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12世紀

《源氏物語絵巻》— 王朝文化と「引目鉤鼻」

『源氏物語』を絵にする

12世紀に制作された国宝《源氏物語絵巻》は、紫式部の『源氏物語』を絵画化した現存最古の作例であり、平安時代のやまと絵と絵巻文化を代表する作品である。徳川美術館は、人物を「引目鉤鼻」、建物を「吹抜屋台」によって描き、静謐な画面の中に物語世界と人物心理を表現した作品として紹介している。

『源氏物語』そのものは11世紀初頭、紫式部によって書かれたと考えられている。《源氏物語絵巻》はその約150年後、12世紀に制作された。つまり原作者自身が関わった挿絵ではなく、すでに宮廷社会で読み継がれていた物語を、後の世代が改めて視覚化した作品である。

ここで重要なのは、54帖からなる長大な小説を、そのまますべて絵にしたわけではないことである。五島美術館によれば、各帖から一つないし三つほどの場面を選び、その場面に対応する本文を詞書として書写し、詞書と絵を交互に置く構成だったと考えられている。当初は10巻程度だったという推定があり、20巻説もあるが、現在残っているのは全体の一部にすぎない。

現在残っているのは、全体の約4分の1

五島美術館によれば、《源氏物語絵巻》はもともと『源氏物語』54帖全体を対象とした大規模な絵巻だったと考えられるが、現在残っているのはおよそ4分の1である。文化遺産オンラインでは、絵と詞書がともに残る蓬生、関屋、柏木、横笛、鈴虫、夕霧、御法、竹河、橋姫、早蕨、宿木、東屋の12帖19段に加え、絵を失って詞書だけが残る絵合や断簡が知られていると説明している。

現存部分の主要な所蔵先は徳川美術館と五島美術館である。江戸時代初期には三巻が尾張徳川家、一巻が阿波蜂須賀家に伝来していたことが確認されている。現在、徳川美術館は蓬生、関屋、柏木、横笛、竹河、橋姫、早蕨、宿木、東屋などを所蔵し、五島美術館は「鈴虫」二場面、「夕霧」、「御法」を所蔵する。

失われた部分が圧倒的に多いという事実は、この作品を見るうえで忘れてはならない。私たちは《源氏物語絵巻》の全貌を見ているのではなく、大きな体系の断片を見ている。それでも、その断片だけで制作規模、画面構成、書、料紙、物語解釈の高度さを知ることができる。

誰が作ったのか — 作者は分かっていない

《源氏物語絵巻》の絵師と詞書の筆者は、確実には分かっていない。五島美術館は、絵の筆者を宮廷絵師・藤原隆能とする伝承があるため「隆能源氏」とも呼ばれることを紹介しているが、作者を藤原隆能と断定してはいない。

むしろ、作品全体が一人の画家と一人の書家によって制作されたものではない可能性が高い。詞書には複数の異なる書風が認められ、五島美術館は五つのグループによる分担制作の可能性を挙げている。徳川美術館も、詞書に複数の書風が混在すると説明している。

54帖という長大な物語から場面を選び、本文を抄出し、装飾料紙を準備し、詞書を書き、絵を描き、全体を巻物へ仕立てるには、多くの人間が必要だったと考えるのが自然である。《源氏物語絵巻》は、近代的な意味で一人の芸術家の個人作品というより、宮廷文化の中で組織された大規模な共同制作だった可能性が高い。

「作り絵」— 色を塗ってから、線を描き起こす

《源氏物語絵巻》の絵は、やまと絵特有の「作り絵」と呼ばれる方法で制作された。徳川美術館も、この作品の重要な特徴として作り絵を挙げている。

一般に作り絵では、まず墨線による下描きを行い、その上から顔料を重ね、最後に人物の輪郭や目鼻、衣の線などを改めて墨で描き起こす。濃い顔料を使えば、最初の下描きは見えなくなる。そのため、完成画面に見える線は、最初に描いた線と完全に同じとは限らない。

徳川美術館が行った修理時の透過光撮影や赤外線調査では、実際に完成画面の下から別の墨線や修正の痕跡が確認された。「柏木三」では、光源氏に抱かれる薫の手や顔の位置が下描き段階で何度も検討され、「柏木二」でも人物や調度に変更が加えられていることが明らかになった。

完成した絵巻を見ると、人物と建築が非常に整然と配置され、最初から迷いなく描かれたように見える。しかし科学調査によって、その下には試行錯誤が隠れていることが分かった。平安時代の絵師も、構図を考え、描き直しながら画面を作っていたのである。

現在の色は、制作当初の色ではない

現在の《源氏物語絵巻》は、約900年という時間を経ている。顔料は剥落し、変色し、紙も経年変化している。五島美術館の「鈴虫一」は、現存19図の中でも特に絵具の剥落が激しく、下描きの墨線や「たたみ」「にわ」「すゝむし」といった制作時の書き込みまで確認できる。

この状態だけを見て、平安時代の王朝絵画は淡く落ち着いた色彩だったと考えることはできない。制作当初には、現在よりはるかに鮮やかな朱、群青、緑青、白、黄色などが画面を覆っていた。

徳川美術館では科学調査をもとに《源氏物語絵巻》の復元模写も制作している。復元された色彩を見ると、現在の古びた色調とは大きく異なり、人物の装束や建築が強い色面として配置されていたことが分かる。私たちが感じる「平安絵巻らしい静かな古色」の一部は、作品本来の状態ではなく、長い時間によって生まれたものなのである。

引目鉤鼻 — なぜ顔を似せないのか

《源氏物語絵巻》の人物表現で最もよく知られているのが「引目鉤鼻」である。目を細い一線で表し、鼻を鉤形の短い線で描く。口も小さく、顔のパーツは非常に簡略化されている。

現代の肖像画や漫画に慣れた目で見ると、「みんな同じ顔」に見えるかもしれない。そのため引目鉤鼻は、平安時代の絵師が表情を描けなかったから生まれた単純な形式のように誤解されることがある。しかし《源氏物語絵巻》全体を見ると、これは意図的に感情表現を抑える方法だったと考えた方が理解しやすい。

人物の心理は、眉や口を大きく動かして示すのではなく、身体の向き、座る位置、手の動き、人物同士の距離、建築の柱や襖、庭の植物、画面の余白によって示される。顔を説明的にしない分、鑑賞者は周囲の情報を読まなければならない。

徳川美術館が《源氏物語絵巻》を「静謐な画趣の中に登場人物の心理を見事に表現」した作品と説明するのも、この特徴に関わっている。顔が無表情なのではない。感情を顔だけへ集中させず、画面全体へ分散させているのである。

引目鉤鼻は、すべての人物に同じように使われるわけではない

引目鉤鼻は、主として高貴な人物を描く物語絵の様式として用いられた。後世の源氏絵についても、文化庁は公達や女君などの貴人層には引目鉤鼻を基本とした抑制的な表情が用いられる一方、随身や僧侶など非貴人層の男性には、より目鼻の抑揚を持つ表現が使われることを指摘している。

つまり、顔の描き方には社会的な階層も反映されていた。宮廷貴族の身体には感情を露骨に示さない様式化された顔がふさわしいとされ、一方、庶民や従者、僧侶などは、より具体的な顔貌や動きを与えられることがあった。

この違いは、平安社会の身分秩序と無関係ではない。誰の顔をどのように描くかは、単なる技術的な選択ではなく、社会的な人物像の作り方でもあった。

顔ではなく、姿勢を見る

《源氏物語絵巻》で人物の感情を読むには、顔から少し視線を外す必要がある。誰が誰に背を向けているのか。どのくらい離れて座っているのか。手は衣の中に隠れているのか。相手へ身体を向けているのか。柱や襖が二人の間を遮っているのか。

人物の小さな身体動作が、心理を伝える。うつむく、背を向ける、身体を少し傾ける、別の部屋へ離れる。それらは一見すると静かな動作だが、物語本文を読んだ上で見ると大きな意味を持つ。

『源氏物語』は、恋愛、嫉妬、罪悪感、喪失、老い、死といった複雑な心理を描く文学である。それを絵にするとき、人物の顔を劇的に歪めるのではなく、身体と空間の関係へ変換する。《源氏物語絵巻》の独自性は、文学的な心理を視覚的な空間へ置き換える能力にある。

吹抜屋台 — 現実には存在しない視点

人物心理を空間として表現するために重要なのが「吹抜屋台」である。建物の屋根と天井を取り払い、斜め上から室内を見下ろすように描く。徳川美術館と五島美術館はいずれも、《源氏物語絵巻》を代表する技法として吹抜屋台を挙げている。

この視点は、人間が実際に室内を見る視点ではない。現実には屋根があり、外から複数の部屋を同時に見下ろすことはできない。しかし絵巻では、物語を伝えるために建築を切り開き、鑑賞者だけが登場人物の私的空間を覗き込めるようにする。

吹抜屋台によって、一つの画面に複数の部屋を並べることができる。人物同士が同じ建物の中にいながら別々の部屋へ配置されていれば、物理的な距離と心理的な距離を同時に示せる。柱、襖、几帳、御簾といった建築と調度が、人物関係を分割する線になる。

建築が感情を描く

《源氏物語絵巻》では、建築は背景ではない。床、柱、襖、几帳、御簾、縁側が、画面を幾何学的に分割する。人物はその中へ配置され、どこに座るかによって意味が変わる。

たとえば夫婦が同じ部屋にいても、一方が画面の隅に置かれ、柱によって分断されれば、二人の関係に距離があるように見える。室内を斜めに横切る畳や建具の線は、人物の視線とは別の方向へ強い緊張を作ることもある。

現代の映画でカメラアングルやセットが心理を演出するように、《源氏物語絵巻》では建築の構造そのものが感情の演出装置となっている。顔の表情を抑える一方で、空間が雄弁になるのである。

「鈴虫二」— 月夜と秘密

五島美術館所蔵の「鈴虫二」では、光源氏や夕霧、螢宮らが冷泉院の月見の宴へ参上した場面が描かれている。室内は吹抜屋台で見せられ、右上には群青の夜空と銀色の満月が描かれる。

冷泉院は、物語上、光源氏と藤壺の密通によって生まれた人物である。しかし公にはその出生は明かされない。画面では冷泉院と光源氏が柱を挟んで向かい合う。五島美術館は、原文に二人の容貌が非常によく似ていると記されることを紹介している。

ここでは出生の秘密を、説明的な記号で示す必要はない。物語を知る鑑賞者は、二人が近い位置に座っているだけで、その関係の複雑さを読み取る。月夜の静かな宴の中に、長年隠されてきた秘密が重なる。画面は事件を描かず、関係だけを置くことで緊張を生み出している。

「夕霧」— 嫉妬を顔ではなく距離で描く

五島美術館の「夕霧」は、引目鉤鼻と空間表現がどのように心理を描くかを理解しやすい場面である。夕霧が落葉宮の母・一条御息所から届いた手紙を読もうとしているところへ、妻の雲居雁が背後から近づき、その手紙を奪おうとする。

雲居雁は、その手紙を落葉宮から夕霧への恋文だと誤解し、嫉妬している。しかし顔そのものには激しい怒りの表情は描かれない。身体を背後から寄せ、相手の手紙へ手を伸ばすという動作によって感情が示される。

さらに障子の陰には、本文には直接記されていない二人の女房が聞き耳を立てている。五島美術館は、この人物たちが絵独自の付加であることを指摘している。つまり絵師は原文を機械的に図解したのではなく、場面の緊張や宮廷社会の「見る/見られる」関係を強めるため、人物を追加している。

絵画化とは文章を短くする作業ではない。文章にはない情報を加えることで、物語を別の媒体として再構成することである。

「御法」— 秋草が死を語る

「御法」は、光源氏の最愛の女性である紫上の死を描く。五島美術館によれば、重病の紫上が光源氏と明石中宮に最後の別れを告げ、三人は命のはかなさを庭の萩の露に重ねて和歌を詠む。その後、紫上は静かに息を引き取る。

画面には萩、薄、桔梗、女郎花などの秋草が描かれている。植物は単なる季節の背景ではない。露が消えることと人間の命のはかなさが、和歌を通して重ねられている。絵の秋草を見ることが、そのまま死を考えることにつながる。

平安時代のやまと絵では、自然の景物が文学的な意味を帯びる。《源氏物語絵巻》では、その関係が人物心理と結びつく。悲しむ顔を大きく描かなくても、秋の庭、人物同士の距離、弱った身体、色彩によって喪失感を作ることができる。

「早蕨」— 引っ越しの準備の中にある喪失

徳川美術館所蔵の「早蕨」では、姉の大君を失った中の君が、匂宮に迎えられて宇治から二条院へ移る前日の場面が描かれている。女房たちは新しい衣や反物を整え、転居の準備に忙しい。一方、中の君は宇治に残る弁の尼と別れを惜しむ。

画面には、これから始まる新生活への動きと、失われた家族への悲しみが同時に存在する。周囲の人びとは忙しく働き、物が整理される。しかし物語の中心人物の感情は、その活気と一致しない。

《源氏物語絵巻》が巧みなのは、こうした異なる時間と感情を一つの室内へ置けることである。誰も大げさに泣き叫ばない。それでも、人物の配置と詞書を読むことで、表面上の静けさの下にある複雑な心情が立ち上がる。

「蓬生」— 荒れた邸宅が時間を描く

徳川美術館所蔵の「蓬生」は、光源氏が長く忘れていた末摘花を再訪する場面を描く。源氏が都を離れている間、末摘花の邸宅は荒廃し、庭には蓬などの雑草が生い茂っていた。帰京後、源氏は偶然その場所を通り、以前関係を持った末摘花が自分を待ち続けていたことを知る。

ここで重要なのは、人物よりも荒れた空間である。放置された庭と建築が、源氏が不在だった長い年月を示す。時間を時計や文字で説明するのではなく、植物が伸び、家が荒れることで見せている。

人間の感情と環境を結びつけるのは、やまと絵の重要な方法である。《源氏物語絵巻》では、庭、季節、建物の状態までが物語を語る。

衣装の色が人物をつくる

引目鉤鼻によって顔が類型化されている一方、人物の衣装には非常に豊かな色彩と文様が使われる。平安貴族の装束は何枚もの衣を重ね、その色の組み合わせが季節や身分、場面と関係した。

作り絵の濃い彩色によって、衣服は画面の大きな色面になる。人物を見分けるためには、顔だけでなく、衣装、髪型、座る場所、周囲の調度を読む必要がある。

この点でも、現代の肖像表現とは異なる。個人を識別する情報が顔へ集中せず、身体と物の関係へ分散している。誰であるかは、その人物がどの空間にいて、誰と向き合い、どのような服を着ているかによって理解される。

詞書も「本文」ではなく、美術である

《源氏物語絵巻》では、絵の前に置かれた詞書も作品の重要な一部である。物語本文からその場面に必要な箇所を抄出し、美しく装飾された料紙へ仮名を中心に書写する。

五島美術館は、詞書の書風の違いから五つのグループによる分担制作の可能性を指摘している。また徳川美術館は、11世紀以来の優美な連綿を受け継ぐ書風と、藤原忠通に始まる法性寺流の新しい書風などが混在していると説明している。

つまり詞書は、原作本文を読ませるためだけの文字情報ではない。書風そのものが鑑賞され、料紙の色や文様と組み合わされる。前の記事で見た平安仮名の文化が、そのまま物語絵巻の内部へ組み込まれている。

見る人は、まず詞書を読み、筆線と料紙を見た後、巻物を進めて絵と出会う。文学、書、工芸、絵画が時間的な順番で現れる。作品を構成する複数の芸術が、同じ巻物の中で連続しているのである。

装飾料紙 — 文字の背景も王朝文化を語る

詞書に使われた料紙には、色紙、染紙、金銀の装飾などが施されている。文字の後ろは無色の空白ではなく、すでに装飾された画面である。

平安宮廷文化では、和歌や手紙を書く紙の選択自体が美意識の表現だった。《源氏物語絵巻》でも、詞書を読む経験は、筆跡だけでなく紙の色と質感を見る経験と切り離せない。

物語の内容が宮廷貴族の生活を描いているだけでなく、その物語を記す素材そのものも宮廷的な美意識によって作られている。作品の内容と物質が同じ文化を共有しているのである。

原作に近い時代だからこそ見えるもの

《源氏物語絵巻》は、原作成立から約150年後に制作された。徳川美術館は、美麗な料紙と流麗な詞書を含め、原作に近い時代の雰囲気を伝える作品と位置づけている。

もちろん、絵巻を『源氏物語』が書かれた11世紀初頭の生活をそのまま記録した写真のように扱うことはできない。制作された12世紀の装束や建築、美意識も反映されているからである。

それでも、近世や近代の源氏絵よりは原作成立時代に近く、平安宮廷文化がまだ社会の現実として存在していた時代の人びとが『源氏物語』をどう想像したのかを知ることができる。作品は物語の「挿絵」であると同時に、12世紀の人びとによる11世紀の物語世界の解釈でもある。

女性が見えない宮廷社会

『源氏物語』では多くの女性が重要な役割を持つが、平安宮廷社会では高貴な女性が男性の前へ顔を直接さらすことは制限され、御簾、几帳、屏風などによって姿を隠すことが多かった。《源氏物語絵巻》でも、調度によって人物が部分的に隠される場面が多い。

そのため「見ること」自体が物語上の意味を持つ。誰が誰を見ることができるのか。誰が御簾の向こうにいるのか。誰が隠れて聞いているのか。視線の管理が恋愛、身分、秘密と結びついている。

吹抜屋台を使う絵師だけが、通常なら見ることのできない女性たちの室内を上から開いて見せる。鑑賞者は、物語の登場人物には許されない視点を与えられる。絵巻を見ることは、宮廷社会の秘密の空間を覗き込むことでもあった。

「引目鉤鼻=無個性」という誤解

引目鉤鼻について、「誰も同じ顔だから個性がない」と説明されることがある。しかし《源氏物語絵巻》の人物を読む際に、顔だけを切り取ること自体が作品の見方として適切ではない。

平安宮廷の人物は、衣装、髪、姿勢、位置、調度、建築、季節、詞書を含む関係の中で存在する。人物の個性や感情は、その組み合わせによって作られている。顔だけを写実的に描けば心理が深くなるというわけではない。

むしろ表情を抑えることで、鑑賞者が物語本文と画面を往復しながら感情を読み込む余地が生まれる。紫上の死、雲居雁の嫉妬、末摘花の孤独は、顔の筋肉よりも、空間と時間によって表現される。

心理を描くということ

《源氏物語絵巻》が美術史上重要なのは、平安貴族の生活を美しく描いたからだけではない。目に見えない心理を、どのように視覚化するかという問題に非常に高度な答えを示しているからである。

人間の内面は直接見ることができない。悲しみ、嫉妬、罪悪感、孤独を絵にするには、何らかの外形へ変換しなければならない。この絵巻では、それを誇張した表情ではなく、人物同士の距離、建築による分断、季節の植物、暗い夜空、手紙などの物を使って行う。

言い換えれば、心理は人物の「内側」にあるものとしてではなく、人物と周囲の関係の中に現れる。感情が空間化されているのである。

保存修理が明らかにした制作の現場

徳川美術館所蔵部分は、長期にわたる保存修理を経ている。1932年には保存上の配慮から、詞書と絵を巻物から外して額面装へ変更した。その後、2010年代後半からの修理では、彩色層の強化、裏打紙の更新などを行い、絵と詞書を再び巻子形式へ改装する事業が進められた。

修理は作品を「きれいにする」だけではない。裏打ちを外すことで、通常は見ることのできない裏側から調査できる。徳川美術館の修理報告では、透過光写真や反射赤外線写真によって、下描き、描き直し、図様変更など多くの情報が明らかになった。

保存作業そのものが、美術史研究の方法になる。作品を修理することで、約900年前の制作工程が再び見えるようになるのである。

額装から巻物へ戻すということ

1932年に額面へ改装されたのは、脆弱な絵を何度も巻き開くことによる損傷を避けるためだった。これは保存上、合理的な判断だった。一方、額装すると、絵巻本来の「巻きながら見る」という経験は失われる。

徳川美術館では近年の修理によって、所蔵部分を一場面ごとの15巻の巻子装へ再改装した。これにより、一度に画面全体を見る額装とは異なり、詞書から絵へと進む本来の時間的構造を再び意識できるようになった。

ここには文化財保存の難しさがある。物質を安全に保存することと、作品本来の形式を保存することが必ずしも同じではない。《源氏物語絵巻》では、「何が描かれているか」だけでなく、「どう見るものなのか」までが文化財の一部なのである。

《源氏物語絵巻》は王朝文化の理想像なのか

平安時代というと、《源氏物語絵巻》に描かれた優雅な装束、美しい邸宅、和歌、月見などのイメージが強い。しかし、この絵巻が描く世界は当時の日本社会全体ではない。きわめて限られた上層貴族の生活と文学を中心とする世界である。

同じ12世紀の《信貴山縁起絵巻》《餓鬼草紙》《伴大納言絵巻》には、庶民、農民、群衆、病者など、《源氏物語絵巻》とは異なる社会の姿が現れる。王朝文化は平安時代の一つの重要な側面だが、すべてではない。

さらに『源氏物語』自体も、華やかな宮廷生活を肯定的に描くだけの作品ではない。恋愛によって傷つく人びと、政治的な不安、老い、死、罪悪感が繰り返し描かれる。《源氏物語絵巻》の静かな画面にも、その不安定さが残っている。

文学を絵に変えると、何が失われ、何が生まれるのか

小説では、人物の心理を長い文章で説明することができる。過去を回想し、未来を予感し、一つの瞬間に複数の感情を重ねられる。しかし一枚の絵は、基本的には一つの空間を見せる。

《源氏物語絵巻》は、その違いを弱点としてではなく表現の可能性として利用した。文章では時間として展開する心理を、建築内部の距離へ変える。長い説明を、人物の姿勢へ圧縮する。和歌に詠まれた季節を、庭の植物として画面へ置く。

文学を完全に再現することを諦めることで、絵にしかできない『源氏物語』が生まれる。絵巻は原作の代用品ではなく、原作を別のメディアで読み直した作品なのである。

《源氏物語絵巻》が残したもの

『源氏物語』はその後、日本美術で最も繰り返し絵画化された文学作品の一つとなった。中世、近世には土佐派、狩野派、琳派など多くの絵師が源氏絵を制作し、屏風、色紙、冊子、工芸品にも物語の場面が描かれた。

その長い歴史の初期に位置する《源氏物語絵巻》は、源氏絵の基本的な図像や人物像を形成しただけではない。「文学を絵にするとき、何を選び、何を省き、どの瞬間を見せるか」という問題に一つの強力なモデルを作った。

引目鉤鼻、吹抜屋台、作り絵という形式は、後世の物語絵にも大きな影響を与えた。しかし、その本質は様式を反復することではなく、見えない心理を空間へ変換するという考え方にある。

王朝文化と「引目鉤鼻」の意味

《源氏物語絵巻》を見るとき、引目鉤鼻は最も目につきやすい特徴である。しかし、それを単なる「平安時代の顔の描き方」として覚えるだけでは、この作品の面白さは見えてこない。

顔の表情を最小限に抑えたからこそ、人物の感情は画面全体へ広がった。柱、襖、庭、衣、月、秋草、手紙、人物間の距離が心理を語る。吹抜屋台によって建物を上から開き、鑑賞者だけが登場人物の私的な空間を見る。作り絵の強い色面が人物を空間へ固定し、詞書の仮名がその場面へ至る文学的時間を作る。

《源氏物語絵巻》では、絵画、文学、書、料紙工芸が一つの巻物へ統合されている。そのため、これは単に「『源氏物語』の挿絵」ではない。12世紀の宮廷社会が、自分たちの過去の物語をどのように読み、どのような人物像と空間として想像したのかを示す総合的な作品である。

そして何より、この絵巻は「人間の心をどう描くか」という普遍的な問題に向き合っている。感情を直接顔に描かなくても、人間の心理は表現できる。むしろ、見えないものを周囲の空間へ分散させることで、鑑賞者自身がそれを読み取る余地が生まれる。《源氏物語絵巻》が900年近くを経てもなお複雑に見える理由の一つは、その抑制された表現の中に、読むべき関係が大量に残されているからである。

参考資料

資料確認日:2026年10月1日