Art Library

1980–90年代

森村泰昌

美術史、身体、アイデンティティ

名画の「中」に入る

1985年、森村泰昌はフィンセント・ファン・ゴッホの自画像を参照し、自分自身がゴッホに扮した《肖像(ファン・ゴッホ)》を発表した。作品は単なる模写ではない。絵画を写真で再現し、そこへ大阪で生まれた日本人男性である森村自身の顔と身体が入り込む。

兵庫県立美術館は、この1985年の作品を森村がセルフポートレイトによる写真作品を本格的に開始した転換点としている。アートプラットフォームジャパンでも同作は1985年制作のカラー写真として複数の美術館コレクションに記録されている。

森村がその後四十年近く繰り返すことになる方法の核は、すでにここにある。美術史上の有名作品を外から引用するのではなく、その像の内部へ身体ごと入り込み、作品の登場人物を自分自身に置き換えることである。

森村泰昌は1951年、大阪に生まれた

森村泰昌は1951年、大阪市に生まれた。1978年に京都市立芸術大学を卒業し、1980年代の関西を拠点に活動を始めた。アートプラットフォームジャパンは活動領域を絵画、写真、映像、パフォーマンスとして整理しており、最初から「写真家」という一つの職能だけへ収まる作家ではない。

前の記事で見た関西ニューウェーブの環境では、絵画、彫刻、写真、インスタレーションを厳密に分けず、身体や個人的な記憶を作品へ取り込む若い作家が多く現れた。森村もその文脈の中で登場した。

しかし、森村が選んだ「私」の出し方は特異だった。自分の日常を告白するのではなく、自分の身体をすでに誰もが知っている美術史上の像へ変形させた。

なぜ最初にゴッホだったのか

ゴッホの自画像は、西洋近代美術を代表する「芸術家自身の顔」として広く知られている。激しい筆触、苦悩した画家像、孤独な天才という物語と結びつき、近代芸術家の典型的イメージの一つになってきた。

森村はその自画像を自分の身体で演じ直す。すると、ゴッホ本人の自己表現として見ていた像に、別の人物の顔が入り込む。観客は一瞬ゴッホを見るが、近づくと森村であることに気づく。

作品が問い始めるのは、「この顔は誰なのか」だけではない。「美術史上の作家の顔は、なぜこれほど私たちに権威ある像として記憶されているのか」という問題である。

写真で絵画を作り直す

《肖像(ファン・ゴッホ)》は写真作品である。森村は衣装、メイク、身体のポーズ、背景を準備し、絵画の構図を写真として再構成する。後の作品ではカラー写真へ透明メディウムを施す例も多く、写真でありながら絵画に近い表面と大きさを持つ。

ここには二重の置き換えがある。まず、19世紀の油彩画が20世紀の写真へ変換される。そして、画家本人だった人物が森村へ置き換えられる。

オリジナル作品をそのまま複製するのではなく、媒体と身体を入れ替えることで、名画がどのように「名画」として記憶されているかを可視化する。

模写とは違う

古典絵画を学ぶために名画を模写することは、美術教育で長く行われてきた。森村の作品も一見すると精密な模写に近く見える。

しかし、目的は原作を忠実に再現することではない。似せれば似せるほど、日本人男性の顔、化粧、身体、写真という違いが強調される。完全なコピーにならない「ずれ」が作品の中心になる。

森村の引用では、原作への尊敬と破壊が同時に起こる。名画の構図を丁寧に再現しながら、その中へ本来いなかった人物を侵入させる。

「偽物」であることを隠さない

森村の作品は、観客を騙して本物のゴッホ作品だと思わせる贋作ではない。写真を見れば、ある程度の違和感が残るように作られている。

顔は似ているが完全には同じでなく、絵画的な背景には人工的な感触があり、身体の存在感も原作とは違う。つまり「似ているが違う」ことが見える。

偽物を本物へ近づけるのではなく、本物とコピーの間にある差そのものを見せる。この方法が、後の〈美術史〉シリーズ全体へ発展した。

美術史は「見るもの」から「演じるもの」へ

美術館で名画を見る時、観客は作品の外に立つ。美術史は過去に完成した出来事であり、私たちはそれを現在から眺める。

森村はその距離を壊す。衣装を着て、メイクをし、構図を再現し、自分自身が作品の登場人物になる。美術史は鑑賞する対象から、身体で演じ直す脚本へ変わる。

歴史は固定された過去ではなく、現在の身体が再び入り込める舞台になる。

1988年《肖像(双子)》

森村の初期を代表する作品の一つが《肖像(双子)》である。SFMOMAは1988年制作の大判カラー写真として所蔵し、森美術館や高知県立美術館にも異なるエディションや制作年記録がある。

この作品はエドゥアール・マネの《オランピア》を再構成したものとして知られる。原作では裸体の白人女性がベッドに横たわり、その背後に黒人女性の侍女が立つ。森村はその二人を自ら演じる。

一人の日本人男性が、画面内で二つの異なる人種・性別・社会的位置を同時に担う。そのため、原作の構図に埋め込まれていた権力関係が突然見えやすくなる。

マネ《オランピア》を演じ直す意味

《オランピア》は1865年のサロン出品時、裸体そのものだけでなく、女性が鑑賞者を直接見る視線や、当時の性と階級をめぐる意味によって大きな論争を呼んだ。

森村はその有名な像を「西洋美術史の記念碑」としてそのまま受け入れない。自分の顔を入れることで、誰の身体が理想的な裸体として見られ、誰が脇役として配置され、誰が作品を鑑賞してきたのかを問い直す。

SFMOMAも《Portrait (Futago)》について、森村がオランピアと侍女の双方を演じることで、美、ジェンダー、鑑賞者の視線についての前提を揺さぶる作品と説明している。

一人が二人を演じる

《肖像(双子)》という題名も重要である。原作では社会的位置の異なる二人の女性がいるが、森村版では同じ一人の身体が二役を担う。

観客は、肌の色、衣装、姿勢によって二人を別人として読もうとする。しかし顔の根底は同一人物である。差異と同一性が同時に提示される。

人間のアイデンティティは固定した一つの属性ではなく、衣装、役割、歴史的イメージ、見る側の期待によって作られるのではないかという問いが生まれる。

ジェンダーを「入れ替える」だけではない

森村は男性でありながら、女性として描かれた人物を繰り返し演じる。そのため作品はクロスジェンダーなセルフポートレイトとして読まれてきた。

しかし「男性が女性に変身した面白さ」だけで見ると浅い。重要なのは、歴史的絵画で女性の身体がどのように「見るための対象」として構成されてきたかを、男性作家自身がその位置へ入ることで反転させることにある。

見る側にいたはずの男性が、見られる側へ移る。ジェンダーの境界だけでなく、鑑賞する主体と鑑賞される身体の関係が交換される。

日本人の身体が西洋美術史へ入る

森村の作品では、ジェンダーと同時に文化的な位置もずれる。ゴッホ、マネ、レンブラント、ベラスケス、モナ・リザなど、西洋美術史の正典へ日本人の身体が入り込む。

近代日本の美術教育は、西洋美術を「学ぶべき中心」として受容してきた。美術学校では西洋の遠近法、油彩、人体表現、美術史を学び、日本の作家は長く「西洋に追いつく」立場へ置かれた。

森村は西洋美術史を模範として外側から勉強するのではなく、その中心人物を自分で演じる。「見る側の日本」から「画面の内部へ入る日本」への反転が起こる。

「日本人らしい作品」を作らない

海外で評価される日本人作家には、ときに「日本らしい要素」が期待される。禅、余白、伝統素材、浮世絵など、文化的差異が作品の説明として使われやすい。

森村の初期作品には、そうした分かりやすい日本文化の記号が前面に出ない。むしろ、西洋美術史の最も有名なイメージを徹底的に使う。

その結果、逆説的に「日本人が西洋美術史をどう経験してきたか」という問題が強く現れる。日本らしいモチーフを描かなくても、作者の文化的位置は消えない。

コピーする側から、歴史を書き換える側へ

近代日本美術史では、西洋作品を模写・紹介・受容することが長く重要だった。森村の引用も表面的には西洋美術のコピーに見える。

しかし《肖像(双子)》のような作品では、原作が森村を評価する基準ではなくなる。むしろ原作自体が、森村の身体によって問い直される対象になる。

「どれだけ西洋に似ているか」ではなく、「西洋美術史をどのように使い替えられるか」へ立場が変わる。この転換は1980年代後半の日本現代美術の国際化を考えるうえで重要である。

写真だから成立する「入り込み」

森村が油彩でゴッホ風の自画像を描くだけなら、伝統的な引用絵画になる。しかし写真では、作者自身の身体が実際にカメラの前へ立ったという痕跡が残る。

仮装、化粧、セット制作、照明、撮影という一連の行為が必要であり、完成写真の前にはパフォーマンスが存在する。

森村作品は写真であると同時に、写真として固定されたパフォーマンスでもある。作家の身体が媒体の中心にある。

セルフポートレイトなのに「本人らしさ」が消える

自画像は通常、作者の顔や内面を表すものと考えられる。森村の自画像では、作者はゴッホや女性像、映画女優へ変身するため、自分固有の顔を隠していく。

しかし、隠すほど森村自身の存在が強く意識される。「これはゴッホではなく森村だ」と分かるからこそ作品になる。

自己を直接表現するのではなく、他者のイメージを重ねることで「自分とは何か」を考える。自己と他者が対立せず、自己の内部に多数の他者が入り込む。

1988年、ヴェネツィア・ビエンナーレ「アペルト」

1988年、森村は第43回ヴェネツィア・ビエンナーレの若手部門「アペルト’88」へ参加した。国立新美術館は、1980〜95年に設けられたアペルトを若手作家の国際的な登竜門として位置づけ、森村と宮島達男が1988年に参加したことを記録している。

1985年にゴッホの作品を発表してからわずか数年で、森村のセルフポートレイトは国際的な現代美術の文脈へ入った。

西洋美術史の内部へ日本人の身体を挿入する作品が、西洋の主要な国際展で展示される。この状況自体が作品の主題と奇妙に重なる。

海外の観客には何が見えたのか

日本の観客にとって森村の作品は、西洋美術を学んできた日本人がその名画へ入る行為として読める。海外の観客からは、異文化の作家が西洋の正典を乗っ取るようにも見える。

さらに、男性が女性を演じ、人種的な役割まで入れ替えることで、ジェンダーと文化的アイデンティティの問題が重なる。

同じ作品でも、観客がどこから見るかによって「違和感」の位置が変わる。森村作品は国際展へ出ることで、さらに複数の読みを持つようになった。

1989年「アゲインスト・ネイチャー」

1989年、森村は「アゲインスト・ネイチャー:80年代の日本美術」へ参加した。アートプラットフォームジャパンによれば、サンフランシスコ近代美術館を皮切りにアメリカ各地を巡回し、ダムタイプ、舟越桂、宮島達男、大竹伸朗、椿昇らとともに紹介された。

これは1980年代の日本現代美術を海外へまとまって紹介した重要展の一つだった。日本美術を伝統文化やもの派だけで説明せず、80年代の多様な作家を見せる試みである。

森村の存在は、「日本らしい様式」を示すという展覧会の古い役割を複雑にした。西洋美術史を素材にする日本人作家は、国民文化の代表という枠へ簡単には収まらない。

1989–90年〈美術史の娘〉

1989年から90年頃、森村は〈美術史の娘〉と呼ばれるシリーズを展開した。アートプラットフォームジャパンには《美術史の娘(劇場A/B)》が1989年、《美術史の娘(王女A/B)》が1990年の作品として記録されている。

シリーズ名そのものが重要である。「美術史の息子」ではなく「娘」と名乗ることで、作者自身の男性性を一度外し、歴史へ別の位置から参加する。

美術史を父権的な権威として外から批判するのではなく、その「娘」になって内部へ入り込み、親密さと反抗を同時に作る。

1990年、佐賀町エキジビット・スペースで「美術史の娘」

兵庫県立美術館の森村略歴では、1990年に東京の佐賀町エキジビット・スペースで「美術史の娘」展が開催されたことが記録されている。

前の記事で扱った佐賀町エキジビット・スペースは、1983年に開設され、若い作家へ実験的な展示空間を提供した場所だった。森村の代表シリーズがそこで大きく提示されたことは、1980年代の新しい発表インフラと作家の成長が結びついていたことを示す。

写真を壁に掛けるだけでなく、大型作品を空間的に展開することで、美術史そのものが一つの劇場のように構成されていく。

なぜ「娘」なのか

森村作品では、西洋美術史の女性像を男性作家が演じる。そこには性別を越境する楽しさだけでなく、美術史における女性の位置をめぐる問題がある。

長い美術史では、作品を制作し評価される作者は男性が多く、女性は描かれる対象として登場することが多かった。森村は男性作者でありながら、その「描かれる側」へ移る。

作者とモデル、男性と女性、主体と客体を固定しないことで、美術史の役割分担を一時的に混乱させる。

美術史を愛しながら批判する

森村の作品には、西洋美術史への強い知識と関心が必要である。原作の構図、衣装、色、人物配置を細かく調べなければ再制作できない。

そのため、作品は「西洋美術を否定する」だけではない。名画へ深く入り込み、何度も見て、身体で再現するほどの親密さがある。

愛着があるからこそ、その中にある権威、ジェンダー、人種、中心と周縁の構造を批判できる。森村の引用は敬意と批評が分離していない。

「アプロプリエーション」と森村

1980年代の国際美術では、既存の写真や広告、美術作品を引用・再利用するアプロプリエーションが重要な方法になった。シェリー・レヴィーン、シンディ・シャーマン、リチャード・プリンスらが、作者性、オリジナル、メディアのイメージを問い直していた。

森村の作品もこの国際的文脈と比較される。SFMOMAは森村を、既存イメージの引用を通して文化的アイデンティティを検討する作家として位置づけている。

しかし森村は既存写真を再撮影するだけではない。自分の身体を使い、衣装とセットを作り、イメージを肉体的に「再演」するところに独自性がある。

シンディ・シャーマンとの違い

森村は、セルフポートレイト、仮装、ジェンダー、既存イメージを扱う点でシンディ・シャーマンと比較されることが多い。シャーマンも自分自身をカメラの前へ置き、映画やメディアにある女性像の類型を演じた。

一方、森村は具体的な歴史的作品や著名人を明示的に引用することが多い。観客は「誰に扮しているか」を知ることで、原作との比較を始める。

似た方法を持ちながら、森村では西洋美術史を日本人男性が演じるという文化的な位置のずれが特に強く働く。

写真は「証拠」なのか「演技」なのか

写真は長く、目の前に実際に存在したものの証拠として信頼されてきた。しかし森村の写真が証明するのは、「ゴッホがそこにいた」ことではなく「森村がゴッホを演じた」ことである。

写真の記録性は残っているが、その記録対象が最初から人工的な演技である。

写真は現実と虚構を分ける装置ではなく、虚構を現実の身体で実行した痕跡を残す装置になる。

1990年代、引用対象が映画スターへ広がる

1990年代になると森村は、西洋美術史の名画だけでなく映画スターのイメージへ大きく範囲を広げる。兵庫県立美術館は、古今東西の名画を題材にした〈美術史〉シリーズと並び、往年の映画女優を題材とする〈女優〉シリーズを代表的な仕事としている。

SFMOMAには1996年のマリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、グレタ・ガルボ、ブリジット・バルドー、ライザ・ミネリらを演じたセルフポートレイトが多数所蔵されている。

引用対象が美術館の名画から映画とスター文化へ移ることで、「歴史的名画」と「大量複製される有名人写真」の差も作品の中で揺らぐ。

〈女優〉シリーズ — 男性が「女性スター」を演じる

映画女優のイメージは、本人の実生活とは別に、スタジオ写真、映画ポスター、雑誌によって社会的に作られたものでもある。スターとは、個人であると同時に大量流通するイメージである。

森村がマリリン・モンローやオードリー・ヘプバーンを演じると、観客は「本人に似ているか」を比較する。しかし、そもそも私たちが知っているスター像自体が写真と映画によって作られたイメージである。

森村の身体は、その人工性をさらに一段重ねる。女性スター、男性作家、写真のイメージが重なり、どこまでが「本人」なのか分からなくなる。

スターの身体は誰のものか

有名女優のイメージは本人が所有するだけでなく、映画会社、広告、雑誌、ファンの記憶によって共有される。繰り返し複製されるほど、個人の身体から離れて文化的な記号になる。

森村はその記号を自分の身体へ移す。すると「女性らしさ」「美しさ」「スターらしさ」が、生まれつきの属性ではなく、髪型、衣装、化粧、ポーズ、照明によって作れるものとして見える。

ジェンダーだけでなく、メディアが人間の身体をどのようにイメージへ加工するかが明らかになる。

1996年《Self-Portrait (Actress) Red Marilyn》

SFMOMA所蔵の《Self-Portrait (Actress) Red Marilyn》は1996年制作で、森村がマリリン・モンローを演じる〈女優〉シリーズの代表作の一つである。

ここでは歴史的絵画の筆触を再現する必要がない。スター写真の照明、表情、衣装、髪型を再現することで、観客が記憶している「マリリン」というイメージを呼び出す。

美術史の引用からマスメディアの引用へ移っても、森村の方法の核は変わらない。既に社会に定着した他者の像へ自分自身を挿入する。

1996年には写楽も演じる

森村の引用は西洋だけに向いているわけではない。SFMOMAには1996年の〈Self-Portrait – Sharaku〉シリーズも所蔵され、東洲斎写楽の役者絵をもとに、木版、フォトグラビュール、デジタル印刷を組み合わせた作品が制作されている。

西洋美術史へ日本人が入るという構造だけでなく、日本美術史の像も同様に演じ直す。

これによって森村の仕事は「東洋が西洋を批判する」という単純な二項対立を越える。あらゆる歴史的イメージが再演可能な舞台になる。

1998年《Monna Lisa in Its Origin》

SFMOMAのコレクションには1998年《Monna Lisa in Its Origin》も記録されている。世界で最も有名な肖像画の一つである《モナ・リザ》まで、森村は自画像の対象にした。

《モナ・リザ》ほど複製され、広告や商品へ利用された美術作品は少ない。原作を見る前から、ほとんどの人が複製画像を知っている。

森村がそこへ入ると、「本物を見る」とは何かがさらに不安定になる。私たちの美術史の記憶が、すでに複製メディアによって作られていることが露出する。

巨大な写真は「写真らしくない」

森村の〈美術史〉作品には、二メートルを超える大判写真が多い。《肖像(双子)》はSFMOMA所蔵版で約210×300センチ、《美術史の娘(王女A)》は210×165センチである。

家庭のアルバムや雑誌写真とはまったく異なるスケールであり、美術館の壁では歴史画のような存在感を持つ。

写真を大型化し、透明メディウムを施すことで、写真と絵画の制度的な差を曖昧にする。森村は「写真家」だから写真の純粋性を追求したのではなく、写真を使って絵画史へ侵入した。

作者の身体は一つなのに、像は増殖する

森村はゴッホ、オランピア、侍女、王女、レンブラントの人物、マリリン、ヘプバーン、写楽の役者など、無数の人物になる。

実際の身体は一人なのに、写真の中では性別、年齢、人種、時代、職業が何度も変わる。

アイデンティティを「自分の本当の内面を見つけること」と考えるのではなく、「自分は複数のイメージを演じられる存在である」と考える方向がここにある。

「本当の自分」はどこにいるのか

セルフポートレイトを見れば、普通は作者本人へ近づけると思う。しかし森村作品を何十点見ても、ゴッホ、女優、王女、歴史的人物が増えるばかりで、「素の森村」が見えてくるわけではない。

むしろ「素の自分」という考え自体が疑われる。日常生活でも人は、職業、性別、家族、文化、時代によって異なる役割を演じている。

仮装した自画像は人工的に見えるが、それによって日常のアイデンティティもまた社会的に作られたものではないかという問いが生まれる。

身体は固定した境界ではなくなる

森村の身体は、作品ごとに別の歴史的身体を受け入れる「場所」のように機能する。男性/女性、日本/西洋、作者/モデルといった境界がその上で重なる。

身体そのものを消すのではなく、身体があるからこそ境界を越えられる。ここが純粋な概念芸術とは異なる。

森村の作品は知的な引用であると同時に、化粧し、衣装を着て、ポーズを取り、長時間撮影する非常に物理的な行為でもある。

ユーモアが批評を可能にする

森村作品は、美術史やジェンダーといった重い問題を扱うが、見るとしばしば可笑しさがある。顔の違和感、過剰な化粧、作り込まれたセットには演劇的なユーモアがある。

批評的な作品が必ず深刻な表情を持つ必要はない。笑いが生まれることで、観客は名画を畏れずに見直すことができる。

権威ある美術史を破壊するのではなく、一度「演じてみる」ことでその権威を柔らかくする。この距離感は森村の大きな特徴である。

パロディだけではない

有名作品を別の人物が演じれば、パロディのように見える。しかし森村の作品は原作を嘲笑することが主目的ではない。

原作の構図やイメージを丁寧に再現し、その歴史的な力を借りながら、自分の身体との摩擦を起こす。

笑えると同時に、原作を見直したくなる。パロディ、オマージュ、批評、セルフポートレイトが完全には分けられない。

美術史の権威は「複製」によって作られている

多くの人は《オランピア》やゴッホの自画像の原作を何度も直接見ているわけではない。教科書、図録、ポスター、テレビ、インターネットの複製を通して知っている。

森村自身も、美術史のイメージを複製文化の中で学び、それを写真へ再変換する。

すると「西洋美術史」という巨大な権威も、実際には大量の複製画像によって世界へ流通し、人々の記憶へ入ったものだと分かる。森村はその複製回路を利用しながら、内容を書き換える。

日本で西洋美術史を学ぶ経験

日本の美術学生は、西洋の名画の多くを最初に複製画像で学ぶ。ルーヴルやオルセーへ行く前に、教科書の小さな図版で作品を知る。

その距離は森村作品にとって重要である。西洋美術史は「自分の国の過去」ではないが、教育によって非常に親密な記憶にもなっている。

遠い歴史なのに自分の内側にある。このねじれが、森村が名画の中へ実際に身体を入れる行為へ説得力を与える。

「中心」と「周縁」は固定されない

1980年代まで国際現代美術の中心は欧米の大都市と主要美術館に大きく偏っていた。日本人作家はしばしば「非西洋の作家」として見られた。

森村はその周縁的位置を隠して中心へ同化しようとするのではなく、中心のイメージそのものを自分の身体へ移す。

結果として、中心と周縁の関係が一方向でなくなる。西洋美術史が森村を規定するだけでなく、森村の作品が西洋美術史の見え方を変える。

ジェンダーと人種を同じ一つの答えへまとめない

森村作品はジェンダー、人種、文化的アイデンティティを同時に扱うように見える。しかし、それらをすべて「境界を越える」という一つの言葉でまとめると、歴史的な差が消える。

男性が女性を演じること、日本人が欧州の画家を演じること、黒人女性として描かれた人物を日本人男性が演じることには、それぞれ異なる権力の歴史がある。

作品の面白さは、それらを完全に解決することではなく、複数の差異を一枚の画像へ重ね、簡単には整理できない違和感を残すところにある。

「アイデンティティ・アート」と呼ぶときの注意

1990年代には、ジェンダー、人種、セクシュアリティ、文化的出自を扱う「アイデンティティ・ポリティクス」が国際美術の重要な議論になった。森村作品もその文脈で評価されることが多い。

確かに自分の身体と文化的位置を扱うが、作品は特定のアイデンティティを正しく代表することだけを目的としていない。むしろ、どのアイデンティティにも完全には一致しない状態を作る。

「私は日本人男性である」と固定するより、「私はゴッホにもオランピアにもマリリンにもなれる」という不安定さが中心にある。

1990年代、日本現代美術の国際化と重なる

森村が国際的に知られるようになった1980年代末から90年代は、日本現代美術そのものが海外で頻繁に紹介され始める時期だった。

1989年「アゲインスト・ネイチャー」以後、「プライマルスピリット」「ゾーンズ・オブ・ラブ」など日本現代美術展が北米、欧州、オセアニアで開催される。国立新美術館は、この時期を日本の同時代美術が海外でまとまって紹介される重要な段階としている。

森村はその流れの中で「日本を代表する日本的作家」ではなく、むしろ日本という分類そのものを複雑にする存在だった。

写真、美術史、演劇が一つになる

森村の制作には写真家、俳優、舞台美術家、研究者の仕事が同時に必要になる。原作を調べ、衣装を考え、顔を作り、セットを構築し、演技し、撮影し、プリントを仕上げる。

完成品は一枚の写真だが、その前に多くのメディアが交差する。

1980年代以後の現代美術でジャンル横断が一般化する中でも、森村は「セルフポートレイト」という非常に古い形式の中へ複数の媒体を集めた。

作品を見ると、原作へ戻りたくなる

森村の《肖像(双子)》を見れば、マネ《オランピア》とどこが違うかを確認したくなる。《肖像(ファン・ゴッホ)》を見れば、どのゴッホ自画像を参照したかを調べたくなる。

つまり森村作品は、美術史を終わった知識ではなく、再び見る対象へ変える。

引用作品は原作から価値を借りるだけではない。原作そのものを現在の観客へ再起動させる働きも持つ。

「なりきれない」ことが重要

どれほど精密に扮しても、森村はゴッホ本人にもマリリン・モンロー本人にもならない。完全な変身は不可能である。

その不可能性こそ作品の核心である。完全になれるなら単なる代役になるが、なりきれない差が残るから、二つの人物を同時に見ることができる。

同一化と差異が同じ画面に存在する。「似ている/似ていない」の間を保つことが、森村の自画像を長く持続させた。

セルフポートレイトは「自分の顔を残す」だけではない

美術史上の自画像は、作者が自分の姿を後世へ残す形式として発達した。森村の自画像では、自分の顔をそのまま保存するのではなく、他者の顔の中へ繰り返し埋め込む。

その結果、森村の顔そのものも一つの記号として記憶される。何度変身しても観客は「森村の顔」を探すようになる。

他者になろうとするほど、作者のアイデンティティがブランドのように強くなる。この逆説も作品の一部である。

1990年代以後へ続く方法

森村は1990年代以後も、フリーダ・カーロ、ゴヤ、20世紀の政治家や歴史的人物など、引用対象をさらに広げる。2016年の国立国際美術館「自画像の美術史」では、初期ゴッホ作品から長期にわたる自画像の実践が再構成された。

つまり1985年の方法は一時的なシリーズではなく、作家の生涯を貫く制作原理になった。

重要なのは毎回違う人物になることより、「歴史的イメージへ現在の自分が入ると何が変わるのか」という問いが繰り返されていることである。

1980–90年代|森村泰昌

森村泰昌は1951年大阪生まれ、1978年京都市立芸術大学卒業。1985年《肖像(ファン・ゴッホ)》で、ゴッホの自画像を自分自身の身体で演じ直すセルフポートレイトを本格的に開始した。写真、衣装、メイク、セットを用い、歴史的な絵画を精密に再構成しながら、本来そこに存在しなかった日本人男性の身体を挿入する。作品は名画の模倣ではなく、美術史を身体で再演する方法となった。

1988年《肖像(双子)》ではマネ《オランピア》を再構成し、森村自身が裸体の女性と黒人侍女の双方を演じた。一人の身体が二つの人種・ジェンダー・社会的位置を担うことで、原作に埋め込まれた「見る側/見られる側」の構造が可視化される。同年、森村はヴェネツィア・ビエンナーレ「アペルト’88」へ参加し、翌1989年には「アゲインスト・ネイチャー:80年代の日本美術」へ出品した。関西で始まったセルフポートレイトは、急速に国際現代美術の問題へ接続された。

1989–90年頃の〈美術史の娘〉では、西洋美術史の女性像へ入り込む方法をさらに展開し、1990年には佐賀町エキジビット・スペースで「美術史の娘」展を開催した。1990年代には〈女優〉シリーズへ進み、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、グレタ・ガルボら映画スターを演じる。美術館の名画から映画・雑誌の大量複製イメージへ対象が広がり、「本当の本人」と社会が作ったスター像の境界も揺さぶられた。

森村の作品を「名画のコスプレ」と呼ぶだけでは、その核心を捉えられない。男性が女性になる、日本人が西洋人になる、作者がモデルになる、写真が絵画になる。その複数のずれによって、アイデンティティが生得的で固定したものではなく、歴史、衣装、メディア、見る側の期待によって作られることが示される。同時に、森村は西洋美術史を拒否するのではなく深く愛し、身体で入り込むことでその権威を書き換える。1980〜90年代の日本現代美術が「日本らしい一つの様式」から離れ、個人の身体を通して国際美術史へ介入する段階へ進んだことを象徴する作家である。次の記事では、写真そのものの時間と知覚を長期にわたり問い続けた杉本博司へ進む。

参考資料

資料確認日:2026年10月2日