ハウザー&ワース(Hauser & Wirth)は、1992年にスイス・チューリッヒで設立された、世界的に著名な現代美術・近現代アートギャラリー(画廊)
ジャック・ウィッテン(Jack Whitten、1939–2018)は、抽象絵画を「筆で描くもの」から、道具・圧力・流動性・時間・物質そのものによって像を発生させる実験場へ変えたアメリカの画家・彫刻家です。1960年代にはWillem de KooningやNorman Lewisらと交わり、激しい筆触を伴うAbstract Expressionismから出発しました。しかし1970年代に入ると、画面を床へ置き、自作の巨大なスキージ《Developer》で濡れたアクリルを一度に引き延ばし、筆触を消しながら像を「現像する」方法へ進みます。さらに1980年代以降は、乾燥させたアクリル絵具を切断・成形した小片を`tesserae`と呼び、モザイクのように積み上げて絵画を作りました。絵具を塗膜ではなく、切り、置き、積み、埋め込むことのできる独立した物質へ変えた点で、ウィッテンは戦後抽象絵画の技法そのものを書き換えた作家です。
同時に、その技術革新は社会や個人史から切り離されていません。Jim Crow期のAlabama州Bessemerに生まれ、公民権運動へ参加し、1960年にNew Yorkへ移ったウィッテンは、黒人作家として社会的メッセージを具象的に描くことを期待されながら、抽象を選び続けました。《NY Battle Ground》には人種暴力とVietnam Warの不安が入り、《Black Monolith》シリーズではJames Baldwin、Ralph Ellison、Barbara Jordan、Jacob Lawrenceらを追悼し、《9.11.01》では自身が目撃した同時多発テロの物質的記憶をアクリル、灰、血、髪へ埋め込みました。また1969年以降ほぼ毎夏をCreteで過ごし、彫刻ではAfrican、Minoan、Cycladic、Southern vernacularの造形を横断的に接続します。2025年MoMA《The Messenger》は、絵画だけでなく彫刻・紙作品まで六十年を初めて総合的に振り返り、2025–26年Dia《Prime Mover》、2026年Hauser & Wirth《The Numinous》は、従来見過ごされてきた1970年代の紙作品と1980年代の実験を再配置しました。本記事では、ウィッテンの制作を「黒人抽象」「技術」「Jazz」「写真」「記憶」「ディアスポラ」「精神性」という複数の軸から追います。
CONTENTS
- 生涯と制作の変遷
- Bessemer――Jim Crowの南部で育つ
- TuskegeeからSouthern Universityへ
- 公民権運動――抽象以前の政治経験
- 1960年New Yorkへ――Cooper UnionとNew York School
- de Kooning、Norman Lewis、Romare Bearden
- Jazz――John Coltraneと「自由の構造」
- 1960年代――身振りの抽象と歴史的暴力
- 《NY Battle Ground》――テレビ画面の中の戦場
- 抽象は政治から逃げたのか
- 1970年――イーゼルから床へ
- Developer――一回の操作で像を「現像」する
- 写真と絵画――brushからshutterへ
- Afro-comb、鋸、熊手――道具を自作する
- Greek Alphabet Paintings――灰色と新しい空間
- Crete――第二の制作拠点
- 彫刻――絵画とは別の私的実践
- Jack Whittenの作品をどう見るか
- 主要作品
- 《Light Sheet I》――音を色へ変える
- 《Siberian Salt Grinder》――表面を一度で引く
- 《Kappa I》――「gray is power」
- 1980年の火災と再出発
- 1980年代――Soulspace、Site、光と霊性
- tesserae――絵具をモザイク片へ変える
- Black Monoliths――追悼を抽象で行う
- James Baldwinと最初のBlack Monolith
- Ralph Ellison――「見えない人」をどう描くか
- memorial paintings――絵画を「贈り物」にする
- Creteの彫刻――AfricaとMediterraneanをつなぐ
- 《The Tomb of Socrates》――彫刻、儀礼、時間
- 《9.11.01》――経験を物質へ封じ込める
- pixel、電子画像、量子力学
- 《Self Portrait: Entrainment》――顔を描かない自画像
- 《Apps for Obama》――政治とデジタル形式
- 《Atopolis》――Édouard Glissantと「場所なき場所」
- 《Quantum Wall VIII》――最後の作品
- Black abstraction――誰に抽象する自由があるのか
- 即興と規律――Jazzの哲学
- 2015年《Five Decades of Painting》
- 2018年《Odyssey》――彫刻史の発見
- 2022–23年Greek Alphabet再評価
- 2025年MoMA《The Messenger》
- 2025–26年Dia《Prime Mover》
- 2026年《The Numinous》――1980年代を読み直す
- 保存――自作材料と未知の技法
- 再評価、市場、制度
- Jack Whittenは何を変えたのか
- よくある単純化と読み直し
- 略年譜
- 参考資料・出典
生涯と制作の変遷
Jack Whittenは1939年12月5日、Alabama州Bessemerに生まれました。父は炭鉱労働者、母は裁縫師で、Jim Crow法のもと人種隔離が日常生活の制度として存在する環境で育ちます。高校時代から美術とJazzに関心を持ち、1957年にTuskegee Instituteへ進学して医学系の勉強を始めましたが、やがてSouthern University in Baton Rougeへ移り、美術へ方向転換しました。この時期すでに公民権運動へ深く関わり、Martin Luther King Jr.の演説後に本人と会い、Baton Rougeでは学生によるsit-in protestの組織にも参加しました。
人種差別的な暴力が激化するなか、1960年に南部を離れてNew Yorkへ移り、Cooper Unionへ入学します。そこでRobert Blackburnに版画を学び、New York Schoolの作家たちと接触しながら、1964年に修了しました。1960年代にはWillem de Kooning、Franz Kline、Norman Lewis、Romare Beardenらと交流し、身振り的な油彩を制作します。一方で《Birmingham 1964》《NY Battle Ground》など、人種暴力や戦争を直接的なイメージと抽象的な身振りの間で扱う作品も生まれました。
1970年代に入ると大きな転換が起こります。イーゼルを離れ、カンヴァスを床へ置き、自作の道具で絵具を引くことで、筆触や作者の身振りを減らそうとしました。《Developer》と呼んだ巨大なスキージによって、一度の水平運動で画面全体を作る「slab」やGreek Alphabet seriesを展開。1980年代には火災による中断を経て、円形レリーフ、都市の路面やマンホールを型取るSite paintings、アクリルを独立した物質として扱うコラージュへ進みます。
1990年代以降は、乾燥アクリルを小片にした`tesserae`によるモザイク状絵画が成熟し、Black Monoliths、9.11.01、Atopolis、Quantum Wallsへ発展しました。同時に1969年から毎夏を過ごしたCreteでは、木、骨、石、釘、ガラスなどによる彫刻を私的に作り続けます。2015年の《Five Decades of Painting》で絵画キャリアが体系的に再評価され、2018年の《Odyssey》で彫刻が初めて本格的に公開されました。同年1月20日にNew Yorkで死去。死後も2022年Dia、2025年MoMA、2025–26年Dia、2026年Hauser & Wirthと研究が更新され続けています。
Bessemer――Jim Crowの南部で育つ
BessemerはBirmingham近郊の工業都市で、鉄鋼・石炭産業と人種隔離の双方が生活の背景にありました。MoMAの回顧展資料でWhittenは、バスの前方に白人用の空席がある一方、黒人は後方で立たされるような「完全に分離された社会」で育ったと振り返っています。人種差別は抽象的な社会問題ではなく、身体の位置、移動、教育、公共空間を毎日規定する制度でした。
この経験から後年の作品をすべて説明することはできませんが、Whittenが「空間」「境界」「可視性」を単なる形式上の問題として扱わなかったことは重要です。《Atopolis》の「場所なき場所」や、Ralph EllisonへのBlack Monolithで扱われる不可視性は、人生の後半に突然加わった理論ではなく、誰がどこに居場所を持てるかという長い経験と結びついています。
TuskegeeからSouthern Universityへ
1957年、WhittenはTuskegee Instituteに入り、医学系の学習とAir Force ROTCに参加しました。しかし本人の関心は美術へ移り、1959年頃Southern Universityへ転校します。SouthernでArshile Gorkyの複製を見た経験は決定的で、後年WhittenはGorkyの作品を初めてMoMAで実見したとき涙が出たと語りました。最終作《Quantum Wall VIII》がGorkyへの献辞となったことからも、その影響が生涯続いたことが分かります。
この時期のWhittenは、美術史の「中心」から地理的にも制度的にも遠い場所で学んでいました。New Yorkへ移った後、教科書や複製でしか知らなかった作品を実物で見た経験は、抽象絵画を理論ではなく物質として理解する契機になりました。彼が後に素材や表面を徹底的に研究した背景には、作品が物として存在することへの強い意識があります。
公民権運動――抽象以前の政治経験
Whittenは美術学校へ入る前から公民権運動に参加していました。MoMAの資料によれば、Martin Luther King Jr.と1957年に会い、Southern University時代にはBaton Rougeのsit-in protestを学生仲間と組織しました。最初に報酬を得た美術仕事も、公民権デモのためのポスター制作だったとされています。
そのため、後に抽象へ進んだことを「政治から離れた」と理解するのは不正確です。本人は、南部の暴力を経験した黒人である自分が抽象を作る行為そのものが政治的だと述べました。政治性をイメージの内容だけで測らず、誰が抽象を作る権利を持つのか、誰が「普遍的形式」を扱う作家として認められるのかという制度的問題へ広げています。
1960年New Yorkへ――Cooper UnionとNew York School
1960年、WhittenはSouthを離れNew Yorkへ移住し、Cooper Unionに入学しました。New YorkではAbstract Expressionismがすでに美術史的権威を獲得しつつある一方、Jazz、Beat poetry、Civil Rights、写真、印刷、工業材料が交差する都市文化がありました。WhittenはDowntownとUptown双方のコミュニティへ入り、白人中心のNew York Schoolと黒人作家・知識人のネットワークを往復します。
初期にはde Kooningの身振り的な絵画へ強く惹かれましたが、やがて「手の痕跡」が画面の意味を支配することへ疑問を持つようになります。1970年代にDeveloperを使って筆触を除こうとした転換は、Abstract Expressionismを単純に否定したのではなく、その自由と身体性を受け継ぎながら別の技術へ変換したものです。
de Kooning、Norman Lewis、Romare Bearden
WhittenにとってWillem de Kooningは重要な技術的・精神的先輩でした。一方、Norman LewisとRomare Beardenは、黒人作家としてNew Yorkで抽象や複雑な美術言語を続けるモデルを示しました。Whittenは黒人作家だけの閉じた系譜に所属したわけでも、白人Modernismへ同化したわけでもなく、複数のネットワークを同時に生きました。
後年のmemorial paintingsには、Gorky、Norman Lewis、Ralph Ellison、James Baldwin、Robert Rauschenberg、Allen Ginsbergなど、ジャンルや人種を越えた多数の人物が登場します。彼にとって芸術史は競争的な系譜というより、自分を形成した人々との関係を記憶する網でした。献辞作品はその関係を物質として保存する方法になります。
Jazz――John Coltraneと「自由の構造」
Whittenは少年時代にsaxophoneを演奏し、New YorkではJohn ColtraneをはじめとするJazz musiciansと接しました。本人は、音楽家として彼らのレベルに到達できないと悟り、「hornでできないことをpaintでやる」と考えたと回想しています。Jazzは単なる雰囲気の源ではなく、制作方法のモデルでした。
即興には自由だけでなく、key、melody、timeを知る必要があるとWhittenは書いています。画面でも同じように、素材と技術を徹底的に理解した上で、予測不能な結果を許す。1970年代のDeveloperでは一回の操作に多くを賭け、tesseraeでは多数の小片を組み合わせて全体を作る。異なる時期の技法にも、構造の中で自由を拡張するJazz的な考えが通底しています。
1960年代――身振りの抽象と歴史的暴力
1960年代のWhittenは、油彩の厚い筆触、暗い色、断片的な形態を用いました。《Birmingham 1964》では新聞写真をメッシュや絵具の下へ部分的に隠し、人種暴力の報道写真をそのまま提示することの限界を示します。歴史的イメージを利用しながら、見せることと隠すことを同時に行う作品です。
同時期にはMartin Luther King Jr.に関連する《King’s Garden》《King’s Wish》《King’s Dream》などの作品群も制作されました。Whittenは抽象へ向かいながら、政治的現実を題名、構成、素材の内部へ入れています。「抽象=非政治的」という後の単純化は、この初期作品を見ると成立しません。
《NY Battle Ground》――テレビ画面の中の戦場
1967年《NY Battle Ground》は、MoMAが2025年回顧展で初期の中心作品として扱った油彩です。画面には爆発、炎、ヘリコプター、身体の断片を思わせる身振りがあるものの、具体的な場面として確定しません。外周を囲う黒い曲線はテレビ画面を連想させ、Vietnam Warとアメリカ南部の警察暴力が映像メディアを通して反復される状況を示します。
Whittenは当時、「人々が死んでいるときにスタジオにいることをどう正当化できるのか」と自問しました。その答えは具象的な記録画へ進むことではなく、抽象の内部で暴力の感覚そのものを扱うことでした。画面は事件の説明ではなく、ニュース映像が身体へ与える衝撃のようなものを残します。
抽象は政治から逃げたのか
1960~70年代の黒人美術をめぐる議論では、作家が黒人共同体の経験を明確に表象するべきだという要請がありました。Whittenも「なぜ抽象なのか」という圧力を受けました。しかし彼は、社会的立場と抽象形式を二者択一にしませんでした。抽象は現実逃避ではなく、知覚や価値体系そのものを変えるための武器になりうると考えました。
MoMAが紹介する「paintings are designed as weapons」という言葉で重要なのは、武器が特定のスローガンを伝えるという意味ではないことです。西洋美術の既成の美的価値、黒人作家へ割り当てられる役割、作者の身振りを中心とする抽象表現主義の権威を、技法そのものから変えることが政治的目標でした。
1970年――イーゼルから床へ
1970年頃、Whittenは制作場所を垂直のイーゼルから水平な床へ変えます。Diaの《Prime Mover》は、この転換を1970年代の最重要点として位置づけています。床へ置けば、液体アクリルを大量に流し、重い道具を画面全体へ引くことができ、手首や腕の小さな筆触では不可能な速度と圧力が得られます。
紙作品《Studio Floor #2》では、スタジオ床板そのものを擦り出し、制作環境の地形を画面へ写しました。床は単なる作業場所ではなく、像を生成する装置になります。Whittenは「designed」ではなく「developed」という語を使い始め、構図を手で描くより、条件を準備して像が現れる仕組みへ重点を移しました。
Developer――一回の操作で像を「現像」する
Whittenが《Developer》と呼んだ道具は、最初は2×4材にゴムを付けた巨大なsqueegeeでした。やがて金属板を取り付け、溝を刻み、幅や硬さを変えた複数の道具へ発展します。濡れた絵具の層を一端から一端へ一度で引くことで、画面全体に平行な流れ、擦れ、濃淡が生まれます。
この方法では、途中で修正しながら描く従来の筆とは異なり、一回の動作に全体が懸かります。絵具の粘度、乾燥時間、床の水平、道具の角度を事前に調整しなければなりません。偶然に見える結果の背後に、非常に技術的な準備があります。
写真と絵画――brushからshutterへ
WhittenはDeveloperの一回操作を写真のshutterに例えました。小さなapertureを通った光がfilmへ像を定着させるように、準備された絵具の層へ道具を通し、一瞬の運動で像を発生させたいと考えたのです。写真技法を絵画へ模倣したのではなく、「像が一度に現れる」という時間構造を借りました。
この考えはAbstract Expressionismの連続した筆触から大きく離れます。Jackson Pollockのdripも身体の時間を蓄積しますが、Whittenはそれを圧縮し、シャッターのような一回性へ向かいました。画家の内面を筆跡として読むのではなく、装置と物質が作った像を見る方向へ移します。
Afro-comb、鋸、熊手――道具を自作する
Whittenは市販のbrushだけに頼らず、Afro-comb、carpenter’s saw、rake、squeegee、木片、金属板などを画面へ使いました。各道具は異なる間隔、傷、溝、圧力を生み、絵具の表面を物理的に加工します。
Afro-combの使用には文化的意味も読み取れますが、単なるアイデンティティの象徴ではありません。髪を整える日用品が、均一な溝を作る精密なtoolへ変わります。Whittenは身の回りの物を機能から解放し、絵画技術として再設計しました。スタジオは画家の部屋というより、実験工房に近い場所になります。
Greek Alphabet Paintings――灰色と新しい空間
1975~78年のGreek Alphabet seriesは、1970年代の技法実験を体系化した重要な連作です。Alpha、Kappa、Sigmaなどギリシャ文字を題名の整理原理として用い、黒、白、灰色を中心に、Developer、comb、frottage、imprintingなど多様な方法を試しました。2022–23年Dia Beaconは、このシリーズ約40点を初めて大規模に集めました。
《Kappa I》では、白い矩形の乾燥状態を変えながら黒い半透明のslipを溝付きDeveloperで引き、上下に異なる表面を作りました。Whittenはこの時期に「gray is power」と書き、色彩の豊かさより、白と黒の間に生じる微細な空間の振動へ集中します。
Greek AlphabetはMinimalismの単純化に近く見えますが、完全な工業的均質性にはなりません。濡れ方、道具の抵抗、乾燥差による事故が残り、機械的秩序と物質の不確定性が同居します。
Crete――第二の制作拠点
1969年、WhittenはGreek Americanの妻Maryと初めてCreteを訪れました。その後ほぼ毎年夏を島で過ごし、1980年代半ばにはAgia Galiniに家を建てます。New Yorkでは主に絵画、Creteでは主に彫刻という二つの制作環境が生まれました。
CreteでWhittenはMinoan fresco、Cycladic figures、Mycenaean vessels、石工、漁具、地域の植物と木材を観察しました。同時にMediterraneanをEuropeだけでなくAfricaと接続する海として捉え、自身のAfrican diasporaとしての経験と重ねました。後の`tesserae`は古代mosaicから直接コピーされた技法ではありませんが、絵具片を単位として組み上げる考えにMediterraneanの視覚文化が大きく関与しています。
彫刻――絵画とは別の私的実践
Whittenは1962年頃から彫刻を作り、Creteでは木、骨、石、ガラス、釘、釣り糸など現地で見つけた素材を組み合わせました。ところが生前、これらをほとんど販売せず、公開も極めて限定的でした。絵画がNew Yorkの公的なキャリアだったのに対し、彫刻は家族、祖先、記憶、儀礼に近い私的実践でした。
2018年Baltimore Museum of ArtとThe Metの《Odyssey》で約40点が初めて体系的に公開されると、絵画の`tesserae`、assemblage、memorialという方法が彫刻と深くつながっていたことが明らかになります。彫刻は「別の趣味」ではなく、絵画技法を裏側から形成していたもう一つの実験室でした。
Jack Whittenの作品をどう見るか
第一に、像より作り方を想像してください。筆で描かれたように見える面が、実際には巨大squeegeeの一回操作や、乾燥アクリル片の積層でできている場合があります。工程を知ると、画面に残る速度や圧力が見えてきます。
第二に、抽象と歴史を分けないことです。人物が描かれていなくても、題名、混入された物質、献辞、制作時の出来事が具体的な歴史へ接続します。第三に、表面へ近づいてください。tesseraeは遠くから見るとpixelや星雲のような像を作りますが、近くでは一片ずつ厚みと形が違います。
第四に、絵画と彫刻を別々に考えすぎないことです。彫刻のcarving、assemblage、found materialsの経験が、後の絵画で絵具を「部材」として扱う発想につながっています。第五に、技術革新を純粋形式だけで評価しないことです。Whittenにとって新しい技法は、新しい見方を作り、社会の固定した価値を変えるための方法でもありました。
主要作品
公民権運動期の彫刻《Homage to Malcolm》と《NY Battle Ground》から、Jazzと身振りの《Light Sheet I》、Developer期の《Siberian Salt Grinder》《Kappa I》、Black Monoliths、September 11への大作、自画像、Creteの彫刻、《Atopolis》、そして最終作《Quantum Wall VIII》まで、Jack Whittenがbrush、tool、paint、tesserae、sculptureを通じて抽象・記憶・政治・技術をどのように変化させたかを示す12点を選びました。
マルコムへのオマージュ
Homage to Malcolm / 1965 / 部分的に染色したAmerican elm、巻線、釘、混合素材 / 43.2 × 190.5 × 33 cm
The Metropolitan Museum of Art, New York
Malcolm X暗殺の年に制作された初期彫刻。found materialsと異なる表面処理によって人物の複数の側面と時間を表し、後のmemorial worksとCreteの彫刻へ続く重要な起点です。
NYバトル・グラウンド
NY Battle Ground / 1967 / 油彩、カンヴァス / 152.4 × 213 cm
The Museum of Modern Art, New York
Civil Rights Movementへの弾圧とVietnam Warの映像が日常化した時代に制作。黒い外周はtelevision screenを思わせ、具体的事件を描写せず、暴力が身体へ与える衝撃をAbstract Expressionistな身振りの内部へ変換しました。
ライト・シート I
Light Sheet I / 1969 / アクリル、カンヴァス / 285.8 × 289.6 cm
Jack Whitten Estate
John ColtraneらのJazzから得たリズムと密度の感覚を、大画面の色と身振りへ変換した作品。Whittenが「hornでできないことをpaintでやる」と考えた1960年代末の重要作です。
シベリアン・ソルト・グラインダー
Siberian Salt Grinder / 1974 / アクリル、カンヴァス / 203.2 × 127 cm
The Museum of Modern Art, New York
1970年代のDeveloper期を代表する作品。筆で細部を積み上げるのではなく、流動的なacrylicと道具による一回的processで、光が表面内部から現れるような像を発生させました。
カッパ I
Kappa I / 1976 / アクリル、カンヴァス / 193 × 162.6 cm
The Museum of Modern Art, New York
Greek Alphabet Paintingsの代表作。独自のacrylic slipと溝付きDeveloperを用い、乾いた白と濡れた白の上へ黒を引くことで異なるsurfaceを作り、Whittenがいう「new spatial perception」と「gray is power」を追究しました。
ブラック・モノリス I――ジェームズ・ボールドウィンへのトリビュート
Black Monolith I, A Tribute to James Baldwin / 1988 / アクリル、カンヴァス / 243.8 × 208.3 cm
Glenstone, Potomac, Maryland
Black Monolith series第一作。James Baldwinを写実的に描かず、巨大で暗い中心と物質的な表面によって人物の存在を抽象的に記憶し、portraitとmemorialの概念を更新しました。
ブラック・モノリス II――ラルフ・エリソン『見えない人間』へのオマージュ
Black Monolith II: Homage to Ralph Ellison The Invisible Man / 1994 / アクリル、糖蜜、銅、塩、石炭灰、チョコレート、玉ねぎ、ハーブ、錆、卵殻、剃刀刃、カンヴァス / 147.3 × 132.1 cm
Brooklyn Museum, New York
Ralph Ellisonの死の年に制作されたBlack Monolith。暗い中心を明るいtesseraeが浮かび上がらせ、『Invisible Man』の不可視性を空白ではなく高密度の物質として表しました。異質な有機物・金属・灰を絵具へ組み込んでいます。
9.11.01
9.11.01 / 2006 / アクリル、灰、動物の血、髪、混合素材、カンヴァス / 304.8 × 609.6 cm
Baltimore Museum of Art
TribecaでSeptember 11 attacksを目撃したWhittenが約5年をかけて制作した巨大作品。灰、血、髪などをtesseraeとともに埋め込み、事件の映像を再現するのではなく、経験と喪失をmaterial memoryとして画面へ封じ込めました。
セルフ・ポートレイト:エントレインメント
Self Portrait: Entrainment / 2008 / アクリルtesserae、サングラスのレンズ、カンヴァス / 公式作品記録参照
Jack Whitten Estate/公式作品記録参照
自身のsunglass lensesを中心に置き、黒と白のtesseraeを放射状に配置した顔のないself-portrait。外見ではなく「世界を見る装置」を自画像の核にし、知覚と自己の関係を表しました。
ソクラテスの墓
The Tomb of Socrates / 2009 / wild cypress、black mulberry、marble、brass、混合素材 / 66 × 52 × 21 cm
Jack Whitten Estate
Creteで制作された彫刻の代表例。木、石、金属をcarvingとassemblageで接続し、古代Mediterraneanの哲学、儀礼、記憶を現代の個人的objectへ変換します。
アトポリス――エドゥアール・グリッサンのために
Atopolis: For Édouard Glissant / 2014 / アクリル、カンヴァス、8パネル / 全体 316.2 × 631.2 cm
The Museum of Modern Art, New York
Whitten最大級の8-panel作品。Édouard Glissantのrelationとdiasporaの思想を受け、「場所を持たない」人々が関係の中で新しいplaceを作るという考えを、多数のtesseraeからなるborderlessなfieldへ変換しました。
クォンタム・ウォール VIII――アーシル・ゴーキー、私の絵画における最初の愛のために
Quantum Wall, VIII (For Arshile Gorky, My First Love In Painting) / 2017 / アクリルtesserae、カンヴァス / 公式作品記録参照
Jack Whitten Estate/公式作品記録参照
Whittenが死去前に完成させた最後の作品。学生時代から敬愛したArshile Gorkyへ捧げ、diaspora、苦難、色彩、quantum physicsへの長年の関心を、輝くtesseraeのwallへ集約しました。
《Light Sheet I》――音を色へ変える
1969年《Light Sheet I》は、約2.86×2.90mの巨大なアクリル絵画です。MoMAの回顧展音声でWhittenは、New YorkでJohn Coltraneらの演奏を聴き、自分はsaxophoneでは彼らのレベルへ到達できないと悟った一方、「hornでできないならpaintでやる」と考えたと語っています。画面にJazzを描写するのではなく、密度、速度、重なり、余白の関係を絵画へ変換しました。
この時期はまだ1970年代のDeveloper以前で、手の痕跡が強く残ります。しかし、音を視覚へ翻訳しようとする考えは後年も持続しました。Jazzのimprovisationは感情の爆発ではなく、構造を知ったうえで瞬間的な判断を行う技術です。Whittenが材料研究を徹底しながら偶然性を許した姿勢とよく重なります。
《Siberian Salt Grinder》――表面を一度で引く
1974年《Siberian Salt Grinder》は、MoMA所蔵の縦長アクリル作品です。画面は一見すると霧や氷のような光を含みますが、風景を描いたものではありません。Whittenが1970年代に開発した道具と流動的アクリルによって、表面の密度を一気に変化させています。
MoMAは、この時期の作品を「何を見るか」ではなく「どう見るか」の歴史として説明しています。絵具の引き方によって光が表面内部から現れるように見え、筆跡を読み取るより、画像が発生した痕跡を追う体験になります。抽象表現主義的なgestureから、processとopticsへ移ったことが明確です。
《Kappa I》――「gray is power」
1976年《Kappa I》では、Whitten独自の半透明なacrylic slipと溝付きDeveloperが用いられました。上半分の白い矩形は乾燥させ、下半分はまだ濡れた状態で黒いslipを横方向へ引くことで、同じ白と黒の組み合わせから異なる表面反応を生みます。
ここで灰色は黒と白を単純に混ぜた中間色ではありません。透明層、乾燥差、溝、下地が重なって生じる空間です。Whittenが「gray is power」と書いたのは、色彩の派手さを抑えることで、見る人が微細な距離や振動へ敏感になることを発見したからでした。
Greek Alphabet seriesは長く十分に研究されませんでしたが、2022–23年Dia展で約40点が集められ、1970年代の技法転換が一つの実験体系として見えるようになりました。
1980年の火災と再出発
1980年、Whittenの生活と制作環境を襲った火災は、キャリアの重要な中断となりました。2026年Hauser & Wirth《The Numinous》は、この火災後に一定期間制作を停止し、その後より強い切迫感と精神的関心をもって制作へ戻った1980年代を中心に再構成しています。
この時期、1970年代のDeveloperによる一回操作から、再び積層、型取り、relief、collageへ方法が広がります。技法の後退ではありません。むしろ「作者の手を消す」という1970年代の目標から、物質そのものに記憶や霊的な存在感を与える方向へ変化しました。
死後の評価では、1970年代の発明と1990年代以降のtesseraeの間にある1980年代が長く空白として扱われてきました。《The Numinous》がこの時期を単独で取り上げたことは、Whittenの後期技法がどのように準備されたかを考えるうえで重要です。
1980年代――Soulspace、Site、光と霊性
1980年代のSoulspace paintingsや円形acrylic reliefでは、Whittenは天体航法、宇宙、方向感覚、spiritといった概念へ関心を深めました。同時期のSite paintingsでは、manhole cover、tire treadなど都市表面の凹凸を型取りし、paintingへ移します。1970年代にスタジオ床を擦り出した経験が、都市そのものを版のように使う方法へ拡張しました。
ここで「spiritual」という言葉を曖昧な神秘主義として扱うと作品を弱めます。Whittenにとってmaterialとspiritは対立しません。触れることのできるpaint、wood、ash、metalの中へ、記憶や人物の存在を定着させることが重要でした。物質を徹底的に操作することによって、物質を越える感覚を作ろうとしたのです。
2026年《The Numinous》は、pixel状のgrid、Site paintings、frottage、Soulspaceを並べ、tesserae以前からWhittenが「単位の集合」「表面の記録」「光による奥行き」を研究していたことを明らかにしています。
tesserae――絵具をモザイク片へ変える
1980年代後半からWhittenは、acrylic medium、gel、varnish、powder pigmentなどを型へ流し込み、乾燥した絵具の板や小片を作るようになります。それらを切断し、砕き、canvas上のwet acrylicへ埋め込む方法を「paint as collage」と呼び、小片を古代mosaicにならって`tesserae`と名付けました。
この発明の重要性は、絵具が「塗るもの」でなくなることです。通常の絵画ではpaintはsupportへ付着してfilmになりますが、Whittenはpaintそのものを一度独立したobjectとして作り、その後canvasへ配置します。paintingとsculptureの境界が材料レベルで消えます。
tesseraeは小さなpixelにも似ています。1990年代以降、digital imageが社会へ浸透する時期と重なり、Whitten自身もtechnology、computer、quantum physicsへ強い関心を持ちました。ただしcomputer screenを模倣したのではなく、古代mosaicとdigital pixelという遠く離れた視覚単位を同じ絵具の物質へ重ねました。
Black Monoliths――追悼を抽象で行う
1988年から2017年まで続くBlack Monolithsは、Whittenの最重要seriesの一つです。James Baldwin、Ralph Ellison、Barbara Jordan、W. E. B. Du Bois、Jacob Lawrence、Muhammad Aliなど、黒人文化・政治・芸術の人物へ捧げられた全11点からなります。題名のmonolithは、Creteの自宅近くにある岩の露頭と、揺るがない人物の存在感を重ねています。
Whittenはこれらを単なるdedicationではなく「gift」と考えていました。また古代ギリシャ語のzographos、つまり「lifeを書く/描く」という考えを参照し、肖像の顔を描かずに人物の生命を物質へ変換しようとします。多くの作品ではtesseraeが人型、halo、fieldを形成します。
このシリーズは、抽象とportraitureの境界を問い直します。顔がなくても、材料、色、題名、構図、埋め込まれた物によって個人の記憶を具体化できる。Whittenは「誰かを似せて描くこと」から「その人が生きた力を画面へ定着させること」へ肖像の概念を拡張しました。
James Baldwinと最初のBlack Monolith
1988年《Black Monolith I, A Tribute to James Baldwin》はシリーズ第一作で、約244×208cmの大型canvasです。James Baldwinは人種、sexuality、Americaの道徳的矛盾を鋭く言語化した作家であり、Whittenにとって黒人知識人の重要なモデルでした。
作品はBaldwinの顔を描かず、巨大で暗い中心と周囲の物質的表面から人物を想起させます。この「見える肖像を描かず、存在を作る」方法がBlack Monolith seriesの基礎となりました。Baldwinの文章がAmericaの見たくない現実を言葉で可視化したように、Whittenは抽象表面によって存在の密度を作ろうとします。
Ralph Ellison――「見えない人」をどう描くか
1994年《Black Monolith II: Homage to Ralph Ellison The Invisible Man》では、acrylicだけでなくmolasses、copper、salt、coal、ash、chocolate、onion、herbs、rust、eggshell、razor bladeなど異質な物質がcanvasへ組み込まれました。Ralph Ellisonの死の年に制作され、Brooklyn Museumに所蔵されています。
暗い人型のような中心部は、周囲の明るいtesseraeによって輪郭が現れます。Ellisonの『Invisible Man』が「存在しないから見えない」のではなく、社会が見ることを拒むために不可視になる黒人主体を描いたことに応答し、Whittenも「見えないもの」を空白ではなく高密度の物質で表しました。
さらに食物、金属、灰、刃物といった素材を混ぜることで、portraitが視覚情報だけではないことを示します。人物の文化、危険、生活、死を連想させる物質が、絵具の内部に埋め込まれています。
memorial paintings――絵画を「贈り物」にする
Whittenは多数の作品を自分に影響を与えた人物へ捧げました。Norman Lewis、Arshile Gorky、Robert Rauschenberg、Allen Ginsberg、Wayne Thiebaud、家族など対象は広く、黒人文化だけに限定されません。本人は2012年のstudio noteで、これらは「mere dedications」ではなく「gifts」だと書いています。
ここでmemorialは墓碑のように過去を固定するものではありません。自分が受け取ったものをpaintへ変換して相手へ返す循環です。人物の外見を再現せず、色、material、rhythm、構造を通して関係を保存します。
この考えはWhittenの美術史観ともつながります。Art historyを「誰が誰を超えたか」という進歩史としてではなく、mentor、friend、writer、musicianから受け取った知識が別の作品へ流れるnetworkとして理解していました。
Creteの彫刻――AfricaとMediterraneanをつなぐ
Creteで制作されたsculptureは、wild cypress、mulberry、olive wood、marble、bone、metal、glass、fishing lineなど周辺で手に入る素材を組み合わせます。Kongoのpower figure、Southern United Statesの「make do」の文化、Cycladic figure、Minoan artなどが一つの作品に交差します。
Met《Odyssey》が強調したのは、WhittenがAfricaとEuropeを分離した文明として考えなかったことです。Mediterraneanは両者を隔てる境界ではなく、長い交易・移動・文化交換の海でした。African diasporaである自身の歴史を、AtlanticだけでなくMediterraneanの移動史にも接続します。
またsculptureはほぼ販売されず、自宅に置かれました。New York art marketから離れたCreteでの制作は、評価や商品化から一定の距離を保つ私的なritualでもありました。この非公開性が、2018年までWhitten像から彫刻をほぼ消していた理由でもあります。
《The Tomb of Socrates》――彫刻、儀礼、時間
2009年《The Tomb of Socrates》はwild cypress、black mulberry、marble、brassなどを組み合わせた彫刻で、約66×52×21cm。哲学者Socratesの墓を直接再現したものではなく、木と石、空洞、接合部によって記憶のための器を作ります。
Whittenのsculptureでは、carvingとassemblageが同時に使われます。木を削って形を作るだけでなく、異質な物を挿入し、結び、留める。この構造はtesserae paintingとよく似ています。paintingで小片をwet acrylicへ埋め込む方法と、sculptureでfound materialをwoodへ組み込む方法は、別媒体の同じ思考と見ることができます。
題名にSocratesを置くことで、古代Mediterraneanの知、死、対話の伝統へ作品をつなぎます。WhittenのCrete作品は「Greek style」を借りるのではなく、現在の自分が古代文化とどう会話できるかを試す場でした。
《9.11.01》――経験を物質へ封じ込める
2006年《9.11.01》は、Whittenが2001年9月11日の同時多発テロを自宅近くで目撃した経験から約5年かけて制作した巨大作品です。Tribecaに住んでいた彼は航空機が頭上を通過し、World Trade Centerへ衝突した直後の破片、炎、煙、人々の叫びを街路で体験しました。その後しばらく制作できず、この作品だけを長期間作り続けたと語っています。
画面にはacrylicだけでなくash、animal blood、hairなどが混ぜ込まれ、約3.05×6.10mの巨大な黒い構造を作ります。U.S. dollar billのpyramidを思わせる幾何学と、燃焼や崩壊を思わせる物質が重なり、抽象と具体的記憶が分離しません。
ここで重要なのは、惨事を再現する映像を描かなかったことです。Whittenは既に現実を直接見ており、それをもう一度図像化するのではなく、経験の重さを物質へ封じ込めました。《NY Battle Ground》から約40年後、社会的暴力への応答がgestureからtesseraeとmaterialへ変化したことが分かります。
pixel、電子画像、量子力学
Whittenは新技術を美術の外部にある脅威とは考えませんでした。1970年代にはphotographyのshutterとDeveloperを比較し、1980年代にはelectrostatic printingやcopy technology、1990年代以降はpixel、digital imaging、quantum physicsへ関心を広げます。
tesseraeは古代mosaicの単位であると同時に、digital imageを構成するpixelのようにも働きます。遠くからは一つのimage、近くでは独立したunitが見える。その二重性が、Whittenにとって現代の視覚と古代の物質文化を接続する方法になりました。
ただしtechnologyを未来主義的に礼賛していたわけではありません。新しい装置は知覚を拡張する可能性を持つ一方、戦争、監視、media violenceにも使われます。Whittenはtechnologyの形式を取り込みながら、人間のmemory、spirit、politicsと切り離さないようにしました。
《Self Portrait: Entrainment》――顔を描かない自画像
2008年《Self Portrait: Entrainment》では、Whitten自身のsunglass lensesが画面中央に置かれ、その周囲へ黒と白のtesseraeが放射状に広がります。顔を描かず、「自分が世界を見るために使ったレンズ」を自画像の中心に置く作品です。
自画像を外見の記録ではなく、知覚の装置として考えている点が重要です。Whittenの作品全体が「何を描くか」より「どう見るか」を問題にしてきたことを、最も個人的なportraitへ置き換えています。
題名のentrainmentには、異なるrhythmが互いに同期する意味があります。個人の眼、周囲の世界、光、tesseraeの波が一つのfieldへ同期するように構成され、自我を孤立した中心ではなく関係の中に置きます。
《Apps for Obama》――政治とデジタル形式
2011年《Apps for Obama》はBarack Obamaへ捧げられた作品で、画面にはapplication iconやdigital interfaceを連想させる単位が展開します。Hamburger Bahnhofの《Jack’s Jacks》は、この作品をWhittenの献辞絵画の一つとして紹介し、Martin Luther King Jr.からObamaまで政治史と抽象が長く接続していたことを示しました。
Obamaのportraitを描く代わりに、smartphone時代の「app」という形式を題名と構成へ取り込みます。初のAfrican American Presidentという歴史的出来事を、伝統的な英雄肖像ではなく、情報を起動し、接続し、選択するdigital unitの比喩へ変換しています。
Whittenにとってpoliticsは人物の顔を描くことと同義ではありません。時代を代表するtechnologyと、その人物が象徴する社会変化を一つのabstract structureへ組み込むことができます。
《Atopolis》――Édouard Glissantと「場所なき場所」
2014年《Atopolis: For Édouard Glissant》は、8枚のpanelからなる約3.16×6.31mのWhitten最大級のpaintingです。タイトルのatopolisは「場所を持たない」という意味で、Martinique出身の詩人・思想家Édouard Glissantの関係性・diaspora・世界観への応答として作られました。
Whittenは、African diasporaにとって「sense of place」は最初から保証されたものではなく、強制移住と奴隷制によって破壊された後、自ら作り直さなければならなかったと説明しています。画面は多数のtesserae、mold、色の単位から構成され、固定された中心を持たない都市やnetworkのように広がります。
彼はAtopolisを、境界のないcity、関係がinterconnectedでegalitarianな場所として語りました。これは単純なutopiaではなく、異なる出自を持つ単位が個別性を失わずに隣り合う構造です。mosaic techniqueそのものが、Glissant的な「relation」を物質化しています。
《Quantum Wall VIII》――最後の作品
2017年《Quantum Wall, VIII (For Arshile Gorky, My First Love In Painting)》は、Whittenが死の直前に完成させた最後の作品です。色鮮やかなacrylic tesseraeが厚く並び、壁でありながら透過・振動・拡張を感じさせる表面を作ります。
献辞の相手Arshile Gorkyは、Southern University時代からWhittenが強く惹かれた画家でした。diaspora、暴力、喪失を経験したGorkyに、自身のAlabamaでの経験と共通性を見いだし、「color structureの中にsufferingを読む」と語っています。
Whittenはquantum mechanicsによって「wall」という閉じた境界の概念は時代遅れになったと考えました。粒子と波、固定と流動、materialとspiritが一つのpaintingに共存する。最終作が、最初に愛した画家へ戻りながら、最も新しい宇宙論的関心を含むことは象徴的です。
Black abstraction――誰に抽象する自由があるのか
Whittenの再評価で中心となった論点の一つがBlack abstractionです。1960年代には黒人作家がCivil RightsやBlack Powerを直接的に表象するべきだという期待があり、一方、主流美術館ではabstract artが人種を越えた「universal」な形式として語られながら、その中心作家は白人男性に偏っていました。
Whittenはこの矛盾の中で、黒人としての経験を捨てずにabstract painterである権利を主張しました。《Birmingham 1964》《NY Battle Ground》のように社会暴力へ直接近い作品もあれば、Greek Alphabetのように形式的研究へ集中した作品もあります。後年にはBlack Monolithsで黒人文化の人物を抽象portraitへ変換しました。
したがって「political work」と「formal work」を別の箱へ分けること自体がWhittenには合いません。material innovationによってWestern aestheticsを変えること、黒人の歴史をmemoryとして保存すること、自由にabstractionを選ぶことが同じpracticeの異なる面でした。
即興と規律――Jazzの哲学
WhittenはJazzをしばしば制作の基本原理として説明しました。特にJohn Coltrane、Thelonious Monk、Miles Davisらの音楽は、既存structureを壊すのではなく、そのstructureを熟知した上で新しい関係を即興的に作るモデルでした。
Developerによる一回操作も、tesseraeの積層も見た目ほど自由放任ではありません。acrylicの化学、乾燥速度、粘度、toolの形、supportの吸収性を理解しなければ、狙った範囲の偶然は生まれません。Jazzと同じく、freedomはknowledgeの反対ではなく、その上に成立します。
この考えは、Whittenが若い作家に「experiment」を強調した理由でもあります。新しさは奇抜な見た目を発明することではなく、materialsとprocessを深く知り、まだ見たことのない結果を引き出すことでした。
2015年《Five Decades of Painting》
2014~16年にMuseum of Contemporary Art San Diego、Wexner Center for the Arts、Walker Art Centerを巡回した《Jack Whitten: Five Decades of Painting》は、約60点で50年のpaintingを振り返る当時最大の回顧展でした。1960年代のghost paintings、1970年代のslabs、1980年代のacrylic skins、tesseraeまで、長く分断されて見えていた時期を初めて連続的に提示しました。
この展覧会は晩年の国際的再評価を大きく加速させました。それ以前にもWhitney Museumの1974年個展、Studio Museum in Harlemの1983年回顧など重要な機会はありましたが、長いcareer全体をmaterial innovationの連続として見る枠組みが定着したのはこの時期です。
ただし、2015年展はtitle通りpainting中心でした。Whittenが五十年以上作り続けたsculptureはまだほぼ別の歴史に隠れており、それが2018年《Odyssey》で大きく覆されます。
2018年《Odyssey》――彫刻史の発見
2018年Baltimore Museum of ArtとThe Metropolitan Museum of Artで開催された《Odyssey: Jack Whitten Sculpture, 1963–2017》は、Whitten死去直後に開かれ、約40点のsculptureを初めて体系的に紹介しました。これらの多くは生前ほとんど公開・販売されておらず、既存のartist imageを大きく変えました。
展覧会ではsculptureだけでなくBlack Monolith全11点と、African、Minoan、Mycenaean、Cycladic、American artの参照作品も並べられました。WhittenのpracticeをNew York abstractionだけから説明せず、South、Africa、Mediterranean、Creteを横断するtransnationalな視点で読む構成です。
この展示によって、tesseraeが単なるpainting techniqueではなく、carving、assemblage、mosaic、ritual objectの経験から生まれたことがより明確になりました。死後評価の最初の重要な転換です。
2022–23年Greek Alphabet再評価
2022年11月から2023年7月までDia Beaconで《Jack Whitten: The Greek Alphabet Paintings》が開催されました。1975~78年のseries約40点を集めた初の展覧会で、長く数点ずつしか公開されてこなかった重要な研究群を一つの体系として見せました。
Diaはこのseriesを、WhittenがAbstract Expressionismのgestureを離れ、process、tool、materialへ移った決定的時期として位置づけました。Greek lettersは隠されたsymbolic meaningというより、variationを整理するためのalphabetとして機能し、同じ制限された色彩の中でtoolとsurfaceの差を比較できます。
またJacqueline Humphriesを招いたtalkなど、現在のabstract paintersとの対話も行われました。Whittenの1970年代がhistorical curiosityではなく、現在のpainting practiceへ直接つながる技術研究として再評価されたことが重要です。
2025年MoMA《The Messenger》
2025年3月23日から8月2日までMoMAで《Jack Whitten: The Messenger》が開催されました。MoMAはこれを、約60年・すべての媒体を初めて横断するWhitten初の包括的retrospectiveと位置づけ、painting、sculpture、drawingなど175点以上を展示しました。
展覧会が重要だったのは、technical innovationとrace、war、love、technology、Jazzを別々にせず、一つのcareerとして提示したことです。1960年代のCivil Rights関連作品からDeveloper、Greek Alphabet、Black Monolith、Crete sculpture、9.11.01、Atopolis、Quantum Wallまでが連続して見えることで、「formal experimenter」と「political artist」という二つのWhitten像が統合されました。
同時にMoMA conservation teamは、Whittenの独自材料と技法を本格的に調査しました。studioが2018年の死後ほぼそのまま残されていたため、tool、mold、材料、noteを作品と照合でき、研究は美術史だけでなくconservation scienceの新しい段階へ進みました。
2025–26年Dia《Prime Mover》
2025年10月24日から2026年6月22日までDia Beaconで開催された《Prime Mover》は、1970~78年の紙作品24点へ焦点を当てました。多くは近年Diaへ収蔵され、ほとんど未公開だった作品です。
炭素棒の擦り出し、乾湿の黒pigment、collage、specialty paperを使い、canvasと並行してtool・surfaceの実験が行われていたことが明らかになりました。妻Mary Whittenがpaper conservatorとしてspecialty paperを入手していたことも、制作が家庭内の知識交換によって支えられていた事実を示します。
《Studio Floor #2》《Flat Tool K》などを見ると、1970年代のpainting innovationは突然Developerから始まったのではなく、床、紙、frottage、圧力を小規模に試す研究から生まれたことが分かります。
2026年《The Numinous》――1980年代を読み直す
2026年9月30日から2027年1月10日までHauser & Wirth Downtown Los Angelesで《Jack Whitten: The Numinous》が開催されています。2025年MoMA大回顧展の次に、1980年代だけへ焦点を絞ったことが重要です。
展示にはSoulspace paintings、celestial navigationを参照する円形acrylic relief、後のtesseraeを予告するpixel状grid、manhole coverやtire treadなど都市表面から型を取ったSite paintings、frottageが含まれます。1970年代のmechanical processと1990年代のmosaic paintingの間にある「missing decade」が、spiritual transmissionとmaterial experimentの時期として再評価されています。
2026年現在のWhitten研究は、代表作を固定する段階から、各年代の未研究領域を詳細に掘る段階へ移っています。《The Numinous》は、late styleが突然現れたのではなく、1980年代のrelief、cast、grid、site memoryを経て形成されたことを示す重要な展覧会です。
保存――自作材料と未知の技法
Whitten作品の保存は難しい課題を含みます。独自に配合したacrylic slip、gel、varnish、pigment、organic material、metal、ash、bloodなど、通常のpaintingでは想定されない材料が多く、作品ごとに化学的挙動が異なります。
tesseraeも単純な既製acrylicではなく、型、厚み、添加物、接着層が作品によって変化します。ひび割れ、黄変、剥離が起きたとき、どの程度が作者の意図したmaterial agingなのかを判断するにはstudio noteとtoolの研究が必要です。
MoMAが2025年に行ったtechnical studyの意義はここにあります。Whittenのstudioを「作品の裏側」としてではなく、material recipe、experiment、failureを保存するarchiveとして読むことによって、今後のconservationとcataloguingの基盤が作られています。
再評価、市場、制度
Whittenは2010年代に市場と制度の双方で急速に評価を高めました。しかし「晩年に発見された無名作家」という物語は正確ではありません。1974年にはWhitney Museumで個展、1983年にはStudio Museum in Harlemで10年回顧があり、長く制作と展示を続けていました。
変化したのは、どの時期が美術史の中心として読まれるかです。2015年のpainting retrospective、2018年のsculpture展、2022年Greek Alphabet、2025年MoMA、2025–26年紙作品、2026年1980年代と、毎回別のchapterが制度によって可視化されています。
market priceの上昇はその再評価と並行しますが、価格を重要性の証明にするべきではありません。むしろ、美術館がなぜ長くsculptureや中期作品を十分に研究しなかったのか、Black abstract artistがどのようにmainstream canonへ位置づけられてきたかを検討する必要があります。
Jack Whittenは何を変えたのか
第一に、paintingのimageをbrushstrokeの蓄積からprocessの結果へ変えました。Developerによる一回操作は、作者の身振りを減らしながら速度、圧力、時間を画面へ残し、photographyのshutterに近い新しいimage generationを作りました。
第二に、paintを「塗る材料」からindependent objectへ変えました。乾燥acrylicを切り出したtesseraeは、paintingとcollage、relief、sculptureの境界を消し、後の多くのmaterial-based abstractionに先行する発想となりました。
第三に、ancient mosaicとdigital pixel、African objectとMediterranean sculpture、Jazz improvisationとquantum physicsを同じpracticeの内部で接続しました。異文化を表面的に混ぜるのではなく、自身のdiasporaとmigrationの経験を通じて「関係」を作ることが中心でした。
第四に、abstract portraitureとmemorial paintingを更新しました。顔を描かなくてもJames Baldwin、Ralph Ellison、Gorky、Du Boisらの存在をmaterial structureとして記憶できることを示しました。portraitはlikenessではなく、relationとmemoryの形式になります。
第五に、Black artistがabstractionを選ぶこと自体を政治的実践として押し広げました。Civil Rightsに参加した経験を持ちながら、社会的メッセージを具象へ限定せず、視覚制度やWestern aestheticsそのものを変えることをpoliticsと考えました。
そして最も重要なのは、Whittenが六十年近く「一つの技法を発明した人」に留まらなかったことです。brushからDeveloperへ、slabからGreek Alphabetへ、cast surfaceからtesseraeへ、paintingからsculptureへ、pixelからquantumへと、成功した方法を次の実験によって絶えず破壊しました。彼にとってabstractionとはstyleではなく、まだ存在しない見方を作り続ける研究方法でした。
よくある単純化と読み直し
第一の単純化は、「mosaic風の絵で知られる作家」と見ることです。tesseraeは重要ですが、それ以前に二十年以上に及ぶgesture、floor work、Developer、Greek Alphabet、frottage、cast surfaceの研究があります。mosaicは突然の装飾的転換ではありません。
第二は、「Abstract Expressionismの後継者」という理解です。de Kooningらから出発しましたが、1970年代には作者のhandを消す方向へ進み、むしろAbstract Expressionismの前提を内部から解体しました。
第三は、「Black identityを直接描かなかったformal painter」という見方です。《Birmingham 1964》《NY Battle Ground》《Black Monoliths》《9.11.01》《Atopolis》を見れば、history、race、diaspora、violenceは一貫して存在します。ただしそれをillustrationではなくmaterialとprocessへ変換しました。
第四は、「Creteのsculptureはpaintingとは別の余技」という理解です。2018年《Odyssey》以後、sculptureで培ったassemblage、carving、ritual、Mediterraneanへの関心がtesserae paintingと深く結びついていたことが明らかになっています。
第五は、「晩年にようやく評価された」という単純な再発見物語です。Whitney 1974、Studio Museum 1983、PS1 2007など長い展示歴がありました。現在起きているのは発見そのものではなく、作品群の全貌を分断せず研究する規模と制度的中心性が変わったことです。
略年譜
- 1939
- 12月5日、Alabama州Bessemerに生まれる。父は炭鉱労働者、母は裁縫師。Jim Crow体制下の人種隔離社会で育つ。
- 1957
- Tuskegee Instituteでpre-medical studiesを開始。Martin Luther King Jr.の演説後に本人と会い、公民権運動への関与を深める。
- 1959–1960
- Southern University, Baton Rougeで美術を学ぶ。学生sit-in protestの組織に参加。Arshile Gorkyの作品複製に強く惹かれる。
- 1960
- 南部の人種暴力から離れNew Yorkへ移住し、Cooper Unionへ入学。
- 1962–1963
- New Yorkで最初期の彫刻を制作。Robert Blackburn、Romare Bearden、Norman Lewis、Willem de Kooningらとの交流を深める。
- 1964
- Cooper Union修了。《Birmingham 1964》など、公民権運動の暴力と報道イメージを扱う作品を制作。
- 1965
- Malcolm X暗殺後、《Homage to Malcolm》を制作。found materialを本格的に彫刻へ導入する。
- 1967
- 《NY Battle Ground》制作。Civil Rights Movement、Vietnam War、テレビ映像による暴力経験を抽象表現へ変換。
- 1968–1969
- Martin Luther King Jr.関連作品を継続。《Light Sheet I》などJazzと抽象を接続する大画面を制作。1969年、妻Maryと初めてCreteを訪れる。
- 1970
- 制作をイーゼルから床へ移し、自作toolによるsystematic processへ転換。《Studio Floor #2》など紙作品でも床と表面を研究。
- 1970年代前半
- 巨大squeegee《Developer》を段階的に改良し、濡れたacrylicを一回で引くslab paintingsを発展。Afro-comb、saw、rakeなど多様なtoolを使用。
- 1974
- 《Siberian Salt Grinder》など制作。Whitney Museum of American Artで個展。
- 1975–1978
- Greek Alphabet Paintingsを制作。黒、白、灰を中心に、comb、frottage、Developer、imprintingなどを体系的に実験。
- 1979
- 小型の《Self Portrait》などを制作。1970年代のprocess研究から1980年代のrelief・collageへ移る転換期。
- 1980
- 火災によって制作環境に大きな損失を受け、一時制作を中断。その後Soulspace、Site paintings、cast acrylic reliefなど新しい方向へ進む。
- 1983
- Studio Museum in Harlemで10年間を振り返る回顧展。
- 1980年代半ば
- CreteのAgia Galiniに夏の家を建設。彫刻制作を本格化し、African、Minoan、Cycladic、Southern vernacularの要素を横断的に研究。
- 1988
- 《Black Monolith I, A Tribute to James Baldwin》制作。Black Monolith series開始。
- 1990年代
- 乾燥acrylicを成形・切断した`tesserae`による「paint as collage」が成熟。digital pixelとancient mosaicを重ねる視覚言語を発展。
- 1994
- Ralph Ellisonの死に応答し《Black Monolith II: Homage to Ralph Ellison The Invisible Man》制作。
- 1998
- Black Monolith seriesを継続し、Barbara Jordanら黒人文化・政治の重要人物への抽象的memorialを展開。
- 2001–2006
- 9月11日のWorld Trade Center attackをTribecaで目撃。数年間かけて《9.11.01》を制作し、2006年完成。
- 2007
- MoMA PS1で個展。1960年代のKing関連作品と《9.11.01》を並べ、社会的暴力への長期的応答を示す。
- 2008
- 《Self Portrait: Entrainment》制作。自身のsunglass lensesを用い、顔を描かないself-portraitを試みる。
- 2009
- Creteで《The Tomb of Socrates》など彫刻を制作。
- 2011
- 《Apps for Obama》制作。digital interfaceの語彙と政治的献辞を接続。
- 2014
- Édouard Glissantへ捧げた8-panelの大作《Atopolis》完成。
- 2014–2016
- 《Jack Whitten: Five Decades of Painting》がMuseum of Contemporary Art San Diego、Wexner Center、Walker Art Centerを巡回。
- 2015
- President Barack ObamaからNational Medal of Artsを授与される。
- 2017
- Black Monolith seriesを含む新作をHauser & Wirthで発表。最後の作品《Quantum Wall VIII (For Arshile Gorky, My First Love In Painting)》完成。
- 2018
- 1月20日New Yorkで死去。Baltimore Museum of ArtとThe Metで《Odyssey: Jack Whitten Sculpture, 1963–2017》が開催され、ほぼ未公開だった彫刻群を本格的に紹介。
- 2019
- Hamburger Bahnhofで《Jack’s Jacks》。献辞・memorial paintingsを中心に展示。
- 2022–2023
- Dia Beaconで《Jack Whitten: The Greek Alphabet Paintings》。1975–78年のseries約40点を初めて集中的に展示。
- 2024
- Hauser & Wirth Londonで《Speedchaser》。技術、速度、material experimentを再検討。
- 2025
- MoMAで初の全6 decades・全媒体を横断する包括的retrospective《Jack Whitten: The Messenger》。175点以上を展示。10月、Dia Beaconで《Prime Mover》開幕。
- 2026
- 6月にDia《Prime Mover》終了。9月30日、Hauser & Wirth Downtown Los Angelesで1980年代に焦点を当てた《The Numinous》開幕。死後研究が代表作中心から各年代の詳細研究へ進む。
参考資料・出典
本ページはThe Museum of Modern Art、Dia Art Foundation、The Metropolitan Museum of Art、Whitney Museum of American Art、Walker Art Center、Hauser & Wirth、Glenstone、Wexner Center for the Arts、Brooklyn Museum関連資料等の公式・研究機関資料を中心に参照し、ART LIBRARYが独自に構成・執筆しました。Civil Rightsと抽象の関係については、Whittenが社会的表象を避けた作家だと単純化せず、本人の公民権運動参加、《Birmingham 1964》《NY Battle Ground》、memorial paintings、抽象行為そのものをpoliticalと考えた発言を併せて整理しています。また`tesserae`は一般的なmosaic tileではなくWhittenがacrylic paint自体を乾燥・成形して作った独自のpaint unitとして区別しました。2025年MoMA《The Messenger》、2025–26年Dia《Prime Mover》、2026–27年Hauser & Wirth《The Numinous》まで反映しています。
- The Museum of Modern Art — Jack Whitten
- MoMA — Jack Whitten: The Messenger
- MoMA Magazine — A Portrait of the Artist Jack Whitten, Surrounded by His Art
- MoMA — NY Battle Ground
- MoMA — Siberian Salt Grinder
- MoMA — Kappa I
- MoMA — Atopolis: For Édouard Glissant
- MoMA — Homage to Malcolm
- MoMA — 9.11.01
- MoMA — Developer Tool
- Dia Art Foundation — Jack Whitten: The Greek Alphabet Paintings
- Dia Art Foundation — Jack Whitten: Prime Mover
- Dia Art Foundation — Prime Mover Press Release
- The Metropolitan Museum of Art — Odyssey: Jack Whitten Sculpture, 1963–2017
- The Met — Odyssey Exhibition Galleries
- The Met — Homage To Malcolm
- Whitney Museum of American Art — Jack Whitten
- Walker Art Center — Jack Whitten: Five Decades of Painting
- Walker Art Center — Jack Whitten and the Philosophy of Jazz
- Wexner Center for the Arts — Jack Whitten: Five Decades of Painting
- Glenstone — Black Monolith I, A Tribute to James Baldwin
- Hauser & Wirth — Jack Whitten
- Hauser & Wirth — Self Portrait With Satellites
- Hauser & Wirth Ursula — Jack Whitten on Arshile Gorky
- Hauser & Wirth — Jack Whitten: The Numinous
資料確認日:2026年10月4日 / ART LIBRARY