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Art History

紀元前6000–5000

新石器時代エーゲ海とナイル流域の初期農耕社会

クノッソス、島嶼航海、メリムデ、ファイユーム、ナブタ・プラヤ

紀元前6000〜5000年のエーゲ海には、木や土で家を建て、穀物を育て、土器を作る集落が広がっていました。クレタ島のクノッソスでは新石器時代の居住が始まった時期が再検討され、ギリシア本土のセスクロ文化に関わる土器には赤い化粧土や彩文が残っています。メロス島で採れた黒曜石は海を渡り、各地で鋭い石刃へ加工されました。

同じ頃、北東アフリカの人々は湖や季節的な水辺を利用していました。ファイユーム盆地の湖岸には漁撈や狩猟に用いられた小さな石器が残り、南西砂漠のナブタ・プラヤでは雨季に人々が集まり、土器や磨石を使いました。水とともに移動する暮らしと、同じ場所に住まいを築き続ける暮らしが、離れた地域で並行して営まれていました。

焼き上げた土器の滑らかな面、櫛状工具で刻んだ文様、黒曜石の薄い刃、何度も使われた磨石。残された物を細かく見ると、素材を選び、形を作る手の仕事が伝わってきます。各地の遺跡から、この千年間に育まれた生活と造形の姿をたどります。

紀元前6千年紀|エーゲ海の集落と北東アフリカの水辺

エーゲ海の農耕集落と砂漠の季節的居住

紀元前6千年紀のエーゲ海では、ギリシア本土の集落に木と土で築いた住居が並び、日々の調理には土器や磨石が使われていました。クレタ島のクノッソスにも新石器時代の居住があり、後の宮殿の下には、その生活が残した厚い地層が眠っています。

エジプトの南西砂漠では、ナブタ・プラヤの低地に雨季の水が集まりました。そこを訪れた人々は土器を使い、植物を磨石で砕き、石器を作りました。ファイユーム盆地の湖岸には、漁撈や狩猟に用いられた小型の石器が残されています。家を建てて暮らす集落と、季節ごとに利用される水辺。その違いが、地中に残る道具や遺構の種類にも表れています。(参照:UCL Digital Egypt|エジプト先史時代の年代一覧/Antiquity|Dating Knossos and the arrival of the earliest Neolithic in the southern Aegean/African Archaeological Review/PMC|サハラ初期牧畜社会の複雑化と編年)

遺跡の年代を決める地層と炭化資料

遺跡の年代を知るには、炉の木炭や炭化した種子、動物骨などを測定し、それらが見つかった地層を確かめます。放射性炭素年代のBPは1950年を基準とし、cal BPは暦年に較正した年代です。7000 cal BPはおおむね紀元前5050年に相当します。未較正の7000 BPから暦年代を求める際には、較正曲線に基づく年代幅が生じます。

同じ集落でも、古い床の上に新しい建物が築かれたり、後の穴が下層を掘り込んだりします。炭が見つかった位置と、周囲の土器や建物の位置を確かめることで、複数の活動の順序が分かってきます。

クノッソスの2017年の研究では、複数の測定値を地層の順序と組み合わせ、最古の無土器居住と後の居住との時間差を検討しました。土器の形と測定年代を照合する作業によって、数千年にわたる集落の歴史が細かく分かるようになっています。(参照:Antiquity|Dating Knossos and the arrival of the earliest Neolithic in the southern Aegean/Nuclear Instruments and Methods B|Kom K・Kom Wの放射性炭素年代)

定住・移動・農耕が生んだ異なる形

住居が同じ場所に建て直されると、床や壁の残骸が重なり、集落の地面は次第に高くなります。クノッソスの厚い居住層は、そのような暮らしの蓄積です。土器の破片、磨石、炉の灰は、家の中と周囲で繰り返された仕事を伝えています。

雨季の水を利用したナブタ・プラヤでは、炉、石器、磨石、井戸などが各時期の活動を示します。ファイユームでは湖岸に残された石器群が狩猟や漁撈の歴史を伝えています。土や石を加工する技術は各地にあり、その成果は住居の壁、器の表面、刃物の形など、異なるところに現れました。(参照:UCL Digital Egypt|ファイユーム新石器文化/UCL Digital Egypt|ナブタ・プラヤ/英国アテネ学院紀要|Excavations in the Neolithic Settlement of Knossos, 1957–60)

クノッソス|最古の移住と新石器集落の再形成

宮殿の下に積み重なった数千年の地層

クレタ島クノッソスのケファラの丘には、青銅器時代の宮殿の下に新石器時代の層が残り、一部で厚さは約10メートルに達します。古い床が使われなくなり、その上に土や灰、土器片が積もり、新たな床や壁が作られました。丘の高さには、長い年月の建て替えと生活の痕跡が含まれています。

ジョン・D・エヴァンズは1957〜60年に新石器時代の層を詳しく発掘し、土器の変化と住居の跡を記録しました。宮殿の柱や壁で知られるクノッソスには、それよりはるかに古い人々の建築と手仕事の歴史があります。(参照:英国アテネ学院紀要|Excavations in the Neolithic Settlement of Knossos, 1957–60/英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト)

紀元前7千年紀の最古層と6千年紀後半の再居住

クノッソスの居住の始まりは、放射性炭素年代の再検討によって見直されています。2017年にDoukaらが発表した研究は、最古の無土器居住を紀元前7千年紀の後半に位置づけ、そこから後の集落形成までに長い時間的な空白があったとするモデルを示しました。

土器を伴う初期新石器時代の層については、発掘区ごとの測定結果から紀元前6千年紀後半に再び居住が始まった可能性が論じられています。研究では、1997年の発掘区における初期新石器時代I期の始まりを、95.4%の確率範囲で紀元前5500〜5080年頃と推定しています。クノッソスの土器や建物は、島へ最初に渡った集団の生活と、後に形成された集落の生活を区別して考えるための資料となっています。(参照:Antiquity|Dating Knossos and the arrival of the earliest Neolithic in the southern Aegean/英国アテネ学院紀要|Excavations in the Neolithic Settlement of Knossos, 1957–60)

1900年の発掘から年代研究まで

アーサー・エヴァンズが1900年に宮殿の発掘を始めたとき、地下にはすでに厚い新石器時代の堆積がありました。デイヴィッド・マッケンジーは出土した土器を観察し、形や器面の特徴から編年を試みています。

1953年にはA・ファーネスが古い収蔵品を調べ直し、1957〜60年にはジョン・D・エヴァンズが集落の層を新たに発掘しました。土器の形式と床、壁の残る地層を結びつける研究が進み、新石器時代の住居が独立した調査の対象になりました。

21世紀には炭化試料の測定と年代モデルによる検証が進み、最古の居住と後の集落形成の間隔も再評価されました。初期の発掘で集められた土器や地層の記録が、現在の年代研究にも役立っています。(参照:英国アテネ学院紀要|Excavations in the Neolithic Settlement of Knossos, 1957–60/英国アテネ学院|クノッソス研究センターの沿革/英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト)

クノッソスの住居と生活空間

床と壁の重なりが伝える住居の建て替え

クノッソスの新石器時代の住居跡には、古い床の上へ灰や廃棄物が重なり、さらに新しい床が設けられた部分があります。壁の基部や床面の高さを追うと、建物が同じ場所で何度も作り直されてきたことが分かります。

石を用いた部分は形を残しやすく、泥壁や木材は崩れると土に混じります。発掘では、壁の位置に加えて炉、石器、土器片の分布を記録し、人々が部屋や屋外のどこで活動していたかを調べます。住居の建て替えは、丘の内部に建築の断面を残しました。(参照:英国アテネ学院紀要|Excavations in the Neolithic Settlement of Knossos, 1957–60/英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト)

石、土、植物素材を組み合わせた壁

クノッソスの新石器時代の建物には、石の基部と土を使う壁が見られます。上部には木材や植物素材が組み合わされていたと考えられ、残された壁材と床から建築の姿が復元されています。泥は壁を塗り固めたり床を整えたりする材料になり、傷んだ箇所を補修すると新しい塗り重ねが生じます。

石の硬い線と、乾燥した泥の広い面を組み合わせて住居を囲む技術は、身近な材料の性質を生かしたものでした。壁の位置や炉との距離には、調理や保管に使う空間のあり方が表れています。(参照:英国アテネ学院紀要|Excavations in the Neolithic Settlement of Knossos, 1957–60/英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト)

炉、作業場、食料処理の場所

住居の床に残る炉の灰、磨石、石刃、土器片の位置を記録すると、暮らしの中で使われた場所が浮かび上がります。火を使った場所には熱を受けた土や炭が残り、石器を加工した場所には小さな剥片が散らばります。食料を砕く磨石と火を使った痕跡が近い場所で見つかれば、調理や食物加工に使われた空間を考える材料になります。残された物の位置は、住居の壁と同じように、かつての生活空間を形づくる要素です。(参照:英国アテネ学院紀要|Excavations in the Neolithic Settlement of Knossos, 1957–60/Proceedings of the Prehistoric Society|クノッソスの農耕・牧畜と安定同位体研究)

クノッソスの土器|器形、研磨、刻線

手製土器の器形と作り方

クノッソスからは、鉢や壺の口縁、胴、底などさまざまな土器片が出土しています。手製の器では、粘土を少しずつ積み上げて壁を作り、指や道具で厚さを整え、乾かしてから焼成します。口が広い鉢と深い容器では、内側の曲面や底部の作り方も異なります。

器の全体が残る例は限られていても、口縁の湾曲から口の直径を推定でき、胴の曲線から器のふくらみを復元できます。土器の形を調べることは、どのような器が作られ、時代とともに変わっていったかを知るための基本になっています。(参照:英国アテネ学院紀要|The Neolithic Pottery of Knossos/英国アテネ学院紀要|Excavations in the Neolithic Settlement of Knossos, 1957–60)

磨き上げた面と刻みのある面

クノッソスの新石器土器には、滑らかに磨いた器面や、線を刻んだ表面が見られます。半乾きの粘土を硬い道具でこすると細かな凹凸が整い、焼成後には光を反射する面になります。刻線は粘土がまだ柔らかい段階で道具を押し当て、線の方向や間隔を選んで加えられました。

同じ器でも口縁と胴では手が触れやすい位置が異なり、磨きや装飾の置き方が変わります。器を覆う滑らかな面と線の凹凸が、土器の使い心地や見た目を作っていました。(参照:英国アテネ学院紀要|The Neolithic Pottery of Knossos/英国アテネ学院紀要|Excavations in the Neolithic Settlement of Knossos, 1957–60)

土器が残した時間と研究の歴史

クノッソスの土器研究は、20世紀初頭のマッケンジーによる型式整理を出発点として、ファーネスの再検討やジョン・D・エヴァンズの発掘によって発展しました。形がよく分かる完成品はもちろん、口縁だけの破片も、時代ごとの器形を比較する資料になっています。

土器の内側と外側で色が違う場合、その差には焼成中の空気の供給や使用時の煤が関わることがあります。器面の磨き、断面の色、粘土に混じる粒子、出土層を合わせて調べることで、制作技術と年代を関連づけられます。古い発掘で集められた土器片も、今日の分析によって新たな情報を伝えています。(参照:英国アテネ学院紀要|The Neolithic Pottery of Knossos/英国アテネ学院|クノッソス研究センターの沿革/英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト)

クノッソスの農耕・牧畜と食料加工

穀物と豆類を育てた土地

クノッソスの新石器時代の地層には、小麦や大麦などの穀粒、豆類、家畜の骨が残されています。穀物を育てるには播種から収穫、脱穀、選別まで季節に応じた作業が続きます。土に埋もれて炭化した種子は、作物の種類や栽培環境を知るための資料です。

2022年に公表された炭化穀粒と動物骨の安定同位体研究では、穀物と豆類の集約的な管理や施肥の可能性が論じられました。作物が育った土地と家畜の採食環境を併せて分析することで、集落の周囲で農耕と飼育がどのように結びついていたかが検討されています。(参照:Proceedings of the Prehistoric Society|クノッソスの農耕・牧畜と安定同位体研究/英国アテネ学院紀要|Excavations in the Neolithic Settlement of Knossos, 1957–60)

羊・山羊などの家畜と日常の素材

クレタ島の新石器時代には羊や山羊が飼育され、ウシや豚を含む家畜群も研究されています。飼育された動物は食料となり、皮や骨は身の回りの道具の材料になりました。骨は部位によって形や硬さが違い、尖らせたり削ったりすることで小さな道具に加工できます。

農耕地の近くで飼育された家畜は、植物を食べ、糞を残します。クノッソスの同位体研究では、作物への施肥を含む土地利用が検討されています。家畜の骨と穀粒を一緒に調べることで、食料生産を支えた地域の環境が見えてきます。(参照:Proceedings of the Prehistoric Society|クノッソスの農耕・牧畜と安定同位体研究/英国アテネ学院紀要|Excavations in the Neolithic Settlement of Knossos, 1957–60)

磨石と刃物を通した食料加工

収穫した穀物は、殻を外して砕き、加熱することで食料になります。磨石は平らな石と手で動かす石をこすり合わせる道具で、使い続けると石の表面が摩耗し、中央に浅いくぼみができることがあります。

鋭い石刃は植物や動物素材の切断にも用いられました。刃を柄に取り付ければ握りやすくなりますが、木製の部品は地中で失われやすく、石器だけが残る場合もあります。摩耗した石の面や刃の細かな欠けは、完成した道具が人の手で繰り返し使われたことを伝えています。(参照:Proceedings of the Prehistoric Society|クノッソスの農耕・牧畜と安定同位体研究/英国アテネ学院紀要|Excavations in the Neolithic Settlement of Knossos, 1957–60)

ギリシア本土の集落と彩文土器

テッサリアの農耕集落とセスクロ文化

ギリシア本土のテッサリア地方には、新石器時代の集落が数多く残っています。セスクロは住居の跡と土器が知られる代表的な遺跡で、赤い化粧土を塗った器や彩文土器の変化を調べるうえで基準となってきました。

メトロポリタン美術館が収蔵するセスクロ文化に関連する土器片には、紀元前5300〜4400年頃という年代幅が示されています。そのうち紀元前6千年紀後半に重なる部分は、この時代の器面装飾を考える手がかりです。土器の破片には、もとの器の形と表面を整えた技術が残っています。(参照:ダートマス大学|エーゲ海先史考古学・新石器時代/メトロポリタン美術館|セスクロ文化の赤色研磨土器片)

赤色化粧土と幾何学文様

セスクロ文化に関連する土器には、赤褐色の化粧土を塗って磨いた器や、明るい地に赤い線を描いた器があります。帯状に続く線、三角形、鋸歯状の模様などが、鉢の曲面に沿って配置されました。絵具を置く場所や線の方向によって、同じ器形でも外観は大きく変わります。

メトロポリタン美術館所蔵の赤色化粧土を施した破片(30.119.4)は長さ6.7センチ、同文化の口縁片(30.119.6)は約9センチです。いずれも紀元前5300〜4400年頃とされ、わずかな破片から器面の色や口の形を観察できます。(参照:ダートマス大学|エーゲ海先史考古学・新石器時代/メトロポリタン美術館|セスクロ文化の赤色研磨土器片)

ネア・ニコメディアの家屋と粘土製小像

ギリシア北部のネア・ニコメディアでは、方形の住居、土器、石器、粘土製の小像などが出土しています。建物は柱に葦などを組み合わせ、泥を塗った壁を備えていたと考えられます。柱穴と床の痕跡から、四角く区切られた屋内空間の姿が調べられています。

小像には少量の粘土をまとめて人の身体をかたどったものがあります。器を作る人々は同じ粘土を用いて、顔や身体の特徴を持つ小さな立体も作りました。

遺跡の年代は従来、紀元前5800〜5300年頃と紹介されてきました。放射性炭素年代を用いた近年の研究では、より古い時期に重点を置く見方もあり、居住の時期は現在も検討されています。(参照:ダートマス大学|エーゲ海先史考古学・新石器時代/Quaternary International|ネア・ニコメディア周辺の環境史と居住)

メロス産黒曜石とエーゲ海の航海

メロス産黒曜石の特徴と採取

エーゲ海のメロス島には、黒曜石の産地があります。黒曜石は火山活動で生まれた天然ガラスで、割ると貝殻状の滑らかな面と鋭い縁が現れます。黒い表面にはガラス特有の光沢があり、硬い石を打ち割って細長い刃を作る材料として使われました。

石材の産地では原石を採取し、使う場所では刃物に加工します。遺跡に残る石核や石片、加工屑の量を調べると、どの工程がその場で行われたかを推定できます。メロス産の黒曜石は農耕が広がる以前から島の外で使われ、紀元前6千年紀にもエーゲ海各地の石器製作に利用されていました。(参照:ギリシア文化省キクラデス古物局|メロス考古学博物館/ギリシア文化省キクラデス古物局|サリアゴス遺跡)

石核から刃を生み出す形の操作

黒曜石から細長い刃を取り出すには、原石の一部を整えて打撃面を作ります。刃を剥がした後の石核には、細長い溝に似た剥離痕が何本も並びます。溝の向きや重なり方は、製作者が石を打った順序を伝えています。

取り出した石刃はそのまま切断に使うことも、縁を細かく加工して削器や尖頭器へ仕上げることもできました。黒曜石は鋭く割れる反面、強い衝撃で欠けやすい石材です。石核の形を保ちながら刃を続けて剥がす作業には、打撃の位置と力を調整する熟練が表れています。(参照:ギリシア文化省キクラデス古物局|サリアゴス遺跡/ギリシア文化省キクラデス古物局|メロス考古学博物館)

海を越えて運ばれた素材

メロス島の黒曜石は、島の外にある遺跡からも出土しています。海を隔てて分布する同じ産地の石材は、エーゲ海で人や物が行き来していたことを示す資料です。石の中に含まれる元素の組成を測定すると、採取された火山地帯を調べることができます。

旧石器時代末から続くメロス産黒曜石の利用は、農耕集落が広がった後も受け継がれました。石を採りに渡った人がいたのか、複数の集落を経由して運ばれたのかは、出土する石核や石刃の分布をもとに研究されています。船はほとんど残っていませんが、石の移動は島と本土を結んだ航海の歴史を伝えています。(参照:ギリシア文化省キクラデス古物局|サリアゴス遺跡/ギリシア文化省キクラデス古物局|キモロス考古学博物館/ギリシア文化省キクラデス古物局|メロス考古学博物館)

キクラデス諸島の新石器時代の造形

キモロス島の石器と土器片

メロス島に近いキモロス島では、黒曜石やフリントの石器、石核、加工屑、土器片が見つかっています。ギリシア文化省キクラデス古物局は、これらを紀元前5300〜4500年頃の後期新石器時代の活動と関連づけています。石核と細かな加工屑が同じ場所にあれば、そこで石を割って刃物を作った可能性が考えられます。土器片は、石材の採取や加工だけでなく、人々が器を使っていたことも伝えます。出土品の種類と位置から、島内でどのような活動が行われていたかが研究されています。(参照:ギリシア文化省キクラデス古物局|キモロス考古学博物館/ギリシア文化省キクラデス古物局|メロス考古学博物館)

サリアゴスの方形住居と黒曜石加工

パロス島とアンティパロス島の間にあるサリアゴスは、新石器時代には周囲の陸地とつながっていたと考えられています。1964〜65年の発掘では、石の基礎をもつ方形の建物が見つかりました。建築の跡とともに土器、貝殻、魚骨、小像、黒曜石製の石器が出土しています。

ギリシア文化省の解説では、加工された黒曜石製石器1176点が報告されており、その多くがメロス産とされています。石を運ぶ航海と、集落で刃物を作る活動が結びついていたことが分かります。サリアゴスの主要な文化段階は紀元前5000年頃から後の時期に置かれるため、ここに残る豊かな資料は紀元前6千年紀末以降の島嶼文化の展開を伝えています。(参照:ギリシア文化省キクラデス古物局|サリアゴス遺跡)

白色文様の土器と「サリアゴスの女性像」

サリアゴスの土器には、暗色の器面へ白い文様を施した鉢や脚台付きの器があります。白い帯や鋸歯状の線、三角形、菱形が曲面に沿って組み合わされ、幾何学模様を作ります。ギリシア文化省の説明では、白い装飾は焼成後に施されたとされ、現在では色が薄れた部分もあります。

大理石で作られた「サリアゴスの女性像」には、座ったような姿勢と大きくまとめられた身体の量感が表されています。石から人体を彫り出す表現は、後のキクラデス彫刻の歴史を考える際にも注目されます。土器と小像は主に紀元前5000年以降の資料で、紀元前6千年紀末から続く島の文化が、その後どのような造形を発展させたかを示しています。(参照:ギリシア文化省キクラデス古物局|サリアゴス遺跡)

ファイユーム盆地|湖岸と細石器文化

カルーン湖の古い岸線と暮らし

エジプトのファイユーム盆地はナイル谷の西にある低地で、先史時代には現在と水位の異なる湖が広がっていました。水が増えると岸線は高いところへ移り、水が減れば新たな陸地が現れます。人々は変化する湖岸で魚を捕り、水辺の植物や鳥、周辺の野生動物を利用しました。今では湖から離れた場所にも、石器や炉跡が残されています。遺物の位置を古い湖岸線と重ねることで、かつて人々が水際のどこで活動していたかが分かります。(参照:UCL Digital Egypt|ファイユーム盆地の地形と歴史/UCL Digital Egypt|カールーン文化(ファイユームB))

カールーン文化の小さな石刃と削器

ファイユーム盆地には、ファイユームAに先行するカールーン文化(ファイユームB)の遺跡があります。UCL Digital Egyptは、おおむね紀元前6000〜5000年頃の狩猟・漁撈・採集と、小型の石器を特徴として紹介しています。石刃や削器、尖頭器は、湖岸で得た食料や材料を加工するための道具でした。

小さな石片から鋭い刃を取り出すと、わずかな原料で複数の道具を作れます。石器の一部は木や骨の柄に取り付けられた可能性もあります。UCLが紹介する遺跡Zには灰を伴う炉の跡があり、湖岸を繰り返し訪れた人々の活動を伝えています。(参照:UCL Digital Egypt|カールーン文化(ファイユームB)/UCL Digital Egypt|ファイユーム盆地の地形と歴史)

炉と刃物から見える湖岸の生活

カールーン文化の湖岸遺跡には、刃の鋭い石器と火を使った跡が残されています。魚や野生動物を解体し、食物を火にかけ、石器の刃が欠けたときには修理する。炉の周囲に集まった小さな石片は、そうした作業の存在を考える手がかりです。

現在とは異なる高さに残る炉や石器群の位置は、湖の水位が変わってきたことも伝えています。やがてこの盆地には、栽培植物や家畜を使う新石器文化の資料が現れるようになります。漁撈や狩猟の生活を支えた刃物の技術は、その前から長く使われていました。(参照:UCL Digital Egypt|カールーン文化(ファイユームB)/UCL Digital Egypt|ファイユーム新石器文化)

ファイユームAの形成と湖岸遺跡

ファイユームAの形成と年代の再検討

ファイユームAは、ファイユーム盆地で栽培植物や家畜、土器の利用が確認される新石器文化の名称です。UCL Digital Egyptは、おおむね紀元前5200〜4000年頃の年代を紹介しています。湖岸の遺跡には炉、石器、土器、植物に関わる資料が残されています。

代表的なKom KとKom Wの主要な居住層については、2009年の放射性炭素年代研究が紀元前4650〜4350年頃という年代を示しました。この二つの遺跡から詳しく知られる貯蔵坑や炉、土器は、主に紀元前5千年紀の資料です。ファイユームAの成立をめぐる研究では、さらに古い湖岸の資料と、これらの居住層との関係が検討されています。(参照:UCL Digital Egypt|ファイユーム新石器文化/Nuclear Instruments and Methods B|Kom K・Kom Wの放射性炭素年代)

湖岸に残る炉と地中の貯蔵施設

ファイユームの新石器時代の湖岸遺跡には、地面に掘り込まれた炉や貯蔵坑があります。炉では土の表面が熱を受け、灰や炭が残ります。貯蔵坑は食料を地中に保管するための施設で、穴の形や内面の処理から保存方法を考えることができます。

Kom Wでは約248基の火を使った穴が報告され、Kom Kでは複数の貯蔵坑が見つかりました。これらの主要な資料は紀元前4650〜4350年頃の居住層に属し、紀元前5000年以降の湖岸生活を詳しく伝えています。家の壁が残りにくい場所でも、土に掘った穴は人々の仕事の配置を地中へとどめています。(参照:UCL Digital Egypt|ファイユーム新石器文化/UCL Digital Egypt|Kom W・Kom Kとファイユーム新石器文化/Nuclear Instruments and Methods B|Kom K・Kom Wの放射性炭素年代)

後のファイユーム土器に見られる器形

ファイユームAの土器には、口の広い鉢、深い壺、脚台付きの器などがあります。UCLが公開するKom Wの資料では、調理に使う形の器のほか、高い脚をもつ器や四角い皿も紹介されています。器面には赤く磨いた部分、黒く仕上げた部分、粗いままの部分が見られます。

これらの代表的な土器群は主に紀元前5千年紀に属します。口縁の厚さ、胴の曲線、底の形を比べると、湖岸で使われた器の種類が分かります。さらに古いファイユームの資料と年代を照らし合わせることで、どのような器がいつ使われ始めたかが研究されています。(参照:UCL Digital Egypt|ファイユーム新石器時代の土器/UCL Digital Egypt|Kom W・Kom Kとファイユーム新石器文化/Nuclear Instruments and Methods B|Kom K・Kom Wの放射性炭素年代)

ナイル下流域へ広がる農耕と物質文化

デルタの大規模集落メリムデ

ナイル下流の西デルタにあるメリムデ・ベニ・サラーマには、円形や楕円形の小屋、炉、土器、石器、家畜の骨、集落内の墓が残されています。葦や木を使った住まいは、デルタで得られる植物素材を利用して築かれました。UCL Digital Egyptが示すメリムデの年代は、おおむね紀元前4750〜4250年頃です。こうした集落の姿は紀元前5000年以降に明瞭となり、北エジプトで農耕生活が発達する経緯を知る重要な資料になっています。(参照:UCL Digital Egypt|メリムデ・ベニ・サラーマ/UCL Digital Egypt|エジプト先史時代の年代一覧)

ユンカーの発掘と後年の再調査

メリムデでは1928年にヘルマン・ユンカーらによる調査が始まり、20世紀前半に発掘が進みました。第二次世界大戦中に記録の一部が失われたため、出土品と建物、墓の位置関係を詳しく検討するうえで資料上の空白が生じました。

1970年代後半から1980年代初めにかけて、エジプト考古当局やドイツ考古研究所が再調査しました。小屋の輪郭、墓穴、土器、石器がどのように分布していたかが改めて記録され、集落全体の構造を考える資料が蓄積されました。(参照:UCL Digital Egypt|メリムデ・ベニ・サラーマ)

北エジプトへ伝わる作物と家畜

北エジプトの新石器時代の遺跡には、エンマー小麦や大麦、羊・山羊など、西南アジアの農耕文化と関わる作物や家畜が見られます。こうした資源は、人々の移動や交流を通じてナイル流域に広がり、魚や野生植物を利用する地域の暮らしと組み合わされました。

メリムデの食料資料には、栽培植物と家畜に加え、野生動物や水域の資源が含まれています。作物を育てる土地、家畜を飼う場所、湿地で食料を得る場所が近接するデルタの環境は、紀元前5千年紀の農耕集落の形成に関わっていました。(参照:UCL Digital Egypt|エジプトにおける食料生産の起源/UCL Digital Egypt|ファイユーム新石器文化/UCL Digital Egypt|メリムデ・ベニ・サラーマ)

ナブタ・プラヤの季節的水域と生活

現在の砂漠に残る古い水辺の痕跡

ナブタ・プラヤは、エジプト南西砂漠のアブ・シンベルから西へ約100キロメートルの場所にあります。現在は乾燥した砂漠ですが、完新世の湿潤期には雨水が低地へ集まり、季節的な水辺ができました。人々はそこへ通い、火を使い、土器や石器を作り、植物や動物を食料として利用していました。

プラヤは雨季に水がたまり、乾季には水が引く低地です。滞在できる場所は雨量と水位によって変わり、時期の異なる炉や遺物が広い範囲に残されました。水のある季節に訪れて活動するという生活の繰り返しが、砂漠の地表に幾層もの痕跡を残しています。(参照:Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』/UCL Digital Egypt|ナブタ・プラヤ)

水を確保する井戸と地面への工作

ナブタ・プラヤでは、季節的な水たまりに加えて、地面を掘り下げた井戸の跡も確認されています。水面が小さくなる時期にも地下水を得られる場所があれば、人々の滞在期間を延ばすことができたと考えられます。

井戸を掘るには、砂や土が崩れる状態を見極めて穴を整える作業が伴います。発掘では井戸の位置を炉や土器、石器の分布と照合し、水を得る場所と生活する場所の関係を調べています。各井戸が作られた時期は遺跡ごとに異なり、ナブタの長い利用史の中で位置づけられています。(参照:Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』/Springer|ナブタ・プラヤの考古学:土器・植物・動物の研究章)

炉や石器片が示す活動の場

ナブタ・プラヤに残る炉、石器片、磨石、土器片、動物骨は、季節的な滞在地で人々が行った仕事を伝えています。石器製作の際に出た小片がまとまって見つかれば、原石を打ち割った場所を推定できます。磨石の摩耗した面からは植物などを砕く作業がうかがえます。

火を使った場所と石器の加工場所がどのように並んでいたかを調べることで、同じ低地の中でも活動の異なる場所が分かってきます。移動できる道具と、地面に残る炉や井戸を組み合わせて暮らしていた様子が、出土品の位置に記録されています。(参照:Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』/Springer|ナブタ・プラヤの考古学:土器・植物・動物の研究章)

ナブタ・プラヤ|乾燥と湿潤を繰り返す時代

紀元前6100〜5900年頃の乾燥期

ナブタ・プラヤの地域編年では、紀元前7050〜6150年頃に置かれるエル・ナブタ/アル・ジェラル段階の湿潤期に続き、紀元前6100〜5900年頃の乾燥期が想定されています。季節的な水場が縮小すると、人々が訪れる場所や滞在できる期間も変わりました。湿った地面に残された炉や道具は、乾燥して風にさらされると移動したり、表面が削られたりします。ナブタの遺跡では、こうした環境の変化も考慮しながら、炉の炭の年代と遺物の位置を照らし合わせて各段階の活動が復元されています。(参照:Sahara誌/PMC|Revisiting a hoary chestnut: early cattle domestication/African Archaeological Review/PMC|サハラ初期牧畜社会の複雑化と編年/Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』)

紀元前5900〜5500年頃のルアト・エル・ガナム段階

紀元前5900〜5500年頃には、ナブタ地域でルアト・エル・ガナム段階と呼ばれる湿潤期が置かれています。雨季に水が集まる低地の周辺からは、石器、土器、磨石、動物骨などが出土しています。人々は水辺で火を使い、石を割って刃物を作り、植物や動物を加工していました。

炉跡と石器片がどの場所に残っているかを調べると、同じ時期の活動地点を比較できます。ウシ属の骨も報告されており、当時の大型動物と人間の関係を考える研究が進められています。(参照:Sahara誌/PMC|Revisiting a hoary chestnut: early cattle domestication/PLOS ONE|エジプトの初期家畜利用を再評価した動物考古学研究/Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』)

紀元前5400〜4650年頃のルアト・エル・バカル段階

紀元前5500〜5400年頃の乾燥期の後、ナブタ地域では紀元前5400〜4650年頃にルアト・エル・バカル段階の湿潤期が続いたと考えられています。この年代幅は紀元前6千年紀後半から5千年紀前半にまたがり、水辺の利用の痕跡が再び現れます。

炉、土器、磨石、石器、動物骨などの組み合わせは、季節的な滞在の中で行われた仕事を伝えています。出土品の位置と年代を比較すると、雨の多い時期にどの範囲が利用されたか、道具の作り方がどのように変わったかを考えることができます。(参照:African Archaeological Review/PMC|サハラ初期牧畜社会の複雑化と編年/Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』/Springer|ナブタ・プラヤの考古学:土器・植物・動物の研究章)

ナブタ・プラヤの土器と表面装飾

櫛状工具による連続した刻印

ナブタ・プラヤの土器には、櫛の歯のような先端をもつ道具で細かな印を付けたものが知られています。まだ柔らかい器面へ道具を押し付けて動かすと、短い刻みが列になり、方向を変えることで帯状や湾曲した文様ができます。

2011年の『Antiquity』誌の研究は、ナブタの初期完新世土器について、出土状況とともにこうした施文技術を検討しました。研究対象には紀元前6千年紀より古い段階の資料も含まれます。櫛状工具が残す細かな刻みは、ナブタで長く使われた土器装飾の特徴を伝えています。(参照:Antiquity|ナブタ・プラヤの初期完新世土器に関する研究/Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』)

鉢の口縁と器壁に現れる加工

ナブタの土器片には、器の口の広がりを示す口縁や、胴の曲線が残っています。口縁の厚さや曲がり方を測れば、破片になった器の大きさを推定できます。粘土に混ぜた粒子、器壁の厚み、内側と外側の色も、土器を作る材料と焼き方を調べる手がかりです。文様が口縁の近くに並ぶ器と、胴の広い面に続く器では、同じ道具を使っても外観が変わります。小さな破片に残った刻印の向きから、かつての器面にどのような模様が続いていたかを復元できます。(参照:Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』/Springer|ナブタ・プラヤの考古学:土器・植物・動物の研究章)

研磨と焼成が生んだ色彩の変化

ナブタ地域の土器には、櫛状工具による刻印のほか、器面を磨いて仕上げたものもあります。粘土が乾き切る前に表面をこすって凹凸を整えると、焼成後には滑らかな光沢が現れます。手で触れる器の表面に、細かな磨きの跡が残ります。

器が赤く、あるいは黒く見える背景には、粘土に含まれる鉱物や焼成中の空気の状態などがあります。ルアト・エル・バカル段階は紀元前5400〜4650年頃に置かれており、その資料には紀元前5千年紀のものも含まれます。土器の色と加工痕を年代別に比べることで、砂漠の器作りが変化した過程をたどることができます。(参照:Springer|ナブタ・プラヤの考古学:土器・植物・動物の研究章/Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』)

ナブタの石器・磨石と植物利用

石核から生まれる細かな石刃

ナブタ・プラヤの遺跡には、小さな刃物、石核、剥離の際にできた石片などが残されています。石核に打撃面を作り、角度を調整して石片を取り出すと、薄く鋭い縁をもつ道具になります。残った石核の剥離痕から、どちらの方向へ打ち割ったかが分かります。

取り出した石片の縁を細かく整えれば、切断や削り、尖頭部の製作に使えます。刃先の摩耗や欠けは、道具が使われた後にできた痕跡です。ナブタの小さな石器には、身近な石材から必要な形を作り出す技術が表れています。(参照:Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』/UCL Digital Egypt|ナブタ・プラヤ)

磨石が伝える植物加工の仕事

採集した種子や植物の一部を細かく砕くとき、人々は平らな石の面へ別の石を押し当て、何度も動かしました。磨石はその繰り返しによって表面がすり減り、滑らかな摩耗面を持つようになります。ナブタ・プラヤから出土する磨石は、植物を加工する作業を考える資料です。

ナブタでは野生植物の利用が知られ、植物遺存体の一部については種類や栽培状態の検討が続いています。重さのある磨石を使う仕事は、季節的に利用した場所でどのような準備や調理が行われたかを知る手がかりになります。(参照:Springer|ナブタ・プラヤの考古学:土器・植物・動物の研究章/UCL Digital Egypt|ナブタ・プラヤ)

季節的な移動を支えた容器と道具

ナブタ・プラヤの季節的な滞在地には、土器、磨石、石刃、炉が残っています。土器は水や食料を扱う器となり、磨石は採集した植物を砕き、石刃は切断に使われました。土器の器壁や磨石の摩耗面には、使うための工夫と繰り返された仕事が残されています。

雨季に人々が戻ってくる場所には、火を使った跡や重い道具が蓄積します。乾燥期には別の水場を訪れ、再び雨が来ると同じ低地を利用する。そうした生活のリズムが、地面に残る炉と移動可能な道具の組み合わせからうかがえます。(参照:Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』/PLOS ONE|エジプトの初期家畜利用を再評価した動物考古学研究)

ナブタのウシ骨と石造施設の年代

初期のウシ骨と家畜化仮説

ナブタ・プラヤとビル・キセイバからは、初期完新世のウシ属の骨が報告されています。発掘者のWendorfやSchildらは、乾燥地で大型ウシが生きていく条件などから、これらが人間の管理下にあった可能性を提案しました。北東アフリカで家畜化がいつ始まったかという議論は、この資料をめぐって続いてきました。

2013年の再検討研究では、初期段階の骨の数や形、当時の自然環境などを調べ直し、早期家畜化説の根拠が検証されています。ウシを狩って利用したのか、群れを継続的に飼育していたのかという違いを明らかにするには、骨の年代と形態、出土状況を合わせて検討することになります。(参照:Sahara誌/PMC|Revisiting a hoary chestnut: early cattle domestication/PLOS ONE|エジプトの初期家畜利用を再評価した動物考古学研究)

動物骨から考える牧畜の成立

ナブタ地域の動物骨を調べると、ウシに加えて羊や山羊がいつ現れたかを追うことができます。家畜とされるウシでは、野生のオーロックスと比べた骨の大きさや形態が研究されてきました。

2014年の動物考古学研究は、紀元前6100〜5400年頃の中期新石器段階に、小型化した家畜ウシと飼育された羊・山羊を認めています。2017年の再検討では、家畜ウシの確実な出現を紀元前5600年頃と捉える見方が示されました。研究ごとに試料や年代の評価が異なり、牧畜の始まりが検討されています。

紀元前6千年紀の砂漠の水辺には、ガゼルなど野生動物の骨も残っています。動物骨を土器や石器の文化段階と照合すると、狩猟と飼育がともに行われていた生活の姿が見えてきます。(参照:PLOS ONE|エジプトの初期家畜利用を再評価した動物考古学研究/Sahara誌/PMC|Revisiting a hoary chestnut: early cattle domestication)

石の円形配置と巨石施設が現れた時代

ナブタ・プラヤには、石を円形に並べた遺構、立石群、ウシに関係する埋葬施設が知られています。石材を運んで地面へ据える行為は、器や石刃の製作より大きな空間を変える仕事でした。水場が繰り返し訪れる場所であったことと、これらの構造物の意味が研究されています。

代表的な石の円形配置は、周辺の炉が示す紀元前4800年頃の年代と関連づけて論じられてきました。天文観測との関係も仮説として提案されています。石造施設の年代と用途は個別の遺構ごとに研究されており、紀元前6千年紀の生活を示す炉、土器、磨石、井戸の資料とは時間的に区別されています。(参照:Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』/African Archaeological Review/PMC|サハラ初期牧畜社会の複雑化と編年/Nature|Megaliths and Neolithic astronomy in southern Egypt)

出土資料が伝える制作の工程

破片から復元する土器の曲線

土器は壊れると、口縁や胴、底などの破片になります。口縁の曲がり方から開口部の直径を推定し、胴の厚みや断面から器の大まかな曲線を復元できます。土器の破片が接合できれば、器の深さや輪郭も次第に明らかになります。

クノッソスの土器では磨きや刻線、テッサリアでは赤い化粧土、ナブタでは櫛状工具による刻印が見られます。器面の加工痕と出土層を合わせて観察すると、壊れた器の形だけでなく、作られた時期や装飾の手順も研究できます。(参照:英国アテネ学院紀要|The Neolithic Pottery of Knossos/英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト)

黒曜石に残る剥離の順序

黒曜石を石核から剥がすと、石の表面に剥離痕が残ります。細長い刃を繰り返し取り出した石核には、同じ方向へ伸びる溝状の跡が重なります。剥離面の順序を追うことで、道具が完成するまでに石をどのように回し、どこを打ったかを推定できます。

キモロス島では石核や石器とともに加工屑が見つかっています。これらの資料にメロス産黒曜石の産地分析を組み合わせると、島を越えた原料の移動と、使う場所での加工のあり方を調べることができます。(参照:ギリシア文化省キクラデス古物局|キモロス考古学博物館/ギリシア文化省キクラデス古物局|サリアゴス遺跡/ギリシア文化省キクラデス古物局|メロス考古学博物館)

砂漠の遺跡に重なる複数の時代

ナブタ・プラヤの土器や石器は、同じ低地で幾度も営まれた生活の痕跡です。乾燥した地表では風が砂を動かし、古い地層が露出して、年代の異なる遺物が近くに残ることもあります。発掘者は炉に残った炭の年代、石器の形、土器の文様、出土地点を照合しながら活動の時期を整理しています。ルアト・エル・ガナム段階とルアト・エル・バカル段階の区分も、こうした長い利用史を分けて理解するために用いられています。(参照:Antiquity|ナブタ・プラヤの初期完新世土器に関する研究/Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』)

エーゲ海と北東アフリカの造形文化の広がり

土器の曲面と色が示す地域差

クノッソスでは磨きや刻線を用いた土器が作られ、テッサリアのセスクロ文化に関連する資料には赤い化粧土や彩文が見られます。ナブタ・プラヤの器面には、櫛状の道具を繰り返し押し当てた刻印が残ります。いずれも粘土を成形して焼いた器ですが、口縁の形や表面の仕上げは地域によって異なりました。赤い地に描かれた線、磨かれた面の光沢、櫛状の刻みが作る陰影。土器を見比べると、それぞれの場所で育まれた形と表面への関心が伝わってきます。(参照:英国アテネ学院紀要|The Neolithic Pottery of Knossos/ダートマス大学|エーゲ海先史考古学・新石器時代/Springer|ナブタ・プラヤの考古学:土器・植物・動物の研究章)

石を割り、磨き、土を焼いた人々

メロス産黒曜石からは鋭い石刃が剥がされ、ナブタの磨石には植物を砕いた摩耗面が残りました。クノッソスやテッサリアの土器は、柔らかい粘土を成形し、表面を磨いたり装飾したりしてから焼いたものです。同じ時代に、割る、こする、積み上げる、焼くという異なる操作が身近な材料へ加えられていました。

こうした手仕事は、食料の加工や保存、住居の整備、石器の製作と結びついていました。残された刃の縁や器の曲面は、人々が材料を手で扱いながら形を決めていたことを伝えています。(参照:ギリシア文化省キクラデス古物局|サリアゴス遺跡/英国アテネ学院紀要|Excavations in the Neolithic Settlement of Knossos, 1957–60/Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』)

紀元前5千年紀へ広がる集落と造形

紀元前5000年以降、ファイユームのKom K・Kom Wでは炉や貯蔵坑、土器が詳しく知られるようになり、ナイル下流のメリムデでは葦や木で作った住居、家畜、集落内の墓が確認されています。エーゲ海の島々ではサリアゴスの白色文様土器や大理石の女性像が、後期新石器時代の造形を伝えています。

ナブタ・プラヤでも水場の利用が続き、後の段階には石を円形に配した施設やウシに関係する埋葬が現れました。紀元前6千年紀に各地で用いられた石器や土器、建築、水の管理の技術は、それぞれの地域で新しい器形や生活空間へと受け継がれていきます。(参照:Nuclear Instruments and Methods B|Kom K・Kom Wの放射性炭素年代/UCL Digital Egypt|メリムデ・ベニ・サラーマ/ギリシア文化省キクラデス古物局|サリアゴス遺跡/Springer|Wendorf・Schild編『ナブタ・プラヤの考古学』)

略年表|紀元前6000–5000年の主な変化

  • 紀元前6900〜6600年頃|クノッソスの最古の無土器居住が始まったとする2017年の年代モデル
  • 紀元前6100〜5900年頃|ナブタ・プラヤ周辺に、エル・ナブタ/アル・ジェラル段階後の乾燥期
  • 紀元前6000〜5000年頃|ファイユームのカールーン文化が小型石器を伴う湖岸の活動として紹介される年代幅
  • 紀元前5900〜5500年頃|ナブタ地域のルアト・エル・ガナム湿潤期
  • 紀元前5500〜5400年頃|ナブタ地域の乾燥期
  • 紀元前6千年紀後半|クノッソスで土器を伴う初期新石器時代の居住が発達
  • 紀元前5400〜4650年頃|ナブタ地域のルアト・エル・バカル湿潤期
  • 紀元前5300〜4500年頃|キモロス島で黒曜石・フリント石器と土器を伴う活動
  • 紀元前5300〜4400年頃|メトロポリタン美術館がセスクロ文化の土器片に与える年代幅
  • 紀元前5200〜4000年頃|UCLがファイユームAに示す広い年代幅
  • 紀元前5千年紀|サリアゴスの方形住居と白色文様土器、大理石小像が知られる時期
  • 紀元前4800年頃|ナブタ・プラヤの石の円形配置に近接した炉の推定年代の例
  • 紀元前4750〜4250年頃|UCLがメリムデ・ベニ・サラーマに示す居住年代
  • 紀元前4650〜4350年頃|Kom K・Kom Wの再調査された主要な居住層の推定年代

まとめ|島と砂漠に並行した造形文化

紀元前6千年紀のエーゲ海には、ギリシア本土の農耕集落、クノッソスの新石器時代の居住、島々を結ぶ黒曜石の移動が見られます。土器の赤い器面や磨き、石刃の鋭い縁、石と土で整えた住居の床には、土地の材料を加工した人々の仕事が残されています。

北東アフリカでは、ファイユームの湖岸に小型の石器と炉の痕跡があり、ナブタ・プラヤには季節的な滞在で使われた土器、磨石、井戸が残されています。ウシの家畜化をめぐる研究や乾燥・湿潤期の編年は、同じ砂漠の地域にも時期ごとに異なる暮らしがあったことを示しています。こうした造形文化は、紀元前5千年紀に入ると各地の集落、貯蔵施設、彩文土器、小像へとつながっていきました。

参考資料・出典

クノッソスに関する英国アテネ学院の発掘研究と放射性炭素年代研究、ギリシア文化省による島嶼遺跡解説、UCLのエジプト先史資料、ナブタ・プラヤの調査刊行物および動物考古学の査読論文を参照しました。紀元前表記の幅は資料ごとの編年を優先し、出土事実と研究上の推定を区別しています。