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12–13世紀

《鳥獣人物戯画》— 描線、運動、物語

鳥獣人物戯画

鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)

墨の線だけで、動物が走り出す

京都・高山寺に伝わる国宝《鳥獣人物戯画》は、日本美術の中でも最も広く知られた絵巻の一つである。兎、蛙、猿が泳ぎ、走り、相撲をとり、弓を射て、法会を営む。わずかな墨線だけで描かれた動物たちは、人間のように笑い、失敗し、競争し、集団で行動する。

高山寺によれば、《鳥獣人物戯画》は現在、甲・乙・丙・丁の4巻からなり、すべて紙本墨画である。甲巻は縦30.4センチメートル、全長1148.4センチメートル、乙巻は全長1189.0センチメートル、丙巻は933.3センチメートル、丁巻は1130.3センチメートルに及ぶ。4巻を合わせれば44メートルを超える長大な画面である。

しかし、この4巻を一人の画家が一つの構想のもとで完成させた作品と考えることはできない。高山寺は甲・乙巻を平安時代後期、丙・丁巻を鎌倉時代の制作とし、東京国立博物館も甲乙巻を12世紀、丙丁巻を13世紀としている。画風、主題、線の性質も巻ごとに異なり、複数の時代と複数の制作者が重なって現在の4巻が形成されたと考えられている。

「鳥獣戯画」という一作品ではなく、四つの異なる巻

《鳥獣人物戯画》と聞くと、多くの人が兎と蛙の相撲や、猿を追いかける動物たちを思い浮かべる。しかし、それは主に甲巻の世界である。高山寺によれば、甲巻は擬人化された動物の遊戯、乙巻は実在・空想上の動物を描く図譜、丙巻は前半が人間風俗画、後半が動物戯画、丁巻は勝負事を中心に人物を描く。

つまり四巻は、同じ登場人物が続く四章構成の物語ではない。甲巻では動物たちが人間のように振る舞い、乙巻では馬や牛、犬、鶏、獅子、龍、麒麟などが次々に現れる。丙巻では人間の囲碁、双六、力比べなどから擬人化された動物の遊戯へ移り、丁巻では法会、流鏑馬、田楽、毬打、宗論、石合戦など人間の行為が軽妙な線で描かれる。

4巻をまとめて「鳥獣戯画」と呼ぶことで、一つのまとまった作品のように見える。しかし実際には、それぞれ異なる時代、異なる筆致、異なる主題を持つ複数の絵巻が高山寺で一組として伝えられてきた。作品の面白さは、その不均一さの中にもある。

甲巻 — 人間のように振る舞う動物たち

最も有名な甲巻では、兎、蛙、猿を中心に、狐、鹿、鼠、猫などの動物が登場する。高山寺公式サイトの巻頭には、谷川で水遊びをする兎、猿、鹿が紹介されている。兎が鼻をつまんで水へ飛び込み、別の兎は鹿の背に乗り、猿が水をかける。

ここで動物たちは、人間の服を着ているわけではない。それでも二本足で立ち、手を使い、相手を見て反応し、社会的な行動をすることで、人間らしく見える。擬人化は衣装を着せることではなく、身体の動きによって成立している。

相撲の場面では、兎と蛙が組み合い、周囲の動物たちが勝負を見守る。蛙が兎を投げ飛ばす場面では、口を大きく開けた蛙の姿が勝利の声まで想像させる。続く場面では倒れた蛙の周囲へ動物が集まり、猿を追う兎と蛙が走り出す。出来事が連鎖し、一つの画面から次の画面へ運動が続いていく。

線が身体の重さを決める

甲巻には基本的に彩色がない。東京国立博物館は《鳥獣戯画》を、墨の線だけで動物や人物を生き生きと躍動的に描いた白描画として説明している。色に頼れないため、身体の重量、毛並み、筋肉、速度、方向をほぼすべて線によって表さなければならない。

兎の身体では、背中から脚へ続く線が滑らかに曲がり、軽い身体を感じさせる。蛙では、胴体を大きく曲げ、長い脚を折り畳むことで、跳躍する力が表現される。猿の身体には兎よりも重さがあり、腕や脚の曲線に人間に近い仕草が加わる。

線の太さも一定ではない。筆圧を加えれば太くなり、速度を上げれば細く伸びる。筆を止めれば墨が溜まり、素早く払えば線は鋭く消える。墨線は輪郭を示すための記号であるだけでなく、描き手の手の動きを直接残している。

動物の身体を知らなければ、この線は描けない

甲巻の動物は戯画化されているが、身体の特徴はよく観察されている。兎の長い後脚、鹿の細い脚と蹄、猿の長い腕、蛙の開いた脚など、それぞれの生物の違いが少ない線で捉えられている。

擬人化が成立するためには、まず動物としての特徴が分からなければならない。蛙を人間のように立たせても、脚の形が蛙らしくなければ、見る者は蛙として認識できない。作者は動物の身体を理解した上で、人間の動作へ変換している。

これは似顔絵や戯画にも通じる。特徴を減らすほど、何を残すかが重要になる。甲巻の線は情報量が少ないから単純なのではなく、必要な情報だけを選ぶ高度な省略によって成立している。

動いている身体を、静止した線で描く

《鳥獣戯画》の大きな魅力は運動感にある。しかし紙の上の線そのものが動くわけではない。作者は、身体を傾け、脚を大きく開き、腕を伸ばし、衣や耳をなびかせることで、次の瞬間の動きを想像させる。

走る兎の前脚と後脚は異なる方向へ伸び、身体全体が前方へ傾く。飛び込む兎は鼻をつまみ、足を大きく開いて空中に浮かぶ。相撲の蛙は、相手の身体を押しながら自分の重心を移している。動きの途中を選んで描くことで、鑑賞者は直前と直後の姿を補う。

つまり運動は、描かれた一瞬だけで完成しない。見る者の頭の中で前後の時間が補われることによって生まれる。《鳥獣戯画》は、少ない線で鑑賞者に時間を想像させる作品である。

絵巻の方向と、動物の動き

絵巻は右から左へ開いて見る。甲巻でも、この鑑賞方向を利用して動物の移動や出来事が配置されている。次の場面は巻物の中に隠れており、鑑賞者が左へ開くことで初めて現れる。

この形式では、走っている動物が向かう先をすぐにすべて見ることはできない。巻物を進めると、その先で別の動物や新しい出来事が現れる。鑑賞者の手の動きと画面内の運動が重なり、物語に速度が生まれる。

前の記事で見た《信貴山縁起絵巻》や《伴大納言絵巻》でも、絵巻の方向は時間表現と深く関係していた。《鳥獣戯画》では詞書による説明がほとんどないため、線と身体の方向がさらに大きな役割を担う。

文章がないから、意味が決まらない

東京国立博物館は、甲巻から分かれた断簡の解説で、《鳥獣戯画》には物語を説明する文章がないため、何を描いた場面なのか分からない部分があると説明している。これはこの作品の大きな特徴である。

《源氏物語絵巻》では詞書があり、原作も存在するため、人物や場面の意味を特定できる。《信貴山縁起絵巻》にも物語の伝承がある。しかし甲巻の動物たちについては、なぜこの遊びをしているのか、誰が誰なのか、全体に一本の物語があるのかさえ確定していない。

そのため、鑑賞者は線と身体から場面を読むしかない。兎と蛙が相撲をしている。猿が何か失敗したらしい。動物たちが法会のような行為をしている。そこまでは見えるが、それが何を意味するのかは開かれている。

説明文がないことは情報不足である一方、作品を長く魅力的にしてきた理由でもある。見る時代によって、宗教風刺、社会風刺、遊戯、動物の戯れなど、さまざまな読み方が生まれてきた。

法会の場面 — 宗教への風刺なのか

甲巻後半には、動物たちが仏教法会を思わせる行為をする場面がある。猿が僧侶のように座り、蛙が蓮の葉を仏像のように扱い、周囲の動物が礼拝する。このため、《鳥獣戯画》は僧侶や宗教儀礼を風刺した作品ではないかと古くから考えられてきた。

しかし、作者も制作目的も分からず、詞書もないため、具体的な批判対象を断定することは難しい。高山寺は、作品を天台僧の「をこ絵」、すなわち即興的な戯画の伝統に連なるものと考えられるとしている。

笑いがあることと、明確な政治的・宗教的批判があることは同じではない。僧侶の行為を動物へ置き換えることで可笑しさが生まれているのは確かだが、それが特定の制度や人物への批判だったのか、身内の戯れだったのかは分からない。作品のユーモアを、現代的な「風刺漫画」という一つのカテゴリーに急いで当てはめない方がよい。

乙巻 — 物語ではなく、動物を見る

乙巻は甲巻とは大きく異なる。高山寺によれば、乙巻では実在する動物と空想上の動物が写生的に描かれる。馬、牛、犬、鶏など身近な動物に加え、獅子、象、龍、麒麟、獏など、日本では直接見ることが難しかった、あるいは想像上の生物が現れる。

東京国立博物館は乙巻を「動物図鑑のような」巻と表現している。甲巻のように動物が人間の社会を演じるのではなく、動物の姿そのものを次々に見せることが中心になる。

興味深いのは、現実の動物と想像上の動物が同じ巻物の中に並ぶことである。当時の人びとは、実際に観察した動物、伝聞によって知る異国の動物、仏教や中国文化を通して知る霊獣を、同じ「動物を見る」視覚文化の中に置いていた。

獅子のような生物を描く際には、直接観察ではなく、先行する図像や他の動物の身体知識を組み合わせる必要がある。高山寺が紹介する乙巻の獅子は、蝶を追ったり後脚で頭を掻いたりし、東京国立博物館はその姿が犬のようにも見えると説明している。未知の動物を、既知の身体から想像して描いた可能性がうかがえる。

丙巻 — 人間と動物が鏡のように並ぶ

丙巻は、前半に人間、後半に擬人化された動物を描く。高山寺によれば、巻頭では僧と稚児が囲碁をし、その後に賭双六、耳引き、首引きなど人間の遊戯や勝負が続く。賭けに負けて裸になった人物まで描かれる。

後半になると登場人物は動物へ変わる。しかし動物たちも、人間と同じように遊び、踊り、競い合う。前半の人間風俗と後半の動物戯画を並べて見ると、人間と動物の行動が互いを映すような構造が生まれる。

人間を描いた前半も理想化された宮廷絵ではない。勝負に夢中になる、負ける、裸になる、力を競うといった身体的で滑稽な姿が描かれる。《源氏物語絵巻》の静かな貴族世界とは対照的である。

東京国立博物館は、現在の丙巻に後世の濃い墨線による加筆があり、その下に隠れた本来の線描には平安絵巻に通じる滑らかな筆致が見られるため、原制作を平安時代にさかのぼらせる可能性も指摘している。現在見える線がすべて同じ時代のものではないことも、この巻の複雑さを示している。

丁巻 — 太く速い線で人間を笑う

丁巻は人間を中心に描き、4巻の中では比較的後の13世紀に制作されたと考えられている。東京国立博物館によれば、他の3巻より人物が大ぶりで、線は太く、墨色は淡い。おおらかに見えながら、速い速度で的確に筆を走らせた高い技量が特徴とされる。

描かれるのは、侏儒の曲芸、修験者と法師の験比べ、法会、流鏑馬、田楽、毬打、木遣り、宗論、石合戦などである。高貴な人物の静かな儀礼というより、人間が身体を使って競い、失敗し、興奮する場面が続く。

甲巻では動物が人間のように振る舞った。丁巻では人間そのものが、動物戯画と同じような軽妙な筆致で描かれる。4巻を通して見ると、「人間と動物の境界を揺らすこと」が繰り返し現れるテーマの一つであることが分かる。

色がないから、線に集中できる

平安時代のやまと絵では、《源氏物語絵巻》のような濃彩の「作り絵」が発達していた。同じ時代に、甲乙巻の《鳥獣戯画》は墨一色で描かれている。この違いは非常に大きい。

作り絵では、顔料の色面、衣装、建築、装飾によって画面が構成される。《鳥獣戯画》では、それらがほとんどない。紙の白と墨の黒という極端に少ない要素しか使わないため、一本の線の速度や曲がり方がそのまま画面の印象を決める。

空白も重要である。背景を隅々まで埋めるのではなく、必要な地形や植物だけを描き、大きな余白を残す。動物の周囲に空白があることで、身体の動きが読みやすくなり、次の場面へ視線が進む。

簡略化は情報の不足ではなく、視線を運動へ集中させるための方法になっている。

描線に「速度」が残っている

《鳥獣戯画》では、線を見ることで描いた手の速度を想像できる。ゆっくり慎重に引いた均質な輪郭線とは異なり、太さが変わり、かすれ、途中で鋭く曲がる線が多い。

東京国立博物館は4巻それぞれに墨線の特徴があり、丁巻では特に速いスピードで筆を走らせていることを指摘している。筆が紙に触れ、移動し、離れる。その一連の身体動作が、そのまま線として固定されている。

そのため、動物の運動と、絵師の手の運動が重なる。走る兎を描く線も速く見え、跳ねる蛙の脚を描く線も弾む。作者が運動を「描写」しているだけでなく、描く行為そのものが運動しているのである。

鳥羽僧正は本当に作者なのか

《鳥獣人物戯画》は、古くから鳥羽僧正覚猷の作と伝えられてきた。覚猷は1053年に生まれ、1140年に没した天台僧で、絵をよくした人物として知られる。その生没年は甲乙巻の制作時期と重なるため、作者像として理解しやすい。

しかし、高山寺は鳥羽僧正覚猷のほか、絵仏師定智、義清阿闍梨など複数の名が作者候補として指摘されてきたものの、いずれも確証はなく、作者未詳としている。

さらに甲乙巻と丙丁巻では制作年代が異なるため、4巻すべてを一人の作者へ帰すことはできない。筆致の違いからも複数の制作主体が想定される。現在では、「鳥羽僧正作」という伝承自体が、この作品がどのように受け継がれ、理解されてきたかを示す歴史資料として重要なのである。

高山寺と明恵 — 現在の伝来地と制作地は同じとは限らない

《鳥獣人物戯画》は高山寺を代表する宝物であり、現在も高山寺蔵の国宝である。しかし、「高山寺に伝わった」ことと「高山寺で制作された」ことは同じではない。

高山寺は鎌倉時代初期、明恵上人によって中興された寺院として知られる。現在の4巻がいつ、どのような経緯で高山寺に集められたのかについては、分からない点が多い。《鳥獣戯画》の成立を、高山寺の一つの制作計画として単純に説明することはできない。

伝来地は作品の歴史にとって重要だが、作品が最初に作られた場所や目的とは別の問題である。中世の絵巻は、移動し、修理され、組み替えられながら現在へ伝わっている。《鳥獣戯画》はその代表例でもある。

現在の甲巻は、最初からこの順番だったのか

長い年月の中で、《鳥獣戯画》は何度も修理されてきた。紙を継いだ巻物は、継ぎ目が外れれば場面が分離し、修理の際に順序が変わる可能性もある。さらに、現在では本体から切り離された断簡が複数存在する。

東京国立博物館によれば、《鳥獣戯画》には現在確認されているだけで5点の断簡があり、そのうち4点は甲巻、1点は丁巻から分かれたものと考えられている。また過去に制作された模本には、現在の本巻から失われた画面や、かつての配列を推測する手がかりが残る場合がある。

これは重要な事実である。私たちが現在見る甲巻は、制作直後の完全な状態そのままではない。画面の一部は失われ、別の所蔵先へ移り、修理によって現在の巻物が形づくられてきた。作品の「物語」を考えるとき、現在の順序だけを絶対視することはできない。

一枚の萩の花びらが、断簡の位置を教える

東京国立博物館所蔵の重要文化財《鳥獣人物戯画断簡》には、蛙、狐、猿など五匹の擬人化された動物が描かれている。笠や烏帽子を被り、高下駄を履き、藤の花を持つ姿から、何らかの行列を描いた場面ではないかと考えられている。

この断簡の画面端には小さな花びらのような墨点がある。一見すると意味のない点だが、東京国立博物館の調査によって、甲巻第16紙に描かれた風にそよぐ萩の続きであることが確認された。このため、断簡が本来どの位置にあったのかを推測することができる。

作品研究では、大きな主題だけでなく、数ミリほどの墨点や紙の継ぎ目が重要な証拠になる。一本の巻物がどのように解体され、再構成されたのかを、物質そのものから逆算していくのである。

模本は「コピー」以上の歴史資料になる

《鳥獣戯画》には、江戸・明治以降に制作された多くの模本が残っている。現代の感覚では、原本があるなら模写は二次的なものと考えやすい。しかし、原本の一部が失われたり、順序が変わったりした場合、古い模本が過去の状態を記録する資料になる。

東京国立博物館は、模本の中には現在では失われた画面を写し留めたものや、本来の絵の順序を推測する手がかりになるものがあると説明している。模本は作品を真似たものというだけでなく、ある時点の原本を記録した画像資料なのである。

明治時代には、模写だけでなく写真による文化財記録も始まった。東京国立博物館の資料によれば、高山寺と《鳥獣戯画》は1872年の壬申検査以降、近代的な文化財調査と記録の対象となった。作品そのものだけでなく、それを記録する技術の歴史もまた、《鳥獣戯画》が現在まで伝わった過程の一部である。

2013年に完了した4年間の保存修理

《鳥獣戯画》は800年以上の時間を経る中で、紙の劣化、退色、虫食い、焦げ、過去の修理による影響など、多くの損傷を受けてきた。京都国立博物館によれば、4巻を対象とした保存修理が4年間にわたって行われ、2013年3月に完了した。

修理では、江戸時代の裏打紙に含まれた雲母が本紙の表面へ付着した問題なども確認された。古い修理は作品を守るために行われたが、その材料が後世に別の問題を生むこともある。

文化財の保存は、一度修理すれば終わる作業ではない。過去の修理を検証し、現在の技術で再び処置を行い、その記録を未来へ残す。《鳥獣戯画》の現在の姿は、12~13世紀の制作だけでなく、800年間にわたる保存行為によって成立している。

「漫画の祖先」なのか

《鳥獣戯画》はしばしば「日本最古の漫画」「漫画の祖先」と呼ばれる。京都国立博物館も一般向けの展覧会紹介で、甲巻の擬人化された動物たちについて「現代の漫画の原点」と表現している。確かに、誇張された身体、連続する運動、ユーモア、擬人化には現代の漫画と共通して見える要素がある。

しかし、《鳥獣戯画》から現代漫画まで一本の直接的な系譜が連続していると断定することはできない。12世紀の甲巻は、コマ割り、吹き出し、印刷・出版といった現代漫画の制度とは異なる。巻物を手で開き、墨線だけで見る一点物の絵画である。

「漫画の原点」という言葉は、現代の人がその表現を理解する入口としては有効だが、作品を漫画史の前段階だけに位置づけると、中世の絵巻文化としての意味が薄れてしまう。《鳥獣戯画》は未来の漫画になるために描かれたのではなく、その時代の戯画、絵巻、寺院文化の中で成立した。

むしろ興味深いのは、異なる時代や媒体でも、人間が少ない線で動きや性格を表そうとすると、似た方法が現れることである。擬人化、誇張、連続する動作、視線誘導は、絵によって物語を伝えるための普遍的な技法でもある。

「かわいい」だけではない

現代では《鳥獣戯画》の兎や蛙は、「かわいい」キャラクターとして商品化されることも多い。確かに丸い身体や失敗する仕草には親しみやすさがあり、800年以上前の作品とは思えないほど現代的に感じられる。

しかし作品全体を見れば、遊びだけでなく、勝負、争い、宗教儀礼、賭博、裸になる人物、石合戦なども描かれている。人間社会の可笑しさ、身体の滑稽さ、競争への熱中が何度も現れる。

動物をかわいらしく見せること自体が目的だったとは限らない。人間の行為を動物へ置き換えることで、普段は当然と思っている行動が急に奇妙に見える。兎が相撲をとり、蛙が仏を演じる姿を笑うとき、鑑賞者は同時に人間自身の姿を見ている可能性がある。

線だけで「性格」が生まれる

甲巻の動物には固有名が書かれていない。それでも、同じ兎でも落ち着いて見える個体、慌てている個体、勇ましく見える個体がいる。表情の描写はわずかでも、姿勢や行動によって性格のようなものを感じる。

これはキャラクター表現の重要な原理である。顔の情報を増やさなくても、歩き方、立ち方、相手との距離で個性は作れる。《鳥獣戯画》では、線とポーズの選択が人物造形の中心になっている。

《源氏物語絵巻》では、引目鉤鼻によって表情を抑え、建築と配置から心理を読ませた。《鳥獣戯画》では逆に、建築や色彩をほとんど使わず、身体の動きへ情報を集中させる。同じ12世紀の絵巻でも、人間や物語を表す方法は大きく異なっていた。

空白が物語の間になる

《鳥獣戯画》の画面には、大きな余白がある。動物と動物の間、場面と場面の間に紙の白が広がる。この空白は、単に描くものがなかった場所ではない。

密集した動物の場面から広い空白へ移ると、視線の速度が変わる。長い余白があれば、時間が少し経過したように感じることもできる。絵巻の画面では、何も描かない距離が時間や場所の隔たりを作る。

墨線と白い紙という最小限の構成だからこそ、余白の働きが強く見える。線が身体を作り、空白が身体の動く場所を作る。画面全体が運動のための空間として設計されている。

作者不詳だから見えてくるもの

西洋近代美術では、作品を作者の人生や思想から理解することが多い。しかし《鳥獣戯画》では作者が分からない。作者の手紙も、制作意図を説明する文章も残っていない。

そのため、私たちは作品そのものを詳しく見る必要がある。線はどのように引かれているのか。紙はどこで継がれているのか。どの動物が繰り返し登場するのか。別巻と筆致はどう違うのか。断簡と本巻はどこで接続するのか。

作者が分からないことは不便である一方、作品の物質と構造を見ることを促す。《鳥獣戯画》研究では、様式比較、紙の継ぎ目、印、模本、修理記録といった具体的な痕跡が大きな意味を持つ。

《鳥獣人物戯画》が残したもの

《鳥獣人物戯画》が日本美術史で重要なのは、兎と蛙がユーモラスだからだけではない。色彩も長い詞書も使わず、線、身体、余白、巻物の進行だけで、見る者に運動と物語を感じさせる高度な表現を実現しているからである。

さらに4巻を並べると、一つの完成した様式ではなく、12世紀から13世紀にかけて戯画が変化しながら継承されたことが見えてくる。動物を人間化する甲巻、動物そのものを見る乙巻、人間と動物を並べる丙巻、人間の滑稽な行為を描く丁巻。それぞれが異なる方法で、身体と行動を観察している。

現在の4巻は制作当初の完全な姿でもない。断簡が外へ分かれ、模本に失われた画面の記録が残り、何度も修理を受けている。《鳥獣戯画》は一度完成して800年間そのまま保存された作品ではなく、切断、修復、模写、再解釈を繰り返しながら現在へ届いた作品である。

そして何より、一本の線によって身体が立ち上がり、その身体が次の瞬間へ動き出すように見える。この線の力は、時代や文化的背景を知らなくても直感的に理解できる。《鳥獣人物戯画》が長い時間を越えて見続けられてきた理由は、その簡潔な画面の中に、人間が動くものを見る喜び、笑うことの感覚、そして絵から物語を想像する余地が残されているからなのである。

参考資料

資料確認日:2026年10月1日