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紀元前7000–6000

初期新石器時代エーゲ海と完新世初頭の北東アフリカ

クノッソス最古層、農耕の伝播、黒曜石航海、ナブタ・プラヤ、移動と定住

紀元前7000〜6000年頃のエーゲ海では、クレタ島のクノッソスに初期農耕の集落が現れ、ギリシア南部のフランクティ洞窟では海産物を使う生活と、栽培植物の導入を示す考古資料が重なっていました。人々は石器の素材を選び、海を越えて移動し、食料を保存し、住居と作業場を整えていました。

クノッソスの下層から見つかる新石器時代の痕跡は、後世のミノア宮殿より何千年も古いものです。2017年の年代研究は、小規模な無土器段階と、その後の新石器時代の居住を分けて考える可能性を示しました。これに対してフランクティでは、2013年に発表された栽培種子の直接年代測定が、紀元前7千年紀前半の農耕を示しています。

同じ頃、北東アフリカのナブタ・プラヤとビル・キセイバ周辺では、現在より湿潤な環境を利用した季節的な暮らしが営まれていました。土器の文様、石器、磨石、井戸などが、その具体的な手がかりです。農耕の発展が進むエーゲ海と、土器を使いながら移動性の高い生活を続ける西部砂漠は、それぞれ独自の歴史をたどりました。

この記事では、クノッソスの最古層、フランクティの栽培種子と漁撈、ナブタ・プラヤの初期土器を中心に据えます。作品や遺物の形、制作工程、年代研究を結びつけ、具体的な物から初期新石器時代の造形文化を見ていきます。

紀元前7000〜6000年のエーゲ海と北東アフリカ

同じ一千年間に進んだ異なる変化

紀元前7000〜6000年頃、クレタ島には初期農耕を営む人々の痕跡があり、ギリシア南部のフランクティでは海産物を使った生活が続いていました。現在のエジプト西部砂漠にも、雨の後に現れる水域を季節ごとに訪れる人々が暮らしていました。海と砂漠で見つかる遺物は異なりますが、石器、容器、装身具、住居を作り替える技術がともに発達しています。

今回の一千年間は記事を整理するための年代幅です。地域ごとに文化段階の呼称や年代測定の精度が異なり、この年代の中で、生業は地域ごとに異なる時期と速度で変化しました。エーゲ海では海上移住と栽培植物の導入、ナブタ・プラヤ周辺では季節水域の利用と器面装飾を主な手がかりに、時代の固有の姿を追います。

前の記事で扱った紀元前8000〜7000年頃には、すでにエーゲ海の島々で黒曜石が移動し、北東アフリカでは初期の装飾土器が作られていました。今回の時代は、その先行する技術が続くなかで、島の農耕集落と砂漠の季節的な居住がそれぞれ変化する段階に当たります。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、ギリシア文化省|フランクティ洞窟、PLOS ONE|ナブタ・プラヤ文化段階と年代の検討)

美術史の対象になる小さな遺物

この時代の造形文化を具体的に伝えるのは、火で焼いた器の破片、石核から剥がした刃、磨き込まれた石の面、孔を開けた貝殻などです。土器の口縁には厚みをそろえる工夫があり、刃には打撃の順序が現れます。用途を持つ小さな物にも、素材を選び形を調える判断が積み重なっていました。

後世の宮殿や巨石施設が有名なクノッソスとナブタ・プラヤでは、この千年間の遺物を後の記念建築と区別して見ることが大切です。初期の住居や容器そのものを観察すると、生活の中から現れた造形の工夫がはっきりしてきます。

遺跡で出土するのは、使用中に折れた石刃や割れた土器のような断片が中心です。それでも製作者が目指した形、道具を使うときの姿勢、作業の場所について検討できます。断片の観察は、完成した造形とその周囲の生活をつなぐ出発点です。(参照:英国アテネ学院|クノッソス研究センター、Springer|『ナブタ・プラヤの土器』)

比較のための三つの場所

クレタ島のクノッソスでは、住居と食料生産が集落の形成に結びつきました。フランクティ洞窟では、海の魚、石材、栽培植物の痕跡が同じ長期層序の中から見つかります。ナブタ・プラヤとビル・キセイバでは、季節的な水辺の生活と、模様を施した容器の制作が重要です。

本記事では各地域の遺跡を個別に紹介した後、粘土、石、貝、植物をどう扱ったか比較します。同時代の並行する技術を追うことで、地域の違いと共通点を具体的に理解できる構成にしました。(参照:ギリシア文化省|フランクティ洞窟、Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、Antiquity|ナブタ・プラヤ初期土器の研究)

海面と水環境が変えた生活の舞台

海面上昇が続くエーゲ海

氷期末以降の温暖化と氷床融解によって、エーゲ海の海面は長期にわたり上昇していました。紀元前7千年紀の湾や島の輪郭は、現在とは大きく異なっていました。海岸線が移動すると、貝の採集地や船を着ける場所、洞窟から水辺までの距離も変わります。

現在見つかる海辺の遺跡は当時の生活地点の一部です。低い海面に沿って営まれていた活動の痕跡は、海底へ沈んだり海岸侵食を受けたりしています。遺跡の位置と地形を併せて読むことが、石材の輸送や海産物利用を考える基礎になります。

フランクティは現在海岸に近い洞窟ですが、生活地点と当時の水際との距離は各時代で異なっていました。海岸の考古資料が失われていても、魚骨や貝殻、島を産地とする石材を調べることで、人々が海とどのように関わっていたかを考えられます。(参照:ギリシア文化省|フランクティ洞窟、Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017))

クレタ島への渡航という地理的条件

クレタ島はこの時代にも周辺の陸地と海で隔てられていました。島へ人々が渡ったことを考えるとき、海岸から海岸へ移動する技術が生活の成立条件になります。初期農耕民が作物の種子や家畜を持ち込んだ場合、運ぶための道具と上陸後の世話も必要でした。

船体や航海の詳細を直接示す遺物はきわめて限られています。現在の研究は、島に現れる栽培植物、家畜とその年代から海上移動を考えています。船の形については、確定できる範囲を越えて復元しないようにします。

初期集落の研究では、舟に乗る人間の移動に加えて、食料や道具、栽培に必要な種子がどのように島へ運ばれたかが問題になります。島の成立史を考えることは、考古学的な発掘資料から直接残りにくい移動技術を検討することにもつながっています。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、ギリシア文化省|フランクティ洞窟)

雨季の水域に集まる北東アフリカの人々

同じ頃、エジプト西部砂漠の環境は現在より湿潤で、夏季の降雨によって窪地に一時的な湖ができる場所がありました。ナブタ・プラヤとビル・キセイバには、そうした水場を訪れた人々が石器、土器、炉などを残しています。

水のある季節に集まり、乾燥すると別の場所へ移動する生活では、同じキャンプを何度も使う場合があります。炉の重なりや道具の分布からは、移動生活の中にも場所の選択と反復があったことが読み取れます。(参照:African Archaeological Review|E-06-1の発掘研究、PLOS ONE|ナブタ・プラヤ文化段階と年代の検討)

クノッソス最古層をたどる

宮殿の下に残る新石器の集落

クノッソスはミノア文明の宮殿で広く知られています。現在の遺跡の下層には、それよりはるかに古い新石器時代の堆積があります。住居の痕跡や日常の廃棄物は、同じ場所が長い時間にわたって使われたことを伝えています。

後の宮殿と初期農耕の集落では、建築の規模も社会的な制度も異なります。クノッソスを紀元前7千年紀にさかのぼって見ると、最初に注目すべきものは、種子、動物骨、地面に残された活動面、土器の出現など、生活の基礎を示す資料です。

ケファラ丘で後に建設された宮殿は目立つ遺構ですが、最古期の活動を示す資料は地中の層にあります。研究者は宮殿の平面や壁面装飾を調べる研究と並行して、新石器層の土器や建築を再検討し、長い土地利用を明らかにしようとしています。(参照:英国アテネ学院|クノッソス研究センター、Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017))

層位が示す長い時間

住居の床面、灰、壁材、廃棄された石器や土器は、居住が繰り返されるたびに積み重なります。上層から下層へ発掘すると、後代の品と古い品の位置関係を確認できます。クノッソスでは、その積み重なりが新石器から後世の社会へ至る長い研究対象になっています。

層位に小さな混入があると、遺物の年代を誤る原因になります。研究者は出土位置と炭化物の年代、出土品の組成を照合し、生活の段階を復元します。最古層の研究が今も更新されるのは、この時間の重なりを新しい分析方法で読み直せるためです。

土器片の年代は、深さに加えて周囲の遺構と層位の関係から判断します。後の穴や地面の攪乱があれば物が移動するため、遺構と層の関係も記録します。積み重なった層を細かく読むことが、異なる居住期の作品を混同しないための基本です。(参照:英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト、Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017))

発掘と再研究の歴史

クノッソスではアーサー・エヴァンズ以来、宮殿とそれ以前の地層が調査されてきました。ジョン・エヴァンズによる新石器層の研究資料も、現在の再検討の対象です。英国アテネ学院は、初期発掘の遺物と記録を使う研究計画を継続しています。

新石器時代の建築、土器、動物骨を新たに検討することで、古い発掘で得た資料からも新しい情報が生まれます。美術史で参照する集落像も、多数の破片とその出土状況を組み合わせながら構成されています。

英国アテネ学院では、クノッソスの新石器時代を対象に、建築や層位、土器の再研究を進めています。以前の発掘で得られた記録と現代の分析方法を組み合わせる取り組みは、先史の美術史が、資料の再分析によって更新され続ける研究であることを示しています。(参照:英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト、英国アテネ学院|クノッソス考古学研究の歩み)

クノッソスの年代研究と無土器段階

最初期の小規模な居住

クノッソスの最古層には、土器をほとんど伴わない初期段階が知られています。2017年に『Antiquity』へ発表された研究は、新旧の放射性炭素年代と出土状況を統計的に組み合わせ、小規模な無土器段階と、その後の新石器時代の再居住を分けて考える可能性を示しました。

この研究は、クレタ島への最初期の移住を、一度の到来で完成する長期集落として扱う見方を見直す手がかりです。調査した年代には確率的な幅があり、最古期の活動を一定の年代幅として示します。

2017年の研究では、最古期の無土器居住と後に続く新石器時代の居住を、ひと続きの均質な活動として処理する方法を再検討しました。初期集落の歴史を理解するには、断続的な利用や再居住も含めて、複数の年代試料を比較する必要があります。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、Aegeus|クノッソス年代研究紹介)

土器の不在と暮らしの道具

最古期の容器には、木や繊維、皮などの保存されにくい素材も使われた可能性があります。木、繊維、皮などから作られた器は、土器や石器より保存されにくいからです。無土器段階という分類は、発掘で確認された物の組み合わせを示します。

土器を大量に用いる段階に移ると、食料の調理や保存に使える容器の選択肢が増え、製作や焼成の技術が遺跡に残ります。土器の出現を追うときは、器そのものと、それが見つかった地層を併せて見る必要があります。

発掘資料で見えるのは、土器や石のように保存されやすい素材が中心です。植物繊維の籠や木製品が多く使われたとしても、地中で分解している場合があります。器の歴史を考える際には、残った物の特徴と保存上の偏りの両方を意識したいところです。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト)

年代を示す数値の読み方

炭化した木材や種子は、放射性炭素年代測定の対象になります。分析で得られた数値は補正と較正を経て暦年代の幅として表され、複数試料を層位順に組み合わせると年代推定を絞り込めます。クノッソスの2017年研究は、こうした統合的な手法で最古期の活動を再評価しました。

記事中の「紀元前7000年頃」は大まかな時代を示します。研究論文の較正年代や統計的な幅を、単一年に置き換えると重要な不確実性が失われます。本記事では年代の細部が争点になる箇所で、研究の手法と結論を明記します。

科学的な年代は、出土した特定の種子や木炭など、分析対象となった資料の年代を示します。測定された種子や木炭の来歴が分かるほど、年代と人々の行動との関係を正確に考えられます。個別試料の検討が重要なのはこのためです。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、Aegeus|クノッソス年代研究紹介)

海を越えた初期農耕と移住

作物を運ぶための準備

栽培植物を新しい島へ持ち込むには、種子を選び、湿気や傷みから守り、上陸後に播く場所を探す必要があります。畑作は収穫したものを食べる作業に加え、次の季節のために種子を確保する行為です。島への移住は複数の季節にまたがる計画を伴ったと考えられます。

クレタの初期新石器を理解する際、種子の存在は食物の変化と人間の移動の両方を示す手がかりになります。これらの資料を通じて、航海と農耕が生活技術として結びついていたことが見えてきます。

現在の考古学で航海の実態が詳しく分からない時期でも、海で隔てられた島の作物の出土から、種子が移動したことを考えられます。島に定着した農耕の技術を、植物学的な情報と航海の地理を結びつけて理解することができます。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、ギリシア文化省|フランクティ洞窟)

家畜と人々の移動

羊や山羊などの家畜を島へ導入した場合、人の移動とともに生きた動物を輸送する必要があります。乗り物に載せる方法、飲み水や餌、到着後の繁殖などを考えなければなりません。家畜骨の出土は、島の生業と人間の移動経路を調べる重要な資料です。

食料生産に関わる知識は動物や種子とともに運ばれました。クレタと南西アジアの関係を考えるには、石器や土器の類似に加えて、植物・動物の種類と年代を組み合わせて検討します。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、英国アテネ学院|クノッソス研究センター)

複数経路からの新石器化

かつてヨーロッパの農耕開始は、南西アジアからギリシア北部へ広がり、そこから南下する順序で説明されることが多くありました。クノッソスの古い居住資料や、後に扱うフランクティの栽培種子の年代は、南部への海上ルートを含む複数の経路を検討する根拠となっています。

経路を明らかにするには遺跡の年代を比較するだけでなく、植物の種類や家畜、石材の産地、遺物の制作技術も見ます。地域によって移住と技術の導入が異なる順序で進んだことを、具体的な資料から読み解いていきます。

フランクティの直接年代測定で示された早い栽培と、クノッソス最古層の再検討は、地図の上に一本の進行線を引く説明を更新する手がかりです。年代が近い遺跡でも、移住した人々の背景や技術の組み合わせが同一だったとは限らず、各地点の資料を照合する研究が続いています。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、Antiquity|フランクティ出土栽培種子のAMS年代(2013))

穀物と豆類が変えた時間の使い方

小麦と大麦の栽培

エーゲ海の初期農耕には、小麦や大麦などの栽培穀物が加わりました。播種、発芽、成熟、収穫には季節ごとの作業が必要で、土地と気候の観察が食料生産の一部になります。遺跡で見つかる炭化種子は小さな資料ですが、人々の行動を一年の時間幅へ結びつけてくれます。

収穫後は穂を処理して粒を取り出し、食べる分と次に播く分を分けます。種子を保存する容器や貯蔵場所も生活の重要な要素でした。穀物を扱う技術は、土地利用と住居の維持に深く関係していました。

炭化して残った種子は、日常の調理で偶然焼けたものや火災で失われた収穫物かもしれません。いずれの場合も、食べられる植物が集落へ運ばれたことを伝えます。種子の識別と年代測定は、初期農耕を物の証拠から確かめるうえで重要です。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、Antiquity|フランクティ出土栽培種子のAMS年代(2013))

豆類と多様な食料

豆類は穀物と栄養的に異なり、乾燥保存にも向きます。初期の農耕社会を一つの作物で代表させると、栽培や調理の多様さが見えにくくなります。実際の暮らしでは、複数の植物を育て、野生植物も利用して食料を得たと考えられます。

採集したものと栽培したものが共存する状況では、石器、磨石、容器なども複数の用途に使われたでしょう。食料の種類から、調理する物の粒の大きさや硬さ、保存方法の違いが道具の形にどう表れるかを考えることができます。

穀物と豆類は種子の大きさや硬さが異なるため、下処理や保存の方法にも違いが生じます。人々が植物に合わせて道具や容器を使い分けた可能性を考えると、初期農耕の生活は細かな素材の扱いによって支えられていたことが分かります。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、Antiquity|フランクティ出土栽培種子のAMS年代(2013))

貯蔵という形のある計画

一年の収穫を次の季節まで保つには、湿気、虫、動物から食物を守る工夫が必要です。容器を作ること、地面に収納場所を設けること、収穫物を適切に乾かすことは、長い時間を見越した生活技術です。

発掘で植物の入った容器がそのまま残る例は限られます。研究者は焼けた種子、床面、穴、焼土などを照らし合わせて利用方法を考えます。貯蔵技術を研究することで、造形と生活の関係を器の外形より広く理解できます。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト)

家畜と野生動物が支える暮らし

羊と山羊の飼育

羊や山羊は肉などの食料を提供し、皮や骨も道具の材料になります。集落で飼育するには、餌と水の確保、群れの移動、繁殖への対応が必要です。家畜が加わることで、一年の暮らしに動物の成長や出産の周期が組み込まれました。

動物骨の種類や年齢の分布を調べれば、狩猟された野生動物と人間が管理した家畜の違いを考える手がかりになります。クノッソスの新石器層も、そうした動物考古学の研究対象になっています。

羊や山羊の骨は、単に動物種を示す資料にとどまりません。殺された年齢や骨の部位を分析することで、群れの扱いと食料の利用を検討できます。飼育されていたとすれば、家畜の管理が毎日の行動を形づくったことも想像できます。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト)

ウシと豚をめぐる生活技術

ウシと豚は飼料と水の必要量が異なり、島への輸送と飼育にも別々の工夫を要します。クレタの初期農耕社会で家畜がどのように導入されたかを調べるには、出土骨の形態と年代、周囲の環境を合わせて考える必要があります。

骨や角は道具や装飾の材料にもなります。動物を飼い育てることは食料の獲得だけに収まらず、皮、骨、繊維など、生活に使う多様な素材と人間の関係を変えていきました。

土器や住居と同じように、家畜にも研究上の年代が必要です。初期の骨を後の豊かな飼育文化と一括すると、どの動物がいつ導入されたかが分からなくなります。クノッソスでは層位を確かめながら、家畜と集落の生活の関係が研究されています。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、英国アテネ学院|クノッソス研究センター)

農耕と並行した採集・漁撈

初期農耕が始まった後も、人々は周囲の自然から野生植物や貝、魚などを得ることができました。海岸に近いエーゲ海の環境では、畑と海を異なる季節に利用する生活が考えられます。生業は一つの技術で完結せず、複数の資源を組み合わせて営まれました。

フランクティでは特に漁撈の歴史を詳しく追えます。クノッソスの家畜・作物資料と比べることで、エーゲ海の各地で生活の組み合わせが違っていたことが見えてきます。(参照:ギリシア文化省|フランクティ洞窟、Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017))

クノッソスの住居と集落空間

地面に残る住居の手がかり

建物の壁や屋根に使われた木や植物の多くは地中で失われます。新石器時代の住居を復元するときには、床の硬さ、炉、柱穴、石の並び、焼けた土などを手がかりにします。クノッソスでは、宮殿の下に残る初期居住の痕跡が、長期にわたる集落形成を考える資料になっています。

住居は雨風を防ぐ場所であるとともに、食料加工、道具作り、休息が行われる空間でした。どの場所で火を使ったか、どこに物を置いたかという選択も、日常の空間を形づくっています。

床の上に広がる焼けた土や灰が同じ活動面に属するか、建て替え後のものかによって集落の見え方が変わります。壁の平面図から再現した住居の姿だけでなく、何度使われたかという時間的な変化にも注目する価値があります。(参照:英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト、英国アテネ学院|クノッソス研究センター)

世帯と作業場の関係

ひとつの住居やその周辺には、食料を調理する区域と道具を加工する区域があったと考えられます。廃棄された骨や石片、土器の破片は、活動が行われた場所を示す記録です。複数の住居が集まれば、水場や移動路、共同の作業領域も必要になります。

建築を外形だけで見ると、屋根や壁が失われた遺跡から得られる情報は少なくなります。床面と廃棄物の分布を丁寧に見ることで、住居を使う身体の動きや生活の仕組みまで考察できます。

同じ場所に大量の石片が集中していれば、そこが石器を加工した場所だった可能性があります。動物骨や焼けた植物がまとまっていれば、食物処理との関係も考えられます。生活空間の配置は、物の分布と制作・使用の痕跡を組み合わせて復元します。(参照:英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト、Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017))

建て替えが積み重ねる時間

長く利用される集落では、古い床を覆って新しい床を作り、住居の位置を少しずつ変えることがあります。クノッソスの厚い新石器層は、こうした繰り返しの居住を読み取るための重要な資料です。

最古の小さな居住と、後に拡大した集落は、生活の規模や継続性が違っていた可能性があります。2017年の年代研究と現在の建築・層位研究を組み合わせると、集落が一つの形へ固定されるまでの複雑な歩みが見えてきます。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト)

土器の出現と表面を整える技術

容器を手で形づくる

粘土は水分を含むと手で変形でき、乾燥と加熱によって硬い物になります。土器の制作では、材料の準備、成形、表面の調整、乾燥、焼成という工程を重ねます。口縁の厚みや胴の曲面を整える作業は、器の使いやすさと外観の双方に関わります。

クノッソスでは初期の無土器段階に続いて土器を利用する段階が現れます。土器の破片が増えることで、調理や貯蔵に使われた容器の形と、その作り方を研究できるようになります。

薄い器壁をそろえるには、指で押す力と粘土の水分を調整しながら、器を少しずつ回す必要があります。外から見える丸い形と、内側にできる空間の両方を作るため、器の成形は立体的な判断の連続だったと考えられます。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト)

焼成と器壁の耐久性

成形した粘土は乾く間に収縮し、急な加熱や厚みの偏りによって割れることがあります。土器を焼くには、器の水分と火の状態を見極める必要があります。発掘で見つかる焼成片は、こうした熱の制御を経た物です。

土器が使われるようになっても、木や繊維、皮などの容器が消えたとは考えられません。土器は熱を加える調理や特定の保存に役立ち、ほかの素材の器と用途を分けた可能性があります。

完成した土器を研究するときは、器壁の表面と断面の両方に注目します。含まれる粒や焼きむらは、材料の選択や火の条件を知る手がかりです。土器は作り方と使い方の情報を、割れた後の断片にも残しています。(参照:英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト、Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017))

研究資料としての土器片

土器は割れると、口縁、底部、胴部が別々の破片になります。研究者は破片の曲率、厚み、胎土、表面の調整痕を比べて器形や制作手順を復元します。クノッソスでは初期の土器がどの層から出るかも、集落の年代と生活変化を考える鍵です。

博物館に一つの容器として並ぶ資料も、発掘時には多数の小片だったことがあります。制作と破損、埋没、発見という時間をたどることで、器の形をより確かな根拠から理解できます。(参照:英国アテネ学院|クノッソスの研究プロジェクト、Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017))

フランクティ洞窟で続いた海辺の暮らし

長く使われた洞窟の特質

ギリシア南部アルゴリダのフランクティ洞窟には、後期旧石器から新石器までの長い生活の痕跡があります。同じ場所の中で、狩猟、採集、海産物利用、石器の原料、埋葬などを時間順に比較できる点が重要です。

ギリシア文化省の遺跡解説では、紀元前7000〜6000年に漁撈が生活の大きな要素となり、マグロの利用が紹介されています。前の時代から続く海との関係が、この一千年間にもはっきり現れます。

フランクティの調査は、石器、魚骨、貝殻、植物遺存体を同じ層序の中で比較できることが強みです。長い居住史があるため、魚が増えた時期と栽培植物が見つかる時期を分けて検討できます。(参照:ギリシア文化省|フランクティ洞窟)

マグロを捕る生活

マグロは大きく、季節によって移動する魚です。海中で動く獲物を得るには、潮や海況、魚の行動への知識が必要になります。フランクティで見つかった魚骨は、海の資源が食生活に占めた役割を知る重要な資料です。

魚を捕った後には、運搬し、解体し、調理する一連の作業が伴います。現在残るのは主に骨などの硬い資料ですが、実際の漁撈と加工には木や繊維など、失われやすい材料を用いた道具も関わっていたと考えられます。

大型魚を扱う道具の全体が保存されているとは限りません。木製の部材や網のような有機素材は失われやすく、骨と石器が中心的な証拠になります。魚の種類や大きさを調べることが、海辺の生活技術を復元する第一歩です。(参照:ギリシア文化省|フランクティ洞窟)

洞窟と海岸を結ぶ活動

洞窟で見つかる魚骨、貝殻、石器は、生活が洞窟内部だけで完結していたことを示していません。水辺で採集した物を洞窟へ運び、加工し、捨てるという活動があったと考えられます。海面の上昇によって当時の海岸位置が変わったことも、生活圏を復元する際の条件です。

この時期のフランクティは、陸上の採集、海での食料獲得、洞窟の利用がつながる場所でした。海を隔てた素材移動と合わせて考えることで、初期農耕社会と同時代の多様な暮らしが見えてきます。

洞窟の外側にあった活動地点は、海面上昇や土砂の移動で失われた可能性があります。それでも洞窟内に運ばれた貝殻や魚骨から、海岸へ出て素材を集めた行動が読み取れます。陸と海をつなぐ生活の痕跡が洞窟に集まっているのです。(参照:ギリシア文化省|フランクティ洞窟、Antiquity|フランクティ出土栽培種子のAMS年代(2013))

メロス産黒曜石と石器の製作

海を渡って届いた黒曜石

フランクティには、メロス島に由来する黒曜石が旧石器時代末から運ばれていました。火山性の天然ガラスである黒曜石は、均質な破断面と鋭い刃を得られる石材です。紀元前7000〜6000年頃にも、石材の利用は海を隔てた人々の活動と関係していました。

産地は石材の元素組成を調べて推定できます。黒曜石を含む小さな遺物は、当時の人々が移動させた物の地理を伝え、エーゲ海の航海を考える手がかりになります。

黒曜石の見た目だけで産地を決めることはできません。似た色の石材が複数の火山地帯にあるため、化学組成の測定が産地推定に役立ちます。メロス産と識別される石片は、出土した場所と海を越えた原料の動きを結びつけます。(参照:ギリシア文化省|フランクティ洞窟)

石核から刃が生まれるまで

黒曜石を刃物に加工するとき、製作者は原石の形を読み、剥片を取りやすい面と打撃位置を整えます。石核から刃を剥がした後、刃先を細かく加工することで、目的に合った形に仕上げられます。

黒曜石は強い光沢と鋭い縁を持ちますが、衝撃によって欠けやすい性質もあります。道具に加工するにはその性質を理解する経験が必要でした。出土した石核や剥片は、完成品の形と制作工程を結びつけてくれます。

石核には剥離の痕が一定の方向に重なるため、製作者が刃を取り出した順序を部分的に復元できます。製作時の失敗片も、石材がどう割れたかを示す記録です。石器作りの実態は、完成した刃物と加工途中の石を併せて調べることで見えてきます。(参照:ギリシア文化省|フランクティ洞窟)

素材を運ぶことと航海の知識

メロス産黒曜石がギリシア本土へ届いた事実は、当時のエーゲ海で海上を経由する物の移動が行われていたことを示します。人々が産地へ直接赴いた場合も、複数の集団を経て石材が渡された場合も考えられます。

海上移動には、島と岬の位置、波や風、上陸できる場所についての知識が伴います。黒曜石の一片は、道具の材料であると同時に、現在は遺物として残りにくい航海活動の間接的な証拠でもあるのです。

メロスから本土へ運ばれた石材の存在は、移動技術の歴史を文字より古い時代までたどる手がかりになります。原石のまま運ばれたのか、途中で粗く加工されたのかも、石器の状態を調べることで検討できます。(参照:ギリシア文化省|フランクティ洞窟、Antiquity|フランクティ出土栽培種子のAMS年代(2013))

フランクティの栽培種子が変えた年代観

種子を直接測定した2013年の研究

2013年、Catherine Perlèsらはフランクティ洞窟から出土した栽培植物の種子にAMS放射性炭素年代測定を行い、導入された穀物の栽培が紀元前7千年紀前半に始まっていたとする結果を発表しました。種子そのものを分析した点が、年代を論じるうえで重要です。

この結果は、南ギリシアの農耕が従来想定されてきた以上に早く始まった可能性を示しました。栽培植物という具体的な資料が、海上ルートを含む新石器化の研究を促しています。

分析対象が種子そのものであるため、ほかの土器や石器から推定した文化年代とは異なる証拠になります。種子がどの地層で見つかったかを考慮し、測定結果を較正することで、初期栽培の開始時期について新たな比較が可能になりました。(参照:Antiquity|フランクティ出土栽培種子のAMS年代(2013))

遺跡案内と研究論文の年代の違い

ギリシア文化省のフランクティ紹介では、家畜や栽培植物、土器が明瞭になるのを紀元前6000年を少し過ぎた頃としています。研究論文は個別の種子の直接測定を根拠に、紀元前7千年紀前半の栽培を示しました。二つは観察する資料と区分の仕方が違っています。

本記事では、公式案内の文化区分と、個別試料の年代研究をそれぞれ出典付きで紹介します。読者は、農耕の導入を単一の出来事として捉えるより、異なる資料から生活の変化を追うことができます。

考古学の一般向け案内は地域史の大枠を伝え、個別論文は測定した試料の年代を詳しく論じます。同じ遺跡に異なる年代表示が現れるときには、どの資料を測っているかを確認することで理解が進みます。(参照:Antiquity|フランクティ出土栽培種子のAMS年代(2013)、ギリシア文化省|フランクティ洞窟)

新しい生活技術が並行した場所

フランクティでは海の魚、貝殻、石器をめぐる活動が長く続きました。その同じ場所の資料から、新たに導入された栽培植物の早い年代も示されています。食料を得る方法は時期を通じて変化し、以前からの海洋資源利用と新しい栽培技術が重なる時期がありました。

クノッソスの早い居住年代とフランクティの栽培種子を並べると、エーゲ海の各地で新石器化がそれぞれ異なる過程をたどったことが見えてきます。これが今回の時代を理解する中心的な視点になります。(参照:Antiquity|フランクティ出土栽培種子のAMS年代(2013)、Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、ギリシア文化省|フランクティ洞窟)

アフリカ湿潤期の西部砂漠

ナブタ・プラヤの季節水域

エジプト南西部のナブタ・プラヤは、雨が集まる浅い盆地です。初期完新世には夏季の降雨によって季節的な水域が現れ、現在より多くの草地や動物を支える環境がありました。人々は水が使える季節を選び、この地域へ繰り返し訪れています。

プラヤの堆積物とその周辺の炉や石器は、水辺の環境と人間の活動を結びつけて考える資料です。水が失われる時期には移動が必要になり、季節的な利用そのものが当時の生活の特徴でした。

砂漠の盆地に残る堆積物は、そこに水があった時期を示します。水辺で使われた土器や石器の分布は、雨季の滞在場所を検討する手がかりです。現代の乾いた景観と発掘資料を結びつけることで、当時の環境が再現されます。(参照:PLOS ONE|ナブタ・プラヤ文化段階と年代の検討、African Archaeological Review|E-06-1の発掘研究)

ビル・キセイバの遺跡群

ナブタ・プラヤに近いビル・キセイバには、初期完新世の生活を示す石器や土器が出土する地点があります。大英博物館はビル・キセイバ出土の初期土器を所蔵しており、粘土に文様を付ける制作技術を現存資料から確認できます。

両地域を調べるときは、似た遺物が見つかることと、各地点が同時期であることを分けて考えます。ナブタ・プラヤ周辺には複数の居住段階があり、土器や動物骨の年代は地点によって異なるからです。(参照:大英博物館|初期土器片 EA82302、大英博物館|ビル・キセイバ出土土器片 EA76863、PLOS ONE|ナブタ・プラヤ文化段階と年代の検討)

El Nabta/Al Jerarという編年

研究者はナブタ・プラヤの活動を、El Adam、El Ghorab、El Nabta/Al Jerarなどの段階に分類しています。El Nabta/Al Jerarの年代は研究整理ではおよそ紀元前7050〜6150年頃とされ、今回の記事と大きく重なります。

年代には試料の種類や較正方法による幅があり、編年上の名称は現代の考古学者が設けた分類です。発掘された土器の技法や道具の構成を比べ、どの時期にどの活動が確認されるかを追うための枠組みとして用います。

たとえばUCLの年代整理と、校正年代を用いた論文では同じ段階に異なる数値が付くことがあります。文献で見かける「BP」と「紀元前」の数値も基準が異なります。記事では段階名を手がかりにしながら、個々の年代に幅を残しています。(参照:PLOS ONE|ナブタ・プラヤ文化段階と年代の検討、PLOS ONE|北東アフリカの早期家畜化再検討(2013))

ナブタ・プラヤの初期土器と文様

手作りの鉢と粘土の技術

ナブタ・プラヤで発見された初期土器には、農耕が確立する以前の狩猟採集的な生活の中で使われた容器があります。粘土を手で形づくり、器壁を整え、乾燥させて焼く工程には、材料の性質と火の扱いに関する技能が必要です。

破片になった器からも、口縁の厚み、胴の曲がり方、表面の調整痕を観察できます。実用の容器を作りながら、表面の模様も工夫していた点が、この地域の土器文化の大きな特徴です。

焼成後の土器片に細かな混和物が見える場合があります。混和物は乾燥や焼成時の割れ方に関係し、現地で入手できる粘土の性質とともに器の作り方を左右します。細い器壁と文様を組み合わせるためには、成形と装飾を順序立てて行う技術が必要でした。(参照:Antiquity|ナブタ・プラヤ初期土器の研究、Springer|『ナブタ・プラヤの土器』)

歯付き工具が残す反復文様

ナブタ・プラヤの初期土器研究では、歯付きの回転具を器面へ押し当て、連続した模様を施す技法が取り上げられています。小さな歯の痕跡を一定の間隔で連ねると、手で一つずつ点を描くのとは異なる規則的な模様が生まれます。

器を持ち替え、工具の角度や圧力を変えながら模様を施したと考えられます。土器片に残る反復の間隔は、制作時の身体の動きを考える具体的な手がかりになります。

初期の装飾土器は、大きな画像を描くのとは異なる方法で視覚的な秩序を作っています。器の曲面に沿って短い刻みを連続させることで、見る角度が変わっても文様が続きます。造形の特徴は線そのものと線の並び方の双方に現れています。(参照:Antiquity|ナブタ・プラヤ初期土器の研究)

大英博物館の実物資料が示す技法

大英博物館所蔵の土器片EA82302は、ビル・キセイバのE-80-4から出土しました。長さ最大6.2センチ、幅最大6.4センチ、厚さ6ミリで、外面全体に揺動押捺による点状文様が施されています。細かい雲母を含む胎土も記録されています。

博物館の登録情報ではこの品をEl Adam段階の初期土器としています。この作品は前のEl Adam段階に属し、今回の時代に先行する器面装飾の実例として紹介します。文様技術が長く受け継がれ、変化したことを考えるための比較資料になります。

長辺が約6センチの小さな破片でも、器面全体に文様が施されていた様子を想像する手がかりがあります。破片の縁が途中で切れているため器の全体形は残りませんが、工具の種類と装飾方法については博物館の登録記録が詳しく伝えています。(参照:大英博物館|初期土器片 EA82302、Antiquity|ナブタ・プラヤ初期土器の研究)

磨石・井戸・季節的な居住

磨石と植物の加工

ナブタ・プラヤとその周辺の遺跡からは、磨石や石器が見つかっています。平たい石と手に持つ石を擦り合わせれば、種子や植物の一部を粉砕できます。使い続けた石には摩耗や窪みが残り、作業の繰り返しを物の形から読むことができます。

磨石の存在は植物を処理する技術を示す資料です。加工された植物が野生か栽培かを判断するには、種子の種類や出土状況を別に確認します。この地域では、磨石と土器が狩猟採集的な生活の中で使われたことが重要です。

磨石の表面に生じた光沢や摩耗は、手に持った石を繰り返し擦り合わせた結果です。植物の種子を加工したのか、鉱物顔料を砕いたのかを検討するには、使用痕や残留物を合わせて見る必要があります。(参照:PLOS ONE|ナブタ・プラヤ文化段階と年代の検討、African Archaeological Review|E-06-1の発掘研究)

水を得るために掘られた井戸

El Nabta/Al Jerar期のナブタ・プラヤでは、井戸などの水を得るための設備が知られています。季節的に水が減る環境で地面を掘り、水に近づく技術は、滞在できる期間と場所を変えました。

井戸を使うには、その場所を知り、必要に応じて整える作業が伴います。後の灌漑施設とは規模も社会的条件も異なりますが、水のある場所を選ぶ生活から、水へのアクセスを人為的に整える生活へ広がる技術として理解できます。

地面を掘り下げる行為によって、自然の水場とは違う場所に水を集めたり、水面へ到達したりできます。井戸の規模や形は遺跡ごとに異なり、砂漠の季節的な生活にも、人が場所へ具体的に働きかける技術があったことを示します。(参照:Journal of World Prehistory|ウシの早期家畜化説の再検討(2018)、PLOS ONE|ナブタ・プラヤ文化段階と年代の検討)

軽い住居と繰り返しの利用

ナブタ・プラヤ周辺では、炉や住居の痕跡が複数段階の遺跡から見つかります。軽い材料を用いた住居なら、季節的な移動生活の中でも構築しやすく、場所へ戻ったときに再び利用したり、作り直したりすることができます。

紀元前8400〜8000年頃のE-06-1遺跡に残る重なり合う住居痕は、前の時代の具体例です。今回のEl Nabta/Al Jerar期の活動を説明するときも、こうした前史と区別しながら、繰り返し水場を使う居住の変化を考えます。(参照:African Archaeological Review|E-06-1の発掘研究、PLOS ONE|ナブタ・プラヤ文化段階と年代の検討)

ウシの家畜化をめぐる研究

発掘者が提案した早期管理説

ナブタ・プラヤとビル・キセイバで見つかったウシの骨をめぐっては、非常に早い時期に人間がウシを管理したとする説が提示されてきました。発掘者たちは、当時の乾燥した環境で大型のウシが生息するには人による水の供給が必要だった可能性を論じました。

この説は、北東アフリカでの家畜化が南西アジアとは別に始まったのかという大きな問いにつながりました。遺物の数が少ない時期のため、動物骨だけでなく水環境の復元が議論の中心となりました。

この解釈では、ウシ骨が見つかったことそのものと、野生ウシが当時の環境で生息できたかという問題が強く結びついていました。考古資料と古環境復元をどのように組み合わせるかが、家畜化年代をめぐる議論を左右しています。(参照:PLOS ONE|北東アフリカの早期家畜化再検討(2013)、Journal of World Prehistory|ウシの早期家畜化説の再検討(2018))

2018年の再検討と野生ウシ

Michael Brassによる2018年の再検討は、植物、地形、動物骨、年代の資料を読み直し、初期完新世のナブタ・プラヤ周辺には野生オーロックスが生息できる環境があったと論じました。初期段階のウシ骨は、狩猟された野生個体として理解する見解を示しています。

同研究は家畜の羊・山羊が確実な家畜ウシに先立つ可能性を挙げ、家畜ウシの広がりをより後の時代に位置づけています。今回の年代では、初期のウシ骨を確実な家畜の証拠として紹介しない方針にしました。

2018年の研究は、早期の家畜ウシを認めるための証拠を厳しく検討し、確実な家畜化をより後の年代へ位置づけました。過去の仮説が更新された経緯を示すことによって、読者は現在の研究状況を理解できます。(参照:Journal of World Prehistory|ウシの早期家畜化説の再検討(2018))

骨を読む方法と残る課題

動物の家畜化を判断するときには、骨の大きさや形だけでなく、個体の年齢、雌雄の構成、出土場所、時代、環境を合わせて調べます。野生動物と家畜の骨格は初期段階では似ていることがあり、断片的な資料には解釈の幅があります。

ナブタ・プラヤの議論は、新しい年代測定や環境復元によって歴史の見方が変わる例です。美術史の中でも、後の牧畜社会をこの時代へさかのぼらせるより、確実に見つかった器や石器、水利用の施設を具体的に読むことを優先します。(参照:Journal of World Prehistory|ウシの早期家畜化説の再検討(2018)、PLOS ONE|北東アフリカの早期家畜化再検討(2013))

二つの地域で異なる造形が育つ

島の定住と砂漠の季節移動

クノッソスの初期集落では、栽培や家畜飼育とともに住居を維持する生活が発展しました。ナブタ・プラヤでは、季節の水に合わせて移動しながら土器や磨石を使う生活が確認されます。異なる環境の中で、住む場所と持ち運ぶ道具の関係も変わりました。

クノッソスの建物の痕跡とナブタの季節キャンプの遺物を比べると、長く滞在する場所と、繰り返し戻る場所の双方で造形技術が育っていたことが分かります。

両地域を比べると、容器や住居の重さ、使い方、繰り返し訪れる場所の選び方が異なります。そうした差は生活環境と素材の選択によって生まれたもので、発見された遺物を同じ物差しで一列に並べることには適していません。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、PLOS ONE|ナブタ・プラヤ文化段階と年代の検討)

黒曜石と土器という異なる素材

エーゲ海の黒曜石は、原石から薄い刃を剥がすことで機能を生みます。北東アフリカの土器では、柔らかい粘土を積み上げ、表面を整え、焼成して硬くします。石は取り去る工程が中心で、粘土は形を加えながら仕上げる素材です。

どちらの制作にも、割れやすさや熱への反応など、素材が持つ性質を理解する経験が必要でした。完成した形の美しさを生む前に、使える物へ変えるための技術が磨かれていたのです。

石核から刃を剥がす作業では硬い素材を狙った方向へ割り、土器では柔らかい素材を曲面に整えます。手の働き方も制作の時間も違います。両方の技術が同じ一千年間に成熟していたことが、当時の造形世界の広がりを示しています。(参照:ギリシア文化省|フランクティ洞窟、Antiquity|ナブタ・プラヤ初期土器の研究)

身体を飾る物と場所をつくる技術

フランクティの貝製装身具は身体とともに移動し、ナブタの土器は手に持ち、運び、置いて使われました。クノッソスの住居やナブタの井戸は、特定の場所に手を加える技術です。小さな携帯品と、地面に残る活動の痕跡が、当時の社会を異なる尺度で伝えています。

この時代の美術史を読む手がかりは、こうした具体的な物と場所の組み合わせの中にあります。装身具、器、石器、建物をまとめて比べることで、人々が素材と空間をどのように使ったかが見えてきます。(参照:ギリシア文化省|フランクティ洞窟、英国アテネ学院|クノッソス研究センター、PLOS ONE|ナブタ・プラヤ文化段階と年代の検討)

紀元前6000年以降へつながる変化

エーゲ海の集落が広がる

紀元前6000年頃を過ぎると、エーゲ海の各地で新石器の集落と土器利用がさらに明瞭になります。フランクティの公式案内でも、この頃から家畜や栽培植物、土器を伴う段階が詳しく説明されています。

紀元前7千年紀のクノッソスとフランクティを比べてきたことによって、新石器化が地域ごとに異なる時期と経路を通っていたことが分かります。次の時代では、その変化が住居、土器、身体装飾の多様化へどう展開するかが主題になります。

前の時代から続く技術を踏まえて今回の年代を読むと、島への移住と栽培、海での漁撈が同じ地域に共存していたことが分かります。紀元前6000年以降の新石器集落を理解する上でも、この長い変化の過程が基礎になります。(参照:ギリシア文化省|フランクティ洞窟、Antiquity|フランクティ出土栽培種子のAMS年代(2013)、Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017))

北東アフリカの素材と生活の継続

北東アフリカでは、土器、磨石、石器を使う生活が紀元前6000年以降も続きます。アフリカ湿潤期の中で、水場の利用、狩猟、採集、家畜の導入が異なる速度で展開していきました。ナブタ・プラヤの巨石施設として知られる造形は、さらに後の時代に重要になります。

今回扱ったEl Nabta/Al Jerar期では、季節的な居住と実用の器、井戸などが中心です。初期の土器と水利用を理解しておくことで、後に現れる複雑な施設も、その場所の長い歴史の中へ位置づけられます。(参照:PLOS ONE|ナブタ・プラヤ文化段階と年代の検討、Journal of World Prehistory|ウシの早期家畜化説の再検討(2018))

日常の道具が伝える歴史

クノッソス最古層の床や炭化種子、フランクティの魚骨と黒曜石、ナブタ・プラヤの土器片と磨石は、一つずつでは小さな資料です。発掘された場所と年代を組み合わせることで、人々が新しい素材や技術を取り入れながら生活していた過程を伝えてくれます。

この一千年間の特徴は、農耕、漁撈、季節移動、海上移動など異なる生活が並行していたことです。次の紀元前6000〜5000年の記事では、初期新石器の定着と工芸の展開を、引き続き具体的な遺物から読み解いていきます。

遺物には製作時の手順だけでなく、使われた跡や破損の痕跡も残ります。美術史の視点からそうした表面を読むことによって、完成時の造形と生活の中で変化する物の姿を、ひと続きの歴史として理解することができます。(参照:Antiquity|クノッソス最古期の年代研究(2017)、ギリシア文化省|フランクティ洞窟、Antiquity|ナブタ・プラヤ初期土器の研究)

略年表

年代は主に較正された暦年代の概数です。発掘地点と研究方法によって幅があり、文化段階と個別試料の年代は一致しない場合があります。

  • 前7000年前後|クレタ島クノッソス最古期の居住をめぐる年代研究。小規模な無土器段階と後続する居住の関係が論じられる。
  • 前7000頃|クレタ島の初期新石器時代の始まりを示す大まかな目安。
  • 前7000〜6500|南ギリシア・フランクティで導入栽培植物の早いAMS年代が示される紀元前7千年紀前半。
  • 前7000〜6000|フランクティで海洋資源の利用が続き、マグロ漁が遺跡解説に登場する。
  • 前7000〜6000|メロス産黒曜石など海を隔てた石材利用がエーゲ海で継続する。
  • 前7050〜6150|ナブタ・プラヤ/ビル・キセイバのEl Nabta/Al Jerar期の大まかな年代幅。
  • 前7000〜6500|ナブタ・プラヤ周辺で季節的な水域を利用する活動が続く。
  • 前6800〜6300|ナブタ・プラヤの初期新石器段階で土器、磨石、炉などの利用が見られる。
  • 前7千年紀|クノッソスの新石器集落で建築と生活資料が積み重なる。
  • 前6400〜6100|El Nabta/Al Jerar期後半の活動が放射性炭素年代で捉えられる。
  • 前6000頃|エーゲ海で新石器集落と土器利用が広がる時期へ。
  • 前6000以降|北東アフリカで家畜や居住形態をめぐる資料が増えていく。

まとめ

紀元前7000〜6000年頃のエーゲ海では、クレタ島の初期新石器集落と、南ギリシアの長期的な洞窟生活が並行していました。クノッソスの層位とフランクティの栽培種子は、農耕の始まりが複数の過程を経て進んだことを明らかにしています。海上移動、石器の加工、漁撈、植物の管理が、それぞれの場所の生活を支えていました。

ナブタ・プラヤとビル・キセイバでは、季節的な水場を使う人々が、土器の成形と装飾、石器や磨石の使用、水へのアクセスを整える技術を育てていました。これらをクノッソスと比較すると、定住と移動、農耕と狩猟採集の異なる組み合わせから、多様な造形文化が生まれていたことが分かります。

次の紀元前6000〜5000年に進むと、集落の拡大と土器・建築の変化がさらに明瞭になります。その基礎には、今回扱った小さな器や石器、種子、生活空間をめぐる長い試行の積み重ねがあります。

参考資料・出典

本記事は、ギリシア文化省の遺跡解説、英国アテネ学院の発掘・再研究、考古学誌に掲載された年代測定研究、大英博物館の出土品記録、および北東アフリカの動物考古学研究を参照して構成しました。遺物の特徴と研究上の年代・解釈を区別して記載しています。