「まるで生殖の過程にある、類まれな生命のようです。」キュレーターのシーナ・ワグスタッフが、アーシル・ゴーキーの絵画「花のミルの水」の言語を解読します。
トルコにおける少数派アルメニア人への弾圧により家族が離散し、母親を目の前で亡くしてから数年後、ゴーキーは1912年にヴァン市で撮影された一枚の写真を見つけます。彼はこの写真を基に、『画家と母(The Artist and His Mother)』と題された素描や絵画を制作しました。映像作品『アララト(抜粋)』は、母シュシャンと並んで立つ12歳当時の自身の姿を描き続けるという長年の制作活動を通して、ゴーキーの失われた子供時代にまつわる苦難の歴史を紐解くものです。本作は、アカデミー賞®候補にもなった映画監督アトム・エゴヤンが脚本・監督を務めた長編映画『アララトの聖母(原題:Ararat)』から構成されています。
アーシル・ゴーキー(Arshile Gorky)は、20世紀前半のアメリカで活動した、アルメニア出身の画家です。曲がりながら伸びる線、植物や身体を思わせる形、薄い色の層が出会う絵画によって、シュルレアリスムから抽象表現主義へ続く美術史の中で重要な位置を占めています。ただし、二つの運動をつなぐ人物という説明だけでは、彼の作品の親密さと複雑さを十分に捉えられません。
故郷での生活と母の記憶、移住先で学んだヨーロッパ絵画、身近な自然を観察する時間が、彼の制作には重なっています。人物画を描いていた時期から1940年代の抽象画までをたどると、見えるものを再現する方法を変えながら、記憶を画面に置く問いを持ち続けたことが見えてきます。
CONTENTS
アーシル・ゴーキーとはどんな画家か
ゴーキーの本名はヴォスダニグ・アドヤン。現在のトルコにあたるオスマン帝国の地域で生まれ、1920年にアメリカへ移住しました。生年は資料によって異なり、ゴーキー財団の年譜は1902–1904年頃としています。本記事でもその幅を採用し、単一の年を確定した事実として扱いません。生年に揺れがあることは、作品を理解できないという意味ではなく、生涯の記録を慎重に読むための前提です。
ニューヨークで活動する中で、セザンヌ、ピカソ、ミロなどの作品を研究し、自分の絵画を育てました。近代美術の様式を一度に乗り越えて独創的な表現へ到達した、という単純な筋書きではありません。ほかの画家の構成、線、色を長く学び、その研究を自分の経験と結びつけたところに、彼の制作の特徴があります。
1940年代には、曲線と色面が互いに完全には一致しない画面が現れます。輪郭は物の形を閉じるためだけに使われず、色は輪郭の中を埋めるためだけに置かれません。線を追っていると色の流れへ移り、色を見ていると別の形が浮かびます。作品が一つの読み方へ収まらないこと自体が、鑑賞の豊かさになります。
「抽象画だから何も描いていない」と考える必要はありません。ゴーキーの画面には、庭、身体、道具、土地の記憶などを思わせる要素があります。しかし、その連想を図解のように確定することも難しいのです。見える形と、そこから呼び起こされる経験の間に、作品の働きがあります。
故郷、母、移住——記憶の出発点
ゴーキーはヴァン湖に近いホルコムで育ちました。幼年期はアルメニア人に対する迫害と虐殺によって大きく断ち切られ、家族は故郷を離れることになります。母は1919年に亡くなり、翌年、彼は妹とともにアメリカへ渡りました。こうした歴史は制作を考える上で重要ですが、すべての線や色を個別の悲劇の暗号として読むことはできません。
故郷の記憶は、失われたものの記憶であると同時に、庭や植物、日常の形の記憶でもありました。後年の作品で自然を思わせる形が現れるとき、それは目の前の観察とも、遠い場所の経験ともつながります。過去が画面にそのまま保存されるのではなく、現在の描く行為によって組み直されていると考えると、抽象作品の見方が広がります。
母と少年時代の自分を描いた《画家と母》は、この関係を考える大切な作品です。出発点には母と写った写真がありますが、絵画は写真を拡大しただけのものではありません。顔や衣服の形、二人の間隔、手の表現が、絵画として選び直されています。写真の記録と絵画の時間を分けて見ることが必要です。
この主題には、ホイットニー美術館所蔵作とワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アート所蔵作があります。二作の制作期間は長く、同じ写真に向き合う仕事が、数年で終わる一回の作業ではなかったことを示します。繰り返し描くことは、過去へ戻ることとは違います。戻れない時間を、現在の絵画の中で何度も見直す行為として感じられます。
母の顔だけでなく、二人を囲む背景にも目を向けてください。肖像において背景はしばしば付随的なものとして見られますが、この作品では人物をどこに置くかという問題に関わっています。顔を近くで見た後、二人と画面全体の関係へ戻ると、親密さと距離が同時に生まれていることに気づきます。
ニューヨークで近代絵画を学ぶ
1924年にニューヨークへ移ったゴーキーは、アーシル・ゴーキーという名前で活動するようになります。移住後の自己形成には、生まれた場所の経験と、新しい環境で芸術家として生きる選択が重なっています。名前の由来から架空の経歴を詳しく作り込むより、彼が作品を通してどのような表現を築いたかを追うことが大切です。
彼は美術館や書籍を通して、ヨーロッパの美術を研究しました。セザンヌの絵画からは形と空間の組み立て、ピカソからは対象を変形して構成する方法、ミロからは線と有機的な形の可能性を考えられます。これらは作品を比較するための手がかりですが、一作ごとに「誰の影響か」を判定するだけでは、ゴーキー自身の選択が見えにくくなります。
学ぶことが制作の一部になる
ほかの画家に似た部分がある初期作も、独自の作品以前の不要な段階ではありません。どのように顔を置くか、身体を面として組み立てるか、線にどこまで自由を与えるかを試す時間でした。構成の方法を学んだからこそ、後年、それを変えたり緩めたりできたと考えられます。
たとえば《9歳の自画像》の題名にある年齢と、作品の制作年は別のものです。1928年の絵画は、幼い自分を後から画面へ置く仕事でもあります。制作時の姿だけを描く自画像とは異なる時間の関係があり、ここでも記憶と造形が結びついています。題名を資料として正確に読み、同時に画面そのものを見ることが必要です。
版画《マネキン》や紙にインクで描いた《オブジェ》を見ると、彼の研究は油彩の色彩だけに限られないことがわかります。白黒の関係、線の曲がり方、空白の位置は、別の媒体でも重要です。油彩作品だけを並べて画風の変化を見るより、紙の仕事を加えることで、後年まで持続する関心を見つけやすくなります。
ゴーキーは美術学校で教え、ジョン・グラハム、スチュアート・デイヴィス、ウィレム・デ・クーニングらとも交流しました。彼の制作は、孤立して突然生まれた抽象画ではなく、ニューヨークの芸術家たちの対話の中にも置かれています。交流の事実と、作品の類似から推測する影響は区別しながら見ると、美術史の説明がより明確になります。
公共壁画で試した抽象的な構成
1930年代のアメリカでは、公的な美術事業が芸術家の制作を支える機会となりました。ゴーキーもその活動に関わり、ニューアーク空港の壁画を制作しました。私的な肖像や小さな素描とは異なり、壁画には建物の用途、通行する人、壁の広さといった条件があります。作品をどこで見せるかが構成と結びつく仕事です。
《抽象——ニューアーク空港壁画のための習作》は、完成壁画とは別の紙作品です。横に長い形式を見ると、個々の形がどのように続き、視線が端から端まで移るかを考えられます。対象の形を変形する関心は、公共空間の広がりを組み立てる関心ともつながっていました。
壁画の習作を、後年の抽象画を予告する資料としてだけ見る必要はありません。その時点での制作課題を考えると、個々の形がなぜその配置になっているかを別の角度から見られます。小さな紙面の上で大きな壁を想定すること、形の密度を離れた位置からも読めるようにすることなど、絵画の大きさに関わる問いがあります。
肖像、紙の素描、壁画の習作を続けて見ると、彼が一つの主題や形式に閉じていなかったことがわかります。公共的な仕事と個人的な仕事を、完全に分離された二つの経歴とする必要もありません。対象を絵画の関係へ置き換える方法は、異なる制作条件の間で育っていきました。
シュルレアリスムとの出会いと独自の抽象
1940年代初頭のニューヨークには、ヨーロッパから移ってきたシュルレアリスムの芸術家たちがいました。ゴーキーはアンドレ・ブルトンやロベルト・マッタと交流し、意識的な計画だけでは決まらない描画の可能性に触れます。自動的に線を動かす方法は、あらかじめ決めた対象を描くことから離れ、描く途中に現れる形を受け入れる手がかりになります。
ただし、ゴーキーの作品を「無意識のままに描いた絵」と説明するだけでは不十分です。長年の構成研究、自然の観察、絵具を扱う技術が、自由な線と共存しています。計画と偶然、記憶と観察は、どちらか一方だけが働く関係ではありません。画面に現れたものを見て、次の線や色を選ぶことも制作の一部です。
有機的な形は何を意味するのか
ゴーキーの形は、幾何学的な円や四角とは異なり、成長したり曲がったりするものを連想させます。植物の根、葉、身体の一部などを思い浮かべることがあっても、それぞれを一つの物へ対応させる必要はありません。一つの形が複数の連想を持つことで、見るたびに画面のつながりが変わります。
《ソチの庭》は、こうした見方への入口になります。題名に地名があっても、現地をそのまま描いた旅行の記録ではありません。美術館は幼年期のアルメニアの庭の記憶との関係を紹介しています。題名と記憶の場所を機械的に一致させるより、庭という経験がどのように形と線へ変わったかを考えることができます。
「シュルレアリスムから抽象表現主義へ」という説明は、彼の作品を美術史に置くために役立ちます。しかし、本人の制作を次の運動の準備だけとして見ることはできません。ゴーキーの絵には、形の連想を残すことと、色や線を独立させることの両方があり、その間を行き来する経験に固有の魅力があります。
観察した自然と、思い出の自然
1940年代の代表作では、自然の経験が重要な役割を果たします。ここでいう自然は、目の前の風景だけではありません。移住後に歩いた土地と、幼い頃に知った土地が、同じ作品の中で関係を持ちます。現在の風景が記憶を呼び起こし、記憶が現在の見え方を変えるという往復を考えられます。
《花咲く水車小屋の水》について、メトロポリタン美術館はコネティカットの風景とアルメニアの記憶の関係を説明しています。作品を見るとき、水、橋、植物を一つずつ確定することだけが目的ではありません。曲線の続き、色の透明さ、形の重なりが、風景の流れを別の方法で作っていると感じられます。
《ある年のトウワタ》も、植物を図鑑のように表す作品ではありません。薄い色の領域と線がつながり、ある部分は芽や茎を思わせ、別の部分はその連想から離れます。自然を観察することと、観察したものをそのまま描くことは異なります。形の成長、広がり、重なりを、絵画の中で新しい関係として作ることができます。
自然に関わる題名を読むと、画面を風景画として落ち着かせたくなるかもしれません。しかし、水平線や遠近法が明確でない部分では、見る位置を一つに固定することも難しくなります。どこが手前でどこが奥かを考えながら、その区別が揺れる箇所を探すと、抽象が自然の経験を失うだけの過程ではないことに気づきます。
線と色を別々に、そして一緒に見る
ゴーキーの1940年代の絵画を見やすくする方法の一つは、最初に線だけを追い、次に色のまとまりを見ることです。一本の線が形を囲む場合もあれば、その途中で途切れ、別の領域へ続く場合もあります。色は線と同じ位置で止まらず、境界を越えたり、別の形の下へ広がったりします。
このずれによって、形は完全には閉じません。何かを表す輪郭として見ていた線が、画面を横切る独立した動きへ変わり、背景として見ていた色が、手前の形として感じられることがあります。鑑賞は一つの対象を見つけて終わる作業ではなく、関係が変わる様子を見る時間になります。
《肝臓は雄鶏のとさか》のような大きな作品では、細部から始めても、色面全体から始めてもかまいません。細部を追うと形の連想が増え、離れて見ると画面の密度と広がりが現れます。両方の見方を往復すると、独立した部分を集めた絵ではなく、部分が互いに作用する空間として感じられます。
絵具の薄さも表現になる
抽象表現主義という言葉から、厚い絵具と激しい筆触を思い浮かべる人もいるでしょう。ゴーキーには、薄く広がる絵具と、輪郭が明瞭になったり曖昧になったりする線が重要な作品もあります。絵具が薄いことは、表現が弱いことを意味しません。下の層や布地を感じさせながら、形が空間へ溶ける見え方を作ります。
《誘惑者の日記》では、暗い部分、灰色の領域、黄や橙の色が、題名から生まれる連想と重なります。しかし、物語を決める前に、絵具の流れや線の消え方へ目を向けることもできます。連想を呼ぶ形と、実際に塗られた絵具の状態が同時に存在しているところに、作品の深さがあります。
素描は絵画の脇役ではない
ゴーキーの制作を知るには、紙の作品を見ることが欠かせません。紙の上の線は、油彩画の完成形へ至るための記録である場合もありますが、それだけではありません。線の密度、擦られた色、余白との関係が、一枚の独立した画面を作ります。
1947年の《総括》は、幅が2.5メートルを超える大きな紙作品です。鉛筆、パステル、木炭が使われており、油彩のカンヴァス作品と同じ材料ではありません。素描を小さく、速く、準備的な仕事として考えると、この大きさと存在感を捉えにくくなります。
線をたどると、形が一度で決まったものではないように感じられる部分があります。重なりや濃淡を、完成していない印として片づけず、描く時間が画面に残る方法として見ることができます。油彩の流れと紙の擦れを比較すると、媒体ごとの違いと、その違いを越えて続く関心の両方が見えてきます。
今回の12作品には、版画、インクの素描、壁画の習作、大型の紙作品も含めました。絵画だけで経歴を組み立てるより、彼が何を使って、どのような大きさで描いたかまで追うことで、表現の広がりを具体的に感じられます。
主要作品
肖像、版画、素描、公共壁画の習作、1940年代の絵画を12点でたどります。《画家と母》は二つの所蔵館の異なる作品を掲載し、同じ主題を長い時間をかけて描き直したことも紹介します。
9歳の自画像
Self-Portrait at the Age of Nine / 1928 / カンヴァスに油彩 / 31.1 × 25.7 cm
メトロポリタン美術館
1928年に制作された自画像で、題名の「9歳」は制作時の年齢を意味しません。遠い時期の自己を後から描くという点に、記憶と絵画の関係が現れます。顔を単なる似姿として見るだけでなく、過去の自分が現在の画面へどのように置かれているかを考えたい作品です。小さな画面の親密さも、大型の抽象作品と対照的です。
画家と母(ホイットニー美術館所蔵)
The Artist and His Mother / 1926–1936年頃 / カンヴァスに油彩 / 152.4 × 127.6 cm
ホイットニー美術館
故郷で母と写った写真を出発点にした肖像。人物の輪郭や衣服のまとまりは、写真の細部をそのまま写すことから離れています。二人の距離と手の表現に注目すると、家族の記録が、触れられない過去を見つめる絵画へ変わることを感じられます。ワシントン所蔵の別作と比較すると、同じ記憶を反復して描く意味も見えてきます。
画家と母(ワシントン所蔵)
The Artist and His Mother / 1926年頃–1942年頃 / カンヴァスに油彩 / 152.3 × 127 cm
ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントン)
同じ写真をもとに長期間制作された、もう一つの《画家と母》。同名でもホイットニー所蔵作とは別のカンヴァスです。顔、衣服、背景の関係を二作で比べると、記憶の像が一度で固定されなかったことがわかります。制作年の幅は、写真から離れた時間を含むものとして読めます。完成年だけで画風を区切れない作品です。
マネキン
Mannikin / 1931 / リトグラフ / 図像37.6 × 29 cm/紙48 × 35.7 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
版画によって人体を組み立てる試み。人物らしい形を見つけた後、その輪郭を構成する線や面へ視線を戻すと、身体と抽象的な配置が同時に働くことに気づきます。油彩の色だけでなく、白黒の関係や刷られた線も彼の重要な表現です。後年の有機的な形へ至る過程を、絵画以外の媒体からも確かめられます。
オブジェ
Objects / 1932 / 紙にインク / 56.1 × 75.9 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
物体という題名を持ちながら、具体的な用途を一つに定めにくい形が描かれています。見るときは物の名前を急いで探すより、線がどこで折れ、形同士がどのように接するかを追ってください。紙の余白も構成の一部です。輪郭の研究が、後の絵画で色面から独立して動く線へつながることを考えられます。
抽象——ニューアーク空港壁画のための習作
Abstraction: Study for Mural at Newark Airport / 1936 / 厚紙にグアッシュ、鉛筆(台板に貼付) / 紙47.3 × 92 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
空港という公共空間に向けた壁画の習作。横長の形式を、形の配置と連続で組み立てています。私的な記憶を描く肖像とは異なる制作条件でも、具体物をそのまま並べず、視覚的な関係へ置き換える関心が見られます。完成壁画そのものではなく準備段階の紙作品であることに注意し、構成を検討する過程として見たい一枚です。
ソチの庭
Garden in Sochi / 1941 / カンヴァスに油彩 / 112.4 × 158.1 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
幼年期のアルメニアの庭の記憶に関わる作品で、題名の地名をそのまま写生地と考えることはできません。有機的な形と線が、植物、身体、道具のいずれにも見えながら一つに定まりません。思い出の風景を説明する絵として見るより、記憶の断片が新しい関係を作る画面として見ると、その自由さを感じられます。
肝臓は雄鶏のとさか
The Liver Is the Cock’s Comb / 1944 / カンヴァスに油彩 / 186.1 × 249.9 cm
バッファローAKG美術館
大きな画面の中で、有機的な形、曲線、色の広がりが複雑に交わる代表作。題名は強い連想を促しますが、各部分を肝臓や鳥の図解へ対応させる必要はありません。線をたどる見方と、離れて色のまとまりを見る方法を交互に試してください。個々の形が結びつきながら、画面全体が一つの生きた場として感じられます。
ある年のトウワタ
One Year the Milkweed / 1944 / カンヴァスに油彩 / 94.2 × 119.3 cm
ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントン)
植物を連想させる題名を持つ抽象画。淡い色の層と線が、輪郭を閉じた花の図ではなく、成長や広がりを思わせる関係を生みます。どこが背景でどこが形なのかを確かめようとすると、その区別が揺れる部分が見つかります。自然を観察した経験が、写生の再現とは異なる絵画の構造になることを考えたい作品です。
花咲く水車小屋の水
Water of the Flowery Mill / 1944 / カンヴァスに油彩 / 107.3 × 123.8 cm
メトロポリタン美術館
コネティカットの風景と故郷の記憶が重なる作品として美術館が紹介しています。水や建物を一つずつ探すより、曲線、色の透け、形の連続が作る流れに注目してください。自然の観察は失われず、目の前の場所と以前の場所が一つの画面で出会います。地理的な風景を、時間を含んだ絵画へ変える仕事です。
誘惑者の日記
Diary of a Seducer / 1945 / カンヴァスに油彩 / 126.7 × 157.5 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
灰色を中心とした画面に、曲線と黄や橙の色が現れる作品。線の明瞭さが場所によって変わり、形が空間へ溶けていくように感じられます。題名から物語を決めるより、暗い部分と明るい部分の関係をゆっくりたどってください。絵具の流動性や布地の存在も感じられるため、連想と物質の両方から見ることができます。
総括
Summation / 1947 / 淡褐色の紙に鉛筆、パステル、木炭(厚紙に貼付) / 202.1 × 258.2 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
幅が2.5メートルを超える大型の紙作品。素描を小さな準備作業と考える見方を超え、線と擦られた色そのものが大きな空間を作ります。油彩の厚みとは異なる密度で、複数の形が重なり合います。1940年代の絵画と比べると、彼の表現を支えた描く行為が、独立した作品としてどれほど豊かだったかを確かめられます。
晩年の困難と、作品を読む距離
1940年代半ば以降、ゴーキーは火災による作品の損失、病気、事故、家族関係の困難に直面しました。1948年にコネティカットで自ら命を絶ちます。短い生涯の終わりは、作品の受け止め方にも強く影響してきました。しかし、最期を知った上で、すべての作品を悲劇へ向かう予兆として読むことには注意が必要です。
たとえば、暗い色を見ただけで絶望と決めたり、曲がる線を傷の表現と断定したりすると、作品の構成や制作技術が見えなくなります。生涯の出来事は重要な背景であり、画面のすべてを一対一で説明する鍵ではありません。作品を見て感じたことと、資料で確認できる出来事を分けて考えると、両方をより丁寧に扱えます。
彼の絵には喪失だけでなく、自然の豊かさ、形を発見する喜び、ほかの芸術家から学ぶ探究もあります。長い時間をかけた肖像と、自由に展開する1940年代の画面が同じ作者の仕事であることを思い出すと、一つの感情へまとめられない制作の幅が見えてきます。
ゴーキーの作品を楽しむための見方
初めて見るときは、「何の絵か」をすぐに決めなくても大丈夫です。最初に目が止まった形を一つ選び、その周りに線がどう続くか、色がどこまで広がるかを見てください。題名は後から読み、最初の印象とどう関係するかを比べる方法もあります。
次に、近くの部分と画面全体を行き来します。一つの形を見ていたときに植物を連想しても、離れると別の色面の一部として感じられるかもしれません。見え方が変わることは、誤読の証拠ではありません。複数の関係を含む画面の働きです。
肖像と抽象画を比べる場合は、表面的な似方より、形の置き方を見るとつながりを見つけやすくなります。《画家と母》で人物と背景の関係を確認し、《ソチの庭》で形と余白の関係を見る。具体的な対象が変わっても、画面を作る問いが続いていることを考えられます。
作品の制作年にも目を向けてください。一つの年だけでなく、長い制作期間が記される肖像があります。一方、同じ1944年にも異なる題名、色、寸法の絵画があります。年表は作品を一直線に整理する便利な道具ですが、実際の制作には反復と並行した試みがあります。
美術史の中のゴーキー
ゴーキーは、ヨーロッパ近代絵画とニューヨークの新しい抽象の間に位置する画家として紹介されます。セザンヌやピカソを研究し、シュルレアリスムの芸術家と交流しながら、線、色、記憶の独自の関係を作りました。その作品が後の抽象表現主義を考える上で重要であることは、彼を単なる橋渡し役にすることとは異なります。
移住者としての経験も、その位置を考える上で欠かせません。アメリカの美術として語られる作品の中に、アルメニアの過去とヨーロッパ美術の研究が存在しています。国別の美術史だけでは収まりきらない経験が、ニューヨークの絵画の中へ持ち込まれました。
彼の作品を見ることは、具象から抽象へという変化を、対象が消えるだけの過程として考え直す機会でもあります。描かれる物の名前が定まりにくくなっても、記憶、自然、身体の経験は失われません。むしろ、線と色の関係を通して、複数の経験が一つの画面で出会えるようになります。
ゴーキーを知るための補足
シュルレアリスムの画家ですか、抽象表現主義の画家ですか
どちらとの関係もあります。1940年代のシュルレアリスムの芸術家との交流は重要で、線を動かす方法や有機的な形を考える手がかりになります。一方、具体物を一つに特定しにくい大きな画面は、後の抽象表現主義を考える上でも重要です。分類を一つに決めるより、各作品で輪郭、色、大きさがどう働くかを見るほうが、彼の固有の表現へ近づけます。
同じ作者の中でも、肖像と1940年代の絵画では、対象の見え方が大きく異なります。運動の名前を作品すべてに均一に当てはめず、制作年と媒体を確認してください。絵画、版画、素描の違いも、分類だけでは捉えられない表現の幅を示します。
母の肖像には、なぜ二つの作品があるのですか
同じ写真を出発点にしながら、異なるカンヴァスで長期間制作されたためです。一つの完成作を後から機械的に複製したものとして扱うことはできません。制作年の幅も異なり、所蔵館の記載を分けて読む必要があります。今回の記事では、二作を別々の作品情報として掲載しています。
比較するときは、どちらが写真に近いかだけでなく、人物と背景、顔と衣服、二人の距離に注目してください。同じ主題でも、画面の関係が変わると印象は変わります。記憶を反復することと、同じ絵を繰り返すことの違いを考えられます。
作品の題名を、どこまで手がかりにしてよいのでしょうか
題名は連想を広げる手がかりになりますが、各形の正解を指定する説明文ではありません。《肝臓は雄鶏のとさか》を見て、画面のどこに肝臓や雄鶏があるかだけを探すと、色と線の関係を見落とすことがあります。題名から受けた印象と、画面を見た印象をいったん別々に持つ方法が役立ちます。
《ソチの庭》では、題名の地名と作品に関わる記憶の場所をそのまま同一視できません。自然に関わる題名でも、現地の景観を正確に示す写生とは限らないのです。題名、資料、画面の観察を組み合わせながら、その間に残る幅も楽しむことができます。
最初にどの作品を見ると理解しやすいですか
《画家と母》で人物と背景の関係を見てから、《ソチの庭》で線と有機的な形を見ると、具象から抽象へという変化を具体的に考えられます。その後、《花咲く水車小屋の水》で自然と記憶の重なり、《総括》で線そのものが作る大きな空間を見る方法があります。
この順番は鑑賞を始めるための一例です。好きな一作から入ってもかまいません。色に惹かれたなら、同じ時期の別の作品と比べる。肖像に惹かれたなら、二つの《画家と母》を見比べる。最初の関心を手がかりに、作品同士の関係へ広げてください。
略年譜
- 1902–1904年頃
- オスマン帝国のホルコムで、ヴォスダニグ・アドヤンとして生まれる。生年には資料間の差があり、財団の年譜はこの幅を示している。
- 1915
- アルメニア人に対する虐殺と迫害の中で、家族と故郷を離れる。
- 1919
- 母が亡くなる。
- 1920
- 妹とともにアメリカへ移住する。
- 1924
- ニューヨークへ移り、アーシル・ゴーキーの名で活動する。
- 1926年以降
- 母と少年時代の自分を描く《画家と母》の制作を長期間にわたり進める。
- 1930年代
- 肖像、版画、素描などを制作し、公的な美術事業にも参加する。
- 1936
- ニューアーク空港壁画のための抽象的な習作を制作する。
- 1939
- アメリカの市民権を取得する。
- 1940年代初頭
- ブルトンやマッタらと交流し、有機的な形と自由な線による表現を深める。
- 1941
- 《ソチの庭》を制作する。
- 1944
- 《肝臓は雄鶏のとさか》《ある年のトウワタ》《花咲く水車小屋の水》などを制作する。
- 1945
- 《誘惑者の日記》を制作する。
- 1947
- 大型の紙作品《総括》を制作する。
- 1948
- コネティカット州で死去。
参考資料・出典
生涯と制作史は美術館・研究機関の公開資料を参照し、作品の年記、技法、寸法、所蔵情報は各作品ページを基準にしました。作品の日本語題名には異訳があるため原題を併記しています。本文での画面構成や鑑賞についての記述には、これらの資料を踏まえた本記事の解釈も含みます。
- アーシル・ゴーキー財団:Biography
- アーシル・ゴーキー財団:Chronology
- ティッセン=ボルネミッサ国立美術館:Arshile Gorky
- メトロポリタン美術館:《9歳の自画像》
- ホイットニー美術館:《画家と母(ホイットニー美術館所蔵)》
- ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントン):《画家と母(ワシントン所蔵)》
- ニューヨーク近代美術館(MoMA):《マネキン》
- ニューヨーク近代美術館(MoMA):《オブジェ》
- ニューヨーク近代美術館(MoMA):《抽象——ニューアーク空港壁画のための習作》
- ニューヨーク近代美術館(MoMA):《ソチの庭》
- バッファローAKG美術館:《肝臓は雄鶏のとさか》
- ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントン):《ある年のトウワタ》
- メトロポリタン美術館:《花咲く水車小屋の水》
- ニューヨーク近代美術館(MoMA):《誘惑者の日記》
- ニューヨーク近代美術館(MoMA):《総括》
資料確認日:2026年10月3日 / ART LIBRARY