Art Library

Hans Haacke

ハンス・ハーケ

ドイツ/アメリカ合衆国 / 1936– / コンセプチュアル・アート/制度批判/システム・アート/環境芸術

Hans Haacke: Fighting the establishment(San Francisco Museum of Modern Art)
Hans Haacke. Castillos en el aire (Museo Reina Sofía)

ハンス・ハーケ(Hans Haacke、1936–)は、1960年代初頭の水、空気、光、植物といった物理・生物学的な現象から出発し、やがて不動産所有、美術館の理事会、企業スポンサー、国家の記憶、議会制度へと対象を広げてきたドイツ生まれの作家です。一見すると、《Condensation Cube》の水滴と《Shapolsky et al. Manhattan Real Estate Holdings》の不動産記録、《Germania》の砕かれた床、《DER BEVÖLKERUNG》の土と植物はまったく異なる作品に見えます。しかしハーケ自身の制作史では、これらは断絶していません。彼が一貫して見てきたのは、単独で完結した「物」ではなく、複数の要素が互いに作用し、外部環境によって変化し続けるシステムです。

その意味で、ハーケを「美術館を批判する政治的なコンセプチュアル・アーティスト」とだけ説明するのは不十分です。1960年代にはZERO周辺で反射、空気、水、運動を扱い、Jack Burnhamとの交流を通じてシステム理論の語彙を得ました。1969年頃からは観客の属性、通信社ニュース、政治的選択、不動産登記など、社会の情報循環そのものを作品化し、1971年にはグッゲンハイム美術館で予定されていた個展が開幕前に中止される事件を経験します。その後も企業の文化支援、アパルトヘイト、国家主義、歴史記憶、市場、議会制民主主義を、具体的な資料と展示制度の内部から問い続けました。本記事では、初期の「環境システム」と後年の「制度批判」を別々の時期として切断せず、何が連続し、どこで方法が変化したのかを追います。

生涯と制作の出発点

Hans Haackeは1936年8月12日、ケルンに生まれました。幼少期は第二次世界大戦とナチ体制の崩壊を経験し、戦後ドイツで成長します。SmithsonianのArchives of American Artによる2009年のオーラル・ヒストリーでは、彼は戦争が子ども時代へ与えた影響、祖父を通じた美術への関心、若い頃に「現代美術は抽象でなければならない」と考えていたことなどを振り返っています。後年の国家、制度、民主主義への強い関心を、幼少期の経験だけで単純に説明することはできませんが、政治と文化が無関係ではあり得ないという感覚は、彼の長い制作を理解する重要な背景です。

1956年から1960年までKasselのStaatliche Werkakademieで学び、Fritz Winterのもとで絵画を専攻しました。この時期のハーケはまだ主として抽象絵画と版画を制作しています。1960年にはDAADの奨学金でパリへ渡り、Stanley William HayterのAtelier 17に関わりました。翌1961年にはFulbright奨学金を得てフィラデルフィアのTyler School of Fine Arts、Temple Universityで学び、1962年以降はニューヨークでも活動します。1965年に再びニューヨークへ移住して以降、同地を長く生活と制作の拠点としました。

戦後ドイツ、Kassel、documenta

Kasselで学んでいた1950年代後半は、戦後西ドイツが国際的な現代美術との接続を急速に回復していた時期です。1955年に第1回documentaが開催され、1959年のdocumenta 2では、学生だったハーケが会場の展示記録写真を撮影しました。2025年のBelvedere 21回顧展でも《Photographic Notes, documenta 2, 1959》が紹介され、後年の「制度を観察する作家」以前から、展覧会を外側から記録する経験を持っていたことが改めて示されています。

もっとも、この経験を後の制度批判へ一直線につながる予兆として読むべきではありません。当時のハーケが取り組んでいたのは、主として抽象絵画、版画、光や反射に関する実験でした。重要なのは、作品を単独の物体として扱うより、作品・展示空間・観客・光の関係へ関心を広げる契機が、1960年代初頭から複数の場所で重なっていったことです。

ZEROと「完成した物体」からの離脱

1962年、ハーケはアムステルダムのStedelijk Museumで開催された《NUL 1962》に参加し、Otto Piene、Heinz MackらZERO周辺の作家たちと接点を持ちました。Belvedereの詳細年譜によれば、1965年までにZERO関連の展覧会へ複数回参加しています。ZEROの作家たちは、戦前の表現主義的な身振りや重い絵画性から距離を取り、光、空気、水、火、反射、運動といった現象へ作品を開こうとしていました。

ハーケにとって重要だったのは、形を作って固定することより、ある条件を設定したとき何が起きるかを見ることでした。透明な素材の内部に水を入れる、送風機で布を浮かせる、気流の中に球を置くといった作品では、作者が最終形を一つに決めることができません。作品は毎回同じ構造を持ちながら、温度、湿度、風、重力、観客の存在によって状態を変えます。この「条件を設計し、結果を完全には支配しない」という方法が、後の社会システムを扱う作品にも引き継がれます。

Jack Burnhamとシステムという考え方

1962年にフィラデルフィアで知り合った彫刻家・批評家Jack Burnhamは、ハーケの制作を理解する上で重要な人物です。ハーケ自身は後年、Burnhamが1960年代半ばにシステム理論を紹介してくれたと述べています。Ludwig von Bertalanffyの一般システム理論、サイバネティクス、情報理論などの語彙は、すでに自分が水、空気、温度、成長を扱う中で行っていたことを整理する助けになりました。

ここで「システム」は、機械的で閉じた構造を意味しません。むしろ複数の要素が相互作用し、外部からエネルギーや情報を受け取り、時間とともに状態を変える関係です。ハーケは物理的、 biological、社会的なシステムを同じものとして単純化したわけではありませんが、「単独の要素を切り離して理解できない」という考え方を共有させました。

この視点から見ると、1960年代後半から1970年代に起きた制作上の変化は、自然から政治へ突然転向したのではありません。水滴の発生条件を調べることと、不動産所有の企業関係を調べることは対象こそ異なりますが、見えない関係を可視化し、変化を生む条件を示すという方法では連続しています。

《Condensation Cube》――彫刻を気候へ変える

《Condensation Cube》は1963年に構想され、その後複数の版・再制作を持つハーケ初期の代表作です。Hirshhorn Museum所蔵版は透明なPlexiglasと水からなる約76センチ角の立方体で、内部の水が蒸発し、透明面に凝結し、滴となって流れ落ちます。外見だけを見ればミニマリズムの幾何学的立方体に近いものの、内部は常に変化しています。

この作品では、水滴の配置を作者が描いたり彫ったりしているのではありません。室温、照明、来館者の数、展示空間の空調などが内部と外部の温度差へ影響し、凝結の状態を変えます。つまり美術館の「環境」が、作品の外側にある背景ではなく、作品を実際に動かす要素になります。

National Gallery of Artが《Condensation Wall》を説明する際に強調しているように、これは幾何学的な形と有機的・物理的な過程を組み合わせた作品です。形は固定されていても、出来事は固定されません。ハーケはこのような作品を通じて、彫刻を完成した物質から持続する過程へ移しました。

空気、風、布――《Blue Sail》

《Blue Sail》(1964–65)では、薄い青いシフォン布が糸と重りで吊られ、送風機の風を受けて膨らみ、しぼみ、ゆっくり形を変え続けます。SFMOMA所蔵版では、布、首振り扇風機、釣り用の重り、糸というごく身近な材料が使われています。作品の大きな青い面は彫刻のような量感を生みますが、その形は一瞬ごとに変わります。

重要なのは、送風機を隠して魔術的な浮遊を演出しないことです。装置は見える状態にあり、観客は布がなぜ動くのか理解できます。それでも次の瞬間の形は予測できません。原因は開示されているが結果は固定されない。この構造は、後にハーケが社会的情報を扱う際にも現れます。彼は「秘密の真実」を暴くというより、公開情報を組み合わせ、観客自身が関係を追える状態を作ります。

草、動物、水――生きたシステム

1967年から69年にかけて制作された《Grass Grows》は、土の山にライグラスの種を播き、展示期間中に発芽、成長、枯死する過程そのものを作品としました。1969年、Cornell UniversityのAndrew Dickson White Museumで開催された《Earth Art》での発表がよく知られています。後年ハーケは、土の山の「形」そのものには関心がなく、植物の成長という現象と、エネルギー・情報の相互作用に関心があると説明しました。

同時期には、孵化装置の中でひよこが生まれる《Chickens Hatching》、蟻の巣作りを扱う《Ant Co-op》、空気中の物体運動、氷や雪、水流などを扱う作品も制作しています。これらは「自然を美しく見せる彫刻」ではなく、人間が完全には制御できない生物学的・物理的な変化を展示空間に組み込む試みでした。

この時期に、彼が環境問題や生態学的な関心へ近づいていくことも重要です。ただし「植物を使ったからエコ・アート」と現在の語彙だけでまとめると、当時の実験性が薄れます。関心の中心には、作品と環境が互いに作用する「リアルタイム・システム」がありました。

環境芸術とエコロジーの違い

ハーケの初期作品には自然現象を扱うものが多いため、環境芸術やエコロジカル・アートの先駆として紹介されます。2024–25年のSCHIRN回顧展も、《Monument to Beach Pollution》(1970)や《Rhinewater Purification Plant》(1972)を、非常に早い時期の環境問題への直接的な応答として位置づけました。

しかし、ハーケの仕事では「自然」と「社会」を別々の領域として切り分けることが難しくなります。川の汚染を扱えば、その背後には工業生産、自治体、法規制、企業、排水設備が存在します。草を育てれば、展示施設の光、温度、水やり、人員、管理制度が必要になります。自然の循環を見せる作品は、同時にその循環へ介入する社会的な条件を露出させます。

そのため、1969年頃から社会制度を扱い始めたことを「自然から政治への転向」と表現すると、重要な連続性を見失います。対象が水や植物から美術館、企業、不動産へ変わっても、何が何に依存しているかを追跡する態度は変わっていません。

《News》――美術館へ外部世界を流し込む

《News》(1969)は、通信社から送られてくる最新ニュースをテレタイプ端末で連続的に紙へ印字し、その紙を展示空間へ蓄積させる作品として構想されました。現在SFMOMAが所蔵する2008年版ではRSSニュースフィード、プリンター、紙を用いて再構成されています。ニュースは美術館の外で起きる戦争、政治、経済、事故、社会事件を次々に室内へ送り込みます。

通常、美術館は作品を時間から切り離し、保存された物として提示します。《News》はその反対に、外部世界の更新を止めることができません。紙は増え続け、情報は古くなり、新しいニュースが上に重なります。作品の「現在」は固定されず、展示期間中ずっと更新されます。

ここでは自然現象を扱った初期作品との連続性が明確です。《Condensation Cube》では気温や湿度が内部状態を変え、《News》では世界の出来事と通信網が展示内容を変えます。美術館の中へ外部の条件を流し込み、作品を閉じた自律的な物体ではなくする点で、二つは同じ問題を扱っています。

観客を調査対象にする

1969年以降、ハーケは展覧会の来場者そのものをデータとして扱う作品を制作しました。《Gallery-Goers’ Birthplace and Residence Profile》では、来場者へ出生地や居住地を尋ね、結果を地図や統計として展示します。観客は「作品を見る人」であると同時に、美術館がどのような人々によって構成されているかを示す情報になります。

美術館はしばしば「誰にでも開かれた公共空間」を掲げますが、実際の来館者には居住地域、階級、教育、文化資本などの偏りがあります。ハーケは、理想としての公共性ではなく、実際にそこへ来ている人々の分布を可視化しました。作品は美術館が自分自身について語るイメージと、現実の利用者構成との間に距離を作ります。

この方法は、後のAndrea Fraserなどの制度批判へ大きくつながります。ただしハーケの特徴は、批評文を壁に掲げるだけでなく、展覧会そのものを調査装置として働かせることです。情報が作品の外にある説明ではなく、作品の素材になります。

《MoMA Poll》――参加と政治を接続する

1970年、MoMAの国際展《Information》で発表された《MoMA Poll》は、二つの透明な投票箱と質問文からなる作品です。来館者は一人一票を受け取り、「Governor RockefellerがPresident Nixonのインドシナ政策を批判しなかったことは、11月の選挙で彼に投票しない理由になりますか」という趣旨の質問にYes/Noで答えました。

ここでNelson Rockefellerを名指ししたことには、美術館内部に具体的な緊張がありました。Rockefeller家はMoMAと深い関係を持ち、Nelson自身も美術館の理事を務めていました。作品は抽象的な「政治参加」ではなく、美術館、理事、ニューヨーク州政治、ベトナム戦争という現実のネットワークを一つの展示空間に接続しました。MoMAのアーカイブ資料によれば、Rockefeller側から作品を問題視する連絡もありましたが、展示は継続されました。

同時に《MoMA Poll》は、単純な政治的メッセージではありません。質問文の設計、投票箱の透明性、一人一票という手続き、集計の公開など、「意見が公共データへ変換される制度」を作品化しています。観客参加型アートであると同時に、世論調査、選挙、統計、公共圏の構造を小さなモデルとして見せる作品です。

《Shapolsky et al.》――都市を所有関係から読む

1971年の《Shapolsky et al. Manhattan Real Estate Holdings, a Real-Time Social System, as of May 1, 1971》は、マンハッタンのLower East SideとHarlemに存在した不動産所有網を、公的登記記録から追跡した作品です。Whitney Museumによれば、146点の建物写真、地図、不動産取引を示す図表、住所・所有構造・金融履歴に関するテキストから構成されています。

一枚一枚の写真は、ドラマチックな「スラム街の写真」ではありません。建物の正面を比較的淡々と記録し、その隣に所有者名、会社名、取得価格、抵当、取引履歴などを置きます。都市の外観を眺めるだけでは見えない経済関係が、写真と文字の組み合わせによって現れます。

ここで重要なのは、ハーケが秘密資料を盗み出したのではなく、公開情報を利用したことです。個々の記録は誰でも閲覧できても、別々の帳簿へ分散していれば関係は見えにくい。作品は情報を「発見」する以上に、既存情報を再配置し、所有ネットワークとして読める形に変換しました。

また作品名に「as of May 1, 1971」とあるように、提示された情報には時点があります。社会システムは固定された真理ではなく、売買、相続、法人変更によって更新されます。初期の水滴や草の作品と同様に、ここでもハーケは変化する状態の一断面を示しています。

1971年Guggenheim展中止――制度批判が制度に衝突する

《Shapolsky et al.》を含むハーケの個展は、1971年4月30日にSolomon R. Guggenheim Museumで開幕する予定でした。しかし開幕約6週間前、館長Thomas M. Messerは展覧会を中止します。MoMA所蔵《Solomon R. Guggenheim Museum Board of Trustees》(1974)の解説は、ハーケの「社会的・政治的目的への積極的関与」が美術館の使命に反すると判断されたことを記しています。

当時の担当キュレーターEdward Fryは展覧会継続を支持し、その後職を解かれました。Whitney Museumも《Shapolsky et al.》の解説で、個展中止だけでなくFryが解任されたことを確認しています。この事件によって、ハーケの作品が批判していた「美術館の権限」が、まさに展覧会を中止する判断として現実に作動しました。

この出来事を「ハーケが美術館の不正を暴き、美術館が図星を突かれて検閲した」という単純な物語へ縮めるのは慎重であるべきです。中止の理由、法的懸念、作品の社会的機能をめぐって当時から複数の議論がありました。ただし、芸術作品が制度を外側から批判するのではなく、その制度内部の決定権、リスク管理、展示方針を実際に露出させた出来事だったことは確かです。

Hans Haackeの作品をどう見るか

まず、作品の「見た目」だけで判断しないことが重要です。《Condensation Cube》なら透明な立方体、《Shapolsky et al.》なら写真と文字、《MetroMobiltan》なら大きな建築的構造として見えます。しかしハーケの作品では、形そのものより、何が何と接続されているかを追う必要があります。水と気温、ニュースと通信網、建物と所有会社、美術館と理事、スポンサー企業と政治が、作品の実質的な素材です。

次に、「政治的なメッセージ」と「調査の仕組み」を分けて見ます。ハーケには明確な政治的立場がありますが、代表作の多くはスローガンだけで完結しません。資料の出典、分類、配置、比較、反復、投票方法など、情報をどのように読ませるかが造形上の中心です。写真、表、地図、企業ロゴ、広告形式、建築装飾は、内容を運ぶ容器ではなく、内容の意味を変える形式として選ばれています。

さらに、美術館そのものを作品の外部だと思わないことです。ハーケは展示会場の資金源、所有者、理事、建築、観客層を作品へ取り込みます。鑑賞者が「この作品は何を批判しているのか」と考えるとき、その作品を展示している制度や自分自身も関係の一部に入っています。

最後に、1960年代の自然現象作品と1970年代以降の制度批判を別の作家のように切り離さないでください。ハーケは一貫して、孤立した対象より、その対象を成立させる条件と関係を見ようとしています。彼の制作を理解する鍵は「政治的かどうか」よりも、「何をシステムとして見るのか」という問いにあります。

主要作品

《Condensation Cube》《Blue Sail》の物理システムから、《Grass Grows》の生物学的システム、《News》《MoMA Poll》の情報と参加、《Shapolsky et al.》以後の社会・制度調査、さらに《Germania》《DER BEVÖLKERUNG》《Gift Horse》まで、ハーケが「システム」の対象を拡張していく過程が分かる12点を選びました。

凝縮の立方体

Condensation Cube / 1963/2017(再制作) / プレキシガラス、水 / 76.2 × 76.2 × 76.2 cm

Hirshhorn Museum and Sculpture Garden, Smithsonian Institution

透明な立方体内部で水が蒸発・凝結・流下を繰り返す初期代表作。幾何学的な外形は固定されていても、内部の状態は室温や光など周囲の条件によって変化します。彫刻を完成した物体ではなく、環境と相互作用するリアルタイム・システムとして考えるハーケの出発点です。

所蔵館の作品情報 ↗

ブルー・セイル

Blue Sail / 1964–1965 / シフォン、首振り扇風機、釣り用の重り、糸 / 335.3 × 325.1 cm

San Francisco Museum of Modern Art

送風機の気流を受けた薄い布が膨らみ、しぼみ、予測できない形を作り続けます。原因となる装置を隠さず、物体の形よりも空気、重力、時間の相互作用を見せる作品です。ZERO周辺の実験からシステム的な思考へ進む過程を示します。

所蔵館の作品情報 ↗

草は育つ

Grass Grows / 1967–1969 / 土、泥炭、ライグラスの種 / 可変

作品は再制作型インスタレーションとして各地で展示

土の山に種を播き、発芽、成長、枯死する過程そのものを作品にします。1969年Cornell Universityの《Earth Art》で発表された代表的な生物学的システム作品で、固定された形よりも成長という現象を重視しました。

所蔵館の作品情報 ↗

ニュース

News / 1969/2008 / RSSニュースフィード、紙、プリンター / 可変

San Francisco Museum of Modern Art

通信社ニュースを連続印字する1969年の構想を、現在の通信環境に合わせて再制作した作品。外部世界の出来事が美術館へ流入し続け、展示内容をリアルタイムで更新します。自然現象から情報システムへ関心を広げる重要な転換点です。

所蔵館の作品情報 ↗

MoMA投票

MoMA Poll / 1970 / 質問文、透明投票箱、投票用紙、集計システム / 展示空間に応じて構成

The Museum of Modern Art, New York(展覧会記録)

MoMA《Information》展で来館者にNelson RockefellerとNixon政権のインドシナ政策をめぐる質問への投票を求めた作品。観客参加を政治的世論、理事会、美術館制度へ接続し、意見が公共データへ変わる手続きを作品化しました。

所蔵館の作品情報 ↗

シャポルスキーらのマンハッタン不動産所有――1971年5月1日時点のリアルタイム社会システム

Shapolsky et al. Manhattan Real Estate Holdings, a Real-Time Social System, as of May 1, 1971 / 1971 / 146点の写真、地図、図表、文書、テキスト / 可変

Whitney Museum of American Art, New York

Lower East SideとHarlemの不動産所有網を、公的登記から再構成した制度批判の代表作。建物写真を所有者、法人、抵当、取引履歴へ結びつけ、都市景観の背後にある資本のネットワークを可視化しました。1971年Guggenheim個展中止事件の中心となった作品です。

所蔵館の作品情報 ↗

ライン川水浄化プラント

Rhinewater Purification Plant / 1972 / ライン川の水、浄水装置、化学薬品、濾過材、水槽、魚 / 展示空間に応じて構成

Museum Haus Lange, Krefeldで初回制作/再制作型インスタレーション

汚染されたライン川の水を美術館内で実際に処理し、魚が生きられる水へ変換した作品。環境問題を象徴的に示すのではなく、汚染、産業、行政、浄化技術を一つの実働システムとして提示し、初期の物理的作品と社会的調査を接続しました。

所蔵館の作品情報 ↗

スーラ《ポーズする女たち》小版、1888–1975

Seurat’s “Les Poseuses” (small version), 1888–1975 / 1975 / カラー写真、シルクスクリーン、ゼラチン・シルバー・プリント、紙 / 情報パネル14点 各76.8 × 51.3 cm、作品複製1点 60.5 × 70.5 cm(額を含む)

Van Abbemuseum, Eindhoven

Georges Seuratの絵画そのものではなく、1888年から1975年までの所有者、取引、価格、社会的背景を作品化しました。美術品を純粋な鑑賞対象としてではなく、資産として移動する社会的オブジェクトとして読むハーケの方法を示します。

所蔵館の作品情報 ↗

メトロモビルタン

MetroMobiltan / 1985 / グラスファイバー、写真、ハードボード、ポリエステル布、アルミニウム、アクリル絵具 / 355.6 × 609.6 × 152.4 cm

Centre Pompidou, Musée national d’art moderne, Paris

Metropolitan Museum of Artと石油会社Mobilの名称を掛け合わせ、文化支援と企業イメージ、南アフリカのアパルトヘイトを接続した大型インスタレーション。美術館正面のバナーを模した形式そのものが、スポンサーシップの構造を可視化します。

所蔵館の作品情報 ↗

ゲルマニア

Germania / 1993 / ドイツ館建築への介入、破砕した大理石床、写真・テキスト等 / ドイツ館全体を用いたサイト・スペシフィック・インスタレーション

German Pavilion, 45th Venice Biennale(1993年の設置作品)

ナチ体制下で改築されたドイツ館の大理石床を破砕し、国家を代表する展示建築そのものを歴史的対象へ変えた作品。再統一直後のドイツ、国家記憶、ナショナル・パビリオン制度を重ねて問い、Nam June Paikとともに最優秀ナショナル・パビリオンの金獅子賞を受賞しました。

所蔵館の作品情報 ↗

住民へ

DER BEVÖLKERUNG / 2000– / 土、植物、木材、ネオン文字、参加型プロジェクト / Reichstag北側中庭に常設

Deutscher Bundestag, Reichstag Building, Berlin

議員が各選挙区から土を持ち込み、中央の「DER BEVÖLKERUNG」という文字の周囲へ撒く継続作品。正面の「DEM DEUTSCHEN VOLKE」に応答し、民族的な「国民」と実際に暮らす「住民」の差を問います。植物が自律的に成長し、初期の生物学的システムと政治制度を結びつけています。

所蔵館の作品情報 ↗

ギフト・ホース

Gift Horse / 2014 / 黒色パティナ仕上げのブロンズ、ステンレス支持材、LEDディスプレイ / 464.8 × 429.3 × 165.1 cm

Fourth Plinth Programmeの委嘱作品/作家蔵

George Stubbsの馬の解剖図をもとにした骨格像の前脚へ、株価をリアルタイム表示するLEDリボンを結びつけた公共彫刻。騎馬像の英雄性を空洞化し、国家権力の記念碑と現代の金融資本を接続します。

所蔵館の作品情報 ↗

《Rhinewater Purification Plant》――環境問題を行動へ変える

1972年、KrefeldのMuseum Haus Langeで開催された個展《Demonstrations of the Physical World: Biological and Social Systems》で、ハーケは《Rhinewater Purification Plant》を制作しました。当時Krefeldはライン川汚染の大きな発生源の一つとみなされており、ハーケは現地の浄水施設を調査したうえで、美術館内部に小規模な浄水システムを設置しました。ライン川から汲み上げた水を化学処理し、沈殿、砂利・炭による濾過を経て、水槽の魚が生存できる状態へ変換する装置です。

森美術館が2023–24年の《私たちのエコロジー》展で紹介した解説では、ハーケがここで単なるシステムの「記録」から、実際に汚染水を処理する行為へ踏み込んだ点が強調されています。作品は環境破壊を象徴する写真を掲げるだけではなく、美術館を一時的な処理施設へ変えてしまいます。

しかも、展示された水処理技術は汚染問題そのものを解決する規模ではありません。むしろ小さな装置と都市規模の公害との差が、問題の大きさを可視化します。作品は環境問題を美術館内で「再現」するのではなく、美術館も同じ水系、行政、産業のネットワークの中にあることを示しました。

理事会、スポンサー、所有者を可視化する

1971年の個展中止後、ハーケは美術館そのものを調査対象とする仕事をさらに展開しました。《Solomon R. Guggenheim Museum Board of Trustees》(1974)は、同館理事の氏名、生年、職業などを7枚のパネルに整理した作品です。MoMAの解説が指摘するように、ここで彼は直接的な善悪の判定を文章で加えるのではなく、美術館の意思決定を担う人物が誰なのかを可視化しました。

「美術館」は建物や学芸員だけで成り立つものではありません。理事、寄付者、財団、企業、コレクター、行政、観客、職員が複雑に関わっています。展示作品が政治的に中立であるように見えても、その展示を可能にする資金と意思決定には具体的な社会関係があります。

ハーケが制度批判へ与えた大きな影響の一つは、こうした関係を美術作品の正当な主題にしたことです。作品の周囲にある「運営情報」を美術とは無関係な裏方事情として扱わず、美術の意味と流通を実際に決定する構造として前景化しました。

《Seurat’s “Les Poseuses”》――美術品の来歴を作品にする

1975年の《Seurat’s “Les Poseuses” (small version), 1888–1975》では、Georges Seuratの小品《Les Poseuses》のカラー複製と、その作品が1888年から1975年まで誰に所有され、どのような取引を経たかを記した14枚の情報パネルを組み合わせました。Van Abbemuseum所蔵版は、各所有者の経歴、取得方法、価格、企業との関係などを追跡します。

通常、美術史では作品の様式、主題、作者、制作年が中心になります。美術館のラベルに「provenance」が載っていても、鑑賞上の副次的情報として扱われることが多い。しかしハーケは、その来歴自体を作品の中心へ移します。絵画が芸術的価値を持つことと、市場で売買される資産であることは同時に成立しています。

ここでも彼の方法は「美術市場は悪い」と宣言することではありません。一枚の絵が、作家のアトリエから画商、コレクター、企業、金融資産、収蔵庫へ移動する過程を見える状態にします。作品の物理的な表面だけでなく、その周囲に形成された社会的な履歴が作品の意味へ組み込まれます。

「社会の潤滑油」としての文化

1975年の《On Social Grease》では、企業経営者たちが文化や芸術の社会的役割について語った発言を、記念碑的なプレートとして提示しました。タイトルにある「social grease」は、文化が企業と社会の摩擦を和らげ、企業イメージを良好に保つための潤滑油として機能するという考えを示します。

ハーケが問題にしたのは、企業が芸術へ資金を出すこと自体ではありません。スポンサーシップが慈善行為としてのみ語られ、企業側がそこから得る評判、社会的信用、政治的アクセスが見えなくなることです。文化支援には相互利益があり、その関係を透明に見る必要があるという立場です。

この問題は現在の美術館にも直結します。化石燃料企業、製薬会社、兵器産業、金融機関、富裕な個人寄付者と文化施設の関係は、2010年代以降さらに広く議論されるようになりました。ハーケの1970年代の作品が現在も参照されるのは、スポンサーシップを作品の外側の問題ではなく、文化の生産条件そのものとして扱ったからです。

1980年代――広告、政治、企業イメージ

1980年代に入ると、ハーケの作品は企業広告、広報、政治キャンペーンの視覚言語をより積極的に取り込みます。《Oil Painting: Homage to Marcel Broodthaers》(1982)では、金色の額に入れたRonald Reaganの肖像と、反核デモを写した巨大写真を対置し、美術館の儀礼的な展示形式と政治的イメージを衝突させました。

《Taking Stock (Unfinished)》(1983–84)ではMargaret Thatcherを扱い、広告会社Saatchi & Saatchiと保守党の政治キャンペーン、同社創業者Charles Saatchiの現代美術収集といった複数の回路を接続します。広告、政治、コレクション、美術市場は別々の領域に見えますが、同じ人物や企業ネットワークを介して重なります。

この時期のハーケは、1970年代初頭の事務的な図表だけでなく、油彩、額縁、ロゴ、広告看板、赤絨毯など、権威や宣伝を連想させる視覚形式を利用します。制度批判が「情報を読む作品」だけではなく、展示空間を強く視覚化する方向へ広がった時期です。

《MetroMobiltan》――美術館スポンサーとアパルトヘイト

1985年の《MetroMobiltan》は、Metropolitan Museum of Artと石油会社Mobilの名称を掛け合わせたタイトルを持つ大型インスタレーションです。Centre Pompidou所蔵作品は、Metの正面建築や入口に掲げられる展覧会バナーを思わせる構造を作り、その背後に1985年3月、南アフリカ・Crossroadsで警察に殺害された人々の葬儀写真を配置します。

当時MobilはMetropolitan Museumの文化事業を支援する一方、南アフリカでの事業継続をめぐって批判を受けていました。ハーケは「文化を支援する良い企業」というイメージと、企業の事業・政治判断を同じ展示へ接続します。作品名の言葉遊びだけでなく、美術館建築そのものを模した構成が、スポンサーと制度の一体化を視覚化します。

この作品の重要性は、美術館を企業に支配された無力な存在として単純化しない点にもあります。美術館はスポンサー資金を必要とし、企業は文化支援から社会的信用を得る。その相互依存を観客が見える状態にすることが、ハーケの批評です。問題は「誰が悪いか」より、どの関係が通常は見えないまま運用されているかにあります。

《Germania》――国家館そのものを歴史資料にする

1993年、第45回ヴェネツィア・ビエンナーレでハーケはNam June Paikとともにドイツ館を担当し、《Germania》を発表しました。ドイツ館は1909年に建設され、1938年にナチ体制下で大きく改築されています。ハーケは館内の大理石床を破砕し、観客が割れた石の上を歩く状態を作りました。入口上部には1934年のHitlerによるヴェネツィア訪問を想起させる要素を置き、国家を代表する展示建築そのものの歴史を作品化しました。

ドイツ再統一から間もない1993年に、「ドイツ」という国家単位で美術を展示するパビリオン制度と、建物に刻まれた国家社会主義の記憶を重ねた点が重要です。新しい国家像を祝祭的に提示する代わりに、その足元に破壊された床を置き、観客に歴史的な不安定さを身体で踏ませました。

La Biennale di Veneziaとifaの記録によれば、ドイツ館は同年、最優秀ナショナル・パビリオンとして金獅子賞を受賞しました。HaackeとPaikはそれぞれ異なる方法で「国家館」という制度自体を問い、国籍によって作家を代表させる仕組みを相対化しました。

《DER BEVÖLKERUNG》――「国民」ではなく「住民」へ

2000年、ベルリンのReichstag(国会議事堂)北側中庭に設置された《DER BEVÖLKERUNG》は、ハーケの長期的な公共作品です。木枠で囲まれた空間の中央に白いネオン文字で「DER BEVÖLKERUNG(住民へ/人々へ)」と置き、ドイツ連邦議会議員がそれぞれの選挙区から土を運び入れる仕組みになっています。

この言葉は、Reichstag正面に1916年から掲げられる「DEM DEUTSCHEN VOLKE(ドイツ国民へ)」に対応しています。ハーケは民族的・国民的な共同体を想起させる「Volk」に対し、実際にその領域で生活する多様な住民を含みうる「Bevölkerung」を置きました。その提案は議会で激しい論争を引き起こし、採択は僅差でした。

各地から運ばれた土には種子や微生物が含まれ、中央の空間では植物が管理されずに成長します。つまり、1960年代の《Grass Grows》で扱った生物学的システムが、国会という政治制度の中心へ戻ってきます。自然作品と政治作品がここで文字通り一つになります。

Bundestagは2025年に作品設置25周年を記念し、同年9月時点で494人の議員が選挙区の土を持ち込んだと報告しました。作品は完成時点で固定されず、議員の参加、植物の増減、政治状況とともに今も変化を続けています。

《Gift Horse》――公共彫刻と金融情報

2014年、ロンドンTrafalgar SquareのFourth Plinthのために制作された《Gift Horse》は、馬の骨格をブロンズで鋳造し、前脚にロンドン証券取引所の株価をリアルタイム表示するLEDリボンを結びつけた作品です。騎馬像が国家権力や軍事的英雄を称える伝統的な公共彫刻であるのに対し、ここにいる馬には騎手も肉体もありません。

作品はGeorge Stubbsの馬の解剖図を参照しながら、金融市場の情報を身体へ巻き付けます。広場に並ぶ軍人・国王の記念像と、現代ロンドンを動かす金融資本の力を重ね、今日の公共空間で何が権力を表象しているのかを問い直します。

2019–20年のNew Museum回顧展《Hans Haacke: All Connected》では、《Gift Horse》がニューヨークで初公開されました。1960年代の「リアルタイム・システム」という考え方は、ここでは株価データという経済システムとして再登場しています。

ハーケのユーモア、引用、展示デザイン

ハーケの作品は「調査報告書のようで硬い」と思われがちですが、実際には言葉遊び、視覚的引用、皮肉、演劇的な展示構成が多く使われています。《MetroMobiltan》という造語、《Gift Horse》という慣用句、《Oil Painting》の古典的な額縁など、タイトルと外観にはしばしばユーモアがあります。

このユーモアは問題を軽くするためではありません。企業広告や政治広報、美術館の格式あるデザインを少しずらして再使用することで、普段は自然に受け入れている権威の形式を見えるようにします。企業ロゴがなぜ信頼感を生むのか、赤絨毯がなぜ権力を感じさせるのか、古典的な額縁がなぜ「価値ある文化」を連想させるのか。ハーケは既存の視覚言語をそのまま批評の素材にします。

そのため、彼の作品を文章の内容だけ読んで終えると半分しか見たことになりません。どの書体を使い、どの高さに掲示し、写真をどの大きさへ拡大し、何を額装し、何を床へ置くかという展示デザイン自体が、情報の意味を変えています。

制度批判の作家と呼ぶことの意味

現在、ハーケはMarcel Broodthaers、Michael Asher、Daniel Burenらと並び、「institutional critique(制度批判)」の重要な先駆者として語られます。この呼称は、美術館・ギャラリー・市場・コレクション・スポンサーなど、美術を成立させる制度そのものを作品の対象にした実践を説明する上で有効です。

ただし、ハーケ自身の制作をこの用語だけに閉じ込めると、1960年代の物理・生物学的システム、環境問題、公共空間、民主主義への関心が見えにくくなります。彼にとって美術館は特別な敵ではなく、多数の要素が作用し合う社会システムの一つです。銀行、不動産、企業、行政、議会、報道、広告と同じように、美術館も調査可能な組織として扱われます。

さらに、制度批判は制度の「外側」から行われているわけではありません。ハーケの作品はWhitney、MoMA、Centre Pompidou、Venice Biennale、Bundestagなどの制度内部で展示・収蔵されてきました。批判的作品が制度に受け入れられることで、その批判が無力化される可能性もあります。ハーケの仕事は、その矛盾自体を消すのではなく、作品が制度と交渉し続ける状態を残します。

後続世代への影響

ハーケの影響は、1980年代以降の制度批判、リサーチ・ベースド・アート、社会参加型アート、データやアーカイブを使う実践に広く見られます。Andrea Fraserは美術館の言説と権力構造をパフォーマンスや文章から分析し、Fred Wilsonは所蔵品の展示方法を組み替えて博物館の植民地主義的歴史を可視化しました。Renée Green、Maria Eichhorn、Walid Raadなども、異なる方法で制度、所有、記録、経済を作品の内部へ取り込んでいます。

ただし、後続作家との関係を「ハーケが発明し、皆が継承した」という直線的な系譜にする必要はありません。1960–70年代には、Art Workers’ Coalition、feminist art、Conceptual art、サイト・スペシフィックな実践など、多くの作家や活動家が同時に美術制度を問い始めていました。ハーケの重要性は、その中でも物理的システムから社会的システムまでを一貫した方法で結びつけた点にあります。

現代では、調査資料、統計、企業情報、地図を使った作品は珍しくありません。そのためハーケの初期作品が視覚的に地味に見えることもあります。しかし、現在一般化した「作品の外部条件を作品化する」という発想が、当時どれほど美術館の定義を広げたかを歴史的に見る必要があります。

2019–2025年の回顧展と再評価

2019年10月から2020年1月までNew Museumで開催された《Hans Haacke: All Connected》は、アメリカの美術館では30年以上ぶりとなる大規模回顧展でした。初期のキネティック作品、環境彫刻、1960年代末の観客調査、1970–80年代のスポンサーシップ批判、近年の資本主義・国家主義を扱う作品まで30点以上を集め、「制度批判」だけでは捉えきれない60年の連続性を示しました。

さらに2024年11月から2025年2月までSCHIRN Kunsthalle Frankfurtで、2025年3月から6月までBelvedere 21, Viennaで包括的な回顧展が開催されました。SCHIRNはこれをドイツで初めての包括的回顧展と位置づけ、1959年から現在まで約70点を紹介しています。Belvedereも、物理的・生物学的・生態学的システムから、権力、排除、資本、国家主義、反民主主義を扱う後期作品までを一続きの制作として再評価しました。

SCHIRNでは1970年《MoMA Poll》を現在化する《Frankfurt Poll, 2024》も制作されました。過去の作品を保存展示するだけでなく、その場所と現在の政治状況に応じて「投票」という方法を再起動したことは、ハーケの作品が歴史的資料で終わっていないことを示します。

2025年にはBundestagが《DER BEVÖLKERUNG》25周年を公式に記念しました。このように近年の再評価では、1971年の「検閲された制度批判作家」という英雄的イメージだけでなく、環境、生物、情報、政治参加、民主主義を相互に接続してきた長期的なシステム思考が改めて重視されています。

Hans Haackeは何を変えたのか

第一に、彫刻を固定された物体から「条件によって変化するシステム」へ広げました。《Condensation Cube》《Blue Sail》《Grass Grows》では、作者が完成形を決めるのではなく、水、空気、植物、時間が作品の状態を作ります。

第二に、美術館の外部世界を展示空間へ流し込みました。《News》では通信網、《MoMA Poll》では政治的選択、《Shapolsky et al.》では不動産登記が作品の素材になります。美術館は現実から切り離された中立空間ではなくなります。

第三に、作品を支える制度を作品の対象へ変えました。理事、スポンサー、企業、コレクター、所有履歴を可視化し、「誰が芸術を支えているか」は作品の価値と無関係ではないことを示しました。

第四に、政治的内容と造形を対立させませんでした。ハーケの代表作は情報量が多い一方、写真の配置、文字、額縁、床、建築、ロゴ、光、動線まで非常に計算されています。政治的であることは造形を放棄することではありません。

第五に、環境問題と制度問題を同じ「関係」の問題として扱いました。水質汚染には産業と行政が、植物の成長には展示環境が、文化事業にはスポンサーが関わります。自然と社会を別々の領域へ分けるより、その間を流れる物質、資金、情報を見る方法を提示しました。

第六に、美術館の内部から美術館を批判するという矛盾を実践の条件として引き受けました。1971年のGuggenheim展中止は象徴的ですが、その後ハーケの作品は多くの主要美術館へ収蔵されました。制度に回収されたから批判が終わるのではなく、回収の仕方自体が次の問いになります。

Hans Haackeの作品を貫くのは「政治的な正解を教えること」ではありません。目の前の物や制度を孤立させず、その背後にある関係、依存、循環、所有、資金、情報、歴史を見える形へ変えることです。水滴から国会議事堂まで対象が拡大しても、彼が問い続けてきたのは、世界を動かしているシステムを私たちはどこまで見ることができるのか、という問題です。

略年譜

1936
8月12日、ドイツ・ケルンに生まれる。
1956–1960
KasselのStaatliche Werkakademieで学び、Fritz Winterのもとで絵画を専攻する。
1959
documenta 2で展示記録写真を撮影する。
1960
DAAD奨学金でパリへ渡り、Stanley William HayterのAtelier 17に関わる。
1961–1962
Fulbright奨学金でTyler School of Fine Arts, Temple Universityに留学。
1962
Jack Burnhamと出会う。Stedelijk Museumの《NUL 1962》に参加し、ZERO周辺で活動する。
1963
《Condensation Cube》の初期版を構想。Washington, D.C.のMarch on Washingtonにも参加する。
1964–1965
《Blue Sail》など、空気・風・運動を扱う作品を制作。
1965
ニューヨークへ移住し、以後同地を主要拠点とする。
1967
Cooper Unionで教え始める。2002年の退職まで長く教育に携わる。
1967–1969
《Grass Grows》を展開。植物や動物を含む生物学的システムへ関心を広げる。
1969
《News》《Gallery-Goers’ Birthplace and Residence Profile》など、情報と観客を扱う作品を制作。
1970
MoMA《Information》展で《MoMA Poll》を発表。《Monument to Beach Pollution》など環境問題を扱う作品も制作。
1971
《Shapolsky et al. Manhattan Real Estate Holdings》を制作。同作を含むGuggenheim Museum個展が開幕前に中止され、担当キュレーターEdward Fryも解任される。
1972
KrefeldのMuseum Haus Langeで《Rhinewater Purification Plant》を発表。documenta 5に参加。
1974
《Solomon R. Guggenheim Museum Board of Trustees》を制作。
1975
《On Social Grease》《Seurat’s “Les Poseuses” (small version), 1888–1975》を制作し、企業文化支援と美術市場の所有関係を扱う。
1982
《Oil Painting: Homage to Marcel Broodthaers》を制作。documenta 7に参加。
1983–1984
Margaret Thatcher、Saatchi & Saatchi、美術収集の関係を扱う《Taking Stock (Unfinished)》を制作。
1985
《MetroMobiltan》を発表し、Mobil、Metropolitan Museum、南アフリカのアパルトヘイトを接続する。
1986
New Museumで《Hans Haacke: Unfinished Business》開催。
1993
Nam June Paikとドイツ館を担当し、Venice Biennaleで《Germania》を発表。ドイツ館が最優秀ナショナル・パビリオンとして金獅子賞を受賞。
2000
ベルリンReichstagに《DER BEVÖLKERUNG》を設置。議員が各選挙区の土を持ち込む参加型の長期作品となる。
2002
Cooper Unionを退職。documenta 11に参加。
2014
LondonのFourth Plinth commissionとして《Gift Horse》を制作。
2017
documenta 14に参加。
2019–2020
New Museumで30年以上ぶりのアメリカでの大規模回顧展《Hans Haacke: All Connected》開催。
2024–2025
SCHIRN Kunsthalle Frankfurtでドイツ初の包括的回顧展を開催。《Frankfurt Poll, 2024》も制作。
2025
Belvedere 21, Viennaへ回顧展が巡回。Bundestagでは《DER BEVÖLKERUNG》設置25周年を記念する展示と記録更新が行われる。

参考資料・出典

本ページはNational Gallery of Art、Hirshhorn Museum and Sculpture Garden/Smithsonian Institution、San Francisco Museum of Modern Art、The Museum of Modern Art、Whitney Museum of American Art、Centre Pompidou、Van Abbemuseum、Museu d’Art Contemporani de Barcelona、森美術館、New Museum、SCHIRN Kunsthalle Frankfurt、Belvedere 21、Deutscher Bundestag、ifa、La Biennale di Venezia、Archives of American Art等の公開資料を中心に参照し、ART LIBRARYが独自に構成・執筆しました。初期の物理・生物学的システムと後年の制度批判を切断せず、作品が扱う「関係」「循環」「所有」「情報」の連続性を重視しています。

資料確認日:2026年10月4日 / ART LIBRARY