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Cindy Sherman

シンディ・シャーマン

アメリカ / 1954– / ピクチャーズ・ジェネレーション/現代写真

Cindy Sherman in “Transformation” – Season 5 – “Art in the Twenty-First Century” | Art21

シンディ・シャーマン(Cindy Sherman、1954–)は、1970年代後半以降の現代美術において、写真とアイデンティティの関係を根本から組み替えたアメリカの美術家です。彼女の作品の大半には本人の身体や顔が登場しますが、一般的な意味での「自画像」ではありません。シャーマンは女優、主婦、秘書、少女、映画スター、貴婦人、僧侶、怪物、道化師、老いた上流階級の女性、男性的な人物などへ変身し、特定の個人を描くのではなく、私たちが映画、テレビ、広告、雑誌、絵画、SNSなどを通してすでに知っている「人物像の型」を演じます。作品の中心にあるのは「私は誰か」ではなく、「私たちは誰かをどのようなイメージとして認識しているのか」という問いです。

代表作《Untitled Film Stills》(1977–80)は、1950–60年代のハリウッド映画、フィルム・ノワール、B級映画、ヨーロッパのアート映画を思わせる白黒写真群です。しかし、そこに対応する映画は一つも存在しません。鑑賞者は「どこかで見たことがある」と感じながら、実際には原作を特定できません。シャーマンは既存の映画画像をそのまま盗用したのではなく、映画が長い時間をかけて作ってきた女性像の文法を自分の身体、衣装、視線、カメラアングル、照明によって再構成しました。この「存在しない原作の記憶」を作る方法が、彼女をPictures Generationの重要作家の一人にしました。

シャーマンを理解するとき、もう一つ重要なのは「変装の巧さ」だけを見ないことです。作品では人工性がしばしば意図的に露出しています。かつら、厚い化粧、人工乳房、義肢、マネキン、安価な布、背景スクリーン、デジタル合成などは、本物らしく隠されるより「これは作られた像だ」と分かるように使われます。《History Portraits》では人工的な胸や鼻があえて不自然に見え、2008年の《Society Portraits》では高級そうな衣装の細部に安価な素材が混じります。写真が現実を透明に記録するという前提を崩し、「写真もまた演出され、編集され、社会的コードによって読まれる像である」ことを作品自体で示します。

そのため、シャーマンの制作は1970年代フェミニズムと深く関係しながらも、一つの明確なメッセージへ還元できません。《Centerfolds》では男性誌の見開き写真という形式を使いながら、人物を誘惑的な対象としてではなく、不安、怒り、夢想、恐怖の中にいるように見せます。一方で1980年代半ば以降は、美しい女性像そのものを画面から崩し、泥、吐瀉物を思わせる物質、腐敗、義肢、マネキンなどへ向かいました。1992年の《Sex Pictures》ではついに本人の身体が消え、医療用模型や人工的な身体部品だけで性的イメージを構成します。彼女が一貫して扱っているのは「女性像」だけではなく、身体がどのように見世物となり、欲望・嫌悪・恐怖・階級・老いと結びつくかという、より広い表象の問題です。

2020年代に入っても方法は固定されていません。2023年の新作群では、背景や大掛かりな舞台設定をほぼ消し、自分の顔の目、鼻、口、皮膚、髪などをデジタルに切り貼りして、存在しない人物の顔を構成しました。2026年10月13日からHauser & Wirth Londonで公開予定の《Fabric Matrons》では、布と身体、隠すことと見せること、女性が年齢とともにどのように「見られる自分」を作り続けるのかが新たな中心になります。1970年代の小さな白黒写真から、巨大プリント、デジタル合成、顔の断片化へ。技術は変化しても、アイデンティティが一枚の写真に固定されないという問題は半世紀近く持続しています。

CONTENTS

  1. 生涯と制作の変遷
  2. バッファロー――絵画から写真へ
  3. Hallwalls――作家が自分たちの場所を作る
  4. 初期作品――一人の身体から複数の人物を作る
  5. Pictures Generation――「イメージの後」に制作する
  6. 《Untitled Film Stills》――存在しない映画の記憶
  7. なぜ自画像ではないのか
  8. カラーとスタジオ――《Rear Screen Projections》
  9. 《Centerfolds》――見る側の視線を不安定にする
  10. シンディ・シャーマンの作品をどう見るか
  11. 主要作品
  12. 《Pink Robes》――「本当のシャーマン」を期待する視線
  13. ファッション写真を内側から壊す
  14. Fairy TalesとDisasters――美しさから嫌悪へ
  15. 《History Portraits》――古典絵画もまた演出された像である
  16. 《Sex Pictures》――本人が画面から消える
  17. 《Office Killer》――静止画から映画へ
  18. HeadshotsとClowns――顔そのものが仮面になる
  19. 《Society Portraits》――階級、老い、自己演出
  20. デジタル技術――写真の「嘘」を隠さない
  21. 《Ominous Landscapes》――ファッションと不穏な風景
  22. Flappers――若さを演じるのではなく、老いを含んだ役を作る
  23. 2019年――男性的・両性的な人物像
  24. 2023年――顔を切り、貼り、存在しない人物を作る
  25. Anti-Fashion――ファッションとの矛盾した関係
  26. 2026年――《Fabric Matrons》へ
  27. フェミニズムとの関係――答えではなく視線をずらす
  28. 写真史の中で何を変えたのか
  29. シンディ・シャーマンは何を変えたのか
  30. 略年譜
  31. 参考資料・出典

生涯と制作の変遷

1954年、ニュージャージー州に生まれる

シンディ・シャーマンは1954年1月19日、ニュージャージー州Glen Ridgeに生まれ、Long Islandで育ちました。美術家の家庭ではなく、父は技術者、母は読書指導に関わる教師でした。本人が後に振り返っているように、子どもの頃から現代美術界に詳しかったわけではありませんでしたが、服装や化粧で自分の見た目を変えることには早くから関心を持っていました。

この「変身好き」をそのまま作品の原因として説明するのは単純すぎます。ただし、後の制作で重要になるのが「自分自身を表現する」ことではなく、「自分の外見を材料として別の人物を作る」ことである点を考えると、身体を固定したアイデンティティとして扱わない感覚は早い段階から存在していました。

1972–76年、Buffalo State College

1970年代前半、State University College at Buffaloで美術を学びました。当初は絵画を制作していましたが、既存作品を描き写すことに限界を感じ、写真へ移ります。後に語ったところでは、カメラを使えば「像を描き写す」ことより、アイデアそのものへ時間を使えると感じたといいます。

1976年にBAを取得します。大学時代にはRobert Longo、Charles Cloughらと出会い、この人的ネットワークがBuffaloの実験的な美術環境とNew YorkのPictures Generationをつなぐ重要な基盤となります。

1974年、Hallwallsを共同設立

BuffaloではSherman、Robert Longo、Charles Clough、Nancy Dwyer、Diane Bertolo、Michael Zwackら若い作家が、元製氷工場のstudioの廊下を自分たちの展示空間として整備し、Hallwallsを設立しました。Hallwallsの公式historyは、1974年末に彼らが自分たちの作品を展示し、他都市の若い作家を招くためのartist-run spaceとして始めたと記録しています。

これはShermanの制作内容とは別に、1970年代の美術状況を理解するうえで重要です。既存galleryやmuseumに選ばれるのを待つのではなく、作家自身が展示と交流のインフラを作りました。Shermanの初期作品もこの環境で試され、1979年にはHallwallsで《Untitled Film Stills》初期作を含む個展が開催されます。

1975–76年、一人で多数の人物を演じる

大学時代からShermanは、自分の顔、服装、化粧、姿勢を変え、一人の身体を複数の登場人物へ変える写真を制作します。1975年の《Untitled (portrait)》ではまだ比較的直接的なポートレートですが、その後の《Bus Riders》《Murder Mystery》などでは、同じ作家が複数の社会的タイプや物語上の役を演じます。

この時期にすでに、後の基本構造が成立しています。Shermanは「写真家」と「モデル」を分けず、衣装、美術、演技、メイク、撮影を一人で引き受けます。しかし完成した写真では、その制作過程を日記的な自己表現として見せません。本人の身体は「私を語るための身体」ではなく、イメージを試すための可変的な素材になります。

1977年、New Yorkへ

1977年、Robert LongoとともにNew Yorkへ移ります。この年、Douglas CrimpがArtists Spaceで歴史的展覧会《Pictures》を企画しました。Sherman自身はこの5人展の出品作家ではありませんでしたが、彼女は同時期のNew Yorkで、Robert Longo、Sherrie Levine、Richard Prince、Louise Lawler、Jack Goldsteinらとともに、後に「Pictures Generation」と呼ばれる文脈の中心へ位置づけられます。

ここで重要なのは、「既存画像を使うこと」だけではありません。テレビ、映画、広告、雑誌に囲まれた世代にとって、世界を見る前から大量のイメージをすでに見ているという状況そのものが問題になりました。ShermanはPrinceやLevineのように既存画像をそのまま再撮影するのではなく、既視感を持つ新しい画像を自分で演出して作りました。

1977–80年、《Untitled Film Stills》

New Yorkへ移った23歳のShermanは、小さな白黒写真による《Untitled Film Stills》を開始します。Hauser & Wirthの2022年展とMuseum of Cycladic Artの2024年展では、このシリーズを70点として紹介しています。1950–60年代Hollywood、film noir、B movies、European art-house filmsなどを参照し、映画会社が宣伝用に作るproduction stillの形式を模倣しました。

写真には、都会へ出てきた若い女性、主婦、秘書、女優志望、誘惑する女性、不安そうな女性など、既知の「役」が現れます。しかしキャラクターには名前も経歴もなく、前後の場面もありません。視線の向き、ローアングル、窓、道路、台所、hotel roomなどの手がかりだけで、鑑賞者自身が「この前に何が起き、この後何が起きるか」を想像します。

1979年、Hallwallsで初期Film Stillsを展示

Hallwallsは1979年3月のSherman個展を、彼女のcatalogue raisonnéで「最初のsolo show」とされる展覧会として記録し、《Untitled Film Stills》初期作品が初めてまとまって展示された場としています。New Yorkで制作された作品が、出発点となったBuffaloのartist-run spaceへ戻った形です。

この時点では現在ほど巨大な作品ではありません。8×10インチ前後の小さな写真で、実際の映画宣伝スチルに近いサイズと質感を持っていました。後のShermanが大型カラー写真へ進むことを考えると、この「安い印刷物のような小ささ」自体が初期シリーズの意味を支えています。

1980年、白黒写真を終える

1980年、Shermanは《Untitled Film Stills》を終了し、カラーへ移ります。同じアイデアを無限に続けるのではなく、シリーズが一つの語彙として安定すると次の問題へ進む姿勢は、その後のキャリアを通して続きます。

《Rear Screen Projections》では実在の街や室内からstudioへ戻り、背後に場所の画像を投影して撮影しました。Hitchcock映画などで使われたrear projectionを意識した技法で、人物が「現実の場所にいる」ように見えながら、背景が明らかに人工的です。映画的な虚構を今度はカラー写真の表面そのものに露出させました。

1981年、《Centerfolds》

1981年、Artforumから見開きページ用の作品を依頼され、横長24×48インチのカラー写真12点を制作します。男性向け雑誌のcenterfoldを想起させる形式に、床やベッドに横たわる女性像を配置しました。しかし人物はカメラを誘惑するように見返さず、画面外を見つめ、不安、怒り、恐怖、夢想といった不安定な状態にあります。

MoMAでのSherman自身の説明によれば、見る人が「女性が横たわっている」と期待して近づいたとき、私的な瞬間へ侵入してしまったような居心地の悪さを感じさせたいと考えていました。Artforumは誤解や反発を懸念して掲載を見送りましたが、シリーズ自体はShermanの代表作の一つになりました。

1981年、《Untitled #96》

《Untitled #96》では、オレンジ色の床に若い女性が横たわり、新聞の求人広告の切れ端を握っています。顔は横を向き、鑑賞者と目を合わせません。画面は男性誌的な見開きサイズですが、身体を性的に「提供する」構図というより、鑑賞者が女性の私的状態を一方的に覗き込む構造が強くなっています。

ここでShermanは、「男性の視線」を単純に反転して女性に力を与える、といった明快な図式を提示しません。人物は被害者なのか、自分の世界に閉じているのか、演技しているのか分からないままです。曖昧さによって、鑑賞者自身がどのような物語を当てはめたかが問題になります。

1982年、《Pink Robes》とColor Studies

《Centerfolds》の後、Shermanは身体をピンクのrobeで覆い、画面へ非常に近づいた人物像を制作しました。また1981–82年のColor Studiesでは、強い光と影、cropによって人物が背景へ溶けるような構成を試します。

Hauser & Wirthは、これらの作品を「real Cindy Sherman」が現れたものと解釈する批評に対し、他のシリーズと同様に完全なfabricationであると説明しています。衣装が簡素になったからといって、仮面が外れて「素顔」が現れたわけではありません。Shermanの作品では、観客が「本当の本人」を探そうとする欲望自体が繰り返し裏切られます。

1983–84年、Fashion

1980年代前半から、Shermanは雑誌やdesignerからのfashion commissionに関わり始めます。しかし通常のfashion photographyのように、服を美しく欲望される商品として見せることをしません。1984年《Untitled #136》では、モデルは居心地の悪い姿勢と人工的な表情を見せ、衣服の魅力より人物の不安定さが前面に出ます。

この方法はShermanのキャリアを通して繰り返されます。fashion industryから依頼を受けながら、fashion imageが要求する若さ、完璧さ、魅力を内側から崩します。後のOminous Landscapes、Flappers、2026年Fabric Matronsへ続く重要な軸です。

1985年、Fairy Tales

1985年頃、Shermanは義肢、人工的な身体部品、汚れ、特殊メイクを増やし、fairy taleやhorrorを思わせる作品へ移ります。《Untitled #153》では、地面に横たわる女性の顔が大画面で提示され、物語上は死体にも、眠る人物にも見えます。Film Stillsでまだ映画の「ヒロイン」を演じていた身体が、ここでは美しい女性像としての安定性を失います。

MoMAは、この時期以降Shermanがhorrorとabject、つまり嫌悪や身体の境界が崩れるものへ強く関心を向けたと説明しています。美の規範を批判するために理想化された「別の美」を提示するのではなく、見ることをためらうような像そのものを作品へ入れました。

1986–89年、Disasters

Disaster picturesでは、人物の身体がさらに画面から後退し、食べ物、汚れ、吐瀉物や腐敗を連想させる物質、ゴミ、人工物などが巨大なカラー写真へ現れます。1987年《Untitled #175》では、砂のついたタオルの上に壊れたcookies、crackers、condiments、sunglassesなどが散乱し、人の身体はほぼ不在です。

MoMAは、1980年代後半のAIDS crisisによって病んだ身体の画像が社会的に可視化されていたことが、Shermanのgrotesqueへの探究にさらなる切迫性を与えたと指摘しています。ただし、各作品をAIDSの直接的な表象と断定することはできません。病、腐敗、欲望、嫌悪が同時代文化でどのように可視化されたかという広い文脈として扱う方が適切です。

1988–90年、《History Portraits》

1988年から90年、ShermanはRenaissance、Baroque、Rococo、NeoclassicalなどのOld Master portraitを思わせる大判カラー写真を制作しました。1989年にはRomeで制作を続けましたが、MetとMoMAが紹介する本人の言葉では、現地の教会や美術館へ実物を見に行くより、booksやreproductionsを参照しました。

これは重要な選択です。Shermanは「本物の古典絵画」を正確に再現したのではなく、複製を通して私たちが覚えている美術史のイメージを再演しました。写真によって大量複製されてきたOld Master paintingを、再び写真へ戻します。西洋美術史も映画や広告と同じように「人物像の型」を生産してきたメディアとして扱われます。

1990年、《Untitled #228》

《Untitled #228》では、Shermanが旧約聖書のJudithを思わせる人物へ変身し、Holofernesの切断された頭部を持ちます。高さ2メートルを超える大判写真で、豪華な衣装に見える布は安価な古着や小道具で構成され、人工的な胸や身体の不自然さも隠されません。

MoMAは、この作品を歴史的肖像画の「演出性」を露出するものとして解説しています。写真だけが虚構なのではなく、歴史画や肖像画もまた衣装、姿勢、symbol、lightingによって社会的地位や理想的身体を作ってきました。Shermanはその構造を粗雑な舞台装置として再現することで、美術史の権威と写真の人工性を同時に揺さぶります。

1992年、《Sex Pictures》

1992年、《Sex Pictures》ではSherman本人が初めてほぼ完全に画面から消えます。代わりにmedical mannequins、prosthetic genitalia、人工的な身体部品、maskなどを組み合わせ、性的姿勢を演出しました。Whitney所蔵の1992年《Untitled》では医療訓練用のmannequinが赤い布の上に横たわります。

ここで「自分自身をモデルにする作家」という理解が崩れます。Shermanの中心的関心が自己変身そのものではなく、身体イメージの構築にあったことが明らかになります。人間が一人も写っていなくても、viewerは性、身体、暴力、pornographyのコードを読み取ってしまいます。

1994–96年、Horror and Surrealist Pictures

1990年代半ばには、mask、doll、人工身体を使ったhorror/surrealist imagesを続けます。人間の顔がかえって少なくなる一方、観客が「人間らしさ」を見出そうとする対象は増えていきます。目や口のような一部分だけでも、私たちはそこに表情や感情を読み込んでしまいます。

Shermanの作品がportraitureの問題であり続けるのはこのためです。portraitとは必ずしも実在人物のidentityを保存するものではなく、viewerがimageから「誰か」を組み立てる行為でもあります。

1997年、映画《Office Killer》

1997年、Shermanは長編映画《Office Killer》を監督しました。ホラーとブラックコメディを組み合わせた作品で、職場、孤独、死体、grotesqueという、写真で扱ってきた問題を時間を持つ映像へ展開します。

ただし映画監督へ転向したわけではなく、その後は再び写真を中心に制作します。《Office Killer》は、Film Stillsが「存在しない映画」から始まった作家が、実際の映画制作へ一度踏み込んだ興味深い逆転として位置づけられます。

2000年、Headshots

2000年頃、役者や一般人がcasting agencyへ提出するheadshotのような形式を使い、誇張された化粧や表情を持つ人物像を制作します。Whitney所蔵の2000年《Untitled》では、紫の服をまとった人物が自信ありげに顎を上げていますが、その「自信」自体が演技として見えてきます。

Film Stillsでは物語の一場面が重要でしたが、headshotでは背景や物語が減り、顔、姿勢、衣装が「私はこういう人物です」と売り込む装置になります。portrait photographyがidentityを記録するより、identityをpresentationする媒体であることが強調されます。

2002–04年、Clowns

Clownシリーズでは、明るい色、派手なmakeup、digital backgroundを使いながら、幸福、恐怖、狂気、悲哀が同時に現れる人物を作りました。MoMAの2012年回顧展では、道化師を「外側のpersonaと内側のpsychologyのずれ」を扱うシリーズとして位置づけています。

clownはもともと化粧によって表情を固定する存在です。笑った顔を描けば、その中の人が実際に笑っているかどうかは分かりません。Shermanにとって、これはidentityが表面として作られるという長年の問題をもっとも分かりやすく極端化する役でした。

2008年、《Society Portraits》

2008年、Shermanは大型のカラー写真で、富裕層の高齢女性を思わせる架空の人物群を制作しました。MoMA《Untitled #466》では、豪華なcaftanを着た女性がThe Cloistersを背景に立っています。人物はstudioでgreen screenを使って撮影され、背景は後からdigitalに合成されました。

近づいて見ると、perfectな上流階級像が崩れます。安価なplastic slippers、厚いstockings、過剰なmakeup、老いの痕跡が見え、glamourと不安が同時に現れます。Whitneyは、このseriesを2008年の経済危機直前のstatus-obsessed societyとも関連づけ、若さ、美、classを維持しようとする社会的pressureを扱うものと説明しています。

2010–12年、《Ominous Landscapes》

2010年のfashion editorialを起点にした《Ominous Landscapes》では、ShermanがChanel archiveから選んだ服やaccessoriesを着た人物を、Capri、Stromboli、Iceland、Shelter Islandなどで撮影したlandscapeへdigitalに重ねました。

fashion photographyなら衣服と人物を魅力的な環境へ調和させるはずですが、Shermanの人物は背景から浮き、むしろそこへ居場所がないように見えます。Hauser & Wirthは、このseriesが後のFlappersへ発展したと説明しています。fashionを使いながら、fashion imageの滑らかな幻想を壊す長期的な方法が続きます。

2012年、MoMA大回顧展

2012年、MoMAは170点以上を集めた大規模回顧展《Cindy Sherman》を開催しました。《Untitled Film Stills》《History Portraits》《Society Portraits》を中心に、film、performance、horror、grotesque、gender、classという複数のテーマを通してキャリアを再構成しています。

この展覧会は、Shermanをphotography内部の作家に限定せず、postwar contemporary art全体の中心人物として位置づけた重要な機会でした。同展はSan Francisco、Minneapolis、Dallasにも巡回しました。

2016–18年、Flappers

2016年以降のFlappersでは、1920年代Hollywoodのstarletや若い女性のfashionを思わせる衣装、bobbed hair、濃いmakeupを使いながら、明らかに年齢を重ねた人物を演じました。《Untitled #566》では、過去のglamourと現在の身体が一つの顔に共存します。

若返りを完全に成功させるのではなく、ageingの痕跡を残すことが重要です。人物たちは「かつて若かったstar」を演じるようにも、過去の役を現在も演じ続けるactorのようにも見えます。Sherman自身も年齢を重ねるなかで、identityが時間の中でどのように維持・更新されるかという問題が前面に出ました。

2019年、gender-neutral menswear

2019年のseriesでは、Shermanはelegantなgender-neutral designer menswearを着た両性的な人物を演じます。Sprüth Magersは、10点の大型写真にandrogynous charactersが登場し、背景にはBavaria、Shanghai、Englandで撮影した風景がdigitalに使われていると説明しています。

ここでは初期作品以来の「女性のstereotype」という枠組みが明確に拡張されます。Shermanは男性そのものを写実的に再現するのではなく、clothing、hair、gesture、face、backgroundがどの程度genderを作るのかを試します。《Untitled #602》では人物がviewerを直接見返し、Film Stillsのような「見られていることに気づかない女性像」と異なる力関係が生まれています。

2021年、Hauser & Wirthへ

長年Shermanを支えたMetro Picturesが閉廊へ向かうなか、2021年にHauser & WirthがShermanのrepresentationを発表しました。galleryは、1980年代初頭からMetro PicturesのJanelle ReiringとHelene Winerが築いた仕事を引き継ぐことを明記しています。

これは作品内容の変化ではありませんが、四十年以上にわたるcareerのinstitutional historyとして重要です。Pictures GenerationのNew York gallery sceneから国際mega-gallery networkへ、作品が流通する環境そのものも変化しました。

2023年、顔のデジタル・コラージュ

2023年Zurichで発表した36点の新作では、Shermanはscenic backdropをほぼなくし、faceだけを中心にしました。自分のeyes、nose、lips、skin、hair、earsを個別に撮影し、digitalにcut、paste、stretchして存在しないsitterを作ります。

Hauser & Wirthは、この方法をprostheticsのdigital equivalentとして説明しています。1980年代には人工鼻や人工乳房を物理的に身体へ付けましたが、2023年には顔そのものをdataとして切断し、再構成します。それでも加工を完璧に隠しません。白黒とカラーの断片が同居し、コピーされた眉や引き伸ばされた顔が人工性を露出します。

2024年、初期作品とAnti-Fashionの再評価

2024年、AthensのMuseum of Cycladic Artで《Cindy Sherman at Cycladic: Early Works》が開催され、《Untitled Film Stills》全体に加え、《Rear Screen Projections》《Centerfolds》《Color Studies》など100点以上が紹介されました。半世紀近いcareerを経た現在、1977–82年の短期間がいかに多くの方法を生み出していたかが再検討されています。

同時に《Cindy Sherman – Anti-Fashion》巡回展は、fashion commissionを単なる商業仕事として周辺化せず、Shermanの主要な制作軸として再評価しました。fashionは彼女が批判する対象であると同時に、identityを作る最も強力なvisual languageの一つでもあります。

2025年、《The Women》

2025年、Hauser & Wirth Menorcaの《The Women》では、《Untitled Film Stills》から《Ominous Landscapes》《Flappers》まで複数時代の女性像が並べられました。20世紀のmass-media celebrityから21世紀のinfluencer cultureまで、「見られる女性」がどのように自分のimageを演じるかというShermanの長期的問題が連続的に示されました。

2026年、《Fabric Matrons》

2026年10月13日から12月23日まで、Hauser & Wirth Londonで新作《Fabric Matrons》の公開が予定されています。2026年10月1日現在、展覧会はまだ開幕前ですが、galleryは新作が「identity as a continual process of construction over a lifetime」を扱うと発表しています。

新作では身体を包むelaborately draped fabricsが人物と背景の境界を曖昧にし、concealmentとdisplay、女性が人生の各段階でvisibilityをどのように交渉するかが中心になるとされています。多くの作品にはChanel archiveのfabricや要素が使われ、2010年代から続くfashionとの対話が新しい段階へ進む予定です。

バッファロー――絵画から写真へ

Shermanが写真を選んだことは、「写真が得意だったから」という単純な技術選択ではありません。絵画でimageを手で再現することから、camera、costume、makeup、body、lightingを組み合わせて一つのsituationを作ることへ関心が移りました。

ここで写真は「現実を記録するmedium」ではなく、ideaを短時間で別のimageへ変換する道具になります。後のcareerでも技術的なphotographic purismには関心を示さず、必要ならrear projection、prosthetics、green screen、Photoshop、digital collageを導入します。写真の純粋性より、imageがどう機能するかが優先されます。

Hallwalls――作家が自分たちの場所を作る

Hallwallsの設立は、1970年代alternative space movementの重要な例です。Shermanらはcommercial galleryやmuseumの外に、自分たちで作品を見せ、他地域のartistを招き、discussionを行う場所を作りました。

Pictures Generationが後にNew Yorkのinstitutional historyへ組み込まれる前、その形成にはBuffaloやLos Angelesなど複数の地方的networkが存在しました。ShermanのcareerをSoHoだけから始めず、Hallwallsを含むartist-run cultureから見ることで、当時の若い作家たちがどのように新しいimage cultureを共有したかが見えてきます。

初期作品――一人の身体から複数の人物を作る

1975–76年の初期作品では、Shermanは一人の人物として「自分を見せる」より、同じ身体がどれだけ多くの社会的役割へ変化できるかを試しています。clothing、eyebrows、hair、mouth、postureが少し変わるだけで、viewerは別のage、class、personalityを読み取ります。

これは後の作品の根本原理です。identityは身体の内側に隠れた本質ではなく、surface、gesture、contextの組み合わせによって外側から読み取られます。Shermanはそれを理論のdiagramとしてではなく、自分の身体を使って何度も実演します。

Pictures Generation――「イメージの後」に制作する

Pictures Generationの作家たちは、mass mediaのimageが現実認識へ深く入り込んでいることを前提に制作しました。Sherman、Richard Prince、Sherrie Levine、Louise Lawler、Robert Longoらの方法は異なりますが、「完全に新しいoriginal imageを作る」というmodernistな考えへ距離を取ります。

Shermanの独自性は、literal appropriationを必須としなかった点にあります。《Untitled Film Stills》は特定の映画をcopyしていません。それでもviewerは既存映画の記憶を感じます。Shermanは「すでにあるimage」ではなく、「すでにあるimageの記憶」をappropriationしたと言えます。

そのため作品は、一つのsourceを特定して終わりになりません。「この映画に似ている」という複数の記憶が重なり、viewer自身のmedia experienceが作品へ入り込みます。

《Untitled Film Stills》――存在しない映画の記憶

Film Stillsでは、camera angleとoff-screen gazeが非常に重要です。人物がframeの外を見れば、viewerはそこに別の人物や出来事を想像します。low angleなら不安やthreatを感じ、empty streetなら孤立を感じる。何も説明されていないのに、cinematic conventionだけでstoryが生まれます。

Whitneyの《Untitled Film Still #35》解説は、人物のoff-screen glanceとlow-angle viewがnarrative cinemaの文法を呼び起こし、viewerが前後のstoryを組み立てると説明しています。Sherman自身も、笑っていないblankなcharactersが好きなのは、viewerがnarrativeを作れるからだと語っています。

ここで作品の意味はphotograph内部だけにありません。viewerが持つ映画・テレビ・広告のmemoryが必要です。Shermanは「写真を見る人」を受動的recipientではなく、stereotypeとstoryを自分で補完する共同制作者へ変えました。

なぜ自画像ではないのか

作品に毎回Sherman本人が写っているため、「self-portrait」と呼びたくなります。しかしMoMAは《Untitled Film Stills》について、これらはself-portraitsとはみなされないと明記しています。Hauser & WirthとNational Portrait Galleryの資料も、Shermanが自分をrevealingするより「消して別のものになる」ことを強調します。

伝統的self-portraitは、作者の顔を通してpersonality、status、inner selfを表すことを期待されます。Shermanは逆に、顔を使うほど本人を見えなくします。一枚ごとに別人になり、series全体を見るほど「本当のSherman」を固定できなくなるからです。

この逆説が作品を強くしています。modelが毎回同じだと知っているからこそ、identityが外見の作り方によってどれほど簡単に変わるかが分かります。

カラーとスタジオ――《Rear Screen Projections》

1980年の《Rear Screen Projections》でShermanはblack-and-white location photographyからcolor studio photographyへ移行しました。背景をscreenへ投影することで、人物と場所の関係が最初から人工的に見えます。

Hauser & Wirthは、このseriesを「real locationsの中にartificial narrativeを作ったFilm Stills」から、「studio内でartificial locationそのものを作る」変化として整理しています。写真が現実を記録するというillusionをさらに弱める一方、colorとlightingはcommercial imageへ近づきます。

《Centerfolds》――見る側の視線を不安定にする

Centerfoldのformatは、男性viewerが女性身体を欲望の対象として見ることを前提にしていました。Shermanは同じhorizontal formatを使用しながら、人物をviewerへ向けて「提供」しません。

人物は横たわっているものの、自分の内面へ閉じているように見え、viewerはそのprivate momentへ侵入した立場になります。作品は「男性の視線」を理論的に説明するのではなく、見ている自分のpositionが急に居心地悪くなるように設計されています。

Artforumがpublicationを断念したことも、この曖昧さを示します。画像だけ切り取れば被害女性やsexualized imageとして誤読される可能性がありました。しかし、その誤読可能性そのものがShermanの作品が扱うmedia imageの危険性とも重なっています。

シンディ・シャーマンの作品をどう見るか

まず、「これはSherman本人のどんな気持ちを表しているのか」と考える前に、どのようなvisual genreを演じているかを見ます。映画スチル、centerfold、fashion editorial、Old Master portrait、headshot、society portraitなど、seriesごとに参照されるimage formatがあります。

次に、characterを成立させている具体的な手がかりを分解します。wig、makeup、clothing、gesture、camera angle、background、crop、light。これらのどれを変えれば別の人物に見えるかを考えると、identityがいかに多くの外的signから作られているかが見えてきます。

さらに「失敗」や「不自然さ」を見ます。wigのずれ、prostheticの継ぎ目、安物のfabric、digital compositeの違和感などは技術不足ではなく、illusionを完全に信じさせないための重要な要素です。viewerはcharacterへ感情移入しながら、同時に「これは作られたもの」と気づかされます。

最後に、自分がどのようなstereotypeを使って人物を判断したかを考えます。「金持ちそう」「不幸そう」「田舎から来た若い女性」「老いた女優」「男性的」などの判断は、写真に完全に書かれているわけではありません。viewer自身が社会的imageの蓄積から補っています。Shermanの作品は、その自動的な読み取りを見えるようにします。

主要作品

1975年の初期ポートレートから、《Untitled Film Stills》《Centerfolds》、Fashion、Fairy Tales/Disasters、History Portraits、Sex Pictures、Clowns、Society Portraits、Flappers、2019年の両性的な人物像まで、シャーマンが「自分自身を写すこと」ではなく、社会が人物をどうイメージ化するかを変化させてきた流れが見える11点を選びました。

無題(ポートレート)

Untitled (portrait) / 1975 / ゼラチン・シルバー・プリント / シート 50.5 × 40.6 cm/画像 49.1 × 32.9 cm

Whitney Museum of American Art, New York

Buffalo State College在学中の初期作品。後の複雑な変装以前の比較的直接的なportraitですが、Shermanが自分の顔をphotographic materialとして扱い始めた時期を示します。Whitneyの記録では1975年、edition 4/10。後の《Bus Riders》《Murder Mystery》を経て、一人の身体を複数の架空人物へ変える方法が発展していきます。

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無題の映画スチル #35

Untitled Film Still #35 / 1979 / ゼラチン・シルバー・プリント / シート 25.4 × 20.3 cm/画像 24 × 16.2 cm

Whitney Museum of American Art, New York

《Untitled Film Stills》を代表する一枚。apron姿の女性が古びたdoorのそばで画面外を振り返り、low-angleとoff-screen gazeによって「この前後に何かが起きている」と感じさせます。Whitneyは、1950–60年代Hollywoodの女性stereotypeを思わせながら実在映画には対応せず、viewer自身が物語を補完する作品と解説しています。

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無題 #96

Untitled #96 / 1981 / クロモジェニック・プリント / 61 × 121.9 cm

The Museum of Modern Art, New York

12点からなる《Centerfolds》の代表作。orange floorに横たわる若い女性が求人広告の切れ端を握り、viewerとは目を合わせません。24×48インチという男性誌のcenterfoldを想起させる横長formatを使いながら、sexual invitationよりprivateな不安やdreamlike stateを強め、見る側のvoyeuristic positionを不安定にします。

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無題 #136

Untitled #136 / 1984 / シルバー・ダイ・ブリーチ・プリント / シート 182.9 × 120.7 cm

Whitney Museum of American Art, New York

Whitneyが1984 Fashion seriesとして記録する大型作品。赤い衣服と緑のmittensを身につけた人物が小さな写真を持ち、fashion imageに期待されるglamourより不自然さと心理的な違和感が前面に出ます。Shermanがcommercial fashion photographyのvisual codeを利用しながら、商品を魅力的に見せる機能を内部から崩した重要作です。

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無題 #153

Untitled #153 / 1985 / クロモジェニック・プリント / 170.8 × 125.7 cm

The Museum of Modern Art, New York

Fairy Tales/grotesqueへの転換期を象徴する作品。泥のような地面へ横たわる人物の顔が巨大に示され、死体、被害者、眠る人物など複数の物語を喚起します。Film Stillsのcinematic heroineからhorrorとabjectionへ進み、beauty imageと身体の脆弱性の境界を崩した1980年代半ばの代表作です。

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無題 #175

Untitled #175 / 1987 / クロモジェニック・プリント / シート 119.1 × 181.6 cm

Whitney Museum of American Art, New York

Disasters期の作品。砂のついたtowel上に壊れたcookies、crackers、condiments、sunglassesなどが散乱し、Sherman本人の身体は画面から消えています。身体を直接見せず、残留物や汚れによって身体的嫌悪や出来事の痕跡を想像させます。「Sherman=変装したself-portrait」という理解を崩す重要な段階です。

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無題 #228

Untitled #228 / 1990 / クロモジェニック・プリント / 208.4 × 122 cm

The Museum of Modern Art, New York

《History Portraits》の代表作で、旧約聖書のJudithを思わせる人物としてShermanが登場し、Holofernesの切断頭部とblood-smeared knifeを持ちます。Renaissance/Baroque paintingのgrand scaleを写真で再演しながら、cheap fabrics、obvious prosthetics、theatrical makeupを隠しません。美術史的肖像もまた人工的に構成されたimageであることを可視化します。

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無題

Untitled / 1992 / シルバー・ダイ・ブリーチ・プリント / シート 172.9 × 114.6 cm

Whitney Museum of American Art, New York

《Sex Pictures》期の作品で、赤いfabric上にmedical training mannequinが横たわります。Sherman本人の身体は使われず、人工的な人体がsexuality、vulnerability、violenceを喚起します。人間が写っていなくてもviewerが身体的意味を読み込むことを示し、彼女の中心問題がself-portraitではなく「身体imageの構築」であることを明確にします。

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《Pink Robes》――「本当のシャーマン」を期待する視線

1982年の《Pink Robes》では、映画的な背景や細かな衣装を減らし、ピンクのbathrobeをまとった人物をcameraへ近づけます。変装が簡素になったため、一部の批評では「characterを脱いだ本人」に近い像として読まれました。しかしShermanの制作を考えると、この読みこそが興味深い問題を露出します。

viewerは、かつらやcostumeが派手なら「演技」、普通のrobeなら「本人」と判断します。しかし写真の中で何がauthenticityを保証するのでしょうか。robe、facial expression、lighting、cropもすべて選択されています。Hauser & Wirthの1977–82年展はColor Studiesについても「real Cindy Sherman」と読む批評に対し、他シリーズと同じくfabricationであると強調しています。

つまりShermanの作品は、仮面の下に本当の顔があるという構造を繰り返し拒みます。仮面を一枚剥がしても、その下に別の演出がある。「self」と「role」を簡単に分けられないことが重要です。

ファッション写真を内側から壊す

Shermanは1980年代から何度もfashion commissionを受けています。これはfashionを外側から批判するartistが、commercial worldへ一時的に入ったというだけではありません。fashion photographyは、服を魅力的に見せると同時に、「この服を着ればこういう人間になれる」というidentityのimageを売る媒体です。Shermanの中心問題と非常に近い領域でした。

ただし依頼に従って美しいmodelを作る代わりに、顔を歪ませ、不自然なposeを取り、服と身体の関係を不快にし、glamourを破綻させます。Whitney所蔵《Untitled #136》は1984 Fashion seriesの作品で、赤い服、緑のmittens、奇妙な表情が「商品としての服」より人物の不穏さを強くします。

この矛盾した関係は長期化します。Chanelのarchive garmentを使った2010年代のOminous Landscapes、1920年代fashionを再演するFlappers、そして2026年のFabric Matronsまで、Shermanはfashionの視覚的誘惑を利用しながら、その裏にあるage、class、gender、performanceのpressureを露出させています。

Fairy TalesとDisasters――美しさから嫌悪へ

1980年代半ば、Shermanはそれまで自分を「人物」として見せていた構造を大きく崩します。《Fairy Tales》ではprosthetics、artificial body parts、dirt、special effectsを導入し、童話というよりhorror映画に近い不穏な身体を作りました。《Untitled #153》の人物は地面へ横たわり、死体のようにも見えます。

続くDisastersでは、身体そのものさえ消え始めます。《Untitled #175》のように食べ物、sand、sunglasses、汚れたsurfaceだけが残る作品では、viewerは人間の不在をかえって身体的に感じます。食べ残しや腐敗を思わせるtextureによって、写真から匂いや粘着性まで想像してしまうからです。

この転換は、Shermanが「女性stereotypeを演じる作家」という成功したformatを自ら破壊した点で重要です。Film Stillsを続ければrecognizableなstyleを維持できましたが、彼女はより見にくく、売りにくく、嫌悪を引き起こすimageへ進みました。

MoMAは、AIDS crisisの時代に病んだ身体がnewsを通して社会へ露出していたことが、このgrotesqueな身体探究へ切迫性を与えたと指摘しています。ただし作品を特定の病のallegoryへ固定せず、身体の境界が壊れたときviewerの欲望と嫌悪がどう変わるかという問題として見る必要があります。

《History Portraits》――古典絵画もまた演出された像である

《History Portraits》は、Shermanがmass mediaだけでなくart historyそのものを「既存imageの体系」として扱ったseriesです。僧侶、貴婦人、milkmaid、biblical heroineなどを演じ、RenaissanceからRococoまで複数時代のportrait conventionを混ぜます。

重要なのは、特定のOld Masterを忠実にcopyすることではありません。Romeに滞在していたにもかかわらず、本人はmuseumやchurchのoriginal paintingsではなく、book reproductionを参照したと述べています。これはShermanのphotographyにとって本質的です。現代人の多くがart historyを知る方法も、originalより先にbook、poster、screen、web imageだからです。

《Untitled #228》のJudith像では、cheap fabric、obvious prosthetic、masklike severed headがgrand historical paintingのauthorityを壊します。一方で高さ2メートルを超えるscaleとrich colorは、historical paintingのspectacleを本気で再現しています。mockeryだけでなく、attractionも同時にあります。

この二重性によって、Shermanは「古典絵画は偽物、写真は本物」あるいはその逆を主張しません。どちらも人物を社会的roleとして演出するimage systemであることを見せます。

《Sex Pictures》――本人が画面から消える

《Sex Pictures》はShermanをself-portrait artistと呼ぶ説明をもっとも明確に崩すseriesです。本人の身体の代わりにmedical dolls、mannequins、prosthetic breasts、genitaliaなどが登場します。身体は人間のwhole bodyではなく、交換可能なpartsへ分解されます。

pornographic imageでは通常、身体はviewerのdesireへ向けて配置されます。Shermanは同じvisual codeを使いながら、人工物であることを極端に露出します。skinはplasticで、jointは機械的で、poseは不自然です。desireを刺激するはずのimageが、同時にdisgustやuncanny feelingを生みます。

Whitney所蔵の1992年《Untitled》はmedical training mannequinを赤いfabricに横たえた作品です。実際の裸体ではないのに、viewerはvulnerability、sexuality、violenceを読み取ってしまいます。身体の意味は生身の人間に備わっているのではなく、pose、crop、contextによって作られることが露出します。

《Office Killer》――静止画から映画へ

Shermanのcareerはcinema imageへの関心から始まりましたが、《Untitled Film Stills》に映画は存在しませんでした。1997年《Office Killer》では逆に、実際のfeature filmを監督します。

作品はoffice workerを中心にhorrorとblack comedyを組み合わせ、孤立した女性、corpse、domestic interior、grotesqueなど、写真で長く扱ってきたmotifを時間の中へ展開しました。Film Stillsではviewerが想像していた「before/after」を、映画ではdirectorが時間として決めることになります。

それでもShermanはfilmmakerとして継続するより写真へ戻りました。この一度の長編映画は、彼女の写真がどれほどcinematicでありながら、映画とは異なる「物語の欠落」を必要としていたかを逆照射します。

HeadshotsとClowns――顔そのものが仮面になる

2000年頃のHeadshotsでは、背景や物語を減らし、顔と上半身を中心にします。casting photoやschool portraitのようなformatでは、人は短時間で「どんな人物か」を印象づけなければなりません。Shermanは過剰なmakeup、wig、expressionによって、そのpresentationを不安定にします。

2002–04年のClownsでは、さらに顔がpaintそのものになります。clown makeupは笑顔を固定する一方、その人物が本当にhappyかどうかを隠します。MoMAの回顧展資料では、clownsがcruel、disturbed、lustful、tragicなど幅広いpsychological stateを持つことが指摘されています。

ここでmaskは顔を隠すものではなく、顔そのものになります。Shermanが一貫して扱ってきた「表面とinner selfの関係」が、もっともliteralな形で現れたseriesです。

《Society Portraits》――階級、老い、自己演出

2008年のSociety Portraitsでは、Shermanがmiddle-aged/older womenの架空のupper-class figuresへ変身します。巨大なprint、formal clothing、jewelry、palatial backgroundsはtraditional society portraitのauthorityを持ちます。

しかしdetailを見るとillusionは綻びます。《Untitled #466》についてMoMAは、dollar storeで購入したcheap plastic slippersやthick stockings、agingのsignsを指摘しています。green screenとdigital compositeで作られたopulent backgroundも、人物を本物のelite socialiteへ変えることはできません。

Whitneyは、seriesが2008 financial crisis直前のexcessとstatus obsessionに重なると説明しています。ただし単なるrich peopleへのsatireではありません。人物の表情には不安、疲労、孤独もあり、「社会的imageを維持しなければならない人」へのcompassionも残ります。

Shermanがageingを扱うとき、若い人物を演じるために老いを隠すのではなく、老いそのものがpublic imageの一部になります。これは後のFlappers、Fabric Matronsへ続きます。

デジタル技術――写真の「嘘」を隠さない

Shermanはphotographic technologyの変化を早くから取り込みました。Rear Screen Projectionsのanalog projectionから、green screen、Photoshop、digital background、dye-sublimation metal printへ進みます。

ただしdigital technologyを「よりrealisticに偽物を作る」ためだけに使いません。Society Portraitsではbackgroundの合成感が残り、2019年seriesでも人物とlandscapeの関係は完全には自然化されません。2023年face collageでは加工そのものが主題になり、顔のpartsが明らかに切り貼りされています。

これは生成AIやface filterが日常化した21世紀に新しい意味を持ちます。Shermanはdigital image以前からidentityをconstructionとして扱っていましたが、現在は一般の人もsocial mediaでface、background、age、gender presentationを日常的に加工します。作品が社会のimage practiceへ追いつかれた一方、彼女はさらに加工のartificeを露出する方向へ進んでいます。

《Ominous Landscapes》――ファッションと不穏な風景

2010–12年頃のOminous Landscapesは、fashion editorialから発展したseriesです。人物はChanel archival garmentsなどをまとい、壮大なnatural landscapeへdigitalに重ねられます。

通常のluxury fashion campaignなら、clothes、body、locationは一つのaspirational worldへ統合されます。しかしShermanの人物はlandscapeの中で妙に浮き、costumeは過剰で、自然とのrelationに違和感があります。glamourを完成させるはずのdigital compositeが、むしろartificeを露出します。

このseriesからFlappersへつながるのは、fashion historyを現在のbodyが演じるという問題です。archive garmentは過去をauthenticに復元するためではなく、過去のfemininityが現在どのように再演されるかを見る道具になります。

Flappers――若さを演じるのではなく、老いを含んだ役を作る

Flappersは1920年代のliberated young women、Hollywood starlets、bobbed hair、heavy makeupといったimageを参照します。しかしShermanが演じる人物には現在のageが残ります。《Untitled #566》は121.9×128.3センチのdye sublimation metal printで、古い映画starのpublicity portraitを思わせながら、肌や表情に長い時間が刻まれています。

ここで「young womanを上手く演じる」ことは目標ではありません。過去のroleを現在の身体で演じることによって、femininityがtimeとともにどう変わり、また同じvisual conventionが繰り返されるかが見えてきます。

人物はtragicにもcomicにも見えます。Shermanのlater workではこのambivalenceが重要です。老いをmockするだけでも、美しく肯定するだけでもなく、人がpublic imageを作り続けることの痛々しさと強さを同時に見せます。

2019年――男性的・両性的な人物像

2019年seriesではgender-neutral designer menswearを用い、男性的あるいはandrogynousなcharactersを制作しました。Sprüth Magersは、10点の大型写真でcharactersがdirect eye contactとsteely gazeを見せると説明しています。

これはShermanが「女性identityの作家」であるという固定化をもう一度ずらします。もちろん彼女は長く女性表象を中心に扱ってきましたが、作品のより根本的な問題は、viewerが外見からgenderやclassやpersonalityをどのように割り当てるかです。

《Untitled #602》は193.7×222.3センチの巨大なdye sublimation metal printで、figureはfashion portraitのように堂々とviewerを見返します。背景は旅先で撮影した景観のdigital compositeです。Film Stillsで「cameraに気づかない女性」を演じた時代から、viewerを正面から見るambiguous figureへ、視線のpower relationも変化しています。

2023年――顔を切り、貼り、存在しない人物を作る

2023年のseriesでは、身体とlandscapeをほぼ排し、faceのclose-upへ戻ります。ただし1970年代のmakeupによる変身とは方法が大きく異なります。eyes、nose、mouth、skin、hair、earsを別々にphotographし、digitalに切り貼りしてnew faceを構築します。

Hauser & Wirthは、36点のportraitsがすべてSherman自身のface fragmentから作られながら、個別の「sitter」が存在するように見えると説明しています。つまり一人のfaceから複数のpersonが生まれます。初期作品でcostumeとgestureによって行っていたことを、今度はface dataそのもので行っています。

《Untitled #661》などではeyebrowのcopy、facial featureのelongation、towelの位置といった小さなdifferenceがpersonalityを大きく変えます。identityがwhole faceに宿るのではなく、parts間のrelationから読み取られることが明瞭です。

加工をseamlessに仕上げない点も重要です。colorとblack-and-white fragmentが混ざり、faceが物理的にstretchしたように見えます。deepfake的な「本物そっくり」へ進むのではなく、digital manipulationを新しいprostheticとして可視化しています。

Anti-Fashion――ファッションとの矛盾した関係

2023–24年の巡回展《Cindy Sherman – Anti-Fashion》は、Shermanのfashionとの長期的関係を一つの主題として整理しました。彼女はfashion industryの外部にいる批評家ではなく、実際にdesigner clothingとmagazine commissionを利用してきました。

「Anti-Fashion」という言葉は服を拒否する意味ではありません。fashion imageが要求するdesirability、youth、status、gender idealを利用し、その内部にfailure、grotesque、age、artificeを入れる方法を指します。

だからShermanのfashion workはcommercial workとfine artの境界も不安定にします。依頼写真として始まったimageがmuseumへ入り、gallery seriesへ発展し、archive fashionがidentity critiqueのmaterialになります。

2026年――《Fabric Matrons》へ

2026年10月1日現在、Hauser & Wirth Londonで10月13日に開幕予定の新展では、《Fabric Matrons》が初公開される予定です。gallery発表によれば、人物たちはelaborately draped fabricによってsurroundingsへ溶け込み、concealmentとdisplayのtensionを作ります。

シリーズは「identity as a continual process of construction over a lifetime」を中心に据え、女性が異なるlife stageでvisibilityとbeautyをどう演じるかを扱います。2023年がfaceを断片化したseriesだったのに対し、2026年はbodyを覆うfabricとsurroundingsの関係へ再びscaleを広げることになります。

また多くの作品がChanel archiveのfabricや要素を用いるとされ、2010年からのfashion houseとの対話が続きます。Shermanにとってarchiveはnostalgiaのためではなく、過去のfemininityを現在のbodyへ重ね、timeとidentityを同時に見せるmaterialになっています。

フェミニズムとの関係――答えではなく視線をずらす

Shermanはfeminist art historyにおいて極めて重要な作家です。《Untitled Film Stills》《Centerfolds》は、mass mediaが女性へ与えるrole、male gaze、beauty standardを考える中心的作品として読まれてきました。

一方で、作品が一つのfeminist thesisをillustrateしていると考えると曖昧さを失います。Film Stillsの女性が被害者なのか、自立した女性なのか、desireの対象なのかは固定されません。Shermanは「こう見るべきだ」というcorrect imageを提示するより、viewerが無意識に使うstereotypeを露出させます。

また本人の身体が使われているため、viewerは「女性が自分を演じることでobjectificationをcontrolした」と読むこともできます。しかしCenterfoldsが示すように、imageが一度公開されれば作者がviewerのreadingを完全にはcontrolできません。Artforumがpublicationを見送った出来事は、そのambiguityを象徴しています。

したがってShermanのfeminist significanceは、理想的女性像を新しく作ったことより、「女性をimageとして見る仕組み」をviewer自身が自覚せざるを得ない状態にしたことにあります。

写真史の中で何を変えたのか

第一に、photographyの「truth claim」を根本から利用し直しました。写真はcameraの前に何かが存在したというindexicalな関係を持ちます。しかしShermanは、その「存在したもの」自体をcostume、set、makeupでfabricateします。cameraは嘘をつかないのではなく、嘘として準備された現実を正確に記録できます。

第二に、photographerとmodelのpower relationを複雑にしました。fashionやcinemaでは、traditionally photographer/directorとfemale model/actressが別人であることが多く、見る側/見られる側が分離されます。Shermanは両方を一人で行い、さらにstylist、makeup artist、set designerの役割まで引き受けます。

第三に、photographをsmall printから大型のpainting-scale imageへ押し広げました。Centerfoldsの2×4 feetは1981年のphotographyとして巨大で、その後History Portraits、Society Portraits、2019年作品は2メートルを超えます。写真が壁上でpaintingと同じphysical presenceを持つ時代の形成に大きく寄与しました。

第四に、「portrait」が実在人物のidentityを伝えるという前提を崩しました。Shermanのsitterはほぼすべてfictionalです。それでもviewerは年齢、class、occupation、personality、genderを読み取ります。portraitureはpersonのtruthを保存するのではなく、visual codesを通してpersonを構築する可能性が示されました。

シンディ・シャーマンは何を変えたのか

第一に、self-portraitとportraitの間に新しい領域を作りました。自分の身体を使いながら自分を表現せず、むしろ本人を消して無数のfictional identityを作ります。作者、model、characterが同じ身体に重なりながら一致しません。

第二に、appropriation artの可能性を広げました。既存写真を直接copyしなくても、film、advertising、fashion、art historyの「見慣れた型」を再演するだけで、image cultureそのものを引用できることを示しました。《Untitled Film Stills》が存在しない映画を懐かしく感じさせることがその代表です。

第三に、femininity、beauty、class、age、genderを固定したidentityではなくperformanceとして見せました。clothes、makeup、gesture、backgroundが変われば「同じ人」が別のsocial typeに見えます。この問題は1970年代media critiqueから、2020年代のsocial media filtersやdigitally constructed identityへ自然につながっています。

第四に、美とgrotesqueを分けませんでした。glamorous Film StillsからDisasters、Sex Pictures、Clownsへ進み、beauty imageの裏にあるbody、decay、fear、abjectionを同じcareer内で扱いました。viewerが「見たいもの」と「見たくないもの」の境界もまたsocially constructedであることを示します。

第五に、technical changeをconceptの更新へ使いました。black-and-white film、rear projection、large color print、prosthetic、green screen、Photoshop、dye sublimation、digital collageと技術は変わりますが、単なるnew technologyのdemonstrationにはなりません。毎回「imageはどこまで信じられるか」「identityはどこまで作れるか」という問題へ戻ります。

そしてもっとも重要なのは、Shermanが約50年間同じ顔を使いながら「同じ人物」を作らなかったことです。作品を並べるほど本人像は明確になるのではなく、逆に分からなくなります。portraitureがidentityを確定するmediumだとすれば、Shermanはその機能を逆転させました。写真を撮るたびにidentityを固定するのではなく、identityをさらに複数化する。それが彼女の長期的な革新です。

略年譜

1954
1月19日、New Jersey州Glen Ridgeに生まれる。Long Islandで育つ。
1972–1976
State University College at Buffaloで美術を学ぶ。当初のpaintingからphotographyへ移行。
1974
Robert Longo、Charles Clough、Nancy DwyerらとBuffaloのartist-run space Hallwallsを共同設立。
1975–1976
自分の身体を複数の人物へ変える初期写真、《Bus Riders》《Murder Mystery》などを制作。
1976
BA取得。
1977
New Yorkへ移住。《Untitled Film Stills》を開始。Pictures Generationと呼ばれる作家群の文脈で活動。
1979
Hallwallsで個展。初期《Untitled Film Stills》をまとまって発表。
1980
《Untitled Film Stills》を終了。《Rear Screen Projections》でcolorとstudio projectionへ移行。
1981
Artforum commissionを契機に12点の《Centerfolds》を制作。雑誌掲載は見送られる。《Untitled #96》制作。
1981–1982
《Color Studies》《Pink Robes》など、close-up、shadow、より簡素なcostumeを試す。
1983–1984
fashion commissionsを本格化。衣服のglamourを不穏な人物像によって崩す。
1983
Whitney Biennialに参加。その後1985、1991、1993、1995年にも参加。
1985
《Fairy Tales》。《Untitled #153》などprostheticsとhorrorを強めた作品を制作。
1986–1989
《Disasters》で腐敗、汚れ、food、body fragments、abjectionへ関心を拡大。
1987
Whitney Museumで個展《Cindy Sherman》。
1988–1990
《History Portraits》を制作。Old Master paintingのvisual conventionsをcheap costume、prosthetics、photographyで再演。
1989
Rome滞在中にもHistory Portraitsを制作。original paintingsよりbook reproductionsを参照。
1990
《Untitled #228》制作。Judithを思わせる歴史画的characterを演じる。
1992
《Sex Pictures》。自分の身体をほぼ完全に画面から排し、mannequinとprosthetic body partsを使用。
1994–1996
Horror and Surrealist Pictures、Masksなどを展開。
1995
MoMAが《Untitled Film Stills》全体を取得。
1997
長編映画《Office Killer》を監督。MoMAで《The Complete Untitled Film Stills》展。MOCA Los Angelesで大規模retrospective開幕。
2000
Headshots系の人物像を制作。casting portraitの形式とself-presentationを扱う。
2002–2004
Clowns。digital backgroundsとclown makeupで外的personaと心理のずれを探究。
2008
《Society Portraits》。aging、class、status、beautyとdigital constructionを扱う。《Untitled #466》制作。
2010–2012
Chanel archive garmentなどを使う《Ominous Landscapes》。landscapeとfashion figureをdigitalに合成。
2012
MoMAで170点以上を集めた大規模回顧展《Cindy Sherman》。San Francisco、Minneapolis、Dallasへ巡回。
2016–2018
Flappers。1920年代Hollywood/fashionとageingした身体を重ねる。《Untitled #566》などを制作。
2019
gender-neutral menswearを着たandrogynous characterによる大型作品群。《Untitled #602》など。
2020
Metro Picturesで2019年seriesを発表。Fondation Louis Vuittonでも大規模回顧展。
2021
Hauser & WirthがShermanのrepresentationを発表。長年のMetro Picturesとの歴史を引き継ぐ。
2022
Hauser & Wirth New York/Los Angelesで《Cindy Sherman. 1977–1982》。Film Stills、Rear Screen Projections、Centerfolds、Color Studiesを再検討。
2023
Zurichで36点の新作を発表。自分のface fragmentsをdigital collageし、存在しないsitterを構築。《Cindy Sherman: 2023》刊行。
2023–2024
《Cindy Sherman – Anti-Fashion》巡回展。fashionとの四十年以上の関係を主題化。
2024
Museum of Cycladic Art, Athensで《Cindy Sherman at Cycladic: Early Works》。100点以上の初期作品を展示。Hauser & Wirth New Yorkでも2023年新作群を米国初公開。
2025
Hauser & Wirth Menorcaで《Cindy Sherman. The Women》。Film StillsからFlappersまで女性像の変遷を横断。
2026
Museum of Contemporary Art Montenegroで《Cindy Sherman. Untitled: Critical Act》。
2026年10月13日予定
Hauser & Wirth Londonで新作《Fabric Matrons》初公開予定。2026年10月1日現在は開幕前。Chanel archiveのfabricを含む作品を通して、ageing、femininity、visibility、public imageを再考する。

参考資料・出典

本ページはThe Museum of Modern Art、Whitney Museum of American Art、The Metropolitan Museum of Art、Museum of Contemporary Art Los Angeles、Museum of Cycladic Art、Hallwalls、Hauser & Wirth、Sprüth Magersなどの美術館・作家取扱ギャラリー・公式アーカイブを参照してART LIBRARYが独自に執筆しました。《Untitled Film Stills》の点数は近年のMuseum of Cycladic Art、Hauser & Wirth、Whitneyの記録に従い70点として記述しています。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY