Art Library

Daniel Buren

ダニエル・ビュレン

フランス / 1938– / BMPT/コンセプチュアル・アート/イン・シチュ

ダニエル・ビュレン(1938–)は、絵画を独立した一枚の物体として見るのではなく、それが「どこに置かれ、どのように見られ、どの制度によって作品として成立するのか」を制作そのものへ組み込んできたフランスの作家です。1965年以来、白と色が交互に並ぶ幅8.7cmの縦縞を「outil visuel(視覚的道具)」として使い続けていますが、その縞模様自体が作品の主題なのではありません。同じ一定幅の形を、美術館の壁、街頭広告、窓、柱、建築、広場、光へ置くことで、普段は背景として見過ごしている場所の寸法、境界、制度、視点を可視化します。1960年代末の街頭への無許可の貼り込みから、ニューヨークのグッゲンハイム美術館、パリのパレ・ロワイヤル、グラン・パレ、フォンダシオン ルイ・ヴィトンまで、制作は絵画の枠を越えて都市と建築そのものへ拡張しています。

Claude Truong-Ngoc / Wikimedia Commons - cc-by-sa-3.0 Source ↗

生涯と制作の変遷

3 minutes d’art – Daniel Buren|ARTORA

パリで美術を学ぶ

ビュレンは1938年3月25日、パリ近郊のブローニュ=ビヤンクールに生まれました。1957年からパリのÉcole des Métiers d’Artで学び、絵画や装飾、美術制作の基礎を身につけます。Guggenheim Bilbaoの年譜によれば、その後École Nationale Supérieure des Beaux-Artsにも短期間在籍しましたが、1960年頃から絵画制作へ専念しました。

初期には通常の絵画作品も制作していましたが、1960年代前半から、作家の個性的な筆触や構図をいかに減らせるかを考えるようになります。画面の一部をマスキングし、残された支持体そのものを見せる方法などを試しながら、「何を描くか」よりも絵画を成立させる条件へ関心を移していきました。

1965年、既製の縞布との出会い

1965年、パリの布地市場Marché Saint-Pierreで、ビュレンは白と色の縦縞が規則的に並ぶ市販の布を見つけます。本人の文章によれば、その布は、それまで一年以上かけて絵具で実現しようとしていた構造とほぼ同じものでした。

縞一本の幅は8.7cm。ビュレンはこの既製の規格を採用し、以後ほぼ例外なく使い続けます。重要なのは、8.7cmという幅が美しい黄金比だから選ばれたのではないことです。市場に存在した工業製品の規格を受け入れることで、作家自身が「個性的な形」を発明する必要を減らしました。

縞布への介入を最小限にする

1966–67年頃の作品では、白と色のストライプ布を支持体とし、両端の白い帯へ白いアクリル絵具を塗るという極めて限定的な操作を行いました。MoMAにも、1966年や1970年のこうした縞布作品が所蔵されています。

一見すると既製布をそのまま展示しているようですが、端の白い帯だけを「白で描き直す」ことで、工業生産された模様と画家による絵画行為の境界が曖昧になります。何が支持体で、どこからが絵画なのかという問題が、最小限の操作によって前面へ出ます。

1967年、モセ、パルマンティエ、トローニとの「Manifestations」

1967年、ビュレンはオリヴィエ・モセ、ミシェル・パルマンティエ、ニエーレ・トローニとともに複数の公開行為「Manifestations」を行いました。四人の姓の頭文字から、現在ではBMPTと呼ばれています。

彼らが同じ様式の作品を作ったわけではありません。モセは円、パルマンティエは幅広い水平帯、トローニは一定間隔の筆跡、ビュレンは縦縞を反復しました。共通していたのは、「作家の個性」「独創的構図」「一回限りの傑作」といった絵画を取り巻く価値観を、単純な反復によって問い直したことでした。

1968年、美術館から街へ

1968年4月、ビュレンは白と緑の縞紙をパリ市内の広告板、工事現場の囲い、柱など約200か所へ貼りました。《Affichages sauvages》です。公式カタログレゾネによれば、ギャラリーの支援も招待状もなく、一部は許可なく街頭へ設置されました。

ここで作品は額縁から出ただけではありません。広告、交通、建築、人の移動の中に置かれ、どこまでが作品でどこからが都市なのかが分からなくなります。縞模様は「ビュレンらしさを見せるロゴ」である以上に、設置された場所を意識させる目盛りのような働きを始めます。

1971年、グッゲンハイムでの《Peinture-Sculpture》

1971年、ニューヨークのSolomon R. Guggenheim Museumで開催される国際展のため、ビュレンは高さ20メートル、幅10メートルの青と白の巨大な縞布を設計しました。フランク・ロイド・ライトの螺旋状建築の中央吹抜けに吊り下げる《Peinture-Sculpture》です。

観客が螺旋ランプを歩くと、正面からは巨大な面が中央空間を遮り、側面へ回れば薄い布としてほとんど消えます。つまり同じ作品が、観客の位置によって「絵画」にも「彫刻」にも見え、同時に美術館建築の見え方そのものを変えます。

ところが一般公開前日、参加作家の一部から「他作品の見え方を妨げる」などの批判が出て、美術館は作品を撤去しました。公式カタログレゾネによれば、カール・アンドレはこの決定への抗議として展覧会を辞退しています。この事件は、作品が他作品から独立して存在するという美術館の前提を、ビュレンの作品が実際に衝突させた出来事でもありました。

1970年代:作品と建築の境界を越える

1973年の《Within and Beyond the Frame》では、ニューヨークのJohn Weber Gallery内部から窓を通り、道路を越えて向かいの建物までケーブルを張り、黒白の縞布19枚を等間隔で吊りました。9枚が室内、9枚が屋外、1枚が窓の境界に置かれます。

ギャラリーという「額縁」の内側と、通常は作品ではない街路空間を一本の構造で接続することで、展示空間の境界そのものを可視化しました。この頃には、ビュレンの関心は「縞模様の絵画」から、作品を見せる建築・制度・都市環境へ明確に拡張しています。

1980年代以降:空間そのものを組み替える

1980年代には、「Cabanes éclatées(爆発した小屋)」と呼ばれるシリーズを展開します。小さな建築構造の壁や窓を切り出し、その断片を周囲の展示室の壁へ移すことで、一つの箱と、それを収容する建築との関係を反転させます。

1985–86年にはパリのパレ・ロワイヤル中庭に恒久作品《Les Deux Plateaux》を制作。1986年にはヴェネツィア・ビエンナーレのフランス館で金獅子賞を受賞しました。その後も美術館、駅、歴史建築、公共広場など、場所に応じて作品の形を変え続けています。

8.7cmの縞――「作品」ではなく視覚的道具

縞模様そのものを鑑賞させるためではない

ビュレンは8.7cmの縞を「outil visuel(視覚的道具)」と呼びます。同じ幅の縞を50年以上使い続けているため、作家のトレードマークに見えます。しかし本人の考えでは、縞自体を新しい装飾様式として発明したわけではありません。

むしろ一定の要素を毎回変えずに使うことで、作品ごとに変わる別のもの――壁の高さ、柱の間隔、窓、光、通路、鑑賞者の位置――を比較しやすくします。定規の目盛りが測る対象より目立たないのと同じように、縞は場所を測り、見せるための基準として働きます。

作家の「個性」を減らした結果、逆に誰の作品か分かる

ここには興味深い逆説があります。作家固有の筆触や形を避けるために工業製品の縞を採用したにもかかわらず、現在では8.7cmの縦縞を見るだけで「ビュレン」と分かります。

つまり匿名性を目指した反復が、最終的には極めて強い作家の署名になりました。この矛盾も含めて、ビュレンの長期的な実践を見る必要があります。

同じ縞だからこそ、場所の違いが見える

美術館の白い壁、石造建築、地下鉄、屋外広告、ガラス建築では、同じ縞でもまったく違って見えます。色、光、スケール、素材、見る距離が変わるためです。

ビュレンの制作では「作品そのものは同じで、背景だけが変わる」のではありません。場所が変われば作品も別物になります。その考えが「in situ」という方法へつながります。

BMPTと絵画への問い

「何を描くか」から「絵画とは何か」へ

BMPTの四人は、複雑な画面を作る代わりに、あらかじめ決めた単純なモチーフを反復しました。そのことで、鑑賞者の注意を主題や表現から、支持体、絵具、展示方法、作者名といった絵画を成立させる条件へ移しました。

1967年1月の「Manifestation 1」では、会場で四人が作品を制作し、同じ場所に並べました。ビュレンは既製の縞布の両端へ白い絵具を塗りました。制作行為を秘密にせず観客の前へ出すことで、作品を「天才の内面から生まれた特別な物体」として扱う仕組みを弱めています。

BMPTは長く続く統一運動ではなかった

四人の共同活動は短期間で、それぞれ別の道へ進みます。したがってBMPTを、印象派やシュルレアリスムのように長期的な共通様式を持つ運動として考えると実態から離れます。

ビュレンにとって重要だったのは、その後、単純化した絵画をさらに展示空間と都市へ押し広げていったことです。

「in situ」とは何か

その場所のために作られ、その場所によって決まる

Guggenheimはビュレンの「in situ」を、作品とそれを受け入れる場所が切り離せない関係にあるものとして説明しています。建築の大きさ、窓、出口、通路、階段といった物理条件だけでなく、その場所を運営する社会的・経済的・政治的条件も含まれます。

したがって、完成した彫刻をアトリエから持ち込んで「ここに置く」のとは異なります。場所を調べ、その条件から作品の寸法や位置を決めます。その作品を別の建物へそのまま移せば、同じ作品ではなくなります。

作品は場所を飾るのではなく、場所を見せる

サイトスペシフィック作品というと、建築に調和する装飾を想像しやすいですが、ビュレンの場合は必ずしも調和を目的としません。《Peinture-Sculpture》はグッゲンハイムの中央空間を美しく飾るというより、その吹抜けの巨大さと、螺旋ランプからの視線を強制的に意識させました。

《Les Deux Plateaux》でも、パレ・ロワイヤルの既存の列柱、床の傾斜、地下空間を利用し、それまで見えにくかった建築の規則を表面へ出しています。

「作品」と「展示」の区別を弱くする

通常は作品を作り、その後に展示方法を考えます。ビュレンでは展示方法が作品の後付けではありません。どの壁へ、どの高さで、何色を、どの方向から見せるかが作品そのものです。

このため、彼の仕事は絵画・彫刻・建築・展示デザインという分類を横断します。

ビュレンの作品をどう見るか

縞ではなく、まず周囲を見る

ビュレンの作品を見たとき、最初に「白と黒の縞」「色の縞」だけを見ると、作品の多くを見落とします。まず、その縞が何に接しているかを見る必要があります。柱なのか、窓なのか、床なのか、壁なのか、ガラスなのか。どこからどこまで作品が続いているかを確認します。

歩いて見る

ビュレンの作品は一枚の正面写真では理解しにくいものが多くあります。《Peinture-Sculpture》では観客が螺旋ランプを移動することで巨大な面が現れたり消えたりします。《Les Deux Plateaux》では柱の高さが歩く位置によって変化し、地下の傾斜も見えてきます。

作品を見ることが「正しい視点を一つ見つける」ことではなく、移動しながら複数の見え方を経験することになります。

何が元からあったのかを考える

作品を見る前の場所を想像すると、ビュレンが何を変えたのかが分かりやすくなります。既存の柱、窓、床、屋根、光を確認し、作品がどこを強調し、どこを隠し、どの境界を延長したのかを見る方法です。

作品が消えた後まで考える

初期の街頭作品や多くのin situ作品は展覧会後に撤去・破壊されます。物体を永久保存することが前提ではありません。残るのは記録写真や文章ですが、ビュレンはそれらを作品そのものとは区別して「Photo-souvenir」と呼びます。

写真でしか知らない作品を見るとき、「写真に写ったもの=現在も存在する作品」ではないという区別が重要です。

The Observatory of Light by Daniel Buren|Fondation Louis Vuitton

主要作品

1967年のBMPT期の絵画から、街頭への貼り込み、美術館建築との衝突、額縁を越える作品、建築的インスタレーション、公共空間、光と透明性まで、ビュレンの制作が「絵画の条件」を場所全体へ拡張していく流れを追える8作品を選びました。存命作家であり作品は著作権保護下にあるため、ART LIBRARYでは画像なしで掲載します。

マニフェスタシオン1―白いアクリル絵具、薄い灰色と白の縞布

Manifestation 1 – White acrylic paint on light gray and white striped cloth / 1967 / 白いアクリル絵具・白と薄灰色の縦縞入り綿布 / 203 × 208 cm(未張り時)/192 × 198 cm(木枠張り時)

作品/展示形態はDaniel Buren Catalogue Raisonné参照

1967年1月3日の「Manifestation 1」で公開制作された作品。白と薄灰色が交互に並ぶ幅8.7cmの市販縞布を使い、両端の色帯を白いアクリル絵具で覆いました。モセ、パルマンティエ、トローニと同じ会場で単純な反復を提示し、作家固有の構図や筆触を中心とする絵画観を問い直したBMPT期の重要作です。

所蔵館の作品情報 ↗

野外貼り込み

Affichages sauvages / 1968 / 白と緑の縦縞紙、糊/街頭への貼り込み / 可変、パリ市内・周辺約200か所

一時的なin situ作品/Photo-souvenirで記録

1968年4月、パリの広告板、工事現場の囲い、柱など約200か所へ、幅8.7cmの白緑縞紙を貼った作品。公式カタログレゾネによれば、ギャラリーの支援や通常の招待状を使わず街頭へ展開されました。絵画を美術館・ギャラリーから都市へ移し、作品と広告、建築、日常空間の境界を揺さぶった転換点です。

所蔵館の作品情報 ↗

絵画―彫刻

Peinture-Sculpture (Painting-Sculpture) / 1971 / 白いアクリル絵具・白と青の縦縞入り綿布/吊り下げ / 2000 × 1000 cm

1971 Guggenheim International Exhibitionのためのin situ作品/現作品は個人蔵

Solomon R. Guggenheim Museumの中央吹抜けに高さ20m、幅10mの縞布を吊るす計画。螺旋ランプを歩く観客の位置によって巨大な平面から薄い線へ見え方が変化しました。一般公開前に一部参加作家の反対を受け美術館が撤去し、カール・アンドレは抗議して展覧会を辞退しました。建築と作品の関係が実際の制度的衝突となった代表例です。

所蔵館の作品情報 ↗

フレームの内側と外側

Within and Beyond the Frame / 1973 / 白黒の縦縞布19枚、ケーブル/in situインスタレーション / 各パネル 140 × 190 cm、全体はJohn Weber Gallery内部から街路を横断して向かいの建物まで

1973 John Weber Gallery, New Yorkでの一時的in situ作品

19枚の黒白縞布を、ギャラリー内部9枚、窓部分1枚、屋外9枚として一本のケーブル上へ配置。作品はギャラリーの窓を抜け、道路を横断して向かいの建物まで続きました。美術空間という「フレーム」の内と外を同一構造で接続し、展示制度の境界を物理的に可視化した作品です。

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爆発した小屋 第6番:市松模様

Cabane éclatée n° 6 : les damiers / 1985 / 木、白/黄金色の8.7cm縞綿布、白綿布、白アクリル絵具、糊 / 可変/爆発前の小屋 283 × 283 × 424.5 cm

Centre Pompidou, Musée national d’art moderne, Paris

小屋状の構造に開けた窓や扉の形を周囲の展示室へ移し、小さな建築とそれを収容する大きな建築を結びつける《Cabanes éclatées》シリーズの一作。Centre Pompidouは、展示のたびに場所との関係を考え直す「travail situé」として所蔵しています。

所蔵館の作品情報 ↗

二つの台地

Les Deux Plateaux, sculpture in situ / 1985–1986 / セメント、白・黒の大理石、石、亜鉛メッキ鋼、水、電気/恒久in situ作品 / パレ・ロワイヤル中庭 約3000㎡、黒白の八角柱260本

Cour d’honneur du Palais-Royal, Paris

フランス文化省の公共委嘱。歴史的なパレ・ロワイヤル中庭全体へ260本の黒白柱を配置し、既存列柱の間隔、地上面、地下の傾斜、水、照明を一体化しました。制作時には激しい論争と工事中断を経験しましたが1986年7月に完成。現在は『ビュレンの柱』として広く知られる公共空間となっています。

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エクセントリック

Excentrique(s), travail in situ / 2012 / 鋼製円形フレーム、透明カラーフィルム、鏡、黒白縞ほか/in situインスタレーション / 約380,000 m³のGrand Palais nave全体を使用

Monumenta 2012, Grand Palais, Paris/一時的in situ作品

Grand Palaisの巨大なガラス屋根の下へ、青・黄・オレンジ・緑の透明な円形面を規則的に配置したMonumenta 2012の作品。中央には大きな空白と円形鏡を設け、35m以上上方のドームを反射しました。固定した絵具ではなく、自然光が透明色を通り抜けて空間と観客を着色する構造です。

所蔵館の作品情報 ↗

光の観測所

L’Observatoire de la lumière, travail in situ / 2016 / 13色の透明フィルター、白と透明の縞/建築ガラスへのin situインスタレーション / Fondation Louis Vuittonの12枚のガラスの帆、計3600枚のガラスを使用

Fondation Louis Vuitton, Paris/2016–2017年の一時的in situ作品

フランク・ゲーリー設計のFondation Louis Vuittonを覆う12枚のガラスの『帆』へ、13色のフィルターと白/透明の縞を配置しました。太陽の位置、季節、見る場所によって投影・反射・透明色の混合が変化し、建築そのものを巨大な色と光の装置へ変換しました。

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額縁から建築へ――展示空間そのものを扱う

額縁は絵画だけにあるのではない

絵画の額縁は、作品と外の世界を分けます。しかし美術館やギャラリーの壁、入口、窓、建物そのものも、何を芸術として見るかを決める大きな「フレーム」と考えることができます。

ビュレンは1960年代末から、縞紙を美術館の内外、街頭、窓、建築の柱へ設置することで、この見えないフレームを扱いました。ギャラリーの中に置かれれば作品に見える縞が、隣の広告板に貼られると街の一部に見える。その違いを利用します。

《Within and Beyond the Frame》

1973年のニューヨークでは、19枚の黒白の縞布をギャラリー内部から窓を抜け、街路を横断して向かいの建物まで並べました。MoMAの1974年展カタログによれば、各パネルは140×190cmで、室内9枚、屋外9枚、窓に1枚という構成でした。

作品の一部は安全なギャラリー空間にあり、同じ形の一部は風雨にさらされます。「額縁の内側」と「外側」が視覚的に連続しながら、環境条件はまったく異なります。作品を囲む制度の境界がそのまま作品の構造になっています。

「美術館批判」だけではない

ビュレンの仕事はしばしば制度批判と関連づけられます。確かに、美術館やギャラリーが中立な箱ではないことを繰り返し示しました。しかし美術館を単純に否定して外へ出たわけではありません。

グッゲンハイム、Centre Pompidou、Grand Palaisなど巨大な文化施設でも継続して制作しています。制度の外へ逃げるより、その内部に入り、建築や展示条件を作品によって露出させる方法です。

消える作品と「Photo-souvenir」

写真は作品の代用品ではない

ビュレンは自身のin situ作品を継続的に撮影し、それらを「Photo-souvenir」と呼びます。Monumentaの教育資料は、これらの写真を、ある瞬間・場所・視点における作品の状態を記録する証人として説明しています。

重要なのは、写真が作品そのものへ置き換わらないことです。in situ作品には空間の大きさ、光、歩行、周囲の音、建築との距離があります。一枚の写真はそれらの一視点しか保存できません。

失われることを前提にする

1968年の《Affichages sauvages》は街頭から消え、初期の展覧会作品にも会期後に破壊されたものが多数あります。1971年の《Peinture-Sculpture》は展覧会開幕前に撤去され、公開すらされませんでした。

そのためビュレンの作品史では、写真と文章が非常に大きな役割を持ちます。それでも「記録が残るから物体は不要」という単純な非物質化ではありません。その場所に一時的に存在した事実と、その後に残る資料の差自体が重要です。

公共空間と《Les Deux Plateaux》

歴史建築の中庭に現代作品を入れる

1985年、フランス文化省はパレ・ロワイヤルの中庭整備をビュレンへ委嘱しました。完成した《Les Deux Plateaux》は、約3000平方メートルの中庭全体に260本の黒白の柱を配置し、地下の水路、照明、格子状の床を組み合わせた恒久作品です。

フランス文化省の資料によれば、柱の配置は既存のパレ・ロワイヤルの列柱の間隔、床の凸面、地下の傾斜と関係づけられています。つまり歴史建築と無関係な現代彫刻を置いたのではなく、既存建築の測定値から新しい構造を作りました。

「二つの台地」は地上と地下にある

中央部では異なる高さの柱の頂部が一つの水平面を作ります。一方、掘り下げられた地下部分には同じ高さの柱が置かれ、傾斜した床へ沈むため、地上から見える高さが徐々に変わります。これが題名の「二つの台地(Les Deux Plateaux)」につながります。

通常は見えない地下の勾配と、既存建築の反復構造を、柱によって可視化しています。

大論争から日常的な公共空間へ

制作当時、歴史的なパレ・ロワイヤルへ現代作品を入れることをめぐり、フランス国内で激しい論争が起こりました。工事は一時中断し、破壊の可能性まで議論されましたが、1986年7月に完成しました。

現在では人々が柱へ座り、歩き、遊び、写真を撮る公共空間になっています。美術館で作品へ触れないという鑑賞規則とは異なる関係が生まれている点も、ビュレンの公共作品の重要な特徴です。

色・透明性・光へ

縞だけでなく、色と光そのものを扱う

初期のビュレンは工業製品の縞布を使っていましたが、その後の作品では鏡、透明素材、色フィルター、ガラス、光を積極的に使うようになります。固定された色面だけでなく、太陽の位置や観客の移動によって変化する色が作品の中心になります。

《Excentrique(s)》

2012年のMonumentaでは、Grand Palaisの巨大なガラス屋根の下に、青、黄、オレンジ、緑の透明フィルムを張った円形構造を大量に設置しました。公式資料によれば、中央には巨大な円形の空白を設け、床の円形鏡が35メートル以上上方のドームを反射しました。

色は画面に固定された絵具ではなく、透明フィルターを通る光として床や観客の身体へ投影されます。天候と時間によって作品全体の色が変化し、Grand Palaisの巨大さそのものを光によって測る装置になりました。

《L’Observatoire de la lumière》

2016年、フランク・ゲーリー設計のFondation Louis Vuittonで《L’Observatoire de la lumière》を制作しました。建物を覆う12枚の巨大なガラスの「帆」、合計3600枚のガラスに13色のフィルターを配置し、白と透明部分の縞を加えました。

Fondation Louis Vuittonによれば、季節や時刻によって、投影、反射、透明性、色の混合が変化しました。ここではビュレンの視覚的道具が建築表面に貼られた模様ではなく、建物全体へ入射する光の条件を変える仕組みになっています。

「絵画を捨てた」のではなく、絵画の条件を拡張した

街頭作品、建築、公共彫刻、色フィルターへ展開したため、ビュレンを「絵画をやめた作家」と見ることもできます。しかし本人の制作は一貫して色、面、支持体、フレーム、見る場所という絵画の基本条件から出発しています。

キャンバスの縁を建築の境界へ、絵具の色を光の色へ、額縁を美術館や都市へ拡大したと考えると、60年以上にわたる変化を一つの流れとして見ることができます。

画像利用について

ダニエル・ビュレンは存命作家であり、作品は現在も著作権保護下にあります。Centre Pompidouは作品画像に「© DB – Adagp, Paris」と表示し、ビュレン自身の公式カタログレゾネでもPhoto-souvenirにDaniel Buren / ADAGPの権利表示があります。ART LIBRARYでは主要作品画像を無断転載せず、現段階では作品情報と公式機関・作家公式サイトへのリンクで構成します。

略年譜

1938
3月25日、フランスのブローニュ=ビヤンクールに生まれる。
1957–1960
パリのÉcole des Métiers d’Artで学ぶ。École Nationale Supérieure des Beaux-Artsにも短期間在籍。
1960年代前半
絵画制作を続けながら、マスキングなどを使って支持体と絵具の関係を単純化する。
1965
Marché Saint-Pierreで縞布を発見。幅8.7cmの縦縞を以後「視覚的道具」として継続的に使用する。
1967
オリヴィエ・モセ、ミシェル・パルマンティエ、ニエーレ・トローニと複数の「Manifestations」を実施。後にBMPTと呼ばれる活動となる。
1968
パリ市内約200か所へ白緑の縞紙を貼る《Affichages sauvages》を実施。作品を街頭へ展開する。
1969
Harald Szeemann企画「When Attitudes Become Form」の時期にもベルン市内で街頭貼り込みを展開。
1970
ニューヨークの街頭、地下鉄駅、広告板などへ作品を設置する《You are invited to read this as a guide to what can be seen》を実施。
1971
Guggenheim International Exhibitionのため《Peinture-Sculpture》を設置するが、一般公開前に撤去される。
1972
documenta 5に参加。
1973
John Weber Galleryで《Within and Beyond the Frame》を制作。ギャラリー内部から街路を越え向かいの建物まで作品を延長する。
1975
《Voile/Toile – Toile/Voile》を開始。帆として使われる縞布と、展示される絵画の関係を入れ替える。
1980年代
《Cabanes éclatées》など、建築的な構造を分解し展示空間へ展開するシリーズを発展させる。
1985–1986
パリ、パレ・ロワイヤル中庭に恒久作品《Les Deux Plateaux》を制作。
1986
ヴェネツィア・ビエンナーレのフランス館で金獅子賞を受賞。
2002
Centre Pompidouで大規模展「Le Musée qui n’existait pas」を開催。美術館建築全体へ作品を展開する。
2005
Solomon R. Guggenheim Museumで「The Eye of the Storm: Works in situ by Daniel Buren」を開催し、1971年以来の同館との関係を再検討する。
2007
高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門を受賞。
2012
Grand PalaisのMonumentaで《Excentrique(s), travail in situ》を制作。
2016
Fondation Louis Vuittonで《L’Observatoire de la lumière, travail in situ》を制作。
2017
ロンドン地下鉄Tottenham Court Road駅に恒久作品《Diamonds and Circles, works in situ》を設置。

参考資料・出典

本ページはDaniel Buren公式サイト/Catalogue raisonné、Centre Pompidou、Solomon R. Guggenheim Museum、The Museum of Modern Art、フランス文化省、Monumenta、Fondation Louis Vuittonなどの作家・美術館・公的機関資料を参照してART LIBRARYが独自に執筆しました。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY