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Henri Matisse

アンリ・マティス

フランス / 1869–1954 / フォーヴィスム/近代絵画/切り紙

【色彩の魔術師】アンリ・マティスはなぜ「野獣派」と呼ばれたか?【ピカソのライバル!?/山田五郎が解説/フォーヴィスム】(山田五郎 オトナの教養講座)
Henri Matisse in 60 seconds (Royal Academy of Arts)
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アンリ・マティス(Henri Matisse、1869–1954)は、20世紀絵画の色彩表現を大きく変えたフランスの画家です。1905年にフォーヴィスムの中心人物として注目され、《生きる喜び》《ダンス》《赤いアトリエ》などの作品で、色彩と線だけでも画面に豊かな空間や動きを生み出せることを示しました。活動は絵画にとどまらず、彫刻、素描、版画、書物、舞台装飾、礼拝堂の設計へ広がり、晩年には色を塗った紙を鋏で切り抜く「切り紙」によって、新しい表現を完成させます。

マティスの作品は鮮やかで親しみやすく、単純に見える形にも独特の生命感があります。その成立をたどると、古典絵画の学習、新印象派の色彩理論、先行作家との対話、画面を何度も直す制作、収集家からの注文、建築と結びつく大画面など、多くの経験が重なっています。本記事では生涯と制作の変遷を詳しく追い、主要作品12点を個別に解説します。特に晩年の切り紙については、技法の起源から助手との共同作業、『ジャズ』、《ブルー・ヌード》、《プール》、ヴァンスのロザリオ礼拝堂まで、作品を実際に鑑賞するための手がかりを丁寧に紹介します。

画家になるまで――法律の仕事から絵画へ

北フランスでの生い立ちと転機

マティスは1869年12月31日、フランス北部のル・カトー=カンブレジで生まれました。家族の期待に沿って法律を学び、若い頃には法律事務所で働いていました。20歳前後に病気で療養した際、母親が用意した絵具箱を使い始めたことが絵画への関心を深める転機となります。やがて職業として画家になることを決め、1891年にパリへ移りました。

この遅い出発は、マティスの制作を考えるうえで興味深い点です。彼は風景や人物を見たままに描くための基礎を学びながら、美術館に収められた古い絵画と、街に集まる新しい作品を同時に吸収しました。鮮やかな色彩で知られる後年の作品にも、長い観察と、構図を慎重に整える習慣が息づいています。(参照:ニューヨーク近代美術館|マティスの生涯、メトロポリタン美術館|アンリ・マティスの生涯と作品)

ギュスターヴ・モローと古典絵画の研究

パリではアカデミー・ジュリアンなどで学び、象徴主義の画家ギュスターヴ・モローの指導を受けました。モローは美術史上の巨匠を研究することを勧めるとともに、弟子それぞれの独自の方向を尊重した教師として知られています。マティスは人物素描、静物、古典作品の模写を続け、形をつかむ力や絵画の構成を養いました。

ルーヴルで作品を模写する行為には、古い絵の技法を身につける意味がありました。どこに人物を置くか、色の明暗をどう配置するか、背景をどの程度詳しく描くか。マティスはこうした判断を学ぶ過程で、描写の正確さと画面全体の表現との関係を考えていきます。後に輪郭を大きく省略する制作にも、この訓練が土台としてあります。(参照:メトロポリタン美術館|アンリ・マティスの生涯と作品、ニューヨーク近代美術館|マティスの生涯)

セザンヌと新しい造形への関心

1890年代のマティスは、印象派やポスト印象派の作品から多くを学びました。特にセザンヌの絵画は、対象を立体として組み立てながら、色の配置によって画面を成立させる方法を考える手がかりとなりました。風景や静物の輪郭は、物を正確に囲む線であると同時に、隣り合う色面の境界でもあります。

マティスは絵画の歴史を学びながら、新しい色彩表現を自分の制作へ取り入れていきました。色を混ぜる量、筆触の大きさ、視線を運ぶ曲線などを変えることで、同じ主題にも異なる表情が生まれます。20世紀初頭の急激な作風の変化は、こうした試行の積み重ねの中で準備されていました。(参照:ポンピドゥー・センター|マティスと色彩・装飾、メトロポリタン美術館|アンリ・マティスの生涯と作品)

新印象派からフォーヴィスムへ――色彩の解放

1904年、シニャックから学んだ色彩

1904年、マティスは南フランスのサン=トロペでポール・シニャックと交流し、新印象派の色彩理論と分割筆触を集中的に研究しました。補色の関係を意識し、細かく分けた色を隣り合わせて置くと、離れた位置から見たときに明るく振動するような効果が生じます。シニャックたちはこの方法を理論的に発展させていました。

その成果の一つが《豪奢、静寂、逸楽》(1904年)です。海辺に集まる人物と風景が、小さな色の集積として描かれています。ポンピドゥー・センターの研究は、サン=トロペでの経験と、マティスが所持していたセザンヌ作品との関係を指摘しています。画面全体の色を均等に働かせる方法を学びながら、人物の輪郭や色面を強く扱う独自の方向が現れはじめます。(参照:ポンピドゥー・センター|《豪奢、静寂、逸楽》の研究、メトロポリタン美術館|アンリ・マティスの生涯と作品)

1905年、ドランと過ごしたコリウール

1905年の夏、マティスはアンドレ・ドランとともに地中海沿岸の町コリウールで制作しました。港、船、建物、窓辺、人物など、身近な光景を対象としながら、目の前で見える色を自由に選び直していきます。濃い青や緑、赤、橙、桃色が隣接する画面では、色が風景の説明を超え、鑑賞者の目を直接刺激します。

《開いた窓、コリウール》では、外の港を描く短い筆触と、窓枠や壁を占める大きな色面が交わっています。窓を通して外を見る構図でありながら、窓そのものの鮮やかな色が強い存在感を持っています。ここには、自然を観察しながら、絵画そのものの色彩の秩序をつくろうとするマティスの方法が現れています。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|《開いた窓、コリウール》、メトロポリタン美術館|アンリ・マティスの生涯と作品)

1905年のサロン・ドートンヌと《帽子の女》

1905年秋のサロン・ドートンヌに出品されたマティスらの作品は、その色彩と筆触によって強い反応を呼びました。批評家ルイ・ヴォークセルの「野獣」という言葉から、フォーヴィスムという名称が広まります。マティスの《帽子の女》は、妻アメリーの顔を緑、黄、桃色、青などで描き、色彩を大胆に使った肖像画として注目されました。

その色使いは、当時の肖像画に求められていた仕上げや肌の再現に対する期待を揺さぶりました。大きな帽子と衣服には色の塊が置かれ、背景にも多方向の筆触が残ります。人物の顔は見失われず、同時に絵具の一筆一筆が強く目に入ります。人物の存在と色彩の自律性を両立させたことが、この作品の歴史的な意義です。(参照:サンフランシスコ近代美術館|《帽子の女》、メトロポリタン美術館|アンリ・マティスの生涯と作品)

《生きる喜び》――人物と風景の新しい関係

大画面に展開するアルカディア

1905年秋から1906年春にかけて制作された《生きる喜び》は、フォーヴィスムから大規模な人物構成へ進んだマティスの重要作です。木々の間に、横たわる人、語り合う人、音楽を奏でる人、輪になって踊る人々が配置され、穏やかな楽園の情景を形づくっています。背景には黄、緑、桃色などの広い色が配され、身体の大きさや距離感は画面全体のリズムに合わせて調整されています。

こうした楽園を描く主題は、西洋絵画では古くから繰り返されてきました。マティスが大きく変えたのは、その構成と色彩です。人物の身体は曲線に沿って伸び、木の枝や丘の輪郭とつながるように配置されています。遠景の踊る輪は、後の《ダンス》へつながる重要なモチーフとなります。(参照:バーンズ財団|《生きる喜び》)

スタイン兄妹の収集とピカソとの接点

《生きる喜び》は1906年のアンデパンダン展で発表され、レオとガートルード・スタインのコレクションに入りました。パリにあった二人の住居には画家や作家たちが集まり、同時代の前衛作品を直接見ることのできる場所になっていました。若いピカソもこの絵を見る機会を得ており、当時の芸術家の交流を考えるうえで重要な作品です。

マティスとピカソは、20世紀絵画の変革を担う存在としてしばしば並べられます。二人は独自の方向で、身体や空間の描き方、絵画の伝統を大きく変えていきました。作品を単純に競争の結果として理解するより、近代絵画の可能性が同時期に複数の方向へ展開したことに注目すると、二人の関係が鮮明になります。(参照:バーンズ財団|《生きる喜び》、メトロポリタン美術館|アンリ・マティスの生涯と作品)

1908年「画家のノート」に記された制作思想

1908年、マティスは「画家のノート」を発表し、絵画の表現について自らの考えを明らかにしました。人物の顔や一つの身振りに感情を集中させるより、画面に置かれたすべての部分の関係によって表現が生まれるという発想が、その中心にあります。人物、背景、色の面積、空間の取り方が互いに作用し、絵画全体が一つのまとまりを形成します。

マティスは静けさや均衡への願いも語りました。それは色彩を弱めることを意味せず、鮮やかな色や強い輪郭が全体として調和する状態を探すことにつながりました。作品に感じられる軽やかさは、細部の描写、位置の調整、全体の釣り合いを繰り返し検討する制作から生まれています。(参照:ニューヨーク近代美術館|アンリ・マティスの作品と影響、ポンピドゥー・センター|マティスと色彩・装飾)

《ダンス》と《赤いアトリエ》――大画面の構成

シチューキンの注文と装飾絵画

ロシアの実業家・収集家セルゲイ・シチューキンは、マティスに大規模な装飾画を注文しました。1909年の《ダンスⅠ》は、後に完成する《ダンス》の構成を検討した作品です。幅約3.9メートルの画面には五人の裸体が輪になって踊る姿が描かれ、空の青と大地の緑が単純な色面として広がっています。

1910年に完成した《ダンス》と《音楽》は、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に所蔵されています。注文を受けた場所は住宅の階段まわりで、日々の生活の中で大画面を見上げたり横切ったりする経験が想定されていました。絵の大きさ、設置場所、身体の動きが結びつくことで、装飾絵画は生活空間の一部になります。(参照:ニューヨーク近代美術館|《ダンスⅠ》、ニューヨーク近代美術館|1992年回顧展図録)

踊る身体の輪郭と色面

《ダンスⅠ》を特徴づけるのは、人物同士を結ぶ腕の長い曲線です。手が届きそうで届ききらない箇所があり、輪になった五人の身体が今も回り続けているように感じられます。細かな顔の表情は省略され、腕、脚、胴体の傾きが動きを伝える役割を担っています。

空と地面の境界は大きく曲がり、踊る人物の輪を支えています。人物の色彩を限定することで、画面全体に強いまとまりが生まれました。鑑賞者の視線は一人の顔にとどまらず、手から手へ、身体から身体へと運ばれます。マティスはわずかな造形要素で、時間を伴う運動を大画面に定着させました。(参照:ニューヨーク近代美術館|《ダンスⅠ》の解説、ニューヨーク近代美術館|《ダンスⅠ》)

《赤いアトリエ》における色と空間

1911年の《赤いアトリエ》には、マティス自身の絵画、彫刻、家具などが描かれています。壁と床を覆う赤は画面をほぼ一体化させ、その内部に置かれた作品や道具がそれぞれ固有の色を持って現れます。部屋の構造は赤い画面に残された細い線や形によって読み取れ、人物のいないアトリエが、制作された作品を通して画家自身を語る空間となっています。

MoMAの調査は、マティスが室内を別の色で描いた後、画面の広い部分に赤を重ねたことを明らかにしています。つまり現在の構成は、制作途中に大きく選び直された結果です。この一枚には、色が空間の形を決め、色の配置が見る順序を変えるという、マティスの絵画の特徴が集約されています。(参照:ニューヨーク近代美術館|《赤いアトリエ》、ニューヨーク近代美術館|《赤いアトリエ》の制作調査)

1910年代の実験――戦争、肖像、幾何学的な画面

モロッコの光と異なる文化との接触

1912年と1913年、マティスはモロッコを訪れ、タンジェなどで制作しました。建物や庭、植物、人物の衣服、室内を構成する布や模様が、新しい視覚体験をもたらします。広い色面と輪郭で場所の雰囲気をつかむ方法は、後の室内画や装飾絵画にもつながります。

この旅は、20世紀初頭にフランスが北アフリカへ影響力を広げた時代に行われました。マティスが描いた風景や人物は、ヨーロッパの画家としての視点と当時の移動条件のもとで制作されています。色彩や構図を鑑賞するとともに、異文化の表象と植民地時代の背景を理解することが、作品への視野を広げます。(参照:ニューヨーク近代美術館|マティスの生涯、メトロポリタン美術館|アンリ・マティスの生涯と作品)

《ピアノのレッスン》と制作の厳しさ

1916年の《ピアノのレッスン》には、ピアノに向かう少年と室内が描かれています。人物の顔は直線的な形に分割され、窓や家具、床が大きな色面として組み合わされています。全体には灰色や緑、黒が目立ち、1905年の明るい色彩作品とは異なる緊張が感じられます。

第一次世界大戦のさなか、マティスは画面を何度も描き直し、形を減らし、奥行きの関係を追究していました。作品の静かな室内には、練習する少年の姿と、幾何学的な形の秩序が重なっています。マティスの制作には、鮮やかな色だけでなく、制限された色域のなかで緊張をつくる探究もありました。(参照:ニューヨーク近代美術館|《ピアノのレッスン》、メトロポリタン美術館|アンリ・マティスの生涯と作品)

彫刻《背中》連作が示す形の変化

マティスは絵画と並行して彫刻にも取り組み、とりわけ背を向けた人物を扱う《背中》連作を長く制作しました。四つの状態を比べると、身体の表面が次第に大きな面と塊として整理され、最終段階の《背中Ⅳ》では強い垂直性を持つ構造へと変化しています。

各段階には別の造形的な意義があります。身体を立体としてどのように支えるか、髪や腕をどの程度独立させるか、量感を一体化させるには何を残すか。連作は、マティスが絵画と彫刻の双方で取り組んだ形の問題を具体的に見せます。原型の制作年とブロンズ鋳造の年が異なる点も、作品情報で確認したい要素です。(参照:ニューヨーク近代美術館|《背中Ⅳ》)

ニース時代――室内、布、人物と装飾

1917年以降のニースで生まれた室内画

1917年末からマティスはニースを主要な活動拠点とし、地中海の光が差し込む部屋で人物や静物を描きました。窓辺のカーテン、模様のある布、鏡、花瓶、椅子などを丁寧に配置し、人物と家具が重なり合う室内を制作しています。大画面で踊る身体を描いた時期から主題は変わりましたが、色と形の関係を考える仕事は続いていました。

窓から差し込む光は、布の模様や壁の色を変え、人物の身体の周囲に柔らかい空気をつくります。画面の中心に座る人と、その背景を覆う模様が近い強さで描かれることもあります。マティスの室内画を鑑賞するときには、人物の表情とともに、周囲の品々が画面全体をどのように構成しているかが重要です。(参照:ニューヨーク近代美術館|マティスの生涯、メトロポリタン美術館|アンリ・マティスの生涯と作品)

オダリスクとヨーロッパの異国趣味

ニース時代の代表的な題材に、装飾的な布や衣装を身につけた女性像があります。こうしたオダリスクの主題は、西洋の絵画が長く描いてきた北アフリカや中東への想像とも結びついています。マティスはアトリエにテキスタイルや家具を集め、モデルを配置して、色彩と模様に満ちた空間をつくりました。

これらの作品では、人物の身体と布の模様が画面全体を占め、ときに背景の色面が人物の輪郭と競い合うように働きます。制作場所はニースのアトリエであり、画面はマティス自身の選択によって構成されています。女性像が置かれた視覚文化と、画家が形を組み立てる方法の両方をたどることで、作品の複数の側面が見えてきます。(参照:メトロポリタン美術館|アンリ・マティスの生涯と作品、ニューヨーク近代美術館|マティスの生涯)

ピカソとの交流とそれぞれの絵画

20世紀の前衛美術では、マティスとパブロ・ピカソは互いの仕事を強く意識した画家として知られています。人物像や空間をどのように変えるかという課題を共有しながら、二人はそれぞれ異なる方法を展開しました。マティスは布や室内、身体を色彩の関係へと変え、同じ画面で複数の色と模様を調和させていきます。

二人の制作を比較すると、近代絵画の変化が一つの技法の発明だけによって起きたのではないことが分かります。描く対象を残すこと、形を断片化すること、色彩の自立性を強めることなどが、異なる作品の中で検討されました。マティスの仕事は、この多様な試みの中で独自の位置を占めています。(参照:メトロポリタン美術館|アンリ・マティスの生涯と作品、ニューヨーク近代美術館|1992年回顧展図録)

Henri Matisse - Young girl seated (La Biche)

アンリ・マティスによる『座る少女(ラ・ビッシュ)』
Henri Matisse – Young girl seated (La Biche) 1936
「La Biche」はフランス語で「雌鹿」を意味します。モデルの持つしなやかさや、どこか静かで内省的な佇まいを象徴しているとされています。別名として『コルセットとタヒチの背景(Corselet sur fond de Tahiti)』とも呼ばれます。
(WIKI COMMONS PUBLIC DOMAIN)

1930年代の大装飾画――切り紙への長い準備

Footage of Henri Matisse making a paper cut out

バーンズ財団の壁画《ダンス》

1930年、マティスはアメリカへ渡り、収集家アルバート・バーンズから施設の壁面を飾る大型作品の注文を受けました。壁画《ダンス》の構想では、建築の寸法、アーチの形、人物の身体がどう並ぶかを同時に考える必要がありました。マティスは実物大に近い作業を行いながら、人物や色面の配置を変更していきます。

1930年代のこの仕事は、晩年の切り紙の技法を理解する大切な手がかりです。塗った紙を切り、壁面へ仮留めすると、構図の変更をすばやく試せます。描き直す度に大きな面を塗り直す作業から離れ、色を持つ形そのものを動かしながら構成を探す方法が発展しました。(参照:ニューヨーク近代美術館|切り紙の技法と保存研究、国立新美術館|「マティス 自由なフォルム」展)

舞台装置、布、建築との関係

マティスは舞台美術や衣装のデザインにも取り組み、布や切った紙を使って大きさと動きを検討しました。踊る人間の身体は、絵画の中だけでなく、実際に人が動く空間でも重要な主題でした。装飾の仕事には、舞台から見える形、観客が離れた場所から受け取る色の強さ、建物との釣り合いを考える必要があります。

紙によって形をつくる方法は、このような実用的な課題とともに成熟しました。やがて色紙の切り抜き自体が独立した作品となり、画面の中に色を塗っていく従来の手順から、色を持つ形を切って並べる手順へと制作が広がります。1930年代までの装飾仕事は、この変化の長い準備段階だったと理解できます。(参照:ニューヨーク近代美術館|切り紙の技法と保存研究、国立新美術館|「マティス 自由なフォルム」展)

タヒチの記憶と晩年の海のイメージ

マティスは1930年の旅でタヒチにも滞在しました。海、船、珊瑚礁、空の広がり、植物などの経験は、後年の作品にも形を変えて現れます。切り紙で制作された《オセアニア、空》《オセアニア、海》には、鳥や魚、海草を思わせる形が壁面に広がり、遠い旅の記憶と現在の制作が結びついています。

こうした作品を制作するとき、マティスは目の前の風景をもう一度描き直す方法を選びませんでした。記憶の中で残った生き物の動きや空間の広がりを、色と輪郭によって構成しています。旅先の体験は、のちの切り紙で自由に組み替えられる形の源泉となりました。(参照:ニューヨーク近代美術館|切り紙の制作とアトリエ、ニューヨーク近代美術館|切り紙作品展)

晩年の切り紙の誕生――鋏で色を描く

1941年の手術と制作環境の変化

1941年、マティスは大きな手術を受け、体力や移動に制約のある生活を送るようになりました。その後も制作への意欲は衰えず、椅子やベッドに座った姿勢で紙を切り、助手とともに壁上の構成を試す仕事を進めます。切り紙は身体的な状況の変化と深く関係すると同時に、以前から続く色彩と輪郭の研究が結びついた制作方法です。

マティスはすでに舞台装飾や大壁画の準備に彩色紙を使っていました。晩年になると、それまで構図を検討するために使っていた紙の形が、そのまま芸術作品の中心になっていきます。絵具を塗る作業と、形の輪郭をつくる作業を組み合わせることで、色彩と素描を一度に進める方法が完成しました。(参照:ニューヨーク近代美術館|切り紙の技法と保存研究、ニューヨーク近代美術館|マティスの生涯)

グアッシュで塗った紙と鋏

切り紙の基本材料は紙とグアッシュです。グアッシュは不透明な水性絵具で、顔料の鮮やかさとマットな表面を生み出します。助手たちは大きな紙を必要な大きさに裁ち、絵具を水で調整しながら塗り、乾燥させました。筆触が残る色紙もあり、完成作品を間近で見ると、紙が単なる均一な色の板とは異なることが分かります。

マティスは床に置かれた色紙から選び、鋏を動かして輪郭を直接つくります。葉、花、星、鳥、泳ぐ人、身体を構成する曲面などの形は、鋏が紙を通った痕跡によって生まれます。大きな形では助手が紙を支え、長い曲線を切れるように助けました。切断には決断が必要ですが、切り終えた形は壁上で何度でも移し替えられます。(参照:ニューヨーク近代美術館|切り紙の技法と保存研究、ニューヨーク近代美術館|切り紙研究の解説)

色面と輪郭が同時に生まれる

絵画では、線を描いてから内側を塗る方法や、絵具を重ねて形を変える方法があります。切り紙では、色のついた紙を切り取る瞬間に色面の広がりとその輪郭が同時に決まります。曲線の細さや切り返す角度が、そのまま形の表情になります。マティスはこの仕事を鋏による素描として語りました。

切り紙を見るときは、青や赤といった色だけでなく、色と色の間に残る白い部分にも注目できます。青い紙が身体の片側をつくり、隣接する白い空間がもう片側を形づくる場合もあります。形は切り抜かれた紙の内部だけに存在するのではなく、互いの間隔や重なりによって成立しています。(参照:ニューヨーク近代美術館|切り紙の技法と保存研究、ポンピドゥー・センター|マティスと色彩・装飾)

切り紙の制作現場――助手と壁でつくる作品

彩色、仮留め、撮影を支えた助手たち

切り紙の制作には多くの作業がありました。助手は紙を彩色し、マティスが選んだ形を壁にピンで留め、位置の変更を手伝いました。作品が大型になるほど、作者が紙を切ることと、壁全体を設計することの間に協働が必要になります。重要な協力者の一人リディア・デレクトルスカヤは、制作と日常生活を支え、アトリエの様子を写真にも残しました。

最終的な構成を決める過程では、マティスが椅子やベッドから指示を出し、助手が壁に形を取り付ける場合もありました。作品の作者がどのように判断したかと、その判断がどのような人々の労働によって実現したかを知ることは、切り紙の物質的な性格を理解する助けになります。(参照:ニューヨーク近代美術館|切り紙の技法と保存研究、ニューヨーク近代美術館|切り紙の制作とアトリエ)

ピン留めで変わり続ける構成

切り紙は完成するまで、壁の上で配置が変わり続けることがありました。マティスは形の位置を少しずつ移し、離れた場所から眺め、新しい要素を加えます。壁に残るピン穴は、この試行の痕跡です。大きな作品を固定する際には、作品の形をなぞった記録や、紙の裏側の番号が使われることもありました。

印刷物やデジタル画像で見る切り紙は、完成した輪郭が平面に並んだものとして受け取られがちです。実際のアトリエでは紙の端がわずかに浮き、壁との間に影ができ、仮留めした形が動かせる状態でした。色と空間の関係を考える仕事が、現実の壁の上で行われていたことが分かります。(参照:ニューヨーク近代美術館|切り紙の技法と保存研究、ニューヨーク近代美術館|切り紙の制作とアトリエ)

貼り込みと保存科学が教えること

制作が終わった切り紙は、輸送や展示に耐えられるよう専門家が貼り込みを行う場合がありました。紙の重なりや色の表面は、貼り込み方法によって印象が変わります。MoMAの資料では、1952年頃から外部の専門業者による貼り込み方法が用いられ、大画面作品の輸送と保存が容易になった経緯が説明されています。

グアッシュの色は光に対する安定性が顔料によって異なり、一部の色は長い時間の中で退色します。現在展示されている作品の色は、制作時の状態と必ずしも完全に一致しません。保存修復の研究は、美しい色彩を見せ続けるためにどのような技術や判断が必要なのか、作品の歴史を新しく伝えています。(参照:ニューヨーク近代美術館|切り紙の技法と保存研究、ニューヨーク近代美術館|《プール》保存修復)

『ジャズ』――切り紙から生まれた色彩の書物

1947年刊行の『ジャズ』と出版の仕組み

『ジャズ』は1947年にテリアードの出版によって刊行された、マティスの代表的な画家の本です。マティスは1943〜44年頃から彩色紙を切って図版の原型を制作し、その後、手書きの文章と組み合わせて一冊の構成を整えました。図版は20点で、サーカスや舞台、旅、飛翔などを連想させる形が鮮烈な色彩で現れます。

刊行された『ジャズ』の図版は、原画の切り紙をそのまま貼ったものではありません。色を忠実に再現するため、ステンシルを用いたポショワールという印刷技法が採用されました。図版と文字がページをめくる順序の中で展開するため、一枚の作品を額に入れて見る経験と、書物として読む経験が重なっています。(参照:ニューヨーク近代美術館|『ジャズ』《イカロス》、ポンピドゥー・センター|《ブルー・ヌードⅡ》)

《イカロス》――黒い身体、赤い点、青い空

『ジャズ』の中でも有名な《イカロス》は、深い青の画面に黒い人の形と赤い点、周囲の黄色い星を思わせる形を置いています。手足を広げた黒い身体は空中に浮かぶようで、胸の位置に置かれた赤い点が強く目を引きます。ギリシア神話のイカロスが太陽へ近づいて墜落する物語を思い浮かべると、単純な構図にも生と死、飛翔と危険の緊張が感じられます。

マティスは第二次世界大戦の時期に原画を制作しており、作品を歴史と結びつける読み方も生まれています。図版そのものには、黒い身体の姿勢と周囲の色が明確に存在します。鑑賞者は、神話の場面としても、色と形の強い関係としても、この作品を受け取ることができます。(参照:ニューヨーク近代美術館|『ジャズ』《イカロス》)

図版と手書き文字がつくるリズム

『ジャズ』は図版だけで構成された作品集ではなく、マティス自身の大きな手書き文字が重要な要素になっています。ページを開くと、文字の黒い曲線と鮮やかな図版が隣り合い、読む速度と見る速度が入れ替わります。文字の行が進む向きと、切り紙の輪郭が広がる向きには、それぞれ異なるリズムがあります。

切り紙から印刷へ移された図版を理解するには、原画と印刷物の素材の違いも重要です。原画には紙の端や重なりがあり、印刷では均一な色と平らな表面が現れます。色彩の鮮やかさを広く届けるために印刷技術を活用したことも、切り紙が絵画の外へ広がった大切な事例です。(参照:ニューヨーク近代美術館|『ジャズ』《イカロス》、ニューヨーク近代美術館|切り紙の技法と保存研究)

ヴァンスのロザリオ礼拝堂――色と光でつくる空間

1948〜1951年の礼拝堂計画

マティスは晩年、南フランスのヴァンスに建てられたドミニコ会のロザリオ礼拝堂の設計と装飾に取り組みました。1948年から1951年にかけて、建物の空間、窓、陶板、祭服などを一体として考え、礼拝堂のための総合的な仕事を進めます。従来の画面を超え、そこに入る人が光と色を身体で感じる空間が制作の対象になりました。

礼拝堂では、白い壁面に黒い線で人物や植物の形が描かれ、ステンドグラスから入る色の光が床や壁に移ります。線と色を一枚の画面に閉じ込める方法から、建築の中で時間とともに移ろう光を使う方法へ、マティスの表現が広がったことを示します。(参照:国立新美術館|「マティス 自由なフォルム」展、ニューヨーク近代美術館|マティスの生涯)

ステンドグラスと切り紙の関係

礼拝堂のステンドグラスには、青、緑、黄などの色が用いられています。切り紙で試した植物の葉のような形や、曲線の大きな動きは、光を通す素材へ移されます。実際の室内では、光の方向と強さが変わるたびに色の現れ方も変化し、同じ形が一日の中で異なる印象を生みます。

白い陶板に描かれた簡潔な黒線と、窓から届く鮮やかな色が組み合わされ、建築の内側で絵画の要素が働きます。紙に切った形が別の素材や大きさへ展開できることは、マティスの装飾制作にとって大きな可能性でした。(参照:国立新美術館|「マティス 自由なフォルム」展、ポンピドゥー・センター|マティスと色彩・装飾)

典礼服のデザインまで広がる制作

礼拝堂の仕事には、聖職者が着る祭服などのデザインも含まれていました。布という柔らかな素材に置かれた形や色は、身につける人の動きによって見え方が変わります。マティスは建築、ステンドグラス、陶板、布などを、礼拝の場でつながる表現として扱いました。

2024年に国立新美術館で開催された「マティス 自由なフォルム」は、切り紙と礼拝堂を結びつけて紹介し、礼拝堂を体感できる展示も行いました。日本でマティスの晩年作品を知る人にとって、切り紙と建築の関係を理解する重要な機会となりました。(参照:国立新美術館|「マティス 自由なフォルム」展)

《ブルー・ヌード》――色面と空白がつくる人体

1952年の青い裸体像

1952年の《ブルー・ヌード》連作では、青い紙の形を組み合わせて、座ったり身体を折り曲げたりする女性像がつくられています。手足の輪郭は大胆に整理され、青い面の内部に細かな陰影は描き込まれていません。それでも脚の折れ、腕の重なり、胴体の量感が感じられます。

《ブルー・ヌードⅡ》では、青い形の間にある白い隙間が、身体を読み取るための重要な役割を持っています。膝と胴、腕と頭の間に残る白をたどると、青い紙で直接表されていない部分にも身体の動きが現れてきます。これは輪郭の見せ方を極限まで研ぎ澄ませた作品です。(参照:ポンピドゥー・センター|《ブルー・ヌードⅡ》)

単純な形へ至るまでの制作

切り紙の人体は、一見すると大胆な一筆で生まれたような印象を与えます。実際の制作では、色紙を切る作業、形同士の重なり、壁や台紙の上での配置変更が行われました。切り口の曲線が大きく動いて見えるのは、マティスが長く研究してきた人体の輪郭を、新しい素材で構成しているためです。

こうした表現は、1900年代の人物画や彫刻《背中》連作とも結びついています。身体の特徴を丹念に研究し、その後にどの線を残すかを選ぶ制作が続いてきました。晩年の切り紙では色と線の境界がさらに近づき、青い面と白い空間の関係から人体が現れるようになりました。(参照:ポンピドゥー・センター|《ブルー・ヌードⅡ》、ニューヨーク近代美術館|《背中Ⅳ》、ニューヨーク近代美術館|切り紙の技法と保存研究)

日本での《ブルー・ヌードⅣ》の紹介

2024年の国立新美術館「マティス 自由なフォルム」展には、ニース市マティス美術館が所蔵する《ブルー・ヌードⅣ》が出品されました。《ブルー・ヌード》の連作は、同じ青い紙による人体という主題が、異なる輪郭や身体の配置によって展開する点でも興味深い作品群です。

個々の作品を比較すると、青い面の大きさ、腕と脚の接続、白い隙間の形に違いがあります。色紙を切るだけという簡潔な技法から豊かな変化が生まれることを、日本の展覧会でも実作品を通して伝えてきました。(参照:国立新美術館|「マティス 自由なフォルム」展、ポンピドゥー・センター|《ブルー・ヌードⅡ》)

《プール》――部屋を取り囲む切り紙の世界

1952年、食堂に生まれた水の世界

1952年の夏、マティスは助手のリディアとプールへ出かけました。暑さのために早く帰宅した後、自分の部屋に水の世界をつくろうと考えたとMoMAは伝えています。マティスはニースのオテル・レジナの食堂の壁に長い白い紙帯を巡らせ、青く塗った紙から泳ぐ人や海の生き物を切り取りました。

《プール》の青い形は、天井や床から独立した一本の帯の中を泳ぐように配置されています。人の身体と魚の姿は似た曲線を持ち、同じ青い面が次々に形を変えます。壁の一面を見て終わる作品ではなく、室内を移動する鑑賞者の周囲に、青と白のリズムが続きます。(参照:ニューヨーク近代美術館|《プール》、ニューヨーク近代美術館|切り紙の制作とアトリエ)

泳ぐ人、魚、空白がつくる動き

《プール》を構成する形には、身体をひねる泳者や飛び込む人物、泳ぐ魚のような生物が見られます。水を直接描いた青い背景はなく、白い帯の中に青い形が置かれることで、水中の動きが感じられます。青い切り紙の間に残る白い空間もまた、泳ぐ身体と同じくらい重要です。

作品が実際の部屋に沿って延びるため、見る人は自分の立つ位置によって別の形を順に経験します。作品の全長は現在のMoMAの記録で約16.4メートルあり、九つのパネルが二つの部分に分かれています。図版を見るときには、この作品が一つの食堂を取り囲む長い構成として生まれたことを想像すると、鑑賞の視野が広がります。(参照:ニューヨーク近代美術館|《プール》、ニューヨーク近代美術館|《プール》保存修復)

作品の移設と保存修復

《プール》はマティスの死後に壁から取り外され、保存と展示のために異なる支持体へ移されました。MoMAは1975年に作品を収蔵し、その後、布地の変色や紙への影響が大きな保存上の課題となりました。2008年からの調査と修復では、色の関係と作品本来の設置方法を再考する作業が進められました。

保存修復の記録は、作品の姿が時間とともに変わり、研究と技術によって支えられていることを教えてくれます。青と白が鮮やかに見える現在の展示には、紙、接着、支持体、光に対する長い検討があります。切り紙が繊細な物質から成り立つ作品であることを理解できる事例です。(参照:ニューヨーク近代美術館|《プール》保存修復、ニューヨーク近代美術館|《プール》)

《かたつむり》と晩年の大画面

1953年《かたつむり》の大きな色面

1953年の《かたつむり》は、マティス晩年の切り紙を代表する大型作品です。鮮やかな黄、緑、赤、青、橙、紫などの形が、中心を囲むように配置されています。一見すると抽象的な色面の組み合わせに見えますが、題名を知ると、渦巻く殻を持つ生き物の形を想像できます。

マティスは実際のかたつむりを観察し、その形を記憶の中で整理した後に鋏を使ったと伝えられています。形の意味と色面の運動が重なり、鑑賞者は題名が示す生き物と、目の前の大きな色彩構成を行き来します。作品の大きさは約2.9メートル四方で、身体より大きな色の配置に包まれるような鑑賞体験を生みます。(参照:テート|《かたつむり》の作品紹介、テート|《かたつむり》と切り紙)

色同士の関係と渦巻く配置

《かたつむり》では、赤と緑、青と橙、黄と紫のような組み合わせが画面の各所で響き合います。形が中央へ向かって回転するように並ぶため、鑑賞者の視線も内側と外側の間を移動します。中心となる色紙の配置、周囲の余白、画面の外周に置かれた色が全体の勢いを支えています。

マティスはここで、色彩の快さと明確な構成を一体化させました。切り取られた色紙の端はそれぞれ不規則であり、角や曲線の方向が見る順序をつくります。作品を小さな図版で見ると抽象的な模様に感じられても、実物の尺度では色の面積と紙の輪郭が大きな存在感を持ちます。(参照:テート|《かたつむり》の作品紹介、ニューヨーク近代美術館|切り紙の技法と保存研究)

《花と果実》と装飾としての広がり

晩年には《花と果実》のように、壁面の広い範囲を覆う切り紙も制作されました。花、葉、果実を思わせる形が色鮮やかに配され、装飾の連続性が大きな空間へ展開しています。この作品は複数のカンヴァスをつないだ大作で、ニース市マティス美術館が所蔵しています。

2024年の国立新美術館「マティス 自由なフォルム」展では、《花と果実》が日本初公開されました。約4×8メートルという大きさを実際に体感できる展示は、切り紙が小さな紙片の集まりから建築的な規模へ発展したことを示しました。日本でのマティス受容を考えるうえでも、切り紙の大画面を紹介した重要な機会です。(参照:国立新美術館|「マティス 自由なフォルム」展、ニューヨーク近代美術館|切り紙作品展)

マティスの美術史的意義と日本での受容

次世代の色彩絵画への影響

マティスの絵画は、フォーヴィスムの誕生から晩年の切り紙まで、色彩と形の関係を考え続けた仕事として評価されています。色を描く対象の特徴として使うだけでなく、画面全体を成立させる要素として扱ったことは、戦後の色面絵画や抽象表現にも大きな可能性を開きました。

後の画家たちは大きな色の面、平面性、装飾的な広がりなどから刺激を受けました。マティス自身の作品には人物や植物、室内の主題が数多く残っています。具体的なものの形を手がかりにしながら、色そのものの働きを強めた点が、幅広い世代の制作へつながっています。(参照:ポンピドゥー・センター|マティスと色彩・装飾、ニューヨーク近代美術館|アンリ・マティスの作品と影響)

日本の展覧会から見える切り紙への関心

日本ではマティスの絵画と切り紙を紹介する展覧会が繰り返し開催されてきました。2024年の国立新美術館「マティス 自由なフォルム」は切り紙に焦点を当て、ニース市マティス美術館から約150点の作品と資料を紹介しています。《ブルー・ヌードⅣ》《花と果実》、ヴァンスの礼拝堂を扱う構成からも、晩年の表現を総合的に理解できる内容でした。

切り紙は図版や印刷物でも広く親しまれている表現ですが、実物の大きさや紙の重なりは、展覧会で新たに見えてくる要素です。日本の鑑賞者に親しまれてきた鮮やかな色と親しみやすい形を入口に、制作の経緯や保存技法、空間との関係へ理解を深めることができます。(参照:国立新美術館|「マティス 自由なフォルム」展)

色を切り、形を動かすという到達点

マティスは1954年11月3日にニースで亡くなりました。約60年に及ぶ活動をたどると、初期の素描と模写、新印象派の分割筆触、フォーヴィスムの大胆な色面、室内画、彫刻、壁画、切り紙へと、表現の方法が連続して変化していることが分かります。彼が向き合っていたのは、色彩が形をつくり、形が空間を動かすという絵画の基本的な問題でした。

晩年の切り紙では、色を塗った紙を鋏で切ることで、色彩と輪郭が一度に生まれます。その形を並べ替えると空間の印象が変わり、作品を壁へ広げると見る人の身体も構成の中に入ります。若い頃から続けてきた探究が、単純な材料を用いながら、大きく豊かな鑑賞体験へ発展しました。(参照:ニューヨーク近代美術館|マティスの生涯、ニューヨーク近代美術館|切り紙の技法と保存研究、国立新美術館|「マティス 自由なフォルム」展)

主要作品

1904年の新印象派の実験から、フォーヴィスム、装飾絵画、彫刻、晩年の切り紙まで、約半世紀の変化を代表する12点を選びました。各作品の詳細解説では画面の特徴、歴史・社会背景、制作方法、鑑賞の手がかりをあわせて紹介します。特に『ジャズ』の印刷図版と切り紙原画の違い、切り紙作品の素材と空間的な広がりを丁寧に扱います。

豪奢、静寂、逸楽

Luxe, calme et volupté / 1904年 / 油彩、カンヴァス / 98.5 × 118.5 cm

ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

1904年のサン=トロペで新印象派の色彩を学んだマティスが、点状の筆触を使って海辺の人物を描いた作品。セザンヌへの関心とシニャックとの交流が結びつき、フォーヴィスムへ向かう転換点を示しています。

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開いた窓、コリウール

Open Window, Collioure / 1905年 / 油彩、カンヴァス / 55.25 × 46.04 cm

ワシントン・ナショナル・ギャラリー

窓辺の赤や青、港の船や水面を示す短い筆触が画面の中で響き合います。外の風景を見るための窓が、大きな色面として存在感を持つ1905年の代表作です。

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帽子の女

Femme au chapeau (Woman with a Hat) / 1905年 / 油彩、カンヴァス / 80.8 × 59.7 cm

サンフランシスコ近代美術館

妻アメリーの肖像。緑や黄色を顔に使い、帽子と衣服を大胆な色の筆触で描きました。1905年のサロン・ドートンヌで注目を集め、フォーヴィスムの成立を語る重要作です。

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生きる喜び

Le Bonheur de vivre (The Joy of Life) / 1905–1906年 / 油彩、カンヴァス / 176.5 × 240.7 cm

バーンズ財団、フィラデルフィア

休息し、音楽を奏で、踊る人々が風景に広がる大画面。身体の輪郭と色面を自由に配置し、古典的な楽園の主題から新しい絵画の構成を生み出しました。

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ダンスⅠ

Dance (I) / 1909年 / 油彩、カンヴァス / 260.4 × 390.4 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

五人の裸体が輪になって踊る大画面。シチューキンの注文による1910年完成作のための構想作品で、青、緑、肌色などの限定された色面と輪郭が強い動きを伝えます。

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赤いアトリエ

The Red Studio / 1911年 / 油彩、カンヴァス / 181 × 219.1 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

マティス自身のアトリエを一面の赤でまとめ、内部の絵画や彫刻を描いた作品。赤を重ねる制作変更によって部屋の空間が変えられ、色彩そのものが構成を支えています。

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ピアノのレッスン

The Piano Lesson / 1916年 / 油彩、カンヴァス / 245.1 × 212.7 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

ピアノに向かう少年と室内を、灰色、緑、黒の幾何学的な面で構成。1910年代のマティスが取り組んだ描き直しと形の厳密な探究を示す大作です。

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背中Ⅳ

The Back (IV) / 1931年頃(原型) / ブロンズ / 188 × 112.4 × 15.2 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

《背中》連作の最終段階。人体の背面が大きな面と塊に整理され、強い垂直性を持つ彫刻になっています。原型と後年の鋳造の時期を区別して扱います。

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イカロス(『ジャズ』より)

Icarus (Icare) from Jazz / 1947年(刊行) / ポショワール(ステンシル技法)による印刷、紙 / 図像41 × 27.8 cm/紙42.2 × 65.3 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

切り紙原画をもとに印刷された『ジャズ』の一葉。青い画面に黒い人体、赤い点、黄色い星が置かれ、ギリシア神話のイカロスを思わせる色と形が鮮烈な印象を残します。

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ブルー・ヌードⅡ

Nu bleu II / 1952年 / グアッシュで彩色した紙を切り貼り、紙をカンヴァスに裏打ち / 103.8 × 86 cm

ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

青い切り紙の形と白い隙間から、座る女性の身体が現れます。色面と輪郭を同時につくる技法が、人体の量感と動きを少ない形で表現しています。

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プール

The Swimming Pool, Maquette for ceramic (realized 1999 and 2005) / 1952年 / グアッシュで彩色した紙を切り貼り、彩色紙 / 全体185.4 × 1643.3 cm(9パネル、2部構成)

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

ニースの住まいの食堂に巡らされた青と白の切り紙。泳ぐ人と海の生き物が壁を取り囲み、見る人が空間の中で作品を経験する大画面となりました。

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かたつむり

The Snail / 1953年 / グアッシュで彩色した紙を切り貼り、紙をカンヴァスに裏打ち / 286.4 × 287 cm

テート、ロンドン

色紙の大きな形が渦を描くように配置された晩年の代表作。かたつむりの観察から得た印象を鮮やかな色面へ変え、約2.9メートル四方の構成として展開しています。

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《豪奢、静寂、逸楽》――制作背景と鑑賞の手がかり

《豪奢、静寂、逸楽》には、地中海を望む風景の中で休む人物たちが描かれています。人物の身体や木々、海と空は、小さく分けられたさまざまな色の筆触によって構成されています。明るい黄、橙、青、緑、紫が互いに響き合い、陽光の下にある空気の感触が画面全体へ広がっています。

1904年にサン=トロペでシニャックと過ごしたマティスは、新印象派が研究してきた分割筆触と補色の理論を集中的に学びました。ポンピドゥー・センターは、この作品とサン=トロペでの人物画、マティスが所持したセザンヌの小さな絵との関係を指摘しています。人物を風景の中に配置する伝統的な主題と、色の一粒ずつが等しく働く近代的な方法が交わっています。

作品の題名はボードレールの詩に由来します。鑑賞するときは、風景の遠近や人物の細部に加え、色の点が画面全体でどのような明るさを生んでいるかに注目できます。この作品ののち、マティスは色をさらに広い面として扱い、1905年のフォーヴィスムへと進んでいきました。(参照:ポンピドゥー・センター|《豪奢、静寂、逸楽》の研究)

《開いた窓、コリウール》――制作背景と鑑賞の手がかり

《開いた窓、コリウール》では、室内から港を望む窓が描かれています。窓の両側には強い青と赤紫、開かれた窓枠には赤や橙が置かれ、窓の外には小さな船とマストが見えます。海、空、葉、船を表す短い筆触が、明るい光の中で重なっています。

マティスは1905年夏、ドランと地中海沿岸のコリウールで制作しました。二人は現実の風景を観察しながら、色を強く変え、筆触の種類や大きさを自由に試していきます。この作品では、外へ視線を導く窓が同時に鮮やかな色面となり、遠景と室内の間で見る人の目を行き来させます。

窓は西洋絵画で長く使われてきた、絵の奥へ空間を広げる装置です。マティスはこの構図を保ちながら、窓枠や壁の色に強い役割を与えました。港の眺めと室内の色彩が互いに支え合うこの作品には、後の《赤いアトリエ》などへ続く色面の構成がすでに現れています。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|《開いた窓、コリウール》)

《帽子の女》――制作背景と鑑賞の手がかり

《帽子の女》は、マティスの妻アメリーを描いた肖像画です。画面上部を大きな帽子が占め、顔には緑や黄色、桃色、灰紫などの色が細かな筆触となって現れます。衣服や背景にも強い色が置かれ、人物とその周囲が同じ程度の勢いで描かれています。

この絵は1905年のサロン・ドートンヌに出品され、当時の批評家や観衆に強い衝撃を与えました。肖像画には、その人に似た顔や衣服を描く役割がありました。マティスは顔に現実の肌色から大きく離れた色を用いながら、人物の眼差しや座る姿勢を保っています。色彩が人物の存在感をいっそう強めている点が特徴です。

作品を見比べる際には、鼻筋の緑と帽子の青、顔の黄と背景の桃色など、離れた場所の色をたどることができます。筆で塗った跡が画面に残され、完成した滑らかな表面とは別の豊かな絵肌をつくっています。フォーヴィスムの革新が風景から人物画へ広がったことを示す代表作です。(参照:サンフランシスコ近代美術館|《帽子の女》)

《生きる喜び》――制作背景と鑑賞の手がかり

《生きる喜び》は、木々に囲まれた大きな風景に、さまざまな姿勢の裸体を配した作品です。休む人、抱き合う人、楽器を奏でる人、遠くで輪になって踊る人々が描かれ、穏やかな楽園の場面が広がっています。人物は現実の大きさや距離の規則にきっちり従う形で置かれておらず、曲線と色面によって画面全体の調和がつくられています。

1906年のアンデパンダン展で発表され、のちにレオとガートルード・スタインのコレクションへ入りました。バーンズ財団は、この作品をヨーロッパ近代美術の重要な転換点として紹介しています。古典的な楽園や田園の主題に、強い色彩、自由な身体の配置、細部より画面の全体を優先する新しい方法が導入されました。

絵の奥で踊る人々の小さな輪は、後の《ダンス》を思い起こさせます。人物の周囲を流れる木の枝や丘の曲線を追うと、ばらばらの行為が同じリズムでつながることが分かります。人物を一人ずつ見る楽しさと、色や輪郭が画面全体をどう構成しているかを見る楽しさが重なる作品です。(参照:バーンズ財団|《生きる喜び》)

《ダンスⅠ》――制作背景と鑑賞の手がかり

《ダンスⅠ》には、五人の裸体が手をつないで輪になり、身体を大きく動かす様子が描かれています。空の青、大地の緑、人物の淡い肌色が広い面として置かれ、表情や背景の細部は大胆に省略されています。両腕を大きく伸ばす人物同士の手がつながりきらない部分には、踊りの勢いが感じられます。

1909年、ロシアの収集家シチューキンは、住宅の階段の踊り場に設置する大きな装飾画《ダンス》と《音楽》をマティスに注文しました。《ダンスⅠ》はこの仕事に向けた構想作で、完成した1910年の《ダンス》はエルミタージュ美術館に収蔵されています。画家は人物を細かく描き込む方法から、色彩と長い曲線だけで動きを伝える方法へ進んでいました。

作品の横幅は約3.9メートルあり、画面の前に立つ人は身体の連続した動きを大きな尺度で感じます。視線を輪に沿って動かすと、腕や脚の方向が次の人物へと引き継がれていきます。描かれた身体の動きと、鑑賞者自身の目の動きが一つにつながることが、この作品の魅力です。(参照:ニューヨーク近代美術館|《ダンスⅠ》)

《赤いアトリエ》――制作背景と鑑賞の手がかり

《赤いアトリエ》には、マティスの制作場所に置かれた絵画、彫刻、陶器、家具などが描かれています。床も壁も広い赤い色面に覆われ、部屋の輪郭は赤の中に残された細い線によって読み取れます。周囲の赤と対照的に、アトリエ内の作品はそれぞれ別の色彩を保ち、小さな展覧会のように見えます。

1911年に制作されたこの絵について、MoMAの研究は、当初の床や壁が異なる色で描かれ、その後赤が広く塗り重ねられたことを示しています。つまり作品の特徴である赤い空間は、制作途中に行われた大きな変更によって成立しました。画家は室内の物の配置を残しながら、色彩を使って空間の表情そのものを変えました。

画面の中には時計も描かれています。その針が見えないことは、制作の場に流れる独特の時間を連想させます。近くで見ると家具の輪郭や絵具の重なりが現れ、離れて見ると赤い色の広がりが画面を統一します。部屋を描く絵画でありながら、色彩が新しい空間をつくるという近代絵画の可能性を示した重要作です。(参照:ニューヨーク近代美術館|《赤いアトリエ》)

《ピアノのレッスン》――制作背景と鑑賞の手がかり

《ピアノのレッスン》は、少年が室内でピアノに向かう姿を描いています。少年の顔や身体、窓、床、家具が、直線的な形と大きな面によって組み立てられています。灰色や緑、黒の落ち着いた色が多く、画面には静かな緊張があります。

制作された1916年は第一次世界大戦のさなかでした。マティスはこの頃、色数や形を制限した構成に取り組み、作品の表面を削ったり描き直したりしながら、大きな面の釣り合いを研究していました。人物の置かれた部屋も、この実験の場になっています。

目を引くのは、少年の顔に現れる鋭い三角形や、室内を切り分ける線の方向です。奥行きのある部屋を描きながら、画面には平たい色面が強く現れます。マティスの絵画に感じられる穏やかさは、時期や作品によって大きく異なる表情を持ち、この作品は厳密な構成と緊張をよく示しています。(参照:ニューヨーク近代美術館|《ピアノのレッスン》)

《背中Ⅳ》――制作背景と鑑賞の手がかり

《背中Ⅳ》は、背を向けた女性の身体を表す大型の彫刻です。髪や背中、腰、脚にあたる部分が大きな塊へと統合され、身体全体が垂直に立ち上がる構成になっています。近くで見るとわずかな段差や量感の違いがあり、離れると一つの強い形として現れます。

マティスは長い年月をかけて《背中》の四つの状態を制作しました。最終段階の《背中Ⅳ》は1931年頃の原型を基にし、ブロンズ鋳造は後年に行われました。MoMAは、この作品が先行する状態を基にして形を整理し、建築的なまとまりを得た経過を説明しています。

この連作を見ると、形を省略することが、画面や立体の力を変える手段であると分かります。身体の細部が減るにつれて、背中の大きな面の働きや作品の重さが前面に現れます。晩年の《ブルー・ヌード》の平たい人体と並べると、彫刻と切り紙に共通する造形上の関心が見えてきます。(参照:ニューヨーク近代美術館|《背中Ⅳ》)

《イカロス(『ジャズ』より)》――制作背景と鑑賞の手がかり

《イカロス》は、1947年に刊行された『ジャズ』に収められた図版です。画面には深い青が広がり、その中に両手足を開いた黒い身体、胸元の赤い点、周囲の黄色い星のような形が置かれています。人物には細かな顔の描写がなく、黒い輪郭だけで宙に浮かぶような姿が伝わります。

この作品はグアッシュで塗った紙を切った原画をもとにし、刊行された図版はポショワールというステンシル印刷で制作されました。MoMAは、マティスが原画の色彩の再現を重視し、そのために印刷方法が選ばれた経緯を説明しています。作品の制作と、それを多くの人に届けるための出版技術が密接に結びついています。

題名からは、太陽へ近づき、地上へ落ちるギリシア神話のイカロスが思い浮かびます。画面の色はごく少なく、人物の姿と周囲の色の関係が強い印象を生みます。『ジャズ』という書物の中では、ほかの図版やマティス自身の手書き文字とともに、この一葉が独特のリズムを形成しています。(参照:ニューヨーク近代美術館|『ジャズ』《イカロス》)

《ブルー・ヌードⅡ》――制作背景と鑑賞の手がかり

《ブルー・ヌードⅡ》は、青い紙の形を組み合わせて座った女性の身体を描いた切り紙作品です。紙の大きな曲線は、折り曲げられた腕や脚、上半身を表し、背景の白い部分も人体の一部を形づくります。強い青と白の対比だけで、身体が折れたり重なったりする様子が立体的に感じられます。

マティスは1952年に《ブルー・ヌード》連作を制作しました。ポンピドゥー・センターの作品記録には、グアッシュで彩色した紙を切り貼りし、紙をカンヴァスへ裏打ちした技法が示されています。色の表面には彩色紙ならではの物質感があり、切り口は鋏の動きを感じさせます。

この作品で特に重要なのは、青い部分の間に残された白い形です。白い隙間が身体のつながりを読み取る手がかりとなり、色を置くことと色のない部分を残すことが同じくらい重要になります。人物という身近な主題を通して、輪郭と空間を簡潔な色面でつくる晩年の表現が理解できます。(参照:ポンピドゥー・センター|《ブルー・ヌードⅡ》)

《プール》――制作背景と鑑賞の手がかり

《プール》は、マティスが1952年の夏にニースの住まいの食堂を取り巻くようにつくった切り紙です。長い白い帯の上に、青い紙から切り取られた泳ぐ人や海の生物の形が続いています。魚と人間の身体は似た曲線で表され、青い輪郭が次々に姿を変えることで、水の中を移動するような印象が生まれます。

MoMAによれば、マティスは助手のリディアとプールを訪れた後、自分の部屋に水の世界をつくろうと考えました。食堂の壁に白い紙を巡らせて青い形を仮留めし、完成後も実際の空間と切り離せない作品となりました。現在の所蔵記録では、作品全体の長さは約16.4メートルに及びます。

この作品では鑑賞者の身体の位置が重要です。壁に沿って移動すると、泳者の形が目の前を通り過ぎ、別の形へ連なっていきます。作品の保存修復では、変色した支持体や紙への影響を調べ、もとの空間的な体験をどのように展示へ引き継ぐかが検討されました。切り紙が絵画、装飾、建築を横断した代表例です。(参照:ニューヨーク近代美術館|《プール》)

《かたつむり》――制作背景と鑑賞の手がかり

《かたつむり》は、1953年に制作された約2.9メートル四方の切り紙です。赤、緑、黄、青、橙、紫などの大きな色紙が中心を囲むように配置され、渦巻くような印象を生み出しています。色の面積が大きく、作品の前に立つとそれぞれの色の塊が身体に迫ってきます。

マティスは実際のかたつむりを観察し、その印象を整理した後に鋏を使ったと伝えられています。題名を知らずに見ると大胆な抽象的構成に感じられ、題名を知ると殻の渦巻きが浮かび上がります。テートの資料は、赤と緑、青と橙、黄と紫などの組み合わせが鮮やかな効果を生むことを指摘しています。

各色紙の輪郭や重なり、周囲の余白が一つの大きな構成を支えています。鑑賞者は生き物の形を探しながら、色彩の独立した美しさも経験できます。晩年の切り紙が持つ自由さと、長い試行の末に得られた構成の確かさを、同時に感じられる作品です。(参照:テート|《かたつむり》の作品紹介)

略年譜

1869
12月31日、フランス北部ル・カトー=カンブレジに生まれる。
1891
法律の仕事から絵画へ転じ、パリで学び始める。
1890年代
ギュスターヴ・モローに学び、古典絵画と近代絵画を研究する。
1904
サン=トロペでシニャックと交流。《豪奢、静寂、逸楽》を制作。
1905
ドランとコリウールで制作。《開いた窓》《帽子の女》を発表し、フォーヴィスムの中心人物となる。
1905–1906
《生きる喜び》を制作。1906年のアンデパンダン展に出品。
1908
「画家のノート」を発表。
1909
シチューキンの装飾画に向けた《ダンスⅠ》を制作。
1910
シチューキンのための《ダンス》《音楽》を完成。
1911
《赤いアトリエ》を制作。
1912–1913
モロッコへ旅行し、風景、人物、建物などを描く。
1916
《ピアノのレッスン》を制作。
1917
ニースでの活動を本格化。以降、室内画やオダリスクを継続して描く。
1930
アメリカとタヒチを訪れる。バーンズから大型壁画を注文される。
1930年代
バーンズ財団の《ダンス》制作で彩色紙を構図検討に活用。
1931頃
彫刻《背中Ⅳ》の原型を制作。
1941
大きな手術を受ける。のちに切り紙の制作を拡大。
1943–1944
『ジャズ』のための切り紙原画を制作。
1946
《オセアニア、空》《オセアニア、海》を制作。
1947
切り紙をもとにした図版と手書き文字からなる『ジャズ』刊行。
1948–1951
ヴァンスのロザリオ礼拝堂の設計と装飾に取り組む。
1952
《ブルー・ヌードⅡ》《プール》などを制作。
1953
《かたつむり》を制作。
1954
11月3日、ニースで死去。
2024
国立新美術館「マティス 自由なフォルム」展で切り紙《花と果実》が日本初公開される。

参考資料・出典

アンリ・マティスの制作史、所蔵作品、切り紙の工程、保存修復、展覧会の記録は、各美術館と研究機関の公式資料を照合して記述しました。作品ごとの鑑賞解説には画面に観察できる特徴に基づく分析を含みます。切り紙の原画と『ジャズ』の印刷図版、壁画とその構想作、彫刻の原型と鋳造作品は、それぞれ媒体と制作段階を区別しています。資料確認日:2026年10月16日。

資料確認日:2026年10月16日 / ART LIBRARY