旧石器時代 — 日本列島に生きた最初の人々
約3万7000年前、日本列島にホモ・サピエンスが暮らし始めた…
日本史と日本美術史を同じ西暦の時間軸に置き、社会・政治・文化の変化と、その時代の造形を年代順にたどるアーカイブ。
約3万7000年前、日本列島にホモ・サピエンスが暮らし始めた…
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約1万6000年前、日本列島では土器の使用が始まり、最終氷期…
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縄文土器、土偶、装身具、漆製品、集落空間を通して、日本列島で…
日本で人と人の「身分の差」はいつ生まれたのか。弥生時代の稲作…
約3000年前、九州北部で本格的な水田稲作が始まり、日本列島…
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水田稲作、弥生土器、銅鐸、武器形青銅器、装身具、環壕集落を通…
紀元前300年頃から1世紀半ばにかけて、西日本を中心に水田農…
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茶の湯の拡大とともに、16世紀末から17世紀初頭の日本では器…
57年、倭の奴国王が後漢へ使者を送り、光武帝から印綬を受けた…
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前方後円墳、埴輪、副葬品、葬送空間を通して、古墳時代に権力が…
3世紀中頃、奈良盆地東南部に纒向遺跡と巨大前方後円墳が現れ、…
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400年頃から500年頃にかけて、ヤマト王権は前方後円墳の広…
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500年頃から538年頃にかけて、ヤマト王権は5世紀の巨大古…
6世紀の仏教伝来から飛鳥寺、止利仏師、法隆寺金堂釈迦三尊像、…
6世紀中頃、百済から倭の王権へ仏像・経典などが公的に伝えられ…
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587年の物部守屋敗死後、蘇我馬子は王権中枢で最大級の政治力…
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622年に厩戸皇子が死去し、626年には蘇我馬子、628年に…
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645年の乙巳の変後、孝徳天皇が即位し、中大兄皇子を皇太子と…
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655年、皇極前天皇が斉明天皇として重祚し、中大兄皇子を皇太…
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672年、天智天皇の死後、大海人皇子と大友皇子を中心とする勢…
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686年に天武天皇が死去すると、皇后の鸕野讃良皇女が即位前の…
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697年、持統天皇は孫の軽皇子へ譲位し、文武天皇が即位した。…
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756年、光明皇后が聖武天皇の遺愛品を東大寺大仏へ献納したこ…
710年の平城京遷都から東大寺大仏の造立へ。国分寺制度、華厳…
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743年、聖武天皇は紫香楽で盧舎那大仏造立の詔を発した。翌7…
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764年、恵美押勝の乱で藤原仲麻呂が敗死し、淳仁天皇が廃位さ…
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770年、称徳天皇が死去すると、天智天皇の孫にあたる白壁王が…
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平安京遷都後、唐から帰国した空海が伝えた真言密教は、曼荼羅、…
806年、桓武天皇の死後に平城天皇が即位したが、809年には…
遣唐使の停止前後から10世紀へ。大陸文化との交流が続くなか、…
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842年の承和の変で恒貞親王が廃太子となると、仁明天皇の皇子…
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858年、文徳天皇が死去すると、9歳の惟仁親王が清和天皇とし…
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876年、清和天皇が譲位し、皇太子貞明親王が幼くして陽成天皇…
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887年、臣籍にあった源定省が皇籍へ復帰して宇多天皇として即…
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897年、宇多天皇は13歳の敦仁親王へ譲位し、醍醐天皇が即位…
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923年、皇太子保明親王が死去すると、その子慶頼王が皇太子と…
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承平・天慶の乱後の朱雀朝後半から、946年の村上天皇即位、藤…
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967年の村上天皇崩御と冷泉天皇即位、藤原実頼の関白就任、為…
安和の変直後の969年、幼い円融天皇が即位した。藤原実頼から…
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藤原伊尹の死後、円融朝の政務を主導した藤原兼通と、弟兼家との…
藤原兼通の死後、関白となった藤原頼忠のもとで進んだ円融朝後半…
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984年の花山天皇即位から986年の出家・一条天皇即位までを…
986年、花山天皇の出家・退位を受けて幼い一条天皇が即位し、…
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990年の藤原兼家死去後、長男道隆が摂政・関白となり、娘定子…
995年、藤原道隆・道兼が相次いで死去すると、一条朝の政権継…
長徳の変後、藤原道長が左大臣・内覧として一条朝の政務を主導す…
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1001年の東三条院詮子死去から、彰子後宮の形成、敦康親王の…
1009年の敦良親王誕生から、1010年の藤原伊周死去、一条…
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1011年に長い東宮生活を終えて即位した三条天皇と、左大臣・…
1016年に幼い後一条天皇が即位し、外祖父藤原道長が摂政とな…
刀伊の入寇後の1019年末から、藤原頼通の関白就任、1020…
1019年、藤原道長が出家して法成寺造営へ向かう一方、対馬・…
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1023年の法成寺万灯会と道長の逆修・高野山参詣から、102…
1028年、房総に勢力を持つ平忠常が安房守惟忠を焼死させ、上…
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平忠常の乱終結後の1031年から後一条天皇崩御の1036年ま…
1036年の後朱雀天皇即位から1040年までをたどる。103…
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1040年の長久改元後から1045年の後朱雀天皇崩御までをた…
1045年の後冷泉天皇践祚から1051年の前九年の役開始まで…
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1051年の鬼切部の戦いから1056年の阿久利川事件までをた…
1057年の安倍頼時戦死から1062年の厨川柵陥落まで、前九…
1053年、藤原頼通が宇治に建立した阿弥陀堂、現在の平等院鳳…
1062年の前九年の役終結から1068年の後三条天皇即位まで…
1068年の後三条天皇即位から1072年の白河天皇への譲位ま…
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1072年末の白河天皇践祚から1075年の藤原師実関白就任ま…
1075年の藤原師実関白就任から1081年の延暦寺・園城寺大…
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1081年の法勝寺九重塔造営から1086年の白河天皇譲位・院…
1086年の沼柵敗退から1087年11月14日の金沢柵陥落、…
1088年の源義家帰京から1095年頃の藤原清衡平泉移転まで…
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1101年の源義親問題から1108年の平正盛による追討までを…
1108年の平正盛による源義親追討後から1113年の永久の強…
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1120年の藤原忠実内覧停止から、1121年の藤原忠通関白就…
1126年の中尊寺大伽藍供養から1129年の白河法皇崩御まで…
1129年の白河法皇崩御後から1135年の保延改元まで。鳥羽…
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1142年の康治改元から1149年まで。幼い近衛天皇を支える…
1149年から1155年まで。近衛天皇元服と藤原多子・呈子の…
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1155年から1156年。近衛天皇崩御後の後白河天皇践祚と守…
1156年から1159年。保元の乱後の新制と荘園整理、信西主…
1159年末の平治の乱を、後白河上皇・二条天皇・信西・藤原信…
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平治の乱後の二条天皇と後白河上皇の並立、平清盛の公卿進出、滋…
二条天皇死後の幼帝六条朝から高倉天皇即位まで。後白河院による…
高倉天皇即位後の1168~1172年を、建春門院滋子、後白河…
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1172~1176年を、高倉天皇と中宮徳子、建春門院滋子、最…
1177年を、加賀白山と国司の紛争から延暦寺強訴、安元の大火…
1178年の言仁親王誕生・立太子から、1179年の平盛子・平…
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治承4年(1180)、幼い安徳天皇の即位、以仁王・源頼政の挙…
治承5年・養和元年(1181)。平清盛と高倉上皇の死、墨俣川…
養和2年・寿永元年(1182)から寿永2年(1183)夏まで…
寿永2年(1183)夏の木曾義仲入京から、神器を欠いた後鳥羽…
1184年秋の源範頼西征から1185年の屋島・壇ノ浦までを、…
1184年、一ノ谷の戦いで平氏は摂津・福原から西国へ後退した…
1185年の壇ノ浦後を、源義経と頼朝の関係、腰越状、文治地震…
1186~1187年、義経追討が続く一方で、頼朝は西国の地頭…
1187年の藤原秀衡死去から1189年の源義経最期までを、泰…
1189年の奥州合戦後から1190年の大河兼任の乱鎮圧までを…
1189年の奥州合戦を、頼朝の出兵決定、三方面軍、阿津賀志山…
武家政権の成立と南都復興を背景に、運慶・快慶ら慶派の彫刻、東…
1190年の源頼朝初上洛を、東海道の行軍、六波羅入京、後白河…
1191年の鎌倉を、政所・公文所・侍所・問注所の再編、3月の…
1192年の後白河法皇崩御と源頼朝の征夷大将軍就任を中心に、…
1193年の源範頼失脚から1194年の安田義定滅亡までを、頼…
1193年の富士の巻狩と曽我事件を、将軍権威、御家人動員、狩…
1195年の源頼朝再上洛と東大寺大仏殿供養を、重源による復興…
1196年の建久七年の政変を、九条兼実・中宮任子・慈円の失脚…
1197年の源頼朝晩年を、大姫の死と入内構想の挫折、善光寺参…
1198年の後鳥羽天皇譲位と土御門天皇即位を中心に、源通親、…
1199年秋から1200年初頭の梶原景時排斥を、結城朝光の発…
1199年の源頼朝死去と頼家への家督継承を、死因史料、藤原定…
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1200年から1201年の頼家政権を、三浦義澄・安達盛長の死…
1202年の源頼家の征夷大将軍就任を中心に、1199年から続…
1203年の阿野全成事件、源頼家の急病、後継をめぐる一幡・千…
1204年の源頼家殺害から、平賀朝雅の京都での台頭、1205…
1206年から1212年までを、源実朝政権の形成、北条義時の…
1213年の泉親衡の乱から和田胤長の処遇、和田義盛の挙兵、三…
1214年から1218年を、和田合戦後の頼家遺児・栄実問題、…
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1222年から1225年を、承久の乱後の六波羅・新補地頭によ…
1226年から1232年を、九条頼経の征夷大将軍就任、北条泰…
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1243年から1247年を、木造鎌倉大仏の供養、九条頼経から…
1248年から1252年を、宝治合戦後の北条時頼政権、蘭渓道…
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1253年から1256年を、建長寺の創建過程と蘭渓道隆、日蓮…
1257年から1260年を、正嘉地震と液状化、余震、1258…
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1261年から1264年を、日蓮の伊豆流罪と伊豆での著述、西…
1265年から1268年を、宗尊親王の京都送還と惟康王の将軍…
1269年から1271年を、蒙古・高麗使の再来、対馬島民の連…
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1272年から1273年を、北条時宗政権下の二月騒動、北条時…
1274年の文永の役を、元・高麗軍の編成と高麗社会の負担、対…
1275年から1276年を、文永の役後の異国警固再編、杜世忠…
1277年から1280年を、異国警固番役の定着、日元貿易、阿…
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1281年の弘安の役を、元・高麗の東路軍と旧南宋圏を基盤とす…
1282年から1284年を、弘安の役後も続く異国警固と石築地…
1285年から1287年を、安達泰盛の弘安徳政、平頼綱との対…
1288年から1293年を、霜月騒動後の平頼綱・御内人政治、…
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1294年から1297年を、フビライ死去と元成宗テムルの即位…
1298年から1301年を、永仁徳政の条項別見直し、後伏見天…
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1302年から1305年を、一山一寧の円覚寺第7世就任と鎌倉…
1306年から1308年を、嘉元の乱後の北条貞時政権と長崎氏…
1309年から1311年を、北条高時の元服、北条貞時晩年の寄…
1312年から1315年を、幼い北条高時の得宗家督と大仏宗宣…
1316年から1317年を、14歳の北条高時による第14代執…
1318年から1321年を、花園天皇から尊治親王への譲位、後…
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1322年から1324年を、津軽・下北の安藤季長・季久対立と…
1325年から1328年を、正中の変後の日野資朝佐渡配流と後…
1329年から1330年を、出家得宗北条高時と赤橋守時・長崎…
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1331年の元弘の変を、吉田定房による討幕計画通報、日野俊基…
1332年を、後醍醐天皇の3月7日京都出発と隠岐配流、黒木御…
1333年6月の後醍醐天皇京都還御から1334年の建武改元、…
1333年を、千早城の籠城、赤松則村の播磨挙兵、後醍醐天皇の…
1335年を、北条時行と諏訪氏による中先代の乱、足利直義の鎌…
1336年を、足利尊氏の京都占領と敗退、北畠顕家・新田義貞・…
1337–1338年を、金ヶ崎城の攻防と尊良親王・新田義顕の…
1339–1340年を、吉野での後醍醐天皇崩御と後村上天皇へ…
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1341–1343年を、北畠親房の拠点だった常陸小田城の開城…
1344–1346年を、足利直義を中心とする引付・所務沙汰、…
1347–1348年を、楠木正行による紀伊・河内・摂津での反…
1349年を、足利直義と高師直の対立が幕府中枢の武力政変へ発…
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1350–1351年を、足利直義の京都脱出と南朝帰順、直義党…
1352年を、足利直義の鎌倉での急死、南朝による京都・鎌倉方…
1353–1355年を、1352年の正平一統崩壊後も続いた京…
1356–1358年を、1355年まで続いた京都争奪の大波を…
1359–1362年を、二代将軍足利義詮政権が南朝への大攻勢…
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1363–1367年を、足利義詮政権が観応の擾乱以来の分裂を…
1368–1370年を、二代将軍義詮と後村上天皇の死後、幼少…
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1371–1372年を、北朝の後光厳天皇から後円融天皇への皇…
1373–1375年を、大宰府陥落後の九州南朝が菊池武光・武…
1376–1381年を、足利義満政権が京都で政治・都市基盤を…
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1382–1386年を、足利義満が左大臣・源氏長者・准三后へ…
1387–1391年を、足利義満が東海の土岐氏と山陰・西国の…
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1392年を、約半世紀に及ぶ南北朝分裂が終わり、後亀山天皇か…
1393–1399年を、南北朝合一後の足利義満が将軍職を子義…
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1400–1404年を、応永の乱後に国内競合勢力を再編した足…
1405–1408年を、足利義満の晩年に日明外交が実務として…
1409–1412年を、足利義満死後に第四代将軍足利義持が父…
1413–1415年を、称光天皇の皇位継承が即位大礼・大嘗会…
1416–1417年の上杉禅秀の乱を、前関東管領上杉氏憲(禅…
1418年を、上杉禅秀の乱後に足利義持が異母弟義嗣を殺害し、…
1419年の応永の外寇を、朝鮮側の「己亥東征」と日本側の後世…
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1420年を、前年の応永の外寇で軍事衝突した日本と朝鮮が、使…
1421〜1423年を、応永の外寇後の日朝通交が、対馬の拘留…
1424–1425年を、室町幕府と鎌倉府が全面衝突寸前の状態…
1426–1427年を、第五代将軍足利義量の死後も新将軍を置…
1428年を、足利義持の死によって三年間続いた将軍不在の義持…
1429–1430年を、青蓮院義円から還俗した足利義宣が元服…
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1431–1433年を、足利義教が正式な将軍として権威を拡大…
1434–1435年を、足利義教の権威が公武秩序の調整を越え…
1436–1437年を、満済死後の足利義教政権が新たな取次・…
1438–1439年の永享の乱を、鎌倉公方足利持氏と関東管領…
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1440–1441年の結城合戦を、永享の乱で滅んだ鎌倉公方足…
1441年を、室町幕府第6代将軍足利義教が赤松満祐・教康父子…
1442–1443年を、嘉吉の乱後に足利義教の嫡子義勝が正式…
1444–1448年を、足利義勝の死後、弟三春が足利家の後継…
1449年を、足利義成が元服して第8代将軍となり、関東では足…
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1450年の江の島合戦を、再建された鎌倉府で足利成氏を支える…
1451年を、室町幕府が東洋允澎を正使として宝徳度遣明使を始…
1452年を、疱瘡流行と天文上の『三合』を理由として宝徳から…
1453年を、1451年に京都を出発した宝徳度遣明使が実際に…
1454年を、宝徳度遣明使が北京から寧波へ戻り、正使東洋允澎…
1455年を、享徳の乱が鎌倉の政変から関東全域の長期内戦へ拡…
1456–1457年を、足利成氏の古河公方政権が軍事命令・寺…
1458年を、室町幕府が足利成氏に代わる新たな関東公方として…
1459年を、享徳の乱が五十子陣を軸とする長期対陣へ移行した…
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1460~1461年を、1459年から続く長禄・寛正の飢饉が…
1462~1463年を、長禄・寛正の大飢饉後の社会不安が各地…
1464~1465年を、後花園天皇から後土御門天皇への譲位、…
1466年を、後土御門天皇の即位に伴う文正改元から、斯波氏家…
1467年を、正月18日の上御霊社合戦から5月の京都市街戦、…
1468年を、応仁の乱が京都市街の短期決戦から長期対陣・洛外…
1469年を、応仁から文明への改元と、応仁・文明の乱の重心が…
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1470年を、大内政弘が西軍主力として京都・摂津で戦い続ける…
1471年を、朝倉孝景が西軍の斯波義廉方から東軍・足利義政方…
1472年を、朝倉孝景・氏景父子が越前府中を制圧し、将軍足利…
1473年を、応仁・文明の乱を率いた山名宗全と細川勝元が相次…
1474年を、京都では細川政元と山名政豊が和睦して東西両軍の…
1475年を、前年に富樫政親を支援して勝利した加賀の一揆勢が…
1476–1477年を、応仁・文明の乱が京都中心の総力戦から…
1478–1481年を、応仁・文明の乱終結後に京都・幕府・本…
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1482–1486年を、応仁・文明の乱後の戦後秩序が中央・関…
1487–1490年を、九代将軍足利義尚が近江六角氏追討を通…
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1491–1494年を、十代将軍足利義材が第二次六角征伐と河…
1495–1499年を、明応の政変後に京都の義高政権が制度化…
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1500–1506年を、明応の政変後に足利義高・細川政元を軸…
1507–1508年を、細川京兆家当主細川政元の暗殺から、澄…
1509–1511年を、復職した将軍足利義尹を細川高国・大内…
1512–1518年を、船岡山合戦後に足利義尹・細川高国・大…
1519–1520年を、大内義興帰国後に細川澄元・三好之長が…
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1521年を、足利義稙と細川高国の決裂、後柏原天皇の即位礼、…
1522–1525年を、少年将軍足利義晴を細川高国が支える京…
1526–1528年を、後柏原天皇崩御と後奈良天皇践祚、細川…
1529–1531年を、堺公方政権内部の三好元長・柳本賢治対…
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1532–1535年を、細川晴元が本願寺証如の門徒勢力を利用…
1536年を、後奈良天皇の即位礼、京都での天文法華の乱、駿河…
1537–1541年を、天文法華の乱後に京都が復興へ向かう一…
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1542–1543年を、天文法華の乱後の京都で法華宗二十一か…
1544–1546年を、1543年の鉄砲伝来後の国産化、武田…
1547–1549年を、武田晴信の領国法整備と信濃戦線、畿内…
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1550–1552年を、京都・甲信・西国・九州で旧来の政治秩…
1553–1555年を、京都・甲信・東海・中国地方で政治秩序…
1556–1558年を、美濃・西国・甲信・京都で既存の政治秩…
1559–1561年を、足利義輝帰洛後の将軍外交、尾張・三河…
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1562–1564年を、桶狭間後の東海再編と松平家中の内戦、…
1565–1567年を、永禄の変による足利義輝政権の断絶から…
1568–1569年を、足利義昭と織田信長による上洛・幕府再…
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1570–1571年を、足利義昭・織田信長政権が越前・北近江…
1572–1573年を、武田信玄の遠江・三河侵攻と三方ヶ原合…
1574–1575年、越前では旧朝倉家臣の対立から一向一揆に…
1576–1578年を、安土城築城による織田政権の新しい政治…
1579–1580年を、安土城完成による織田政権中枢の形成と…
織田信長と豊臣秀吉の時代、城郭・御殿・寺院の巨大空間を覆う金…
1581年を、京都御馬揃えによる織田政権の軍事的・儀礼的可視…
1582年を、甲州征伐による武田氏滅亡、本能寺の変、備中高松…
1583–1584年を、清須会議後の織田家中対立が賤ヶ岳で軍…
1585–1586年を、紀州攻め・四国攻めによる羽柴秀吉の支…
1587–1588年を、豊臣秀吉による九州平定、博多復興、バ…
1589–1590年を、天草国衆一揆、名胡桃城事件、小田原征…
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1592–1593年を、豊臣秀吉による朝鮮侵攻、釜山・東萊か…
1594–1595年を、秀吉の隠居所から本格的な政治都市へ変…
1596年を、慶長伏見地震による指月伏見城と畿内各地の被害、…
1597〜1598年を、長崎の二十六聖人処刑から朝鮮への再侵…
1599年から1600年を、秀吉死後の豊臣政権が合議と誓約に…
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関ヶ原後の1601年から1605年を、徳川家康が軍事的優位を…
1606年から1611年を、徳川家康が駿府に大御所政権を築き…
俵屋宗達と本阿弥光悦から約半世紀後、京都の高級呉服商・雁金屋…
刀剣の鑑定・研磨を家職とする京都の町衆、本阿弥家に生まれた本…
浮世絵は、ある日突然「版画」として誕生したのではない。近世初…
京都の町衆文化から現れた俵屋宗達は、扇絵や料紙装飾を手がける…
徳川幕府の成立とともに、狩野派は京都の絵師集団から江戸幕府の…
江戸時代の美術は、幕府御用の狩野派だけでも、町人文化の浮世絵…
江戸時代の美術を絵画や浮世絵だけで捉えず、陶磁器・漆・染織と…
1612年から1615年を、徳川政権がキリスト教禁制を全国化…
1616年から1624年を、徳川家康の死と東照大権現としての…
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1640年から1651年を、ポルトガル使節団の処刑、1641…
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円山応挙が写生を京都画壇の強い方法へ押し出した後、その方法は…
江戸時代中期、日本の画家たちは中国の文人文化へ強く憧れ、明清…
尾形光琳の死から約一世紀後、江戸の大名家に生まれた酒井抱一は…
江戸時代の禅画を代表する白隠慧鶴と仙厓義梵を通して、禅の教え…
18世紀末、喜多川歌麿は美人画を全身像から顔と上半身へ大きく…
京都・錦市場の青物問屋に生まれた伊藤若冲は、鶏、魚、虫、貝、…
円山応挙は、写生を単なる下準備ではなく完成作品を支える方法へ…
1765年、江戸の絵暦交換会を契機に、それまで2~3色程度だ…
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1746年から1786年を、徳川家重・家治政権から田沼意次失…
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1861年から1864年を、ヒュースケン殺害・東禅寺事件から…
1865年から1867年を、長州藩内政変、安政五カ国条約の勅…
1868年から1869年を、鳥羽・伏見の戦いから江戸城開城、…
1870年から1873年を、大教宣布、郵便創業、戸籍法、新貨…
1874年から1877年を、民撰議院設立建白書、立志社、佐賀…
1878年から1881年を、大久保利通暗殺、三新法と府県会、…
1882年から1885年を、日本銀行創立と松方財政、自由党・…
1886年から1889年を、公文式・学校令・帝国大学、条約改…
1890年から1894年を、第一回衆議院議員総選挙、帝国憲法…
1894年から1895年を、豊島沖海戦・成歓・平壌・黄海海戦…
1895年から1898年を、日清戦争後の賠償金と軍備拡張、台…
1899年から1901年を、改正条約の実施と領事裁判権撤廃、…
1902年から1904年初頭を、第一回日英同盟、ロシア軍の満…
1904年から1905年を、鴨緑江・南山・遼陽・沙河、旅順攻…
1906年から1908年を、第一次西園寺内閣、鉄道国有法、韓…
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1912年末から1914年を、二個師団増設問題、第三次桂内閣…
1915年から1918年を、対華二十一か条要求、第12回総選…
1919年から1922年を、パリ講和会議、山東問題、国際連盟…
1923年から1925年を、加藤友三郎内閣の終焉、関東大震災…
1926年から1929年を、加藤高明死去と若槻礼次郎内閣、地…
1929年から1931年を、浜口雄幸内閣、世界恐慌、旧平価で…
1931年末から1933年を、犬養毅内閣、金輸出再禁止と高橋…
1934年から1936年を、帝人事件による斎藤実内閣総辞職、…
1936年後半から1937年を、二・二六事件後の広田弘毅内閣…
1937年末から1938年を、南京攻略と南京事件、パナイ号事…
1939年から1940年夏までを、平沼騏一郎内閣、日独伊提携…
1940年後半から1941年夏を、第二次近衛文麿内閣、基本国…
1941年8月から12月を、近衛・ルーズベルト首脳会談構想、…
1941年12月から1942年6月を、マレー・香港・フィリピ…
1942年後半から1943年を、米軍のガダルカナル島上陸、第…
1944年7月末から12月を、小磯国昭内閣、最高戦争指導会議…
1945年10月後半から1946年4月を、政党再建、憲法問題…
1945年1月から4月上旬を、ルソン島上陸、マニラ市街戦と住…
1945年4月から6月を、沖縄戦の本格化、菊水作戦、戦艦大和…
1945年7月から8月15日を、本土決戦準備、近衛文麿の訪ソ…
1945年8月15日以後から10月を、停戦命令、東久邇宮内閣…
1946年4月後半から11月3日までを、鳩山一郎の公職追放と…
1948年10月の第二次吉田内閣成立から1949年9月のシャ…
1948年3月から10月を、芦田均内閣、民主自由党の結成、ケ…
1949年秋から1950年末を、シャウプ勧告の制度化、外国為…
1945年の敗戦は、日本の美術界から戦時統制を取り去る一方、…
1951年1月から9月8日までを、吉田茂とジョン・フォスター…
1952年4月28日の主権回復直後から年末までを、血のメーデ…
1953年を、吉田茂首相の「バカヤロー」発言から内閣不信任・…
1954年を、日米相互防衛援助協定(MSA)と防衛力増強、3…
1955年を、鳩山一郎内閣による衆議院解散と第27回総選挙、…
1956年から1957年を、経済白書の「もはや戦後ではない」…
1958年から1960年7月までを、55年体制下初の総選挙、…
1960年7月の池田勇人内閣成立から1964年11月の佐藤榮…
1964年11月の佐藤榮作内閣成立から1968年6月の小笠原…
1968年夏から1970年末までを、東大・日大をはじめとする…
1963年、高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之は「ハイレッド・セ…
1968年11月、中平卓馬、多木浩二、高梨豊、岡田隆彦は写真…
1960年代のオノ・ヨーコは、絵画を「描かれた物」から「実行…
1960年前後の日本では、絵画や彫刻の新しい様式を作るだけで…
1957年に渡米し、1958年からニューヨークを拠点とした草…
1968年、神戸・須磨離宮公園で関根伸夫が大地を円筒形に掘り…
1971年から1972年末までを、環境庁発足、イタイイタイ病…
1973年から1974年末までを、円の本格的な変動相場制移行…
1975年から1976年末までを、石油危機後の景気回復と金融…
1977年から1978年末までを、福田赳夫政権下の安定成長、…
1979年から1980年6月までを、イラン革命と第二次石油危…
1980年7月から1982年11月までを、鈴木善幸内閣の「和…
1982年11月から1984年12月まで。中曽根政権初期の「…
1985年から1986年末までの日本を、NTT・JT発足、プ…
昭和天皇崩御と平成改元、消費税施行、リクルート事件と竹下退陣…
1991年1月から1992年12月まで、湾岸戦争への追加資金…
1993年から1994年までの日本を、宮澤内閣不信任と第40…
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