Art Library

Mario Merz

マリオ・メルツ

イタリア / 1925–2003 / アルテ・ポーヴェラ

Mario Merz | Igloos | Pirelli HangarBicocca
イタリアのミラノにある現代美術の展示空間「ピレッリ・ハンガービコッカ(Pirelli HangarBicocca)」
マリオ・メルツ。時間は無言である
Mario Merz. El tiempo es mudo // Time Is Mute
スペイン・マドリードにあるソフィア王妃芸術センター(Museo Reina Sofía)
Mario Merz | Igloos
イタリアのトリノを拠点とする「メルツ財団(Fondazione Merz)」
Mario Merz | Città Irreale (Fondazione Merz)
イタリアのトリノを拠点とする「メルツ財団(Fondazione Merz)」

マリオ・メルツ(Mario Merz、1925–2003)は、1960年代後半のイタリアで成立したアルテ・ポーヴェラを代表する美術家です。枝、土、藁、蝋、果物、新聞、ガラス、金属、ネオンといった異質な素材を組み合わせ、絵画や彫刻という既存の区分を越える作品を制作しました。とりわけ半球形の「イグルー」、1、1、2、3、5、8、13……と増殖するフィボナッチ数列、螺旋状のテーブル、サイやワニなどの動物像は、メルツの制作を象徴するモチーフとして知られています。

しかし、メルツの作品を「自然素材を使った素朴な彫刻」と理解するだけでは、その重要性は見えません。彼が同じ作品の中で組み合わせたのは、自然と人工、農村と工場、原始的な住居と都市、個人と集団、静止した物質と電気エネルギー、歴史以前の時間と政治的な現在です。枝の束へ工業的なネオンを突き刺し、土で覆ったイグルーにベトナム戦争に関わる軍事的な言葉を走らせ、レストランに集まる人々の数を数学的な増殖の系列として示します。相反するものを解消するのではなく、同じ場で緊張させることが作品の構造になっています。

メルツは第二次世界大戦中、反ファシズム運動に参加して逮捕され、1945年に投獄されました。戦後は医学の道を離れ、1950年代には自然界の有機的な形を描く画家として活動します。1960年代半ばになると、カンヴァスや身の回りの物へネオン管を貫通させ、絵画を壁面の内部に閉じ込めない作品へ移行しました。1967年以降、ジェルマーノ・チェラントが「アルテ・ポーヴェラ」と名づけた作家たちと活動を共にし、1968年には最初のイグルーを制作します。1970年頃からはフィボナッチ数列を用い、自然界の成長を有限な彫刻から無限に拡張可能な構造へ置き換えました。

その後もメルツは一つの様式へ留まりません。1970年代後半からは再び大規模な絵画へ取り組み、サイ、ワニ、バイソン、フクロウ、カタツムリなど、歴史以前を思わせる動物を描きます。同時にイグルー、テーブル、ネオン、数列を展覧会場の建築に合わせて組み替え、1980年代には美術館全体を一つの成長する環境のように扱いました。2000年にはトリノのモーレ・アントネッリアーナの外壁にフィボナッチ数列を赤いネオンで上昇させる《Il volo dei numeri》を恒久設置しています。メルツにとって作品とは、一つの完成物ではなく、場所や素材に応じて何度でも増殖し直す生命的な構造でした。

生涯と制作の変遷

1925年、ミラノに生まれトリノで育つ

マリオ・メルツは1925年1月1日にミラノで生まれ、トリノで育ちました。トリノ大学では医学を学びましたが、第二次世界大戦中に反ファシズム組織Giustizia e Libertàへ参加します。1945年に逮捕され、刑務所へ収監されました。

Guggenheimの略歴によれば、獄中でメルツは手に入る材料へ絶えず描いていました。後のFondazione Merzの素描展も、素描を彼の制作の出発点であり、生涯を通じて思考に伴走したものとして位置づけています。絵画や巨大なインスタレーションで知られるようになった後も、線を引くことは制作の中心から消えませんでした。

1950年代、油彩と有機的形態

戦後は医学の道へ戻らず、1950年頃から油彩制作へ本格的に取り組みます。1954年、トリノのGalleria La Bussolaで初個展を開催しました。初期絵画には植物、葉、身体、自然の運動を思わせる有機的な形が現れ、当時のアンフォルメルとも接点を持っています。

この時期のメルツは、まだ枝や土を直接作品へ置いていたわけではありません。しかし、自然を固定した風景として描くより、内部から成長し変化する力として捉えようとする関心はすでに始まっていました。後にフィボナッチ数列を採用するのも、数学そのものへの関心以上に、生命が増殖する構造を可視化したいという問題につながります。

1960年代前半、絵画が壁から外へ出始める

1960年代に入ると、メルツは平らなカンヴァスだけでは十分ではないと考え、画面から前方へ張り出す「構造」を試みます。絵画と彫刻を別々の媒体として扱うのではなく、線、色、物体が実空間へ出ていく状態を作りました。

トリノはFIATを中心に急速な工業化を経験した都市でもありました。大量生産、労働、都市化が身近にある一方、メルツは枝、葉、動物、土などへ強く惹かれます。自然と産業をどちらか一方へ理想化するのではなく、両者が衝突する場所が作品になっていきます。

1966年頃、ネオンを導入する

1966年頃から、メルツはカンヴァスや日用品へネオン管を突き刺す作品を制作します。Guggenheimは、ボトル、傘、レインコートなどへネオンを貫通させ、物質へ象徴的にエネルギーを注入したと説明しています。

ネオンは当時、都市の広告や店舗を象徴する人工的な光でした。メルツはそれを枝、蝋、衣服などと組み合わせます。自然素材と工業素材を対立させるだけではなく、人工の電気エネルギーが物質を加熱し、照らし、ときに変形させることで、作品内部に実際の物理的な変化を起こします。

1967年、アルテ・ポーヴェラの文脈へ

1967年、批評家Germano Celantが「Arte Povera」という言葉を用い、Giovanni Anselmo、Alighiero Boetti、Luciano Fabro、Jannis Kounellis、Giulio Paolini、Michelangelo Pistoletto、Gilberto Zorioらとともに、メルツもその主要作家として語られるようになります。

「povera=貧しい」という言葉は、作品の価格が安いことを意味しません。土、布、枝、石、蝋、日用品など、伝統的な彫刻材料より価値の低いとみなされた素材を使い、美術の権威や工業化された消費社会の価値体系を揺さぶる態度を指します。さらに作品を恒久的な記念碑ではなく、変化し得る出来事として考える点も重要でした。

1968年、《Lingotto》《Che fare?》とイグルー

1968年には、メルツの主要な語彙が一気に現れます。《Lingotto》では大量の枝束の上に蝋の塊を置き、農村的な素材と工業都市トリノを結びつけました。《Che fare?》では「何をなすべきか?」という言葉をネオンで作り、蝋の容器へ置きます。そして《Igloo di Giap》では、半球形の構造を土とネオンで覆いました。

同年、イタリアやヨーロッパ各地では学生運動、労働運動、反戦運動が高まりました。メルツの作品にも政治的な言葉が現れますが、政治スローガンを図解するプロパガンダではありません。問いや言葉を物質と結びつけ、見る側がその意味を現在の状況の中で考え直す構造になっています。

1969年、《When Attitudes Become Form》

1969年、Harald SzeemannがKunsthalle Bernで企画した《Live in Your Head: When Attitudes Become Form》に参加しました。この展覧会は完成した美術品より、制作行為、素材、場所、過程を重視する国際的な動向をまとめたものです。

メルツはアルテ・ポーヴェラというイタリア国内の文脈だけでなく、Process Art、Post-Minimalism、Conceptual Artなど同時代の国際的実践とも並べて見られるようになりました。

1970年頃、フィボナッチ数列を使い始める

1970年頃からメルツは、1、1、2、3、5、8、13、21、34……と続くフィボナッチ数列を作品へ導入します。各項が直前の二項の和になるこの数列は、増殖する構造を持ち、植物の葉序や螺旋的成長との関係でしばしば語られてきました。

メルツにとって重要だったのは、数学的な正確さそのものより「増え続けること」でした。MoMA所蔵《Untitled (A Real Sum Is a Sum of People)》では、レストランへ集まる人数を1、1、2、3、5、8……と増やして撮影し、人間の集団そのものを数列へ接続しました。「数」は抽象記号ではなく、生命や社会の増殖を示すものになります。

1970年代、新聞、動物、テーブル

1970年代には新聞の束、オートバイ、剥製の動物、果物、テーブルなどが作品へ加わります。新聞は毎日大量に生産され、翌日には古くなる情報の物質です。動物は近代都市よりはるか以前の時間を想起させ、テーブルは食事、会話、共同体の場になります。

これらはばらばらのモチーフに見えますが、いずれも「人間はどのように生き、集まり、情報を交換し、自然の成長と関係するのか」という問題へつながっています。

1972年、アメリカで最初の美術館個展

1972年にはWalker Art Centerで、アメリカにおける最初の美術館個展が開催されました。Arte Poveraはイタリア特有の運動として始まりましたが、メルツの作品は国際的なPost-Minimalism、Process Art、環境的インスタレーションとの関係でも評価されるようになります。

1975年、Kunsthalle Basel

1975年にはKunsthalle Baselで、ヨーロッパの美術館として初の本格的な個展が開催されました。この頃にはイグルー、数列、テーブル、新聞などが相互に組み合わされ、作品一つ一つより、展示空間全体を一つの成長する環境として構成する方法が強まります。

1970年代末、絵画へ戻る

1970年代末からメルツは再び絵画を大きく展開します。サイ、ワニ、トラ、バイソン、フクロウ、カタツムリなどの動物を巨大なカンヴァスへ描き、しばしばネオン、数字、イグルー、テーブルと組み合わせました。

Reina Sofíaは、この時期の作品を近代の直線的な「歴史」から外れた、先史的・無時間的な世界への関心として説明しています。動物は自然科学的な図解ではなく、人間の文明以前から存在する生命の強さを担う像として現れます。

1982年、《Tavola a spirale》

1982年の《Tavola a spirale》では、テーブルそのものが螺旋状に展開し、その上に果物、野菜、枝などが置かれます。Dia Art Foundationは、テーブルを一片の土地のように再構成し、フィボナッチ的な増殖を食物と社会的な集合の場へ結びつけた作品として紹介しています。

イグルーが「最小限の住居」であるなら、テーブルは人間が集まり食べる社会的空間です。メルツの作品では、住むことと食べることが抽象的な造形問題ではなく、人間存在の基本条件として扱われます。

1985年、《8, 5, 3》

1985年、Kunsthaus Zürichで三つの巨大なイグルーが入れ子状に重なる《8, 5, 3》を制作しました。直径8メートル、5メートル、3メートルという大きさは、フィボナッチ数列の連続する三項です。

金属とガラスの構造に枝やネオンが組み合わされ、最小の避難所として始まったイグルーが美術館建築を占有する巨大環境へ拡大しました。数列は壁に表示される記号ではなく、建築の寸法そのものになります。

1989年、Guggenheim Museum回顧展

1989年、New YorkのSolomon R. Guggenheim Museumで大規模回顧展が開催されました。Frank Lloyd Wrightの螺旋状建築は、フィボナッチ数列と螺旋を長年扱ってきたメルツにとって特別な展示環境でした。

同年の《Città irreale, Millenovecentottantanove(Unreal City, Nineteen Hundred Eighty-Nine)》では、ガラス、鏡、金属管、枝、ゴム、土を使った巨大なイグルー的構造を制作しています。イグルーはもはや小さな家ではなく、都市と建築のスケールへ増殖しました。

1990年代、都市スケールへ

1990年代には、数列を美術館内部から都市そのものへ伸ばす試みが拡大します。1994年にはStrasbourgのトラム路線にフィボナッチ数列を長距離にわたり配置するプロジェクトを実現しました。

数字が美術館の壁に留まらず、人々が日常的に移動する都市インフラの中へ入ります。作品の「大きさ」は彫刻の物理寸法ではなく、人の移動と時間を含むものになります。

2000年、《Il volo dei numeri》

2000年、トリノのMole Antonellianaに《Il volo dei numeri(数の飛翔)》を恒久設置しました。赤いネオンによるフィボナッチ数列が、巨大なドームの曲面に沿って上方へ伸びていきます。

トリノで育ち、工業都市と自然の関係を考え続けたメルツにとって、都市を象徴する建築へ「生命の増殖」を示す数列を重ねた重要な晩年作です。夜になると数字は建築を越えて都市景観の一部になります。

2003年、Praemium Imperialeと死去

2003年、日本美術協会による高松宮殿下記念世界文化賞の彫刻部門を受賞しました。同年11月9日に死去します。78歳でした。

2005年にはトリノにFondazione Merzが設立され、作品・資料の研究、展覧会、現代作家への支援を継続しています。Fondazioneは現在、Mario Merzのカタログ・レゾネ研究やアーカイブ整備も進めています。

戦争と投獄――描くことの出発点

医学から反ファシズム運動へ

メルツはトリノ大学で医学を学びましたが、戦時下で反ファシズム組織Giustizia e Libertàへ参加しました。1945年に逮捕され、投獄されます。

この政治経験を、その後の全作品を説明する単一の原因と考えることはできません。しかし、1960年代後半に「Che fare?」「solitario solidale」などの政治的言葉が作品へ入る背景として、政治と美術が彼にとって完全に別の領域ではなかったことは重要です。

獄中の素描

Guggenheimは、獄中でメルツが入手できるあらゆる素材へ絶えず描いたと記録しています。後年本人も、自然を19世紀風景画のように模写するのではなく、自分が受けた感覚を線として持ち帰ろうとした若い頃を回想しています。

この「対象を再現するためではなく、考えるために描く」という態度は、巨大なインスタレーションへ進んだ後も変わりません。イグルーもテーブルも、完成した工業設計図から作られるというより、何度も描き直される形として存在しました。

1950年代――自然を描く画家として

アルテ・ポーヴェラ以前の約15年間

Mario Merzというと1968年のイグルーから説明されがちですが、それ以前に長い絵画期間があります。1954年の初個展では油彩による有機的な形を発表し、1950年代から60年代前半にはアンフォルメルに近い絵画を制作しました。

ここを省略すると、後年の動物絵画が突然現れたように見えます。実際には「描くこと」と「自然の形」への関心は最初から最後まで続き、その間にネオン、物体、インスタレーションが加わったと考える方が制作全体を理解しやすくなります。

自然を静止した風景として見ない

メルツが興味を持ったのは、山や木を写実的に描くことより、葉が増え、枝が分岐し、貝殻が螺旋状に成長するような生成の力でした。

そのため後に数列を導入しても、数学へ転向したわけではありません。絵画で感覚的に探っていた「成長」を、数という別の言語へ翻訳したと見ることができます。

ネオン――物質へエネルギーを通す

都市広告の素材を自然物へ刺す

ネオンは枝や土とは正反対に見える工業素材です。電気を流さなければ光らず、都市の夜、商業広告、近代的なインフラを連想させます。

メルツはネオンを文字や装飾だけとして使わず、カンヴァス、傘、ボトル、衣服、蝋などへ実際に貫通させました。光は物体の外側を照らすのではなく、物質の内部へ侵入します。

熱も作品になる

《Che fare?》ではネオンが蝋の上に置かれ、光だけでなく熱を発します。National Galleries of Scotlandの解説は、ネオンの熱によって蝋が溶け、匂いまで生じ得る点を指摘しています。

視覚的な「光の彫刻」だけではなく、温度、物質変化、匂いを含む出来事です。人工的なエネルギーと有機的な素材が接触することで、作品そのものが変化します。

アルテ・ポーヴェラ――「貧しい素材」とは何か

高価な素材を使わない、だけではない

Arte Poveraは直訳すれば「貧しい芸術」ですが、価値の低い材料を節約のために使う運動ではありません。大理石やブロンズのように美術制度が長く権威を与えてきた素材に対して、土、枝、布、石、野菜、新聞などを同等の位置へ持ち込むことが重要でした。

素材が変われば、作品の時間も変わります。果物は腐り、蝋は熱で変形し、枝は乾燥し、新聞は情報として古くなります。完成後に変化しない「永久的な美術品」という前提が崩れます。

自然対工業という単純な二項ではない

メルツは工業化を批判する一方、工業素材そのものを拒否しません。ネオン、金属、ガラスを積極的に使います。作品では枝と金属、土と電気、果物とガラスが同時に存在します。

自然へ回帰するロマン主義ではなく、現代社会の中で自然と人工がすでに絡み合っている状況を、物質の衝突として可視化しました。

《Lingotto》――枝、蝋、工場都市

「Lingotto」は金塊でありトリノの工場地区でもある

1968年の《Lingotto》は、大量の枝束の上に金属の構造を置き、その上へ蜜蝋の塊を載せた作品です。イタリア語のlingottoは「インゴット、鋳塊」を意味します。

同時にLingottoはトリノの地名であり、巨大なFIAT工場で知られています。National Galleries of Scotlandは、メルツの父がこの工場で働いていたことにも触れています。

貧しい枝と「金塊」

枝は燃料として集められる日常的な自然物ですが、上に置かれた蝋の塊は金のインゴットのように見えます。低価値/高価値、田園/工業、自然/資本という複数の対立が作品名と素材に重なります。

ただし作品は「自然は善、工場は悪」という結論を示しません。巨大な枝の集積自体も、人間が自然から資源を集めた結果です。異なる価値体系を一つの場所へ置くことで、見る側へ関係を考えさせます。

1968年、イグルーが現れる

なぜイグルーなのか

イグルーは最小限の材料で作られる半球形の住居です。壁と屋根が連続し、建築の外形と内部空間が一つの形で成立します。メルツはこれを「世界であり小さな家でもある」形として繰り返しました。

都市の恒久建築に対して、イグルーは移動、仮設、適応を想起させます。一方、半球は地球や宇宙を縮小した形にも見えます。個人の避難所と世界全体が同じ形へ重なります。

素材は毎回変わる

土、粘土、石、ガラス、木、枝、布、蝋、金属など、イグルーを覆う素材は作品ごとに異なります。Fondazione関連資料が強調するように、場所に応じて材料が変わるため「同じイグルー」は二度作られません。

形は反復されても、表面と環境が変わる。この「同じ/違う」の関係がイグルー作品の核心です。

政治的な言葉――《Che fare?》と1968年

「何をなすべきか?」

《Che fare?》の言葉は、ロシアの革命家Leninの著作題名と結びつき、1968年前後の政治運動の文脈で強い意味を持ちました。学生・労働者による抗議がヨーロッパ各地で広がるなか、この問いは行動を促す政治的フレーズとして読まれます。

しかしメルツ自身は、この言葉をLeninの政治プログラムだけに限定していません。National Galleries of Scotlandが紹介する本人の説明では、「che fare?」は子どもたちが遊びながら何度も発する単純な問いとしても関心を引いたとされます。

問いを答えに変えない

作品は「何をするべきか」という答えを提示しません。問いそのものをネオンで発光させ、蝋へ沈み込ませます。

政治芸術を特定の主張の図解にするのではなく、観客へ問いを返す。この方法によって作品は1968年の政治状況に具体的に結びつきながら、別の時代にも「いま何をするのか」という問いとして再び働きます。

フィボナッチ数列――作品を無限へ開く

1、1、2、3、5、8、13……

フィボナッチ数列では、各数が直前の二つの数の和として増えていきます。1と1から始めれば、2、3、5、8、13、21、34、55……と終わりなく続きます。

メルツは1970年頃からこの数列をネオン、写真、テーブル、建築、都市へ繰り返し導入しました。Fondazione Merzは、メルツにとって数列が自然の強力で絶えず拡張する力を示すものだったと説明しています。

作品の大きさを決めなくてよい

通常、彫刻を作るときには最初に寸法を決めます。メルツは、フィボナッチ数列なら原理上どこまでも続けられることに惹かれました。

MoMA所蔵作品の解説で本人が述べたように、「作品はなぜ一定の長さでなければならないのか」という疑問が背景にあります。数列を使えば、作品は展示室を越え、建物を越え、都市へ伸びる可能性を持ちます。

数学の図解ではない

メルツは数学者として数列の正しさを証明したかったわけではありません。果物、人数、動物、螺旋、建築寸法など具体的な生命・社会・空間へ数字を重ねます。

そのため数字は抽象的な記号でありながら、身体、食物、集団、都市のスケールを測る道具になります。自然と文化の間をつなぐ言語として使われています。

マリオ・メルツの作品をどう見るか

「粗い素材=自然志向」とだけ読まない

枝、土、蝋を見ると自然への回帰を想像しやすいですが、隣には金属、ガラス、ネオンが置かれています。どちらか一方ではなく、素材同士の緊張を見ることが重要です。

作品名と言葉を確認する

《Che fare?》《Objet cache-toi》《Igloo di Giap》など、作品に含まれる言葉は政治・文学・社会状況へ接続します。ただし、言葉を作品の「解説文」と考えないことも重要です。ネオン文字は意味を伝えるだけでなく、光、熱、線として物質へ作用します。

フィボナッチ数列は「黄金比の神秘」と単純化しない

メルツが強く関心を持ったのは、数列が増殖していく性質です。自然界に数学的秩序があるという神秘主義だけに還元すると、作品の社会的・空間的側面が見えにくくなります。

レストランの人数、テーブル、建物、都市の移動へ数列を適用することで、「成長」というモデルを人間社会へ広げています。

同じモチーフの違いを見る

イグルーは100点以上制作されましたが、それぞれ材料、規模、言葉、設置環境が違います。「また同じイグルー」と見るのではなく、今回の場所では何が変わったかを見ると、反復の意味が分かります。

作品の周囲を歩く

多くの作品は正面から一枚の画像として見るために作られていません。イグルーの外側を回り、ガラス越しに内部を見て、テーブルの螺旋をたどり、数字が建築をどのように横断するかを見る必要があります。

メルツの作品では展示空間も素材の一つです。作品単体だけではなく、壁、床、天井、入口との関係を見ることが重要です。

主要作品

1968年の枝と蝋による《Lingotto》、政治的な問いをネオン化した《Che fare?》、最初のイグルー《Igloo di Giap》から、衣服とネオン、フィボナッチ数列と人間の集団、ワニやサイ、螺旋状のテーブル、巨大な三重イグルー、都市規模のイグルー、トリノの公共建築へ伸びる数列まで、メルツの主要な語彙がどのように相互接続したかを追える11作品を選びました。Mario Merz作品は現在も著作権管理下にあるため、media_idはすべて0としています。

インゴット

Lingotto / 1968 / 枝束、蜜蝋、鋼鉄 / 262 × 313 × 114 cm

ARTIST ROOMS, Tate and National Galleries of Scotland

大量の枝束の上に鋼鉄の構造と蜜蝋の塊を置いた初期アルテ・ポーヴェラの代表作。lingottoはイタリア語で「インゴット」を意味すると同時に、FIAT工場で知られるTorinoの地区名でもあります。National Galleries of Scotlandは、父が同工場で働いていたことにも触れています。自然の枝、工業都市、金属の価値を暗示する題名を一つの作品へ重ねました。

所蔵館の作品情報 ↗

何をなすべきか?

Che Fare? / 1968–1973 / アルミニウム、蜜蝋、ネオン / 125 × 66.8 × 19.1 cm

ARTIST ROOMS, Tate and National Galleries of Scotland

アルミニウム製の魚用鍋に黄色い蜜蝋を入れ、その上へ水色のネオンで「che fare?(何をなすべきか?)」と置いた作品。Leninの著作題名と1968年前後の政治状況を想起させますが、Merz自身は子どもが遊びながら繰り返す問いとしてもこの言葉に惹かれたと説明しました。ネオンの熱が蝋へ作用し、政治的な言葉を光だけでなく物質的変化へ結びつけます。

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ジャップのイグルー

Igloo di Giap / 1968 / 鉄製構造、土を詰めたプラスチック袋、ネオン管、電源装置 / 高さ120 cm、直径200 cm

Centre Pompidou, Musée national d’art moderne, Paris

Merzのイグルー群の出発点となる作品。鉄の半球を土で覆い、ベトナムの将軍Võ Nguyên Giápに帰される「敵が集中すれば地を失い、分散すれば力を失う」という趣旨の言葉をネオンで巡らせます。最小限の住居、地球を思わせる半球、戦争の集団戦略、人工光と土が同時に存在し、個人の生存と世界政治を一つの形へ重ねています。

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無題

Senza titolo / 1969 / 革のジャケット、アクリル板への塗料、枝束、ネオン管、電源ケーブル、変圧器 / 124 × 145 × 40 cm

Museum Brandhorst, Munich

革のジャケット、枝、アクリル板、ネオンを組み合わせた作品。Museum Brandhorstは、Merzが日用品と商業空間由来のネオンを物理的に貫通・接続することで、絵画の平面性を越えたと説明しています。本人にとってこうしたインスタレーションもなお「絵画」であり、素材同士の関係を色や線の構成と同様に考えていました。

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無題(本当の合計とは人々の合計である)

Untitled (A Real Sum Is a Sum of People) / 1972 / 銀塩写真、ネオン管、変圧器、電線 / 全体 60.9 × 506 × 13 cm

The Museum of Modern Art, New York

レストランに集まる人数をフィボナッチ数列に従って増やし、各写真の上へ対応する数字をネオンで示した作品。MoMAは、自然界の成長を示す数列を人間の集団へ移した作品として紹介しています。Merzにとって数は抽象的な数学記号ではなく、生命と共同体が増殖する過程を可視化する手段でした。

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クロコディルス・フィボナッチ

Crocodilus Fibonacci / 1972 / ワニの剥製、ネオン、変圧器 / 可変/ワニ 40 × 182 × 59 cm、初回設置全長約22 m

Centre Pompidou, Musée national d’art moderne, Paris

ワニの剥製とフィボナッチ数列のネオンを長い空間へ組み合わせたインスタレーション。太古から存在するように見える動物の身体と、無限に増殖できる数学的系列を重ねます。自然/人工、動物/数字、先史/現代技術というMerzの中心的な対立項を一つの作品に凝縮しています。

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サイ

Rinoceronte / 1979 / ミクストメディア・カンヴァス、ネオン / 291 × 435 cm

Private collection, Madrid

1970年代末から本格化する大型動物絵画の代表例。巨大なサイをカンヴァスへ描き、絵画とネオンを再び結びつけています。Reina Sofíaの回顧展は、Merzの動物像を近代的な歴史の時間より古い「先史的」な生命の感覚と結びつけています。インスタレーションへ進んだ後も、絵画が制作の中心から消えていなかったことを示す重要作です。

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螺旋のテーブル

Tavola a spirale (Spiral Table) / 1982 / アルミニウム、ガラス、果物、野菜、枝、鋼鉄、タール紙、蜜蝋 / 設置により可変

Dia Art Foundation

テーブルを螺旋状に延ばし、果物、野菜、枝などを配置する大規模インスタレーション。Diaはテーブルを一片の土地へ変換し、食物の配置をFibonacci的な増殖に結びつけた作品として紹介しています。イグルーが「住むこと」を扱う形なら、テーブルは「集まり、食べること」を担う社会的な形としてMerzの主要モチーフになりました。

所蔵館の作品情報 ↗

《Igloo di Giap》――住居と戦争を重ねる

最初のイグルー

1968年の《Igloo di Giap》は、メルツが生涯に100点以上展開するイグルー群の出発点です。Centre Pompidou所蔵版では、鉄の半球構造へ土を詰めた袋を取り付け、その表面をネオン文字が横切ります。

素材だけを見れば、土と鉄という非常に単純な組み合わせです。しかし半球の周囲には、北ベトナム軍の将軍Võ Nguyên Giápに帰される「敵が集中すれば地を失い、分散すれば力を失う」という趣旨の言葉が走ります。

小さな住居の表面に世界政治が現れる

イグルーは個人が身体を守る最小限の住居です。その表面に、軍隊の集中と分散を語る言葉が置かれます。個人の身体を包む空間と、戦争における巨大な集団の戦略が同じ作品へ重なります。

「家」と「戦争」は反対のように見えますが、住居も戦争も領土、境界、集団、生存に関わります。メルツは政治的言葉をイグルーへ貼り付けることで、抽象的な造形を当時の世界情勢へ接続しました。

閉じているのに開いている

イグルーは外部から内部を分ける形ですが、メルツの作品はガラスや網など透明・半透明の素材を使うことも多く、完全には閉じません。

保護/露出、内部/外部、個人/社会という対立が、どちらかへ解決されず同時に存在します。Centre Pompidouは、この「反対物の弁証法」をイグルーの重要な性質として説明しています。

《A Real Sum Is a Sum of People》――数は人間から増える

レストランの人数が増えていく

1972年の《Untitled (A Real Sum Is a Sum of People)》では、レストランのテーブルを囲む人々を写真に撮り、その人数をフィボナッチ数列に従って1、1、2、3、5、8……と増やしています。写真の上には対応する数がネオンで示されます。

数学の教科書なら数字だけで示される増殖が、ここでは実際の人間の集まりになります。数が増えるたびに、テーブルを囲む関係も変化します。

「合計」とは人数だけではない

題名は「本当の合計とは人々の合計である」という意味を持ちます。数量として何人いるかを数えるだけでなく、人が集まり社会が形成されること自体を「sum」と捉えています。

フィボナッチ数列が植物の成長だけでなく、人間の共同体へ適用されることで、自然と社会を別々の秩序として考える境界が崩れます。

動物――「先史的な時間」を絵画へ戻す

サイ、ワニ、バイソン、フクロウ、カタツムリ

1970年代末から1980年代にかけ、メルツの巨大なカンヴァスには動物が頻繁に現れます。《Rinoceronte》では巨大なサイが描かれ、その周囲にネオンが組み合わされます。

これらは動物図鑑の正確な写生ではありません。輪郭は大きく、色は粗く、動物が画面から押し出されるような力を持ちます。

近代より古い時間

Reina Sofíaはメルツの作品を、近代社会の歴史的時間とは異なる「先史的な時間」へ接続しています。動物は人間の都市、資本主義、工場が成立する前から存在した生命の像として現れます。

しかしメルツは文明を放棄して動物世界へ戻ろうとしたわけではありません。動物の隣には数字、ネオン、テーブルが置かれます。文明以前の生命と現代技術が一つの画面で衝突します。

《Crocodilus Fibonacci》

《Crocodilus Fibonacci》では実際のワニの剥製とネオン数字を組み合わせます。古代からほとんど姿を変えず生き延びたように見えるワニの身体へ、数学的な増殖の系列が重なります。

自然物を模倣して彫刻を作るのではなく、動物そのものの身体と人工の数を同時に置くことで、「生命の秩序」を単純な自然/科学の二分法から解放します。

テーブル――食べること、集まること、文明

住居の次にテーブルが現れる

Guggenheimの略歴では、1970年代にテーブルがメルツの主要モチーフとなり、人間の充足と相互作用の場を象徴したと説明されています。

イグルーが身体を覆う最小の住居なら、テーブルは複数の身体が一緒に集まる場所です。食事、会話、仕事、会議が起きます。個人の生存から共同体へ、作品のスケールが広がります。

テーブルは家具であり土地でもある

《Tavola a spirale》では、テーブルの上に果物、野菜、枝が置かれます。Diaはテーブルを一片の土地として捉え直した作品と説明しています。

食料が土地から生まれ、テーブルへ運ばれ、人間へ分配される。その循環を、螺旋とフィボナッチ的な成長の構造へ重ねます。

螺旋――数列を空間へ変える

数字だけでは見えない成長

フィボナッチ数列は紙に書けば直線的な数字の列です。しかしメルツはそれを螺旋、イグルー、テーブル、建築へ変換しました。

螺旋は中心から外へ広がりながら、元の中心との関係を失いません。成長しても過去を内側へ抱え続ける形です。

カタツムリ、角、松ぼっくり

Fondazione Merzの研究では、カタツムリ、角、枝、葉、松ぼっくりなど、自然界に現れる螺旋・反復形がメルツの作品で繰り返されることが指摘されています。

フィボナッチ数列は、これらの形を科学的に説明する唯一の法則として使われたのではありません。自然に見られる「拡張しながら形を保つ」という感覚を、数字で言い換えるためのモデルでした。

場所に応答する作品――同じイグルーを繰り返さない

作品が建築に合わせて変化する

メルツは展覧会場へ行き、その場所で手に入る素材や建築寸法に応じて作品を調整することを繰り返しました。MOCA Los Angelesの1989年展では、約一か月現地に滞在し、三つの展示室を直接構成しました。

イグルーの大きさ、ガラスの配置、枝、土、周囲の作品は、場所ごとに変化します。作品を完成状態で運び込むより、場所との接触から新しい形を作ります。

「サイト・スペシフィック」と「反復」の両立

通常、場所に固有の作品は一回限りだと考えられます。しかしメルツはイグルーという同じ基本形を何度も使います。

繰り返すのは完成形ではなく「原理」です。半球、螺旋、フィボナッチ数列という原理が、場所ごとに別の物質と規模を得ます。この点で、後のインスタレーションや可変的な作品実践を考える重要な先例です。

マリサ・メルツとの関係

「Mario Merzの妻」ではなく独立した美術家

Mario Merzは1959年にMarisa Merzと結婚し、1960年に娘Beatriceが生まれました。Marisa自身もアルテ・ポーヴェラを代表する重要な美術家です。

二人は生活と制作を長く共有しましたが、MarisaをMarioの補助者として扱うのは適切ではありません。それぞれ異なる作品世界を持ちながら、素材や空間の考え方について相互に刺激を与えました。

《Tavola a spirale》の展示にも残る協働の記憶

Dia Beaconで《Tavola a spirale》を展示した際には、1989年Guggenheim回顧展でMarioとMarisaが行った構成を参照し、Marisaの蜜蝋のヴァイオリン作品も組み込まれました。

個々の作品の作者を混同するのではなく、二人の生活と制作が完全には分離できない歴史を、展示そのものが示しています。

都市へ拡張するフィボナッチ数列

展示室から建築へ

1970年代には室内壁のネオン数字だった数列が、1980年代以降は美術館建築全体へ伸びます。《8, 5, 3》ではイグルーの直径になり、1989年Guggenheimでは螺旋建築そのものと対話します。

StrasbourgのトラムとTurinのMole Antonelliana

1994年にはStrasbourgの公共交通空間へフィボナッチ数列を展開し、2000年にはTurinのMole Antonellianaへ《Il volo dei numeri》を恒久設置しました。

数列が「展示を見に来た人」だけでなく、通勤者や住民が日常的に目にする都市景観へ入ります。美術館という境界を越え、数学的な増殖が実際の都市生活の時間と重なります。

建築より大きな作品

《Il volo dei numeri》では、個々のネオン数字は建築に付属しています。しかし数列は原理上、Mole Antonellianaの頂上で終わる必要がありません。

建物は有限でも数列は続く。この関係によって、作品の物理的寸法と概念的寸法が分離します。目に見える作品より、その先へ続く成長を想像させます。

絵画への回帰――支持体そのものを変える

「インスタレーション作家が絵画へ戻った」だけではない

1970年代末からの大画面は、1950年代の油彩へそのまま戻ったものではありません。カンヴァスを下地処理せず、色を直接染み込ませるなど、支持体そのものの扱いも変化しました。

動物の身体、数字、螺旋、ネオンが同じ画面へ入り、絵画は再びイグルーやテーブルと並ぶ一要素になります。

平面と立体を往復する

イグルーをカンヴァスへ描くこともあれば、カンヴァスが立体作品と組み合わされることもあります。画面に描いた動物が、支持体の輪郭を越えて実空間へ飛び出すような作品も生まれました。

メルツにとって「絵画をやめる/戻る」という線形の歴史より、必要に応じて平面と空間を往復することが重要でした。

「歴史」ではなく先史と成長を見る

「数字は先史的である」

Fondazione Merzの2015年展《Numbers are Prehistoric》は、メルツの著書にある「数字は先史的である」という言葉を題名にしています。ここで「先史」は、原始時代への郷愁だけを意味しません。

国家、資本、都市、美術制度が成立する前にも、数、成長、身体、食物、住居は存在した。メルツは近代史の出来事を超える長い時間の尺度を作品へ持ち込みます。

しかし政治的現在から離れない

一方、《Che fare?》《Igloo di Giap》のように、作品は1968年前後の政治状況へ明確に接続しています。先史的な動物と政治的スローガンは同じ作家の中に共存します。

現在の政治だけに閉じず、人間が生きる基本条件へ遡ること。逆に、自然を永遠の美として理想化せず、都市・工場・戦争へ接続すること。この往復がメルツの時間感覚を特徴づけています。

2024–25年、生誕100年の再評価

Fondazione Merzの生誕100年展

Mario Merzは2025年1月1日に生誕100年を迎えました。Fondazione Merzでは2024年10月から2025年2月にかけて《Qualcosa che toglie il peso che mantiene l’assurdità e la leggerezza della favola》を開催し、インスタレーション、イグルー、テーブル、カンヴァス、紙作品を横断して制作を再検討しました。

一つの代表形式だけではなく、同じモチーフが媒体を越えて変化し続けることを見せる構成になりました。

Verona《Il numero è un animale vivente》

2024年10月から2025年3月にはVeronaのGalleria d’Arte Moderna Achille Fortiで《Mario Merz. Il numero è un animale vivente》が開催されました。タイトルは「数は生きた動物である」という意味で、数列を抽象数学ではなく生命的な存在として扱ったメルツの考えを示します。

展覧会は、作品と環境の相互浸透、イグルー、数字、自然素材といった反復要素を中心に構成されました。

2025–26年、MarioとMarisaを再び並べる

2025年11月から2026年2月にはPragueのIstituto Italiano di Culturaで《“Eccoci qui ancora una volta…” Mario & Marisa Merz》が開催されました。近年はMarioだけを単独の「巨匠」として扱うのではなく、Marisa Merzを含むTurinの芸術環境や、二人の相互関係を再検討する動きも強まっています。

マリオ・メルツは何を変えたのか

彫刻を「完成した物体」から環境へ広げた

イグルー、テーブル、数字、新聞、枝は、個別の彫刻として存在するだけではありません。展示室全体へ配置され、観客の身体、建築、通路を巻き込みます。

現在では一般的になった「インスタレーション」という考えがまだ確立していない時期から、作品と場所を分けられない環境を作りました。

自然素材と産業素材を同じ強さで扱った

自然を理想化して工業製品を排除するのではなく、枝の隣にネオン、土の隣に金属、果物の下にガラスを置きました。

戦後の工業社会で自然と人工がすでに不可分になっていることを、説明ではなく素材そのものの衝突によって示しました。

数学を抽象的な秩序から「生きた成長」へ変えた

フィボナッチ数列を壁へ表示するだけでなく、人数、イグルーの直径、テーブル、都市建築へ適用しました。数字は世界を測る外部の道具ではなく、世界と一緒に増殖するものになります。

ルールを使いながら作品を固定せず、無限に拡張可能な構造にした点は、後のシステム的・プロセス的な美術とも接続します。

政治をスローガンの説明にしなかった

政治的な言葉を作品へ使っても、答えを指示するプロパガンダにはしませんでした。《Che fare?》は問いのまま残り、《Igloo di Giap》では軍事戦略の言葉が住居の表面を巡ります。

政治と日常、生存と美術を分離しない一方、作品を一つの教義へ閉じない。この態度がアルテ・ポーヴェラの中でもメルツを特徴づけています。

一つの様式ではなく、一つの「増殖原理」を作った

イグルー、数字、螺旋、テーブル、動物、新聞というモチーフは何十年も反復されます。しかし毎回同じ完成形を複製するのではなく、場所と素材に応じて変化します。

メルツの一貫性は見た目のスタイルではなく、「成長する、集まる、住む、食べる、移動する」という生命と社会の基本動作を、異なる媒体へ何度も変換したことにあります。

略年譜

1925
1月1日、ミラノに生まれ、トリノで育つ。
1940年代前半
Università degli Studi di Torinoで医学を学ぶが、第二次世界大戦中に反ファシズム運動Giustizia e Libertàへ参加。
1945
反ファシズム活動により逮捕・投獄される。獄中で入手できる素材へ継続的に素描する。
1950
油彩制作へ本格的に取り組み始める。自然界の有機的な形を主題にする。
1954
TorinoのGalleria La Bussolaで初個展。アンフォルメルと接点を持つ絵画を発表。
1959
美術家Marisa Merzと結婚。
1960
娘Beatrice誕生。
1964–1966頃
伝統的なカンヴァスから離れ、実物素材や空間へ制作を拡張。1966年頃からカンヴァス、ボトル、傘、衣服などへネオン管を貫通させる。
1967
Germano Celantが「Arte Povera」を提唱。MerzはAnselmo、Boetti、Kounellis、Paolini、Pistoletto、Zorioらとともに主要作家として活動。
1968
《Lingotto》《Che fare?》《Igloo di Giap》などを制作。最初のイグルー群が成立。《Arte povera + azioni povere》など重要な展覧会に参加。
1969
Kunsthalle Bern《Live in Your Head: When Attitudes Become Form》に参加。《Senza titolo》などネオンと衣服・枝を組み合わせた作品を制作。
1970頃
フィボナッチ数列を本格的に作品へ導入。数字、螺旋、成長を空間構造として扱う。
1972
Walker Art Centerでアメリカ初の美術館個展。《Untitled (A Real Sum Is a Sum of People)》《Crocodilus Fibonacci》などを制作。
1973–1974
テーブル、新聞の束、果物、数列を組み合わせた作品を展開。素描でもFibonacci Houseなどを反復。
1975
Kunsthalle Baselでヨーロッパの美術館として最初の本格的な個展。数列、イグルー、テーブルを展示空間全体へ展開。
1977
《Igloo Objet cache-toi》など、透明素材と政治的言葉を結びつけたイグルーを制作。
1979
《Rinoceronte》など大型の動物絵画を展開。ネオンと絵画を再び強く結びつける。《Progressione di Fibonacci》を制作。
1982
《Tavola a spirale》を制作。螺旋状のテーブルに果物、野菜、枝などを配置。
1985
Kunsthaus Zürichで《8, 5, 3》を発表。直径8、5、3メートルの三つのイグルーを入れ子状に構成。
1987
CAPC Bordeaux、Salpêtrière Parisなどで、イグルーとテーブルを大規模環境として展開。
1989
Solomon R. Guggenheim Museum, New Yorkで大規模回顧展。《Città irreale, Millenovecentottantanove》を制作。制作論・文章をまとめた書籍も刊行。
1990
Castello di Rivoli、Centro per l’Arte Contemporanea Luigi Pecciなどで大規模展。建築規模のFibonacci作品を展開。
1994
Strasbourgのトラム路線に長距離のフィボナッチ数列を組み込む公共プロジェクトを実現。
1999
Fundação de Serralves, Portoで個展。晩年には素材と線の基本性へ再び重点を置く。
2000
TorinoのMole Antonellianaに《Il volo dei numeri》を恒久設置。Carré d’Art, Nîmesで素描を大規模インスタレーションとして展開。
2001
Tate Modern/Walker Art Center《Zero to Infinity: Arte Povera 1962–1972》に参加。Arte Poveraの国際的再評価が進む。
2002
Fundación Proa, Buenos Airesでラテンアメリカ初の本格個展。
2003
高松宮殿下記念世界文化賞の彫刻部門を受賞。11月9日死去。
2005
TorinoにFondazione Merz設立。MarioおよびMarisa Merzの研究、アーカイブ、展覧会と現代作家支援を開始。
2019–2020
Reina Sofía/Palacio de Velázquezで大規模回顧展《Mario Merz: Time Is Mute》。政治、先史的時間、自然と数列の関係を再検討。
2020–2024
Dia Beaconで長期展示。1950年代末から1980年代半ばまでの主要形式をアメリカで包括的に再紹介。
2024–2025
生誕100年に合わせ、Fondazione Merz《Qualcosa che toglie il peso che mantiene l’assurdità e la leggerezza della favola》、Verona《Il numero è un animale vivente》などが開催。
2025–2026
PragueのIstituto Italiano di Culturaで《“Eccoci qui ancora una volta…” Mario & Marisa Merz》。二人の制作関係も改めて検証される。

参考資料・出典

本ページはFondazione Merz、Solomon R. Guggenheim Museum、Peggy Guggenheim Collection、Centre Pompidou、The Museum of Modern Art、Dia Art Foundation、National Galleries of Scotland/ARTIST ROOMS、Museum Brandhorst、Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía、Luci d’Artista Torino、日本美術協会などの美術館・財団・公的資料を参照してART LIBRARYが独自に執筆しました。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY