Art Library

Lee Friedlander

リー・フリードランダー

アメリカ / 1934– / New Documents/ストリート・フォトグラフィ/社会的風景

Performing for the Camera – First Look (Tate)

Lee Friedlander (リー・フリードランダー)(1934–)は、戦後アメリカ写真を代表する写真家の一人です。New Yorkをはじめ各地の街路、看板、ショーウィンドウ、テレビ、記念碑、自動車、樹木、工場、家族、音楽家、自分自身の影や反射まで、半世紀以上にわたって身の回りの世界を撮り続けてきました。彼の写真では、一見すると邪魔に思える電柱、窓枠、フェンス、反射、影、車のダッシュボードなどが画面の中心へ入り込みます。視界を整理して主題だけを取り出すのではなく、実際に見るときに生じる遮蔽や重なりをそのまま写真の構造へ変えることが、Friedlanderの特徴です。

1967年、The Museum of Modern Artで開催された《New Documents》にDiane Arbus、Garry Winograndとともに参加し、写真史上の重要な転換点に位置づけられました。企画者John Szarkowskiは、この世代がドキュメンタリー写真を社会改革の道具としてではなく、世界をより深く知るための個人的な方法へ転換したと説明しています。Friedlanderはその後も「American social landscape(アメリカの社会的風景)」という考え方を軸に、都市の街頭だけでなく、《The Little Screens》《Self Portrait》《The American Monument》《Factory Valleys》《Nudes》《Stems》《America by Car》など異なる主題を継続的に制作しました。主題が変わっても、複数の像や空間を一枚の中で重ね、見ることそのものを複雑にする姿勢は一貫しています。

生涯と制作の変遷

1934年、Washington州Aberdeenに生まれる

Lee Friedlanderは1934年7月14日、Washington州Aberdeenに生まれました。10代から写真とジャズに強い関心を持ち、Fraenkel Galleryによれば1948年頃から撮影を始めています。高校卒業後にLos Angelesへ移り、1953~55年頃にArt Center SchoolでEdward Kaminskiから写真を学びました。

1950年代半ばにNew Yorkへ移り、雑誌やレコード業界の仕事を始めます。Whitney Museumは、1955年頃から1970年代初頭までフリーランス写真家として雑誌や急成長するレコード産業のために撮影した一方、独立した作品制作を並行していたと説明しています。この「依頼仕事と個人制作を同時に行う」環境が、音楽家の肖像から街頭の観察へ仕事を広げる基盤になりました。

1950年代後半、ジャズとR&B

FriedlanderはCount Basie、Mahalia Jackson、Thelonious Monk、Ruth Brownなど多くの音楽家を撮影しました。レコードジャケットや宣伝写真のための仕事でしたが、人物を定型的なスタジオ肖像として処理するだけではなく、演奏の前後や舞台周辺を含めて音楽家の存在を捉えています。

この時期の経験は、後の街頭写真と切り離せません。音楽家の表情や身体の動きを短時間で捉えること、限られた場所で背景まで画面に組み込むこと、撮影対象と周辺環境を同時に見ることが、都市を撮る際にも生かされました。1998年には長年撮影してきた音楽家の写真を《American Musicians》としてまとめています。

1960年と1962年、Guggenheim Fellowship

1960年と1962年、FriedlanderはJohn Simon Guggenheim Memorial FoundationのFellowshipを受けました。アメリカ各地を移動しながら個人制作を進め、街頭、モーテル、テレビ、標識、窓、看板など、戦後の生活環境に存在する視覚情報を撮影します。1977年にも三度目のFellowshipを受けています。

この時期に重要なのが、後に《The Little Screens》と呼ばれる一群です。旅先のモーテルの部屋に置かれたテレビを撮り、画面の中の人物と無人の室内を一枚へ重ねました。テレビが家庭や宿泊空間の中心へ入り込んだ時代に、現実の部屋と電子的な映像が同じ写真の中で共存します。

音楽家を撮る――1950年代の仕事

Friedlanderにとって音楽写真は単なるキャリア初期の仕事ではありません。幼い頃からジャズを好み、New York移住後はレコード会社との仕事を通じて音楽家の近くで撮影できるようになりました。《Count Basie Band》(1956)、《Mahalia Jackson. Newport, Rhode Island》(1957)など、現在MoMAに所蔵される写真には、演奏家を文化的アイコンとして理想化するより、その場に存在する一人の人物として見る姿勢があります。

後年の街頭写真でも、画面の中に複数の要素がそれぞれ異なるリズムを持ちます。窓枠、電柱、看板、人物、影が互いに独立しながら全体を作る構造は、ジャズの即興と直接同一視できるものではありませんが、Friedlanderが長く音楽の現場に身を置いていたことは、時間と反復への感覚を考える一つの背景になります。

《The Little Screens》――テレビが部屋に入り込む

1960年代初頭、Friedlanderは旅先のモーテルなどでテレビを撮影しました。The Metは《Nashville》(1963)について、Friedlanderが1960年と1962年のGuggenheim Fellowshipや雑誌の仕事でアメリカを移動する中、テレビ受像機を写した小さなシリーズを制作したと説明しています。

テレビ画面には映画、広告、ニュース、俳優の顔などが映り、その周囲にはベッド、カーテン、壁紙、ランプといった匿名的な部屋があります。写真の中に別の画像装置が入り込み、「いま目の前にある部屋」と「遠くから送られてくる映像」が同時に見えます。この入れ子構造は、その後のショーウィンドウや鏡、車窓を使った写真へつながる重要な方法です。

「社会的風景」――街路を整理しない

Friedlanderは自分の仕事を説明する際、「American social landscape」という言葉を使いました。ここでいう風景は自然景観に限定されません。歩行者、商店、道路標識、広告、電線、自動車、テレビ、建物の窓など、人間の生活によって作られた視覚環境全体が対象になります。

重要なのは、それらを整理して「都市の美しさ」や「社会問題」という一つの意味へまとめないことです。例えば《New York City》(1966)では、人物と街路の情報が重なり、窓や反射が現実空間を分断します。どれが主役かを決めるより、複数の情報が同時に存在すること自体が写真の構造になります。

1967年《New Documents》

1967年2月、MoMAでJohn Szarkowskiが企画した《New Documents》が開幕しました。出品者はDiane Arbus、Lee Friedlander、Garry Winograndの三人です。後世には非常に有名な展覧会となりましたが、当時は比較的小規模な企画でした。

Szarkowskiは三人について、1930~40年代の社会改革を志向するドキュメンタリー写真とは異なり、ドキュメンタリーの技術と美学をより個人的な目的へ転換したと説明しました。生活を「改革する」のではなく「知る」ことへ目的が変わったという整理です。Friedlanderの写真に明確な社会的教訓がないことは、社会への関心がないことを意味しません。社会を単純な説明へ変換しないこと自体が、新しいドキュメンタリーの態度でした。

反射と窓――一つの画面に複数の場所を重ねる

Friedlanderの街頭写真では、ショーウィンドウが頻繁に登場します。ガラスの向こう側にある商品や室内と、表面に反射する道路、建物、人物が一枚の写真で重なります。肉眼では視線を動かしながら別々に処理する情報が、写真では同じ平面上に固定されます。

この方法によって、写真は現実を「分かりやすくする」ものではなくなります。反射像と実物、前景と背景、内部と外部をすぐに区別できないため、鑑賞者は画面を何度も見直す必要があります。Friedlanderの写真が一見雑然としていながら長く見続けられる理由の一つです。

セルフポートレート――影、鏡、反射

1960年代からFriedlanderは自分自身を繰り返し撮影しました。ただし一般的な自画像のように、顔を中央へ置くとは限りません。地面に伸びる影、ショーウィンドウの反射、鏡に映るカメラ、他人の身体へ重なる自分の影などを使い、写真家がその場に存在する痕跡だけを残します。

1970年には写真集《Self Portrait》をHaywire Pressから刊行しました。National Gallery of Artには1964–69年頃のセルフポートレート群が多数所蔵され、自分の影が道路や建物へ入り込む作品が確認できます。ここでは写真家は透明な観察者ではありません。撮影者自身の身体が光を遮り、現実の一部として写真へ入り込みます。

邪魔なものを消さない構図

一般的な写真技法では、主題の前を横切る柱やフェンス、人物の顔へかかる影などは「邪魔なもの」として避けられます。Friedlanderは逆に、それらを積極的に残しました。画面を遮るものがあることで、写真内部に小さな区画が生まれ、複数の像が同時に成立します。

《Los Angeles, California》(1967)や《New Orleans, Louisiana》(1968)などでは、都市をすっきり見渡せる位置へ移動するのではなく、看板、ガラス、影、車などが視界を妨げる場所から撮っています。これは「構図を無視した」写真ではありません。乱雑な現実を整理せず、それでも画面として成立させる高度な構成です。

写真集――撮影後にシリーズを発見する

Whitney Museumは、Friedlanderが必ずしも最初から明確な企画を決めて撮るわけではなく、撮影を続けた後に関連する写真をまとめ、写真集へ展開する方法を指摘しています。これは彼の制作を理解するうえで重要です。

《Self Portrait》《The American Monument》《Factory Valleys》《Nudes》《Stems》《America by Car》などの題名は明確なシリーズに見えますが、撮影と編集の時間は必ずしも一致しません。長期間にわたって撮った写真を見返すことで、反復していた対象や構造が後からシリーズとして見えてきます。Friedlanderにとって写真集は作品を保存する容器ではなく、蓄積された写真の関係を再編集する制作の場です。

Friedlanderの写真をどう見るか

まず、中央の人物や物だけを主題だと思わず、画面の端まで見ることが重要です。Friedlanderでは、端にある標識や影、窓枠が中央の人物と同じくらい重要な場合があります。一見余計に見えるものが、別の像を分割したり結びつけたりしています。

次に、反射と実物を見分けてみます。ショーウィンドウでは、道路上の人物がガラスの中へ入り込み、室内の物と重なります。どの空間が前にあり、どれが後ろにあるのかを確認すると、二次元の写真がいくつもの空間を折り畳んでいることが分かります。

最後に、一枚の写真だけでなく同じシリーズを複数見ると、Friedlanderの方法がより明確になります。影、テレビ、記念碑、樹木、自動車と主題は変わりますが、「目の前の世界を単純化せず、むしろ複雑なまま写真へ変える」という姿勢は一貫しています。

主要作品

1950年代の音楽家撮影から、《The Little Screens》、1967年《New Documents》前後の都市写真、影によるセルフポートレート、《The American Monument》《Factory Valleys》《Nudes》《Stems》、そして《America by Car》まで、Friedlanderの長い活動と方法の連続性が分かる12点を選びました。

カウント・ベイシー・バンド

Count Basie Band / 1956 / ゼラチン・シルバー・プリント / 21.9 × 32.8 cm

The Museum of Modern Art, New York

New York移住後、レコード業界の仕事として撮影した初期の音楽写真。FriedlanderはCount Basieをはじめジャズ、R&B、ゴスペルの音楽家を数多く撮影しました。依頼写真でありながら、人物だけを切り抜かず周囲の状況や身体のリズムを画面へ残す姿勢は、後の街頭写真へつながります。

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ナッシュヴィル

Nashville / 1963 / ゼラチン・シルバー・プリント / 24.5 × 16.5 cm

The Metropolitan Museum of Art, New York

旅先のモーテルの室内に置かれたテレビを撮った《The Little Screens》の代表例。無人の部屋とテレビ画面内の人物が一枚の写真に共存し、現実空間と電子映像を重ねます。後の窓、鏡、車窓を用いた入れ子構造の重要な出発点です。

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ニューヨーク・シティ

New York City / 1966 / ゼラチン・シルバー・プリント / 16 × 24.1 cm

The Museum of Modern Art, New York

1967年《New Documents》前後の都市写真を代表する一枚。人物、建物、標識、ガラス、反射などを整理せず同時に画面へ入れるFriedlanderの「社会的風景」が成立していた時期の作品です。主役を一つに決めず、都市の視覚情報そのものを構造化します。

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ロサンゼルス、カリフォルニア

Los Angeles, California / 1967 / ゼラチン・シルバー・プリント / 16.4 × 24.8 cm

The Museum of Modern Art, New York

《New Documents》の年に制作された都市写真。Friedlanderは視界を妨げる窓枠や反射を除去せず、それらを画面の分割線として利用します。現実を明快に記録するというドキュメンタリー写真の慣習から意識的に距離を取る方法が表れています。

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ニューオーリンズ、ルイジアナ

New Orleans, Louisiana / 1968 / ゼラチン・シルバー・プリント / 15.8 × 23.8 cm

The Museum of Modern Art, New York

Friedlanderが繰り返し訪れたNew Orleansでの街頭写真。ガラス、影、看板など、現実の中にすでにある層を利用して、一枚の写真に複数の空間を重ねます。都市の情報量を減らすのではなく、見る行為の混乱そのものを写真へ変える代表的な方法です。

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セルフポートレート

Self-Portrait / 1964–1969 / ゼラチン・シルバー・プリント / 16.5 × 11 cm

National Gallery of Art, Washington

地面へ伸びる自分自身の影を撮影したセルフポートレート。顔や身体を直接写さず、光を遮る撮影者の痕跡だけを残します。写真家が透明な観察者ではなく、撮影する場所の一部であることをユーモラスかつ明確に示すシリーズです。

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ファーザー・ダフィー、タイムズ・スクエア、ニューヨーク・シティ

Father Duffy. Times Square, New York City / 1974 / ゼラチン・シルバー・プリント / 19.1 × 28.5 cm

The Museum of Modern Art, New York

《The American Monument》につながる代表作。Times SquareのFather Duffy像を記念碑だけで切り取らず、広告や建築など都市の日常的な視覚情報と重ねます。歴史を固定する彫像と、絶えず更新される現在の街が同じ画面で競合します。

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アルバカーキ

Albuquerque / 1975 / ゼラチン・シルバー・プリント / 28.2 × 18.9 cm

The Museum of Modern Art, New York

1970年代に全米の記念碑を撮影した仕事の一例。記念碑を威厳ある正面像として撮るのではなく、周囲の道路、標識、建物、日常生活との関係の中に置きます。《The American Monument》が歴史そのものより「現在から歴史がどう見えるか」を扱ったことを示します。

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ピッツバーグ、ペンシルヴェニア

Pittsburgh, Pennsylvania / 1979(1983年プリント) / ゼラチン・シルバー・プリント / 38.4 × 57.5 cm

National Gallery of Art, Washington

Akron Art Museumの依頼によるOhio River Valleyの工業地帯撮影から生まれた作品。雪の谷、鉄道、道路、橋、住宅が一体化し、工場を単独の産業記号として扱いません。労働、交通、居住、自然地形を一つの「社会的風景」として見る仕事です。

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ヌード

Nude / 1981 / ゼラチン・シルバー・プリント / 47.1 × 31.4 cm

The Museum of Modern Art, New York

1970年代末から80年代に展開したヌード作品の一枚。理想化された身体を遠くから整えて撮るのではなく、室内で近距離から撮影し、身体の部分と家具・床・壁を同じ画面へ押し込みます。広角的な距離感が、身体と空間の関係を強く意識させます。

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ステムズ

Stems / 1994 / ゼラチン・シルバー・プリント / 38.1 × 37.5 cm

The Museum of Modern Art, New York

膝の痛みにより長時間歩けなくなる可能性を考え、室内で始めた静物シリーズ。透明な花瓶、水、植物の茎を通過する光が屈折し、一本の茎が分断・反復されます。街頭のショーウィンドウや鏡で追究してきた「像の重なり」が静物の中でも継続しています。

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アラスカ

Alaska / 2007 / ゼラチン・シルバー・プリント / 38.1 × 38.1 cm

Collection of the artist / Whitney Museum展示

1995–2009年の《America by Car》から。車内から撮影し、窓、ミラー、ダッシュボードと外部の風景を一つの正方形画面へ組み込みます。自動車を移動手段だけでなく巨大なフレーミング装置として使い、初期から続く反射、セルフポートレート、アメリカの社会的風景を統合しました。

所蔵館の作品情報 ↗

《The American Monument》――記念碑と日常

1970年代、Friedlanderはアメリカ各地の記念碑や彫像を撮り続け、1976年に大冊の写真集《The American Monument》としてまとめました。英雄や歴史的人物の彫像を荘厳に撮影するのではなく、道路標識、広告、建物、樹木、駐車した自動車などと同じ画面へ置きます。

《Father Duffy. Times Square, New York City》(1974)では、Times Squareに立つFrancis P. Duffy神父の像が、周囲の広告や都市の視覚情報と競合します。記念碑は本来、歴史上の人物を社会の記憶として固定する装置ですが、Friedlanderの写真では現在の街の騒音へ飲み込まれます。

《Albuquerque》(1975)などでも、記念碑だけを切り抜くのではなく、周囲の状況によって意味が変化するように撮影しています。記念碑が何を記憶させようとしているかだけでなく、その記念碑が現代の日常生活の中で実際にどのように見えているのかを記録したシリーズです。

《Factory Valleys》――工業地帯を働く風景として見る

1979~80年、FriedlanderはAkron Art Museumの依頼でOhio River Valleyの工業地帯を撮影しました。OhioとPennsylvaniaの工場、道路、鉄道、住宅、河川を長期間にわたって撮り、《Factory Valleys》へまとめています。

《Pittsburgh, Pennsylvania》(1979)では、雪の積もった谷を鉄道線路が曲がり、住宅、道路、橋、丘が重なっています。巨大工場だけを産業の象徴として撮るのではなく、労働と交通と住宅が同じ地形の中で結びついていることを見せます。

Friedlanderの「社会的風景」は街頭の歩行者に限定されません。産業設備も道路も自然の地形も、人間が作った生活圏として同じ写真の中へ入ります。このシリーズによって、彼の仕事がいわゆるストリート・フォトグラフィよりはるかに広いことが分かります。

《Nudes》――身体と空間の距離

Friedlanderは1970年代末から80年代にかけて女性のヌードを集中的に撮影しました。1991年にはMoMAで《Lee Friedlander: Nudes》が開催され、同名写真集も刊行されました。

これらの作品では、身体を古典的な理想美へ整えるのではなく、ベッド、椅子、床、窓、壁など日常的な室内の中で近距離から撮ります。広角レンズによって手足が画面の端で拡大し、身体が部屋の構造とぶつかります。MoMAはこのシリーズを、肉体的でありながら親密で友好的なヌードとして紹介しました。

有名人を美しく見せるための肖像とは異なり、身体の形、家具、光、撮影距離が同じ重さを持ちます。人物そのものだけでなく、カメラが身体へどれほど近づけるかという写真家と被写体の関係も画面に現れます。

家族――Mariaを繰り返し撮る

Friedlanderの作品には妻Mariaが長期間にわたって登場します。旅先、家庭、街路などで繰り返し撮影され、家族写真と作品写真の境界が曖昧になります。

Whitney MuseumはFriedlanderの仕事について、街、人、物、自然を撮り、後から写真集へまとめる方法を説明しています。Mariaの写真も単独の肖像シリーズだけでなく、セルフポートレートや旅行写真、日常の観察の中に現れます。長期間同じ人物を撮ることで、写真は一回の「決定的な肖像」ではなく、時間と関係の蓄積になります。

自然風景――都市と同じ方法で見る

後年のFriedlanderはアメリカ西部の自然風景を大量に撮影しました。しかし、都市写真から「純粋な自然」へ転向したわけではありません。Fraenkel Galleryが紹介するWestern Landscapesでは、樹木の枝、岩、草、滝、山が画面を密集して埋め、奥行きを簡単には読み取れない写真が多くあります。

都市の写真で電柱、標識、窓枠が視界を遮ったように、自然の中では枝や葉が別の風景を遮ります。Grand TetonやYellowstoneの壮大な景観を観光写真のように開いて見せるのではなく、目の前にある植物によって分断します。Friedlanderにとって自然と都市は正反対ではなく、どちらも視覚情報が複雑に重なる場所でした。

《Stems》――動けない時間から生まれた静物

1994年、膝の痛みに悩んでいたFriedlanderは、外を長時間歩けなくなる可能性を考え、室内で制作できる静物を試し始めました。Fraenkel Galleryの《Stems》解説によれば、妻Mariaが家に飾った花を見ながら、花そのものよりガラスの花瓶の中で屈折する茎へ関心を移しました。

《Stems》(1994)では、透明な花瓶、水、茎が屈折によって分断されます。街頭の窓や鏡と同様、一つのものが複数の方向へずれ、現実の形が光学的に組み替えられます。動けない環境から生まれた静物でありながら、方法としては初期作品から連続しています。

1998年には両膝の手術を受け、Fraenkel Galleryによれば約3か月間ほとんど写真を撮らない時期がありました。回復後に再び《Stems》へ取り組み、2003年に写真集として刊行しています。

《America by Car》――自動車を巨大なカメラにする

1995~2009年に制作された《America by Car》では、Friedlanderはアメリカ各州を自動車で移動し、車内から撮影しました。2010年、Whitney Museumでシリーズ全体が展覧会として紹介されました。

車のフロントガラス、サイドウィンドウ、バックミラー、サイドミラーが写真内部のフレームとして働きます。道路の風景、看板、教会、モーテル、橋、記念碑などの外部と、ハンドル、ダッシュボード、座席、時にはFriedlander自身の反射が一枚へ入ります。

Whitneyは、普通のレンタカーの窓やミラーを「画面の中の画面」として使う単純な仕組みが、遠近感の圧縮や予想外の並置を生み出すと説明しています。1960年代から続く窓、反射、セルフポートレート、アメリカの道路風景が、ここで一つのシリーズへ統合されました。

シリーズと反復――一枚の代表作だけでは見えないもの

Friedlanderは非常に多作で、MoMAだけでも1,000点を超える作品がオンラインで登録されています。Whitneyも100点以上を所蔵しています。そのため、一枚の象徴的作品から作家像を作るより、同じ主題を何十年も反復する方法を見る方が重要です。

セルフポートレートでは影や鏡が繰り返され、記念碑では彫像と現代都市の衝突が繰り返されます。植物では枝や茎が視界を遮り、《America by Car》では車の窓が世界を分割します。題材は違っても、「見るときに何かが間に入る」という構造が何度も戻ってきます。

またFriedlanderは写真集を継続的に出版し、作品同士の順序と反復を重視してきました。MoMAの2005年回顧展では約500点の写真と多数の写真集・ポートフォリオが展示され、半世紀に及ぶ仕事が複数のまとまりとして整理されました。一枚の傑作より、膨大な観察が次第に形を作ることが彼の制作の特徴です。

Lee Friedlanderは何を変えたのか

第一に、写真の中の「邪魔なもの」の価値を変えました。反射、窓枠、電柱、標識、フェンス、影など、それまで主題を遮る要素として避けられがちだったものを、画面を構成する主要な要素にしました。複雑な現実を整理するのではなく、複雑さそのものを構図に変えています。

第二に、写真家の存在を画面へ戻しました。自分の影や反射を写すセルフポートレートでは、撮影者が外部から世界を客観的に観察しているという考えを崩します。写真を撮る人も、その場所の光、ガラス、道路、他人の身体と同じ世界の一部です。

第三に、「社会的風景」という考え方を広げました。都市の人間だけではなく、テレビ、記念碑、工場、道路、自動車、植物まで、社会と生活が作る環境全体を撮影対象にしました。ストリート写真、風景写真、肖像、静物といったジャンルを横断しています。

第四に、写真集を制作の中心に置きました。長期間撮影した写真から共通する構造を見つけ、順序を与え、シリーズとして提示します。撮影時に主題を完全に決めるのではなく、蓄積した写真を後から読むことで作品が生まれる方法です。

第五に、写真が現実を一つの視点に整理するという前提を揺さぶりました。窓の外と反射像、車内と道路、影と実体、テレビ映像と部屋が同時に存在し、一枚の写真に複数の場所と時間が入り込みます。その複雑な画面は、現在の写真表現でも広く共有される視覚言語になりました。

Friedlanderの仕事が現在も重要なのは、奇抜な構図を発明したからだけではありません。身近な世界には、すでに無数のフレーム、反射、遮蔽物、像の重なりが存在している。それを消さずに見ることで、日常そのものがどれほど複雑な視覚構造を持っているかを写真によって示し続けてきたからです。

略年譜

1934
7月14日、Washington州Aberdeenに生まれる。
1948頃
10代で写真撮影を始める。ジャズにも強い関心を持つ。
1953–1955
Los AngelesのArt Center SchoolでEdward Kaminskiに写真を学ぶ。
1955–1956頃
New Yorkへ移り、雑誌・レコード業界のフリーランス写真家として活動を始める。
1956
Count Basie Band、Ruth Brownなど音楽家を撮影。レコード関連の仕事を広げる。
1957
Mahalia Jackson、Thelonious Monkほか多くのジャズ、ゴスペル、R&B音楽家を撮影。
1960
最初のJohn Simon Guggenheim Memorial Foundation Fellowshipを受ける。
1962
二度目のGuggenheim Fellowship。アメリカ各地を移動し、後の《The Little Screens》を含む作品を制作。
1967
MoMA《New Documents》にDiane Arbus、Garry Winograndと参加。戦後ドキュメンタリー写真の重要な転換点となる。
1969
Jim Dineとの共同出版《Work From the Same House》を刊行。
1970
Haywire Pressから写真集《Self Portrait》を刊行。
1974–1975
MoMAで個展《Lee Friedlander》。都市、セルフポートレート、記念碑などの仕事を発表。
1976
アメリカ各地の公共記念碑をまとめた大冊《The American Monument》を刊行。
1977
三度目のGuggenheim Fellowshipを受ける。
1979–1980
Akron Art Museumの依頼でOhioとPennsylvaniaの工業地帯を撮影。後の《Factory Valleys》へつながる。
1980年代
街頭、家族、風景の制作を継続しながら、女性のヌードを集中的に撮影。
1989
Seattle Art Museumが大規模回顧展《Like a One-Eyed Cat: Photographs by Lee Friedlander 1956–1987》を開催。
1991
MoMAで《Lee Friedlander: Nudes》。同名写真集を刊行。
1994
膝の痛みをきっかけに室内の花瓶と茎を撮り、《Stems》を開始。
1995–2009
アメリカ各地を自動車で移動し、車窓、ミラー、ダッシュボードを利用した《America by Car》を制作。
1998
長年撮影した音楽家をまとめた《American Musicians》を刊行。両膝の手術後、一時撮影を休止する。
2003
写真集《Stems》刊行。
2005
MoMAで約500点を含む大規模回顧展《Friedlander》。同年Hasselblad Awardを受賞。
2010
Whitney Museum of American Artで《Lee Friedlander: America By Car》。
2017
1957年の公民権運動Prayer Pilgrimage for Freedomを撮影した初期作品群が展覧会・出版で再検討される。
2020–2022
Fundación MAPFREによる大規模回顧展がMadridを起点に複数都市へ巡回。
2023–2024
Joel Coenが作品を選んだ《Lee Friedlander Framed by Joel Coen》がNew Yorkで開催され、その後LUMA Arlesへ巡回。

参考資料・出典

本ページはThe Museum of Modern Art、Whitney Museum of American Art、National Gallery of Art、The Metropolitan Museum of Art、Fraenkel Gallery、John Simon Guggenheim Memorial Foundation等の美術館・公的機関・長年の取扱ギャラリーによる公式資料を参照し、ART LIBRARYが独自に執筆しました。Friedlanderを「ストリート・フォトグラファー」の一語へ限定せず、音楽写真、《The Little Screens》、セルフポートレート、《New Documents》《The American Monument》《Factory Valleys》《Nudes》《Stems》《America by Car》までを連続する制作として構成しています。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月4日 / ART LIBRARY