1960年代のアメリカでは、美術館に置かれる彫刻や絵画のあり方が急速に変わっていました。ミニマル・アートは工業製品のような形や展示空間との関係を押し出し、実験的なダンスは日常の歩行や身振りを舞台へ取り入れます。持ち運びできる映像機器の普及も、身体の動きを撮影し、繰り返し見せる新たな方法を画家や彫刻家にもたらしました。
こうした時代にカリフォルニアで活動を始めたブルース・ナウマン(Bruce Nauman、1941年生まれ)は、彫刻を学んだ後、自分の身体を型取りし、足音を響かせ、歩く姿をフィルムに記録するようになりました。さらにネオンの文字、狭い通路、監視映像、複数の声へと制作を広げていきます。ナウマンの作品では、鑑賞者が動く場所や、耳に入る言葉の繰り返しまでが、作品を成立させる重要な条件になります。
大学での修業と初期の彫刻から出発し、スタジオでの行為を映したフィルム、鑑賞者を包み込む回廊や音響作品、晩年の身体を再び撮影した映像へと、その制作の変化をたどっていきましょう。
CONTENTS
- 1941–1966年|カリフォルニアで彫刻を学ぶ
- 1966–1967年|身体を測り、芸術家を演じる
- 1967年|ネオンの言葉で芸術家像を問う
- 1967–1968年|スタジオの歩行をフィルムにする
- 1968年|身体を繰り返し動かし続ける
- 1968–1969年|映像と音声のずれを利用する
- 1968–1970年|狭い通路に観客を入れる
- 1969–1970年代|壁と音で空間を変える
- 1981–1984年|ネオンの言葉が命令になる
- 1985–1988年|声と映像が人を追い詰める
- 1990–1996年|回転する顔と、届かない会話
- 2000–2002年|無人のスタジオを撮影する
- 2004–2009年|声だけで公共空間を構成する
- 2015–2019年|かつての歩行を撮り直す
- 主要作品
- 略年譜
- まとめ
- 参考資料・出典
1941–1966年|カリフォルニアで彫刻を学ぶ
数学・音楽から美術へ
ブルース・ナウマンは1941年、アメリカ中西部のインディアナ州フォートウェインに生まれました。ウィスコンシン大学では数学、物理学、美術などに接し、1964年にカリフォルニア大学デービス校の大学院へ進みます。1966年に美術修士号を取得したころ、アメリカ美術界ではミニマル・アートやコンセプチュアル・アートが台頭し、作品の素材や展示方法をめぐる議論が広がっていました。
デービス校にはウィリアム・T・ワイリーやロバート・アーネソンらが集まり、型にはまらない素材やユーモアを重んじる教育環境がありました。ナウマンはワイリーと、奇妙な傾斜のついた木製の物体「スラント・ステップ」を題材とする実験にも取り組んでいます。日用品に似た物体を起点に、彫刻の定義や意味を揺さぶる制作に触れた時期でした。(参照:カリフォルニア大学デービス校美術館 | ウィリアム・T・ワイリーとナウマン/カリフォルニア大学デービス校 | 教育環境とスラント・ステップ)
絵画から離れ、素材と身体を扱う
修了前後のナウマンは、絵を描く仕事から離れて、ガラス繊維強化プラスチック、ラテックス、ワックスなどを使う彫刻へ向かいました。身体の一部分を型取りした作品には、人体彫刻に期待されてきた美しい比例や完成された外観への関心より、身体が占める空間を物体として取り出す実験が見られます。
1960年代半ばの彫刻には、無機質な幾何学的立体を用いる動きと、制作行為や不安定な素材そのものを見せる動きが並存していました。ナウマンはその双方と同時代に活動しながら、作家自身の身体、作業場、動作を彫刻の材料として扱う独特の方法へ進みます。(参照:ニューヨーク近代美術館 | ブルース・ナウマンの画業と作品/ニューヨーク近代美術館 | 1995年回顧展と制作史)
1966–1967年|身体を測り、芸術家を演じる
《身体左半分のネオン・テンプレート》
《身体左半分のネオン・テンプレート》(1966年)は、自分の身体の左半分を約25センチごとの間隔で測った輪郭を、緑色のネオン管の立体として組み立てた作品です。ネオンの曲がった線が空中に重なり、人体像はひとつながりの肉体から、複数の断面を積み上げたような光る構造へ変わっています。
人体を基準とする彫刻には古くから比例や理想像を探る伝統がありました。ナウマンがここで提示したのは、自分の身体を寸法によって切り分けた、不完全で奇妙な肖像です。作品は1968年にニューヨークのレオ・カステリ画廊で行われた初個展にも展示されました。現在グラスハウスに保管される原作は保存を優先し、公開には作家が承認した展示用複製が使われています。(参照:グラスハウス | 《身体左半分のネオン・テンプレート》/グラスハウス | 初期ネオン彫刻の修復と展示用複製)
《噴水としての自画像》と芸術家像の冗談
《噴水としての自画像》(1966–67年、1970年プリント)では、上半身裸のナウマンが口から水を勢いよく噴き出しています。写真の中の身振りは、広場の噴水に立つ人物彫刻を思わせます。自ら彫像を演じることで、身体、行為、写真が一つの作品になりました。
この作品は言葉遊びを用いた11点のカラー写真連作に含まれます。ナウマンは「真の芸術家は驚くべき輝く噴水である」といった言葉も作品に用いており、創造性が泉のようにあふれ出る天才という作家像を冗談めかして演じています。マルセル・デュシャンの《泉》(1917年)を連想させる題名と姿勢も、何を彫刻と呼ぶのかという問題に結び付いています。(参照:ホイットニー美術館 | 《噴水としての自画像》/ホイットニー美術館 | 11点のカラー写真連作)
1967年|ネオンの言葉で芸術家像を問う
《真の芸術家は神秘的真理を明らかにする》
1967年の《真の芸術家は神秘的真理を明らかにして世界に貢献する》は、英語の一文を筆記体のネオンで渦巻き状に配置した作品です。飲食店の窓やバーに置かれる電飾看板に似た材料が、美術と芸術家の役割についての大きな宣言を光らせています。
フィラデルフィア美術館は、この言葉を完全な冗談とも真剣な宣言とも受け取れない点に注目しています。看板は何かを売るために視線を集める装置ですが、ここでは「真理を明らかにする」という言葉そのものが吟味の対象です。読者は文の意味を受け入れるのか疑うのか、その判断を求められます。(参照:フィラデルフィア美術館 | 《真の芸術家は神秘的真理を明らかにして世界に貢献する》)
写真に写した言葉遊びと身体
同時期の写真連作には《Eating My Words》(自分の言葉を食べる)や《Bound to Fail》(失敗を免れない)があります。慣用句や決まり文句を身体で実行する場面に置き換えることで、普段は意味だけを受け取っている言葉が、目に見える奇妙な出来事になります。
これらの作品では、文章を読んで理解することと、目の前の姿を見て理解することが一致しません。言葉の字義どおりの意味と慣用的な意味の差を扱う実験は、のちのネオン看板や、声を繰り返す映像へつながっていきます。(参照:ホイットニー美術館 | 11点のカラー写真連作/ニューヨーク近代美術館 | 1995年回顧展と制作史)
1967–1968年|スタジオの歩行をフィルムにする
《正方形の周囲を大げさに歩く》
《正方形の周囲を大げさに歩く》(1967–68年)は、コンクリートの床に粘着テープで正方形を作り、その周囲を足を重ねるようにして前後に歩く約10分間の白黒フィルムです。ナウマンは腰を左右に大きく振りながら進み、身体の一部は固定されたカメラの画面の外へ消えていきます。奥の壁に掛かった小さな鏡には、画面から外れた動きが部分的に映り込みます。
ナウマンは美術修士号を取得した後、スタジオにいる自分が行うことは何であっても芸術となり得る、という考えを語っています。この作品では歩くことそのものが作業の中心です。撮影のために身体を飾ったり筋書きを与えたりせず、床の線、反復する動き、固定カメラの視野によって映像を構成しました。(参照:ニューヨーク近代美術館 | 《正方形の周囲を大げさに歩く》/エレクトロニック・アーツ・インターミックス | 歩行のフィルムと鏡)
《正方形の周囲で踊る/運動する》
同じ時期の《正方形の周囲で踊る/運動する》でも、床に描かれた幾何学的な範囲が身体の動きを規定します。歩くという日常動作を規則的に行うだけで、その姿は舞踊の練習や身体訓練に近づきます。作品は約10分で、16ミリフィルムから映像へ移された白黒・音声付きの記録です。
1960年代の実験的なダンスでは、歩行や立ち止まる動き、特別な舞踊訓練を受けていない人でも実行できる動作が注目されました。ナウマンはそうした舞踊との関係を持ちながら、踊り手が舞台上で一回だけ披露する動きとは異なり、撮影された動作が映像として何度でも提示される条件を探りました。(参照:ニューヨーク近代美術館 | 《正方形の周囲で踊る/運動する》/メトロポリタン美術館 | 《スロー・アングル・ウォーク》と身体表現)
失敗が画面に残る《二つのボールを弾ませる》
《床と天井の間で二つのボールを弾ませる》(1967–68年)では、二つの球を決められたリズムで床と天井へ投げ、受け止めることを繰り返します。弾み方は次第に予測しにくくなり、ナウマンの動きは慌ただしく変わります。作品名に含まれる「変化するリズム」は、規則を維持しようとする試みと、その失敗を一緒に見せています。
映像配給機関エレクトロニック・アーツ・インターミックスの解説によれば、このフィルムでは音と映像も同期していません。本人は撮影機材と作業上の制約から同期させられなかったと語っています。実際の作業に伴う不規則さが記録され、後年の映像に見られる意図的な音声のずれとは、制作事情が異なります。(参照:エレクトロニック・アーツ・インターミックス | 《二つのボールを弾ませる》)
1968年|身体を繰り返し動かし続ける
《スロー・アングル・ウォーク》とベケット
《スロー・アングル・ウォーク(ベケット・ウォーク)》(1968年)では、ナウマンが身体を不自然に傾け、複雑な順序の歩行を長時間繰り返します。約60分の映像に物語上の結末はなく、観客は動作が破綻しそうになる一瞬や、姿勢を保とうとする身体の緊張を見ることになります。
副題が示すサミュエル・ベケットの文学には、同じ行為を続ける人物や、目的に容易には到達できない人間の姿が登場します。メトロポリタン美術館はナウマンの反復動作を、アン・ハルプリンらの実験的なダンスとあわせて解説しています。身体を簡単な手順へ従わせることが、時間の長さや重力との関係を目に見えるものにしていきました。(参照:メトロポリタン美術館 | 《スロー・アングル・ウォーク》と身体表現)
《スタジオで足踏みする》が生む音
《スタジオで足踏みする》(1968年)は、ナウマンが足で床を強く踏み鳴らしながら室内を行き来する約62分の映像です。単純な拍子から始まった音は、複雑なリズムへ変わり、身体は斜めや渦巻き状の経路を進みます。カメラが上下逆さまに設置されているため、足音の力強さに反して、画面の中の身体は不安定な方向へ動いて見えます。
ここでは身体の動きを見ることと、床を踏む音を聞くことが同時に起こります。大きな音を発する動作が一時間近く続くことで、足踏みは日常的な習慣から、音響的なパフォーマンスへ移ります。映像機器を通じて提示される長い持続時間も、作品の素材の一つです。(参照:エレクトロニック・アーツ・インターミックス | 《スタジオで足踏みする》)
ヴァイオリンの音と歩行
《ヴァイオリンを弾きながらスタジオを歩く》(1967–68年)は、楽器を鳴らしながら室内を移動するナウマンを映した短いフィルムです。音を発する身体がカメラの視野から出入りし、音は画面内の人物の見え方と必ずしも一致しません。
ナウマンは学生時代から音楽に接していました。1960年代後半には、音を独立した伴奏としてではなく、動作がどの程度持続したか、空間のどこで行われたかを示すものとして使います。のちの録音音声や複数のスピーカーによる作品を考えるときにも、この時期の音と身体の関係は重要です。(参照:カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館 | ヴァイオリンを弾く初期フィルム/ニューヨーク近代美術館 | ブルース・ナウマンの画業と作品)
1968–1969年|映像と音声のずれを利用する
《コーナーで跳ねる》とカメラの向き
《コーナーで跳ねる No. 1》(1968年)は、スタジオの壁と壁が接する角で、自分の身体を前後に倒し、支えながら反復する映像です。カメラに映る身体は大きく揺れ、壁という固定された空間と、重力のもとで均衡を取り戻そうとする動作が対照的に現れます。
この作品は白黒・音声付きの約60分のビデオとして記録されています。初期のフィルムに多かった約10分という長さから、一時間に及ぶ反復へと時間が延びると、観客は完成した運動の形よりも、継続する身体の不安定さを意識します。(参照:カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館 | 《コーナーで跳ねる》)
《リップ・シンク》では声と口が一致しない
《リップ・シンク》(1969年)では、上下逆さまになったナウマンの顔が画面いっぱいに映り、口が「リップ・シンク」という言葉を繰り返します。映像と録音された声はずれたり重なったりし、音はしだいに大きく、激しくなります。観客は唇の動きから言葉を聞き取ろうとしますが、画面と声の対応は安定しません。
ニューヨーク近代美術館が所蔵する版は約57分です。初期の《二つのボールを弾ませる》では撮影上の事情から音と映像がずれていましたが、《リップ・シンク》ではその不一致が作品の中心になっています。肉声を記録し、再生する機械への信頼が、目の前の映像によって揺さぶられます。(参照:ニューヨーク近代美術館 | 《リップ・シンク》/エレクトロニック・アーツ・インターミックス | 《二つのボールを弾ませる》)
《蛍光灯を操る》で光を身体に重ねる
《蛍光灯を操る》(1969年)では、薄暗い室内でナウマンが長い蛍光管を脚や腕の間に置き、身体の姿勢を少しずつ変えます。身体は光によって部分的に浮かび上がり、蛍光管は扱われる道具であると同時に、画面を照らす光源でもあります。
約62分にわたる作品では、ある姿勢がしばらく維持された後、次の姿勢へ移ります。バルセロナ現代美術館の解説も、身体と光る管が重なり合う見え方に注目しています。彫刻であれば固定されるはずの物体と身体の位置関係を、映像の時間の中で何度も組み直しています。(参照:バルセロナ現代美術館 | 《蛍光灯を操る》)
1968–1970年|狭い通路に観客を入れる
《コントラポストで歩く》から回廊へ
《コントラポストで歩く》(1968年)では、ナウマンが二枚の壁板で作った狭い通路の中を、腰を大きく振りながら往復します。「コントラポスト」は古代彫刻に見られる、体重を片脚へかけた姿勢のことです。古典的な人体の均衡を、幅の限られた場所で実際に歩く動作へ変換しています。
映像の撮影道具として使われた通路は、1969年の《パフォーマンス・コリドー》で展示室に移されました。幅はおよそ51センチ、長さは約6メートル。ニューヨークのホイットニー美術館で開かれた「反幻想:手順と素材」展では、鑑賞者自身がこの通路に入るかどうかを判断できる形で提示されました。(参照:グッゲンハイム美術館 | 《パフォーマンス・コリドー》と映像回廊)
《ライヴ=テープド・ビデオ・コリドー》の監視映像
1970年の《ライヴ=テープド・ビデオ・コリドー》では、細い通路の奥に二台のモニターが上下に置かれています。一方には入り口付近のカメラが捉えた現在の映像、もう一方には誰もいない通路をあらかじめ撮影した映像が流れます。
通路の奥へ進む観客は、現在の自分の後ろ姿が画面内でだんだん小さくなるという、日常の鏡とは違う像に出会います。下のモニターには自分の姿が映りません。見ているのは自分自身なのに、視線の位置も映り方も思いどおりにならない。この作品では、見る人の移動とカメラの配置が、空間の感覚を変えています。(参照:グッゲンハイム美術館 | 《パフォーマンス・コリドー》と映像回廊)
「見る人」から「動かされる身体」へ
初期のスタジオ映像では、決められた動作を反復するのはナウマン自身でした。回廊作品では、その役割が展示室を訪れた観客に移ります。通路へ入る、途中で引き返す、モニターを見ながら進むという選択は観客に委ねられますが、壁の幅や機器の位置はあらかじめ決められています。
グッゲンハイム美術館の解説によれば、ナウマンは初期の回廊だけでは状況を十分に制御できないことにも不満を抱いていました。後の作品で鏡、色のついた光、閉回路映像を用いたのは、鑑賞者の知覚や動きをさらに細かく組み替えるためでした。この変化は、パフォーマンスを行う主体が作家本人から観客へ移ったことを具体的に示しています。(参照:グッゲンハイム美術館 | 《パフォーマンス・コリドー》と映像回廊)
1969–1970年代|壁と音で空間を変える
音を通す壁と音を遮る壁
《サウンド・ブレイキング・ウォール》(1969年)や《タッチ・アンド・サウンド・ウォールズ》(1969年)では、建築の壁が音を流したり、触れた振動を増幅したりする装置として扱われます。グッゲンハイム美術館の所蔵記録によれば、前者には壁板、録音音声、スピーカーが用いられ、後者にはマイクと増幅器が組み込まれています。
通常の展示室では、壁は作品を取り付ける背景として見過ごされがちです。ナウマンの音響作品では、壁の向こうで何が起きているのか、どこから音が聞こえるのかが鑑賞の中心になります。姿の見えないものを音によって意識させる構造は、映像の回廊作品とは違う手段で、空間への信頼を揺らします。(参照:グッゲンハイム美術館 | パンツァ・コレクションの作品記録)
1970年代の回廊が広げた制作の範囲
1970年代に入ると、ナウマンは直線状の通路に加えて、曲がった通路や閉じた空間、音響設備を組み合わせた環境作品を制作しました。映像に記録された一定の動作を眺める鑑賞から、作品が作り出す場所を実際に通り抜ける鑑賞へ、体験の条件が大きく変わっています。
建築の模型や設計図、設置方法も作品の重要な部分となりました。回廊は展示のたびに組み立てられるため、素材や寸法、機器の位置の記録が欠かせません。こうした作品では、造形の完成形だけでなく、鑑賞者に与えられる空間そのものが継続的に検討されています。(参照:グッゲンハイム美術館 | パンツァ・コレクションの作品記録/ニューヨーク近代美術館 | 1995年回顧展と制作史)
1981–1984年|ネオンの言葉が命令になる
《ヴァイオリン/暴力/沈黙》
《Violins Violence Silence》(1981–82年)は、似た響きを持つ英単語をネオンの文字として重ねる作品です。楽器を意味する「violins」、暴力を意味する「violence」、沈黙を意味する「silence」。文字を目で追い、声に出してみると、音が近いのに意味が大きく違う言葉の連なりに気付きます。
1967年の《真の芸術家は神秘的真理を明らかにする》では一つの宣言が看板となっていました。1980年代のネオンでは、響きの反復や語の組み合わせそのものが強い印象を生みます。看板の明るさと、そこに並ぶ不穏な語の関係は、言葉を読む行為に身体的な緊張をもたらします。(参照:ニューヨーク近代美術館 | 1995年回顧展と制作史/Art21 | 《100通りの生と死》と1980年代の作品)
《100通りの生と死》を埋める短文
《One Hundred Live and Die》(1984年)は、四つの大きな金属製の支持体に、多色のネオンで百の短い文を並べた作品です。生きる、死ぬ、愛するなどの言葉が組み合わされ、点灯の順序に従って次々に目へ入ってきます。作品の大きさは高さ約3メートル、幅約3.36メートルに及びます。
短文が大量に反復されると、一つひとつの語の意味を追い切れなくなります。「生きる」「死ぬ」という重い内容が、広告や電光掲示板のような明るさと規則で現れることにも違和感があります。作品は現在、直島のベネッセハウス・ミュージアムのコレクションに属しています。(参照:Art21 | 《100通りの生と死》と1980年代の作品/ニューヨーク近代美術館 | 回顧展の作品一覧と所蔵記録)
1985–1988年|声と映像が人を追い詰める
《グッド・ボーイ/バッド・ボーイ》の二人の話者
《グッド・ボーイ/バッド・ボーイ》(1985年)は、二台のモニターで男性と女性の俳優が文章を読み上げる映像作品です。二人は「私」「あなた」「私たち」を主語とする短文を繰り返します。同じ言葉でも、口調が平板な読み上げから感情の強い発話へと変わっていきます。
ホイットニー美術館所蔵の版は二つのチャンネルで構成され、上映時間はそれぞれ約60分と52分です。二人の映像は並列に流れるため、言葉が必ずしも同じタイミングで重なりません。観客は発言の意味を理解しようとしながら、声の強さや反復によって印象が変わることを経験します。(参照:ホイットニー美術館 | 《グッド・ボーイ/バッド・ボーイ》/SALT | 《グッド・ボーイ/バッド・ボーイ》の発話構造)
《クラウン・トーチャー》の終わらない反復
《クラウン・トーチャー》(1987年)では、道化師の衣装を着た人物たちが、繰り返し謝ったり、強く拒絶する言葉を叫んだりします。道化師は本来、笑いを誘う存在です。この作品では同じ言葉を言い続ける映像が複数の画面で流れ、声の重なりが展示空間を満たします。
ピノー・コレクション所蔵の関連する二画面の構成では、一方の道化師が謝罪を続け、もう一方の道化師が「ノー」を叫び続けます。観客はどちらの声にも明確な結末を見いだせません。人物への共感と、繰り返される声への疲れが同居する点に、1960年代の自分自身を撮った静かな映像とは違う強さがあります。(参照:ピノー・コレクション | 《クラウン・トーチャー》/ニューヨーク近代美術館 | 1995年回顧展と制作史)
1990–1996年|回転する顔と、届かない会話
1990年|《ロウ・マテリアル〈MMMM〉》
《ロウ・マテリアル〈MMMM〉》(1990年)では、ナウマン自身の頭部が画面の中でゆっくりと回転し、口から長く引き延ばされた声が漏れます。カラー映像は二台のモニターと投影映像に映し出され、顔は上下逆さまになったり、色が変わったりします。ローザンヌ州立美術館が所蔵するこの作品は約25分の映像インスタレーションです。
美術館の解説によれば、ナウマンは回転椅子に座って撮影されました。身体を決まった仕方で動かす点では1960年代のスタジオ映像とつながっています。しかし、ここで強調されるのは歩行する全身の姿より、装置によって向きも色も変わる頭部の像です。1980年代の蝋製の頭部彫刻との関係も指摘されています。(参照:ローザンヌ州立美術館 | 《ロウ・マテリアル〈MMMM〉》)
1992年|《アンスロ/ソシオ》の叫ぶ顔
《アンスロ/ソシオ(リンド・スピニング)》(1992年)では、男性パフォーマーの頭部が大きく投影され、回転しながら大声で言葉を繰り返します。展示空間には複数の投影画面とモニターが置かれ、観客はどの方向からも顔と声に囲まれます。話されるのは「食べさせて」「傷つけて」などの切迫した要求と、人類学・社会学を表す語が入り混じる文章です。
映像の俳優はリンド・エッカートです。初期フィルムで画面に登場していたのはナウマン本人でしたが、1980年代以降には別の演者に声を託す作品も増えていきます。この作品では、実際に目の前にいる人間からの呼びかけに似た声が、繰り返される録画と増幅された音声によって、避けにくい状況として鑑賞者へ届きます。(参照:サーラス・ギャラリー | 《アンスロ/ソシオ》の展示解説)
1995年|ニューヨーク近代美術館の回顧展
1995年のニューヨーク近代美術館では、1965年以降の仕事を紹介するナウマンの大規模回顧展が開かれました。初期の彫刻・フィルムと、1970年代以降の回廊、ネオン、映像インスタレーションが二つの時期に分けて展示され、異なる媒体へ活動が展開した経緯を確認できる内容でした。
その一方で、この時期の映像を見ると、1960年代の足踏みや歩行が、1990年代には顔の回転や発話の反復へ変化していることが分かります。回顧展に含まれた《目/鼻/耳を突く》(1994年)のように、顔に加えられる不快な動作を再び自分自身の身体で示す作品もありました。(参照:ニューヨーク近代美術館 | 1995年回顧展と制作史)
1996年|《ワールド・ピース》の会話は成立するか
《ワールド・ピース(プロジェクテッド)》(1996年)は、五面の投影映像に映る人物が、「私が話す、あなたが聞く」「あなたが話す、私が聞く」といった文を、話者と聞き手を入れ替えながら繰り返す作品です。中には手話を用いる人物もいます。
互いに話し、聞き合うという行為は、題名の「世界平和」を連想させます。ところが画面の人物たちはそれぞれ孤立して発話しており、誰かが応答して会話が成立する場面は現れません。ブランドホルスト美術館は、組み合わせが循環し続けて決着へ至らない構造を解説しています。(参照:ブランドホルスト美術館 | 《ワールド・ピース》)
2000–2002年|無人のスタジオを撮影する
《スタジオを地図化する I》
《スタジオを地図化する I(ファット・チャンス・ジョン・ケージ)》(2001年)は、ニューメキシコ州のスタジオを夜間に撮影した映像を使うインスタレーションです。画面に主として映るのは、作品が置かれた部屋、制作途中の物体、そして夜に動く猫やネズミなどの小動物です。七つの大きな投影と環境音によって、同じ作業場が異なる視点から見えてきます。
ディア美術財団の発表によれば、撮影は2000年夏に行われました。ナウマンは猫やネズミの移動を、完成作、未完成作、放棄された制作の痕跡が残るスタジオを地図化する手がかりとして捉えています。初期のスタジオ映像で画面を占めていた作家本人の姿はなく、代わりに不在の仕事の痕跡が時間をかけて現れます。(参照:ディア美術財団 | 《スタジオを地図化する I》/ディア美術財団 | 《スタジオを地図化する》制作背景)
2004–2009年|声だけで公共空間を構成する
《ロウ・マテリアルズ》と音の通路
2004年、ロンドンのテート・モダンの巨大なタービン・ホールで、音響インスタレーション《ロウ・マテリアルズ》が公開されました。過去に制作した作品の言葉や録音を再構成し、広い空間の中を歩く観客へ異なる声が届く作品です。
1960年代のフィルムには身体が音を生み出す場面が映り、1970年代の回廊には音と壁が組み合わされていました。《ロウ・マテリアルズ》では、声を発する人物の映像や狭い通路を設けず、距離や位置によって聞こえる言葉が変わる大規模な音響空間を構成しています。観客は自由に歩きながら、その場所ごとの声の重なりを聞き取ります。(参照:ガーディアン | 《ロウ・マテリアルズ》の展示批評/ニューヨーク近代美術館 | ブルース・ナウマンの画業と作品)
《デイズ》で曜日がばらばらになる
2009年の音響作品《デイズ》では、複数の声が英語の曜日を繰り返します。スピーカーは対になって通路状に並べられ、観客はその間を歩くことができます。声ごとに曜日の順番が異なるため、聞き慣れた一週間の並びは、部屋全体では重なり合う音へ変わります。
ナウマンはこの年、ヴェネツィア・ビエンナーレでアメリカ館を中心とする展覧会「トポロジカル・ガーデンズ」を開催し、大学を含む複数の場所で作品を発表しました。同展は国別参加部門の金獅子賞を受賞しています。音と移動を組み合わせる試みが、単一の展示室を越える規模で示されました。(参照:Art21 | 《デイズ》の音響空間/ペギー・グッゲンハイム・コレクション | 2009年ヴェネツィア・ビエンナーレ)
2015–2019年|かつての歩行を撮り直す
《コントラポスト・スタディーズ》と年齢を重ねた身体
2015–16年の《コントラポスト・スタディーズ》では、ナウマンが若い頃に行った、腰を振りながら歩く動作へ再び取り組みました。複数チャンネルの映像には、年齢を重ねた身体が分割・反復されて映ります。画面の人物は同じ場所を歩いていても、映像の切れ目によって身体の部分がずれ、重なります。
1968年の《コントラポストで歩く》では、狭い通路が動きを制限し、固定カメラが身体を記録していました。半世紀近くを経た作品では、画像処理と多面投影が、身体の像そのものを複数へ分解します。比較すると、同じ動作を行う身体に時間が与えた変化と、映像技術による見え方の変化を、別々に観察できます。(参照:フィラデルフィア美術館 | 《コントラポスト・スタディーズ》研究図録/ニューヨーク近代美術館 | 《コントラポスト・スタディーズ》)
2018年の大規模回顧展が示した継続性
2018年から2019年にかけて、ニューヨーク近代美術館とMoMA PS1では「ブルース・ナウマン:消えゆく行為」展が開催されました。初期の写真やフィルムから、ネオン、回廊、音響、多チャンネル映像までを集めた回顧展です。
「消える」という言葉には、画面から姿が外れる初期の歩行、誰もいないスタジオ、時間とともに崩れる映像の身体など、異なる作品に現れる現象が重なります。作品の媒体や規模が変わっても、目に見えるものとその背後に残る時間、行為、空間の関係を調べる制作が続いてきたことを、半世紀以上の作品から読み取れます。(参照:ニューヨーク近代美術館 | 2018–2019年回顧展)
主要作品
初期の身体を使ったフィルム、写真、ネオンから、1980年代の映像と言葉の作品まで12点を紹介します。映像の時間や媒体、写真のプリント情報は、各所蔵館・配給機関の記録と照合しています。
正方形の周囲を大げさに歩く
Walking in an Exaggerated Manner Around the Perimeter of a Square / 1967–1968 / 16ミリフィルムからビデオへ転写、白黒、無声 / 上映時間約10分
MoMA
床のテープで作った正方形の周囲を、腰を大きく振って前後に歩く。固定カメラの画角から身体が外れ、奥の小さな鏡には部分的に姿が映り込みます。
正方形の周囲で踊る/運動する
Dance or Exercise on the Perimeter of a Square (Square Dance) / 1967–1968 / 16ミリフィルムからビデオへ転写、白黒、音声付き / 上映時間約10分
MoMA
正方形の周囲に沿って繰り返す身体動作を、舞踊の練習や日常的な歩行との関係で見ることができる初期フィルムです。
床と天井の間で二つのボールを弾ませる
Bouncing Two Balls Between the Floor and Ceiling with Changing Rhythms / 1967–1968 / 16ミリフィルムからビデオへ転写、白黒、音声付き / 上映時間約10分
MoMA
二つのボールを決まったリズムで床と天井に弾ませます。予期しない跳ね返りが続き、身体の動きと音の同期が崩れていきます。
コーナーで跳ねる No. 1
Bouncing in the Corner, No. 1 / 1968 / ビデオ、白黒、音声付き / 上映時間約60分
カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館
スタジオの角で身体を繰り返し倒し、支え直す行為を長時間撮影。壁に拘束された身体の均衡と、映像の持続が作品を形作ります。
スタンピング・イン・ザ・スタジオ
Stamping in the Studio / 1968 / ビデオ、白黒、音声付き / 上映時間約62分
MoMA
足踏みの拍子を複雑に変えながら室内を往復。上下逆さまのカメラ映像によって、歩行の方向と響く足音が奇妙な関係になります。
リップ・シンク
Lip Sync / 1969 / ビデオ、白黒、音声付き / 上映時間約57分(MoMA所蔵記録)
MoMA
上下逆さまに映る顔が「リップ・シンク」を反復。口の動きと再生音声が一致しなくなり、見ることと聞くことの対応が崩れます。
蛍光灯を操る
Manipulating a Fluorescent Tube / 1969 / ビデオ、白黒、音声付き / 上映時間約62分
MoMA
蛍光管を脚や腕に沿わせ、姿勢を少しずつ変える。管自体が光源となり、暗い画面の中で身体と発光する物体の関係が変化します。
ヴァイオリンを弾きながらスタジオを歩く
Playing a Note on the Violin While I Walk Around the Studio / 1967–1968 / 16ミリフィルムからビデオへ転写、白黒、音声付き / 上映時間約10分
カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館
ヴァイオリンを鳴らしながらスタジオを移動する姿を記録。楽器の音と画面から出入りする身体の関係を扱います。
噴水としての自画像
Self-Portrait as a Fountain / 1966–1967年(1970年プリント) / カラー写真(発色現像方式のプリント) / シート約51 × 60.8 cm
ホイットニー美術館
上半身裸のナウマンが口から水を噴き出し、自ら噴水の人物彫刻を演じます。言葉遊びの連作に属し、芸術家像とデュシャンの《泉》をユーモラスに問い直します。
身体左半分のネオン・テンプレート
Neon Templates of the Left Half of My Body Taken at Ten-Inch Intervals / 1966 / ネオン管、電線、変圧器、ガラス製支持材 / 約177.8 × 22.9 × 15.2 cm
グラスハウス・コレクション(米国)
身体の左半分を約25センチ間隔で測った輪郭を、発光する管によって立体化。身体を寸法と光へ置き換えた初期の彫刻です。
グッド・ボーイ/バッド・ボーイ
Good Boy / Bad Boy / 1985 / 二チャンネル・カラー映像、音声、モニター2台 / 上映時間約60分/約52分(反復再生)
ホイットニー美術館
男女二人の俳優が同じ短文を繰り返し、声の調子を変えていきます。発話の内容と抑揚の間に生じるずれを、二つのモニターで示します。
100通りの生と死
One Hundred Live and Die / 1984 / ネオン管、透明ガラス管、金属製の支持体 / 約299.7 × 335.9 × 53.3 cm
ベネッセハウス・ミュージアム(直島)
生と死に関わる百の短文が、多色のネオンで次々に点灯します。明るい看板の形式と、繰り返される不穏な言葉が対照をなします。
略年譜
- 1941年
- アメリカ、インディアナ州フォートウェインに生まれる。
- 1964年
- ウィスコンシン大学卒業後、カリフォルニア大学デービス校の大学院へ進む。
- 1966年
- 同校で美術修士号を取得。《身体左半分のネオン・テンプレート》を制作。
- 1966–1967年
- 《噴水としての自画像》など、身体と写真を使う作品を制作。
- 1967年
- 《真の芸術家は神秘的真理を明らかにして世界に貢献する》を制作。
- 1967–1968年
- 正方形の周囲を歩くフィルムやボールを弾ませるフィルムを制作。
- 1968年
- 《スロー・アングル・ウォーク》《スタジオで足踏みする》などを制作。
- 1969年
- 《パフォーマンス・コリドー》を展示室で発表。《リップ・シンク》を制作。
- 1970年
- 《ライヴ=テープド・ビデオ・コリドー》など、映像を使う回廊作品を展開。
- 1984年
- ネオン作品《100通りの生と死》を制作。
- 1985年
- 二画面映像《グッド・ボーイ/バッド・ボーイ》を制作。
- 1987年
- 《クラウン・トーチャー》を制作。
- 1990年
- 《ロウ・マテリアル〈MMMM〉》を制作。
- 1992年
- 《アンスロ/ソシオ(リンド・スピニング)》を制作。
- 1995年
- ニューヨーク近代美術館で回顧展が開催される。
- 1996年
- 《ワールド・ピース(プロジェクテッド)》を制作。
- 2001–2002年
- 《スタジオを地図化する I》を制作し、ディア美術財団で公開。
- 2004年
- テート・モダンで音響作品《ロウ・マテリアルズ》を発表。
- 2009年
- ヴェネツィア・ビエンナーレのアメリカ館で発表、国別参加部門の金獅子賞。
- 2015–2016年
- 《コントラポスト・スタディーズ》を制作。
- 2018–2019年
- ニューヨーク近代美術館とMoMA PS1で大規模回顧展。
まとめ
1960年代後半のナウマンは、彫刻の素材を自分の身体や動作へ広げました。正方形の周囲を歩き、足踏みをし、球を弾ませる映像では、作家の動作が画面から外れたり、予定したリズムを保てなくなったりします。完成された形よりも、規則と身体がぶつかる過程が、作品として残されています。
1969年以降の回廊作品では、スタジオで作家自身が経験していた狭さや方向感覚のずれを、鑑賞者が直接経験するようになりました。1980年代には言葉の反復と人間の声が作品の中心へ移り、《グッド・ボーイ/バッド・ボーイ》では発話の内容と感情の強さ、《100通りの生と死》では文字の光と点滅が、それぞれ異なる緊張を生み出します。
2000年代の無人のスタジオ映像や、年齢を重ねて再び歩く《コントラポスト・スタディーズ》では、作家の姿が消えた作業場や、若い頃とは異なる身体の動きが映し出されます。初期のスタジオで自分自身に課した動作は、やがて観客を狭い回廊に誘い込み、複数の声に囲まれる展示室へと広がりました。ナウマンが変えたのは素材や制作手順だけでなく、鑑賞者が作品の中で何を経験するのかという点でした。
参考資料・出典
- カリフォルニア大学デービス校美術館 | ウィリアム・T・ワイリーとナウマン
- カリフォルニア大学デービス校 | 教育環境とスラント・ステップ
- ニューヨーク近代美術館 | ブルース・ナウマンの画業と作品
- ニューヨーク近代美術館 | 1995年回顧展と制作史
- グラスハウス | 《身体左半分のネオン・テンプレート》
- グラスハウス | 初期ネオン彫刻の修復と展示用複製
- ホイットニー美術館 | 《噴水としての自画像》
- ホイットニー美術館 | 11点のカラー写真連作
- フィラデルフィア美術館 | 《真の芸術家は神秘的真理を明らかにして世界に貢献する》
- ニューヨーク近代美術館 | 《正方形の周囲を大げさに歩く》
- エレクトロニック・アーツ・インターミックス | 歩行のフィルムと鏡
- ニューヨーク近代美術館 | 《正方形の周囲で踊る/運動する》
- メトロポリタン美術館 | 《スロー・アングル・ウォーク》と身体表現
- エレクトロニック・アーツ・インターミックス | 《二つのボールを弾ませる》
- エレクトロニック・アーツ・インターミックス | 《スタジオで足踏みする》
- カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館 | ヴァイオリンを弾く初期フィルム
- カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館 | 《コーナーで跳ねる》
- ニューヨーク近代美術館 | 《リップ・シンク》
- バルセロナ現代美術館 | 《蛍光灯を操る》
- グッゲンハイム美術館 | 《パフォーマンス・コリドー》と映像回廊
- グッゲンハイム美術館 | パンツァ・コレクションの作品記録
- Art21 | 《100通りの生と死》と1980年代の作品
- ニューヨーク近代美術館 | 回顧展の作品一覧と所蔵記録
- ホイットニー美術館 | 《グッド・ボーイ/バッド・ボーイ》
- SALT | 《グッド・ボーイ/バッド・ボーイ》の発話構造
- ピノー・コレクション | 《クラウン・トーチャー》
- ローザンヌ州立美術館 | 《ロウ・マテリアル〈MMMM〉》
- サーラス・ギャラリー | 《アンスロ/ソシオ》の展示解説
- ブランドホルスト美術館 | 《ワールド・ピース》
- ディア美術財団 | 《スタジオを地図化する I》
- ディア美術財団 | 《スタジオを地図化する》制作背景
- ガーディアン | 《ロウ・マテリアルズ》の展示批評
- Art21 | 《デイズ》の音響空間
- ペギー・グッゲンハイム・コレクション | 2009年ヴェネツィア・ビエンナーレ
- フィラデルフィア美術館 | 《コントラポスト・スタディーズ》研究図録
- ニューヨーク近代美術館 | 《コントラポスト・スタディーズ》
- ニューヨーク近代美術館 | 2018–2019年回顧展