オーギュスト・ロダンは、人間の身体を通して、思考、欲望、苦痛、ためらいを表したフランスの彫刻家です。《考える人》《接吻》《カレーの市民》は広く知られていますが、その仕事は、感情豊かな人物を巧みに再現したという説明だけでは収まりません。粘土で形をつくり、石膏に移し、身体の一部を切り離して組み合わせ、同じ形を別の作品へ展開する制作によって、彫刻の完成とは何かを問い直しました。
ロダンの彫刻は、写真で見た正面の姿だけでは捉えきれません。周囲を歩くと、肩の傾き、背中の面、手と身体の間の空間が変わって見えます。表面の凹凸は光を受け、静止した素材のなかに動きや緊張を生みます。身体の形を読むことと、素材に触れる光を見ることが結びつくところに、ロダンを繰り返し鑑賞する魅力があります。
CONTENTS
オーギュスト・ロダンとは
人物彫刻を、身体全体の表現へ進める
ロダンは1840年にパリで生まれ、1917年にムードンで亡くなりました。19世紀後半から20世紀初頭に活動し、記念碑、肖像、神話や文学をもとにした人物群、手や胴体だけの作品まで、幅広い彫刻を残しています。伝統的な人物表現を出発点にしながら、理想的に整った身体や、英雄を称える明快な姿だけを目指したわけではありません。
顔の表情だけでなく、背中、脚、手、首の傾きにも感情が宿ります。身体を部分ごとに見ると、曲がる、伸びる、重さを支える、力をためるという働きが見えてきます。ロダンでは、人物が何を考えているかという物語と、それを形がどのように感じさせるかという問題が、強く結びついています。
写実と変形は、対立するものではない
《青銅時代》には、生身のモデルを丹念に観察した形が見られます。一方、《三つの影》や《バルザック記念像》では、身体の傾きや衣服の量が、通常の自然な姿を越える力をもっています。ロダンの仕事を、写実から抽象へ一直線に進む物語にするより、観察と変形を使い分けながら、身体の表現を探ったものとして見るほうが理解しやすくなります。
正確な身体が、必ずしも強い表現を生むとは限りません。首を大きく傾ける、手を目立たせる、身体を衣服で包むといった選択が、見る人に独特の重みを伝えます。ロダンは、モデルの形を学ぶことと、彫刻として形を組み立て直すことの両方に取り組みました。
一つの彫刻に、複数の制作段階がある
ロダンの作品を調べると、同じ題名に複数の大きさや素材があり、制作年も一つに定まらない場合があります。これは、粘土の原型、石膏、拡大された形、大理石版、ブロンズ鋳造が、別の段階として存在するためです。原型の構想年と、所蔵される物体がつくられた年を分けると、記録の違いが読みやすくなります。
たとえば《考える人》には、《地獄の門》のために構想された小さな人物と、後に拡大された大きな作品があります。《地獄の門》のブロンズ鋳造は、ロダンの死後に行われました。題名だけで作品を同一視せず、どの大きさ、どの素材、どの鋳造を見ているか確かめることも、彫刻を理解する一部です。
生涯と制作の歩み
長い修業と装飾彫刻の仕事
ロダンは若いころに素描と造形を学びましたが、エコール・デ・ボザールの入学試験には三度合格できませんでした。その後、装飾の仕事などによって生活を支え、彫刻家カリエ=ベルーズの工房でも働きます。近代彫刻の巨匠という後の評価から見ると意外ですが、その出発点には、長い修業と、工房での実務がありました。
装飾彫刻の制作は、独自の芸術とは無関係な下積みではありませんでした。一つの形を複数に移し、細部を変え、別の構成へ用いる作業に接することは、後の制作にも関わります。完成作を一つずつ孤立してつくるだけでなく、型や既存の形を使いながら新しい関係を生む考え方が、実務の経験と結びついていました。
《青銅時代》をめぐる疑惑
1877年に発表された《青銅時代》は、ロダンの名前を広く知らしめる転機となります。身体の表現が生々しかったため、生身のモデルから直接型を取ったのではないかという疑いを受けました。ロダンは、モデルの観察と塑造による仕事であることを示す必要に迫られます。
この事件は、写実が評価される一方で、作者の仕事の仕方まで問題になるという、彫刻特有の状況を示します。見た目が実物に近いことと、どのように形をつくったかは別です。ロダンは、身体の再現の精度だけでなく、観察を自らの造形へ変える能力を問われました。その後の大きさの変更や、表現を強めた作品を見ると、この経験とは異なる方向へ進む制作も見えてきます。
国家の注文と《地獄の門》
1880年、ロダンは計画中の装飾美術館の入口を飾る扉の注文を受けます。《地獄の門》は、ダンテの『神曲』などの文学への関心と結びつき、長年にわたる制作の中心となりました。当初の注文に応えるための作品でありながら、単純に納期までに仕上げて設置される扉にはなりませんでした。
門のために生まれた人物や群像は、独立した彫刻へ展開されます。《考える人》《接吻》《三つの影》などを門との関係で見ると、ロダンの作品が、互いに切り離された発明だけでできていないことがわかります。長期的な一つの仕事が、別の作品を生む場にもなったのです。
工房の拡大とカミーユ・クローデル
制作が増えると、ロダンの工房にはさまざまな協力者が集まりました。カミーユ・クローデルは、弟子、助手、共同で探究する彫刻家として重要な存在です。二人には親密な関係もありましたが、その話だけを中心にすると、クローデル自身の制作と、工房での具体的な協働が見えにくくなります。
クローデルの作品は、ロダンの作品に付随する資料ではなく、独自の造形をもつ仕事です。同じ制作環境で交わされた観察や技術、身体表現への関心を知ることと、作品を一人の作者に還元することは区別する必要があります。ロダンの大きな仕事を支えた工房の活動を見ると、彫刻が複数の人の手と判断によって実現することがわかります。
記念碑の注文と、公的な評価
1880年代から1890年代には、《カレーの市民》や《バルザック記念像》など、公の記憶に関わる仕事が重要になります。しかし、大きな注文を得たことは、その結果が無条件に受け入れられたことを意味しません。人物をどう称えるべきか、記念碑はどんな姿であるべきかという期待と、ロダンの造形はしばしば衝突しました。
《バルザック記念像》が1898年に示されたとき、注文主はそれを受け入れませんでした。ロダンの彫刻は、現在の美術館で見る代表作になる前に、公共の場所へ置くにふさわしい表現をめぐる議論の対象だったのです。作品の新しさは、形の見え方だけでなく、何を記念し、誰へ向けて示すかという問題とも関係しています。
晩年と美術館の設立
20世紀に入ると、ロダンの評価は国際的に広がり、作品の大きな拡大や、部分像の展開も続きました。1900年のパリでの展覧会は、その幅広い仕事を示す重要な機会でした。完成した大作だけでなく、制作の蓄積を一つのまとまりとして見ることが、彼の評価に関わっていきます。
1916年、ロダンは、美術館を設立するために作品などをフランス国家へ寄贈しました。1917年に亡くなり、パリのロダン美術館は1919年に公開されます。原型や型、素描、写真などを含む資料の保存は、完成作だけではわからない制作を後世に伝えることになりました。その遺産は、作品を展示することと、制作史を研究することの両方を支えています。
粘土、石膏、大理石、ブロンズ
塑造――加えることで形をつくる
ロダンの制作の中心にあるのが、粘土を用いて形をつくる塑造です。石を外側から削る方法とは異なり、粘土では加えたり取り去ったりしながら、面や量を調整できます。身体の姿勢、筋肉の関係、表面の起伏は、一度の決定ではなく、修正を重ねるなかで探られます。
その結果、作品の表面には、滑らかに磨いた均一な肌とは異なる部分が現れます。凹凸を、描写が不十分な場所とだけ見る必要はありません。形をつくる過程の働きが、光を細かく分け、面の方向を見えやすくしている場合があります。静止した素材に生命感が生まれる理由を、顔の表情だけでなく、表面の構造から考えることができます。
石膏は、保存と変更のための材料
粘土の形を石膏へ移すと、制作のある状態を保ち、別の作業へ用いることができます。石膏は、完成したブロンズの前に置かれるだけの仮の姿ではありません。身体の一部を保存し、複数につくり、違う向きに置き、別の部分と組み合わせる制作に、重要な役割を果たしました。
同じ石膏の人物でも、向きや組み合わせが変われば、作品の意味は変わります。身体が誰を表すかという物語より先に、姿勢や量の関係を試すことが可能になるのです。ロダンの工房では、過去の形が、終わった仕事の残りではなく、次の制作に向けた材料になっていました。
大理石彫刻は、原型を石へ移す仕事
ロダンの大理石作品を、すべて本人が一人で石を彫り出したものと理解するのは適切ではありません。専門の彫り手が、原型の寸法や基準点を石へ移し、作者の指示に沿って制作する工房の仕組みがありました。ロダン美術館の《ダナイード》の記録には、ジャン・エスクーラが大理石を彫ったことが明記されています。
この協働は、作者の創作を無効にするものではありません。原型の構想、形の修正、素材へ移す過程、表面の仕上げには、異なる役割があります。石の硬さを身体の柔らかさへ変える仕事は、設計を忠実に写すだけでなく、素材に適した判断も必要とします。作品の作者と、実現を支えた職人の仕事を、両方知ることが大切です。
ブロンズは、彫った金属ではない
ブロンズ像は、通常、金属の塊を外側から削って全体の形をつくったものではありません。原型から型を取り、溶かした金属を鋳込む工程によって制作されます。砂型鋳造と、蝋を用いる方法など、複数の技法があります。ロダンの時代の作品を、現在の一つの技法だけで説明しないことも必要です。
鋳造後には、表面を整える作業や色味を調整する仕上げが行われます。同じ原型に基づいていても、鋳造時期、鋳造所、表面の仕上げによって、個々の像の見え方には違いが生じます。鑑賞者が目にする物体には、作者の原型に加え、その形を素材へ移した制作の歴史が含まれています。
《地獄の門》――彫刻を生む制作の場
扉の形式と、密集する身体
《地獄の門》は、扉という建築的な形式のなかへ、多くの人物を配置した作品です。最初に全体を見ると、大きな外枠と二つの扉が、構成の基準になります。しかし近づくと、身体は整然と列に並ぶのではなく、折れ曲がり、落下し、絡み合っているように見えます。枠の秩序と人物の不安定さが、強く対照をつくっています。
浮彫の人物は、平面に付いた挿絵ではありません。深く突き出す部分と浅い部分が、影の違いを生み、見る位置によって重なりを変えます。門を見る経験には、全体の構成をつかむ時間と、局所の身体をたどる時間があります。細部を一つの筋書きへまとめるより、その密度と方向の違いを感じることも、重要な見方です。
文学を、身体の関係へ移し替える
ダンテの『神曲』は、この作品の大きな出発点です。ただし門を、文章の場面を順番に示すだけの図解として見るのは十分ではありません。人物の動き、苦痛を感じさせる姿勢、身体どうしの接触は、文学の主題を、彫刻の量と関係へ移しています。物語を知ることは助けになりますが、形が生む感覚はそれだけで説明できません。
身体は、上から下へ、奥から手前へ、複数の方向に引かれているように見えます。そのため、見る人は一か所に安定した視点を置きにくくなります。門のなかの苦痛は、顔の苦悶だけでなく、重なり、傾き、離れかける形によって表れています。文学と造形が、一つの表現を異なる方法で支えています。
門の人物が、独立した作品になる
《考える人》は、門の上部に置かれる人物として構想され、後に独立して展示されました。《接吻》も、初期の門の計画に関わる群像から、独立した作品へ変わっています。《三つの影》では、同じ人物の形が反復され、門の上に置かれるまとまりをつくりました。
こうした変化は、門の部分を単純に切り取っただけとは限りません。大きさが変わり、周囲の人物が消え、見る高さが変わると、同じ形の意味も変化します。全体の一部として働いた身体が、一つの作品として見るに値する量と表現を得ていくのです。ロダンの制作では、作品の境界そのものが固定されていませんでした。
生前の制作と、死後の鋳造
ロダンは《地獄の門》を生前にブロンズで見ることはありませんでした。作品は長い変更の過程を経て、死後に鋳造されます。本記事の作品欄では、ロダン美術館の1928年鋳造の個体を掲載しています。原型の制作と、現在見るブロンズの成立を分けることで、年記の意味が明確になります。
未完成という言葉は、この作品の長い制作を考える際に重要ですが、見ることを終えるための判定ではありません。完成した実用の扉にならなかったとしても、そこから多くの彫刻と制作方法が生まれました。最終的な設置の達成だけでなく、持続的な制作が何を生んだかを見ると、この門の位置づけが理解しやすくなります。
《考える人》――思考する身体
顎を支える手だけで考えない
《考える人》は、顎へ手を添える姿が有名ですが、それだけを真似ても、この彫刻の強さは再現できません。肩は前へ入り、背中は丸まり、脚は身体の重さを支えています。片方の肘と反対側の膝の関係によって、身体は単純な左右対称から離れます。思考は、頭の内側だけでなく、身体全体の緊張として示されています。
作品を横から見ると、前へ倒れる胴体と、支える脚の量がよくわかります。後ろへ回ると、正面の顔とは違う、背中の大きな面が現れます。題名を忘れて形だけを見る時間をつくると、重さをため、内へ集まる身体の構成が、思索の印象を支えていることに気づきます。
ダンテの像から、広い意味へ
門のための小さな《考える人》は、詩人を示す像として構想されました。ダンテとの関係を知ると、門の上部で下を見つめる姿の役割がわかります。一方、独立し、拡大された像は、特定の人物の肖像を越えて、人が思考する姿として受け止められるようになりました。
この変化は、題名だけでなく、置かれる環境と規模に関係しています。多数の人物の上にある小さな形と、一人の鑑賞者の前に大きく立ち現れる形では、見る経験が違います。大きな身体の量は、精神の働きを、物理的な存在感として感じさせます。拡大は、サイズの変更にとどまらない表現の変化です。
静止と、潜在する行動
この人物は座っていて、今すぐ何かへ手を伸ばすわけではありません。しかし筋肉の量や、脚の踏みしめる関係からは、行動の可能性も感じられます。精神的な人と肉体的な人を分けるのではなく、考える身体の内側に力が残されているのです。この両立が、像を疲れた休息の姿だけには見せません。
見る人によって、苦悩、集中、ためらい、決断の前の時間など、異なる印象が生まれます。それをひとつに固定するより、身体のどの部分がその印象を生むかを確かめると、鑑賞が深まります。ロダンの人物は、感情の記号であると同時に、その感情を自分の目でたどれる具体的な形です。
《接吻》――二つの身体と、一つのまとまり
顔だけでなく、接触をたどる
《接吻》は、二人の顔が近づく場面として広く知られています。しかし彫刻を見ると、腕、肩、膝、座る場所が、二人の関係を支えていることがわかります。接触する部分と、少し離れた部分が、密なまとまりのなかに空間を残します。二つの身体は、融合して一つになるのではなく、それぞれの量を保ちながら結びついています。
周囲を歩くと、前の人物に隠れていた身体が現れ、同じ接触が別のかたちで見えてきます。正面写真だけでは、どちらかの身体が主役に見える場合がありますが、立体としては、複数の方向に関係が開かれています。彫刻の周囲を動く鑑賞者の身体も、この作品の経験をつくる一部になります。
文学上の悲劇と、作品の広い受容
この群像は、ダンテの『神曲』のパオロとフランチェスカに関わる主題から生まれました。しかし、像だけを見ても、特定の人物を示す服装や持ち物は目立ちません。そのため作品は、文学の悲劇を知らない人にも、愛する二人の姿として広く受け止められていきます。
文学を知ると、甘美な接触と、その後に続く悲劇の距離を考えることができます。一方で、その知識がなくても、身体の関係から作品を味わえます。図像の説明が鑑賞の唯一の入口ではないところに、ロダンの人物群の強さがあります。物語を背景にもちながら、形そのものが見る人へ届いているのです。
大理石の滑らかさと、量の変化
大理石の《接吻》では、身体の滑らかな面と、それを支える下部の量が対照をつくります。柔らかく見える身体も、実際には硬い石のなかにあります。光が広い面を移ると、身体の丸みが、色の塗り分けではなく、明るさの変化として見えてきます。石の素材と身体の感覚の違いが、作品を見る楽しさを生みます。
本記事では、1888年の国家の注文を受け、1898年までに彫られたロダン美術館の大理石版を取り上げています。原型の構想は1882年頃です。同じ《接吻》でも、別のブロンズや大理石には異なる年記と寸法があるため、作品名と実物の記録を組み合わせて理解する必要があります。
《カレーの市民》――英雄の記念碑を変える
六人を、同じ気分へまとめない
《カレーの市民》は、百年戦争のカレー包囲に関わる、六人の市民の献身を記念する作品です。しかし六人は、同じ方向へ胸を張って進む英雄の列ではありません。頭を下げる人、手を開く人、足を前へ出す人が、異なる姿勢をもっています。共通の運命に向かいながら、一人ひとりの反応は別です。
この違いは、群像を分解するものではありません。同じ場所にあり、似た衣服に包まれた身体が、異なる重さと動きを示すことで、集団のなかの個人が見えてきます。献身は、不安やためらいを失った姿としてではなく、それらを抱えた身体の決断として感じられます。
顔、手、足が、別々の感情を伝える
六人の表情を見分けることも大切ですが、手と足に注目すると、感情が身体全体へ分配されていることがわかります。大きく見える手、硬く置かれた足、布に包まれた身体は、現実の服装を説明するだけではありません。姿勢の方向が、苦痛、ためらい、前へ向かう力を伝えます。
同じ人物でも、正面では顔が強く見え、横へ移ると腕と布の量が目立ちます。鑑賞者が動くと、ある人物の身体に隠れていた別の人物が現れます。六人を一度に完全に把握するより、見える関係が変わることを経験するほうが、群像の複雑さに近づけます。
台座の高さも、表現に参加する
記念碑は、彫像だけで完結しません。高い台座の上にある人物と、鑑賞者に近い高さの人物では、見る関係が違います。ロダンは《カレーの市民》の設置の高さにも関心を向けました。作品を見上げるのか、近くで顔や手の位置を見るのかは、人物をどのように受け止めるかに関わります。
現在の所蔵館や公共空間で見るときにも、その環境を観察してみます。空を背にした輪郭、周囲の建物、歩ける距離、台座の高さは、作品の見え方を変えます。記念される過去の出来事と、現在の鑑賞者の身体が、置かれた場所を通して出会っています。
《バルザック記念像》――似た顔から、存在の重みへ
本やペンで説明しない作家像
ロダンは、1891年に作家バルザックの記念像を依頼され、多くの研究と習作を行いました。最終的な作品では、本、ペン、椅子といった、作家をわかりやすく示す道具は前面に出ません。大きな衣服に包まれた身体と、上にある頭部が、像を成立させています。
そのため、像は仕事をする場面を再現するというより、作家の存在を一つの大きな量として示すものになりました。文学者であることを物で説明する方法から離れ、姿勢、頭部、衣服の面で重みをつくっています。似た顔をつくることと、その人物を記念する形をつくることの違いが、ここで強く現れます。
衣服は、身体を隠すだけではない
長い衣服は、脚や腕の細かな形を見えにくくします。しかしそれは、身体が表現から消えたことを意味しません。大きく連続する面が、立ち上がる姿と頭部を支えています。細部の描写が少ないため、鑑賞者はまず全体の量と方向を受け止め、それから顔や襟元へ目を移します。
裸の習作から着衣の完成像へ進んだ制作を知ると、衣服が造形の問題として扱われたことがわかります。身体の研究を省いたのではなく、その量を別の見え方へ変えたのです。光が衣服の面を移ると、像は固定された輪郭のなかにも、微妙な起伏と動きを示します。
拒絶された記念像が、後の代表作になる
1898年に発表された作品は、注文主に拒絶されました。現在の評価から振り返って、当時の反応を単なる無知として片づけるのは十分ではありません。公的な記念碑に期待された人物像と、ロダンが提示した大きな量の表現が、強くずれていたのです。
この衝突を見ると、彫刻の新しさは形の発明だけでなく、人物をどう記憶するかという社会的な問題でもあったことがわかります。本記事で掲載するブロンズは1935年の鋳造です。原型の発表と、死後の物体の成立、さらに作品の後の評価を区別すると、その複数の歴史を丁寧に理解できます。
主要作品
ロダンの主要作品12点を、初期の顔の表現から記念碑、断片を用いた彫刻まで紹介します。同じ構想に石膏、大理石、複数のブロンズ鋳造品が存在するため、各欄はリンク先の美術館が公開する個別作品を基準にしています。
鼻のつぶれた男のマスク
Mask of the Man with the Broken Nose / 原型:1864年/鋳造年不詳 / ブロンズ / 31.8 × 18.4 × 15.6 cm
メトロポリタン美術館(ニューヨーク)
凹凸のある顔と傷ついた鼻が、人物の経験を想像させる初期作品です。左右の頬や額に均一ではない光が当たり、表情は見る位置によって変わります。整った顔立ちを理想とする美しさとは異なり、個別の身体に刻まれた特徴が造形の中心になっています。ここで取り上げるのは頭部全体を備えた胸像ではなく、メトロポリタン美術館所蔵のマスク型のブロンズです。
青銅時代
The Age of Bronze / 原型:1877年/鋳造:1941年以前 / ブロンズ / 180.5 × 68.5 × 54.5 cm
ロダン美術館(パリ)
等身大の青年の身体が、わずかな重心の移動とともに立ち上がっています。額に近づけた腕と下方へ伸びるもう一方の腕が、身体の前後に異なる空間をつくります。モデルはベルギーの兵士オーギュスト・ネイでした。生身の身体から直接型を取ったのではないかという疑いを招くほどの生々しさが、ロダンの観察力と造形をめぐる論争を生みました。年記と寸法はロダン美術館の当該鋳造品に対応しています。
地獄の門
The Gates of Hell / 構想・制作:1880〜1890年頃/鋳造:1928年 / ブロンズ / 635 × 400 × 85 cm
ロダン美術館(パリ)
扉の面を覆う人物は、整然と物語を説明する列には収まりません。浮き上がる身体と沈み込む身体が交差し、浅い浮彫から立体へと連続する空間が生まれています。ダンテの文学を出発点としながら、作品はロダンが身体の姿勢や組み合わせを試す大きな制作の場にもなりました。《考える人》や《三つの影》を独立した作品と見比べると、配置によって意味が変わることもわかります。このブロンズはロダン没後の鋳造です。
考える人(大型)
The Thinker / 原型:1880年/大型の原型:1903年/鋳造:1904年 / ブロンズ / 189 × 98 × 140 cm
ロダン美術館(パリ)
《地獄の門》の上部に置かれる小型の像から発展した作品です。頬を支える手だけでなく、曲げた背中、踏ん張る足、緊張する腕が、思考を身体全体の出来事として示しています。横から眺めると、前へ乗り出す上半身と座面に残る下半身の均衡がよく見えます。大型化によって、その姿は公共空間にも耐える存在感を獲得しました。ここで記載する寸法は1904年鋳造の大型ブロンズに対応します。
接吻
The Kiss / 構想:1882年頃/大理石像の制作:1888〜1898年 / 大理石 / 181.5 × 112.5 × 117 cm
ロダン美術館(パリ)
ダンテに登場するパオロとフランチェスカに由来する二人の像です。身体は互いへ向かって傾きますが、腕や脚の配置には慎重な均衡があり、密着する二人の周囲にも空間が残ります。滑らかな肌と荒く残された台座の対比は、石から身体が現れる感覚を強めています。《地獄の門》の構想から独立し、フランス政府の注文による大理石像として制作されました。親密な場面を、手の位置と身体の重量からも読み取れる作品です。
三つの影
The Three Shades / 原型:1886年以前/鋳造:1928年 / ブロンズ / 97 × 91.3 × 54.3 cm
ロダン美術館(パリ)
三体は同じ人物像を異なる角度で配置したものです。下向きの頭部と腕の反復が、個人の感情を越える集団の身振りをつくっています。それぞれの姿勢を比べると、同じ形であっても正面、側面、背面によって印象が大きく異なることがわかります。《地獄の門》では頂部を占めるこの群像が、独立すると反復と配置そのものを考える彫刻になります。寸法は大型版ではなく、ここで参照する高さ97センチの鋳造品のものです。
私は美しい
I am Beautiful / 1882年 / 石膏 / 69.8 × 33.2 × 34.5 cm
ロダン美術館(パリ)
男性像が丸く身を縮めた女性像を持ち上げる構成です。反り返る男性の身体と、内側へまとまる女性の身体が、開く力と閉じる力の対照をつくります。《墜ちる男》と《うずくまる女》の像を組み合わせて成立しており、既存の形を別の関係へ移すロダンの方法がよくわかります。題名はボードレールの詩に結びつきますが、まず二つの身体が支え合う位置と、接触する部分に目を向けると、形の緊張を具体的に捉えられます。
カレーの市民
Monument to The Burghers of Calais / 原型完成:1889年/鋳造:1926年 / ブロンズ / 217 × 255 × 197 cm
ロダン美術館(パリ)
百年戦争中のカレーで、都市を救うために自らを差し出した六人の市民を表す記念碑です。六人は同じ感情や姿勢を共有せず、ためらい、決意、悲しみを別々の身体で示しています。一人だけを高く掲げる構成を避け、互いの間隔と向きによって群像の緊張が生まれます。周囲を歩けば、手前の人物の陰から別の人物が現れ、物語の中心も移動します。ロダン美術館の1926年鋳造のブロンズを参照しています。
断片、反復、組み合わせという制作
欠けた身体が、一つの作品になる
《歩く人》には、頭と腕がありません。それでも、胴体と脚の関係は強い存在感をもっています。頭部の表情に向かいがちな視線は、ここでは、腰の向き、脚の開き、足の接地へ向かいます。顔がなくても動きは感じられ、身体の一部だけで、作品全体を経験することができます。
この作品を、必要な部分がまだつくられていない途中の像とだけ見るのは適切ではありません。ロダンは、以前の研究に関わる胴体と脚を組み合わせ、独立した形へ進めました。全身を備えた人間像が彫刻の唯一の完成形ではないことを、部分像は具体的に示しています。
壊れた像と、部分を選んだ像を区別する
古代の彫刻には、長い時間のなかで頭や腕を失ったものがあります。ロダンはそうした作品に関心を向けました。しかし、歴史のなかで損傷した像と、制作のなかで部分を選んだ像は、同じ成り立ちではありません。似た外観でも、失われたものを想像する経験と、選ばれた形の力を見る経験には違いがあります。
ロダンの部分像を見るときには、ない腕や頭を頭のなかで補う前に、目の前にある形のまとまりを確かめます。どの面がつながり、どこで量が終わり、空間が身体に接しているでしょうか。欠如という言葉だけでは捉えられない、現在の形の充実が見えてきます。
《三つの影》の反復
《三つの影》は、三人を別々に一からつくった群像ではなく、同じ形を異なる向きに配置したものです。首を大きく傾ける姿が繰り返され、人物の間に一つのまとまりが生まれます。同じ身体でも、向きが変わると、見える面と周囲との関係が変化します。
反復は、仕事を省く方法であるだけではありません。似た形が集まると、単独の人物にはない重さや方向が生まれます。手や頭の位置をたどると、視線は個人の内面を読むことから、三つの身体がつくる場へ移ります。複数につくる技術が、構成の新しい可能性へ変わっているのです。
《私は美しい》の組み替え
《私は美しい》は、既存の人物の形を組み合わせた作品です。一つの人物の向きを変え、別の身体に支えられる関係へ移すことで、以前とは異なる姿勢と意味が生まれます。新しい作品をつくることが、毎回すべてを初めから造形することと同じではない、と示しています。
二つの身体を個別に見たあと、接する場所と、全体の重心を見ると、組み合わせの効果がわかります。支える力、持ち上げられる量、後ろへ反る身体は、互いの存在によって強まります。同じ材料が別の関係で働く制作は、ロダンの人物表現を、完成した形の保存から、持続的な変化へ開いています。
手、表面、身体の間の空間
《大聖堂》は、二つの右手
《大聖堂》では、二つの手が近づき、その間に空間を残します。左右の手を合わせた一人の祈りの姿と思い込む前に、二つとも右手であることを確かめると、作品の関係が変わって見えます。身体全体はありませんが、二つの手の形と向きから、別々の存在が近づく感覚が生まれます。
題名は建築を連想させますが、建物を手で小さく再現した作品ではありません。指と掌がつくる曲線、囲まれた空間、まだ触れきらない距離が、建築の内部を思わせます。具体的な身体の一部が、別のものを感じさせるのは、形の似方だけでなく、空間を包む働きによるものです。
空いた場所も、彫刻をつくる
彫刻では、石や金属のある場所に目が向きがちですが、その間にある空間も重要です。《接吻》の身体の隙間、《考える人》の腕と脚の間、《カレーの市民》の人物どうしの距離は、量の感じ方を変えます。空間は、材料を置かなかった余りではなく、作品の関係を支えています。
鑑賞者が少し移動すると、隙間の向こうに背景が見えたり、別の身体が重なったりします。この変化は、平面の写真では一つの状態に固定されます。立体を見る楽しさは、同じ作品のなかに複数の見え方があり、自分の移動でそれらが現れるところにもあります。
光が、表面の動きを見せる
ロダンのブロンズの表面には、深い溝、広い面、小さな起伏が共存しています。光を受ける場所と暗く沈む場所が細かく変わると、身体は均一な輪郭の内側にも動きを含みます。彫刻そのものは静止していても、視線は表面をたどり、量の変化を経験します。
大理石では、同じ身体の形でも光の働きが異なります。広い明るい面や磨かれた表面は、肌の柔らかさを感じさせ、粗い部分は素材の硬さを残します。ブロンズと大理石を、どちらが高級かという順序で見るより、それぞれが光と身体の感覚をどう結びつけるかを比べると、材料の違いが具体的になります。
同じ作品が複数ある理由
原型と、個々の鋳造を分けて考える
彫刻の題名は、作者が構想した形を指すと同時に、各美術館にある個々の物体にも用いられます。ひとつの原型から複数のブロンズをつくることが可能なため、同じ題名の作品が複数の場所にあります。これは、単に一つの像を写真で複製したのとは違い、型を通して実際の立体を制作する仕組みによります。
鑑賞するときには、原型の年だけでなく、鋳造の年、素材、寸法を見ます。作品の構想が19世紀でも、目の前のブロンズが20世紀に鋳造された場合があります。この区別は、作品の価値を自動的に上下させるためではなく、実物がどのように成立したかを理解するためのものです。
生前と死後の制作
ロダンの作品には、生前の鋳造と、死後に鋳造されたものがあります。死後の鋳造を一律に偽物と呼ぶのは適切ではありません。ロダン美術館は、寄贈された原型や型に基づいて、研究と審査を伴う原作ブロンズの制作を行う制度を説明しています。
一方、どんな鋳造でも作者名だけで同じ扱いになるわけではありません。根拠となる原型、鋳造の経緯、承認、個体の記録を確認する必要があります。本記事では、一般的な真贋判定を行うのではなく、各作品ページで確認できる鋳造年などを明記しました。作品の造形と、所蔵される実物の歴史を、両方伝えるためです。
サイズが変わると、経験も変わる
小さな彫刻を拡大しても、見る経験がそのまま大きくなるわけではありません。小さな形では全体を一度に把握でき、大きな形では、鑑賞者の身体がその量と向き合います。表面の起伏も、拡大によって別の強さを得ます。作品を見る距離と、周囲を歩く時間が変化します。
ロダンの拡大された《考える人》《歩く人》を見ると、細部の描写だけでなく、身体の量が周囲の空間へ働きかけることがわかります。小さな習作と大きな像の関係は、原型とコピーという単純な区分ではありません。同じ形が、別の規模によって新たな表現をもつことがあります。
ロダンの彫刻を楽しむ鑑賞の手がかり
題名を知ったあと、形に戻る
《考える人》なら思考、《接吻》なら愛という言葉は、作品を見る助けになります。しかし、その言葉を確認しただけでは、鑑賞は十分に進みません。どの肩が高いか、手は何を支えるか、身体はどちらへ傾くかを見ると、題名の印象を形がどう生んでいるかがわかります。
説明を読む前後で、同じ部分へ目を向けてみます。文学の主題を知った後でも、手や脚の形は具体的に観察できます。言葉による理解と、立体の量を感じる経験を往復すると、作品は知識の確認だけではなく、自分の見る時間のなかで変化するものになります。
周囲を少しずつ歩く
可能な展示環境では、作品の周囲をゆっくり歩いてみます。正面の顔が隠れると、背中や腕が主役になります。群像では、人物の重なりが変わり、一つのまとまりが複数の関係へ分かれます。どの角度でも同じ内容が見えるわけではないことが、彫刻の重要な特徴です。
全周を歩けない展示でも、左右へ少し移動するだけで、面や隙間の見え方は変わります。鑑賞のために作品へ触れる必要はありません。距離と位置を変えながら、どの形が現れ、どの形が隠れるかを確かめることで、立体の複数の姿に出会えます。
全体の量と、表面の起伏を分けて見る
最初は、身体や衣服がつくる大きな量を見ます。次に、その量の表面がどのように光を受けているかを見ます。《バルザック記念像》なら、長い衣服のまとまりと、その面の変化、《ダナイード》なら、身体の丸みと下部の素材の違いに注目すると、二つの層を分けて感じられます。
表面だけを見れば荒く感じる部分でも、全体の量のなかでは、方向と緊張を支えている場合があります。逆に、滑らかな部分が多くても、作品全体が安定しているとは限りません。大きな構成と細部の関係を行き来すると、見た目の仕上げだけで作品を判断しなくなります。
台座と展示場所を見る
高さ、背景、照明、屋内か屋外かという条件は、作品の見え方へ参加します。高い台座では足元が見えにくく、低い台座では人物と鑑賞者の距離が近く感じられます。屋外の光は天候や時間で変わり、同じ面に別の明暗を生みます。
写真を見比べるときにも、作品の違いと、撮影条件の違いを分けることが役立ちます。正面の画像だけで全体の形を確定せず、側面、背面、寸法をあわせて見ると、実物の経験を想像しやすくなります。彫刻を理解することには、作品が置かれている空間を読むことも含まれます。
近代彫刻に残したもの
顔以外にも、表現はある
ロダンの彫刻は、顔の表情だけに人物の感情を集めません。手、肩、胴体、足が、それぞれ異なる働きをもちます。頭のない《歩く人》や、手だけの《大聖堂》は、この考え方を強く示しています。人物の全身を備えなくても、量と関係によって彫刻が成立するのです。
このことは、後の彫刻が人体の再現から離れていく際にも、重要な問いを残しました。ただし、ロダンからすべての近代彫刻が直接生まれたと説明する必要はありません。身体、部分、空間、素材について、彼が開いた問題が、別の作者にとって異なる方法で考える対象になったのです。
完成を、滑らかな全身像だけに限定しない
部分像、荒い表面、接合された形を見ると、完成とは、すべての部分を細かく仕上げて痕跡を消すことだけではないとわかります。ある部分を選び、他を省き、制作の跡を残すことが、作品の表現を成立させる場合があります。ロダンは、伝統的な技術を用いながら、その技術が向かう完成の基準を広げました。
制作の過程を知ると、彫刻は最終的な像だけではなく、形が変化する蓄積として見えてきます。過去の胴体が再び使われ、門の人物が独立し、小さな形が拡大されます。作品を一回限りの着想の実現とする見方から、持続的な判断と変形の仕事として見る視点が生まれます。
日本で見るロダン
日本では、国立西洋美術館の松方コレクションを通して、ロダンの仕事に接することができます。同館の作品記録は、彫刻の題名、寸法、制作年だけでなく、鋳造に関わる情報や来歴を確かめる入口にもなります。作品を実際に見る機会と、記録を読む機会を結びつけると、同じ題名の異なる個体についても理解が進みます。
日本にある像を、遠くの代表作の代わりとしてだけ見る必要はありません。個々のブロンズには、その制作と収集の歴史があります。目の前の表面、量、展示空間を観察し、その実物の記録を読むことが、ロダンの仕事と自分の鑑賞をつなぎます。
よくある疑問
ロダンはすべての大理石を自分で彫りましたか
一人ですべてを直接彫ったわけではありません。原型をもとに、専門の彫り手が作者の指示に沿って石へ移す制作が行われました。作品の構想と塑造、石への転写と彫り、仕上げは、異なる役割を含みます。作者の創作と、協力者の技術を、どちらか一方だけに還元せず理解する必要があります。
なぜ《考える人》が世界各地にあるのですか
原型と型を通して、複数のブロンズを鋳造できるためです。また、小さな形と拡大された形もあります。同じ題名でも寸法や鋳造年は異なるため、作品ごとの記録を確認すると、構想された形と、所蔵される実物の関係がわかります。
死後に鋳造された作品は偽物ですか
死後という時期だけで一律に偽物とはいえません。ロダン美術館には、寄贈された原型や型に基づき、研究と承認を伴って原作ブロンズを制作する制度があります。ただし、個々の鋳造の経緯と記録を確かめる必要があります。生前か死後かという区別は重要ですが、それだけで判断を終えることはできません。
《地獄の門》は生前に完成しましたか
長年にわたって構想と変更が続けられましたが、ロダンはブロンズ鋳造された門を生前に見ていません。現在各地にあるブロンズは死後の鋳造です。原型の制作史と、それぞれの鋳造年を分けると、この作品の長い成り立ちが理解しやすくなります。
《歩く人》の頭と腕は失われたのですか
古い全身像から、後に頭と腕が壊れてなくなったという説明ではありません。以前の研究に関わる胴体と脚を組み合わせ、部分像として独立した表現へ進めた作品です。ない部分を補うことより、残る胴体と脚がどのような動きを生むかを見ると、その特徴がわかります。
《大聖堂》は祈る両手を表していますか
二つの手が近づく作品ですが、左右の手を合わせた一人の姿ではありません。二つとも右手です。形が囲む空間や、まだ接しきらない距離を見ると、身体の一部が建築の内部を連想させる働きがわかります。
カミーユ・クローデルはモデルだったのでしょうか
モデルや親密な関係という説明だけでは不十分です。クローデルは彫刻家として制作し、ロダンの工房でも協働した重要な存在でした。二人の関係を知ることと、クローデル自身の作品を独立した仕事として評価することは、両立します。
作品の年が資料によって違うのはなぜですか
構想、原型、拡大、大理石の制作、ブロンズ鋳造など、異なる段階が年記に用いられるためです。どの段階を示す年かを確認し、寸法と素材、所蔵先をあわせて読むと、記録を混同しにくくなります。本記事の作品欄では、必要に応じて原型と個体の制作年を併記しています。
略年譜
- 1840
- パリに生まれる。
- 1854〜1857
- 素描と数学を学ぶ学校で修業する。その後、エコール・デ・ボザールの入学試験に三度合格できなかった。
- 1864年頃
- 《鼻のつぶれた男》の原型を制作。カリエ=ベルーズの工房で働く。
- 1877
- 《青銅時代》を発表し、モデルから直接型を取ったのではないかという疑惑を受ける。
- 1880
- 《地獄の門》の注文を受け、長期の制作を始める。
- 1880年代
- カミーユ・クローデルとの制作上の交流と協働が始まる。
- 1884〜1885
- カレー市の記念碑制作に向けた依頼と注文が進む。
- 1889
- 《カレーの市民》の原型が完成。モネとの二人展が開催される。
- 1891
- バルザック記念像の注文を受ける。
- 1895
- カレーで《カレーの市民》の記念碑が除幕される。
- 1898
- 《バルザック記念像》と大理石の《接吻》を発表。バルザック像は注文主に受け入れられなかった。
- 1900
- パリのアルマ広場の仮設館で、まとまった作品展示を行う。
- 1903〜1904
- 《考える人》の拡大と大きなブロンズ版の発表が進む。
- 1905〜1907
- 《歩く人》の拡大を進め、1907年に大きな形を発表する。
- 1916
- 作品などをフランス国家へ寄贈し、美術館設立へつなげる。
- 1917
- ムードンで亡くなる。
- 1919
- パリのロダン美術館が公開される。
まとめ――身体、素材、制作の蓄積を見る
ロダンの彫刻では、人間の感情が、顔だけでなく、手、胴体、脚、身体の間の空間へ広がっています。素材の表面は光を受け、鑑賞者が移動すると、別の量と関係が現れます。題名や文学の知識を入口にしながら、立体そのものへ戻ることで、その表現を自分の見る経験として確かめられます。
原型、石膏、大理石、ブロンズ、拡大、組み合わせの過程を知ると、代表作も完成した一つの物体だけではなくなります。過去の形が次の作品へ生き、部分が独立し、同じ姿が別の規模と素材で働きます。この持続的な制作のなかで、ロダンは人物彫刻の豊かさと、彫刻の完成を考える範囲を大きく広げました。
参考資料・出典
生涯と制作史は美術館・研究機関の公開資料を参照し、作品の年記、技法、寸法、所蔵情報は各作品ページを基準にしました。作品の日本語題名には異訳があるため原題を併記しています。本文での画面構成や鑑賞についての記述には、これらの資料を踏まえた本記事の解釈も含みます。
- メトロポリタン美術館(ニューヨーク):Mask of the Man with the Broken Nose
- ロダン美術館(パリ):The Age of Bronze
- ロダン美術館(パリ):The Gates of Hell
- ロダン美術館(パリ):The Thinker
- ロダン美術館(パリ):The Kiss
- ロダン美術館(パリ):The Three Shades
- ロダン美術館(パリ):I am Beautiful
- ロダン美術館(パリ):Monument to The Burghers of Calais
- ロダン美術館(パリ):Danaïd
- ロダン美術館(パリ):Monument to Balzac
- ロダン美術館(パリ):The Walking Man
- ロダン美術館(パリ):The Cathedral
- ロダン美術館:ロダンの生涯と年表
- メトロポリタン美術館:オーギュスト・ロダン(1840–1917)
- ロダン美術館:反復、断片、組み合わせ
- ロダン美術館:大理石の彫刻技法
- ロダン美術館:砂型によるブロンズ鋳造
- ロダン美術館:ロストワックスによるブロンズ鋳造
- ロダン美術館:オリジナルのブロンズ鋳造品
- ロダン美術館:カミーユ・クローデル
- ロダン美術館:ロダンとモダニズム
- 国立西洋美術館:《カレーの市民》の所蔵作品記録
資料確認日:2026年10月3日 / ART LIBRARY