紀元前5000–4000
後期新石器時代エーゲ海とバダリ文化
サリアゴス、農耕・漁撈、黒曜石、黒頂赤色土器、墓制
紀元前5000年から4000年頃までの千年間には、エーゲ海とナイル流域で、農耕・牧畜を基礎とする生活が定着しながら、地域ごとに異なる工芸、食文化、移動、身体表現が発達しました。この時代を「都市や国家がまだない時代」とだけ呼ぶと、島を越える航海、精緻な土器製作、石器加工、装身具、葬送儀礼といった高度な社会技術が見えなくなります。
エーゲ海では、キクラデス諸島のサリアゴスやミコノス島のフテリアが重要です。サリアゴスでは住居、周壁、白線装飾土器、大理石・粘土人物像、メロス産黒曜石、膨大な貝殻と魚骨が見つかり、島嶼社会が農耕だけでなく漁撈と航海に深く依存していたことが分かります。フテリアでは矩形・曲線形の住居、炉、農耕・牧畜・採集・漁撈の混合経済、黒曜石、身体装飾、人物像に加え、銅製品も確認されています。
同じ頃、上エジプトではバダリ文化が展開しました。バダリ文化は現在の研究でおおむね紀元前4400〜4000年頃に置かれ、上エジプトで確認される最初期の農耕文化の一つです。黒頂赤色土器、波状研磨土器、石器、化粧用パレット、装身具、象牙人物像、墓地が知られ、少量ながら金属と初期ガラス質素材も使用されました。
ただし、バダリ文化からナカダIへ一直線に交代したと考えることはできません。UCL Digital Egyptが指摘するように、バダリ文化の年代と最古段階のナカダ文化には重なりがある可能性があり、両者の関係は完全には解決していません。地域差、土器型式、墓地、集落資料を組み合わせながら、重なりを残した歴史として扱う必要があります。
この時代の造形を理解する鍵は、完成した「美術作品」だけを見るのではなく、素材を採る、磨く、焼く、編む、運ぶ、食べる、身につける、死者へ添えるといった一連の行為を見ることです。黒頂赤色土器の色彩は火の操作によって生まれ、黒曜石の鋭い刃は島を越える航海によって届き、装身具の小さな石粒は遠距離の人間関係を身体の上に可視化しました。
本記事では、エーゲ海とエジプトを同じ発展段階に置きません。エーゲ海では島嶼・沿岸共同体が海上ネットワークを通じて資源と知識を交換し、上エジプトでは農耕村落と墓地を中心に工芸と社会差が発達しました。異なる環境と社会規模の中で、人々が素材、食料、身体、死者、移動をどのように組織したかを比較します。
CONTENTS
- 紀元前5000–4000年という時間幅
- 「新石器時代」という名称
- 「先史時代」を空白にしない
- エーゲ海の地理
- 海面は現在と異なる
- 島嶼定住
- サリアゴス
- サリアゴスの年代
- 海路を見渡す立地
- 方形住居
- 周壁
- 墓地が見つかっていない
- 開放形土器
- 高脚器
- 暗色地への白線装飾
- 幾何学文様
- サリアゴスの人物像
- いわゆる《座る女性》
- 板状人物像
- 粘土人物像
- 人形ペンダント
- 豊穣女神という説明への注意
- 大理石
- メロス産黒曜石
- メロスという資源島
- 石核と刃
- 黒曜石が示す航海
- 漁撈
- マグロ
- 貝類
- 穀物栽培
- 羊・山羊・ウシ・豚
- 混合的な生業
- ミコノス島フテリア
- 矩形と曲線形の住空間
- 炉
- フテリアの混合経済
- フテリアの土器
- 身体装飾
- 骨角器
- 磨石と穀物加工
- 石斧
- 黒曜石鏃
- フテリアの金属
- サリアゴスとの違い
- 《ミコノスの女性》
- 人物像の多様性
- メロス島プンタ・アガリ
- 資源産地に住む
- アンティパロスのヴーニ
- スラグの解釈
- 南エーゲ海ネットワーク
- 技術を運ぶもの
- 「交易」という言葉への注意
- 上エジプトとバダリ文化
- バダリ文化の年代
- バダリ文化の発見
- ガートルード・ケイトン=トンプソン
- バダリ=カウ地域
- 小規模な村落
- ヘマミエ集落
- 層位が時間を作る
- 上エジプト最初期の農耕社会
- 穀物
- 家畜
- ナイルの魚
- バダリ土器
- 黒頂赤色土器
- 波状研磨土器
- 磨き
- 古代の修理
- 物の生涯
- バダリの石器
- 石核
- 化粧用パレット
- 化粧と身体
- 櫛
- 象牙とカバ牙
- 大英博物館の象牙女性像
- 人物像の意味は未解決
- 初期ガラス質素材
- バダリ文化の金属
- 銅
- ビーズ
- 遠距離素材
- ビーズ製ベルト
- ジェンダーと装身具
- 織物と紡績
- 再利用
- バダリの墓地
- 屈葬
- 敷物
- 副葬品
- 墓の差
- 墓地資料の偏り
- バダリとナカダIの重なり
- 文化交代ではなく再編
- 黒頂赤色土器の継続
- ナカダIの形成
- 土器を比較する
- 食料生産を比較する
- 水域と移動
- 小規模共同体
- 熟練者
- 学習
- 子どもと技術継承
- ジェンダーと労働
- 身体装飾を比較する
- 色彩の世界
- 触覚
- 音
- 匂い
- 反復労働
- 修理文化
- 定住と移動は両立する
- 季節
- 不確実性への対応
- 社会差
- 権威
- 儀礼
- 死者と記憶
- 文字のない情報管理
- 文様と記憶
- 環境変化
- 環境決定論を避ける
- 保存の偏り
- 発掘史
- 美術館が作る名品
- 出土文脈の重要性
- 年代測定
- エーゲ海と上エジプトをどう比較するか
- 紀元前5000–4000年に見えてくるもの
- 次へ — 紀元前6000–5000年へ
- 参考資料・出典
紀元前5000–4000年という時間幅
この千年間は、エーゲ海では後期新石器時代を中心とし、上エジプトではバダリ文化の主要年代が後半に重なります。二地域の編年体系は独立して作られているため、紀元前5000年や4000年を共通の文化境界とはしません。数百年単位の長い変化を比較する便宜的な枠として用います。
「新石器時代」という名称
新石器時代という語は、農耕、牧畜、磨製石器、土器、定住などの組合せを整理する近代考古学上の名称です。すべての地域で同じ特徴が同時に現れるわけではなく、狩猟・採集・漁撈は農耕開始後も続きます。石器中心だから社会が単純だったという意味でもありません。
「先史時代」を空白にしない
文字記録がないため、この時代はしばしば歴史以前として短く扱われます。しかし住居、食料残滓、石器、土器、人物像、墓、人骨は、日常生活と社会関係をかなり詳細に伝えます。文字史料がないことは情報がないことではなく、別の種類の証拠を読む必要があるということです。
エーゲ海の地理
エーゲ海には多数の島、半島、入り江があり、短距離の海峡と長い外洋航海が組み合わさります。島ごとに水、耕地、石材、鉱物の条件が異なるため、完全な自給より交換と移動が重要でした。海は共同体を隔てる境界であると同時に、人を結ぶ交通路でした。
海面は現在と異なる
後期新石器時代には現在より海面が低く、島の輪郭と海峡幅は現代と異なりました。サリアゴス周辺ではパロス、アンティパロス、デスポティコなどが現在より広く連続する「大パロス」に近い地形だったと考えられています。現在の地図だけから古代の航海距離を判断することはできません。
島嶼定住
キクラデスでは紀元前5千年紀までに恒常的な居住が確認され、季節的訪問だけでは説明できない住居、食料処理、工芸が発達しました。島に住むことは、本土の農耕社会を小さく再現することではありません。漁撈、船、海上交換を生活の中心へ組み込む独自の適応が必要でした。
サリアゴス
サリアゴスは現在パロスとアンティパロスの間にある小島で、後期新石器時代の集落が発掘されています。1964〜65年に英国アテネ学院のコリン・レンフルーとジョン・エヴァンズが体系的発掘を行い、住居、周壁、陶器、人物像、黒曜石、食料残滓を記録しました。
サリアゴスの年代
ギリシア文化省キクラデス古物局はサリアゴスを後期新石器時代の遺跡として扱い、関連するパロス博物館資料では紀元前5300〜4500年頃とされています。本記事の前半に位置する重要な遺跡で、前4000年以降の島嶼社会へつながる航海・工芸・生業の前提を示します。
海路を見渡す立地
サリアゴスの位置は、パロスとアンティパロスを結ぶ海域を見渡せる場所でした。現在は低い小島ですが、当時はより広い陸地の一部であり、漁場、耕地、船着き場へのアクセスを組み合わせられました。集落立地を防御だけで説明せず、生業と移動の条件を含めて考える必要があります。
方形住居
発掘された住居は方形を基本とし、石基礎の上に泥や軽い素材の壁・屋根を組み合わせたと考えられます。石だけが残るため、現状では低い基礎しか見えません。完成時には木、葦、土、繊維など多様な有機素材が建築の大部分を占めていたはずです。
周壁
サリアゴス集落には周囲を区切る壁がありました。防御目的の可能性はありますが、家畜管理、風よけ、集落境界の表示など複数の機能が考えられます。壁を発見しただけで恒常的戦争や政治的階級を推定することはできず、周辺遺構と合わせて解釈する必要があります。
墓地が見つかっていない
サリアゴスでは住民の墓地が確認されていません。そのため文化像は住居と廃棄物を中心に復元され、後の初期キクラデス文化のように墓出土品へ偏りません。墓地がないことを埋葬儀礼がなかったと考えることはできず、海岸侵食や未発見の可能性を残す必要があります。
開放形土器
サリアゴスでは鉢など口の広い器が多く、食事、調理、配膳、混合に適した形が発達しました。器形は食文化と結びつき、何をどの姿勢で食べたか、共同で取り分けたかという身体行為を反映します。土器を年代標識だけでなく、食事の道具として読むことが重要です。
高脚器
高い脚を持つ特徴的な器は便宜的にfruit standと呼ばれますが、果物専用だった証拠はありません。内容物を地面から持ち上げ、周囲から見やすくする形は、共同食事や儀礼に適していた可能性があります。近代的な器名を古代の用途そのものと誤解しないことが必要です。
暗色地への白線装飾
サリアゴス陶器では暗色の器面に白い線で幾何学文様を加える装飾が特徴的です。白色材は焼成後に塗られたため剥落しやすく、現在はほとんど見えない器もあります。発掘後の姿より、本来は強い色彩対比を持つ視覚的な器だったと考えられます。
幾何学文様
直線、山形、三角形、菱形、帯状文様が器面を横切ります。これらを近代抽象美術の先駆と呼ぶ必要はありませんが、自然物を描かなくても反復、対称、リズムによって視覚秩序を作る高度な造形意識があったことは明らかです。
サリアゴスの人物像
サリアゴスからは大理石、粘土、骨の人物像が出土しました。後のキクラデス大理石人物像を思わせる板状の像だけでなく、身体量を強調した立体像も存在します。同じ集落で複数の身体表現が並ぶことは、自然主義から抽象への一本道を否定します。
いわゆる《座る女性》
サリアゴスの有名な大理石女性像は、太い脚、腰、腹部を量感豊かに表します。確実な発掘文脈を持つため、エーゲ海新石器時代の人物表現を考える基準資料です。後世の呼称で「太った女性」などと説明されることがありますが、古代の身体価値観を現代語の印象へ還元しないことが重要です。
板状人物像
同遺跡では、身体を薄い板状へ簡略化した人物像も見つかっています。量感を持つ像と図式的な像が同時に存在したことは、表現の簡略化を年代的進歩として説明できないことを示します。用途、製作者、素材、使用場面によって複数の身体形式が選ばれたと考えるべきです。
粘土人物像
大理石だけでなく粘土製人物像の断片もありました。粘土は石より入手しやすく、成形後に焼成できるため、異なる製作・使用の可能性を持ちます。現代美術市場で大理石像が注目されても、古代社会では粘土像が同じかそれ以上に一般的だった可能性があります。
人形ペンダント
骨製の人形ペンダントも出土し、身体表現が身につける物へ組み込まれていました。小さな像を首や衣服の近くに持つことは、手に持つ独立像とは異なる身体関係を作ります。装身具、護符、身分表示など複数の可能性を残す必要があります。
豊穣女神という説明への注意
女性身体を強調する新石器人物像は長く豊穣女神と呼ばれてきましたが、機能を一つに決める証拠はありません。出産、生殖、祖先、自己表象、儀礼、教育、玩具など多様な可能性があります。性別の表現を見つけた瞬間に宗教的女神へ変換しないことが重要です。
大理石
キクラデスの大理石は後の青銅器時代彫刻で有名になりますが、新石器時代にも人物像や小型品へ利用されました。採石、粗加工、研磨には大量の時間が必要で、白く滑らかな完成面は自然の石をそのまま使ったものではありません。素材の美しさは労働によって作られました。
メロス産黒曜石
サリアゴスでは1176点のよく加工された黒曜石工具と大量の破片が確認され、主な原料はメロス産とされています。黒曜石はガラス質で非常に鋭い刃を作れるため、新石器社会にとって重要な工具素材でした。産地分析によって、目に見えない海上移動を追跡できます。
メロスという資源島
メロスには良質な黒曜石産地があり、石器時代からエーゲ海各地へ供給されました。黒曜石は島に住む人だけでなく、本土や別の島の共同体にも届きます。特定地域にしかない資源は、交換、訪問、航海知識を長期的に維持する理由になります。
石核と刃
黒曜石は石核から細長い刃を計画的に剥がして利用できます。石核の形を整え、打撃方向を判断し、角度を制御するには熟練が必要です。完成した刃だけでなく、剥片と石核の組合せを調べることで、どこで原料を加工したかまで推定できます。
黒曜石が示す航海
メロスからサリアゴスへ黒曜石を運ぶには海を渡らなければなりません。船体は残っていなくても、産地が特定できる大量の石材は航海の確実な間接証拠です。航海は突発的な冒険ではなく、何度も往復し、季節と風を学ぶ継続的技術でした。
漁撈
サリアゴスでは約3000点の魚骨が集められ、マグロが多く含まれています。大型魚の捕獲には岸辺の採集とは異なる装備と技能が必要です。島民を単なる農民とみなさず、海洋環境を積極的に利用する漁撈者として見ることで生活像が大きく変わります。
マグロ
マグロは季節的に群れで回遊し、大型個体を捕獲・解体するには協働が必要です。捕獲方法の詳細は確定できませんが、魚骨は沖合活動と季節知識を示します。食料残滓が、造形品より直接的に集団活動と環境知識を伝える場合があります。
貝類
サリアゴスでは2万点を超える貝殻が確認され、19種に及ぶと報告されています。貝類、ウニ、カニなどは海岸で採取でき、季節や潮位を知れば安定した補助食になります。小さな廃棄物の集積から、何千回もの日常の食事を復元できます。
穀物栽培
サリアゴスでは大麦を中心とする限定的な穀物栽培が行われました。島嶼生活は海産物だけに依存したものではなく、耕作、漁撈、牧畜を組み合わせていました。異なる食料源を持つことは、天候や漁獲変動に対する生活の安定性を高めます。
羊・山羊・ウシ・豚
動物骨から、羊・山羊、ウシ、豚などが飼育されていたことが分かります。家畜は肉だけでなく、乳、皮、骨、肥料など多様な資源を提供します。牧畜は毎日の給餌、水やり、移動、繁殖管理を必要とし、島の景観利用を大きく変えました。
混合的な生業
農耕、牧畜、漁撈、採集を組み合わせる生活を、農耕以前から農耕社会への中間段階と考える必要はありません。複数の生業を組み合わせること自体が島嶼環境への高度な適応です。どれか一つへ専門化することが必ずしも発展ではありません。
ミコノス島フテリア
フテリアはミコノス島の海岸にある後期新石器時代集落で、主に紀元前5000〜4500年頃に位置づけられます。1995〜2003年の発掘で、複数の居住段階、矩形・曲線形の部屋、炉、道具、土器、人物像、金属製品が確認されました。
矩形と曲線形の住空間
フテリアの建築には矩形だけでなく曲線を持つ空間もあり、炉や柱穴が残っています。幾何学的な建物形式を文明段階と結びつける古い進歩史では、矩形建築を高く評価しがちでした。しかし形は材料、風、用途、建築習慣によって決まり、単純な発展順序にはできません。
炉
炉は食物を加熱するだけでなく、光、暖房、土器や素材加工にも関わります。家の内部で火の位置を固定することは、作業動線や家族の集まり方を決めます。建築平面に炉を重ねることで、石壁だけでは分からない生活の中心が見えてきます。
フテリアの混合経済
ギリシア文化省はフテリア住民が農耕、牧畜、採集、漁撈を組み合わせて生活したと説明しています。サリアゴスと同じく、海の共同体でありながら陸上食料生産も重要でした。島嶼社会を漁民か農民かの二択へ分けないことが必要です。
フテリアの土器
フテリアでは日常用・貯蔵用土器に加え、二色・多色の表面、貼付文、刻文を持つ装飾土器が出土しています。装飾方法が複数並ぶことは、一つの様式が社会全体を支配していなかったことを示します。器の用途と表面処理は場面によって選択されました。
身体装飾
貝、骨、特殊な石や磨いた小石から首・腕に付ける装身具が作られました。身体の上に素材を配置することは、年齢、性別、所属、好み、儀礼などを視覚化できます。装身具は小さくても、個人と共同体の関係を日常的に表示する媒体でした。
骨角器
骨は針、尖頭器、へらなどに加工でき、石より軽く弾性があります。動物を食料として利用した後、その骨を工具へ再利用することは素材循環の一部でした。石器と土器だけで道具体系を考えると、柔らかい素材を扱う重要な技術が見えなくなります。
磨石と穀物加工
フテリアでは磨石類が見つかり、穀物や別の植物資源を粉砕する作業を示します。粉を作る作業は毎日または頻繁に繰り返され、長時間身体を使います。食料加工に費やされた労働は、人物像や装飾土器の製作時間と同じく社会を支える重要な時間です。
石斧
磨製石斧は木材加工、建築、土地整備などに使われたと考えられます。磨くことで刃部を強く滑らかにでき、打製石器とは異なる作業に適します。新石器という名称の由来になった技術ですが、社会全体を石斧一種類で特徴づけることはできません。
黒曜石鏃
フテリアでは黒曜石製の鏃も見つかっています。狩猟、護身、対人武器など用途は文脈によって異なります。尖頭器の存在だけで戦争社会と結論づけず、狩猟動物、集落壁、損傷人骨など複数の証拠を組み合わせる必要があります。
フテリアの金属
フテリアでは銅または銅合金のピンや工具片が確認され、ギリシア文化省はエーゲ海冶金発達の初期段階を示す資料としています。数点の金属器は重要ですが、道具体系の中心が金属へ置き換わったわけではありません。黒曜石、骨、石は依然として主要素材でした。
サリアゴスとの違い
同時代圏のサリアゴスでは金属が確認されていない一方、フテリアでは金属片があります。この差は「進んだ島」と「遅れた島」という序列ではなく、交易相手、資源アクセス、集落年代、調査条件の違いを示します。技術導入は海域全体へ一斉に広がらないことが分かります。
《ミコノスの女性》
フテリア後期段階の粘土人物像は高さ約18センチで、腰や臀部を強調する身体表現を持ち、「ミコノスの女性」と呼ばれています。現代の愛称は古代の名称ではありません。身体の誇張を豊穣だけへ結びつけず、他の人物像や出土場所と合わせて考える必要があります。
人物像の多様性
サリアゴスの大理石像とフテリアの粘土像は同じ「新石器人物像」に分類できますが、素材、姿勢、表面、制作法が大きく異なります。エーゲ海全体に一つの女神像様式があったと考えるより、地域ごとに身体の意味づけが異なった可能性を残すべきです。
メロス島プンタ・アガリ
メロス考古学博物館は、プンタ・アガリに紀元前4300/4200〜3800/3700年頃の新石器時代集落があったと紹介しています。黒曜石産地として知られるメロス自身にも定住があり、資源採取地が単なる無人採石場ではなかったことを示します。
資源産地に住む
黒曜石産地に近い住民は、原料採取と加工・交換に関わった可能性があります。ただし特定集落が海域全体の交易を独占した証拠はありません。資源の存在と政治的支配を同一視せず、採取権や訪問慣行の多様な形を考える必要があります。
アンティパロスのヴーニ
アンティパロスのヴーニは紀元前5〜4千年紀の後期新石器時代遺跡で、黒曜石工具と製作屑、土器片、冶金活動を示す可能性のあるスラグが確認されています。金属活動の性格は今後の考古冶金研究が必要とされており、現段階で大規模精錬所と断定するべきではありません。
スラグの解釈
高温処理で生じるスラグは冶金を示す有力証拠ですが、鉱物の種類、炉温、化学成分を分析しなければ工程を確定できません。肉眼で黒い塊を見つけただけでは金属生産規模は分かりません。初期冶金研究では、物質分析が解釈の中心になります。
南エーゲ海ネットワーク
土器文様、黒曜石、装身具、金属知識の分布は、キクラデス、ドデカネス、本土、小アジア西岸の共同体が接触していたことを示します。ただし似た器があることを民族移動の証拠へ直結させることはできません。物、技術、婚姻、訪問はそれぞれ異なる速度で移動します。
技術を運ぶもの
航海で運ばれるのは完成品だけではありません。土器の焼き方、石器の剥がし方、金属の加熱法、魚の捕り方といった知識も、人の移動によって伝わります。考古学では物が残りやすいため、物そのものが動いたのか、作り方を知る人が動いたのかを区別する必要があります。
「交易」という言葉への注意
黒曜石や装身具が遠距離移動していても、現代的な市場価格や商人制度を前提にすべきではありません。贈与、親族関係、婚姻、祭礼、季節訪問、直接採取など複数の方法で物は移動できます。交易という便利な語の内部に多様な社会関係を残すことが重要です。
上エジプトとバダリ文化
紀元前5千年紀後半から4千年紀初頭、上エジプト中部のバダリ=カウ地域では、農耕・牧畜を行う共同体が墓地と小規模集落を残しました。考古学ではこの物質文化をバダリ文化と呼びますが、名称は現代のバダリ地域から付けられたもので、古代人の自己呼称ではありません。
バダリ文化の年代
UCL Digital Egyptは放射性炭素年代からバダリ文化をおおむね紀元前4400〜4000年頃と説明し、大英博物館も代表的象牙人物像を紀元前4400〜4000年頃としています。一方、作品記録には紀元前4400〜3800年など広い幅もあり、厳密な終了年には議論があります。
バダリ文化の発見
バダリ文化は1920年代のバダリ、カウ周辺の発掘によって研究上認識されました。特徴的な波状・研磨土器が既知の王朝時代資料と異なったため、より古い農耕文化として分類されました。この発見は、王朝以前のエジプト史が長く複雑であることを具体的に示しました。
ガートルード・ケイトン=トンプソン
バダリ文化研究ではガートルード・ケイトン=トンプソンの発掘が重要です。彼女はヘマミエ集落で層位を意識した発掘を行い、墓地だけでなく居住痕跡を記録しました。先史時代研究を名品収集から生活復元へ広げるうえで、発掘方法そのものが大きな意味を持ちました。
バダリ=カウ地域
バダリ文化はバダリからカウにかけた上エジプト中部で特によく確認されます。特徴的資料はさらに南でも見つかっていますが、十分に発掘された中心地域と散発的な類例を同じ密度で扱うことはできません。分布図は発掘量の差にも影響されます。
小規模な村落
UCLはバダリ人が上エジプトの小さな村に住み、集落は比較的短期間の占有だった可能性を示しています。軽い素材の建物は残りにくく、墓地より集落資料が少ないため、人口規模を正確に復元することは困難です。小規模であることを社会的未熟さとは結びつけません。
ヘマミエ集落
ヘマミエでは約2メートルに達する生活廃棄物の堆積が発掘され、バダリ期からナカダIIまで続く長い利用が確認されました。初期発掘で小円形小屋と考えられた構造の一部は、家畜用施設だった可能性も指摘されています。住居復元は発掘解釈の更新を受けます。
層位が時間を作る
集落では床、灰、廃棄物、建物跡が重なり、上下関係から相対的な年代を判断できます。墓地の副葬品比較だけでは分からない「前後」を層位が提供します。バダリとナカダの関係を研究するうえでも、居住地の連続層は重要な基準になります。
上エジプト最初期の農耕社会
UCLはバダリ文化を上エジプトで確認される最初期の農耕文化と位置づけています。小麦・大麦などの栽培と家畜飼育を基礎にしつつ、漁撈や野生資源利用も続きました。農耕開始は自然採集の終了ではなく、複数の食料獲得法を再編する過程でした。
穀物
穀物は保存しやすく、乾燥後に大量貯蔵できるため、季節的収穫を一年間の食料へ変えることができます。しかし収穫、脱穀、粉砕、調理には継続的な労働が必要です。農耕の重要性を、豊かな収穫だけでなく毎日の加工労働まで含めて考える必要があります。
家畜
ウシ、羊、山羊などの家畜は肉、乳、皮、骨を提供し、社会的富の表示にもなり得ます。家畜の所有と管理は土地・水へのアクセスと関係します。後代のウシ信仰をそのままバダリ文化へ投影せず、経済・社会資源としての動物から考えることが重要です。
ナイルの魚
ナイル川と周辺水域は魚、貝、鳥など多くの資源を提供しました。農耕文化という名称から、食事が穀物と家畜だけだったと考えるべきではありません。河川資源を利用できることは、乾燥した砂漠縁辺に集落を置く生活を支える重要な条件でした。
バダリ土器
バダリ文化は非常に薄く丁寧に作られた赤色・褐色土器で知られ、とくに黒頂赤色土器が特徴的です。器面には櫛状の道具で作った細かな波状・筋状の表面処理が見られる例があります。形だけでなく、触覚と光沢が器の価値を作っていました。
黒頂赤色土器
黒頂赤色土器は赤く磨かれた器体と黒い口縁・内部を組み合わせます。この色は単純な二色塗装ではなく、焼成時の酸化・還元条件を制御して作られたと考えられます。火の当たり方と燃料状態を経験的に操作する高度な焼成知識が必要でした。
波状研磨土器
バダリ土器には器表面を細かな平行線状に整えたrippled wareがあり、光が当たると面が細かく変化して見えます。これは絵を描く装飾とは異なり、表面そのものを造形する技法です。視覚と触覚を同時に働かせる工芸として見る必要があります。
磨き
赤色表面は滑らかに磨かれ、光を反射します。磨きは顔料を描くのとは異なり、表面の密度と方向を変える行為です。手で器を持ったときの滑らかさも変わるため、装飾と実用を完全に分けることはできません。
古代の修理
大英博物館所蔵のバダリ黒頂赤色鉢には、多数の孔を開けて割れを縫い合わせた古代修理が残ります。博物館は、この種の上質器が簡単には交換できなかった可能性を指摘しています。壊れても捨てず修理することは、器に高い制作・社会的価値があった証拠です。
物の生涯
器は製作された瞬間に完成して終わるのではありません。使用、汚れ、破損、修理、再使用、墓への副葬という複数段階を経ます。古代修理痕を見ることで、私たちは美術作品の「制作年」ではなく、物が人と長く関係した時間を追うことができます。
バダリの石器
バダリ文化の石器は剥片・石刃を中心とし、一部に精巧な両面加工工具があります。墓には優れたナイフや鏃が置かれる一方、集落からはより日常的な石器が見つかります。墓の名品だけを石器技術の全体像としないことが重要です。
石核
メトロポリタン美術館所蔵のバダリ墓出土石核は、高齢男性の頭部下に置かれ、手には尖頭器があったと記録されています。石核は完成工具ではなく、刃を作り出す原材料です。死者とともに「工具を作る能力」を象徴する物を置いた可能性もありますが、解釈は確定していません。
化粧用パレット
石製パレットは鉱物顔料を磨り潰すために使われ、墓へ副葬されました。目元や身体を彩る行為は、単なる装飾だけでなく、身体保護、衛生、儀礼、身分表示と関係した可能性があります。後の動物形パレットの前段階としてだけでなく、日常の身体技術として見るべきです。
化粧と身体
顔料を石の上で粉にし、脂や水と混ぜ、身体へ塗るには複数の道具と時間が必要です。身体は生まれたままの状態で社会へ現れるのではなく、髪型、色、装身具、衣服によって整えられます。化粧用具は社会的身体を作る工芸の一部でした。
櫛
象牙や骨製の櫛は髪を整える実用品であると同時に、精巧な形を持つ装身具でもありました。髪の管理は衛生と外見に関係し、身体表現の重要な要素です。保存されない髪型や繊維を考える手がかりとして、小さな櫛は重要です。
象牙とカバ牙
バダリ文化では象牙やカバ牙が人物像、櫛、装身具などに使われました。素材を得るには大型動物の狩猟または遠距離交換が必要で、入手自体が価値を持ちます。白く滑らかな表面は細部彫刻に適し、石とは異なる触覚を生みます。
大英博物館の象牙女性像
大英博物館にはバダリ出土のカバ牙製女性像があり、紀元前4400〜4000年頃とされています。目と陰部が刻まれ、女性的特徴が強調されています。博物館も機能は不明とし、豊穣、生まれ変わり、奉仕者像など複数の可能性を挙げています。
人物像の意味は未解決
バダリ人物像は数が多くなく、同じ文脈で反復される定型的使用法も十分に分かりません。そのため「母なる女神」と断定するより、墓に置く小像が身体、死、再生、奉仕など複数の観念に関わった可能性を残す方が証拠に忠実です。
初期ガラス質素材
UCLはバダリ文化で初期の施釉物が作られたことを指摘しています。後代のファイアンスにつながる技術の前段階として重要ですが、現代の透明ガラスとは異なります。鉱物粉とアルカリを高温で反応させ、青緑色の表面を作る技術は、火と化学変化への経験的知識を示します。
バダリ文化の金属
バダリ文化では少量の金属利用が知られ、UCLは最初期の金属利用を特徴の一つとして挙げています。ただし石器中心の道具体系が金属へ置き換わったわけではありません。初期金属は希少素材として、特殊な小物や工具に限られていたと考える必要があります。
銅
銅は石と異なり加熱・鍛造によって形を変えられ、再利用できます。しかし純銅は柔らかく、すべての刃物用途でフリントより優れるわけではありません。新素材が採用される理由には、性能だけでなく色、希少性、修理可能性、遠距離交換が関わりました。
ビーズ
メトロポリタン美術館のバダリ墓資料には、骨、蛇紋石、赤碧玉、カーネリアン、トルコ石、ラピスラズリなど複数素材のビーズが組み合わされています。小さな粒の集合は、色と素材産地の違いを身体上で連続させる工芸です。
遠距離素材
トルコ石やラピスラズリなど遠方由来の可能性が高い素材があることは、上エジプト共同体が孤立していなかったことを示します。ただし最終産地からバダリまで一人の商人が直接運んだとは限りません。複数の地域交換を経て小さな素材が移動した可能性があります。
ビーズ製ベルト
メトロポリタン美術館所蔵のバダリ墓出土ベルトは、釉薬を施したステアタイトと貝からなり、男性の腰に巻かれていました。同館は知られるバダリのビーズベルトが男性墓に集中することを指摘しています。少数例から社会全体の性別規則を断定せず、身体装飾の差を示す資料として扱うべきです。
ジェンダーと装身具
特定装身具が男性墓に多い、女性像が作られるといった証拠は、性別が身体表示に関わった可能性を示します。しかし現代的な男女二分と役割をそのまま当てはめることはできません。年齢、家系、儀礼、地域差を含めた複数の属性が装身具選択に関わったはずです。
織物と紡績
大英博物館には黒頂赤色土器片を再利用して作った紡錘車があり、糸を紡ぐ技術を示します。壊れた器片が別の道具へ転用されることは、素材を使い切る生活の柔軟性を示します。布自体が残りにくくても、紡錘車から繊維工芸の存在を知ることができます。
再利用
割れた土器を紡錘車へ変えたり、器を孔で補修したりする例は、物を一回で使い捨てない文化を示します。再利用は貧困の徴候と決めつけるべきではなく、素材と制作労力を大切にする合理的な行為です。物の価値は新品状態だけにありません。
バダリの墓地
バダリ文化では約600基の墓が記録され、乾燥砂漠縁辺の墓地が文化理解の大きな基礎になっています。墓は一般に円形または楕円形の土坑で、身体を屈曲させ、敷物や皮などとともに埋葬しました。副葬品には土器、石器、装身具、パレットなどがあります。
屈葬
死者は横向きに体を曲げて置かれることが多く、身体を小さな墓穴へ収めました。方角や姿勢には一定の傾向があっても全墓が同一ではありません。後代の伸展葬を基準に原始的と見るのではなく、身体を包み込む独自の死者処理として理解する必要があります。
敷物
植物繊維の敷物や皮は身体を直接砂へ置かないために使われました。腐りやすい素材が残る例は、石・陶器中心の展示から欠けた柔らかな葬送環境を伝えます。死者を包む、敷く、覆う行為も墓の造形の一部でした。
副葬品
死者に土器、石器、ビーズ、パレットなどを添えることは、物と人の関係を死後にも継続させる行為です。ただし副葬品が本人の生前所有物だけだったとは限りません。遺族や共同体が葬儀時に選んで与えた物もあり、墓は社会的記憶を作る場でした。
墓の差
墓の大きさと副葬品数には差がありますが、ナカダII以降ほど巨大な階層差はまだ明確ではありません。それでも装身具や希少素材へのアクセスの違いは、共同体内に社会差が存在した可能性を示します。富、年齢、性別、技能、家系を分けて考える必要があります。
墓地資料の偏り
バダリ文化が墓地中心に見えるのは、砂漠の墓が保存されやすく、氾濫原の軽量集落が残りにくいためでもあります。約600墓という豊富な資料を社会全体の生活比率と誤解せず、保存条件によって知識が偏ることを常に意識する必要があります。
バダリとナカダIの重なり
UCLはバダリ文化と最古段階のナカダ文化が部分的に同時代だった可能性を示しています。バダリ文化がよく知られる地域では最古ナカダ段階が十分確認されていないため、単純な置換過程は描けません。土器型式の違いが必ずしも異なる民族集団を意味するわけでもありません。
文化交代ではなく再編
紀元前4千年紀初頭から中頃にナカダI型の物質文化が広がるとき、バダリの黒頂赤色土器や身体装飾など多くの伝統は形を変えつつ継続します。新しい文化名が古い生活を一掃したのではなく、工芸、墓制、交流網が再編されたと見る方が資料に合います。
黒頂赤色土器の継続
黒頂赤色土器はバダリ文化だけで終わらず、ナカダI・II初頭まで長く作られます。これは技術伝統が考古学上の文化境界を越える例です。土器一種類の存在だけでバダリかナカダかを決めず、器形、表面処理、墓の組合せ、層位を総合する必要があります。
ナカダIの形成
紀元前4千年紀前半には上エジプト南部でナカダIに分類される物質文化が発達します。白色彩文土器、人物像、パレット、フリント工芸などが増えますが、前記事で扱ったようにバダリ技術との連続性もあります。本記事はその重なりの地点で終わります。
土器を比較する
サリアゴスの暗色地白線土器とバダリの黒頂赤色土器は、どちらも表面処理と色彩対比へ高い関心を示します。しかし技法と社会的文脈は異なり、直接交流を示す証拠ではありません。比較の目的は似た形を同一起源にすることではなく、土器表面をどう価値化したかの違いを見ることです。
食料生産を比較する
エーゲ海島嶼社会は農耕・牧畜に漁撈・貝採集を強く組み合わせ、バダリ文化はナイル流域農耕・牧畜と河川資源を組み合わせました。どちらも一種類の生業へ特化していません。環境に応じて複数資源を使い分けることが安定した共同体を支えました。
水域と移動
エーゲ海では海を越える島間航海、エジプトではナイルに沿った河川移動が重要でした。水は障害ではなく交通インフラでもあります。ただし海と河川では航行条件、資源分布、集落配置が異なり、同じ交通技術と考えることはできません。
小規模共同体
両地域とも、この時代には後代の都市国家や王朝国家ほど大規模な中央集権制度は確認されません。しかし小規模共同体でも航海、工芸、葬送、農耕を長期間調整できます。規模の小ささと社会的単純さを同義にしないことが重要です。
熟練者
薄いバダリ土器、黒曜石石刃、大理石人物像、初期金属製品は、それぞれ長い訓練を必要とします。専門技能を持つ人がいた可能性は高い一方、専業職人として食料生産から完全に離れていたかは分かりません。技能の専門化と職業制度を区別して考える必要があります。
学習
土器の焼成法、黒曜石の剥離、航海、漁撈、墓の作法は、文字マニュアルではなく観察、模倣、共同作業によって伝えられました。技術伝統が数百年続くことは、世代間の教育制度が機能していたことを意味します。先史社会にも複雑な知識継承がありました。
子どもと技術継承
子どもは農耕、家畜管理、魚捕り、土器製作を徐々に学び、共同体の技能を次世代へつなぎました。考古資料では子どもの作業を直接識別しにくいですが、粗い練習製品や小型道具が学習と関係する可能性があります。文化の継続には学習者の存在が不可欠です。
ジェンダーと労働
土器、織物、農耕、漁撈を男女どちらが担ったかを、近代社会の固定的役割から推定することはできません。人骨の筋活動、墓副葬品、道具分布を組み合わせても完全な分業表は作れません。分からない部分を残すことが科学的に重要です。
身体装飾を比較する
エーゲ海では貝・骨・石のペンダント、バダリでは多彩なビーズ、ベルト、化粧道具が身体を飾りました。身体装飾は小規模社会でも非常に重要で、素材を通じて関係と差異を可視化します。衣服が残りにくいため、装身具は失われた外見を考える主要資料です。
色彩の世界
白線土器、赤と黒の土器、青緑の施釉素材、赤碧玉、カーネリアン、貝の白など、この時代の物質文化は豊かな色を持っていました。現在の遺跡の土色や大理石の白さだけを古代の視覚世界と考えてはいけません。
触覚
波状研磨土器、滑らかな大理石、鋭い黒曜石、柔らかな敷物、ビーズの凹凸は、見るだけでなく触れる素材でした。博物館では触れられないため、古代の使用感が失われます。造形を視覚芸術だけでなく、手触りと身体動作を含む経験として考える必要があります。
音
土器を置く音、石を打つ音、穀物を挽く音、家畜、波、船、共同食事の声は遺物として残りません。先史時代の生活は無音ではなく、作業と環境の音に満ちていました。視覚資料中心の美術史が失う感覚領域を意識することは、古代空間を理解する助けになります。
匂い
魚介、家畜、火、発酵食品、湿った土、皮革、身体、墓には強い匂いがありました。匂いはほとんど考古資料に残りませんが、住居・作業場・墓地をどこに置くかに影響します。空間の分化を視覚だけで説明しないことが重要です。
反復労働
穀物を挽く、石を磨く、土器を研磨する、魚網を修理する、家畜へ水を与える作業は、記念碑のような一回的制作よりはるかに多くの時間を占めました。先史時代の造形文化は、こうした反復労働の余地と技術によって支えられています。
修理文化
バダリ土器の縫合修理は、物を長く使う姿勢を具体的に示します。石器も再研磨され、木柄は交換できたでしょう。制作史を新品の完成時だけでなく、補修・改造・再利用まで含めると、古代の物に対する価値観がより明確になります。
定住と移動は両立する
農耕村落があるから人が一か所から動かなくなったわけではありません。島民は黒曜石産地や漁場へ航海し、上エジプト住民も牧畜、交換、石材採取で移動しました。定住とは移動の消滅ではなく、戻る拠点が形成されることと考える方が適切です。
季節
播種、収穫、家畜繁殖、マグロ回遊、航海可能な風、ナイル水位は季節的に変化します。共同体の一年は均質な時間ではなく、異なる作業が集中する季節周期によって組織されました。物の生産も、食料作業の合間や特定季節に集中した可能性があります。
不確実性への対応
不作、嵐、病気、家畜損失、漁獲不足は常に起こり得ます。複数の食料源、保存穀物、交換相手、親族ネットワークを持つことはリスクを分散します。交易や共同体関係を豪華品獲得だけでなく、生存戦略として見る必要があります。
社会差
バダリ墓の副葬品差や希少素材へのアクセスは一定の社会差を示しますが、後の王朝国家ほど極端ではありません。サリアゴスでは墓地が未確認のため、同じ尺度で不平等を測れません。資料条件が異なる地域を同じ指標で比較しないことが重要です。
権威
小規模共同体にも祭礼、資源配分、航海、争いを調整する権威は必要でした。しかし恒常的な世襲首長、司祭、評議会など具体的制度は資料から確定できません。大きな墓や壁を見て即座に王を想定せず、複数の統治形態を残すべきです。
儀礼
人物像、特別な器、墓、副葬品は儀礼と関係した可能性がありますが、儀礼を日常生活の反対側に置く必要はありません。食事、身体装飾、埋葬、季節活動には繰り返しの作法があり、日常そのものが儀礼化される場合があります。
死者と記憶
バダリ墓地は同じ場所へ繰り返し死者を埋葬することで、土地と過去の世代を結びつけました。墓標がどの程度見えたかは不明ですが、埋葬場所を記憶し続けることは共同体の歴史を景観へ固定します。文字以前にも、場所が記憶媒体になりました。
文字のない情報管理
この時代にはエジプトのヒエログリフもエーゲ海の書記体系も成立していません。しかし道具の作り方、土地権、親族、航路、季節を記憶する方法は存在しました。口承、身体技術、反復文様、墓地、装身具が情報を保持・伝達する媒体になり得ます。
文様と記憶
土器文様が言語のような固定意味を持ったかは分かりません。それでも反復模様は工房や地域の作り方を識別し、製作者が共同体の規範を覚える助けになります。装飾を秘密の文字として解読しようとするより、社会的記憶を支える反復形式として考える方が慎重です。
環境変化
紀元前5〜4千年紀の気候・海面変化は集落立地と食料利用に影響しました。しかし気候が変化したから社会が自動的に複雑化した、と単一原因で説明することはできません。人々は同じ環境変化へ異なる技術と社会関係で対応します。
環境決定論を避ける
島だから航海社会になった、ナイルがあるから国家が生まれたという説明は単純すぎます。環境は可能性と制約を与えますが、どの資源を使うか、誰と交換するか、どのような共同体を作るかは歴史的選択です。地理と制度を一対一対応させないことが重要です。
保存の偏り
石、陶器、骨、貝は残りやすく、木、布、籠、船、食物の多くは失われます。エジプトの乾燥地では有機物が比較的残るため、エーゲ海との見え方に差が生じます。現存品の多寡を古代での重要度へ直接変換しないことが必要です。
発掘史
バダリ文化は1920年代、サリアゴスは1960年代、フテリアは1990〜2000年代に主に発掘され、調査方法は大きく異なります。古い発掘では植物・微細魚骨の回収率が低い場合があり、時代ごとの研究技術が知識量を左右します。
美術館が作る名品
大英博物館の象牙人物像やサリアゴスの女性像は、展示されることで文化を代表する名品になります。しかし当時の生活では、穀物粉砕石、籠、粗製土器、魚網などの方が使用頻度は高かったはずです。文化全体を代表作数点へ縮小しないことが重要です。
出土文脈の重要性
市場や古い収集を経た人物像は出土地を失うことがあります。サリアゴスの像が重要なのは造形が美しいだけでなく、確実な層位から出たためです。何が、どこで、何と一緒に見つかったかという文脈が、用途と年代を考える基礎になります。
年代測定
放射性炭素年代には統計的な幅があり、紀元前4400〜4000年のような範囲で示されます。土器編年も地域差と継続期間を持ちます。紀元前5000年、4500年、4000年を現代の西暦年表のような厳密な境界として扱わないことが必要です。
エーゲ海と上エジプトをどう比較するか
両地域には農耕・牧畜、石器、土器、人物像、装身具が見られますが、海上航海中心の島嶼社会とナイル流域農耕社会では資源と移動条件が異なります。共通点を普遍的発展段階に変えず、異なる社会が似た問題を別の方法で解決した事例として比較します。
紀元前5000–4000年に見えてくるもの
エーゲ海ではサリアゴス、フテリア、メロスなどの集落を通じ、海を越える黒曜石移動、漁撈、農耕、牧畜、人物像、装飾土器、初期金属利用が確認されます。上エジプトではバダリ文化が精良土器、石器、身体装飾、初期金属・施釉技術、墓地を発達させ、最古段階のナカダ文化と部分的に重なりながら次の紀元前4千年紀へ移行しました。
次へ — 紀元前6000–5000年へ
さらに遡ると、エーゲ海では初期・中期から後期新石器時代への展開、クレタ島クノッソスや本土・島嶼の農耕村落、黒曜石航海のさらに古い段階が中心になります。ナイル流域ではファイユーム、メリムデ、ナブタ・プラヤなど、上エジプトのバダリ文化以前に存在した多様な食料生産社会を扱う必要があります。次の記事は、紀元前6000–5000|新石器時代エーゲ海とナイル流域の初期農耕社会 — クノッソス、島嶼航海、メリムデ、ファイユーム、ナブタ・プラヤとして構成します。
参考資料・出典
本ページは、University College LondonのDigital Egypt、大英博物館、メトロポリタン美術館、ギリシア文化省キクラデス古物局、キクラデス美術館、英国アテネ学院等の公開資料を中心に参照し、ART LIBRARYが独自に構成・執筆しています。原文の全文翻訳ではありません。
バダリ文化の年代については、UCL Digital Egyptが放射性炭素年代をもとにおおむね紀元前4400〜4000年頃と説明する一方、メトロポリタン美術館の個別作品には紀元前4400〜3800年頃という幅も示されています。本記事では文化の開始・終了を単一年へ固定せず、ナカダIとの部分的な並行可能性を含めて記述しています。
バダリ文化の集落については、UCL Digital Egyptのバダリ文化概説とヘマミエ遺跡資料を参照しました。ヘマミエでは約2メートルの生活堆積と長期層序が確認されていますが、初期発掘で住居とされた小円形構造の一部は家畜用施設だった可能性も示されており、古い復元を確定事項として扱っていません。
黒頂赤色土器については、大英博物館とメトロポリタン美術館のバダリ資料を参照しています。赤色スリップ、研磨、黒化した口縁・内面という複合的な表面処理を扱い、大英博物館所蔵の古代修理孔を持つ鉢については、上質器が容易に交換できず修理・再使用された可能性を反映しました。
バダリ人物像については、大英博物館所蔵のカバ牙製女性像を参照しています。同館は豊穣、再生、奉仕者像など複数の可能性を挙げながら機能を未確定としているため、本記事でも一律に「母なる女神」「豊穣女神」とはしていません。
装身具と身体表象については、メトロポリタン美術館所蔵のビーズ列、男性墓出土ベルト、フリント石核などを参照しました。ベルトが現在知られる少数例で男性墓に集中する点は紹介しつつ、資料数が少ないためバダリ社会全体の性別規則へ一般化していません。
サリアゴスについては、ギリシア文化省キクラデス古物局の公式遺跡解説を中心に参照しました。同資料が示す方形住居、周壁、白線装飾土器、大理石・粘土・骨人物像、1176点の加工黒曜石工具、約2万1886点の貝殻、約3000点の魚骨、マグロ主体の漁撈、農耕・牧畜、金属不在を本文へ反映しています。
サリアゴスの現在の小島形状については、海面が低かった後期新石器時代にはパロス、アンティパロス、デスポティコなどがより大きな陸塊としてつながっていたという水中地形研究を参照しています。したがって現在の海岸線をそのまま紀元前5千年紀の航海距離へ適用していません。
フテリアについては、ギリシア文化省キクラデス古物局の公式解説を参照しています。紀元前5000〜4500年頃の複数段階の集落、農耕・牧畜・採集・漁撈を組み合わせた生活、装飾土器、骨器、石器、黒曜石鏃、銅製ピン・工具片、《ミコノスの女性》を扱いました。サリアゴスでは金属が確認されていないため、エーゲ海全体の金属利用開始を個々の集落へ一律に当てはめていません。
メロスの新石器時代については、ギリシア文化省のメロス考古学博物館案内がプンタ・アガリを紀元前4300/4200〜3800/3700年頃とする資料を参照しています。またアンティパロスのヴーニについては、黒曜石製作屑とスラグが報告されているものの、冶金活動の規模・工程は今後の考古冶金研究が必要とされているため、本記事でも限定的に扱っています。
エーゲ海の人物像については、サリアゴスの確実な発掘文脈を持つ大理石女性像・板状人物像、フテリアの粘土人物像を中心に扱いました。新石器人物像を後の初期キクラデス彫刻の単純な前段階とはせず、立体的表現と図式的表現が同時に存在していたことを重視しています。
- UCL Digital Egypt — The Badarian culture
- UCL Digital Egypt — Badari
- UCL Digital Egypt — Badarian culture
- UCL Digital Egypt — Hemamieh
- UCL Digital Egypt — Badarian stone tools and weapons
- UCL Digital Egypt — Badari Tomb 5128
- UCL Digital Egypt — Badari Tomb 5733
- British Museum — Badarian ivory female figure
- British Museum — Badarian black-top red pottery bowl with ancient repairs
- British Museum — Badarian spindle-whorl made from reused black-top pottery
- The Metropolitan Museum of Art — Badarian Bowl
- The Metropolitan Museum of Art — Badarian Deep Bowl
- The Metropolitan Museum of Art — Badarian Belt
- The Metropolitan Museum of Art — Badarian String of Beads
- The Metropolitan Museum of Art — Badarian Flint Core
- Ephorate of Antiquities of Cyclades — Saliagos
- Ephorate of Antiquities of Cyclades — The Neolithic settlement of Ftelia on Mykonos
- Ephorate of Antiquities of Cyclades — The Neolithic Period on Antiparos
- Ephorate of Antiquities of Cyclades — Archaeological Museum of Melos
- Ephorate of Antiquities of Cyclades — Despotiko / Antiparos background
- Museum of Cycladic Art — The archaeology of the Cyclades
- Museum of Cycladic Art — Raw materials of the Cycladic Culture
- The Metropolitan Museum of Art — Obsidian core and four blades
- British School at Athens — Excavation Records
資料確認日:2026年10月2日 / ART LIBRARY