李禹煥(リ・ウファン、1936–)は、1960年代後半の日本で生まれた「もの派」を理論と実践の両面から牽引し、その後、絵画と彫刻を並行して50年以上にわたり展開してきた韓国生まれの美術家・思想家です。自然石、鉄板、ガラス、ゴム、綿、木といった素材を極力加工せずに組み合わせる《関係項(Relatum)》、筆に含ませた絵具が尽きるまで点や線を反復する《点より》《線より》、画面の余白へ少数の筆触だけを置く《照応》《対話》などで知られています。
李の作品を「石と鉄を並べるミニマルな彫刻」や「余白の多い静かな抽象画」とだけ見ると、制作の中心を見落とします。李が繰り返し考えてきたのは、独立した一つの物体を作ることではなく、物と物、自然物と人工物、作品と周囲の空間、見る人と見られるもの、行為と時間のあいだに生じる「関係」です。1969年の《現象と知覚B》では石をガラスへ落とし、割れたガラスと石、工業製品と自然物、落下という出来事を一つの状況として提示しました。《点より》《線より》では、一筆ごとに絵具が減っていく過程そのものが画面へ記録されます。作品は完成された形というより、異なる存在が出会う「場」として考えられています。
また李は、作品だけでなく文章によって同時代の美術を積極的に論じました。1969年の評論「事物から存在へ」が『美術手帖』の芸術評論募集で入選し、1970年前後には「出会いを求めて」など多数の文章を発表します。こうした言説は、関根伸夫、菅木志雄、小清水漸、吉田克朗らの実践とともに、後に「もの派」と呼ばれる動向を理解する理論的な柱になりました。李の活動を見ることは、一人の作家を知るだけでなく、1960年代末以降に「作品を作る」とは何を意味するのかが日本、韓国、ヨーロッパの間でどのように問い直されたかを見ることでもあります。
CONTENTS
- 生涯と制作の変遷
- 関根伸夫《位相―大地》と「もの派」の形成
- もの派――「作る」から「出会わせる」へ
- 《関係項》――作品を物体ではなく関係として考える
- 《点より》《線より》――絵具が尽きる時間を描く
- 余白は「何もない場所」ではない
- 李禹煥の作品をどう見るか
- 主要作品
- 「出会い」――見る主体を中心から外す
- 自然石と鉄板――対立ではなく相互作用
- 《風より》《風と共に》――反復から揺らぎへ
- 《照応》《対話》――少ない筆触と大きな空間
- 韓国単色画(Dansaekhwa)との関係
- 「東洋的」「禅的」だけで説明しない
- 建築・庭・都市へ――サイトとの関係
- 李禹煥美術館――作品と安藤忠雄建築
- 国際的再評価と現在
- 李禹煥は何を変えたのか
- 略年譜
- 参考資料・出典
生涯と制作の変遷
1936年、朝鮮半島南部に生まれる
李禹煥は1936年、現在の韓国・慶尚南道に生まれました。日本の国立新美術館、Dia Art Foundation、Guggenheimなどの資料はいずれも、朝鮮半島南部の出身であることを記しています。幼少期には書や絵に触れ、後に作品の基本単位となる点や線、筆の運動への感覚を身につけました。
1956年、ソウル大学校美術大学へ進学しますが、ほどなく日本へ移ります。その後、日本大学文学部哲学科で学び、1961年に卒業しました。絵画科ではなく哲学を専攻したことは、その後の活動を考えるうえで重要です。李は制作と同時に評論・思想の文章を継続的に発表し、美術家でありながら同時代美術を理論化する役割を担うようになります。
1960年代、日本で制作と批評を始める
日本大学卒業後、李は絵画制作とともに美術評論を始めます。1960年代の日本美術では、具体美術協会、ネオ・ダダ、ハイレッド・センターなど、戦後の既存制度や芸術形式を問い直す活動が相次いでいました。一方、国際的にはミニマリズム、アルテ・ポーヴェラ、ランド・アート、ポスト・ミニマリズムなど、完成した彫刻的物体を中心としない動向が現れていました。
李はこうした同時代の変化を受けながら、現象学、構造主義、東アジア思想など複数の思想的背景を参照しました。Guggenheimは、李がこれらを国際的なPost-Minimalist practicesと対話させながら、「encounter(出会い)」を中心とする独自の言語を形成したと整理しています。重要なのは、西洋哲学か東洋思想かのどちらか一方に属することではなく、複数の文化と言語の間で制作と思考を組み立てたことです。
1968年、関根伸夫《位相―大地》との出会い
1968年、第1回現代彫刻展(神戸・須磨離宮公園)で関根伸夫が《位相―大地》を発表しました。地面から巨大な円柱状の土を掘り出し、そのすぐ横に同じ量の土を積み上げた作品です。通常なら「土で巨大な形を作った彫刻」と見ることもできますが、李はこれを別の方法で捉えました。
Art Platform Japanがまとめた資料によれば、李は関根の作品を「トリッキーな表現」としてではなく、「ものの状態を一時的に変えたもの」と解釈しました。関根はこの解釈に強く反応し、その後、李や同世代の作家たちが集まり、物質、場所、制作行為について議論を重ねるようになります。この周辺から、後に「もの派」と呼ばれる動向が形成されました。
1969年、「事物から存在へ」
1969年、李の評論「事物から存在へ」が美術出版社の芸術評論募集で評価されます。国立新美術館は、この文章が同年の美術出版社芸術評論賞を受賞したこと、その後1971年刊行の著書『出会いを求めて』がもの派の理論的支柱になったことを紹介しています。
同年、京都国立近代美術館の「現代美術の動向」展では《現象と知覚A》《現象と知覚B》などを発表しました。《現象と知覚B》では、石をガラス板へ落とし、割れたガラス、石、支持体を一つの状況として提示します。作家が最終形を完全に設計するのではなく、石の重さ、落下、ガラスの脆さが作品の状態を決めます。
1970年前後、もの派の理論家として
1970年2月の『美術手帖』では、李、関根伸夫、菅木志雄、小清水漸、吉田克朗、成田克彦らによる座談会「〈もの〉がひらく新しい世界」が掲載され、李は「出会いを求めて」を発表します。彼らは統一された宣言や様式を持つ正式なグループではありませんでしたが、石、木、鉄板、ガラス、綿、紙などの素材を大きく加工せず、素材同士や場所との関係を提示する実践を共有しました。
「もの派」という名称自体は当初、外部からやや批判的に付けられたものでした。Guggenheimも、1970年代初頭に懐疑的な側から用いられた名称が定着したと説明しています。したがって、もの派を李が設立した一枚岩の美術運動として理解するより、1968年頃から東京周辺で重なった複数の実践を、李が積極的に言語化した動向として見る方が実態に近いでしょう。
1971年、ヨーロッパへ
1971年、李はパリ青年ビエンナーレに韓国作家として参加し、《Situation》《Phenomena and Perception》を発表しました。Guggenheimによれば、この機会がもの派をヨーロッパへ紹介する重要な契機となり、李は同年からパリにも制作拠点を持つようになります。
ヨーロッパではDaniel Buren、Luciano Fabroら同時代の作家とも接触し、イタリアやフランス、ドイツの美術状況を経験しました。以後、李は日本、韓国、フランスを横断しながら活動します。この越境的な位置は、後に日本美術史と韓国美術史の双方で重要な作家として位置づけられる一方、どちらか一国の枠だけでは説明しにくい特徴にもなりました。
1972年、彫刻をすべて《Relatum》と呼ぶ
1972年、李はそれまで制作した三次元作品を含め、以後の彫刻・インスタレーションを原則として《Relatum》と呼ぶようになります。Diaは、この語が「関係が存在する対象・出来事」を示す哲学的な用語であり、作品を独立した完成物ではなく、その場で成立する関係として捉える李の考えを表すと説明しています。
日本語では一般に《関係項》と訳されます。同じ題名が多数の異なる作品に使われるため、一点ごとに独立した「独創的形態」を命名する通常の彫刻とは発想が異なります。石と鉄板、石とクッション、木とロープ、鉄棒と壁など組み合わせは変化しても、中心にあるのはそれぞれの存在が互いをどのように変えて見せるかという関係です。
1972–73年、《点より》《線より》
1972年頃から《From Point(点より)》《From Line(線より)》のシリーズを本格的に開始します。Guggenheimによれば、李は石の顔料を動物性の膠と混ぜ、筆に含ませた絵具を白いカンヴァス上へ繰り返し置きます。《点より》では左から右へ点を打ち、絵具が減るにつれて点は徐々に薄くなります。《線より》では筆を上から下へ動かし、一筆の中で色が薄れていきます。
同じ動作を繰り返しているように見えても、一つ一つの筆触は同一ではありません。絵具の量、筆圧、速度、身体の状態によって変化します。また、一筆が濃い状態から消えるまでの時間が画面へ残ります。描かれた像を表すのではなく、行為と時間の痕跡そのものが絵画になります。
1973年、多摩美術大学へ
1973年から多摩美術大学で教鞭を執り、1990年代まで教育に携わりました。同時に、日本だけでなくドイツ、フランス、韓国などで展覧会を重ねます。1970年代は、彫刻としての《関係項》と、《点より》《線より》という絵画の二つの軸が確立した時期です。
1980年代以降、絵画の反復を崩す
1980年代には《From Winds(風より)》《With Winds(風と共に)》へ移り、初期の規則的な点や垂直線から、より自由に揺れ、重なり、画面を横切る筆触へ変化します。1990年代の《Correspondence(照応)》では筆触の数が大きく減り、白い余白が画面の大部分を占めるようになります。
2000年代以降の《Dialogue(対話)》では、広大な画面に一つまたは数個の筆触を置く場合があります。制作の介入はさらに少なく見えますが、その少数の筆触によって周囲の白、壁面、部屋の空気まで強く意識されます。彫刻で追究してきた「関係」の問題が、絵画にもますます明瞭に現れます。
関根伸夫《位相―大地》と「もの派」の形成
完成した形より「状態の変化」を見る
《位相―大地》をめぐる李の解釈は、もの派を考える重要な出発点です。巨大な土の円柱を「彫刻家が作った造形」と見れば、作家の意図と形態が中心になります。しかし李は、もともと地中に存在していた土が掘り出され、別の状態で目前に現れたと捉えました。
つまり芸術家の役割を、無から形を創造する主体から、すでに存在している世界の状態を変え、別の見え方を生じさせる媒介者へ移します。Hirshhornも、李がもの派の方法を「making」ではなく「mediating」と説明していることを紹介しています。
「ものをそのまま置く」だけではない
もの派はしばしば「石や木をそのまま置いただけ」と説明されます。しかし、素材を無加工に近い状態で使うことと、何もしていないことは同じではありません。何を選ぶか、どの素材と組み合わせるか、どの距離に置くか、床や壁とどう関係させるか、見る人がどこから接近するかまで慎重に設定されています。
目的は素材を彫刻的な形へ加工することではなく、普段は見過ごしている石の重さ、ガラスの脆さ、鉄の硬さ、綿の柔らかさ、床との距離を意識させることです。介入を減らすことによって、逆に素材と空間の存在を強く知覚させます。
もの派――「作る」から「出会わせる」へ
自然物と人工物を同じ場へ置く
もの派の作品では、石、土、木、綿、紙と、ガラス、鉄板、電球、ワイヤーなどがしばしば同じ空間へ置かれます。重要なのは「自然は良く、工業製品は悪い」という単純な対立ではありません。素材の異なる性質を同時に提示することで、それぞれが単独では見せなかった特徴が現れます。
《現象と知覚B》では、硬い石と割れやすいガラスが接触した瞬間に亀裂が生まれます。《関係項(旧題:言語)》では、硬く重い石が柔らかなクッションを押しつぶします。物の性質は辞書的に「石は硬い」「クッションは柔らかい」と説明されるのではなく、実際の接触によって見えるものになります。
見る人も「関係」の一部になる
作品は素材同士だけで完結しません。鑑賞者が移動すれば、石と鉄板の重なり方、距離、隙間が変わって見えます。照明、壁、床、周囲の建築も作品の知覚へ関わります。
Guggenheimは《Relatum》について、作品、サイト、鑑賞者の間で生じるネットワークの方が、単独のオブジェより重要だと説明しています。鑑賞者は外側から完成作品を観察する中立的な目ではなく、その状況へ加わる一要素になります。
《関係項》――作品を物体ではなく関係として考える
同じ題名を何度も使う
1972年以降、李は三次元作品の大半を《Relatum》と呼びます。個々の作品には括弧書きや副題が付く場合がありますが、基本名は共通します。これによって「この彫刻固有の形」を作品の中心にする考えを弱めます。
ある《関係項》では石と鉄板、別の《関係項》では石とクッション、さらに別の作品では木、ロープ、鉄板が使われます。それぞれの物は交換可能な記号ではなく固有の重さと質感を持ちますが、作品の意味は一つの材料だけにはありません。それらが置かれた瞬間に成立する全体の状態が《関係項》です。
再制作しても同じ物体にはならない
初期《関係項》には、1969/2019や1971/2011のように二つの年が記される作品があります。これは古い物体を修復したという意味ではなく、歴史的な構想を別の場所で再実現しているためです。
例えばDiaの《Relatum (formerly Iron Field), 1969/2019》は、砂の上へ多数の細い鉄棒を立てる構造です。2019年のDia:Beaconでは、その建築と展示室の条件に応じて再制作されています。作品を特定の1969年製の材料だけに固定せず、関係を作る原理を再び現在へ立ち上げる考え方です。
《点より》《線より》――絵具が尽きる時間を描く
筆に一度だけ絵具を含ませる
《点より》では、筆に含ませた顔料を一つずつ画面へ置きます。新しい絵具を補充するまで、同じ一回分の絵具を使い続けるため、濃い点が徐々に薄くなり、最後にはほとんど見えなくなります。その後、再び絵具を含ませて次の系列を始めます。
《線より》も同じ原理を持ちます。上から下へ一本の線を引くと、始点は濃く、終点は薄くなります。一本の線の中に時間が含まれます。画面に描かれているのは何かの輪郭ではなく、絵具が筆からカンヴァスへ移り、消耗していく出来事です。
反復だが、機械的な反復ではない
点や線は規則的に並んでいるため、ミニマリズムのグリッドやシリアルな構成とも比較できます。しかしGuggenheimが指摘するように、李は反復を身体的な時間の記録として使います。
機械なら同じ点を均一に繰り返せますが、人間の手では微妙な揺れが生じます。呼吸、筆圧、顔料の減少が一つずつ異なる痕跡を作ります。規則と偶然、制御と消失が同じ画面に共存します。
描かれた部分だけが作品ではない
点や線の間には大量の白いカンヴァスが残ります。しかし、その白は「まだ描いていない場所」ではありません。筆触の間隔があるからこそ、一つ一つの痕跡が孤立して見え、その周囲の空間も意識されます。
彫刻で石と鉄板の間の距離が重要であるのと同様に、絵画でも絵具と絵具の間、絵具と画面端の間が作品の構造になります。描く行為と描かない部分が同時に働きます。
余白は「何もない場所」ではない
空白を背景として消さない
西洋絵画の伝統では、白いカンヴァスはしばしば完成前の空白として扱われ、絵具で覆われていきます。李の絵画では逆に、描かれない部分が大きく残されます。
Centre Pompidou-Metzは、李の作品が「見えていないもの」へ注意を向ける装置として機能し、カンヴァスの未描画部分、彫刻の要素間の距離、鑑賞者の位置、光と影など、最初には気づきにくい要素を顕在化させると説明しています。
余白を単純に「東洋の美」に回収しない
李の余白を、日本の「間」や禅、中国・韓国の書画などと関連づけることは可能です。実際、彼は東アジアの書や思想に触れて育ちました。しかしそれだけで説明すると、同時代のミニマリズム、現象学、構造主義、ポスト・ミニマリズム、ヨーロッパの現代美術との対話が消えてしまいます。
李自身の活動は韓国、日本、フランスを横断しています。余白は文化的な記号というより、作品と見る人の間へ新しい知覚を生じさせる具体的な構造として見る方が、長い制作全体を理解しやすくなります。
李禹煥の作品をどう見るか
まず素材を名前で理解する前に見る
《関係項》を見ると「石」「鉄板」とすぐに分類できます。しかし少し時間をかけ、表面、重さ、温度、光の反射、床との接触を見ます。同じ石でも滑らかなものと荒いものでは周囲の空間への働き方が変わります。
李が求めた「出会い」は、作品の象徴的な意味を解読することより、目前の物がどのように存在しているかを改めて経験することと関係します。
物と物の間を見る
石そのもの、鉄板そのものだけでなく、その距離や角度を見ます。石が鉄板に触れているのか、少し離れているのか。鉄板は床に伏せているのか、立っているのか。二つの物の「間」が作品の緊張を作ります。
絵画では筆触が消えるまで追う
《点より》《線より》では、最も濃い部分だけを見るのではなく、顔料がどのように薄くなり、白へ消えていくかを目で追います。一筆が始まり、弱まり、終わるまでを見ることで、静止した画面の中に時間が感じられます。
遠くと近くの両方から見る
遠くからは筆触と余白の全体的なリズムが見え、近くでは顔料の粒子、筆の毛の跡、絵具の濃淡が見えます。彫刻でも、離れると全体の配置が見え、近づくと石と鉄の接触や表面の差が現れます。
「静か」「美しい」だけで終わらない
李の作品は静謐、瞑想的と表現されることが多く、実際にそのような経験を与える場合があります。しかし初期作品にはガラスを割る衝撃、石がゴムを変形させる力、鉄棒が砂から突き出す緊張など、強い物理性があります。
静けさは装飾的な雰囲気ではなく、異なる素材や空間の力が釣り合っている結果として現れる場合があります。作品の穏やかな外見の下で、どの力が働いているかを見ると理解が深まります。
主要作品
1960年代末のもの派形成期から、石とガラス、鉄、クッションを用いた《関係項》、1970年代の《点より》《線より》、筆触がより自由になる《風と共に》、余白を拡大した《照応》《対話》、そして美術館・建築・都市空間へ広がる近年のインスタレーションまで、李禹煥が「物を作る」ことから「関係と出会いを成立させる」ことへ展開してきた流れを追える11作品・シリーズを選びました。作品は現在も著作権管理下にあるため、画像は掲載せず、公式所蔵館・美術館の作品情報を中心に構成します。
関係項(旧題:現象と知覚B)
Relatum (formerly Phenomena and Perception B) / 1969/2012 / ガラス、自然石 / 石 36 × 48 × 40 cm、ガラス 1 × 200 × 240 cm
Pinault Collection
大きな自然石をガラス板へ落とし、衝撃によって生じた亀裂をそのまま作品の状態として提示する、もの派期を代表する作品。硬い自然石と脆い工業製品、作者の行為と偶然の割れ方が一つの出来事を作ります。1969年に《Phenomena and Perception B》として発表され、後に李が三次元作品を《Relatum》へ改題した流れの中で現在の題名になりました。
関係項(旧題:システム)
Relatum (formerly System) / 1969 / 鋼鉄、6点 / 各 59.9 × 120.7 × 101.1 cm
Dia Art Foundation, Beacon
90度に曲げた六枚の鋼板を床と展示室の角に配置した初期もの派作品。四枚が開いた矩形状の構成を作り、残る二枚が建築の角へ伸びることで、独立した彫刻と周囲の空間の境界を不安定にします。Diaは、物体・環境・鑑賞者のあいだに変化する知覚的な関係を作る作品として位置づけています。
関係項(旧題:鉄の野)
Relatum (formerly Iron Field) / 1969/2019 / 砂、鋼鉄 / Dia:Beacon設置時 111.8 × 934.7 × 619.8 cm、可変
Dia Art Foundation, Beacon
広い砂の面へ多数の細い鉄棒を垂直に立てた作品。水平に広がる粒子状の砂と、工業素材である細い鉄の垂直線が同時に一つの場を作ります。1969年の構想を2019年にDia:Beaconで再実現したもので、固定された原物より、素材と場所の関係を再び成立させる《関係項》の考えをよく示します。
関係項(旧題:言語)
Relatum (formerly Language) / 1971/2011 / クッション、自然石 / 可変
Dia Art Foundation, Beacon
七つの大きな石を七つの柔らかなクッションの上へ置いた代表的な《関係項》。石の重さによってクッションが圧縮されるため、硬さと柔らかさ、自然物と人工物の性質が接触によって可視化されます。作品の周囲を歩く鑑賞者や照明も含め、異なる要素が同じ場で相互に作用するもの派の考えを明瞭に示します。
関係項
Relatum / 1974/2019 / 鋼鉄、木、ロープ、石 / Dia:Beacon設置時 405.1 × 449.6 × 302.3 cm
Dia Art Foundation, Beacon
長い木材をロープで吊り、その下に石でわずかに持ち上げた大きな鋼板を配置した作品。吊られた木、張力を受けるロープ、重い鉄板、小さな石という異なる力が釣り合います。物体そのものより、重力、支持、距離、空間の緊張が作品として経験されます。
点より
From Point / 1975 / 膠、鉱物顔料・カンヴァス / 162.1 × 130.3 × 2.8 cm
Dia Art Foundation, Beacon
筆に含ませた鉱物顔料を点として反復し、絵具が減るにつれて一つの系列が濃色から白へ消えていく《From Point》の代表例。点は何かを描写する記号ではなく、筆圧、顔料の消耗、身体の反復、時間を記録します。規則的な配置と一つ一つ異なる手の痕跡が共存しています。
線より
From Line / 1978 / 膠、鉱物顔料・カンヴァス / 181.9 × 227.3 × 3.8 cm
Dia Art Foundation, Beacon
筆に含ませた顔料を上から下へ一度に引き、一筆の中で色が徐々に薄くなる線を反復したシリーズ。始点から終点までに絵具が減るため、一本の線に時間の経過が記録されます。白い画面を完全に覆わず、線と線、線と余白の関係を作品の主要な要素にしています。
風と共に
With Winds / 1991 / 油彩、鉱物顔料・カンヴァス / 218.2 × 291.1 × 3.8 cm
Dia Art Foundation, Beacon
1970年代の規則的な点や垂直線から離れ、青い筆触がより自由な方向と速度で画面を横切る《With Winds》シリーズの作品。身体的な動きが強くなりながらも、画面を埋め尽くさず、大きな余白を残します。反復と制御、揺らぎと空間の関係が新しい段階へ進んだことを示します。
「出会い」――見る主体を中心から外す
世界を一方的に対象化しない
李の文章で繰り返される重要な言葉の一つが「出会い」です。近代的な芸術観では、作家という主体が世界を観察し、自分の考えに従って材料を加工して作品を作るという構図を想定しやすくなります。李はその一方向的な関係を疑いました。
Diaの解説では、李は一方的な「見る」行為を批判し、作品と観客、物と空間が互いに作用する状態を考えていたことが説明されています。鑑賞者が作品を見ると同時に、作品によって自分の立つ場所や身体を意識させられる。見る側だけが支配的な主体ではありません。
作品は世界から切り離された自律物ではない
彫刻を台座の上へ置けば、作品と周囲の世界を切り離して見せることができます。《関係項》では、多くの場合、石や鉄板は直接床へ置かれ、壁、光、建築と連続します。
李は作品を自己完結した物体としてではなく、外部と共鳴する関係項と考えました。そのため同じ構想を別の場所で再制作すると、空間の寸法や光、素材の配置に応じて作品の経験も変わります。
自然石と鉄板――対立ではなく相互作用
「自然対人工」という二項対立だけではない
李の彫刻では自然石と鉄板が頻繁に組み合わされます。一見すると「自然」と「文明」「有機物」と「工業製品」という対立を象徴しているように見えます。しかしHirshhornで李自身が説明しているように、鉄もまた石から抽出した成分を加工して作られたものです。
鉄板は人間が工業的に成形した物ですが、その原料は地球から来ています。石は「自然のまま」に見えても、美術家が選び、運び、美術館へ置いた時点で新しい文脈へ入ります。二つを単純な対極として固定するより、似ている部分と異なる部分が同時に現れる関係として見る必要があります。
石を彫らないことの意味
伝統的な石彫では、石を削り、作家の考えた形へ変換します。李は多くの場合、自然石を大きく加工しません。その代わり、どの石を選び、どの向きに置き、何と組み合わせるかを決めます。
介入を少なくすることで、作家の造形力を消すというより、「作家が作った形」以外の存在へ注意を向けます。石が持つ長い地質的時間、重量、偶然の形を作品の中へ残します。
鉄板も中立ではない
一方、鉄板は工業社会を代表する規格化された素材です。しかし李の作品では、それを建築部材として使用するのではなく、石の横へ置き、曲げ、壁へ立てかけることで、普段とは異なる存在感を与えます。
《Relatum (formerly System)》では六枚のL字型鋼板が建築空間と呼応します。Diaは、規則的に見える配置が完全な閉鎖形を作らず、展示室の角へ伸びる二枚によって「完全な形」と「開かれた状況」の間を揺れると説明しています。
《風より》《風と共に》――反復から揺らぎへ
1980年代、規則的な点と線を崩す
1970年代の《点より》《線より》には、反復する明確なシステムがありました。1980年代の《From Winds》《With Winds》では、その秩序が次第に崩れ、筆触は斜めへ走り、方向を変え、重なり合うようになります。
「風」という題名は自然の風景を描いているという意味ではありません。筆を動かす身体、画面上で生じる流れ、制御できない揺れを示す言葉として機能します。画家の身振りが大きくなりますが、抽象表現主義のように個人の内面を激しく放出することを主題にしているわけでもありません。
規則から自由へ、ではない
《風と共に》では筆触が自由に見えますが、完全な即興ではありません。画面全体の余白、線の密度、重なりを調整しながら制作されます。規則を廃棄したのではなく、身体と画面の関係を別の方法で検討しています。
Diaが所蔵する1991年の《With Winds》でも、青い筆触が広い白地を横切り、画面を完全には覆いません。動きの強さと空白が同時に存在します。
《照応》《対話》――少ない筆触と大きな空間
1990年代、《照応》
1990年代の《Correspondence(照応)》では、それまで画面を繰り返し横断していた筆触が少数へ減ります。大きな白い画面に数個の短い筆触だけが置かれ、残された余白が以前より強く感じられます。
「Correspondence」は、複数のものが互いに応答し合うことを意味します。一つの筆触は独立した形ではなく、別の筆触、余白、カンヴァスの縁、壁面との距離によって見え方が変化します。
2000年代、《対話》
《Dialogue(対話)》では、筆触はさらに大きく、少なくなる場合があります。Guggenheimの2011年回顧展では、隣接する三つの壁それぞれに一つの幅広い筆触を置く《Dialogue–space》が制作されました。絵画がカンヴァス内部だけに閉じず、展示室全体を活性化します。
筆触が一つしかなければ、その一つの形を鑑賞する以上に、周囲の「何も描かれていない」空間が意識されます。制作行為を極端に減らすことで、作品の外部が作品の経験へ入ってきます。
「少ないほど良い」というミニマリズムではない
李の後期絵画は、要素を減らす点でMinimalismと似て見えます。しかし目的は幾何学的な純粋性や工業的な非個人性だけではありません。筆触には身体の速度や圧力が残り、色の濃淡も均質ではありません。
削減は最終的な完全形へ近づくためというより、少数の要素と周囲の世界との関係を増幅するための方法です。李が「自分を最小限に抑えることで、世界との相互作用を最大化する」と説明してきた考え方とつながります。
韓国単色画(Dansaekhwa)との関係
韓国美術史でも重要な位置を持つ
李は日本のもの派の中心人物として知られる一方、韓国のDansaekhwa(単色画)との関係でも重要です。Guggenheimは李を、韓国の単色画に新しいMinimalist abstractionの方向を与えた「pivotal figure」と位置づけ、2026年のDiaによるヴェネツィア展も、もの派の主要人物であると同時にDansaekhwaへの重要な貢献者と説明しています。
1970年代の韓国では朴栖甫、尹亨根、河鍾賢、鄭相和らが、反復的な行為、単色に近い画面、物質性を重視する絵画を展開しました。李の《点より》《線より》も、繰り返す身体行為と時間を画面へ記録する点で同時代の問題と重なります。
ただし「Dansaekhwaの典型」と一括りにしない
李は1950年代半ばから日本に生活基盤を置き、もの派の形成に直接参加し、1971年以降はパリでも活動しました。そのため、韓国国内で形成された単色画の歴史だけに収めると、制作の重要な文脈が抜け落ちます。
逆に「日本のもの派作家」とだけ呼べば、韓国での活動、韓国美術界との往来、単色画との関係が見えなくなります。李の位置は、戦後東アジア美術を国民国家ごとに整理する難しさを示す代表例でもあります。
「東洋的」「禅的」だけで説明しない
余白=禅、石=東洋という短絡を避ける
李の作品には石、余白、少ない筆触があるため、海外の紹介では「Zen」「Asian spirituality」といった言葉へ回収されることがあります。もちろん東アジアの書画や思想との関係は無視できませんが、それだけでは制作の歴史を十分に説明できません。
李は日本大学で西洋哲学を学び、メルロ=ポンティ、ハイデガー、構造主義なども参照し、ヨーロッパの現代美術と直接交流しました。Guggenheimも、その思想をContinental philosophy、structuralism、phenomenology、Asian metaphysics、Post-Minimalismの対話として整理しています。
「西洋に対する東洋」という単純な構図でもない
李は近代的な主体中心主義を批判しましたが、それを「西洋は主体的、東洋は調和的」という文化本質論へ単純化することも危険です。李自身が韓国、日本、フランスを移動し、複数の思想と言語を使用した作家だからです。
作品を国籍や文化の象徴として見るより、「作者/素材」「主体/対象」「自然/人工」といった二項対立が、実際の作品の中でどう不安定になるかを見る方が具体的です。
建築・庭・都市へ――サイトとの関係
作品の外にある空間を使う
《関係項》は展示場所によって構成が変化します。鉄板が壁に対してどの角度にあるか、自然光が石へどう当たるか、観客がどこから歩いてくるかが作品の一部になります。
この特徴は、2014年のヴェルサイユ宮殿、2019年のHirshhorn Museumの《Open Dimension》など、大規模な屋外展示でさらに明瞭になりました。歴史的庭園や近代建築と作品が対話することで、既存の場所を単なる背景ではなく関係項の一部に変えます。
《Open Dimension》――10点の彫刻で広場を変える
2019年の《Lee Ufan: Open Dimension》では、Hirshhorn Museumの4.3エーカーの屋外広場に10点の新作《Relatum》が設置されました。同館の45年の歴史で、屋外プラザのほぼ全体を一人の作家へ委ねた初めての展覧会でした。
自然石とステンレススチールの板が建築やランドスケープと関係するよう配置され、鑑賞者は一作品を見るだけでなく、広場を歩きながら複数の関係を経験します。彫刻、建築、都市空間、身体が一つの連続した場になります。
李禹煥美術館――作品と安藤忠雄建築
2010年、直島に開館
2010年、香川県直島に李禹煥美術館が開館しました。建築は安藤忠雄が設計し、海と山に囲まれた谷間に半地下構造の建物が置かれています。ベネッセアートサイト直島は、自然、建築、作品が呼応する場所として美術館を位置づけています。
館内には1970年代の《点より》《線より》から、《風と共に》《照応》《対話》、複数の《関係項》までが展示され、絵画と彫刻の変化を一つの建築の中で見ることができます。
建築は作品を飾る箱ではない
入口前の柱、細長いアプローチ、地下へ入る動線、三角形と矩形の部屋など、建築自体が鑑賞者の身体の移動を組み立てます。作品は白い壁に単に掛けられるのではなく、部屋の形、光、床、外部の自然との関係の中で配置されています。
これは李の「関係」の考えと相性がよい一方、建築と作品を完全に一体化することが目的ではありません。安藤のコンクリートと李の石や鉄、暗い通路と開放的な空間など、異なる要素の間に緊張を残すことで鑑賞体験が生まれます。
国際的再評価と現在
2000年代以降、大規模回顧展が続く
李は1970年代からヨーロッパでも活動していましたが、2000年代以降、国際的な美術館で大規模展が相次ぎます。2005年には横浜美術館《李禹煥 余白の芸術》、2011年にはSolomon R. Guggenheim Museum《Marking Infinity》、2014年にはヴェルサイユ宮殿、2019年にはCentre Pompidou-Metz、Dia:Beacon、Hirshhorn Museumで展覧会が開催されました。
2022年には国立新美術館で東京初の大規模回顧展が開かれ、もの派以前の初期作品から最新作までを検証しました。戦後日本美術だけでなく、韓国美術、グローバルなMinimalism/Post-Minimalismを再考する流れの中で、李の越境的な位置が改めて注目されています。
2026年、ヴェネツィアでDiaによる大規模展
2026年5月9日から11月22日まで、Dia Art FoundationはヴェネツィアのSan Marco Art Centreで李の大規模個展を開催しています。第61回ヴェネツィア・ビエンナーレの公式Collateral Eventで、Jessica Morganがキュレーションを担当しました。
Diaによれば、展覧会はPiazza San MarcoのProcuratieにある8つの展示室を使用し、1960年代の大型インスタレーション、歴史的な絵画、近作、三つの新しいサイト・スペシフィック・コミッションを組み合わせています。90歳を迎える時期にも、李が「完成されたスタイル」を反復するだけでなく、新しい建築空間との関係を作り続けていることを示しています。
李禹煥は何を変えたのか
作品を「作られた物」から「起きている関係」へ移した
もの派以前にもレディメイドやミニマリズムによって、作者の手仕事や伝統的な彫刻はすでに問い直されていました。李の重要性は、さらに素材、場所、鑑賞者を同じ関係の中へ置いたことにあります。
石をガラスへ落とす、石をクッションへ置く、鉄板と石を一定の距離で向き合わせる。作家の介入は少なく見えますが、その介入によって普段は別々に存在するものの関係が顕在化します。作品とは新しい物を生産することだけでなく、既存の世界を別の状態で経験させることにもなりました。
彫刻と絵画を同じ問題でつないだ
《関係項》と《点より》は外見上まったく異なります。しかし、石と鉄板の間、点と余白の間、一筆の始まりと終わりの間というように、「関係」と「時間」を扱う点では共通します。
彫刻では加工を減らし、素材の存在を顕在化させる。絵画では筆触を限定し、白い画面を顕在化させる。媒体を越えて同じ思考を変奏したことが、50年以上の制作を一つにつないでいます。
戦後美術を一国の歴史で見ることを難しくした
韓国に生まれ、日本で哲学を学び、もの派を理論化し、韓国単色画とも関係し、1970年代からフランスに拠点を持つ。李の経歴は「日本の現代美術」「韓国の現代美術」「ヨーロッパのミニマリズム」という別々の物語では十分に説明できません。
Guggenheim、Dia、国立新美術館など近年の研究・展覧会が李を大きく取り上げる理由の一つは、この越境性にあります。1960–70年代の現代美術がニューヨークと西欧だけで成立したのではなく、東京、ソウル、パリなど複数の地域が同時に近代美術の枠を問い直していたことを示す重要な作家です。
「何を作るか」だけでなく「どこまで作らないか」を制作にした
李の作品では、作者がすべてを制御することを意識的に避けます。ガラスの割れ方、石の形、筆から絵具が減る速度、展示室の光まで、作者以外の条件を作品へ残します。
これは何もしないという意味ではありません。どこまで介入し、どこで手を止めるかを判断すること自体が制作です。作者が世界を完全に支配するのではなく、世界が作品へ働き返す余地を残す。その姿勢が、もの派期から《対話》、現在のサイト・スペシフィック作品まで持続しています。
略年譜
- 1936
- 6月24日、朝鮮半島南部の慶尚南道に生まれる。
- 1956
- ソウル大学校美術大学へ進学。ほどなく日本へ移る。
- 1961
- 日本大学文学部哲学科を卒業。以後、日本を中心に制作・批評活動を展開。
- 1964
- 点や線の反復を用いた初期のドローイング・絵画を制作。後の《点より》《線より》につながる問題を検討する。
- 1968
- 関根伸夫《位相―大地》と出会い、その作品を「ものの状態の変化」として論じる。後に「もの派」と呼ばれる作家たちとの議論が活発化。
- 1969
- 評論「事物から存在へ」が美術出版社の芸術評論募集で評価される。京都国立近代美術館「現代美術の動向」に《現象と知覚A》《現象と知覚B》などを出品。《System》《Iron Field》など初期もの派作品を制作。
- 1970
- 『美術手帖』に「出会いを求めて」掲載。もの派の作家たちとの座談会「〈もの〉がひらく新しい世界」に参加。
- 1971
- パリ青年ビエンナーレに韓国作家として参加。もの派をヨーロッパへ紹介する契機となる。パリにも制作拠点を持ち始める。著書『出会いを求めて』刊行。
- 1972
- それまでの三次元作品と以後の彫刻を原則《Relatum(関係項)》と呼ぶようになる。ソウルで初個展。
- 1972–1973
- 《From Point(点より)》《From Line(線より)》シリーズを本格的に開始。
- 1973
- 多摩美術大学で教え始める。東京画廊の個展で《点より》《線より》を発表。
- 1974
- ドイツ・デュッセルドルフの「Japan: Tradition und Gegenwart」などに参加し、ヨーロッパでの活動を拡大。
- 1977
- documenta 6に参加。
- 1980年代
- 《From Winds(風より)》《With Winds(風と共に)》へ展開。規則的な点と線から、より自由な筆触へ移行。
- 1991
- 《With Winds》を制作。多摩美術大学での長期の教育活動を終える頃まで、国内外で多数の展覧会を開催。
- 1990年代
- 《Correspondence(照応)》シリーズを展開。筆触を減らし、余白と画面全体の関係を強調する。
- 2000
- 上海ビエンナーレでUNESCO Prizeを受賞。
- 2001
- 高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門を受賞。Kunstmuseum Bonnで大規模個展。
- 2005
- 横浜美術館で「李禹煥 余白の芸術」開催。《Dialogue(対話)》へつながる制作を展開。
- 2007
- 第52回ヴェネツィア・ビエンナーレ関連展《Resonance》を開催。
- 2010
- 香川県・直島に、安藤忠雄設計の李禹煥美術館が開館。
- 2011
- Solomon R. Guggenheim Museumで大規模回顧展《Lee Ufan: Marking Infinity》開催。
- 2014
- フランス・ヴェルサイユ宮殿と庭園で大規模個展《Lee Ufan Versailles》を開催。
- 2019
- Centre Pompidou-Metz《Inhabiting Time》、Dia:Beaconの初期彫刻展、Hirshhorn Museum《Open Dimension》が相次いで開催。
- 2022
- 国立新美術館で東京初の大規模回顧展「国立新美術館開館15周年記念 李禹煥」。のち兵庫県立美術館へ巡回。
- 2024
- Rijksmuseum Amsterdamで個展。ソウルではMark Rothkoとの二人展《Correspondence》が開催される。
- 2026
- Dia Art FoundationがSan Marco Art Centre, Veniceで大規模個展を開催。第61回ヴェネツィア・ビエンナーレ公式Collateral Eventとして、歴史的作品と新作、サイト・スペシフィック作品を展示。Dia:Beaconでも新たな長期展示が開始。
参考資料・出典
本ページは国立新美術館、Art Platform Japan、李禹煥美術館/ベネッセアートサイト直島、Solomon R. Guggenheim Museum、Dia Art Foundation、Hirshhorn Museum and Sculpture Garden、Centre Pompidou-Metz、Pinault Collectionなどの美術館・公的アーカイブ・研究機関資料を参照してART LIBRARYが独自に執筆しました。原文の全文翻訳ではありません。
- 国立新美術館 — 国立新美術館開館15周年記念 李禹煥
- Art Platform Japan — 李禹煥
- ベネッセアートサイト直島 — 李禹煥美術館
- Solomon R. Guggenheim Museum — Lee Ufan: Marking Infinity
- Solomon R. Guggenheim Museum — Lee Ufan Biography
- Solomon R. Guggenheim Museum — Series of Works / Mono-ha
- Dia Art Foundation — Lee Ufan, Dia Beacon 2019–21
- Dia Art Foundation — Lee Ufan Collection
- Dia Art Foundation — Relatum (formerly System)
- Dia Art Foundation — Relatum (formerly Iron Field)
- Dia Art Foundation — Relatum (formerly Language)
- Dia Art Foundation — Relatum, 1974/2019
- Dia Art Foundation — From Point, 1975
- Dia Art Foundation — From Line, 1978
- Dia Art Foundation — With Winds, 1991
- Hirshhorn Museum and Sculpture Garden — Lee Ufan: Open Dimension
- Centre Pompidou-Metz — Lee Ufan: Inhabiting Time
- Pinault Collection — Relatum (formerly Phenomena and Perception B)
- Dia Art Foundation — Lee Ufan, SMAC Venice 2026
資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY