デイヴィッド・ホックニー(1937–2026)は、絵画、素描、版画、写真、舞台美術、映像、ファクス、コンピューター、iPhone、iPadまで、時代ごとに新しい道具を取り込みながら、「人は世界をどう見ているのか」「平面の中に時間と空間をどう表せるのか」を生涯問い続けたイギリスの作家です。1960年代のロンドンでは同性愛をめぐる個人的な経験を文字や人物像へ取り込み、カリフォルニアではプール、水面、光、建築を明快な色面へ変換しました。1970年代の肖像画では人物同士の心理的な距離を描き、1980年代の写真コラージュでは一眼カメラの単一視点を崩して複数の時間と視点を一枚へ重ねます。その後も中国絵巻、キュビスム、光学機器、巨大な多面風景、マルチカメラ映像、iPad絵画へ関心を広げました。ホックニーの長い制作をつなぐのは特定の様式ではなく、「もっと正確に見るには、どんな絵の作り方が必要なのか」という継続的な実験です。
CONTENTS
生涯と制作の変遷
ブラッドフォードからロンドンへ
ホックニーは1937年7月9日、イングランド北部ヨークシャーのブラッドフォードに生まれました。1953年からBradford School of Artで学び、人物、身近な人々、街の風景を描きます。1959年にはRoyal College of Artへ進み、R.B.キタイら同世代の学生と交流しました。David Hockney Foundationの年譜によれば、1960年にTateで大規模なピカソ展を見たことが大きな刺激となり、人物を描きながら、抽象絵画、文字、異なる様式を一枚の中で混ぜる方向へ進みます。
当時のイギリス美術ではアメリカ抽象表現主義の影響が強く、若い画家にとって具象的な人物を描くことには保守的という印象もありました。ホックニーはその状況に対し、人物を完全に捨てるのではなく、文字、数字、落書きのような線と組み合わせることで、自分自身の主題を絵画へ戻していきます。
1961年、「Young Contemporaries」
1961年、Royal College of Artの学生らによる「Young Contemporaries」に参加します。Foundationの記録では、同年の批評でも、抽象に代わって都市生活の記号、スローガン、ユーモアを取り込む新しい傾向が注目され、ホックニーもその一人として挙げられました。
この時期の《We Two Boys Together Clinging》では、ウォルト・ホイットマンの詩から採った言葉、新聞記事、二人の男性像、数字などを組み合わせています。男性同士の性行為がイングランドとウェールズでまだ犯罪化されていた時代に、男性同士の親密さを個人的な主題として絵画へ持ち込んだことは重要です。
1961年、初めてニューヨークへ
版画の賞金などを使って1961年に初めてニューヨークを訪れました。MoMAで版画を見せたところ、キュレーターのWilliam S. Liebermanが作品を購入し、さらに残りの版画の販売も助けました。Foundationの年譜には、ホックニーがニューヨークの深夜まで開くバーやゲイ・カルチャーの自由さに強く刺激されたことも記録されています。
同じ旅行中、テレビ広告の「blondes have more fun」という宣伝文句を見て髪を金髪に染めます。後に広く知られる外見も、この時期から自分自身のイメージを意識的に作る行為の一部になりました。
1962年、Royal College of Artを卒業
1962年、Royal College of Artを卒業し、John Kasminのギャラリーと関係を結びます。Foundationに残る本人の言葉では、彼は「好きなものを、好きなときに、好きな場所で描く」と述べ、風景、美しい人々、恋愛、人生の出来事を伝統的な主題として捉えていました。
この姿勢は、ポップ・アート、写実、抽象、写真、デジタルなど、一つの運動に自分を固定しなかった生涯の制作につながります。
1963–1967年、ロサンゼルスへ
1963年に初めてロサンゼルスを訪れ、明るい日差し、郊外住宅、幾何学的な建築、男性の身体、そしてプールに強く惹かれました。その後カリフォルニアで暮らす時間が増え、1966年にはロサンゼルスを主要な生活拠点とします。
イギリスでは贅沢品に近かった個人住宅のプールが、南カリフォルニアでは日常的に存在していました。ホックニーは透明な水、反射、波紋、スプリンクラー、水しぶきといった「形の定まらないもの」を、アクリル絵具の平坦で明瞭な色面の中へどう描くかを試します。
1967年:《A Bigger Splash》
《A Bigger Splash》では、近代住宅、プール、ダイビングボードがほぼ静止した直線と色面で構成され、その中央に白い水しぶきだけが激しく広がります。Foundationによれば、ホックニーは数秒で消える飛沫を約二週間かけて描きました。
写真なら一瞬で凍結できる現象を、絵画では非常に長い時間をかけて作る。その時間差そのものが作品の面白さです。人間の姿は見えませんが、飛沫によって直前の身体の行為を想像させます。
1968–1972年、大型ダブル・ポートレート
1960年代末から70年代初頭には、友人や知人をほぼ等身大で描く大型の二人肖像を続けます。《American Collectors》《Christopher Isherwood and Don Bachardy》《Mr. and Mrs. Clark and Percy》《Portrait of an Artist (Pool with Two Figures)》などです。
1971年の《Mr. and Mrs. Clark and Percy》について、Foundationはホックニーが約一年をかけ、Ossie Clarkの頭部だけでも何度も描き直したことを紹介しています。本人は作品の目的を、室内にいる二人の「関係」を描くことだったと振り返りました。人物の似顔だけでなく、距離、姿勢、視線、窓からの光、家具、猫が心理的空間を作ります。
1972年:《Portrait of an Artist (Pool with Two Figures)》
《Portrait of an Artist》は、スタジオの床に偶然並んだ二枚の写真――水中を泳ぐ人物と、下を向いて立つ男性――から着想されました。立つ人物はかつての恋人Peter Schlesingerへ置き換えられました。
Foundationによれば、ホックニーは数か月制作した最初の構図を最終的に破棄し、展覧会まで二か月ほどしかない時期に巨大な画面を最初から描き直しました。泳ぐ身体、水面、立つ人物、遠景という異なる奥行きを、一枚の画面に同時に成立させた作品です。
主要作品
初期の同性愛を主題とした絵画から、カリフォルニアのプール、心理的なダブル・ポートレート、写真コラージュによる複数視点、キュビスムと中国絵巻を参照した室内、巨大なヨークシャー風景、晩年の季節の絵画まで、ホックニーの『見ること』への探究を追える8作品を選びました。作品は現在も著作権保護下にあるため、ART LIBRARYでは画像なしで掲載します。
抱き合う二人の少年
We Two Boys Together Clinging / 1961 / 油彩・板 / 121.9 × 152.4 cm
Arts Council Collection, Southbank Centre, London
Royal College of Art在学中の代表作。題名と画面内の言葉はウォルト・ホイットマンの詩を参照し、二人の男性が抱き合う姿を描いています。制作当時のイングランドでは男性同士の性行為がまだ犯罪化されていました。抽象表現主義に近い荒い絵肌の中へ文字、数字、人物、個人的な欲望を持ち込み、初期ホックニーの方向を明確にした作品です。
大きな水しぶき
A Bigger Splash / 1967 / アクリル絵具・カンヴァス / 242.5 × 243.9 cm
Tate, London
ロサンゼルスの住宅、プール、ダイビングボードを平坦で静かな色面にし、中央の白い水しぶきだけを激しく描いた代表作。Foundationによれば、数秒しか存在しない飛沫を約二週間かけて描きました。写真なら一瞬で凍結される時間を、絵画では遅い制作行為に変換するという、写真と絵画の時間差を意識した作品です。
クラーク夫妻とパーシー
Mr. and Mrs. Clark and Percy / 1970–1971 / アクリル絵具・カンヴァス / 213.4 × 304.8 cm
Tate, London
ファッションデザイナーOssie ClarkとテキスタイルデザイナーCelia Birtwellをほぼ等身大で描いた大型ダブル・ポートレート。Foundationによれば制作に約一年を費やし、Ossieの頭部を何度も描き直しました。本人が目的を『二人の関係』を描くことだったと説明しているように、姿勢、視線、窓、光、二人の間の距離が心理的な緊張を作ります。
芸術家の肖像(プールと二人の人物)
Portrait of an Artist (Pool with Two Figures) / 1972 / アクリル絵具・カンヴァス / 213.5 × 305 cm
Private collection
水中を泳ぐ人物の写真と、下を向いて立つ人物の写真がスタジオの床で偶然隣り合ったことから着想。立つ人物はPeter Schlesingerとして描かれました。Foundationによれば、数か月制作した最初の絵を破棄し、展覧会直前に巨大な画面を全面的に描き直しています。水中、人物、山岳遠景という異なる空間を一枚へ統合した1970年代の代表作です。
ペアブロッサム・ハイウェイ、1986年4月11–18日、No.2
Pearblossom Hwy., 11–18th April 1986, #2 / 1986 / クロモジェニック・プリントによるフォトコラージュ / 181.6 × 271.8 cm
J. Paul Getty Museum, Los Angeles
ロサンゼルス北方の交差点を約800枚の写真から組み立てた巨大なJoiner。Gettyに残る本人の説明では、道路右側を標識へ注意する運転者の視点、左側を自由に周囲を見る同乗者の視点として構成しました。一台のカメラの単一視点ではなく、身体を動かし時間をかけて見る経験を一枚へ圧縮した、ホックニーの写真研究の代表作です。
大きな室内、ロサンゼルス
Large Interior, Los Angeles / 1988 / 油彩、インク、切り貼りした紙・カンヴァス / 183.5 × 305.4 cm
The Metropolitan Museum of Art, New York
Hollywood Hillsの自宅の室内を描きながら、一点透視図法を意図的に分解した作品。Metは、キュビスムとともに、中国絵巻の複数視点と時間をかけて見る経験を重要な影響として挙げています。床、家具、壁が一つの固定視点には完全に収束せず、鑑賞者が室内を歩いて見ているような空間が作られています。
ワーター近くの大きな木々、あるいはポスト写真時代の戸外制作
Bigger Trees near Warter or/ou Peinture sur le Motif pour le Nouvel Age Post-Photographique / 2007 / 油彩・50枚のカンヴァス / 457.2 × 1219.2 cm
Tate, London
50枚の36×48インチのカンヴァスを連結した、幅12メートルを超える巨大なヨークシャー風景。各パネルは屋外で描き、全体をその場で一度に確認できないため、デジタル写真で記録してコンピューター上で組み合わせながら構成を確認しました。伝統的なplein air paintingとデジタル写真を同時に使った点が、副題『ポスト写真時代』にも表れています。
2011年、イースト・ヨークシャー、ウォルドゲートに春が来る
The Arrival of Spring in Woldgate, East Yorkshire in 2011 (twenty eleven) / 2011 / 油彩・32枚のカンヴァス / 365.6 × 975.2 cm
Centre Pompidou, Musée national d’art moderne, Paris
同じ小道で春が到来する過程をiPad、映像、素描などで観察した成果を、32枚のカンヴァスへ統合した約9.75メートル幅の大作。Centre Pompidouは、中央の遠近法的な道と、強く平面的に処理された樹木や植物が同居する点を指摘しています。自然の季節変化と、ホックニーが長年研究してきた奥行き/平面性の問題が結びついた作品です。
初期作品――人物、言葉、同性愛
抽象絵画の中へ「人」を戻す
1960年頃のホックニーは抽象表現主義に近い絵肌を使いながら、画面へ詩の一節、数字、人物の輪郭を書き込みました。Foundationによれば、ウォルト・ホイットマンの詩が「Love Paintings」の重要な刺激になっています。
言葉を置くことで、抽象的な色面が突然、特定の人間関係や欲望へ接続されます。形だけを純粋に見るモダニズムの絵画と、個人的な内容を語る人物画の間に独自の位置を作りました。
《We Two Boys Together Clinging》
作品名はホイットマンの詩から取られています。Art UKは、男性同士の性行為が違法だった1961年のイギリスで制作されたこと、二人の人物が抱き合いキスする姿が描かれていることを指摘しています。
後のカリフォルニア作品の明るく洗練された表面とは大きく異なりますが、「自分が見たい人物、自分の生活に関わる人物を描く」という態度は生涯変わりません。
カリフォルニア――光、水面、平面性
プールは「裕福な生活」の記号だけではない
ホックニーのプール絵画はしばしばカリフォルニア的な富や享楽の象徴として読まれます。確かに、近代住宅、青空、プール、男性の身体は1960年代ロサンゼルスの新しい生活像と結びついています。
しかし絵画上の問題も同じくらい重要です。透明な水を平らな色面にどう置くか、動く波紋を静止画でどう表すか、ガラス、水面、影といった複数の反射面をどう描き分けるかという視覚的な課題が繰り返されています。
アクリル絵具
《A Bigger Splash》などでは速乾性のアクリルを使い、建築やプール面を均質でフラットな色にしています。一方、水しぶきだけは細かな筆触を積み重ねます。
幾何学的で動かない背景と、一瞬の運動の痕跡が強く対照化されます。ホックニーの絵画では、写実と平面性が対立せず同じ画面にあります。
肖像画――似顔絵ではなく関係を描く
知っている人を繰り返し描く
ホックニーはCelia Birtwell、Ossie Clark、Peter Schlesinger、Gregory Evans、両親など、自分がよく知る人物を長年描きました。2020年のNational Portrait Gallery展についてFoundationは、似顔を得るには人物をよく知ることが重要だという本人の考えを紹介しています。
人物の顔だけでなく、その人がどう座るか、何を見るか、どんな物を持つか、どのくらい離れているかを観察します。
二人を描くと、間の空間も肖像になる
《Mr. and Mrs. Clark and Percy》では、Celiaは立ち、Ossieは椅子に座ります。二人は互いを見ず、間には窓から入る光と空間があります。
ホックニー自身が「二人の関係」を描こうとしたと語っているように、人物の外見ではなく、二人のあいだにある距離そのものが作品の重要な部分です。
ホックニーの作品をどう見るか
まず、視点がいくつあるかを見る
一見自然な室内や風景でも、一つの固定された消失点から構成されているとは限りません。《Large Interior, Los Angeles》では家具、床、壁が異なる方向を向き、中国絵巻やキュビスムを思わせる複数視点が同居します。
時間がどこに入っているかを見る
《A Bigger Splash》では数秒の飛沫を数週間かけて描き、《Pearblossom Hwy.》では何百枚もの写真を数日かけて撮影し一枚へまとめます。《A Year in Normandie》では一年の季節変化を90メートル前後のフリーズへ展開しました。
ホックニーの作品では、平面なのに複数の時間が重なることが多くあります。
「写真のように正確」と「人間の見方に近い」を分ける
ホックニーはカメラの画像が正確であること自体を否定していません。しかし一つのレンズ、一つの視点、一瞬の露光だけで人間の視覚経験全体を表せるのかを疑いました。
見る人は目を動かし、身体を動かし、時間をかけ、記憶を使います。写真コラージュや多面画は、その複雑な経験を平面へ持ち込む試みです。
新技術か手描きかという二択にしない
ホックニーはカメラ、ファクス、コンピューター、iPadを積極的に使いましたが、鉛筆や油彩も手放しませんでした。新しい機器は古い技術を置き換えるものではなく、「見る」ための別の道具でした。
写真コラージュ――カメラの一視点を壊す
1982年、Polaroid composite
Foundationによれば、1982年、Centre Pompidouで写真展を準備する過程でPolaroid SX-70を使い始め、複数の写真を格子状に並べるComposite Polaroidへ急速に発展しました。数か月で約150点を制作しています。
一枚の写真ではなく、同じ人物や空間を少しずつ異なる位置・時間から撮影するため、腕や椅子の輪郭は完全には一致しません。そのずれが、目や身体を動かして見る経験に近づくとホックニーは考えました。
「Joiners」
白い枠を持つPolaroidから、後には35mm/小型カメラによる多数の写真を自由に重ねるフォトコラージュへ移ります。Gettyは、これらの作品が複数視点と時間を一枚へ入れ、今日のデジタル合成に先行する実験だったと説明しています。
《Pearblossom Hwy.》
1986年の《Pearblossom Hwy., 11–18th April 1986, #2》では約800枚の写真を使い、ロサンゼルス北方の交差点を巨大なコラージュへ組みました。Gettyに残る本人の説明では、道路右側は運転者のように標識を読む視点、左側は助手席から自由に周囲を見る視点として構成されています。
一地点から見た「正しい遠近法」ではなく、移動しながら見た経験を一枚に圧縮しました。写真なのに、実際の道よりも時間を含み、見る人の視線が画面を移動します。
キュビスム、中国絵巻、逆遠近法
ピカソとキュビスム
Foundationによれば、1960年のTateのピカソ展は若いホックニーに決定的な刺激を与えました。後の写真コラージュでも、異なる角度を同じ平面に置く方法をキュビスムと明確に関連づけています。
中国絵巻
1980年代には中国絵巻にも強い関心を持ちました。Metは《Large Interior, Los Angeles》について、中国絵巻にある複数視点と、時間をかけて画面を移動しながら見る構造が重要な影響だったと説明しています。
西洋の一点透視図法のように鑑賞者を一地点へ固定せず、画面を歩くように見る。その経験を絵画、写真、映像へ応用しました。
逆遠近法
晩年まで遠近法の実験は続きました。Foundationによれば、2025年の新作では「reverse perspective」をさらに発展させています。通常は奥へ行くほど小さくなる空間を反転させ、画面が見る人の方へ広がるような構造を使いました。
光学機器と『Secret Knowledge』
1990年代末、古典絵画を「見る」研究へ
1999年頃からcamera lucidaなど光学機器を実際に使って肖像を描き、古典絵画の写実性がどのように作られたかを研究しました。2001年に『Secret Knowledge: Rediscovering the Lost Techniques of the Old Masters』を出版します。
ホックニーは、西洋絵画では15世紀頃から鏡やレンズを利用した投影が予想以上に広く使われたという仮説を提示しました。Foundation自身も2022年の《Hockney’s Eye》を、この「popular, and controversial」な理論を再検討する展覧会と説明しています。
重要なのは「昔の画家はトレースした」という告発ではない
本人は、光学機器は線を描いてくれる装置ではなく、あくまで道具だと繰り返しました。投影された像をそのままなぞれば作品になるという主張ではありません。
この研究も、カメラ、透視図法、目、手の関係を考え続けたホックニーの長期的な問題の一部として見ると理解しやすくなります。
ヨークシャー――巨大な風景へ
故郷の季節へ戻る
1990年代末からヨークシャーの風景を再び描くようになり、2000年代半ばにはEast Yorkshireを主要な主題としました。カリフォルニアの常緑的な環境とは異なり、春、夏、秋、冬で風景が大きく変化します。
《Bigger Trees Near Warter》
2007年、50枚のカンヴァスからなる幅約12メートルの《Bigger Trees Near Warter》を制作しました。Foundationによれば、各カンヴァスは屋外で描かれ、全体を同時に見ることができないため、毎日デジタル写真で記録し、コンピューター上で全体像を確認しました。
題名に「post-photographique」と入る通り、これは写真を拒否して屋外絵画へ戻った作品ではありません。絵筆で目の前の木を描きながら、デジタル写真を全体構成の確認装置として使う、手描きと新技術の混合です。
《The Arrival of Spring in Woldgate》
2011年には32枚のカンヴァスからなる約9.75メートル幅の風景画を制作しました。Centre Pompidouによれば、同じ小道の春の変化をiPad、映像、絵画など複数の方法で記録し、その研究を巨大な油彩へ統合しています。
中央の道路は奥へ続く遠近法を示しますが、木々や葉は強い平面性を持ちます。奥行きと平面をどちらか一方へ統一しないことが、ホックニーらしい空間になっています。
iPhone・iPad・映像――新しい道具を使う
ファクスからiPhoneへ
Metには1988年のファクスによる作品が所蔵されており、同館はホックニーを新しい機器、ソフトウェア、画像制作方法を積極的に試した作家として説明しています。その後コンピューター、複写機、デジタルカメラ、iPhone、iPadへと道具を更新しました。
iPadは「デジタルだから新しい」のではない
iPadの利点の一つは、思いついた瞬間に直接色を置けることでした。2020年のFoundation年譜では、ノルマンディーの冬の木から開花までを毎日のようにiPadで描き、年間220点を制作する目標を達成したことが記されています。
また制作過程のストロークを時間順に保存できるため、一枚の完成画像だけでなく「絵ができる時間」自体を再生できます。従来の紙やカンヴァスでは残らなかった制作過程が、媒体の機能によって作品の一部になりました。
マルチカメラ映像
2010–11年の《The Four Seasons, Woldgate Woods》では複数カメラを車両へ取り付け、同じ道を異なる季節に撮影しました。Foundationは36のデジタル映像を36台のモニターで同期させ、一つの作品として構成したと記録しています。
写真コラージュで行った複数視点の実験が、時間を持つ映像へ拡張されています。
ノルマンディーから晩年まで
2019年、ノルマンディーへ
2019年頃からフランスのノルマンディーで制作し、家、庭、果樹、周辺の田園を描きました。2020年春、新型コロナウイルスによるロックダウンの中でも、リンゴ、梨、桜、梅などの開花をiPadで継続的に記録しました。
その一部は「春はキャンセルできない」というメッセージとともに広く公開されました。外部の社会が停止した時期に、自然が季節通り変化していくことを毎日見る行為が制作の中心になります。
《A Year in Normandie》
ノルマンディーで見たBayeux Tapestryに刺激され、2020–21年には一年間の季節変化を連続するiPad画像として構成した《A Year in Normandie》を制作しました。Musée de l’Orangerieは、ロックダウン中に春から冬までを描き続け、80メートルを超えるフリーズとして展示したと説明しています。Foundationの後年の記録では全長約91メートルとされています。
一枚の矩形の中へ風景を閉じ込めず、歩きながら季節を読む形式です。中国絵巻、写真コラージュ、移動する視点への関心が最晩年まで続いています。
2025年、大規模回顧展
Fondation Louis Vuittonでは2025年、《David Hockney 25》を開催し、1955年から2025年までの400点以上を展示しました。油彩、アクリル、素描、写真、iPhone・iPad作品、映像、舞台美術までを一つの建物全体で見せる、本人が深く関与した大規模な総覧でした。
2026年、最晩年
2026年にはフランスのLégion d’HonneurのOfficierを受章しました。ロンドンのSerpentineでは《A Year in Normandie》と新作を組み合わせた展覧会が開催され、同館によれば約30万人が訪れました。
David Hockney Foundationは、ホックニーが2026年6月11日に自宅で穏やかに死去したと発表しています。88歳でした。死去直前まで新作を制作・発表しており、活動は約70年に及びました。
戦後美術のなかでの位置
ポップ・アートの一員ではあるが、それだけではない
Royal College of Art時代のYoung Contemporaries、広告や都市文化への関心から、初期ホックニーはイギリスのポップ・アートと結びつけられます。しかし本人の制作は、商品イメージの反復より、人物、光、水、遠近法、写真、風景、描く行為へ進みました。
GettyのULANも、1960年代にはポップ・アートとの関連で語られた一方、本人はその帰属を積極的に自称していなかったと整理しています。
一つのスタイルを持たないこと
初期の荒い絵肌、1960年代の明瞭なアクリル、1970年代の写実的肖像、1980年代の写真コラージュ、色の強い風景、iPadドローイングは、別人の作品のように見える場合があります。
それでも制作上の問いは驚くほど連続しています。人はどう見るのか。写真と絵画は何が違うのか。一点透視図法は本当に人間の視覚に近いのか。時間を平面へ入れられるか。新しい技術は見ることをどう変えるのか。様式ではなく、こうした問いの継続がホックニーの一貫性です。
「見る喜び」と理論的な実験が共存する
ホックニー作品は明るい色彩や親しみやすい主題のため、難解な理論を知らなくても楽しめます。一方で、その背後には透視図法、キュビスム、中国絵巻、光学、写真史についての長期的な研究があります。
視覚的な喜びと知的な実験を対立させず、両方を同じ作品の中に成立させたことが、戦後美術におけるホックニーの大きな特徴です。
画像利用について
ホックニーは2026年に死去したため、作品は現在も著作権保護下にあります。David Hockney Foundationの現在のサイトは、特記のない作品について「© Estate of David Hockney」と表示しています。Getty、Met、Centre Pompidouなどの所蔵館も作品画像に権利表示を付しています。ART LIBRARYでは主要作品画像を無断転載せず、現段階では作品情報と公式所蔵館・Foundationへのリンクで構成します。
略年譜
- 1937
- 7月9日、イングランド、ヨークシャーのブラッドフォードに生まれる。
- 1953–1957
- Bradford School of Artで学ぶ。人物、身近な環境を描く。
- 1959
- Royal College of Artへ入学。R.B.キタイらと交流。
- 1960
- Tateのピカソ展から強い影響を受ける。ウォルト・ホイットマンを読み、「Love Paintings」を制作。
- 1961
- Young Contemporariesに参加。《We Two Boys Together Clinging》を制作。初めてニューヨークへ旅行。
- 1962
- Royal College of Artを卒業。John Kasminのギャラリーと関係を結ぶ。
- 1963
- 初めてロサンゼルスを訪れる。ロンドンで最初の個展《Pictures with People In》。
- 1964–1967
- ロサンゼルスの光、住宅、プール、男性像を主要な主題として制作。
- 1967
- 《A Bigger Splash》を制作。UC Berkeleyでも教える。
- 1968–1972
- 友人・知人を描く大型ダブル・ポートレートを展開。
- 1971
- 《Mr. and Mrs. Clark and Percy》完成。
- 1972
- 《Portrait of an Artist (Pool with Two Figures)》を制作。
- 1975
- Stravinsky《The Rake’s Progress》の舞台美術を手がける。以後オペラ、舞台空間へ制作を拡張。
- 1977
- 《My Parents》を制作。
- 1982
- Polaroidによる複数写真のComposite作品を開始。数か月で約150点を制作。
- 1986
- 《Pearblossom Hwy., 11–18th April 1986, #2》を制作。複数視点と移動する時間を写真コラージュへ統合。
- 1988
- 中国絵巻の複数視点などを意識した《Large Interior, Los Angeles》を制作。ファクス作品も制作。
- 1998
- Grand Canyonを複数カンヴァスの巨大絵画として展開。
- 1999–2001
- camera lucidaなど光学機器を研究。2001年『Secret Knowledge』を出版。
- 2005頃
- East Yorkshireの風景を本格的に描き始める。
- 2007
- 50枚のカンヴァスからなる《Bigger Trees Near Warter》を制作。
- 2009–2011
- iPhone・iPadによるドローイングを本格化。複数カメラ映像も制作。
- 2011
- 32枚のカンヴァスからなる《The Arrival of Spring in Woldgate, East Yorkshire in 2011》を制作。
- 2017–2018
- Tate Britain、Centre Pompidou、Metで大規模回顧展。
- 2019
- ノルマンディーを新しい制作拠点とし、庭や果樹、季節を描き始める。
- 2020
- ロックダウン中、iPadで春の到来を継続的に描き、年間220点を制作。
- 2020–2021
- 一年間の季節変化を約90メートルのフリーズへ構成した《A Year in Normandie》を制作。
- 2023
- 東京都現代美術館で日本では27年ぶりとなる大規模個展。
- 2025
- Fondation Louis Vuittonで《David Hockney 25》。1955–2025年の400点以上を展示。
- 2026
- Légion d’HonneurのOfficierを受章。Serpentine Northで個展。6月11日、ロンドンの自宅で死去。88歳。
参考資料・出典
本ページはDavid Hockney Foundation、Tate、The Metropolitan Museum of Art、J. Paul Getty Museum、Centre Pompidou、Musée de l’Orangerie、Fitzwilliam Museum、Fondation Louis Vuitton、Serpentine Galleries、National Gallery of Artなどの財団・美術館資料を参照してART LIBRARYが独自に執筆しました。原文の全文翻訳ではありません。
- The David Hockney Foundation — Chronology
- The David Hockney Foundation — 1961
- The David Hockney Foundation — 1967
- The David Hockney Foundation — 1971
- The David Hockney Foundation — 1972
- The David Hockney Foundation — 1982 / Composite Polaroids
- J. Paul Getty Museum — Pearblossom Hwy., 11–18th April 1986, #2
- The Metropolitan Museum of Art — Large Interior, Los Angeles
- The David Hockney Foundation — Secret Knowledge research
- Fitzwilliam Museum — Hockney’s Eye: The Art and Technology of Depiction
- The David Hockney Foundation — Bigger Trees near Warter
- Centre Pompidou — The Arrival of Spring in Woldgate, East Yorkshire in 2011
- Musée de l’Orangerie — David Hockney: A Year in Normandie
- Fondation Louis Vuitton — David Hockney 25
- The David Hockney Foundation — 2026
- Serpentine — A Year in Normandie and Some Other Thoughts about Painting
資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY