1912–1914
総合的キュビスム
コラージュと現実物の導入
1912年、キュビスムは大きく方向を変えます。
それまでのピカソとブラックは、瓶、人物、楽器、テーブルなどを細かな面へ分解し、画面の中で再構成していました。
しかし分析的キュビスムが極端になるにつれて、対象はほとんど読めなくなっていきます。
そこで二人は、さらに細かく分解するのではなく、逆の方向へ進みました。
単純な形を組み合わせる。
文字を使う。
新聞紙を貼る。
木目模様の壁紙を貼る。
さらには、ロープ、段ボール、糸、針金など、絵具ではない現実の素材そのものを作品へ持ち込む。
この1912年以降の展開は、後に「総合的キュビスム(Synthetic Cubism)」と呼ばれるようになります。
「分析」から「総合」へ。
ただし、この二つの段階は明確に切り替わったわけではありません。1912年前後には、分析的な分解と、新しい素材による構成が重なっています。
それでもこの時期、絵画についての根本的な問いが変わったことは確かです。
現実をどう描くか、だけではない。
現実そのものを作品へ持ち込んだら、それはまだ絵画なのか。
この問いが、20世紀美術の非常に大きな扉を開きます。
CONTENTS
- 1912年 — 「分解」から「組み立て」へ
- 《籐椅子のある静物》— 描かずに貼る
- 本物ではない「本物」
- ロープは額縁なのか、作品なのか
- ブラックのパピエ・コレ
- 《果物皿とグラス》— 木を描かず、木目を貼る
- パピエ・コレは何を変えたのか
- ピカソも紙を貼り始める
- 新聞紙 — 物質と情報が同時に入る
- 形はどこまで少なくできるのか
- 1912年《ギター》— 平面から立体を組み立てる
- 彫刻を「削る」のではなく「組み立てる」
- フアン・グリス — キュビスムを別の秩序へ
- キュビスムがピカソとブラックの外へ広がる
- だまし絵とコラージュの矛盾
- 色彩が再び戻ってくる
- 1914年 — 戦争による断絶
- 総合的キュビスムは何を変えたのか
- 次の展開へ — キュビスムがヨーロッパへ拡散する
- 参考資料・出典
1912年 — 「分解」から「組み立て」へ
1910年から1911年頃の分析的キュビスムでは、対象が非常に細かな面へ分解されました。
ピカソの《マ・ジョリ》やブラックの《ギターを持つ男》では、人物や楽器を読み取るために、鑑賞者はわずかな線や記号を探さなければなりません。
この方法をさらに進めれば、対象そのものが完全に消え、非具象的な画面へ進む可能性もありました。
しかしピカソとブラックは、そこから別の道を選びます。
対象を細かな面へ分解する代わりに、大きく単純な形を組み合わせる。
そして絵具だけでなく、実際の紙や印刷物を使う。
ここに大きな反転があります。
分析的キュビスムでは、三次元の世界を「分析」し、平面へ分解しました。
総合的キュビスムでは、最初から平らな形や素材を組み合わせ、そこから瓶、グラス、楽器、人物などの像を「合成」します。
ただし「総合的キュビスム」という名称も後世の分類です。実際の制作では、分解と構成はしばらく共存していました。
《籐椅子のある静物》— 描かずに貼る
1912年春、ピカソは小さな楕円形の作品《籐椅子のある静物(Still Life with Chair Caning)》を制作しました。
この作品は、20世紀美術におけるコラージュの成立を考えるうえで決定的な作品の一つです。
画面には、グラス、ナイフ、レモン、パイプ、新聞など、カフェのテーブルを思わせる断片が描かれています。
しかし下部を見ると、籐椅子の編み目のような模様があります。
ピカソは、その模様を絵具で描いたのではありません。
籐編みを印刷した市販の油布を切り取り、画面へ貼り付けました。
MoMAのアッサンブラージュ研究では、この作品が1912年5月頃に制作され、籐椅子を模した油布が貼り込まれたことが説明されています。
これは単なる素材の変化ではありません。
それまで絵画は、木、金属、布、ガラスなどを「絵具で似せて描く」ことができました。
しかしここでは、椅子の編み目を描く代わりに、それを模倣した工業製品そのものを貼っています。
絵画が現実を再現する方法そのものが、突然ずらされました。
本物ではない「本物」
《籐椅子のある静物》には、さらに複雑な問題があります。
貼られた油布は「本物の籐」ではありません。
籐椅子の模様を機械印刷した人工的な素材です。
つまり画面の中には、三つの異なるレベルの現実が存在します。
ピカソが絵具で描いた像。
籐を印刷によって模倣した油布。
そして、その油布という現実の物質そのもの。
では、どれが最も「本物」なのでしょうか。
籐模様は非常にリアルに見えます。しかし、それ自体は籐ではありません。
一方、油布そのものは現実に存在する物質です。
描かれたパイプは物質としては絵具ですが、像としてはパイプを表しています。
ピカソは、現実と表象の階層を一つの画面の中で混乱させました。
コラージュは「本物を貼ったから現実的になった」のではありません。
むしろ、本物とは何かを分からなくしたのです。
ロープは額縁なのか、作品なのか
《籐椅子のある静物》にはもう一つ重要な要素があります。
楕円形の画面の周囲を、本物のロープが囲んでいます。
通常、絵画の額縁は、作品と外部を分ける境界です。
しかしこのロープは、額縁のように作品を囲みながら、同時に作品の一部でもあります。
さらにロープは、カフェのテーブルの縁として読むこともできます。
つまり一つの物が、複数の役割を持っています。
額縁。
テーブルの縁。
現実のロープ。
作品の素材。
この曖昧さは、その後のキュビスムに繰り返し現れます。
一つの形が、瓶にもなり、テーブルにもなり、背景にもなる。
一つの素材が、それ自身であると同時に、別のものを表す。
像と物質の関係が固定されなくなります。
ブラックのパピエ・コレ
1912年秋、ブラックはさらに決定的な実験を行います。
南フランスのソルグで制作していたブラックは、アヴィニョンの店で木目模様を印刷した壁紙を購入しました。
そして、その紙を切り抜き、素描の中へ貼り付けます。
この方法は「パピエ・コレ(papier collé/貼られた紙)」と呼ばれます。
Metropolitan Museum of Artによれば、《果物皿とグラス》はブラック自身が最初のパピエ・コレと説明した作品で、1912年9月頃に制作されました。
ピカソの《籐椅子のある静物》では油布が使われていました。
ブラックはそこからさらに、薄い紙そのものを構成要素として使いました。
紙を貼り、その周囲へ木炭で線を加える。
すると同じ紙片が、ある部分では背景、別の部分ではテーブル、また別の部分では物体の一部として読めるようになります。
物質そのものは変わらない。
意味だけが変わる。
この仕組みが、総合的キュビスムの重要な特徴になります。
《果物皿とグラス》— 木を描かず、木目を貼る
ブラックの《果物皿とグラス(Fruit Dish and Glass)》では、三枚の木目模様の壁紙が貼られています。
壁紙は、もともと高価な木材を模倣するために工業的に印刷されたものです。
Metropolitan Museum of Artが指摘するように、この素材自体がすでに「偽物の木」でした。
ブラックはその偽物を、前衛絵画の中へ持ち込みます。
しかも、木目模様だからといって、必ずしも「木の物体」だけを表しているわけではありません。
貼られた紙の上や周囲に木炭線が加えられ、果物皿、グラス、テーブルなどが暗示されます。
ここで紙の意味は固定されません。
木目を表す素材でありながら、画面の平面そのものでもある。
一枚の紙片が、現実の物質であると同時に、像を作る記号になります。
パピエ・コレは何を変えたのか
パピエ・コレの革新は、「紙を作品に貼った」ことだけではありません。
最初から平らな素材を使ったこと。
分析的キュビスムでは、立体的な物体を分解し、二次元へ変換していました。
パピエ・コレでは、最初から二次元である紙を置き、それを物体として読ませます。
描写と物質を分離したこと。
木を描かなくても、木目模様を貼れば「木」を示すことができる。
一つの形が複数の意味を持てること。
紙片の形は変わらなくても、周囲の線によってテーブルにも、瓶にも、背景にもなる。
絵画の平面性を隠さなかったこと。
紙はどれほど木に見えても、実際には薄い紙です。
その平らさが、キャンバスや紙の表面そのものを強く意識させます。
絵画は奥行きを作るための窓ではなく、物と記号を組み合わせる場へ変わっていきました。
ピカソも紙を貼り始める
ブラックがパピエ・コレを始めると、ピカソもすぐにその方法を取り入れました。
Metropolitan Museum of Artによれば、1912年9月、ピカソはブラックにならって、色紙や印刷された紙を構成の中へ貼り始めます。
《帽子とヴァイオリンを持つ男》では、新聞紙が切り抜かれ、木炭で描かれた人物の中へ配置されています。
新聞紙は単なる背景ではありません。
ある部分では人物の身体になり、別の部分では空間を作ります。
しかも新聞の記事は、バルカン戦争、鉱山労働者の社会不安、広告、連載小説など、1912年当時の現実の情報を含んでいました。
つまりコラージュによって、作品の中へ「物質」だけでなく「時間」も入ってきます。
貼られた新聞は、その日、その社会、その都市に実際に存在していた印刷物です。
絵画の内部に、外部世界の断片が直接入り始めました。
新聞紙 — 物質と情報が同時に入る
新聞紙は、キュビスムにとって非常に適した素材でした。
第一に、薄く平らです。
画面へ貼っても、キャンバスや紙の平面性を壊しません。
第二に、文字があります。
「JOUR」「JOURNAL」などの断片は、新聞という物を直接連想させます。
第三に、実際の記事や広告が印刷されています。
それはフィクションではなく、その時代に流通していた情報です。
第四に、安価な日用品です。
伝統的な美術材料ではありません。
この点も重要です。
高価な油絵具や大理石だけが美術の素材なのではない。
毎日読み捨てられる新聞紙でさえ作品になり得る。
こうした発想は、後のダダ、構成主義、アッサンブラージュ、ポップ・アートなど、20世紀の多くの美術へつながることになります。
形はどこまで少なくできるのか
パピエ・コレの導入によって、ピカソとブラックの形は次第に単純になります。
分析的キュビスムでは、楽器を多数の細かな面へ分解していました。
総合的キュビスムでは、数枚の紙と数本の線だけでギターを示すことができます。
円を一つ置けば、グラスの縁に見える。
曲線を一つ置けば、ギターの胴体に見える。
数本の平行線を引けば、弦として読める。
文字を書けば、新聞や酒の銘柄を想像できる。
対象を細かく説明する必要がなくなります。
重要なのは、鑑賞者が何を読み取れるかということです。
ここでは像は「描き切る」ものではなく、最小限の記号によって呼び出されるものになります。
絵画は、物の外観を再現する技術から、記号を組み合わせるシステムへ近づいていきます。
1912年《ギター》— 平面から立体を組み立てる
1912年秋、ピカソはさらに大きな飛躍を行います。
紙、厚紙、糸、紐、針金などを切り、折り、接続し、一つの《ギター》を作りました。
MoMAによれば、この作品は1912年10月から12月頃に制作されました。
伝統的な彫刻は、大理石や木から不要な部分を削り出すか、粘土や蝋で形を作って鋳造する方法が中心でした。
ピカソは違いました。
平らな厚紙を切る。
折る。
重ねる。
糸や針金で接続する。
そして空間の中へ形を組み立てる。
ギターの胴体は中身の詰まった量塊ではなく、薄い面と空洞によって成立しています。
特に象徴的なのが、ギターのサウンドホールです。
本物のギターでは穴として内部へ引っ込む部分が、この作品では円筒の形として前方へ突き出しています。
空洞と突起が反転する。
キュビスム絵画で起きていた「内と外」「物体と空間」の交換が、実際の三次元へ移されました。
彫刻を「削る」のではなく「組み立てる」
MoMAは《ギター》について、日常的な素材を使用したことだけでなく、それらを「組み立てる」ことで彫刻を作った点を重要な革新として挙げています。
これは後の彫刻史にとって非常に大きな意味を持ちます。
彫刻は必ずしも一つの塊から作らなくてもよい。
複数の既製素材を接続してもよい。
中身が詰まっていなくてもよい。
表面と空間だけで立体を作ってもよい。
1914年、ピカソはこの紙製《ギター》の発想を、より耐久性のある金属板でも作り直しました。
MoMAが指摘するように、1912年から1914年の《ギター》群は、ピカソにとって素材と構造をめぐる非常に集中的な実験期でした。
コラージュの考えは、すでに絵画から彫刻へ広がっています。
フアン・グリス — キュビスムを別の秩序へ
総合的キュビスムを語るうえで、フアン・グリス(Juan Gris, 1887–1927)も重要です。
グリスは1906年にマドリードからパリへ移り、モンマルトルのバトー=ラヴォワールに住みました。そこでピカソらのキュビスムの展開を間近に見ています。
1911年頃から本格的にキュビスム作品を制作し、1912年にはサロン・デ・ザンデパンダンやセクション・ドール展へ参加しました。
Metropolitan Museum of Artによれば、グリスは1912年のセクション・ドール展でパピエ・コレ作品《洗面台》を展示し、ピカソとブラックが公のサロンから距離を取っていた時期に、パピエ・コレを公に展示した最初期の画家となりました。
グリスの作品は、ピカソやブラックよりも構成が明確で、色彩も比較的豊かです。
1914年には約8か月の間に40点を超えるパピエ・コレを制作しました。
新聞、壁紙、模造木目、色紙などを慎重に切り、重ね、描画と組み合わせ、非常に統合された画面を作ります。
ピカソとブラックのコラージュが断片と曖昧さを強く残すのに対し、グリスはそれらをより計画的な秩序へまとめていきました。
キュビスムはすでに、二人だけの秘密の実験ではなくなっています。
キュビスムがピカソとブラックの外へ広がる
ピカソとブラックは、1910年代初頭の主要な公募展にはほとんど参加しませんでした。
作品はカーンワイラーの画廊を通して限られた観客へ見せられていました。
一方で、ジャン・メッツァンジェ、アルベール・グレーズ、ロベール・ドローネー、アンリ・ル・フォーコニエ、フェルナン・レジェ、フアン・グリスらは、サロン・デ・ザンデパンダンやサロン・ドートンヌなど公の場でキュビスム的な作品を展示します。
1911年以降、「キュビスム」はピカソとブラックのアトリエを越えて、パリの観衆が議論する大きな美術運動へ変わりました。
1912年のセクション・ドール展では、多数のキュビスム系画家が一堂に集まりました。
同じ「キュビスム」と呼ばれていても、彼らの関心は異なります。
色彩。
動き。
数学。
都市。
機械。
時間。
次の記事では、この「サロン・キュビスム」の拡大を独立して扱います。
だまし絵とコラージュの矛盾
キュビスムが伝統的な写実から離れたと思うと、奇妙なことに気づきます。
この時期の作品には、非常に写実的な模倣も頻繁に登場します。
木目。
壁紙。
活字。
新聞。
ラベル。
楽器の一部分。
ブラックは装飾塗装の経験を使い、木目を本物らしく描きました。
一方で本物の木目模様の壁紙も貼りました。
では、描かれた木目と印刷された木目のどちらが「より現実」なのでしょうか。
Metropolitan Museum of Artは、グリスのパピエ・コレにも、だまし絵の伝統と現実/虚構を混乱させる視覚的な遊びが重要だと説明しています。
コラージュは写実を捨てる技法ではありません。
むしろ「似ていること」と「本物であること」が同じではないと示します。
絵画が現実を再現するとはどういうことなのか。
その問い自体が、作品の内容になります。
色彩が再び戻ってくる
総合的キュビスムでは、分析的キュビスムで抑えられていた色彩も次第に戻ってきます。
理由の一つは、色紙や印刷物を使うようになったことです。
壁紙の茶。
新聞紙の灰色。
青や赤の色紙。
印刷された模様。
これらは、絵具とは異なる質感と色を画面へ持ち込みます。
また形が大きく単純になったことで、一つの色面そのものが強い役割を持つようになります。
特にグリスは、ピカソとブラックより色彩を積極的に使い、切り取られた紙や色面を明確な構造へ統合しました。
フォーヴィスムのように色そのものを爆発させるのではありません。
色は、形を区別し、画面を組み立てるための構造として戻ってきます。
1914年 — 戦争による断絶
1914年8月、第一次世界大戦が始まります。
フランス国籍のブラックは軍へ動員されました。
スペイン国籍のピカソは徴兵されませんでしたが、二人が1908年以来続けてきた密接な共同研究は事実上ここで終わります。
ブラックは1915年に戦場で重傷を負い、長い療養を経て制作へ復帰します。
キュビスムそのものが1914年に終わったわけではありません。
グリス、ピカソ、レジェらは戦時中や戦後もキュビスムを発展させました。
しかし1908年から続いてきたピカソとブラックの極めて密接な実験期間には、大きな区切りが入ります。
同時に、1914年までにはキュビスムの考え方はすでにヨーロッパ各地へ広がっていました。
未来派、オルフィスム、構成主義、デ・ステイルなど、その後の運動はキュビスムをそれぞれ異なる形で読み替えていきます。
総合的キュビスムは何を変えたのか
総合的キュビスムの革新は、コラージュという新しい「技法」を発明したことだけではありません。
絵画に現実の物質を持ち込んだこと。
新聞紙、壁紙、油布、ロープなど、伝統的な画材ではないものが作品になります。
描くことと貼ることを同じ画面で扱ったこと。
物を描いてもよい。紙で示してもよい。文字を書いてもよい。
素材の意味を固定しなかったこと。
木目模様の紙は、木であると同時に、ただの紙でもある。
像を最小限の記号へ変えたこと。
数本の線と紙片だけで、ギターや瓶を想起させることができる。
絵画と彫刻の境界を揺らしたこと。
ピカソの《ギター》では、コラージュの「切って組み合わせる」という考えが三次元へ移されました。
美術材料のヒエラルキーを崩したこと。
新聞紙や壁紙という安価な日用品も、高級な油絵具と同じ作品の中に置くことができます。
こうして作品は、「世界を描いた像」だけではなく、現実の素材、記号、言語、表象を組み立てる場になりました。
この変化は、20世紀美術のほぼ全体に及ぶほど大きな影響を持つことになります。
次の展開へ — キュビスムがヨーロッパへ拡散する
ピカソとブラックがアトリエで行っていた実験と並行して、キュビスムは公の展覧会を通じて急速に広がっていました。
1911年のサロン・デ・ザンデパンダンでは、複数の画家によるキュビスム作品がまとまって展示され、大きな議論を呼びます。
1912年にはメッツァンジェとグレーズが『キュビスムについて(Du “Cubisme”)』を出版しました。
同年のセクション・ドール展には、グリス、グレーズ、メッツァンジェ、レジェ、デュシャン兄弟、ピカビアら、多様な作家が参加します。
キュビスムはもはやピカソとブラックだけのものではありません。
色彩を重視する画家。
動きと時間を取り込む画家。
機械や都市へ向かう画家。
さらにパリの外では、イタリア未来派やロシアの前衛などが、キュビスムを別の思想と結びつけます。
一つの実験が、複数の運動へ分岐し始めています。
次の記事では、1911年から1914年頃の「サロン・キュビスム」を取り上げ、キュビスムがピカソとブラックの共同研究から、国際的な美術運動へ変わっていく過程を見ていきます。
参考資料・出典
本ページは、美術館・研究機関が公開する作品、作家、研究資料を参照してART LIBRARYが独自に構成・執筆しています。原文の全文翻訳ではありません。
- The Metropolitan Museum of Art — Cubism
- The Metropolitan Museum of Art — Georges Braque, Fruit Dish and Glass
- The Metropolitan Museum of Art — Pablo Picasso, Man with a Hat and a Violin
- The Metropolitan Museum of Art — Cubism: The Leonard A. Lauder Collection
- The Museum of Modern Art — Pablo Picasso, Guitar, 1912
- The Museum of Modern Art — Picasso: Guitars 1912–1914
- The Museum of Modern Art — The Art of Assemblage
- The Metropolitan Museum of Art — Juan Gris, Book and Glass
- The Metropolitan Museum of Art — Juan Gris, Violin and Engraving
資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY