Art Library

Marcel Broodthaers

マルセル・ブロータース

ベルギー / 1924–1976 / コンセプチュアル・アート/インスティテューショナル・クリティーク

A Conversation on Marcel Broodthaers with Dominique Gonzalez-Foerster and Rodney Graham | MoMA LIVE

マルセル・ブロータース(1924–1976)は、詩、書物、オブジェ、写真、映画、印刷物、展示空間、そして「美術館」という制度そのものを素材にしたベルギーの作家です。40歳になるまで主に詩人として活動し、1964年に美術家として最初の個展を開きました。しかし、それは詩を捨てて造形芸術へ転向したという単純な出来事ではありません。売れ残った詩集《Pense-Bête》を石膏に埋め、読むためには彫刻を壊さなければならない状態にした最初期の作品から、言葉と物、読むことと見ること、意味と展示方法の関係が中心的な問題になっています。

ムール貝の殻や卵の殻を大量に集めたオブジェ、マラルメの詩から文字を消した本、輸送箱と絵葉書だけで始まった架空の《Musée d’Art Moderne, Département des Aigles(近代美術館・鷲部門)》、ヤシの木や椅子を並べた「冬の庭」、自身の過去作品や借り物を組み替えた「Décor」。ブロータースの作品は一見すると、互いに別の方向へ散らばっているように見えます。しかし一貫しているのは、ある物やイメージが「美術」として意味や価値を持つとき、その意味はどこから来るのかという問いです。作品そのものなのか、タイトルなのか、作家の署名なのか、展覧会なのか、美術館なのか、あるいは美術史や言語なのか。ブロータースは答えを提示するより、その仕組みをユーモアと矛盾を使って露出させました。

生涯と制作の変遷

1924年、ブリュッセルに生まれる

マルセル・ブロータースは1924年1月28日、ベルギーのブリュッセルに生まれました。若い時期に化学を学びましたが、その後は詩と文学へ向かい、1940年代後半から詩や文章を発表します。ジャーナリズムや書籍に関わる仕事もしながら、ベルギーのシュルレアリスム周辺の文化に接し、ルネ・マグリットとも交流しました。

ブロータースにとって特に重要な文学者の一人がステファヌ・マラルメでした。言葉を単なる内容伝達の道具ではなく、ページ上の配置、間隔、文字の大きさを含む視覚的な構造として扱ったマラルメの詩は、後にブロータースが「読むこと」と「見ること」の境界を考える重要な参照点になります。

1950年代、詩・写真・映画

1950年代から60年代初頭にかけて、ブロータースは詩集を出版しながら、写真、批評、映画にも関わりました。1957年には映画制作も始めています。この時期を後の「美術家ブロータース」の前史として切り離すより、すでに複数の媒体を横断していた時期として見る方が適切です。

《Mon livre d’ogre》《Minuit》《La Bête noire》《Pense-Bête》などの詩集では、言葉遊び、反復、イメージと言語のずれが重要でした。後に造形作品で繰り返されるムール貝、卵、鷲といったモチーフも、詩と言葉の領域から突然切断されたものではありません。MoMAも、1964年以後の初期作品を詩からの離脱ではなく、詩を物質的な形へ拡張したものとして説明しています。

1964年、40歳で美術家としてデビュー

1964年4月、ブリュッセルのGalerie Saint Laurentで最初の個展を開きます。招待状には、自分も何かを売って人生で成功できないかと考え、「不誠実なものを発明する」という考えが浮かんだ、という皮肉な文章を印刷しました。美術家としての自己紹介でありながら、最初から「作品を売ること」「ギャラリー」「成功」といった美術市場の条件を作品の内部へ持ち込んでいます。

この展覧会を象徴するのが《Pense-Bête》です。自分の同名詩集の売れ残った約50部を束ね、石膏へ部分的に埋め込みました。本はまだ見えますが、ページを開いて読むためにはオブジェとしての形を壊さなければなりません。本は「読むもの」から「見るもの」へ変わり、詩は彫刻の材料になります。同時に、視覚芸術として扱われた瞬間、観客が中に書かれた言葉へ関心を示さなかったことを、ブロータース自身は後に指摘しました。

1965–67年、卵、ムール貝、日用品

美術家として活動を始めると、ブロータースは卵の殻、ムール貝の殻、石炭、鍋、家具、瓶、広告写真など、安価で身近な物を大量に使います。《Armoire blanche et table blanche》では白く塗られた家具を卵の殻で埋め、《Triomphe de moule I》では鍋からムール貝の殻が溢れ出します。

これらは日用品をそのまま提示するだけのレディメイドとは少し違います。反復して大量に集め、樹脂で固め、家具や容器へ詰め込むことで、もとの用途と意味をずらします。同時に、フランス語の「moule」が「ムール貝」と「型」の両方を意味することなど、言葉の二重性が作品の物質と結びつきます。物を見ることと単語を読むことが切り離せません。

1967–68年、映画と展示の複合体

《Le Corbeau et le Renard》では、写真キャンバス、印刷物、箱、映画など複数の要素を組み合わせました。タイトルはラ・フォンテーヌの寓話「烏と狐」を参照しますが、一つの物語を分かりやすく再現する作品ではありません。文字、写真、映画、物体が互いにずれながら、一つの作品がどこからどこまでなのかを不明瞭にします。

ブロータースは本を彫刻にした後、作品をさらに「展示」という単位へ広げていきます。個々の物体より、それらがどう配置され、どのラベルが付けられ、どんな文脈で見せられるかが重要になりました。この関心が1968年の《Musée d’Art Moderne, Département des Aigles》へつながります。

詩人から美術家へ――ただし詩は終わらない

「転向」という物語だけでは見えない

ブロータースはしばしば「40歳まで売れない詩人で、1964年から美術家へ転向した」と紹介されます。経歴としては大筋で正しいものの、作品を見るうえでは詩と美術を二つの時代へ分けすぎない方がよいでしょう。

《Pense-Bête》では詩集そのものが材料となり、《Un coup de dés jamais n’abolira le hasard》ではマラルメの詩の文字配置が作品になります。《La Salle blanche》では「canvas」「image」「subject」「copy」など、美術に関する単語が部屋の壁へ直接浮かびます。詩の活動はなくなったのではなく、紙の上から物と空間へ移動していきました。

意味より先に、言葉の「形」がある

通常、文字はその意味を読むための透明な道具として扱われます。しかしブロータースの作品では、文字の形、大きさ、配置、反復が目立つため、読むことがしばしば妨げられます。言葉がイメージになり、イメージが言葉のように読まれる状態が作られます。

この問題にはマグリットの仕事との近さもあります。マグリットは絵の中に言葉を書き込み、描かれた物と言葉の関係をずらしました。ブロータースも、ある言葉がある物を指すという当然の関係を疑い、タイトル、ラベル、作品、展示空間が互いに意味を作り合う仕組みへ関心を広げました。

ムール貝と卵――意味を生む「殻」

空の容器

ブロータースの初期作品では、食べ終わった後のムール貝の殻や卵の殻が大量に使われます。MoMAは《White Cabinet and White Table》について、卵殻を「中身を失った容器」として説明しています。殻は何かを包むための形なのに、中身はすでにありません。

家具や鍋もまた容器です。戸棚、テーブル、鍋、瓶のような日用品へ空の殻を詰め込むことで、「何が何を入れるのか」という関係が重なります。意味のないものを大量に収納しているようにも見え、逆に美術館が物へ意味を詰め込む装置であることを先取りしているようにも見えます。

moule――貝と型

フランス語のmouleには「ムール貝」と「鋳型・型」の二つの意味があります。ブロータースはこの言葉遊びを詩でも作品でも繰り返しました。MoMAの回顧展では、ムール貝がベルギーの代表的な日常食であることと、「型」という語義の二重性の双方が紹介されています。

同時に、ムール貝や卵殻は高価な伝統素材ではありません。食卓の残り物に近い物がギャラリーや美術館へ入り、美術品として保存・売買される。その変化は、作品の価値と素材の値段が一致しないことを露出します。ブロータースのユーモアは、言葉遊びだけでなく、美術の価値体系そのものへ向けられています。

反復すると、物は別のものに見える

一枚の卵殻、一個のムール貝なら日常的な残骸に見えます。しかし数十、数百と反復されると、パターンや表面へ変わります。《Armoire blanche et table blanche》では、卵殻が家具の「内容」であると同時に、絵画的な表面にもなっています。

ブロータースは絵具ではない物を反復して面を作り、家具を支持体のように使いました。絵画、彫刻、日用品というカテゴリーが安定しないことが、初期作品からすでに重要でした。

言葉を読むことと、見ること

意味が一つに決まらないようにする

ブロータースの作品には、説明を読めば意味が一つに解けるタイプの「暗号」があるわけではありません。むしろ、言葉と物が互いに矛盾することで、見る人が簡単な結論へ到達できないようにします。

例えば広告看板のような真空成形プラスチックへ文字や記号を配置した作品群では、本来なら分かりやすい情報伝達のために使われる工業的なサインが、逆に読みづらいレブスのようになります。情報を伝える媒体が、情報の不確かさを示す作品へ変わっています。

タイトル、ラベル、キャプションも作品の一部

美術館では通常、作品が先にあり、タイトルや解説はそれを説明する補助情報と考えられます。ブロータースはこの上下関係を崩しました。タイトルやラベルが物の見え方を変え、展示方法が価値を変えるなら、言葉や展示制度も作品と同じくらい重要です。

後の《Musée d’Art Moderne, Département des Aigles》では、この発想が美術館全体へ拡大します。何を収蔵し、どう分類し、どんなラベルを貼り、どの順番で展示するか。それらは中立的な作業ではなく、「美術」という意味を作る行為として扱われます。

マラルメ――詩をイメージへ変える

《Un coup de dés》を文字なしで再制作する

1969年、ブロータースはマラルメの有名な詩《Un coup de dés jamais n’abolira le hasard》をもとにしたアーティスト・ブックを制作しました。マラルメの原作は、文字の大きさ、空白、ページをまたぐ文章配置によって、詩の意味と視覚構成を結びつけた作品です。

ブロータースは、その文字を読めない黒い帯へ置き換えました。文章の内容は消えますが、各行の長さ、位置、文字サイズに対応する構成は残ります。表紙では「Poème」を「Image」へ置き換え、詩の意味を取り去ることで、逆に詩がもともと持っていた視覚的な構造を前面へ出しました。

コピーなのか、翻訳なのか

ブロータースはマラルメの作品を自由に「表現」し直したというより、原作の構造へ極めて限定的な介入を行いました。内容を削除し、配置だけを残す。この操作は、原作を破壊しているようにも、普段見落とされる構造を保存しているようにも見えます。

この曖昧さが重要です。オリジナルとコピー、文学と美術、言葉とイメージというカテゴリーを分けるのではなく、一つの作品が別の制度へ移動すると何が変わるのかを示しています。

ブロータースの作品をどう見るか

まず「何を意味しているか」を急いで決めない

ブロータースには言葉遊び、歴史的引用、ベルギー文化、文学、政治、美術制度への参照が多いため、意味を解読したくなります。しかし一つの象徴へ固定すると、作品の矛盾が消えてしまいます。

ムール貝はベルギーの食文化でもあり、フランス語の言葉遊びでもあり、空の殻でもあり、反復される造形単位でもあります。鷲も国家、帝国、軍隊、美術館の権威など複数の意味を帯びます。どれか一つを正解にするより、それらが同時に成立している状態を見る方がブロータースらしさに近づきます。

作品だけでなく「置かれ方」を見る

ブロータースでは、同じ物が別の展示に再登場し、異なる意味を持つことがあります。したがって、作品単体の写真だけでなく、展覧会名、部屋の構成、隣に何が置かれたか、どのラベルが付いたかを見ることが重要です。

晩年の「Décor」では、過去作品、借用物、植物、家具、武器、映画などが同じ空間へ置かれます。一点ずつを鑑賞するより、物同士の関係がどのような物語や歴史のイメージを作るのかを見ます。

「これは美術か」という問いだけで終わらない

卵殻や輸送箱が美術館へ入ると、つい「これも美術なのか」という問いへ向かいます。しかしブロータースが重要なのは、その問いをさらに一段進めた点です。なぜ美術館へ入ると、それが美術として扱われるのか。誰が分類し、誰が価値を保証し、何が歴史として保存されるのか。作品は、美術の境界よりも、その境界を作る装置へ向かっています。

ユーモアを無視しない

ブロータースは非常に理論的に読まれる作家ですが、作品には駄洒落、皮肉、ナンセンス、自己矛盾が多くあります。自分を「美術館長」と名乗り、展示品の横へ「これは美術作品ではない」と置き、自分の回顧展を自分で組み替える。制度批判を深刻な告発だけで行うのではなく、制度の形式を真似して少しずらすことが彼の方法でした。

主要作品

売れ残った詩集を石膏に埋めた《Pense-Bête》から、ムール貝と卵殻、映画と印刷物、《Musée d’Art Moderne, Département des Aigles》、マラルメの再制作、晩年の「冬の庭」と《La Salle blanche》《Décor》まで、ブロータースが詩から物、展示、制度へと制作を拡張した12年間を追える11作品を選びました。作品は現在も著作権管理下にあるため、画像は掲載せず、公式所蔵館・研究機関の情報を中心に構成します。

パンス=ベート

Pense-Bête (Memory aid) / 1964 / 書籍、紙、石膏、プラスチック球、木製ベース / 本体(ベース除く)30 × 84.5 × 43 cm

Flemish Community, long-term loan to S.M.A.K., Ghent

同名詩集約50部を束ね、下部を石膏へ埋め込んだ、美術家としての出発点を象徴する作品。ページを読むには彫刻としての形を壊さなければならず、「読む本」が「見る物体」へ変わります。ブロータース自身は、観客が本の内容ではなく「石膏の中の本」という視覚的な奇妙さに反応したことを後に語っています。

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ムール貝の勝利 I

Triomphe de moule I (Triumph of mussel I) / 1965 / 彩色した鍋、ムール貝の殻、着色樹脂 / 47.6 × 49.8 × 38.1 cm

Philadelphia Museum of Art

鍋の中からムール貝の殻が山のように溢れ出す初期代表作。フランス語のmouleは「ムール貝」と「型」の両方を意味し、ブロータースは詩でもこの二重性を利用しました。ベルギーの日常食というローカルな記号、空の殻、容器と型、反復される造形単位が一つの作品に重なっています。

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白い戸棚と白いテーブル

Armoire blanche et table blanche (White Cabinet and White Table) / 1965 / 彩色した家具、卵殻 / 戸棚 86 × 82 × 62 cm、テーブル 104 × 100 × 40 cm

The Museum of Modern Art, New York

白く塗られた戸棚とテーブルを大量の卵殻で埋めた作品。MoMAは卵殻を「中身のない容器」として読み、戸棚やテーブル自体も別種の容器であることを指摘しています。家具が彫刻の支持体、卵殻が絵画的な表面のようにもなり、絵画・彫刻・日用品の区別を曖昧にします。

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烏と狐

Le Corbeau et le Renard (The Crow and the Fox) / 1967–1968 / 写真キャンバス、印刷物、箱、フェルト、木材、16mm映画ほか / 可変

The Museum of Modern Art, New York

ラ・フォンテーヌの寓話を参照しながら、映画、印刷物、写真キャンバス、箱など複数媒体を組み合わせた作品。単一の中心的オブジェを持たず、言葉、画像、上映、展示物の関係によって成立します。後のインスタレーションや美術館プロジェクトへつながる、作品の境界を拡張した重要作です。

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箱への投影

Projection sur caisse (Projection on crate) / 1968 / 商業用輸送箱への35mmスライド50枚の投影、壁面の絵葉書 / 箱 166 × 168 × 16 cm

Estate Marcel Broodthaers

美術作品を運ぶための輸送箱へスライドを投影した作品。1968年、集会用の椅子代わりに借りた美術輸送箱をスタジオへ並べた経験から、ブロータースは「それ自体が美術館の記号になる」と考えました。作品ではなく作品を運ぶ容器が展示され、美術館らしさを作る周辺装置が前景化します。

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骰子一擲いまだ偶然を廃棄せず

Un coup de dés jamais n’abolira le hasard (A Throw of the Dice Will Never Abolish Chance) / 1969 / アーティスト・ブック、オフセット印刷、32ページ / 各ページ 32.5 × 24.7 cm、閉じた状態 32.5 × 25 × 0.3 cm

The Museum of Modern Art, New York

ステファヌ・マラルメの同名詩をもとに、文字を長さと太さの異なる黒い帯へ置き換えたアーティスト・ブック。原作のタイポグラフィと空間配置は残しながら文章の意味を消し、表紙の「Poème」を「Image」へ変更しました。文学を視覚作品へ単純に翻案するのではなく、読むことと見ることの境界を反転させます。

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ミュゼ・ミュージアム

Musée Museum / 1972 / オフセット・リトグラフ、絵葉書、2点組 / 各シート 50.5 × 75 cm

The Museum of Modern Art, New York

1968–72年の架空の《Musée d’Art Moderne, Département des Aigles》に属する印刷作品。19世紀部門の床面計画と絵葉書を組み合わせ、オリジナル作品がなくても複製、平面図、分類名によって「美術館」を再現できることを示します。架空の美術館が12の一時的セクションとして展開されたことを知るうえでも重要な作品です。

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近代美術館・鷲部門 広告部門

Musée d’Art Moderne, Département des Aigles, Section Publicité / 1972 / 木、ブロンズ、真空成形プラスチック、展示ケース、スライド投影、複製画像、消火器ほか / 可変

Kunstsammlung Nordrhein-Westfalen, Düsseldorf

Documenta 5で提示された《Musée d’Art Moderne》最後期の部門の一つ。Section des Figuresの展示物や「鷲」に関する写真・複製を広報するように並べ、美術館が自分自身の展示を宣伝する構造を作りました。MoMAは、美術館が美術作品ではなく自分自身の資料を収集・展示する「museum of the museum」のような状態として説明しています。

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《近代美術館・鷲部門》――自分で美術館を作る

1968年、美術家をやめて「館長」になる

1968年、ヨーロッパ各地で学生運動や社会運動が広がり、美術制度も批判の対象になりました。ブリュッセルでは芸術家たちがPalais des Beaux-Artsを占拠し、美術と社会、美術市場、文化政策について議論します。ブロータースもその動きに関わりました。

同年9月、ブロータースは自宅兼スタジオで《Musée d’Art Moderne, Département des Aigles(近代美術館・鷲部門)》を開始します。そして自分はもはや美術家ではなく、この美術館の「館長」であると名乗りました。もちろん国立の美術館でも、恒久的な建物を持つ私設美術館でもありません。展覧会、手紙、看板、輸送箱、絵葉書、スライド、ラベル、カタログといった「美術館らしいもの」を組み合わせたフィクションでした。

最初の「19世紀部門」には本物の絵画がない

最初のSection XIXe siècle(19世紀部門)では、19世紀絵画そのものではなく、作品輸送用の木箱や、アングルやクールベなどの作品を複製した絵葉書が置かれました。壁へ絵画が掛かっていないのに、箱と複製画像、看板があるだけで、部屋は「美術館」のように見えます。

作品そのものがなくても、梱包箱、複製、分類名、展示室という制度的な記号が揃えば美術館として認識される。ブロータースは、私たちが美術館を何によって美術館だと認識しているのかを露出させました。

12の「部門」が7都市へ移動する

MoMAの回顧展資料によれば、《Musée d’Art Moderne, Département des Aigles》は1968年から1972年まで約4年間続き、7つのヨーロッパ都市で12の一時的な「section(部門)」として展開されました。19世紀のような歴史分類だけでなく、Documentation、Finance、Publicitéといった、美術館の裏側の業務を思わせる部門も作られます。

通常の美術館が作品を集めて一つの恒久コレクションを作るのに対し、ブロータースの美術館は移動し、形を変え、消えていきました。美術館という制度を一つの建物ではなく、分類、広報、財務、記録、輸送、展示といった機能の集合として捉えていたことが分かります。

鷲と権威――分類することで意味を作る

なぜ「鷲部門」なのか

鷲は古代から国家、軍隊、帝国、権力などの象徴として使われてきました。ブロータース自身も、鷲に「偉大さ、権威、権力、征服、帝国主義」などの属性を結びつけています。そのため架空の美術館のエンブレムとして鷲を使うことは、美術館の権威と国家的な権威を重ねる働きを持ちます。

ただし、鷲そのものを特定の政治体制だけの象徴として固定したわけではありません。硬貨、軍章、広告、ビール瓶、古代美術、近代美術など、時代も価値も異なる対象の中に鷲を集めることで、同じ記号がさまざまな制度へ利用されてきた歴史を示します。

1972年、Section des Figures

1972年、デュッセルドルフで開催されたSection des Figuresでは、鷲のイメージを持つ数百の物品が、美術館や個人コレクションなどから集められました。古代の遺物、美術作品、硬貨、装飾品、衣服、商品など、本来なら異なる分類に属する物が「鷲」という一つの基準で並びます。

ここで重要なのは、分類が物の意味を変えることです。美術史なら時代や作家、様式で分けられる物が、「鷲がある」という恣意的な基準で同列になります。分類は世界を客観的に整理するだけではなく、どの関係を重要に見せるかを決定する行為だと分かります。

「これは美術作品ではない」

Section des Figuresでは、対象物のそばに「Ceci n’est pas un objet d’art(これは美術作品ではない)」という表示が置かれました。マグリット《イメージの裏切り》を連想させる言葉ですが、ここでは美術館という制度の力と衝突します。

美術館のような場所に展示され、ケースへ入り、番号を与えられた物が「美術ではない」と宣言される。では、物を美術にするのは何なのか。物そのものの性質なのか、美術館が展示したという事実なのか、ラベルなのか。ブロータースは、この矛盾を解消せずに残しました。

制度批判――美術館を外から攻撃するのではない

美術館の形式を自分で演じる

ブロータースは後に「インスティテューショナル・クリティーク(制度批判)」の重要な先駆者として位置づけられます。ただし、美術館を外部から告発する活動家としてだけ理解すると、方法の面白さを失います。

彼は自分で館長を名乗り、看板を作り、招待状を送り、部門を設置し、広報資料を作りました。批判対象である制度の外へ立つのではなく、制度の言葉と形式を自分で演じます。その形式が少しずつずれているため、普段は自然に受け入れている美術館のルールが見えるようになります。

美術館は作品だけを展示しているのではない

美術館では、作品の横に作品名、作者名、年代、所蔵情報が付きます。展覧会にはポスター、カタログ、広報、チケット、教育プログラム、輸送、保険、保存など多くの仕組みがあります。通常、観客が見るのは最終的に展示された作品ですが、ブロータースはその周辺のシステムを前景化しました。

Section Publicité(広告・広報部門)は特に象徴的です。そこでは別の「部門」を宣伝する写真や資料が展示され、美術館が自分自身を広報する状態が作られました。MoMAはこの構造を「museum of the museum」と説明しています。美術館が作品ではなく、自分自身の制度を収集・展示するような構造です。

1972年、自分の美術館を閉館する

Documenta 5が開催された1972年、ブロータースは《Musée d’Art Moderne, Département des Aigles》のプロジェクトを終了し、自分は再び「美術家になる」と宣言します。通常なら、プロジェクトの終了は一つの制作時期の終わりですが、彼の場合は美術館時代の素材や展示形式を、その後の作品へ繰り返し再利用しました。

したがって「美術館プロジェクト以前/以後」を明確に分けることも難しくなります。自身の過去作品を別の展覧会へ持ち込み、再配置して意味を変える晩年の方法は、美術館が歴史を展示によって再構成する仕組みと深くつながっています。

Décor――展示そのものを作品にする

個々の作品ではなく、部屋全体を見る

1970年代半ば、ブロータースは「Décor」と呼ぶ大規模な展示空間を制作します。Décorはフランス語で装飾、舞台装置、背景といった意味を持ちます。ここでは過去作品、新作、借用品、家具、植物、武器、映画などが同じ空間へ配置されます。

重要なのは、各物体を独立した作品として順番に鑑賞することではありません。隣り合う物、歴史的な時代設定、部屋の雰囲気によって、それぞれの意味が変わります。展覧会自体が一つの編集行為になっています。

自分の「回顧展」を自分で疑う

晩年のブロータースは、自分の過去作品を集めた展覧会を何度も制作しました。しかし普通の回顧展のように、初期から晩年へ年代順に並べて「作家の成長」を示すことはしません。古い作品を新しい物と組み合わせ、過去の意味を書き換えます。

美術館の回顧展は、作家の人生を一つのストーリーとして整理します。ブロータースはその形式そのものを作品にし、作家の歴史が展示方法によって後から作られることを示しました。

《Décor: A Conquest》――快適さと戦争

1975年、ロンドンのInstitute of Contemporary Artsで発表された《Décor: A Conquest by Marcel Broodthaers》は、19世紀の部屋と20世紀の部屋という二つの空間から構成されました。家具や装飾とともに武器などが配置され、ブルジョワ的な快適さと戦争・征服のイメージが同居します。

歴史は美術館の中で美しく整理されがちですが、ブロータースは室内装飾、帝国、戦争、文化を同じ「Décor」の中へ置きます。歴史的な様式を背景として眺めるのではなく、その背景を作った政治的・社会的条件まで考えさせる構成です。

《Un jardin d’hiver》――19世紀、植物、植民地主義

ヤシの木と椅子のある美術館

1974年の《Un jardin d’hiver》と《Un jardin d’hiver II》では、大量の鉢植えのヤシ、椅子、19世紀の版画を撮影した写真、映像などを展示空間へ配置しました。美術作品というより、ホテルのロビー、植物園、ブルジョワ家庭の温室のようにも見えます。

MoMAの回顧展はこの作品を、19世紀ヨーロッパの「winter garden」が快適なブルジョワ生活の理想であった一方、ヨーロッパの植民地拡大や、美術館・自然史博物館の成立とも関係するイメージを呼び起こすものとして紹介しています。

自然を室内へ取り込む

ヤシは本来、その地域の気候や環境の中で生きる植物です。それを鉢植えにしてヨーロッパの建物へ持ち込み、管理された「異国的な自然」として鑑賞する。冬の庭は自然を保存する場所であると同時に、自然を所有し分類する近代的な欲望の象徴にもなります。

この構造は、美術館が世界各地の物を収集し、ケースの中へ入れ、分類して展示する仕組みとも重なります。ブロータースは植物園と美術館を直接同一視したのではありませんが、「収集して室内へ持ち込む」という近代の制度的な態度を同じ空間の中で想起させました。

過去の展示が映画になり、次の展示へ戻る

《Un jardin d’hiver II》には、以前の冬の庭を舞台として撮影した映画も含まれます。過去の展覧会が記録映像となり、その映像が次の展覧会の構成要素になる。ここでも作品の「オリジナルな一回性」は曖昧です。

ブロータースにとって展覧会は、開催して終わる出来事ではありませんでした。写真、映画、カタログによって別の形へ変換され、後の展覧会へ再登場します。展示の記録と作品の境界も崩れています。

《La Salle blanche》――部屋の中を言葉で満たす

最初の美術館を「再現」しようとして、別の作品になる

1975年の《La Salle blanche(白い部屋)》は、1968年に最初の《Musée d’Art Moderne, Département des Aigles》を開いたブリュッセルのスタジオを再構成する計画から始まりました。しかしブロータースは単純な復元をやめ、部屋を白くし、壁や扉へ美術に関する単語を配置しました。

MoMAの解説でブロータース自身は、結果的にそれは「美術館」ではなく、言葉が浮かぶ小市民的な一階の部屋になったと説明しています。「canvas」「oil」「image」「subject」「copy」などの単語が、絵画の代わりのように壁面を占めます。

美術館を作る言葉

何も掛かっていない白い展示室は、20世紀の美術館を象徴する空間でもあります。しかし《La Salle blanche》では、白い壁が透明な背景として消えるのではなく、そこへ「絵画」「イメージ」「複製」などの言葉が書かれ、制度を支える語彙が表面化します。

美術作品が意味を持つ前に、その周囲にはすでに「artist」「museum」「original」「copy」「subject」といったカテゴリーがあります。ブロータースは物を並べる代わりに、そのカテゴリーを空間へ直接置きました。

再現ではなく、記憶の再編集

この作品を1968年の部屋の忠実な再現と考えると重要な点を見失います。七年前の出来事を「もう一度見せる」とき、過去は同じ形では戻りません。再制作、復元、回顧展、記録という美術館の行為そのものが、《La Salle blanche》のテーマになっています。

映画と本――複数の媒体を往復する

本は情報の容器ではなく、物体でもある

《Pense-Bête》と《Un coup de dés》が示すように、ブロータースにとって本は文章を載せるだけの媒体ではありません。紙、ページ、綴じ、透明度、印刷、ページをめくる行為そのものが作品の構造になります。

アーティスト・ブックを「展示作品を紹介するカタログ」として従属的に扱うのではなく、本自体を独立した展示空間として考えました。ページを開く順番、左右のページの関係、余白も、壁面展示と同じように編集できます。

映画も単なる記録ではない

ブロータースは1950年代から映画を制作し、1960年代後半以降は展覧会の中へ頻繁に映像を組み込みました。映像がオブジェの説明をする場合もあれば、過去の展示を撮影した映像が別の展示の一部になる場合もあります。

そのため映画、写真、スライド、出版物は、彫刻の「記録」だけではありません。一つのイメージが映画から写真へ、本から壁へ、展示から記録へ移動するとき、意味がどう変わるのかを検討するための媒体です。

《Le Corbeau et le Renard》――一つの作品が一つの媒体に収まらない

《Le Corbeau et le Renard》は、映画、印刷物、写真キャンバス、箱などから成るため、作品の中心を一つに決めることが難しい作品です。映画だけ見ても、オブジェだけ見ても全体にはなりません。

この構造は後のインスタレーションへつながります。作品を「一つの物」として定義するのではなく、複数の物、言葉、映像が一時的な関係を作る場として考える。ブロータースの仕事では、媒体を越えること自体が目的というより、媒体の違いによって意味が変わることが重要でした。

ブロータースは何を変えたのか

美術作品から「美術が成立する条件」へ

ブロータース以前にもデュシャンのレディメイドやマグリットの言葉とイメージの実験がありました。ブロータースはそれらを受け取りながら、問いをさらに作品の周囲へ広げます。作品とは何かだけでなく、作品を美術にする美術館、分類、ラベル、複製、広告、展示、回顧展、収集制度そのものを素材にしました。

そのため彼の仕事は、後のインスティテューショナル・クリティークを考えるうえで重要です。美術制度を批判的に見る作家たちにとって、制度は作品の外部にある背景ではなく、作品の意味を作る構造になりました。

コンセプチュアル・アートだが、言語だけではない

ブロータースはコンセプチュアル・アートの文脈に置かれますが、作品を「アイデアだけが重要」と理解するのも十分ではありません。ムール貝の殻の質感、卵殻の白さ、古い家具、ヤシの葉、鏡、印刷物の紙質、展示室の雰囲気など、物質的・視覚的な要素も非常に強くあります。

彼の作品では、概念と物質、詩とイメージ、制度とユーモアが分離しません。難解な理論を説明するための図解ではなく、見る人が意味の不安定さそのものを経験するように作られています。

「作品」より「関係」を見る作家

晩年のブロータース自身が示したように、物は単独では意味を固定できません。ムール貝が鍋に入るのか、美術館ケースに入るのか、写真になるのか、言葉になるのかで意味が変わります。19世紀の鏡も、通常の室内にあるときと、鷲をテーマにした展覧会で美術作品を映すときでは別の役割を持ちます。

この考えは、現代美術を見る方法にも大きな影響を残しています。作品を作者の意図だけで理解するのではなく、展示空間、制度、歴史、言語、鑑賞者との関係の中で考える。ブロータースの制作は、その視点を非常に早い段階で徹底しました。

わずか12年間で制作の単位を拡張した

1964年の《Pense-Bête》から1976年の死まで、美術家として本格的に活動した期間は約12年でした。その短い期間に、制作の単位は一冊の本から、オブジェ、映画、展覧会、美術館、回顧展、歴史の再編集へと拡張します。

しかし「進歩して大きくなった」という直線的な発展ではありません。初期の詩集やムール貝が晩年の展示へ戻り、過去作品が新しい文脈で再利用されます。ブロータース自身が直線的な作家史を疑っていたからこそ、その制作は何度も自分の過去へ戻りながら意味を変え続けました。

略年譜

1924
1月28日、ベルギー・ブリュッセルに生まれる。
1940年代
化学を学んだのち詩と文学へ向かい、ベルギーのシュルレアリスム周辺とも交流する。
1954
雑誌『Phantômas』などへ詩を発表。
1957
詩集《Mon livre d’ogre》を刊行。映画制作も始める。
1960
詩集《Minuit》を刊行。
1961
《La Bête noire》を刊行。
1964
詩集《Pense-Bête》を刊行。4月、Galerie Saint Laurentで最初の美術展を開催し、売れ残った詩集を石膏へ埋めた同名作品を発表。
1965
《Triomphe de moule I》《Armoire blanche et table blanche》など、ムール貝や卵殻を大量に使う作品を展開。
1966
ムール貝、卵、石炭、日用品などを使ったオブジェをさらに展開。
1967–1968
映画、写真キャンバス、印刷物、オブジェを組み合わせた《Le Corbeau et le Renard》を制作。
1968
ブリュッセルのPalais des Beaux-Artsでの芸術家による抗議・議論に関わる。9月、自宅で《Musée d’Art Moderne, Département des Aigles》を開始し、自らを「館長」と名乗る。
1968–1972
《Musée d’Art Moderne, Département des Aigles》を7都市、12の「section」として展開。Documentation、Finance、Publicitéなど美術館の制度的機能も作品化する。
1969
マラルメ《Un coup de dés jamais n’abolira le hasard》の文字を黒い帯へ置き換えたアーティスト・ブックを制作。
1972
デュッセルドルフでSection des Figuresを開催。Documenta 5ではSection Publicitéを展開し、《Musée d’Art Moderne, Département des Aigles》を終了。再び「美術家」に戻ると表明。
1973
《Miroir d’époque régence》や、言葉をキャンバスへ印刷するPeintures littérairesなどを制作。
1974
《Un jardin d’hiver》《Un jardin d’hiver II》などを制作。植物、19世紀的室内、写真、映画を組み合わせる。
1975
パリで《La Salle blanche》、ロンドンICAで《Décor: A Conquest by Marcel Broodthaers》を発表。過去作品と借用品を再配置する大規模なDécorを展開。
1976
1月28日、52歳の誕生日にドイツ・ケルンで死去。
2016
MoMAで包括的回顧展《Marcel Broodthaers: A Retrospective》開催。その後Museo Reina Sofía、Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenへ巡回。

参考資料・出典

本ページはThe Museum of Modern Art、MACBA、S.M.A.K.、The Flemish Art Collection、Walker Art Centerなどの美術館・研究機関資料を参照してART LIBRARYが独自に執筆しました。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY