Art Library

Hiroshi Sugimoto

杉本博司

日本 / 1948– / 現代写真/コンセプチュアル・フォトグラフィ/現代美術

杉本博司インタビュー:海と空の間で (Louisiana Channel)
Hiroshi Sugimoto Interview: Advice to the Young (Louisiana Channel)
Hiroshi Sugimoto talks about his exhibition Time Machine (MCA Australia)
Hiroshi Sugimoto on the music of Mozart, Marcel Duchamp, Mark Rothko, and more | UNDER THE INFLUENCE (Artforum)
杉本博司は、なぜ「絶滅」を撮るのか|本人が語る『絶滅写真』(杉本博司)

Hiroshi Sugimoto(杉本博司、1948–)は、写真を通して「時間とは何か」「現実とは何か」「人間は何を見ているのか」を半世紀以上問い続けてきた日本のアーティストです。自然史博物館の剥製を本物の動物のように撮る《Dioramas》、一本の映画全編を一枚のネガへ露光する《Theaters》、海と空を水平線で二分する《Seascapes》、蝋人形を歴史的人物の肖像として撮る《Portraits》、近代建築を意図的にぼかす《Architecture》、放電そのものを印画紙へ焼き付ける《Lightning Fields》など、代表作は一見するとまったく異なります。しかしどのシリーズでも、カメラが現実を忠実に写す装置であるという前提を疑い、時間・記憶・虚構・光・知覚の境界を実験しています。

杉本の活動は写真だけにとどまりません。古美術や古物の収集、建築、舞台演出、茶室、庭園、彫刻、伝統芸能、出版へと広がり、2017年には自ら構想・設計に深く関わった小田原文化財団 江之浦測候所を開館しました。2023–24年の大規模回顧展《Time Machine》では約50年の制作が写真・彫刻・インスタレーションを横断して検証され、2026年の東京国立近代美術館《杉本博司 絶滅》では、デジタル化の中で消滅の危機にあるゼラチン・シルバー写真そのものが主題となりました。写真を過去の出来事を保存する装置として使うだけではなく、写真という技術自体が歴史の一部になっていく時間まで作品化している点に、杉本の現在的な重要性があります。

生涯と制作の変遷

1948年、Tokyoに生まれる

杉本博司は1948年、Tokyoに生まれました。公式略歴によれば、1970年に立教大学を卒業し、その後アメリカへ渡り、1974年にLos AngelesのArt Center College of Designを卒業。同年New Yorkへ移住しました。日本で大学教育を受けた後、アメリカで写真を専門的に学び、1970年代New YorkのMinimal art、Conceptual art、写真表現が交差する状況の中で活動を開始します。

杉本の制作には、アメリカ現代美術の影響と、日本の古美術・宗教・建築への関心が同時に存在します。どちらか一方へ帰属するのではなく、西洋近代の写真装置と、日本の長い歴史の中で作られた像や空間を行き来することが、後半生の大きな特徴になります。

1948年Tokyo――海と古いものへの記憶

杉本は《Seascapes》について、幼い頃の最初期の記憶に海があると述べています。水平線と空という極端に単純な視覚構造は、後に世界各地の海を同一の形式で撮影するシリーズへ発展しました。海は特定の国や時代に属する風景ではなく、人類が誕生する以前から存在し、古代人も現代人もほぼ同じように見ることができる対象として捉えられています。

一方、古い物への関心も早くから形成されました。杉本は後年、古美術、化石、仏像、考古遺物、古文書、科学器具などを収集し、それらを《History of History》などで現代美術作品と並べます。古物収集は制作の趣味的な周辺ではなく、「物が長い時間を通過して現在へ残る」という写真と共通する問題に深く関係しています。

Los Angeles/New York――写真を学び直す

1970年代初頭に渡米した杉本は、Los Angelesで写真を学んだ後、1974年New Yorkへ移ります。当時のNew YorkではMinimalismとConceptual artが重要な位置を占めており、作品を感情的な表現ではなく、規則、反復、概念、知覚の実験として考える環境がありました。

杉本はこの考え方を写真へ持ち込みます。何を美しく撮るかより先に、「偽物を写真に撮ったら本物に見えるのではないか」「映画一本を一枚の写真にしたら何が写るか」「古代人と同じ海を見ることができるか」といった問いを設定し、撮影をその答えを確かめる実験として行います。作品は強い視覚美を持っていますが、その背後には必ず明確な思考実験があります。

《Dioramas》――偽物を本物として撮る

1974年にNew Yorkへ移った杉本はAmerican Museum of Natural Historyを訪れ、剥製動物と背景画を組み合わせたジオラマを見ました。肉眼では人工的な展示物に見えるものが、片目を閉じて遠近感を失わせると突然本物の風景のように見えることに気づきます。

1976年《Polar Bear》では、剥製のシロクマと描かれた背景が、写真の平面上では北極の自然を直接撮影したように見えます。The Metは、慎重なフレーミング、長時間露光、大判カメラによる細部の明瞭さが、博物館展示そのもののイリュージョンをさらに強めると説明しています。

ここで杉本が発見したのは、写真が「本物を証明する媒体」ではなく、偽物にも現実らしさを与える装置だということでした。写真は目の前にあるものを忠実に記録しているだけなのに、その記録を見る私たちは「自然のシロクマ」と解釈する。写真の真実性が、同時に写真の虚構性を生み出します。

《Theaters》――一本の映画を一枚へ圧縮する

《Dioramas》を撮影していた頃、杉本は「一本の映画全体を一枚の写真へ撮ったらどうなるか」と考えました。New Yorkの映画館へ大型カメラを持ち込み、上映開始と同時にシャッターを開き、映画が終わる約2時間後に閉じます。

《U.A. Walker, New York》(1978)などでは、スクリーン上に映った数十万のフレームがすべて重なり、細部は消えて真っ白な光だけになります。その光が劇場内部を照らし、装飾、座席、壁面が写真へ浮かび上がります。

通常の写真が一瞬を固定するのに対し、《Theaters》は長い時間を一つの画面へ圧縮します。映画の物語、登場人物、場面は完全に消えますが、その映画が上映された「時間」だけは露光量として写真に残っています。杉本が後に使う「Time Exposed」という考え方を最も直接的に示すシリーズです。

《Seascapes》――人類以前の風景を見る

1980年から始まる《Seascapes》では、世界各地の海を、画面中央の水平線によって空と水に二分して撮影します。《Caribbean Sea, Jamaica》(1980)など、場所が変わっても構図はほぼ同じです。人、船、都市、海岸線など時代を示すものは原則として排除されます。

杉本が設定した問いは、「現代人が見ることのできる風景の中に、古代人も同じように見たものが残っているか」というものです。建築や都市は歴史によって変化しますが、海と空の境界は人類以前から存在しています。異なる海を同じ形式で撮ることで、地理的距離より、人間の生存時間を超える時間の連続性が前面に出ます。

ただし各写真は完全に同じではありません。霧、波、光、海面の濃淡によって一枚ずつ大きく異なります。極端な規則によって差を消すのではなく、むしろ僅かな差が見えるようになる点では、Conceptual art的な反復と写真固有の偶然性が同時に存在します。

「Time Exposed」――時間を写すとは何か

《Dioramas》《Theaters》《Seascapes》は被写体が異なりますが、すべて時間の問題として読むことができます。《Dioramas》では死んだ動物を生きているように見せ、《Theaters》では約2時間を一枚へ圧縮し、《Seascapes》では人類以前から続く時間を現在の写真へ接続します。

写真は一般に「過去の瞬間」を保存する媒体です。しかし杉本は、どの長さの時間を写真へ入れるかを意識的に操作しました。一瞬だけでなく数時間、数百年、数万年という異なる時間尺度を、写真の露光や被写体の選択によって一枚へ重ねます。

この考えは1991年の作品集《Time Exposed》の題名にも表れています。露光とは光へ晒すことですが、杉本の作品では時間そのものを感光材へ晒しているように見えます。

古美術収集――写真とは別の時間に触れる

杉本は写真家として活動する一方、長年古美術品を収集してきました。仏像、考古遺物、古文書、能面、化石、科学器具など対象は広く、2003年以降《History of History》として自身の作品と組み合わせて展示しています。

古美術品には、制作された時点だけでなく、その後何百年もの保管、損傷、修復、所有の歴史が刻まれています。一枚の写真が撮影時点を固定するのに対し、古物は時間そのものによって表面が変化します。杉本はこの違いを対立させず、どちらも「過去が現在へ残る方法」として扱っています。

国立国際美術館が2009年に開催した《歴史の歴史》では、《Seascapes》《Lightning Fields》と古代・中世の仏像や考古資料が同じ空間へ置かれました。現代美術と古美術を時代順に分ける美術館の制度そのものを横断する展示でした。

《Sea of Buddha》――800年前の視覚を再構成する

1995年《Sea of Buddha》は、京都・三十三間堂の千体千手観音立像を撮影したシリーズです。杉本は1970年代New YorkのMinimalism/Conceptual artと、12~13世紀日本の浄土表現との間に共通する「抽象的な観念を形にする」という発想を見いだしました。

撮影許可を得るまで約7年を要し、現代の蛍光灯や後世に加えられた装飾を取り除き、朝の自然光だけで撮影しました。Singapore Art Museumは、1,001体の観音像を、建立当初の人々が見たかもしれない状態へ近づける試みとして説明しています。

これは文化財を中立的に記録する写真ではありません。撮影環境を意図的に変え、「800年前の視覚」を現代に再構成しています。《Dioramas》が人工展示を自然に見せたのと同様、ここでも写真は過去をそのまま保存するのではなく、過去の見え方を新しく作ります。

《Architecture》――名建築をぼかして残す

1997年から始まる《Architecture》では、20世紀を代表する建築を意図的に焦点を外して撮影します。《World Trade Center》《Church of the Light》、Le Corbusier、Tadao Ando、Peter Zumthor、Mies van der Roheなどの建築が、細部を失った光と影の塊として現れます。

杉本は大型カメラの焦点を通常より大きく外し、「優れた建築なら細部を溶かしても原型が残るのではないか」という一種の耐久試験として撮影しました。建築写真が通常目指す精密さとは逆方向です。

《World Trade Center》(1997)は、建物が2001年に失われた後には特別な歴史的意味を持つようになりました。しかし作品は未来の破壊を予言したわけではありません。撮影時からすでに、建築を現在の物体ではなく、記憶の中の像のように扱っていました。

《Portraits》――生きていない人物を肖像にする

1999年からの《Portraits》では、Madame Tussaudsなどの蝋人形を、歴史的人物の正式な肖像写真のように撮影します。Henry VIII、Anne of Cleves、Napoleon、Rembrandt、Diana, Princess of Walesなどが暗い背景の中に浮かびます。

多くの蝋人形は、歴史上の肖像画をもとに作られています。つまり「生きた人物→絵画→蝋人形→写真」という複数段階の再現を通っています。Guggenheimは、このシリーズを絵画と機械的複製の対話として位置づけています。

写真を見ると、本当に本人を撮ったような不気味な生命感があります。《Dioramas》と同様、写真が偽物へ現実性を与える力を使っていますが、《Portraits》ではそこに美術史と歴史的人物の記憶が加わります。私たちがHenry VIIIやPrincess Dianaを「知っている」と感じること自体が、既存の画像の反復によって作られていることを示します。

杉本博司の作品をどう見るか

まず、写っているものが本物か偽物かという二択だけで見ないことが重要です。剥製や蝋人形は偽物ですが、写真としては実在する物体を正確に撮影しています。杉本は「虚構だから嘘」「記録だから真実」という境界そのものを揺らします。

次に、露光時間を意識するとシリーズ同士がつながります。映画一本分の《Theaters》、一瞬の海景、直接放電による《Lightning Fields》では、写真へ時間が入る方法が異なります。画像の表面だけでなく、その像がどのくらいの時間をかけて生まれたかを見る必要があります。

そして、写真以外の活動を別分野として切り離さないことです。建築、古美術収集、庭園、舞台芸術でも、杉本は「時間を通過して残る形」「過去を現在で再構成する方法」を扱っています。江之浦測候所は、その考えが写真のフレームを越えて実際の空間になった作品と考えることができます。

主要作品

1976年《Polar Bear》から《Theaters》《Seascapes》《Sea of Buddha》《Architecture》《Portraits》《Conceptual Forms》《Lightning Fields》、立体化された海景、《Past Presence》、2025年《Bay of Sagami, Enoura》まで、杉本が写真の真実性・時間・歴史・光をどのように更新してきたかが追える12点を選びました。

シロクマ

Polar Bear / 1976 / ゼラチン・シルバー・プリント / 42.1 × 55.3 cm

The Metropolitan Museum of Art, New York

American Museum of Natural Historyの剥製展示を撮影した《Dioramas》の代表作。肉眼では作り物に見えるジオラマが、写真の平面では実際の北極風景のように見えます。「写真は現実を証明する」という通念を、偽物を正確に撮影することで逆転させた杉本の出発点です。

所蔵館の作品情報 ↗

U.A.ウォーカー、ニューヨーク

U.A. Walker, New York / 1978 / ゼラチン・シルバー・プリント / 42.1 × 54.4 cm

The Museum of Modern Art, New York

映画一本の上映開始から終了までシャッターを開き続けて撮影する《Theaters》の初期代表作。映画の数万のフレームが重なり、スクリーンは真っ白な光になります。約2時間の物語を消去しながら、その時間を露光量として一枚へ保存しています。

所蔵館の作品情報 ↗

カリブ海、ジャマイカ

Caribbean Sea, Jamaica / 1980 / ゼラチン・シルバー・プリント / 42 × 54.3 cm

National Gallery of Art, Washington

1980年に始まる《Seascapes》の最初期代表作。空と海を画面中央の水平線で二分し、現代を示す船や建物を排除します。古代人もほぼ同じように見たはずの風景を探すという発想から、人類史を超える時間を一枚の写真へ置きました。

所蔵館の作品情報 ↗

仏の海 001

Sea of Buddha 001 / 1995 / ゼラチン・シルバー・プリント / 119.4 × 149.2 cm

作品所在は版により異なる/Hiroshi Sugimoto公式作品

京都・三十三間堂の千体千手観音立像を朝の自然光で撮影したシリーズ。約7年かけて許可を得て、現代照明や後世の装飾を除き、建立時の人々が見たかもしれない光景を再構成しました。Conceptual artと日本の浄土表現を同じ「観念の可視化」として接続します。

所蔵館の作品情報 ↗

ワールド・トレード・センター

World Trade Center / 1997 / ゼラチン・シルバー・プリント / 61 × 50.8 cm

The Metropolitan Museum of Art, New York

近代建築を意図的にピンぼけで撮影する《Architecture》の代表作。建築の細部を溶かし、記憶に残る原型だけを抽出する「耐久試験」として制作されました。2001年に建物が失われた後、撮影時には想定されなかった記憶と喪失の意味も加わりました。

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光の教会(建築家:安藤忠雄)

Church of the Light (Tadao Ando) / 1997 / ゼラチン・シルバー・プリント / 149.2 × 119.4 cm

The National Museum of Art, Osaka

安藤忠雄の光の教会を極端に焦点を外して撮影。コンクリート壁やディテールは曖昧になり、十字形の光という建築の中心的構造だけが残ります。建築写真が求める精密描写を捨てることで、建築が記憶の中でどのような像へ還元されるかを検証します。

所蔵館の作品情報 ↗

ダイアナ、ウェールズ公妃

Diana, Princess of Wales / 1999 / ゼラチン・シルバー・プリント / 148.6 × 118.9 cm

Solomon R. Guggenheim Museum, New York

Madame Tussaudsの蝋人形を、歴史的人物本人の正式肖像のように撮影した《Portraits》の代表作。実在人物→写真や絵画→蝋人形→杉本の写真という複数段階の再現を経ても、像は強い生命感を持ちます。写真と記憶が人物像を作る仕組みを問い直します。

所蔵館の作品情報 ↗

数学的形体:曲面0002

Mathematical Form: Surface 0002 / 2004 / ゼラチン・シルバー・プリント / 149.2 × 119.4 cm

The National Museum of Art, Osaka

東京大学に残る数学教育用模型を、巨大な彫刻のように撮った《Conceptual Forms》の一枚。数式によってしか表せない曲面を三次元模型へし、さらに二次元写真へ変換します。「見えない概念を見える形にする」という科学・宗教・Conceptual artに共通する問題を扱います。

所蔵館の作品情報 ↗

ライトニング・フィールド 138

Lightning Fields 138 / 2009 / ゼラチン・シルバー・プリント / 58.4 × 49.5 cm

The Museum of Modern Art, New York

暗室内で高電圧の放電を感光材へ直接作用させて制作。カメラも外部の被写体も使用していません。写真家が避ける静電気による事故を逆に像の生成方法へ変え、電気と写真化学が直接残した痕跡を作品化しました。

所蔵館の作品情報 ↗

五輪塔 389、ボーデン湖、ウトヴィル

Five Elements 389, Boden Sea, Uttwil / 1993 / 2011 / 光学ガラス、ゼラチン・シルバー・プリント / 作品形式により可変

Hiroshi Sugimoto公式作品

長年撮影してきた《Seascapes》を、仏教的な五輪塔を想起させる光学ガラスの立体へ組み込んだ作品。写真を壁面の平面から彫刻へ移し、海の水平線、光学ガラス、宗教的形態を一つにします。写真と建築・彫刻が接続する2010年代の重要な展開です。

所蔵館の作品情報 ↗

過去の現在 025、マルセル・デュシャン《自転車の車輪》

Past presence 025, Bicycle Wheel, Marcel Duchamp / 2014 / ゼラチン・シルバー・プリント / 182.6 × 152.7 × 7.6 cm

The Museum of Modern Art, New York

Marcel Duchamp《Bicycle Wheel》を意図的に焦点を外して撮影した《Past Presence》の一枚。美術史上の名作を資料として鮮明に保存するのではなく、記憶の中に残る幽霊のような像へ変えます。作品そのものと、その複製イメージが作る「美術史」の距離を扱います。

所蔵館の作品情報 ↗

相模湾、江之浦

Bay of Sagami, Enoura / 2025 / ゼラチン・シルバー・プリント / 額装 152.4 × 182.2 × 7.6 cm

Hiroshi Sugimoto Studio/Lisson Gallery取扱作品

江之浦測候所から相模湾を捉えた2025年の新しい海景。1980年開始の《Seascapes》を約45年後にも継続し、写真・建築・現実の水平線を再び接続しました。2026年東京国立近代美術館《杉本博司 絶滅》にも紹介され、ゼラチン・シルバー写真を現在も更新していることを示します。

所蔵館の作品情報 ↗

《Conceptual Forms》――数学を彫刻として見る

2004年の《Conceptual Forms》では、東京大学に保存されていた19世紀末から20世紀初頭の数学模型や機械模型を撮影しました。これらは三角関数や曲面、工業機械の動きを学生へ説明するために作られた教育用模型で、本来は美術作品ではありません。

《Mathematical Form: Surface 0002》では、数式によって定義される曲面が白い彫刻のように暗い背景へ浮かびます。国立国際美術館所蔵版は149.2×119.4cmと大きく、教育模型の小さな物体がモニュメンタルな彫刻へ変わります。

杉本は、数学でしか存在しない線や曲面を、人間が理解できる三次元物体へ変換した模型に惹かれました。「見えない概念を見える形にする」という行為は、Conceptual artにも宗教美術にも写真にも共通すると考えています。

《Colors of Shadow》――光のないところに色を見る

2004–05年頃の《Colors of Shadow》では、Tokyoの空間に伝統的な漆喰壁を作り、朝の自然光によって変化する影の色をカラー写真で記録しました。壁への光の角度を90度、55度、35度と変え、天候や時間による微妙な濃淡を観察します。

影は一般に「光がない部分」と理解されます。しかし実際には完全な黒ではなく、周囲の光、壁面、空気によって異なる色を持ちます。杉本は白黒写真で濃淡を長く追究してきましたが、ここでは影そのものの中にある色へ向かいました。

写真が「対象物を撮る」ものから、光そのものを測定する装置へ近づきます。この関心は後の《Opticks》へつながります。

《Lightning Fields》――カメラを使わず電気を焼き付ける

《Lightning Fields》では、カメラを使用せず、暗室内で高電圧の放電を感光材へ直接作用させます。通常、静電気は写真ネガを傷つける事故として避けられてきました。杉本はその「失敗」を逆転し、放電そのものを像として残しました。

《Lightning Fields 138》(2009)では、白い枝状の電流が黒い背景へ広がり、稲妻、神経、樹木、河川のようにも見えます。しかし具体物を撮影した像ではありません。電気と感光材が接触した物理的痕跡です。

杉本はWilliam Henry Fox TalbotやMichael Faradayら19世紀科学史へ遡り、写真と電磁気学が同じ時代の実験精神から生まれたことを再検討しました。写真を最新技術へ進めるのではなく、その起源に戻ることで別の像を発生させています。

《Past Presence》――近代美術を幽霊化する

2014年《Past Presence》では、近代美術の代表作品を、建築シリーズのように意図的なピンぼけで撮影しました。《Past presence 025, Bicycle Wheel, Marcel Duchamp》では、Duchampの《Bicycle Wheel》が輪郭を失い、記憶の中に残る幽霊のような像になります。

美術館で名作を見る経験は、作品そのものだけでなく、教科書、図版、複製写真、記憶によってすでに媒介されています。杉本は名作を鮮明に記録するのではなく、むしろ視覚情報を減らすことで「私たちは作品の何を覚えているのか」を問い直しました。

ここでは写真が美術作品を保存する資料ではなく、作品が歴史の中で像へ変わっていく過程を示す媒体になります。

《Opticks》――光を絵具として使う

《Opticks》は、Isaac Newtonのプリズム実験を再現する長期的な試みから生まれました。冬の朝日をプリズムへ通し、分光された光を白い漆喰壁へ投影し、その色のグラデーションをPolaroidで記録します。

杉本は色の境界を赤、黄、緑、青といった少数の名称で捉えるのではなく、その間に無数の色が連続して存在することへ注目しました。《Opticks 121》(2018)などでは、具体的な被写体を失った色面が、Rothkoや抽象絵画を思わせます。

しかし絵具は使われていません。太陽光、プリズム、壁、Polaroidという物理的な光学装置から色面が生まれます。写真が絵画を模倣するのではなく、「光を絵具として使う」ことで写真そのものから新しい絵画を作ろうとしたシリーズです。

建築――「古いもの」を新しく作る

2008年、杉本は建築家の榊田倫之と新素材研究所を設立し、建築・内装・空間設計を本格化しました。名称は「新素材」ですが、実際には石、木、漆喰、古材、光学ガラスなど、古くから使われてきた材料を現代技術と組み合わせます。

杉本の建築思想では、新しさを未来的な材料や形だけに求めません。長い歴史を経て耐久性が確認された素材を、現在の技術で再構成すること自体が「新しい」行為になります。写真で19世紀技法を再検討する態度とよく似ています。

2009年IZU PHOTO MUSEUM、2017年MOA美術館改修、Japan Societyの庭園、Hirshhornのロビーなど、美術館・文化施設の空間にも関与しています。作品を展示する箱と作品を分けず、鑑賞環境自体を設計するようになりました。

護王神社――古代と現代をつなぐ

2002年、NaoshimaのBenesse Art Siteで護王神社を再建する《Appropriate Proportion》を制作しました。地上の本殿と地下の石室を光学ガラスの階段でつなぎ、参拝者が地下へ降りて海へ抜ける構造です。

杉本は神社を歴史的様式の忠実な復元として作りませんでした。古代の磐座、古墳、神社建築、現代素材である光学ガラスを組み合わせ、「古代的な記憶」と「現在の建築」を同じ空間へ置きます。

写真で過去の像を再構成してきた方法が、ここでは実際に身体が歩く建築へ拡張されています。地上から地下へ移動し、暗闇から海の光へ出る体験そのものが作品です。

江之浦測候所――作品、建築、地形を一つにする

2017年10月、小田原文化財団 江之浦測候所が一般公開されました。相模湾を望む柑橘畑の斜面に、100メートルギャラリー、石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭、門、古材、考古遺物などを配置した複合文化施設です。

名称に「測候所」とありますが、気象観測施設ではありません。夏至・冬至・春分・秋分の太陽の動きや海への視線を建築の軸に組み込み、古代人が太陽の位置を測ったように、時間と宇宙の関係を身体で感じる場所として設計されています。

《Seascapes》で何十年も撮影してきた海が、ここでは写真の中ではなく建築の外側に実際に広がります。100メートルギャラリーの開口部から相模湾を見ると、作品として撮られた水平線と現実の水平線が重なります。杉本の写真・古美術・建築・庭園への関心が一つの場所へ統合された重要な仕事です。

舞台芸術――時間を身体へ戻す

杉本は能、文楽、舞踊、音楽など舞台芸術の演出にも取り組んでいます。写真では時間を一枚へ圧縮できますが、舞台では観客と演者が同じ時間を共有し、作品を途中で飛ばすことができません。

《杉本文楽 曾根崎心中付り観音廻り》や能の演出では、伝統芸能をそのまま保存するだけでなく、美術、建築、照明、衣装、古典テキストを再編集します。これは《Sea of Buddha》で過去の見え方を再構成した方法と共通しています。

伝統を「昔と同じ形へ戻す」ことではなく、現代の観客が再び強く経験できる条件を作ること。杉本にとって本歌取りや古典の継承は、過去を固定する保存ではなく、時間を越えて再演する行為です。

《Time Machine》――50年を横断する

2023年Hayward Galleryで始まった《Hiroshi Sugimoto: Time Machine》は、その後2024年UCCA Center for Contemporary Art、Museum of Contemporary Art Australiaへ巡回しました。UCCAは11シリーズ127点を展示し、《Dioramas》《Theaters》《Seascapes》《Portraits》《Lightning Fields》から新しい暗室作品までを包括しました。

タイトルの「Time Machine」は、杉本がカメラを時間機械として考えてきたことに由来します。写真は未来を予測する機械ではなく、過去へ移動し、人間の知覚や文明の起源を想像するための装置です。

約50年間のシリーズを同時に見ることで、作品の外見が変化しても、虚実、時間、光、記憶という問題が繰り返されていることが明確になりました。MCA Australiaでは100点近い作品が展示され、同館にとってAustralia初の杉本の大規模サーベイとなりました。

2026年《絶滅》――写真そのものの寿命

2026年6月16日から9月13日まで、東京国立近代美術館で《杉本博司 絶滅》が開催されました。展覧会は、1970年代後半の初期作品から2025年の《Bay of Sagami, Enoura》まで、約60点のゼラチン・シルバー写真に焦点を当てています。

展覧会タイトルの「絶滅」は、作品に写る絶滅動物だけを意味しません。デジタル写真が主流となる中、フィルム、印画紙、現像薬品、暗室技術といったゼラチン・シルバー写真の生産環境そのものが消えつつあることを指します。東京国立近代美術館は、杉本の制作の原点がゼラチン・シルバー写真であり、その技術が現在「絶滅」の危機にあることを展覧会の中心に置きました。

これは写真技法を懐古的に保存するだけの展覧会ではありません。杉本は2024年《Brush Impression》で期限切れ印画紙の劣化そのものを表現へ転換し、2025年にも相模湾を新たに撮影しました。古い技術が終わる時間を、その技術自身によって記録するという自己言及的な構造があります。

Hirshhorn Sculpture Garden――建築家としての現在

杉本はWashington, D.C.のHirshhorn Museum and Sculpture Gardenの彫刻庭園再設計も手がけています。Hirshhornによれば、4年間の改修を経て、再設計された庭園は2026年10月31日に一般公開予定です。

計画ではGordon Bunshaftによる元の設計への敬意を保ちながら、長く閉鎖されていた地下通路を復活させ、Museum plazaと庭園を再接続します。彫刻作品、石壁、植栽、移動経路を一つの空間として再構成し、約60点の彫刻を展示する計画です。

ここまで来ると、杉本を「写真家」という職能だけで理解することは難しくなります。しかし写真を離れたわけではありません。どこに立てば何が見えるか、光がどこから入るか、時間によって景色がどう変わるかを設計する建築的思考は、彼が長年大型カメラのファインダー内で行ってきた構図の選択を、実際の空間へ拡張したものとも考えられます。

杉本博司は何を変えたのか

第一に、写真の「真実性」を虚構によって検証しました。《Dioramas》《Portraits》では偽物を正確に撮ることで、写真が対象の本物/偽物を判断してくれるわけではないことを明らかにしました。写真を見る側が、写真的な見え方を真実として受け入れていることを露出させています。

第二に、露光時間を思想へ変えました。《Theaters》では映画一本分、《Seascapes》では人類史を超える時間、《Lightning Fields》では一瞬の放電を扱います。写真のシャッター速度を単なる技術設定ではなく、作品がどの時間尺度を扱うかという概念へ拡張しました。

第三に、写真を古代・中世・近代の歴史へ接続しました。《Sea of Buddha》、古美術収集、《History of History》を通じ、現代写真を20世紀以降の美術史だけに閉じず、宗教美術や考古資料と同じ時間軸へ置きました。

第四に、ピンぼけ、放電、劣化といった写真上の「失敗」を方法へ変えました。《Architecture》では焦点のずれ、《Lightning Fields》では静電気、《Brush Impression》では期限切れ印画紙を利用します。技術的に排除される現象を作品化することで、写真技術そのものを再発見しました。

第五に、写真と建築を同じ「見るための装置」として扱いました。護王神社、江之浦測候所、Hirshhorn Sculpture Gardenでは、鑑賞者の身体を空間へ配置し、光、水平線、石、古材、彫刻が見える順序を設計します。カメラのフレームを建築スケールへ拡大したとも言えます。

第六に、東洋/西洋、古代/現代という分類を作品内部で混ぜました。Newtonの光学、Talbotの写真術、Conceptual art、浄土思想、能、神社建築、古美術が同じ制作史の中に現れます。伝統をアイデンティティの記号として用いるのではなく、異なる時代の知識を現在の実験へ再投入しています。

杉本の制作を貫いているのは、写真が現実を保存するのではなく、現実についての私たちの認識そのものを作っているという考えです。剥製が生きて見え、消えた建物が記憶の像として残り、一本の映画が白い光になり、古代と現在の海が同じ水平線へ重なる。写真を「過去を写す装置」から「時間を考える装置」へ変えたことが、Hiroshi Sugimotoの最大の成果です。

略年譜

1948
Tokyoに生まれる。
1970
立教大学を卒業後、アメリカへ渡る。
1974
Art Center College of Design, Los Angelesを卒業。New Yorkへ移住。
1976
American Museum of Natural Historyの展示を撮影し、《Dioramas》を開始。《Polar Bear》制作。
1977
Tokyoの南画廊で個展。MoMAが《Polar Bear》を取得し、翌1978年Recent Acquisitionsに出品。
1978
映画一本の上映時間を一枚へ露光する《Theaters》を開始。《U.A. Walker, New York》制作。
1980
《Seascapes》を開始。《Caribbean Sea, Jamaica》制作。John Simon Guggenheim Memorial Foundation Fellowship受賞。
1983
Sonnabend Gallery, New Yorkで個展。
1988–1989
《Dioramas, Theaters, Seascapes》をNew York、Tokyo、大阪などで展開。毎日芸術賞受賞。
1991
作品集《Time Exposed》刊行。
1994
Madame Tussaudsの処刑・犯罪展示を撮る《Chamber of Horrors》を制作。
1995
三十三間堂で《Sea of Buddha》を制作。The Metropolitan Museum of Artを起点に大規模個展が巡回。
1997
《Architecture》を開始。《World Trade Center》《Church of the Light》制作。
1999
蝋人形を歴史的人物の肖像として撮る《Portraits》を開始。International Center of Photography Infinity Award受賞。
2001
Hasselblad Foundation International Award in Photography受賞。
2002
Naoshimaの護王神社を再建する《Appropriate Proportion》を完成。
2003
《History of History》をJapan Society, New Yorkなどで展開。古美術収集と現代作品を同一展示へ統合。
2004
《Conceptual Forms》《Mathematical Models》《Colors of Shadow》を展開。
2006–2009
高電圧放電を感光材へ直接作用させる《Lightning Fields》を本格化。2009年国立国際美術館《歴史の歴史》で展示。
2008
榊田倫之と新素材研究所を設立し、建築・空間設計を本格化。
2009
高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)受賞。IZU PHOTO MUSEUMの設計を手がける。
2011
《Five Elements》、数学模型・建築をめぐる制作を展開。MIMOCAで《杉本博司 アートの起源》。
2014
《Past Presence》制作。Veniceで《Glass Tea House “Mondrian”》を発表。Isamu Noguchi Award受賞。
2017
小田原文化財団 江之浦測候所が10月に一般公開。文化功労者に選出。
2018
Newtonのプリズム実験を発展させた《Opticks》を展開。Hirshhorn Museumのロビー改修にも関与。
2020
京都市京セラ美術館で《杉本博司 瑠璃の浄土》。Glass Tea House “Mondrian”を日本で展示。
2023
Hayward Gallery, Londonで大規模回顧展《Time Machine》。San FranciscoのYerba Buena Islandに《Point of Infinity》設置。Naoshimaに杉本博司ギャラリー 時の回廊が開館。
2024
《Time Machine》がUCCA, BeijingとMCA Australiaへ巡回。《Giacometti/Sugimoto: Staged》など複数展を開催。《Brush Impression》を制作。
2025
《Bay of Sagami, Enoura》を制作。江之浦測候所の書籍《Land of Distant Memory》刊行。
2026
東京国立近代美術館で《杉本博司 絶滅》、Singapore Art Museumで《Form is Emptiness》などを開催。Hirshhorn Sculpture Gardenは杉本の再設計により10月31日再開予定。

参考資料・出典

本ページはHiroshi Sugimoto公式サイト、The Museum of Modern Art、The Metropolitan Museum of Art、National Gallery of Art、Hirshhorn Museum and Sculpture Garden、Solomon R. Guggenheim Museum、東京国立近代美術館、国立国際美術館、Singapore Art Museum、Mori Art Museum、UCCA Center for Contemporary Art、小田原文化財団等の公式資料を参照し、ART LIBRARYが独自に執筆しました。杉本を「時間を撮る写真家」という一語へ還元せず、《Dioramas》《Theaters》《Seascapes》《Sea of Buddha》《Architecture》《Portraits》《Conceptual Forms》《Lightning Fields》《Opticks》、古美術収集、護王神社、江之浦測候所、舞台芸術、2026年《絶滅》とHirshhorn Sculpture Gardenまでを連続する制作として構成しています。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月4日 / ART LIBRARY