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Art History

1947–1955

マーク・ロスコ

色面が空間になるまで

ポロックが線を画面全体へ広げ、デ・クーニングが形を描いては消していた同じ時期、マーク・ロスコ(Mark Rothko, 1903–1970)は、むしろ画面から要素を減らす方向へ進んでいました。1940年代前半までの作品には人物、神話的な存在、植物や生物を思わせる形がありましたが、1947年頃からそれらは急速に姿を消し、境界の曖昧な複数の色面へ置き換わります。1949年頃には、後にロスコの代表的な形式となる、二つまたは三つの横長の矩形が上下に浮かぶ構成が成立しました。

この変化だけを見ると、「具象を捨て、色そのものを主題とする抽象画家になった」と説明したくなります。しかしロスコ本人は、その理解を強く嫌いました。彼にとって色や形の関係は最終目的ではなく、人間の感情や存在に関わる経験を作るための手段でした。したがって、ロスコを単に「色彩の美しい画家」や「カラー・フィールドの代表」として見るだけでは、なぜ画面を巨大化し、なぜ色面の縁をぼかし、なぜ鑑賞者に作品へ近づくことを求めたのかが見えなくなります。

1947年から1955年は、ロスコが一つのスタイルを完成させた時期というより、絵画を「何かの像」から「鑑賞者が身体ごと入る色の場」へ変えていった時期として見ることができます。色、形、層、縁、スケール、展示空間、鑑賞距離が少しずつ一つのシステムへ組み合わされていく。その過程を細かく見ると、ポロックやデ・クーニングとは全く異なる方法で、ロスコもまた絵画そのものの条件を作り直していたことが分かります。

CONTENTS

  1. 1947年以前 — 神話とシュルレアリスムから
  2. 1947–48年「The Romantics Were Prompted」
  3. 「抽象か具象か」が問題ではない
  4. 1947年 — 人物と生物形態が消えていく
  5. Multiforms — 後から付けられた名前
  6. 《No. 5/No. 24》— 色面同士の境界を曖昧にする
  7. 《No. 1 (Untitled)》— 大画面へ
  8. 矩形になる前から「空間」が問題だった
  9. 1949年 — 矩形が上下に並び始める
  10. なぜ同じ形式を繰り返すのか
  11. 色だけを見てはいけない
  12. ロスコにとって「主題」とは何か
  13. 1950年 — 《No. 10》
  14. 色が前へ出たり、奥へ退いたりする
  15. 輪郭をぼかす — 色面を物体にしない
  16. 薄い層を重ねて光を作る
  17. 単純に見える表面は単純ではない
  18. 大きな画面は「巨大さ」のためではない
  19. 近くで見ること — 絵画に包まれる
  20. 鑑賞者が作品の一部になる
  21. 装飾的な色彩との違い
  22. 1951–1953年 — 形式を固定しながら差異を増やす
  23. 横長の色面が作る時間
  24. 《Orange and Tan》— 暖色だけでも単純ではない
  25. 展示方法まで作品の問題になる
  26. 1954年シカゴ — まとまった作品群として見せる
  27. 1955年 — 「Color Field」という分類
  28. ロスコ=カラー・フィールドで終わらせない
  29. ポロック、デ・クーニングとの違い
  30. ニューマン、スティルとも同じではない
  31. 1947–1955年に何が変わったのか
  32. ロスコ以後 — 色面という問題は続く
  33. 次の時代へ — ニューマンは一本の線から始める
  34. 参考資料・出典

1947年以前 — 神話とシュルレアリスムから

1940年代前半のロスコは、後年の矩形だけの画面とは大きく異なる作品を制作していました。人物、植物、動物、古代神話を思わせる形が縦に積み重なり、シュルレアリスムの自動性や生物形態的な造形の影響も見られます。第二次世界大戦中にヨーロッパから亡命してきた芸術家たちとの接触もあり、目に見える現実をそのまま描くのではなく、神話や無意識を通して普遍的な人間経験へ近づこうとしていました。

重要なのは、ロスコがこの時期から「主題」を捨てようとしていたわけではないことです。1943年、アドルフ・ゴットリーブとともに発表した文章では、絵画にとって主題が決定的に重要であり、悲劇的で時間を超えるような問題を扱うべきだと主張しています。後に人物や神話的な像が消えても、この考えまで消えたわけではありません。ロスコの抽象化は、主題をなくす過程ではなく、主題を説明的な像に頼らず成立させる方法を探す過程でした。

1947–48年「The Romantics Were Prompted」

1947年から1948年に刊行された雑誌『Possibilities』で、ロスコは「The Romantics Were Prompted」という文章を発表しました。National Gallery of Artが紹介するこの文章では、彼は自分の制作を抽象か具象かという分類だけで考えることを避け、孤独や沈黙、人間の存在といった問題をより直接的に扱おうとしていました。

同じ文章でロスコは、画家の仕事が時間とともに「明晰さ」へ向かい、画家とアイデア、アイデアと鑑賞者の間にある障害を取り除いていく方向に進むと書いています。ここでいう単純化は、絵画を形式的にミニマルにすることだけではありません。神話の登場人物や象徴を画面へ描き込まなくても、より直接的に鑑賞者へ届く方法を探す。その思想と、1947年以降に画面から具体的な形が減っていく動きは重なっています。

「抽象か具象か」が問題ではない

ロスコは後年、自分を単純な「抽象画家」と見なされることにも抵抗しました。彼にとって問題は、現実の物を描くか描かないかではなく、作品がどのような経験を成立させられるかでした。そのため、具象的な像を消した後も、作品を色彩や形態の自律的な関係だけで説明されることを嫌います。

この点はデ・クーニングとの比較でも興味深いところです。デ・クーニングは人物像を残すことで抽象/具象の境界を壊しましたが、ロスコは逆に人物を消しながら、「抽象=内容がない」という理解を拒みました。二人は正反対に見える方法から、同じ二分法を無効にしていたとも考えられます。

1947年 — 人物と生物形態が消えていく

National Gallery of Artによれば、1947年までにロスコの作品からシュルレアリスム的な人物や神話的イメージがほぼ消え、正体の定まらない色の形だけが画面へ現れるようになります。まだ後年の横長の矩形ではなく、丸みのある形、不規則な色面、縦長や横長の塊が互いに離れたり接近したりしています。

この変化を「具象から抽象への到達」とだけ見ると、その途中にある重要な実験を飛ばしてしまいます。ロスコは最初から二つか三つの矩形を描こうとしていたわけではありません。複数の形を画面に配置し、それらが前へ出るか奥へ退くか、互いに接触したときにどう見えるか、背景との境界がどの程度残るかを試しながら、少しずつ要素を減らしていきました。

Multiforms — 後から付けられた名前

1947年から1949年頃の作品は、現在しばしば「Multiforms」と呼ばれます。ただし、これはロスコ自身が明確なシリーズ名として付けたものではなく、後にこの移行期の作品を説明するため定着した呼称です。MoMAも、複数の緩やかな色の領域が画面を構成するこれらの作品を「often labeled Multiform」と説明しています。

「複数の形」という名前の通り、画面にはまだ多くの色面があります。しかしそれらは固い輪郭を持つ幾何学形態ではありません。形の端はにじみ、隣の色と混ざり、背景へ溶けます。個々の形が独立した物体に見えないようにすることが、後のロスコの空間を準備していました。

《No. 5/No. 24》— 色面同士の境界を曖昧にする

1948年の《No. 5/No. 24》では、大小の色面が画面の中へ緩やかに浮かんでいます。MoMAによれば、ロスコは小さな筆を使って形の縁を外側へ扇状に広げ、隣の色や背景と混ざり合うようにしました。色面は輪郭線によって囲われていないため、一つの物体として固定されず、周囲の空間と連続して見えます。

同じ赤でも濃度や透明度が違い、形の大きさ、色、位置、縁の柔らかさによって前後関係が変わります。色面を立体的に描いているわけではありませんが、ある色は手前へ押し出され、別の色は奥へ沈むように感じられます。後年のロスコに特徴的な「色だけで浅い空間を発生させる」方法は、すでにこの時期に試されています。

《No. 1 (Untitled)》— 大画面へ

同じ1948年の《No. 1 (Untitled)》は、約270×298センチという非常に大きな作品です。MoMAは、この作品について、人物や有機的なイメージを取り除き、空間、色、スケールの関係へ集中した「Multiform」の代表例として説明しています。薄い絵具のウォッシュによって不規則な形が作られ、色面は画面の中で膨らんだり縮んだりするように見えます。

後年のロスコは巨大な矩形で知られますが、大画面への関心は矩形形式の完成より前から存在していました。画面が大きくなると、一枚の絵を遠くから全体として眺めるだけでなく、近づいたときに色面が視界を占める割合が大きくなります。スケールは形式上の特徴ではなく、鑑賞者との関係を変える装置として早くから重要でした。

矩形になる前から「空間」が問題だった

Multiformsを見ると、ロスコの成熟期の核心が「矩形」という形そのものではなかったことが分かります。重要なのは、複数の色面が画面のどの位置に浮かび、どの程度接近し、背景との間にどのような空間を作るかです。後年、形が横長の矩形へ整理されても、この基本的な問題は変わりません。

むしろ矩形へ単純化することで、鑑賞者は「これは何を描いた形なのか」と考える必要が減ります。その分、上の色と下の色の距離、縁のにじみ、背景との明度差、色面の大きさなど、空間を作る微細な差へ意識を向けやすくなります。形を減らすことは内容を減らすことではなく、別の要素を強く感じさせるための選択でした。

1949年 — 矩形が上下に並び始める

National Gallery of Artは、1949年までにロスコが最もよく知られる構成形式へ到達したと説明しています。複数の不規則な色面は整理され、二つまたは三つの横長の矩形が、単色に近い背景の上へ垂直方向に積み重なるようになります。ただし矩形の角は完全な直角ではなく、縁も硬く切られていません。

この形式は、その後20年以上にわたってロスコが繰り返し使用します。そのため「同じ絵を色違いで描いた」と誤解されることもあります。しかし、色面の大きさ、上下の位置、色の透明度、背景との関係、矩形同士の距離、画面サイズが変わるだけで、作品の空間感覚は大きく変化します。形式を固定したことで、逆に小さな違いを深く追究できるようになりました。

なぜ同じ形式を繰り返すのか

新しい形を毎回発明することだけが革新だと考えるなら、1949年以降のロスコは早い段階で形式を固定してしまったことになります。しかしロスコにとって、矩形の構成は完成されたデザインではなく、繰り返し実験するための基本条件でした。音楽で同じ楽器編成を使いながら異なる響きを作るように、形を大きく変えず、色、層、比率、距離によって経験の差を作ります。

この反復は、後の現代絵画を考えるうえでも重要です。一つの構造を何年も使い続け、その内部で差異を作るという制作は、毎回新しい図像を発明する作品観とは異なります。ロスコは「何を描くか」の変更より、同じ条件の中でどこまで知覚と感情を変えられるかを問題にしました。

色だけを見てはいけない

ロスコは色彩画家として非常に有名ですが、本人は作品を色彩関係だけで評価されることに否定的でした。National Gallery of Artは、ロスコが自分の作品について、色の関係だけに感動するなら要点を逃しているという趣旨の発言を残したことを紹介しています。彼が関心を持つと語ったのは、悲劇、恍惚、破局といった基本的な人間感情でした。

もちろん、作品を成立させているのは実際には色です。しかし重要なのは「きれいな配色を作ること」ではなく、色同士の関係によって鑑賞者の身体や感情に何が起こるかでした。赤が美しいから赤を使うのではなく、赤が背景から前へ迫ってくる、暗い色が奥へ沈む、二つの色面の間に緊張が生まれる。その作用を通して、言葉では説明しにくい経験を作ろうとしています。

ロスコにとって「主題」とは何か

1943年のゴットリーブとの文章でロスコが「主題は決定的に重要」と書いたことは、成熟期の抽象作品を理解するうえでも重要です。人物や神話が消えた後も、絵画が「何についてでもない」ものになったわけではありません。むしろ、具体的な物語を使わず、人間の孤独、悲劇、緊張、高揚などを色と空間によって直接経験させようとしました。

この点で、ロスコの抽象は形式主義的な純粋性だけでは説明できません。色と形の関係を徹底している一方で、その形式は何かを超越的・感情的に伝えるための手段だと本人は考えていました。形が減るほど、作品の意味まで減るのではなく、説明可能な意味から身体的・感情的な経験へ移っていきます。

1950年 — 《No. 10》

1950年の《No. 10》では、黄色、白、青、灰色などの大きな色面が、縦長の画面に上下へ積み重なっています。MoMAによれば、この時期には1940年代のシュルレアリスム的な形がさらに整理され、三つほどの大きな色の領域が柔らかく融合する、成熟期の形式が明確になっています。

画面は約230センチの高さがあり、鑑賞者の身体より大きい一方、建築的な壁画ほど遠い存在ではありません。近づくと一つの色面が視界の大部分を占め、離れると上下の色の関係が見えてきます。作品は一つの固定された距離から把握されるのではなく、見る身体の位置によって経験が変わります。

色が前へ出たり、奥へ退いたりする

MoMAは《No. 10》の解説で、暖色が前へ進み、寒色が奥へ退くように感じられるハンス・ホフマンの「push/pull」の色彩理論との関係を指摘しています。ロスコの画面には遠近法も描かれた物体もありませんが、黄色や白が前に浮き、青い背景が奥へ沈むように感じられることがあります。

その前後関係は固定されません。色面の縁が背景へ溶けるため、前へ浮いていた形が次の瞬間には背景へ吸収されるようにも見えます。ロスコの空間は、立体を描写して作る奥行きではなく、色の相互作用によって揺れ動く浅い空間です。鑑賞者の眼が色に順応するにつれて見え方が変わるため、見る時間も作品に関わります。

輪郭をぼかす — 色面を物体にしない

ロスコの矩形は、一見すると幾何学的です。しかし近くで見ると、輪郭は定規で引いたように硬くありません。筆触が外側へ伸び、背景色が色面の内部へ入り、輪郭が場所によって濃くなったり消えたりします。MoMAが1948年の《No. 5/No. 24》について説明するように、ロスコは早い時期から色面の縁を周囲へ扇状に広げ、隣の領域と混ぜています。

もし矩形の境界が完全に硬ければ、色面は平面上に置かれた明確な図形として見えやすくなります。縁を曖昧にすることで、ロスコはそれを「色の物体」ではなく、光や雲のように出現し、消える領域へ近づけました。矩形という安定した形と、輪郭の不安定さが同時に存在することが、画面に静かな動きを生みます。

薄い層を重ねて光を作る

National Gallery of Artの技法解説では、ロスコの成熟期の作品が複数の薄い絵具層によって作られ、透明度や彩度の異なる層が重なることで色に深さと発光するような効果が生まれると説明されています。表面だけを見ると均一な一色に見える場所でも、下層の別の色が透けたり、筆の重なりによって明暗が変化しています。

そのため、印刷物やモニターでロスコを見ると、実物の重要な部分が失われやすくなります。一つの赤い矩形に見えても、実際には下から別の色が透け、表面の光沢や薄さも場所ごとに違います。色は塗りつぶされた面ではなく、複数の層を通して見る深さとして成立しています。

単純に見える表面は単純ではない

ロスコの画面は要素が少ないため、制作も単純に見えることがあります。しかし材料を見ると、作品ごとに異なる工夫があります。たとえばNational Gallery of Art所蔵の1954年《Orange and Tan》は、油絵具だけではなく、顔料を混ぜた膠と油を用いた作品として記録されています。色面の透明感や吸収、光沢を調整するために、単純な一種類の塗料だけで画面を作っていたわけではありません。

ロスコの表面では、筆触を激しく見せることは目的ではありませんが、手作業の痕跡が消えているわけでもありません。幅広い筆で塗られた方向、薄い層のむら、矩形の端に残る別の色などが近づくと見えてきます。静かな画面は、筆触をなくした結果ではなく、筆触を色の振動へ変換した結果とも言えます。

大きな画面は「巨大さ」のためではない

ロスコは大きな作品について「I paint big to be intimate」と語っています。Metropolitan Museum of Artは、この言葉を、巨大さや英雄性を誇示するのではなく、鑑賞者との個人的な関係を作るためのスケールとして説明しています。大画面は遠くから眺めるモニュメントではなく、近づいた鑑賞者の視界を覆うためのものだったということです。

これは同じ時期のポロックの大画面とも異なります。ポロックでは広いキャンバスが身体運動の範囲を拡大し、線のネットワークを展開する場になります。ロスコでは、大画面が鑑賞者の身体との比率を変えます。制作する身体より、見る身体との関係がより強く前面に出ています。

近くで見ること — 絵画に包まれる

MoMAは《No. 10》について、ロスコが鑑賞者に作品へ近づき、色の構成に支配されるような状態を求めていたと説明しています。遠くから見ると、作品は三つの矩形からなる整った構図として把握できます。しかし近づくと、画面の端が視野から外れ、一つの色の領域に身体が対面するようになります。

鑑賞距離が変わると、作品の性格も変わります。遠くでは構成、近くでは色の密度や光、さらに近くでは筆触や層が見える。ロスコの作品は「最適な一点」から見る透視図ではなく、距離を変えながら経験する画面です。この意味で、絵画は窓のように向こう側を見るものではなく、鑑賞者のいる空間そのものへ作用する存在になっています。

鑑賞者が作品の一部になる

National Gallery of Artは、ロスコが絵画について「経験の絵」ではなく「それ自体が経験」であると考えていたことを紹介しています。この考えを成熟期の作品へ当てはめると、絵画の役割は何かを表象することから、鑑賞者に特定の状態を生み出すことへ移っていると考えられます。

色面同士の関係は、鑑賞者がその前に立って初めて知覚されます。どの色が前へ見えるか、画面が明るく感じるか暗く感じるか、圧迫されるか落ち着くかは、光、距離、見る時間にも左右されます。作品の意味が画面内部だけで完結せず、鑑賞者との関係の中で成立するという考えは、その後の絵画やインスタレーションにも重要な問題として残ります。

装飾的な色彩との違い

明るいオレンジ、赤、黄色を使うロスコの作品は、写真だけを見ると装飾的で快い配色として受け取られることがあります。しかし本人が色彩関係だけで理解されることを拒んだように、色の調和そのものが目的ではありませんでした。明るい色にも緊張があり、色面同士の距離や明度差によって、不安定さや圧迫感が生まれることがあります。

また、ロスコは後年暗い色へ進みますが、それを単純に「気分が暗くなったから」と心理的に説明することも危険です。1940年代末からすでに黒や暗色は作品に現れており、明るさと暗さを組み合わせる実験を続けています。色は作者の気分を直接翻訳した記号ではなく、鑑賞者の知覚を組み立てる複雑な材料でした。

1951–1953年 — 形式を固定しながら差異を増やす

1950年以降、ロスコの作品は二つまたは三つの大きな色面という形式を維持しながら、色の組み合わせ、矩形の比率、上下の間隔、背景色を変えていきます。新しい図像が登場するわけではありませんが、同じ構造の中で、画面が軽く浮く場合もあれば、重く沈む場合もあり、色面が互いに押し合う場合もあります。

この反復によって、一作品ごとの差異を見る方法も変わります。人物画なら表情やポーズの違いを比較できますが、ロスコでは色の境界が数センチ移動したことや、矩形が少し縦長になったことが画面全体のバランスを変えます。形式を極端に絞った結果、通常なら見過ごされる小さな差が大きな意味を持つようになります。

横長の色面が作る時間

ロスコの矩形が横長であることも重要です。縦長の画面の中に横長の色面を積み重ねると、鑑賞者の視線は上から下へ移動すると同時に、それぞれの色面を左右へ横切ります。一つの中心点へ視線を集める構図ではなく、複数の帯を時間をかけて行き来する見方が生まれます。

色面の境界が曖昧なため、視線が一つの領域から次の領域へ移る瞬間も明確ではありません。色が切り替わるというより、ゆっくり別の状態へ移るように感じられます。この「見る時間」の長さが、ロスコ作品の静けさと深く関係しています。

《Orange and Tan》— 暖色だけでも単純ではない

1954年の《Orange and Tan》では、オレンジと黄色に近い大きな色面が、黄土色の背景の上に配置されています。National Gallery of Artの作品記録によれば、上のオレンジ色の矩形では幅広い筆の縦方向の動きが見え、下の黄色い領域にも複数の筆触と色のむらがあります。さらに矩形の縁からは青緑や別の暖色がわずかに覗き、下層が完全には隠されていません。

遠くから見ると暖色系で統一された単純な構成ですが、近づくと複数の層と異なる色が入り込みます。ロスコの色面は、RGBのように一色の値で指定できる面ではありません。一つの色領域の内部に時間的な重なりがあり、その複雑さが光のような効果を作っています。

展示方法まで作品の問題になる

ロスコは、作品がどのように展示されるかにも強い関心を持っていました。National Gallery of Artが紙作品について紹介する資料では、彼が額縁やガラスによる隔たりを避け、作品と鑑賞者が直接向き合える展示を好んだことが記録されています。後年の大規模な連作展示へつながる考えですが、その基礎には、絵画を孤立した物体ではなく、鑑賞環境と一体になった経験として考える姿勢があります。

画面を巨大化し、近くで見ることを求めるなら、壁の大きさ、他作品との距離、照明も経験を左右します。ロスコにとって作品はキャンバスの四辺だけで完結しません。どのような部屋で、どれくらいの距離から、どの作品と並んで見るかまでが、絵画の作用に関わるようになっていきます。

1954年シカゴ — まとまった作品群として見せる

1954年、Art Institute of Chicagoで「Recent Paintings by Mark Rothko」が開催されました。National Gallery of Artのロスコ年譜によれば、ロスコ自身がキュレーターのKatharine Kuhと作品選定を行い、展示方法についても助言しています。この事実は、彼が個々の作品だけでなく、複数の作品が同じ空間にどう置かれるかを重視していたことを示します。

一枚のロスコを見る場合と、複数の大画面に囲まれる場合では経験が変わります。隣の作品の赤が別の作品の緑の見え方を変え、部屋全体の明るさまで違って感じられます。1950年代半ばには、絵画を「一枚ずつ所有される物」としてだけでなく、空間全体を構成する複数作品の関係として考える方向が強くなっていました。

1955年 — 「Color Field」という分類

MoMAは、ロスコが1947年頃から展開した大きな色面の絵画を、批評家クレメント・グリーンバーグが1955年に「Color Field painting」と呼んだことを説明しています。この言葉はその後、ロスコ、ニューマン、スティルなど、広い色面を主要な要素とする作家をまとめる名称として定着しました。

ここでも時系列に注意が必要です。ロスコは「カラー・フィールドという様式」を目指して1947年から制作したわけではありません。作品が先にあり、それを批評が後から分類しました。ポロックに「アクション・ペインティング」という言葉が後から付いたのと同じように、戦後ニューヨークの美術では、制作の違いを説明するためのカテゴリーが1950年代に次々と形成されていきます。

ロスコ=カラー・フィールドで終わらせない

「カラー・フィールド」はロスコの作品を整理するには便利な言葉ですが、それだけで理解すると重要な部分が抜け落ちます。ロスコ本人は色彩の形式的関係だけを目的としていませんでしたし、作品のスケール、鑑賞距離、展示空間、人間感情への関心は「広い色面を使う」という技法だけでは説明できません。

さらに、後にフランケンサーラー、モーリス・ルイス、ケネス・ノーランドなどへ「Color Field」という言葉が広がると、同じカテゴリー内でも制作方法や絵画観は大きく変わります。ロスコをその後の色面絵画の出発点の一つとして見ることはできますが、彼の作品を「カラー・フィールドの典型例」として固定してしまわないことが重要です。

ポロック、デ・クーニングとの違い

ロスコ、ポロック、デ・クーニングは同じ「抽象表現主義」の中心作家として並べられますが、絵画に対する考え方は大きく違います。ポロックは床上のキャンバスで身体、重力、流動する材料の関係を組み替え、デ・クーニングは描画と消去を繰り返して形を不安定にしました。ロスコでは、制作行為そのものを劇的に見せるのではなく、完成画面と鑑賞者の関係へ重心が移ります。

もちろんロスコの制作にも身体的な筆触や反復作業があります。しかし、完成後にその行為を読み取ることより、色が現在どのように浮き、沈み、鑑賞者を包むかが重要です。同じ大画面でも、ポロックは制作する身体との関係を、ロスコは見る身体との関係をより強く問題にしたと整理すると、両者の違いが見えやすくなります。

ニューマン、スティルとも同じではない

ロスコはバーネット・ニューマンやクリフォード・スティルとともに「カラー・フィールド」の系譜へまとめられますが、この三者も同じではありません。ニューマンは広い単色面を垂直の「zip」によって分割・接続し、画面の構造そのものを極端に単純化しました。スティルは鋭く裂けたような不規則な色面を使い、表面に強い垂直性と断裂を作りました。

ロスコの特徴は、色面の輪郭を曖昧にし、色を背景から完全に切り離さないことにあります。ニューマンの線のような明確な構造も、スティルの裂け目のような強い輪郭もありません。色面が光のように浮いたり消えたりする不確定な状態を維持することが、ロスコ独自の空間を作っています。

1947–1955年に何が変わったのか

この8年間でロスコの画面から人物、神話、生物形態が消え、複数の不規則な色面を経て、二つまたは三つの矩形へ要素が整理されました。しかし本当に重要なのは、単純化そのものではありません。色面の縁を曖昧にし、薄い絵具層を重ね、大画面へ拡大し、鑑賞者を近くへ置くことで、色を「見る対象」から「身体が対面する空間」へ変えたことです。

ロスコは絵画の内部に何かを描写する代わりに、作品と鑑賞者の間に経験を発生させようとしました。そのため、主題は消えたのではなく、画面の外にいる鑑賞者との関係へ移ったとも考えられます。色、スケール、距離、時間、展示空間を統合するこの考え方は、後の色面絵画だけでなく、環境的な絵画やインスタレーションへも接続できる重要な問題を残しました。

ロスコ以後 — 色面という問題は続く

1950年代後半になると、ヘレン・フランケンサーラー、モーリス・ルイス、ケネス・ノーランドらが、支持体への染み込みやより開放された色面を使って別の方向へ進みます。しかし、それをロスコの単純な継承として見ることはできません。ロスコが色面を鑑賞者を包む心理的・空間的な場として扱ったのに対し、次世代では絵具と支持体の物質関係、平面性、色彩の自律性など別の問題が強くなります。

さらに色面の問題は、1960年代以降も消えません。ミニマルな絵画、モノクローム、支持体を意識した抽象、そして現代のデジタル画面と絵画の関係まで、「広い面が鑑賞者の身体へどう作用するか」という問いは形を変えて続きます。ロスコを歴史上の一様式として閉じるのではなく、絵画を空間経験へ変える一つの重要な分岐点として見る方が、その後の展開を追いやすくなります。

次の時代へ — ニューマンは一本の線から始める

ロスコが複数の色面の縁を溶かしながら空間を作ったのとほぼ同じ時期、バーネット・ニューマンはさらに要素を減らし、広い色面と一本の垂直帯だけで絵画を成立させようとしていました。1948年の《Onement I》で現れたこの垂直帯は、後にニューマン自身が「zip」と呼ぶ要素へ発展します。

次の記事では、1948–1955|バーネット・ニューマン — 一本の線から絵画を始め直すとして、《Onement I》から《Vir Heroicus Sublimis》までを中心に、ロスコとは異なる「色面」「スケール」「崇高」「鑑賞者」の考え方を詳しく見ていきます。

参考資料・出典

本ページは、美術館・研究機関が公開する作品、展覧会、保存研究、アーカイブ資料を参照してART LIBRARYが独自に構成・執筆しています。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY