エル・リシツキー(El Lissitzky、1890–1941)は、絵画、建築、版画、タイポグラフィ、写真、展示デザインを横断したロシア出身の芸術家です。幾何学的な形が浮かぶ「プルーン」、赤と黒を使った印刷物、見る人が中へ入る展示空間。彼は、美術を壁に掛ける一枚の作品にとどめず、本を読む行為や空間を歩く経験へと広げました。
一見すると冷静で整った形の世界ですが、その背景には革命、文化の再生、社会を作り直す願いがあります。形や文字は、個人的な感情を表すだけでなく、多くの人が共有できる視覚言語になると考えられました。その理想と、作品が実際に使われた政治的な目的を合わせて見ると、リシツキーの仕事の豊かさと難しさが見えてきます。
本記事では、ユダヤ文化に関わる挿絵から、マレーヴィチとの出会い、プルーンの空間、絵本と詩集、展示と出版の仕事までをたどります。幾何学を難しい記号として解読するより、形が視線や身体をどう動かすかに注目すると、作品へ近づきやすくなります。
CONTENTS
- エル・リシツキーとは——絵画と設計をつなぐ芸術家
- 出発点——ユダヤ文化と建築の学び
- ヴィテブスク——シャガールとマレーヴィチの間で
- プルーン——一枚の平面に複数の空間を作る
- 《プルーン19D》——幾何学の中の物質
- 《赤い楔で白を打て》——抽象が政治の言葉になる
- 本の設計——文字、指、声をつなぐ
- 舞台と「新しい人間」——形を動かす想像力
- 主要作品
- プルーンの部屋——見る人の身体が動き出す
- 写真とフォトモンタージュ——像を情報へ組み立てる
- 展示と出版——プレス展から国家の表象へ
- リシツキー作品の見方——形、動き、用途を比べる
- 他の芸術家との比較——受け取った形を別の場へ
- エル・リシツキーについてよくある疑問
- 略年譜
- 参考資料・出典
エル・リシツキーとは——絵画と設計をつなぐ芸術家
リシツキーを理解する入口は、一つの職業だけで捉えないことです。画家として平面に形を置き、建築を学んだ人として空間を考え、デザイナーとして印刷物や展示を組み立てました。これらは別々の活動でありながら、何をどこへ置き、どう見てもらうかという問題でつながっています。
プルーンには、建物のような形が見えるものがあります。それでも、窓や入口の位置を指定する普通の設計図とは違います。大きさの尺度、地面、重力、見る方向が定まらず、同じ形が平面にも立体にも感じられる。建築の知識を持ちながら、現実にある建物を描くことから離れた空間を試しているのです。
本の仕事にも、この組み立てる考え方が現れます。文字は内容を運ぶだけでなく、大小や位置によってページの形を作ります。余白は何もない場所ではなく、文字と図像の関係を調整する場所です。読む順序やページを探す動作まで考えると、本は小さな空間のようにも見えてきます。
出発点——ユダヤ文化と建築の学び
リシツキーは1890年にポチノクで生まれ、ヴィテブスクと深い関わりを持ちながら育ちました。若い時期にはドイツのダルムシュタットで建築や工学を学び、第一次世界大戦の勃発後にロシアへ戻ります。後の幾何学作品の背景には、形を描く能力だけでなく、構造や空間を考える学びがありました。
同時に、ユダヤ文化に関わる挿絵や出版の仕事が、制作の重要な出発点です。宗教的な歌や物語、民衆の造形、文字を扱う仕事を経て、彼はページを一つのまとまりとして構成しました。抽象へ向かった後の有名な作品だけを見ていると、この文化的な背景が見えなくなります。
《ハド・ガドヤ》——物語を囲む文字
1919年の《ハド・ガドヤ》は、過越祭の歌に関わる挿絵の連作です。子山羊から始まる出来事が、次々と別の登場者へつながっていきます。個々の動物や人物を見るだけでなく、文字が絵を囲み、画面を分け、物語の読む場所を作ることに注意してみてください。
ここでの文字は、後から添えられた説明だけではありません。絵の外周を作り、図像と同じ紙面の上で視覚的に働きます。何が描かれているかという問いと、どう配置されているかという問いを一緒に考えると、後のタイポグラフィの仕事とのつながりが感じられます。
この連作を、抽象絵画に進むための単なる準備として見る必要はありません。具体的な文化や物語を伝えることには、それ自体の目的があります。リシツキーの変化は、文化的な記憶を捨てて普遍的な形へ一足飛びに移った、とだけ説明できるものではありません。物語、文字、紙面を組み立てる経験が、後の仕事にも別の形で残ります。
ヴィテブスク——シャガールとマレーヴィチの間で
1919年、マルク・シャガールの招きで、リシツキーはヴィテブスクの美術学校の活動に加わりました。この場所でカジミール・マレーヴィチのシュプレマティスムに接し、幾何学的な抽象へ大きく向かいます。人物や風景を描く以外の方法で、新しい美術を考える場にいたのです。
マレーヴィチは、正方形や長方形などの形を通して、対象を描くことから離れた絵画を探りました。リシツキーもその語彙を受け取りますが、形の間に立体的な関係や移動の可能性を見いだしていきます。影響を受けたことと、同じ仕事を繰り返したことは区別して考える必要があります。
幾何学は何を表すのか
丸、四角、線があると、人は何かの記号だと思い、その意味を探したくなります。政治的なポスターでは、色と形が具体的な対立に結びつくことがあります。一方、プルーンでは、一つの形が常に特定の人物や物を示すとは限りません。同じ語彙でも、作品の目的によって意味の作り方が変わります。
作品を見るときには、まず形が何に見えるかを考え、その後で形同士がどう関係するかを見てみてください。近づくのか、離れるのか、支えるのか、貫くのか。対象の名前を当てるより、こうした関係を読むほうが、抽象作品の中の動きに近づけます。
革命後の社会では、新しい美術は新しい生活のあり方と結びつけて考えられました。リシツキーにとっても、形式の刷新は、美術の内側だけの問題ではありません。ただし、画面に斜線があるから革命を意味する、というように短絡すると、個々の作品の違いを見失います。社会的な理想を知りつつ、形の働きは作品ごとに確かめることが大切です。
プルーン——一枚の平面に複数の空間を作る
プルーン(Proun)は、リシツキーが展開した絵画、素描、版画などの仕事に使った名称です。一般に、ロシア語の「新しいものを確立するためのプロジェクト」に関わる略称と説明されます。絵画と建築をつなぐ実験であり、特定の場所を写した風景ではありません。
一つの視点へ収まらない形
普通の遠近法の絵では、見る人の位置が定まれば、形の大きさや向きは同じ空間の規則に従います。プルーンでは、形を立体として読めても、その読みを画面全体へ広げるとうまくいかないことがあります。ある形に合う視点が、別の形には合わない。目は少しずつ位置を変えながら、画面の中の関係を組み立て直します。
この不安定さは、描き方が不十分だから生まれたものではありません。見る場所を固定しないことによって、空間の可能性が増えています。平らな長方形だと思った部分が、厚みを持つ板のように見え、別の部分へ視線を移すと、また平面の配置へ戻る。その行き来がプルーンの経験になります。
地面や人が描かれていないと、形の大きさも定まりません。机の上の模型に見えるのか、都市を上から見るように感じるのか、巨大な構造の内部なのか。尺度を決める目印がないため、同じ構成が複数の大きさとして想像できます。建築的な印象がありながら、特定の建物へ対応しない理由の一つです。
余白を、空間として読む
プルーンの白い部分を背景として見過ごすと、形だけの一覧になってしまいます。形と形の間隔を追うと、白い部分は距離を作り、緊張を保ち、視線が移る場所になります。物体に見える部分と、その間の空間が同じくらい重要です。
画面の上と下を意識して見ることも役立ちます。形が地面に置かれているように見えるのか、それとも浮いているように見えるのか。斜線をたどったとき、目はどの方向へ動くのか。作品を実際に回転させなくても、向きへの注意によって、普段の絵の見方がどれほど上下の感覚に支えられているかに気づけます。
《プルーン19D》——幾何学の中の物質
リシツキーの形は、定規で整理された図のように見えることがあります。しかし《プルーン19D》には、油彩だけでなく、紙、紙やすり、金属箔など多様な材料が使われています。簡潔な形の世界と、異なる表面の世界が重なっている作品です。
材料の違いを知ると、画面の立体感を別の角度から見られます。絵具の明暗で描かれた厚みと、実際に貼られた材料が持つ表面の違いは、同じことではありません。像としての奥行きと、作品という物の厚みを分けて見ると、抽象絵画が平面上の純粋な記号だけではないことがわかります。
画像では、光沢やざらつきの違いが均一に見える場合があります。作品の材料情報は、その見えにくさを補う手がかりになります。実物を見られるときには、見る位置や光によって表面がどう変わるかを確かめてみてください。機械的に見えた構成の中に、物質を扱う具体的な仕事が感じられます。
版画や紙のプルーンと比較することも有効です。同じ系統の形でも、油彩、グアッシュ、リトグラフでは線や面の現れ方が異なります。構成が似ているから同じ作品の繰り返し、と考えるより、異なる材料で空間の問いを試したものとして見ると、それぞれの役割が見えてきます。
《赤い楔で白を打て》——抽象が政治の言葉になる
《赤い楔で白を打て》は、リシツキーの政治的なグラフィックを考えるうえで欠かせない作品です。赤い三角形が白い円へ入り込む構成は、ロシア内戦の赤軍と白軍の対立に結びつきます。戦闘場面を人物で描かず、幾何学的な形と色によって力の衝突を示しているのです。
三角形の先端、円の輪郭、斜めの方向を追うと、画面の中に動きと圧力が感じられます。形の配置は、単なる装飾ではなく、対立をわかりやすくするために働いています。プルーンの空間が読みを開くのに対し、このポスターは題名や文字とともに読みを一定の方向へ導きます。
ここには、抽象が社会から離れた美術であるとは限らないことが示されています。対象を直接描かなくても、形は政治的な目的に使われます。一方、形の簡潔さが、現実の複雑な対立を二つの側へ整理する働きも持っています。強いデザインの力を見ると同時に、何を省いて伝えているかを考える必要があります。
赤、黒、白や斜めの構成は、今日もさまざまなデザインで使われます。それだけでリシツキーの直接的な影響と断定することはできませんが、彼の作品を知ると、視覚的な力強さがどのように作られるかを具体的に観察できます。歴史的な意味と造形の仕組みの両方が、鑑賞の手がかりになります。
本の設計——文字、指、声をつなぐ
リシツキーの本では、文字は意味を伝えると同時に、画面の形を作ります。活字の大きさ、太さ、色、置かれる方向は、読む速さや強調を変えます。文字の意味がわからなくても視覚的なリズムを感じられますが、意味と形がどう関係するかを知ると、仕事の目的はさらに見えてきます。
《二つの正方形について》——抽象が物語を持つ
《二つの正方形について》は、赤と黒の正方形によって物語を展開する絵本です。人や動物の顔がなくても、形の位置や向き、ページごとの変化によって、出来事が起こったと感じられます。抽象的な形を並べた画集というより、読む順序を持った本として見ることが重要です。
一枚のページでは、形の間の関係を自由にたどれます。しかし次のページへ移ると、前の形の位置を記憶しながら変化を読みます。正方形は、単なる図形から、何かを起こす存在へ変わる。絵本という形式が、幾何学に時間を与えているのです。
文字と図像は、互いの説明として一方的に従うわけではありません。文字の置き方が目を動かし、形の構成が出来事の印象を作ります。読み手は、その両方を合わせて本を進みます。物語の内容だけでなく、どう読むように作られているかを見ると、リシツキーの設計の発想が感じられます。
《声のために》——本を使う動作まで考える
1923年の《声のために》は、ウラジーミル・マヤコフスキーの詩に関わる本です。赤と黒の活字による構成に加え、求める詩を探しやすい索引が設けられています。読む人は、本を最初から順番に眺めるだけでなく、必要な場所へ手を使って移れます。
これは、見た目の美しさと使いやすさが対立しない例です。索引という機能が、本の姿を特徴づけています。文字を目で読み、ページを指で開き、詩を声に出す。複数の行為をつなぐ設計として見ると、題名の「声」も、本の外側にある行為と関係することがわかります。
大きな活字は必ず大声を表す、と一つずつ対応させる必要はありません。文字の大小、余白、色の切り替わりが、読みにどんな間や強弱を作るかを考えてみてください。タイポグラフィは言葉を飾るだけでなく、言葉を受け取る経験を組み立てる仕事になっています。
舞台と「新しい人間」——形を動かす想像力
《太陽に対する勝利》に関わる人物像の連作では、リシツキーは機械的な人形のための構想を幾何学的な形で示しました。《新しい人間》のような人物像は、人の姿を自然に模写したものではありません。部品を組み合わせることで役柄を作り、形が動く可能性を考えています。
プルーンと比べると、同じ幾何学的な語彙が、舞台の人物という別の役割を持つことがわかります。平面に置かれた形を、関節や構造、動作として読んでみてください。どの部分が伸び、回り、重さを支えるのかを想像すると、版画の静止した姿の中にも運動が感じられます。
ただし、これらの版画を、実際に使われた舞台装置の記録として扱うことはできません。構想と実現、制作と刊行は区別する必要があります。紹介する作品の「1920–1921年、1923年刊」という年記は、図像の仕事と版画の発表を分けて示しています。作品の歴史は、一つの年だけでは表しきれない場合があるのです。
「新しい人間」という題名は、革命後の社会が新しい人のあり方まで思い描いたことを連想させます。造形の新しさと社会的な理想が接近する一方で、人を部品や機能へ整理する見方には別の問いもあります。形の機知を楽しみながら、何を「新しい」としたのかを考えると、舞台の構想が時代の思想とも結びつきます。
主要作品
ユダヤの物語の挿絵、プルーンの絵画と版画、舞台のための人物像、本と展示空間を12点で紹介します。同じ幾何学的な発想でも、紙面、平面作品、室内空間では働き方が変わります。
猫が来て子山羊を食べた——《ハド・ガドヤ》より
The Cat Came and Devoured the Kid / 1919 / 紙にリトグラフ / 紙40.6 × 35.6 cm/図像27.3 × 25.4 cm
ユダヤ博物館(ニューヨーク)
過越祭の歌に基づく連作の一枚。物語の挿絵と文字の枠組みが、一つの画面として構成されています。動物の姿を追うと同時に、文字がどこに置かれ、絵をどのように囲むかにも注目してください。抽象作品以前から、ページ全体を組み立てる関心があったことがわかります。
プルーン1C
Proun 1 C / 1919 / 板に油彩 / 68 × 68 cm
ティッセン=ボルネミッサ国立美術館
幾何学的な形の組み合わせによって、地面も尺度も定まらない空間が現れます。建築のように感じても、実際に建てるための設計図とは異なります。一つの視点に収まらない形の向きを追いながら、平面の上で見る位置が移っていく経験を楽しめる作品です。
プルーン19D
Proun 19D / 1920または1921 / 合板にジェッソ、油彩、ワニス、クレヨン、色紙、紙やすり、方眼紙、厚紙、金属色絵具、金属箔 / 97.5 × 97.2 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
絵具だけでなく、紙やすりや金属箔など異なる材料を取り入れたプルーン。画面の中の立体感と、作品の表面そのものの違いを分けて見ると、抽象絵画の豊かな物質性に気づけます。機械的に見える形も、単一の均質な表面からできているわけではありません。
プルーン5A
Proun 5 A / 1920 / 紙に鉛筆、グアッシュ / 22 × 17.5 cm
ティッセン=ボルネミッサ国立美術館
小さな紙面に幾何学的な構成をまとめた作品。大きな絵画と比べると、同じ空間の問いが異なる大きさと材料で試されていることがわかります。線の方向、形の重なり、余白の取り方をたどり、見える立体と紙の平面がどこで入れ替わるかに注目してみてください。
プルーン1E——版画集《プルーン》より
Proun 1 E from Proun / 1920 / リトグラフ / 図像22.2 × 27.4 cm/紙35.6 × 45.4 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
版画集の一枚として制作されたプルーン。絵画と同じ主題でも、版に移し、紙に刷ることで、形と余白の関係を繰り返し提示できます。図像の大きさだけでなく、その外側の紙面までを見ると、一枚の絵を見せる構成と、複数の版画をまとまりとして見せる構成の接点が見えてきます。
プルーンGK
Proun GK / 1922–1923年頃 / 紙にグアッシュ、インク、鉛筆 / 65.6 × 50 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
複数の描画材料を用いた紙の作品。線と色面が、立体的な構造を連想させる一方で、それを現実の物へ一つに対応させることはできません。形が手前へ出るように見える部分と、平面に戻るように見える部分を探すと、空間を固定しないプルーンの特徴を感じられます。
新しい人間——《太陽に対する勝利》の人物像
The New Man (Neuer) from Figurines: The Three-Dimensional Design of the Electro-Mechanical Show Victory over the Sun / 1920–1921(1923年刊) / リトグラフ / 図像30.8 × 32.1 cm/紙53.3 × 45.4 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
未来派の舞台作品を機械的な人形のために構想した連作の一枚。人体を写実的に描く代わりに、幾何学的な部品から役柄を作ります。絵画の形が舞台で動くとしたらどう見えるかを想像すると、静止した版画の中にも動作や役割の可能性が感じられます。
二つの正方形について
Pro dva kvadrata. Suprematicheskii skaz v 6-ti postroikakh (About Two Squares: A Suprematist Tale of Two Squares in Six Constructions) / 1922 / 表紙を含む7点の凸版挿絵を収めた絵本 / 各ページ27.8 × 22.5 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
赤と黒の正方形を通して物語を展開する絵本。抽象的な形が、ページをめくるにつれて出来事を起こす存在になります。一枚ごとの構成だけでなく、形の位置が次のページでどう変わるかを追ってください。幾何学は静的な装飾を離れ、読む時間を作る働きを持っています。
声のために
Dlia golosa (For the Voice) / 1923 / 表紙を含む25点の凸版図版を収めた本 / ページ18.7 × 13 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
マヤコフスキーの詩を読むための本。文字の大きさや赤と黒の配置に加え、求める詩へすばやく移れる索引が設けられています。美しいページを作ることと、本を実際に使いやすくすることが結びついた仕事です。目で読む経験の先に、声に出す行為までを想像してみてください。
プルーンの部屋
Prounenraum / 1923(1971年再構成) / 塗装した木 / 320 × 364 × 364 cm
ファン・アッベ美術館
壁の幾何学的な形と突出する部分が、室内へ広がる作品。見る人が動くと、形のつながりも見え方も変わります。紹介するのは1971年の再構成で、1923年の部屋がそのまま残っているわけではありません。平面のプルーンと比較すると、視線の移動が身体の移動へ変わる過程を考えられます。
プレス展ソ連館カタログ
Katalog des Sowjet-Pavillons auf der Internationalen Presse-Austellung, Köln 1928 (Catalogue of the Soviet Pavilion at the International Pressa Exhibition, Cologne 1928) / 1928 / フォトグラヴュール図版を収めた本 / ページ20.7 × 13 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
ケルンの国際プレス展に関わるカタログ。展示の情報を本へ移す仕事も、彼の制作の重要な部分です。写真の図版とページの組み立てを通して、空間で見たものを別の場所へ運びます。展示と出版を別々の仕事として見るだけでなく、情報を届ける連続した設計として考えられます。
ソビエト社会主義共和国連邦——プレス展ケルン
Union der Sozialistischen Sowjet-Republiken: Pressa Köln (Union of Socialist Soviet Republics) / 1928 / 凸版印刷による本 / 各ページ28.5 × 21.2 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
プレス展に関わるもう一つの刊行物。前のカタログと比べると、同じ出来事を伝える印刷物でも大きさや制作条件が異なります。幾何学的な造形の実験は、情報を多くの人へ届ける仕事ともつながっていました。国家を紹介する目的が、デザインの働きをどのように方向づけるかも考えたい作品です。
プルーンの部屋——見る人の身体が動き出す
1923年の《プルーンの部屋》は、幾何学的な構成を室内へ展開する仕事です。壁にある形と空間へ出る部分が結びつき、見る人はそれを一つの場所から眺めるだけでは捉えきれません。平面のプルーンで起きていた視線の移動が、身体を動かす経験へ広がります。
壁に沿った形を追っていると、別の壁へ視線が移り、突出する部分へ注意が向かいます。部屋を歩けば、近いものと遠いもの、重なりや間隔も変わります。作品の構成は一定でも、見る経験は見る人の位置によって更新されます。鑑賞者は、完成した画面の外にいるだけではありません。
ここで紹介するファン・アッベ美術館の所蔵品は、1971年の再構成です。1923年の空間がそのまま保存されたものではありません。再構成を見るときには、原作の構想を経験できることと、後の制作によってその経験が可能になっていることの両方を意識する必要があります。
部屋を作品にすることは、壁に掛けられた絵を増やすこととも違います。鑑賞者の位置、視線の移動、形の連続までを組み立てるからです。今日の展示やインスタレーションを見るときにも、リシツキーの仕事は、何が置かれているかだけでなく、どう動き、どう見せられるかを考える入口になります。
写真とフォトモンタージュ——像を情報へ組み立てる
リシツキーは写真やフォトモンタージュにも取り組みました。写真の一部を重ねたり、異なる像を組み合わせたりする方法は、紙面に幾何学的な形を配置する仕事とも関係します。像を単に記録として使うだけでなく、別の像や文字との関係の中で意味を作るのです。
絵画の幾何学と写真の具体性は、違う働きを持っています。写真には人物や機械、建物などを識別できる力があります。それらを構成すると、見る人は具体的なものを知覚しながら、全体の方向や規模、関係を読みます。抽象的な配置の考え方が、具体的な情報を伝える場へ入っています。
フォトモンタージュを見るときには、それぞれの写真が何を示すかに加え、大きさや位置がどう変更されたかに注意するとよいでしょう。あるものが大きくされ、別のものが小さく置かれると、現実の尺度とは異なる重要度が生まれます。写真の信頼感と、構成による意味づけが同時に働いています。
この方法は、国家や社会を紹介する出版物にも結びつきました。多くの情報を一枚のページにまとめるとき、整理の仕方そのものが読みを方向づけます。リシツキーの写真の仕事を、見た目の斬新さだけで語らず、何を伝えるために組まれたかまで考えることが大切です。
展示と出版——プレス展から国家の表象へ
1928年、ケルンの国際プレス展で、リシツキーはソ連館の仕事に関わりました。展示空間と刊行物は、国家や社会についての情報を、多くの人へ伝えるための場です。ここでは、個々の作品を独立して鑑賞することとは違う目的が、デザインを方向づけています。
展示では、来場者がどこから入り、何を最初に見て、どの情報へ移るかが重要になります。本では、表紙、ページの順序、文字と図版の関係が読む経験を組み立てます。尺度は異なっても、情報を並べるだけでなく、受け取る動きを設計する点で両者はつながります。
紹介するカタログなどの印刷物は、展示の経験を別の場所へ運ぶものでもあります。その場へ行かなかった人にも、何が示されたかを伝えられる。同時に、本は展示のすべてをそのまま再現するわけではありません。選ばれた図版や文章によって、出来事の一つの姿が提示されます。
1930年代には、ソ連の国家的な出版や展示に関わる仕事が続きました。前衛の実験が公的な宣伝に使われることは、表現の可能性が広がると同時に、伝える内容が限定されることでもあります。新しい社会への期待だけを語ることも、造形上の仕事を政治的な機能だけへ還元することも、どちらも十分ではありません。
作品の形式と用途を一緒に見ると、デザインが何をできるかという問いが具体的になります。明快に伝えること、注意を集めること、複雑な情報をまとめること。それらの力が、どんな目的に向けられたのかを確かめることで、リシツキーの仕事を歴史の中で捉えられます。
リシツキー作品の見方——形、動き、用途を比べる
最初は、画面の中の形を一つずつ見てみてください。円、長方形、細い線、立体に見える面。それぞれを識別した後、形の間にある白い部分へ注意を移します。間隔が狭い場所と広い場所で、感じる緊張はどう変わるでしょうか。余白を空間として見ることが、プルーンを読む第一歩になります。
次に、目がどの順序で動いたかを思い出します。斜線に沿って進んだのか、大きな黒い形へ引きつけられたのか、小さな赤い部分で立ち止まったのか。作品は静止していても、見る行為には順序と時間があります。形の一覧から、視線の動きを作る構成へ理解が変わります。
その後、媒体と用途を確認します。絵画なら、表面や材料を見る。版画なら、刷られた像と紙の関係を見る。本なら、前後のページと使い方を考える。展示空間なら、身体の位置の変化を見る。同じ造形の語彙でも、何をするための作品かによって役割が異なります。
最後に、文字や題名によって、形の意味がどれほど限定されるかを考えてみてください。政治的なポスターは、形をある対立の読み方へ導きます。プルーンは、より開かれた空間の想像を促します。幾何学はいつも同じ意味を持つという見方を離れると、仕事の幅が見えてきます。
他の芸術家との比較——受け取った形を別の場へ
マレーヴィチと比べると、幾何学的な抽象を共有しながら、リシツキーが空間の構成や実用の場へ向かったことが見えてきます。形が似ているかだけでなく、見る人にどんな経験を求めるかを比較してみてください。平面の独立した構成と、建築や本への展開の違いが感じられます。
シャガールとの関係では、ヴィテブスクという場所とユダヤ文化が重要です。二人の作品は後に異なる姿になりますが、文化や物語を扱う仕事、美術教育への関わりを共有していました。最終的な作風の違いだけで、出発点まで切り離す必要はありません。
ロトチェンコやモホイ=ナジと比較すれば、写真、文字、幾何学を通して、新しい視覚の経験を作ろうとした同時代の仕事が見えてきます。ただし、使う技法が近いからといって、目的や政治的な環境まで同じではありません。何のために像を組み立てたかという問いが、比較を具体的にします。
リシツキーの仕事は、今日の本や展示を考える手がかりにもなります。読む人や見る人の動きまでを設計すること、情報の見せ方が意味を作ること、簡潔な形にも歴史的な目的があること。その視点を持つと、美術館の作品だけでなく、日常の印刷物や画面を見る経験も少し変わります。
エル・リシツキーについてよくある疑問
プルーンは建築の設計図ですか?
建築的な形や空間を感じさせますが、実際に建物を建てるための図面とは異なります。尺度や地面、一つの視点が定まらない構成を通して、平面と立体の関係を試しています。何の建物かを当てるより、形を見る位置がどう変わるかに注目すると理解しやすくなります。
シュプレマティスムと構成主義、どちらの作家ですか?
両方との関係があります。マレーヴィチのシュプレマティスムから幾何学的な抽象の語彙を受け取り、建築、本、展示などへ広げる仕事は構成主義の関心とも結びつきます。一つの分類に固定するより、作品ごとに形と用途の関係を見るほうが、制作の幅を捉えられます。
《プルーンの部屋》は1923年の原作が残っているのですか?
紹介するファン・アッベ美術館の作品は1971年の再構成です。1923年の構想を経験するためのものですが、原作の部屋そのものが保存されているわけではありません。原作の年と再構成の年を分けて考えることが大切です。
文字が読めなくても作品を楽しめますか?
文字の大小、色、余白、配置から視覚的なリズムを感じられます。そのうえで題名や内容を知ると、造形が何を伝えるために働いているかが見えてきます。読めるかどうかを入口の条件にせず、形と意味の両方へ少しずつ近づくことができます。
最初に見るなら、どの作品がおすすめですか?
《プルーン19D》で平面と材料、《声のために》で文字と使い方、《プルーンの部屋》で身体の移動を比べてみてください。続いて《ハド・ガドヤ》を見ると、抽象作品以前からページ全体を組み立てる関心があったことにも気づけます。
略年譜
- 1890
- ポチノクに生まれる。
- 1909
- ドイツのダルムシュタットで建築や工学を学び始める。
- 1914
- 第一次世界大戦の勃発後、ロシアへ戻る。
- 1915
- ロシアで建築の学びを修了する。
- 1917–1919
- ユダヤ文化に関わる本の挿絵や出版の仕事を展開する。
- 1919
- シャガールの招きでヴィテブスクの美術学校に加わる。マレーヴィチの影響を受け、プルーンの制作へ向かう。《ハド・ガドヤ》を刊行。
- 1920–1921
- プルーンを展開し、《太陽に対する勝利》に関わる人物像を構想する。
- 1922
- 絵本《二つの正方形について》を刊行。ドイツでの前衛の活動や出版に関わる。
- 1923
- マヤコフスキーの《声のために》を刊行。ベルリンで《プルーンの部屋》を制作。舞台の人物像の版画集を刊行。
- 1920年代半ば
- 写真、フォトモンタージュ、建築と展示の構想へ活動を広げる。
- 1928
- ケルンの国際プレス展でソ連館と関連する刊行物の仕事に関わる。
- 1930年代
- ソ連の国家的な出版や展示の仕事を続ける。
- 1941
- モスクワで死去。
参考資料・出典
生涯と制作史は美術館・研究機関の公開資料を参照し、作品の年記、技法、寸法、所蔵情報は各作品ページを基準にしました。作品の日本語題名には異訳があるため原題を併記しています。本文での画面構成や鑑賞についての記述には、これらの資料を踏まえた本記事の解釈も含みます。
- ティッセン=ボルネミッサ国立美術館:El Lissitzky(生涯)
- スコットランド国立美術館:El Lissitzky
- ピカソ美術館マラガ:El Lissitzky展
- YIVO研究所:Lissitzky, El
- ユダヤ博物館(ニューヨーク):《猫が来て子山羊を食べた——《ハド・ガドヤ》より》
- ティッセン=ボルネミッサ国立美術館:《プルーン1C》
- ニューヨーク近代美術館(MoMA):《プルーン19D》
- ティッセン=ボルネミッサ国立美術館:《プルーン5A》
- ニューヨーク近代美術館(MoMA):《プルーン1E——版画集《プルーン》より》
- ニューヨーク近代美術館(MoMA):《プルーンGK》
- ニューヨーク近代美術館(MoMA):《新しい人間——《太陽に対する勝利》の人物像》
- ニューヨーク近代美術館(MoMA):《二つの正方形について》
- ニューヨーク近代美術館(MoMA):《声のために》
- ファン・アッベ美術館:《プルーンの部屋》
- ニューヨーク近代美術館(MoMA):《プレス展ソ連館カタログ》
- ニューヨーク近代美術館(MoMA):《ソビエト社会主義共和国連邦——プレス展ケルン》
資料確認日:2026年10月3日 / ART LIBRARY