Art Library

Cy Twombly

サイ・トゥオンブリー

アメリカ / 1928–2011 / 戦後抽象絵画/ネオ・ダダ以後/ドローイング/現代絵画

ターナー、モネ、トゥオンブリー ― 晩年の絵画 | TateShots (Tate)
Bande-annonce | Cy Twombly | Exposition | Centre Pompidou
サイ・トゥオンブリー・ギャラリー (The Menil Collection)

サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly、1928–2011)は、線、文字、数字、塗りつぶし、消去、詩の断片、古代神話の固有名詞を一つの画面に重ね、絵画と素描、筆記と記憶、現在と古代の境界を揺さぶったアメリカの画家です。白や灰色の地に走る鉛筆やクレヨンの線は、しばしば「落書きのよう」と形容されます。しかし、その線は無意味な身振りではありません。書こうとして消した文字、読み取れそうで読めない名前、急に現れる数字、身体の痕跡、引用された詩、神話上の人物が、同じ画面の中で断片的な記憶として現れます。トゥオンブリーは絵画を何かの像を完成させる場所ではなく、時間の異なる痕跡が蓄積される場所へ変えました。

その歩みは、ニューヨークの抽象表現主義だけでは説明できません。ヴァージニア州レキシントンで育ち、Art Students League、Black Mountain Collegeで学び、Robert Rauschenbergとイタリア・北アフリカを旅したのち、1957年からローマを生活の中心にしました。古代ローマの壁の傷や碑文、ホメロス、サッフォー、カトゥルス、マラルメ、リルケ、キーツ、T. S. エリオットといった文学は、同時代のニュースや個人的記憶と区別されずに作品へ入り込みます。1963年の《Nine Discourses on Commodus》、1969年の《Bolsena》、1978年の《Fifty Days at Iliam》、1994年に完成した《Untitled (Say Goodbye, Catullus, to the Shores of Asia Minor)》、2000年《Coronation of Sesostris》、2001年《Lepanto》、2008年の《Roses》、2010年のルーヴル天井画までをたどると、トゥオンブリーが古典を「昔の教養」として引用したのではなく、過去を現在形で再び発生させようとしていたことが見えてきます。

CONTENTS

  1. 生涯と制作の変遷
  2. レキシントン――南部の小都市で育つ
  3. ピエール・ダウラとの出会い
  4. Art Students League――ラウシェンバーグとの出会い
  5. Black Mountain College――絵画、写真、詩
  6. 写真――もう一つの長期的な制作
  7. 1952–53年――イタリアと北アフリカ
  8. 「現代美術は根を失っていない」
  9. 《Tiznit》――傷つけられた表面
  10. 軍務と暗号解読――暗闇で描く
  11. 描けることを一度壊す
  12. ラウシェンバーグとの距離と共通点
  13. 1957年ローマへ――アメリカを離れる
  14. ローマの壁――落書きと古代の痕跡
  15. 文字を書くのか、線を描くのか
  16. 詩を引用するという方法
  17. 《The Italians》――都市の壁と身体
  18. 古典主義者なのか
  19. 《Leda and the Swan》――神話を再現しない
  20. 《Nine Discourses on Commodus》――赤と権力
  21. 1960年代前半の評価と拒絶
  22. Cy Twomblyの作品をどう見るか
  23. 主要作品
  24. 1966–71年――灰色の「黒板」絵画
  25. 読めない筆記を反復する
  26. 《Untitled》1970――身体を機械化する
  27. 《Bolsena》――アポロ11号と古代が同居する
  28. パリンプセスト――消すことも描くこと
  29. 《Nini’s Painting》――喪失と個人的記憶
  30. バッサーノ・イン・テヴェリーナ――田園と制作
  31. 《Fifty Days at Iliam》――イリアスを十枚の絵へ
  32. ホメロスではなくポープ訳を読む
  33. 言葉と像のどちらが先か
  34. 彫刻――拾った物を白くする
  35. なぜ彫刻は白いのか
  36. Menilと専用ギャラリー
  37. ガエータ――海、光、晩年の制作拠点
  38. 《Quattro Stagioni》――季節、循環、死
  39. 《Say Goodbye, Catullus…》――22年かけて完成した絵
  40. 巨大画面と小さな筆記
  41. 《Coronation of Sesostris》――太陽と王の死
  42. 《Lepanto》――戦争を歴史画として描く
  43. 勝者を描かない戦争画
  44. 2001年ヴェネツィア・ビエンナーレ
  45. 《Bacchus》――赤い反復と暴力
  46. 《Roses》――花、詩、老い
  47. Museum Brandhorst――作品に合わせた空間
  48. 《The Ceiling》――ルーヴルへの恒久制作
  49. 2021年のルーヴルとの紛争――作品は周囲まで含むのか
  50. 作者の手と助手の手
  51. 素描を中心から読み直す
  52. 2025–26年Menilでの再評価
  53. 財団とカタログ・レゾネ
  54. Cy Twomblyは何を変えたのか
  55. 略年譜
  56. 参考資料・出典

生涯と制作の変遷

Cy Twomblyは1928年4月25日、ヴァージニア州レキシントンにEdwin Parker Twombly, Jr.として生まれました。「Cy」という呼称は父Edwin Parker Twombly, Sr.が野球選手Cy Youngにちなんで呼ばれていた愛称を受け継いだものです。幼い頃から素描を行い、十代にはカタルーニャ出身の画家Pierre Dauraから個人的に美術教育を受けました。

1940年代後半からBoston Museum School、Washington and Lee Universityなどを経て、1950年にNew YorkのArt Students Leagueへ進み、そこでRobert Rauschenbergと出会います。1951年にはBlack Mountain Collegeへ移り、Robert Motherwell、Ben Shahn、Charles Olsonらと接触し、Hazel-Frieda Larsenのもとで写真を学びました。ここで絵画だけでなく、詩、音楽、舞踊、写真が近距離に存在する環境を経験します。

1952年にはVirginia Museum of Fine Artsの1,800ドルの旅行奨学金を得て、Rauschenbergとともにイタリア、モロッコなどを旅行しました。帰国後の1953–54年には軍務に就き、Georgia州Augustaでcryptologistとして勤務します。この時期、暗い部屋の中で目を使わずに描く「blind drawing」を試し、意識的な描写能力を崩す訓練を行いました。

1957年にローマへ移り、以後イタリアを主要な生活・制作拠点とします。1960年代初めには古代神話、性愛、身体、都市の壁を混ぜた白地の大画面を制作し、《Leda and the Swan》《The Italians》《Nine Discourses on Commodus》へ至ります。1966年以降は一転して灰色の地に白い連続線を走らせる作品群を展開し、1969年にはBolsena湖畔で数字と図式を大量に書き込んだ《Bolsena》を制作しました。

1970年代には詩や古典文学との結びつきがさらに明確になり、1978年にAlexander Pope訳の『イリアス』を基に十枚組《Fifty Days at Iliam》を完成。1980年代には彫刻と写真を再び活発化し、1990年代に《Quattro Stagioni》と16m近い《Untitled (Say Goodbye, Catullus, to the Shores of Asia Minor)》を制作します。2000年《Coronation of Sesostris》、2001年《Lepanto》、2004–08年の《Bacchus》《Roses》を経て、2010年にはルーヴル美術館の天井装飾《The Ceiling》を完成。2011年7月5日、ローマで83歳で死去しました。

レキシントン――南部の小都市で育つ

レキシントンはVirginia州西部の小都市で、Washington and Lee UniversityとVirginia Military Instituteがある学術・軍事色の強い町です。Twomblyは後年長くItalyに暮らしましたが、Lexingtonとの関係を失わず、晩年までstudioを持ちました。

この「America南部とMediterraneanの往復」は彼の作品を考える重要な軸です。古代RomeやGreeceを憧れの遠い世界として見るのではなく、Virginiaの日常と同じ現在時制に置きました。1994年の《Say Goodbye, Catullus…》や2000年《Coronation of Sesostris》も、最終段階の制作をLexingtonで行っています。

Twomblyの絵に現れる古典は、Europeに移住したAmericanが獲得した「高級文化」の記号だけではありません。異なる土地を往復することで、historyを自分のpersonal memoryと同じように扱う方法が形成されました。

ピエール・ダウラとの出会い

十代のTwomblyに絵を教えたPierre Dauraは、Catalonia出身でParisの前衛美術とも関係を持った画家でした。FoundationはDauraとWashington and Lee UniversityのMarion Junkinを、Twomblyのearly artistic educationに重要な人物として挙げています。

後年のTwomblyは、熟練を隠すような震える線、子どものような字、わざと不器用に見えるmarkを使います。しかしそれは「絵が描けない人の線」ではありません。若い時期からformal trainingを受け、そこから意識的に習得した技術を崩しています。

この点を忘れると、Twomblyの線は単なるnaïve gestureに見えます。彼の実験は、描写能力を持った上で、その能力が自動的に画面を支配しない状態を探るものでした。

Art Students League――ラウシェンバーグとの出会い

1950年、Twomblyは学費奨学金を得てArt Students League of New Yorkへ通い、Will Barnett、Morris Kantor、Vaclav Vytlacilらに学びます。そこでRobert Rauschenbergと出会いました。

当時New YorkではPollock、Rothko、Newman、Still、Motherwell、de Kooning、Klineらが急速に注目されており、Twomblyはその展覧会を直接見ています。抽象表現主義の巨大な画面と身体的身振りは、彼にとって避けられない同時代的環境でした。

しかしTwomblyは、先行世代のheroic gestureをそのまま続けませんでした。大きな筆の一撃を弱い鉛筆線へ、巨大な感情表現を消えかかった文字へ変えます。同じ「身体の痕跡」を、より私的で断片的なものへ縮小していきました。

Black Mountain College――絵画、写真、詩

1951年、TwomblyはNorth CarolinaのBlack Mountain Collegeに在籍しました。同校ではBen Shahn、Robert Motherwell、詩人Charles Olsonらが教え、John Cage、Merce Cunningham、Rauschenbergなども活動していました。

Foundationのchronologyによれば、TwomblyはHazel-Frieda Larsenに写真を学び、RauschenbergやDorothea Rockburneとともにpinhole cameraによる撮影を行いました。Franz KlineやJohn Cageの写真も残しています。

Black Mountainで重要だったのは、一つのmediumに閉じない環境です。詩の一行、音の間、写真のぼけ、踊りの動きが、後のTwomblyの絵の中で別々の要素としてではなく共存します。

1951年11月にはChicagoのSeven Stairs Galleryで最初の個展を開き、Robert Motherwellが展覧会leafletに文章を寄せました。まだ20代前半でしたが、この頃からNew York周辺の前衛美術networkへ接続していました。

写真――もう一つの長期的な制作

Twomblyは一般にpaintingとdrawingで知られますが、写真も1950年代から晩年まで継続しました。花、studio、彫刻、室内、光、果物、旅行先を撮影し、soft focusと淡い色調を持つ独特のphotographを作っています。

写真ではpaintingのような文字や激しいmarkはほとんど現れません。むしろ物の輪郭が溶け、時間が薄く沈殿したようなimageになります。

しかし両者に共通するのは、対象を完全に固定しないことです。paintingでは文字が読めなくなり、photographではobjectがぼける。情報を増やすより、見えすぎない状態を作ります。

1952–53年――イタリアと北アフリカ

1952年秋、TwomblyはVirginia Museum of Fine Artsの旅行奨学金を得てRauschenbergとEuropeへ渡りました。Palermoに上陸し、Naples、Rome、Florence、Siena、Assisi、Veniceを訪れた後、Moroccoへ向かい、Casablanca、Marrakech、Atlas Mountains、Tangierを旅行します。

Tétouanでは作家Paul Bowlesとも交流し、周辺の村々へ出かけました。1953年初めにSpainを経てRomeへ戻り、Italyで最初の個展を開催。その後Tangier/Tétouanで制作したtapestriesもFlorenceで展示しました。

この旅行は「異国趣味」の材料収集に留まりません。古代遺跡、壁面、文字、北アフリカの織物、Mediterraneanの光が、Twomblyのsurface感覚を変えました。作品名《Tiznit》などに地名が残る一方、具体的風景を描くのではなく、旅の記憶が傷や線へ変換されます。

「現代美術は根を失っていない」

1952年のVirginia Museum Fellowship申請でTwomblyは、現代美術は「切り離されたものではなく、根、伝統、連続性を持つ」という趣旨を書きました。Foundationはこの言葉をcareer全体を理解する鍵として紹介しています。

この発言は、彼が古代Greek/Roman文化を引用する理由をよく示します。modern artをpastとの断絶として捉えるのではなく、Homer、Catullus、Mallarmé、現代絵画が同じ長い時間の中でつながっていると考えました。

ただしtraditionへの敬意は古典の忠実な再現にはなりません。正しいLatin inscriptionを書き写すより、名前を乱雑に書き、消し、間違え、別の詩と混ぜる。その不正確さこそ、過去を現在へ引き戻す方法でした。

《Tiznit》――傷つけられた表面

1953年の《Tiznit》は、北アフリカ旅行後のTwomblyを示す初期重要作です。暗い地に白い擦過線や刻みのようなmarkが重なり、後の明るいRome paintingsとは異なる重いsurfaceを持ちます。

MoMAの1994年retrospectiveは、この時期のNorth African place-name paintingsについて、wet paintをscratch/scoreし、scarred surfaceを作ったと説明しています。

この「表面を傷つける」行為は、後のpencil lineやerasureの前史です。imageをsurfaceへ加えるだけでなく、surfaceを削り、痕跡を残すことが早い時期から重要でした。

軍務と暗号解読――暗闇で描く

1953–54年、Twomblyは米軍に入りGeorgia州Augustaでcryptologistとして勤務しました。2026年Menilの《The Gift of Drawing》資料も、この時期の1954年drawingsが軍務末期に制作されたことを確認しています。

Twomblyは暗号を扱う仕事の一方、夜や暗い部屋でpaperにdrawingする実験を行いました。目でcontrolしすぎず、手の運動が先に進む状態を作ろうとしたのです。

暗号解読と読めないwritingが直接因果関係にあると断定する必要はありません。しかし、意味を持つ記号と意味が解読できない記号の間に長く関心を持ったartistにとって、この経験は示唆的です。

描けることを一度壊す

Twomblyのdrawingには、幼児のscribble、練習中のhandwriting、壁のgraffitiのような線があります。しかしそれは「自然な子どもの表現」に戻ろうとしただけではありません。

一度習得したdrawing skillを意識的に邪魔し、眼と手の通常のcoordinationを壊す。blind drawingはその極端な方法です。上手さを捨てることで、別の種類の線を獲得しようとしました。

この意味でTwomblyの線は「拙い」のではなく、拙さを制作上の条件として作っています。20世紀美術におけるunlearningの重要な例です。

ラウシェンバーグとの距離と共通点

TwomblyとRauschenbergは学生時代から親しく、1952–53年のEurope/North Africa旅行を共にし、帰国後はRauschenbergのFulton Street studioを使って制作した時期もありました。

二人ともpaintingとdrawing、found materials、photographyの境界を越えました。しかしRauschenbergが新聞、写真、商品、street debrisなど同時代Americaの物質をCombinesへ持ち込んだのに対し、Twomblyは物を減らし、line、name、memoryを画面へ残す方向へ進みます。

一方が「世界の物を画面へ取り込む」とすれば、もう一方は「世界の記憶が薄く残る画面」を作ったと言えます。二人の近さと違いを見ることで、1950年代American artの多方向性が分かります。

1957年ローマへ――アメリカを離れる

1957年2月、TwomblyはItalian painter Toti Scialojaの勧めもありItalyへ戻り、Romeを拠点にします。Colosseumを望むapartmentを借り、《Olympia》《Arcadia》《Blue Room》《Sunset》などを制作しました。

翌1958年にはGalleria La TartarugaでRome初個展を行い、その後Venice、Milanへ巡回。1959年にはLuisa Tatiana Franchettiと結婚し、同年末に長男Cyrus Alessandroが生まれます。

Romeへの移住は作品の見た目を大きく変えました。New York時代の暗く傷ついたsurfaceから、白く明るいgroundへ移り、細いline、文字、赤、pink、brownなどが広い余白の上へ散ります。

ローマの壁――落書きと古代の痕跡

Twomblyの線はNew Yorkのgraffitiだけでなく、Romeの古い壁に刻まれたinscriptionやscratchとも比較されてきました。Museum Brandhorstも、白く汚れたような地に走るscrawlがNew York graffitiとRoman ruinsの刻印の両方を思わせると説明しています。

重要なのは、ancient wallも実際にはcleanな「古典」ではないことです。何世紀にもわたり修理され、汚れ、文字を書かれ、削られます。Twomblyのcanvasも同じように、複数時代の痕跡が共存するsurfaceとして作られます。

彼が古代を引用するとき、完璧なmarble statueのような永遠性より、欠け、擦れ、断片、読めない文字に惹かれています。

文字を書くのか、線を描くのか

Twomblyの画面では「ACHILLES」「APOLLO」「ROMA」と読める名前が突然現れ、その隣にまったく読めないloopやscribbleが続きます。

文字は通常、意味を伝えるために書かれます。しかしTwomblyは文字をdrawingとして扱い、意味と形の間に置きます。nameが読めた瞬間viewerはmythやhistoryを思い出しますが、次の瞬間にはlineへ戻ります。

逆に抽象線も、どこかletterのように見えます。「これは文字なのか絵なのか」を決められない状態が続くため、見ることと読むことが交互に起こります。

詩を引用するという方法

TwomblyはJames Joyce、Rilke、D. H. Lawrence、Alexander Pope、Homer、Plato、Mallarmé、Keats、Catullusなどを長く読みました。Foundationのbiographyは、彼の広大なbook collectionと文学的関心を重要な制作基盤として位置づけています。

しかし作品は詩のillustrationではありません。verseの一部だけを選び、綴りを変え、途中で消し、別のimageと混ぜます。viewerがoriginal poemを知らなくても、文字はsoundやrhythmとして作用します。

詩は「意味を説明するcaption」ではなく、絵具や鉛筆と同じmaterialです。Twomblyにとって文学とpaintingは別領域ではありませんでした。

《The Italians》――都市の壁と身体

1961年《The Italians》では、約2×2.6mの白いcanvasにoil、pencil、crayon、擦り跡、数字、文字、red heartのような形が散らばります。MoMAは、stretcher barを炭のrubbingで浮かび上がらせた跡や「roma」という文字まで読み取れるとしています。

surfaceは一人のartistが一つのstyleで描いたように見えません。強いscribble、弱い数字、finger trace、smearが混在し、複数の人物が時間を隔てて壁へ書き込んだようです。

この多声性がTwomblyの重要な特徴です。画面を一つの統一された「作者の声」で満たすのではなく、異なる時代・人物・gestureが同居する場所へします。

古典主義者なのか

TwomblyはHomer、Roman emperors、Greek godsを繰り返し扱うため、「古典主義的なartist」と呼べます。しかしacademic classicismとは正反対です。

人体を理想的比例で描くのではなく、神の名前だけを書き、身体をred smearやspiralへ変える。古典を保存するのではなく、破片化します。

彼にとってAntiquityは完結したpastではなく、現在の欲望、戦争、死、季節、記憶を考えるためのlanguageでした。だから20世紀のnewsとHomerが同じ画面に共存できます。

《Leda and the Swan》――神話を再現しない

1962年《Leda and the Swan》は、Jupiterが白鳥へ姿を変えてLedaを襲うRoman/Greek mythを題材にします。しかし人物も白鳥も写実的には描かれません。

MoMAが記録するように、oil、pencil、crayonによる激しい線の重なりの中にheartやphallic signなどが飛び出し、sexual violenceは「場面」ではなくenergyとして現れます。

長いWestern art historyで繰り返し美化されてきたLeda主題を、Twomblyはelegant nudeとして再現しません。desire、violence、confusionが同時に噴出するdrawing-like paintingへ変えました。

《Nine Discourses on Commodus》――赤と権力

1963年12月、TwomblyはRomeのPiazza del Biscione studioで九枚組《Nine Discourses on Commodus》を制作しました。Roman emperor Commodusの生と死、権力の不安定さを題材とした初の本格的連作です。

white/gray groundの上でred、pink、purpleのpaintが滴り、smear、blood stainのように広がります。人物のportraitではなく、violenceとdecayのprocessが画面を横切ります。

1964年Leo Castelli Galleryで発表された当時、New YorkではPop ArtとMinimalismが急速に注目されており、Twomblyの古代Romeと情動的な絵画は時流から外れて見えました。しかし後にGuggenheim Bilbaoが全九点を取得し、現在は主要cycleの一つとして位置づけています。

1960年代前半の評価と拒絶

Twomblyの1960年代作品は現在ではcanonicalですが、発表当初から一貫して高く評価されたわけではありません。graffiti-like marks、erasure、sexual signs、古典名の混在は、polished Popやreductive Minimalismと比較して古臭く、私的で、曖昧に見えることもありました。

特に《Nine Discourses on Commodus》の1964年New York展は厳しい反応を受けたことで知られます。一方Europeでは古典・文学との結びつきが比較的早く理解され、1965年にはKrefeldを起点に最初の大規模museum exhibitionが巡回しました。

Twomblyは一つのmovementの代表として成功したのではなく、American art worldの中心からItalyへ距離を置きながら、自分のlanguageが理解されるまで時間を要したartistでした。

Cy Twomblyの作品をどう見るか

第一に、「何が描いてあるか」をすぐ特定しないことです。line、smear、word、number、blank areaを別々に見てください。Twomblyの作品は一つのimageへ統合される前の断片を残しています。

第二に、読める文字と読めない線の境界を追います。名前が読めた瞬間にhistoryが開き、文字が崩れた瞬間にpure drawingへ戻ります。その往復が作品です。

第三に、消された部分を見ます。white paintで覆われたmark、擦られた文字、途中で途切れたlineは「失敗を消した跡」とは限りません。消去も時間を重ねるためのdrawingです。

第四に、題名からstoryを一対一に再現しようとしないことです。《Leda and the Swan》や《Lepanto》は神話・historyを知ると理解が深まりますが、絵がそのstoryをillustrateしているわけではありません。

第五に、身体とscaleを意識します。小さなpencil markが数mのcanvas上に置かれると、viewerは近づいて読むことと離れて全体を見ることを繰り返します。Twomblyはそのdistance changeまで構成しています。

主要作品

1953年《Tiznit》からローマ期の《The Italians》《Leda and the Swan》、最初の大規模連作《Nine Discourses on Commodus》、1969年《Bolsena》、1970年の黒板絵画、《Fifty Days at Iliam》、彫刻、22年かけて完成した巨大三連画、《Lepanto》《Roses》、2010年ルーヴル天井画まで、Cy Twomblyが線・文字・歴史・展示空間をどのように拡張したかが分かる12点を選びました。

ティズニット

Tiznit / 1953 / 油性ハウスペイント、鉛筆、クレヨン、カンヴァス / MoMA個別作品記録参照

The Museum of Modern Art, New York

北アフリカ旅行後の初期重要作。暗い地を引っかき、削り、白い線を重ねることで、後の文字的な線へつながる「傷つけられた表面」を作りました。1950年代初頭のTwomblyが抽象表現主義をそのまま継承せず、物質と記号へ向かっていたことを示します。

所蔵館の作品情報 ↗

イタリア人たち

The Italians / 1961 / 油彩、鉛筆、クレヨン、カンヴァス / 199.5 × 259.6 cm

The Museum of Modern Art, New York

白い画面に文字、数字、擦り跡、赤い心臓形、手の痕跡を散在させたローマ期の代表作。単一の筆致で画面を統一せず、都市の壁のように異なる時間の記号が蓄積する構造を作っています。

所蔵館の作品情報 ↗

レダと白鳥

Leda and the Swan / 1962 / 油彩、鉛筆、クレヨン、カンヴァス / 190.5 × 200 cm

The Museum of Modern Art, New York

古代神話のLedaとJupiterを写実的に描かず、激しい線、赤い絵具、heartや性的記号のような断片へ変換した作品。Twomblyが神話を物語の再現ではなく、欲望と暴力のenergyとして扱った代表例です。

所蔵館の作品情報 ↗

コモドゥスについての九つの論考

Nine Discourses on Commodus / 1963 / 油彩、鉛筆、クレヨン、カンヴァス、全9点 / 9点組・各作品の寸法はGuggenheim所蔵記録参照

Guggenheim Museum Bilbao

ローマ皇帝Commodusの生と死を九枚で扱った最初の本格的連作。白灰色の地に赤、桃色、紫の滴りや擦り跡を重ね、権力、肉体、暴力、崩壊をportraitではなく色の変化として描きました。

所蔵館の作品情報 ↗

無題(ボルセーナ)

Untitled (Bolsena) / 1969 / 油性ハウスペイント、ワックスクレヨン、黒鉛、カンヴァス / 203.2 × 244.2 cm

National Gallery of Art, Washington, D.C.

14点の《Bolsena》の一作。数字、図式、消去跡を重ね、Twombly自身の説明では1969年7月のApollo宇宙飛行と月面着陸への言及も含みます。古代だけでなく同時代の科学技術を記憶の層へ取り込んだ重要作です。

所蔵館の作品情報 ↗

無題

Untitled / 1970 / 油性ハウスペイント、クレヨン、カンヴァス / 405 × 640.3 cm

The Museum of Modern Art, New York

灰色地を白いloopが何段にも横切る「黒板」絵画最大級の作品。MoMAは、Twomblyが友人の肩に乗り、その友人が画面沿いを移動することで連続線を描いた異例の制作方法を記録しています。

所蔵館の作品情報 ↗

イリアムでの50日

Fifty Days at Iliam / 1978 / 油彩、油性ハウスペイント、クレヨン、鉛筆、カンヴァス、全10点 / 10点組・専用展示室に恒久設置

Philadelphia Museum of Art

Alexander Pope訳Homer『Iliad』を基にした十枚組。Achilles、Patroclus、Priamらの名、血や火を思わせる赤、盾や槍のような線を用い、Trojan Warを英雄の物語ではなく、戦闘、記憶、死の連続として展開します。

所蔵館の作品情報 ↗

イオニア海のそばで

By the Ionian Sea / 1988 / ブロンズ、ワックスクレヨン、油性塗料 / 30.8 × 58.1 × 49.8 cm

The Museum of Modern Art, New York

拾得物を組み合わせて作るTwomblyの彫刻をbronze化した作品。白く塗られた簡素な形が、古代のboatや祭具、発掘物のように見えます。絵画と同じく、現代の物質を古代の記憶へ変換する方法が表れています。

所蔵館の作品情報 ↗

無題(さようなら、カトゥルス、アジア・マイナーの岸辺へ)

Untitled (Say Goodbye, Catullus, to the Shores of Asia Minor) / 1994 / 油彩、アクリル、オイルスティック、クレヨン、木炭、黒鉛、カンヴァス / 400.1 × 1585 cm

The Menil Collection, Houston

1972年に《Anatomy of Melancholy》として開始し、22年後の1994年に完成した幅約15.85mの三連画。一枚の作品に二つの制作時期が実際に重なり、Twomblyの「時間の堆積」という方法を制作史そのものが体現しています。

所蔵館の作品情報 ↗

レパント VII

Lepanto VII / 2001 / アクリル、ワックスクレヨン、黒鉛、カンヴァス / 216.5 × 340.4 cm

Museum Brandhorst, Munich

全12点の《Lepanto》の一作。1571年の海戦を題材にしながら、英雄や勝者を描かず、船、炎、水を抽象化しています。2001年Venice Biennaleで発表されたcycleで、現在はBrandhorstの専用室に恒久展示されています。

所蔵館の作品情報 ↗

無題(薔薇)

Untitled (Roses) / 2008 / アクリル、クレヨン、木製パネル、3点組 / 330 × 990.3 cm

Museum Brandhorst, Munich

Museum BrandhorstのRoses Galleryのため制作された六作品の一つ。巨大な薔薇状の色面と詩の断片を組み合わせ、花の美しさ、性愛、脆さ、死を重ねます。80歳のTwomblyは長い柄にbrushを付けて上部まで制作しました。

所蔵館の作品情報 ↗

天井

The Ceiling / 2010 / ルーヴル美術館・Salle des Bronzes天井への恒久装飾 / 約400㎡

Musée du Louvre, Paris

青い天井に大型の円形motifと古代Greek sculptorsの名を配置した晩年の恒久作品。Louvreの記録では実寸制作はTwomblyのdesignをもとに二人の協力者が実施しました。2021年には周囲の室内色変更をめぐりFoundationとLouvreが協議しています。

所蔵館の作品情報 ↗

1966–71年――灰色の「黒板」絵画

1966年頃からTwomblyは、それまでの白地・多色の作品から大きく転換し、dark gray groundにwhite lineを反復する絵画を制作します。一般に「blackboard paintings」と呼ばれるseriesです。

学校の黒板にchalkで反復練習をしたようなloopが、左から右へ何段も走ります。文字に見えますが、実際のsentenceにはなりません。writingのmovementだけを抽出したような画面です。

このreductionはMinimalismへの接近にも見えますが、機械的規則とは異なります。loopの高さ、pressure、速度、間隔が常に変わり、artistの身体的rhythmが残ります。

読めない筆記を反復する

人はwritingを見ると意味を読もうとします。しかしgray paintingsでは、線がletterの直前まで近づきながら意味へ到達しません。

この状態は「意味がない」のではありません。むしろmeaningを期待するviewerの習慣を可視化します。読めない線を見ても、私たちは何かが書かれていると思ってしまう。

Twomblyはdrawingとlanguageの間にあるこの期待を利用しました。文字を消すのではなく、文字になりそうな運動だけを残したのです。

《Untitled》1970――身体を機械化する

MoMA所蔵《Untitled》(1970)は高さ約4m、幅約6.4mの巨大なgray paintingです。白い連続loopが横方向へ何層も走ります。

MoMAの記録には、この作品を制作する際Twomblyが友人の肩に乗り、友人がcanvas沿いを左右へ移動したため、artistが連続した流線を引けたという異例の制作方法が紹介されています。

これは一見自動的なscribbleを、実際には他者の身体を含む装置へ変えた方法です。手は描いていますが、移動を別の身体へ委ねるため、gestureは完全に個人的ではありません。

Pollockのaction paintingがfloor上を歩く身体のtraceを残したとすれば、Twomblyは身体movementを反復lineへ圧縮しました。

《Bolsena》――アポロ11号と古代が同居する

1969年夏、TwomblyはRome北方のLake Bolsenaを望むPalazzo del Dragoに滞在し、14点のlarge paintings《Bolsena》を制作しました。

National Gallery of Art所蔵作にはnumbers、rectangles、diagram-like marks、scribblesが散り、灰色seriesより再びopenなwhite/ochre groundへ戻っています。

重要なのは、これらの数字の一部についてTwombly自身が、1969年7月のApollo space flightとmoon landingに関係すると語った点です。古代神話だけを描くartistが、その夏もっとも未来的だったspace technologyを画面へ入れています。

数字、計算、古典名、消し跡は別々の時代を表すのではなく、一つの現在に重なります。Twomblyにとってhistoryは年代順のtimelineではなく、思考の中で同時に呼び出されるものです。

パリンプセスト――消すことも描くこと

Twombly作品を説明する際、「palimpsest」という語がよく使われます。古い羊皮紙の文字を削り、その上から別の文字を書いた写本のように、前の層が完全には消えず透けて見える状態です。

《Bolsena》ではwhite paintで覆った部分の下にmarkが残り、《The Italians》では擦り跡と新しい線が共存します。

時間を一枚のsurfaceへ蓄積するためには、加筆だけでなく消去が必要です。Twomblyのwhiteはblankではなく、過去を半分隠すlayerです。

《Nini’s Painting》――喪失と個人的記憶

1971年、TwomblyはRomeで親しかったNini Pirandelloの死を受け、五点の《Nini’s Paintings》を制作しました。Foundationはこのgroupを友人のtragic deathへのresponseとして記録しています。

古典神話を扱う作品でもdeathは頻出しますが、ここでは歴史上の人物ではなくpersonal lossが出発点です。それでもTwomblyはportraitや具体的事件を描かず、line、word、darkened surfaceへ変換しました。

このseriesは、mythが個人的感情を隠すための知的引用ではないことを示します。personal griefとancient mourningは彼の中で同じlanguageへ接続されます。

バッサーノ・イン・テヴェリーナ――田園と制作

1970年代、TwomblyはRome中心部への距離を感じるようになり、Bassano in Teverinaのpalazzoを修復して制作拠点としました。自然、garden、seasonal changeへの関心が強まります。

pastoral poetry、flowers、trees、seaはそれ以前から作品にありましたが、1970年代後半以降より直接的に自然観察と結びつきます。Menilの2026年drawing exhibitionも、1980年代作品ではRome郊外のrural environmentを通したlandscape/natureへの関心が強くなると説明しています。

Twomblyは「mythの画家」から「自然の画家」へ転向したのではありません。自然そのものを古代詩、season、death and renewalのcycleとして見ています。

《Fifty Days at Iliam》――イリアスを十枚の絵へ

1977年、TwomblyはAlexander PopeによるHomer『Iliad』英訳を読み、翌1978年Bassano in Teverinaで十枚組《Fifty Days at Iliam》を完成しました。現在はPhiladelphia Museum of Artの専用galleryに恒久展示されています。

十枚は《Shield of Achilles》《Heroes of the Achaeans》《Vengeance of Achilles》《Achaeans in Battle》《The Fire that Consumes All before It》《Shades of Achilles, Patroclus, and Hector》《House of Priam》《Ilians in Battle》《Shades of Eternal Night》《Heroes of the Ilians》の順に展開します。

これはHomerの場面を順にillustrateしたcomic stripではありません。red mark、cloud-like form、names、shields、spearsを思わせる線が、battleのenergyとmemoryを断片として呼び出します。

Philadelphia Museumはこのcycleを「painting in ten parts」と呼び、Pope訳を基礎にした一つのdeveloping narrativeとして説明しています。各canvasが独立しながら、room全体で時間が進みます。

ホメロスではなくポープ訳を読む

Twomblyが直接読んだのはancient Greek原典だけではなく、18世紀イギリスのpoet Alexander Popeによるtranslationでした。この点は重要です。

古代のstoryがPopeのlanguageを通り、20世紀American artistのpaintingへ移る。Twomblyは「original antiquity」へ直接戻ろうとするのではなく、何世代ものtranslationとinterpretationを通過したhistoryを受け入れます。

彼の画面で文字が間違い、薄れ、消えることも、このtranslation chainに近いものがあります。historyは完全保存されるのではなく、伝達されるたびに形を変えます。

言葉と像のどちらが先か

《Fifty Days at Iliam》を見ると、Hector、Achilles、Patroclusなどのnameが人物像の代わりになります。nameを書くだけでviewerの記憶の中に人物が立ち上がります。

ここでは文字がimageを説明するcaptionではなく、文字自体が人物のpresenceです。一方、red paintの塊はbloodにもflowerにもfireにも見え、特定のobjectへ固定されません。

言葉が具体的な固有名を与え、paintが曖昧な感覚を与える。この逆転がTwombly作品を独特にしています。

彫刻――拾った物を白くする

Twomblyは1940年代末からsculptureも制作しました。cardboard、wood、cloth、box、found objectを組み合わせ、plasterやwhite paintで覆う作品が多くあります。

MoMA所蔵《By the Ionian Sea》(1988、後にbronze化)やMuseum Brandhorstの《The Mathematical Dream of Ashurbanipal》などでは、日常的な物体がwhite surfaceによってarchaeological fragmentのように変わります。

paintingで古代のnameを現在のlineへ変えるのと同様、sculptureでは現代のrubbish-like materialを「発掘された遺物」のように変換します。

なぜ彫刻は白いのか

Twomblyのsculpturesは多くがwhiteです。白はmaterial differencesを一度覆い、wood、cardboard、clothを同じvisual fieldへ統合します。

同時にclassical sculptureを連想させます。しかしancient Greek/Roman sculptureが本来polychromeだったことを考えれば、そのwhiteは西洋近代が作った「古典の白さ」でもあります。

Twomblyはそのideal purityを完全に信じるのではなく、rough seams、nails、cardboard edgesを残します。白いmonumentalityとpoor materialが同居します。

Menilと専用ギャラリー

HoustonのMenil CollectionはTwombly研究の中心機関の一つです。1995年にRenzo Piano設計のCy Twombly Galleryが開館し、artist自身が展示空間と作品selectionに深く関わりました。

そこにはpaintings、sculptures、drawing cyclesが恒久的に置かれ、1994年《Untitled (Say Goodbye, Catullus, to the Shores of Asia Minor)》も収蔵されています。

一般的なmuseum roomへ後から作品を合わせるのではなく、Twomblyの作品を見るための自然光、wall scale、room sequenceがarchitecturalに設計されています。作品と展示空間が一体化した重要な例です。

ガエータ――海、光、晩年の制作拠点

1980年代後半からTwomblyはItaly中部の海辺の町Gaetaで過ごす時間を増やし、最後の約20年間の主要拠点の一つとしました。

Mediterranean Sea、sunlight、boats、flowers、gardenが作品へ強く入り、《Quattro Stagioni》《Lepanto》《Roses》など晩年の大作へつながります。

若い頃のRome作品がwall、graffiti、erotic signを中心にしたとすれば、Gaetaでは色がより流動的で、blue、red、yellow、greenが大きなbrushstrokeとして広がります。しかしpoetry、myth、deathへの関心は変わりません。

《Quattro Stagioni》――季節、循環、死

1991年からTwomblyは《Quattro Stagioni(Four Seasons)》の制作を始め、1993–94年に四季のcycleを完成しました。

Spring、Summer、Autumn、Winterというtraditional themeはPoussinやVivaldiを含む長いart/music historyを持ちますが、Twomblyはlandscape sceneを描きません。流れるpaint、植物を思わせるmark、詩の断片によってseasonal stateを作ります。

季節は自然のcycleであると同時にhuman lifeのmetaphorです。bloomingとdecay、birthとdeathが繰り返され、晩年のRosesへもつながります。

《Say Goodbye, Catullus…》――22年かけて完成した絵

Menil所蔵《Untitled (Say Goodbye, Catullus, to the Shores of Asia Minor)》は高さ約4m、幅約15.85mの三連画です。Twomblyは1972年Romeで《Anatomy of Melancholy》として制作を始めましたが、そのまま長く未完状態に置きました。

Foundation chronologyによれば、22年後の1994年、Lexingtonのempty warehouseで再び取り組み完成させ、現在のtitleを付けました。

一枚のpaintingの中に1972年と1994年という別のartist時間が実際に共存します。Twomblyが画面でhistoryを重ねてきた方法が、制作期間そのものにも現れた特別な作品です。

Catullusは古代Roman poetですが、「別れ」というtitleはartist自身の移動、memory、agingとも響きます。古典引用とpersonal timeを分離できません。

巨大画面と小さな筆記

Twomblyのlate worksは非常に巨大ですが、そこで使われるものは小さなhandwriting、細いpencil line、短いverseです。

これはmonumental paintingの典型と逆です。大画面を大きなimageで埋めるのではなく、小さなsignを広いblank fieldへ漂わせます。

viewerは遠くから全体を見た後、文字を読むため近づく必要があります。近づけばoverall compositionが消え、離れれば言葉が読めない。鑑賞距離が常に変わります。

《Coronation of Sesostris》――太陽と王の死

2000年《Coronation of Sesostris》は十枚組のpainting cycleで、Gaetaで始まりLexingtonで完成しました。legendary Egyptian king Sesostrisとsun god Raのmythを出発点にしています。

yellow、red、orangeの太陽のような形、boat、scratch、writingが連続し、後半ではcolourが減ってblack/whiteへ向かいます。Foundationの資料は、SapphoのErosに関するfragmentも後半へ入り、coronationとdeathが重なる構造を説明しています。

「戴冠」という上昇の物語が、そのままdeclineへ向かう。Twomblyはhistoryのgloryとmortalityを一つのcycleへ置きます。

《Lepanto》――戦争を歴史画として描く

2001年《Lepanto》は十二枚組の大作で、1571年にHoly LeagueとOttoman Empireが戦ったBattle of Lepantoを題材にします。Venice Biennaleで初めて発表され、現在はMuseum Brandhorstに全作が恒久展示されています。

画面には船を思わせるtriangular forms、yellow/redのfire、turquoise/blueのwaterが反復されます。しかしindividual soldierやcommanderはほとんど描かれません。

traditional history paintingならvictor、hero、decisive momentを描きます。Twomblyはそれを避け、boatsがburnし、sinkし、水へ溶けるprocessを描きます。

Museum Brandhorstも、このcycleには敵味方へのpartisanshipがなく、shipsは「戦い、勝つ」のではなく、燃え沈むと説明しています。historyの勝利よりwarそのものの消耗へ焦点が移っています。

勝者を描かない戦争画

《Lepanto》のBattleはEuropean/Mediterranean historyで宗教・帝国・東西関係の象徴として利用されてきました。しかしTwomblyはChristian victoryをheroic spectacleとして祝福しません。

ship formsは抽象化され、人物は消え、waterとfireの色だけが強くなります。双方のfleetが同じvisual languageで崩壊します。

この距離の取り方は《Fifty Days at Iliam》にも共通します。Greek/Trojanのどちらかをmoral winnerとして描くのではなく、namesとdeathが並びます。Twomblyにとってhistory paintingはwinnerの記念碑ではなく、lossの反復です。

2001年ヴェネツィア・ビエンナーレ

《Lepanto》は2001年の第49回Venice Biennaleで発表され、Twomblyは同年Golden Lionを受賞しました。Foundation chronologyによれば、制作はLexingtonの小さなstudioで行われ、space不足のため一枚のpanelを完成させるとその上へ次のpanelを重ねて作業したとされています。

巨大な十二枚組を一度に見渡しながら描いたのではないことは興味深い点です。final installationはpanoramicですが、productionはpartial and sequentialでした。

この差は《Fifty Days at Iliam》にも通じます。Twomblyはseriesを一つのroom-scale experienceへしながら、制作時には各panelを時間的に積み重ねます。

《Bacchus》――赤い反復と暴力

2004年以降の《Bacchus》では、large panelへred acrylicのloopが激しく重なります。gray blackboard paintingsのrepeated lineが、数十年後にblood-red scaleで戻ったようにも見えます。

Bacchus/Dionysusはwine、ecstasy、violence、loss of controlと結びつく古代神です。Twomblyは具体的figureを描かず、red movementそのものをDionysian energyへします。

late styleは若い頃より自由でcolourfulになったとだけ見ると不十分です。同じloop motifがaging、myth、war memoryと結びつき、より重い意味を帯びています。

《Roses》――花、詩、老い

2008年、80歳のTwomblyはMuseum Brandhorstの一室のため六点の大型《Untitled (Roses)》を制作しました。red、pink、yellow、blueなどの巨大なrose-like formsに、Rilke、Eliot、Emily Dickinson、Ingeborg Bachmannなどのpoetryを組み合わせています。

Museum Brandhorstによれば、身体的制約と作品の大きさに対応するため、Twomblyはbrushをbroom handlesへ取り付け、上部までpaintしました。late gestureの大きさには、老いた身体を補う具体的な道具の工夫があります。

roseはlove、beauty、wound、deathの両方を持つ古典的motifです。Twomblyはflower paintingをdecorative subjectへせず、poetryとpaint dripによって時間とdecayのimageへ変えます。

Museum Brandhorst――作品に合わせた空間

MunichのMuseum Brandhorstは世界最大級のTwombly collectionを所蔵し、2009年の開館以来upper floor全体を恒久的にTwomblyへ捧げています。

特に《Lepanto》十二点にはartistとともに設計された専用roomがあり、《Roses》六点にもroom全体で相互作用する展示が用意されています。2026年10月4日現在も《Cy Twombly at Museum Brandhorst》はpermanent exhibitionとして継続中です。

Twomblyのseriesは一枚ずつmarketで分散すると関係が失われやすいため、museum architectureが作品のstructureを保存する役割を持ちます。

《The Ceiling》――ルーヴルへの恒久制作

2009年、TwomblyはMusée du LouvreからSalle des Bronzesの天井装飾を依頼され、2010年《The Ceiling》が完成しました。約400平方メートルに及ぶ巨大なblue fieldに、円形の盾/planetのようなformsとGreek sculptorsのnamesが配置されます。

Louvreにおける現代artistの恒久的装飾として、Georges Braque、Anselm Kiefer、François Morelletらに続く重要なcommissionでした。

ここでは従来のscribbled white canvasとは大きく異なり、明るいblue、large circular motifs、簡潔なinscriptionがclassical bronzesのroom上部へ広がります。古代美術を引用したpaintingが、実際の古代collectionの中へ入りました。

2021年のルーヴルとの紛争――作品は周囲まで含むのか

2021年、LouvreがSalle des Bronzes改修でwalls、woodwork、display casesの色を変更したことをめぐり、Cy Twombly Foundationとmuseumの間で紛争が起きました。

同年12月、双方は合意し、Louvreはwallやwoodworkなどをより明るい色へ変更すること、Foundationは訴訟を取り下げることを発表しました。

これは興味深い問題です。《The Ceiling》そのものを塗り替えなくても、周囲のwall colourを変えると作品の見え方は変わります。site-specific commissionでは「作品」はpainted surfaceだけなのか、それともroom全体との関係まで含むのかが問われます。

作者の手と助手の手

Louvre collection databaseは、《The Ceiling》のfull-scale painting自体がTwombly本人だけの手によって実行されたのではなく、二人のcollaboratorsが制作を担ったことを明記しています。保存されるmaquetteもTwombly本人の原画そのものではなく、proportions調整のためstudioで作られたcopyです。

これはauthorshipを否定する情報ではありません。monumental muralではartistがdesignを決定し、assistantsがexecutionを担うことは歴史的にも珍しくありません。

むしろTwomblyのcareer最後期に、「handwritingのような個人的mark」で知られるartistが巨大なpublic commissionでは他者の手を介して作品を実現したことが重要です。作者性が手の直接性だけでは決まらないことを示します。

素描を中心から読み直す

Twomblyについてpaintingを中心に見ると、drawingは準備段階のように思えるかもしれません。しかし彼の場合、pencil、crayon、oil、collageを使うworks on paperはpaintingと同等に重要です。

2025年、Cy Twombly FoundationはMenil Collectionへrare early paintings二点と121点のdrawingsを寄贈しました。Menilによれば、この121点はFoundation外で最大規模のTwombly drawing groupとなりました。

1954年のblind-drawing periodから1980年代のlandscape、flower、collageまでが一つのarchiveとして研究可能になったことで、Twomblyの核心が「paint handling」だけでなく、line/writing/paper manipulationにあったことがさらに明確になっています。

2025–26年Menilでの再評価

2026年3月27日から8月9日まで、Menil Drawing Instituteは《The Gift of Drawing: Cy Twombly》を開催しました。前年の大規模寄贈から27点を選び、1950年代から80年代まで約30年のdrawing practiceを紹介しました。

展示には1954年のgraphite drawings、1970年のblackboard paintingsと関連する作品、《Narcissus》(1975)、1986年のlush landscapes、《Scent of Madness》などが含まれました。

MenilはTwomblyを「drawingとwritingの関係を押し広げた20世紀の重要なdraftsman」と位置づけています。これは従来の「巨大絵画の巨匠」という評価から、紙上の小さな実験へ研究重心を戻す動きです。

また2025年の寄贈によって、1995年に開館したCy Twombly Galleryは30周年を迎え、Menilは展示施設だけでなく研究拠点としての役割をさらに強めました。

財団とカタログ・レゾネ

Cy Twombly Foundationは2005年に設立され、作品の研究、保存、catalogues raisonnés刊行、展覧会支援を行っています。New York、Rome、Gaetaに拠点があります。

重要なのは、Foundation自身が作品の鑑定certificateを発行していないと明記している点です。真贋判断の問い合わせに個別certificateを出すのではなく、科学的・研究的に編纂されたcatalogues raisonnésを参照する方針です。

Twombly作品はscribbleやsimple marksだけを表面的に模倣しやすく見えるため、provenanceとcatalogue documentationは特に重要です。作家の「簡単そうに見える線」と作品の真正性は全く別問題です。

Cy Twomblyは何を変えたのか

第一に、drawingとwritingの境界を曖昧にしました。letterは意味を伝える記号でありながら、同時にline、rhythm、pressureのvisual eventになりました。

第二に、上手く描くことから意識的に離れました。blind drawing、scribble、erasureを用い、trained handが自動的にproduceする「完成された絵」を崩しました。

第三に、古典を過去に閉じ込めませんでした。Homer、Catullus、Roman emperors、Egyptian kingsを20世紀のpersonal memory、space flight、modern paintingと同じ現在へ呼び戻しました。

第四に、history paintingからheroic imageを消しました。《Fifty Days at Iliam》《Lepanto》では勝者や英雄の姿より、名前、火、血、船、死の痕跡が残ります。

第五に、消去を制作へ組み込みました。覆う、擦る、消すことで、painting surfaceを一度きりのimageではなく、時間が積層するpalimpsestへ変えました。

第六に、巨大さと弱い線を共存させました。数mのcanvasに小さく震える文字を置き、monumentalityを大きなgestureだけで作らない方法を示しました。

第七に、painting、drawing、sculpture、photographyを一つの感覚へ結びました。媒体は違っても、fragment、memory、soft focus、white surface、found materialという考えが往復します。

第八に、展示空間そのものを作品の一部へ近づけました。Philadelphiaの《Fifty Days at Iliam》、Menilの専用gallery、Brandhorstの《Lepanto》《Roses》、Louvre ceilingでは、作品を見るroomが重要な意味を持ちます。

そして最も重要なのは、Twomblyが「知っていること」と「描くこと」の関係を変えたことです。彼は膨大な文学・historyを知りながら、それを説明文へしません。名前を一つ書き、途中で消し、red markを置く。それだけで何千年のmemoryを呼び出します。知識を絵の外から解説するのではなく、線の震え、余白、誤記、消去へ変換したことがCy Twomblyの独自性です。作品が「落書きのよう」に見えるのは教養が少ないからではなく、巨大な文化的記憶を完成形ではなく断片として残すためでした。

略年譜

1928
4月25日、Virginia州LexingtonにEdwin Parker Twombly, Jr.として生まれる。
1940年代前半
十代でPierre Dauraから美術を学ぶ。Washington and Lee UniversityのMarion Junkinからも初期教育を受ける。
1947–1949
Boston Museum Schoolなどで学び、絵画とdrawingのformal trainingを受ける。
1950
Art Students League of New Yorkへ。Robert Rauschenbergと出会い、New YorkのAbstract Expressionist exhibitionsを見る。
1951
Black Mountain Collegeに在籍。Ben Shahn、Robert Motherwell、Charles Olsonらと接触し、Hazel-Frieda Larsenからphotographyを学ぶ。Chicagoで初個展。
1952
Virginia Museum of Fine Artsの1,800ドルのtravel scholarshipを得てRauschenbergとEurope/North Africaへ。Italy、Morocco各地を旅行。
1953
RomeでItaly初の展覧会。帰国後RauschenbergのFulton Street studioを使用。《Tiznit》等を制作。
1953–1954
米軍でcryptologistとしてGeorgia州Augustaに勤務。暗い部屋でblind drawingを試す。
1955
New Yorkで《Academy》等、傷ついたdark surfaceと文字の断片を持つ作品を制作。
1957
Italyへ移住。Romeで《Olympia》《Arcadia》《Blue Room》《Sunset》などを制作。
1958
Galleria La TartarugaでRome初個展。年末New Yorkへ戻りLeo Castelli Galleryと契約。
1959
Luisa Tatiana Franchettiと結婚。Sperlongaで《Poems to the Sea》を制作。長男Cyrus Alessandro誕生。
1961
《The Italians》《Ferragosto》series、《Triumph of Galatea》《Empire of Flora》などを制作。
1962
Nileを旅し、Greek islands/Turkey沿岸を訪問。《Leda and the Swan》《Dutch Interior》《Birth of Venus》などを制作。
1963
December、Romeで九枚組《Nine Discourses on Commodus》を制作。
1964
Leo Castelli Galleryで《Nine Discourses on Commodus》発表。反応は賛否が分かれる。
1965
Museum Haus Lange, Krefeldを起点に最初の大規模museum exhibition。
1966–1967
gray groundに反復するwhite scrawlを描く、いわゆるblackboard paintingsへ移行。
1968
New York Bowery studioで《Orion》series、《Treatise on the Veil》関連作などを制作。
1969
Lake BolsenaのPalazzo del Dragoで14点の《Bolsena》seriesを制作。Apollo 11のspace flight/moon landingに関する数字やdiagramを画面へ取り込む。
1970
MoMA所蔵の巨大なgray 《Untitled》を制作。《Treatise on the Veil》第二versionも完成。
1971
Nini Pirandelloの死を受け、五点の《Nini’s Paintings》を制作。
1972
Romeで《Anatomy of Melancholy》を開始。22年後1994年に完成し《Untitled (Say Goodbye, Catullus, to the Shores of Asia Minor)》へ改題。
1977
Bassano in Teverinaで《Thyrsis》。Alexander Pope訳『Iliad』を読み《Fifty Days at Iliam》を開始。
1978
十枚組《Fifty Days at Iliam》完成。New Yorkで初公開。
1979
Whitney Museumで1954–77年を対象とするretrospective。Roland Barthesがcatalogue introductionを執筆。
1980年代
natural history、flowers、landscape、sculpture、photographyを継続。Gaetaとの関係を深める。
1988
Venice Biennaleへ後に展示される九点のgreen paintingsを制作。France政府からOrdre des Arts et des LettresのChevalier。
1989
Philadelphia Museum of Artが《Fifty Days at Iliam》を取得し専用roomへ恒久設置。
1991–1994
二組の《Quattro Stagioni》を制作。Gaeta、Bassano、Lexingtonを往復。
1994
《Untitled (Say Goodbye, Catullus, to the Shores of Asia Minor)》を22年ぶりに完成。MoMAでKirk Varnedoe企画の大規模retrospective。
1995
HoustonにRenzo Piano設計のCy Twombly Gallery開館。
1996
Praemium Imperiale受賞。
2000
十枚組《Coronation of Sesostris》を完成しNew Yorkで発表。
2001
十二枚組《Lepanto》を第49回Venice Biennaleで発表しGolden Lion受賞。
2004–2007
赤い大きなloopを用いる《Bacchus》seriesなど、強い色彩のlate paintingsを制作。
2008
Museum Brandhorstのため六点の大型《Untitled (Roses)》を制作。Tate Modernで《Cycles and Seasons》。
2009
Museum Brandhorst開館。upper floorがTwombly作品の恒久展示空間となる。
2010
Musée du Louvre、Salle des Bronzesの約400㎡の天井装飾《The Ceiling》完成。
2011
7月5日、Romeで死去。83歳。
2021
LouvreのSalle des Bronzes改修をめぐりCy Twombly Foundationとmuseumが協議し、12月に周囲の色彩をより明るく戻すことで合意。
2025
Cy Twombly FoundationがMenil Collectionへ初期painting二点とdrawing 121点を寄贈。Cy Twombly Gallery開館30周年。
2026
Menil Drawing Instituteで《The Gift of Drawing: Cy Twombly》(3月27日–8月9日)。寄贈資料から27点を展示し、drawing/writingの関係をcareer横断的に再検討。

参考資料・出典

本ページはCy Twombly FoundationおよびFondazione Nicola Del Roscio、The Museum of Modern Art、The Metropolitan Museum of Art、National Gallery of Art、Guggenheim Museum Bilbao、The Menil Collection、Philadelphia Museum of Art、Museum Brandhorst、Musée du Louvre等の美術館・研究機関資料を中心に参照し、ART LIBRARYが独自に構成・執筆しました。作品に見られる古典文学・神話の参照については、題名と図像を単純に一対一対応させず、Foundationおよび所蔵館が確認している文献的関係を優先しました。また《The Ceiling》についてはLouvreの現行collection recordが制作助手による実施を明記しているため、「artist本人が約400㎡を単独で描いた」とは記述していません。2025年Menilへの寄贈、2026年《The Gift of Drawing》まで反映しています。

資料確認日:2026年10月4日 / ART LIBRARY