Garry Winogrand(ゲイリー・ウィノグランド)(1928–1984)は、第二次世界大戦後のアメリカを最も大量に、そして最も不安定なかたちで写した写真家の一人です。New Yorkの歩道、動物園、空港、政治集会、博覧会、パーティー、ロデオ、TexasやCaliforniaの都市空間まで、特別な事件だけでなく、人々が互いにすれ違い、見つめ、身振りを交わす日常の場を35mmカメラで撮り続けました。画面はしばしば傾き、人物は途中で切れ、視線の方向が複数に分かれます。しかしその不安定さは偶然の失敗ではなく、写真が現実を整理して見せるという前提そのものを揺さぶる方法でした。
Winograndを「ストリート・フォトグラファー」と呼ぶことは間違いではありませんが、それだけでは不十分です。1967年、MoMAの《New Documents》でDiane Arbus、Lee Friedlanderとともに紹介されたとき、John Szarkowskiは三人について、社会を改革するためのドキュメンタリーではなく、世界を知るために写真を用いる新しい世代として位置づけました。Winogrand自身も写真を「現実の説明」ではなく、カメラを通すことで世界がどのような像になるかを確かめる行為として考えていました。晩年には撮影量が編集を大きく上回り、死後に膨大な未現像・未確認フィルムが残されたことも含め、彼の仕事は「撮ること」「選ぶこと」「作品として確定すること」の境界を問い続けています。
CONTENTS
- 生涯と制作の変遷
- Bronxから写真へ――軍務、絵画、Brodovitch
- 商業写真と個人制作――1950年代
- アメリカを移動する――1964年Guggenheim Fellowship
- 《New Documents》――ドキュメンタリーの目的を変える
- 傾いた画面――水平線を正す必要はあるのか
- 距離――被写体へ近づくこと
- 偶然と構造――「決定的瞬間」とは違う写真
- 人間と動物――《The Animals》
- 女性を撮る――《Women Are Beautiful》
- 公共の出来事――《Public Relations》
- Winograndの写真をどう見るか
- 主要作品
- 《The Animals》――動物園という社会
- 《Women Are Beautiful》――魅力と問題点
- 《Public Relations》――出来事とメディア
- 空港――移動するアメリカ
- Texas――ロデオと《Stock Photographs》
- California――晩年の視線
- 撮影量――見ることが編集を追い越す
- 死後のプリント――誰が作品を決めるのか
- 2013–15年回顧展――未見の仕事を含めて再評価する
- Garry Winograndは何を変えたのか
- 略年譜
- 参考資料・出典
生涯と制作の変遷
1928年、New Yorkに生まれる
Garry Winograndは1928年1月14日、New YorkのBronxに生まれました。労働者階級のユダヤ系家庭で育ち、若い頃から美術家になることを志していました。第二次世界大戦末期には軍務に就き、気象観測に関わる仕事を経験します。この時期に写真へ関心を持ち始めたとInternational Center of Photographyは記録しています。
復員後の1947年からCity College of New Yorkで絵画を学び、1948年以降はColumbia Universityへ通いました。Columbiaでは暗室技術を学び、写真を自分で現像・プリントできるようになります。1951年にはNew School for Social Researchで、Harper’s Bazaarの美術監督として知られたAlexey Brodovitchの写真クラスを受講しました。写真を報道記録だけでなく、編集・デザイン・視覚的な構成の問題として考える環境に接したことは、その後の制作の基礎になります。
1950年代、雑誌写真から個人制作へ
1950年代初頭から写真通信社や雑誌の仕事を始め、Pix Agency、Brackman Associatesなどを通じて商業写真を制作しました。Collier’s、Sports Illustratedなどの雑誌へ写真を提供する一方、仕事とは別にNew Yorkの街頭を歩いて個人的な写真を撮り続けます。当時の小型35mmカメラは、大判カメラより素早く動き、人物へ接近し、連続して撮影することを可能にしました。
1955年にはEdward Steichenが企画したMoMAの《The Family of Man》に作品が選ばれます。この巨大な展覧会は、人類共通の経験を写真によって示そうとするヒューマニズム的な企画でした。しかしWinograndの成熟期の写真は、後にこうした一つの普遍的物語から離れていきます。画面の中に複数の出来事や視線を同時に残し、それらを一つの教訓へ整理しないことが特徴になりました。
1960年代、写真そのものを研究する
1960年代に入ると商業写真より個人制作の比重が増します。街頭で起きる一瞬の身振り、視線、偶然の重なりを大量に撮影し、後でコンタクトシートを見ながら写真として成立する像を探しました。彼にとって重要なのは、撮影前に世界の意味を決めることではなく、写真にしたとき現実がどう変化するかを見ることでした。
Winograndはしばしば「何を意味する写真か」と問われることを避けました。写真は出来事そのものではなく、平面へ切り取られた別の事物です。そのため、撮影現場で「良い場面だった」と感じたことと、出来上がった写真が良いことは一致しません。現場の経験と写真の像を分ける考え方が、彼の方法の中心にあります。
1964年、最初のGuggenheim Fellowship
1964年、Winograndは最初のJohn Simon Guggenheim Memorial Foundation Fellowshipを受けました。目的はアメリカ生活の写真研究でした。New YorkだけでなくTexas、Colorado、Californiaなど各地を移動し、政治家、観光客、家族、若者、郊外の住民などを撮影します。彼の写真が「New York street photography」の範囲を越え、戦後アメリカ全体の観察へ広がった重要な時期です。
同年の《World’s Fair, New York City, New York》では、未来、科学、消費社会を祝う巨大イベントそのものではなく、会場のベンチに座る人々の不揃いな身体や視線へ注目しています。大きな国家的イベントを象徴的な建築物で表すのではなく、そこにいる人間の小さな関係から見る点にWinograndらしさがあります。
Bronxから写真へ――軍務、絵画、Brodovitch
Winograndが最初から写真だけを目指していたわけではありません。戦後は絵画を学び、写真は大学で暗室を使う中から本格化しました。この経歴は、彼の写真を単なる素早いスナップとして理解しないために重要です。画面の端、人物同士の間隔、斜線、空白など、写真の平面構造への意識は非常に強いものでした。
Brodovitchのクラスは、写真を雑誌のページや編集の中で扱う視点を持っていました。Winogrand自身は後に美しく整えた構図を避ける方向へ進みますが、画面がどのように読まれるかという問題を軽視したわけではありません。むしろ、安定した構図から少し外すことで、見る人が画面を簡単に処理できない状態を作りました。
商業写真と個人制作――1950年代
1950年代のアメリカではLife、Look、Collier’sなどの写真雑誌が大きな影響力を持ち、写真家には出来事を分かりやすく物語化する技術が求められました。Winograndもその世界で働き、依頼写真を制作しています。一方で、自分のための撮影では説明的な連続写真や予定された物語から離れていきました。
この時期の《Park Avenue, New York》(1959)などを見ると、後年の激しい傾きだけでなく、都市の奥行きや通行人の配置を注意深く見ていたことが分かります。1960年代の方法は突然生まれたのではなく、長期間の街頭撮影とプリントの選択を通じて形成されました。
アメリカを移動する――1964年Guggenheim Fellowship
1964年のFellowship以後、Winograndにとって旅は主題を探すためだけのものではなくなります。都市ごとの名所を記録するのではなく、Americaという社会が公共空間でどのように身体化されているかを観察しました。高速道路、空港、州の博覧会、政治大会、ロデオなど、戦後の移動と消費を象徴する場所が繰り返し登場します。
National Gallery of ArtとSFMOMAの2013–15年回顧展は、彼の活動をNew York中心の「Down from the Bronx」、各地を撮影した「A Student of America」、TexasとLos Angelesへ移った後の「Boom and Bust」という大きな流れで再構成しました。この整理によって、Winograndが一都市の写真家ではなく、戦後アメリカの長期的変化を各地から撮った作家であることが明確になりました。
《New Documents》――ドキュメンタリーの目的を変える
1967年2月、MoMAでJohn Szarkowskiが企画した《New Documents》が開幕しました。Diane Arbus、Lee Friedlander、Garry Winograndの三人展で、規模自体は大きくありませんでしたが、戦後写真史では非常に重要な展覧会になりました。
Szarkowskiは、1930~40年代の社会改革を志向したドキュメンタリー写真と比較し、三人はドキュメンタリーの技術と美学をより個人的な目的へ転換したと説明しました。彼らの目標は生活を改革することではなく、生活を知ることだという整理です。Winograndの場合、写真は社会問題の証拠を提出するものではなく、見ること自体を検証する道具になります。
傾いた画面――水平線を正す必要はあるのか
Winograndの写真では、建物や道路が斜めに走り、水平線が大きく傾くことがあります。この特徴は「急いで撮ったため」と説明されることがありますが、それだけではありません。傾きによって画面の中に複数の方向が生まれ、人物が静止した一枚の写真の中でも動き続けているように見えます。
重要なのは、傾いた写真がすべて採用されたわけではないことです。彼は大量に撮影した後でコンタクトシートを見て選択しました。つまり、撮影時の偶然をそのまま作品にしたのではなく、偶然によって生まれた像の中から、平面として強く機能するものを選んでいます。
距離――被写体へ近づくこと
広角レンズを使い、人物のすぐ近くから撮ることもWinograndの特徴です。望遠レンズで遠くから観察するのではなく、自分自身が群衆の中へ入り込みます。そのため、人物がカメラへ気づくこともあれば、気づかないこともあります。
この距離感は写真家を透明な観察者にしません。写真家がその場にいることで、人物の表情や動作が変化する場合もあります。Winograndはその変化を排除せず、むしろ写真を撮る行為そのものが現実へ入り込むことを受け入れていました。
偶然と構造――「決定的瞬間」とは違う写真
Henri Cartier-Bressonの「決定的瞬間」が、動きと構図が一瞬だけ完全に一致する像として理解されることが多いのに対し、Winograndの写真はもっと不安定です。人物の身体が画面外へ切れ、何が中心なのか分からず、複数の出来事が同時に起こります。
それでも画面は無秩序ではありません。視線、腕、脚、道路の線、看板の文字、影が互いに関係し、撮影した本人さえ予測できなかった構造を形成します。彼が写真に期待したのは、現場で知っていた世界を再現することではなく、写真になったことで初めて見える秩序でした。
人間と動物――《The Animals》
1969年、MoMAから最初の写真集《The Animals》が刊行されました。Central Park ZooやBronx Zooなどで撮影された写真を集め、人間と動物の関係を扱います。動物を自然の中にいる存在としてではなく、柵、檻、ガラス、観客の視線の中に置かれた都市の存在として撮りました。
写真の面白さは、動物と人間のどちらが観察者なのか分からなくなる点にあります。親子、恋人、観光客が動物を見ていますが、画面上では人間側の身振りの方が奇妙に見える場合があります。動物園が人間社会を映す舞台へ変わります。
女性を撮る――《Women Are Beautiful》
1960年代末から70年代前半、Winograndは街を歩く女性を大量に撮影しました。1975年に《Women Are Beautiful》として写真集とポートフォリオにまとめられます。短いスカート、仕事へ向かう女性、デモ参加者、友人同士で歩く女性など、都市空間で可視化される新しい女性像が数多く写っています。
一方、このシリーズは刊行当時から強い批判を受けました。写真家自身の男性の視線が女性を「美しい対象」として消費しているのではないかという問題です。現在このシリーズを見るときには、1960~70年代の女性の社会的自由の拡大を記録した側面と、それを見る男性写真家の欲望や偏りの両方を切り離さず考える必要があります。
公共の出来事――《Public Relations》
1969年の二度目のGuggenheim Fellowshipでは、メディアが出来事へ与える影響を研究することが目的になりました。Winograndは政治集会、デモ、記者会見、美術館のパーティー、スポーツ、社交行事など、最初から「見られること」を前提に組織された場所へ向かいます。
1977年のMoMA展と写真集《Public Relations》では、出来事そのものと、それを撮影するカメラ、観客、報道関係者、著名人が複雑に入り混じります。写真はニュースの説明ではなく、公共空間で人がどのように自分を演じるのかを見る装置になります。
Winograndの写真をどう見るか
最初に「主役は誰か」を決めずに画面全体を見ると、Winograndの写真は理解しやすくなります。中央の人物だけでなく、端に切れた腕、遠景の顔、看板、影、背景の小さな動きまで視線を移すと、一枚の中に複数の時間が入っていることが分かります。
次に水平線や垂直線を確認します。傾いている場合、その傾きが人物の身体や視線とどのように関係しているかを見ると、単なる乱れではなく画面の力学として働いていることが見えてきます。
そして、写真が何を「説明していないか」も重要です。人物の関係、直前に何が起きたのか、次に何が起きるのかは、多くの場合分かりません。その情報不足こそが写真を開いた状態にし、見る人に判断を要求します。
主要作品
1959年のNew Yorkから、政治大会、動物園、1964年World’s Fair、1967年《The Animals》につながる作品、1968–69年の街頭と女性、社交イベント、Texas、空港、そして晩年Los Angelesの死後プリントまで、Winograndの方法と活動範囲の変化が分かる12点を選びました。
パーク・アベニュー、ニューヨーク
Park Avenue, New York / 1959 / ゼラチン・シルバー・プリント / 33.3 × 22.4 cm
Collection of the Sack Photographic Trust / SFMOMA掲載
成熟期以前の都市写真。縦位置の画面に通りと人物を重ね、New Yorkの街路を単なる背景ではなく、人間の身体が移動する構造として捉えています。後年の大胆な傾き以前から、画面の奥行きと人物配置への関心が明確に見える作品です。
民主党全国大会、ロサンゼルス
Democratic National Convention, Los Angeles / 1960 / ゼラチン・シルバー・プリント(1970年代プリント) / 46.8 × 31.4 cm
The Metropolitan Museum of Art, New York
1960年の民主党全国大会を撮影した作品。政治家や支持者を英雄的に描くのではなく、政治イベントがカメラ、観客、演出によって作られる公共空間であることに注目しています。後の《Public Relations》へつながる初期の重要例です。
ブロンクス動物園、ニューヨーク
Bronx Zoo, New York / 1963 / ゼラチン・シルバー・プリント / 27.9 × 35.6 cm
San Francisco Museum of Modern Art
動物園を、人間が動物を見るための場所であると同時に、人間自身の行動が露出する場所として扱った作品。《The Animals》へ続く主題で、檻や境界、観客の身体を同一の社会的な場として捉えます。
ニューヨーク万国博覧会
World's Fair, New York City, New York / 1964 / ゼラチン・シルバー・プリント(1974年プリント) / 21.8 × 32.8 cm
National Gallery of Art, Washington / MoMAにも所蔵
未来と消費社会を祝うWorld’s Fairで、象徴的建築ではなくベンチに座る人々を撮影。人物同士の距離、視線、身体の向きが複雑にずれ、巨大イベントの公式イメージとは異なる日常的な社会関係を浮かび上がらせます。
セントラル・パーク動物園、ニューヨーク
Central Park Zoo, New York / 1967 / ゼラチン・シルバー・プリント / 22.5 × 34 cm
The Museum of Modern Art, New York
人間のカップルと小さな霊長類が同じ画面に入り、家族写真、動物園の記録、視覚的な比喩の境界が曖昧になります。《The Animals》を代表する一枚で、人間と動物のどちらが観察されているのかという関係を反転させます。
ニューヨーク
New York / 1968 / ゼラチン・シルバー・プリント / 22.6 × 33.8 cm
San Francisco Museum of Modern Art
1960年代のNew York街頭写真を代表する一群の一枚。Winograndは都市を整然と説明せず、人物の歩行、視線、画面端の切断、奥行きの重なりを一つの平面へ圧縮します。街の混雑がそのまま写真の構造になります。
帽子をかぶった少年、モントーク、ニューヨーク
[Boy in Hat, Montauk, New York] / 1968 / ゼラチン・シルバー・プリント / 23 × 34.3 cm(画像)
The Metropolitan Museum of Art, New York
少年を比較的近距離から捉えた作品。Winograndの写真は群衆だけでなく、一人の人物でも周囲の空間との緊張を作ります。被写体の表情を心理的に説明せず、身体、衣服、背景の配置を通して写真としての存在感を作っています。
ニューヨーク・シティ、三人の女性
New York City, Three Women / 1969 / ゼラチン・シルバー・プリント / 21.8 × 32.5 cm
Collection of the Sack Photographic Trust / SFMOMA掲載
街路を歩く三人の女性を撮影した作品。《Women Are Beautiful》へつながる時期で、衣服、歩行、都市の視線が重なります。女性の公共空間への進出を示す一方、男性写真家が女性を見つめる構造も含み、現在では両方の側面から検討されます。
メトロポリタン美術館100周年記念舞踏会、ニューヨーク
Centennial Ball, Metropolitan Museum of Art, New York / 1969 / ゼラチン・シルバー・プリント / 22.1 × 33.1 cm
The Museum of Modern Art, New York
The Metの社交行事で撮影。《Public Relations》を代表する作品の一つです。人物同士の関係は説明されず、視線や表情だけが複雑な心理劇を作ります。公的イベントが、見られることを意識する人々の舞台であることを示します。
フォートワース、テキサス
Fort Worth, Texas / 1974 / ゼラチン・シルバー・プリント / 27.9 × 35.3 cm
San Francisco Museum of Modern Art
Texas移住後の代表的な写真。Fort WorthのStock Show and Rodeoを継続的に撮影した仕事へつながり、観客、家畜、イベント空間を同じ社会的環境として見ています。New Yorkとは異なる空間でも、身体の配置への関心は一貫しています。
TWAターミナル、ケネディ空港、ニューヨーク
T.W.A. Terminal, Kennedy Airport, New York / 1978 / ゼラチン・シルバー・プリント / 22.9 × 34.0 cm
San Francisco Museum of Modern Art
戦後の移動社会を象徴する空港を撮影した一枚。建築自体を主役にせず、その内部で立ち止まり、すれ違う人間を見ています。移動の自由が広がる一方、人間関係が一時的で匿名化していく都市社会を感じさせます。
ヴェニス・ビーチ、ロサンゼルス
Venice Beach, Los Angeles / 1980–1983 / ゼラチン・シルバー・プリント(2012年死後プリント) / 26.7 × 40.1 cm
San Francisco Museum of Modern Art
Los Angeles晩年期のネガから2012年に制作された死後プリント。SFMOMAの回顧展でアーカイブ再検討の一環として提示されました。像の価値だけでなく、Winogrand本人が最終的に選択・プリントしなかった写真をどこまで作品として扱えるかという重要な問題を伴います。
《The Animals》――動物園という社会
《The Animals》では、動物園を自然の代用品としてではなく、人間社会の縮図として見ています。檻の中の動物と、檻の外からそれを見る家族や恋人が同じ画面へ置かれることで、「見る側」と「見られる側」の境界が不安定になります。
《Central Park Zoo, New York》(1967)はその代表例です。人間のカップルと小さな霊長類が同時に写り、家族写真のようにも動物園の記録のようにも見えます。写真は人物の関係を説明せず、鑑賞者が「これは何の場面なのか」と考え続ける構造を残します。
MoMAが1969年に出版した《The Animals》は46点の写真を収録しました。John Szarkowskiは、Winograndが都市生活の混乱を壊さずに構造化している点を評価しました。動物の珍しさを見せる本ではなく、人間が動物を見るという行為そのものを観察した本です。
《Women Are Beautiful》――魅力と問題点
《Women Are Beautiful》はWinogrand作品の中でも評価が分かれるシリーズです。街を自由に移動し、仕事をし、抗議活動へ参加し、公共空間で自分の身体を表現する女性たちは、1950年代の保守的な女性像とは異なる社会の変化を示しています。
しかし写真家が女性の身体へ強い関心を向けていることも明らかです。カメラは脚、衣服、歩行、身振りを追い、時には女性が撮影されていることに気づいていません。1975年の出版時に厳しい批評を受けたのは、この視線が女性解放の時代と同時に、男性側の欲望を再生産しているようにも見えたからです。
したがって現在このシリーズを「自由になった女性を祝福した作品」か「女性を対象化した作品」かのどちらか一方に固定する必要はありません。社会の変化と写真家自身の立場が同じ画面に残り、その緊張を含めて見ることが作品理解につながります。
《Public Relations》――出来事とメディア
《Public Relations》の主題は、ニュースそのものではなく、ニュースになるために組織された空間です。政治大会、抗議運動、記者会見、美術館の式典、スポーツイベントでは、人々はすでにカメラの存在を意識しています。
《Centennial Ball, Metropolitan Museum of Art, New York》(1969)では、華やかな社交行事の参加者が互いを見つめ、背景の人物が不安そうな表情を見せています。MoMAはこの作品について、写真が事実を完全に説明するのではなく、人物関係を想像させる「別の劇場」を作っていると解説しています。
Winograndはメディアが出来事を記録するだけでなく、出来事そのものを変えることを見ていました。撮影されるために立つ人、テレビカメラへ向けて話す政治家、抗議のプラカードを掲げる参加者、著名人を見る観客が互いに影響し合います。この視点は、現在のSNSや常時撮影される公共空間を考える上でも古びていません。
空港――移動するアメリカ
Winograndは空港を繰り返し撮影しました。戦後アメリカでは航空旅行が急速に一般化し、空港は技術、消費、移動、待機が一つに集まる新しい公共空間でした。
《T.W.A. Terminal, Kennedy Airport, New York》(1978)などでは、Eero Saarinenの建築を建築写真として整然と撮るのではなく、その内部を移動する人間へ焦点を当てます。巨大な交通システムの中で、個々の身体がどのように方向を変え、立ち止まり、互いを避けるのかが写ります。
晩年のLos Angelesでも空港は重要な撮影場所でした。移動が増えるほど人々の関係は一時的になり、隣にいる人物が誰なのか分からない。Winograndの写真が好んだ匿名的な社会関係が、空港には凝縮されています。
Texas――ロデオと《Stock Photographs》
1973年、WinograndはUniversity of Texas at Austinで教えるためTexasへ移りました。New Yorkを離れたことにより、彼の画面には広い空間、自動車、州祭、ロデオなど異なる社会環境が増えます。
Fort WorthのFat Stock Show and Rodeoを継続的に撮影した写真は、1980年の《Stock Photographs》へまとめられました。ここでも主役はカウボーイだけではありません。観客、家畜、子ども、売店、舞台裏など、イベントを成立させる複数の層が同時に写ります。
《Fort Worth, Texas》(1974)や《Dallas, Texas》(1974)では、Texasらしさを象徴的に説明するより、都市と郊外の公共空間に現れる身体の配置を追っています。地域が変わっても、Winograndの中心的関心は「人間が公共空間でどのように存在するか」にありました。
California――晩年の視線
1978年、三度目のGuggenheim Fellowshipを受け、同年Los Angelesへ移住します。New Yorkの密集した歩道とは異なり、Los Angelesは自動車中心で、人がまとまって歩く場所が限られます。そのため空港、Venice Beach、Santa Monicaなど、歩行者が集まる場所が重要になりました。
晩年の写真は、1960年代New Yorkの代表作より散漫に見えることがあります。人物の間隔が広く、画面の意味がさらに掴みにくいからです。しかし2013–15年のSFMOMA/National Gallery回顧展は、未発表の晩年写真を大量に調査し、この時期を単純な衰退として扱わない見方を提示しました。
《Venice Beach, Los Angeles》(1980–83)や《Los Angeles》(1980–83)は、Winogrand自身が最終プリントを決めなかったネガから死後に制作されたものです。そのため作品を見るとき、像そのものの強さと同時に、「作者がこれを作品として選んだのか」という問題が必ず伴います。
撮影量――見ることが編集を追い越す
Winograndは生涯を通して非常に多く撮影しましたが、とくに晩年は撮影と編集の差が急速に広がりました。SFMOMAの回顧展資料によれば、死去時には約2,500本の露光済み未現像フィルムに加え、約4,100本の現像済みながら本人が確認していないフィルムが残り、合計約25万コマに達しました。
この量は「たくさん撮れば良い写真が偶然出る」という意味ではありません。Winograndは本来コンタクトシートを何度も見て選択する写真家でした。撮影直後の記憶を弱めるため、時間を置いてから写真を見ることもありました。撮影経験の感情と、写真としての判断を分離するためです。
しかし晩年には、その選択作業が撮影速度に追いつかなくなりました。ここで彼の制作は特殊な問題を生みます。ネガが存在することと、作者が作品として認めたことは同じではありません。写真という複製可能な媒体において、作品の成立にどこまで選択とプリントが必要なのかという問題です。
死後のプリント――誰が作品を決めるのか
1984年3月19日、Winograndは56歳で死去しました。膨大な未整理資料はCenter for Creative Photographyへ入り、研究者、写真家、キュレーターによって調査されました。
1988年、John SzarkowskiはMoMAで《Winogrand: Figments from the Real World》を企画し、死後の評価形成に大きな役割を果たします。その後もアーカイブ研究は続きますが、本人が見ていないネガをプリントして展示することには長く議論がありました。
2013年のSFMOMA回顧展では、この問題を隠さず、本人が生前に確定した代表作と、アーカイブから新たに選ばれた死後プリントを明確に区別しながら展示しました。ここでは「未発表だから価値が低い」「ネガが残っているからすべて作品」というどちらの極端にも進まず、制作過程そのものを研究対象にしています。
2013–15年回顧展――未見の仕事を含めて再評価する
2013年SFMOMAで始まった大規模回顧展《Garry Winogrand》は、National Gallery of Art、The Met、Jeu de Paume、Fundación MAPFREへ巡回しました。生前の代表作だけでなく、初期の未発表写真、晩年の未確認ネガからの新しいプリントを含め、活動全体を見直しました。
National Gallery of Artは、彼の仕事を戦後アメリカの希望と高揚、不安と混乱の両方を写したものとして説明しています。消費社会や移動の自由が拡大する一方、政治的対立、Vietnam War、都市の緊張、社会規範の変化が進んだ時代です。Winograndの画面が安定しないことは、その社会的な不安定さと重なります。
ただし作品を時代の「象徴」とだけ見ると、写真固有の問題を失います。Winograndが繰り返し研究したのは、アメリカ社会と同時に、写真が現実を二次元へ変換するときに生じる奇妙さでした。歴史資料と形式実験が分離しないところに重要性があります。
Garry Winograndは何を変えたのか
第一に、ドキュメンタリー写真の目的を変えました。社会問題を説明したり、改革を訴えたりすることを否定したわけではありませんが、自分の写真には明確な教訓を与えませんでした。現実を撮ることで、現実について新しい疑問を作る方法を示しました。
第二に、写真の「失敗」に見える要素を構造へ変えました。傾いた水平線、切れた身体、画面端の人物、重なりすぎた情報を排除せず、それらが写真の平面でどのように働くかを選択基準にしました。これによって、整った構図だけが写真の完成形ではないことを示しました。
第三に、公共空間を舞台として読み直しました。歩道、動物園、空港、博覧会、政治集会、ロデオ、美術館のパーティーでは、人々は個人として存在すると同時に、社会的な役割を演じています。Winograndはその役割が一瞬だけ崩れる場面を数多く残しました。
第四に、写真家自身の位置を不可視にしませんでした。近距離から撮ることで被写体が反応し、カメラの存在が場面へ影響します。「客観的な観察者」の立場を装わず、撮る行為も現実の一部になります。
第五に、写真における編集の重要性を逆説的に浮かび上がらせました。晩年の膨大な未整理フィルムは、撮影と作品が同じではないことを示します。どのネガを選び、どの大きさでプリントし、どの順序で見せるかという判断が、写真作品の成立に不可欠であることを死後の議論が明らかにしました。
Winograndの影響は、単に「街で素早く撮る」技術にありません。現実が写真になるとき、偶然、距離、フレーミング、時間、選択によって別の構造へ変わる。その変化自体を写真の主題にしたことが、現在まで続く最も大きな遺産です。
略年譜
- 1928
- 1月14日、New YorkのBronxに生まれる。
- 1945–1947
- 米軍で勤務し、気象観測に関わる。軍務中に写真への関心を深める。
- 1947–1948
- City College of New Yorkで絵画を学ぶ。
- 1948–1951
- Columbia Universityで学び、写真の現像・プリント技術を身につける。
- 1951
- New School for Social ResearchでAlexey Brodovitchの写真クラスを受講。Pix Agencyで仕事を始める。
- 1952頃
- New Yorkを拠点に商業写真・雑誌写真のフリーランス活動を本格化。
- 1955
- MoMA《The Family of Man》に参加。アメリカ各地への撮影旅行も行う。
- 1960
- New YorkのImage Galleryで初個展《Photographs by Garry Winogrand》。
- 1963
- MoMA《Five Unrelated Photographers》に参加。
- 1964
- 最初のGuggenheim Fellowship。アメリカ生活の写真研究として各地を撮影。《World’s Fair, New York City, New York》などを制作。
- 1967
- MoMA《New Documents》にDiane Arbus、Lee Friedlanderと参加。戦後ドキュメンタリー写真の転換点となる。
- 1969
- 二度目のGuggenheim Fellowship。メディアと公共イベントの関係を撮影。同年MoMAから《The Animals》刊行。
- 1971–1972
- Chicagoで教える時期を持ち、New York以外での活動を広げる。
- 1973
- Austinへ移り、University of Texas at Austinで写真を教える。
- 1974–1977
- Fort WorthのStock Show and Rodeoを継続して撮影。後の《Stock Photographs》へつながる。
- 1975
- 写真集・ポートフォリオ《Women Are Beautiful》刊行。National Endowment for the Artsの助成も受ける。
- 1977
- MoMAで個展《Public Relations》。同名写真集刊行。
- 1978
- 三度目のGuggenheim Fellowshipを受け、Los Angelesへ移住。Californiaを中心に撮影。
- 1980
- Fort Worthのロデオ写真をまとめた《Stock Photographs》刊行。
- 1984
- 3月19日、Tijuana, Mexicoで死去。56歳。大量の未現像・未確認フィルムを残す。
- 1988
- MoMAでJohn Szarkowski企画《Winogrand: Figments from the Real World》。死後初期の大規模回顧。
- 2013
- SFMOMAで大規模回顧展《Garry Winogrand》開幕。未発表・死後プリントを含むアーカイブ再検討を行う。
- 2014–2015
- 回顧展がNational Gallery of Art、The Met、Jeu de Paume、Fundación MAPFREへ巡回。
参考資料・出典
本ページはSan Francisco Museum of Modern Art、National Gallery of Art、The Museum of Modern Art、The Metropolitan Museum of Art、International Center of Photography、Center for Creative Photography、John Simon Guggenheim Memorial Foundation等の公式資料・所蔵情報を参照し、ART LIBRARYが独自に執筆しました。Winograndを「ストリート写真」の様式だけに限定せず、《New Documents》《The Animals》《Women Are Beautiful》《Public Relations》、Texas・California期、死後のアーカイブ問題までを連続する制作として構成しています。原文の全文翻訳ではありません。
- San Francisco Museum of Modern Art — Garry Winogrand
- SFMOMA — Garry Winogrand Retrospective
- SFMOMA — Garry Winogrand Retrospective Press Release
- National Gallery of Art — Garry Winogrand
- The Museum of Modern Art — Garry Winogrand
- MoMA — New Documents, 1967
- The Metropolitan Museum of Art — Garry Winogrand, 2014
- International Center of Photography — Garry Winogrand
- Center for Creative Photography — Garry Winogrand Archive
- John Simon Guggenheim Memorial Foundation — Photography Fellows
- MoMA — Central Park Zoo, New York, 1967
- MoMA — New York’s World Fair, 1964
- The Met — Democratic National Convention, Los Angeles, 1960
- SFMOMA — Park Avenue, New York, 1959
- SFMOMA — Bronx Zoo, New York, 1963
- SFMOMA — New York, 1968
- SFMOMA — New York City, Three Women, 1969
- MoMA — Centennial Ball, Metropolitan Museum of Art, New York, 1969
- SFMOMA — Fort Worth, Texas, 1974
- SFMOMA — T.W.A. Terminal, Kennedy Airport, New York, 1978
- SFMOMA — Point Mugu Naval Air Station, California, ca. 1979
- SFMOMA — Venice Beach, Los Angeles, 1980–1983
資料確認日:2026年10月4日 / ART LIBRARY