、この壁画を聖書の挿絵として読みながら、当時のフィレンツェで発達した帳簿上の決済や金銭移動の文化とも結び付けて論じています。貨幣の出所が奇跡によって示される物語が、商人たちの日常的な経済活動にも響いた可能性を検討した研究です。(参照:フィレンツェ市立博物館 | ブランカッチ礼拝堂の歴史、ロジャー・J・クラム(2022年) | 《貢の銭》とフィレンツェの金融文化)
《楽園追放》に描かれた人間の苦悩
顔を覆うアダムと叫ぶエヴァ
楽園を追われたアダムは両手で顔を覆い、エヴァは頭をのけぞらせて大きく口を開けています。天使が剣をかざす門を背に、二人は裸足で荒れた地面へ歩み出します。腰や腿、肩の筋肉には強い明暗があり、光を浴びる裸体の量感が悲しみをいっそう切実に伝えます。
旧約聖書の創世記に描かれる罪と追放の物語を、マザッチョは人間の羞恥と苦痛を中心に表しました。衣服や背景の細かな装飾に目を奪われることなく、二人の表情と足の動きに注意が向く画面です。(参照:カポディモンテ美術館 | 《磔刑》とピサ祭壇画、フィレンツェ市立博物館 | ブランカッチ礼拝堂の壁画群)
同時代の人物表現と見比べる
マゾリーノの《誘惑》に描かれたアダムとエヴァは、滑らかな肌と穏やかな表情を保ち、ほぼ直立した姿勢で描かれています。マザッチョの二人は身体をねじり、顔を伏せ、歩きながら悲嘆を示します。二つの絵は礼拝堂の向かい合う位置にあり、見る人は物語の前後を移動しながら比較できます。
後のフィレンツェの画家たちは、この人体表現と感情の強さを研究しました。とりわけヴァザーリは、ミケランジェロをはじめ多くの画家がブランカッチ礼拝堂を学びの場としたことを伝えています。これは後世の証言であり、個々の画家が何を写し取ったかは別の作品比較によって具体化できます。(参照:カポディモンテ美術館 | 《磔刑》とピサ祭壇画、イタリア百科事典 | マザッチョの画業とブランカッチ礼拝堂)
聖ペテロの奇跡を街路と人々の中へ
《新信者の洗礼》に描かれた寒さ
《新信者の洗礼》では、聖ペテロが跪いた人の頭へ水を注ぎ、後方に洗礼を待つ人々が並びます。特に目を引くのは、裸に近い青年が腕を胸の前で組み、身を縮めて寒さに耐える姿です。足元の地面と山並みの簡潔な描写の中で、皮膚の感覚まで想像させます。
洗礼はキリスト教共同体に迎え入れられる重要な儀式です。マザッチョは宗教的な意味を保ちながら、その場に立つ人間が冷たい水を待つという日常的な身体の反応を加えています。(参照:フィレンツェ市立博物館 | ブランカッチ礼拝堂の壁画群)
《聖ペテロの影による病人の治癒》の街路
《聖ペテロの影による病人の治癒》は使徒言行録5章に基づきます。ペテロが街路を歩き、その影が病人を癒やすという出来事です。画面には歩く使徒たちと、建物の足元に身を寄せる病人が並び、奇跡が狭い道の中で起こる様子が描かれています。
病人はそれぞれ異なる姿勢を取り、立てる人、膝をつく人、地面から身を起こそうとする人の身体に差があります。背後の建物の窓や扉も、出来事を抽象的な背景からフィレンツェの街路を思わせる場所へ引き寄せています。(参照:フィレンツェ市立博物館 | ブランカッチ礼拝堂の壁画群、ロンドン・ナショナル・ギャラリー | マザッチョの生涯と画業)
《財産の分配とアナニアの死》の二つの出来事
使徒言行録の物語では、初期キリスト教共同体が財産を分け合い、アナニアは献金について偽りを述べたために倒れます。マザッチョは施しを受ける母子、金銭を手渡す人、地面に倒れるアナニアを一つの画面へ配しました。
登場人物は特別な衣装を着飾らず、街で生活する人々のような存在感を持っています。共同体の相互扶助と欺きへの処罰が、隣り合う人々の身振りによって表されます。(参照:フィレンツェ市立博物館 | ブランカッチ礼拝堂の壁画群)
ピサの大祭壇画と板絵の革新
1426年、マザッチョはピサのサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂の家族礼拝堂に置く多翼祭壇画を制作しました。注文主は公証人ジュリアーノ・ディ・コリーノ・デッリ・スカルシです。支払いを記した帳簿が残っており、短い画業の中でも制作経緯を具体的に追いやすい仕事です。
分散した祭壇画を注文記録から復元する
祭壇画は中央の大きな《聖母子》、周囲の聖人像、上段の《磔刑》、下部の小さな物語画を組み合わせた構造でした。16世紀のヴァザーリも教会で作品を見て記述しましたが、祭壇画はのちに解体され、現存する板絵が複数の美術館に分かれています。
ディリアン・ゴードンによるロンドン・ナショナル・ギャラリーの2003年の目録研究は、1426年2月の着手と12月の支払いを記した記録、現存する板絵の材質や大きさを用いて元の配置を検討しています。現在の復元図には研究上の違いがあり、上段と裾絵の配置も資料に即して考えられています。(参照:ディリアン・ゴードン(2003年) | ピサ祭壇画の注文記録と復元、カポディモンテ美術館 | 《磔刑》とピサ祭壇画)
《聖母子》の玉座と幼子の手触り
中央の《聖母子》では、聖母が石造りの大きな玉座に座り、膝の上の幼子がブドウをつかんで指を口に入れています。母の青い衣には深い陰影があり、幼子の腕の丸みや肉の柔らかさは、明るい部分と暗い部分を描き分けることで表されています。
足元の二人の天使はリュートを奏で、その楽器の長い胴が見る人の側へ斜めに突き出しています。聖母の玉座の灰色の石は、同時代フィレンツェの建築で使われたピエトラ・セレーナを思わせます。金色の背景を残した板絵の中で、建築と人物には具体的な奥行きがあります。(参照:ロンドン・ナショナル・ギャラリー | 《聖母子》)
光輪の向きが示す頭部の奥行き
従来の聖母子像では、光輪が人物の頭の背後に平面的な円として置かれる例が一般的でした。マザッチョの幼子の光輪は円盤が傾き、頭の前後に空間があることを感じさせます。小さな部分にも人物を立体として扱う考え方が現れています。
この扱いは、のちのドメニコ・ヴェネツィアーノの作品にも取り入れられました。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、ドメニコの《玉座の聖母子》の光輪と奥行きについて、マザッチョのピサ祭壇画との直接的な関係を指摘しています。(参照:ロンドン・ナショナル・ギャラリー | 《聖母子》、ロンドン・ナショナル・ギャラリー | ドメニコ・ヴェネツィアーノによる継承)
上段の《聖アンデレ》とドナテッロとの接点
現在ゲティ美術館が所蔵する《聖アンデレ》は、ピサ祭壇画の上部に置かれていた聖人像です。身体は横向きに近い姿勢で立ち、殉教を示す十字架と書物を持ちます。顔と手の暗い部分、衣のひだへ当たる光が、背景の金色から聖人の姿を浮かび上がらせます。
祭壇画の支払い記録には、ドナテッロがマザッチョへの金銭の受け取りに同席したことが記されています。ロンドンの《聖母子》とロサンゼルスの《聖アンデレ》を合わせて見ると、彫刻家との交流が実際の仕事の現場にも及んでいたことが分かります。(参照:J・ポール・ゲティ美術館 | 《聖アンデレ》の作品情報、ロンドン・ナショナル・ギャラリー | 《聖母子》、エリオット・W・ローランズ(2003年) | 《聖アンデレ》とピサ祭壇画)
《磔刑》に込められた深い悲しみ
高い場所から見上げるキリスト
ピサ祭壇画の最上部中央に置かれていた《磔刑》は、現在ナポリのカポディモンテ美術館が所蔵しています。板の高さは約83センチですが、元の祭壇画は約5メートルの規模と考えられ、高い位置で見上げられることを想定した身体の短縮表現が用いられました。
キリストの頭部は肩の間に沈み込み、脚は見る人の方へ伸びる形で描かれています。遠くから正面で見ると不思議に見える身体の比率も、設置当時の位置から見上げると、十字架に吊られた身体の重さを伝える構成として理解できます。(参照:カポディモンテ美術館 | 《磔刑》とピサ祭壇画)
背を向けるマグダラのマリア
十字架の足元では、赤い衣のマグダラのマリアが背を向けて跪き、両腕を大きく上げています。左右には悲しみに沈む聖母と福音書記者ヨハネが立ちます。マグダラのマリアの後ろ姿は顔の表情を隠し、上げた腕と身体全体で嘆きを表しています。
カポディモンテ美術館による2020年の解説では、マグダラのマリアが制作途中で描き加えられたこと、1950年代の修復で十字架の上の生命の木が明らかになったことも紹介されています。画面の集中した悲しみには、制作時の変更と後世の修復が関わっています。(参照:カポディモンテ美術館 | 《磔刑》とピサ祭壇画)
ピサ祭壇画の聖母子との縦のつながり
元の祭壇画では、聖母子の上方に《磔刑》が置かれていました。幼子が手にするブドウは聖餐の葡萄酒を通じてキリストの血を想起させ、上段の受難の場面と結び付きます。聖母の表情にも、我が子の将来の犠牲を知る悲しみを読み取る解釈があります。
上下の作品を同じ礼拝堂で見上げると、幼子キリストから受難へ続く物語が一つの祭壇の中に構成されていたことが伝わります。現在分かれた板絵を再び関係づける研究が、制作当時の宗教的な意味を考える助けになっています。(参照:ロンドン・ナショナル・ギャラリー | 《聖母子》、カポディモンテ美術館 | 《磔刑》とピサ祭壇画)
ローマの祭壇画と短い生涯の終わり
サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の両面祭壇画
1428年頃、マザッチョはローマへ赴き、マゾリーノとともにサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の祭壇画制作に関わりました。作品は両面に聖人や聖書場面を描く大型の祭壇画で、聖職者の礼拝空間と一般の信徒が見る側とで異なる図像を備えていたと考えられています。
ロンドンに残る《聖ヒエロニムスと洗礼者聖ヨハネ》は、その祭壇画の一部です。聖ヒエロニムスは本と教会の模型を持ち、足元には伝説に登場するライオンが座ります。洗礼者聖ヨハネは動物の毛皮の衣をまとい、足元の小さな草花まで丁寧に描かれています。(参照:ロンドン・ナショナル・ギャラリー | 《聖ヒエロニムスと洗礼者聖ヨハネ》)
顔料の使い方から分かる共同制作の違い
ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、ローマの祭壇画における二人の仕事を技法の面から比較しています。マザッチョは肌色の下層に緑土を使い、卵を媒材とするテンペラで描きました。マゾリーノは主として赤い顔料と白を使い、卵と油を併用しています。
《聖ヒエロニムスと洗礼者聖ヨハネ》では、顔の起伏や手の骨ばった形が陰影によって表されます。こうした表現の違いに材料分析が加わることで、共同制作の担当や制作順序がより具体的に調べられています。(参照:ロンドン・ナショナル・ギャラリー | 《聖ヒエロニムスと洗礼者聖ヨハネ》、ディリアン・ゴードン(2003年) | ローマの祭壇画の共同制作と帰属)
二十代での死と完成を引き継いだ画家
マザッチョは1428年にローマで死去したと伝えられています。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは没年を1428年または1429年頃としており、正確な日付には幅があります。マゾリーノは残された祭壇画の制作を引き継ぎました。
1401年生まれの画家が活動した期間は短く、現存する作品も限られています。ブランカッチ礼拝堂の壁画は後年フィリッピーノ・リッピによって完成され、ピサの祭壇画も早い時期に解体されました。複数の画家が関わり、設置場所が変わってきた作品の歴史も、マザッチョの画業の一部です。(参照:ロンドン・ナショナル・ギャラリー | 《聖ヒエロニムスと洗礼者聖ヨハネ》、ロンドン・ナショナル・ギャラリー | マザッチョの生涯と画業、フィレンツェ市立博物館 | ブランカッチ礼拝堂の壁画群)
後の画家たちが学んだ身体と空間
ブランカッチ礼拝堂が絵画修業の場となる
マザッチョの死後、ブランカッチ礼拝堂の人物像はフィレンツェで絵を学ぶ画家たちに見られ続けました。ヴァザーリはミケランジェロなどがこの壁画を研究したと伝え、人体の量感や感情を身体全体で表す方法が後の画家に重視されたことを記しています。
若い画家たちは、顔や手の描き方とともに、複数の使徒を同じ地面に立たせ、同じ光の下に配置する方法をこれらの壁画から学びました。人物の身振りが隣の人物へつながり、画面全体で物語を進める構成も、後世の絵画に重要な先例を残しました。(参照:ロンドン・ナショナル・ギャラリー | マザッチョの生涯と画業、イタリア百科事典 | マザッチョの画業とブランカッチ礼拝堂)
ドメニコ・ヴェネツィアーノへの具体的な継承
ロンドン・ナショナル・ギャラリーのドメニコ・ヴェネツィアーノ《玉座の聖母子》では、建築の奥へ続くアーチ、前へ張り出す玉座、傾いて浮かぶ光輪が描かれています。同館は、その画面構成をマザッチョの《三位一体》やピサの《聖母子》に結び付けています。
建築を絵の奥へ開く方法や、光輪を実際に空間を占める円盤として扱う方法が、後の画家の手で新しい宗教画に取り入れられました。こうした具体的な作品比較によって、マザッチョの影響を確かめられます。(参照:ロンドン・ナショナル・ギャラリー | ドメニコ・ヴェネツィアーノによる継承、ロンドン・ナショナル・ギャラリー | 《聖母子》)
主要作品
《サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画》からブランカッチ礼拝堂の壁画、ピサとローマの祭壇画まで、現存する主要作品12点を紹介します。
サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画
Trittico di San Giovenale / 1422 / テンペラ、金地、板 / 公式作品記録参照
Pieve di San Pietro a Cascia / Museo Masaccio, Reggello
1422年4月23日の日付を持つ初期の三連祭壇画。金地の中央に聖母子を描き、玉座の線を奥へ収束させています。ブドウを口へ運ぶ幼子の身振りと、聖人たちの重みのある姿が特徴です。
聖アンナ・メッテルツァ
Sant'Anna Metterza / c. 1424–1425 / テンペラ、板 / 175 × 103 cm
Gallerie degli Uffizi, Firenze
マゾリーノと共同制作したフィレンツェの祭壇画。後方の聖アンナはマゾリーノ、前方の聖母子は主にマザッチョが描いたと考えられ、身体の立体感と衣の扱いを一枚の中で比較できます。
三位一体
Trinità / c. 1424–1428 / フレスコ / 現地壁画/公式修復記録参照
Basilica di Santa Maria Novella, Firenze
サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の大壁画。格子状の天井を持つ架空の礼拝堂を一点透視で表し、磔刑、寄進者、下部の骸骨を通じて死と救済の主題を伝えています。制作年代には複数の説があります。
楽園からのアダムとエヴァの追放
Cacciata dei progenitori dall'Eden / c. 1424–1427 / フレスコ / 現地壁画/公式記録参照
Cappella Brancacci, Santa Maria del Carmine, Firenze
ブランカッチ礼拝堂の壁画。顔を覆うアダムと口を開いて嘆くエヴァが楽園を去ります。身体の緊張と強い明暗で、罪の結果としての羞恥と苦痛を表した代表作です。
貢の銭
Il tributo / c. 1424–1427 / フレスコ / 現地壁画/公式記録参照
Cappella Brancacci, Santa Maria del Carmine, Firenze
ブランカッチ礼拝堂の壁画。同じペテロを中央のキリストの指示、左の魚からの貨幣の取り出し、右の納税の三場面に描き、山並みと建築を連続する空間に収めています。
新信者の洗礼
Il battesimo dei neofiti / c. 1424–1427 / フレスコ / 現地壁画/公式記録参照
Cappella Brancacci, Santa Maria del Carmine, Firenze
使徒ペテロによる洗礼の場面。水を浴びる人や、寒さに震えながら待つ青年が描かれ、聖書の物語の中に人間の身体感覚が表されています。
影で病人を癒す聖ペテロ
San Pietro risana gli infermi con la sua ombra / c. 1424–1427 / フレスコ / 現地壁画/公式記録参照
Cappella Brancacci, Santa Maria del Carmine, Firenze
使徒ペテロの影で病人が癒やされる出来事を、建物が並ぶ街路に描いた壁画。立つ人、膝をつく人、身を起こす人の身体が具体的に表されています。
財産の分配とアナニアの死
Distribuzione dei beni e morte di Anania / c. 1424–1427 / フレスコ / 現地壁画/公式記録参照
Cappella Brancacci, Santa Maria del Carmine, Firenze
貧しい人への施しとアナニアの死を一つの街路に描いた壁画。初期キリスト教共同体の財産分配と欺きを、身振りや人々の距離によって表しています。
聖母子
The Virgin and Child / 1426 / 卵テンペラ、板 / 134.8 × 73.5 cm(画面寸法)
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
1426年のピサ祭壇画の中央部分。幼子がブドウをつかみ、聖母が深い陰影のある青衣をまといます。石の玉座、天使のリュート、傾いた光輪が、金地の板絵に立体的な奥行きを与えています。
磔刑
Crocifissione / 1426 / テンペラ、板 / 83 × 63.5 cm
Museo e Real Bosco di Capodimonte, Napoli
ピサ祭壇画の上段を飾った板絵。キリストの身体は高い位置から見上げられることを考慮して描かれ、足元のマグダラのマリアは背を向けて両腕を高く上げ、悲嘆を表しています。
聖アンデレ
Saint Andrew / 1426 / テンペラ、金箔、板 / 52.4 × 32.1 cm
J. Paul Getty Museum, Los Angeles
ピサ祭壇画上部の聖人像。十字架と書物を持つ聖アンデレの顔、手、衣のひだに強い明暗があり、金地を背景に身体が立体的に浮かび上がります。
聖ヒエロニムスと洗礼者聖ヨハネ
Saints Jerome and John the Baptist / c. 1428–1429 / 卵テンペラ、ポプラ板 / 125 × 58.9 cm
The National Gallery, London
ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の両面祭壇画に属した板絵。二人の聖人の顔や手足を陰影で形づくり、草花やライオンの細部まで描いています。マゾリーノとの共同事業の一部です。
ブランカッチ礼拝堂の保存と新しい調査
二十世紀の修復が明らかにした画面
ブランカッチ礼拝堂の壁画は何度も保存修復を受けてきました。1980年代の大規模な修復では、後世の汚れや塗り直しを調べ、マザッチョたちの色彩や画面の状態を回復する作業が進められました。
《楽園追放》の人物像は、過去の改変や修復を経て現在の姿で鑑賞されています。作品の表面をそのまま制作当初と同一視せず、どの部分がどの時期に処置されたかを確認する保存研究は、絵画表現を理解するうえでも大切です。(参照:貴石加工所(2024年) | ブランカッチ礼拝堂の保存調査)
科学調査が示した壁画の制作と保存
2024年5月、貴石加工所とイタリア学術会議などは、ブランカッチ礼拝堂の近年の調査と修復の成果を発表しました。剥離した絵具層や漆喰の安定性を確認し、表面の清掃と保護を進めるため、測定や材料試験を行ったことが報告されています。
調査では1980年代の修復技法の有効性が再評価され、今後の定期点検に向けた保存方針も検討されました。壁画の現在の状態を知ることに加え、漆喰の重なりや制作過程を調べる新しい資料が蓄積されています。(参照:貴石加工所(2024年) | ブランカッチ礼拝堂の保存調査、イタリア学術会議(2024年) | ブランカッチ礼拝堂の科学調査)
略年譜
- 1401年
- トスカーナ地方サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノに生まれる。
- 1418年
- フィレンツェで画家として活動する記録が残る。
- 1422年
- 画家が属した薬種商・医師の組合に登録。《サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画》を制作。
- 1424〜1425年頃
- マゾリーノと《聖アンナ・メッテルツァ》を共同制作。
- 1420年代半ば
- 《三位一体》を制作。ブランカッチ礼拝堂の壁画に取り組む。
- 1426年
- ピサのカルミネ聖堂のために多翼祭壇画を制作。
- 1427年頃
- ブランカッチ礼拝堂の壁画制作が中断する。
- 1428年頃
- ローマでサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の祭壇画をマゾリーノと制作。
- 1428年(異説:1429年頃)
- ローマで死去。
- 1480年代初頭
- フィリッピーノ・リッピがブランカッチ礼拝堂の壁画群を完成。
- 1980年代
- ブランカッチ礼拝堂で大規模な保存修復が実施される。
- 2024年
- 同礼拝堂の新しい科学調査と修復成果が公表される。
まとめ
マザッチョがフィレンツェ絵画にもたらした変化は、宗教画の人物を、鑑賞者と地続きの空間に生きる人間として描いたことにあります。ブランカッチ礼拝堂の使徒は地面へ影を落とし、湖と街路の間を移動します。追放されるアダムとエヴァの悲嘆は、顔や腕の動きと身体の重さから伝わってきます。こうした表現は、聖書の出来事を身近な人間の経験として感じさせるものでした。
《三位一体》では遠近法の建築が教会の壁を奥へ開き、ピサの祭壇画では傾いた光輪や高い位置から見上げる身体の描き方が、金地の伝統の中に実在する空間を生み出しています。同じ時代にドナテッロが彫刻で探っていた人体の量感と、ブルネレスキが建築で探究した遠近法を、マザッチョは絵画の物語と結び付けました。後の画家たちが学んだのは、この空間構成と、そこに置かれた人物の確かな存在感でした。
参考資料・出典
- イタリア百科事典 | マザッチョの生涯と初期作品
- イタリア百科事典 | マザッチョの画業とブランカッチ礼拝堂
- ロンドン・ナショナル・ギャラリー | マザッチョの生涯と画業
- マザッチョ美術館 | 《サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画》
- ウフィツィ美術館 | 《聖アンナ・メッテルツァ》
- ウフィツィ美術館 | マゾリーノ《謙譲の聖母》
- 貴石加工所 | 《三位一体》の年代・図像と修復研究
- フィレンツェ市立博物館 | ブランカッチ礼拝堂の歴史
- フィレンツェ市立博物館 | ブランカッチ礼拝堂の壁画群
- カポディモンテ美術館 | 《磔刑》とピサ祭壇画
- ロンドン・ナショナル・ギャラリー | 《聖母子》
- ディリアン・ゴードン(2003年) | ピサ祭壇画の注文記録と復元
- J・ポール・ゲティ美術館 | 《聖アンデレ》の作品情報
- エリオット・W・ローランズ(2003年) | 《聖アンデレ》とピサ祭壇画
- ロンドン・ナショナル・ギャラリー | 《聖ヒエロニムスと洗礼者聖ヨハネ》
- ディリアン・ゴードン(2003年) | ローマの祭壇画の共同制作と帰属
- 貴石加工所(2024年) | ブランカッチ礼拝堂の保存調査
- イタリア学術会議(2024年) | ブランカッチ礼拝堂の科学調査
- ロジャー・J・クラム(2022年) | 《貢の銭》とフィレンツェの金融文化
- ロンドン・ナショナル・ギャラリー | ドメニコ・ヴェネツィアーノによる継承
- ロンドン・ナショナル・ギャラリー(2003年) | マザッチョの祭壇画と同時代彫刻