ジャン=オノレ・フラゴナール(1732–1806)は、18世紀後半のフランスで、歴史画、風俗画、肖像、風景、室内装飾、素描を横断しながら、素早く流動的な筆触と光に満ちた色彩によってロココ絵画を代表する存在となった画家です。《ぶらんこ》に象徴される恋愛と遊戯の画家として知られていますが、出発点は王立美術アカデミーの制度に沿った歴史画でした。1765年のサロンで大作《コレシュスとカリロエ》によって高い評価を得たにもかかわらず、やがて公的な歴史画家としての道から離れ、富裕な個人収集家のために、恋愛、読書、庭園、家族、親密な室内を描く方向へ進みます。フラゴナールを見るうえで重要なのは、ロココの「軽さ」を単なる装飾や享楽として片づけず、即興的に見える筆触、既存の美術様式の使い分け、庭園と室内の演出、そして革命前後に急速に変化した趣味と美術制度の中で、その絵画がどのように成立していたかを見ることです。
CONTENTS
生涯と制作の変遷
グラースからパリへ
フラゴナールは1732年、南フランスのグラースに生まれました。幼少期に家族とパリへ移り、最初は公証人のもとで働きますが、絵への関心と才能を認められ、画家の道へ進みます。National Gallery of Artによれば、最初にジャン=シメオン・シャルダンの工房へ短期間入り、その後フランソワ・ブーシェのもとで学びました。
ブーシェは当時のフランス宮廷美術を代表する存在で、神話、牧歌、官能的な人物像、華やかな装飾を得意としていました。フラゴナールはその様式と制作方法を急速に吸収し、ブーシェの推薦を受けて1752年のローマ賞へ応募します。
1752年、ローマ賞
フラゴナールは《偶像に犠牲を捧げるヤロブアム》によってPrix de Romeを獲得しました。正式なアカデミーの通常課程を経ていない若い画家が、この王立制度の重要な賞を得たことは大きな成功でした。
すぐにローマへ行ったわけではなく、将来有望な学生を育成するÉcole des élèves protégésでカルル・ヴァン・ローの指導を受け、歴史、古典、構成を学びます。この時点では、フラゴナールの進路は明確に「大規模な歴史画を描くアカデミックな画家」へ向かっていました。
1756–1761年、ローマと風景
1756年からAcadémie de France à Romeへ留学します。初期には与えられた課題への取り組みが必ずしも順調ではありませんでしたが、屋外で風景を素描するようになると才能を大きく発揮しました。
特に1760年、サン=ノン神父とともにティヴォリのヴィラ・デステに滞在し、庭園、樹木、噴水、建築を赤チョークで多数描きました。NGAは、これらを18世紀風景素描の重要な成果として位置づけています。後の庭園画に現れる巨大な樹木、噴水、階段、人物が小さく散らばる構成には、この経験が繰り返し現れます。
1765年、《コレシュスとカリロエ》
フランスへ戻ったフラゴナールは、1765年のサロンへ巨大な歴史画《大祭司コレシュス、カリロエを救うため自らを犠牲にする》を出品しました。ルーヴルの記録では高さ3.09メートル、幅4メートルに達する大作です。
作品は高い評価を受け、アカデミーへの準会員資格を得ました。批評家ドゥニ・ディドロもサロン評で大きく取り上げています。ここだけを見ると、フラゴナールはそのまま国家的な歴史画家として成功しても不思議ではありませんでした。
しかし、公式の歴史画家にならなかった
NGAによれば、フラゴナールはこの成功後、王室やアカデミーの大規模な歴史画路線を積極的に追わず、富裕な金融家や宮廷人など私的な顧客のために小型の絵画、装飾画、素描を制作する方向へ移りました。《コレシュスとカリロエ》への王室からの支払いが遅れたことも、その判断に影響した可能性があります。
この転換によって、彼はサロンの公開批評から距離を取り、恋愛、遊戯、家庭、読書、庭園など、より私的な主題を自由な筆触で描くようになります。《ぶらんこ》はこの新しい制作環境を象徴する作品です。
1767–1768年:《ぶらんこ》
Wallace Collectionによれば、《ぶらんこ》は1767年末頃、ある宮廷人からの私的な依頼を起源とします。依頼者は当初、愛人をぶらんこに乗せ、聖職者に押させ、自分が下から彼女を見る構図を別の画家ガブリエル=フランソワ・ドワイヤンへ依頼しました。ドワイヤンはこの題材を断り、フラゴナールを紹介したと伝えられています。
完成作では、ぶらんこを押す人物は聖職者ではなく年長の男性へ変更され、左下には若い恋人が身を潜めます。女性の靴が宙を飛び、キューピッド像が口元へ指を当てます。庭園、彫刻、衣装、光、秘密の視線が一つの場面に組み合わされ、ロココ的な恋愛遊戯を高度な絵画構成へ変えました。
「幻想的人物像」
1760年代末から1770年代初頭には、豪華な衣装をまとった男女を素早い筆触で描く「figures de fantaisie(幻想的人物像)」と呼ばれる一群を制作しました。《読書する少女》もこのグループと長く関連づけられてきました。
NGAの近年の研究では、2012年に発見された素描によって、これらが完全な架空人物ではなく、フラゴナールの顧客や知人など実在人物と関係する可能性が改めて注目されました。同時に、《読書する少女》は当初正面を向く別の構図だったことが技術調査で判明し、フラゴナールが制作途中で大きく変更したことも確認されています。
1771–1772年、《恋の成り行き》
ルイ15世の公妾デュ・バリー夫人は、ルーヴシエンヌの新しい音楽館のために大規模な装飾連作をフラゴナールへ依頼しました。《追跡》《逢引》《恋人に冠を授ける》《恋文》の四点です。
Frick Collectionによれば、四作品は恋愛関係が、求愛、秘密の逢引、結びつき、穏やかな愛へ進む過程として構成されています。しかし1773年までにはデュ・バリー側から返却され、より新古典主義的なジョゼフ=マリー・ヴィアンの作品へ置き換えられました。理由は完全には確定していませんが、急速に変化する宮廷趣味と建築空間との不一致が背景にあったと考えられています。
1773–1774年、再びイタリアへ
金融家ベルジュレ・ド・グランクールとともに再びイタリアを旅行し、各地で大量の風景素描を制作しました。この旅行を経て、風景と庭園への関心は再び強まります。
1770年代後半の《目隠し鬼》《ぶらんこ》の大型庭園画では、特定の庭園を正確に記録するのではなく、巨大な樹木、噴水、テラス、空、人物群を組み合わせた想像上の庭園を作りました。NGAは、これらを18世紀フランス風景画の大きな成果として評価しています。
主要作品
歴史画家としての公的成功から、《ぶらんこ》に代表される私的な恋愛画、幻想的人物像、巨大な室内装飾、庭園風景、晩年の親密で緊張した室内画まで、フラゴナールの幅広い制作を追える8作品を選びました。作品そのものはパブリックドメインですが、画像データの利用条件は所蔵館ごとに確認します。
大祭司コレシュス、カリロエを救うため自らを犠牲にする
Le grand prêtre Corésus se sacrifie pour sauver Callirhoé / 1765 / 油彩・カンヴァス / 309 × 400 cm
Musée du Louvre, Paris
1765年サロンに出品された巨大な歴史画。パウサニアスの物語を題材とし、フラゴナールが王立アカデミーのもっとも格式の高いジャンルで成功できる画家だったことを示します。高い評価によってAcadémie royaleの準会員となりましたが、その後は公的な歴史画家の道を深く追わず、私的な顧客向け作品へ制作の重心を移しました。
ぶらんこ
Les hasards heureux de l'escarpolette (The Swing) / c. 1767–1768 / 油彩・カンヴァス / 81 × 64.2 cm
The Wallace Collection, London
フラゴナールとロココを象徴する代表作。若い女性を年長男性がぶらんこで押し、左下に隠れた恋人が舞い上がるスカートを見上げています。Wallace Collectionによれば、依頼は当初別の歴史画家ドワイヤンへ持ち込まれましたが、題材を断った彼がフラゴナールを紹介しました。斜線、光、庭園彫刻、秘密の視線を組み合わせ、私的な性愛を高度に演出しています。
読書する少女
Young Girl Reading / c. 1769 / 油彩・カンヴァス / 81.1 × 64.8 cm
National Gallery of Art, Washington
黄色い衣装の少女が横向きに読書するフラゴナールの代表的人物画。NGAは、大胆で流動的な筆触そのものが作品の中心的な魅力だと説明しています。技術調査では、現在の横顔の下に正面を向く別の人物構図があることが判明し、制作途中で大きく変更されたことが分かっています。NGAの画像はPublic Domainです。
恋文
The Love Letter / early 1770s / 油彩・カンヴァス / 83.2 × 67 cm
The Metropolitan Museum of Art, New York
手紙を持つ女性、犬、花、机を描いた親密な室内画。Metによれば、褐色の地の上へ暗色で構図を作り、白と鮮やかな色を光が当たる中心部分へ集中させています。モデルと手紙の内容は不明で、肖像画とも風俗画とも解釈できます。画面の仕上げを均一にせず、光の必要な場所だけを立ち上げるフラゴナールの方法が明確です。画像はPublic Domainです。
逢引
The Progress of Love: The Meeting / 1771–1772 / 油彩・カンヴァス / 高さ 約317.5 cm(シリーズの大型パネル)
The Frick Collection, New York
デュ・バリー夫人のルーヴシエンヌの音楽館のために描かれた《恋の成り行き》最初の四点の一つ。恋人が庭園の壁を越えて秘密の逢引へ向かう場面です。Frick Collectionは、四点を《追跡》《逢引》《恋人に冠を授ける》《恋文》という恋愛の進行として説明しています。完成後ほどなく依頼主から返却され、約20年後フラゴナール自身が10点を追加して14点の装飾アンサンブルへ再構成しました。
目隠し鬼
Blindman's Buff / c. 1775–1780 / 油彩・カンヴァス / 216.2 × 197.8 cm
National Gallery of Art, Washington
広大な庭園で人々が遊び、食事し、散策する大型装飾画。NGAは同館の《The Swing》との対作品として、18世紀フランス風景画の重要な成果に数えています。特定の実在庭園を記録したものではなく、イタリア旅行で得た庭園、噴水、巨大な樹木の記憶を組み合わせて想像上の場所を作りました。画像はPublic Domainです。
閂
Le Verrou / c. 1777–1778 / 油彩・カンヴァス / 74 × 94 cm
Musée du Louvre, Paris
男性が女性を抱き寄せながら扉の閂を閉める、緊張の高い室内画。ルーヴルによれば《羊飼いの礼拝》と対で制作され、聖なる愛と世俗の愛を対置していました。18世紀の恋愛画としての官能性に加え、現代では身体の向きや出口を閉じる行為から、誘惑と強制、同意をめぐる曖昧さも議論される作品です。
愛への誓い
Le Voeu à l'Amour / c. 1780 / 油彩・板 / 24 × 33 cm
Musée du Louvre, Paris
小型の板絵に愛の寓意を描いた晩年寄りの作品。大規模な歴史画から巨大庭園装飾まで制作したフラゴナールが、同時に非常に小さな支持体へ素早い筆触と親密な主題を凝縮していたことを示します。作品サイズや仕上げの密度を顧客と用途に応じて大きく変えていた画家であることが分かります。
歴史画家から私的な絵画へ
18世紀フランスでは、主題に序列があった
王立美術アカデミーでは、神話、聖書、古代史などを扱う「歴史画」が最上位とされ、肖像、風俗画、風景、静物はその下に位置づけられていました。フラゴナールがローマ賞を取り、《コレシュスとカリロエ》で成功したことは、制度上もっとも高いジャンルで認められたことを意味します。
その画家が、あえて私的な小型絵画や装飾へ移ったことが重要です。技量不足で歴史画を断念したのではなく、成功できる能力を示した後で別の市場を選びました。
サロンから個人邸宅へ
公開サロンでは、多数の観客と批評家が作品を評価します。一方、個人邸宅の絵画は、特定の顧客の寝室、サロン、庭園亭など、限られた人間が見る場所に設置されます。
《ぶらんこ》の秘密めいた性愛、《恋の成り行き》の恋人たち、《恋文》の親密な室内は、この私的な鑑賞環境と深く結びついています。主題だけでなく、絵画が見られる場所そのものが変化していました。
《ぶらんこ》――ロココの快楽と演出
三角形の視線
《ぶらんこ》では中央の女性、左下の若い男性、右側の年長男性によって三角形が作られています。ぶらんこの運動がスカートを持ち上げ、左の男性だけがその光景を見ることのできる位置にいます。
鑑賞者はさらにその外側から場面全体を見るため、秘密を知る共犯者のような視点へ置かれます。絵の主題は恋愛そのものだけでなく、「誰が何を見ることを許されているか」という視線の配置でもあります。
庭園は自然そのものではない
巨大な植物が画面を覆っていますが、そこには彫刻、噴水、人工的な庭園設計が入り込んでいます。Wallace Collectionは、左側のキューピッド像が、エティエンヌ=モーリス・ファルコネがポンパドゥール夫人のために制作した《威嚇するアモール》を直接参照していると指摘しています。
自然、彫刻、衣装、恋愛の身振りがすべて演出された人工的な空間です。ロココにおける「自然」は、文明と対立する野生ではなく、欲望を舞台化する庭園として現れます。
ロココを一枚で代表させすぎない
《ぶらんこ》は今日、ロココを象徴する作品として扱われます。Wallace Collection自身も、18世紀フランス美術を代表するイメージの一つと位置づけています。
しかし、この一枚から「フラゴナール=ピンク色の享楽的恋愛画家」と決めてしまうと、《コレシュスとカリロエ》の悲劇、庭園画、素描、《閂》の暗い緊張、革命期の活動が見えなくなります。本人は複数の絵画言語を同時に使い分けた画家でした。
速い筆触は「未完成」ではない
筆触そのものが見える
《読書する少女》を近くで見ると、ドレス、リボン、クッション、肌は滑らかに消された筆跡ではなく、はっきりしたストロークの集積で作られています。NGAは、フラゴナールの筆触そのものがこの作品の主要な見どころだと説明しています。
襟や衣装の一部では、濡れた絵具を筆の柄で引っかくようにして形を作っています。細密に塗り込む代わりに、わずかな操作でレースや光沢を成立させます。
「一時間で描いた」という伝説
幻想的人物像については、一点を一時間ほどで描いたという逸話が長く伝えられてきました。実際に速い筆致は明らかですが、近年の技術調査は、少なくとも一部の作品で下層の構図変更や複雑な制作過程があったことを示しています。
したがって「天才が一気に描いた」ことだけを評価するより、速く見える表面がどのように設計・修正されたかを見る方が重要です。
仕上げの程度を作品ごとに変える
Metの《恋文》では、褐色の地の上に暗色で構図を組み、白や色を光の当たる中心部に集中させています。背景には下地色が大きく残り、顔、衣服、花、犬など必要な部分だけが明るく立ち上がります。
一方、《閂》のような小型作品では人物や布、室内をより密に仕上げています。フラゴナールにとって「完成」は一つの固定された表面状態ではありませんでした。
フラゴナールの絵画をどう見るか
まず視線の方向を見る
人物が誰を見ているかを追うと、作品の構造が見えます。《ぶらんこ》では秘密の視線、《読書する少女》では本へ集中する視線、《恋文》では手紙と鑑賞者の間で揺れる関係、《閂》では二人の身体と閉じられる扉が緊張を作ります。
斜めの線を探す
ロココの構図では安定した水平・垂直だけでなく、身体、枝、衣装、ぶらんこの縄など斜線が頻繁に使われます。《ぶらんこ》では女性の身体、縄、飛ぶ靴、恋人の腕が異なる斜線を作り、画面全体を回転させるような運動が生まれます。
光がどこだけを選んでいるかを見る
フラゴナールは画面全体を均等に明るくしません。暗い庭園の中でピンクの衣装だけが光る、褐色の室内で女性の顔と白い衣服だけが浮かぶ、といった選択をします。
光は物体を客観的に説明するためではなく、鑑賞者の視線をどこへ導くかを決める演出として働きます。
筆触の粗さと細かさを比較する
顔や手が意外に粗く描かれている一方、小さな花や布の光だけが鋭い一筆で描かれていることがあります。何を細密にし、何を省略したかを見ると、画家が視覚効果をどの順序で組み立てているかが分かります。
「幻想的人物像」と見ることの速度
肖像なのか、役を演じる人物なのか
幻想的人物像では、人物は実在の知人・顧客である可能性が高まりましたが、日常着ではなく芝居がかった豪華な衣装を身につけています。そのため通常の肖像と仮装、現実の人物と架空の役柄が重なります。
NGAの2017年展は、人物が読書、音楽、演技などさまざまな行為をしながら、大胆な身振りと色彩で描かれていることを特徴として挙げています。
《読書する少女》の構図変更
現在の少女は横向きで本へ没頭しています。しかし技術調査によって、下層には正面を向く別の人物構図があることが確認されました。
これは、フラゴナールがあらかじめ完全な完成像を決め、そのまま描き写したわけではないことを示します。画面上で描きながら、大胆に人物の方向そのものを変更しました。
《恋の成り行き》――装飾絵画と趣味の変化
建築のために作られた絵画
《恋の成り行き》は、単独の美術館絵画として制作されたものではありません。デュ・バリー夫人のルーヴシエンヌの音楽館という特定の室内を装飾するための作品でした。
Frick Collectionは、最初の四点を《追跡》《逢引》《恋人に冠を授ける》《恋文》という恋愛の四段階として説明しています。巨大な人物、樹木、彫刻、空が室内の壁面と窓の外の庭園を連続させるように構成されていました。
なぜ返却されたのか
四点は短期間でデュ・バリーから返却され、ジョゼフ=マリー・ヴィアンのより新古典主義的な装飾へ置き換えられました。正確な理由は資料から完全には確定できません。
ただし、1770年代初頭にはフランス上流社会の趣味がすでに変化し、ロココ的な曲線、色彩、官能性より、古代を参照した明確な線と秩序を好む新古典主義が強まりつつありました。フラゴナールの代表的な成功作が、そのまま時代遅れへ向かう局面を示す出来事でもあります。
20年後に自分で拡張する
フラゴナールは返却された四点を手放しませんでした。フランス革命期にグラースへ戻った際、親族宅に設置し、1790–91年頃に《勝利する愛》《夢想》など十点を新たに加えて、合計14点の装飾アンサンブルへ作り直しました。
Frick Collectionで現在見られる《恋の成り行き》は、王の愛妾のために依頼された最初の四点と、約20年後に画家自身が別の空間のため追加した作品が共存する、非常に特殊な連作です。
庭園と風景――実景ではなく記憶された場所
ティヴォリの経験
ローマ留学時のティヴォリで、フラゴナールは巨大な樹木、噴水、階段、建築、遠景を繰り返し素描しました。これらは後の庭園画の視覚的な蓄積になります。
しかしNGAが《目隠し鬼》について明確に述べているように、後年の庭園画は特定の場所を地形的に記録したものではありません。旅行で得たさまざまな記憶を組み合わせ、「そのような場所にいた感覚」を再構成しています。
人間より庭園が大きい
《目隠し鬼》では人物が多数登場しますが、画面の大部分を占めるのは樹木、空、噴水、テラスです。人物の遊びは巨大な自然環境の中の小さな出来事になります。
NGAは《目隠し鬼》と同館の《ぶらんこ》を、18世紀フランス風景画の大きな成果と位置づけています。恋愛画家というイメージだけでは見落とされやすいフラゴナールの重要な側面です。
《閂》と晩年――親密さ、緊張、革命
《閂》
1777–78年頃の《Le Verrou(閂)》では、男性が女性を抱き寄せながら、右手を伸ばして扉の閂を閉めようとしています。ベッド、カーテン、リンゴ、花などが密度の高い室内に配置されます。
ルーヴルの記録によれば、この作品は《羊飼いの礼拝》と対になる作品として制作され、聖なる愛と世俗の愛を対置していました。単なる恋愛場面ではなく、宗教画と対にすることで性愛を意識的に構造化した作品です。
誘惑か、強制か
この場面の関係については、恋人同士の情熱的な抱擁と見る解釈もあれば、女性の身体の向きや男性が出口を閉じる行為から、同意や強制の問題を指摘する現代的な読みもあります。
画面は一つの心理を明確に説明しません。18世紀の「愛の戯れ」という慣習的主題と、現在の鑑賞者が感じる身体的な緊張の双方を区別しながら見る必要があります。
フランス革命と晩年
1789年に革命が始まると、フラゴナールを支えていた宮廷・金融家・貴族を中心とする顧客社会は大きく変化しました。1790年頃には故郷グラースへ退避し、《恋の成り行き》を親族宅へ設置します。
1793年にパリへ戻ると、NGAによれば旧知のジャック=ルイ・ダヴィッドの助けで新しい国立美術館の仕事に関わり、キュレーター職に就きました。しかし晩年の制作量は減少します。ロココ的な私的文化が革命後の公共的・新古典主義的な美術環境の中で中心性を失ったことも背景にありました。
ロココの「最後の画家」なのか
ロココは後世の分類でもある
現在フラゴナールは「ロココの巨匠」と呼ばれます。曲線的な構図、淡く華やかな色彩、性愛、庭園、遊戯という特徴は確かにロココの代表例です。
しかしWallace Collectionが指摘するように、フラゴナールは一つの様式だけを使ったわけではありません。《ぶらんこ》では意図的にロココ的な視覚言語を選び、《コレシュスとカリロエ》では壮大な歴史画、《恋文》ではオランダ風の親密な室内、《閂》では暗く劇的な表現を使っています。
「軽薄さ」と筆触の革新を分けない
恋愛や遊びという主題が軽く見えるため、フラゴナールの絵画的実験も装飾的なものとして扱われやすい傾向があります。しかし《読書する少女》や幻想的人物像に見られる大胆な筆触は、像を少ないストロークで成立させる高度な操作です。
後世の近代絵画へ一直線につなげる必要はありませんが、「主題が軽いから絵画も軽い」と見ることはできません。絵具の速度、仕上げの程度、支持体の見せ方は、それ自体が見る価値を持っています。
時代の変化が作品の評価を変えた
1760年代にはフラゴナールの華やかな筆触と官能性は最先端でした。しかし1770年代から新古典主義が強まり、1789年以後はその社会的基盤そのものが崩れます。
《恋の成り行き》が依頼主に返却された出来事は、個人の失敗というより、18世紀末に「何が現代的に見えるか」が急速に変化していたことを示します。フラゴナールはロココの頂点と、その終焉の両方を経験した画家でした。
画像利用について
フラゴナールは1806年に死去しており、作品そのものはパブリックドメインです。ただし、美術館が提供するデジタル画像の利用条件は所蔵館ごとに異なります。National Gallery of Artは《読書する少女》《目隠し鬼》などの画像をPublic Domainとして公開し、The Metropolitan Museum of Artも《恋文》をPublic Domainとして提供しています。一方、Wallace Collection、Frick Collection、Musée du Louvreなどの画像には館ごとの利用条件や撮影クレジットがあります。ART LIBRARYでは作品の著作権と画像データの利用条件を分け、Public Domain/Open Accessが明示された画像を優先して登録します。
略年譜
- 1732
- 4月5日、南フランスのグラースに生まれる。
- 幼少期
- 家族とパリへ移る。後にシャルダン、続いてフランソワ・ブーシェの工房で学ぶ。
- 1752
- 《偶像に犠牲を捧げるヤロブアム》でPrix de Romeを獲得。
- 1753–1756
- École des élèves protégésでカルル・ヴァン・ローらの指導を受ける。
- 1756–1761
- Académie de France à Romeへ留学。イタリア各地を旅行し、風景素描を多数制作。
- 1760
- サン=ノン神父とティヴォリのVilla d’Esteに滞在し、庭園の赤チョーク素描を制作。
- 1761
- フランスへ帰国。
- 1765
- サロンへ《コレシュスとカリロエ》を出品し高い評価を得る。Académie royaleの準会員となる。
- 1767–1768
- 《ぶらんこ》を制作。公的歴史画より私的顧客向け作品を中心とする時期へ。
- 1769頃
- 「幻想的人物像」の主要作品群を制作。《読書する少女》もこの時期。
- 1771–1772
- デュ・バリー夫人のルーヴシエンヌの音楽館のため《恋の成り行き》最初の四点を制作。
- 1773頃
- 《恋の成り行き》がデュ・バリー側から返却され、ヴィアンの新古典主義的装飾へ置き換えられる。
- 1773–1774
- ベルジュレ・ド・グランクールと二度目のイタリア旅行。大量の風景素描を制作。
- 1775–1780頃
- 《目隠し鬼》など大型庭園画を制作。
- 1777–1778頃
- 《閂》を制作。
- 1780年代
- 親密な風俗画、素描、版画用の構想などを継続。義妹マルグリット・ジェラールとも近く制作する。
- 1789
- フランス革命が始まり、旧体制下の顧客社会が大きく変化する。
- 1790–1791頃
- 故郷グラースへ移り、《恋の成り行き》を親族宅へ設置。既存4点に10点を追加し、14点の装飾アンサンブルへ拡張。
- 1793
- パリへ戻る。ジャック=ルイ・ダヴィッドの支援で新しい国立美術館の運営に関わる。
- 1790年代–1800年代初頭
- 制作量が減少。革命後の新しい美術環境の中で公的な存在感を失っていく。
- 1806
- 8月22日、パリで死去。74歳。
参考資料・出典
本ページはNational Gallery of Art、The Wallace Collection、The Frick Collection、Musée du Louvre、The Metropolitan Museum of Artなどの美術館・所蔵館資料を参照してART LIBRARYが独自に執筆しました。原文の全文翻訳ではありません。
- National Gallery of Art — Jean Honoré Fragonard
- The Wallace Collection — Fragonard’s The Swing
- The Wallace Collection — Les hasards heureux de l’escarpolette
- Musée du Louvre — Corésus se sacrifie pour sauver Callirhoé
- National Gallery of Art — Young Girl Reading
- National Gallery of Art — Fragonard: The Fantasy Figures
- The Metropolitan Museum of Art — The Love Letter
- The Frick Collection — Fragonard’s The Progress of Love
- The Frick Collection — Mapping Provenance: Fragonard’s Progress of Love
- National Gallery of Art — Blindman’s Buff
- Musée du Louvre — Le Verrou
資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY