Bernd & Hilla Becher(ベルント&ヒラ・ベッヒャー)は、1959年から共同制作を始め、西ヨーロッパと北米の消えゆく工業建築を半世紀近く撮影したドイツの写真家ユニットです。高炉、巻上塔、水塔、ガスタンク、冷却塔、サイロ、採炭施設、工場外壁、木組み住宅などを、大判カメラ、白黒フィルム、正面性、均質な曇天といった厳格な条件で撮影し、同種の構造物を複数並べて比較可能な「タイポロジー」として提示しました。個々の建物は用途に従って設計された無名の実用品でありながら、並べて見ると形態の差異が際立ち、機械的な記録と彫刻的な存在感が同時に現れます。
二人の仕事は、単なる産業遺産の記録ではありません。写真を感情的な一枚のイメージとしてではなく、分類、反復、比較、アーカイブからなる一つの方法へ変え、MinimalismやConceptual artと同時代の美術として評価されました。1975年《New Topographics》への参加、1976年からのKunstakademie Düsseldorfでの教育を通じて、Thomas Struth、Andreas Gursky、Thomas Ruff、Candida Höferらへ大きな影響を与えました。1990年Venice Biennaleで写真家でありながら彫刻部門のGolden Lionを受賞したことは、彼らの作品が写真という媒体を越えて理解されていたことを象徴しています。
CONTENTS
- 生涯と制作の変遷
- Bernd Becher――Siegenの工業地帯から
- Hilla Becher――写真技術から出発する
- 1957年Düsseldorf――二つの経験が合流する
- 木組み住宅――最初期の比較
- 撮影条件――比較のために差を減らす
- 「客観性」は自然に生まれるのか
- タイポロジー――並べることで個体差を見る
- 《Anonymous Sculpture》――建築を彫刻として見る
- ランドスケープ――工場全体を一つの関係として見る
- Zeche Zollern――記録から保存へ
- Becherの作品をどう見るか
- 主要作品
- グリッド――同じと違うを同時に見る
- 機能が形をつくる
- 《New Topographics》――風景写真を変える
- 北米――Pennsylvaniaから工業地帯を比較する
- 資料と作品――二つの価値を分けない
- Minimalism/Conceptual artとの接点
- Düsseldorf School――教育による影響
- 1990年Venice Biennale――写真で彫刻賞を受ける
- 後期――単独像と大きな風景
- Erasmus PrizeとHasselblad Award
- 2022–26年――方法そのものを再検討する
- Bernd & Hilla Becherは何を変えたのか
- 略年譜
- 参考資料・出典
生涯と制作の変遷
二人の出発点は同じではなかった
Bernd Becherは1931年8月20日、ドイツ西部のSiegenに生まれました。Gettyの人物記録によれば、1947~50年に塗装職人として働いた後、1953~56年にStuttgartの美術学校で絵画とリトグラフを学び、1957年からDüsseldorfのKunstakademieでタイポグラフィを学びました。Siegenは鉱山と製鉄業の歴史を持つ地域で、家系にも製鉄労働者がいたとThe Metは記しています。幼少期に見ていた鉱山施設や木組み住宅が、のちの主要な被写体になりました。
Hilla Wobeserは1934年9月2日、Potsdamに生まれました。1950年代初頭に写真家として訓練を受け、Hamburgで商業写真の仕事を経験した後、1957年にDüsseldorfへ移ります。1958~61年にはKunstakademie Düsseldorfで学びながら、写真部門の組織にも関わりました。Berndが絵画とグラフィックから出発したのに対し、Hillaはすでに撮影、暗室、大判カメラの技術を持っていました。
Bernd Becher――Siegenの工業地帯から
Berndは当初、自分が育った工業地帯の建物を絵画や素描として残そうとしていました。しかし鉱山や高炉は急速に閉鎖・解体され始めており、絵画では形を十分な精度で記録できないと考えるようになります。2002年Erasmus Prize受賞時のHillaのスピーチによれば、Berndは「若い頃に見た像を紙に残したい」という感情から出発し、より正確な表現を求めて写真へ移っていきました。
この出発点は重要です。Becherの仕事は最初から冷静な分類学として計画されたわけではありません。消えつつある身近な景観への個人的な愛着があり、その愛着を過度な感傷に変えないために、むしろ厳格な撮影方法が必要になりました。感情がないから無表情なのではなく、感情を写真の演出へ直接変換しないという選択でした。
Hilla Becher――写真技術から出発する
HillaはBerndより早く写真を専門技術として学んでいました。Potsdamで育った彼女にとって、Ruhr地方の巨大な機械、火、蒸気、港湾、工場は、宮殿や公園の整った景観とは正反対の環境でした。Erasmus Prizeの受賞スピーチでは、その粗野な工業風景へ惹かれたことを「若い頃の反抗」のような感覚だったと振り返っています。
共同制作においてHillaの役割を「Berndの構想を技術的に撮影した人」と縮小してはいけません。カメラ操作、暗室、光の判断だけでなく、二人は撮影地、撮影位置、作品選択、配列、出版を共同で決定しました。美術館やGettyの作家記録でも、1959年以降の仕事は原則として二人の共同制作として扱われています。
1957年Düsseldorf――二つの経験が合流する
二人は1957年、Kunstakademie Düsseldorfで出会いました。MoMAによれば1959年から正式に共同制作を始め、1961年に結婚します。最初期にはBerndが描いていた工業建築の資料としてHillaに撮影を頼むこともありましたが、写真自体の方が建築の形態を精密に比較できることが明らかになり、次第に写真が作品の中心になりました。
1960年代初頭にはドイツだけでなくオランダ、ベルギー、フランス、イギリスなどへ移動し、水塔、ガスタンク、巻上塔、高炉、石灰窯、工場施設を撮影します。特定の工場の歴史を一件ずつ説明するより、同じ機能を持つ建物が地域や年代によってどのような形へ変化するかを蓄積する方法が形成されました。
木組み住宅――最初期の比較
工業設備だけでなく、Siegen周辺の木組み住宅も最初期の重要な主題です。《Oberdielfer Strasse 14, Oberdielfen》(1960)のような写真では、建物を真正面から撮り、灰色の空を背景にして、窓、柱、梁の配置を明確に見せます。The Metは、木材を製鉄用の木炭へ優先的に使う必要から装飾的な木材利用が制限され、結果として構造そのものが外観へ現れたと説明しています。
つまり木組み住宅も、工場設備と同じ「機能が形を決める建築」として見ることができます。後の《Framework Houses》では複数の住宅を並べ、基本構造の共通性と窓・梁・入口の細かな違いを比較します。住宅という親密なスケールから、巨大な水塔や高炉まで同じ方法が適用されました。
撮影条件――比較のために差を減らす
Becherの写真には明確な規則があります。大判ビューカメラを三脚に据え、被写体を原則として正面から、可能であれば少し高い位置から撮ります。白黒フィルムを使い、強い直射日光や深い影を避け、均質な曇天を背景にします。人物や車のように時代や物語を強く示す要素は可能な限り画面から外されます。
この方法の目的は、建物を「美しく撮る」ことではなく、別の場所で撮った建物と比較できる条件を作ることです。光、天候、視点、画面内の大きさが大きく異なれば、形態の差なのか撮影条件の差なのか分からなくなります。撮影者の表現を減らすことで、建築自体の差異が前面に出るようにしました。
「客観性」は自然に生まれるのか
Becherの写真はしばしば「客観的」と呼ばれます。しかし実際には、この客観性は高度に人工的です。いつ撮るか、どこから撮るか、周囲をどこまで切るか、どの建物を同じカテゴリーへ入れるか、最終的にどの写真を並べるかという選択が大量に存在します。
客観的に見える画面は、撮影者の判断がないのではなく、判断を一定の規則へ変換した結果です。そのため一枚だけを見ると技術資料に近く見えても、複数並べると非常に強い美的判断が見えてきます。類似した形をどの程度近づけ、どの程度違わせるかという編集が、タイポロジー全体のリズムを作ります。
タイポロジー――並べることで個体差を見る
Becherが「タイポロジー」と呼んだ作品では、同じ機能を持つ複数の建物を等間隔のグリッドに並べます。《Water Towers》《Winding Towers》《Industrial Façades》などでは、一枚ずつでは把握しにくい類似と差異が視覚的に現れます。
MoMAは《Water Towers》について、複数の塔を並べることで「理想形」のような共通構造が浮かぶ一方、各塔固有の特徴も保存されると説明しています。分類は個体差を消すためではなく、むしろ差を見るための仕組みです。同じ用途なら同じ形になるはずなのに、地域、材料、技術、年代によって少しずつ異なる。その変化を視覚的に読むことが作品になります。
《Anonymous Sculpture》――建築を彫刻として見る
1969年、Kunsthalle Düsseldorfで《Anonyme Skulpturen》が開催され、1970年には《Anonyme Skulpturen. Eine Typologie technischer Bauten》が出版されました。「匿名の彫刻」という言葉は、設計者の個性を表すためではなく、貯蔵、冷却、巻上げ、燃焼といった機能に従って形が決まった建築を指します。
MoMA所蔵《Anonymous Sculpture》(1963–70)は30点の写真とテキストからなり、水塔、ガスタンク、工業施設などをグリッド状に配置します。作者のジェスチャーを前面に出す彫刻とは正反対の建築が、反復して並べられることで彫刻的な形態として見えてきます。ここで写真は、建物の代理画像であると同時に、壁面全体を構成する一つの作品になります。
ランドスケープ――工場全体を一つの関係として見る
Becherは個々の建物を孤立させたタイポロジーだけを制作したわけではありません。MoMAの2008年《Landscape/Typology》が強調したように、鉱山や製鉄所全体を広い画面で撮るランドスケープも長く制作しました。
《Fforchaman Colliery》《Hannover Mine 1/2/5》《Coal Mine, Bear Valley》《Duisburg-Bruckhausen》などでは、巻上塔、高炉、煙突、倉庫、線路、住宅が互いにどのような位置関係にあるかが分かります。タイポロジーが一つの部品を比較する方法なら、ランドスケープは部品が一つの産業システムとしてどう接続されるかを見る方法です。MoMAはこの二形式を、写真による記述の両極として位置づけています。
Zeche Zollern――記録から保存へ
二人の写真は、後に産業遺産の保存にも具体的な影響を与えました。DortmundのZeche Zollern II/IVは1960年代末に解体の危機にありましたが、LWL-Museum Zeche Zollernの公式史は、保存に尽力した主要人物として建築家Hans Paul KoellmannとBernd & Hilla Becherを挙げています。
1969年には機械館の保存運動が進み、同年末に重要部分が文化財保護の対象となりました。この動きはNorth Rhine-Westphaliaで技術遺産保護の制度が整備される一つの契機にもなりました。Becherの目的は保存運動だけではありませんでしたが、解体前に撮影された写真が「何が失われるのか」を具体的に可視化し、工業建築を文化的価値のある対象として見る視線を広げました。
Becherの作品をどう見るか
一枚だけを見ると、まず対象の構造を確認できます。しかしBecherの核心は複数を見るところにあります。同じ種類の建物を順に見て、円筒、脚、屋根、配管、支柱の位置を比較すると、それぞれが驚くほど異なることが分かります。
次に「何が写っていないか」を見ることも重要です。人物、作業、煙、ドラマティックな光が排除され、建物の用途や危険な労働環境を直接説明しません。この省略によって写真は中立に見えますが、実際には産業社会を形作った巨大な装置だけが異様な存在感で残ります。
最後に、グリッド全体を一枚の作品として見る必要があります。個々の写真は資料として機能しますが、配置された瞬間に反復、間隔、形態の変化が生まれ、MinimalismやConceptual artに近い視覚経験になります。記録と美術のどちらかに分類するより、その二つを分離できなくしたところにBecherの独自性があります。
主要作品
1960年のSiegenの木組み住宅から、ガスタンク、《Anonymous Sculpture》、South WalesとFranceの鉱山施設、送電塔、Ruhr地方とPennsylvaniaの工業ランドスケープ、16点組《Water Towers》、《Industrial Façades》、単独の水塔、1999年のDuisburg-Bruckhausenまで、Becherの比較・分類・風景という三つの方法が追える12点を選びました。
オーバーディールファー通り14番地、オーバーディールフェン
Oberdielfer Strasse 14, Oberdielfen / 1960 / ゼラチン・シルバー・プリント / 36 × 30.2 cm
The Metropolitan Museum of Art, New York
Siegen工業地域の木組み住宅を正面から撮った最初期の代表作。窓、梁、柱の構造を灰色の空の前に明確に示し、後のタイポロジーに通じる比較可能な撮影方法がすでに現れています。工業設備だけでなく、労働者の生活環境も「機能が形を決める建築」として見ていたことを示します。
球形ガスタンク
Gas Tank Sphere / 1963 / ゼラチン・シルバー・プリント / 19.5 × 15.5 cm
The Museum of Modern Art, New York
球形のガスタンクを単独で撮影した初期作品。機能のために作られた球体と支持脚が、均質な背景によって幾何学的な彫刻のように見えます。工業設備を装飾のない「匿名の彫刻」として見るBecherの視線が端的に現れます。
匿名の彫刻
Anonymous Sculpture / 1963–1970 / ゼラチン・シルバー・プリント30点、テキストパネル / 全体 207.3 × 188.4 cm
The Museum of Modern Art, New York
水塔、ガスタンク、工業施設などを30点の写真とテキストで構成した初期の重要作。分類と反復そのものを壁面作品へ変え、写真を個別の記録からConceptual art/Minimalismに接続する形式へ押し広げました。1970年の同名写真集とも密接に関係します。
フォルハマン炭鉱、ロンダ渓谷、南ウェールズ、イギリス
Fforchaman Colliery, Rhondda Valley, South Wales, United Kingdom / 1966 / ゼラチン・シルバー・プリント / 46 × 58.5 cm
The Museum of Modern Art, New York
South Walesの炭鉱全体を広い画面で捉えたランドスケープ。個別の巻上塔を切り出すタイポロジーとは異なり、建物、坑道設備、斜面、周囲の空間の関係を記録します。Becherの制作がグリッドだけではなく、産業システム全体を記述する風景写真を含んでいたことを示します。
巻上塔、2つの視点、フォス・ランス第7坑、ウィングル、フランス
Winding Towers, 2 Views, Fosse Lens No 7, Wingles, Nord et Pas-de-Calais, France / 1967 / ゼラチン・シルバー・プリント2点 / 各 23.9 × 18 cm/マウント 26.9 × 53.9 cm
The Metropolitan Museum of Art, New York
同一の巻上塔を二方向から撮影し、一つの構造物を平面図的に理解する方法を示した作品。後の多数の建物を並べるタイポロジーだけでなく、一個体を複数方向から記述する比較方法もBecherが試していたことが分かります。
デュッセルドルフ近郊の高圧送電鉄塔
High Tension Pylon near Düsseldorf, Germany / 1969 / ゼラチン・シルバー・プリント / 39.7 × 29.8 cm
The Metropolitan Museum of Art, New York
送電鉄塔を灰色の空の前に孤立させ、構造線を明確に見せた作品。The Metは、彼らの分類方法を19世紀的な分類学を現代化したものとして位置づけています。鉄塔の機能構造が、そのまま幾何学的な線の構成として現れます。
ハノーファー鉱山1/2/5、ボーフム=ホルデル、ルール地方
Hannover Mine 1/2/5, Bochum-Hordel, Ruhr Region, Germany / 1973 / ゼラチン・シルバー・プリント / 46.9 × 57.6 cm
The Museum of Modern Art, New York
Ruhr地方の鉱山を複数の構造物が連なる全景として捉えた作品。巻上塔や建物の世代差が同じ画面に入り、個々の「型」ではなく産業施設が時間をかけて増築・変化してきたことが見えます。後に一部が失われ、写真は歴史資料としても重要になりました。
炭鉱、ベア・ヴァレー、スクーカル郡、ペンシルヴェニア、アメリカ
Coal Mine, Bear Valley, Schuylkill County, Pennsylvania, United States / 1974 / ゼラチン・シルバー・プリント / 44.7 × 59.7 cm
The Museum of Modern Art, New York
1970年代の北米撮影を代表するランドスケープ。ヨーロッパと同じ方法でPennsylvaniaの炭鉱を撮ることで、地域ごとの産業建築を比較可能な国際的アーカイブへ拡張しました。風景の中で建物、地形、交通設備が一体の産業システムとして見えます。
水塔
Water Towers / 1963–1980 / ゼラチン・シルバー・プリント16点 / 各 40.4 × 31 cm
The Metropolitan Museum of Art, New York
16点の水塔を同条件で並べた大規模なタイポロジー。The Metは1980年に本作を収蔵し、同館におけるBecher作品の最初の取得となりました。共通する機能から「理想形」を想像できる一方、脚部、タンク、屋根の形が一つずつ異なり、分類が個体差を浮かび上がらせます。
工業建築のファサード
Industrial Façades / 1978–1992 / ゼラチン・シルバー・プリント21点 / 各 31 × 40.5 cm
The Museum of Modern Art, New York
約14年間にわたって撮影された21点の工業建築ファサードをまとめたシリーズ。正面性を徹底することで、窓、柱、壁面、開口部が抽象的な格子として見えてきます。一つの撮影旅行ではなく、長期間のアーカイブから同型を抽出するBecherの方法を代表します。
水塔、ヴェルヴィエ、ベルギー
Water Tower, Verviers, Belgium / 1983 / ゼラチン・シルバー・プリント / 60.6 × 50.4 cm
The Metropolitan Museum of Art, New York
一基の水塔を大きな単独像として見せる作品。グリッドの一要素として比較するときとは異なり、支持構造とタンクの重量感が一つの彫刻として強く立ち上がります。Becherの仕事が分類だけでなく、個別構造物の造形そのものへの強い関心を持っていたことを示します。
デュイスブルク=ブルックハウゼン、ルール地方、ドイツ
Duisburg-Bruckhausen, Ruhr Region, Germany / 1999 / ゼラチン・シルバー・プリント / 49.1 × 60.9 cm
The Museum of Modern Art, New York
後期の工業ランドスケープを代表する作品。巨大な製鉄・工業地域を広く捉え、個々の設備を分類する視線から、それらが都市と地形をどのように組み替えているかへスケールを広げています。2008年MoMA《Landscape/Typology》でも、タイポロジーと並ぶ重要な形式として示されました。
グリッド――同じと違うを同時に見る
Becherの作品で最も知られる形式は、複数の写真を規則的に並べるグリッドです。この配置は一見すると科学図鑑や標本箱に近く、鑑賞者へ一枚の「傑作」を選ばせません。すべての写真が同じ大きさ、同じ間隔、同じ重要度を持ちます。
しかしグリッドが機械的だからといって、鑑賞体験が単調になるわけではありません。水塔なら円筒の太さ、脚の数、屋根の形、支持構造が次々に変わり、巻上塔なら鉄骨の傾斜や車輪の位置が異なります。同じ種類だと思っていた構造物が、並べることで個性的に見えてきます。
この逆説がタイポロジーの核心です。分類は違いを消すのではなく、違いを見えるようにします。MoMAやThe MetがBecherを写真と現代美術を橋渡しした作家として位置づける理由も、撮影だけでなく、この比較の形式そのものを作品化した点にあります。
機能が形をつくる
水塔、巻上塔、高炉、ガスタンク、冷却塔は、それぞれ異なる目的を持ちます。水を蓄える容器には重力と圧力への対応が必要で、巻上塔には坑道へ人や資材を上下させる機構が必要です。形はまず機能によって決まります。
しかし同じ機能でも唯一の形にはなりません。利用できる材料、地域の建設技術、建設年代、敷地条件、企業の設計方針によって形態が変化します。Becherはその差異を作者のデザインとしてではなく、技術史と地域性が無意識に作った造形として見ました。
「anonymous sculptures」という呼び方にはこの考えが含まれています。彫刻家が美的形態として設計したわけではないのに、結果として非常に多様な造形が生まれる。作者性のない形を美術として見ることで、近代美術が重視してきた個人的表現の概念にも距離を置きました。
《New Topographics》――風景写真を変える
1975年、George Eastman HouseでWilliam Jenkinsが企画した《New Topographics: Photographs of a Man-Altered Landscape》にBernd & Hilla Becherは参加しました。Robert Adams、Lewis Baltz、Stephen Shore、Nicholas Nixonらとともに、人間によって変形された風景を、劇的な光や崇高な自然の美から距離を取って撮影する新しい態度が提示されました。
Becherの仕事はこの展覧会以前から形成されていましたが、工場や鉱山を無表情に撮る方法は、郊外住宅、駐車場、道路、造成地を撮るアメリカの写真家たちと共鳴しました。George Eastman Museumは、後にこの展覧会を風景写真のパラダイムを変えた出来事として再評価しています。
従来の風景写真が「自然」を中心に組み立てられてきたのに対し、Becherでは産業設備そのものが風景です。人間が自然を変えた痕跡を副次的要素ではなく主要な被写体にしたことで、後の建築写真、環境写真、コンセプチュアルな風景写真へ大きな影響を与えました。
北米――Pennsylvaniaから工業地帯を比較する
Gettyの人物記録によれば、Becherは1974–75年と1977–78年にPennsylvaniaを中心にアメリカで撮影しました。《Coal Mine, Bear Valley, Schuylkill County, Pennsylvania》(1974)は、その時期を代表するランドスケープです。
ヨーロッパと北米の工業建築を同じ形式で撮ることで、国家ごとの「建築様式」を説明するのではなく、同じ機能が異なる産業文化でどのような形になるかを比較できるようになります。水塔やサイロなどは特に、地域ごとの材料と構造の差が大きく現れます。
この越境的なアーカイブによって、彼らの仕事はRuhr地方の郷土記録ではなくなりました。近代化が各地域へどのような装置を生み出し、それらが20世紀後半にどのように消えていったかを比較する、国際的な産業建築の視覚アーカイブへ拡張しました。
資料と作品――二つの価値を分けない
Becherの写真には、実際に失われた建物の記録として大きな資料価値があります。Erasmus Prize Foundationは、当初の目的ではなかったとしても、作品が産業遺産研究の重要な情報源になったことを評価しています。
一方で、資料価値だけなら撮影者の統一された視点やグリッド配置は必要ありません。技術図面、建築史資料、工場記録でも情報は残せます。Becherの写真が美術作品として成立するのは、情報を保持しながら、鑑賞者が形の比較を身体的に経験できるように編集されているからです。
写真の「記録」と「表現」を対立させず、記録方法そのものが表現になる。この考え方は20世紀後半の写真に大きな影響を与え、彼らの学生たちにも異なる形で受け継がれました。
Minimalism/Conceptual artとの接点
1960年代末から1970年代初頭、Becherは写真界だけでなく、Konrad Fischer GalleryやSonnabend Galleryを通じてMinimalism、Conceptual artの作家たちと同じ文脈で紹介されました。1970年にはMoMA《Information》へ参加し、1972年にはNew YorkのSonnabend Galleryで北米初の個展を開催します。
Carl AndreやSol LeWittらの作品とBecherの仕事に共通するのは、作家の感情的な筆致より、反復、単位、規則、システムを重視する点です。水塔の写真一枚が「表現」なのではなく、水塔というカテゴリーをどう定義し、どの単位をどう並べるかが作品の構造になります。
ただしBecherは抽象的なシステムだけを扱ったわけではありません。被写体は実在し、消滅の危機にあり、特定の産業と労働の歴史を持っています。Conceptual art的な分類と、具体的な歴史資料としての重さが同時に存在することが、彼らの仕事を単純な形式主義から分けています。
Düsseldorf School――教育による影響
1976年、Bernd BecherはKunstakademie Düsseldorfで初の写真教授に任命され、Hillaも教育に深く関わりました。The Metは、Thomas Struth、Andreas Gursky、Thomas Ruff、Candida Höferらを、二人の教育から生まれたDüsseldorf Schoolの主要作家として挙げています。
重要なのは、学生たちがBecherと同じ工場写真を作ったわけではないことです。Struthは都市と美術館、Gurskyは巨大な群衆と経済システム、Ruffは肖像やデジタル画像、Höferは公共建築の内部へ向かいました。継承されたのは題材ではなく、シリーズで考えること、撮影条件を制御すること、感情的な演出を抑えながら対象を精密に観察する態度でした。
Erasmus Prizeの評価では、Becherが三世代にわたる写真家へ影響を渡したことが受賞理由の一つに挙げられています。写真学校という制度ではなく美術アカデミーの中で写真を教えたことも、写真を現代美術の一媒体として位置づける上で大きな意味を持ちました。
1990年Venice Biennale――写真で彫刻賞を受ける
1990年の第44回Venice Biennaleで、Bernd & Hilla Becherは彫刻部門のInternational Prize/Golden Lionを受賞しました。写真だけで制作してきた二人が彫刻賞を受けたことは、一見するとカテゴリーの矛盾です。
しかし「Anonymous Sculpture」という考え方を見れば、この受賞は非常に象徴的です。彼らは工業建築を写真へ変換するだけでなく、複数の建物の形を比較し、壁面上で一つの立体的な類型として経験させていました。Guggenheimも《Water Towers》の解説で、この彫刻賞を、既存の美的カテゴリーを越えた彼らの成果を示す出来事として紹介しています。
写真を彫刻へ「格上げ」したという意味ではありません。媒体の分類より、作品がどのような思考と視覚経験を作るかを優先した評価です。この出来事は、写真が現代美術の制度へ完全に入り込んだ1990年代の状況を象徴しています。
後期――単独像と大きな風景
Becherはグリッドだけでなく、後期には大型の単独写真やランドスケープも積極的に展示しました。《Water Tower, Verviers, Belgium》(1983)のような写真を大きく見ると、比較表の一要素だった構造物が、単体の彫刻として強い存在感を持ちます。
1999年の《Duisburg-Bruckhausen, Ruhr Region, Germany》では、個々の設備ではなく、巨大な工業地域全体を広く撮っています。建物の種類、道路、煙突、配管が一つの生態系のように広がり、産業が単独の機械ではなく都市景観そのものを作っていることが見えてきます。
MoMAが2008年に《Landscape/Typology》で二形式を並べたのは、Becherの作品をグリッドだけで理解しないためでした。部品を分類する視線と、部品が結合した場所全体を見る視線は、同じアーカイブの異なるスケールです。
Erasmus PrizeとHasselblad Award
2002年、Bernd & Hilla BecherはErasmus Prizeを受賞しました。選考理由では、長期にわたり産業建築を体系的に記録したこと、写真と美術の境界を橋渡ししたこと、産業遺産の視覚的記録を残したこと、さらに複数世代の写真家へ影響を与えたことが評価されました。二人は賞金を自分たちの作品の保存と整理に使いました。
2004年にはHasselblad Foundation International Award in Photographyを受賞します。Foundationは二人を「現代でもっとも影響力のある作家の一組」とし、40年以上にわたる産業遺産の記録と、機能建築を体系的にグリッドへ組織する方法、Becher Schoolへの影響を評価しました。
これらの受賞は、彼らが写真家、コンセプチュアル・アーティスト、産業遺産の記録者、教育者という複数の領域で評価されてきたことを示します。一つのジャンルへ収まらないこと自体が、Becherの歴史的位置を表しています。
2022–26年――方法そのものを再検討する
Berndは2007年に死去し、その後Hillaは作品整理や展覧会への協力を継続しました。Hillaは2015年に死去しています。2022年、The Metropolitan Museum of Artは二人の死後初となる大規模回顧展《Bernd & Hilla Becher》を開催しました。
The Met展では、よく知られたグリッドだけでなく、共同制作以前の作品、木組み住宅、一つの建物を複数方向から撮ったシリーズ、出版物、関連資料まで展示し、「最初から完成された方法があった」という単純な歴史を修正しました。タイポロジーが長い試行錯誤から形成されたことが明確になりました。
さらに2025年9月から2026年2月まで、KölnのPhotographische Sammlung / SK Stiftung Kulturでは、Bernd & Hilla Becher Studioと共同で《Geschichte einer Methode(History of a Method)》が開催されました。初期作品、《Anonymous Sculpture》、木組み住宅の異なる表現方法などを通じて、作品そのものだけでなく「方法がどう作られたか」を再検討しています。
Bernd & Hilla Becherは何を変えたのか
第一に、写真を分類の装置へ変えました。一枚の名作を作るのではなく、同じ条件の写真を長期間蓄積し、複数を並べることで意味を作ります。撮影、アーカイブ、編集、展示が分離しない制作方法を確立しました。
第二に、「客観的写真」を新しい意味で更新しました。感情を排除した機械的記録ではなく、主観的な判断を一定の規則へ変換することで、比較可能性を作りました。客観性を写真の自動的な性質ではなく、意識的な制作方法として扱っています。
第三に、工業建築の見方を変えました。設計者の名前が知られない水塔や高炉を、単なる古い設備ではなく、形態を比較できる「匿名の彫刻」として提示しました。その視線は産業遺産保存にも影響し、Zeche Zollernのような建築が文化財として認識される流れと具体的に接続しました。
第四に、写真と彫刻、写真とConceptual artの境界を弱めました。グリッドの反復と規則性はMinimalismと共鳴し、分類という操作はConceptual artと結びつきます。1990年Venice Biennaleで彫刻賞を受けたことは、この越境を象徴しています。
第五に、風景写真の対象を変えました。自然の雄大さではなく、鉱山、製鉄所、送電塔、工場、郊外の産業設備を風景として扱い、《New Topographics》以後の「人間によって改変された風景」という考え方へ強い影響を与えました。
第六に、教育によって写真史そのものを変えました。Struth、Gursky、Ruff、Höferらはそれぞれ異なる方向へ進みましたが、シリーズ、統制された視点、精密な観察、大型プリント、類型的思考という原理を発展させました。Düsseldorf Schoolが世界的な現代写真の中心になった背景に、Becherの教育があります。
そして最も重要なのは、二人が「見るための条件」を作品にしたことです。同じものを同じように撮るという単純な規則を長期間続けることで、普段なら気づかない差異が現れます。写真家が何かを劇的に表現するのではなく、鑑賞者自身が比較し、発見するための構造を作る。その転換が、Bernd & Hilla Becherの最大の遺産です。
略年譜
- 1931
- 8月20日、Bernd BecherがSiegenに生まれる。
- 1934
- 9月2日、Hilla WobeserがPotsdamに生まれる。
- 1947–1950
- BerndがSiegenで塗装職人として働く。
- 1950年代初頭
- HillaがPotsdamで写真家として訓練を受け、その後Hamburgで商業写真の仕事を経験。
- 1953–1956
- BerndがStuttgartの美術学校で絵画とリトグラフを学ぶ。
- 1957
- BerndがKunstakademie Düsseldorfでタイポグラフィを学び始める。HillaもDüsseldorfへ移り、二人が出会う。
- 1959
- 共同制作を本格的に開始。工業建築とSiegen周辺の木組み住宅を体系的に撮影し始める。
- 1960
- 《Oberdielfer Strasse 14, Oberdielfen》など初期木組み住宅作品を制作。
- 1961
- 結婚。ドイツ、オランダ、ベルギーなどで工業建築の記録を拡大。
- 1963
- 《Gas Tank Sphere》などを制作。水塔、ガスタンク、石灰窯などカテゴリー別の撮影が進む。
- 1966–1967
- South Wales、Franceなどヨーロッパ各地の炭鉱・巻上塔を撮影。
- 1967
- Die Neue Sammlung, Münchenで《Industriebauten 1830–1930》を開催。
- 1969
- Kunsthalle Düsseldorfで《Anonyme Skulpturen》。Zeche Zollern II/IVの記録と保存運動にも関わる。
- 1970
- 写真集《Anonyme Skulpturen. Eine Typologie technischer Bauten》刊行。MoMA《Information》に参加。Konrad Fischer Galleryでも個展。
- 1972
- New YorkのSonnabend Galleryで北米初の個展。documenta 5に参加。
- 1974–1975
- Pennsylvaniaを中心に北米の鉱山・工業施設を撮影。
- 1975
- George Eastman House《New Topographics: Photographs of a Man-Altered Landscape》に参加。
- 1976
- BerndがKunstakademie Düsseldorf初の写真教授に就任。Hillaとともに後のDüsseldorf Schoolの写真家たちを指導。
- 1977–1978
- 再びPennsylvaniaなど北米で撮影。1977年に《Framework Houses of the Siegen Industrial Region》刊行。
- 1980
- The Metが16点組《Water Towers》を収蔵。同館によるBecher作品の最初の取得。
- 1989
- Dia Center for the Artsでの展示に際し、タイポロジーに加えて大きな単独写真を列状に見せる展示方法を展開。
- 1990
- 第44回Venice Biennaleで彫刻部門のInternational Prize/Golden Lionを受賞。
- 1990年代
- Ruhr地方や欧米各地で撮影を継続。《Industrial Façades》など長期間のシリーズを完成させる。
- 1999
- 《Duisburg-Bruckhausen, Ruhr Region, Germany》など後期ランドスケープを制作。
- 2002
- Erasmus Prize受賞。賞金を作品の保存・整理へ使用。
- 2004
- Hasselblad Foundation International Award in Photography受賞。
- 2007
- 6月22日、Bernd Becherが死去。Hillaは作品整理と展覧会活動を継続。
- 2008
- MoMAで《Bernd and Hilla Becher: Landscape/Typology》。グリッドと工場全景写真を対比して展示。
- 2015
- 10月10日、Hilla BecherがDüsseldorfで死去。
- 2022
- The Metropolitan Museum of Artで二人の死後初の大規模回顧展《Bernd & Hilla Becher》。
- 2025–2026
- Photographische Sammlung / SK Stiftung Kulturで《Bernd & Hilla Becher – Geschichte einer Methode》。制作方法の形成過程を再検討。
参考資料・出典
本ページはThe Metropolitan Museum of Art、The Museum of Modern Art、Solomon R. Guggenheim Museum、Dia Art Foundation、Getty Research Institute、LWL-Museum Zeche Zollern、George Eastman Museum、Praemium Erasmianum Foundation、Hasselblad Foundation、Photographische Sammlung / SK Stiftung Kultur等の美術館・公的機関・研究機関の資料を参照し、ART LIBRARYが独自に執筆しました。Bernd & Hilla Becherを「無機質な工場写真」の一語へ還元せず、共同制作の成立、木組み住宅、タイポロジー、ランドスケープ、産業遺産保存、《New Topographics》、Minimalism/Conceptual art、Düsseldorf School、近年の方法論的再評価までを連続して構成しています。原文の全文翻訳ではありません。
- The Metropolitan Museum of Art — Bernd & Hilla Becher, 2022
- The Met — Bernd & Hilla Becher Press Release
- The Museum of Modern Art — Bernd and Hilla Becher: Landscape/Typology, 2008
- MoMA — Recent Acquisition: Winding Towers
- Solomon R. Guggenheim Museum — Water Towers
- Dia Art Foundation — Bernd and Hilla Becher
- Getty Research Institute — Bernd Becher, ULAN
- Getty Research Institute — Hilla Becher, ULAN
- LWL-Museum Zeche Zollern — History
- George Eastman Museum — New Topographics
- Praemium Erasmianum Foundation — Bernd and Hilla Becher, Erasmus Prize 2002
- Hasselblad Foundation — Bernd and Hilla Becher, 2004
- Photographische Sammlung / SK Stiftung Kultur — Geschichte einer Methode, 2025–26
- The Met — Oberdielfer Strasse 14, Oberdielfen, 1960
- MoMA — Gas Tank Sphere, 1963
- MoMA — Anonymous Sculpture, 1963–1970
- MoMA — Fforchaman Colliery, 1966
- The Met — Winding Towers, 2 Views, 1967
- The Met — High Tension Pylon near Düsseldorf, 1969
- MoMA — Hannover Mine 1/2/5, 1973
- MoMA — Coal Mine, Bear Valley, 1974
- The Met — Water Towers, 1963–80
- MoMA — Industrial Façades, 1978–92
- The Met — Water Tower, Verviers, Belgium, 1983
- MoMA — Duisburg-Bruckhausen, Ruhr Region, Germany, 1999
資料確認日:2026年10月4日 / ART LIBRARY