ジュリアン・オピー(Julian Opie、1958–)は、太い輪郭線と平坦な色面によって人物、都市、道路、建築、動物、風景を簡略化してきたイギリスの現代美術家です。現在では、数本の線だけで顔を識別させる肖像や、LED画面の中を永遠に歩き続ける人物像が最もよく知られています。しかし、その「簡単に見える」描写は、最初から決まった作風だったわけではありません。1980年代には鋼板を溶接し、美術史上の名画、棚、車、都市、日用品を立体化し、1990年代には道路やオフィスビルをコンピューター画面のような記号へ変換しました。そこから人物の顔、歩行、走行、風景へと対象を広げながら、絵画、彫刻、版画、LCD、LED、アニメーション、公共空間、そしてVRまで、同じ「描く」という行為を異なる物質と技術へ移し続けています。
オピーの作品を単に「ポップで親しみやすいイラスト」と捉えると、その核心を取り逃がします。彼が繰り返し考えてきたのは、人間がどれほど少ない視覚情報から人物や場所を認識できるのか、そして一枚の絵がどのように現実の代わりとなる世界を作れるのかという問題です。道路標識、空港の案内表示、漫画『タンタン』、浮世絵、17世紀肖像画、古代エジプトやローマの人物像、初期ルネサンス絵画、コンピューターゲームなど、一見すると離れた視覚文化を同じ「人間が世界を読むための言語」として参照してきました。本記事では、GoldsmithsでMichael Craig-Martinに学んだ時期、New British Sculptureの文脈、1980年代の鋼板彫刻、1990年代の都市と運転のシリーズ、人物肖像とBlur、浮世絵と歩く人物、LEDによる公共作品、VR、そして2025–26年の東京と蔚山での新作までをたどり、オピーが「単純化」を省略ではなく、認識を組み立てる技術として発展させてきたことを見ていきます。
CONTENTS
- 生涯と制作の変遷
- Oxfordで育つ――美術館と漫画のあいだ
- Goldsmiths――Michael Craig-Martinと「物」としての美術
- 1980年代のNew British Sculpture
- 《Eat Dirt, Art History》――美術史への敬意と反抗
- Anthony Caro以後に鋼板で具象を作る
- 絵画と彫刻を分けない
- 棚、マッチ箱、車、建物――ありふれた物を描く
- 1990年代――物体から「世界の模型」へ
- 《Imagine you are driving》――運転席から見る風景
- コンピューターゲームと仮想空間
- オフィスビル――建築を記号へ変える
- 道路標識、空港、商業空間から学ぶ
- 「省略」ではなく認識の設計
- 1990年代後半――人物の顔へ
- Blur――アルバムカバーが作品を大衆文化へ運ぶ
- なぜ数本の線で顔が分かるのか
- 静止画が瞬きを始める
- 《Julian with T-shirt》――動く自画像
- Julian Opieの作品をどう見るか
- 主要作品
- 喜多川歌麿――人物を簡略化しても個性は残る
- 《Ruth with cigarette》――浮世絵と現代の肖像
- 歌川広重――風景、移動、縦長画面
- 古代エジプト、ローマ、ルネサンスを同時に見る
- 歩く人物――「ポーズ」から「通過する身体」へ
- Muybridgeと連続写真――動きを分解する
- 街の通行人をモデルにする
- London、Mumbai、Seoul、Melbourne、New York
- 《Promenade》――LEDを現代の彫像にする
- 公共空間――美術館の外でどう見えるか
- 木、石、鋼、ブロンズ、LED――線を物質へ変換する
- 身体とスケール――小像から巨大画面まで
- 2018–19年NGV――美術館全体を一つの都市にする
- 収集家としてのオピー
- 2017年《Julian Opie after Van Dyck》
- VR――描かれた世界へ身体ごと入る
- 現実を見ること自体が「モデル化」なのか
- 子どもを描く――歩き方から個性を見る
- 走る身体――《Marathon. Women.》
- 2025–26年GINZA SIX――商業空間と公共作品
- 2026年蔚山市立美術館――VRと大型映像
- Pop Artなのか、Minimalismなのか
- 「デジタル作家」という呼び方の限界
- 複製可能な画像と「原作」
- Julian Opieは何を変えたのか
生涯と制作の変遷
Julian Opieは1958年Londonに生まれ、父親の仕事に伴ってOxfordで育ちました。本人はOxford時代を振り返り、Ashmolean Museum、Pitt Rivers Museum、Museum of Modern Art Oxford、大学建築、周囲の公園や川が学校教育と同じくらい自分の視覚形成に影響したと語っています。古代美術から民族資料、近現代美術までが近距離に共存する環境は、後にエジプト彫刻、浮世絵、古典肖像、道路標識、アニメーションを同じ地平で参照する姿勢につながります。
1979年から82年頃にGoldsmiths Collegeで学び、Michael Craig-Martinの指導を受けました。公式CVでは1983年卒業と記されています。卒業直後からLisson Galleryで個展を開き、1980年代のイギリス彫刻の新しい世代として早くから注目されました。当時はRichard Deacon、Tony Cragg、Anish Kapoor、Bill Woodrowらとともに、戦後British sculptureの次世代として国際展に紹介されています。
1980年代の作品は、現在の輪郭線の人物とはかなり異なります。鋼板を切り、曲げ、溶接し、油彩や工業塗料で絵を描いた立体作品が中心でした。名画の複製を投げ捨てたような構成、棚から飛び出す本、巨大化した日用品、車、都市の模型などを制作し、絵画と彫刻、イメージと物体の境界を曖昧にします。
1990年代になると、道路、車、オフィスビル、都市といった題材をより単純な形へ変え、コンピューターゲームや道路標識の視覚言語に接近します。1990年代後半には人物肖像へ展開し、2000年のBlurのアルバム『Blur: The Best Of』の肖像で一般にも広く知られました。2000年代にはLCDやLEDによる瞬き、呼吸、歩行、ダンスのアニメーションを発展させ、公共空間での大型作品を世界各都市に設置します。
2010年代以降は、歌川広重、喜多川歌麿、古代エジプト、ローマ、17世紀肖像画など美術史上の形式をより明示的に参照しながら、街の通行人を撮影して描く「walkers」を各都市へ拡張しました。2022年からはVR作品《OP.VR》を開始。2025–26年には東京GINZA SIXで走る女性アスリートと子どもの歩行を大規模LED・立体作品へ展開し、2026年には韓国・蔚山市立美術館でVRと大型メディア作品による個展が開催されています。
Oxfordで育つ――美術館と漫画のあいだ
オピーの作品には「高尚な美術史」と「大衆的な視覚文化」を分けない態度があります。本人は幼い頃から絵を描き続け、Oxfordの美術館を見る一方、漫画や図像にも親しんでいました。とりわけベルギーの漫画家Hergéによる『タンタン』は、後年まで重要な参照源になっています。
『タンタン』の線は、細部を写実的に積み重ねなくても人物、建物、車、地形を瞬時に認識させます。オピーはこのような線描を「絵が現実に似るための不足した表現」としてではなく、人間の脳が空間を読むのに十分な視覚言語として受け取ります。
一方で彼は、初期ルネサンス絵画の透視図法にも強く惹かれました。Masaccioなどの絵画では、建築的な空間が幾何学的に組み立てられ、その中へ人物が配置されます。オピーは後年、それを初期の3Dコンピューターゲームに似た「入って歩ける世界」の構築として理解しています。漫画と古典絵画、ゲームを同じ問題として見ることが、彼の特徴です。
Goldsmiths――Michael Craig-Martinと「物」としての美術
GoldsmithsでMichael Craig-Martinに学んだことは、オピーの制作を理解するうえで重要です。Craig-Martinは日用品を明快な輪郭線で描き、物とその名称、知覚と概念の関係を扱っていました。オピーも初期から「何を描くか」だけでなく、「人はどのような形を見ればそれを椅子、車、絵画と認識するのか」を考えます。
ただし、弟子としてCraig-Martinの線描様式をそのまま継承したわけではありません。1980年代のオピーは立体作品を選びました。紙に描いた線を鋼板の切断や溶接へ翻訳し、絵に見える物を実際の空間へ持ち出します。
本人は後年、平面作品であっても「すべての作品を物体、つまり彫刻のように考える」と述べています。キャンバスに絵具を塗ることだけを特別なカテゴリーとして扱わず、木板、アルミニウム、ガラス、石、LED、LCDも「イメージを存在させるための材料」と捉えます。この考えは学生時代から現在までほぼ一貫しています。
1980年代のNew British Sculpture
1980年代初頭のイギリスでは、Anthony Caro以後の抽象彫刻の伝統を受けながら、日用品、象徴、建築、身体、色彩を新たに取り込む彫刻家が登場しました。後にNew British Sculptureなどと呼ばれる流れの中で、オピーも早くから国際的に紹介されます。
1983年にはLisson Galleryで初個展を開催し、同年Hayward GalleryとSerpentine Galleryによる《The Sculpture Show》などに参加。1984–85年にはKölnischer KunstvereinからGroninger Museumへ巡回する個展、1985年にはICA LondonやFondation Cartierでも個展を開きました。YBAが注目されるより10年近く前に、すでにイギリス若手美術の重要人物として活動していたことになります。
そのため、オピーをYBAとして説明するのは年代的に正確ではありません。むしろ「YBA以前」のLondon art sceneで、彫刻とイメージ、物体と記号の関係を実験した世代として位置づける方が適切です。
《Eat Dirt, Art History》――美術史への敬意と反抗
1983年《Eat Dirt, Art History》は、オピーの初期を理解する代表作です。鋼板を使いながら、そこに名画を思わせるイメージを描き、美術史そのものを立体的な物として扱います。学生時代には「Eat Dirt El Greco」のような文字を添えて名画を粗く模写するdrawingを学校内へ貼っていました。
本人はこの態度を、偉大な美術史に圧倒される美学生の立場への反応だったと説明しています。「古典を否定したい」のではなく、あまりに尊敬されて使用不可能になったイメージをもう一度自分の手で使いたい。そこには反抗と敬意が同時に存在します。
後年オピーがVan Dyck、Utamaro、Hiroshige、Egyptian artを直接引用する姿勢も、この初期作品から連続しています。美術史を遠くから崇拝するのではなく、現在の制作材料として触り直すのです。
Anthony Caro以後に鋼板で具象を作る
オピーは初期の鋼板作品について、当時Anthony Caroとその系譜がイギリス彫刻の「体制」のように見えていたと振り返っています。鋼板を用いること自体は正統的でしたが、それを具象的な絵や日用品へ使うことは「間違った」方向だった、と本人は意識していました。
Caroの抽象彫刻では色を塗った鋼材が台座から解放され、空間の中へ展開します。オピーはその材料的自由を受け継ぎながら、抽象性へ従う代わりに、本、キャンバス、棚、車、家具など「何であるか分かる」形へ戻します。
つまりオピーの具象性は、写実絵画への回帰ではありません。抽象彫刻が獲得した物質的自由を使って、視覚記号を再び立体へ持ち込む試みでした。この点は、のちのLED人物像を「デジタルイラスト」とだけ見ないためにも重要です。彼の根には常に彫刻的な空間感覚があります。
絵画と彫刻を分けない
オピーの作品では、二次元と三次元の境界が繰り返し曖昧になります。鋼板を切り抜けばdrawingの線が空間へ出てきます。木箱の表面へ窓を描けば、平面のoffice buildingが建築模型のようなsculptureになります。LED screenでは薄い平面上のfigureが動き、街路空間の中で「像」と「物体」の両方になります。
本人が「平面で壁に掛かる作品も物体として考える」と語るのは、そのためです。画像をどの素材で実体化するかは内容の一部であり、同じdrawingがscreenprint、vinyl、stone、steel、LCDへ変わると意味も変わります。
オピーの特徴的な輪郭線は、単なるgraphic styleではなく、媒体間を移動しやすい「設計図」のように働きます。一度drawingが成立すれば、それを版画にも彫刻にもanimationにも翻訳できます。
棚、マッチ箱、車、建物――ありふれた物を描く
1980年代半ばの《Off the Shelf》《Matchboxes》《Still Life with Opal Fruits》《Sleeping City》などでは、棚、箱、菓子、都市のような身近な対象が鋼板で立体化されます。美術館向けの高級な素材を使いながら、主題はきわめて普通です。
ここにはPop Artとの接続がありますが、Warholのように大量消費商品のイメージを平面へ反復するのとは少し異なります。オピーは商品や建物を、子どもの玩具のように「簡単な部品へ還元して組み立てられる世界」として扱います。
この発想が1990年代の都市や道路へつながります。世界を複雑な現実としてそのまま描くのではなく、建物、車、道路、木、人物という「部品」に分解し、再び画面内で組み立てるのです。
1990年代――物体から「世界の模型」へ
1990年代に入ると、オピーは都市、道路、家、車をより強く簡略化し、模型やコンピューター画面のような作品を制作します。1993年のHayward Gallery個展頃には、運転席から見た道路風景や、都市を横断する視点が重要になりました。
初期の彫刻が個別の物体を空間へ置くものだったとすれば、1990年代の作品では「一つの世界へ入る感覚」が強まります。道路は画面奥へ伸び、車は前進し、オフィスビルが並びます。作品は物体でありながら、同時に仮想空間への窓になります。
この時期は家庭用コンピューターゲームやflight simulator、satellite navigationなどの映像が一般化し始めた時代です。オピーはそれらを美術の外部にある低級なvisual cultureとしてではなく、人間が空間を理解するための新しいdrawing systemとして受け取ります。
《Imagine you are driving》――運転席から見る風景
1993年に始まる《Imagine you are driving》では、道路の中央線、地平線、周囲の木や建物を単純化し、観客が運転席に座っているような視点を作ります。作品名が「Landscape」ではなく「Imagine you are driving」であることが重要です。
見ることが静的な鑑賞ではなく、移動する身体の経験へ変わります。前方へ進むにつれて道路の形が変わり、風景は左右へ流れます。静止画でも、観客は次の瞬間を予測します。
オピー自身は、車や列車の移動中に風景を見ると、細部ではなく丘の起伏、畑の色面、道路の方向といった大きな構造が見えると述べています。単純化は「細部が描けない」のではなく、移動する知覚が現実から拾う情報に近づける方法です。
コンピューターゲームと仮想空間
オピーは初期3Dゲームやflight simulatorを、絵画史と連続するものとして見ています。初期ルネサンスの遠近法も、ゲームの3D空間も、平らな画面から「その中へ入れる世界」を作る技術だからです。
1990年代のゲーム画面では、コンピューター性能の制約から物体は少数のpolygonやflat colourで描かれていました。しかしプレイヤーはそれを道路、建物、人物として問題なく認識できます。この事実は「人間の認識にはどれだけの情報が必要か」というオピーの問題と一致します。
そのため、後のVRは突然の技術転向ではありません。1990年代から彼は、絵画を現実の縮小模型ではなく、観客の脳が内部へ入れるalternative worldとして考えていました。VRはその考えを身体的に実現する技術になりました。
オフィスビル――建築を記号へ変える
1996年頃の《You pass an office building》《You see an office building》では、office architectureが箱と窓の反復へ還元されます。個別の建築家や都市の固有性より、「これはoffice buildingだ」と誰もが判断できる最小限の要素が残ります。
この単純化には現代都市への観察があります。LondonでもNew Yorkでも、glass façade、square windows、rectangular towerといった形式が反復され、都市は似た記号で構成されています。オピーはその均質性を批判的な風刺として強調するより、人間が都市を読んでいる実際の方法として利用します。
建物は同時にsculptureです。木の箱に窓のpatternを描くだけで、観客はそれを高層建築として読んでしまいます。物理的には小さい木箱なのに、知覚の中では巨大なbuildingへ変わる。このscaleの反転は、後の公共彫刻にも続きます。
道路標識、空港、商業空間から学ぶ
オピーは都市のsigns、shopping mall、airport、motorwayを重要な視覚資料として挙げています。そこでは画像は「美術作品」ではなく、誰にでも瞬時に理解されるためのinformationです。人、車、階段、出口、directionを最小限の形で伝えます。
彼が目指す単純化も、このような共有言語に近いものがあります。ただし作品は情報伝達だけを目的にしません。人物の顔を簡略化しても「誰であるか」が残る境界を探し、道路標識より少し多く、写真よりはるかに少ない情報量を選びます。
2000年代以降の公共作品がstation、office building、airport、shopping complexによく設置されるのも偶然ではありません。彼のvisual languageは、もともとそうした空間の表示体系から学んでいるため、white cubeの外へ出ても異物になりすぎず、それでいて現実のsignとは異なる曖昧さを残します。
「省略」ではなく認識の設計
オピーの作品は「人物を簡略化している」と説明されます。しかし彼にとって重要なのは情報を減らすこと自体ではなく、どの情報なら消しても認識が残るかを判断することです。
顔なら髪型、輪郭、眼鏡、眉、口、服の形のうち、何を残せばその人物になるのか。歩行なら脚の角度、腕の振り、鞄、髪、服の裾のどこがその人らしいのか。作品ごとに選択が変わります。
したがって、同じ「黒い線の顔」に見えても全員が同じ記号ではありません。National Portrait Galleryが指摘するように、彼は個人を区別する特徴を最小限まで減らしながら、それでも「その人」と分かる地点を探しています。単純化と個別性が矛盾せず共存するところに肖像の面白さがあります。
1990年代後半――人物の顔へ
1990年代後半、オピーは都市や車と並んで人物肖像へ本格的に取り組みます。写真を撮り、その上からコンピューター上で輪郭をtraceし、顔の特徴を少しずつ削除していく方法が発展しました。
初期の肖像は「人間をアイコンへ変える」ように見えますが、本人の関心は匿名化ではありません。逆に、どれほど少ない情報でも知人の顔が識別できることに驚き、誰もが「classic type」として描けると考えました。
人物の社会的地位や心理を背景で説明しない点では、伝統的なportrait paintingと異なります。しかし全身の姿勢、衣服、髪型、持ち物を使うようになると、17世紀肖像画や浮世絵のように「その人をcharacterとして構成する」方法へ戻っていきます。
Blur――アルバムカバーが作品を大衆文化へ運ぶ
2000年、British band Blurのベストアルバム『Blur: The Best Of』のため、Damon Albarn、Graham Coxon、Alex James、Dave Rowntreeの4人を描いた肖像を制作しました。National Portrait Galleryによれば、写真の上からdigital drawingを行い、顔をblock colourと最小限の線へ還元しています。
この仕事によってオピーのportrait languageは美術館外へ急速に流通しました。CD、poster、billboard、merchandiseへ複製され、彼の線が大衆文化の中でも認識されるようになります。
興味深いのは、commercial circulationが作品の性格と矛盾しないことです。道路標識、印刷、漫画、浮世絵のように、オピーはもともと複製されるimageへ強い関心を持っていました。Blurの肖像が美術館にも収蔵され、同時に大量複製されたことは、high artとcommercial imageの境界を実際の流通によって曖昧にします。
なぜ数本の線で顔が分かるのか
人間は顔認識に非常に敏感です。写真ほどのdetailがなくても、髪型、輪郭、目の位置、眼鏡、口元など少数の特徴から個人を区別できます。オピーはこの知覚能力そのものを作品にします。
そのため、彼のportraitは「似顔絵」に近い面もありますが、誇張によって特徴を強めるcaricatureとは異なります。むしろ情報を消しながら、最後まで残る特徴を探します。
結果として、顔はlogoや交通標識のように見える一方、不思議な個別性を保ちます。誰でも描けそうな単純な形なのに、少し輪郭を変えれば別人になる。この緊張がオピーの肖像の核心です。
静止画が瞬きを始める
オピーは1990年代からcomputer animationを使い、静止したdrawingへmovementを加えてきました。最初は都市や道路の移動、のちには人物の瞬き、呼吸、髪の揺れ、歩行、ダンスへ広がります。
動きは写実性を増すために使われるわけではありません。むしろ極端に単純化した顔が一度瞬くだけで、観客は「生きている」と感じます。生命感を作るのに必要な情報が非常に少ないことが露呈します。
これはanimationの原理そのものでもあります。静止画が一定速度で切り替わると脳が連続運動として読み取る。オピーは、その錯覚を隠すより作品の構造として利用します。
《Julian with T-shirt》――動く自画像
2005年《Julian with T-shirt》はNational Portrait Gallery所蔵のLCD自画像です。画面上のオピーは大きく身振りをするわけではなく、わずかに呼吸し、瞬きをします。
伝統的自画像は画家の身体が停止した一瞬を保存しますが、この作品では「静止しているようで完全には止まっていない」状態が続きます。写真でもfilmでもなく、終わりのないloopとしてportraitが存在します。
一方、人物は高度に簡略化され、皮膚のtextureや細かな表情はありません。情報が減ったimageにmovementを一つ加えるだけで、観客がpersonhoodを感じる。この作品は、肖像がどの程度の情報から成立するかを非常に明快に示しています。
Julian Opieの作品をどう見るか
第一に、「簡単そう」という印象を出発点にして構いません。ただし、その後で何が削られ、何が残されたかを見てください。輪郭、髪、服、手、脚の角度のどれが認識を支えているかを考えると、単純化が精密な編集であることが分かります。
第二に、同じdrawingがどの素材へ変換されているかを見ます。screenprint、vinyl、wood、stone、steel、LEDでは、同じ人物でも身体感覚が異なります。オピーにとって媒体は後から付ける包装ではなく、imageを現実空間へ存在させる方法です。
第三に、美術史と現代の表示体系を同時に見ます。歩く人物にはEgyptian reliefやGreek figureとairport signが重なり、portraitにはVan DyckやUtamaroとdigital iconが重なっています。どちらか一方だけをsourceとするのではありません。
第四に、作品と自分の身体の関係を見てください。小さなprint、等身大sculpture、4.8mのLED tower、10m規模の公共installationでは、figureとの距離が大きく変わります。オピーはscaleによってimageの読み方を操作します。
最後に、「デジタルだから現代的」とだけ考えないことです。彼は最先端技術を使う一方、古代の石像、浮世絵、17世紀portraitを同じ程度に参照します。新しい技術は古い主題――人物、風景、静物、都市――を別の物質へ翻訳する手段です。
主要作品
1983年のpainted steel sculptureから、1990年代の道路・建築、Blurのportrait、動く自画像、浮世絵を参照した人物像、LEDによる歩行、都市別walkers、2025年《Marathon. Women.》まで、Julian Opieの約40年にわたる「drawingを別の物質へ翻訳する」流れが分かる12点を選びました。
美術史よ、泥を食らえ
Eat Dirt, Art History / 1983 / 鋼板に油彩 / 150 × 150 × 70 cm
Julian Opie公式作品アーカイブ掲載(現所蔵先未確認)
Goldsmiths卒業期の問題意識を凝縮した初期彫刻。鋼板という戦後British sculptureの正統的素材を使いながら、名画の引用を具象的に描き、美術史への反抗と敬意を同時に示しました。後年のOld Masters、浮世絵、古代美術の引用へ続く出発点です。
あなたが運転していると想像してください(1)
Imagine you are driving (1) / 1993 / 木、ガラス、アルミニウムにアクリル / 62 × 81 × 3 cm
Julian Opie公式作品アーカイブ掲載(現所蔵先未確認)
運転席から前方を見る一人称視点を絵画へ導入した1990年代の転換作。道路と風景を最小限の形へ還元し、初期3Dゲームやnavigation imageと伝統的landscape paintingを接続しました。
オフィスビルの横を通り過ぎる 9
You pass an office building. 9 / 1996 / 木に塗料 / 180 × 150 × 40 cm
Julian Opie公式作品アーカイブ掲載(現所蔵先未確認)
箱形の物体と窓の反復だけでoffice buildingを成立させる作品。sculptureでありながら巨大建築のimageとして読まれ、物理的scaleと知覚上のscaleが反転します。
あなたが歩いていると想像してください
Imagine you are walking. / 1998–1999 / シルクスクリーン(6点組シリーズの1点) / 61 × 79 cm
The Museum of Modern Art, New York
MoMA所蔵の1998–99年screenprint series。都市、車、風景、人物を同じ簡略化されたvisual systemで扱った時期を示し、後のwalking figuresへつながる重要作です。
デーモン、歌手
Damon, singer. 2000 / 2000 / パネルに貼付した発色現像方式印画 / 86.8 × 75.8 cm
National Portrait Gallery, London
Blur『The Best Of』のために制作した4人のdigital portraitsの一つ。写真をなぞりながら情報を最小限まで削り、album cover、billboard、merchandiseへ大量流通したことで、Opieのportrait languageを美術館外の大衆文化へ広げました。
Tシャツ姿のジュリアン
Julian with T-shirt / 2005 / ソフトウェア内蔵LCDスクリーン / 110.2 × 65.8 cm
National Portrait Gallery, London
呼吸と瞬きを繰り返すcomputer-animated self-portrait。ほとんど静止した簡略化された顔に、ごくわずかな動きを加えるだけで「生きた人物」と感じさせ、portraitに必要な情報量を問い直します。
煙草を持つルース 1
Ruth with cigarette. 1 / 2005 / アルミニウム額装ラムダプリント / 103 × 71 × 3.8 cm
Julian Opie公式作品アーカイブ掲載(edition、現所蔵先未確認)
喜多川歌麿の女性像を明確に参照したportrait series。現代の女性の日常的な仕草を、平坦な輪郭、cropping、複製可能な版という浮世絵の構造と接続しています。
プロムナード
Promenade / 2012 / 4面LEDスクリーンによる連続コンピューター・アニメーション / 480 × 190 × 190 cm
Calgary East Village, Canada(公共空間に恒久設置)
6人の人物が4面のLED towerを異なる速度で歩き続ける公共彫刻。Egyptian striding figureやancient friezeを参照しながら、石像が暗示してきたmovementを実際の時間として彫刻へ導入しました。
街を歩く
Walking in the city. / 2016 / 石灰岩に象嵌したブロンズ / 239 × 2500 cm
Julian Opie公式作品アーカイブ掲載(現所蔵先未確認)
walking figuresを25mにわたるstone surfaceへ展開した作品。animationではなく、古代のfriezeや壁画のように複数人物を連続配置し、都市の日常的な歩行をmonumentalな歴史形式へ変換します。
ルチア、後ろ姿 2
Lucia, back 2. / 2017 / アルミニウム、ビニール、照明 / 340 × 260 cm
National Gallery of Victoria展覧会出品作(現所蔵先未確認)
背面から人物を大きく描いた照明付き作品。顔という識別情報を使わず、髪、肩、服、姿勢だけで人物像を成立させ、portraitが顔に依存するという前提を崩します。
メルボルンを歩く 1
Walking in Melbourne. 1 / 2018 / 木製ストレッチャーにビニール / 250 × 284.2 × 3.5 cm
Julian Opie公式作品アーカイブ掲載(現所蔵先未確認)
NGV個展のためMelbourneの街路で撮影した通行人をsourceに制作。現地の服装やgestureを残しながら、背景を取り除いて共通のwalking figure languageへ変換した都市別seriesの代表例です。
マラソン:ウィメン
Marathon. Women. / 2025– / 両面LEDスクリーンによる連続映像インスタレーション / 設置全体 約W10 m × D8 m × H1 m
GINZA SIX, Tokyo(2025年9月11日–2027年4月予定)
British elite female runnersをモデルに、7人が異なる色と速度で無限に走る大型installation。walking seriesをsprintingへ発展させ、身体の高速運動を商業建築の巨大な吹き抜け空間へ拡張しました。
喜多川歌麿――人物を簡略化しても個性は残る
オピーは日本の浮世絵を長年収集し、とりわけ喜多川歌麿と歌川広重を「heroes」と呼んでいます。歌麿の美人画では、顔の輪郭や目鼻の形は現代の写実肖像ほど細かく描き分けられていません。それでも髪型、姿勢、衣服、持ち物、仕草によって人物の個性が生まれます。
オピーはこの点を自分のportraitと重ねました。「似せるためには写真のdetailが必要」という西洋近代以後の常識とは別のportrait systemが、浮世絵には存在します。
さらに浮世絵は一点物ではなく、版元、絵師、彫師、摺師によって多数制作された複製メディアでした。オピー自身もscreenprint、edition、digital image、public signageを積極的に使います。視覚言語だけでなく、「複製される美術」という制度面でも浮世絵は重要な参照源です。
《Ruth with cigarette》――浮世絵と現代の肖像
2005年頃の《Ruth with cigarette》では、現代の女性が煙草を持つ姿を半身で描きます。オピー自身は、このseriesを歌麿の女性像から着想したと説明しています。歌麿が女性を髪を梳く、手紙を読むといった日常的な動作の中で描いたように、Ruthも「portraitのために硬く正面を向く」のではなく、自分の行為の中にいます。
ここではhistorical quotationが仮装として使われるのではありません。現代の服装、煙草、身体を、江戸期のportrait compositionと同じ方法で読めるかを試しています。
オピーが浮世絵から学んだのは「日本風の模様」ではなく、平面性、輪郭、cropping、複製、日常動作を通じて人物を成立させる方法です。そのため作品はJaponismeの装飾的引用とは異なる位置にあります。
歌川広重――風景、移動、縦長画面
風景では歌川広重が重要です。オピーは広重作品を収集し、縦長の画面、手前に大きな木や人物を置いて奥行きを強める構図、雨、鳥、舟、旗などによってmovementを示す方法に強く影響されたと語っています。
広重の版画は静止画ですが、雨が降り、舟が進み、人が橋を渡ります。オピーはその「示唆されたmovement」をcomputer animationによって実際に動かせると考えます。
ここでもdigital technologyは伝統を断絶するものではありません。19世紀木版画の視覚的発明を21世紀のscreenへ翻訳しているのです。
古代エジプト、ローマ、ルネサンスを同時に見る
オピーの歩行人物は、現代都市の通行人だけをsourceにしていません。本人はEgyptian striding figures、Greek Tanagra figurines、Roman mosaicsやfriezesを繰り返し挙げています。
古代の人物像はしばしば輪郭と姿勢によって役割や動作を伝えます。写真的な一瞬より、「歩く人」「運ぶ人」「戦う人」という型が明快です。オピーのfiguresも個人肖像でありながら、同時に「walking person」という型になります。
初期ルネサンスの遠近法、17世紀portrait、19世紀浮世絵、現代のanimationを同時に使うことから分かるように、彼の美術史参照は年代順の進歩史ではありません。異なる時代から「いま使える描き方」を選び、自分のvisual languageへ組み込みます。
歩く人物――「ポーズ」から「通過する身体」へ
2000年代後半から2010年代にかけて、walking figuresがオピーの中心的主題になります。本人によれば、子どもの迎えを待ちながら車から街路を眺めていたとき、通行人一人ひとりがモデルとして非常に興味深いことに気づきました。
肖像のmodelはcameraを意識してposeしますが、通行人はどこかへ向かい、携帯電話を使い、煙草を吸い、bagを持ち、artistを意識せず通過します。身体は自分の目的のために動いています。
オピーは、この「自分を見せようとしていない姿」に魅力を感じます。歩行はportraitとdocumentaryの中間にあり、個人のstyleが服装だけでなくgaitへ現れます。本人は歩き方をhandwritingやvoiceと同じくらい個人的なものと捉えています。
Muybridgeと連続写真――動きを分解する
歩行animationを作る際、オピーは人物をfilmで撮り、動きをframeへ分解し、二歩分ほどのcycleを選んで輪郭を描き直します。この工程はEadweard Muybridgeの連続写真を思わせます。
ただし、Muybridgeが科学的に運動を分解しようとしたのに対し、オピーはその連続frameから「滑らかにloopするdrawing」を作ります。すべてのframeを忠実にtraceするのではなく、動きが自然に見えるよう修正します。
つまりcameraは現実をそのまま作品へ運ぶ装置ではなく、drawingの資料です。photograph→選択→trace→単純化→animationという複数段階を経て、実在の歩行は新しい記号へ変換されます。
街の通行人をモデルにする
オピーの「walkers」はstudio modelではなく、実際の街で撮影した通行人をsourceにすることが多くあります。Londonで始めた方法をMumbai、Seoul、Melbourne、New York、Busanなどへ広げました。
現地のphotographerへ指示を出し、大量の歩行者写真を撮影してもらい、その中から人物を選びます。服装、bag、tattoo、hair、姿勢など、artistがinventしきれない偶然のdetailが作品へ残ります。
この方法は都市の「代表的市民」を統計的に選んでいるわけではありません。あくまでvisual interestによるselectionです。したがって一つのseriesをその都市の社会学的断面とみなすことはできません。それでも、都市ごとの服装、光、歩行の違いがdrawingへ入り、同じvisual systemの中で比較されます。
London、Mumbai、Seoul、Melbourne、New York
都市ごとのwalkersは、オピーの作品にlocalityを持ち込みます。Londonでは黒や灰色のbusiness attireが多く、Seoulではより明るい色やaccessoriesが目立ったと本人は述べています。Melbourneでは現地photographerが街路を撮影し、約60人分のdrawingを作りました。
しかし作品が完成すると、背景は消されることが多くあります。都市の固有景観ではなく、人物の衣服と身体だけが残る。この削除によってlocalityは弱まる一方、別の都市に設置しても読める普遍的なfigureになります。
オピーは「誰でも同じ」というglobalizationのimageを作るのではなく、共通のvisual grammarの中で差異がどこに残るかを探していると見る方が適切です。
《Promenade》――LEDを現代の彫像にする
2012年CalgaryのEast Villageへ設置された《Promenade》は、高さ4.8mの四面LED towerです。Jeremy、Jennifer、Rod、Tina、Verity、Krisという人物がそれぞれ異なる速度で歩き続け、追い越し、集まり、また離れます。
screenの中のfigureですが、四面構造と巨大scaleによってpublic sculptureとして機能します。古代のstriding statueが石の中で歩行を固定したのに対し、LEDでは歩行そのものが永遠にrepeatされます。
興味深いのは、技術が高度になっても描写は単純な線と色のままだという点です。LEDの目的は写真のようなrealismを得ることではなく、「石像ではできない時間」を彫刻へ追加することです。
公共空間――美術館の外でどう見えるか
オピーはTokyo、New York、Prague、Dublin、Seoul、Calgary、Taipei、Hong Kong、Lisbonなど多くの都市でpublic projectを制作しています。office building、station、hotel、shopping complex、hospitalなど、日常の移動空間が多いことが特徴です。
本人はGINZA SIXのprojectについて、galleryやmuseumのwhite roomとは異なり、現実世界は情報と人で混雑しているため、その中で「目立ちながら邪魔にならない」作品を作る必要があると語っています。
public artでは観客は作品を見る目的で訪れるとは限りません。shopping、通勤、旅行の途中で偶然imageと出会います。その点でオピーの簡潔なvisual languageは非常に強く機能します。数秒でも認識でき、遠距離でも読めるからです。
同時に、商業施設へ作品を置くことは、作品と広告の境界を曖昧にします。オピーはこの曖昧さを避けません。彼のimageはもともとsignageとadvertisingから学んでおり、美術だけが都市の視覚環境から隔離されるべきだとは考えていません。
木、石、鋼、ブロンズ、LED――線を物質へ変換する
オピーの制作を画面上のdigital drawingだけで理解すると、materialの多様性を見落とします。1980年代のsteel、1990年代のwoodとglass、2000年代のvinyl、LCD、granite、2010年代のbronze、limestone、mosaic、cut metal、そして近年のLEDやVRまで、非常に多くの製作技術を使います。
drawingは共通していますが、materialによって線の性格は変わります。stoneへ彫れば重く永続的になり、vinylならcommercial signのようにflatになり、LEDではlightになって動きます。
本人は近年、paintというskinで覆うよりsteelやconcreteなど素材自体でdrawingすることにも関心を持つと述べています。つまり簡潔なimageの裏側には、常に「何で作るか」というsculptor的判断があります。
身体とスケール――小像から巨大画面まで
オピーは小さなGreek Tanagra figurineについて、小さい像を見ることで逆に自分が小さくなったように感じ、想像上の世界が巨大化すると語っています。scaleは単に大きいほど強いわけではありません。
一方、公共作品ではfigureを数mへ拡大し、建築と競合させます。等身大なら「人とすれ違う」感覚になり、巨大ならmonument、screen内ならsignageへ近づきます。
同じwalking figureでも、scaleが変わると作品の社会的意味が変わります。オピーはこの違いを利用し、portraitを個人所有できるprintからcity-scale installationまで移動させています。
2018–19年NGV――美術館全体を一つの都市にする
2018年11月から2019年2月までNational Gallery of Victoriaで開催された大規模個展は、オピーの作品をportraitだけでなくurban environment全体として示しました。60点以上が展示され、館内のFederation Courtには最大13mのskyscraper群が立ち、水壁の背後ではdigital carpが泳ぎ、庭にはstone sheepやhorse、crowが配置されました。
中央galleryでは1993年から当時までのmoving image worksを40点以上集めています。初期の道路animationからwalking figuresまでを並べることで、digital movementがcareer後半に突然加わった要素ではないことが明確になりました。
またMelbourneの実際の通行人をsourceにした作品を現地で見せたことも重要です。美術館内部に架空の都市を作りながら、その都市の住民が作品へ戻ってきます。exhibition designと個々のworkが分離せず、空間全体が一つのimage systemになります。
収集家としてのオピー
オピーは自ら作品を作るだけでなく、古今の美術を収集しています。studioには17世紀Old Master portrait、古代Egyptian sarcophagus、Indonesiaの木彫、日本の19世紀浮世絵、contemporary artなどが共存しています。
このcollectionを見ると、彼の引用が美術史の教科書的知識だけから来ていないことが分かります。作品と生活し、毎日見る中で、その形や技術を自分のdrawingへ取り込んでいます。
「originality」を過去と切断した新しさとして考えるのではなく、既存のvisual languagesを理解し、現在のmaterialへ翻訳する能力として考えている点が特徴です。1983年《Eat Dirt, Art History》の態度が成熟した形とも言えます。
2017年《Julian Opie after Van Dyck》
2017年National Portrait Galleryでは、Van Dyckの自画像とオピーの新作portraitを同じ17世紀galleryで対話させる《Julian Opie after Van Dyck》が開催されました。
オピーのportraitはurban signs、advertising、animationに似ていますが、本人は古典portraitのpose、cropping、衣服、手の位置も研究しています。現代的なgraphic styleとhistorical portraitureは対立しません。
人物を単純なlineへ変えることは「歴史を捨てること」ではなく、portraitが数百年間使ってきた構図を別のvisual languageへ置き換えることです。National Portrait GalleryでVan Dyckの近くに展示されたことで、この連続性が明示されました。
VR――描かれた世界へ身体ごと入る
2022年、オピーは《OP.VR/01》として初のVR installationを制作し、TokyoのPARCO Museumで発表しました。もともと彼はexhibition planningのため、galleryの3D modelをVRで歩き、作品配置を検討していました。その作業空間そのものが面白くなり、観客にも共有する作品へ変えたと説明しています。
2023年Lisson Gallery Londonの《OP.VR@LISSON/London》では、VR空間と現実galleryの作品を並置しました。物理法則から解放されたvirtual worldでも、彼は奇抜なfantasyへ行くより、gallery、plinth、painting、sculptureといった馴染みのある構造を残しています。
これは重要です。VRの新奇さを見せることが目的ではなく、「現実らしさがどのように脳内で組み立てられるか」を体験させます。極端にsimplifiedなdrawingでも、空間内に適切に置かれれば身体はそれをworldとして受け入れます。
現実を見ること自体が「モデル化」なのか
オピーはVRについて、人間の視覚も外界を直接見ているのではなく、網膜へ入った情報を脳が解釈してmodelを作っていると書いています。その意味では「real world」と「virtual world」は完全な反対ではありません。
彼の単純化されたdrawingが成立する理由もここにあります。脳は線と色を受け取り、足りない情報を補い、「人が歩いている」「道路が続いている」と理解します。作品は現実の劣化版ではなく、知覚のmodel-makingを意識化する装置です。
初期のsteel sculptureからVRまで四十年を通して見ると、技術は変わっても問題は一貫しています。絵を作るとは、世界を別の小さな世界へmodel化することなのです。
子どもを描く――歩き方から個性を見る
2024年頃からオピーは4〜8歳ほどの20人のschool childrenを撮影し、新しいseriesを開始しました。それ以前は成人とscaleを合わせにくいため、子どもをwalkers projectから外していたと本人は述べています。
撮影では一人ずつ学校のstageを歩いてもらい、そのfilmからsmoothな二歩分のloopを選び、約30枚ほどのdrawingへ分解してanimationを作ります。子どもは成人ほど歩き方が均質化しておらず、腕、脚、頭の動きに強い個性があります。
本人は、それぞれの歩行を古代temple wallのfriezeやGreek vaseのfiguresと比較しています。現代のschool childrenが歴史的figure typeへ重ねられる一方、忘れ物をした服、落ち着かないgestureなど具体的な個性も残ります。
走る身体――《Marathon. Women.》
2024年から25年頃には、British athleticsのtop athletesを撮影し、sprinting figuresを作品化しました。walkingよりはるかに速いrunningでは、一瞬の姿勢が肉眼で追いにくく、videoで分解することが重要になります。
2025年9月にGINZA SIXで公開された《Marathon. Women.》では、7人の女性runnerが異なる色と速度で大型LED screenを走り続けます。modelはBritish elite athletesで、screenは吹き抜けの両面から見える構造です。
歩く人物では都市の日常が題材でしたが、runnerでは身体の能力そのものが強く現れます。それでも顔を詳しく描写せず、脚、腕、髪、服、rhythmによって人物を識別させる基本原理は変わりません。
2025–26年GINZA SIX――商業空間と公共作品
《Marathon. Women.》は2025年9月11日からGINZA SIX中央吹き抜けに設置され、2026年10月4日時点でも展示が続いています。公式案内では2027年4月までの予定とされています。作品は幅約10m、奥行約8m、高さ約1mの吊り下げ構造で、複数階から見ることができます。
さらに2026年4月10日から6月30日には屋上庭園に《20 Children》、1階entranceに《Playground》が設置されました。《Playground》ではオピーが初めてmesh LEDを採用し、透明に近いscreen上へwalking childrenを浮遊させました。
美術館ではなく高級商業施設であることは、このprojectの意味の一部です。広告、shopping、建築、人流の中へ作品を置き、art imageとcommercial imageの境界を曖昧にします。Blurのalbum cover以来続く、作品を「美術だけの場所」へ閉じない態度が大規模空間へ展開されています。
2026年蔚山市立美術館――VRと大型映像
2026年7月2日から10月5日まで、韓国のUlsan Art MuseumではJulian Opie個展が開催されています。2026年10月4日時点では会期最終日前日にあたり、XR Lab、museum lawn、media screenを使ってVRと大型メディア作品を横断的に展示しています。
館内では《OP.VR/Venice》を体験でき、屋外では大型LED towerやmedia screenにportrait/walking figuresが展開されています。美術館側は、Opieが人物とurban landscapeをsimplified lines、colours、formsへ変換し、現実とvirtual realityの間に新しいvisual languageを作っていると位置づけています。
1980年代のsteel sculptureから見ると、素材は大きく変わりました。しかし「drawingを空間へ置く」という考えは同じです。VRでもLEDでも、最終的に問われるのはtechnologyの新しさではなく、線と色がどの程度「そこに存在するもの」として感じられるかです。
Pop Artなのか、Minimalismなのか
オピーはしばしばPop Artと結びつけられます。鮮明な色、大衆文化、album cover、advertisingとの近さを考えれば理解できます。しかしAndy Warholのようにcelebrity imageやconsumer commodityの複製そのものを中心にした作家ではありません。
Minimalismとの共通点もあります。形を単純化し、反復し、物体と空間を重視します。しかしDonald Juddのようにrepresentationを排除するのではなく、オピーは最後まで「これは人」「これは車」「これはtree」と読めるimageを残します。
彼の作品はPopとMinimalismの間にあるというより、両者が分けてきた問題を気にしないと言った方が近いでしょう。recognisable imageもmaterial objectも同時に必要です。
「デジタル作家」という呼び方の限界
コンピューターを制作に使い、LCD、LED、VRを積極的に導入しているため、オピーをdigital artistと呼ぶことはできます。しかし、それだけでは狭すぎます。
彼のdrawingはsteel、stone、wood、mosaic、screenprintでも成立します。本人もcomputerを「絵を作る多くの道具の一つ」として扱い、古い技術と新しい技術のあいだに序列を置いていません。
むしろ特徴的なのは、同じimageを異なる技術へ翻訳できることです。lineは手描きからdigital dataへ、dataからvinyl cutting、stone carving、LED animationへ移動します。技術そのものより、翻訳可能なvisual languageを作ったことが重要です。
複製可能な画像と「原作」
オピーの作品にはeditionが多く、同じdrawingが複数のsizeやmaterialで現れます。BlurのportraitもCD cover、billboard、printとして流通し、walking figuresもpainting、sculpture、animationへ展開されます。
traditional paintingのように「artistが触れた唯一のcanvas」をoriginalの中心へ置く考えとは異なります。一つのdrawingがsourceとなり、それを工房や専門業者とともに複数の物質へ変換します。
ここにも浮世絵との接続があります。imageの価値を唯一性だけに置かず、適切なproduction systemによって複製されることを受け入れる。ただし無制限に同じ物を作るわけではなく、editionやmaterial specificationによってartworkとして管理されます。
オピーの作品は、digital ageにおいて「originalとは画像なのか、dataなのか、物体なのか」という問いを自然に含んでいます。本人がその問題を理論的sloganにするより、制作方法そのものが問いを発生させます。
Julian Opieは何を変えたのか
第一に、具象と抽象の間にある「認識できる最小限」を長期的な制作方法にしました。細部を減らしても人物や建物が消えない地点を探り、単純化を独立したvisual languageへ発展させました。
第二に、彫刻とdrawingの境界を更新しました。鋼板の溶接からLED screenまで、線を物質化し、画像を実際の空間へ置き続けています。
第三に、古代美術、Old Masters、浮世絵、漫画、道路標識、computer gameを同じ視覚史の中で扱いました。美術館の歴史と日常の情報designを上下関係なく利用する姿勢です。
第四に、portraitを「細かく描くほど似る」という考えから解放しました。最小限の線でも個人が残ることを示し、digital ageのicon的な顔の文化と美術史的portraitを接続しました。
第五に、movementを彫刻の問題へしました。歩行、走行、呼吸、瞬きをloop animationへ変え、石像やfriezeが暗示してきた動きを実際の時間として作品へ導入しました。
第六に、公共空間と商業空間を積極的な展示場所にしました。station、office、shopping complex、airportでも読み取れるimageを作り、美術館へ行かない人々との偶然の接触を作品の条件にしています。
第七に、新技術を「新しさ」の証明としてではなく、古くから続く絵画の問題を試す手段として使いました。VRであっても問いは、MasaccioやHiroshigeと同じく「平面や像から別の世界をどう作るか」です。
そして最も重要なのは、オピーが「見る」という行為を、現実を受動的に受け取ることではなく、常に情報を削り、分類し、補完し、モデル化する行為として捉えたことです。彼の人物が数本の線で人間に見えるとき、作品が単純なのではありません。私たち自身の知覚が、驚くほど少ない情報から世界を作っていることが可視化されているのです。
略年譜
- 1958
- Londonに生まれる。のち家族とOxfordへ移り、美術館、大学建築、自然環境に囲まれて育つ。
- 1979–1982頃
- Goldsmiths CollegeでMichael Craig-Martinに学ぶ。公式CVでは1983年卒業と記載される。
- 1982
- Lisson Galleryのgroup exhibitionへ参加。
- 1983
- Lisson Galleryで初個展。《Eat Dirt, Art History》《Making It》などpainted steelによる具象彫刻を制作。Hayward/Serpentineの《The Sculpture Show》へ参加。
- 1984–1985
- Kölnischer Kunstverein個展がGroninger Museumへ巡回。ICA London、Fondation Cartierでも個展。日本の国立近代美術館巡回展にも参加。
- 1987
- Documenta 8, Kasselへ参加。抽象化された物体・建築作品を展開。
- 1990
- British Art Show、Sydney Biennale等へ参加。物体から都市・環境全体へ関心を拡張。
- 1993
- Hayward Gallery個展。《Imagine you are driving》を開始し、道路・車・移動する視点をcomputer game的なvisual languageへ変換。
- 1995–1996
- British School at RomeのSargant Fellowship、Atelier Calder residency。建築・都市を単純な模型へ還元する作品を発展。
- 1996
- 《You pass an office building》などoffice building seriesを制作。
- 1998–1999
- 《Landscape?》《Cars?》《Cityscape?》《Imagine you are walking》《Imagine you are driving》など一連のscreenprintsを制作。後にMoMAが収蔵。
- 2000
- Blur『The Best Of』の4人のportraitを制作。album cover、billboard、商品へ広く複製される。
- 2002
- Tokyo・Dentsu Buildingにwalking LED monolithsを設置。animationを公共彫刻へ拡張。
- 2004–2005
- New York City Hall ParkでPublic Art Fund project。都市空間での人物・看板・建築作品を拡張。
- 2005
- LCD自画像《Julian with T-shirt》制作。呼吸と瞬きによるanimated portraitを発展。
- 2006
- Utamaroを参照した《Ruth with cigarette》やShahnozaをモデルとする作品を展開。Omotesando Hills, Tokyoでもpublic project。
- 2008
- Art Tower Mitoで個展。Dublinで《Walking on O’Connell Street》。
- 2009
- Tokyo・SCAI The Bathhouseで個展。Hiroshigeを参照したJapanese landscapeへの関心を展開。
- 2011
- British Museum Japanese Galleries project。浮世絵収集・研究との関係を深める。
- 2012
- Calgaryに4面LED公共彫刻《Promenade》を恒久設置。Roman・Egyptian friezeや歩行像との関係を明確化。
- 2014
- Tokyo・SCAI The Bathhouse個展。walking figures、landscape、silhouetteなどを複数媒体で展開。
- 2017
- National Portrait Gallery, Londonで《Julian Opie after Van Dyck》。歴史的portraitureと自身のdrawingを直接対話させる。
- 2018–2019
- National Gallery of Victoriaでオーストラリア初の大規模個展。60点以上を館内外へ配置し、40点以上のmoving imagesをまとめて展示。
- 2019
- Tokyo Opera City Art Galleryで個展。New Yorkの通行人を用いたwalking seriesなどを展開。
- 2022
- PARCO Museum Tokyoで初のVR作品《OP.VR》を発表。Venice、Lisbonなどでも公共project。
- 2023
- Lisson Gallery Londonで《OP.VR@LISSON/London》、Busanで《OP.VR@Kukje/F1963.BUSAN》。現実展示とvirtual exhibitionを往復する。
- 2024
- school childrenを撮影し、20人の歩行を描く新projectを開始。《Promenade à Paris》をPorte de Clichy Metro Stationで展開。
- 2025
- 9月11日、GINZA SIXで大型LED installation《Marathon. Women.》公開。British elite female runnersをモデルに、7人が無限に走るanimationを制作。
- 2026
- 4–6月GINZA SIXで《20 Children》《Playground》。7月2日–10月5日Ulsan Art MuseumでVR、屋外LED、media screenを用いた個展。10月4日時点で同展は開催中。《Marathon. Women.》はGINZA SIXで継続展示。
参考資料・出典
本ページはJulian Opie公式作品アーカイブと作家自身のテキスト、The Museum of Modern Art、National Portrait Gallery、National Gallery of Victoria、Ulsan Art Museum、GINZA SIX等の公式資料を中心に参照し、ART LIBRARYが独自に構成・執筆しました。Opieについては、現在よく知られるportrait styleだけから遡って説明せず、1980年代のpainted steel sculpture、1990年代のroad/architecture、2000年代以降のanimation、浮世絵・古代美術への参照、公共空間とVRまでを一つの「drawingの翻訳史」として整理しています。Goldsmithsの在籍・卒業年についてはNational Portrait Galleryが1979–82年在籍、作家公式CVが1983年卒業と記しているため、両者を区別して扱いました。
- Julian Opie — Curriculum Vitae
- Julian Opie / Tate Britain — interview and early works, 2004
- Julian Opie — Twenty Six Portraits, 2006
- Julian Opie — National Gallery of Victoria text, 2018
- Julian Opie — Reality and Virtual Reality, 2022
- Julian Opie — School Children, 2024
- Julian Opie — Ginza Six, 2025
- The Museum of Modern Art — Julian Opie
- The Museum of Modern Art — Imagine you are walking.
- National Portrait Gallery — Julian Opie
- National Portrait Gallery — Blur: prints by Julian Opie
- National Portrait Gallery — Julian with T-shirt
- National Portrait Gallery — Julian Opie after Van Dyck
- National Gallery of Victoria — Julian Opie, 2018–19
- Ulsan Art Museum — Julian Opie, 2026
- GINZA SIX — Marathon. Women.
- GINZA SIX — 20 Children / Playground
資料確認日:2026年10月4日 / ART LIBRARY