Art Library
Art History

1961–1966

クレス・オルデンバーグ

The Store、Soft Sculpture、巨大な日用品

1960年代前半のPop Artを、アンディ・ウォーホルのスープ缶やロイ・リキテンスタインの漫画のような「大量メディアのイメージを絵画へ移す運動」とだけ理解すると、クレス・オルデンバーグ(Claes Oldenburg, 1929–2022)の重要性が見えにくくなります。オルデンバーグが扱ったのもハンバーガー、ケーキ、アイスクリーム、シャツ、電話、便器といった日常的な物でしたが、それらを平面上の画像へ変えるのではなく、実際の空間を占める彫刻として作り直しました。しかも本物の商品をそのまま持ち込むのではなく、石膏、布、ビニール、発泡材などを使い、わざと歪ませ、巨大化し、柔らかくしました。

この方法によって、彫刻をめぐる基本的な前提が次々と崩れます。彫刻は石やブロンズのように硬く、長期的に形を保つ必要があるのか。美術作品はギャラリーで売られるべきなのか。ハンバーガーや便器のような普通の物が巨大化したとき、それは商品、身体、建築、風景のどれに近づくのか。オルデンバーグはこうした問いを理論だけで説明するのではなく、《The Store》という実際の店舗、Happening、柔らかい彫刻、都市規模の架空モニュメントへ次々と変換しました。

また、彼の制作は「大量生産品を扱うPop Art」でありながら、作品そのものは強く手作業的です。1961年の《The Store》では、近所の店で売られている商品を一つずつ石膏と布で作り直し、1962年の巨大なSoft Sculptureでは当時の妻Patty Muchaがキャンバスを縫い、オルデンバーグが絵具を塗りました。工業製品の均質さを再現するのではなく、日用品を不均一で身体的な物へ戻す。この点で、ウォーホルやリキテンスタインとはまったく異なるPopの方向が見えてきます。

CONTENTS

  1. 1961年以前 — 《The Street》から始める
  2. 都市のゴミや看板を美術へ入れる
  3. 彫刻とHappeningを分けない
  4. 1961年「I Am for an Art」
  5. 美術館の外にあるものを美術の候補にする
  6. 1961年《The Store》を開く
  7. ギャラリーではなく、本物の店舗を使う
  8. 奥で作り、手前で売る
  9. 衣服、食べ物、看板、日用品
  10. 布、石膏、ワイヤー、エナメル
  11. 《Pastry Case, I》— 食べられない食品
  12. 《Pepsi-Cola Sign》— 広告を手作業へ戻す
  13. 作品に値段を付けて「店」で売る
  14. Readymadeとの違い — 本物を選ぶのではなく作り直す
  15. 1962年 Ray Gun Theater
  16. 1962年 Green Galleryへ
  17. 店の商品が巨大化する
  18. Patty Muchaとの制作
  19. 《Floor Burger》
  20. 《Floor Cake》
  21. 《Floor Cone》
  22. 「Soft Sculpture」とは何が新しかったのか
  23. 重力が形を完成させる
  24. 見るだけでなく、触覚を想像させる
  25. 巨大化すると日用品が身体に近づく
  26. 1963年 — ビニールへ
  27. Hard、Ghost、Softという制作段階
  28. 《Giant BLT》— 組み直されるサンドイッチ
  29. 1963年 Dwan Gallery
  30. 《Bedroom Ensemble》— 柔らかさの反対へ
  31. 遠近法を三次元の家具にする
  32. 家具なのに使えない
  33. Pop Artの中でも異質な位置
  34. 1965年 — 「museum of popular art, n.y.c.」
  35. 集めることも制作になる
  36. 1965年 — Colossal Monumentの構想
  37. 42nd Streetに巨大なバナナを置く
  38. 日用品を都市のスケールへ移す
  39. 1966年 — 日用品の変形をさらに進める
  40. 《Soft Toilet》— 硬い衛生器具を柔らかくする
  41. 《Shoestring Potatoes Spilling from a Bag》
  42. 対象ではなく「変形のルール」を作る
  43. 大量生産品を、一点物の手仕事へ戻す
  44. 絵画と彫刻の区別をどう変えたのか
  45. 美術と生活の境界をどう変えたのか
  46. 1961–1966年に何が変わったのか
  47. オルデンバーグ以後 — 物体、環境、公共空間へ
  48. 次の論点へ — グリーンバーグとモダニズム批評
  49. 参考資料・出典

1961年以前 — 《The Street》から始める

《The Store》を理解するには、その直前に制作された《The Street》を見る必要があります。MoMAによれば、オルデンバーグは1950年代末から1960年にかけて、当時住んでいたLower East Sideの街路、老朽化した建物、看板、人々、路上のゴミなどから着想した環境作品《The Street》を制作しました。段ボール、新聞紙、麻布、木材など安価で傷みやすい材料を切り、破り、黒く塗り、街の断片のような彫刻を空間全体へ配置しています。

1960年1月にはJim Dineとの《Ray Gun Show》の一部としてJudson Galleryに展示され、その後同年5月にReuben Galleryで別バージョンが発表されました。完成した彫刻を白い展示室へ整然と置くのではなく、空間全体を街路の混乱へ近づけた点が重要です。オルデンバーグにとって「作品」はすでに個別の物だけではなく、物、文字、壁、観客、パフォーマンスが同時に存在する環境になっていました。

都市のゴミや看板を美術へ入れる

MoMAの《The Street》資料には、オルデンバーグがLower East Sideを歩きながら、都市の汚れや壊れたもの、貧困の痕跡まで視覚的な素材として見ていたことが記録されています。作品も高価な彫刻材料ではなく、段ボールや新聞といった街に捨てられやすい素材から作られました。完成した形も滑らかに仕上げられず、切断面や破れ、歪みがそのまま残ります。

この段階から、オルデンバーグは日常の物を美術へ「昇格」させて美しくすることより、日常がもともと持っている粗さや不安定さを作品へ持ち込もうとしていました。《The Store》で食べ物や衣服が鮮やかな色に変わっても、この手作業的で不均一な性格は消えません。1960年の暗い街路と1961年の明るい商品世界は見た目こそ大きく違いますが、どちらもLower East Sideで実際に目にした環境を制作へ取り込んでいます。

彫刻とHappeningを分けない

《The Street》は静止した展示だけではありませんでした。MoMAによれば、Judson Galleryでは《Snapshots from the City》などのパフォーマンスが行われ、1960年のRay Gun関連企画ではJim Dine、Allan Kaprow、Robert Whitmanらとともに複数のHappeningが開催されました。彫刻は演者が動く背景になり、作品を見ることと出来事を見ることが重なります。

この経験は《The Store》にも続きます。店舗が閉まった後、その空間はRay Gun Theaterとして使われました。つまりオルデンバーグにとって、彫刻、環境、販売、演劇は別々の活動ではありません。物を作り、その物を空間に置き、人が入り、買ったり演じたりする状況全体が制作になっていました。

1961年「I Am for an Art」

1961年、オルデンバーグは後に有名になる文章「I Am for an Art」を書きました。Walker Art Centerが紹介する全文では、洗濯機、政府の小切手、下水口、リンゴの虫、冷蔵庫、ガソリンポンプ、古いテーブルクロスなど、美術とは無関係に見える膨大なものが「art」の候補として列挙されています。

この文章の重要性は、特定の新しい様式を宣言したことではありません。美術にふさわしい対象を限定することそのものを拒み、生活の中の汚れ、身体、商品、機械、音、匂いまで含めて制作の可能性を開いたことにあります。《The Store》やSoft Sculptureは、この文章を三次元で実行したものとして読むことができます。

美術館の外にあるものを美術の候補にする

オルデンバーグが選んだのは、特別な美術的価値を持つ物ではありません。ケーキ、ソーセージ、下着、シャツ、アイスクリーム、レジ、電話、便器など、都市生活の中で繰り返し見たり使ったりする物です。しかしそれをそのまま展示するのではなく、素材、サイズ、硬さ、色を変えて作り直します。

そのため鑑賞者は「これは何か」をすぐ認識できる一方、「なぜこんな形なのか」を同時に考えさせられます。見慣れているから分かりやすいのに、物としてはまったく普通ではない。オルデンバーグは日常物を美術へ入れることで理解を簡単にするのではなく、むしろ普段は意識せず使っている物をもう一度奇妙に見せました。

1961年《The Store》を開く

1961年12月1日、オルデンバーグはManhattanのLower East Side、107 East Second Streetに借りた店舗を《The Store》として開きました。MoMAによれば、営業は1962年1月末まで続き、空間には100点を超える商品風の作品が密集して置かれました。食べ物、衣服、看板、レジなど、周辺の廉価店や飲食店で見かける物がモデルになっています。

これは店舗を模したインスタレーションをギャラリー内に作っただけではありません。実際の商店街にある店舗を借り、入口を開き、値札を付け、購入できる状態にしました。作品と商品を比較するために「店のような展示」を作ったのではなく、本当に店として機能する場所へ美術作品を置いたところが重要です。

ギャラリーではなく、本物の店舗を使う

MoMAの音声資料でオルデンバーグは、現実の作品を非現実的なギャラリーへ持ち込む代わりに、「real store」に置くことに意味があったと振り返っています。展示室では、どんな物も「美術を見るための物」として扱われます。しかし店舗では、物は価格を持ち、比較され、購入され、持ち帰られることを前提に並びます。

《The Store》はこの二つの制度を重ねました。ケーキの彫刻には値段があり、シャツの彫刻も買えます。それでも食べることも着ることもできません。商品として売られているのに実用品ではなく、美術作品なのに商店の商品と同じ方法で並べられる。どちらのカテゴリーにも完全には収まりません。

奥で作り、手前で売る

オルデンバーグ自身が1961年に記した《The Store》の計画では、細長い店舗の前半を売り場、後半を制作場所として使うことが想定されていました。MoMAの資料によれば、新しい作品は奥で継続的に作られ、完成すると前へ運ばれて商品として追加されました。

通常、美術市場ではスタジオで作られた作品が画廊へ運ばれ、別の人間が販売します。《The Store》では制作と販売が一つの場所で連続します。工房、店舗、展覧会場が同じ空間になり、制作過程と市場の間にある制度的な距離が短くなりました。

衣服、食べ物、看板、日用品

MoMAの2013年回顧展では、《Cash Register》《Red Tights》《Pepsi-Cola Sign》《Pastry Case, I》《Two Cheeseburgers, with Everything》など、《The Store》から生まれた多数の作品が再構成されました。モチーフは統一されていませんが、共通するのは都市の店頭で売られたり表示されたりするものです。

美術史上の静物画にも食べ物や衣服は登場してきましたが、オルデンバーグはそれらを「描かれた対象」ではなく立体物へします。しかも本物らしく精密に再現せず、形を歪ませ、絵具を滴らせ、物の表面を厚くします。商品を美術館的な美しさへ洗練するのではなく、商品の魅力と手作りの粗さを同時に残しました。

布、石膏、ワイヤー、エナメル

《The Store》の多くの作品は、ワイヤーで形を作り、その上へ布や麻布をかぶせ、石膏を含ませて固め、鮮やかなエナメル塗料で着色しています。《Pastry Case, I》では石膏を含ませたburlapやmuslinが使われ、《Pepsi-Cola Sign》でもmuslin、plaster、wire、enamelが組み合わされています。

この材料は、商品を工業製品のように滑らかに再現するには向いていません。表面はでこぼこし、形は少し崩れ、絵具も均一ではありません。その不完全さによって、大量生産品のモデルが一点物の身体的な彫刻へ変わります。

《Pastry Case, I》— 食べられない食品

1961–62年の《Pastry Case, I》では、ケーキや菓子の彫刻が本物の皿や金属トレーに載せられ、ガラスケースへ並べられています。MoMAは、実際の食堂や菓子店のディスプレイを思わせるこの提示が、食品としての誘惑と、明らかに人工物であるという矛盾を強めると説明しています。

鑑賞者は形を見て食べ物だと認識しますが、石膏とエナメルでできているため食べることはできません。オルデンバーグは後年、このような機能しない模造物が期待を挫くところに関心があったと振り返っています。物の姿は維持しながら、その用途だけを奪うことで、普段の「見る→使う」という関係を切断しました。

《Pepsi-Cola Sign》— 広告を手作業へ戻す

1961年の《Pepsi-Cola Sign》では、企業の広告サインがmuslin、石膏、wire、enamelによる厚く歪んだ彫刻へ変わっています。MOCA Los Angelesは、滴る色、でこぼこの輪郭、歪んだスケールを、消費文化の洗練された表面とは対照的な手作業の強さとして説明しています。

ウォーホルが後にブランドのロゴを比較的そのまま反復したのに対し、オルデンバーグのPepsiはひどく不均一です。広告が求める明快で再現可能な企業イメージを、手でしか作れない一点物へ戻しています。大量生産の記号を使いながら、その生産論理には従いません。

作品に値段を付けて「店」で売る

MoMAによれば、《The Store》に置かれた100点を超える作品はすべて販売対象で、価格は21.79ドルから499.99ドルまで設定されていました。オルデンバーグ自身が店主となり、ポスター、名刺、レターヘッドなど宣伝物まで制作しています。

これは美術と商品を同一視したというより、両方が実際には売買される物であることを隠さなかったと言えます。Fine Artも市場で価格を持ちますが、通常その商業性は白いギャラリー空間の中では目立たなくなります。《The Store》では値段と販売行為を展示の中心へ戻しました。

Readymadeとの違い — 本物を選ぶのではなく作り直す

日用品を美術へ入れる点ではMarcel Duchampのreadymadeと比較できます。しかしオルデンバーグは、実際のハンバーガーや便器をそのまま選んで展示するのではありません。見慣れた物を観察し、布や石膏など別の材料で作り直します。

その変換によって、物は元の機能を失うだけでなく、形や触感まで変わります。Duchampのreadymadeが「同じ物が文脈によって美術になる」という問いを強く持つのに対し、Oldenburgでは「同じ物を別の素材、別の大きさ、別の硬さへ変えると、どのように見え方が変わるか」という身体的な問題が前面に出ます。

1962年 Ray Gun Theater

《The Store》が1962年1月31日に閉じた後、オルデンバーグは同じ店舗をRay Gun Theaterとして利用し、2月から5月頃にかけて複数のパフォーマンスを行いました。MoMAの展覧会記録とWhitney所蔵のRay Gun Theater映像には、《Nekropolis II》など、物体、衣装、演者、即興的な行為が組み合わされた出来事が残っています。

この連続は、《The Store》の彫刻を静止した商品としてだけ見ないために重要です。オルデンバーグにとって物は、人が使い、動かし、身につけ、空間の中で関係を変える可能性を持っていました。後のSoft Sculptureでも、重力によって形が崩れ、設置のたびに姿が少し変わるという時間性が残ります。

1962年 Green Galleryへ

1962年9月、オルデンバーグはMidtown ManhattanのGreen Galleryで初めてuptownの個展を開きました。MoMAのRichard Bellamy資料は、この展覧会をオルデンバーグが初めてSoft Sculptureを発表した重要な個展として位置づけています。Lower East Sideの細長い店舗から、57th Streetのより広い商業画廊へ場所が変わったことで、作品の大きさも一気に拡張しました。

MoMAによれば、オルデンバーグはMidtownのショールームに置かれた高級車やグランドピアノの巨大さから刺激を受け、店舗の内部に不釣り合いなほど大きな物を作ろうと考えました。《The Store》で手の届く商品のようだった食べ物が、今度は人間の身体を超えるスケールになります。

店の商品が巨大化する

Green Galleryで制作された《Floor Burger》《Floor Cake》《Floor Cone》は、いずれも食べ物としては異常な大きさです。ハンバーガーは直径2メートルを超え、ケーキは長さ約2.9メートル、アイスクリームコーンは長さ約3.45メートルあります。小さな商品が彫刻になるだけでなく、人間とのサイズ関係そのものが逆転します。

巨大化すると、食品は「食べたい物」より「身体の前に立ちはだかる物体」になります。見る人は商品を手に取れず、むしろその周囲を歩かなければなりません。広告で商品写真を拡大するPop Artの操作が、Oldenburgでは実空間の物理的なスケールとして現れます。

Patty Muchaとの制作

《Floor Burger》《Floor Cake》《Floor Cone》の制作では、当時の妻Patty Muchaの技術的な役割を外すことができません。MoMAは、熟練した裁縫技術を持っていたMuchaが巨大なキャンバスの彫刻を縫い、Oldenburgがその表面へ絵具を施したことを明記しています。二人は作品をGreen Galleryの内部で制作しました。

この共同作業は、Soft Sculptureが単なる「アイデア」ではなく、型紙、裁断、縫製、充填、塗装という複数の物理工程から成立していたことを示します。作者名はOldenburgですが、巨大な柔らかい形を現実に作るには、従来の彫刻とは異なる縫製技術が必要でした。

《Floor Burger》

1962年の《Floor Burger》は、キャンバスにアクリル系塗料を施し、内部にfoam rubberやcardboard boxesを詰めた巨大なハンバーガーです。Art Gallery of Ontario所蔵作品で、直径は約2.1メートルあります。丸いパン、肉、具材は認識できますが、表面は平滑な食品模型ではなく、柔らかく歪み、床へ沈み込みます。

Oldenburg自身はMoMAの音声資料で、身の回りの実物を彫刻にするなら、柔らかくして押したり形を変えたりしてもよいのではないかと考えたと振り返っています。形は作者が完全に固定するのではなく、内部の詰め物、重力、床との接触によって決まります。

《Floor Cake》

《Floor Cake》も1962年にGreen Galleryで制作された三つの巨大Soft Sculptureの一つです。MoMA所蔵作品はsynthetic polymer paintとlatexを塗ったcanvasにfoam rubberとcardboard boxesを詰め、高さ約1.48メートル、長さ約2.9メートルあります。ケーキの一切れという小さな物が、ソファやベッドに近い規模へ変わっています。

食品を正確に拡大した立体模型とは違い、柔らかい材料は自重で変形します。角は丸まり、クリームの層は波打ち、置き方によって輪郭が変わります。スケールを大きくするほど、物の形を保つことが難しくなるという物理的問題そのものが作品の見た目になります。

《Floor Cone》

《Floor Cone》は高さではなく長さ約3.45メートルに及ぶ巨大なアイスクリームコーンで、canvas、foam rubber、cardboard boxesから作られています。MoMAによれば、1963年にLos AngelesのDwan Galleryへ展示された際、Oldenburgはこの作品を上下逆さまにして壁へ立て掛け、重力による変形をさらに強調しました。

アイスクリームコーンの「正しい向き」は、商品として使用するなら明確です。しかし彫刻になれば上下を変えても機能上の問題はありません。日用品を用途から解放することで、向き、柔らかさ、重さといった、それまで意識しなかった物の条件が自由に操作できるようになります。

「Soft Sculpture」とは何が新しかったのか

伝統的な彫刻では、石、木、ブロンズなど形を保持する硬い材料が中心でした。OldenburgのSoft Sculptureは、canvasやvinylを縫って内部へ柔らかい素材を詰め、彫刻を「変形する物」にします。MoMAは、これらが硬く厳粛であるという彫刻の慣習に対し、柔らかさ、色彩、ユーモアを持ち込んだ点を重要視しています。

柔らかいことは表面的な面白さだけではありません。硬い彫刻は作者が決めた形を長く維持しやすいのに対し、柔らかい彫刻は重力や置き方に反応します。作品の形が完全には作者の設計だけで決まらなくなり、材料そのものが制作へ参加します。

重力が形を完成させる

Oldenburgは後年、重力をお気に入りの「form creator」として語っています。柔らかい物体を床へ置けば底部は潰れ、吊れば下へ伸び、壁へ立て掛ければ別の形になります。彫刻を空間内で自立する固定形としてではなく、周囲の条件と関係しながら変形するものとして扱いました。

これは抽象表現主義の絵具が重力によって流れることとも異なります。PollockやFrankenthalerでは液体の絵具が制作中に重力へ反応し、乾けば形は固定されます。OldenburgのSoft Sculptureでは、完成後も柔らかさが残り、展示されるたびに重力との関係が続きます。

見るだけでなく、触覚を想像させる

Soft Sculptureを見ると、実際に触れなくても、押したらへこみそうだ、座ったら潰れそうだという触覚的な想像が生まれます。Oldenburg自身も、身の回りの物をsoftにすれば押して形を変えられるという発想を語っています。視覚中心の美術館展示でありながら、作品が身体の感覚を強く誘発します。

特に食べ物というモチーフでは、視覚だけでなく味、匂い、触感の記憶も加わります。しかし巨大なcanvasのハンバーガーは食べられません。身体的な連想を強く刺激しながら、実際の機能は拒否する。その矛盾が作品を単なる巨大模型から遠ざけています。

巨大化すると日用品が身体に近づく

小さなハンバーガーやケーキは人間が手に取り、食べる対象です。しかし人間より大きくなると、その主従関係が逆転します。鑑賞者は物を操作する側ではなく、巨大な物の前で自分の身体の大きさを意識する側になります。

さらに柔らかく垂れる形は、食品でありながら皮膚、肉、臓器、家具のようにも見えます。Oldenburgの作品では日用品が巨大化することで「物の肖像」になるだけでなく、人間の身体に似た性格を持ち始めます。モノと身体の境界が、素材とスケールによって曖昧になります。

1963年 — ビニールへ

Whitney Museumによれば、Oldenburgは1962年に光沢のあるvinyl fabricを見つけ、1963年頃からそれをSoft Sculptureへ本格的に使用します。Canvasより滑らかで工業製品の表面に近い一方、縫製してkapokなどを詰めれば柔らかく変形します。《Giant BLT》《Soft Pay-Telephone》などがこの展開を代表します。

ビニールは、商品らしい人工的な光沢と、身体のような柔らかさを同時に持たせる材料でした。電話や食品のような硬さを期待する物が垂れ下がることで、物の「正しい物性」が意図的に裏切られます。

Hard、Ghost、Softという制作段階

Whitneyの《Giant BLT》資料でOldenburgは、ビニール作品の制作に際して、まずcardboard modelを作り、その後muslinによる「ghost model」を作って問題点を確認し、最後にvinylの完成版へ進んだと説明しています。柔らかい作品だから即興的に縫っていたのではなく、複数段階の試作を通じて形を検討していました。

Hard、Ghost、Softという異なる状態を比較すると、同じ対象でも素材を変えるだけで性格が変わることが分かります。物の「本質的な形」を一つ決めるのではなく、硬さ、色、充填量によって複数の姿を持てること自体が制作のテーマになりました。

《Giant BLT》— 組み直されるサンドイッチ

1963年の《Giant BLT (Bacon, Lettuce, and Tomato Sandwich)》は、vinyl、kapok、painted woodなどから作られ、パン、ベーコン、レタス、トマトといった複数の柔らかい部分を重ねてサンドイッチにしています。Whitneyによれば、展示のたびに各部を再び組み合わせる必要があり、その再設置によって構成に一定の可変性が生まれます。

工場製品なら、同じサンドイッチは規格どおり組み立てられることを期待されます。しかしこの彫刻では、柔らかい部分の重なり方や潰れ方が毎回少し異なります。大量生産品をモデルにしながら、同一性ではなく変化可能性を持つ一点物になっています。

1963年 Dwan Gallery

1963年10月、Los AngelesのDwan GalleryでOldenburgの個展が開催され、色付きvinylによるSoft Sculptureがまとまって展示されました。MoMAの回顧展資料は、1962年のcanvasによる巨大なSoft Sculptureの翌年に、この新素材による作品群が西海岸で発表されたことを記録しています。

Los Angeles滞在は、その後の《Bedroom Ensemble》にも影響します。Lower East Sideの粗い店舗や食堂とは異なる、モーテル、車、Formica、ショールームなどの人工的で整えられた環境が、Oldenburgの次の制作へ入ってきます。

《Bedroom Ensemble》— 柔らかさの反対へ

1963年に構想され、1964年にSidney Janis Galleryで展示された《Bedroom Ensemble》では、Oldenburgはそれまでの柔らかく崩れる彫刻とはほとんど逆の方向へ進みました。Whitney所蔵版はwood、vinyl、metal、synthetic furなどからなる一室規模のinstallationで、ベッド、椅子、テーブル、鏡などが一つの人工的な寝室を作ります。

MoMAの回顧展カタログによれば、Oldenburg自身もこの硬く幾何学的で冷たい形を、それ以前のLower East Side的な制作と対照的なものとして意識していました。Soft Sculptureという一つの成功した様式を固定せず、あえてその反対へ移った点は重要です。

遠近法を三次元の家具にする

《Bedroom Ensemble》の家具は、普通の家具をそのまま作ったものではありません。MoMAの研究では、Los Angeles Timesの広告に見られた誇張された遠近法を参考に、家具そのものを斜めに引き伸ばすよう設計したことが説明されています。ある位置からは正常に見えても、別の位置から見ると異常に長く、短く、歪んで見えます。

伝統的な遠近法は二次元画面の上で三次元空間を錯覚させる技法です。Oldenburgはその操作を実際の三次元物へ適用し、「遠近法で描かれた家具」を現実空間に作りました。画像の歪みが物体の歪みに変換されています。

家具なのに使えない

《Bedroom Ensemble》は寝室に見えますが、実用的な寝室ではありません。MoMAのカタログでは、ベッドは硬く、鏡は像を歪め、引き出しは開かないと説明されています。使用するための家具の姿を持ちながら、その機能だけが奪われています。

これは《Pastry Case》の食べられないケーキと同じ構造です。Oldenburgは対象を認識可能な姿で残しながら、通常の用途を不可能にします。商品として何のために存在しているかを知っているからこそ、機能しない状態が奇妙に感じられます。

Pop Artの中でも異質な位置

OldenburgはPop Artの主要作家として扱われますが、WarholやLichtensteinのように大量メディアの「画像」を中心にした作家とはかなり違います。彼が興味を持ったのは、店頭の商品、料理、家具、道具といった物の身体性であり、それらを実空間でどう変形できるかでした。

また、作品は機械的でも均質でもありません。布を縫い、石膏を塗り、絵具を垂らし、詰め物を調整する手仕事が前面に残ります。同じPopというカテゴリーの中に、印刷と反復へ向かうWarhol、機械印刷を手で模倣するLichtenstein、広告断片を巨大化するRosenquist、そして物そのものを柔らかく巨大化するOldenburgという異なる方法が同時に存在していました。

1965年 — 「museum of popular art, n.y.c.」

MoMAによれば、1965年にOldenburgがManhattanの14th Streetの新しいスタジオへ移った後、集めていた日用品、玩具、包装、studio experimentsなどを大きな収納棚へ並べ、「museum of popular art, n.y.c.」と呼びました。この私的な展示が、後に1972年のdocumenta 5で公開される《Mouse Museum》へ発展します。

1965年の段階では完成したMouse Museumの建築形態はまだありませんが、重要な発想はすでにあります。街で拾った物、安価なknickknack、自分の制作途中の断片を、美術館の収蔵品のように並べることです。《The Store》では商品と美術作品を同じ棚へ置き、今度は「収集品」と「作品」の境界をさらに曖昧にしました。

集めることも制作になる

MoMAは《Mouse Museum》を、Oldenburgが長年続けた収集、保存、分類の実践から生まれたものとして説明しています。完成作品だけでなく、偶然見つけた物や小さな試作品も、彼にとって次の作品を考える視覚資料になりました。

ここでは「作る」と「集める」が対立しません。自分で形を制作するだけでなく、世界にすでに存在する物を見つけ、選び、分類し、並べることも創作行為になります。この問題は後のInstallationやArchiveを使う現代美術へもつながりますが、Oldenburgの場合はまず日常物への執着から始まっています。

1965年 — Colossal Monumentの構想

1965年頃からOldenburgは、日用品を建築や都市インフラの規模へ巨大化する「Proposed Colossal Monument」のドローイングを継続的に制作します。MoMAには《Proposed Colossal Monument for 42nd Street: Banana》や、Canal StreetとBroadwayの交差点へ巨大なコンクリート塊を想定するドローイングなどが残っています。

ここではSoft Sculptureの巨大化がさらに一段階進みます。床に置かれた3メートルのアイスクリームではなく、都市の一部を置き換えるほど巨大な物を想像します。実際に建設できるかどうかより、もし街の中心に日用品がモニュメントとして存在したら、都市の意味がどう変わるかを図面上で試しました。

42nd Streetに巨大なバナナを置く

1965年の《Proposed Colossal Monument for 42nd Street: Banana》では、New Yorkの42nd Streetに巨大なバナナを置くという不可能に近い状況が描かれます。通常の公共彫刻なら、英雄、歴史的事件、抽象的な理念などが記念碑の主題になります。Oldenburgはその位置へ、もっとも普通で一時的な食品を想定しました。

バナナは腐り、食べられ、捨てられる物です。それを巨大で恒久的な都市モニュメントへ変える想像によって、「何を社会は記念するのか」という公共彫刻の価値体系がユーモラスに反転します。同時に、日用品の輪郭が建築物になるほど拡大されたときの造形的な面白さもあります。

日用品を都市のスケールへ移す

1966年にはLondonのTrafalgar Squareに巨大なgearshiftを置く案や、Piccadilly Circusにforkとcakeを置く案など、場所に対応したColossal Monumentの構想がさらに広がります。National Gallery of ArtとMoMAには、これらの水彩・コラージュによる計画図が残されています。

重要なのは、巨大化が単に「面白い大きな物」を作るためではないことです。物の大きさが変わると、その用途、象徴性、周囲の建築との関係も変わります。日用品を都市のスケールへ変換することで、商品、彫刻、建築、記念碑の境界を一つのアイデアの中で重ねました。

1966年 — 日用品の変形をさらに進める

1966年頃のOldenburgは、Soft SculptureとColossal Monumentの両方を進めています。《Soft Toilet》《Shoestring Potatoes Spilling from a Bag》などでは、実物と同じ程度のスケールを出発点としながら、素材や重力によって物を変形させます。一方、ドローイングでは同じような日用品を都市より大きなスケールまで拡張します。

つまり作品のアイデンティティは、特定の大きさにありません。小さなmodel、実物大のhard version、soft version、巨大なmonument proposalへと、同じ物が複数の状態を移動できます。Oldenburgにとってスケールは対象の固定された属性ではなく、自由に変換できる制作変数でした。

《Soft Toilet》— 硬い衛生器具を柔らかくする

Whitney Museum所蔵の《Soft Toilet》(1966)は、wood、vinyl、kapok、wire、plexiglassなどから作られています。本来の便器は工場で作られた硬い陶器で、自立し、衛生的で、表面も滑らかです。Oldenburgはそれを縫製されたvinylへ変え、形が自重で垂れ下がる彫刻にしました。

Whitneyは、この作品が通常の彫刻の硬さだけでなく、便器そのものに期待される物性を逆転させていると説明しています。硬いはずの物を柔らかくするだけで、日常物は身体のように疲れ、老い、崩れているような性格を持ちます。対象の意味を変えるために、新しい形を発明する必要すらありません。素材の変更だけで十分なのです。

《Shoestring Potatoes Spilling from a Bag》

Walker Art Center所蔵の《Shoestring Potatoes Spilling from a Bag》(1966)は、canvas、kapok、glue、acrylicによる高さ約274センチのSoft Sculptureです。Walkerによれば、1965年の『Life』誌に掲載された広告を出発点とし、フライドポテト、ketchup、colaというfast-foodの組み合わせを複数のスケールや向きで検討していました。

袋からこぼれる細長いポテトは、巨大化すると食品より柱や塔に近い形へ見えます。Oldenburgはポテトを逆さにすることで重力による垂れ下がりを強調し、日常の商品イメージから別の形を引き出しました。Walkerは、この作品でも重力がOldenburgの重要な「form creator」として作用していると説明しています。

対象ではなく「変形のルール」を作る

1961年から66年までを通して見ると、Oldenburgは特定のモチーフへ一貫しているわけではありません。食品、衣服、電話、家具、便器、看板、バナナ、gearshiftなど、対象は次々に変わります。しかし方法には共通点があります。硬い物を柔らかくする、小さい物を巨大にする、実用品を使えなくする、商品を一点物にする、平面的な広告イメージを立体へ変える、といった変換です。

その意味で作品の核は「ハンバーガー」という主題そのものより、物を別の状態へ移す操作にあります。一つの物について、hard / soft、small / colossal、functional / useless、commodity / artworkという複数の可能性を試す。Oldenburgは日常物を題材にしながら、実際には物がどこまで変わっても同じものとして認識されるのかを検証していました。

大量生産品を、一点物の手仕事へ戻す

Pop Artでは大量生産と複製が大きなテーマになりますが、Oldenburgの作品は大量生産されません。モデルとなる商品は規格化されていますが、完成した彫刻には縫い目、歪み、筆跡、塗料の厚みが残り、一つずつ異なります。機械的な商品を、人の身体と時間が刻まれた手仕事へ戻しています。

この点でWarholとの違いは明確です。Warholはシルクスクリーンと助手を使い、画像を反復できる生産システムへ向かいました。Oldenburgは反対に、同じ大量消費社会からイメージを取りながら、その商品を一回的で不均質な物体へ変えます。Pop Artの内部に、複製へ向かう方向と手作りへ戻す方向が同時に存在していました。

絵画と彫刻の区別をどう変えたのか

《The Store》の初期作品は、壁から突き出したreliefと完全なfreestanding sculptureの中間にあり、表面には絵具が激しく塗られています。Soft Sculptureではcanvasという絵画の支持体が縫い合わされ、内部へ詰め物を入れることで立体になります。《Bedroom Ensemble》ではさらに家具とinstallationの領域へ進みます。

そのためOldenburgを彫刻家と呼ぶことはできますが、作品は彫刻だけの歴史には収まりません。絵具、支持体、物体、空間の関係を何度も組み替え、PaintingとSculptureを別々の媒体として固定することを難しくしました。この媒体横断性は、同時代のRauschenbergのCombinesとも別の角度から接続します。

美術と生活の境界をどう変えたのか

《The Store》では美術作品を本物の店舗で売り、Ray Gun Theaterでは作品の間で人が演じ、《Bedroom Ensemble》では展示室が偽の生活空間になり、Colossal Monumentでは都市そのものが作品の支持体として想像されます。Oldenburgの制作では、美術と生活の境界を一度消してしまうのではなく、両者を重ねたときに生じる違和感が重要です。

ケーキはケーキに見えるが食べられない。ベッドはベッドに見えるが寝られない。便器は便器に見えるが使えない。商品や家具の形を残すからこそ、美術作品になった後に失われた機能が意識されます。「美術と生活を同じにする」のではなく、その間にある境界線を何度も動かした作家と考える方が適切です。

1961–1966年に何が変わったのか

1961年の《The Store》では、OldenburgはLower East Sideの商品を手作りの石膏彫刻へ変え、実際の店舗で販売しました。1962年には《Floor Burger》《Floor Cake》《Floor Cone》によって、それらの商品を人間より大きく、柔らかく、重力に従う彫刻へ拡張します。1963年にはvinylを使い、Hard、Ghost、Softという複数段階を経る制作を発展させ、同時に《Bedroom Ensemble》では硬く人工的な環境へ反転しました。

1965年以降は、収集した日用品を美術館のように分類するMouse Museumの原型と、日用品を都市規模へ巨大化するColossal Monumentの構想が始まります。そして1966年の《Soft Toilet》や《Shoestring Potatoes》では、柔らかさ、重力、巨大化による変形がさらに明確になります。この5年間でOldenburgは、商品を彫刻の「題材」にしただけでなく、店舗、商品、身体、家具、建築、都市という異なるスケールを一つの連続した制作領域へ変えました。

オルデンバーグ以後 — 物体、環境、公共空間へ

Oldenburgの制作は、Pop Artを平面的な商品イメージの歴史だけでは説明できないことを示します。日用品を三次元化し、柔らかくし、展示室を満たし、都市規模へ拡大することで、Popの問題をSculpture、Installation、Performance、Public Artへ開きました。後に彼自身も巨大な公共彫刻を実現していきますが、その発想の基礎はすでに1960年代前半に形成されています。

同時に、1960年代半ばにはOldenburgとはほとんど逆の方向で、Donald Judd、Robert Morris、Dan Flavinらが幾何学的で工業的な物体を提示し始めています。柔らかく、人間的に歪み、日用品を連想させるOldenburgと、反復可能で非表現的な構造へ進むMinimalismが同じ都市・同じ時期に並行したことは重要です。その分岐を見る前に、戦後アメリカ美術を長く方向づけた批評の枠組みそのものを一度整理する必要があります。

次の論点へ — グリーンバーグとモダニズム批評

ここまでPollock、de Kooning、Rothko、Newman、Still、Krasner、Mitchell、Frankenthalerから、Rauschenberg、Johns、Pop Art、Warhol、Lichtenstein、Rosenquist、Oldenburgまで進むと、1950年代から60年代に作品の種類が急速に増えていったことが見えてきます。その変化を理解するためには、作品だけでなく「何が重要な美術なのか」を説明していた批評の仕組みを見る必要があります。

次の記事では時系列を少し引き戻し、1939–1970|クレメント・グリーンバーグ — モダニズム批評の隆盛と限界として、《Avant-Garde and Kitsch》からPollockの擁護、flatnessとmedium specificity、Frankenthaler・Louis・Noland、1964年《Post-Painterly Abstraction》、そしてRauschenberg、Johns、Pop、Minimalismなどの登場によって彼の批評的枠組みが相対化されていく過程を扱います。作家の歴史とは別に、批評家、美術館、展覧会が「美術史」をどう作るのかを見るための重要な記事になります。

参考資料・出典

本ページは、美術館、研究機関、作家関連資料、オーラル・ヒストリーが公開する作品、展覧会、技法、作家発言を参照してART LIBRARYが独自に構成・執筆しています。原文の全文翻訳ではありません。

資料確認日:2026年10月1日 / ART LIBRARY