1960–1965
ジェームズ・ローゼンクイスト
広告の断片、スケール、F-111
アンディ・ウォーホルが商品の反復と写真製版シルクスクリーンへ進み、ロイ・リキテンスタインが漫画の印刷表現を巨大な手描きの絵画へ変えていた同じ時期、ジェームズ・ローゼンクイスト(James Rosenquist, 1933–2017)は、広告そのものとは別の経験からPop Artへ接近していました。彼が持っていたのは、広告を見る消費者としての経験だけではありません。1950年代後半のニューヨークで、Times Squareをはじめとする巨大看板を実際に描く商業ペインターとして働き、数十メートル規模に拡大された唇、車、食品、衣服の一部分を、足場の上から至近距離で描いていました。
その経験は、1960年に看板制作を辞めた後の絵画へそのまま入り込みます。ただし、広告をキャンバスへ忠実に再現したわけではありません。雑誌から切り取った女性の顔、トマト、Fordの車体、スパゲッティ、ケーキ、電球、タイヤ、政治家の顔といった互いに無関係なイメージを、元の大きさや文脈を失わせた状態で巨大化し、画面の中で衝突させました。目の前にあるのが何なのか一瞬では理解できないほど拡大することで、見慣れた広告画像を再び奇妙なものへ変えています。
そして1964–65年の《F-111》では、この方法が一枚の絵画の内部を越え、展示室そのものを包み込みます。全長約26メートルの画面を戦闘爆撃機が横断し、その周囲へスパゲッティ、タイヤ、ケーキ、電球、少女、核爆発を思わせるイメージなどが巨大な断片として接続されます。ここまで来ると、Pop Artを単に「商品や広告を描いた美術」と説明することはできません。ローゼンクイストが扱ったのは、現代都市で異質な画像が絶えず視界へ侵入してくる経験そのものでした。
CONTENTS
- 1960年以前 — ミネソタからニューヨークへ
- 巨大看板を描く仕事
- 巨大な顔を至近距離で描く
- スケールがイメージを壊す
- 1960年 — 看板制作を辞める
- Coenties Slipという制作環境
- 抽象表現主義から離れる
- 雑誌の切り抜きを素材にする
- 小さなコラージュから巨大な絵へ
- 《Zone》— 最初の完全なPop painting
- 女性の顔とトマトが同じスケールになる
- 全体を描かず、断片だけを拡大する
- ブランド名より「見慣れた断片」を使う
- 《President Elect》— 政治広告と商品広告を接続する
- Kennedyの顔を「広告」として見る
- 車とケーキが政治家の隣へ来る
- 《I Love You with My Ford》
- 車、女性、スパゲッティを接続する
- 色彩とグリザイユを入れ替える
- 1962年 Green Gallery初個展
- Richard BellamyとGreen Gallery
- 最初の個展で急速に評価される
- 「Pop Art」というカテゴリーへ入る
- 1963年《Six Painters and the Object》
- Warhol、Lichtensteinとの違い
- 《White Bread》— 広告らしいがブランドがない
- 具象の断片が抽象に近づく
- 周辺視野への関心
- 都市では一つの画像だけを見ていない
- PollockとNewmanから受け取ったスケール
- Monetの《Water Lilies》と包囲する絵画
- 1964年 — 《F-111》を構想する
- 戦闘爆撃機が画面全体を貫く
- スパゲッティ、ケーキ、タイヤ、電球
- 小さなコラージュが巨大環境へ変わる
- 軍事と消費経済をどう結びつけたのか
- Vietnam Warとの関係
- 四方の壁を囲む絵画
- 作品全体を一度に見ることができない
- 1965年 Leo Castelli Gallery
- 絵画が「環境」になる
- 商品社会の賛美/批判だけでは説明できない
- 広告を使っても広告にはならない
- 1960–1965年に何が変わったのか
- ローゼンクイスト以後 — 断片化された画像環境へ
- 次の時代へ — オルデンバーグ、商品を物体にする
- 参考資料・出典
1960年以前 — ミネソタからニューヨークへ
ローゼンクイストは1933年にノースダコタ州Grand Forksで生まれ、若い頃にMinneapolis School of Artで学び、1952年から54年にはUniversity of Minnesotaで美術を学びました。Guggenheim Museumの略歴によれば、学生時代の夏にはすでに看板を描く仕事を経験しています。1955年にはArt Students Leagueの奨学金を得てニューヨークへ移り、George Grosz、Edwin Dickinsonらに学びました。
しかしニューヨークで生活するためには収入が必要でした。1957年頃から再び商業ペインターとして働き、Times Squareをはじめ市内各所の巨大看板を描きます。この仕事はFine Artとは別の生計手段として始まりましたが、後にローゼンクイストの絵画を決定的に変える視覚経験になります。
巨大看板を描く仕事
当時の広告看板は、現在のような大型プリントを貼り付ける方法だけではなく、職人が足場に上り、大きなブラシで直接描くものが多くありました。Smithsonianのインタビューでローゼンクイストは、幅395フィート、高さ58フィートに及ぶAstor-Victoriaの看板を何度も描いた経験を回想しています。映画スター、酒、シャツ、自動車など、商品を魅力的に見せるための巨大なイメージを日常的に制作していました。
ここで重要なのは、看板を道路から眺める観客と、実際に描く職人の見え方が全く違うことです。街路からは一人の俳優の顔に見えても、足場の上では巨大な唇、肌色の面、一本の輪郭しか視野に入りません。全体像を知っていても、制作中には常に断片しか見ることができませんでした。
巨大な顔を至近距離で描く
この「部分しか見えない」という経験は、後の作品にそのまま戻ってきます。ローゼンクイストは巨大広告を描くとき、髪や口、車体の一部を独立した抽象形態のように扱わなければなりませんでした。遠くからは意味を持つ具象イメージが、近くでは色面や曲線へ崩れます。
National Gallery of Artも、彼の絵画における大きさと断片化を、看板制作の経験と関連づけています。巨大な広告の一部分しか見えない状態をFine Artへ持ち込むことで、商品画像をそのまま再現するのではなく、認識と抽象の境界へ置きました。
スケールがイメージを壊す
同じ写真でも、小さな雑誌のページで見る場合と、数メートルへ拡大された場合では経験が変わります。人の口を顔全体より大きく描けば、口だと分かるまでに時間がかかります。車の一部分を巨大化すれば、金属の曲面や光だけが抽象的な形として見えてきます。
ローゼンクイストにとって拡大は、広告をより分かりやすくする手段ではなくなりました。看板制作で学んだスケールを逆利用し、既知のイメージを認識しにくくする。広告の即時的な伝達能力を使いながら、その伝達を途中で壊すところに彼の独自性があります。
1960年 — 看板制作を辞める
Guggenheim MuseumとNational Gallery of Artによれば、ローゼンクイストは1960年に商業看板の仕事を辞め、Fine Artの制作へ集中します。Smithsonianの回想では、高所の足場で働く危険にも疲れ、「自分がやりたいこと」を制作するために看板仕事を離れたと語っています。
しかし彼は商業制作の経験まで捨てませんでした。むしろ、大型看板用の塗料、巨大なスケール、画像の拡大、断片を描く感覚などを、自分のスタジオ作品の語彙として使い始めます。Commercial Artを離れることでCommercial Artの方法をFine Artへ持ち込むという、逆説的な転換でした。
Coenties Slipという制作環境
1960年頃、ローゼンクイストはLower ManhattanのCoenties Slipにスタジオを構えました。MoMAの同地域に関する資料では、Ellsworth Kelly、Agnes Martin、Robert Indiana、Jack Youngerman、Lenore Tawneyらが古い倉庫や帆布工場の建物を利用して制作していたことが記録されています。ローゼンクイスト自身もSmithsonianのインタビューで、Ellsworth Kellyらとの交流を通してこの場所へ入った経緯を語っています。
この集まりは、一つの共通様式を持つ運動ではありませんでした。Kellyはハードエッジな色面、Martinはグリッド、Indianaは文字と記号、Rosenquistは広告断片へ向かいます。同じ場所で制作しながら別々の方向へ進んだことは、1960年代初頭のニューヨーク美術がすでに抽象表現主義の次の単一様式へまとまっていなかったことを示します。
抽象表現主義から離れる
National Gallery of Artは、Coenties Slipへ移った1960年頃を、ローゼンクイストがそれまでの抽象表現主義的な試みを離れ、商業制作の経験をFine Artへ侵入させた転換点として説明しています。1950年代のニューヨークで画家として活動する以上、抽象表現主義の巨大画面や身振り的な筆触を避けて通ることは難しかったはずです。
ローゼンクイストが行ったのは、そのスケールを捨てることではありませんでした。むしろ巨大さを保持しながら、そこに作者の内面から生まれた抽象形態ではなく、雑誌や広告から切り取った既存画像を入れます。巨大画面という遺産を、まったく別のイメージ体系へ接続したのです。
雑誌の切り抜きを素材にする
1960年以降、ローゼンクイストは雑誌広告から写真を切り抜き、それらをスタジオの床で組み合わせるようになります。James Rosenquist Studioには《Zone》《President Elect》《Pushbutton》《I Love You with My Ford》などのために作られた小さなsource collageが残されており、最終的な巨大絵画の前に、数十センチ程度の紙の上で異なるイメージを接続していたことが確認できます。
この制作方法では、絵画の構想段階が「ドローイングで一から描くこと」だけではありません。すでに印刷されている画像を選び、切り、位置を変え、別の画像へ接続することが構成になります。ラウシェンバーグのコラージュやウォーホルの写真選択と同様、編集が絵画制作の中心へ入ってきます。
小さなコラージュから巨大な絵へ
ローゼンクイストのsource collageは非常に小さいのに対し、完成作品は数メートルに及びます。このサイズ差によって、コラージュでは一目で認識できた画像が、完成作では視野を超えて拡大されます。小さな切り抜きの隣接関係は維持されても、鑑賞者の身体との関係が完全に変わります。
この点で彼の方法は、単なるフォトコラージュの絵画化ではありません。コラージュによって画像同士を衝突させ、看板技術によってその衝突を身体を圧倒する大きさへ変換する。編集と拡大の二段階が必要でした。
《Zone》— 最初の完全なPop painting
Philadelphia Museum of Art所蔵の《Zone》は1960–61年の作品で、ローゼンクイスト自身が最初の「entirely Pop painting」と呼んだものです。女性の顔と、露をまとったトマトの一部分が巨大に描かれ、二つの領域が互いに接続しています。PMAによれば、この作品から雑誌広告の切り抜きをsource collageとして使う方法が本格的に始まりました。
何が描かれているか知れば女性とトマトに見えますが、画面に近づくと形は大きすぎて簡単には認識できません。具象イメージでありながら、一時的に抽象として経験されます。この「分かる/分からない」の揺れが、ローゼンクイストの初期絵画の基本構造になります。
女性の顔とトマトが同じスケールになる
通常の現実空間では、人間の顔とトマトには明確なサイズ差があります。しかし《Zone》ではどちらも画面を占領する巨大な領域として描かれ、自然な比率が失われます。その結果、対象同士を現実の一場面として理解できなくなります。
広告では商品の拡大は普通に行われます。小さな食品を人間より大きく表示しても、広告を見る側はそれを不自然とは感じません。ローゼンクイストはその広告的なスケール操作を絵画へ持ち込み、異なる画像を同じ画面へ接続することで、通常は無意識に受け入れている広告の視覚構造を過剰化しました。
全体を描かず、断片だけを拡大する
ローゼンクイストは自動車なら車体全体、人物なら全身を描くとは限りません。グリル、ボンネット、唇、手、髪、食品の一部分などを画面いっぱいへ拡大します。そのため鑑賞者は、断片から元の対象を推測しなければなりません。
この方法は、看板の足場から見た視覚経験と直接つながっています。全体像を知らない状態で巨大な断片だけを見ると、具象と抽象の境界が曖昧になります。ローゼンクイストにとって広告画像は「意味が分かりやすい大衆文化」だから使うだけではなく、拡大すれば意味を破壊できる素材でもありました。
ブランド名より「見慣れた断片」を使う
ウォーホルがCampbell’s、Coca-Cola、Brilloといったブランド名をそのまま作品へ残したのに対し、ローゼンクイストは必ずしもロゴを前面に出しません。National Gallery of Artは《White Bread》について、彼が一般化されたcommercial imageを好み、ブランド名やロゴを避けることが多かったと指摘しています。
そのため作品は「この商品についての絵」というより、広告で繰り返し見てきた匿名的な身体、食品、自動車、家庭用品の断片として現れます。商品名が消えても、光沢や色、拡大方法によってcommercial imageであることは感じられる。この距離がWarholとの大きな違いです。
《President Elect》— 政治広告と商品広告を接続する
《President Elect》は1960–61年に制作され、後に1964年に手が加えられた作品です。Centre Pompidouによれば、John F. Kennedyの選挙キャンペーン用ポスターから取った顔、1949年型Chevroletの広告、インスタントケーキの広告という三つのイメージが巨大な画面へ接続されています。
ここで重要なのは、政治家の肖像を伝統的な権力者の肖像画として描いていないことです。Kennedyの顔も、車やケーキと同じく、印刷され社会へ流通した広告的イメージの一つとして扱われます。政治、商品、食べ物が、メディア上の「魅力的に提示されたもの」という共通条件によって同じ画面へ入ります。
Kennedyの顔を「広告」として見る
Centre Pompidouは、ローゼンクイスト自身がKennedyの顔を「自分自身を広告するための顔」として捉えていたことを紹介しています。ここで作家はKennedyという人物の政治的能力を評価しているのではなく、選挙キャンペーンにおいて候補者の顔が一つの宣伝イメージとして流通する構造へ注目しています。
この区別は重要です。《President Elect》をKennedy支持または反Kennedyの明確な声明と断定するより、政治家の顔が商品広告と同じ公共空間で反復されるという視覚環境を見る方が作品の構造に近いでしょう。政策内容ではなく、政治的イメージが広告の技術によってどのように提示されるかが画面上で問題になります。
車とケーキが政治家の隣へ来る
Centre Pompidouの資料では、Kennedyの写真は元々白黒でしたが作品では色彩化され、逆に元広告では色付きだったケーキの部分がグリザイユへ変換されています。単に三つの広告を横並びにしたのではなく、元画像の視覚的なコードを交換しています。
さらに車とケーキは、戦後アメリカの豊かさや消費生活を連想させるイメージです。ただし、作品を「Kennedyが消費社会を約束した」という作家自身の断定として読むのではなく、ローゼンクイストが政治キャンペーンの顔と消費広告のイメージを意図的に近接させたことを確認する方が適切です。その近接によって、政治的希望と商品的欲望の見せ方が似ていることが浮かび上がります。
《I Love You with My Ford》
1961年の《I Love You with My Ford》は、高さ約210センチ、幅約238センチの油彩です。James Rosenquist Studioに残るsource collageと完成作を見ると、Fordの車体、女性の顔、スパゲッティという三つの異質なイメージが横方向に積み重ねられていることが分かります。
車は金属の光沢、女性は滑らかな肌、スパゲッティは粘性のある食品という、それぞれ異なる触覚を連想させます。それらが一続きの空間としてではなく、広告断片のように切り替わります。視線は一つの場面へ入ることができず、画像から画像へ強制的に移動します。
車、女性、スパゲッティを接続する
三つのイメージの間に明確な物語上の因果関係はありません。それでもタイトル《I Love You with My Ford》によって、車、恋愛、身体、食欲のような連想が発生します。Guggenheimの教育資料も、この作品で個別のイメージが持つ連想を考え、それらが接続されたとき何が生まれるかを見るよう促しています。
ローゼンクイストは広告の意味をそのまま伝えるのではなく、広告を切断した後の断片同士を衝突させます。その結果、元広告が狙っていた明確な商品のメッセージは失われ、代わりに複数の意味が同時に発生する曖昧な画面になります。
色彩とグリザイユを入れ替える
《I Love You with My Ford》では車と女性がグレーに近い調子で描かれ、スパゲッティの赤やオレンジが非常に強く現れます。ローゼンクイストは広告画像をそのままカラーコピーするのではなく、元画像の色を変え、ある部分を白黒化することで、現実感の強さを入れ替えました。
これは後の《F-111》でも重要になります。画像の出所は写真や広告であっても、その色は元画像に従う必要がありません。商品写真を素材として使いながら、最終画面では色彩そのものが独立した構成要素になります。
1962年 Green Gallery初個展
1962年1月30日から2月17日まで、New YorkのGreen Galleryでローゼンクイストの最初の個展が開催されました。James Rosenquist Studioの年譜によれば、Richard Bellamyが企画したこの展覧会には《Pushbutton》などが出品され、展示作は売り切れました。
これは彼が商業看板を辞めてからわずか約2年後のことです。大画面の断片的な広告イメージは急速に新しい美術として認識されました。同じ1962年にはWarholやLichtensteinも重要な個展を開いており、異なる経路から大衆イメージへ向かっていた作家たちが、ほぼ同時にニューヨークの画廊システムへ入っています。
Richard BellamyとGreen Gallery
Green Galleryは、1960年代初頭のニューヨークで新しい世代を見せる重要な場所でした。Bellamyはローゼンクイストだけでなく、Donald Judd、Robert Morris、Claes Oldenburgら、後にPop、Minimalism、Post-Minimalismなど別々の歴史へ分類される作家を扱いました。
この事実も、1960年代初頭の美術がまだ現在の運動名へ整理されていなかったことを示します。同じ画廊の中に、商品イメージへ向かう作品と、物体性や幾何学へ向かう作品が並行して現れていました。後から見ると別の運動でも、発表時には同じ新しい世代として近接していたのです。
最初の個展で急速に評価される
Green Galleryの個展が売り切れたことからも、ローゼンクイストは早い段階でコレクターの注目を得ました。James Rosenquist Studioの記録では、Giuseppe Panza di Biumoが《Pushbutton》《Air Hammer》《Waves》を購入しています。Panzaは後にMinimalismやConceptual Artの重要コレクターとしても知られる人物です。
しかし早い市場成功と、作品の意味がすぐ理解されたことは同じではありません。広告を巨大化した作品は「Pop」という分かりやすい外観を持つ一方、Rosenquist自身の断片化、周辺視野、スケールへの関心は、単なる消費社会の図像学より複雑でした。
「Pop Art」というカテゴリーへ入る
1962年から63年にかけて、Warhol、Lichtenstein、Rosenquist、Oldenburg、Jim Dineらの作品が複数の展覧会でまとめられ、American Pop Artの輪郭が急速に形成されます。ローゼンクイストの作品にも広告や商品が使われていたため、Popという名称との親和性は高く、その後この運動の主要作家として定着しました。
ただしNational Gallery of Artが《White Bread》について指摘するように、彼はPopというカテゴリーに完全には収まりません。ブランドのロゴより匿名的なcommercial imageを使い、イメージを極端に拡大して抽象に近づけ、展示空間全体へ広げる。Popの語彙を使いながら、絵画のスケールと知覚の問題へ強く接続していました。
1963年《Six Painters and the Object》
1963年3月、Solomon R. Guggenheim MuseumでLawrence Alloway企画の《Six Painters and the Object》が開催されました。Guggenheimはこの展覧会を、American Popの作家を前面に出し、その運動の枠組みを形成する重要な企画だったと位置づけています。参加したのはJim Dine、Jasper Johns、Roy Lichtenstein、Robert Rauschenberg、James Rosenquist、Andy Warholでした。
ローゼンクイストからは《Zone》《4-1949 Guys》《The Lines Were Deeply Etched on the Map of Her Face》《Mayfair》《Untitled (Blue Sky)》などが展示されました。ここで重要なのは、商品を描くという共通点より、同時代の「object」や既成イメージが絵画へどのように戻ってきたかという広い問題の中で彼らがまとめられたことです。
Warhol、Lichtensteinとの違い
Warholは商品パッケージや写真をほぼ正面から反復し、Lichtensteinは漫画や広告の印刷様式を統一された視覚言語へ変換しました。Rosenquistは、異なる広告画像を切断し、巨大化し、互いの一部分だけを接続します。一つのイメージの反復より、複数イメージの衝突が重要です。
そのため画面は、一瞬で意味が分かるPop iconになりにくい傾向があります。車、食品、身体、機械が同じ画面へ入りながら、なぜ一緒にあるのかは明示されません。鑑賞者は画像を認識した後、それらの関係を自分で組み立てる必要があります。
《White Bread》— 広告らしいがブランドがない
National Gallery of Art所蔵の《White Bread》(1964)は、ローゼンクイストの作品としては比較的小さく、四枚の食パンとナイフ、黄色いスプレッドが明確に認識できます。NGAは、この作品がブランド名やロゴを使わず、一般化されたcommercial imageを扱っている点を、Warholなど他のPop作家との違いとして説明しています。
同時に、ナイフの溝や黄色い表面は広告イラストのように細かく描かれています。日常的なパンをこれほど慎重に描くことで、普通の食品が不自然なほど強い存在になります。対象は分かりやすいのに、画面上ではほとんど抽象的な色面と光沢の研究にも見えます。
具象の断片が抽象に近づく
ローゼンクイストの絵画では、具象と抽象を明確に分けることが難しくなります。元画像は商品や身体の写真ですが、極端に切り取り、拡大すると、曲線、色面、光の反射として見えます。何が描かれているか認識した瞬間に具象へ戻り、近づけば再び形だけになるという往復が起きます。
これは彼が抽象表現主義を完全に捨てて具象へ戻ったわけではないこととも関係します。巨大な画面、視野を満たす色、全体を一度に把握できない経験は前世代の大画面絵画から続いています。異なるのは、その抽象性を既存の広告写真の断片から作ったことです。
周辺視野への関心
ローゼンクイストは後年のSmithsonianのオーラル・ヒストリーやMoMAの《F-111》資料で、周辺視野(peripheral vision)への強い関心を繰り返し語っています。人は一点を見ていても、その周囲の色や形から影響を受けます。巨大看板を至近距離で描く仕事では、まさに一部分を見ながら、その外側に巨大な画像が続いている状態を経験していました。
この考えを絵画へ移すと、作品全体を遠くから一目で把握させるより、鑑賞者を画面へ近づけ、その視界からはみ出させる方が重要になります。見る人がどこを見ているか、その横から別の色や画像がどう侵入するかまでが作品の構造になります。
都市では一つの画像だけを見ていない
MoMAは《F-111》の研究で、Rosenquistの断片的なイメージを、都市生活で異質な視覚情報に四方からさらされる経験とも結びつけています。街では広告看板、自動車、店頭、新聞、道路標識、人の身体、建物が同じ視野へ入り、視線を動かすたびに別の画像へ切り替わります。
ローゼンクイストの画面も、一つの統一された場面を作りません。イメージ同士は映画のモンタージュのように切断され、隣接し、突然スケールが変わります。都市で「見る」という行為がもともと断片的であることを、巨大な絵画の内部で再構成したと考えることができます。
PollockとNewmanから受け取ったスケール
Rosenquist自身は《F-111》について語る中で、Jackson PollockやBarnett Newmanの巨大な絵画を、周辺視野と身体的な鑑賞経験の重要な先例として挙げています。MoMAによれば、彼はPollockが床上の大画面に囲まれながら制作したことに注目し、画面の外側まで続くようなall-overな経験に強く関心を持っていました。
この関係は、Pop Artが抽象表現主義を単純に否定したという歴史観を崩します。Rosenquistは抽象表現主義の「主題」を継承したわけではありませんが、巨大スケールによって鑑賞者の視界を満たすという問題を引き継ぎました。商品広告を扱いながら、身体と画面の関係はPollockやNewmanの先にあります。
Monetの《Water Lilies》と包囲する絵画
MoMAは《F-111》について、RosenquistがClaude Monetの《Water Lilies》のような壁面を包む大規模絵画にも関心を持っていたと説明しています。Monetの晩年の睡蓮は、通常の一枚の風景画を越えて、複数パネルによって鑑賞者の視野を囲います。
Rosenquistはその没入性を、広告と大量メディアの断片へ置き換えました。静かな水面に囲まれる代わりに、戦闘機、食品、タイヤ、電球、少女、核爆発を連想させる画像に囲まれる。同じ「包囲する絵画」でも、20世紀半ばの都市とメディア環境を反映したまったく異なる経験になります。
1964年 — 《F-111》を構想する
Rosenquistは1964年、《F-111》の制作を開始しました。MoMAによれば、作品は最初からLeo Castelli Galleryの四方の壁を囲むよう設計され、完成作は油彩とアルミニウムによる23セクション、全長86フィート、約26.2メートルに達します。現在の一般的な展示では一続きの長大な作品として見えますが、元々は一室全体を環境化する絵画でした。
制作に先立つ多数の小さなコラージュもMoMAに残されています。そこでは写真、印刷物、鉛筆、絵具を使い、どの画像をどの位置へ置くかが細かく検討されています。巨大な完成作の背後には、雑誌画像を机上で編集する非常に小さな作業があります。
戦闘爆撃機が画面全体を貫く
《F-111》の基本構造となるのは、当時開発中だったF-111戦闘爆撃機です。MoMAによれば、機体は作品の長さ全体を横断し、異なる画像をつなぐ一本の軸として使われています。飛行機の全体を一目で見ることはできず、尾翼、胴体、機首が壁面を移動しながら断片的に現れます。
この飛行機は、飛行中の写実的な戦争画として描かれているわけではありません。機体の上や周囲へ広告画像が重なり、一部は別のイメージに隠されます。兵器と商品が別々の世界として分けられず、同じ視覚空間へ接続されます。
スパゲッティ、ケーキ、タイヤ、電球
MoMAの作品解説では、《F-111》に花柄、angel food cake、Firestoneのタイヤ、電球、スパゲッティに刺さったフォーク、ヘアドライヤーの下の少女、核爆発を連想させるビーチパラソルなどが含まれることが確認できます。これらは一つの物語を描写するための小道具ではなく、主に広告や印刷物から取られた独立したイメージ断片です。
画面上では、それらのサイズ関係が完全に崩れます。ケーキやタイヤが飛行機と競うほど巨大になり、スパゲッティの一本が機械部品のように見えます。商品広告で日常的に行われていた拡大を、展示室全体の規模へ押し広げています。
小さなコラージュが巨大環境へ変わる
《F-111》のsource collageは数十センチ程度しかありません。そこに切り貼りされた写真を数百倍の規模へ拡大すると、画像の境界は身体を越え、鑑賞者は一つの断片の内部へ入るような感覚を持ちます。コラージュの編集構造が、物理的な空間経験へ変わったと言えます。
この変換がRosenquistの特徴です。Collageは通常、一枚の紙の上で異なる画像を比較できる形式ですが、《F-111》では比較するために視線だけでなく身体を移動させる必要があります。編集された画像の関係を「読む」ことが、空間を歩くことと結びつきます。
軍事と消費経済をどう結びつけたのか
《F-111》についてRosenquistは、開発中の戦闘爆撃機を単なる軍事技術だけでなく、雇用や税金を含む巨大な経済システムとして考えていたと後年説明しています。MoMAの音声資料では、彼自身がこの飛行機を消費社会の経済的な「flak」の中を飛ぶ存在として捉え、兵器生産、雇用、郊外生活、消費の欲望が同じ社会システムに結びつくという認識を語っています。
これはRosenquist自身による作品解釈として扱う必要があります。政府の政策目的を作品だけから断定するのではなく、作家が当時の軍事支出と消費経済の結びつきをどのように理解し、それを広告イメージとの並置によって表そうとしたのかを見ることが重要です。
Vietnam Warとの関係
MoMAは、《F-111》がアメリカのVietnam Warへの関与が拡大していた1964–65年に制作されたことを重視しています。F-111は当時開発中の最新鋭戦闘爆撃機であり、Rosenquistは後年、Vietnamの「war machine」、consumerism、media、advertisingの結びつきを問題にしたと語りました。
一方で、Rosenquist自身は後の回想で、この作品が1960年代には反戦作品として受け取られたものの、制作には複数の考えが含まれていたとも説明しています。そのため《F-111》を一枚の明確な政治ポスターとして読むより、軍事、消費、広告、技術、税金、都市の視覚環境が同時に衝突する作品として見る方が、作家の説明にも近いものです。
四方の壁を囲む絵画
《F-111》は1965年のLeo Castelli Galleryで、四方の壁を連続して囲むように展示されました。MoMAは、作品の寸法自体がCastelli Galleryの特定の展示室に合わせて設計されたと説明しています。つまりキャンバスの大きさを決めてから展示場所を探したのではなく、展示空間が作品の構成条件になっています。
壁面いっぱいに絵があると、鑑賞者は作品の外側へ簡単に退くことができません。一枚の絵を見るのではなく、絵の中に囲まれる。絵画とInstallationの境界に近い経験が、1960年代半ばにすでに作られていました。
作品全体を一度に見ることができない
全長26メートルを超える作品を通常のギャラリー空間で一度に把握することはできません。Rosenquistはこのことを欠点ではなく、周辺視野を意識させる条件として利用しました。ある部分を正面に見ると、左右の視界には別の巨大な色や画像が入り込みます。
そのため作品の「全体像」は、写真で縮小して見る場合と現地で見る場合で大きく異なります。写真では飛行機の全貌と画像配置を一度に理解できますが、展示空間では身体を動かしながら部分をつなぎ合わせる必要があります。Rosenquistの作品では、複製画像を使用しながら、実物の大きさと鑑賞者の身体が非常に重要です。
1965年 Leo Castelli Gallery
《F-111》は1965年、Leo Castelli Galleryで発表され、Rosenquistの国際的評価を大きく高めました。MoMAはこの作品を彼のPop Artへの特異な貢献を示す代表作と位置づけています。1962年のGreen Galleryでの初個展からわずか3年で、彼の制作は単独の巨大キャンバスから、展示室を完全に包囲する規模へ拡張しました。
この展開によって、広告の「巨大さ」は単なるスタイル上の特徴ではなくなります。都市の看板が街路空間を支配するように、絵画も鑑賞者を取り囲むことができる。商業広告で学んだスケールが、美術館やギャラリーにおける鑑賞体験そのものを変える方法になりました。
絵画が「環境」になる
《F-111》を一枚の大きな絵としてだけ見ると、Rosenquistの意図の一部しか見えません。作品は壁の四辺を使い、観客を中央へ置くことで、絵画を環境へ近づけています。視覚情報が正面だけから来るのではなく、左右や背後へ続くことが重要です。
これは同時代のInstallation ArtやEnvironmentとは異なる出発点を持ちながら、絵画が四角い一枚の支持体だけに限定されない可能性を示します。しかも画面内部のイメージは、広告やメディアから来ています。現代の情報環境に身体ごと包囲されるという経験を、Paintingのスケールによって作ったと言えます。
商品社会の賛美/批判だけでは説明できない
Rosenquistの作品もWarholと同様、消費社会を祝っているのか批判しているのかという問いを受けやすいものです。《President Elect》や《F-111》には、商品広告、政治、軍事を近接させる明確な批評的緊張があります。一方で、彼はcommercial imageの色彩、巨大さ、表面の魅力そのものにも強く惹かれていました。
したがって「広告を批判した作家」だけでは十分ではありません。広告を制作する側にいたからこそ、その視覚的な強さと人工性の両方を知っていた。魅力を消して批判するのではなく、むしろ魅力的なまま巨大化し、別の画像と衝突させることで、その背後の関係を不安定にしました。
広告を使っても広告にはならない
元画像は広告ですが、完成作には商品の購入を促す明確なメッセージがありません。ロゴや説明文が切り取られ、対象の一部分だけが巨大化し、無関係な画像と接続されます。広告の「一瞬で意味を伝える」という機能は解体され、逆に何が起きているのか考えさせる画面へ変わります。
ここで作者性は、新しいイメージをゼロから描くことより、既存画像をどう切り、どれだけ拡大し、何と隣接させるかにあります。Warhol、Lichtenstein、Rosenquistの三者を並べると、1960年代初頭には「描くこと」がすでに選択、編集、変換、複製を含む広い行為へ変わっていたことが分かります。
1960–1965年に何が変わったのか
1960年に看板制作を辞めた時点で、Rosenquistは商業美術からFine Artへ単純に転職したわけではありませんでした。商業制作で身につけた巨大スケール、分割制作、平滑な描写、広告写真の扱い方を、自分の絵画の方法へ変換します。《Zone》では二つの広告断片を巨大化し、《President Elect》では政治広告と商品広告を接続し、《I Love You with My Ford》では複数の感覚的なイメージを横断させました。
そして《F-111》では、画像の断片化と拡大が一枚の画面を越え、展示室を囲む環境へ変わります。RosenquistにとってPop Artは、単に「popular imageryを描くこと」ではありませんでした。大量メディアによって断片化された現代の視覚経験を、鑑賞者の身体を巻き込むスケールで再構築する方法だったのです。
ローゼンクイスト以後 — 断片化された画像環境へ
ローゼンクイストの方法は、その後の絵画を考えるうえで二つの重要な問題を残します。一つは、既存画像を切り取り、異なるスケールへ変え、別画像と接続する「編集としての絵画」です。もう一つは、絵画のサイズを大きくすることで、画面を眺める対象から身体を取り囲む環境へ変えることです。
写真、印刷、映画、テレビ、デジタル画像が増えるにつれて、人が一日に見るイメージはさらに断片化していきます。1990年代以降のLaura OwensやJacqueline Humphries、Christopher Woolなどを考えるとき、画像をスキャン、拡大、複製、再配置する方法だけでなく、「異質な視覚情報が一つの画面で共存する」というRosenquistの問題も再び重要になります。
次の時代へ — オルデンバーグ、商品を物体にする
Warholが商品を反復し、Lichtensteinが漫画の印刷様式を絵画へ変え、Rosenquistが広告の断片を巨大な視覚環境へ拡張していた同じ1960年代前半、Claes Oldenburgは別の方向へ進んでいました。商品や日用品を「描く」のではなく、ハンバーガー、アイスクリーム、衣服、便器などを実際の立体として作り、ギャラリーそのものを店舗のような空間へ変えます。
次の記事では、1961–1966|クレス・オルデンバーグ — The Store、Soft Sculpture、巨大な日用品として、1961年《The Store》、食べ物や商品の石膏オブジェ、1962年の巨大なSoft Sculpture、さらに日用品のスケールと素材を変えることでPop Artが絵画の外へどう広がったのかを追います。その後、同じ1960年代に進んでいたMinimalism、Color Field、そしてグリーンバーグの批評的影響力の変化を時系列へ戻していきます。
参考資料・出典
本ページは、美術館、作家スタジオ、研究機関、オーラル・ヒストリーが公開する作品、年譜、展覧会、作家発言を参照してART LIBRARYが独自に構成・執筆しています。原文の全文翻訳ではありません。
- Solomon R. Guggenheim Museum — James Rosenquist
- Solomon R. Guggenheim Museum — Lawrence Alloway / Six Painters and the Object
- James Rosenquist Studio — Chronology: 1960s
- James Rosenquist Studio — Source Collages: 1960s
- James Rosenquist Studio — Paintings/Sculpture: 1960s
- Philadelphia Museum of Art — James Rosenquist, Zone, 1961
- Centre Pompidou — James Rosenquist, President Elect, 1960–61
- National Gallery of Art — James Rosenquist, White Bread, 1964
- The Museum of Modern Art — James Rosenquist, F-111, 1964–65
- The Museum of Modern Art — James Rosenquist’s F-111
- The Museum of Modern Art — James Rosenquist: F-111, 2012
- The Museum of Modern Art — F-111, 1965: installation and peripheral vision
- The Museum of Modern Art — James Rosenquist on F-111
- The Museum of Modern Art — Collage for F-111, 1964–65
- The Museum of Modern Art — The Artists of Coenties Slip
- Smithsonian Archives of American Art — Oral history interview with James Rosenquist, 2013
- Smithsonian American Art Museum — Remembering James Rosenquist
資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY