1980–90年代
宮島達男
時間、数字、テクノロジー
宮島達男の作品では、数字が「生きて」いる
暗い空間の中で、赤、緑、青の数字が点滅しながら変化する。9から8、7、6へ進み、1の次には0を表示せず、一瞬だけ消える。そして再び9から始まる。宮島達男の作品を初めて見ると、電子掲示板やデジタル時計のような装置に見えるかもしれない。
しかし宮島にとって、数字は時刻を正確に伝えるための表示ではない。一つ一つのカウンターは異なる速度で変化し、それぞれ別の時間を持つ。速く生きるもの、ゆっくり生きるものが同じ空間へ共存する。数字の変化は生命の時間へ置き換えられている。
森美術館は、宮島の作品を「それは変化し続ける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」という三つの考えを基盤とし、時間という普遍的な問題へ仏教的な死生観とテクノロジーを結びつけた実践として位置づけている。
1957年、東京に生まれる
宮島達男は1957年、東京都江戸川区に生まれた。1984年に東京藝術大学美術学部油画科を卒業し、1986年に同大学大学院を修了した。アートプラットフォームジャパンでは活動領域をメディアアート、インスタレーションとして整理している。
現在ではLEDによる作品で知られるが、大学時代に中心だったのは電子機器ではなく、自分自身の身体を使うパフォーマンスだった。
宮島の制作史を見ると、身体表現から電子装置へ移った後も「人間が生きている時間をどう他者へ伝えるか」という問題は一貫している。LEDは身体から離れた冷たい技術ではなく、身体の代わりに時間を演じる媒体として選ばれた。
1980年代前半〈NA.AR.〉
東京藝術大学在学中、宮島は〈NA.AR.〉と名づけたパフォーマンスを行った。名称はNatureとArtificialityを組み合わせた宮島自身の造語である。街路や自然環境へ身体を置き、人間の行為と周囲の環境の関係を探ろうとした。
1981年の《NA.AR.(Voice)》では人通りの多い街で声を発し、1982年の《NA.AR.(Rain)》では雨が降る直前の路上へ横たわり、自分の身体の形だけ乾いた痕跡を残した。《NA.AR.(Human Stone)》では身体を縮め、石のような状態になることを試みた。
後のLED作品とは外見上ほとんど共通点がない。しかし、身体が周囲へどのような痕跡を残し、他者とどう接続するかという問題は、後の「関係」と「時間」の作品へつながっている。
なぜパフォーマンスから離れたのか
パフォーマンスには、その場にいた人しか直接体験できないという限界がある。宮島は後年、特定の瞬間にそこへいなければ作品を見られないことを、観客に対して十分に開かれていない状態だと考えるようになったと語っている。
身体がその場で演じる代わりに、作者がいなくても動き続け、いつ訪れた観客にも同じように出会える作品が必要になった。
電子装置へ移る理由は、身体性を捨てるためではない。むしろ、自分の身体の代わりに「演じ続けるもの」を作るためだった。宮島は後に、物体が自分の代わりにパフォーマンスすると説明している。
1986年頃、時間を表示する装置へ
1986年頃から宮島は、テレビモニター、ビデオ、タイマー、電子信号などを組み合わせ、時間の変化を作品へ取り込むようになる。《Time》や《It of the Future》などでは、電子装置同士が信号を交換し、固定された彫刻ではなく変化する状況を作った。
ここで重要なのは「最新技術を作品へ導入した」ことだけではない。電子機器は電流が流れ続ける限り、自動的に状態を変え続ける。
作者が手を動かさなくても作品が変化する。この性質が、宮島の求めていた「時間を演じ続ける物体」と結びついた。
1987年、三つの考えが明確になる
宮島は1987年、自身の制作を支える三つの考えを明確にした。「それは変化し続ける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」である。
公式サイトでは、この三つを現在まで制作の根幹となる考えとして掲げている。宮島自身も1992年のインタビューで、1987年に初めてこの三つを明確な制作原理として認識したと述べている。
重要なのは、特定の素材や様式を定義した宣言ではないことである。LEDを使わなければならないとも、数字だけを使うとも書かれていない。変化、関係、継続という世界観が先にあり、LEDはそれを最も明瞭に可視化できる媒体として選ばれた。
「それは変化し続ける」
第一の考えは、あらゆる存在は固定されず変化するというものだ。人間の身体も、社会も、感情も、都市も変わる。
美術作品は長く「変わらないもの」であることを価値としてきた。絵画や彫刻は保存され、制作時の状態をできるだけ維持することが求められる。
宮島は逆に、変化し続けることを作品の本質へする。数字は止まらず、同じ画面が二度と完全には戻らない。作品は一つの完成状態ではなく、変化そのものとして存在する。
「それはあらゆるものと関係を結ぶ」
第二の考えは、存在は単独では成立せず、他者や環境との関係の中で生きるというものだ。
宮島のインスタレーションでは、一個のLEDカウンターだけを見るより、異なる速度で動く多数のカウンターが同じ空間へ置かれた時に意味が強くなる。一つの時間と別の時間が隣り合い、全体として複雑なリズムが生まれる。
一個のカウンターを一人の生命と考えるなら、複数のカウンターは家族、地域、社会のようにも見える。各個体が違う速度を保ちながら、一つの場を共有することが「関係」を可視化する。
「それは永遠に続く」
第三の考えは、終わりではなく循環である。宮島のカウンターは1まで進むと停止するのではなく、一瞬暗転し、再び9から動き出す。
この反復は、宮島が関心を持つ仏教的な生死観と結びついている。死を完全な終末ではなく、一つの状態の変化として捉える。
電子装置は電源が入っている限り同じ循環を繰り返す。非常に現代的な工業技術が、長い宗教思想に関わる「生・死・再生」を表現する媒体になる。
1987年《Clock for 300 Thousand Years》
三つの考えを形成した時期の重要作が《Clock for 300 Thousand Years》である。公式サイトによれば、1987年、東京・銀座のルナミ画廊で発表され、LEDと電子回路を使って約30万年以上に相当する時間を数える構造を持つ。
人間の寿命から見れば30万年はほとんど永遠に近い。作品が実際に最後まで動き続けることを確認する観客は存在し得ない。
したがって、これは実用的な時計ではない。「人間が経験できない長さの時間を、数える装置として想像できるか」という作品である。テクノロジーが人間の時間尺度を越える。
数字を使う理由
数字は世界中の多くの場所で理解され、言語より文化差が少ない記号として機能する。宮島は、数字がさまざまな観念を観客へ引き起こすことに可能性を感じた。
数字そのものには顔も物語もない。そのため、見る人は年齢、時刻、数量、順序、記憶など、自分の経験と結びつけることができる。
作品が「この人物の人生」を描くのではなく、抽象的な数字を使うことで、観客それぞれが自分の時間を重ねられる余地が生まれる。
なぜ0を表示しないのか
宮島の代表的なカウンターでは、1から9、あるいは9から1まで数字が変化するが、0は表示されない。0になる位置ではLEDが一瞬消え、暗闇になる。
森美術館は、この暗転を死の状態と説明している。しかし暗闇の後、数字は再び現れる。そのため死は永久停止ではなく、生の循環の中の一時的な不可視状態になる。
0を「0」という文字で表示しないことが重要である。数字として死を説明するのではなく、光が失われる経験として死を感じさせる。
暗闇も作品の一部である
LEDが点灯している時間だけを作品と考えると、宮島作品の半分を見落とす。数字が消える一瞬の暗闇も、点灯と同じ重要性を持つ。
光があるから暗闇が見え、暗闇があるから再び現れる光が強く感じられる。生だけを肯定するのではなく、死を含むことで循環が成立する。
電子表示の「故障」のように見える消灯を、作品の中心へ置いたことが宮島の独自性の一つである。
1988年《Sea of Time》
1988年、宮島は原美術館の「第8回ハラ アニュアル」で《Sea of Time》を発表した。原美術館は若手作家を紹介する重要な場であり、この作品によって宮島のLED表現は一気に可視化された。
公式資料によれば、床面に多数のLEDカウンターが配置され、それぞれ異なる速度で数字を変え続けた。多数の小さな時間が同じ暗い空間へ散らばる様子が、海のような広がりを作る。
一つの時計が全員へ共通する「正確な時間」を示すのではない。無数の時間が同時に存在する。この作品は宮島の三つの考えを空間全体へ展開した最初期の代表作となった。
一人一人の時間は同じ速度ではない
時計では一秒の長さは誰にとっても同じとされる。しかし人間が経験する時間は均等ではない。楽しい時間は短く感じ、待つ時間は長く感じる。年齢や身体状態によっても時間感覚は変わる。
《Sea of Time》ではカウンターごとに数字の変化速度が異なる。同じ空間にいながら、それぞれが自分のリズムを維持する。
客観的な時計時間と、個人が経験する生の時間を分けて考えることができる。デジタル機器なのに、一律な機械時間とは逆の多様性が表現される。
1988年ヴェネツィア・ビエンナーレ「アペルト」
同年、宮島は第43回ヴェネツィア・ビエンナーレの若手部門「アペルト’88」へ招待された。アートプラットフォームジャパンは、森村泰昌と宮島の参加を、日本の現代美術が海外へ紹介されていく重要な契機の一つとして位置づけている。
宮島はヴェネツィアでも《Sea of Time》を展開し、国際的な注目を集めた。森美術館によれば、この参加が本格的な国際デビューとなった。
日本固有の伝統素材ではなく、世界的な電子技術とアラビア数字を使う作品が、日本人作家の代表的表現として国際展へ現れたことも1980年代末の大きな変化だった。
「ハイテク日本」のイメージだけでは説明できない
1980年代末、日本は電子機器、自動車、コンピューター産業によって国際的に「高度技術の国」というイメージを持たれていた。LEDを使う宮島作品は、その社会状況と重なって見える。
しかし作品は技術の性能を誇示しない。数字表示は非常に単純で、最新情報を高速処理する目的もない。むしろ生死、時間、関係という古くからある問題を扱う。
宮島は現代技術を未来の象徴として礼賛するのではなく、人間が何千年も考えてきた問題をもう一度見るための媒体として使った。
テクノロジーと仏教思想を単純に二分しない
宮島作品は「西洋のテクノロジーと東洋の仏教を融合した」と説明されることがある。確かに仏教的な無常観や生死の循環は重要である。
しかし電子技術を単純に西洋、宗教思想を単純に東洋として分けると、1980年代日本の現実を見誤る。LEDや電子部品は当時の東京の日常的な都市環境にも深く入り込んでいた。
宮島にとって技術と思想は別々の文化を象徴する材料ではなく、同じ現在を考えるために同時に存在するものだった。
LEDは作者の代わりにパフォーマンスする
大学時代のパフォーマンスでは宮島本人の身体が動き、声を出し、観客と同じ時間を共有した。LED作品では作家本人が不在でも数字が動き続ける。
しかし宮島は電子作品を身体性から切り離していない。一つのカウンターを人間のように捉え、それぞれ異なる速度で「生きる」装置として考える。
作家が舞台から退き、作品が自律的に演じる。パフォーマンスの時間性を物体へ移植したと考えることができる。
1989年《Counter Line》《Counter Circle》
《Sea of Time》以後、宮島はカウンターを線、円、六角形など多様な構造へ展開した。1989年には《Counter Line》《Counter Circle》《Double Focus》などを制作している。
同じLEDでも、一直線に並べれば時間が流れる方向性を感じ、円形にすれば始点と終点のない循環が強調される。
数字を表示する装置だけでなく、それを空間へどう配置するかが作品の意味を変える。宮島はLEDを一つの造形言語として発展させていった。
1990年《Death of Time》
1990年、宮島は広島市現代美術館で《Death of Time》を制作した。後に1590個のLEDカウンターから成る作品として同館へ収蔵されている。
数字の列が長い壁面へ続く中、一か所だけ人間の身体幅ほどの暗い空間が設けられる。そこには数字も光もなく、時間が完全に停止したように見える。
宮島はこの暗闇を1945年の広島原爆と結びつけ、「時間の死」と呼んだ。通常のカウンターで現れる一瞬の死とは異なり、ここでは循環そのものが破壊された状態を示す。
自然な死と「時間の死」
宮島の通常のカウンターでは、暗転の後に数字が再び始まる。死は生と連続する循環に含まれる。
《Death of Time》の暗闇には再開がない。戦争と核兵器によって強制された大量死は、個々の生命が本来持つ時間のリズムを外部から断ち切るものとして捉えられる。
同じ「暗闇」でも意味が違う。宮島は電子表示の単純なオン/オフによって、自然な生死と人為的な大量死の差を表現した。
広島を「数字」へ還元しない
大量死は統計によって「何万人」という数字で記録される。しかし、数字が大きくなるほど一人一人の個別の人生は見えにくくなる。
宮島は数字を使いながら、その危険も強く意識した。各カウンターを異なる速度で動かすことで、一つ一つが固有の時間を持つ生命として見えるようにする。
数字は人間を匿名化する記号になり得る一方、差異を与えれば個別性を想像する入口にもなる。その両面性が1990年代の作品で重要になる。
1990–91年、ベルリン滞在
宮島は1990年にアジアン・カルチュラル・カウンシルの助成でニューヨークに滞在し、1990–91年にはDAADのプログラムでベルリンに滞在した。公式略歴にはこの時期の海外活動が記録されている。
1988年のヴェネツィア参加後、欧米での滞在と展覧会が急速に増え、宮島の作品は日本国内の「ハイテク美術」という枠を越えて現代美術の国際的文脈へ入っていった。
1990年代初頭には、LEDカウンターという明確な視覚言語を維持しながら、場所ごとに異なる大型インスタレーションを展開する作家として評価が定着する。
1990年《133651》
1990年の《133651》では、乱数によって設定した巨大な番号体系を用い、時間を個別の単位の集合として構成した。公式サイトは、このシリーズを「時間の集合」から宇宙を表現するものとして説明している。
人間は時間を年、日、秒という単位に分割し、数字で管理する。しかし宇宙そのものに人間の時計があるわけではない。
宮島は数字を使いながら、数字で完全には把握できない巨大な時間を想像させる。計測と不可測性が同じ作品へ入っている。
1990年代、LEDは色を増やしていく
初期のLED作品では赤色が中心だったが、技術の進歩によって緑、青など異なる色の発光ダイオードが使えるようになる。1996年には《Time in Blue》など青色LEDを用いる作品も制作された。
技術の発達は作品の選択肢を増やすが、宮島は新色を単なる装飾として使わない。色が空間の感情や死生観を変えることを意識している。
1999年《Mega Death》で青色が重要な意味を持つようになるのも、この技術的・造形的展開の延長にある。
1995年、再び身体へ戻る
宮島は1990年代半ば、LED作品と並行してパフォーマンスを再開する。身体を使った初期活動へ戻ったのではなく、LEDで確立したカウントの構造を身体へ戻す試みだった。
《Counter Voice》などでは、人間が声で9から1まで数え、0に相当する瞬間を沈黙や呼吸停止として表現する。
電子装置が人間の生命を比喩するだけでなく、今度は人間の身体がデジタルカウンターの構造を演じる。身体とテクノロジーの関係が往復する。
1996年《Counter Voice in the Water》
《Counter Voice in the Water》では、宮島が9から1まで声に出して数え、0に相当する瞬間に水へ顔を沈め、息を止める。その後顔を上げ、再び数え始める。
LEDでは一瞬の暗転として表現された「0」が、人間の身体では呼吸を止める行為になる。数字の抽象性が、生命維持に必要な呼吸と直接結びつく。
電子作品の思想が身体的経験へ翻訳されることで、宮島がテクノロジーそのものに魅了されているだけではないことがよく分かる。
1996–97年「Big Time」
1996年、テキサス州フォートワース近代美術館で大規模個展「Big Time」が開催され、翌1997年にはロンドンのヘイワード・ギャラリーへ巡回した。ベネッセアートサイト直島の作家略歴も、この展覧会を宮島の主要な国際個展として挙げている。
1988年のアペルト参加から十年足らずで、宮島は大型LEDインスタレーションを個展規模で構成する国際作家になった。
数字、光、暗闇という非常に単純な要素が、建築全体を使う環境へ発展したことが1990年代の特徴である。
1996年「時の蘇生・柿の木プロジェクト」
宮島は1996年、長崎で被爆しながら生き残った柿の木から採取した種子を育て、その苗木を世界各地へ植樹する「時の蘇生・柿の木プロジェクト」を開始した。
ここではLEDも美術館も必要ない。一本の木が成長する時間そのものが作品へ関わる。植樹には地域の人々、特に子どもたちが参加し、長期間にわたって育てる。
三原則の「変化」「関係」「継続」が、生きた植物と共同体のプロジェクトとして展開された。宮島の時間表現が電子装置だけに限定されないことを示す重要な活動である。
数字の速度を誰が決めるのか
宮島作品では、カウンターの変化速度が一つ一つ異なることが重要である。初期には作者が設定していたが、1990年代にはその決定を他者へ委ねる作品が現れる。
速度を決めることは、そのカウンターの「生きるリズム」を決めることに近い。作者が全員の時間を支配するのではなく、複数の人が作品の時間を設定する。
ここで「すべてと関係を結ぶ」という考えが、観客参加と共同制作へ具体化する。
1998年、直島《Sea of Time ’98》
1998年、香川県直島の家プロジェクト第1弾「角屋」で《Sea of Time ’98》が公開された。約200年前の民家を修復し、その内部へ浅い水盤を設け、125個のLEDデジタルカウンターを水中へ配置した。
暗い日本家屋の中で、数字の光が水面へ反射し、各カウンターが異なる速度で点滅する。1988年《Sea of Time》の考えが、歴史ある民家、水、地域社会と結びついて再構成された。
ベネッセアートサイト直島は、この作品が現代美術を島民の生活へ介在させる契機になったと位置づけている。
125人が「自分の時間」を設定する
《Sea of Time ’98》では、宮島一人が125個の速度を決めなかった。公式記録によれば、直島の住民125人が「時の設定」のワークショップへ参加し、それぞれ一つのカウンターの速度を調整した。
速い数字も遅い数字もあり、その差は参加者が選んだものとして残る。作品の内部に、島の住民一人一人の判断が組み込まれる。
鑑賞者参加型というだけでなく、完成後も地域の個人の時間が継続して作品を構成する。電子インスタレーションと共同体の記憶が一体化した。
古民家とLEDは対立しているのか
黒い木材、漆喰、瓦を持つ約200年前の家屋と、電子数字を表示するLEDは一見すると正反対に見える。伝統と未来、古い建築と新技術という対比で説明しやすい。
しかし宮島の作品で重要なのは新旧の衝突より、異なる時間層が同じ場所へ共存することだ。家屋には地域の過去があり、住民が設定したカウンターは現在の個人の時間を示し、数字はこれからも変化し続ける。
建物、地域、人、電子装置がそれぞれ違う時間を持ちながら、一つの空間で関係を結んでいる。
水が「時間の海」を作る
《Sea of Time ’98》ではLEDが水の中に置かれている。水面は数字の光を反射し、わずかな揺れによって像を変える。
硬い電子装置と流動する水が組み合わさることで、数字は固定した情報表示ではなく、揺れる光として見える。
水は絶えず形を変えながら同じ水として続く。宮島の「変化し続ける」という考えを、電子装置とは異なる自然現象が補強している。
1998年、三原則そのものを作品名にする
1998年には《それは変化し続ける それはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く》という大型作品も制作された。東京都現代美術館所蔵作では、1728個の赤色LEDを用いている。
三原則は作品を説明する文章から、作品タイトルそのものになった。
1987年に形成した考えが十年以上の制作を経て、LED作品の構造と完全に重なったことを示す重要な節目である。
1999年、ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館
1999年、第48回ヴェネツィア・ビエンナーレで宮島は日本館代表作家として《Mega Death》を発表した。1988年に若手部門「アペルト」で国際デビューしてから11年後、今度は日本館全体を使う大規模な発表となった。
作品は約2400個の青色LEDカウンターを壁面へ配置し、それぞれが異なる速度で数字を変化させる巨大インスタレーションだった。
題名の「Mega Death」は20世紀の戦争、革命、虐殺、核兵器など、人間が人間へもたらした大量死を問題とする。
2400個の数字は「2400人」を表すのではない
《Mega Death》のカウンターは、多数の生命を連想させる。しかし2400という個数が特定の犠牲者2400人を一対一で表しているわけではない。
むしろ一つ一つが異なる速度で変化し、個別性を持つ小さな生命のように見える一方、壁全体では巨大な数の集合になる。
個人の生命と統計的大量死の間を往復させることが作品の重要な構造である。
青い光で死を表現する
戦争や死を表すなら赤や黒を使う方が分かりやすい。しかし《Mega Death》では青いLEDが使われた。ヴェネツィア日本館カタログの論考では、青は電子的で冷たい20世紀の大量死を感じさせる色として論じられている。
美しい青色の光に観客が包まれることと、題材が大量死であることの間に強い落差が生まれる。
悲惨な写真を直接見せるのではなく、抽象的で美しい環境の中に死の問題を埋め込む。その美しさへ惹かれる観客自身も作品の矛盾へ巻き込まれる。
突然、すべての光が消える
《Mega Death》ではセンサーが作動すると、空間全体のLEDが突然消灯し、観客は完全な暗闇へ置かれる。
通常のカウンターでは一つずつ暗転するため、生と死は個別に循環する。しかし全てが同時に消えると、その循環が集団的に破壊されたように感じられる。
宮島は大量死を画像で再現するのではなく、観客から光と時間を一時的に奪う経験として表現した。
観客自身が「死の空間」に入る
歴史資料を見る時、観客は安全な現在から過去の悲劇を見る立場にいる。《Mega Death》では、暗転すると観客自身も空間内で何も見えなくなる。
作品は犠牲者の経験を再現できると主張するものではない。しかし「死について見る」立場から、「自分も光を失う」身体的な位置へ観客を移動させる。
電子装置を使うインスタレーションだからこそ、空間全体の状態を瞬時に変えられる。テクノロジーが歴史的記憶の体験設計へ使われた。
デジタル数字は冷たいのか
数字と電子部品は、人間の感情とは無関係な冷たい情報装置に見える。しかし宮島は、その冷たさを否定せずに生命を表現する。
現代社会では人口、死者数、年齢、時間、経済活動など、人間の生活そのものが数字によって管理される。数字はすでに人間から離れたものではない。
宮島作品は機械に人間らしい顔を付けるのではなく、無機質な数字の中から人間の時間を想像させる。
同じ数字でも全員が違う
デジタル表示の形は規格化され、どのカウンターも同じ1、2、3を表示する。それでも速度が異なるだけで、それぞれに性格があるように見えてくる。
個性を表すために顔や名前を使う必要はない。反復する同じ機械のわずかな差から、人は個別性を感じ取る。
標準化されたテクノロジーと、一人一人の違いを同時に成立させることが宮島作品の重要な特徴である。
「時間」は一つではない
近代社会では時計が交通、労働、学校を同じ時間へ同期させる。全員が同じ一秒を共有することで社会が効率的に動く。
宮島作品では、同じ秒を刻む時計はほとんどない。各カウンターが独自の速度を持ち、空間には多数の時間が共存する。
社会が必要とする均質な時間の下に、人間それぞれの生の時間があることを可視化しているとも読める。
「永遠」は止まっていることではない
永遠という言葉から、変化しない永続性を想像しやすい。しかし宮島の「永遠に続く」は、同じ状態を永久に保存することではない。
数字は変わり続け、消え、再び現れる。永遠とは変わらないことではなく、変化そのものが終わらないことである。
この考えによって「変化し続ける」と「永遠に続く」は矛盾せず、一つの循環として結びつく。
作品は故障する、それでも「永遠」なのか
LEDや電子回路は物理的な機械なので故障し、寿命もある。電源を切れば作品は止まる。文字どおり永久に動く装置ではない。
だから宮島の「永遠」は技術的保証ではなく概念である。部品を交換しながら同じ作品を維持することもできるし、カウンターが示す循環を観客が頭の中で継続して想像することもできる。
テクノロジーの有限性と「永遠」という思想の差も、作品の中に残る。
宮島の国際性は「日本的モチーフ」に依存しない
森村泰昌が西洋美術史のイメージへ日本人の身体を挿入したのに対し、宮島は最初から国境を特定しにくい数字と電子光を使った。
それでも作品の背景には仏教的な死生観、日本の戦争記憶、広島・長崎への関心がある。
文化的背景を伝統模様として表面へ出さず、作品の時間構造や思想へ組み込む。1980年代末以後の日本人作家が国際美術界へ入る一つの新しい方法だった。
1980年代の「私」から、個人と共同体へ
前の記事で見た1980年代日本美術では、身体や個人的記憶が再び作品へ戻った。宮島も初期パフォーマンスでは自分の身体を使った。
しかしLED作品では、自分自身の私的物語を語るより、各観客が自分の時間を投影できる抽象的な構造を作る。さらに《Sea of Time ’98》では複数の住民が時間を設定し、個人の差が共同体の空間へ組み込まれた。
「私」を表現することから、「異なる私たちがどう同じ空間に存在するか」へ問題が広がっている。
死を扱いながら、作品は動き続ける
《Death of Time》《Mega Death》など宮島の重要作には死が繰り返し現れる。しかし画面は暗闇のまま終わらず、通常は再び数字が点灯する。
作品は死の悲惨さを固定画像として示すより、死を含みながら生が継続する構造を見せる。
そのため宮島作品には追悼と同時に、生きている現在をどう使うかという問いがある。死を見ることが、残された時間を意識することへつながる。
1980–90年代|宮島達男
宮島達男は1957年東京生まれ。東京藝術大学で油画を学び、1980年代前半には街路や自然環境で身体を使う〈NA.AR.〉パフォーマンスを行った。しかし一回限りの行為では観客との接点が限られるという問題から、1986年頃よりテレビ、タイマー、電子回路を用いた作品へ移行し、1987年に「それは変化し続ける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」という三つの制作原理を明確にした。《Clock for 300 Thousand Years》は、人間の寿命では経験できない長大な時間を電子カウンターで可視化した初期の重要作である。
1988年《Sea of Time》では、多数のLEDカウンターが異なる速度で1から9までの数字を変化させ、0の位置で一瞬暗転し、再び動き始める。各カウンターを一つの生命と考えれば、同じ空間へ異なる時間を持つ個体が共存する社会のように見える。同年、ヴェネツィア・ビエンナーレ「アペルト’88」で国際的な注目を集め、以後、LEDは宮島の代表的な表現言語となった。0を表示しない暗転は死を示すが、その後数字が再開することで、死は終末ではなく生死の循環の中へ位置づけられる。
1990年《Death of Time》では、その循環が人為的に断たれる問題を広島の原爆と結びつけた。長い数字列の一部だけが永久に暗く、そこでは時間そのものが失われた状態が示される。1990年代半ばには再び身体パフォーマンスへ戻り、《Counter Voice》などで人間がLEDと同じカウントを演じた。1996年には長崎の被爆柿の木から育てた苗木を世界各地に植える「時の蘇生・柿の木プロジェクト」を開始し、変化・関係・継続という三原則を電子装置から社会的な共同活動へ拡張した。
1998年、直島の家プロジェクト「角屋」に制作した《Sea of Time ’98》では、約200年前の民家に水盤を設け、125個のLEDカウンターを配置した。125人の島民がそれぞれ数字の変化速度を決めたことで、地域の個人の時間が作品へ組み込まれた。翌1999年、ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館の《Mega Death》では約2400個の青色LEDを使い、20世紀の戦争と大量死を扱った。センサーによって光が一斉に消える瞬間、観客自身が時間と光を奪われる。宮島のテクノロジーは未来を礼賛するためのものではない。数字と電子光という無機質な言語を使いながら、一人一人の生命の違い、死、再生、共同体、歴史を考えさせるための装置なのである。次の記事では、同じ1980年代以降に身体、映像、音響、コンピューターを集団制作へ結びつけたダムタイプへ進む。
参考資料
- Art Platform Japan「宮島達男」
- Art Platform Japan「第8回ハラ アニュアル」
- Art Platform Japan「作家支援のあり方をめぐって」
- Art Platform Japan「それは変化し続ける それはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く」
- Tatsuo Miyajima Official Website「CV」
- Tatsuo Miyajima Official Website「Three Concepts」
- Tatsuo Miyajima Official Website「Clock for 300 Thousand Years」
- Tatsuo Miyajima Official Website「Death of Time」
- Tatsuo Miyajima Official Website「Sea of Time ’98」
- Tatsuo Miyajima Official Website「Mega Death」
- Tatsuo Miyajima Official Website「Tatsuo Miyajima: Chronicle/Anachronism」
- Tatsuo Miyajima Official Website「Tatsuo Miyajima: Count of Life」
- 森美術館「STARS展:宮島達男」
- ベネッセアートサイト直島「家プロジェクト」
- Benesse Art Site Naoshima「Sea of Time ’98」
- 水戸芸術館「宮島達男 | Art in You」
資料確認日:2026年10月2日